ワーカーズ537号   2015/6/1   案内へ戻る

 アベ戦争法案を封じ込めよう!──ウソとごまかしは通用しない──

 アベ戦争法案の国会審議が5月26日から本格化する。

 現実の武力行使や戦争に道を開くこの法整備には、安倍首相がしゃかりきになって推し進めれば進めるほど、世論の懸念・批判の声が拡がっている。

 正面切って戦争をするための法整備とは言えない安倍首相。新しいネーミングは「平和安全法制」だという。黒を白だと言いくるめれば通るとでもいうのだろうか。

 5月14日の記者会見では、「米国の戦闘に巻き込まれることは絶対にあり得ない」と断言し、20日の党首討論でも、「戦闘活動に巻き込まれることはあり得ない」と何の根拠もなく危険性を否定した。「駆けつけ警護」などは、まさに戦闘現場に飛び込んでいくものではないのか。批判にまともに答えず、すり替えと開き直り答弁に終止する安倍首相。まともな議論を恐れ、独断的な断言によって審議を切り抜けようとするのは、自信のなさの表れなのだ。

 語るに落ちた発言もあった。共産党の志位委員長の質問に対して、「ポツダム宣言はよく読んでいない」と答弁したのだ。そんな程度の岸元首相をはじめ保守派の歴史認識至上主義による〝戦後体制からの脱却〟だ。安倍首相が掲げてきた旗印のいい加減さが改めて浮かび上がる。

 集団的自衛権の行使を容認するアベ安保法制は、これまでの憲法解釈を変えるもので、時の政権の判断を憲法より上位に於くものだ。それはむろん明文改憲へと連動している。国会では憲法調査会での議論も再開されている。

 とはいっても、安倍首相の野望がとんとん拍子にすすんでいるわけではない。改憲への国会基盤の脆弱さが増しているからだ。大阪都構想の住民投票敗北で政界引退を表明した橋下市長率いる維新の会が漂流しはじめ、改憲発議の参院3分の2以上の議席確保が、これまで以上に見通せなくなっている。

 それに25日には、菅官房長官や中谷防衛大臣から、またも「敵基地攻撃論」が飛び出した。今回の集団的自衛権の限定容認は、次の武力行使拡大構想と一連のものであることを吐露したものだ。

 オスプレイの本土配備に対する抗議行動など、本土でも沖縄反基地闘争と連帯した闘いが拡がりつつある。そうしたの闘いや各地での反対行動の拡大とも連携して、なんとしてもアベ戦争法案を封じ込めていきたい!(廣 5月25日)


 橋下劇場の幕引き

 5月17日に実施された大阪市の住民投票で、大阪都構想を推進してきた橋下維新の会が僅差で敗北した。橋下大阪市長は政治家引退を表明している。仮に住民投票で構想が承認されていれば、低迷が続く橋下維新の会が政治的に復活する芽も孕んでいたわけだが、個人商店、一枚看板に頼った維新の会は、政治的な液状化は避けられない。

 今回の住民投票は、低迷傾向にあった維新の会の起死回生をめざした橋下市長の政治的な賭の側面が強かった。石原慎太郎の立ち上がれ日本との合併や従軍慰安婦発言の影響などもあって、昨年12月の総選挙や4月の統一地方選でも維新の会の勢いが止まっていたからだ。

 もともと権力志向が強烈だった橋下市長は、大阪都構想という制度いじりで目に見える実績をつくり、やがては中央政界をも席巻しようという野心を隠さなかった。現に12年の総選挙では300人の立候補、200議席を獲得するという目標を立てていた。が、脱原発を掲げた倒閣のもくろみの場面での豹変に続き、今回の都構想の挫折で、政権取りのステップは今回も頓挫したわけだ。

◆アジテーター

 確かに橋下徹は、日本政界のなかでまれに見るアジテーター(扇動者)だった。バラエティー番組で鍛えたワンフレーズ・ポリティックス、メディアや有権者が飛びつきやすい二者択一を煽る政治手法で常にマスコミの寵児となり、劇場政治を演出した小泉首相に続く希有のアジテーターだった橋下市長。

 橋下市長は、弁護士時代から競争至上主義の弱者蔑視が目立ったが、手っ取り早い身近な敵として日教組や自治労をバッシングの標的にしてきた。府・市政への不満の捌け口にするためだった。

 教師による君が代斉唱では、口元調べまで行わせ、自治労のヤミ専従や組合事務室へのバッシングも半端ではなかった。また特定の個人をやり玉に挙げた批判や、ネット記事への罵倒、あるいは記者会見で取材記者を名指しで罵倒したり……。〝破壊者〟〝改革者〟を自認する割りには、自身を批判・否定する声には常軌を逸した罵倒を投げつけた。メディアや街頭の声にいちいち批判の声をぶつける安倍首相とも重なるような、改革者とは思えぬ度量の狭さも如実に表れた態度に終止した。

◆代行・独裁政治

 橋下徹のトップダウンの強権主義は、なにも政治手法に限ったものではない。そもそも民主主義に対する認識がまるでないのだ。日教組や教育委員会に対する攻撃では、結局は教育委員会の権限を首長が奪い取ることに終止し、教育への住民参加や保護者参加など、教育民主主義の可能性には目もくれなかった。首長は有権者の信任を受けており、首長の意向はすなわち住民の意向である、と。

 そうした態度は代表制民主主義での一半の真理は含まれてはいるものの、それはあくまで一面に過ぎない。選挙とはその時点での多数意志の存在場所を確認するものでしかなく、どちらが正しくてどちらが間違っているという判定ではない。今日の少数派は明日の多数派であり、その少数派が多数派になる可能性を保障したものでなければ、安定した施政は出来なくなる。そうした理解が欠落しているのだ。

 橋下市長は、かつて記者会見でも語っていた。民主党政権時代の2011年には、大阪都構想に関連して「今の日本の政治で一番重要なのは独裁。独裁と言われるぐらいの力だ」と公言していた。2012年には「決定できる民主主義」を掲げ、「有権者が選んだ人間に決定権を与える。それが選挙」だとし、「選挙は白紙委任」であって〝期限付きの独裁者〟であってしかるべし、という趣旨の発言もしていた。

 確かに現行の選挙は白紙委任という性格がある。が、民主主義や住民・国民主権を重視するなら、拘束委任の性格を強化することこそ課題となるはずだ。が、白紙委任という現行の選出方法の限界にはまったく無頓着、逆にそれを利用して決定権を独り占めにする独裁者で良いのだ、と公言するわけだ。

 選挙、議会制民主主義に対するこうした理解は、「私が最高責任者」という安倍首相、「最後は多数派が好きに決めればいい」という小沢一郎と相通ずる代行主義そのもので、いずれも自身が意志決定者だという考えを体現した政治家ではある。橋下維新の会が掲げた統治機構改革でも地域主権でも、結局は、官僚組織かそれとも選挙で選ばれた独裁者かという、要は誰が権力を行使するかという選択でしかない。民主主義や住民自治など頭にないのだ。

◆権力取り

 こうした意味でも、橋下市長は徹底的に権力政治家、権力志向の政治家だった。橋下市長が掲げてきた大阪都構想も、大都市での組織いじりで形の見える実績を積み、それをステップとして中央政界を席巻するための足がかりでしかないのだ。今回、大阪都構想が挫折して政治家引退を表明したのも、彼自身が目標としたものが、単に「末は博士か大臣か」という立身出世コースではなく、あくまで権力機構のトップとして独裁的な権力を行使したい、という本意とその挫折が表れているのだ。

 その〝発信力〟と〝突破力〟で改革者・革命児を演じてきた橋下市長。そのわりには社会的弱者への視線がまったく欠落し、なにより資本・権力への無批判ぶりが際立っていた。統治機構改革も誰がどう統治=支配するのかでしかなく、改憲への野望も隠さない、大企業、財界に対しても、法人税半減など資本・企業追従が目立った。
 そのことは冒頭でも触れた脱原発問題で象徴的に現れた。当時の野田民主党政権の原発再稼働の動きに反撥し、〝倒閣〟も公言した橋下市長だったが、関電や関西財界の恫喝に屈して脱原発の旗を下ろしてしまった。当時の脱原発の世論を背景として政権取りを宣言したわけだが、見込みが無いとみればあっさり豹変、脱原発も今回の都構想も、彼にとっては権力取りの材料でしかなかったわけだ。

◆幕引き

 橋下維新の会が、二者択一政治や独裁的・強権的手法という手っ取り早い解決手法をひっさげて政界を席巻したことには、個人的資質以外にも理由がある。衆参ねじれ国会という「決められない政治」への不満が拡がっていたこともあるだろう。とりわけ東京一極集中で衰退傾向が止まらない大阪では、「大阪から日本を変える」と大風呂敷を拡げ、大阪を居城として東京の中央政治にも遠慮会釈無しにちょっかいを出す橋下市長に喝采を送る人も多かったのだろう。それだけ世の中に不満やストレス、それに閉塞感などが充満しているのだ。

 それらは元を正せば、〝失われた20年〟という経済的な停滞、その中で広がる格差社会や将来不安などによるものだろう。が、そうした本来の本丸はどこへやら、いまではアベ改憲の補完勢力として、安倍首相に利用価値が認められるだけというのが〝改革児〟〝革命児〟の最近の姿だったのだ。

 住民投票での敗北を受けて政治家引退を表明した橋下徹。が〝潔い引退表明〟を演出することで次の劇場を夢想しているのだろうか。

 ただ私たちがめざすのは、橋下市長のようなスーパースターによる代行主義や独裁政治ではないハズだ。橋下市長が避けつづけた大企業・財界と中央・地方の官僚体制と結託した自民党によるムラ社会の複合体でもある〝政官業体制〟の転換こそが本来の本丸なのだ。まずは橋下劇場を幕引きさせ、格差社会の打破など、私たち労働者・市民による〝ムラ社会複合体〟を解体する闘いを拡げていきたい。(廣)


 大阪市を廃止・分割しようとする「大阪都構想」否決!

 維新は存続の危機に!

さる5月17日、大阪市を廃止・5つの特別区に分割する「大阪都構想」の賛否を問う住民投票が行われました。結果は、反対が705585票、賛成が694844票、その差わずか10741票で反対が賛成を上回り、大阪市の存続が決まりました。橋下徹大阪市長(地域政党・大阪維新の会代表)が提唱し、5年余にわたって続いた「大阪都構想」はこれでなくなります。 
橋下市長は17日深夜記者会見し、年内に行われる市長選には出馬せず、政界から引退する考えを示しました。これで、大阪維新の会も維新の党も存続の危機にたつでしょう。安倍政権は、橋下市長ら維新と連携して憲法改悪を企んでいましたが、取りあえずこの流れにくさびを打つことができました。

 今回の大阪市住民投票で何が争点だったかを見てみます。橋下市長ら維新は、政令指定都市である大阪市を廃止して5つの特別区に分割→大阪市の権限と財源を大阪府に移行しようとしていました。結局橋下市長らがやろうとしていたのは、ここにつきると思います。大阪市の権限と財源が大きく縮小→大阪府の権限が増大します。権力の集中による権力の暴走が大きくなります。

 仮に「大阪都構想」が実現していたら、大阪市は年間2200億円の権限と財源を失い自主財源が4分の1になります。その2200億円は、カジノや無駄な高速道路建設などに使われるでしょう。大阪都構想の初期費用が680億円もかかり、財政効果は年たったの1億円しかありません。それから、水道など大阪市全体で業務を行なう組織として、一部事務組合を作るので大阪府・特別区・一部事務組合という2重行政の解消どころか、3重行政になってしまいます。財源と権限が大幅に減るので、市民サービスが低下するのは必然でした。

 現状の不満をある程度吸収した橋下市長

 選挙戦は、維新対自民、公明、共産、民主と言う図式でした。これだと普通は、楽に反対派が勝つはずでしたがそうはなりませんでした。出口調査では、自民党支持層の4割もの人が、賛成に回ったり20代から50代の人の賛成が多かったです。現状に対する不満が、賛成票を押し上げたのでしょう。反対派は、5月10日自民、共産、民主で合同演説会を開催するなど結束して運動を展開していました。

 5月17日の選挙当日も、投票会場前で反対派と賛成派が選挙運動をしていました。結果は、辛くも反対派が勝利して「大阪都構想」を否決することができほっとしています。

 民主主義をわかっていない橋下市長! 

橋下市長の今までの発言を振り返ると、とてもまともではありません。「日本の人口は6000万人ぐらいでいい」、「能や狂言が好きな人は変質者」、「今の日本の政治で一番重要なのは独裁」、「僕が直接選挙で選ばれているので最後は僕が民意だ」、「(選挙は)ある種の白紙委任だ」

 また、「大阪府は破産会社と同じ」とデマを流し、公務員をスケープゴートに仕立て上げ、「思想調査」を行ない、内部告発や密告を奨励しています。府立和泉高の校長が国歌斉唱の際、口パクかどうかチェックをしていた件について、橋下は「完璧なマネジメントだ」と述べています。「(大阪について)こんな猥雑な街、いやらしい街はない。ここにカジノを持ってきてどんどんバクチ打ちを集めたらいい」「2万パーセント府知事選には出ない」と言いながら、出馬の準備を進めていたし、「敬老パスはなくしません」と書いておきながら敬老パスの有料化を打ち出したり。うそつきです。児童の母親にセクハラをした公募校長に対して橋下は、「絶対に許されない失敗だとは思っていない」。女性職員にセクハラした東成区長については「もう一度チャンスを与えていただきたい」。身内に甘いが、気に入らない相手には法的根拠もなく厳罰を下します。

 市営地下鉄で男性助役がタバコを吸って火災報知機が作動し、電車が一分遅れたことがあったが、橋下は「(自分に対する)挑戦的な行為」「過去の事例と関係なく厳罰にする」と述べ、懲戒免職の検討を指示しました。結局助役は、停職3カ月の処分を受けました。

橋下市長は今年の12月に任期が切れそれで退陣するでしょうが、それまでも何か悪政をやるでしょうから、監視が必要です。そして、第2の橋下を出さないようにしていかないといけません。 (河野)案内へ戻る   


 十四年度GDP成長率 マイナス1%のショック

[東京 20日 ロイター] - 甘利明経済再生相は20日、2015年1─3月期の実質国内総生産(GDP)成長率が年率換算でプラス2.4%、名目では年率プラス7.7%となったことを受け、財政健全化の前提となる成長率を確保できる可能性が高いとの見通しを示した。
2020年度に向けた財政健全化計画では、実質2%程度・名目3%程度の成長を想定している。甘利再生相は「比較的初期段階でこの数字が確保できれば、目標以上に経済が回復してくる」とし、このペースを巡航速度にしてくためにも「経済の好循環をしっかり回していく」と語った。【ロイターここまで】

■アベノミクス本性あらわ 生活破壊

しかし、甘利大臣のコメントは「景気は緩やかに回復」「好循環へもう一歩」と、テープ音声のように無責任な楽観論をこの二年間繰り返してこなかったでしょうか。どんなデーターが出ても同じコメントですから信ぴょう性に欠けますね。

ところで、五月二十日には内閣府発表があり、十四年度実質GDP成長率は、大方の予想を下回りマイナス1%となっています。これは衝撃のニュースなはずです。
去年の日本経済パフォーマンスは、近年としては、百年ぶりの大不況と言われた「リーマンショック」以来、五年ぶりの落ち込みです。甘利大臣のこれについてのコメントはないようだから、コメント不能の不都合な真実なのでしょう。

大マスコミもほとんど報道しないか、小さな扱いなのは政治的意図が感じられます。

私は経済成長絶対論者ではないけど、GDP成長率がマイナスということは、そもそもめったにないことなのです。過去の数字をいくつか確認してみます。

戦後初めてとなった世界同時不況である1974年の「第一次オイルショック不況」ですら、落ち込みはマイナス0.5%でした。上記のリーマンショック不況では08年マイナス3.7%,09年マイナス2.0%と戦後史上最大の落ち込みでした。

マイナス成長はそれ以外では、バブル崩壊後の1993年のマイナス0.5%さらには1998年のマイナス1.5%となります。これくらいです。

つまり、今回の不況は戦後では有数の深刻なものだったのです。

安倍首相が常々主張してきた「失われた20年をとりもどす」「アベノミクスによるデフレ脱却」ですが、検証してみましょう。

この「デフレの約20年間(91~13年)」の平均GDP成長率は、実はプラスの0.9%なのですよ!

安倍首相の公約は完全に裏切られているでしょう。「20年間のデフレ(低成長)」の後に、さらにひどい不況(本物のデフレ)が到来したということが経済的事実なのです。

これだけでも首相退陣に値するのではないでしょうか。

しかも、内容が悪い。

国内の需要(内需)のみの統計であれば、さらに悪くGDPはマイナス1.6%にとどまっています。なぜかといえば、国民の消費支出が委縮しているからなのです。実質個人消費支出は過去最大のマイナス3.1%です。
さらに、どうして国民消費支出が委縮するのかと言えば、労働者の実質賃金が二十三ヶ月連続でマイナスという最悪の事態があるからなのですね。年間雇用者報酬はマイナス1.2%です。
ほとんどの国民にとって「アベノミクスの恩恵」なんてありません。
これだけでアベノミクスが無効であるどころか、国民・庶民にとって害にしかなっていないのがわかるでしょう。「経常利益過去最高」と盛り上がっているのは一部の大資本のみ。
しかも、あとで触れますが、本業というよりは金融大緩和に乗って「金融経済=証券債券取引」などで稼いでいるのです。
今回の日本発・アベノ不況の固有の原因としては、もともと景気が低迷していた時期での、去年の春の消費税増税と金融大緩和によるリフレ(1~2%の緩やかなインフレ)により、大衆消費力がさらに減退したとみるほかはないでしょう。

■経済の金融化象徴する 経常収支報告

経済の金融化を象徴しているのが、ひとつにはバブルによる「株高」でしよう。年金積立金管理運用独立行政法人 (GPIF)などによる官制相場に外国投機筋が上乗り。さらに国内民間法人・個人もつられて参加しています。

しかし、いろいろ考えさせられたのが公表された十四年度の「経常収支報告」(五月十三日財務省)です。

貿易の輸出・輸入が減った増えた、という話はおいといて。(約六兆六千億円の赤字ですが。)

注目は近年最大の黒字要因に躍り出た「所得収支」という項目です。これは日本企業が海外に大規模に進出してその「上がり」を国内に持ち込むことで生まれます。進出企業の利潤の一部などが通常は考えられます。事実、それも増大しています。

同時に、「証券投資収益」という、債券や証券類からのモウケが、経常収支「黒字」におおいに貢献しているのです。十四年度は過去最大の十九兆円であり、このために日本の経常収支は、貿易赤字を補てんして、さらに黒字になっているのです。そこから読み取れるものは。

①日本国内の投資先が乏しい。(日本経済の基礎は改善されていない)
②直接投資として海外での生産、さらに金融的参加による利益が増大している。
③経済の金融化が、国内外で加速している。
という諸点です。

日本資本主義は、ますます寄生的で不活発で、しかもピケティなどが示したような格差社会を強める傾向をしめしています。これは何もアベノミクスだけの問題ではありません。新しい、協同的な経済を創り出す運動が急務です。

■景気には谷があれば山もある

今後日本のGDPは、「失われた二十年」の経済成長率が平均で0.9%なのですから今後、日本経済が1~2%程度に上昇することは可能です。

そもそも、わたしはGDP推進論者でないので、景気が上がったり下がったりで一喜一憂するものではありません。市場経済なので、景気が加熱したりバブルがはじけたりと繰り返しが延々と続くでしょう。

問題なのは、労働者勤労者、そして年金受給者などの生活です。福祉切り捨てが進む中で今後はこれらの人たちのワーキングプア化、大法人企業の繁栄という二極化が明瞭になるでしょう。派遣法改悪や「高度プロフェッショナル制度(残業代ゼロ法)」などともからみます。

春闘も終わりころでしょうか。成果はいかがでしたか?

企業社会=資本主義という鉄鎖を克服する根本的な発想転換が必要ではないでしょうか。(文)


 日本の平和主義の衣は1枚のイチジクの葉

そして、このイチジクの葉がいよいよ安倍政権により剥がされようとしています。

十四日閣議決定された法案は、集団的自衛権を行使しうる具体的法律です。それは「国際平和支援法」と「平和安全法制整備法」(十本より構成)。これらは十一本まとめて提出されようとしているのです。

その名が「国際平和支援」だの「平和安全」だというのだから、国民をなめるのもいい加減にしてほしい。

自公政権は、十一本をまとめ夏までに成立させようとしています。

あらためて述べます。

これらの法律は、「平和」「安全」とは名ばかりです。米軍などとともに自衛隊を戦地に送り出し、戦闘をさせることを前提とした「切れ目のない法整備」となっています。

同時に昨日は国会において、「防衛省設置法」が改定され「防衛装備庁」新設と「文官統制廃止」が可決されてしまいました。

これらにより自衛隊制服組の意向が、政治に強い影響を持つことになります。

◆戦争ビジネスというアリ地獄

それだけではなく「防衛装備庁」を中心に軍需産業界の組織的統合や、米国やオーストラリア等海外との軍備共同開発などが飛躍的に拡大する危険性があります。

米国の世界戦略は、おおよそ軍産複合体の影響力の下で作られてきました。

「共産主義の脅威」「テロとの戦い」「悪の枢軸」「自由を守る」等々は建前のみです。軍産複合体は「戦争はビジネス」と考えており、中心はロッキード・マーチン、ボーイング、レイセオン、TRW、ノースロップ・グラマン、ジェネラル・ダイナミックスといった、米国を代表する巨大企業なのです。収益の半分ぐらいを軍需が稼ぎ出しています。米国は、実は「戦争なしではやっていけない国」になっているのです。たえず敵を創り、「イスラム国」「北朝鮮」「イラク」「中国」等々脅威や危機を演出します。そして軍事介入や武器支援で大儲けができるのです。

軍産複合体は、時の政権にメンバーを参画させています。ユダヤ系ロビーやキリスト教右派などと共同し有力政治家に大きな影響をふるっているのです。 また教育、マスコミに大きな影響力を持つばかりではありません。豊かな資金力で労働組合や一般政治家にも大きな影響力を行使できます。民主党や共和党の区別はありません。

軍産複合体は、米国のみならず欧州にもあります。戦争ビジネスは、世界的な現象です。

今年の国際ニュースで、オーストラリアの造船労働組合が、日本製潜水艦の購入に抗議する騒ぎがありました。それは反戦が目的ではありません。「日本に仕事を取られる」「防衛軍備は自国で作るべきだ」というものでした。

このように、いったん産業として定着し発展し、多数の雇用者がうまれると、そのおこぼれにあずかりたい政治家や研究者や「教育者」たちが群れてゆきます。労働組合の幹部ですら例外ではなくなるのです。

今日、日本政府が進んでる道は、世界の強国として覇をなすこと。中国と対峙しうる戦力を獲得すること。それらのことで国民をあおりながら、このような「戦争=軍需」を新たな「成長産業」として確立することです。先月発表された日米新ガイドラインからは、米国の戦略転換に乗りながら、これらの達成を目指していることが読み取れます。

もはや戦争から足を洗えない国になってしまいます。

もう一点付け加えたいことがあります。

自民党や政治評論家がたびたび口にする言葉に「普通の国になる」というのがあります。「欧米先進国と同等になるだけで、軍国主義の心配はないと」。

ただし、日本が安倍首相(や後継者)の下で「普通の国になる」「正常化する」(つまり英・仏国のような)軍事国家にとどまる保証はないというのが、付け加えたい私の意見です。

安倍首相をはじめ日本の軍国主義者と一部の国民は、欧米諸国主導による戦後体制に不満を持ち、「東京裁判」を否定しその転覆を常に念頭に置いているからです。(文)案内へ戻る


 南シナ海  大国主義と冒険主義の交差する海

■南沙諸島

南シナ海の南沙諸島(英語名・スプラトリー)をめぐり、近年、フィリッピンと小競り合いがあったが、ここへきて緊張が一気に高まってきた。中国の埋め立て活動について米軍機が監視活動を強化し、さらに中国の「領海内」に入り込もうとしているからだ。米海軍が空母ロナルドレーガンなどを派遣した。


そもそもフィリッピンによる埋め立て工事(軍事施設と考えられる)の中止要請を、中国が無視した形で火種はくすぶり続けてはいた。そうしたなかで従来「領有権問題には関与しない」としてきた米国の強引と思われる今回の介入活動は、「戦争」の悪夢を彷彿とさせる冒険的な対応であり、強く非難されなければならない。

米国は新たな戦争を起こすのだろうか。米軍は戦端の決意を固めたのだろうか。

■冒険主義 米国

報道によれば、中国側の抗議が続く中で「米国側は、中国が埋め立てている「島」の「領海」(12カイリ=約22キロ)内と上空で、米軍艦船や航空機を航行させ、航行や飛行の自由を体現することを「次の目標」と明言している。」【毎日5/26 北京・石原聖】

ロイターの軍事評論家(元米軍高官)ですら、米国の対応は危険だ、と指摘する。

【ロイターコラム5/22】(要旨)
“南シナ海めぐる米国の「危険な賭け」”
「しかし、このやり方は間違いだ。カーター国防長官もシアー国防次官補も、そしてハリス司令官も、中国 が暴力的に反応する可能性を真剣に考えているようには見えない。
・・軍事衝突になった場合、成功の見通しは極めて低い。
・・攻撃的なアプローチを正当化するためには、米国は、中国による人工島の建設が米国の利益にとって脅威であると断定しなくてはならない。人工島が航行の自由を阻害しているという主張は、目くらましにすぎない。・・これらの行動はどれも船舶の航行を阻害しているとまでは言えない。
・・米国は南シナ海の領有権問題では特定の国に肩入れしておらず、当事国に対しては平和的な解決を訴えている。当事国同士が「殴り合い」にならない限り、中国の領有権主張をめぐって米国が核保有国である中国と戦うリスクを冒すのは軽率というものだ。【ロイターここまで】

■限りない戦争への欲望

今朝(5/26)のニュースでは、空母ロナルドレーガンの艦長や軍関係者が、フィリピン側の歓迎を受けながら口々に「抑止力を働かせる」「不測の戦闘を防止する」かの発言が続いた。しかし、実際はその逆であり、南シナ海の緊張を一気に高めたのである。挑発行動にもひとしい。

当事者間の話し合いを無視するかたちでの中国の一方的埋め立ては、容認することはできない。とはいえ、人口の砂の島を巡って巨艦空母を差し向けるとい米国の決断は、よほど状況認識が甘いのか、それとも「中国と一戦交える」決意なのかもしれない。

とすれば、米国はイラク、アフガンそして南アジアで戦線を持つことになる。

南シナ海の緊張の帰趨は、日本の戦争立法の論戦にも小さくない影響を与えるだろう。尖閣と似たケースともなるだろう。

おりしも中国は国防白書を五月二十六日公表した。その中では「埋め立てによる人工島化で緊張が高まる南シナ海を念頭に「海上での軍事衝突に備える」と明記。陸軍重視の軍の思考を、海上重視に切り替える方針を強調した。」【毎日新聞 北京・石原聖】 (文)


 紹介・・・あとは野となれ!核廃棄物

 何処までも埋め捨てか!

 高レベル放射性廃棄物をどうするのか。5月22日、原発の再稼働と新規建設、原発輸出を目論む安倍自公政権は、待ったなしとなっている使用済み核燃料処理について新たな方針を決めた。と言っても目新しいものは何もない。埋め捨て方式はそのままに、自治体からの〝公募〟による候補地探しをあきらめ、政府が適地を選定しようというものだ。

 例によって、候補地として文献調査受け入れたら最大20億円、第2段階の概要調査まで進んだら最大70億円の交付金が自治体に転がり込む。進んで手をあげて候補地となる自治体が現れることが望めないなかで、〝金目〟で処分地選定を進めようというのだ。

*昨年6月16日、石原伸晃環境相は東京電力福島第一原発事故の除染で出た汚染土などを保管する中間貯蔵施設の建設をめぐり、首相官邸で記者団に対し「最後は金目(かねめ)でしょ」と語った。

 この国の無責任はあらゆる方面に及び、安倍政権において全面開花したかである。原発立地は過疎地にカネをばらまくことによって実現したが、廃炉は先のこととされた。使用済み核燃料の処理の当てもなく、再処理のために中間貯蔵していることになっている。

「政府は、一度発電に使った使用済み核燃料から、発電に使えるプルトニウムや燃え残りのウランを取り出す『再処理』を行い、新たな核燃料として再利用する『核燃料サイクル』をエネルギー政策の中核に位置付けてきた。しかし、その中核となる高速増殖炉や、国内の再処理工場が稼働できず、サイクルは事実上破綻している。このため、使用済み核燃料を原発から出せず、発電所内にたまり続ける事態に陥っている」(5月23日「毎日新聞」)

 原子力ムラの面々には、この難題を解決できない。だけど、原発を捨てることも出来ない。たとえ捨てたとしても、高濃度放射性廃棄物がなくなるわけではない。そのより安全な処理、難題の解決は原発が生み出した電力を消費してきた我々にも突き付けられている。原発に反対してきたからとて、責任を逃れることはできない。

 日本学術会議の提言

 そこで、日本学術会議「高レベル放射性廃棄物の処理に関するフォローアップ委員会」の提言を紹介しよう。フォローアップ委員会は4月24日、提言「高レベル放射性廃棄物の処理に関する政策提言‐国民的合意形成に向けた暫定保管」を発表した。日本学術会議は2010年9月7日、原子力委員会委員長から「高レベル放射性廃棄物の処分の取組における国民に対する説明や情報提供のあり方についての提言のとりまとめ」を依頼され、12年9月11日、「高レベル放射性廃棄物の処分について」回答を行った。

 回答では、「原子力発電をめぐる大局的政策についての合意形成に十分取組まないまま高レベル放射性廃棄物の最終処分地の選定という個別的課題について合意形成を求めるのは、手続き的に逆転しており手順として適切でない」とし、この政策的誤りをいったん白紙に戻すべきとしている。そのうえで、暫定保管と総量管理をいう新たな政策枠組みを示した。

 今回の提言は、「回答のより具体的な方策について技術と社会という総合的視点から検討を重ねた結果、以下12の提言を取りまとめた」ものである。実に懇切丁寧な取り組みだが、聞く耳をもたない政府・経産省はどこまでも交付金に物を言わせた埋め捨て方針を変えるつもりはないようだ。とは言え、日本学術会議の提言がめざす高レベル放射性廃棄物の処分についての合意形成は、脱原発となっても残る課題であり、成し遂げなければならない課題である。

 それでは、提言の内容はどのようなものか。①暫定保管の方法と期間、②事業者の発生責任と地域間負担の公平性、③将来世代への責任ある行動、④最終処分に向けた立地候補地とリスク評価、⑤合意形成に向けた組織体制、となっている。以下、簡単な解説を試みよう。

 暫定保管と合意形成

 まず、暫定保管は中間貯蔵(及び地層処分)とは似て非なるもの。中間貯蔵というのは、再処理のために使用済み核燃料を保管するもので、それは核のゴミではなく再処理のための原料という位置付けになる。まるで、悪徳処理業者が産廃を再利用する原料だとして山野に放置するに等しいものだ。それがゴミなら、危険性に応じた処理・保管を行うことが義務付けられている。

 ①の暫定保管とは、最終処分に向けた技術開発と処分地を確保するための合意形成までの保管、期間は50年としている。保管方法は湿式のプール貯蔵ではなく、乾式の地上保管が適切だとしている。期間は30年かけて地層処分のために合意形成と適地選定、その後20年で処分場の建設を行うというもので、一世代30年で大量の核廃棄物を発生させてしまった世代の責任を果たすという意味があり、50年は保管施設の技術的設計寿命を示している。

 廃棄物を発生させた事業者が廃棄物に責任を負う「発生者責任の原則」は、原発においても適用される。原発においては立地と受益が乖離している。東電が典型で、原発立地は福島県や新潟県なのに、受益は首都圏となっていて、負担を他に押し付ける「フリーライダー(ただ乗り)」と言われる所以である。②の地域間負担の公平というのはこのことであり、暫定保管や最終処分は受益地域が引き受けるべきだとしている。

 ③の将来世代への責任では、「原子力発電所の再稼働問題に対しる判断は、安全性の確保と地元了解だけではなく、新たに発生する高レベル放射性廃棄物の保管容量の確保及び暫定保管に関する計画の作成を条件とすべきである。暫定保管に関する計画をあいまいにしたままの再稼働は、将来世代に対する無責任を意味する」と指摘している。

 さらに、「このような条件を明確化しないままの、既存の原子力発電所の再稼働や新規原子力発電所の建設は、将来世代に対する責任倫理を欠くと同時に、世代間の公平性を満たさない」、と再稼働を急ぐ現状を批判している。提言は再稼働反対、ただちに脱原発とは明言していないが、目先の受益と将来世代への負担押し付けの無責任をきびしく批判している。

 関電からのお知らせ?

 この原稿を書いている5月25日、「関西電力からのお知らせ」というあて名のない全世帯配布の郵便(タウンプラス)が届いた。内容は「電気料金の値上げについて‐認可をいただいた料金等のお知らせ‐」だ。地域独占だということで、こうして有無を言わせず電気料金値上げを押し付け、「一昨年に続く再度の電気料金の値上げにより、さらなるご負担をおかけいたしますことを、あらためて深くお詫び申し上げます」などと慇懃無礼に書くことができるのだ。

 お知らせには次のような説明もあり、何卒ご理解を賜りますようにお願い申し上げますと結んでいるが、差し止め決定が出ている高浜原発の再稼働を〝理解〟出来るわけがない。

「弊社は、今後も引き続き、徹底した経営効率化に最大限の努力を積み重ねながら、安全性が確認された原子力プラントの1日も早い再稼働を実現し、電気料金の値下げを行うとともに、最大の使命である電力の安全・安定供給に全力を尽くしてまいります」  (折口晴夫)案内へ戻る


 エイジの沖縄通信(NO・11) 「オール沖縄」から「オールジャパン」へ

  ・5.17沖縄県民大会に3万5000人の熱気!
  ・5.24東京国会包囲に1万5000人が結集!

1.「那覇セルラースタジアム」が青一色に染まる

 5月17日(日)、那覇セルラースタジアムで辺野古新基地建設反対の県民大会が開催された。続々と参加者が詰めかけ、通路や最後尾にもぎっしりと人があふれ、スタンドもグランドも超満員。急遽、開放された外野席もすぐにいっぱいに。主催者発表で3万5千人の参加者と発表された。

 大会決議では、辺野古新基地建設・県内移設断念と普天間飛行場閉鎖・撤去要求を満場一致で、嵐のような拍手のうちに採択された。会場は大会のシンボルカラー「辺野古ブルー」の青一色に染まった。

 知事に就任して以來、初めて翁長知事が反対集会に参加。「あらゆる権限を駆使して、絶対に辺野古に基地は作らせない!」との知事の力強いアピールに、参加者の拍手が鳴り止まなかった。

 県民大会での挨拶は、白梅同窓会の中山きく会長、稲嶺進名護市長、辺野古基金の共同代表などの地元挨拶。本土からの佐藤優さんや鳥越俊太郎さんなどそれぞれの挨拶はみんな素晴らしかった。しかし、県民大会一番のサプライズは、この県民大会の司会を勤めた普天間高校1年生の宮城りなさんの初々しい司会であった。

 米軍普天間飛行場に隣接する同市普天間で育ち、運動場の上を至近距離で米軍機が飛ぶ普天間第二小学校を卒業している。

 「体育の時間に耳をふさぐほどの騒音で、ものすごい怖い思いをした。学びの場まで脅かす基地は、もう要らない」。

 大会を終えて「政府は辺野古移設が唯一の解決策と主張するが、ジュゴンなどの貴重な生物を守ってあげたい。普天間基地はなくなってほしいけど、きれいな海を埋め立てるぐらいなら移設には反対」「沖縄の団結力を感じた。基地は沖縄にあってはいけないとあらためて思った」と話した。(5月18日付、琉球新報より)

 今回の県民大会の成功は、翁長知事に二つの成果をもたらせたと言える。一つは「5月下旬の訪米行動への弾み」(米政府高官に会って、沖縄を民意を訴える上で有効)となったこと。もう一つは、仲井真前知事が決定した辺野古埋立に対する、翁長県政による承認「撤回」の展望が開け、翁長知事が言う辺野古移設阻止に向けた「あらゆる手段」が具体化してきたこと。

 今後の闘いの展望を辺野古基金共同代表の呉屋守将さんは次のように述べている。

 「辺野古基金の総額は2億1100万円に達した。その7割近くが本土からの送金だ。これまでのオール沖縄だった闘いが、オールジャパンの闘いに変化してきた。・・・地方分権とよく言われるが、分権ではなく主権在民が国のあるべき姿だ。真に良い国づくりとは個人、地方を大切にすることから始まる。・・・地方の声を政策に反映することが、手間はかかっても成熟した民主主義だと言える。地方を犠牲にする安易な政策は翁長知事の言う怠慢であり、無能、傲慢な姿勢にほかならない。全国各地の仲間と連携を強化し、辺野古新基地を食い止めよう。」

 呉屋さんが指摘するように、今の安倍政権は「福島原発問題」でも「個人、地方を大切にしない」「地方を犠牲にする安易な政策」をすすめている。「辺野古新基地問題」も「福島原発問題」も地方だけの問題ではなく、日本全体の問題である。

2.「辺野古新基地NO」が国会を包囲する

 沖縄県民大会の1週間後の24日(日)、沖縄に連帯しようと国会を取り囲むデモ「ヒューマンチェーン(人間の鎖)」が行われ、市民1万5千人が結集し新基地建設を強行する政府の姿勢に抗議の声を上げた。

 国会周囲を4つのゾーンに分けて(「主催者関係」「労働組合関係」「市民団体関係」「若者関係」)結集し、参加者は辺野古の海を表す青色(辺野古ブルー)を身につけ、「辺野古新基地NO」のブラカードを全員で掲げた。

 沖縄から駆けつけた稲嶺進名護市長は「集団的自衛権を行使する安保関連法案が閣議決定された。辺野古の新基地建設と連動している。戦争する国にしてはいけない」と声を上げ「ウチナーンチュ(沖縄人)は孤立していないと今日実感した」と沖縄と本土の連帯を呼びかけた。

 いよいよ26日より安保関連法案の国会審議が始まった。「戦争する国」をめざす安倍政権は強引に審議を推し進め夏までに成立させようと画策している。

 それぞれの地域で皆の力を結集させ「オールジャパン」の闘いを築き上げて、安倍政権の安保法案を阻止しよう!(富田 英司)案内へ戻る


 色鉛筆・・・山菜と放射能

山菜、季節を感じます。美味しい時期です。この時期になると山菜採りをする人が増えます。

山菜採りが大好きな子供の友達の親、その方は福島市在住です。

その方から、先日、山菜を頂きました。こしあぶらです。

普通ならこれでありがとうと話して、終わるのですが、相手の方は、東日本大震災後、福島ゆえに、毎回、放射能検査をしながら山菜採りをしているそうです。

そして「気になりますか?」と心配そうに尋ねられました。

私はもちろん有りがたく頂きました。

今でも多くの方々が、避難しています。福島に戻れていません。

そればかりではありません。住んでいる方々もこの通り不安でいっぱいです。

たえず、放射能を意識しながら生活するしかないのです。福島の美味しい桃も東日本大震災以降値下がりしています。

 四月に、福島に行った時の光景は、ほほえましくも背筋の凍るものでした。

 公園では、親子連れなど、遊びまわる楽しそうな子供たちの声がしました。

しかし、そのわきには「除染作業中 立ち入り禁止」の看板があり、ロープが張ってありました。

 また、昨年のことですが、スーパーではレインコートなどと一緒に「放射線防護服」が、当たり前のように販売されていました。

 福島の復興を望みつつも、大変困難であることも実感しています。福島の「福」は。幸福の「福」とポスターが貼ってありました。私に出来ることは、観光地に出向くことぐらいしか出来ていません。

 安倍政権は、あらたな「放射能安全神話」にたち、これらの現実がまるでないかのようにふるまっていますね。職場でも、原発反対の署名は、多く集まります。そして、五月十三日の朝、六時十三分 緊急地震速報が鳴り響き、すごく揺れました。最初は震度五弱と表示されました。まだまだ、注意していかなければいけません。

原発事故、悲しいです。その後の東電と安倍政権には怒りを感じています。

山菜、最高!とても美味しいです。 (宮城 弥生)


 コラムの窓・・・なぜ落ちるオスプレイ

 今日のコラムのテーマは、今問題になっている「オスプレイ」について。

 本土の横田基地にオスプレイ配備が決定したなか、17日にハワイで訓練中のオスプレイが空軍基地に墜落して、2名が死亡した。

1.オスプレイの事故率

 開発段階から何度も墜落事故を起こし多数の死傷者が出ている。これまで38人が死亡、25人がケガをしている。米国では「空飛ぶ棺桶」とか「未亡人製造機」と揶揄されてきたオスプレイである。

 海兵隊仕様のMV22オスプレイの事故率(10万飛行時間あたりの事故発生確率)は、当時1.93とされていたが、現在は2.12と修正されている。空軍仕様のCV22オスプレイの事故率は7.21と高い。MV22が輸送機であるのに対しCV22は戦闘用ヘリに分類され、より過酷な条件で運用されるためとされる。

 民間旅客機の事故率(0.05以下)と比較した軍用機の事故率は異常に高い。民間機に比べるとMV22オスプレイの事故率は40倍超となり、CV22オスプレイは140倍超である。

2.「ヘリコプター」と「航空機」を合わせた機能

 「二兎を追う者は、一兎をも得ず」という諺があるが、まさにこの「オスプレイ」はこの諺通りである。

 このオスプレイの特徴は、離着陸の時はヘリコプターのようにローターを上に向けて長い滑走路なしで離着陸出来る。そしていったん離陸すれば、今度はローターの向きを前方に変えて通常の航空機のように翼の浮力を利用して進む。従来のヘリコプターより当然スピードが出て航続距離も長い。

 このようにオスプレイは一見、ヘリコプターと航空機の両方の特長を併せ持つ、夢の航空機のように思えるが。しかし、航空技術はそんなに甘くない。ヘリコプターと飛行機の特長を足して素直に2にはならない、技術的な制約が開発段階から問題視されてきた欠陥があった。だからこそ、オスプレイの開発が10年も長引き、2000年12月には事故の多発に驚いた国防総省は飛行を中断させている。では、その欠陥とは?

3.根本的な欠陥とは

 現在、オスプレイに関して一番問題視されているのが、「オートローテーション(自動回転)機能」の欠如である。

 普通のヘリコプターは、飛行中にエンジンが停止して機体が降下する際に、気流を受けてプロペラを回して軟着陸するが、オスプレイは普通ヘリより重量が重い、回転翼が4分の3程度しかないことで「オートローテーション」が利かないと指摘されてきた。

 オスプレイに詳しい市民団体「リムピース」の頼和太郎さんは「CBSテレビが公開した事故直前の動画を見る限り、降下のスピードが通常時より速い。訓練中にエンジンが停止し、オートローテーションを試みたが速度を緩和できず地面にたたき付けられたのではないか。今回の事故の場合22人も搭乗し、乗員の装備品を考えると重量もかなり加算されていただろう。ただでさえ利かないオートローテーションがさらに作用しない原因になった」と説明している。

4.ネパールからは「役立たず」との声

 4月25日に発生したネパール大地震の救援活動に参加している米軍の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイが現地での物資輸送中、住宅の屋根を吹き飛ばす被害をもたらしていたと、地元報道機関のカンティプール紙が5日付で報じた。

 同紙はインターネット配信記事の見出しでオスプレイを「useless(役立たず)」と批判している。オスプレイは米軍普天間飛行場所属とみられる。

 在日米海兵隊は被災地支援活動のために、米軍普天間飛行場所属のオスプレイ4機をネパールに派遣。3日には同国のトリブバン国際空港に着陸している。同紙によると、うち1機がドラカのチャリコート地区本部に300キロの救援物資を輸送した。だが、1機は同量の物資輸送中に、住宅の屋根を吹き飛ばす被害を発生させた。

 最後に、恐ろしいことに米軍はまだ「原因を公表」せず、翌日から普天間のオスプレイの訓練を再開させた。今も毎日沖縄の住宅地上空を飛んでいる。沖縄の翁長知事が運用停止を沖縄防衛局に求めたのに、日本政府は「オスプレイは安全である」と強調、米軍に運用停止を求めない追随姿勢が大問題だ。(英)


 読者からの手紙投稿

自称、左派系アナキストだが、怠慢・愚鈍は致命的で、状況に振り回され、無力に打ちひしがれている。戦後民主主義は虚妄だったのか。恐るべき戦前からの天皇制的心情システムは無関心、自己中の消費大衆社会と一体構造化。

今日、まさかのあってはならない戦争国家化へ一直線。安全・安心物質的豊かさのみの日本人は、低迷、分裂する革新、リベラルを尻目に、すでに身をゆだねている。外圧でしか変わらない悪しき伝統・体質に我々少数の超リベラル派は、決死的行動を展開しない限り、未来は暗黒だ」。(F) 案内へ戻る