ワーカーズ523号 2014/11/1    号案内へ戻る

 特定秘密保護法の施行を許さないぞ!
 特定秘密保護法に対し130議会が撤廃意見書 !


 特定秘密保護法が成立して1年近くになる。この法律は、国民の知る権利を大きく制限するものであり、何が特定秘密かもあいまいなままである。そして、特定秘密を漏洩すれば、最高10年の懲役刑、秘密に迫ろうとした方も「そそのかし」「あおりたて」「共謀」とみなされれば最高5年の懲役刑である。この特定秘密保護法の施行が12月10日に迫っている。

 この法律に対し少なくとも計195の県議会、市町村議会が廃止や慎重な運用を求める意見書を可決した。特定の法律に対し、これだけの意見書が可決されるのは極めて異例である。可決された意見書のうち少なくとも130市町村議会が、同法の廃止や撤廃を明確に求めるものである。茨城県取手市議会の意見書は「国民主権・基本的人権・平和主義という日本国憲法の基本原則をことごとく蹂躙(じゅうりん)する」との表現で強い懸念を表明。三重県亀山市議会の意見書は「まさに国民の目と耳をふさぐものだ」と訴え、撤廃を求めた。また、甲府市議会は「指定される秘密が恣意(しい)的に拡大する恐れがある」と運用に関する懸念を表明した。

 極東最大の空軍基地である米軍嘉手納飛行場を抱える沖縄県嘉手納町議会では「影響を最も受けやすい地域として危惧している。住民が自らの生命財産を守るための実態把握さえもできなくなる」として、米軍の運用や基地政策に関する情報が得られなくなる懸念から、廃止を求めた。県議会では、慎重な運用を求める意見書が、岩手、新潟、鳥取の各県議会で可決された。意見書は、政府や国会への強制力はないが、地方議会の意見を国政に反映させるために地方自治法99条に定められている。安倍内閣は、このような状況でもこの法律を施行しようとしている。

 ★閣僚辞任でダメージを受けている安倍内閣

 こうした中、安倍内閣は政治資金の問題でダメージを受けている。うちわ問題―松島みどり前法務大臣や、不明朗な政治資金の使い方―小渕優子前経済産業大臣 どちらも閣僚辞任に追い込まれた。そして、小渕前大臣の後に経済産業大臣になった宮沢洋一氏も、SMバーに政治資金を支出していることが明らかになった。また、彼は東京電力の株を600株保有しており、このような人物が東電の考えになるのは当然である。

 読売新聞社が、2014年10月24日から25日にかけて行った緊急全国世論調査の結果によると、安倍内閣の支持率は前回調査(10月3~5日)比9ポイント減の53%だった。9月3日の内閣改造で多少支持率は回復していたが、小渕優子前経済産業相と松島みどり前法相の「ダブル辞任」が大幅に押し下げた形だ。特定秘密保護法や集団的自衛権行使の解釈改憲を強行しようとする安倍内閣を何とか追いこんでいかなければならない。今が絶好のチャンスである。(河野) 


 《日米ガイドライン》戦争国家への一里塚──軍事対決に傾斜する好戦派首相の危険な冒険──

 安倍首相が主導する日米安保ガイドライン交渉にむけた中間報告が出された。7月1日の集団的自衛権行使を容認する閣議決定に続き、安倍首相による軍事対決優先の危険な冒険がまた一歩踏み出される。それはまた永年の平和国家としての建前をまた1枚脱ぎ捨て、日本が戦争ができる国へと脱皮する一里塚でもある。
 
 安倍好戦派首相による危険な冒険は、封じ込めなければならない。

◆集団的自衛権と連動

 10月8日、安倍首相が年末に締結をめざしている日米の新ガイドラインの中間報告が取りまとめられ、公表された。今回の改定は、97年に続く2回目の改定になる。
 
 当初のガイドラインは、主として冷戦時代のソ連封じ込めを目的とした日米の役割分担を定めたもので、日本は対潜哨戒機能の強化などで極東でのソ連の海洋進出を封じる米軍の下請的な役割を課されたものだった。97年の改定では、当時の朝鮮半島危機に際し、日米の軍事協力の実効性に不安を持つ米国からの働きかけによるもので、自衛隊による米軍支援の実効性を確保するのが主な目的だった。

 今回の改定で政府は、近年の中国の急速な軍備増強、それに安倍内閣による集団的自衛権の行使容認、米国防費の削減、国際テロの脅威拡大、宇宙やサイバー空間への攻撃の懸念など、グローバルな環境変化に合わせたものだと説明している。

 改定するガイドラインでは、中国、北朝鮮、ロシア、国際テロ、サイバー攻撃などの脅威を上げつつ、海洋進出を図る中国への対応、グレーゾーン自体への対抗、米艦防護など集団的自衛権の行使容認を反映させ、宇宙やサイバー空間での安全保障協力まで含めた幅広い範囲の取り決めをめざしている。

 まだ最終報告ではないが、今回の中間報告の特徴は三つある。一つは日米軍事協力の対象範囲を拡大すること、二つ目は、緊張関係を深めている中国に対する実戦体制の準備という性格、三つ目は二つ目と不可分のものだが、今回の改定が前回と違って集団的自衛権行使容認を強行した安倍首相が主導したということだ。いずれも安倍首相や取り巻きの異常な野心が反映したものに他ならない。

 軍事優先に走る安倍首相の暴走に、ストップをかけなければならない。

◆武力行使場面の拡大

 まず日米軍事協力での対象範囲の拡大だ。

 政府はこれまで、武力行使の対象範囲は実質的に「極東」や「日本周辺」といった範囲に限定してきた。今回の改定では、周辺事態という言葉をなくすことで、米軍との軍事協力を口実としながら自衛隊の武力行使を全地球規模に拡げるものになっている。いわゆる「地球の裏側」論への拡大だ。

 対象範囲の拡大では、地理的拡大とあわせて軍事協力の質的拡大も見逃せない。周辺事態法を成立させた前回の改定では、事態の類型を〈日本有事〉と〈周辺事態〉、それに〈平時〉という三つにわけていた。日本有事は戦争状態のことで、歴代政府はそれを日米安保条約に基づいて米軍の協力を得ながら個別的自衛権で反撃するとし、周辺事態では米軍への後方支援に限定し、直接の武力行使はできないとしてきた。

 ところが今回の改定では、周辺事態と平時の二つの区分に統合し、集団的自衛権の要件を満たせばたとえ戦闘地域であっても米軍への軍事支援を可能にするものになっている。これは日本が直接武力衝突に巻き込まれる、というより武力攻撃そのものに参加することでもあり、戦争当事国になる可能性は格段に高くなる。

 ただ、これまでの「日本周辺」という概念については、政府は「地理的概念ではない」と説明してきた。要は、日本に危機が及びかねないという、「危機の性格」 に着目した概念なのだ、と。とはいえ運用上、朝鮮半島周辺など、日本周辺での行使に限定するかのような制約をかけてきた経緯もあった。ともかく日米の軍事協力の範囲を拡げたいという思惑の実現を優先したからだ。99年当時の小渕首相が国会答弁で「中東、インド洋、ましてや地球の裏側は考えられない」と答弁することで周辺事態法を制定させたのも、そうした思惑からだった。現に、そういういきさつ上、イラク戦争時などでは特措法の制定で米軍への軍事協力に道を開かざるを得なかったわけだ。

 それが今回の改正で、名実とも日本周辺という地理的制約を取り払って、特措法を制定しなくとも地球のどこでも日米軍事協力が可能となる道を開きたいということなのだ。これは、武力行使も含む安全保障基本法制定など、一般法の制定のもくろみと連動するものでもある。

 日本はこれまで様々な制約=歯止めを設定することと引き替えに、実際の軍事協力の範囲を着実に拡大するという手法を続けてきた。今回の改定では、そうした歯止めをさらに緩めることで武力行使の範囲と場面を劇的に拡大することになる。やがては米国のように、どこでも、いつでも武力行使できる国になりたいという、好戦派の野望が反映したものだという以外にない。

◆戦争準備

 特徴の二つ目は、いわゆるグレーゾーン事態への対処に重点が置かれていることだ。これは昨今の中国の軍事的な拡張傾向を背景として、緊張が高まる尖閣諸島などでの紛争に備える、というのが言い分だ。まだ武力衝突とは言えないその前の段階、たとえば武装漁船などによる尖閣諸島への強行上陸などを想定したもので、そうした場面でも日米の軍事協力によって「切れ目のない対応」をする、としている。

 こうしたグレーンゾーン対応では、その仕方や成り行きによっては発砲などに直結する可能性や、それが拡大して局所的な武力衝突を招く恐れがある。そうならないような外交やその他の交流などを脇に置いて、まず軍事力での即応体制を優先するのが今回の改定の特徴だ。が、それでは逆に、相手国の同じような軍事的対抗策を呼び込むなどで連鎖的に緊張が高まり、かえって軍事衝突の可能性が高まるばかりだろう。

 特徴の三つ目は、今回の改定が日本主導で進められていることにある。

 今回の新ガイドラインは、台頭する中国の軍事力とその急ピッチな展開の拡大傾向を受け、それに軍事的な対抗力を確保しておきたいという安倍首相のスタンスが発端となっている。要は「軍事力には軍事力で」という態度によるもので、とりわけ安倍首相やその取り巻きは、そうした傾向が際立っている。

 安倍首相は第二次内閣発足以降、尖閣近辺や南シナ海における中国の脅威を煽ることに躍起になり、それに対抗するかのように、国際的な中国包囲網づくりに執念を燃やしてきた。また村山談話や河野談話に敵対心をあらわにし、靖国参拝では侵略戦争の正当化を画策し、あるいは戦前回帰姿勢を秘めたレジーム・チェンジを語り、中国への対抗心を剥き出しにしてもきた。そうした安倍首相の態度は言うに及ばず、今回の対中軍事対応に執着する安倍首相が持ちかけた新ガイドラインの策定は、対中軍事緊張をさらに高めるだけだという以外にない。

◆すり替えと飛躍と

 集団的自衛権にしても日米安保ガイドラインにしても、それを進める旗印として《自衛》が語られている。曰く、自衛のための武力行使、自衛のための日米協力、自衛のための武器使用……等などだ。

 しかし自衛という言葉の背後には攻勢・攻撃という概念がついて回る。軍事では、防衛と攻勢は裏表の関係にあるからだ。

 たとえば安倍内閣でも敵基地への先制攻撃の可否について強硬論が飛び交っている。一旦ミサイルが発射された後では、それをすべて打ち落とすことはできない、ミサイルを打ち込んでくる相手国に対する有効な防衛策は、敵のミサイル基地への先制攻撃が最も有効だ、等などだ。

 こうした防衛概念は、次々と拡大解釈されたり、論理の飛躍に繋がらざるを得ない。たとえば安倍首相もよく持ち出す日本への石油の輸送路、いわゆるシーレーン防衛もそうだ。シーレーンの安全が脅かされれば、日本の存立に致命的な打撃を受ける、だからシーレーンを防衛することは、即、日本を防衛することでもある……と。

 このシーレーン防衛に関しても、防衛の概念は当然のごとく拡大しないわけにはいかない。シーレーン防衛とは、中東から日本への長大な航路を敵の攻撃から守ることだ。その場面でも、攻撃されてからすべて守ることは不可能だ。攻撃する相手国への敵基地攻撃、あるいは先制攻撃が不可欠だ、となるのは目に見えている。

 また安倍首相が集団的自衛権でもガイドラインでも強調する、多国籍軍による武力行使と機雷除去は違う、武力行使は攻撃的なものだが機雷除去は受動的なものだ、というのもまやかしに過ぎない。世界では、停戦合意ができていない段階での機雷除去は武力行使だと見なされているから、相手国からの攻撃はないとは言い切れない。仮に機雷除去中に攻撃されれば、それに応戦する場面も出てくるだろうし、それが拡大すれば敵国との交戦状態になる可能性が高いからだ。

 安倍首相が軍事衝突の防衛的側面と攻撃的側面を使い分けることで、戦闘が持つ両者の不可分の関係を隠しているのだ。

 自民党の別働隊の役割を果たしているサンケイ新聞などは、反対派は他国への軍事支援が日本の防衛に直結することを理解していないと批判を続ける。安倍首相やサンケイ両者に共通するのは、攻撃と防御にしろ、あるいは他衛と自衛にしろ、概念を際限なく拡げること、いはば言葉と概念のすり替えと論理の飛躍だ。際限なく軍事優先に傾斜する好戦派の詭弁を許してはならない。

◆好戦的な冒険にストップを!

 集団的自衛権の容認を閣議決定で強行した安倍政権は、戦争ができる国家づくりに躍起になっている。

 武器輸出の緩和もそうだったし、武器使用の拡大もそうだ。特定秘密保護法もそうだったし、今回のガイドライン改定もそうだ。さらに今回の中間報告にはなかった宇宙空間の監視での対米協力の強化を、年末の改定に盛り込むことを10月21日までに固めたという。そのうえ、開発途上国への援助の指針である途上国援助(ODA)大綱を開発協力大綱とに枠組みを変え、外国軍への支援も可能になるようにするという。いずれ対中包囲網に参加する友好国への兵器輸出や兵器支援もやると言い出すだろう。

 要するに安倍政権は、対外関係の主眼を、友好関係づくりではなく軍事的な対抗関係づくりに置く姿勢を鮮明にしているのだ。こんな日本の姿勢は当然のこととして相手国である中国などの反撥と対抗策を招くことは不可避だろう。相互に脅威を煽り、軍事力至上主義で競う状況は、それだけ現実の武力衝突の危険性を増大させるだけだ。

 そのうえ安倍政権は、監視・密告社会を招く《共謀罪》の新設も狙っている。、当初いまの臨時国会に提案する予定だった共謀罪の新設は、特定秘密法での強行採決や集団的自衛権での閣議決定で、世論の批判が高まったことなどで、安保関連法案と同じように先送りされた。むろん撤回したわけではない。機会を虎視眈々と狙っているということだ。

 これらの一連の強硬路線を邁進する安倍政権は、民主主義を否定し、国家中心の軍事優先路線での日本改造という野望に突き動かされているという以外にない。それを積極的平和主義だ、切れ目のない安全保障だ、と言葉は飾っているが、そうした安倍首相の危険な野望は封じ込めなくてはならない。(廣)

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 紹介・・・分断の映像

 第2次大戦後、ドイツと朝鮮半島は分断され、分断国家として苦難の道を歩んだ。分断の象徴となったのはベルリンの壁と38度線だが、ベルリンの壁は今は記念碑として残っているだけだ。その一方で、38度線は今も分断された国家が軍事的ににらみあう壁として、南北統一を望む両国民の前に立ちはだかっている。

 ベルリンの壁とは、冷戦の真っ只中の1961年8月13日にドイツ民主共和国(東ドイツ)政府によって建設された、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)国民が居住する西ベルリンを包囲する壁である。冷戦崩壊とともにベルリンの壁は破壊され、1990年10月3日に東西ドイツが統一された。

 1945年まで大日本帝国の植民地とされていた朝鮮は、北緯38度線付近を挟んで北側は関東軍の、南側は大本営の管轄下にあった。これがそれぞれソ連とアメリカに降伏したため、38度線をはさんだ南北分断が固定化したという説があるが、「8月9日の大陸命1389号で済州島をふくむ南朝鮮駐屯の第17方面軍の指揮権は8月10日午前6時より関東軍に移管されており、事実ではないと見られている」(ウィキペディア)という見解もある。

 いずれにしても、どちらも米ソの戦後世界支配をめぐる駆け引きのなかから生み出されたものであり、それぞれの国の戦後を生き抜いた人々は、少なからずその人生を翻弄されたことだろう。戦後の世界秩序は、形は違っていても同じように米ソ冷戦によって運命づけられ、いまも戦乱のなかにある地域も多い。

 日本においても、沖縄が米国の軍事占領によって平和な生活は奪われ、今も日米合意の下に米軍基地による圧迫の犠牲となっている。戦後日本本土の平和と経済発展は、国内外のこのような犠牲の上に築き上げられたものであり、いわば血塗られた繁栄といっても過言ではない。とりわけ、朝鮮戦争という民族的悲劇を経なければならなかった南北分断国家の現状は、安逸をむさぼっていた日本人には想像もつかないものだった。

 済州島4・3事件を描いた「チスル」。朝鮮戦争時、韓国軍に抵抗した「南部軍~愛と幻想のパルチザン~」。軍事政権下の韓国で、公安警察による活動家に対する拷問を描いた「南営洞1985~国家暴力、22日間の記録~」。北朝鮮の政治囚強制収容所で育ち、そこから脱出して今は韓国に暮らす申東赫氏の半生を描いた「北朝鮮強制収容所の生まれて」。今年観たこれら4作品、どれも衝撃的内容だった。今後、観る機会があったらぜひ観ていただきたい。

●「チスル」(2012年・韓国)

 済州島の方言でジャガイモを意味するチスル、島民が飢えを防ぐ食物として切なく描かれている。アメリカによって南だけの単独選挙が強行されることによって、軍事境界線が半島を分かつ壁となって立ち現れることが確実となった。1948年4月3日、これに反対する済州島島民が武装蜂起した。

 韓国軍と警察は、海岸線から5キロより内陸にいる人間は暴徒と見なし、7年間で約3万人が犠牲となった。武装蜂起というが、「なぜ殺されるのかわからず死んでいった人々、なぜ殺すのかわからず殺した者、時が過ぎても鎮魂されない人々に向けた一条の光となって、多くの人々の心に訴えかけるであろう」と語る。

 武装蜂起というが、島民はなぜ殺されるかということすらわからなかったし、公権力によるこの大虐殺そのものが韓国現代史におけるタブーとされ、「悲しむことさえ許されなかった」という。オ・ミヨル監督は「事件を知る人がどんどん亡くなり、忘れ去られていく現状を、島に生まれた者として放っておけなかった。亡くなった人々の鎮魂を全面に出した」と制作意図を語っている。

 全編モノクロ、洞窟に逃げ込んだ島民がジャガイモを食べる場面が、さすずめ「最後の晩餐」のようだと評されているが、私には土とともに生きる人々の生きざまそのもののように思える。ところで、この虐殺には米軍の意思が働いていたようだ。韓国はその後、反共の最前線とされ、多くの悲劇をみなければならなかった。私はまだ読んでいないが、済州島出身の在日朝鮮人作家金石範氏の「火山島」はこの4・3蜂起を描いている。

●「南部軍~愛と幻想のパルチザン~」(1990年・韓国)

 1950年6月に勃発した朝鮮戦争は戦線が朝鮮半島をなめつくし、300万人の犠牲者を出した。米軍(国連軍)と中国義勇軍が参戦し、38度線でこう着状態となり、53年7月に軍事境界線(休戦ライン)が設けられた。この時、韓国南部の智異山を拠点に韓国軍に抵抗したパルチザン部隊(南部軍)の絶望的な戦いを描いている。

 新聞記者だったイ・テが部隊が壊滅するなかで、飢えに苦しみながら雪の智異山を彷徨う情景は、自然の美しさのと国家間の争いによって死の淵に追い込まれようとする兵士の悲しさがあふれている。この作品はイ・テの同名手記をもとに制作されたもので、大韓民国の建国に反対した彼らは「共匪」と呼ばれ、済州島4・3蜂起と同じように長く歴史上のタブーとされてきた。

 鄭智泳監督は韓国きっての社会派監督で、「南営洞1985」は彼の最新作である。韓国では1993年に金泳三大統領が登場するまで、職業軍人出身の朴正煕、全斗煥、盧泰愚大統領による反共軍事独裁が続いた。その間に民衆の血は流れ続け、1980年には5・18光州蜂起が血の海に沈められ。そうしたなかでも、民主化を求める闘いは続き、前進してきたのである。

●「南営洞1985~国家暴力、22日の記録~」(2012年・韓国)

 こちらは22日間の拷問場面が延々と続く、観ていて気持ち悪くなる映画。全斗煥時代の1985年、「民主化運動に身を投じていた金槿泰は、公安警察に不当逮捕され、22日間の壮絶な拷問を受ける。この事実がアメリカの人権団体を通して国内にも知られるところとなり、軍事政権への不満が爆発。87年の6・29民主化宣言の呼び水となった」

 彼は反国家団体をでっち上げるためにうその自白を迫られたのだが、拷問技師イ・ドゥハンは医師のように冷静に傷が残らないように肉体を責める。その異常さには吐き気を催すほどだ。イ・ドゥハンは「もしも世の中が変わったら、あなたが私を拷問するがいい」と言い放つ。そして立場は逆転し、イ・ドゥハンは許しを請うことになる。もちろん、金は許すことが出来なかったのだが、南営洞でどれだけの人々が人としての尊厳を、命を奪われたか考えれば当然のことだ。

 この作品も、故金槿泰議員の自伝的手記「南営洞」を原作にしたもの。「鄭智泳監督が故人への哀悼と民主主義への希求を込めて映画化した問題作」であるが、気の弱い方はあまりお勧めできない映画である。

●「北朝鮮強制収容所に生まれて」(2012年・ドイツ)

 作品案内には次のように記されてい。「北朝鮮の政治囚強制収容所第14号管理所で、政治囚の両親の〝表彰結婚〟の結果として生を受け、生まれながらの政治囚として育った申東赫。この映画は、2005年、収容所から脱出して現在は韓国に暮らすシン・ドンヒョクの想像を絶する半生と、北朝鮮強制収容所の実態を、本人へのインタビューをもとにドイツ人監督(マルク・ヴィーゼ)が描き出したドキュメンタリーである」

 母と兄は脱走に失敗して公開処刑されている。その時13歳だった彼は、拷問されて地下の秘密監獄に7カ月間拘禁される。親族の公開処刑を見ても悲しまなかった、愛するという感情について教えられていなかったからと彼は語っている。「収容所に生まれた僕は愛を知らない」(KKベストセラーズ)の著書がある。

 14号管理所には4万人が収容され、炭鉱やセメント工場、セラミックやゴムの加工場、縫製工場などがあり、収容されたら釈放されることはなく、死ぬまで出られないと言われている。映画では収容管理した側の人物も登場して証言しており、戦慄を覚えるような内容だ。

 11月9日、ベルリンの壁崩壊から25年を迎える。統一ドイツとはいえ、西と東の格差は今も埋まらず、「経済的な格差は『東の劣等感、西の優越感』という心の壁がなくなるのを妨げている」(10月21日「東京新聞」)

 人類はいまだ国家や民族、言語や宗教によって分断されている。働く者の利害が同じなのにと言ってみても、何の解決にもならない。この国においても分断は深まるばかりで、ヘイトといわれる憎しみの炎が今にも大火になりそうだ。隣国の現代史に少しでも触れれば、その苦難が私たちと無縁ではないということが理解できよう。自国の歴史すら直視できないなら、何度でも「国に騙される」ことになるだろう。 (晴)


 NPOの拡大にまた一歩

●資本と国家・地方行政衰退の代換策?

 「政府は、中小企業が資金を借りやすくするための信用保証制度の対象に、非営利組織(NPO)法人を新たに加える方針を固めた。」

 「雇用の受け皿を期待」するもの。「今年6月にまとめた新たな成長戦略でNPOを通じた地域活性化を掲げており、その第一弾になる。」(読売10/13)

 「NPOの数は、13年時点で約四万九千法人に達し、十年間で三倍に増えた」事業の種類も高齢者介護や保育サービス、地域特産品の開発支援など多岐にわたる。「経産省は、建設業や製造業などの中小企業が衰退しつつある地方で、NPOの活性化により雇用を拡大することができると見ている。」

 「さらに、地方自治体の合併などで縮小する行政サービスを補完するNPOの役割も大きくなっている。」(同読売)

●「アソシエーション革命」は拡散、深耕している

 前にも述べたことだが、「非資本」「非営利」の経済・社会組織が世界中で拡大している。「企業利益が上がらない」仕事を地道に担う、そのような社会活動がボランティア活動の普及とも連動してる。

 米国のレスター・サラモンは、十数年以上前にこれを「アソシエーション革命」と呼んだ。

参照『NPO最前線』(岩波書店HP)
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/02/1/0222510.html
【最近のサラモン教授の動向はコチラ】
http://japan-philanthropy-forum.net/public_html/frontier/wp/?tag=%e3%83%ac%e3%82%b9%e3%82%bf%e3%83%bc%e3%83%bb%e3%82%b5%e3%83%a9%e3%83%a2%e3%83%b3

 そもそも、「企業」「資本」など営利企業と言えども社会的機能をや責任を負っているのは当然のことだ‥
例えば金融機関でも同じだ。預金を集め利子を払い、他方では必要とする企業や個人へ融資する。

 だが、現実はどうだろうか? 金融機関は八〇年代バブルで大もうけを策したが、バブル崩壊後は不正融資の露呈、マネーゲームへの無謀な投資、苦しくなると「公金導入」や貸しはがしの醜態、さらに脱税等々次々と反社会的問題が露見した。三十代後半の人ならそれを憶えているだろう。それどころか現在では米国はじめ全世界で金融資本は、同じことをやっている。

 「儲ければよい」「強くなければ企業として生き残れない」という資本の論理は、良心ある人には幻滅でしかなかった。銀行ばかりの問題ではない、昨今のブラック企業でも社会的使命を忘れ人間をこき使う「もうけ主義」は目に余るだろう。

●次世代の経済をーー労働者協同組合基本法が大切

 大企業優先で、資本の論理を崇拝する安倍政府が、NPO普及に少しばかり手を貸すことになったのは、人気取りとは言え皮肉な事ではないか。

 過疎に悩む地方が鐘や太鼓で優遇し誘致した企業も、「田舎では儲からない」ので不義理にもさっさと撤退する。地方では資本逃避が相次ぎ、さびれるばかり。

 他方、政府に雇用創出で「期待される」ほどにNPO法人は、地力を付けつつある。みんなの回りでも、NPOで働く人は今では少なくないはずだ。都市なら十人に一人二人はNPO職員だ。君らの身の回りにも珍しくはないはずだ。

 この法人は、「社会的目的」のために活動するのだから事業継続が第一。企業のように利潤を「儲け」の対象とはしない。株主の評価もない。

 普通NPOとは言われないが、本命の「非営利」の経営組織は協同組合である。

 「マネー資本主義」「新自由主義」を言葉で批判するのは難しくない。しかし、ホントウに取って代わるのは、協同組合の経営の拡大だ。もちろん労働者協同組合基本法制定を安倍さんに期待するのは、とてもムリだろうが。(上) 号案内へ戻る


 コラムの窓・・・小児救急から見た子どもの貧困

 小児救急医療の病院で医療技術者として夜勤をしている。

 これから冬場にかけ、インフルエンザやノロウィルスの流行シーズンを迎える。下痢、嘔吐、発熱、咳・・。夕刻、深夜,明け方を問わず、親に連れられて急患室に来る子どもたち。そのうち約八割は軽症で、点滴か経口で水分や電解質、栄養分を補給し、数時間休ませて経過を観て、親に看護のポイントを指導して帰宅してもらうが、中に重症の疾患が隠れていて、それを見逃すと大変なことになる。そういう子どもは入院治療となる。

 実は「隠れている」のは医学的な意味での「重症疾患」だけではない。「貧困家庭」であるために、親の「看護力」が乏しい場合がある。それを見極めるのも看護師の仕事のひとつである。

 小児急患の背後に隠されている「貧困」とは、いったい何か?

◆隠されている貧困とは?

 「経済的に貧困であるために、親の看護力が乏しい」とは何か?母子家庭で母親が非正規労働者として、ダブルワークをしなければならず、子どもを看護する充分な時間が取れない。また、充分に栄養のある食事をさせてあげられない。さらには、母親自身が貧困によるストレスから、うつ病などの精神疾患にかかっており、心のゆとりがない。

 信州のある病院に勤務する小児科医が、子どもの貧困をテーマとした講演で、次のようなことを言っていた。診察室にいると、子どもの家庭が貧困かどうかは、なかなか見えてこない。ある時、貧困問題に詳しい医師から「予約の診察日に来ない親子がいたら貧困家庭かもしれない。ひとつの見極めのポイントになる」と言われた。

そうなのかなあ?と思っていたが。そういえば、よく予約の日に診察に来ない親子がいる。看護師と「あの子、今日も来なかったね」と話していた。診察に来ないから薬がもらえない。案の定、その後、容態が悪くなって、夜間の急患室にかけこんでくる。困ったことだ。でもそれまでは、どんな事情があるのか、よく考えなかった。

そこで、思い切って聞いてみた。「予約の日に来ないことが多いですが、もしかして経済的理由ですか?」。すると母親は即座に「はい、実はそうなんです」と答えたという。

◆償還払い制度がネック?

けれどその医師は不思議に思った。というのは、そこの自治体では、小児の医療には全額補助をしているではないか?実は、無料とはいっても、いったん病院の窓口で負担金を支払って、あとで役所の窓口に領収書を持ち込み、そこで全額を償還してもらうシステムになっている。これがネックになっていた。あとで全額償還されるのだが、その日の手持ちがないため、予約日に来れなかったというのだ。

その医師は「償還払いはモラルハザードを防ぐため」とかいろいろ議論はあるだろうが、現実に子どもが医療を受けられない例がある以上、「親の自覚」云々いうより、窓口段階での無料システムにすべきだ、と考えが変わったという。

 現場で突き当たらないと、こういう問題は、中々理解しにくいかもしれない。第三者的な立場から言えば、子どもの医療費は市民の税金を使っているのだから、その恩恵を受ける人にも、それなりのコスト意識を持ってもらわないと困る。だが、それは大人と大人の関係での負担のあり方論議であって、病気の小児にとっては手の届かない次元の問題だ。

◆貧困と疾患の関係とは?

 母子家庭で、母親が非正規労働者の場合。それだけでも世帯の収入が少ないため、子どもの成育環境は貧困になる。そのために児童手当があるではないかと言うかもしれない。しかし、金銭の問題だけではない。

 子どもが発達障がいや自閉症などの障がいを持っている場合どうか。障がい児は、当然裕福な家庭にも、中流家庭にもいて、それらを含めて療育支援の制度はある。だが、母子家庭で母親がダブルワークに勤務している場合、子どもを療育施設に送り迎えするだけでも、その時間が確保できない。進んだ自治体なら、自立支援法の制度を利用して、送迎時にヘルパーを派遣する方法もあるにはある。だが制度があっても、そこまでヘルパーを確保できるか?また、ヘルパーも発達障がいや自閉症について、充分な研修を受け、対応能力を身に着けているか?

 母親自身が慢性疾患の場合もある。子育て世代の女性が、関節リウマチ等の自己免疫疾患を発症する割合は高い。妊娠や出産に際して、母親の体が異物への免疫作用を高めたり低めたり調整を行なうため、そのバランスが崩れると、リウマチなどの疾患となるためだ。家事も、育児も、仕事もうまくいかない。そうすると、生活上のストレスからうつ病などの精神疾患を併発しやすくなる。

◆児童虐待・世代間の連鎖

 母親の慢性疾患や精神疾患、子どもの障がいや慢性疾患。中流家庭であれば、それぞれの診療やそれぞれの療育の問題として、個別に対応すればすむかもしれない。ところが貧困家庭になると、複雑にからみあって、貧困に拍車をかけ、疾患も悪化し、負の連鎖となっていく。

 さらに問題なのは、これが世代的にも連鎖していくことだ。最悪なのが児童虐待の連鎖である。虐待を受けて育った子が、親になったとき、小児期の情操形成の不足と大人になってからの貧困な生活環境との相乗作用から、子どもへの虐待に走ってしまうケースが後を絶たない。

 急患室に、全身にあざ(内出血瘢)のある子が、救急搬送されてくる時がある。単なる打撲症と診断し治療してすませると、大きく間違う場合がある。遺伝性の凝固因子異常による内出血かもしてない。その場合、入院治療し専門の医師に引き継がなければならない。あるいは虐待による場合もある。その場合は児童相談所などの行政機関と連携しなければならない。それを見極めるために、血液凝固因子に関係する検査が出される。救急隊も、医師・看護師も、医療技術者も、単なる打撲か、遺伝性疾患か、虐待か、あらゆる可能性を念頭に仕事をしなければならない。

◆貧困学の先輩イギリス

 日本では、ようやく昨年「子どもの貧困対策基本法」が制定され、今年の夏「対策大綱」が策定された。それでも、子どもの貧困問題は、まだまだ、今国会での首相の所信表明演説にも、野党の代表質問にも大きく取り上げられることがなく、政治の焦点からははずされている。

 だが、イギリスでは、子どもの貧困問題は新しい問題ではないそうだ。「子どもの貧困」(阿部彩著・岩波新書)を読むと、イギリスにはピーター・タウンゼンドという「著明な貧困研究者」(一九二八年生まれ)がいて、一九六〇年代から様々な研究発表を世に出し「貧困の再発見」として、社会に衝撃を与えてきたという。

 さすが「労働者階級の国」イギリスだな、と思ってしまう。産業革命が一番早かったため、祖父母も親も子も孫も労働者階級。これがイギリスの社会だ。「貧困の連鎖」は、何も今始まった問題ではないのだろう。

ロバートオーエンの社会実験に始まり、ウェッブ夫妻の活動、ベバリッジ報告による福祉国家構想、タウンゼンドの貧困学、そしてブレア首相の貧困政策にいたるまで、ある意味でイギリス政治史の中心軸のひとつは、子どもの貧困問題であったといっても過言ではない。

 これは決してイギリスにとって「誇れること」ではないかもしれないが、現実に今の日本社会が、イギリスと同じ道に踏み込んでいる以上、我々はイギリスの貧困学を学び、イギリスの貧困対策を調べる必要があるのは確かだろう。(誠)号案内へ戻る


 安全論の宣伝と心の問題にすり替える動きが明確に
  第12回 原発事故に伴う健康管理のあり方に関する専門家会議の報告


 10月20日に開かれた専門家会議のメインは中間報告の取りまとめ(たたき台)をめぐる議論であったが、私は直接には傍聴できなかった。遅ればせながら、アワプラネットの中継録画を見終えたところだが、その内容たるや、既に多くの方が報告をされているとおり、酷いの一語に尽きる。結局は、福島でさえ健康調査は縮小、リスクコミュニケーションと心のケアの強化を提唱するという内容だ。もちろん、関東ホットスポットなど福島以外の汚染地帯における対策は無しだ。

 日本学術会議や日本医師会から出ている少数派の委員たちの良識ある主張は、脇に追いやられようとしている。ゲストとして発言した岡山大学の津田敏秀教授の、子どもの甲状腺がんの多発は明らか、それも線量が高い地域ほど多発している、直ちに対策を取るべきだ、との意見については、御用委員の誰も面と向かってはまともな反論が出来なかったにもかかわらず、たたき台では完全に無視されている。同じくゲストとして意見を述べた元放射線総合医学研究所の主任研究員、崎山比佐子氏の批判的な見解を始め、環境省にとって不都合な外部専門家の多くの意見が切り捨てられている。

今回は、他の傍聴者が報告し批判してくれている部分には触れない。それらの中で述べられていない点について、指摘をしたい。

  ◆ ◆ ◆

 今回の会議では、原発事故が被災者のメンタルに与える影響が強調をされている。もちろん、原発事故が、直接的な生物的影響だけでなく、間接的な社会的・精神的影響を発生させるというのは事実だ。問題は、社会的・精神的影響についての評価や理解の中身が適切か、それへの対処方法が正しいか、そして何よりもフィジカルな影響をメンタルな影響にすり替える危険性はないのかということだ。私は、この危険性は無いはずはなく、むしろ国の狙いはそのすり替えを行うことにあると受けとめている。

 心のケアをどう評価するかについては、厚生労働省が推進し、生み出してきた、今日の日本の精神医療の無惨な現実から出発すべきだ。決して、淡い期待や希望的観測や生半可な理解から出発すべきではない。この点では、断じてお人好しであってはいけない。被災者救済、反被ばくの取り組みは、既に様々な領域、分野、会議や制度などにおいて国による陣地奪取を許してしまった。これ以上、国による専横を許してはならない。被災者の心の中まで、国の介入と支配を許してはならない。最後の砦まで、譲り渡してはならない。特に、原発事故とその健康影響の問題については、このことは幾ら強調してもしすぎることはない。この点で、妥協はあり得ない。

 心のケアは必要ではないか、むしろ要求してしかるべきではないかと考えている人には、最低でも、以下に紹介する、今日の日本の精神医療の惨憺たる有様について記した著書や資料に目を通して欲しい。

  ◆ ◆ ◆

 精神医療の早期介入の美名の下に、成長期の不安心理にとらわれがちな子ども達が不必要な精神医療へと繋がれ、誤診と多剤大量療法の結果として薬害地獄に陥らされ、薬剤性の精神疾患に苦しむこととなり、人生の大切な時間を台無しにされている実態を告発した嶋田和子氏の著書『ルポ 精神医療につながれる子ども達』(彩流社 2013年)。

 今でこそ精神医療における誤診と多剤大量療法への批判は珍しくなくなったが、何十年も前からこの事実を指摘して孤軍奮闘してきた精神科医の笠陽一郎氏が著した『精神医療セカンドオピニオン 正しい診断と処方を求めて』(シーニョ 2008年)。

 心の健康相談の事業を実施し始めた自治体で、逆に心の病が深刻化し、自殺者が急増している事実と、その原因(「うつは心の風邪」などと非科学的な誘い言葉で安易に受診し、未熟な医師に誤診され、適当な病名をつけられて多剤大量療法に晒されたことがその主原因)をデータを用いて明らかにした精神科医の野田正彰氏の報告(『新潮』2012年7月号「対策費200億円でも何故自殺は減らないか」)。

  ◆ ◆ ◆

 原発事故に伴う心のケアを、国に求めるのは極めて危険なことである。私たちはむしろ、被災者の心への不必要な間違った介入は直ちにやめろ、と要求しなければならない局面に立たされている。被災者の最後の砦である心への働きかけや操作を許さない闘いが、重要な課題となりつつある。精神保健と精神医療の従事者達は、被災者の側に立つのか、国の側に立つのかが、いま厳しく問われている。 (阿部治正)


 シリーズ「近現代史を学ぼう」・・・第3回 「明治の謎・伊藤博文暗殺(下)」

1.孝明天皇の死について 

 前号で指摘したようにこの伊藤博文暗殺事件に関して疑問を提起する多くの文献があることを知り、私なりに調べ伊藤博文暗殺に関しての疑問点を紹介した。

 安重根は裁判において、「明治天皇の父である孝明天皇を殺害した犯人は伊藤博文だ」と発言した。抗日運動家の安重根がこの重大事件の犯人は伊藤博文だと言うことを、日本人でもない朝鮮人の安重根がどうして知ったのか?また、なぜ日本の国内問題を伊藤の罪状十五箇条に入れたのか?これが最大の謎である。

 この孝明天皇は幕末の1866年(慶応2年)12月25日、36歳の若さで病死したと言われている。
 「病気の治療にあたった典医らの公式報告書によると、疱瘡(天然痘)と判断された天皇の症状は順調に回復に向かい、もはや完全に治癒するまで、あと一歩のところまで達するが、このあと急変し、天皇は死亡するにいたるとあり、ここから砒素を用いての毒殺説が一部でささやかれた。この孝明天皇毒殺説(その主謀者は岩倉具視あるいは討幕派だとされた)は、第二次世界大戦までは皇室をはばかって、この問題は取り上げられることがなかった。状況が一変したのは戦後のことであった。ねずまさし氏や石井孝氏といった高名な研究者によって、砒素系の毒物で毒殺されたとする説が発表され、多くの支持者を獲得する事になる。」(家近良樹氏の「老いと病でみる幕末維新」より引用)

 引用に「その首謀者は岩倉具視あるいは倒幕派だと」書かれているが、この倒幕派の人物メンバーとして伊藤博文や桂小五郎(後の木戸)の名前を示す歴史家もいる。

 有名な国際司法学者の蜷川新氏も戦後の1952年発行「天皇・・・誰が日本民族の主人であるか」の中で次のように述べている。

 「岩倉具視が、1866年(慶応2年)12月に、孝明天皇を暗殺した。この暗殺は、噂としては、当時からすでに多くの日本人に知られていたものであり、私なども、子どものころから、いくども聞かされていたことである。最近になって、歴史家も、そのことについて、多くの史料を発表している。この暗殺の事実については、維新史料編纂委員をしていた植村澄三郎という人が、私に『それはほんとうだよ。岩倉がやったのだ。』と言われたことがある。岩倉は、自分の妹を宮中に入れ、女官にしておいて、天皇を風呂場で殺したと言われている。こうして岩倉は、わずか十六歳の、すこぶる気の弱い明治天皇を立てて、思うままにあやつり、薩長の策士らと連絡して、この『討幕の密勅』と称する偽勅を出したのである。それは、形式からいっても、用字法からいっても、明らかに偽勅である。それは岩倉の子分の、玉松操という男が書いたものである。このことは、後年になって、三条公爵家の倉庫を整理したさい、三重の桐の箱が発見され、ひらいてみたところ、明治天皇の十六歳のときの、下手な字で書いてある『明治天皇の親書』が出てきたので分かった。」

 歴史の事実から言えば、1867年(慶応3年)12月9日、西郷、大久保、岩倉などの討幕派のはたらきかけで、朝廷は「王政復古の大号令」を発し、天皇を中心とする新政府の樹立を宣言する。その時不死鳥のように突然現れた岩倉具視を見て、多くの公家たちは恐怖に震えた。岩倉具視の「蟄居解除」の日でもあった。下級公家の岩倉具視が長州と薩摩と組んで、歴史の表舞台に登場したのである。

 では、この孝明天皇はどんな思想を持った天皇だったのか?この幕末・維新の激動期においてどんな行動をとった天皇なのか、この点は次回の課題としたい。

2.伊藤博文暗殺の時代背景

 今号の課題は、伊藤博文の暗殺事件があった当時の日本の情勢及び世界情勢の問題(明治政府が抱えていた朝鮮問題・満州問題など)であった。

 今回の孝明天皇の怪死、さらには伊藤博文暗殺の問題を追及するには、やはり幕末期の坂本龍馬の暗殺、薩長同盟の真実、鳥羽伏見戦争や戊辰戦争の真相、新政府の樹立などなどの幕末・維新史の歴史分析が重要であり関連すると判断する。この時代の歴史分析が日本の近現代史にとって極めて重要なポイントだと考えるので、歴史的時間を追いながらあらためて取り上げたい。

 1909年(明治42年)伊藤博文暗殺の時代背景(明治政府が直面していた諸問題)を語ると長くなるのでポイントだけ指摘しておく。

 伊藤博文のハルピン訪問の目的については次のように言われている。

日清戦争そして日露戦争に勝利した日本は、朝鮮に朝鮮統監府を設置して支配体制を固め、同時に満州進出をめぐってロシアと対立していた。

 満州はアメリカ、清国、ロシアがそれぞれ食指を動かしているのだから、最悪の場合、日本はこれら三国と敵対することになりかねないとの不安が伊藤博文の頭を支配していた。後に満州事変に始まる日本の悲劇は伊藤博文の不安が的中したものともいえる。こうした不安を抱いて、伊藤博文は満州に「最後の御奉公」に出かけていった。満州問題の根本的な解決の下準備の方途を探るべく伊藤博文は満州に出向いたのだ。伊藤博文とロシアの大蔵大臣ココ-フツォフの会見には、何か重要な目的があるものと推測するのは不自然ではない。 

 当時の明治政府内の最大の対立は、対韓政策(日韓併合)問題であった。「日韓併合を急ぐべきではない」穏健派の伊藤博文や曾禰荒助(第二代朝鮮統監)と「日韓併合を即時断行すべし」の強硬派の政府内(総理大臣桂太郎と外務大臣小村寿太郎など)、軍部(山県有朋や寺内正毅や明石元二郎など)、右翼(玄洋社の杉山茂丸や黒竜会の内田良平など)との対立が深刻になっていた。

 朝鮮の軍事支配そして満州進出を狙う当時の軍部にとって、明治政府の重鎮・伊藤博文が邪魔であった。その軍部の最大の巨頭が山県有朋だった。

 「伊藤博文なきあとの日本政界には、日韓併合に対する有力な、つまり、山県や軍部を圧倒する威信をもって、これを押さえうる政治家は一人としていなかった。曾禰韓国統監が翌1910年(明治43年)6月、更迭され、寺内正毅が統監になると、一時その任を解かれていた明石元二郞が韓国憲兵隊長に返り咲き、8月22日、憲兵隊の厳重な警戒のもと、粛然として日韓併合議定式の調印は終了した。・・・初代朝鮮総督に就任した寺内正毅が憲兵隊を用いて苛酷、強引な「武断的」統治を行ったことはいうまでもない。」(上垣外憲一氏の「暗殺・伊藤博文」より引用)

 なお、引用した参考文献を紹介しておく。(沖田未来)

★参考文献

 ①「老いと病でみる幕末維新」(家近良樹著/人文書院/2014年7月発行)
 ②「「暗殺・伊藤博文」(上垣外憲一著/ちくま新書/2000年10月発行)号案内へ戻る


 シリーズ 田母神 「戦争大学」を読む ⑤  スパイ法としての特定秘密保護法

●「秘密保護法はスパイ防止法」

 田母神氏は、特定機密保護法を画期的な法律だと絶賛し、いろいろと解説をしてみせる。

「日本は現在、国際的に恥ずかしい状態だという問題があります。」だからどうしても二つの「スパイ大作戦」が必要だと。

①外国人スパイが勝手に情報を取るのを止めさせる。

②日本にスパイ組織を作る。

 そのさいに必要な法律が昨年成立した、それこそが特定秘密保護法(25年12月公布)だという。

 しかし、田母神氏の「スパイ防止法」は、決して外国人の007のようなプロのスパイを主に念頭に置いているのではない。「今までみたいにロシアのスパイが何の罪も問われないままに、すぐ帰国するとはならない。」と言う論及はほんの少しだ。

むしろ②のテーマが眼目だ。

「スパイ網をつくるときには、当然ながら、その人物をスパイ網に所属させる。だから、その人物は絶対に国を裏切らないという裏をとっておかなくてはなりません。」

「スパイ網を作るときは、当たり前ですが、そう言う者を排除しなければならない。」 

 ながながと論じているテーマは、日本国民の反政府勢力を対象とする、規制や機密防衛なのだ。

「今は労働基準法が改正されて、履歴書に保護者の欄がありません。私が自衛隊に入った頃は、警察と自衛隊で調整をして、全員の背景調査をして、たとえば三親等以内に共産党員が居る人は排除されたものです。でも今はそれができない。その人の背景はわからないままです。すると入り込んだ人物に組織が中からつぶされることになります。」「今は、父親が共産党の活動家でも公務員に採用されているほど、ゆるゆる状態です。」

 田母神氏は、「スパイ防止法」=特定機密保護法の実際の対象が、共産党などの政府に批判的な国民であることをあけすけに語っている。「国家の機密保持」という法律が、それを脅かすであろう左翼勢力の追放へと簡単に拡大されている。

「しかし、この特定秘密保護法で、そのようなことが防げる。多くの国民は、このことをほとんど分かっていない。」と得意げに語る。

●「総務省の情報公開ランキングの馬鹿馬鹿しさ」

「情報公開を求めているのが、善良な国民とは限らない。開示した情報をどこかに持って出られて、それが日本の国益を損なう可能性があれば、その情報は出せないと判断するしかありません。」(石井氏)

「総務省は、情報公開法に対して成績のよいお役所みたいなものを発表している。」

「馬鹿な話しです。情報公開はランキングを競うと言う様なものではありません」むしろ「最下位を競うべきものです。」

情報公開法をとことん軽蔑して、田母神・石井両氏の対談はもりあがっている。

 このように彼らのセンスは、あきれはてた戦前回帰なのだ。こんな秘密主義と、思想信条の差別に基づいて、どの様な社会にむかうつもりなのか?

 戦後日本は、非戦の日本国憲法と左翼によって堕落させられたと。安倍首相とスタンスはまったく同じだ。田母神氏は、安倍首相を「よくがんばっている」と高く評価するのもうなづける。

 田母神氏によって皮肉にもあぶり出される「特定秘密保護法」の危険さを、われわれも確かに胸に刻む必要がある。(文)

【田母神俊雄氏は元航空幕僚長。彼の名が知られるようになったのは、懸賞論文『日本は侵略国であったのか』が、当時の政府見解と対立し、職を解かれたことだ。その後、右翼反動論壇の中心人物となる。今年の都知事選に出馬。落選したが歯に衣着せぬ主張で約六十一万票を獲得、政治家として第一歩をを踏み出した。1948年生まれ。石井義哲氏は田母神氏の盟友。『戦争大学』の共著者】


 色鉛筆・・・日本郵便福本裁判 勝利的和解で得たもの!

 たった1回の遅刻を理由に2012年8月の人事評価で、210円(基礎評価10円、連動して資格給200円)もの時給を下げられた福本慶一さん。実に14パーセントの賃下げという労基法にも触れる郵政の不当な人事評価でした。これに屈せず、裁判闘争を決意した福本さんを支えるため、2013年1月に「日本郵便非正規労働者の権利を守る会」を結成。会員は個人、団体、カンパのみの方を含め503人にもなり、毎回の法廷には傍聴人があふれ、廊下で列をなして待つという状態でした。

 10回の口頭弁論を経て、2014年8月26日に和解が成立。和解の内容は、基礎評価10円カット分は譲歩して、資格給200円の賃下げ分満額23万円を対象にし、裁判長の提案を超える21万5千円を獲得することができました。実質的にスキル評価の不当性を認めさせた金額であり、勝利的和解と判断されました。

 「和解の条件に口外禁止があるなら応じられない」という姿勢を貫いた弁護士さんのおかげで、一定の条件付きで公表できることになりました。裁判長の意向にそった条項は、「原告は被告に対し、本和解条項の内容につき原告の所属労働組合関係者を除き、みだりに第3者に対して口外しないこと及びインターネット上に掲載しないことを約束する」というものでした。私たちは大いに、紙上でこの成果を披露できることになったのです。

 そして10月24日、福本裁判の勝利報告会が開かれ私も参加してきました。この「勝利的和解」が非正規労働者の泣き寝入りしない職場づくり、仲間づくりに活かせることを期待し、参加者で裁判闘争の成果を確認しました。私は、裁判に立ち上がった福本さんの勇気に、そしてこの裁判が非正規で働く郵政の仲間に役立つと皆のことを考える心を持った青年に、あらためて闘うことの意義を教えられた思いです。福本裁判の傍聴、その後の集会で私自身、どれほど勇気をもらったことか、後、半年に迫った退職までがんばるぞ!
(恵)号案内へ戻る


 連載28 オジンの新◇経済学講座   上藤拾太郎 

 水野和夫氏「中産階級の衰退と利潤率の低下」②

 前回は、マルクスが解明したように、資本主義経済では、かならず傾向的に利潤率は低下せざるを得ないと言う話しだった。しかし、英国に発する資本主義は、このよな利潤率の低下を歴史的な条件の変化や経済の金融化でカバーしてきた。

少々オジンの連載から脱線のきざしがあるが、もうちょっとつきあってほしい。

●利潤率は低下する

 前回の確認から始めよう。

 企業が、利潤を少しでも増やすため合理化、省力化、効率化を図る。同業他社より少しでも安く商品やサービスを提供できれば、競争に有利だ。各企業はこのように日々競って「超過利潤」の獲得を目指していることは、会社勤務のきみらが身をもって体験してることだろう。

 ところが前回のマルクスの指摘のごとく、個々の企業は、超過利潤を得るために設備投資や合理化を競う。すると価値を生み出す労働者部分が相対的に縮小する。ますます「資本の有機的構成の高度化」に結果するし、平均的な利潤率は低下をつづけるというわけだ。

●資本は成長分野に殺到する

 資本にとって百万円の資本投下で、一定期間に純利益が七万円になるのか一万円に止まるかが最大の問題だ。だから利潤率を上げるために、効率化や合理化を図るのは企業として初歩の初歩だ。しかし、それで行き詰まれば、少しでも高利潤の新分野、いわゆる「成長産業」に資本は殺到する。

 例えばIT産業に一時は投資が殺到したことを憶えているだろう。
 ところが巨額な投資で建設された、最新鋭の工場設備から生み出される低価格のIT新製品が市場に投入され、すぐさま市場は満杯となる。製品価格は下落し超過利潤は消滅し、さらに産業全体の平均利潤率は下がる。

 蝶よ花よ、ともてはやされた「成長産業」もいまでは「投資に見合った利益がない」と投資の縮小・撤退する企業が続出する。2001年のITバブルの崩壊がそれだ。

 この判断を誤れば、ソニーやルネッサンス、サムソン、マイクロソフトなど有名企業でも経営不振となる。
 そのくりかえしが、全産業の平均利潤率の傾向的低下につながってきたのだ。資本主義はこの「法則」の泥沼にはまって抜け出せないと言ってもよい。

 しかし、その傾向的低下の歯止めを「経済外」の事情で幸運にも得てきたのだ。

 水野氏の著書から学べばこうなる。「中心」(欧米日)による「周辺」(アジア・アフリカ南米)の収奪である。

一例をとりあげれば石油だ。「オイルショック」に至るまで石油メジャーの支配のもと、低コストで先進国は石油を利用できた。「安い原油」を利用する物作りは、製品コストを下げ、国際的市場競争力をつけられる。だからこの間は先進国に超過利潤が発生してきたはずだ。

● 利潤率低下に抗する条件とその終焉

「利潤率の低下は資本主義の終焉」と論じる水野氏の著書

 もちろん石油だけの問題ではない。近代資本主義による植民地の獲得は、低価格の原材料を、先進諸国にもたらした。だから資本と国家は、十八~十九世紀にさかんに資源開発・市場開拓の目的から後進地域の植民地支配をおこなった。そこで安い原料を支配し世界市場で優位に立とうとしたわけだ。

 しかし、いつまでも後進諸国が黙っている訳ではない。これらの諸国は、二十世紀中盤以降、国家としての独立を果たし、さらに資源ナショナリズムの高揚で、自らの採掘と販売権を確保してゆく。

 当然、資源の値段は高騰する。例えば原油の場合第1次オイルショック(1973年)までは一バレル二~三ドルが、その後三〇年間は平均で一バレル二十一・四ドルだ。

明らかなように、先進国と後進国の不等価交換であった交易条件が、より対等なものとして是正されたということだ。

 水野氏は、このことをもって利潤率の低下の原因だとしている。

●ひいきの引き倒しはよくない

 ところでちょっと待ってくれ、それは少し違うのではないのか? オジンは揚げ足取りで言うのではない。

 水野氏が「利潤率の低下の原因」と指摘するものは、「先進国石油メジャー」の優位が生み出してきた単なる超過利潤の発生と、そうした条件の消滅ではないのか?

 水野氏は利潤率の傾向的低下と、歴史的な条件から来る「超過利潤の消滅」を混同しているようだ。

 説明しよう。平均利潤率が五%なのだが、優位な条件のために7%の高利潤率を得ていたが、その条件が失われて五%に下がったという事に過ぎない。「超過利潤」とは他より有利な条件の下で、企業や特定産業が平均利潤を越える利潤を得る、ということだ。だからこの条件はいずれ消滅する。

 ところがマルクスの解明した「利潤率の傾向的低落」とは、このコアの五%の平均利潤率が三%さらには二%へと徐々に低下し続けることを指しているのだ。これこそがまさに問題とされるべき事なのだ。

 歴史的な超過利潤の発生は、利潤率の傾向的低下を一時期おおいかくすことができるにすぎないのだ。

*   *  *   *   *   *   *   *

 すまんなぁ~またまたややこしい話しをしてしまったかな。しかし、現代の世界経済を根底から理解するために必要な事なんだ。

 次回は「経済の金融化」が平均利潤を急激に押し下げる近年の事態を説明しよう。(つづく)


 地方紙の投書に見る  農村の疲弊

●「地方創生」論議を前にして

投書全文の引用ができませんので、要点のみ以下に引用させてもらいました。

「一体この先、農村はどうなってしまうのでしょう。中山間地は消滅に向かって進んでいるような気がしてならないのです。」

「今年は豊作だというのに農民の表情はさえません。コメの概算金が昨年に比べて大幅に下落し、農村に衝撃が走りました。・・農村経済全体に深刻な打撃を与えます。」

「一俵あたり二万円を越えた時期もありましたが、・・年々下落を続け今年はひとめぼれの一等米に八千四百円という概算金が示されました。・・一年前より二十五パーセントの下落」

「平成十七年に誕生した栗原市の人口は、約八万三千人でしたが、九年後の現在は約七万三千人になってしまいました。毎年ざっと千百人づつ減ってきたことになります。」

「人口格差は所得の格差です。所得が地方に分散されない限り、過密も過疎も解消されないでしょう。地方での就業機会の創出こそが、均衡ある国の発展につながるのだと思います。」(宮城県栗原市、七十六歳男性『河北新報』10/22)

●もう一つの格差社会が

 農産品を食べない人はいないでしょう。でも農業に関わる人は、今では大変少なくなりました。だから、生活実態などはあまり分からないのが正直なところです。職場の同僚達の中には「実家は農家だ」というのはまだ結構います。「今でも田植えと稲刈りは手伝いに行く」とか。

 垣間見られる現実はかなり深刻です。農業では、そして農村では食べてゆけない。第1仕事が少ない・・。「農家はバカバカしい」と愚痴る人も。「先祖の土地だからヤムを得ず続けている」と言う声もあります。大都会の人には解りにくい心情でしょうが。

 日本の人口も、減少に転じようとしているご時世ですが、少なくとも東北地方では、人口減少は長期にわたるものです。それがさらに今後は加速されると考えざるをえません、このままでは。

●都市への一極集中

 歴代の政府は、わざと都市集中を意図したわけではないでしょう。自民党政権は、長年票田である農村地域に多くの財政支援をしてきたはずです。決して無視してきたわけではないでしょう。公共事業の「お土産」「地元誘致」は自民党地方政治家のお家芸でもありました。問題は、「支援」の中身と同時に市場経済という原理にあると私は考えています。

 企業は、「利潤」のために活動します。効率が優先です。それは生産であり商品の流通や消費もです。ところが日本の農村は、その本来の自然の恵み豊かさゆえに「商品経済」「市場経済」とうまくは折り合えなかったのでしょう。

 農村では、自分らの食料その他の原料、をある程度自足できるからです。助け合いと言った人的繋がりもあります。しだいに商品経済が、農村に浸透して、地元経済が疲弊すると、今度は人口減少に伴い「消費地」としての魅力が減少。企業に見放されていくようになりました。

農村地域も一時期は、日本の中間階級を形成し、大衆消費社会の一翼を担ってきたと思います。

 零細な土地所有、そして土地や自然が豊かである、という本来のメリットが、市場経済と折り合わず、資本企業の逃避と敬遠→仕事が少ない→若者の都市流出→一極集中社会と言う流れが決定づけられたのでしょう。

●TPPを阻止すれば良いというものでもない

 TPPが農村経済に追い打ちをかけるのは疑いがないところです。
しかし、地方再生の道は、そこにはありません。

 零細土地所有の日本型農業の、そして農村地域の経済再生は、アベノミクス流の商品・市場経済へ追随することではないでしょう。

 その本来の良さを見直し、農村ならではの活用粗材つまり「環境」「資源」「土地」「景観」「個人経営」「人の繋がり」を中心にGDP=「富」ではない「暮らしやすさ」「豊かさ」を創り出すことに思えます。
この道は、従来の自民党とは違う企業を絡ませない政策的支援、地域事業体としての農協改革、農村の自立的協働化など、迂遠の道になるのは仕方のないことです。特効薬は見あたりません。  

値段の比較的高い日本の農産品の代わりに、海外の輸入に頼ればすむ、と言う問題ではありません。都会人は考えがちかもしれませんが、決してそうではありません、われわれみんなの問題だとおもいます。
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 読者からの手紙

 
共産党はなぜオナガ候補の基地建設阻止策の核心を問わないのか

 11月16日に実施される沖縄県知事選が近づいています。
 私はワーカーズ読者の皆様と同じく、辺野古米軍基地建設阻止を求める県民は、辺野古米軍基地建設を阻止する県知事選に勝利せねばならないと考えています。

 この沖縄県知事選において統一候補の擁立が大きな課題でしたが、統一候補の一本化の流れの中でオナガ氏が統一候補として擁立されました。しかしこの事を追求したあまり、辺野古米軍基地建設阻止を求める県政野党五会派は統一候補選定に際して、従来の「埋立承認を撤回し、政府に事業中止を求める」との条件が、なぜか「新しい知事は承認撤回を求める県民の声を尊重し、辺野古基地を造らせない」に変化したのです。

 この変更から伺える事は、オナガ氏は埋立申請承認の撤回また取消を公約していないとの実に重大な事実です。この事を明言せずして、オナガ氏はどうやって基地建設を阻止すると言うのでしょうか。
 10月26日の「しんぶん赤旗」は、第五面に24日に沖縄で行われた共産党と統一連との総決起集会の記事を掲載しています。その記事には、「オナガ氏の勝利で沖縄から日本を変えよう」の大きな横見出しが付けられています。

 確かにこの言やよし、と言えます。しかしこの記事を読んでも、オナガ氏が埋立申請承認の撤回また取消を公約していないとの核心には、共産党は全く触れていないのです。

 現在、オナガ氏のこの核心を公約しない中では基地阻止の姿勢が明確でないとの立場からキナ昌吉氏が立候補を表明しており、オナガ氏が埋立申請承認の撤回また取消を公約するのなら自分は立候補を辞退するとまで譲歩したのですが、オナガ氏は一蹴しました。

 総決起集会で小池副委員長が、共産党は沖縄県知事選に党の全力を傾注するというのなら、沖縄県民に生じているオナガ氏に対するその疑義の払拭こそが、まず何よりも果たされなければならない第一の課題ではないでしょうか。そうしないのは実に奇妙な事です。

 私が何故この事に拘っているのかと言えば、次のような重大な事実あるからです。

 さる9月10日、辺野古基地建設を推進している安倍政権の菅義偉官房長官は、記者会見で、「最大の関心は沖縄県が(辺野古沿岸部の)埋め立てを承認するかどうかだった。知事が承認し粛々と工事しており、もう過去の問題だ。争点にはならない」「仲井真知事が埋め立て承認を決定した。その事で一つの区切りがついている」と述べた事のです。

 つまり菅幹事長の認識の核心は、沖縄知事による埋立申請承認であり、この承認がある以上は、沖縄県知事選の結果にかかわらず基地建設を粛々と進めるというものです。

 今現在に至っても、オナガ氏は「あらゆる手法を駆使」するとは主張しても、埋立申請承認の撤回または取消を明言しないでいます。なぜなのでしょうか。また共産党がこの事を不問にしているのも全く解せない事です。これらの事は既に私の理解を越えています。

 基地建設を推進している安倍政権の官房長官が、埋立申請承認が全てであると広言するのであれば、阻止の核心はあくまでも埋立申請承認の撤回または取消にあるのは自明です。

 もう一度確認のために書いておきます。

 最近オナガ氏も県民の疑いを踏まえて「あらゆる手法を駆使して名護市辺野古に新基地は造らせない」として、「承認の撤回も視野に臨む」と言い出しましたが、相変わらず埋立申請承認撤回・取消をはっきりと確言しないのです。元々するつもりがないのですか。

 オナガ氏はこの「あらゆる手法を駆使する」の中に「埋立申請承認の撤回・取消」も含むとしていますが、そうであるのならもっと端的に「他の手法で辺野古米軍基地建設阻止を実現できない可能性がある場合には、埋立申請承認の取消または撤回を実行する」と公約すればよい事ではありませんか。ここが私が思うに核心なのです。

 以上のように私はオナガ氏の政治姿勢と共産党の選挙支援の姿勢に対して、大きな疑問を抱いています。この事を裏付けるようにネット界では、基地建設についてはオナガ氏と自民党の間で、既に手打ちが成されているとの噂が大きく広がっています。

 結局の所、私にはオナガ県知事は誕生したが、辺野古基地建設は完了したとの悪夢の出来がなければよいがとの思いで一杯です。(S)号案内へ戻る


 (第1回大喜利コーナー)  「笑う門には福来たる」

★今回の大喜利のテーマは「沖縄県知事選」
 ・「中国食品工場の鶏肉」とかけまして
 ・「沖縄県知事選に出馬した仲井真知事」とときます
 ・そのこころは「どちらも賞味期限が切れています」

<解説>
 今回紹介したこの大喜利は、「琉球新報」の紙面にて現在も連載中「ま-ちゃんのお 笑いニュース道場」に書かれていたものです。

 「ま-ちゃん」とは小波津正光さんのこと。沖縄では大変有名なお笑い芸人です。

 1974年那覇市生まれ。演芸集団フリーエンジョイカンパニー(FEC)所属で、沖縄の人気舞台「お笑い米軍基地」を作った怖いもの知らずの芸人。

 いよいよ沖縄県知事選が始まります。(10月30日公示、11月16日投開票)

 昨年12月末に県民を裏切り辺野古の新基地埋立工事を「承認」してしまった仲井真知事。「これでいい正月を迎えることが出来そうだ」と言い放った仲井真知事。それでもまた出馬すると言う仲井真知事。多くの県民にしてみれば、絶対に許せない!

 そうした県民の気持ちを代弁するかのような、この「大喜利」内容。

 さすが、ま-ちゃん。見事だと思いました。

 なお、この「大喜利コーナー」今後も月1回で連載していきます。乞うご期待を!(四年寝太郎)
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 編集あれこれ

 前号の一面は「尽きた三本の矢」という表題で、鳴り物入りで登場したアベノミクスを痛打した記事であった。日本経済の停滞はもはやほとんどの人々の認識となっている。

 このことは、経済浮揚を図ることで自ら信じるところの戦前回帰を追求していた安倍内閣を追い詰めるものである。今後一層の経済危機が襲うのだから、安倍総理は一体どうするのか。

 安倍総理は、9月の内閣改造で五人の女性大臣を誕生させたのだが、3人の大臣には統一協会の影がちらちらしており、今また小渕・松島の両大臣が全くあきれ果てた理由で辞任にまで追い込まれてしまった。またもう一人の問題の女である片山氏も二度も謝罪する体たらくである。安倍総理の前途には、大きな黒雲が迫っているという他はない。

 まさに得意の絶頂は没落の始めである。安倍内閣を更に追い詰めてゆこうではないか。

 二・三面は、カジノで地域振興を図ろうとする自民党の政策に対する批判記事を三件紹介した記事である。
それぞれに確かな読み応えがある。しかしながら日本はパチンコを全面禁止した韓国とは異なり、パチンコという名のギャンブルに骨がらみ絡め取られている国である。

 この国のパチンコ業界と警察の利権構造に、今こそメスを入れる地道な取り組みを進めることが、真剣に問われているのではないか。パチンコもギャンブルもほとんど同罪なのだから。
 四面は、朝日新聞の「従軍慰安婦」報道の取り消しに関連した記事である。何故朝日と同じ記事を書いてきたサンケイがその記事を訂正もせず居丈高なことを広言しているのか。また尻馬に乗る田母神等の狙いを暴露したものである。

 ワーカーズは、日本国民をおとしめているのは本当は誰なのかを問い続けていきたい。

 四・五面は、田母神「戦争大学」を読むシリーズの第四回目「文民統制けしからん?」の記事である。これまでに放言に引き続く田母神氏の荒唐無稽の暴論が、実に的確に批判されている。オジンの新◆経済学講座の第27回では、水野氏の『資本主義の終演と歴史の危機』で主張されている「中産階級の衰退と利潤率の低下」について論じており、結論としてマルクスが既に『資本論』で解明していること、そのため資本主義の発展の下で企業経営は益々苦しくなることが告げられているのである。

 六面では、アベノミクスの柱である「女性の活躍推進」が謳われ「輝く女性」が云々されているが、その実態は女性層内部の差別化・格差化でしかないことが暴露されている。

 七面では、出生率を向上させるのは、内閣府が言う様な小手先の少子化対策ではなく、現実に存在している経済格差の是正と、さらに未来のために安心して暮らせる社会を創らなければならないことを対置している。

 八・九面の何でも紹介では、今問題になっている『子どもの貧困』岩波新書の書評が掲載されている。この中で昨年成立した「子どもの貧困対策基本法」が等閑の扱いになっている実態とその貧困率が16%と非常に高く、さらにそのかなりの割合で「母子家庭」にかたよっていること、またその貧困が「世代的に連鎖」している傾向が具体的に明らかにされている。

 この事が社会問題だとの認識が必要である時に、女性閣僚を増やしましたとはしゃぐ与党とシンホーと松島の「うちわ」問答に熱中する野党は、まさに糾弾するに値する。一読を期待したい。

 十・十一面では、「近現代史を学ぼう」の第2回目として、「明治の謎・伊藤博文暗殺(上)」が掲載されている。

 伊藤博文は安重根に暗殺されたことになっているが、近年当時の裁判で封印されてきた「室田証言」が明るみに出たことで俄に研究が活気づき、安重根の暗殺説に様々な疑義が出てきている。

 これについての記述はここでは省略するが、第3回目となる伊藤博文暗殺(下)が直ぐにでも読みたくなる展開であった。

 前号のワーカーズは、以上のように多彩なテーマを取り扱っていて、読み応えがあり良かったと考えている。  (直木)

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