ワーカーズ534号 2015/4/15  号案内へ戻る
 
 何のため! 天皇のパラオ訪問--- 過ち繰り返す皇室報道!

 4月8・9日、天皇夫妻がパラオを訪問し、これに関する新聞、テレビ報道がこれでもかとたれ流された。まるでアキヒトが平和を愛する人物であるかのように、「両陛下の慰霊の旅」を賞賛している。パラオにおいて「先の大戦で亡くなった全ての人々を追悼し、遺族の歩んできた苦難の道をしのびたい」と挨拶したとあるが、アキヒトにその資格があるのか。

 大日本帝国は第一次大戦後、パラオ諸島を含む南洋群島を委任統治した。戦前の子どもたちが熱中した「冒険ダン吉」は、南の島に漂着したダン吉が「土人」を征服し王様となり楽園を建設するという、八紘一宇(天皇を中心とした世界統一)の南洋版の物語だった。

「委任統治地域では、国語(標準語)を使うのか、行政機関・国策会社につとめるのかなどが基準になり、『一等国民日本人、二等国民沖縄人あるいは朝鮮人、三等国民島民』という序列ができていた」(東京書籍「日本史A」109ページ)

 こうした日本統治の30年の1面を神戸新聞が報じている。公学校では「一つ、私どもは日本人です」「一つ、私どもは天皇の赤子です」と唱和する一方で、「放課後には日本人の家庭で家事を手伝う『練習生制度』があった。『奥さんは風呂場にお金を置いて私が泥棒かどうか試しました。・・・』」という実態だった。

 天皇夫妻は激戦地ペリリュー島も慰霊に訪問したが、「玉砕の方が楽だった」といわれる戦闘(洞窟持久作戦)の犠牲者たちにとって、何の慰めにもならない。また、島民にとっては何の関係もない戦争だ。東京新聞も、「三千キロも離れた皇居に向かって敬礼する『宮城遥拝』を、毎日欠かさなかった。『なぜ、この島で戦争をしたの。私たちには関係ないことなのに』」という島民の声を紹介している。

 過剰な皇室報道、〝佳子さまフィーバー〟を含め天皇制の罪を不問に付し、浮かれるマスコミは再び過ちを繰り返そうとしている。アキヒトは民主的象徴天皇制を背負っているが、ヒロヒトの罪を消すことができないことを知るべきだ。戦争勢力による皇軍兵士の復活を許してはならない。 (折口晴夫)


 「エイジの沖縄通信」(NO-8) 翁長・菅会談から見えてくるもの

 注目を集めた翁長・菅初会談は、ボクシングで例えれば「翁長氏の圧倒的判定勝ち」であろう。残念ながら「ノックアウト」(工事中止を確約させること)は出来なかったが、会談内容は翁長知事の方が圧倒的に説得力があった。

 私の知人が沖縄の年配者から次のような事を言われ、強く印象に残ったと教えてくれた。

 「辺野古は負ける気が全然しないんだよね。こういう感覚はこれまで経験したことがない・・・」「この1年余、沖縄は辺野古をテーマに、政界も経済界も労働団体も市民団体も必死に学んできたと思う。『オール沖縄』とはその結果でもあるのだ。」

1.「翁長知事頑張れ」会談ホテル前に1500人が激励に!

 会談会場のホテル前には、翁長知事を激励しようと県民1500人が集まった。

 翁長知事の車が県民の間を通過すると、「頑張れ、頑張れ、翁長」と、何度もエールが起こった。翁長知事も車の窓を開け、県民に笑顔で応じた。一方、会談後の菅官房長官を乗せた車は県民らの猛抗議の声を受けながら、逃げるように猛スピードで走り去った。

 東京から政府要人が来て沖縄知事と会談する場所は、県庁内が当たり前であった。ところが、仲井真前知事の時から会談場所を県庁から市内ホテルでやることが多くなり、悪習慣が目立つようになった。今回沖縄県は、県庁もしくは知事公舎での会見を提案したが、官房長官側がホテルでの会見に固守したと言う。

 翁長知事の冒頭発言の中で、多くの県民が一番喜んだのは「粛々という言葉を使えば使うほど、県民の心は離れ、怒りは増幅していくのではないか」とくぎを刺した言葉だと思う。菅官房長官の常套句の「粛々と進める」という言葉は、沖縄県民を無視し馬鹿にした言葉で許せない。

 その後、菅官房長官は「粛々という言葉」は使わないと表明したが、安倍首相は8日の参院予算委員会で、松田議員の新基地建設の賛否を問う住民投票に対して、「既にある法令にのっとって粛々と進めていくわけで、上乗せして法律をつくる必要はない」と答弁した。これを聞いて、やはり「粛々発言自粛表明」は表面的な配慮にすぎず、真剣に翁長知事ら県民の声に耳を傾けようとする姿勢が安倍政権にはないのだ。

2.「三つのウソ」の破綻!

 会談でも菅官房長官が何を言ったかと言えば、「沖縄の負担軽減」「普天間の危険性除去のために辺野古が唯一の解決策」、そして「抑止力」だ。これが安倍政権の主張である。
 しかし、もうこの三つの主張はとっくに破綻している。

 あの森本元防衛相が在任時、普天間の移設先について「軍事的には沖縄でなくてもよいが、政治的に考えると沖縄が最適の地域だ」として、政治的状況を優先した結果、移設先が辺野古となったことを明らかにしている。

 沖縄の皆さんは、普天間の閉鎖と辺野古新基地建設は別の問題だと前からはっきりと述べている。

 「普天間の即時閉鎖・返還」については、沖縄戦で強制収容されているうちに米軍基地になった。また、住んでいた土地を銃剣とブルドーザーで取り上げられ米軍基地になった。もう70年間もその占領が続いている。いい加減に返してくれ!。

 「辺野古新基地建設」については、戦後、沖縄県が自ら基地を提供したことはない。まして、この新基地は海兵隊・海軍・空軍すべてが活用する超巨大基地。かつ耐用年数200年という半永久基地でもある。基地建設費用は1兆円以上。これで沖縄の負担軽減と言えるのか。軽減ではなく強化だ!。

3.会談における翁長知事の冒頭発言の全文紹介

 かなり長い全文の紹介となるが、とても素晴らしい発言内容であること、また沖縄を理解する意味でも全部を読んで欲しいと思う。(富田英司)

★「翁長知事の冒頭発言の全文紹介」

 お忙しい中、時間を割いていただき、意見交換の場をつくっていただいたことに感謝を申し上げたい。
 官房長官からも話があったが、沖縄は全国の面積のたった0・6%に74%の米軍専用施設が置かれている。まさしく戦後70年間、日本の安全保障を支えてきた自負もあり、無念さもある。今、官房長官からそういったことに対して大変理解のある言葉をもらった。そうであるならば、去年の暮れ、あるいはことしの初め、どんなに忙しかったかは分からないが、こういった形で話をする中で「物事を粛々と進める」ということがあったら、県民の理解ももう少し深くなったと思う。
 私は日米安保体制が重要だというのは、私の政治の経歴からいっても十二分に理解している。しかし日本の安全保障を国民全体で負担するという気構えがなければ、今、尖閣の話もあったが、たった1県のこの沖縄県に多くの米軍施設を負担させて日本の国を守るんだと言ってもよその国から見るとその覚悟のほどがどうだろうかと思う。
 日本国民全体で負担する中で、日本の安全保障や日米安保体制、日米同盟をしっかりやってほしいというのが私の気持ちだ。
 オスプレイなどが本土で訓練する話もあったが、残念ながらいわゆる基幹基地を本土に持って行くという話がないから、訓練をしていずれ全て沖縄に戻ってくるのではないかという危惧は、今日までの70年間の歴史からすると、十二分に感じられることだ。不安がある。
 そして、どんなに言っても米軍の運用に自分たちは口を挟めないんだという形で物事が終わってしまう。環境問題もさることながら、日米地位協定の改定も抜本的な意味合いでやってもらわないと。沖縄の危惧は今の日米地位協定の中では解決しにくいと思っている。
 今日まで沖縄県が自ら基地は提供したことはないということを強調しておきたい。普天間飛行場もそれ以外の取り沙汰される飛行場も基地も全部、戦争が終わって県民が収容所に入れられている間に、県民がいる所は銃剣とブルドーザーで、普天間飛行場も含め基地に変わった。
 私たちの思いとは全く別に全て強制接収された。自ら奪っておいて、県民に大変な苦しみを今日まで与えて、そして今や世界一危険になったから、普天間は危険だから大変だというような話になって、その危険性の除去のために「沖縄が負担しろ」と。「お前たち、代替案を持ってるのか」と。「日本の安全保障はどう考えているんだ」と。「沖縄県のことも考えているのか」と。こういった話がされること自体が日本の国の政治の堕落ではないかと思う。
 日本の国の品格という意味でも、世界から見ても、おかしいのではないかと思う。この70年間という期間の中で、基地の解決に向けてどれぐらい頑張ってこられたかということの検証を含め、そのスピードから言うと先にはどうなるのか。これもなかなか見えてこないと思う。
 一昨年、サンフランシスコ講和条約の発効の時にお祝いの式典があった。日本の独立を祝うんだという、若者に夢と希望を与えるんだという話があったが、沖縄にとっては、あれは日本と切り離された悲しい日だ。そういった思いがある中、あの万歳三唱を聞くと、沖縄に対する思いはないのではないかと率直に思う。
 27年間、サンフランシスコ講和条約で日本の独立と引き換えに米軍の軍政下に差し出されて。そして、その27年の間に日本は高度経済成長を謳歌した。その間、私たちは米軍との過酷な自治権獲得運動をやってきた。想像を絶するようなものだった。
 官房長官と私は法政大学で一緒だが、私は22歳までパスポートを持ってドルで送金受けて日本に通った。そういったものなどを思い浮かべると、あの27年間、沖縄が支えたものは何だったのかなと思い出される。
 そして、官房長官が「粛々」という言葉を何回も使う。僕からすると、埋め立て工事に関して問答無用という姿勢が感じられる。その突き進む姿は、サンフランシスコ講和条約で米軍の軍政下に置かれた沖縄。その時の最高の権力者だったキャラウェイ高等弁務官は「沖縄の自治は神話である」と。「自治は神話」だとあの当時に言った。
 私たちの自治権獲得運動に対し、そのような言葉で、キャラウェイ高等弁務官が言っていて、なかなか物事は進まなかった。
 官房長官の「粛々」という言葉がしょっちゅう全国放送で出てくると、何となくキャラウェイ高等弁務官の姿が思い出される。何か重なり合う感じがして、私たちのこの70年間、何だったのかなと率直に思っている。
 そして、この27年間の苦しい中で強制接収された土地を、プライスさんという人がきて、プライス勧告というもので強制買い上げをしようとした。とても貧しい時期だったから、県民は喉から手が出るほどお金がほしかったと思うが、みんなで力を合わせてプライス勧告を阻止した。
 今、私たちは自分たちの手の中に基地(の土地)が残っている。こういった自治権獲得の歴史は「粛々」という言葉には決して脅かされない。そう思っている。上から目線の「粛々」という言葉を使えば使うほど、県民の心は離れて、怒りは増幅していくのではないのかと思っている。私は辺野古の新基地は絶対に建設することができないという確信を持っている。
 こういう県民のパワーが私たちの誇りと自信、祖先に対する思い、将来の子や孫に対する思いというものが全部重なっていて、私たち一人一人の生きざまになってくる。こういう形で「粛々」と進められるものがあったら、絶対に建設することはできない、不可能になるだろうなと私は思う。そうすると、建設途中で頓挫することによって、起こり得る事態は全て政府の責任だ。世界が注目しているので、日本の民主主義国家としての成熟度が多くの国に見透かされてしまうのではないかなと思っている。
 官房長官にお聞きしたい。ラムズフェルド国防長官(2003年当時)が「普天間は世界一危険な飛行場だ」と発言し、官房長官も国民や県民を洗脳するかのように「普天間の危険性除去のために、辺野古が唯一の政策」と言っている。辺野古基地ができない場合、本当に普天間は固定化されるのかどうか、聞かせていただきたい。
 ラムズフェルドさんも官房長官も多くの識者も世界一危険な基地だと言っているのに、辺野古ができなかったら固定化ができるのかどうかこれをぜひお聞かせ願いたい。
 普天間が返還され、辺野古に行って(面積が)4分の1になるという話がある。それから嘉手納以南の相当数が返されると言うんですが、一昨年に小野寺前防衛大臣が来た時に「それで、どれだけ基地は減るのか」と聞いたら、今の73・8%から73・1%にしか変わらない。0・7%だ。
 なぜかというと那覇軍港もキャンプキンザーもみんな県内移設だから。県内移設なので、普天間が4分の1の所に行こうがどうしようが、73・8%が73・1%にしか変わらない。
 官房長官の話を聞いたら全国民は「相当これは進むな」「なかなかやるじゃないか」と思うかもしれないけれど、パーセンテージで言うとそういうことだ。
 それからもう一つ。那覇軍港やキャンプキンザーなどは2025年まで、2028年までには返すと書いてあるが、その次に「またはその後」と書いてある。これは日本語としてどうなんだと思う。
 2025年、2028年までに返すんだと書いておいて、その次に「またはその後」という言葉が付いている。「ハナシクワッチー」と言って、沖縄では話のごちそうという言葉がある。いい話をして局面を乗り越えたら、このことにはまた知らんふりというのが、戦後70年間の沖縄の基地の問題だったと思う。だから、今こうしてオスプレイをどこそこに持って行くあるいはたくさんの基地が返るんだという話をされても「またはその後」が付けば、「50年ぐらい軽くかかるんじゃないか」という危惧を県民はみんな持っている。
 こういうところをぜひ、ご理解いただきたい。そして、安倍総理が「日本を取り戻す」と2期目の安倍政権から言っていた。私からすると、取り戻す日本の中に沖縄が入っているのか、率直な疑問だ。
 「戦後レジームからの脱却」ということもよく言うが、沖縄では「戦後レジームの死守」をしている感じがする。一方で憲法改正という形で日本の積極的平和主義を訴えながら、沖縄でこの「戦後レジームの死守」をすることは、本当の意味の国の在り方からいくと納得しにくい。
 昨日、一昨日の官房長官の「沖縄県民の民意」というものがあった。「いろんなものがあってあの選挙を戦ったんだよ」と。「だから(民意は)いろいろあるでしょう」という話があったが、昨年度の名護市長選挙、特に沖縄県知事選挙、衆院選挙の争点はただ一つだった。前知事が埋め立て承認をしたことに対する審判だった。テレビ討論や新聞討論で(議題は)教育、福祉、環境いろいろあるが、私と前知事の政策に、埋め立て承認以外では違いがなかった。
 あの埋め立て承認の審判が、今度の選挙の大きな争点であり、10万票差で私が当選したということは、もろもろの政策でやったものではないということを、ぜひ理解してほしい。辺野古基地の反対について県民の圧倒的な考えが示されたと思っている。
 振興策の話もしていたが、沖縄県はいろいろ難しいところがある。例えば基地があることによって困ったことは何だったかというと、あの9・11の(米国)ニューヨークのテロでビルに飛行機がぶつかったときに、大変なことが起きたなと思ったら、1週間後には、沖縄に観光客が4割来なくなった。そして4割来ないということは大変な出来事で、あのときの沖縄の苦しみというのは大変だった。
 そして尖閣も日本固有の領土だし、守ることは結構だ。しかし、あの尖閣で何か小競り合いが起きると、石垣島に来ている100万人の観光客がすぐ10万人くらいに減るという危険性も十二分に持っている。そういう視点からも、沖縄は平和の中にあって初めて、沖縄のソフトパワー、自然、歴史、伝統、文化、万国津梁の精神、世界の懸け橋になる、日本のフロントランナーとなる。経済的にもどんどん伸びていき、平和の緩衝地帯として他の国々と摩擦が起きないような努力の中に沖縄を置くべきだと思う。米軍基地があると、お互いの国とも近くて、最近はミサイルが発達しているので1、2発で沖縄が危なくなる。
 こういったことを考え合わせると、米軍もアメリカももうちょっと遠いところに行きたがっているんじゃないか。日本の方がかえってそれを止めて「抑止力」という形でやっているのではないかという疑問がある。
 アジアを見据える、あるいは中東を見据えるところまで沖縄の基地が使われるのではないかと思っているが、この辺の根本的な説明がないと、新辺野古基地というのは恐らく難しい。
 県民の今日までのいろんな思いは絶対に小さくはならない。もっと大きくなって、この問題に関して、話が進んでいくと私は思っている。
 きょう官房長官にお会いさせていただいたが、安倍総理にもこのような形でお話しする機会があれば大変ありがたい。ぜひ、その面談の手配をお願いしたい。(官房長官は)基地負担軽減担当大臣でもあるので、辺野古建設の中止をされて、しっかりと話し合いをして、基地問題を解決していただきたいと思っている。よろしくお願いします。号案内へ戻る


 アベノミクスのまやかし--- 次々露呈 経済の金融化が国民の窮乏を促進している

[東京 3月27日 ロイター]
「退職金からの投資比率減少、アベノミクスによる株高に実感薄く」

- アベノミクスによって株高は進んだが、退職金で投資している人の比率はむしろ減少していることがわかった。日本株の上昇スピードが速く、ついていけなかったこともあるが、景気回復の実感が乏しく株価とのギャップを感じることも投資を手控えさせているようだ。

退職金を日々の生活費に回す動きが低所得者層で強まるなど、株高から受ける印象とは異なる厳しい状況を示している。【ロイターここまで】

国内総生産(GDP)で見る、経済状態は、少しもよいものではないことを、まず確認しましょう。消費税増税と「リフレ(1~2%のインフレ)」の追い打ちで、勤労者の実質所得は減少し、当然個人消費も減少しました。デフレ脱却どころか安倍政権のこの2年間で経済はむしろ下降したのです。(ただし、われわれはGDPの上昇をそのまま善とみなすものではないです。)

「日本経済新聞」の統計を利用してみよう。そうすれば、日本経済の低迷は一目瞭然です。

アベノミクスが、全面展開され始めた13年4月‐6月期実質国内総生産は年率換算で528兆円だ。(消費税増税の駆け込み需要が開始されるまでGDPはこの程度の水準だ。)最新の「日経」統計にあるのが14年10月‐12月期同数値は524・6兆円となっています。

アベノミクスによる、「デフレ脱却」「成長産業育成」「あらたな景気好循環」とやらがまやかしであることはもはや疑う余地もないでしょう。GDPは成長どころか下降しているというのが冷徹な事実です。

「暗黒の民主党政権時代」などと言ってますが、さらに悪いのが、安倍政権時代。しかも、消費税+リフレのために実質賃金が低下する一方、賃上げが資本により抑えられ、すっかり取り残され勤労者・年金生活者の生活は苦しさを増すばかりです。経済停滞の中で、格差が拡大するという、最悪の時代、それが安倍政権時代なのです。

だから以下のような次第となります。

■金融大緩和を利用して儲けたのは誰れ?

【同上ロイター】実際、退職金を日々の生活費に使うという人は低所得者層を中心に多くなっている。退職前の年収が300万円未満の層について回答内容を精査すると、退職金の使用目的として「普段から日々の生活費として使う」とした人は、2011年の調査時点の46.0%から60.5%に大きく上昇している。「ローンや負債の返済」も13.0%から20.0%に増加。退職金を投資に回す余裕が乏しいことを示している。【ロイターここまで】

現在の株式市場の「活況」は、「官制相場」なんて言われています。政府の指導の下で法人・機関投資家をあおってきました。具体的にはGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)をはじめとする、「公的資金の買い」なのです。これからの投入資金はGPIFが7.1兆円、共済年金(公務員等の年金)が3.4兆円、かんぽ生命が3.4兆円、ゆうちょ銀行が10.3兆円、日本銀行が3兆円の合計27.2兆円あるとか(UBS証券の推計による)。

さらに指摘すれば、この「官制の上げ相場」めあてに海外系の投機資金が入り込んでいます。一方、庶民の投資家は、すでにこのギャップの深さに腰が引けているのが現状なのです。つまり、経済の低迷と株の異常高という相反する事態に危険を感じて、手を出せないのが現状です。退職金を株で掏(す)っては元も子もないからです。貯蓄や生活費に回したほうが、確かに賢明でしょう。

「官制相場」は資金が枯渇しかければ幕引きとなりますから、がけっぷちを歩いているようなものです。

日経平均株価は、この数か月さらに上昇し二万円直前ですが、それは先進諸国では例外的な、比較的好調な米国景気をテコとして米国株がどんどん上がっており(それにしても上がりすぎの観あり)、機関投資家たちがそれに追随した面と、日本国内の金融大緩和にあおられての株高でしょう。安倍政権の金融緩和政策、株高政策が、どの勢力を利したかはこれまた明白です。

【同上ロイター】NISA(少額投資非課税制度)も始まったが、日本証券業協会のまとめによると、昨年末に主要証券会社10社で約406万あった専用口座のうち、1年間で株や投資信託などの購入に使われたのは45.1%と半分以下だった。株高は進んだが、その資産効果を日本人が十分享受できていない状況だ。【ロイターここまで】

安倍首相は、たしか去年の国会で、賃金所得の低下が1年以上続いているという指摘に対して、「(金融資産の上昇による)資産収入で豊かになる」旨述べていました。ここでもまたアベノミクスは国民を裏切っているのです。豊かになったのは、
大金融緩和を利用して運用した法人たちなのです。大企業の史上最高の経常利益にもこの事実が反映されているでしょう。

ピケティの指摘のごとく、このままでは大資産家はますます富み栄、持たざる者・賃金所得者は、ますます窮乏化を深めているのです。

■雇用情勢は今後、労働者に有利に

【同上ロイター】本日発表された2月の完全失業率(季節調整値)は3.5%に低下。有効求人倍率(季節調整値)も1.15倍と約23年ぶりの高水準となったが、「(求人は)建設業など一部のセクターに集中している」(SMBC日興証券・日本担当シニアエコノミストの宮前耕也氏)との指摘もある。労働人口減少が進む中で、高齢者の雇用増加が求められているが、現実は厳しい。【ロイターここまで】

安倍政権は、ことあるごとに雇用情勢の「回復」をまるでアベノミクスの成果のごとく喧伝(けんでん)してきましたね。しかし、喜ぶのはまだ早い。そうではないのです。

現状は、ロイター指摘のようなマダラ状態にすぎないが、さらに、今後、企業が戦慄する時代が待ち受けているのです。

たとえばです。雇用情勢で、有効求人倍率が二十三年ぶりの高さだとか、失業率三・五%もリーマンショックの五年前よりかなり低下した(九十年代の水準)とかの新情勢は労働者にこそ有利なのです。

これは、一自民党政権の政策云々にとどまらない深い資本主義の困難を暗示しているのです。問題は日本の総人口の減少とそれに連動した、労働力人口の減少さらに就業労働者人口の減少という、企業・資本家にとって由々しき問題の予兆となっているのです。

労働力の大不足時代はすぐそこにやってきているのです。

企業は、不景気であっても人手不足だ、というかつてない深刻な問題に直面しつつあるのです!この事態は「アベノミクスが雇用を改善させた」のではなく、史的必然として迫っているのです。ひと騒ぎとなった、安倍首相の元ブレーン・曽野綾子氏の「移民+アパルトヘイト制度」の提案なども偶然のことではないでしょう。

労働者は、とりあえず労働者分配率を上昇させる、大きな好機になしうるのです。

とはいえ、長期的には労働市場だけの問題ではなく、地方の過疎化の進行などを加速する可能性もあり、他方面にわたる社会問題として浮上するでしょう。

後に稿を改めて論じてみましょう。(文)

追記【ロイター記事4/1】

雇用は引き続き、ひっ迫した状況が続いている。雇用人員判断DI(過剰─不足)は全規模全産業でマイナス17と人手不足感が拡大。規模・産業別にみてもすべてが不足超方向の動きになっている。水準としては、大企業が08年のリーマンショック前、中小企業は1990年代前半までさかのぼるひっ迫状態となる。【ロイターここまで】号案内へ戻る


 色鉛筆 ・・・ママお仕事行かないで

4才の太郎は、看護師の母親の育休明け、1才から2年間病院内の保育園にお世話になった。飲食店に勤める父親との3人暮らしだ。

昨年4月からは、住む町の町立保育園に通っているが、第一希望には入れず第三希望の保育園となったため、自宅からも、母親の通勤路からも遠い。母が日勤の朝は、園の駐車場で7時15分にカーテンが開くのを待っての登園。夕方のお迎えは、7時15分までの延長保育をお願いしているものの、たまに仕事が終わらなかったり渋滞に巻き込まれ、間に合わない時もあり、園から「もう少し早く来れませんか?」と言われてしまうことも。救いは、朝も一番、夕方も「最後の1人」になる太郎が元気に通園してくれることだ。

一年前の、保育園が替わったばかりのころには「嫌だー」とよく泣いたが、いまではすっかり慣れて、たまに早く迎えに行くと「もっと遅く来て。まだ遊びたい。」と言うまでになった。発熱・下痢・嘔吐などの病気になった時も、母親が夜勤に出る前の昼間や夜勤明けに、看病と小児科受診という、母親曰く「ぎりぎりの綱渡り」で乗り切ってきた。大病ではなかったから幸運だった。

そんな太郎が3才の時、「ママお仕事行かないで」と泣いたことがあった。年末で保育園は休園。飲食店勤務の父親に預けられたものの、夕方、店が忙しくなった父親の手を焼かせたのか、店の外に停めた父の車の中で1人半べそをかいて母親を待っていた。外は暗くなりかけている。母親の顔を見たとたん「ママお仕事行かないで。」(ママがお仕事行かないと、太郎ご飯もお菓子も食べられなくなるよ)「太郎お菓子食べないから、お仕事行かないで」。心細く淋しい思いをした。

「政府の子ども・子育て会議において、政府が待機児童解消の目標年度とした2017年度に、0~2歳児保育の受け皿が5万人分不足、学童保育は8万3000人分が不足」(「ちいさいなかま」3月号)「年収360万円未満5歳児、保育料来年度無償化見送りへ」(朝日新聞2014年11月28日)

この国の保育行政は、貧しい。貧しさは増す一方だ。4月からスタートの「子ども・子育て支援新制度」もたくさんの問題を抱えている。

 それでも新年度に、子ども達とその家族へ心からの応援を送ろう。

4月、元気に通園する太郎の傍らで、新人看護師に仕事を教えながらの勤務になり、時間どうりに保育園に迎えに行けるか心配している母親がいる。(澄)


 労働者人口の歴史的減少と雇用情勢---労働者は有利な雇用情勢を利用しよう

■景気は良くないのに雇用情勢は良い?

私の会社の話からしましょう。

八十年代バブル末期に、入社した。そのためか当時は社員をどんどんとり、パートも増やしていた。人手不足で賃金もそこそこ上昇。拡大路線です。

だが、ご存じのバブルのはれつがあり、九十一年ころには経済の降下はかんじられた。拡大経営路線の社長が追い詰められ、追放など内紛も生み出し、その後はけちけち倹約路線へと転換になったという次第。

そのながれで雇用スタイルの変化にもつながってきたのが、二千年前後か。

まず、社員は例外的にしかとらない。社員一人をとるなら、そのかわりパート二人をとる。パートも勤務を緩めに取り、二人の仕事を三人にやらせる。勤務時間制限をして「余計な出費を避ける」。つまり会社主導のワークシェアリングというわけです。

これで合法的(労働基準法にひっかからず)に有給休暇も社会保険負担もクリアーできると。人事のB部長の得意の手法です。しかし、あたりを見ればこの現象が、社会一般の趨勢でもあったのです。

しかし、こんな流れも、ここにきて少し変化がみられるかもしれない。

被災地だから補助金目当てもあるだろうが、社員をかなりとるようになってきたのです。B部長のボヤキによれば中小企業では「正社員募集」でなければ人は来ません、これは事実です。

そのうえ被災地にあっては、新規雇用に補助金が付く。とりわけ正社員採用は累計数百万円になると聞いています。このお金は、会社に全額入るというのだから、これ自体ふざけた話でもある、がここではこれ以上は触れないことにさせてください。

このようなわけで、B人事部長の「非正規路線」は若干の手直しがなされています。

こうした、人手不足と労働力確保のための方針の変更は、気が付いてみれば、被災地だからということでもなく、全国的現象になってきたようです。

そういえば、今を時めくリフレ派の浜田宏一氏も、同じ考えであることを最近知りました。かれは安倍首相の「官制春闘」を意外にも批判して、「賃上げをすればすべてが台無しになる」「量的緩和策=リフレ路線のココロは、賃上げではなくワークシェアリングにある」(主旨)と教えを垂れていますね。

私に言わせれば、飛ぶ鳥を落とすリフレ派の巨頭で安倍政権のブレーン・浜田宏一氏(東京大学 名誉教授 、イェール大学 名誉教授 )も、つまりは三流企業のB人事部長ーー全国にいくらでもいる人たちですーーの後追いをしているとしか見えないのですが。理屈の付け方がよほどうまいのでしょうね。

■今後、労働力人口は急速に減少する

日本の人口は2005年以来、減少に転じています。しかし、そのピークに先行して労働力人口はすでに減少に転じています。労働力人口(就業労働者+完全失業者)は、1993年には減少に転じています。就業労働者人口の減少は1991年にピークから減少に転じています。だいぶ昔のことですね。

しかし、総人口の停滞や減少もそして労働力人口の減少も、これまでは大幅なものではありませんでした。

いま、総人口の減少のさなかに、第一次ベビーブーム世代の労働市場からの退場が進行中いうことが大きなエポックなのでしょう。

労働力人口は、1993年のピークから今年までの三十余年間に約二百万人が減少しています。ところが予想によれば25年までの今後十年間で三百万人の減少があるとみられています。(中小企業庁作成資料)

現在の雇用情勢の労働者にとっての一見「好転」とも見られる背景にはこれらのことがあるのです。くり返しますがアベノミクスの成果ではありません。

【ロイター記事4/1】
雇用は引き続き、ひっ迫した状況が続いている。雇用人員判断DI(過剰─不足)は全規模全産業でマイナス17と人手不足感が拡大。規模・産業別にみてもすべてが不足超方向の動きになっている。水準としては、大企業が08年のリーマンショック前、中小企業は1990年代前半までさかのぼるひっ迫状態となる。【ロイターここまで】

[東京 3月27日 ロイター]
「失業率3.5%に改善、非正規が初の減 求人倍率23年ぶり高水準」
- 総務省が27日発表した2月の完全失業率(季節調整値)は3.5%となり、前月の3.6%から小幅改善した。非正規の職員・従業員数が前年比15万人減となり、比較可能な2014年1月以降で初の減少となった。

厚生労働省が発表した同月の有効求人倍率(季節調整値)は1.15倍と約23年ぶりの高水準となった。

総務省では労働市場からの退出の動きが見られているものの、仕事探しが就業に結びついていることに加え、就業者の増加傾向が続いており、「雇用情勢は総じて改善傾向が続いている」と判断している。

また、2月は非正規の職員・従業員が1974万人と前年比で15万人減少した。前年比で減少するのは、比較可能な2014年1月以降で初めて。一方で正規の職員・従業員は3277万人
と同58万人増となっており、総務省では人手不足感が高まる中で、雇用確保の観点から非正規から正規への転換を含め、正規の従業員を増やす動きが出ているとみている。【ロイターここまで】

■「雇用逼迫」と賃金低下?

長い低成長のなかで、この2年は景気がさらに急落しましたね。そのきっかけが、消費税増税とインフレ(低インフレ=リフレ)であったことは今ではあきらかなことです。ここにきて景気急落は落ち着いてきたようですが、14年度の経済成長はマイナスの公算が大です。15年度もあまりパッとした話はありません。日銀短観(三月期)によれば企業による「今後の景気見通し」は、現状維持から下降と判断しているようです。

こんな状態で、失業率が改善し、雇用逼迫が生じるのは、やはり際立った現象です。このような統計指標は、随時変動するのが常ですが、今後も注目です。

他方では、「雇用情勢の改善」とは裏腹に、22か月連続で実質賃金収入の減少が報じられました。

このような事象は、残念ながら低インフレを通じて実質賃金所得が抑えられる一方では、非正規雇用などで、雇用自体は拡大するということを示唆しています。いわゆる「雇用の劣化」の問題です。

つまり、私の会社のB人事部長たちが実践し、リフレ派の浜田宏一氏などが「理論化」した社会的「ワークシェアリング」がかなり拡大したということなのでしょう。このように理解する必要があるでしょう。

正規雇用への回帰もあるとはいえ、労働現場では、正規社員を頂点として、準社員、契約社員、季節雇用、派遣社員、各種パート、委託業務などの再編が浸透しているものと推測されるのです。

かれらは「ベストミックス」という言葉をよく使います。人事体制の「ベストミックス」。つまり雇用の確保と労賃の抑制の両立を目指しています。「正社員の復権」もこのままでは大きな期待を持つことができません。これが資本の基本認識でしょう。

この現状を「好循環」に持ってゆくには労働者の団結が今こそ効果的であり、非正規雇用化と賃金低下への歯止めをかけることができます。(文)号案内へ戻る


 何でも紹介・・・ 海野光弘版画記念館を訪ねて

 東京新聞の本音のコラムで斉藤美奈子さんが「不世出の版画家」として紹介していた「海野光弘版画記念館」を先月、友人と一緒に訪ねた。

私は同じ県内に住みながら記事を読むまでは海野光弘さんのことは何も知らなく、斉藤美奈子さんも「川越遺跡」を見るために訪れると未知の版画家と出会ってしまったという。

島田宿(静岡県島田市)は東海道五十三次の江戸から数えて二十三番目の宿場町。

「越すに越されぬ大井川」で知られる川越しの拠点である川越遺跡は、道の両側に水が流れ、旅人が川札を買った「川合所」をはじめ、川越し人足が詰め所としていた「番宿」や「札場」などがあり、訪れたのが3月だったのでおひな様も飾られ江戸時代の町並みの雰囲気が感じられた。

路地裏に入っていくと仲間の井戸があり、つるべ井戸は水道が敷かれる1954年頃まで使用されていて井桁にはその頃の利用者の名前が刻まれていたので「仲間の井戸」の由来なのかもしれない。

 街道を歩いて行くと島田市博物館分館の案内板を見つけその中に記念館はあるようだが、日本家屋がとても趣のある建物で川越遺跡の町並みとしっくり溶け合っていた。

この町屋は明治23年に建てられた旧桜井邸で、入り口の引き戸を開けると旧家の風情が漂い、畳が敷かれた受付を済ませて中に入っていくと台所には昔の懐かしい台所用品が置かれ、靴を脱いで上がるとどこの部屋からも庭が眺められゆったりとした気持ちになっていった。

日本情緒溢れる雰囲気の中で「海野光弘ベストセレクション」の企画展示が行われていて、版画とは思えない作品の美しさに心が引きつけられてしまった。海野光弘さんは、1939年、静岡市に生まれ、中学一年生で木版画に出会い、高校卒業後、東京で一年の会社員生活を経て帰郷、家業の染色業と版画家の二足のわらじをはき続け、日本中を旅してこれからという矢先の1979年に急逝され、享年39歳だった。

 日本家屋と中庭の奥に白い建物の記念館があった。作品を見ていくと今の時代にない懐かしい風景が、春夏秋冬四季折々に描かれていて、一つひとつをゆっくり見ていくと心が和み、古民家やその土地に暮らす人々の暮らしぶりの姿が版画とは思えないほど細かく描かれていて驚いた。

日本の各地の風景をスケッチし、自分の心の中に刻み込み版画制作に没頭したようで、作品の横にはスケッチや版画をしていく過程の木版も展示されていて興味深かった。

黒を基調に色を重ねていく陰刻法と呼ばれる独自の技法で、黒の部分と明るい色の対比が鮮やかで数多くの作品を残し、1977年には「縁通し」がスイス美術賞展優秀賞を受賞するなど国内外で高い評価を受けるようになったという。この作品も展示されていて、薄暗い部屋の中に人は描かれていないのに新聞や灰皿が置いてあったり、テレビがついていたりして生活臭いのにその向こうの青い田んぼは色鮮やかで、離れて見ても透明感があってとても印象的だった。

 友人と版画がこれほどのものとは思いもよらず感動してしまい、桜の花にはまだ早い時期だったが温かい気持ちになった。

また、行く時には駅からバスに乗ると反対方向に走りだし、間違えて乗ってしまったことに気がつき終点で運転手さんに話すと、「このまま乗って行って下さい。料金はいいですよ」と優しい言葉かけにも温かさを感じたりして思い出に残る小さな旅になった。(美)


 コラムの窓・・・戦争のきずあと

 もう先月のことになりますが、第二次世界大戦中に沈没した戦艦「武蔵」の映像がテレビで報じられました。71年ぶりの発見ということですが、さ迷い続けていた戦時の亡霊がよみがえったようでした。

 そして、4月7日には戦艦「大和」沈没から70年を迎えています。乗組員約3300人中、生還できたのは276人に過ぎませんでした。生き残った兵士が「死を前提とする作戦だった。それは作戦と呼べるのか」と述べているように、ただ米軍機の爆撃を待つだけの出撃、「総員死ニ方用意」(海上特攻)だったのです。海戦の主力はすでに航空機に移っていたのに、大艦巨砲を誇った「大和」はその装備の威力を発揮することもなく、艦隊全体で約4000人が戦死したとされています。

 無思慮に広がってしまった戦線が制海権・制空権を失ったところで、どのような作戦が可能であったのか、軍部は安直に「玉砕」を選んだのです。捕虜にならないという皇軍の愚かな軍規によって兵士は無駄に命を奪われ、捉えた捕虜や多くの無辜の人々を殺害してしまったのです。このことから、戦後の軍事裁判で下級兵士などが捕虜虐待で処刑となっています。

 戦艦「武蔵」の兵士も戦死への道しかなく、レイテ沖海戦の生き残りの多くが口封じにマニラ戦に駆り出されたりして戦死し、戦後まで生き延びたのは300人前後だったということです。
補給もなく多くの島々に取り残された兵士たちは、玉砕か病死か餓死という選択肢しか与えられなかったのです。

ガダルカナル島では兵士3万人のうち撤退できたのは約1万人だけ、戦死した約2万人の兵士のうち、約1・5万人は病死・餓死でした。

 天皇夫妻が激戦地のパラオ・ペリリュー島を訪問し、犠牲となったすべての戦没者を追悼し、平和を愛する象徴天皇制を印象付けました。しかし、ペリリュー島の守備隊1万人のうち生還できたのは34人、パラオ諸島に皇軍兵士を送り込み、米軍と死闘を演じさせた責任はどう取られたのか。元首から象徴となり、ヒロヒトからアキヒトになったのだからといって済ませられることではありません。

 神戸新聞は「玉砕の方が楽だった」とう生存者の言葉を紹介し、「当時、日本軍はサイパン島を失い、玉砕戦術から持久戦へ方針を転換。海岸を突破された後は、岩山などにある洞窟を陣地に抗戦を続けた」「激しい飢えとも戦う中、毎日のように続く攻撃で一人また一人と命を落としていった」と報じています。安島太佳由氏は「歩いてみた太平洋戦争の島々」(岩波ジュニア新書)で「洞窟持久作戦が始まった島」として紹介しています。

 安島氏は「証言記録 太平洋玉砕戦‐ペリリュー島の死闘」から生き残った兵士の証言を紹介し、次のように述べています。

「『兵士は食料も水も与えられず、飢えと恐怖のなかで誰一人文句を言わず戦った。恐怖の日々に発狂し、自爆するもの崖から身を投げるもの、戦場で殺すか殺されるか、あるいは自分で死ぬか』と語っています。

 玉砕することも捕虜になることもかなわず、司令官の命令もなく、ただただ山の中の洞窟陣地で身を隠し戦っていた兵士たちの戦争とは一体何であったのでしょうか。私は慰霊碑の前に立ち、心のなかでそっと手を合わせました」

 人々は皇軍兵士として、天皇の赤子として、このような戦場に送り込まれ、死んでいったのです。今またそうした時代が復活しようとしており、アキヒトはそれに一役買おうとしているのではないでしょうか。 (晴)


 AIIB敗戦 足元すくわれた〝アベ中国包囲網〟

 中国が主導するアジアインフラ投資銀行(AIIB)が、日米抜きでの設立に向かうことになった。

 就任以降、安倍首相はせっせと中国包囲網を敷こうと〝奮戦〟してきたが、国際的影響力の行く末にかかわる投資・インフラ開発の枠組みづくりで惨めな敗北を喫してしまった。

 軍事優先の中国包囲網にかまけている足元でのこの〝敗戦〟。アベ日本の先行きを暗示しているのかもしれない。

◆攻守逆転

 すでに報道されているようにAIIBは、アジアのインフラ需要への対応を目的とした中国が主導する国際投資銀行だ。資本金は当初は500億ドル(約6兆円)、その後1000億ドル(約12兆円)を見込んでいる。今年中の設立をめざしているもので、4月の時点で約50カ国・地域が創設メンバーとして参加することを表明している。

 そのAIIB、3月いっぱいで締め切られた設立に向けた枠組みづくりが進められてきたが、それを既存融資システムへの挑戦だと受け止めてきた日米抜きでの設立準備のスタートとなった。転機となったのは、3月12日のイギリスの参加表明だ。その後、各国が堰を切ったように参加表明が相次いだ。3月17日にEUのドイツ・フランス・イタリア、また26日に韓国、28日までにブラジルとロシア、29日にはオーストラリアもだ。このままだと、後発国を舞台にした投資、インフラづくりの枠組みから日本が排除されかねないとあって、安倍内閣は激震に揺れている。

 AIIBの日米抜きの設立は、中国の急速な追い上げでグローバルな経済覇権を脅かされている米国にとっても手痛い敗北だ。これまで米国による世界秩序づくりの枠組みだった国際通貨基金(IMF)・世界銀行(WB)体制が、今後の発展がもっとも期待されるアジアを中心とする地域で中国の主導権を許すことになったからだ。

 アジアの投資に関しては、これまでIMF・世界銀行の枠組みのアジア版であるアジア開発銀行(ADB)があり、経済規模や出資比率から、その主導権は当然のごとく日米にあった。それがAIIBが創設されれば、インフラ融資を舞台に競合関係が生まれるわけで、投資やインフラづくりに止まらず、地域経済圏の形成でも中国に出し抜かれることになる。現に中国は、ユーラシア大陸の東西を内陸と沿岸で結んだ新たなシルクロード経済圏を作る「一帯一路」構想を提唱している。内陸では中国から中央アジア、中東を経て欧州まで、沿岸は中国東部から東南アジアを経てインド洋、アラビア海を結び、スエズ運河経由で地中海を結ぶルートだという。中国としては、沿線国を統合した中国主導の経済圏づくりを視野に入れたものといえるだろう。

 そんな地域金融機関、地域経済圏づくりについて、米国は既存の枠組みから外れた独自な構想には批判的、というより敵対的だった。1997年に拡がったアジア通貨危機への相互支援システムとして浮上した、日本が提唱するアジア通貨基金(AMF)構想に、強烈な圧力をかけて潰した経緯もある。

 今回のAIIBに関しては、AMFを頓挫させた時ほど周到で強硬な包囲網を強いてきた様子は見られなかった。米国としても、ホワイトハウスと財務省や国務省の立場は違っていたし、オバマ政権が、イスラム国対策、ロシア制裁、それにイラン核協議などに関心を奪われていたからだろう。あるいはAIIB自体が中国とごく一部の後発国で発足するだけで、影響力のあるものにはならないと甘く考えていたのかもしれない。いずれにしても、かつて同盟国である日本主導のAMFは潰したにもかかわらず、米国と対峙する中国主導の投資銀行に各国が雪崩を打って参加する事態を許したことは、大きな誤算には違いない。中国抜きのTPP交渉の逆バージョンともいうべき攻守逆転した感もなきにしもあらず、といったところだ。

◆上滑りする〝アベ外交〟

 日米抜きの発足に対し、日本は「AIIBは中国主導が露骨だ」「意志決定で不透明さがある」などと難癖を付けて置いてきぼりの言い訳を繰り返している。が、それは米国主導のIMFやWB体制、それに日米が主導するADBでも同じだ。AMFやWBにしても、中国など後発国からみればあからさまな米国流金融秩序の押しつけでしかなかった。

 IMFが推奨した資本自由化を受け入れた結果、ヘッジファンドなどの攻勢を受けて通貨危機に追い込まれた1997年のアジア通貨危機もそうだった。その立て直しに際しても、IMF流の緊縮策を強引に押しつけられ、IMFの管理下に入ったタイ、インドネシア、韓国をはじめ、各国は大きな打撃を受けた経緯もあるからだ。現在進行形の、米国基準を押しつけるTPP交渉と同じ構図なのだ。どのみち程度の問題はあれ、主導する国の国益が優先されるのは、それが米国でも中国でも事情は同じだ。参加国はそれを承知で参加の判断を下しているだけの話だ。

 日本の事情も同じだ。安倍首相は、政権発足以降、アジアや中東、あるいはアフリカ諸国にまで足を延ばして首脳外交を繰り返してきた。昨年9月のバングラデシュとスリランカ訪問を前にして、「(第二次政権発足後)600日余り49カ国を駆け巡ることになる。引き続き地球儀を俯瞰する外交を積極的に展開していく」と、小泉政権の1980日で48カ国を抜いて過去最多を更新したことに鼻高々だった。いわゆる〝地球儀を俯瞰する外交〟である。対中包囲網を敷くべく精力的に外遊したわけだが、それも経済的な支援と抱き合わせのもの。一定の同調を受けたものの、中国の顔色を覗いながらのものでしかなかった。それとの両輪で推し進めてきたのが、集団的自衛権の行使容認や、それに関連する自衛隊の行動地域と行動内容の拡大を内容とする、一連の安保法制づくりだった。それもこれも、中国との対抗意識丸出しの、国家主義・軍事優先主義からのものだった。

 安倍首相の思惑だけで考えれば、米国との同盟強化を口実にしながら軍事力を増強し、〝日本国軍〟の活動範囲を拡大し、戦争も出来る軍事国家として周辺国の理解と同調を拡げることで、中国封じ込めがうまくいくと考えたのかもしれない。しかし、それも自己中な思い込みに過ぎなかったことが露わになった。中国包囲網が一変、逆に日米が孤立することになったからだ。

 今回の失態は、米国の相対的衰退という最近の実情からもたらされた、ともいえるだろう。本来避けたかったはずの、中国を中心とした金融・投資枠組みの設立を許したのも、一方での国際戦略対話での対中融和、他方でのアジア・リバランス政策による中国封じ込め、という相反する一貫性のなさだ。両面作戦ともいえなくもないが、それでも中東政策で泥沼にはまり込んでいる現状、それにTPPでのアジア・太平洋をめぐる経済覇権の思惑の難航が色濃く反映してもいる。世界の警察官として世界を統率してきた過去の栄光はいまいずこ、目先の懸案対処で精一杯の実情を反映した〝超大国〟の凋落が浮き彫りになったわけである。

◆コバンザメ外交の破綻

 米国の中東政策は、支離滅裂。中東民主化を掲げて戦争を始めたアフガンとイラクは、いまだに戦闘を終止できず、また米国が敵視するイランとつながるイスラム教シーア派政権を誕生させた。シリアではアサド政権を倒すつもりが、対テロ戦争の鬼子ともいうべき「イスラム国」が攻勢に出たとたん、アサド放逐は放り投げて事実上の共闘作戦をする羽目になっている。挙げ句の果てに、中東からアフリカ大陸にかけて、いくつもの武装勢力の跋扈を許す事態を招いているのだ。米国の対テロ戦争は、迷走を極めている。そんな米国との集団的自衛権の行使を口実に武力行使をめざす安倍首相。前のめりに中東に出て行こうものなら、どんな泥沼が待っているかも分からない。

 そんな軍事優先政治にうつつを抜かしている間に、国力の土台となる経済の場面で、日本は手痛い失態をやらかしたのだ。安倍首相のみならず、対中包囲網などという幻想を追いかける連中は、アジアの盟主としての地位におごり、中国に後塵を拝するアジアで二番目の国だとみなされるのは我慢がならないのだ。かつてはアジアの飛び抜けた経済大国として、中国が何を言っても、日本は無視できた。が、いまでは経済規模でもとうの昔に追い越され、政治的にも経済的にもアジアにおける影響力は常に中国の後塵を拝しているのが実情だ。焦りを募らせ、米国を巻き込んで対中封じ込めに精を出してきたが、それが全くの上滑りだったことが露呈したのが、今回のAIIBでの日米抜きでの枠組みスタートだったというわけだ。

 AIIB敗戦に衝撃を受けているアベ官邸だが、いまさら加入させてくださいとは言い出せない。そのうち米国が参加する場面などで、おずおずと参加する羽目になるのがオチだろう。

 とはいっても、それではもっと早くAIIBに参加すべきだ、と言うつもりはない。そもそもAIIBは国家と資本、それにインフラ関係企業の問題であって、私たちにとってはそれに賛成か反対かという問題ではない。資本・国家間連携としてのAIIBなどが生まれるのは国家や資本の都合でしかない。問題は、強引な開発にともなう自然環境や労働・生活環境の悪化に、労働者・生活者の立場からどう対抗していくのか、にある。資本や国家間連携が進むのであれば、労働者・生活者の闘いも国境を越えて連携づくりを進めること、それが私たちの第一義的な課題になる。いまは一部のNGOなどが取り組んでいるのが実情だが、それをもっともっと拡げていく必要がある。環境破壊規制、労働破壊規制、投資規制など、資本・企業規制は、国境の内側だけの闘いでは解決が難しいのが、グローバル化時代の実情だからだ。

 資本や企業、それに国家の構想としてのAIIBに振り回される必要はない。私たちにとって一番大事なのは、国境を越えた資本・企業の連携に対抗する労働者・生活者による闘いの連携づくりだ。(廣)号案内へ戻る


 編集後記

 いまこれを書いているのは4月13日午前。昨日は統一地方選前半戦の投票日で、昨夜からその結果の報道が繰り返されている。

 内輪の話になるが、ワーカーズ15日号の締めきりが一応毎月10日、版下をつくって印刷・発送するのが今日、13日だ。紙面には載せられなかったが今朝の新聞を読むと、結果は自民堅調とか。大阪維新が府・市議で過半数を取れなかったこと、共産党が躍進したことなどが伝えられている。前回の国政選挙と同じ、自民の底堅さと共産党の伸張が目立つ。有権者の対決型の機運の一端を示したというところだろうか。

 後半戦も含めて、全国あちこちで活躍している労働者派・市民派の候補はどうなのだろう。

 それにしても無投票選挙区の多さや投票率の低さが気になる。嘆いても始まらない。自身も含めて、結局は、私たち有権者の政治への関心と参加型政治の拡大が問われていることを銘記したい。(H)号案内へ戻る