ワーカーズ536号 2015/5/15
案内へ戻る
戦争法案反対! 軍事拡大へひた走る安倍政権を倒そう!
安倍政権は、「国際平和支援法案」と自衛隊法改正など「平和安全法整備法案」を国会に提出し、それらを成立させようとしています。平和とは名ばかりで、日本が他国の戦闘行為へ支援しようとするもので今までの「専守防衛」の立場を大きく超えることになります。
焦点の集団的自衛権の行使が可能となる「存立危機事態」への対処については、自衛隊法を改正し、3条で自衛隊の主たる任務に位置づけたうえで、防衛出動を定めた76条と武力行使を定めた88条によるものとしています。また、海外での邦人救出については自衛隊法の84条で、外国での緊急事態の際、生命や身体に危害を加えられるおそれがある邦人の保護措置を自衛隊の部隊などが実施できるようにし、任務遂行のための武器の使用を可能にするとしています。さらに、国家安全保障会議設置法を改正し、NSC=国家安全保障会議での審議事項に、「存立危機事態」や日本の平和と安全に重要な影響を与える「重要影響事態」への対処を加えたうえで、邦人救出や国連のPKO活動の際などに可能とする「駆け付け警護」は、必ずNSCで審議しなければならないという規定を設けるとしています。
まさに、戦闘地域に出かけて戦争をしようとしています。これで、今までなかった自衛隊員が人を殺したり殺されたりする危険性が高まったと言えます。
辺野古基地建設反対!普天間基地も撤去せよ!
沖縄の辺野古沖で、基地建設反対で座り込む市民に対して、海上保安庁が暴力と強制排除する場面が多いです。以下一例です。
5月5日、海保による強制排除が確認されたのは午前7時ごろ、海上保安官が乗った車数台が通称第2ゲートから基地内に入ろうとした際、複数の市民が立ちふさがりました。車から降りた複数の保安官が「危ないですよ」などと声を掛けながら、市民らの体を持ち上げて強制的に排除したほか、体を力ずくで押さえ付けてもみ合いとなりました。現場で抗議していた玻名城晋さん(31)=北谷町=は「海保は海だけではなく陸でも危険な行為をしている。弾圧するという方針が現れてきた」と話しました。
また、5月9日中谷防衛大臣と翁長知事は、沖縄県庁で会談しましたが話は平行線に終わりました。中谷防衛大臣は、翁長知事の言うことに聞く耳を持っていません。中谷大臣が在沖米海兵隊の抑止力と普天間の危険性除去の重要性を強調して移設に理解を求めたのに対し、翁長氏は「工事の中止を決断してほしい」と要求しましたが、中谷大臣は拒否しました。
翁長知事は会談後の記者会見で、「あらゆる手段を講じた場合、辺野古基地はできないと確信するに至っている」と移設を阻止する考えです。翁長さん、辺野古基地反対で共に闘いましょう。
沖縄基地の問題や、戦争法案など戦争への道を進もうとする安倍政権を1日も早く退陣させましょう。
(河野)
「エイジの沖縄通信」(NO・10)・・・辺野古基金1億4000万円に!
前に紹介した「辺野古基金」のことですが、もう1億円を超えたと言う。凄いですね!
辺野古新基地建設阻止を目的とした「辺野古基金」が、5月8日時点で寄付金が1億4138万1702円となった。
寄付が寄せられた5421件のうち、約7割が県外からとのこと。辺野古問題に関する関心が全国的に広がっていることを示している。
東京新聞(4月30日付)の発言欄に次のような主婦の投書があった。私と同じ思いの人がいること、その訴え内容にとても感銘を受けたので紹介する。
「辺野古沖への新基地建設に関して、現政府の対応、・・・強い憤りを感じています。とても人ごととは思えず、私なりに自分のこととして受け止め、胸を痛めておりました。その憤りに対して、私にできることといえば、デモに参加して声を上げることぐらいでした。すぐに現地に行って応援することは難しく、歯がゆい思いをしておりました。そこに現れたのが、『辺野古基金を設立』の記事でした。・・・これなら私にも少し応援できるぞと、このアイデアに拍手を送りました。『待ってました!』という感じです。・・・辺野古の基地問題は、決して沖縄の問題ではありません。沖縄の問題は日本の問題なのですから。辺野古移設に異議を唱える多くの国民の皆さま、金額ではありません。沖縄への気持ちを辺野古基金に送りましょう。『おかしいことはおかしい』『変なことは変』と、辺野古基金を通して意思表示しましょう。」
「辺野古基金」の準備委員会は8日記者会見を行い、共同代表にアニメ映画の監督として世界的に高い評価を受ける宮崎駿氏とジャーナリストの鳥越俊太郎氏が新たに就任すると発表した。
宮崎氏は「沖縄の非武装地域化こそ、東アジアの平和のために必要です」とのメッセージを沖縄に寄せている。準備委代表の新里米吉県議は「宮崎さんは県民、国民をはじめ世界的に有名な方であり、共同代表に就任していただいたことで基金を全国、世界にアピールできる。非常に意義あることだ」と歓迎している。(5月9日付、琉球新報より)
準備委は13日に結成総会を開く。この総会には、この二人をはじめ、すでに共同代表の就任を受諾している元外務省主任分析官の佐藤優氏や俳優の故菅原文太氏の妻・文子氏、報道写真家の石川文洋氏も出席予定である。
結成総会では現在の金融機関への振り込み方法だけでなく、街頭募金や電話を使った募金など、募金方法の多様化も検討する予定。
なお、辺野古基金の振込先が沖縄の金融機関ばかりで、本土の私たちには不便でした。準備委が本土の金融機関の振り込み先を下記のように開設したので便利になりました。
★「ゆうちょ銀行」 店番号(708) 口座番号(1365941)
または、記号(17000) 口座番号(13659411)
★「みずほ銀行」 店番号(693) 口座番号(1855733)
9日県庁で、翁長知事と中谷防衛相との初会談が行われたが、琉球新報は社説で「傷が付いて同じ音を繰り返すレコードのようだ。『辺野古移設が唯一の解決策』。菅義偉官房長官、安倍晋三首相が相次いで会談して翁長雄志知事に発したせりふだ。9日、知事と会談した中谷元・防衛相も『どう考えても』と前置きして同じせりふを使った」と、批判した。(5月10日付、琉球新報より)
この中谷防衛相をさらに許せないのが、翁長知事会談前日の8日に、名護市辺野古周辺の辺野古・豊原・久志の3区(久辺3区)の区長と秘密会談をしていたことだ。
この3人の区長は条件付き移設容認派で、各区の要望について3区と国との懇談会の設置を要求していた。今回の秘密会談で、各区の要望を懇談会で協議していくことを確認したという。
名護市行政の最高責任者である稲嶺市長との面談・話し合いを拒否して、一部の行政区の代表とだけ面談する、国の大臣がやることではない無法ルール容認である。このように安倍政権は、地方自治の行政責任者に対して「好きか嫌いか」「利用できるか利用できないか」などの価値基準しか持ち合わせない。地方の民意及び地方自治をまったく無視する国運営するシステムことを独裁政権と呼ぶ。過去にも世界中にこのような独裁政権が生まれ、国民を不幸にしてきた。私たちは、この過去の歴史をしっかり学ばなければならない。
最後に、5月17日(日)午後1時から、那覇市の「沖縄セルラースタジアム」で「戦後70年止めよう辺野古新基地建設!沖縄県民大会」が開催される。
当初は1万人規模の県民大会をを目指していたが、3万人以上に上方修正した。翁長知事も参加予定である。大会カラーは辺野古・大浦湾をイメージした「辺野古ブルー」。当日参加できない県民にも「青色」の装飾品を身につける事を呼びかけている。
全国の皆さんもこの沖縄県民大会に連帯して、当日1時からそれぞれの地元で工夫を凝らして、街頭で「青色」アピールをする活動を取り組みましょう!(富田 英司)
案内へ戻る
アベ70年談話 これでは〝戦前談話〟だ──新冷戦思考丸出しのアベ談話
安倍70年談話に世界の関心が集まっている。過去を棚上げし、未来志向の談話を出すという安倍首相。それは戦後体制からの脱却という名の戦前回帰のメッセージになる。
戦争が出来る国家改造と軌を一にする対外的なメッセージは、封じ込める以外にない。
◆ほの見えたアベ談話
安倍首相は、戦後70年の区切りとしての〝アベ70年談話〟を出すことに執着してきた。その内容について安倍首相は多くを語っていない。が、機会を見計らいながら、自らの思いを小出しにしてきた経緯もある。
たとえば先の大戦への感想を問われて、「侵略という定義は定まっていない」とか、あるいは「村山談話と同じことを言うだけでは新たな談話を出す意味はない」などだ。また、過去のことにこだわるのではなく未来志向の談話としたい」とも述べている。
これらのことだけ考えても、過去の植民地支配や侵略戦争を棚上げして軍事力も行使しながら世界の主要プレーヤーとして打って出る、という本意が浮かび上がってくる。
そのアベ70年談話に対して、対象国である中国・韓国などアジア諸国は言うに及ばず、米国や西欧各国からの懸念の声もたびたび出されている。国内でも同じだ。そうした懸念に対してどこまで踏み込んで自分の対外政策を発出するか、いま、模索しているのだろう。
その談話の中身を具体的な形を垣間見せたのが、4月におこなわれたジャカルタでのバンドン会議60周年演説、それに米国上下両院議会での演説だ。これららの演説内容を見る時、アベ談話の輪郭がほの見えてくる。
◆無神経と歓心
安倍首相は、4月22日、インドネシアで開かれたバンドン会議で演説した。その内容は、当たり障りがない内容だが、日本が侵略、占領したあの戦争への「反省」「謝罪」の表明はなかった。それは「共に生きる」だとか、「ともに豊かになる」あるいは「平和への願い」という情緒的なものに止まっており、「武力による侵略」も「国際紛争の平和解決」も、60年前に確認されたバンドン会議での原則を守るという間接話法でしかなく、日本としての主体的意思表明を避けた無神経なものだった。
4月29日、米国の上下両院議会でおこなわれた演説も同じだ。
安倍首相は〝希望の同盟へ〟と題する演説で、歓心ほしさが露骨な米国への賛辞や日米の絆を強調するエピソードをちりばめた。これも多分に情緒的なもので、戦後の国際社会への復帰を、西側の一員として、日米同盟という米国の後ろ盾を得て出発したこと、政治的にも経済的にも日米関係は一体のものとして歩んできたとリップサービスに励み、そして今、米国のアジアリバランスを支持する、日米ガイドラインの改訂による軍事的一体化を深めて米国の忠実な下請け役を果たす、TPPでも日米結束が大事だと表明すれば、とりあえず米国としても受け止めておく、といことだろう。
◆戦前談話?
ジャカルタのバンドン会議での首相演説と米国議会での演説、その両者に共通していることがある。
一つは、「先の大戦への痛切な反省」という言い方、二つ目は、どちらも国名こそ明示していないが、中国との対決姿勢を鮮明にしていることだ。
「先の大戦への痛切な反省」は、村山談話では「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。」となっていた。そこには「わが国は」、「国策を誤って」「植民地支配と侵略」、そして「痛切な反省」「心からのお詫び」と、主語と述語が明確な関係性を持って語られていた。
対して、バンドン会議でも米国議会でも、安倍首相が語っているのは「先の大戦の深い反省」「先の大戦に対する痛切な反省」だけだ。バンドンではバンドン宣言を引用した間接話法、米国ではその後に「自らの行いが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目をそむけてはならない」だった。ここには大戦の何を反省しているか意味不明だ。侵略の意図を除外する「苦しみを与えた事実」、すなわち結果のみを反省する内容でしかない。裏返せば、戦争で敗戦国になってしまったことだけは反省するが国策を誤ったとも認めない、侵略の意図も否定する、と言いたいのだろう。
二つ目だが、安倍首相の頭にあるのは、世界に台頭しつつある中国への敵意と中国封じ込めへの露骨な敵愾心だ。
バンドン会議では、「多くのリスク」「強いものが弱い者を力で振り回すこと」「法の支配」……。これらはすべて中国のことを言っているもので、中国に向けられているものだ。
また米国での演説でもTPPの安全保障上の意義を強調しているが、これもAIIBやそれを推進する中国への露骨な対抗心であって、ここでも中国への敵愾心剥き出しだ。こうした冷戦思考を土台にして、善隣友好の新たな対外的メッセージなど、発せられるはずもない。
「戦後70年談話」と言われているアベ談話、それに通じる安倍首相の本音が垣間見えた演説だったが、安保法制、日米ガイドラインと合わせて考えれば、それは新たな〝戦前談話〟にしかならないだろう。(廣)
「希望の同盟」の行き先
米国政府「リバランス政策」と安倍首相の野望の共演
安倍首相の四月訪米は、双方の利害の一致から彼なりの「大きな成果」を上げたのに違いないでしょう。
米国の世界戦略に乗る形で、安倍首相は「過去の日本」から決別する決意です。
戦後一貫して海外派兵をしてこなかった日本ですが、世界に雄飛することを米国議会で誓ったのでした。戦後政治史の大きな転換点となることは違いありません。
われわれも、この事態に断固として対決してゆかなければなりません。
【朝日4/30】
訪米中の安倍晋三 首相は29日午前(日本時間30日未明)、ワシントンの米議会 上下両院合同会議で演説した。先の大戦への「痛切な反省」に言及し、戦後の日米の和解の歩みを強調。米国人の犠牲者に哀悼を捧げ、アジアの国民に「苦しみを与えた事実」を認めた。「侵略」や「おわび」という言葉は使わなかった。
日本の首相が上下両院合同会議で演説するのは初めて。「希望の同盟へ」と題し、英語で約45分間行った。
首相はワシントン市内の第2次世界大戦記念碑を訪問したことにふれ、大戦で日本軍 の攻撃によって多数の米兵が犠牲となった真珠湾 やフィリピン のバターン半島などの戦場に言及。「歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈(かれつ)なものだ。私は深い悔悟を胸に黙?(もくとう)を捧げた」と述べ、「日本国と、日本国民を代表し、先の戦争に斃(たお)れた米国の人々の魂に深い一礼を捧げる」と表明した。
さらに「戦後の日本は、先の大戦に対する痛切な反省を胸に歩みを刻んだ」と強調。そのうえで「自らの
行いが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目をそむけてはならない。歴代総理と全く変わるものではない」と、従来の歴史認識を引き継ぐ考えを明らかにした。慰安婦問題 には直接言及しなかったが、「紛争下、常に傷ついたのは女性」で、「女性の人権が侵されない世の中を実現しなくてはいけない」と訴
えた。
【朝日ここまで】
■アジアに「謝罪」をしない安倍首相
一部の消息筋の予想通り、安倍首相は、「侵略」や「慰安婦」とそれに対する「謝罪」を無視した。おそらく彼のリクツでは「痛切な反省deep remorse」(村山談話)はすでに謝罪の意味が含まれていると。(英語訳の内容としては。)しかし、仮にこの理屈が通じたとしても、それは欧米人だけです。
中国人、韓国人などの当事者、そして日本人には通じない。「謝罪」は外されたのだ。そして、それは実は言語の問題ではなく、「アジア特に中韓には謝罪はしない」という強烈な意思表示だろうと思います。
結論的に言えば、日米同盟の強化に前のめりになっているオバマや米国議会が、これ以上この問題で、安倍首相をとっちめるようなことはしないでしょう。
安倍首相の、手際よい「未来志向」「希望の同盟」という言葉で、米国議会もオバマもクリアーされました。米国のマスコミは批判的ですが。
安倍首相は「歴史修正主義」への風当たりが欧米で強まることを懸念し、適当にトーンダウンして「実=軍事同盟強化」を取るつもりなのでしょう。
しかし、注視すべきこの問題は、そもそも安倍個人の言葉や「歴史認識」の問題ではありません。仮に口先で「侵略に対して謝罪する」と語ったとしても、日米軍事同盟のステップアップが、日米支配層の共同の利益として追求されてゆくかもしれないのです。そのことをも見据えなければなりません。
■中国、韓国による「アベ批判」の裏側
一方、中国、韓国政府による「安倍批判」は、日本の新たな軍国主義に警鐘を鳴らし、けん制する意味はあっても、信ずることはできません。
というのも、彼らの「歴史問題」「反日本」「アベ批判」は、国民統合の政治利用とい
う側面が大きいと考えざるを得ないのです。
官僚的独裁国家=中国が、どれほど「抗日闘争」「解放闘争」を政治的資産として、国
民に独裁政治を押し付けてきたかは、今更論ずる必要もありません。
韓国、朴政権も似たようなものです。経済の不振。政治腐敗、国家財政の危機的状況。
そして、国際関係の迷走。そのうえセオウル号沈没事件などの対応のまずさなどなど。求
心力低下する政権が、「海外の宿敵」である日本たたきに走ることは容易に推測されます。彼らの言葉は、信用できません。いつでも簡単に安倍政権と「和解」するかわかりません。
中国の習近平は、すでにバンドン会議での日中首脳会談で手のひらを反すそぶりを見せ始めています。
中国、韓国の誠意ある民衆との、共同の闘いとして「反独裁」「反官僚主義」「反格差」そして軍事主義が高まる東アジアで、平和を維持するためにこそ圧力を自国政府に突き付けてゆかなくてはなりません。
■安倍専制政治は許せない
米国議会演説で安倍首相は「日米同盟はより一層堅固になる。この夏までに必ず実現する」と述べ、安保法制の成立を断言しました。
去年の七月に「集団的自衛権」の閣議決定。TPPの秘密交渉。そして今回の防衛ガイドライン改定と、米議会での「戦争立法宣言」などなど。重大な課題が、極少メンバーや外国での「公約」という形でつぎつぎと決まってゆくのです。
日本の議会の無視以外の何物でもありません。いくら自公政権が、多数派であるとしても、「集団的自衛権」「戦争立法」に対して、過半数の国民が反対の意思を示しています。(各種世論調査による。)
習近平並みの専制政治が日本に登場したことに、警鐘を鳴らさなければなりません。
安保法制はゴールデンウィーク明けにも閣議決定される予定で、その後に国会で成立させるきです。闘いの山場です。(文)
去年の七月に「集団的自衛権」の閣議決定。TPPの秘密交渉。そして今回の防衛ガイドライン改定と、米議会での「戦争立法宣言」などなど。重大な課題が、極少メンバーや外国での「公約」という形でつぎつぎと決まってゆくのです。
日本の議会の無視以外の何物でもありません。いくら自公政権が、多数派であるとしても、「集団的自衛権」「戦争立法」に対して、過半数の国民が反対の意思を示しています。(各種世論調査による。)
習近平並みの専制政治が日本に登場したことに、警鐘を鳴らさなければなりません。
安保法制はゴールデンウィーク明けにも閣議決定される予定で、その後に国会で成立させるきです。闘いの山場です。(文)
案内へ戻る
『アイヌ史/概説』(河野本道著)を読み直す
●「アイヌ史」のテキストとして
『アイヌ史/概説』は「〈序〉にかえて」にもあるように、一九九四年六月から翌年三月にかけて『ヤイユーカラの森』(事務局/札幌)の主催で、毎月『アイヌ史/概説‐北海道島および同島周辺地域の古層文化の担い手たちとその後裔‐』をテーマとした講座が開かれ、その講師を引き受けた河野本道氏が参加者用に作成した講義ノートがベースになっています。
これに修正、補足を加えたものを基本にして、ハンドブック的なものにまとめ、一九九六年一月二十日に北海道出版企画センターより新書本として刊行され、その後版を重ね現在に至っています。
私達『アイヌ史(北方史)を学ぶ会』は、一足遅れの一九九六年夏から、この新書本をテキストに読書会を始めました。札幌から遠く離れた福岡での読書会でしたので、河野氏に毎回来てもらうわけにはいかず、毎回の読書会で出された質問を手紙として送り、返事をしてもらうという、いわば「通信・添削」のような形で「受講」したわけです。一度だけ、河野氏を福岡に招き、ささやかな勉強会を開きました。また逆に私達が札幌や旭川に出向いて、河野氏の案内でアイヌの立場で活動している様々な方に話を聞いたこともあります。
そもそも私達は、北海道大学時代に「人類学闘争」という、大学教育・研究のあり方を告発する運動を、共に進めた仲間であり、そういう意味で、私達も文化人類学者・河野講師の「教え子」でもあり、また社会運動家・河野氏の「同志」でもあります。当時は、学校でのアイヌ生徒へのいじめの事例、高校卒業を控えたアイヌに対する就職差別の事例、職場でのアイヌ労働者への差別的な対応の事例等について、いろいろ聞いていましたので、アイヌに対する差別や偏見の一掃と、労働者の搾取や抑圧からの解放の課題は、深く関連していると考えるようになりました。
あれから十数年経った今年の一月、河野氏が病気で入院したと聞き、さっそく二月にお見舞いに行きました。残念ながら三月四日、河野本道氏は七五歳で亡くなりました。このことをきっかけに、札幌での河野さんの教え子の方々にもお会いし、『アイヌ史/概説』を読み直すうちに、改めてこの本の歴史的な意義に想いを深くしています。
●アイヌ史の「時代区分」
この本は独特の「時代区分」を採用しており、「用語」がともすれば難しく受け止められがちです。「前近代」を「先古層期」「古層期」「変容期」に区分し「近現代」を「近時期」「現時期」に区分し、アイヌ社会の変遷を歴史的・客観的に叙述する方法論をとっています。
既存の時代区分との関係では、「先古層期」は概ね後期旧石器時代に照応します。次に「古層期」のうち「開始期」及び「第Ⅰ・第Ⅱ展開期」は縄文時代に、「第Ⅲ展開期」は北海道では「続縄文時代」本州では弥生時代から古墳時代に、「終末期」は北海道では「オホーツク文化期・擦文文化期」本州では古代・中世に、それぞれ照応します。
さらに「変容期」は概ね中世アイヌ文化期に照応し、アイヌ諸集団が奥羽地方と主体的な交易を行なった時期、松前藩の「商場・知行制」に組み込まれる時期、商人層の「場所請負制」のもとで搾取される時期へと変遷します。
そして近現代の「近時期」は明治政府による「屯田兵」や「開拓農民」が進出し「旧土人保護法」の体制に組み込まれ、また大正デモクラシーの影響を受けアイヌの主体的な運動が展開される時期に、「現時期」は戦後の農地解放以降のアイヌの多様な生き方が展開する時期に照応します。
本書と同様の時代区分は『北海道立アイヌ総合センター』(札幌市)の資料展示室にも採用されていますので、ビジュアルなイメージをつかむためには、そこを見学されることをお勧めします。
ところで、この時代区分を確立するには河野氏はかなり苦心したと思われます。ですが、こうした時代区分の方法論の「理由」については、必ずしも明示的に説明はされていません。ですので、ここからは私なりの理解になります。
●文化人類学的アプローチ
私達が学校で習う「日本史」や「世界史」で慣れ親しんだ「時代区分」のベースとなっているのは、前近代であれば、大規模な灌漑農耕を伴う社会における農業生産力の拡大に伴う、社会構成体の発展を基礎とした、国家や社会の発展史であるといってよいでしょう。
具体的には農業共同体を基盤とした古代専制国家、家父長的大家族経営(荘園制)を基盤とした中世の貴族・武士国家の時代、単婚小家族経営(石高制)を基盤とした近世封建社会の時代。それに伴って、働く人々の搾取形態も、貢納制から奴隷制、農奴制へと、変わって行くとされています。
また近現代であれば、産業革命を経て、資本家・地主と労働者階級で構成される資本主義社会が成立し、工業生産力の発展に伴い、自由主義から帝国主義へと転化し、植民地支配の歴史へと進んでいくと説明されてきました。
しかし、こうした農業生産力史観、工業生産力史観では、例えば日本列島の歴史でも、約二千年前の弥生時代以降の農業社会については説明できても、それ以前の約一万年にもわたる縄文時代の歴史については、うまく説明することはできません。この時代は気候変動や植生の変化に対応し、細石器などの技術開発や、遊動に関係する社会編成の工夫など、生産力とは別の視点から社会の発展を分析する必要があります。
また、北海道島やサハリン島、千島列島、東北の奥羽地方のように、弥生社会の水田稲作農耕が及ばず、狩猟・採集・漁労・雑穀農耕などの多面的な生業形態を基本としつつ、近隣の社会との間に豊かな交易関係を結び、鉄器加工などの手工業を営み、発展してきたアイヌ社会についても、農業生産力史観とは別の視点が要求されてきます。こうした社会の発展を説明するには、どうしても文化人類学的な視点が必要になるのだと私は思います。ちなみに一九九六年六月の『週刊金曜日』にも「文化人類学的アプローチで〈アイヌ〉を叙述」と紹介されています。
●「民族」は歴史的・相対的概念
こうした文化人類学的アプローチの長いスパン(時間軸)で歴史を見ていくと、おのずと「民族」なる概念も歴史的・相対的なもので、決して固定的なものではないことが明らかになります。アイヌ語系の諸言語を使用する社会も、その文化は北海道島、カラフト島、クリル列島、本州島奥羽地域で、それぞれ独自な展開をしており、さらにオホーツク文化との関係や、本州島やシベリア方面の影響などの要素もあり、ひとくくりに「民族」ととらえると、各地域集団の独自性を無視することになりかねません。
そもそも本州・九州・四国に住む人々が「日本民族」という意識を持つのは、明治維新による「国民国家」の樹立がきっかけと言われます。
氷河期の後期旧石器時代に、アジア大陸から北はサハリンを通じて、南は琉球弧を通じて、この列島弧にやってきた現生人類が、やがて各地域に縄文系諸文化を形成しました。その後、中国・長江流域に発した稲作文化を担う集団が、朝鮮半島を経て、あるいは中国南部から直接、この列島にやってきました。さらに中国大陸の戦乱の影響で、高句麗系、百済系、新羅系、中国南朝系の集団が渡来し、筑紫、出雲、吉備、大和などの地域国家を構成する各氏族として定住していきました。太古の時代から古代・中世を通じて、いくども移民の波が押し寄せ、この列島社会を形成してきたのです。「ヤマト民族」なるものが元からあったかのようなストーリーは、近代の「国民国家」の支配階級が人民を支配するための「国民統合概念」だったのです。
また現代の社会は、国民国家の垣根を越えて、移住労働者が増えており、国籍を越えた結婚も増えています。アイヌ社会もまた、「アイヌ」「和人」の垣根を越えて結婚もするし、共に同じ職場で働き、共に地域市民社会を支える情況が生まれています。様々な文化を尊重し、差別のない平和な市民社会をめざす上でも「民族」が相対的概念であることを認識することは大切だと思います。
河野本道氏の時代区分論や相対的民族概念には、従来からの生産力中心の社会構成体発展史観や、「国民国家史観」(民族史観)を見直し、文化人類学的な歴史観を融合しよという、方法論的な格闘の跡が私には読み取れ、そういう意味でも「力作」と評価できると思います。『アイヌ史/概説』は北海道出版企画センターから刊行されていますので、ぜひ同書を取り寄せて一読されることをお勧めします。(松本誠也)
錬金術師=日銀リフレ派の実態
リフレ派=日銀の金融政策の迷走が続いています。
「量的質的金融緩和」をすれば、インフレが発生し、二十年来日本が陥ってきたデフレを克服できる。と売り込んで、おろかしい安倍政権に取り入ったのでした。金融大緩和で、インフレが発生し、景気は上昇し賃金も上昇する・・メデタシ々と。
それから二年余が過ぎましたが、彼らの主張はすべてが裏切られてきました。当ブログでも再三指摘してきたところです。
私見では、リフレ派というのは「科学」どころか「学門」といったものですらない。単なる派閥である。まさに新興宗派にすぎないでしょう。
彼らは、幻想を売り歩いているにすぎないのです。彼らの「論理」自体は「風が吹けば桶屋がもうかる」のたぐいと表現するほかはないものです。
リフレ派の諸氏が、善意の「デイドリーマー」かどうかは知らないですが、かれらが現実に利するのは金融資本なのです。つまり、彼らが現実的になし遂げたものがあるとすれば、それは経済のさらなる金融化です。(ということは他の産業、つまりむ製造業、農業等の衰退でもあるのです。)
ここで多くを語るものではありませんが、経済の金融化はさらに「格差社会」を強化し、経済成長を阻害し、資本主義経済の矛盾を強めることになるでしょう。
日銀は即刻、インフレ政策を中止すべきです。
以下のインタビュー報道は、リフレ派に対する他のエコノミストによる「内部告発」と言えるもので、興味深いものがあります。
資料「東洋経済オンライン」五月二日掲載(一部略)
「日銀は政治に支配され、動けなくなった」
ストラテジストの森田長太郎氏に聞く
■リフレ派の主張は実現せず
――そもそも、安倍政権のもとで日銀が採用したいわゆるリフレ派の人たちの主張である「マネタリーベースを積み上げればインフレになる」という理論が間違っている?
すでにかつての翁・岩田論争(注)で決着している。マネタリーベースとインフレは関係ない。銀行が持っている国債と日銀の当座預金を交換する取引でしかないからだ。市中に出回っている広義のマネーとインフレとの関係ですら曖昧だ。円安はマクロ的に見れば日本経済にはプラスであり、インフレの要因にはなる。だが円安自体も金融緩和がきっかけではなく、欧州の債務危機がおさまったことで、2012年秋には100円に戻っていた。あとはアナウンスメント効果だけだ。
(注)翁・岩田論争は、当時の翁邦雄・日本銀行調査統計局企画調査課長(現・京都大学教授)と岩田規久男・上智大学教授(現・日本銀行副総裁)によって1992年9月から『週刊東洋経済』誌上で展開されたマネタリーベースとマネーサプライの関係、その効果をめぐる論争。1993年3月まで続いた。
■国民にイリュージョンを売る
――なぜ、エコノミストの一部は金融緩和に過度な期待を寄せるのか。
もともと米国の経済学者は一種の既得権益グループをつくっている。フリードマンやケインズでもそう。自然科学であれば仮説がいずれは検証されるが、そもそも自然科学ではない経済学は、検証されない。言いっ放しになってしまうことが、経済学の最大の問題だ。そうした中で、経済学者という職業を守ろうとすれば、政策への反映を図っていこうということになる。政策の役に立ちますよ、といえば、錬金術的になる。商売としての経済学だ。
なぜ多くの経済学者が財政政策でなく、金融政策を主張するかといえば、財政政策は選挙で選ばれた政治家の仕事だからだ。だから、金融政策にがっちりしがみついて、中央銀行に乗り込もうと考える。そういうグループが米国の経済学者のコミュニティを形成している。まさに政策を売り歩くいかさま師達が流派を形成している。
――それに倣って日本でも日銀批判が始められたわけですね。
日本では長らく金融政策も含めたマクロ経済政策を官僚が統括していたので、まったく入り込む余地がなかった。最近になって、妙な野心を持った人たちが日銀への攻撃を始めた。リフレ派と呼ばれる人たちの「日銀官僚の手から金融政策を取り上げる」という主張は「自分たちの商売にする」ということだ。だが、乗っ取ったからには結果に責任を持つべきだ。
米国ではリーマンショックが起きたことで、経済学者の地位が大きく低下して死活問題になった。だから今、米国の経済学者らは何とか理論と現実を調整する努力を始めている。日本の一部のリフレ派のように古典的な貨幣数量説にしがみつく人はいなくなっている。
結局、「成長の限界」というものが見えてくると、1930年代と同じことで、国民にイリュージョンを売って歩く政治になる。それにリフレ派の主張が合致した。1930年代には、軍部や一部の政治家が、満州国は日本の政治的、経済的な拡大路線の「生命線」だと主張し、国民の熱狂を誘導していった。そして、その権益を維持するために日本は破滅的な方向に向かっていった。現在は軍事的な事態とは全く関係はないが、「成長の限界」に対してイリュージョンを拡散して国民の目をそらすような経済政策になっていやしないか。〔東洋経済オンラインより引用ここまで〕
錬金術師=日銀の馬脚は、もはや見え見えです。(竜)
案内へ戻る
もしマルクスがピケティの『21資本』を読んだら・・②
「γ>g」のgの意味 上藤 拾太郎
はじめに
国民経済統計は、膨大につみあがっている。これをどう理解するのか。付加価値、所得、分配等々、そこには国家官僚、政治家、資本家やそれに連なる経済学者に必要な、その限りでのゆがんだ視点のものであるのは避けられない。とはいえ、彼らも、資本主義経済の動向を把握し、展望し、何らかの対策を講ずる必要に迫られてきた。このような性質の現存統計をもって、「搾取」や「格差」を描き出すことは簡単ではない。
ここでは、前回同様、労働価値説とマルクスの経済用語に置き換えながら、ピケティの理解を進めてみよう。はたして、ピケティが何を示したのか、逆に何を示しえなかったのか。
■gは、付加価値の増大スピード
前回のつづきです。
前話は、ピケティの「格差の証明」の核心として定式化されたγ>gの解説としてはじめた。労働価値論やマルクス経済学の観点からどこまで学べるのか。前回はγの解釈だった。前回参照→http://ameblo.jp/masatakayukiya/entry-12005931668.html
ピケティによればgはGDP=国内総生産の成長率を示す。
では、そもそも「国内総生産」の「生産」とはどんなことか。前回に述べたように、国民経済計算では、国内総生産は=総所得=総消費としている。これを三面等価と行っている。さらにそれらは=総付加価値となっている。
つまり「国内総生産」というがそれはいわゆる付加価値の形成のことである。一年間に作り出された「総付加価値」=国内総生産とされるのであるから。
付加価値も、企業家やそのお抱えの経済学者の「資本」「利潤」概念と同じで、富や価値がどのように形成されまたは保持されているのか、ということをあいまいにしている。彼らによれば、ものの生産ばかりでななく、サービス業や商業においてさえ利潤や付加価値は「発生」しうるのである。(しかし、それらの実態は生産的企業で労働者が生み出した剰余価値が、他の産業にも流転・流入したものに過ぎないのだが。)
つまり一般経済学では「付加価値」という観念は根本において生産的労働により形成されている、という理解にかけている。生産過程どころか流通でもサービスの提供によっても「付加価値」は発生すると、誤って理解されている。
しかし、避けられない概念の混乱や欠陥があるにしても(価値の発生源はあいまいであっても)、全体として総生産=総付加価値であるならば、それは同時に概念としては=「生産的労働によって付け加えられた新しい総価値」となるはずである。
例えばブリタニカ辞書ではこうなっている(一般書としてたまたま引き合いに出しただけだが)。
「(付加価値とは)企業の総生産額から、その生産のために消費した財や用役の価額を差し引いた額」とある。
具体的には次のようなことになるだろう。企業Aが百円で材料費を仕入れ労働者を雇用して製品加工し、企業Bに二百円で売ったとする。これらの差額が付加価値だ。付加価値百円が発生する。企業Bは、さらに手を加えて五百円で販売したとする。この企業は三百円の付加価値を得た(生み出した)ことになる。
世の中がこのAB二社で構成されているとすれば、総付加価値は四百円である。年間で計算すれば、国内総生産が計算される。
だから、付加価値の計算は簡単には、「生産額-非付加価値」ないしは「販売額-非付加価値」となる。
ブリタニカをもう少し引用してみる。「(ここで)非付加価値とは原材料、外注費、動力費、外部用役費(運賃、保険料、等)」。これらはマルクスであれば「非付加価値=不変資本→価値を新たに生じない資本の意味」ということになるだろう。
この引き算で残るものが、付加価値自体なのだが、さらにそれはどんな構成要素へと分解されるのか見ることにしよう。
付加価値=「税引き後純利益、支払利息、手形割引き料、賃借料、人件費、租税公課」(同上より)。
租税公課は一応ここでは除外しておこう。そうすると、付加価値の科学的な実態とは次のようなものだ。
人件費(可変資本V→新価値を直接に生み出す資本の意味)+剰余価値mとなるのはあきらかだ。別の表現ではまちがいなく「労働が新たに付け加えた価値」(マルクス)のことである。
〔上記項目「純利益」は、事実上のマルクスの言う剰余価値であり、まさに資本に帰属し、減価償却費、株式配当や重役の特別ボーナスや新規事業の資金などへと利用されうる。(いわゆる内部留保となることも) そして利子払いや地代賃料はまさに「付加価値」のなかから支払われる。前回を参照されたい。〕
■付加価値とは、経済成長とは?
付加価値は、このように検討してみてマルクスの言う「労働が新たに付け加えた価値」に基本的に当てはまる、つまり「剰余価値m+人件費V」となるだろう。
経済統計でたまに紹介される、労働分配率(または資本分配率)は、この付加価値と賃金ないしは資本の比率である。
[「生産された付加価値のうち、労働者が賃金、俸給として受け取る比率を」労働分配率という「賃金/付加価値」として計算する。(ブリタニカ)]
ここまでは、付加価値の概念を『資本論』のカテゴリーに当てはめてどのような内容かをみた。
繰り返しになるが、このように見れば、国内総生産つまり年間総付加価値は、「一年間で労働により新たに付け加えられた総価値」のことである。
ゆえに「経済成長」=gとは、マルクスに従えば「生産的労働の行使時間」が年間で(絶対値で)増える(ないしは減る)ことである。と、とりあえず結論できるように思われる。
同時に指摘したいのは、ピケティがgを格差の定式に組み込んだが、すでに見てきたようにgは「労働分配率(ないしは資本分配率)」と、直接には相関しないということである。
さらにピケティをはじめ通常の経済学では、生産性の向上が(人口の増加とともに)経済成長の大きな要因とされている。だが、そうではないことになる。
個別的企業にとっては生産性の向上によって「付加価値の増大」がもたらされるにもかかわらず、社会的には「経済成長率=g」は生産的労働時間の絶対的増大・労働強化に依存していると考えられる。
さらに言うならば、生産性の向上や経済のサービス化によってもたらされる生産的労働の縮小は、先進諸国に経済の低成長を必然的にもたらすだろう。(つづく)
コラムの窓・・・ 「子どもの貧困」から見えてくるもの
1 虐待
小児救急医療の現場で働いていると、夜間に外傷で搬送されてくる子どもの中に、虐待を疑わせるケースがある。親は「子どもがソファから落ちたので様子をみたら意識が無くなった」と言うが、頭部のCTを撮ると、明らかに強い力で叩きつけられたためとしか思われない画像が出るという。とにかく入院して治療をしながら、児童相談所に連絡をして、子どもを虐待から保護する方策を講じなければならない。
子どもの虐待の背景には貧困問題があるのは明らかだ。しかし親の「経済的貧困」から直ちに虐待につながるわけではない、いろいろな要因が複雑にからみあって、親のある種の「心の病」(精神的貧困)によって虐待は起きる。虐待行為に走ってしまった「親」自身が、実は子どもの時期にその親から虐待を受けて育っていたというケースも多い。「虐待の連鎖」が断ち切れないという問題だ。
虐待によって「心の傷」を抱えながら成長した親が、その傷を再び我が子に向けてしまう。知識だけの「道徳」教育や「人権」教育では、これは解決できない深刻な問題だ。心の傷を癒し、子どもへの自然な愛情を回復できるよう、周囲からの精神的サポートが必要なのだ。医療や教育の専門家の力も大切だし、ふつうの家族や友人の精神的な力が必要だろうが、できれば同じように「虐待してしまいそう」な危機を克服し、同じ苦しみをわかっている人の力も必要だ。
2 発達障がい
もともと子どもは多様な性格をもっている。人とのコミュニケーションがうまくいかず、しばしば乱暴な振る舞いに走ってしまうが、ある分野では優れた能力を発揮する。対象を観察する能力が高く絵画や写生がうまい。計算や記憶に秀でていて研究に抜群の力を発揮する。子どもたちが百人いたら、一人や二人はそういうタイプの子なのだそうだ。
これまで、規格化された学校の中では「問題児」として排除されることが多かった。ある小児科医は、戦国武将の伝記を読むと、今なら発達障がいとされてしまうタイプの人が、戦国時代には活躍していると言う。
古事記・日本書記に出てくるスサノオノミコトも、大人になって髭ぼうぼうになっても大声で泣いてばかりいる。理由を聞くと、根の国の母の所へ帰りたいとダダをこねる。しまいには、田んぼの畦を壊したり、機織り娘の小屋に馬を投げこんだり、乱暴はエスカレートするばかり。姉のアマテラスは、いろいろと弟をかばうのだが、とうとう国から追放されてしまう。
この神話が興味深いのは、スサノオをかばった姉のように、何とか共同体の中で、受け止めようとしていることだ。だが、結局もてあまし、排除してしまったことを、残念なエピソードとして語っている。しかも追放されたスサノオは、出雲の国でヤマタノオロチを退治し、村人を救った、悪い人ではなかったのだと語っている。
現代社会のあり方をも問うているような話ではないか?子どもを取り巻く貧困化の中で、発達障がいの子どもをサポートできるようなしくみ作りが急がれる。
「子どもの受難」の社会にしてはいけないと思う。だが、もう私達はその一歩手前にいるのではないか?否、すでに一歩も二歩も踏み込んでしまっているのではないか?(松本誠也)
案内へ戻る
色鉛筆・・・反安倍で熱気の連休でした
今年の連休は講演会や集会に出かけ、充実した時間が過ごせました。その充実感を皆さんにもおすそ分けします。
4月25日、狭山事件で仮釈放中の石川一雄さんが尼崎市に来られ、元気な挨拶で集会は始まりました。昨年神戸で、石川さんが出演するドキュメンタリー映画「SAYAMA みえない手錠をはずすまで」を観て、その一所懸命な姿に胸をうたれました。再審実現に向けて頑張る石川さんの、いつも横にいるのが妻の早智子さんでした。集会当日も早智子さんは、石川さんが仮釈放中であるので選挙権が無いことを残念に思い、早く無実を確定し安心した生活を送らせてあげたいと、会場で訴えられました。
私は、石川一雄さん御本人に会うのは初めてで、52年間も冤罪を背負い続け生きてこられた人生を思うと、狭山事件を知りながら支援出来ていなかった自分を悔いました。真実を見ようとしない司法の壁を許しているこの社会は、私たちにもその責任があることを再確認しました。石川さんは無罪を勝ち取ったら是非、夜間中学に通いたいと、少年のような輝いた眼差しで語られ、その希望に満ちた声に私は少し救われた思いでした。その後、夜間中学で1番の成績を取りたいと、胸を、張る笑顔の石川さんに、会場は温かい空気に包まれ励ましの拍手が起こりました。
全国で400回を超える映画上映で支援の輪は広がりつつありますが、弟3次再審請求から9年近く経過した今、再審実現は重要な局面を迎えています。裁判所が事実調べを行うよう世論を盛り上げること、それには事件の真相を知ってもらうことです。私は、娘たちに狭山事件の石川さんのことを話すと、誰も知りませんでした。まずは、身近な人から説得をしたいものです。
4月29日、神戸で行われた元衆議院議員・服部良一さんの講演会に参加。報告では、5月の通常国会で集団的自衛権行使の関連法案が審議されますが、これまでの「周辺事態」という制約をとっぱらい、地球の裏側まで派兵することになり、周辺有事の後方支援の対象に米軍以外も加えるという、どこにでも自衛隊が出かけることを許すことになってしまう歴史的にも大変な時期を迎えていることが指摘されました。
また、切れ目のない(シームレス)支援を行うための24時間戦闘モードに入る体制・いつでも鉄砲を撃てる体制になる可能性があること。つまり、警察権と軍事の境界をなくし、海上警備行動命令・治安出動命令の迅速化を促す体制が作られ、「非戦闘地域」の定義をこれまでの「活動期間を通じて」を削除し、「現に戦闘行為を行っている現場でない場所」とし、「地域」から「場所」という範囲を狭め、事実上の戦闘地域でも派遣できることを安倍政権は狙っているのです。
今後、6月の衆議院通過が山場となるので、東京では連続の国会包囲行動が予定されおり、関西でも6月7日と21日にそれぞれ大阪弁護士会・兵庫県弁護士会主催で集会とデモが予定されているので、より多くの結集をと呼び掛けがありました。
5月3日、沖縄タイムス元記者の屋良朝博さんの講演の憲法集会に参加。「憲法と沖縄」がテーマで、沖縄が現在でも差別の構造を利用した日米合作の植民地であることを強調されました。現在は、沖縄国際大学の非常勤講師を勤められ週1回は大学に足を運ばれるそうですが、日常的に基地で犠牲になっている沖縄の大学生でも、少数ですが基地反対の意思表示があいまいな学生が居ることに、複雑な心境を語られました。
5月4日、伊丹市で「憲法を変えるな!」の集会で2つの講演を聞きました。その内の印象に残った1つの、作家で明治学院大学の高橋源一郎さんを紹介します。異色の経歴を明らかにし、自分には長男が3人いることから話が始まりました。そして64歳の今、10歳の長男と年子の二男を子育てしているという、主夫であり作家、大学教授でした。大阪の市長・橋下とおるの分析は、自己主張は強いが他人の意見を聞かない、立場が悪くなると相手を無視しその場から逃げる、生産的な議論が出来ない、というものでした。
高橋さんが人を分析するとき、必ず相手の書いてきた文章を徹底的に読み、まずはその文章の意図を見抜き、相手を好きになることから始めるという手法は、運動に対する考え方にも通じています。この集会の参加者は憲法反対で意志一致しているが、憲法を変えたい、という人たちとこそ交流を持ち、理解を求めていくこと。その議論を交わす中で共通できることが1つでも見つかれば、それで一緒に世論に訴え数を増やしていく、その努力が必要ではないかと、参加者に提案されました。私は、色んな考え方があることを気づかされ、驚きあり笑いありの講演に気持ちがゆったりした感じでした。
こんな感じで連休は講演会に足を運び、安倍政権の横暴に付き合わされる忙しい日々となりました。(恵)
案内へ戻る