ワーカーズ532号    2015/3/15   号案内へ戻る 

 安倍・自民党は原発震災の責任をとれ!
  脱原発・反被ばくの声をさらに大きく巻き起こそう


 東日本大震災・原発震災から4年が過ぎた。2011年3・11の大震災は、地震と津波の被害に加えて、未曾有の原発災害を発生させ、福島・東北のみならず関東・東海の一帯に深刻な放射能汚染をもたらした。原発は、安く、クリーンで、安全だというデタラメな神話を、歴代の自民党政権、官僚、電力会社や原発関連産業、その関連労組のダラ幹、御用学者・文化人・メディアなどの原発利権集団がよってたかってでっち上げ、異論を抑圧し続けてきた末路だ。

 原発震災を目の当たりにして、原発マフィアはダメージを受け、動揺したが、しかし今また彼らは日本の経済と政治への影響力を復活させつつある。安全神話は息を吹き返し、チェルノブイリ事故に匹敵すると言われる福島原発事故の深刻さは隠蔽され、福島復興の大合唱の中で被災者の声は押さえつけられ、原発労働者と東北・関東の市民に取り返しのつかない被ばくが強制されている。

 その音頭を取り、旗を打ち振っているのが、安倍首相であり、自公政権だ。彼らは、自然環境と人間社会に対して回復不可能な深刻な被害を発生させたことに、何の心の痛痒も、どんな責任も感じていず、非道にも原発の再稼働や海外輸出を図ろうとし、そればかりか新増設の必要さえほのめかしている。

 しかし、彼らの思惑どおりには事が進むはずがない。毎日の数百トンにも上る汚染水の発生は止められず、関東一円で発生した汚染物質の最終処分の方法はまったく見通しが立たず、福島の子どもたちの甲状腺がんの多発が報告され、関東の市民にも放射能被害の不安が広がり、数十年はかかると言われる事故の収束と廃炉に携わる労働者は集まらない等々、事故がもたらした巨大で深刻な被害の事実は、誰がどうあがいても、隠しようがないからだ。この明白な事実が存在する以上、彼らの史上稀に見る壮大なペテンの試みは、決して奏功することはない。

 彼らのペテンが成功する可能性は、こうした事実を隠蔽できるほどの強権を手に入れること事だが、そんなことを労働者・市民は断じて許さない。安倍自民党の強権手法は、もっぱら対外緊張を煽ることで調達できているが、その緊張感自体によってすでにヒビがが生じ始めている。別の可能性は、彼らが日本の国民を彼らと同程度に、事実とモラルに対して鈍感にさせ、堕落させることで開かれるだろうが、そんな非人間化を労働者・市民は決して甘受しない。

 私たちは、原発震災が強いた苦難の経験から得た最も良質な知見をさらに研磨しつつ、試練を経て成長した市民と労働者の運動の一翼をしっかりと担いながら、復権を企図する原発マフィアによる姑息な国民分断を許さず、カネと強権と無知と粗野にしか頼ることが出来なくなっている安倍自公政治を打ち破り、必ずや脱原発の課題を達成していくだろう。


 アベ安保法制
  造語で招き寄せる〝交戦国〟──言葉の言い換えで世論をダマせない──


 アベ「安保法制化」が急ピッチで進められている。

 4月以降の後半国会でなんとしてもアベ安保法制の採択にこぎ着けるために、政府は言葉のごまかしを積み重ねて強引に押し切ろうとしている。
 現在は与党合意をめざして自公のすりあわせが続いているが、いつまでもごまかし続けることは出来ない。世論の力でアベ安保法制を封じ込めていきたい。

◆一里塚

 国会では予算案を中心とする法案審議の真っ最中だが、それと並行して、安倍首相がこだわってきた、集団的自衛権の行使容認を実現する安保関連の法整備のための準備作業が急ピッチで進められている。有権者や世論は、必ずしも安倍政権に武力行使に道を開くような安保法制への期待が高まっているわけでもないのに、だ。それもこれも昨年暮れの衆院選挙で、安倍自民党を勝たせてしまったツケだというべきか。

 昨年以来の集団的自衛権に関連する法整備は、統一地方選挙後に先送りされていた。地方選への影響を避けるためだった。が、集団的自衛権容認に際して自民党に押し切られた公明党の要請もあって、与党協議は早い段階から始められることになった。そこで安倍首相の意向を汲んで、具体的な法整備に向けた協議が続いている、という経緯がある。その与党協議に注目が集まるのは、与党が多数を占める国会情況を考えれば、与党合意がそのまま成立する可能性が高いからだ。

 与党協議がすすむそのアベ安保法制で、訳の分からない抽象的なことばが飛び交っている。武力攻撃事態、武力攻撃予測事態、緊急対処事態、グレーゾーン事態、それに、周辺事態、存立事態、重要影響事態などだ。こんなに判別が難しい言葉が乱れ飛んでいては、忙しく働いている普通の人にとっては分かりようがない。

 なぜそうした何種類ものことばが飛びかっているのか。それは昨年7月の集団的自衛権の「限定容認」を決めた閣議決定が、自公の妥協を反映した曖昧さが残るものだったからだ。狡猾というか、安倍自民党がそれをいいように拡大解釈し、結局は自衛隊の活動範囲と活動内容を大幅に拡大しようと躍起になっているからだ。昨年の閣議決定の内容など単なる通過点であるかのようなイケイケドンドンのアベ安保法制は、安倍首相の国家中心、軍事優先の危険で反動的な性格が日々浮き上がっている。

◆戦争当事国

 ここで今回安倍政権が持ち出している外交・軍事用語やそれに絡んだ新しい聞き慣れない概念について少し目を向けてみたい。その前に当たり前のように飛び交っている言葉や概念が極めて一面的なものであることを再確認することから始めたい。それは〝自衛権〟という言い方だ。

 日本がこれまで保持しているとされてきた個別的自衛権は無論、昨年の集団的自衛権という言葉も、それが〝自衛権〟というかぎり当然のことで正しいことだという受け止め方がある。が、〈あらゆる戦争は自衛権の名の下で戦われる〉という言葉もあるように、近代のあらゆる戦争は自衛権の名で正当化されてきた。それ自体が極めて一面的なものだ。現に、米国のアフガン戦争は自衛権を建前としていたし、イラク戦争では集団的自衛権と個別的自衛権の発動だった。いま実行している米軍によるシリア攻撃も個別的自衛権だという。侵略のための戦争だなどとは、だれも、どの戦争でも言わない。

 集団的でも個別的でも自衛権というのは権利関係という法律論の話だ。〈攻撃は最大の防御なり〉という軍事用語があるように、実際の戦争では防御も攻撃も戦争の一側面に過ぎない。日本でも、日中戦争や太平洋戦争に際して、一方で大東亜共栄圏などと自己中な大義名分を掲げていたが、他方では自存自衛のためだなどとも言ってきた。こと戦争に関しては、防御も攻撃も戦争行為の表裏のものでしかないのだ。要するに、〝自衛権〟とは戦争する権利のことだ。

 そこでアベ安保法制だ。

 まか不思議な言葉が飛び交っているが、安倍政権が今回意図しているのは、第一に、海外での自衛隊の活動を、地理的にも活動としても拡大する、というものだ。地理的には、周辺事態法による「日本周辺」という地理的な制約を取り払い、戦闘地域という情況の制約も外すことで、ホルムズ海峡や飛行場など「戦場」でも後方支援という形で参戦する、ということだ。

 また活動内容の拡大としては、米軍だけが対象だった支援対象国を米国以外にも拡げること、それにその活動も停戦成立の如何に問わず「掃海」など戦闘行為が出来るようにすること、さらに後方支援についても艦船への給油などに限らず、攻撃機への弾薬補給や給油にも拡げるなど、実際の戦闘に直接関われるようにすること、などだ。要は実際の戦争に参加できる枠組みをつくることである。

 第二は、実際の武力行使に制約をかけてきた武器使用基準を拡げることだ。これは海外でのPKO活動や、尖閣諸島などへの侵入の排除を想定したものだ。これまでのPKO法では武器使用基準は、あくまで正当防衛か緊急避難に限られ、しかも相手の攻撃に比例した応戦しかできなかった。それを「邦人奪還」「駆けつけ警護」などを出来るようにし、そのために正当防衛の枠を超えた先制攻撃、制圧攻撃が出来るようにすることが想定されている。

 この他に、日本の離島に接近・上陸した武装漁民や外国公船を排除するための警察・海上保安庁と自衛隊の連携行動を整備する、いわゆる〝グレーゾーン対応〟も検討されている。

 これまでの対テロ特措法での戦闘地域から遠く離れた海上給油などでは、実際の戦闘に巻き込まれる可能性は低かった。が、「邦人奪還」「駆けつけ警護」それに「臨検」などでは、実際の戦闘行為に直結する可能性が格段に高くなる。現行の船舶検査法では、対象船の船長の同意などが条件とされているが、それを取り払って強行検査を実施すれば、当該船からの武力抵抗を呼び起こす可能性もある。また「邦人奪還」や「駆けつけ警護」などは、そもそも武力行使と敵対勢力の排除、殲滅を前提にしないとできないものだ。その場面では、敵対勢力の規模などが分からず、派遣部隊に大きな犠牲が出る可能性も高くなり、全滅という事態も起こりうる。

 「戦後70年」は、新たな「戦前○○年」になるのか。アベ安保法制は、これまで誰も殺さず、誰も殺されなかった日本を、新たな戦争当事国とするものなのだ。

◆言い換え

 いま安倍政権がやろうとしていることは、これらを考えただけでも、実際の交戦の可能性が格段に高くなるものだ。それをそのまま言葉として周知しようとすれば、当然のことながら、それだけ反対の声も拡がりかねない。現にやろうとしていることの危険性の大きさ、それをできるだけ薄めたものとして法案の実現を図りたい政府。こうした関係が、曖昧な造語を増やし、訳の分からない議論が飛び交う要因なのだ。

 こうした政府のごまかしは、これまでの政府と自衛隊が繰り返してきた常套手段でもある。これまで日本政府は、国軍である日本の武装集団を自衛隊と称してきた。敗戦を受けた憲法で戦力の保持を放棄したはずの日本が戦力を持つ矛盾をごまかすためだった。

 同じ事は武装集団の組織や兵器にも適用された。たとえば陸軍・空軍などはそれぞれ陸上自衛隊、航空自衛隊、海上自衛隊など、また組織では参謀本部を幕僚部、軍の階級を大佐、少尉、などではなく、一佐、三尉などだ。また兵器についても、駆逐艦や巡洋艦は護衛艦、軽(ヘリ)空母も護衛艦、また航空機でも戦闘爆撃機ではなく支援戦闘機といった具合だ。これらは安保政策や自衛隊の隅々までカバーするものだった。

 ついでに、最近安倍政権のもとで話題になった呼称についても触れておきたい。

 第二次安倍政権発足直後の12年暮れに強行採決された「特定秘密保護法」、これは85年に廃案となった法案では「国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案」とされており、当時は一般に「国家機密法」と略称されて大きな政治争点になった。

 また安倍首相が執着する改憲では、最初の国民投票にかける条項として緊急事態条項などが浮上しているが、これも戦前や外国では戒厳令とか国家非常事態法などと称しているものを、災害対策なども加えて緊急事態を称しているものだ。一事が万事、この調子なのだ。

 なぜそんな曖昧な呼び方を通してきたのか。それは日本の自衛隊や兵器が、通常の国の軍隊とは違う、あくまで自衛、防御のためだけに存在しているとしてきた虚構を維持するためだった。そんな習性が染みついていることや、そうした日陰者に於かれ続けている現状に不満を膨らませてきた軍事至上主義者達は、そうした隠れ蓑にくるまれたまま、着実に軍事力の増強に励んできた。それが安倍首相を先頭に、日本を本来の〝戦争を出来る国〟にするという野望のもとで進めているのが、現在のアベ安保法制だ。その日陰者が表舞台に飛び出したい、という野望をまさに実現しようとする時、またまた旧来の言葉のごまかしでそれを実現しようというのが、いま飛び交っている訳の分からない造語であり、概念なのだ。歴史的な転換を新しい脱皮を旧来型ごまかしでやりきろうとする安倍政権のやり方に、姑息さと傲慢さを感じるには、私だけではないだろう。

◆実績づくり

 政府は安全保障環境が変わったことを安保法制づくりの根拠としてあげている。尖閣諸島、中東、シーレーンの危機などだ。それを口実として、第一次、第二次を含め、安倍政権は、ひたすら戦争への道、戦争準備に突き進んでいるかに見える。その安倍首相は、なぜ中東にこだわっているのだろうか。それは中東で紛争が多発し、常にどこかで戦闘状態が繰り返されているからだ。尖閣諸島をめぐっても緊張が高まっているが、これは対中国の問題で、それぞれ大国どうしの紛争だ。それがエスカレートすれば、国と国どうしの本格的な戦争になりかねない可能性を秘めている。ただ、それだけの大きなリスクは誰が考えても想定できるので、小規模、偶然の接触はあるかもしれないが、本格的な交戦状態は、当面、起こりそうはない。

 そうだとすると、自衛隊はいつまで経っても武力攻撃を経験することも出来ないし、、最先端の兵器を含む軍事力を保持している日本であっても、それが宝の持ち腐れ、張り子の虎状態を脱することが出来ない。そこでしょっちゅう武力紛争が起こっている中東にまで出かけていって、武力行使の経験を積んでおきたい、実績づくりをしたい、ということなのだ。

 3月はじめに来日したドイツのメルケル首相さえ、あえて安倍首相の危険な姿勢と試みを牽制せざるを得ないほどだった。近隣関係・歴史認識でドイツと日本との違いをあえて語ったのだ。とはいえ、安倍首相を含む日本の当局者は、ドイツのナチスという一時的な、一党派による戦争犯罪と、天皇制を含む日本の戦争遂行体制はまったく違うのだと、戦前からの連続性に執着しているのだ。だから安倍首相は、メルケルの〝提言〟を、迷惑げに無視を決め込んでいるのだ。

 世論調査では、安倍安保法制への批判、懸念が強い。世論と国会に大きなギャップがあるのだ。そのギャップを無視してアベ安保法制を強引に推し進めることは出来ない。すでに国会周辺でもアベ安保法制の反対活動が取り組まれている。言葉の言い換えで詭弁を弄しながら暴走する安倍政権を封じ込めていきたい。(廣)号案内へ戻る 


 コラムの窓 ・・・ なぜ「静かに」広がる?子どもの貧困・・

●「静かに広がる」の記事

 週刊朝日(3月6日)に「静かに広がる子どもの貧困」という記事が掲載された。僕はこの「静かに」という表現が気になった。数年前、リーマンショックで大量の派遣労働者が首を切られ、日比谷公園に「派遣村」が設置され、「反貧困ネットワーク」がテレビに登場した時に比べて、子どもの貧困の報じられかたは、確かにあまりにも「静か」ではないか?これはいったいどういうことなのか?

●「ユキの太陽」との違い

 僕が子どものころ、少年雑誌に「ユキの太陽」(ちばてつや)という長編マンガが連載された。孤児院で育ったユキという少女が、貧困や差別と闘いながら、明るく、力強く成長していく物語だ。周囲には、養護学校の先生など、暖かく見守ってくれる人々がいた。戦災孤児が町に溢れた「戦後」から高度成長初期にかけ、人々は「子ども貧困」を身近に感じ、自分達の問題ととらえていた。

●「一億総中流」神話の崩壊

 その後、高度成長からバブルにかけ「一億総中流」神話のもと、多くの人は「子どもの貧困」はユニセフの寄付募集広告に出てくる「最貧国」の問題だと捉えるようになった。ところが、実は「先進国」の足元で、あたかも地下水脈が徐々に増していくように、貧困は静かに広がり、気がついたら「子どもの6人に1人が貧困」(OECD調査)に至ってしまった。

●ワーキングプアからガールズプア

 バブル崩壊後を振り返るとよくわかる。まず、リストラの波、企業が非正規社員化、派遣化を強行し、若者が「ワーキングプア」化した。これに従来の「ママチャリパート」(専業主婦)時代から温存される男女雇用差別が重なり「ガールズプア」へと転化し、「シングルマザー」(母と子)の貧困が広がった。こうして貧困の中で育つことを強いられる子ども達の受難が始まった。そして「貧困な子ども」が成長しやがて「貧困な親」になり「貧困の連鎖」が構造化してしまった。

●生活圏の隔絶も一因

 もうひとつ見落とせないのは、中流層と貧困層との間で、生活圏が分断され、お互いが見えにくくなっている。例えば、小中学校の教職員の多くは、「大学卒」つまりどちらかというと中流層で、「周囲の友人は大卒ばかり」の人間関係で自己形成した。そのため「忘れ物や遅刻が多い」子どもの背景に、家庭の貧困があることに中々気づかない。同様の問題は医療従事者や自治体職員にもある。小児科の予約の日に診察に来ない。母親に聞いて初めて貧困に気づいた等。貧困について「学習」する努力が要求される。

●求められる「仲間作り」

 生活圏の分断は、貧困層の側からも希望を奪っている。「子どもの親や周囲も中卒か高卒が多いからか、『大学生って本当にいるんだ!』と驚く声が聞こえてくる。」(週刊朝日・同上)。記事では、貧困の逆境に抗して、苦学の末、大学に入学し、NPO法人の無料学習塾で、貧困家庭の子ども達に勉強を教える、ある女子学生の取り組みが紹介されている。貧困の痛みを知っている人々、痛みを知ろうと努力する人々の「仲間作り」が求められている。「静かに」広がる子どもの貧困、「仲間作り」もまた「静かに」始まっている。私達も参加しよう!(誠)


 「何でも紹介」・・・ドキュメンタリー映画「シバサシ」の紹介

 今回は沖縄のDVD作品を紹介する。

 皆さんは沖縄には原子力発電所がないことを知っていますか?

 もし、40年前に沖縄・金武湾の「反CTS闘争」がなかったら、沖縄にも原発が出来ていただろうと言われている。

 本土復帰前後の1970年代に、日本政府の国策として米国ガルフ社や三菱開発が中心になりCTS(石油備蓄基地)をふくむ巨大な開発が推し進められた。CTS(石油備蓄基地)建設が進められるなか、73年に「金武湾を守る会」が結成された。食料のない終戦直後に海の恵みに生かされた経験から「海はひとの母である」と訴え、これらの開発に反対した。このCTS基地計画の中には原発立地も入っていたから、40年前の「反CTS闘争」がなかったら、沖縄にも原発ができていたはずだ。

 これから紹介するドキュメンタリー映画「シバサシ」は、沖縄県名護市に住む輿石正監督が制作した作品である。前に「ワーカーズ」の紙面で「泥の花」と言う作品を紹介したが、「シバサシ」は「泥の花」の前に制作された作品であり、ともに「反CST闘争」を取り上げた姉妹作品と言える。

 輿石正監督は、本土から家族とともに名護市に移り住み、予備校を経営しながら28年間名護住民として生きてきた。そのうちの20年間、辺野古新基地建設の問題に関わってきた人である。

 名護に生きる商人としての視点を持ち続けながら、これまで辺野古のドキュメンタリー映画三本(「基地はいらない・心の響き」「悼画・金城祐治さん」「辺野古不合意」)を世に出してきた。その輿石監督の集大成と言うべき作品が、今回紹介する「シバサシ」であり、次の作品「泥の花」である。

 「シバサシ」とは、沖縄諸島で行われる『魔除け』行事で、ススキなどを屋敷の四隅にさすもの。正式な作品タイトル「シバサシ--安里清信の残照--」とあるように、「反CTS闘争」の先頭に立った安里清信さんに焦点をあてた作品である。

 『沖縄の住民運動にリーダーはいらない』と言い続け、一人一人の生存をかけた闘いを仲間とともに歩み続け、『海はひとの母である』とその一点につっ立ち、時の革新県政の「平和産業論」に抗して闘い続けた安里清信さん。

 輿石監督はこの「金武湾を守る会」の反CTS闘争こそが沖縄の住民運動の原点であり、それが今日の辺野古の闘いに継承されていることを作品の中で描いている。

 私も「普天間」「辺野古」「高江」の3つの「闘争現場」を経験したが、その3つの「闘争現場」を支える熟年世代の多くが、この反CTS闘争のなかから育った人たちと知り驚いた。

 反CTS闘争は、「復帰」後に押し寄せる「本土」巨大資本による開発と環境破壊に抗う沖縄各地の人たちをつなぎながら、平和・人権・環境の分野で第一線に立つ人と組織を育てていった。現状に抗う運動は常に少数者から始まる。その少数者の運動の連携こそが、やがて大きな運動をつくり出していく。反CTS闘争の歩みはそのことも教えてくれている。(富田英司)

★DVD作品の「問い合わせ先」
 ・作品「シバサシ--安里清信--」(90分カラー)
 ・販売価格 3000円(送料代金別)
 ・申込先「じんぶん企画」
 ・連絡先 TEL(0980-53-6012)FAX(0980-52-4417)
  MAIL(jinbun@edic-121.co.jp) 号案内へ戻る 


 実証された リフレ派のデタラメ  
  手品の種明かしはインフレ利得と為替切り下げ


[東京 2月27日 ロイター] - 総務省が27日発表した1月の家計調査によると、全世帯(単身世帯除く2人以上の世帯)の消費支出は1世帯当たり28万9847円で、実質前年比で5.1%減となった。減少は10カ月連続。前月比でも0.3%減と5カ月ぶりに減少するなど、個人消費は戻りの鈍い状況が続いている。【ロイターここまで】


同様に3月2日に総務省が公表した統計では、金融機関を除く法人企業経常利益過去最高更新(10~12月)となっています。内容としては円安を背景とした輸出増加によるものとみられている。設備投資も、大企業を中心に3%増加、中小企業は低迷しており、全体としては2.8%の増大。資本金10億円以上の大企業の「利益剰余金」(内部留保)も過去最高とか。

厚生労働省が3月3日に発表した1月の勤労統計調査では、「実質賃金指数」前年同月比で1.5%減少。19か月連続で減少が続いています。

このような数字から、現状をどのように読み解くか?

内需が極端に不振であることは、上記国家統計上明らかでしょう。その理由も明らか、勤労所得が賃金の低下で下降が止まっていないからです。実質収入が下降するのに、たくさん買い物する人はいませんね。

そこでそれを「補っている」と考えられるのが「外需」です。日銀の「異次元金融緩和」政策で引き起こされた円安。事実上の為替ダンピングで、輸出がある程度促進されているということでしょう。とはいえ、世界的にも米国を除いて経済は低迷。外需頼りで多くを望めないでしょう。

この一年間、消費税増税の上にインフレが重なり、大衆的消費は委縮したのです。一方、大企業を中心に、インフレ利得と輸出促進により、日銀のインフレ政策の恩恵にあずかっている、株・為替取り引きもバブルの生成で有利だったはず。その結果としての「経常利益最高益」の達成ということなのでしょう。

アベノミクスが、勤労市民の犠牲の上で大企業オンリー優遇政策であることを改めて数字で示したものでしょう。

■「風が吹けば桶屋(おけや)が儲かる」たぐい

こうしたなかで、とりわけアベノミクスの背景にある「リフレ派」のでたらめさが際立っていると思います。

リフレ派の政策の主眼は以下のようなものです。(ウィキペディア参照)
「政策レジーム・チェンジを通じて期待インフレ率を上昇させ、期待実質金利 の低下させる」ことである。予想インフレ率に働きかける金融政策によってデフレからの脱却を達成し、穏やかなインフレ率をめざす。田中秀臣、安達誠司 は「デフレ脱却のためには、金融緩和 を中心としたリフレーション政策によって、人々のデフレ期待を一掃させることが重要である」と指摘している。リフレ政策の中心はマネーストック を大幅に増加させることである。【ウィキペディアここまで】

【ヤフー知恵袋】の説明では。
⇒(インフレを起こし)お金の価値が目減りする
⇒お金を持ってると損なので、みんな浪費したがる
⇒消費が増えて景気回復

というロジックです。リフレ派も一枚岩ではないようですが、安倍首相のブレーン・浜田宏一氏も自著で同じ趣旨を述べています。

しかし、おかしいではないでしょうか?
この一年間,日銀の黒田さんや安倍首相の「インフレ・アナウンスメント」が執拗に行われ、日銀の国債の大量購入が実施され、一%程度(消費税分を差し引いて)のインフレが進行したけれども、国民の大多数は「浪費」「出費」しようとしていません。それどころか、インフレによる実質所得所得の低下のために、「浪費」を避けようとしています。あまりに当然でしよう!

というわけで、リフレ派の「論理」(論理などといえたものでもないのですが)のでたらめさが、これ以上なく露呈しているのです。

■インフレは一利なし!

そもそも、インフレは円の切り下げ=価値の下落であり、同時に、大企業のインフレ利得を許すものです。他方では、消費税増税とともに一般国民の所得の削減であり、われわれ勤労者からすれば害こそあって一利なしです。安倍政権はあくまで「インフレ二%」に固執しています。インフレ政策は、勤労市民からの追加収奪にほかなりません。「インフレ政策やめろ」の声をもっとあげましょう。(上)


 宮城県南三陸町 虹と絆コンサート

K谷こうすけさん、この方は兵庫県西宮の方で、阪神大震災の被災者です。

阪神大震災、東日本大震災で亡くなった方へのレクイエム、被災者を励まそうと、関西と東北を虹の架け橋でつないで音楽をつうじて、つながっていこうという思いで、K谷こうすけさんが中心になり、すすめられています。

昨日、私は、東日本大震災で多くの被害があった南三陸町に行きました。そこでたまたま
仮設商店街のコミュニティ広場で、「虹と絆コンサート」がありました。

私は、親類がこの商店街に店を出しているので、ささやかな支援を兼ねて年に一二度買い物にきます。岸壁に近かった元の呉服店は、三十メートルの津波で跡形もありません。

彼のピアノ演奏は、素晴らしかったです。

はるばる東北にきてくださり、励ましてくれて、ありがたいなと想います。

南三陸町は、盛り土の工事が始まっていますが、まだまだです。復興どころか「復旧」にもいたっていませんね。心なしか三年前の時に比べ、商店街の方々の表情は、疲れが感じられます。また、早春の寒さもあったでしょうが、訪問客もだいぶ少ない感じがしました。

地元の親せきの方に聞いたら、八メートル以上かさ上げするとか。どんな街になるのか表情は曇りがちに思えました。仮設商店街は元の場所に戻るけど、居住は離れた丘の上になるとか。小商店街が、居住と分離して昔の繁栄を取り戻せるか、不安なことでしょう。

野蒜(のびる)海岸、奥松島にも行きましたが、何もかも流され、残っているのは、海だけでした。美しい松林も、砂浜も荒野となってました。今更ながら、人手があり何年もかけて手入れしてきたから美しかったのですね。

仮設住宅もそのままあります、海岸線の地域での復興は、まだまだです。

仮設商店街では、美味しいどんぶりがあります。商売繁盛を応援していきたいです。号案内へ戻る 


 卒業式

今日は、特別支援学校の卒業式でした。高校を卒業して、社会人となります。

年間2回の約一ヶ月間、企業に実習にいき、働いていけるか試用期間を繰り返します。3年間で6回の実習をします。もちろん生徒達も、そのことが、きっかけで、一杯考えます。

会社が厳しくて、落ち込んでいることも、一杯ありました。企業で、普通に働くことの大変さ、お給料をもらうことの大変さ、生きていくことの大変さ、を実感したと想います。

B君は中学校時代は、いじめられたり、集団に入っていけなかったり、親も、自分の認識と違って、療育手帳をとるまで、すごい葛藤がありました。

支援学校に入学して、同じような障害を持つ人たちが集まり、けんかしたりぶつかったりしながら、仲間として認め合えるまでに成長できた。今まで集団が怖かったけれど、高校生になって、初めて集団が良いなと感じられるようになったと、子どもたちが、今日話していました。

そんな話しが出来ることの背景は、3年間苦しいことに立ち向かい乗り越えられたからだと想います。

元気で笑顔で、毎日が過ごしていけますように、

私自身も、今日みたいな感動をまた、来年も感じられるように、子どもたちと一緒に歩んでいきたいと想います。 〔や〕


 色鉛筆・・・3500人結集! 4回目のさよなら原発

 3月11日を目前にした3月8日の日曜日、関西を代表して大阪で反原発集会が行われました。午前の屋内集会を終え、午後からは子どもたちのサッカー練習も並行する公園で、幾つもの色とりどりの旗をなびかせ次々と思いを一にする人々が集まってきました。この機会に私たちは、ワーカーズ紙のバックナンバーを参加者に配布し、宣伝活動に集中しました。1人でも多くの参加者にワーカーズを知ってもらうために。

 集会では、福島からの避難者の、うのさえこさん、台湾から台湾和平草根連盟局長華蓮さん、反原発福井県民会議の中嶌哲演さん(住職)からの熱いアピールがありました。4年を迎えるのに長引く避難生活に、経済的にも精神的にも限界を感じる日々の苦悩が伝わってきました。被災者の救済が放置されたままの状態は、原発事故の責任の所在が明らかにされていないことが、一番の原因であることは明らかですが、その作業はなかなか困難を要しているのが現状です。                           

 午前の屋内集会での、北海道ガンセンター名誉院長の西尾正道さん講演では、がん患者3万人と向き合った医師として豊富な専門知識からの報告に、私の知らないことばかりで驚きでした。例えば、放射線の人体影響の測定の基準が、行う機関によって異なっているということです。つまり、国内では従来からある原発作業員を対象にした線量計算は、国際放射線防護委員会(ICRP)の考え方で行ってきましたが、この計算の仕方では内部被ばくの過小評価があるという指摘です。線量が同じであれば、外部被ばくも内部被ばくも同等の影響と定め、しかも内部被ばくの線量計算も全身に均一に被ばくすると仮定して線量を評価している。西尾さんは、アルファー線・ベータ線は粒子線であり飛程が短く、周囲の細胞にしか影響しないとし、全身均一被ばくでは過小評価となり誤魔化しがあると批判されました。                             
 原子力ムラを支え原発産業を維持するには、「ICRP」の線量計算が最も相応しいものだったのです。原発作業員の命よりも原発産業が大事ということ。これは、3・11以降も変わらず、被災者にも同様の対応がなされてきたことは、この間の経過を見れば明らかです。3月1日に、西宮でも福島からの母子避難者の方の話を聞く会を持ちましたが、その時も避難先の県営住宅の家賃補償があと1年で終わるが、その後の生活が心配と不安を隠せませんでした。災害復興予算が使いこなせてないなら、二重生活を強いられている避難者の方の救済に使うべきと、声を大にして訴えましょう。            

 避難されている方と同様、福島の現地で生きていく覚悟を決め、起ち上がっている方の紹介もしたいと思います。ワーカーズ読者の後藤幸子さんは、福島市で果樹園をされています。友人が「中通りに生きるみんなの会」を起ち上げ、東電を相手に精神的賠償を求める裁判を準備中です。100名の賛同者を目標にし、後藤さんを含め現在60名が陳述書を作成中。賛同者を集めるため後藤さんも頑張っておられます。関西に住む私たちができることは何か、それぞれが考え行動に移していくことが大切だと実感しています。(恵)                                                                    
 大幅賃上げを勝ち取ろう!! 「過去20年で最低の労働分配率、賃上げに慎重な姿勢示す」(ロイター)

[東京4日ロイター] - 企業が、賃上げに慎重な姿勢を崩していない可能性があることが民間シンクタンクの試算で分かった。ニッセイ基礎研究所の調べでは、企業が生み出した付加価値に占める2014年10―12月期の「労働分配率」の割合は、過去20年でもっとも低い。

今春の賃上げ交渉が思うように決着しなければ、安倍晋三政権がめざす好循環の実現は、さらに遠のきそうだ。

それによると、昨年10―12月期の労働分配率は季節調整済みで60.4%と、1990年代初めの水準まで落ち込んだ。製造業では54.8%と、80年以降で最低となっており、同研究所の斎藤太郎経済調査室長は「好調な企業業績にかかわらず、人件費の抑制姿勢は変わっていない」と指摘する。
財務省が2日発表した同じ期の法人企業統計によると、調査対象約1万9000社の経常利益の総額は18兆円余りと消費増税前の1―3月期を上回り、四半期として過去最高だった。

一方、昨年末の利益剰余金が332兆円に膨む状況に、専門家の間では「原資が十分にある中で、企業が『賃上げ』の手を緩めれば、かえって内需や消費がしぼみ、政権が目指す経済成長は腰折れしかねない」との声が出ている。【ロイターここまで】

■がめつい奴らには負けない!

大企業を中心に経常利益は過去最大であり、その結果として「利益剰余金」も過去最高につみあがっている。これはいわゆる「内部留保」というやつだ。
それもそのはず。大企業を中心に、消費税増税の価格転嫁は順調であったし、マイルドインフレによるインフレゲインも上澄みされたはずだ。そのうえ、原油価格の低下という好条件だ。

円安も、外需取り込みには追い風であったはず。はたまたマネーゲームにも卒なく振る舞ったのだろう。

だから、一般庶民を、十九か月連続の実質賃金所得の低下という過酷な生活環境に追いやって、大企業のみ高利潤・収益を上げることができたのだ。景気のほうはさっぱりパッとしないにもかかわらずだ。

これはつまり、市場での正常・健全な商いの成果ですらなく、アベノミクスという政治的略取というべきだ。一般庶民のペテン的追加収奪なのだ!! 奪われたものは、奪い返そう!!!(六)号案内へ戻る 


読者からの手紙 安倍総理の大失態と野党の追及すべき事

 今年3月10日は、死亡者10万5千人、被災者100万人といわれる東京大空襲から70年に当たります。

 朝日新聞の当日の夕刊は、東京都墨田区の都慰霊堂で大空襲や関東大震災の犠牲者を追悼する「春季慰霊大法要」(都慰霊協会主催)があった事を報道しました。

 最近高揚して勇ましい安倍総理は、何と歴代首相として初めてこの法要に出席し「過去に謙虚に向かいあい、悲惨な戦争の教訓を深く胸に刻み、世界の恒久平和のために貢献していく」と述べて、「度重なる国難を乗り越えてきた先人たちにならい、私たちも明日を生きる世代のために手をたずさえ前を向いて歩むことを誓う」と語りました。

 ここで私は安倍総理の後先を考えていない大失態を指摘すると共に、この失言を梃子に野党の諸君は断固としてこの間の政府の姿勢を追及すべきだと提案したい。

 読者は、東京大空襲訴訟をご存じでしょうか。この訴訟は、この東京大空襲の被害者や遺族ら130人余りが「軍人やその遺族などには遺族年金などの手厚い援護があるのに民間被災者が救済されないのは、法の下の平等を定めた憲法に反する」と主張して、国に謝罪と賠償を求め提訴したものです。昨年2013年5月9日、延々と続いていたこの裁判は、最高裁判所が原告の上告を認めない決定を出し,被害者や遺族の訴えをすべて退けた判決が確定しました。

 一体何という国に私たちは生きているのでしょうか!!

 戦後、軍人たちに支払われた遺族年金は1兆円にも及びます(これらの遺族らで作られた日本遺族会が強固な自民党の支持団体のは必然)。つまり「国難」に対処した戦死は「補償に値する」が原告らが「民間人の空襲死に対して差別するな」は除外だとの論理です。

 ところがヨーロッパ諸国では、このような破廉恥で非人道的な差別はありません。ベルリン陥落前の凄まじいドレスデン空襲には、ドイツ政府が軍人や民間人の区別なくその被害を補償しています。この点を安倍総理は、是非とも今来日中のメルケル首相に確かめて、歴代日本の総理の対応の誤りをただちに謝罪すべきでしょう。

 さらに安倍総理は、東京大空襲を「国難」として歴代始めて慰霊祭に参加したのですから、一歩進め国家の責任を明言して余りにも遅きに失した事ではありますが、きっちりと遺族に謝罪と賠償をすべきでしょう。それこそが『美しい国へ』の総理でしょう。

歴代総理大臣が東京大空襲の法要に参加しなかった理由を知らなかったから、「私は参加したのであり、私も国家に責任はないと考えている」というなら、なぜわざわざこの法要に参加して「国難」とまで明確に言い切ったかを明らかにしなければならないし、野党のこの点を厳しく追及しなければならない。(稲渕)


 読者からの手紙 子供は社会の子、時代の子です

 名古屋大学の女子学生の殺人事件と共に川崎市中1少年殺害事件は、日本社会へ実に大きな衝撃を与えた事件でありました。特に川崎で起きた殺人事件は私にとって他人事ではなく、この事件で二点において接点がある私は深刻に考え込んでしまったのです。

 3月2日のインホシークニュースは、]

「川崎市の河川敷で中学1年生の上村遼太さんが殺害された事件で、逮捕された少年のひとりが、テロ組織『IS(イスラーム国)』になぞらえ、自らのチームを『川崎国』と名乗っていたことが分かった。

『俺らは法律関係ない。自分たちのルールで動く。川崎国だ。逆らったら、生きたまま首を切るよ』

 今回逮捕された夜間高校に通う18歳の高校生らは、地元で中高生を見つけると、こう凄んでいたという。上村さんを連れて歩いていたというウワサには心配する同級生も多かったようだが、逮捕前で事件との関連性が分かっていない段階から、彼らを知る地元少年たちからは『テロ事件の影響を受けていた』という話が聞こえた。(中略)

 逮捕少年は『川崎国に入れ。特攻隊長に任命してやるよ』などと勝手に役職をつけては、強引な勧誘をし、自分たちに外国人名のニックネームをつけているようだったという」「川崎国」とはよくぞいったものです。私の中学生時代はよく多摩川の河川敷を訪ねました。特に土曜日の昼は、午後からの部活の前に京急本線の渡河橋の北側で過ごす事が多かったのです。そしてこの渡河橋の南側が、今回殺人が成された現場でありました。

 接点の第一は、私が通っていた中学は多摩川の河川敷内にある下水もない在日の住む地域を学区に持つ中学で、学校間の抗争事件が多くて当時はワルがいる所としても有名でした。相手校は、川崎南部の学校でした。私が通っていた当時も大師プールは、ワルのたまり場だから行かない方がよいと告げられて、その為、私はいつも北部にあるプールに入ったものの大師プールには行った事がありませんでした。

 殺された少年は大師中学の生徒であり、そのあだ名はカミソンでした。この呼び名を聞いて私は在日かとも思いましたが、この点はいまだにはっきりとは分かりません。彼の母親は生活保護を受けていました。また彼を殺害した子供たちはほとんど高校は中退しているようです。中でも主犯の少年は、一時期市立川崎高校の定時制の生徒でした。彼も父親が再婚の在日で、母親は日本語が片言だと報道されたのです。ネットではフィリピン生まれと書かれています。そして両親とも息子を叱れない放任の親だと糾弾されたのです。

 接点の第二は、私も一時期、ネットに出回る彼の家がある観音町に住んでいました。私が住んでいた当時は、いかにも川崎の典型的な労働者街でした。その近くに浅田の焼き肉屋街、戦争中朝鮮人を酷使した日本鋼管があり、彼らの居住地がある鋼管通りがあります。

 今はコリアンタウンとして有名になっていますが、私がいた当時は差別が日常的でありました。私が通った高校では、川崎駅前のパチンコ屋街から通っていた生徒が中心となり文芸部の機関誌『煤煙』を武器に、果敢に論陣を張っていた事を思い出します。

 人は誰でも社会の子、そして時代の子です。まさに私が高校一年の時、『資本論』刊行百年でした。現在、いまだ政治に関心があるのはまさにこうした環境の影響でしょう。

 ネットでは、川崎警察は在日に対してその弱腰を糾弾する声が多くあります。確かに川崎警察が殺人事件を起こす原因となった暴行事件をいい加減に処理していた事で、この大事件を防遏できなかった弱みから、事件発生後は警察発表の垂れ流しが続いています。

 新聞記者もそれを何らの検証もなく、唯々諾々と警察のご高説をそれが恰も事実であるかの如くに報道して、新聞自体も何ら恥とも感じない驚くべき事態が進行しています。

 今必要な事は、こんな凄惨な事件がなぜ起こったのか、本当に防ぐ事は出来なかったのかについての事実の検証作業です。既に何度も被害者から出されていたサインを無視し見殺しにしてきたのは一体誰だったのでしょうか。学校長と川崎警察には責任がありますが母親をまず糾弾する、賢しらな後出しじゃんけんの批判を仕掛ける無責任ぶりです。

 特に私が考えるのは、「イスラム国」が起こした人質事件報道の過熱ぶりとテレビを始めとするマスコミ報道姿勢の野次馬根性の徹底的な糾弾ではないでしょうか。もっともっと配慮が必要でした。まさに報道が犯人たちに首を切ってみたいと思わせたからです。

 さらにいえば、安倍内閣の「政治とカネ」問題からの目くらましの為、この事件を極限までに利用しさらに少年法改正にまで誘導しようとする自民党の姑息な目論みを断固暴露する事が、現段階での野党の闘いの筋道ではないか、という事なのです。 (清野)号案内へ戻る 


 編集後記

 東日本大震災と原発事故からはや4年、どのメディアも特集記事を組んでいた。改めて地震や津波被害の大きさへの衝撃の思いや原発事故の過酷さを感じた方も多かったと思う。それでも何事もなかったかのように再稼働に突き進む安倍政権、呆れ代えざるを得ない。

 その安倍首相、ドイツのメルケル訪日では、痛いところを突かれた格好だ。同じ保守政権なのに、ドイツではナチスの戦争犯罪をいまだに追求し続け、また福島原発事故を受けて原発ゼロも政治決断もした。それなのに……。

 安倍政権はいま集団的自衛権の行使容認を実現する安保法制づくりにご熱心だが、そんなことをやっていれば、アジア諸国、なかでも中韓との和解など、雲の彼方だ。それを気づかせられるのは、ドイツのメルケルではなく、日本の私たちの闘いを於いて他にないのだろう。      (H)

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