ワーカーズ539号 2015/7/1      案内へ戻る   

 敵を望む安倍政治  その巨大な歯車を動かしているのは誰

 A級戦犯にして首相となった岸信介の霊が乗り移ったかの感がある安倍晋三首相が、異例の長期国会延長で戦争法案をなりふりかまわず成立させようとしている。それは安倍の願望の実現ということを超え、武力を背景とした利益拡大を目指す資本の欲望が反映されている。

 武器輸出の解禁を勝ち取った三菱重工業をトップとした軍需産業は今後、自衛隊員が戦死するようなことになっても、生産の軍事化に利益を見いだしているのだ。米軍との共同行動や海外経験を積んだ自衛隊も、文民統制から解放されて〝軍部〟としての発言権を強めようとしている。

 米国では軍産複合体が政治を動かし、兵器の生産と消費を続けている。それは他国での破壊と殺戮、自国青年の生命や精神をも破壊する暴虐なのだが、止めることができないのだ。そして、その巨大な歯車を動かし続けるために常に敵を必要としている。今ではそれがイスラムのテロ勢力ということになるのだろうが、それは自らが生み出したものではないのか。

 日本においても、まるで今にも戦争を仕掛けられそうだとか、テロの危険性があるだとか、敵を望む勢力は敵探しに余念がない。冷静に考えれば、安倍的政治こそが敵を生み出そうとしているのだが、少なからぬ国民は〝領土を守れ〟といった扇動に乗せられている。国益が国民を守るものではないということを、過去の歴史から学ばないなら、再び惨禍を見ることのなるだろう。

 原発の再稼働と輸出も同じ流れのなかにある。1基5000億円の原発輸出は関連インフラ輸出も含めれば巨大な利益を原発メーカーなどにもたらす。輸出先の原発技術者を養成するためにも国内の原発は稼働していなければならないのだ。ここに集う「原発利益共同体」は、電力やゼネコン、鉄鋼、メガバンク、メーカーで構成される日本の財界中枢である。

 目の前で繰り広げられている劇に眼を奪われることなく、その裏に巣食うものたち、利益を得るものたちを見逃してはならない。目前の安倍的政治を何としても止めなければならないが、それに止まることなく、この国の軍産複合体の芽を摘み取らなければならない。 (折口晴夫)


 ギリシャとEU危機はどっちだ?

 毎日のように、「ギリシャデフォルトか?」「ギリシャEU離脱へ」と言った国際ニュースが流れてくる。ギリシャの債務返済を巡ってIМF(国際通貨基金)やECB(欧州中央銀行)とのやりとりについてあらためて、現況を概観してみよう。

 まずは、これまでの経緯を含めて「ロイター」などを参考にまとめてみます。

■今回の「危機」の経緯

 ギリシャの債務は2012年の再編を経て、現在は3130億ユーロと、国内総生産(GDP)の175%相当となっている。その大半である約1800億ユーロは金利の低いユーロ圏諸国向けだ。その上、返済が始まるのは2020年で、30年かけて返済すれば良い。従って、債務の現在価値は額面の公式数字を大幅に下回る。

 話はここでは終わらない。ギリシャはこのほかに4種類の債務を抱えている。欧州中央銀行(ECB)に対する270億ユーロ、国際通貨基金(IMF)に対する200億ユーロ、民間債務、そして国庫短期証券だ。

(しかし)民間債務の大半は期間延長済みなので、差し迫った問題にはならない。国庫短期証券も今のところ借り換えができているので問題ない。

(他方)ECB=欧州中央銀行とIMF=国際通貨基金に対する債務は、大半が5年以内に期限を迎えるので厄介だ。実際、9月末までに100億ユーロ分が満期を迎える。

 その上、IMFとECB向け債務の返済期限延長は規則や条約によって禁じられている。現在の交渉が、ギリシャが返済義務を果たせるよう資金を貸し出すことの是非に集中しているのはこのためだ。【ここまでロイター6/18】

 さらに今回、差し迫った危機が予想されているのは以下の理由からだ。

 ギリシャ政府は、6月中に予定されていた4回で合計16億ユーロのIMFへの支払いを6月30日に一括で実施する方針に切り替えた。

 融資再開に向けた協議が7月以降にずれ込むと、6月末を期限とする現在の支援プログラムが失効してしまう。その場合、ギリシャは中断している72億ユーロの融資やEFSF(欧州金融安定基金)の管理下にある109億ユーロの銀行救済の予備資金を受け取る権利などを失うことになる・・。という具合である。

 ギリシャの中央銀行総裁も「おカネはない」と話している。それに対して強欲なIМFのラガルドは「返済ができなければギリシャは7月1日デフォルトになる」と脅しつけている。

 このように国際的金融組織などの「財政再建」包囲網で、ギリシャでは、銀行からの預金の引き出しが相次いでいる。一週間だけで、50億ユーロの預金が引き出された。

■ギリシャと国際債権団との対立点

ギリシャ側は富裕層や企業への増税や脱税の取り締まり強化を通じた税収増加を見込んでいる。対して、IМF・ECBら債権者側は付加価値税(VAT)の大幅な見直し(軽減税率を3段階から2段階に変更、観光振興を目的とした島への軽減税率適用の廃止)などを求めている。

つまり、若者の失業率が60%におよび困窮するギリシャ国民に、大衆課税である、消費税=付加価値税を強化せよという、ヒドイ話だ。

年金改革についての隔たりも大きく、債権者側が「即時」の給付減額や支給開始年齢の引き上げを求めているのに対し、ギリシャ側は「段階的」な給付抑制や支給開始年齢の引き上げを求めている。また低学年金受給者に対して支給する30ないし230ユーロの手当て支給の廃止を債権者側は主張する。

「緊縮財政反対」というスローガンで政権の座についた左翼SYRIZA(シリーザ)政権だ。債権者に対するこれ以上の妥協は難しい。またこれ以上の譲歩は国民と国民経済の衰弱化や、結果としてウルトラ極右の台頭を許す危険なものとなるだろう。

すでに、ギリシャ国民は財政の縮小と返済のために多くの犠牲を払ってきた。そして、現在では、基礎的財政収支(プライマリーバランス)はようやく黒字となってきたのだ。

ゆえにIМFとECBはこれ以上の苛斂誅求をあきらめるべきだ。借金取りは、鵜(う)飼の鵜の首をこれ以上締めて、鵜を殺す気なのか?

そもそも、「貸した金は当然返せ」という単純な問題ではない。このようなものの見方は、債権者側=借金取りの一方的論法だ。

IМFとECBは支援融資と、債務のドラスティックな削減・棒引きを実現すべきだ。

実際、追い込まれたギリシャ側は、ユーロ廃止やEU離脱も視野に入れていることは間違いないだろう。(現時点ではギリシャ国民がEU残留を支持しているが。)

■EUとECBはギリシャ政府の要望を呑むべきだ

シリーザを中心とした現左翼政権は、EUやIМFが要求してきた過酷な緊縮財政の転換をスローガンに掲げてその地位についた。これ以上の妥協はする必要もないしできない。それならばとEU離脱を選択することもありうるだろう。

他方ではロイターも指摘しているように、ギリシャを追い込むことで債権者が利益を得るどころか打撃を受けるだろう。10年ころのギリシャ危機=ソブリン危機=ユーロ危機を思い起こそう。
【以下ロイター6/18】
ユーロ圏諸国が危機の勃発時(2010年ころ)にギリシャのデフォルトをEU全体で食い止めたのは、デフォルトを放置すればギリシャに資金を貸している自国の銀行も破綻に追いやることになる、との恐れからだった。つまりギリシャの苦境を招いた原因と、それを解決する責任の一端は彼らにもあるわけだ。【ロイターここまで】

EUはそもそも二つの悲惨な世界大戦の当事者諸国として、安全保障の観点から統合が推し進められてきた。もちろんその推進力は大資本たちの多国籍化と一体になって実施されたのであった。その結果として、ドイツを頂点としたEU域内での経済的優劣関係もまたはっきりしてきた。

EUはドイツなど大資本・金融資本にとっては金城湯池(きんじょうとうち)だ。米国をはじめとして日本や中国の資本主義的競争に対峙してゆく、自分たちの居城となってきた。

EUやIМFは、欧州や米国そして世界の信用制度の体制維持が大切と考えるのならば、ギリシャをこれ以上追い込むべきではないだろう。

ギリシャのEU離脱が実現すれば、これまで拡大一途のEUが初めて加盟国を失うということになる。ギリシャは人口も経済力も欧州の中では取るに足りないものではあるが、イタリア、スペイン、ポルトガルなどギリシャに類似した財政赤字諸国も債券が売り込まれ、かつて(10年当時)のソブリン危機が再燃することも否定できないし、それが欧州全体→全世界に信用の収縮として作用することもあり得ないとは言えない。

また「欧州市民」を標ぼうするEUにとって、ギリシャは欧州的文化や民主主義制度の発祥の地であるとい歴史事実も、政治的打撃を強めるだろう。

ようするに、ギリシャ左翼政権は、経済関係では劣弱な立場であっても、政治的な広い視野から見れば、けっして一方的に不利ではない。交渉のカードはまだあるのである。

だから現実にギリシャ政権側も、弱気ではない。離脱も視野に交渉をしているのだろう。

【ファイナンシャルタイムス6/17】
SYRIZAに助言を行っている学者や政治家の中に、ギリシャは最終的にはユーロから離脱しなければならないと以前から考えている人々がいることは間違いない。彼らは、債務の一部または全部の支払いを拒否して初めてギリシャ経済は負のスパイラルから抜け出すことができるのだと思っている。そして、そうすることの対価はユーロからの追放になりそうだということも承知している。

さらに、ギリシャがユーロから離脱すれば、新しい通貨は変動相場制を通じてギリシャの競争力回復に役立つかもしれないと思っている。従ってギリシャ政府としては、SYRIZAはユーロ残留のために真摯に努力したものの、ドイツ人を筆頭とする理不尽な外国人によって追い出されてしまったのだという物語を作ることが非常に重要になってくる。
【ファイナンシャルタイムスここまで】

しかし、実際にユーロを廃止したりEU離脱することは、慎重であるべきだ。ドラクマ(前のギリシャ固有の通貨)の復活も、可能であってもそれにより簡単に問題を乗り越えてゆけるとは思えない。むしろギリシャの勤労者の被る経済苦境も尋常なものではないだろう。

またギリシャ・チプラス政権はロシアや中国の支援も引き出すための多角的外交を試みようとしているようだが、本命は、あくまでIМF・ECBの債務のドラスティックな削減を実現することだと思われる。

■EUという「国家」

10年ころのユーロ危機・ソブリン危機が叫ばれた当時、出てきたのが「EUは単一通貨だが財政がバラバラだ」という議論だ。この矛盾が再び論じられることになるだろう。実際、EUは(英国を置き去りにしつつ)危機のたびに、統制的国家体制を整備しているように見える。

たしかに、EUと個々の加盟国という固有の「二重国家の矛盾」の解消は、欧州という官僚的国家が、さらに進化する場合、避けては通れない問題ということになる。

われわれは、「欧州統合」が促進する欧州市民や労働者の、旧国境を越えたアソシエーションの拡大を支持する。しかしながら大資本・多国籍企業のプチ・グローバル化や、まして目の当たりしているような官僚的国家統合の動きを支持するものではない。

これらの社会変動がもし不可避のものであっても、その過程の中で、労働者・一般市民の不利益や犠牲を最小限にすべきと言うのがわれわれの基本的立場である。(佐々木)案内へ戻る 


 色鉛筆 ・・・「出生率1・42」9年ぶりに低下

 2014年の合計特殊出生率は1・42で、前年を0・01ポイント下回ったと、先月発表された。(図参照)前年を下回るのは過去最低だった05年(1・26)以来9年ぶりで、穏やかに回復傾向だったがブレーキがかかり、人口を維持できる水準(2・07)とはかけ離れており、今後も人口減少が続いていく見通しだという。

 政府の「まち・ひと・しごと創生本部」が昨年12月にまとめた人口減対策で、「国民の希望が実現した場合の出生率」として「1・8」を示したようだが、昨年の出生率は前年を下回る1・42で遠く及ばなく、政府が行ってきた少子化対策はなんの効果がないことが分かる。また、出生率が発表された同じ日に、創生本部のトピックスに『地方創生における少子化対策の強化について(地方創生担当大臣 石破茂)』が掲載されていたが、なんの具体的な政策もなくあきれてしまった。『地域企業とも連携を図りながら少子化の対策を図っていく・・・全国知事会が「少子化非常事態宣言」を発し、日本経済団体連合会が「人口減少への対応は待ったなし」との提言を行った。国においては、地方公共団体や経済界の関係者と力を合わせて、この困難な課題の解決に向けて取り組んでいく決意である』と、まあなんという他力本願だろう!1・8を示したなら国民の希望が実現するように根本的な政策を出すべきだ。例えば結婚したくても経済的に不安を感じて、将来の見通しが立たないから結婚をしようとしない若者たちの非正規雇用を無くして、正規雇用にするという制度や規律を法律で定めるよう法制化するべきだ。ところが、政府のやっていることは真逆で、派遣法と基準法を改悪して正社員ゼロと残業代ゼロの労働を導入しようとしている。

さらに政府が今年3月に閣議決定した「少子化社会対策大綱」では、出会いの機会を提供する自治体や商工会議所などにノウハウなどを提供することを盛り込んだというのだから驚く、こんなことを決める閣議の品性を疑ってしまう。経済的に恵まれている人たちが考える少子化対策はこんなものに過ぎないのだ。政府の少子化対策は口先だけでこれでは何年経っても出生率は上がらないだろう。労働法制改悪や戦争法案を強行しようとする政府は本気で出生率を上げようとはしないし、下がったこともあまりニュースにしなかった。

このまま少子化が進んで人口が減っていくと労働力人口は大幅に減少していくことが問題視され、そこで女性の労働力が必要となった。家庭にいた女性たちが労働へ行くためには誰でも入れるこども園が必要不可欠で「子ども・子育て支援制度」が作られた一つの目的だ。だが、支援制度を作っただけでは問題の解決にはならない。女性も男性も今のような低賃金や長時間労働等の働き方では、労働力人口も子どもも増えてはいかない。

 都道府県別では沖縄が1・86で最も高く、宮崎1・69、長崎と島根1・66、熊本1・64。最低は東京の1・15で、京都1・24、北海道と奈良1・27、宮城1・30。出生率は沖縄や九州などの暖かい地方が高く、地域協同社会が子育てをしやすい環境なのかもしれないが沖縄でも年々出生率低下しているのだから、働き方そのものが変わる社会にならなければ出生率は上がらない。(美) 


 雇用政策 あからさまな財界路線

■労働者派遣法改悪に反対する

今からに二十年以上前のこと。

八十年代のバブル景気崩壊以後、低成長に陥った日本資本主義。そこでひねり出されたのが、大資本家=財界の「新経営戦略」。労働法制の悪化に次ぐ悪化の淵源はここにあるようなのです。

以下、『財界戦略とアベノミクス』(15年3月発売、六百円。本の泉社)を参考としています。

それによると、財界の新戦略は、低成長で売り上げが拡大しなくても「儲かる」経営の実現を目指したと。たしかにその通りです。とりわけアベノミクス下のこの二年。経済成長率はマイナス(14年度マイナス1%)なのに大企業を中心に「経常利益は過去最高を更新中」なのです。

一般庶民は、実質賃金の低下から、消費も低迷し生活の低下しています。これがどんなメカニズムで発生したのか。

本書は、そのからくりを解明する好著です。

長期の大資本による「作戦」があったのです。この本の副題が、「内部留保はどう使われる」です。

つまり、財界は、二十年以上まえから、低成長でも、節税と賃金の抑制で内部留保の積み増しを重ねてきたのです。この巨額の内部留保で、有価証券=主に株式取引とその配当収益において「低成長でも高収益」という経営を実現してきたというのです。現代を見るとまさにその通りです。

このような「財界戦略」の根本の流れとして、正規社員を減らして非正規ないしはパート職員による人件費削減の政策を着々と推し進めてきたのです。

本書によれば、98年から07年までに大企業の付加価値は12・5兆円増大したが人件費は3・9兆円減少しています。つまりこの人件費の減少により企業分配(営業純益など)が拡大したことがわかります。

労働法制ではとりわけ第二次安倍内閣において顕著な動きがあります。

1つは派遣法改悪、2つ目は残業代ゼロ法案、3つ目は年内に審議会で議論される首切り自由化法案です。

このうち労働者派遣法の改悪立法が今日にも強行されようとしています。

■あらためて派遣法改悪とは

今回の派遣法改正案で、これまで「最長3年間」だった派遣期間は条件付きで無期限派遣が可能になります。通訳など「専門26業務」に限定されていた無期限派遣の規制も取っ払われます。

派遣労働者を3年ごとに入れ替えて、ずっと、その仕事を派遣に任せることも可能になります。つまり派遣の常態化・普及化です。

ドイツでは今から12年前、最長派遣期間の上限規制を撤廃しました。その結果、2004年は38万人だった派遣が2011年には88万人に倍以上に増えました。規制を撤廃すれば、日本でも間違いなく派遣が増えて、正社員の求人が減ります。一生派遣の若者が激増します。すでに、非正規雇用は、日本でもすう勢的に増大し、管理職を除くと47%に達するという指摘があります。これがさらに高くなるという恐ろしさです。

派遣労働者は40、50代になると賃金が下がっていく。受け入れ先も減ってくる。人生設計が成り立たない。だから、なかなか結婚もできないんです。半年先、1年先の生活が不安定であれば、求婚できない。人口減に拍車がかかり、社会が荒廃することになります。【日刊ゲンダイ3/23参照しました】

■そもそも労働者派遣自体が違法であった

(戸舘 圭之弁護士談)
派遣労働とは派遣元と労働契約を結びながら、実際の勤務は派遣先で行うという間接的な雇用形態であり、派遣先とは雇用関係がない。

必然的に不安定で低賃金を強いられやすい。

この働かせ方は構造上、必然的に雇用が不安定となり、低賃金を強いられやすい。派遣先にとっては、雇用責任を回避できたり、あいまいにしたりできるというメリットがある。労働者にとっては、派遣元との間で労働契約を結びながら、実際には派遣先で働くという形式から、何らかの問題が生じた場合に責任追及が困難になるなどの不利益が生じる。

今では、日常用語としても定着している派遣労働は、1985年に労働者派遣法が制定されるまでは、「職業安定法」によって厳格に禁止されていた。歴史的に見ても派遣労働のような間接的な雇用形態は、中間搾取(ピンはね)が横行し、労働者を酷使し使い捨てにされてきた苦い経験があるからだ。【東洋経済オンライン6/17】(抄)http://toyokeizai.net/articles/-/73553 全文はこちらから

そもそも江戸時代など「口入稼業」というのは町の顔役やヤクザがやっていたもの。こんなピンハネを許すべきではないし、労働者の生活を守るべき労働法制が突き崩されようとしているのを黙視できません。

ピケティは、資本主義はこのままでは19世紀、18世紀の格差社会に逆戻りすることを警告しています。たしかに王侯貴族やお殿様時代の、人権や労働権のない時代に逆戻りする動きからして、的外れではないでしょう。今からでも断固反対しましょう。(竜)案内へ戻る 


 骨太の方針  安倍内閣の無責任な軍事優先政治

 安倍政権は、戦争法案の成立に躍起になっている。が、その足元では借金頼みの財政運営を続けている。先行きの見通しをごまかしながらの後は野となれ式の糊塗策は、確かな将来像に目を背けた軍事優先政治だといわざるを得ない。

◆数値目標はナシ

 6月22日、政府の経済財政諮問会議は、当面の予算編成や税制改正の指針となる「経済財政運営の基本指針」(骨太の方針)の「素案」をまとめた。それによれば、見込みでは18年度までに2・4兆円程度増える社会保障費を1・5兆円程度の増額に抑え、年度単位では5000億円の増加にとどめるとの目安を示した。この骨太の方針は、6月末に閣議決定する予定だ。具体的には、ジェネリック薬品の使用率拡大、年金給付額の抑制、介護サービスの引き下げなどだ。これまでと同様に、財政再建の鍵は社会保障費の削減だとのペテンを前提として、削減対象は社会保障費に集中している。

 今年の「骨太の方針」の最大のテーマは、2020年度に向けた財政健全化の具体的な道筋を示すことだった。これは、安倍首相が消費税10%への引き上げを先送りする場面で表明していた「公約」でもあった。その安倍内閣は、基礎的財政収支(プライマリー・バランス=PB)を20年度に黒字化する目標を掲げているが、18年度までの中間目標として、GDP比で1%(ほぼ5兆円)の赤字に抑えるとの目安も盛り込まれている。この素案には、歳出総額の目安を明記するかどうかで財務省と内閣府の間でつばぜり合いが拡げられ、結局首相の意向を斟酌して銘記しないことになった。「経済再生なくして財政健全化はない」という安倍首相の意を汲んだ甘利経済再生相や民間議員が、数値目標の明記には慎重だったからだという。歳出の「天井」をつくると機動的な財政出動が出来なくなりデフレ脱却もおぼつかない、というのが理由とされた。

 結局、社会保障費については3年で1・5兆円、一般歳出は3年で1・6兆円におさえたことを「基調」としつつ、それを18年度まで継続していく、とされた。これまでの歳出抑制を「目安」として盛り込むことで妥協が図られ、歳出削減の具体的な数値目標は盛り込まれず、玉虫色の決着となったわけだ。

◆砂上の楼閣

 今回の「素案」を見ると、安倍政権の無責任ぶりが露骨に現れている。

 世界一の借金大国での財政運営を考える時、恒常的な赤字解消は焦眉の課題であるはずだ。ところがこの素案には、財政改革などどこ吹く風、これまでの財政垂れ流しを正当化するために出したとしか受け取れないものだ。

 たとえば政策経費を税収で賄うというプライマリー・バランスの見通しだ。政府は18年度でPBの赤字を国内総生産(GDP)の1%、20年度にPBの黒字化を目指すとしている。しかし、この見込みがまったく砂上の楼閣なのだ。

 政府が上記の目標のために前提としている経済成長率は「名目3%、実質2%以上」だ。この数字を前提とすれば、GDPが年間で100兆円増え、税収は国・地方で22兆円以上増えることになる。

しかし、この間の「失われた20年」で名目成長率が3%を超えた年はない。現在の日本の潜在成長率は1%未満とされ、現に最近10年間の実質平均成長率は0・611%でしかない。後発国の追い上げや人口減少時代の到来などで、高成長はとても見込めないにもかかわらず、高めの経済成長が前提になっているのだ。アベノミクスによる官制相場で株価上昇を演出しているとはいえ、4月の実質賃金は、対前年度でマイナスだったと修正され、中小零細企業の賃上げは72%で実施されなかったことも公表されている。現実的にみれば、目標の達成などとてもおぼつかないのが実情だ。

◆軍拡政治

 長年続けた放漫財政で、国の借金も膨らみ続けている。14年度末の国の借金は1053兆を超えている。1年前より28兆円も膨らんでしまい、この10年では300兆円近くも膨らんでいるのだ。

 政府は、国の借金が増え続けているのは社会保障費の増加などだ、として、消費増税を強行した。が、社会保障費の増加は、国家財政で年間1兆円程度、この3年間では年間5000億円程度に抑制されているのだ。この程度の増加では、1年間で28兆円、10年間で300兆円もの借金の増加は説明できない。むしろ景気対策だとして大盤振る舞いを続けた公共事業費などの増加による影響のほうが遥かに大きい。

 アベノミクスで目先の経済の好調を演出することと同じように、財政再建は二の次、借金が膨らんでも公共事業などの大盤振る舞いは続いている。政治家は誰も歳出カットを言い出さない。
いくら財政再建を進めても、誰からも賞賛されず、利権確保に熱心な官僚にはそっぽを向かれ、関連業界などから反感を買うだけだからだ。

 安倍首相は経済成長による財政の健全化を掲げているが、実現がおぼつかない旗を掲げつつ、逆に景気へのテコ入れと称して財政の大盤振る舞いを続けているのだ。むしろ、当面の経済を官制相場で維持しながら内閣支持率を維持したい、それによってなんとか維持している底堅い支持率を背景に自身の野望としての軍拡を進めたい、ということなのだ。

 結局、財政再建を掲げてはいるが、やる気はまったくない。ばらまくのは税金や借金で、他人のカネだ。それを節約して支持率が落ちるぐらいなら、ドンドン財政をばらまいて人気取り(支持率)を続け、自分がやりたい軍拡政治を推し進めるだけ。これが安倍政治の本性だ。そのことがまたまた露わになった今回の「素案」でもある。(廣)


 コラムの窓・・・戦争の大義、国連憲章第51条「個別的又は集団的自衛の固有の権利」から問う!

 日本国は、「第二次世界大戦後、再び戦争の惨禍を繰り返すことのないよう決意し、平和国家の建設を目指して努力を重ね」「恒久の平和は、日本国民の念願」として、日本国憲法第9条に戦争放棄、戦力不保持、交戦権の否認に関する規定を定めたが、現実には、防衛のための交戦権と戦争遂行能力を維持する為に、自衛隊という“防衛軍”とその戦力を持っている。

 こうした矛盾を正当化するための根拠として持ち出されているのが、憲法前文の「国民の平和的生存権」や憲法第13条が「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」を守る為の自衛の手段が必要である事と、第二次世界大戦後の1945年(昭和20年)10月に発効した国際連合憲章(国連憲章)第51条「個別的又は集団的自衛の固有の権利」である。

 生存権という憲法と国連憲章を持ちだして、憲法は「自衛のための」活動までは否定していない、したがって「合憲」だとするのが今日の憲法「解釈」論であり、防衛省や自衛隊の存在が憲法(第9条)に対する合憲性の証明となっている。

 日本政府はこの 「急迫不正の侵害を排除するために、武力をもって必要な行為を行う国際法上の権利であり、自己保存の本能を基礎に置く合理的な権利」を 国際法上認められた「主権国家としての固有の自衛権」「その行使を裏づける自衛のための必要最小限度の実力を保持することは、憲法上認められる」とし「わが国は、憲法のもと、専守防衛をわが国の防衛の基本的な方針として実力組織としての自衛隊を保持し、その整備を推進し、運用を図って」きた。

 しかし、憲法第9条に記されている「戦争放棄、戦力不保持、交戦権の否認に関する」規定は重く、その制約から絶えず論議を巻き起こしてきた。

 自衛権そのものについては、「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもつて阻止する」集団的自衛権と、自国に対する侵害を排除するための行為を行う権利である個別的自衛権とを区別し、交戦への制限を設けた個別的自衛権は“専守防衛”としてのみ認め、集団的自衛権は憲法上許されないとしてきたのが、今までの経緯であった。

 現安倍政権はこの解釈を変更し、昨年の7月、閣議決定で集団的自衛権も認められるとして、今国会に、集団的自衛権の行使容認を盛り込んだ安全保障関連法案を上程した。

安倍首相は「パワーバランスの変化や技術革新の急速な進展、大量破壊兵器などの脅威などによりわが国を取り巻く安全保障環境が根本的に変容し、変化し続けている状況を踏まえれば、今後他国に対して発生する武力攻撃であったとしても、その目的、規模、態様などによっては、わが国の存立を脅かすことも現実に起こりえる」『国際情勢に目をつぶって従来の(憲法)解釈に固執するのは政治家としての責任の放棄だ』とも言い、憲法解釈の変更を正当化したが、6月4日の衆議院憲法審査会で憲法学者三人が、解釈変更を「憲法違反」と指摘したように、憲法第9条と安保関連法案との整合性は開くばかりで、理解しがたい。

 制約や整合性を繕うため、その都度解釈を変更することに疑問を持つ者は憲法第9条の「改憲」さえ視野に入れた動きを加速しつつあり、9条改憲論は一層高まるだろう。

 安倍首相は中国の尖閣諸島や南沙諸島への介入と海軍力の増大・北朝鮮の核武装やミサイル技術向上など・・その脅威をあげて憲法解釈の変更と集団的自衛権の必要を強調するが、脅威とは相対的なもので、互いの経済進出や軍事力の増大が、無制限の軍拡競争を生み、悲惨な戦争への道へと進んだ歴史を繰り返してはならない。

外国への経済進出が拡大し、その権益を守り拡大するために軍事的な圧力によって脅威を増大させれば、どちらから一発の銃弾の発砲によって「防衛」という名の戦争が起こり、平和という願いも吹き飛んでしまった歴史は幾度となく起こっている。

日中戦争(支那事変)の直接の導火線となった盧溝橋事件(1937年(昭和12年7月7日、中国では七七事変)もその一例だが、先制的自衛権の行使として行われた2003年3月から5月のイラク戦争(背景には石油権限を巡る争いあり)は、イラクのフセイン政権打倒を目的に、米英主体の有志連合が軍事作戦を開始した。

 戦前、米国のブッシュ大統領やチェイニー副大統領が「イラクは大量破壊兵器を保有している」と「証拠」を示し、国連安保理決議1441(イラクの武装解除を求めるもので、イラクが武装解除義務の重大な不履行を続けていると判断し、さらなる情報開示と査察の全面受入れ求めた安保理決議)に違反すると「戦争の大義」を主張、戦闘終結宣言後、「証拠」は虚偽だったと判明。

 武力行使を明確に容認する国連安保理決議はなく、「大量破壊兵器を開発している」とする虚偽「証拠」による、先制的自衛権行使の戦争『大義』が時の政治指導者によって都合よく使われたという事実もある。

 国際連合憲章(国連憲章)第51条「個別的又は集団的自衛の固有の権利」も時と場合によっては都合よく使われ、大国による戦争容認の言い訳ともなっているのである。

戦争を行う大義は、双方とも相手の脅威から自分を守るという“自衛”もしくは“防衛”行為が全てと言って良い。

人種・民族や宗教差別を無くし、平等な経済交流を広げ、国際間における紛争の解決手段については軍事的手段は極力避ける政治姿勢こそ今求められているが、実際には「自主防衛」のための軍事力強化はその経済的(利益を得ようとする)影響もあり、益々増大している。

私たちは、単に戦争の悲惨さや脅威に反対するだけでなく、「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」というように、武力等に依存した政治を無くすために、(戦争に至る)経済的背景とその政治を変えていく活動をしつつ、安倍政権の憲法第9条の解釈変更と改憲策動に反対していこう。!  (光)案内へ戻る 


 もしマルクスがピケティ『21資本論』を読んだら③  労働価値説から考える“低成長”とは
       上藤 拾太郎

とりあえず、前回の結論です。

「経済成長」=付加価値の増大とは、マルクスの表現に置き換えれば「生産的労働の行使」が(絶対値で)増えること(ないしは減ること)ということです。

今日は、やや寄り道ですが、ピケティの『g』(成長率)の概念をより明確にし、その上で先進国において「成長率低下」がなぜ不可避的なのかを考えます。そのことを通じて、--ピケティの指摘する--成長率の低下と格差の拡大の因果関係に迫ってみましょう。

■付加価値の第二の意味

ここで、まえに進む前に一般の経済評論家などが使用している「付加価値」には、また別の意味が混在しているので注意しなければならない。「高付加価値の商品」などという場合だ。

つまり、通常の平均的付加価値に対して、それを超えるものを指す。

これは、マルクス的に置き換えれば、平均的剰余価値に対する、特別剰余価値を含むものとして考えられる。

A企業において技術革新を取り入れ、B、C、D等の平均的な労働時間の半分の時間で、同じ製品が製造・販売できればこの「差額」は特別剰余価値(m’)となる。または、同じ労働時間でも、あるいは斬新なアイデアの下で、優れた特徴を持つ製品などに発生するものだ。

この意味での付加価値は=剰余価値(m)+特別剰余価値(m’)+労働力費(V)となる。

■生産的労働の行き方 --少しも生産的でない資本主義

経済学者たちは、「成長(率)の低下」に毎日頭をいためて、様々な研究やコメントを発信している。その中心的テーマはいかにして「労働人口を増加」させ「生産性」を上げ「資本の投資」を誘引できるかに絞られているといってまちがいない。

しかし、経済学者たちの上記の一般的通念は「遠からずも当たらず」と言える程度のもの。少なくとも核心ではない。

何度でも強調したいが、「経済成長」はつまるところ、経済学者たちがほとんど無視している、経済の根幹として存在する生産的労働の問題と言い換えてもよいのだ。もっと言えば、社会的に不必要な不生産的労働(介護労働など社会的に有用だが、不生産的労働もあるので注意)は極力削減し、生産的労働の比率をアップすることが核心となる。この視角で、考えるべきなのである。

この視点から考えれば、別なことが見えてくる。現代資本主義は、必ずしも「生産的ではない」と。むしろますます不生産的な経済構造に移行しつつあると言わざるを得ない。

たとえばトヨタ自動車などの個別企業が、「生産性向上」「節エネ」「効率化・迅速化」を追求し続けている。個別企業としてはグローバルな競争に巻き込まれており、生産性追及は第一命題だ。

しかし、社会全体としては必ずしもそうではない。現に政府が資本投資の呼び込みを謳うが、非生産的サービス業が拡大するばかりでは剰余価値は増大しないし、経済成長には結びつかないということだ。

それどころか政府自体は「成長」の逆方向を向いていると言わざるを得ない。安倍内閣がご執心なカジノ誘致もそうだし、QQE=量的質的金融緩和もそうだ。経済の金融化を推し進めている
現代資本主義は、「成長」とは逆方向に進んでいるのだ。不生産的労働部門が、社会に重くのしかかるだけだ。

不生産的労働の拡大と生産的労働の絶対的縮小は、現実の社会的富の生産を低減させるのはあきらかであろう。

下の図を見てみよう。

大雑把であるが、第一次産業と第二次産業はおおよそ「生産的労働」とみなしうる。他方、第三次産業はいちぶ生産的労働をも含むが(ガス・電気・運輸業、料理店など)おおかた不生産的労働とみなしてみよう。

そうすれば、絶対的にも相対的にも、不生産的労働部門の多くを抱える第三次産業の拡大が明白である。(見にくいですが赤線が第三次産業)

何度でも言いたいのだが、富の唯一の源泉、そして「経済成長」の唯一の現実的基盤は生産的労働である。本来その拡大がなければならないのだ。

ところが先進国では「高付加価値」として、デザイン化した衣類や持ち物や家具。IT企業のゲームソフト作成。不動産業、映画産業、漫画産業、福祉産業、外食産業や遊興関連産業等々、生活の変化や格差社会に合わせた産業化が進む。経済構造のサービス化、金融化等々不生産的部門に食い尽くされ、生産的労働はどんどん小さくなってきているのである。(サービス業全体が不要である、と言っているのではない。)このような先進国の経済構造の変化は、日本だけではない。先進国の経済成長は、こうして低下してゆくのである。

産業構造の変化にはさらに次のような要因も加わる。

六月九日に公表された「十四年度版ものづくり白書」にはこう記されている。

製造業は日本の国内総生産(GDP)の二割弱を占めている。ところが製造業は九十年代より、不景気が続いたことなどで、国内の投資先が見つからない過剰資本が海外流出をはじめた。そればかりではなく、中国など安い労働賃金を求めてアジア各地に生産拠点を移動する動きも続いた。かくして国内の製造業従事者は1993年から2013年の20年間で32%の減少となったと「白書」は指摘している。全産業に占める割合も同じ期間に約23%から16%に低下した。いわゆる「産業の空洞化」だ。

しかしながら、このような生産的労働者の減少にも関わらず、その間に経済成長は低迷し続けてはいるが、右肩下がりにマイナスが続いてはいない。それはどうしてなのか?

それは第一に、前記「付加価値の第二の意味」で指摘したように日本企業の生産性が比較的高く、「特別剰余価値」を生み出す余地があったことがあげられるだろう。つまり第二の意味での高い付加価値を生み出してきたこと。

さらに第二に、経常収支における第一次所得収支の増加である。

5月13日の財務省発表をみてみよう。海外からの利子・配当収入を示す第一次所得収支は6年連続の増加。14年度は10%の増加で20兆円弱の黒字だった。これは巨額なものだ。上述した日本資本の海外流出の結果でもある。これらの日本企業による資本投資の利益の一部が国内に回帰しているからだ。

ただしこの黒字はGDP(国内総生産)には統計上直接は反映されない。旧GNP(現GNI)にはこれら海外からの所得が反映されるが。

「一般に日本の名目GDPよりも名目GNPのほうがわずかに大きい。・・・(後者が)外国で運用されている日本資本の受け取る金利・配当も含むからである。日本は、対外債権国であるため海外へ支払う金利・配当よりも海外から受け取る金利・配当のほうが多い。このため日本ではGNPのほうが多くなる。一方で、中南米諸国などの対外重債務国は、外国へ支払う金利が多いため、GNPよりもGDPが多い。」(Wikipedia)

(それゆえ、日本のような対外債権が巨大な国は、GDPではなくGNIで示すべきだ、という「説」も登場する。ロイターコラム6/3:実質GNIが示す日本経済の高成長=竹中正治氏参照)
しかし、ここで注意すべきは、統計上「海外からの所得」が直接には国内総生産=GDPの規模に反映されなくとも、国内に持ち込まれた海外からの富は、それが国内で使用されるのであれば国内の消費を刺激し生産をその分促すに違いないのだから、間接的にはGDPの増大要因となるのは明白だろう。

このようにグローバル化時代の先進国、特に日本は、海外からの流入所得が大きく、海外の生産的労働者からの収奪がGDPの低下を緩和していることを忘れてならない。

つまり私がここで指摘したいことは、先進国の不生産的経済構造の固定化も、一直線のマイナス成長にはならず、生産性の向上及び海外からの富の移転(回収)により、経済成長の下降を一定阻止していると考えられるのだ。

しかし、少しでも歴史的視野を持つ研究者なら、「生産性の優越」や海外流出資本からのバックなどが、いつまでも日本の経済を支え続けるとは考えないだろう。後進諸国のキャッチアップは年々背後に迫ってきている。後発の韓国や台湾、さらには中国の一部企業は、先進国にさえ優越している。先進国日本の余禄(よろく)から得られる富の運命は、そう長くはないだろう。

経済の金融化をやめ、無駄なサービス業を削減し、生産的労働を拡大することなくして「経済の拡大」は存在しない。歴代政権やアベノミクスも、何らその流れを理解していないで「成長戦略」を叫んでいる。資本主義経済の腐朽化は、かくして不可避的に進行している。そしてそれは同時に不可避的に格差社会を強化するものだ。

つまり経済の腐朽化と衰退(グローバル化の中での経済のサービス化・金融化が生産的労働の縮小に帰着すること。)は、その随伴物として労働者の搾取の強化と企業・資産家の富の拡大をもたらす。

ピケティは膨大な統計に基づいて演繹的にこの事実を示したが、われわれは労働価値説からその内在的連関を追求してみたらどうなるだろうか。次回はこの本題に入ってみよう。(つづく)


 エイジの沖縄通信(NO・13)   ★沖縄「慰霊の日」、安倍首相に「戦争屋帰れ」の罵声!

 6月23日の沖縄「慰霊の日」、20万人を超える戦没者を追悼する「沖縄全戦没者追悼式」が、糸満市摩文仁の平和祈念公園で行われた。

 沖縄戦では住民の4分の1が戦死し、遺族にとっても深い深い傷を残した。その惨禍から県民は「命どぅ宝」「軍隊は住民を守らない」などの教訓を学んだ。

 この日は朝早くから、戦後70年の節目に戦争体験を引き継ごうと、多くの家族が3世代・4世代で平和の礎を訪れていた。

 この追悼式における翁長雄志県知事と安倍晋三首相の2人の言葉は極めて対照的なものであった。また、それに対する沖縄県民の反応も対照的であった。

 来賓席の安倍首相が間近に着席する中、翁長知事が「嘉手納より南の米軍基地の整理縮小がなされても、米軍専用施設が全国に占める面積はわずか0・7%しか縮小されない」と強調し、「『嫌なら沖縄が代替案を出しなさい』との考えは、到底県民には許容できるものではない」と言い放つと、会場から大きな拍手が起こり、翁長知事を多くの県民がささえているという空気に包まれた。

 一方、安倍首相の来賓挨拶は沖縄県民にはまったく心に届かぬ内容であった。強行する辺野古基地建設にはまったく触れず、「基地負担軽減に全力を尽くす」と述べただけである。これに対して、会場内の一般出席者から「おい、戦争屋は帰れ!」の怒りの声、さらに会場内外の複数場所からも「帰れ」「うそ言うな」などのヤジが飛び、会場内に怒号が行き交う異例の雰囲気となった。

 安倍首相の言う事がウソとゴマカシであることを県民は見抜いている。挨拶で「米軍キャンプ瑞慶覧の西普天間住宅地区が3月末に返還された」ことを例に挙げ「負担軽減に全力を尽くす」と述べたが、県民はこの西普天間住宅で「アスベスト問題」が起こり、危険を察知した米兵家族はこの住宅から出てしまい、長年そのまま空家になっている住宅である。また、那覇港湾施設や浦添補給地区などももうとっくに返還が決まっているのだ。

 「負担軽減に全力を尽くす」と言いながら、辺野古に超大型軍事基地を国家権力を総動員して抗議者を強引に拘束しながら建設しようとしている訳で、なにが負担軽減につながるのか。沖縄県民が怒るのは当然である。

 さらに、平和祈念公園入口前で多くの市民団体メンバーが安倍首相の「慰霊の日」参加に抗議していたが、今までにない猛烈な警備体制が引かれた。安倍首相が入ってくる道の一般歩道にすべて柵をめぐらし、また抗議者が車道に出られないように警備車や柵を並べ、機動隊員が隊列を組み抗議者を缶詰状態にしていた。聞くところによると、なんとこの安倍首相の警備のために東京の警視庁機動隊が動員され配置されたようだ。もう、沖縄県警を信用していないと言うことになる。

 最後に嬉しい報告を一つ。

 同日午後、魂魄の塔近くで恒例の「反戦集会」が開かれた。この集会に4月末から悪性リンパ腫治療のため辺野古抗議行動の現場を離れていた山城博治さんが、入院後初めて皆の前で元気に療養報告をした。

 「夏以降、政府が埋め立てを強行する。それまでに元気になって戻る。必ず基地建設を止めよう」と呼びかけた。(富田 英司)
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