ワーカーズ531号   (2015/3/1)  案内へ戻る

《安倍70年談話》過去を帳消しにすることは出来ない─ここにも安倍首相の戦前回帰の野望─

 安倍首相が、戦後70年の今年中に出すという〝安倍談話〟にご執心だ。10年ごとに出すことなど決まっているわけでもないのに、だ。仮にそれが出されれば、それが村山談話や小泉談話を清算し、侵略戦争や植民地支配を遠い過去に投げ捨て、新たな戦争準備を進めるためのターニングポイントにできる、という思惑があるのだろう。安倍《70年談話》談話は、新たな戦前を呼び込む極めて危険で無謀な野心から発案されたもので、独善的な思惑は封じ込める以外にない。

 安倍首相は、第二次政権発足時から村山談話、小泉談話を敵視し続けてきた。実際、安倍首相は13年4月の予算委員会で「安倍内閣として村山談話をそのまま継承しているわけではない」と発言し、村山談話修正への意欲を語ってきた。ただそれが国内ばかりか海外からも多くの批判を浴びたため、5月には「侵略と植民地支配を否定したことは一度もない」として、表向きは「安倍内閣としては歴代内閣の引き継いでいる」と軌道修正した経緯がある。その後も、侵略、植民地支配、お詫び、反省などの文言を、「こまごまとした議論」だとしてその歴史認識の軽さが批判を浴びた。また〝お友だち有識者〟や取り巻き議員などが村山談話に否定的な発言が続いたことから、安倍首相本人としても修正への野望を引きずっているとみなされている。

 安倍首相は、現時点では「安倍談話」の具体的な内容について多くを語っていない。 ただ、過去の談話を全体として踏襲する、過去に使用してきた言葉は繰り返さない、未来志向の談話にしたい、という趣旨の発言にとどめている。

 仮にこうした内容の安倍談話が出されれば、それがどういう歴史的、対外的、政治的意味合いを持つのだろうか。それは日本があの戦争での侵略行為や植民地支配への反省やお詫びを過去のものとして消し去ることで、いま再び軍事強国として振る舞うことを世界に宣言する意味合いを持つことになる。新たな危機と抗争の世界を招き寄せる、極めて危険な道という以外にない。

 安倍談話がどんな内容で出されるか、現時点では不透明だ。多方面からの圧力で無難な内容に止まる可能性もないわけではない。が、むしろ私たちの闘いという政治的圧力で、安倍首相の野望剥き出しの談話発出を押さえ込めるかどうかが問われていることを銘記したい。(廣)


《安倍70年談話》安倍談話を封じるのは私たち自身の闘いだ

◆透けて見える?

 安倍首相は現時点では「安倍談話」の具体的な内容について、多くを語っていない。これまで言及してきたことは三つだ。
 
   1)全体として踏襲する
   2)過去に使用してきた言葉を繰り返すことはしない
   3)未来志向の談話にしたい

 この三つから透けて見えるのは何だろうか。

 1)全体として踏襲する……。要するに個々の文言を含め、具体的な部分は踏襲しない、とも受け取れる。過去の談話否定への煙幕だろうか。

 2)「侵略戦争」「植民地支配」に対する「お詫び」や「反省」など、過去に使用してきた言葉を繰り返すことはしない……。事実上、具体的な反省とお詫びの態度を表明すること拒否するものだ。実際、13年と14年の終戦の日の挨拶で「反省」「お詫び」の言葉を避け、物議を醸したこともあった。また今国会での答弁でも、侵略、植民地支配、それに「国策を誤り」といった文言をなぞることをかたくなに拒否しつづけた。また13年4月の国会答弁では「侵略という定義は……定まっていない、国と国との関係でどちら側から見るかで違う」とも述べている。まるで「侵略」は中国が言っているだけの話で、日本からみれば侵略ではないと言っているのと同じだ。

 3)前向きの談話にしたい……。過去には触れないことで侵略や植民地支配はなかったこと、あるいはもはや遠い過去の事として封印したい、ということなのだろう。が、ちょっとおかしい。未来に向けた話を持ち出せるのは、非侵略国の側のハズ。たとえば犯罪者が被害者に向かって「過去の〝こまごまとした議論〟より未来が大事」だなどといったら、相手にどう受け止められるのだろうか。関ヶ原の東軍と西軍ではないが、風雪を重ねて自ずと「過去の歴史」になるまで、100年でも200年でも、反省・謝罪する姿勢は持ち続けることが大前提ではないだろうか。侵略国が自らすすんで過去を棚上げして未来を語るなどというのは、傲慢な思い上がりという以外にない。

 未来志向について、安倍首相は「国際貢献」を語っている。言葉こそすり替えているが、この言葉は積極的平和主義や武器使用基準の拡大などに際しても持ち出していた。いわゆる武力行使も辞さない平和・秩序づくりのことだ。ここでも安倍首相の軍事優先の姿勢が垣間見えている。

 この談話問題は、中国や韓国だけでなく、西欧や米国も米国も注目している。たとえば米国は、占領憲法の批判や靖国参拝などで戦後体制を批判する安倍首相の歴史認識を、歴史修正主義として捉えている。それはそうだろう。安倍首相の振る舞いは、米国の占領統治とその後の米国への下請的な日米同盟体制への挑戦でもあるからだ。

 無論、村山談話や小泉談話を踏襲すればよい、という話ではない。「天皇の戦争責任」の免責や「誤った国策」への厳格な特定が欠落した「一億総懺悔」の観点のとどまるもので、本来の「反省」からほど遠いものでしかないからだ。ただし、安倍首相による過去の歴史を清算する態度は、あの戦争の反省の上に再興をめざして歩んできた日本国民に対する挑戦という性格が強いものであるのは間違いない。《70年談話》とは、安倍首相にとって、戦後政治からの脱却という、自身の野望を実現する一つの政治的仕掛けだとうけとめるしかない。

◆新たな戦前づくりは許さない

 安倍首相は談話を出すにあたり、有識者会議を設置した。参考意見にするためだという。が、昨年の集団的自衛権の閣議決定に向けた有識者会議や消費増税時の有識者リスニングでもそうだったように、単に形式的に国民の声を聞いたとする、権威付けにもならない「結論ありき」「出来レース」的なセレモニーでしかない。

 以前から繰り返し指摘してきたことだが、日本がこれまで戦争をしない国としてとりあえず平和的な道を歩んできた土台には三つの要因があった。一つは大きな犠牲を余儀なくされた戦争体験にもとづく広範な民衆の心証に刻まれた強烈な戦争忌避意識、二つ目は、日本による侵略戦争と植民地支配で、これも多大な犠牲をもたらしたアジア諸国、なかでも中国・南北朝鮮などの対日警戒感、そして三つ目は、戦後日本を自国の下請け同盟国としてコントロールしたい米国の圧力だ。

 これらの圧力が戦争放棄という現行憲法を支え、戦争をしない国として、「国策」を遂行する政府権力への縛りとして機能してきた。安倍首相は、〝戦後体制からの脱却〟を掲げることで、こうした日本の戦後政治に対する圧力を振り払い、そこからの脱却に挑戦しようというのだ。現に、そうした思惑のもとで、これまでに靖国参拝、特定秘密保護法、集団的自衛権、武器使用基準の緩和などを強行し、今後は憲法改定を政治日程に乗せるとしているのだ。

 中国や韓国、それに米国などの牽制によって安倍談話を無難なものにできれば……という観点は、他力依存に過ぎるだろう。戦争はあの体験を持ち出すまでもなく、私たち労働者や民衆にとって何一つ良いことはない。そうした立場で、私たち自身の声と行動を拡げることで、安倍談話を封じ込めていく以外にない。(廣)

○村山談話の主な内容(1995年8月15日)

 ……わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、……ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。

 ……わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。

○小泉談話の主な内容(2005年8月15日)

 ……また、我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。……改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明するとともに、……。

 とりわけ一衣帯水の間にある中国や韓国をはじめとするアジア諸国とは、ともに手を携えてこの地域の平和を維持し、発展を目指すことが必要だと考えます。過去を直視して、歴史を正しく認識し、アジア諸国との相互理解と信頼に基づいた未来志向の協力関係を構築していきたいと考えています。案内へ戻る


 挫折するリフレ派-- 原油安と生活、経済を考える--

〔日経QUICKニュース2/12〕
『業物価3カ月連続下落 1月、増税影響除き2.4%低下 原油安で』(見出し)
 日銀が12日発表した1月の国内企業物価指数(2010年平均=100)は103.3で、前年同月比0.3%上昇した。消費税率引き上げの影響を除くと前年同月比2.4%の下落となり、3カ月連続で下落。下げ幅は09年12月(3.8%下落)以来、約5年ぶりの大きさとなった。原油安の影響で石油関連の価格が下落したことが影響した。【日経ここまで】

 安倍首相や日銀は、(庶民感覚とは違い)おかしなことに「インフレにすれば景気が回復する」「企業が儲ければ、庶民にもおこぼれが来る(トリクルダウン)」とふざけた説明をしてきた。反対に物価下落=デフレは、経済の停滞に帰着すると。

 ところが、「異次元の金融大緩和」にもかかわらず、しかも、円安という追い風にもかかわらず「インフレが目標の二%にならない・・」といまさらいじけた事を言い出している。

 何度か指摘したように日銀の言い分では、去年春の消費税増税分三%をインフレ率から除外し、それを別枠としている。
それ故、この一年二・六%物価が上昇したのに「実質は0・六~九%の上昇」に止まったというのだ。同じ理屈でこの日経記事において企業間物価は二・四%下落としているが実質は0・三%上昇なのだということを注意しておこう。(日銀による計算法は不明だが、それはおいておこう。)

 さて企業取引の間では、インフレからデフレ(物価下落)に移行しつつあるのは事実のようだ。

「企業物価指数は企業同士で売買するモノの価格動向を示す。公表している814品目のうち、前年同月比で上昇したのは356品目、下落は375品目となり、13年8月以来17カ月ぶりに下落品目が上昇品目を上回った。原油安に加えて、前年に活発だった円安による価格転嫁の動きが一巡していることや、国際的な需要の弱さから非鉄金属の価格が下落していることなどが影響した。」【同上日経記事】

■物価下落は歓迎だが

 そもそも、庶民にとってインフレは悪いことだらけだ。インフレ下では貯蓄も年金も給与も、すべてが目減りするからだ。生活の脅威だ。

 世界の先進国は、金融緩和政策を採り続けている。(米国のみ終了の見通しだが。)だから円やユーロは、ドルに対して下落しており、為替ダンピングとの声もあがるほどだ。

 こんな状況のになかで発生した「歴史的な原油安」だ。最高時は一バレル百三十ドル程度まであったと記憶する。今では、五十ドルを切ったとか。

 これは、厳冬の日本列島にとっては朗報である。灯油もガソリンもここにきてやっと安さを実感できるようになってきた。そして、今日の『日経』報道にあるように、企業間物価は、原油価格の低下もありマイナスが続いていると。そのおかげでインフレが相殺されて、消費者物価も今後はゼロ%ていどまで下がるかもしれない。われわれ弱者はホッとする。日銀の黒田さんは頭を抱えているらしいが、国民一般には好ましいことだ。

 ところが、さらによく考えてみることも必要だ。「金融大緩和時代」と「原油価格下落」は、偶然に同時に発生したわけではない。共通項として見逃せないのが世界経済の停滞だ。

原油価格は、米国のシェールオイルの産出量が増大したという面もある。しかし、世界的な経済減速という要因も同時にあるのだ。

■リフレ派の新たな挫折

 リフレ派から見れば、折からの原油安は、忌まわしい「デフレ要因」であることに間違いない。インフレ目標の二%を達成し損ねるかもしれない。

 ところが実際には産業界からは、原油安は生産にプラス要因という声があがっている。なんとしたことか!

 リフレ派の荒唐無稽な「理論」からは想像もできないのだろうが、原油安は個々の企業の利潤率を向上させる大きな要因となる。

 石油会社や取引関連会社を別にすれば、原油安はエネルギー代や原料代の削減であり、コスト削減となる。したがって、他の要因が同じならば利潤率は向上する。これは個々の企業としては生産の大きなインセンティブとなる。これって経済の常識でしょうが、黒田さん?お金をジャブジャブ市場に流すことより、大きなコスト削減要因の登場で、以前より有利に生産ができるのは「伝統的経済学」では当たり前です。

 麻生副総理も黒田さんも、経済記者に突っ込まれてシブシブ「原油安は景気にプラス要因」とコメントしている。これはリフレ派の新たな破綻ではないのでしょうか?こんな連中の知恵の出し合いから生まれたアベノミクス。早々に退場願います。(竜)


 富裕層への課税---どこまで追求できるか 前途多難なギリシャ新政権

ギリシャ政府は二月二十三日、金融支援を4カ月延長するための条件となる財政構造改革の1次リストを欧州連合(EU)に提出する予定だったが、いまだ政権内部で調整中とか。

腐敗と脱税の取り締まり強化が中心で、選挙公約に反する大がかりな歳出削減は見送るとみられる。強硬な財政構造改革を求めるEU側は検討して受け入れるか判断する予定で、引き続き双方の綱引きが続くだろう。

【日経】
「ギリシャ、EUに財政構造改革リスト提出へ 富裕層の徴税強化」
【ブリュッセル=御調昌邦、イスタンブール=花房良祐】
欧州メディアの報道によると、ギリシャ政府は国内の富裕層への徴税を強化する方針だ。歳出削減の具体策は見送り、腐敗や脱税の摘発、燃料・たばこの密輸入取り締まり強化で、年内に二十億ないし二十五億ユーロの歳入増を見込む計画という。
EUはギリシャに対し、現行の金融支援の枠組みの中で一定の「柔軟性」を認める姿勢を示している。ただ単純な財政緊縮策の停止などは認めない方針だ。ギリシャ政府も20日の声明で「(改革を)後退させる政策や一方的な変更を慎む」と約束している。
ギリシャは脱税や租税回避の取り締まり強化によって税収を増やせると主張するが、EU側はどれだけ効果があるか懐疑的だ。
ギリシャの急進左派連合は、緊縮財政に反対を唱えて1月25日の選挙で勝利した。EUはギリシャの財政再建と競争力強化のために構造改革を求めてきたが、同党は解雇した公務員の復職や国有企業の民営化計画の凍結などを打ち出していた。最低賃金を現在の月五百八十六ユーロから危機前の水準の月七百五十一ユーロに戻すことも公約。月七百ユーロ以下の低額年金受給者への「クリスマス一時金支給」の復活や、固定資産税の廃止も主張していた。
ギリシャのチプラス首相にとっては、20日の4カ月延長の基本合意はEU側に大幅譲歩をした格好で、急進左派連合のマノリス・グレゾス欧州議会議員は「状況は変わっていない」と政権を批判した。EUへの譲歩が続けば、国内で批判が広がる可能性もある。【日経ここまで】


ギリシャの急進左派連合政権の政策は、あきらかに欧州のさらには世界中の財政難に陥った国々のリーディングケースとなるだろう。

私見ではこの話のキモは新政権が、大衆的支持の上で大胆な階級的政策を実行できるかに多くがかかっていると考える。バルファキス財務相も、税収増加、市場開放、経済成長の促進のため、「オリガーキー(寡頭制)を崩壊させる」と述べた。

おそらくはそれだけではなく、トマ・ピケティ流に表現するのなら「上位百分位」ないしは「十分位」の資産をどれだけ確実に接収するかにかかっている。

そのためには脱税の監視はもちろんとして、累進課税の強化で「資産の私的継承」や私的な処分に制限をかけてゆくことが不可欠だろう。継続的な社会再建には、富裕層全体に広く「累進課税」をかけることが必要だし、他方では、これらの資金による労働者の再教育と労働力の流動化も必要だろう。
中長期的には・・労働者政権が維持できたと仮定してだが・・単なる税制問題でも財政赤字の解消問題でもない。それらを超えて新しい経済制度への移行が提起されざるを得ないだろう。

若者の半数が失業しているギリシャだ。再雇用のための仕事づくり(雇用創出)も、手っ取り早い「外資導入」が困難なギリシャであるから、国内資産の均等化を通じた、新たな社会経済組織を展望する必要があるだろう。

今回、民営化を中止した国有資産を、今後どのように活用してゆくのかも大きな課題だ。そこには、非資本としての協同組合などを普及させる基盤もあるようにおもえる。
逆に、ギリシャ新政権が、もしも国営・国有企業に固執するとすれば、公務員労働者の雇用を当面保障できたとしてもジリ貧の道をたどるだろう。

しかし、このような他国に類例のない独自の政治制度や徴税制度・経済制度に到達するには、当然ながら国民的意志を背景に、ある程度の時間を経て形成してゆくほかはない。

このような情勢下では、ギリシャはEUの支援を一定程度得なければならない。その点からすれば、一定の妥協も視野に入れていく必要がある。

いずれにしても、ギリシャの困難はまだ序の口だろう。行き過ぎた妥協も、労働者の離反を招きかねず、急進左派政権をすぐにでも瓦解させる。きわどい綱渡りとなるだろう。

そしてギリシャの問題は、ギリシャ以上に最悪の財政赤字国である日本の、われわれ労働者の問題でもある。(文)案内へ戻る


 ピケティとマルクスの間---ピケティを読み進んで

■格差拡大と恐慌はどのような関係にあるのか?

ピケティは、「実はマルクスをそれほど研究していない」「マルクスのような 資本の無限蓄積の立場ではない」といって距離をとっている。

もちろんそれで結構だ。しかし、そうなると別々の道を歩んだ二人。時代も違う。その論証のスタイルもまるで異なるが、重要な結論が一致していることはかえつて内容の信ぴょう性を高めていないか。客観的な事実の反映として。

例えばこうだ。

「先ほど示したように、金融危機そのものは格差の構造的拡大に影響を与えなかったようだ。」(『二十一世紀の資本論』三百三頁図八ー五参照。この事実も興味深い。もっと言え、ば金融取引から発生するキャピタルゲインは所得格差に大きな影響を与えていない。バブルの崩壊に起因するキャピタルロスにより相殺(チャラに)されるからだ。ピケティは、格差拡大の問題からキャピタルゲインの要因を排除している。)

本題を続けよう。

ピケティは「米国の格差拡大が」一九二九年及び二〇〇八年の、世界的経済恐慌を呼び起こしたのではないか、と指摘する。理由は「米国の国民所得におけるトップ十分位(一割)のシェアが過去百年間に二度ピークを迎え、その一度目が一九二八年で、二度目が二〇〇七年であることを考えると」「格差の拡大が金融危機を引き起こしたのか?」という問いかけは避けられないと主張する。(三百八頁)

彼の結論は当然こうだ。「私の考えでは、米国における格差拡大が、金融不安の一要因になったのはほぼ間違いない。」(あくまで「一要因」としている点に留意。)

「理由は簡単。下層、中流層の実質購買力は低迷し・・借金する場合が増えたからだ。」

■大衆の過少消費と資本主義

重大な指摘にもかかわらず、ピケティが歴史上の二大経済恐慌を「金融危機」「信用危機」として一面的にとらえているのは、やはり物足りない。経済恐慌は、私的所有や市場経済さらにはそれらに立脚して膨張を続ける信用制度=金融経済等の諸矛盾の爆発であり、その一時的「解決」なのである。

それにもかかわらず、ピケティが具体的統計で、格差つまり大衆消費の相対的縮小と他方では、生産(というよりは金融経済の急速な拡大)とのギャップと「金融危機」を結びつけたのは大いに意味がある。

格差の拡大は、当然にも社会的不満の蔓延となる。労働者・弱者・生活者は、自らの自己防衛として既得権のみならず、それをよりいっそう拡大するように闘うほかはないのだ。 しかし、少なくない人たちが「大幅賃上げ等、所得の格差を是正することで日本経済を立て直す」とか「景気の好循環をもたらす」と主張されていることは正しいとは言えない。

過小な大衆消費は、一般的にだらだらとした不景気を宿命づけるものではない。たとえば、「失われた二十年」といわれるバブル時代以降の日本のケース。私的なマルクス理解では、大衆消費の相対的縮小は、ピケティが長期の統計で示しているように、あるがままの資本主義に「普通の」「当たり前の」避けようもない現実である。

極論を言えば、大幅賃上げでも資本主義の社会矛盾は解決しえないのだ。資本主義の根本的変革が必要なのだ。そのりゆうから、私的所有=資本主義経済の解消と、アソシエーション社会における協同の経済への移行をわれわれは提起するのだ。

■「大衆窮乏化」と経済恐慌

わき道にそれまくったが、ピケティの指摘に戻ろう。「格差の拡大」が恐慌に与える影響のことである。これについての(私の理解での)マルクス的見解はどのようものだろうか。

信用の急速膨張と、対極にある大衆消費(大衆の所得)の停滞は、金融危機を頻繁化し、いったん危機が開始されると経済の収縮過程はいっそう破滅的になるだろうことである。
このことは、『資本論』(マルクス)から一般的に推論できるばかりではない。

現実経済が停滞し先進国ではゼロ%成長が普通である一方で、コンピューター取引といったツールの革新もあり、金融取引が実体経済の数倍の規模で成長している。あのリーマンショックで一時崩壊したバブルだが、その後、懲りずに金融経済の膨張は止まることを知らない。

ピケティの指摘も総合してみれば、所得格差が開くなかで底の浅い資本の一時の「繁栄」とともに、株式売買などのキャピタルゲイン長者が生まれては沈み込む、不安定な経済が予想されるだろう。いや、すでにそのような時代に突入しているだろう。
資本主義の根本的矛盾が露呈する中、新たな社会ビジョンこそが重要性をもつだろう。(亮)


 「エイジの沖縄通信」(NO・6)  米軍、反対運動弾圧に乗り出す

★辺野古で反対運動リーダー・山城議長を逮捕!

 22日(日)午後1時より、辺野古ゲート前で「止めよう辺野古新基地建設実行委員会」が県民集会を開催した。県内外から約3000人が結集して、沖縄の民意を無視して工事を強行する安倍政権に抗議の声を上げた。辺野古での大規模集会は安倍政権が工事に着手した昨年8月、9月に続き3回目である。

 なんと言っても、この日の最大の出来事は県民大会が開かれる前の午前9時頃、第3ゲート前で抗議行動をしていた沖縄平和運動センター議長の山城博治さんが、米海兵隊キャンプ・シュワブ敷地内に無断で侵入したとして、刑事特別法(刑特法)違反で米軍の日本人警備員に身柄を拘束され、逮捕された事だ。その際、山城さんを助けようと行動した宮古の谷本大岳さんも身柄を拘束され逮捕された。

 県民集会終了後、さっそく集会参加者は2人の逮捕に抗議するために、名護警察署前に移動。その数約300人が県道58線沿いにある名護警察署を包囲し、「不当逮捕だ」「仲間を解放しろ」の声を上げ、激しい抗議行動を展開した。

 2人はその晩は名護警察署に留置されたが、翌日も支援者約100人が朝から抗議活動を展開。ようやく夕方7時過ぎに2人は釈放された。釈放後の記者会見で山城さんは「朝から米海兵隊兵士や警備員が多数出てきて変だなあと、でも今日は県民大会があるからと思っていた。ゲート前で抗議活動を始めたが黄色のライン(米軍区域との境界を示す)を越えていない。私は騒ぎを抑えようと皆に下がるように言っただけだ。ところが、突然警備員に後ろから捕まえられ、足を引っ張れゲート内に持って行かれた。そこで、今度は米海兵兵士に後ろから手錠をかけられ、移動されてフェンスに縛られた。集会の日に私を狙い撃ちして逮捕したのは反対運動を弾圧しようとしたものだ。刑特法を利用したまったくの不当逮捕だ。でも逆に県民の怒りに火をつけた。」と怒りを爆発させ述べた。

 多くの県民は、山城さんが警備員に拘束される時の写真が報道されると、基地内に引きずられる写真を見て「人間をごみ扱いか」、後ろ手に拘束される写真を見て「犬、猫以下の扱いだ」と怒りを爆発させている。

★米高官が「弾圧」を指示
 その後、この逮捕劇が米軍の不当逮捕で、反対運動を弾圧しようとしたことが次々に明らかになっている。

 琉球新報の米国特約記者の報告によると、「今年1月に辺野古の移設状況を確認するために来沖した米国防総省高官(エステベス国防次官代理とバトー国防次官補)らが、ゲート前の抗議活動を排除する必要性を主張していた」と。

 事実、キャンプ・シュワブ所属の米軍幹部は「現場の警備員の判断ではなく、上からの指示で拘束した」との見解を示した。こうした報道で県民は怒り心頭である。

 ところが、日本政府の中谷元防衛大臣は「事業者として非常に残念。許可なく提供施設区域内に入ることは法律でもできない。」不当逮捕に対しても「県警と米軍で適切に処置されたと認識している」と脳天気な事を言っている。

 こうした米軍の横暴に対して沖縄国際大学の照屋寛之教授は「これこそまさに植民地主義ではないか。日本政府が米軍による拘束を看過していることも許されない。今回の拘束・逮捕は日米両政府という国家権力が県民に牙をむき襲いかかってきた表れだ。ここで県民が権力に屈しては、他県の市民運動にも重大な影響を与える」と指摘。

 こうした米軍の直接弾圧は米軍統治下の延長である。オスプレイ配備反対の米軍普天間飛行場のゲート前抗議活動でも同じ事が起こっている。2年前のオスプレイ配備反対の激しい闘争で、普天間基地のすべてのゲートが封鎖される事態になる。さらに毎日ゲート前でゲートに出入りする兵士に向かって「NO!オスプレイ」「マリンゴーホーム」と激しく抗議活動を展開。その事で、基地幹部は兵士の士気が低下することを恐れていた。

 ゲート前は県警が警備していたが、次第に米軍警備員がゲート前に出てきて抗議する様子や抗議者の顔をビデオ撮影するとかの圧力をかける。米軍軍属がゲート前のフェンスに張られた「横断幕」や「ノボリ」等を勝手に取り外して持って行ってしまう事も起こっている。

 山城さんたち2人は23日夜に釈放された後、キャンプ・シュワブゲート前のテントに戻り、仲間の人たちから大歓迎と激励を受け、24日の朝から仲間とともに元気に抗議活動を続けている。(富田英司)案内へ戻る


 コラムの窓・・・  賃上げ闘争は何の(誰の)ために?!

 今年の春闘は、、概ねベア6000円の2015年春闘要求が大手の電気や自動車産業労組で決定され、本格的な交渉が始まっている。

 安倍政権は、消費増税や円安による輸入物価の上昇で個人消費が伸び悩む中、アベノミクスの「デフレからの脱却」と「経済の好循環実現」の為には賃上げが必要と言い、「今春闘でも業績過去最高を後ろ盾に、しっかりと賃金を引き上げていくことが大事だ」(甘利明・経済再生担当相)などと経済界に賃上げを要請。「(日本経済)再生への好循環2巡目を回すのが重要。ベアも選択肢の一つだ」「十分な賃上げなしに社会的理解を得られない」(大手電機幹部)等と、政・労・使共々賃上げに前向きな姿勢を示している。

 政府も企業も労組も皆同じ事を言っているのだから、なんで“春闘”などと“闘う”という言葉が使われるのか不思議!だが。

“春闘”には60年以上の歴史がある。

 最初は、労働者の生活や労働条件の改善のために、個別企業内のそれぞれの労組が行っていた企業単位の賃上げ闘争を、全国化と影響力の拡大のために『始まりは1955年、日本炭鉱労働組合、日本私鉄労働組合総連合会、合成化学産業労働組合連合、日本電気産業労働組合、全国紙パルプ産業労働組合連合会、全国金属労働組合、化学産業労働組合同盟、全日本電機・電子・情報関連産業労働組合連合会の8つの労働組合組織が「共闘会議」を結成、賃上げ要求を行ったものとされている。74年には春闘史上最大のストライキを行い大幅な賃上げ獲得を成し遂げたが、翌年には日本経済との整合性が重要との見解が強くなり、以降「ストライキなし一発回答」「管理春闘」と言われる行動へとパターン化されていった。』(知恵蔵より)。

 要するに、個々の労働者の生活と労働条件改善の闘いが、個別の企業内を超えて産業別や全国化し、政治的な要求と闘いへと発展する方向へ向かうにつれて、闘いの高揚に恐れた資本=企業とその政府が、合理化による人員管理と能力・成果主義を導入することによって、闘う労働者や労働組合を分断・弱小化し、労働組合を取り込むことによって運動をコントロールする“管理春闘”体制が作られたと言うことである。

 国民の為と称する「国民春闘路線」もその頃叫ばれ、「社会的責任論」によって労働者独自の要求は封じ込まれた。

 “労使協調”路線の下、要求は、資本=企業が許容する範囲に押し留められ、それ以上になることはここ数年無かった。

 2014年からはアベノミクスによる「景気循環の維持には賃上げが必要」とする政府主導の「官製春闘」が行われ、物価高と円安のアベノミクスによって、高収益を得た大企業を中心に賃上げが行われたが、中小零細企業などその恩恵がないところでは賃上げは行われなかったので、「格差」は一層拡大しつつある。

 今年の労組側の要求は、こうした流れを受けて、「物価上昇や経済成長との整合性」を計るとして、2%(定期昇給分を入れると4%)を要求し、非正規の賃上げも要求しているが、基本的に、正規と非正規という「格差」を許し、低賃金下での物価高と増税で、負担が重くのし掛かってきているのに「物価上昇分」(賃金も生活物価が上がれば、上がるの当然で、要求しなければ認めてもらえないことこそおかしいのだ。)では実質賃金は下がる一方ではないか!。

 景気回復・好循環維持の為の賃上げ論は、不況景気をもたらす過剰生産を行う資本=企業の責任をごまかしその都合に合わせた論議だ。

 そもそも、生産量によって賃金が決められているわけではないから、好循環に必要な賃金とはどれくらいなのか具体的に示されてはいない。コストを下げるためには出来るだけ低く押さえたいというのが本心なのだ。

 生産の量や規模等を行う権限のない、賃金以外に生活のかてがない労働者に、賃金を少し上げるから、自分の意志とは無関係に過剰生産されたものを、必要以上に買えと言っても買えるものではない。

 もともと低い賃金に押さえ込んできた連中が、労働者の消費力を景気後退の一因にしているのもおかしな話しだが、景気低迷の責任を労働者にも負えとでも言うのだろう!。

 成果主義とか能力主義で高額の賃金を得ている者もいるが、それはごく一部分の者で、その一方では、増え続ける非正規労働者と大多数の低賃金労働がいることを思い起こそう。

 賃金は労働力維持の対価として決定され、労働した結果として受け取るものであるから、資本=企業に依存し、儲けようとする資本=企業によって、コスト削減などと絶えず押し下げられる傾向が発生する。

 資本=企業は生産物を売って労働者への賃金部分と利潤を取り戻すから、より多く生産しより多くの利益を得ようとする。

 過剰生産は限られた購買・消費量より生産量が多くなることから起こるが、利潤追求の為により多く生産しようとする資本=企業の欲望が労働者等の消費力よりも、勝り先行するからおこるのであって、この欲望こそ、資本主義の本姓であり、諸悪の根源とも言えるものである。

 資本=企業の欲望による犠牲の押しつけを許さず、自身の身分や権利を守り拡大することは労働者の権利であり義務でもある。

 安倍政権は法人税を軽減し賃上げを促せようと「所得拡大促進税制」なる政策まで打ち出し、労働者・国民受けを計っているが、法人税軽減の真の狙いは 国際的な租税競争に対応し、企業が日本に投資できる環境をつくることであって、結果、企業が得をすればよいという、企業優先の政策なのである。(法人税軽減のため生じる財源不足は結果的には労働者市民にかかってくるのだから、少しの賃上げで喜んではいられないだろう。)

 政府や資本の僅かばかりの賃上げにごまかされてはならない、真の賃上げの意義や意味を問い直し、労働者独自の闘いを構築していかなければならないだろう! (光)


 紹介  書評 伊藤真著 大月書店「赤ペンチェック自民党憲法改正草案」定価1000円+税

自民党の憲法改正草案反対!憲法の改悪は許さない! 

 著者の伊藤真さんは、1958年生まれで弁護士です。そして、伊藤塾という法律資格の学校の塾長としても有名です。この本は、自民党の憲法改正草案に対する批判の内容になっています。

 現在の憲法は、立憲主義に基づいています。伊藤さんは、立憲主義とは「自由と人権を保障するための原理」であると言っています。だから、必ず人権保障の定めがあり、国家の機能を立法・行政・司法に分けて、それぞれの機関を独立させる三権分立になっていて、権力の暴走に歯止めをかけるものになっています。

 それに対して自民党の改正草案は、「天皇を『頂く』国家である」と入れて、天皇の権威を強化して国民主権を後退させるものです。現行憲法の主語の「日本国民は」を草案は、「日本国は「我が国は」に変えています。これも国民主権を後退させています。私は、「日本国民」という主語にも在日の人たちを排除するような意図が感じられ、違和感があります。

 草案は、「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り」としています。これは、立憲主義、平和主義いずれとも相容れません。国民に国防義務を押し付けて、集団的自衛権行使や、憲法9条改悪を図ろうとする安倍政権の考えと同じです。

 憲法9条に対する草案は、「自衛権の発動を妨げるものではない」、「内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する」としています。現在の憲法の「戦争の放棄」、「戦力の不保持」、「交戦権の否認」がすべて骨抜きになっています。まさに、他国のように普通に戦争ができるようにしようとしています。

 また草案は、「個人情報の不当取得の禁止」を掲げています。情報取得が制約されると、表現の自由が侵害され権力の暴走を監視することができなくなります。特定秘密保護法はまさにこの考えに沿ったものです。

 それから草案は、「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」としています。現行憲法は、憲法尊重義務があるのは権力者であって国民ではありません。それを、草案は国防義務や日の丸・君が代などの尊重義務を課すものになっています。

 こうした危険な動きを止めるために、伊藤真さんの「赤ペンチェック自民党の憲法改正草案」という本が役に立てばと思います。 (河野) 案内へ戻る


 共通番号いらないネット結成される!

 去る2月20日、東京千駄ヶ谷区民会館において、「共通番号・カードの廃止をめざす市民連絡会」結成集会が80名の参加で開催されました。国内全住民に番号をつけるという試みは、あらゆる国家において行われてきたことです。国家は政治家が主導し、官僚が運営していますが、手っ取り早い運営の手段として全住民に番号をつけ管理したくなるようです。

日本において、それは住基ネット・住基カードの発行というかたちで2003年6月に始まりました。ところがこれは一向に普及せず、完全に失敗しました。その理由は持つことの利益がない、うまく持たせることができなかったということでした。何より、11ケタの住基番号を知る必要はなかったし、誰も知らないのではないでしょうか。

 その反省に立って(政治家や官僚がです)、今度の共通番号はいろんな書類に書き込むことを強制され、いやでも番号を覚えてしまうことになりそうです。カードも持たざるを得なくなるでしょう。12ケタの生涯不変の番号が、自分が誰であるのかを証明するようになるでしょう。

 それは丁度、医者が目の前の患者ではなくコンピュータ画面に示されたあれこれの数値で治療を行うようなものです。誰かに番号を盗まれ成り済ましにあったら、自分が自分であることを証明できなくなるかもしれません。番号が名前に取って代わるのです。

 いま、この国はその岐路にあるのです。あなたは便利だからといって、そんな社会を望みますか。ぜひ、「共通番号いらない!」の声を上げてください。まずは、ICカードを持たないで済むなら、持たないようにしましょう。 (晴)


 共通番号いらないネット 結成宣言

 2013年5月24日、共通番号法は参議院をたいした波乱もなく通過し、成立してしまった。

 その時点で共通番号法に反対した市民は残念ながら少数にとどまった。住基ネットを市民監視の道具とできなかった失敗がいまだに推進派のトラウマとなっているなか、共通番号は装いを新たに「税と社会保障」のための番号として民主党政権時代に登場した。税と社会保障に対する「不公平感」を抱き続けてきた私たちの市民は「不公平がいくばくかでも解消されるなら」といった淡い期待を共通番号に抱きがちだ。

 私たちは今こそ、そうした幻想を抱く市民に訴えよう。「共通番号が税と社会保障の不公平を是正することは決してない。真に手を差し伸べるべき人を大事にできる社会が良い。制度の狭間にある人を救えるしくみがある社会が良い。それらと逆行する共通番号制度はいらない」と。そして「共通番号の真の目的は市民に対する管理や監視の日常化と精緻化である」ことを。

 共通番号法は、その後に成立した秘密法、そして今通常国会に登場しそうな盗聴法の改悪、共謀罪の新設といった安倍政権が整備を進める治安立法の一環であることを私たちは強調しておきたい。住民票コードと異なり、警察や公安機関が利用できる番号であることを忘れてはならない。

 住基ネット違法訴訟で最高裁はデータマッチングしないから安全だと市民の訴えを斥けた。住基ネットと異なり、データマッチングを目的とした共通番号は違憲の疑いをぬぐえない。今後違憲訴訟を提起することも射程に入れて運動を進めていこう。

 2015年10月、住民登録のあるすべての日本人と外国人に個人番号が、納税義務のあるあらゆる団体に法人番号が通知される。個人番号は通知カードによって世帯単位で住所地に簡易書留で送付される。住基票上の住所に住んでいない人々や住民票を持てない人には届かない。またDV等の問題で届いてはいけない人に届いてしまう危険性も存在する。私たちは通知カードが届いて初めて共通番号に向き合う人々に対して、「内国人登録証/国内パスポート」として私たちを識別し追跡監視するICカード=個人番号カードを申請しないよう呼びかける。

 自治体は住基や税、国保などの事務に共通番号を利用するために、システム改修、条例改正、「特定個人情報保護評価」の実施などを迫られている。しかし、政省令等の遅れのなかで自治体の準備は困難を極めている。

 「特定個人情報保護評価」への反対意見の表明、自治体への質問書提出など共通番号に反対する市民運動が各地で始まっている。自治体議会では予算の在り方をめぐって議論がたたかわされており、個人情報のオンライン結合を原則禁止から原則可能へとベクトルをひっくりかえす条例改定が議案にあがろうとしている。

 民間事業者も、従業員等の個人番号の管理が必要になるにもかかわらず、ほとんど知られておらず準備も手つかずだ。このまま2016年1月に実施されれば、個人番号が漏えいしてプライバシー侵害が起き、民間事業者は管理責任を問われて処罰される事態が発生する。

 共通番・カードの廃止をめざす市民連絡会(略称・共通番号いらないネット)は全国のさまざまな共通番号反対運動を緩やかにネットワークすることをその目的とする。共通番号の危険性は住基ネットの比ではない。自治体では、国から押し付けられた膨大な制度改定作業のなかで、ほんとうに必要な制度なのか、市民に求められていないのではないかという疑念の声が広がっている。各地で番号の通知や個人番号カード配布、そして情報提供ネットワークによるデータマッチングが始まれば、様々な矛盾が噴出してくるだろう。

 共通番号いらないネットは、そうした様々な矛盾と格闘する全国各地の人々を支える組織でありたい。「共通番号はいらない」と明確に言える市民とともに、「ほんとうに必要なのか」と疑問をいだく自治体職員や市民を広範につないでいきたい。今は少数派でしかない共通番号反対運動を徐々に拡大していき、最終的には共通番号を廃止に追い込む大きな流れとしていきたい。

 本日、私たちは共通番号いらないネットを結成する。

 私たちは高らかに宣言する。私たちの社会に共通番号はいらないと。

 私たちは共通番号を廃止に追い込むまであきらめずに抵抗を止めないことを。

      2015年2月20日  共通番号いらないネット結成集会 参加者一同案内へ戻る


 読者からの手紙  安倍総理と親密な友人たちのそれぞれにスキャンダル発覚!!

 ここ半月ばかりの間に、安倍総理と親密な友人たちのそれぞれに突然降って湧いたようにスキャンダルが発覚しました。まるで人質殺人事件で窮地に陥っていた安倍総理の窮地を救うかのような展開ではありませんか。まさに「類は友を呼ぶ」を地でいくようです。

 まずは取り上げるのは、いつもながらの高ピー曾野綾子氏です。彼女の本名は三浦知壽子ですが、ウィキペディアでも両親の名もその前半生も書かれていない不思議な人物です。彼女は、その顔の印象と日本船舶振興協会理事長(現日本財団む)に就任したことがあることから、笹川良一氏の庶子といわれている聖心女子出身のカトリック信者です。

 確かにその前半の経歴はうまく隠されたか見えますが、肝心要の笹川良一氏の巣鴨日記に、「今日知壽子が面会に来た」と書かれているのですからアウトですね。

 その「銀の匙」を咥えた生まれからくる鈍感さで、単純労働の介護労働に日本語は入らない、海外から受け入れた労働者には私たちとは隔離された居住地を与えさせすれば何の問題もないとのたまい、南アフリカ共和国からの抗議にも愚にもつかない「反論」をして恥じない人です。この事は世界的に報道されましたが、彼女がペルーの政治犯であるフジモリ氏を支度に匿っていた事実が公然と暴露されました。このような事を平気で出来る神経の持ち主でもあります。この点、全く安倍総理とそっくりなので私などは驚かされてしまいます。

 続いてはこの方も今話題に事欠かないほどの有名人ですが、閣下・閣下と呼ばれ国士と天まで持ち上げられて有頂天になり転落してしまった田母神俊雄氏その人です。

 彼はある出来レースの懸賞論文コンクールで一等になりましたが、その経緯に不明な事があるとの問題指摘が出る中で辞任に追いやられた人物です。さらに受賞論文で開陳された見識についていえば、何らの優れた独創もなく全く陳腐で言い古されたものした。

 これについては、ワーカーズ紙上でも『戦争大学』等を取り上げて問題にしていたと記憶しています。しかし彼の肩書きだけは最高でした。これは確かに誰も否定できません。

 このため、東京都知事選挙の候補者に祭り上げられて60万票も取ると、まさに舞い上がってしまったのです。年末の総選挙にも「次世代の党」から副代表の肩書きで立候補し闘ったのですが、調子に乗って「公明党と対決する」と喚き惨敗してしまいました。

 彼が都知事選挙で「保守」の新しい顔との宣伝の前に、集まった選挙資金は寄付などで一億数千万円でした。都知事選挙で約三千万円使って、残りは総選挙で使うことになったのでしたが、選挙終了から今日までで結局数千万円の使途不明金が出てしまったのです。

 田母神氏と選対本部長の水島総氏とは、現在バトル状態です。これを巡って田母神氏は聞くに堪えない言い訳をしています。水島氏もこんな人物を閣下と呼んで皆さんに推薦してきたのかと思うと情けないと、その苦衷を吐露しています。しかし同様な尖閣列島購入カンパ十数億円は、一体今どうなっているのでしょうか。ダマスゴミとはよくいったものです。彼らは沈黙の一言です。まったく石原氏等、国士面の人物に碌な人はいないのです。

 最後は真打ちかつミーハー族の希望の星、百田尚樹氏の登場です。最近暴露されてきたのですが、出世作の『永遠の0』には、他人の作品から鋏で切取りで貼り付けた文章があると指摘されています。この発覚は最近の事だったので、NHKの経営委員になる妨げにはなりませんでしたが、就任後の妄言放言の多さにより結局辞任する事になりました。

 ごく最近では、最新作『殉愛』を巡る遺族からの出版差し止め裁判が開始され、百田氏の常日頃の言動が問題となっています。この下手な造語に象徴されるように、この本も配偶者の一方的な聞き書き・嘘に終始している点で遺族から訴えられたのですが、ここに至るまでの彼の人徳の有り様が問われていると言えます。

 ここまで安倍総理のお友達の三人について論じてきましたが、つくづくもって呆れ果てた所業の人たちなのです。

 まさに「類は友を呼ぶ」ではありませんか。こうした問題ある人たちが浮かび上がってきたのも、そのようになる背景作りをしてきた安倍総理に全く責任はなかったかと私は問いたい思いです。(高取)


 読者からの手紙 ワーカーズ紙の拡大を!
 
 私は長年のワーカーズ紙の読者です。貴紙の広がりを持てればと願っています。

 朝日新聞から東京新聞に切り替えて一年になりますが、市民目線から記事が多いのに驚かされます。大企業の広告収入に頼っている朝日新聞が、政府と企業に鋭い批判ができていないことを知りました。

 また、沖縄の富田さんが、私たち「さかえ市民共同事務所(みんなの広場)」で、沖縄レポートをされる度に持ってこられる沖縄タイムスや琉球新報にも新鮮な刺激があります。これは左翼新聞!? 市民目線で書かれた沖縄の大衆紙の素晴らしさ。大本営(政府)発表に追随し、歯切れの悪い朝日新聞とは明らかに違います。

 私がワーカーズ紙を直接手渡しているのは、自分の分も含めわずか9名(最近3名増えました)。余分に送ってもらっている分を、新たに試読者拡大に努めているところです。

 素晴らしい内容を活かしていく面から、いくつか一読者である目線から意見を述べさせてください。

 ワーカーズ2月15日号で気づいたこと。

 まず紙面構成。充実した内容の記事が多い。特にエイジの沖縄通信、防犯カメラ、死刑と私刑、袴田事件の記事は、とても読みやすく好感が持てます。エイジの沖縄通信(2面分)は見開きのページにした方が良いように思います。 5面に経済統計の記事を一面に治める、難しければ上下に分け、カットを加える。労働価値説は8~9面の見開きで、内容が難しいので、親しみやすい、柔らかなカットを加える。編集者が毎回、試行錯誤されている苦労はよくわかります。小さな写真カットがあるものの、字でうまって、疲れる紙面に感じます。素人目線ですので悪しからず。

 また普通の読者の声があまりに少ないように感じます。会員の皆さんが月一回、あるいは数ヵ月に一度は読者と接していることでしょう。会った時に日常的な話題を投稿依頼する、それが難しければ、会員の方が読者の声を取材記事にする(名前が出ることに差し支えあれば匿名やイニシャルにする)努力が必要ではないでしょうか。ワーカーズの姿勢やワーカーズ紙面について、積極的に聞き取ることは、紙面改善や読者拡大につながっていくことでしょう。

 私は仲間と十三年間、毎月5000部の職場新聞を作っていました。職場新聞に批判的な意見も積極的に載せ、読者の声が紙面の四分の一を占めていました。ボーナス時には数十人の人からカンパが寄せられ、資金は十分でした。ある活動家にこんな話をした時、「組合レベルと違う」と笑われました。常に読者とつながっていく姿勢は同じではないでしょうか。

 難しい内容の記事については、家族や周囲の友人に見てもらい、「なるほど、私にもよく分かる」言葉で書いて欲しい気がします。例えば、8面の「トマ・ピケティ」は誰でも知っている言葉・人物でしょうか。何も注釈なしに使われるとしたら記事がいっそう難しく感じます。その後の「労働者・勤労者・生活者諸君」の表現は、上から目線のように感じました。

 富田さんの沖縄レポートは自ら現地での闘いに参加している記事で、具体的な提起もあって素晴らしい。
別の記事で、「安倍政権の暴走ストップ!」のスローガンがある場合、具体的な集会・デモや学習会などの情報が触れられていると良いですね。自らが参加できるかは別にして。

 読者を増やしていきたいという思いから、苦言を述べました。ほんの少しでも受けとめて頂く点があれば、大変うれしいです。(良)案内へ戻る


 色鉛筆・・・「震災から三年経って思うこと」ー福島のあるお母さんの手記ー

 先月の中頃、テレビの画面に「福島の子ども1人新たに甲状腺がん」と映し出されて驚き、もっと詳しく知りたいと思い、購読している朝日新聞を見るがどこにも載っていない。どうして載っていないのだろう?原発事故によって子ども達が被害を受けているのだから真実は伝えるべきだろうと思いながらインターネットで検索して詳しいことがわかった。余談になるが朝日新聞が掲載していたのは福島版で、他の地方では掲載しないのは何故か不審を感じざるを得ない。やはり原発事故の被害の実態を隠そうとしているのだろうか。

 『福島県の全ての子どもを対象に東京電力福島第1原発事故の放射能の影響を調べる県の甲状腺検査で、事故直後から3年目までの1巡目の検査では「異常なし」とされた子ども1人が、昨年4月から始まった2巡目検査で甲状腺がんと診断が確定したことが11日、関係者への取材で分かった。また、がんの疑いは7人になった』(中日新聞2/11)

 『甲状腺検査も含めた県民健康調査を議論する検討委員会の星北斗座長(県医師会常任理事)は、「年齢分布などはこれまでと変化がみられず、原発事故の影響とは考えにくい」とした。チェルノブイリ原発事故で甲状腺がんが増えたのは事故の3~5年後からだったことなどから、昨年度末までの1巡目の検査を事故前の状態とみなし今年度始まった2巡目検査の結果と比較して、甲状腺がんが増えるかどうか調べる予定だ』(朝日新聞2/12)

 何ということだろう!甲状腺がんと診断されたにもかかわらず『原発事故の影響とは考えにくい』とよく言えたものだ。チェルノブイリ原発事故で甲状腺がんが発症されている事実が証明しているにもかかわらず認めないとはあきれてしまう。やはり恐れていたことが現実に起きてしまった。

 このニュースを知って、私はすぐに思い浮かんだのは福島のお母さんだ。私が読んでいる保育雑誌「ちいさいなかま1月号」に「東日本大震災から4年被災地では」の特集で、福島のあるお母さんの手記にとても感動したので紹介したい。

 『低線量の被ばくの事例がなく、何が正解なのかはっきりしない現状では、放射能の影響に関するさまざまな不安が、今後の生活でも常に頭をよぎるでしょう。「人が住めない地域ではない」「しかし、なるべく被ばく量は減らした方がよい」「ならば、ここでどう生活するのか?」「だけど、それが子どもにとってよい選択だったのか?」という葛藤は消えません。・・・一つひとつに親の覚悟を求められるような選択の連続でこの三年間は過ぎたように感じています。振り返ると、いつも心のどこかは張り詰めていたなと思います』
この三年間、放射能におびえながら悩んで精神的に苦しかったことが伝わってくる。

 『避難と残留のメリットとデメリットについて悩みに悩んで私は「被ばくのリスクより家族が離ればなれになるリスクの方が大きい」と考え福島市に残ることを決めました。どういう結論を出すかはそれぞれの家族が何を優先するかでかわります。真剣に親が悩んで出した結論ならばどんな答えにも正誤はないと思います』

原発事故後、福島から一家で避難してきた家族の子どもが私の勤めていた保育園に入園し、新しい環境に親も子どもも慣れなくて大変だったことを思い出す。私はその時、「放射能から子どもを守る為には避難するしかない避難するべきだ」と思って、残っている人たちのことを冷ややかな目を向けていた。ところがこの手記を読んで残っている人たちも悩みに悩んで結論を出していたんだということを知り、批判じみていた自分がはずかしくなった。避難した人たちも残っている人たちも大変な思いをして今も生きている。

 『どんなときでも子どもの成長は待っていてくれないし、親が不安な顔を見せれば、子どもも動揺するので、必死に気持ちを奮い立たせ、不安や怒りだけに気持ちがとりこまれてしまわないよう、感情だけに振り回されないよう、冷静に前向きに物事を考えるように努めてきました。しかし、今回いただいたテーマを通して振り返り、心の中で蓋をしてきた多くの気持ちが重石のようになっていることに気づかされ、放射能の件で初めて声を出して泣きました』

なんと切ない言葉だろう。幼い子ども達に動揺させないために自分の感情を抑えていたとは・・・頭が下がる思いがした。この手記が書かれたのは昨年の秋頃なので、3年半たって初めて声を出して泣いたとは・・・つらかっただろうに泣けてよかったと思う。

 『根拠のない不確かな非難やデマに傷つき、国や行政の対応に怒り、さまざまな別れに悲しみ、理不尽に苦しむ。そのたびに泣いたり叫んだりしたかったけれど、子どもの手前、無駄に騒ぎを大きくしないため、毎日進んでいくために、たくさんの負の気持ちを封じ込めて、あまり直視しないようにしてきました。本当は一つひとつの選択が賭けのようですごく怖かったけれど、ここで生活するために必死に飲み込んで蓋をしてきましたが、どんなに腹をくくっても感情がそのたびに揺れ、すごく疲れていたことに改めて気づきました。単純に「放射能が怖い」とかではない、説明のしようがないストレス。どこかに怒りをぶつければ解決するものではなく、自分の選択で自分が背負った自分の家族への責任と覚悟。改めて一人で向き合うと驚くほど、これからも背負い続けていくものは重いです。どうか、このような悩みは福島を最後にしてほしいと、願ってやみません』

こんなにも苦しんでもがいて葛藤して、これからも背負い続けて生きていかなければならないとはつらすぎるが、福島を最後にしてほしいという願いが被災者の思いなのだ。「子ども1人新たに甲状腺がん」と聞いて福島のお母さん達は、不安が増しているだろう。オリンピックや難民支援にお金を使うのではなく、まずは被災者の人たちが安心して暮らせるようにすることにお金を使うべきだ。

 すると、今度は東京電力が24日に福島第一原発2号機から高濃度の汚染水が海に流出していることを発表し、排水路の放射性物質の濃度が雨のたびに上がっていることを昨年の4月から把握していたが公表していなかったという。またか、もういい加減にしてほしい!!被災者の人たちは放射能のニュースを聞くたびに不安になるだろう。これから福島の子どもだけではなく各地で被爆の被害の問題がおきてくるかもしれない。原発事故は2度起こしてはならないし原発はいらないことを訴え続けていきたい。(美) 案内へ戻る


 編集後記
 
 今号の読者からの手紙「ワーカーズ紙の拡大を!」で、紙面の編集について、多くの提言をいただきました。具体的で、どれも非常に参考になるものだと思います。

 安倍政権による労働法の改悪や憲法9条を初めとする改憲の動きは強まっていますが、世界的にみても、資本主義経済の行き詰まりと民族主義や・排外主義等の保守勢力の台頭が顕著になり、「国民のため」と称しての戦争擁護論が徐々に浸透つつあります。

 こうした動きに対応できる勢力と体制を整えるためにはどうすべきか?急務な課題だと思います。“大衆”との結びつきがなくては果たされない課題です。

 「ワーカーズ」は“読者の声があまりにも少ない”というご指摘のようにまだ多くの市民や労働者など“大衆”と結びついた活動をしているとは言えません。

独りよがりを是正し、“大衆”とより多く接触する術を学び、身につけねばならないと、肝に銘じ、活動を拡げていきましょう。(光)

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