ワーカーズ543号  2015/9/1   号案内へ戻る

 アベ戦争法案を廃案に追い込もう!  戦争と平和の攻防ラインを押し返そう!

 核兵器の運搬やら敵基地攻撃やら、まるで戦争前夜のようなやりとりが飛び交っている。安倍政権はそんな戦争法案を、9月上旬にも採択し、強引に成立させようとしている。

 アベ戦争法案は、審議が進めば進むほど、理解が深まるどころか危惧や反対の声が大きくなっている。法案を理解するほど、その危険性やデタラメぶりが浮き上がるからだ。

 法案の問題点はすでに充分明らかにされている。集団的自衛権の限定行使は、これまで手を染めないできた現実の武力行使、戦争をする国へと、日本の進路を大転換させるものだ。〝存立危機自体〟などというどうでも解釈できる概念をひねり出しての武力行使。一端その世界に足を踏み込めば、その先には軍事の論理が大手を振ってまかり通るだけだ。

 他面では、安倍政権の勝手な憲法解釈は、政権を縛ってきた憲法そのものの解釈をもてあそぶクーデターまがいの暴挙でもある。

 安倍政権や保守派は、,憲法と同じようにサンフランシスコ平和条約や日米安保も大事だという。確かに日本は平和憲法と世界有数の軍隊が併存し、また日米軍事同盟や沖縄をはじめとした米軍基地が存在する。が、それは単なる併存ではない。そこに仮装平和国家としての戦後日本の矛盾が集約されていると考えるべきなのだ。

 戦後日本は、現行憲法を受け入れることで非戦の道を歩むことを選択したハズだ。当初は、あの吉田元首相でさえ、自衛権の名による戦争や国家正当防衛権(≒個別的自衛権)を否定し、戦力の不保持の立場を明確に取っていた。その後、東西冷戦の激化や朝鮮戦争を機に再軍備が進められ、自国防衛のためと称した必要最小限の〝防衛力〟を認める憲法解釈に変えてきた経緯がある。米国と日本の支配層の合作だった。その解釈改憲が、今回も繰り返されようとしている。

 しかし再軍備から軍事強国化へのレールが敷かれても、日本やアジアの民衆は、明文改憲までは許さないできた。それだけ戦争の悲惨さが身に染みているなど、戦勝国に比べて、非戦・反戦の想いが,根強かったからだ。だから自衛隊という名の国軍を保持するとはいえ、法的な戦争可能国家としての枠組みづくりは許してこなかった。

 この矛盾は、日本が選択してきたはずの非戦の道と、日本の支配層が追い求める戦争も出来る普通の国づくりとの攻防線の位相を示している。それがいま一歩、押し込まれようとしているのだ。

 この財産は奪われてはならない、攻防ラインは放棄してはならないのだ。

 いま、戦争法案反対の行動は全国に拡がっている。その力を結集し、戦争もやる普通の国家への道を拒否し、戦争法案を廃案にすることでこの攻防ラインをなんとしても押し返していきたい。(廣)


 見放されつつある「安倍政治」

 「安倍政治を許さない」が国民に浸透する中、なんと大企業などでも「安倍政治」に対する不満が広がっていることが分かった。

大企業中心のロイター企業調査。そこでも「安倍政治」は拒否されつつある。

安倍政治の本質が、政治反動であり、戦前回帰の「戦争できる国づくり」という実態が察知されてきたのだろう。中国や韓国との政治摩擦は、商売上好ましくない。さらには、比較的良好であった中東諸国との関係も、「安保法案」が可決して日本が中東の戦闘に参加すれば、現地の日本企業がテロの標的となる確率が跳ね上がるはず。

 その上、経済政策では「異次元の金融大緩和」が空振りに終わり、小バブルでお茶を濁している現状で、これでは企業も先が見えない。さらなる十%消費税も、デフレを加速するという危機感もあるだろう。成長戦略=アベノミクスなどはもはや死語となった感がある。

とはいえ、このバブル経済で金融財テクに余念がなかったのも大企業なのであり、安倍政治を批判する資格も何もないのだが。

資料[東京 八月二十一日 ロイター]「安倍首相、安保法案よりデフレ脱却に注力を」(見出し)

 8月ロイター企業調査によると、安倍晋三首相が目指す安保関連法案の今国会での成立について、6割強が反対していることがわかった。企業はむしろデフレ脱却・成長戦略を優先すべきとみている。

2017年4月に控える10%への消費税率引き上げについては、まだ経済環境が整っていないとの見方が8割を超え、軽減税率導入など新たな対策が必要とみている企業も8割となった。

この調査はロイター短観と同じ期間・対象企業で実施。資本金10億円以上の中堅・大企業400社を対象に8月3日─17日に行った。回答社数は270社程度。(ロイターここまで↑)


アベノミクスのもとで疲弊する経済

 2015年4|~6月期の実質GDP成長率は、前期比で▲0.4%(1~3月期+1.1%)、前期比年率で▲1.6%と3四半期ぶりにマイナスとなった。既に発表されていた各種統計より、市場では事前に▲1%台のマイナス成長が予想されていたので、数値自体はサプライズではなかったが、それにしても日本経済は十四年度経済成長率が▲1%に終わっている。今年度も開始早々年率で▲1.6%とは異常と言うほかはないだろう。

 ところが安倍政権は相変わらずのズレたコメントでお茶を濁している。

[東京 八月19日 ロイター]
 菅義偉官房長官は19日の会見で、4─6月期の国内総生産(GDP)成長率が年率1.6%のマイナスとなったことについて、「(日本経済は)前向きな状況が続いていることに変わりない。景気は緩やかに回復している」との見方を示した。(ロイターここまで)

先には、甘利経済再生大臣もまるで同じコメントだ。どんな統計結果が出ようといつも同じコメントしか言えないのだから当事者能力がないといわれても仕方ないだろう。

しかし、「マイナス経済」と言うばかりではなく、その中身が悪いという指摘がある。

「ダイヤモンド・オンライン八月十九日」
 市場予想対比では、消費が事前予想よりも大きく落ち込んだ一方で、これまで削減が続いていた製品在庫が、今回積み上がりに転じている。

 需要減で出荷が弱く、倉庫内に積み上がっているとみられる。消極的な在庫の積み上がりは、いずれ生産調整を通じて圧縮されることになるため、先行きの生産・GDPの下押し圧力となる点が懸念材料だ。

 今回マイナス成長に陥った理由を振り返ってみる。前期比▲0.4%の成長率に対する寄与度をみると、内需が▲0.1%、外需(輸出-輸入)が▲0.3%となっている。マイナス成長の主因は外需と言える。

 外需は2期連続でマイナス寄与となったが、1~3月期と4~6月期で意味合いが異なる。1~3月期は輸出入とも増加、特に強い内需を受けて輸入の伸びが大きかったことが、外需寄与度マイナス化の主因であった。一方で4~6月期は輸出入とも減少、特に輸出の落ち込みが大きかったため外需寄与度がマイナスとなっている。

 すなわち、同じ外需寄与度マイナスといっても、1~3月期は国内外景気の強さを反映し、逆に4~6月期は国内外景気の弱さを反映している。4~6月期は消費の源泉となる実質所得(実質雇用者報酬)がやや減少しているが、それ以上に消費の落ち込みが大きい。消費性向が低下している、すなわち家計が所得水準の割に消費を抑制していることを意味する。(ダイヤモンド・オンラインここまで)

日本経済は大企業の営業利益減を、人件費の削減でカバーし、安倍政権による官制相場の株価上昇などの金融財テクで「利益」を出しているのがおおよその実態だ。インフレや消費税増税をカバーできる賃上げがない中で、財テクに無縁の庶民の賃金所得は安倍政権の下でも下降してきた。大衆消費が冷え切っているのはそのせいなのはあきらかだ。

 そんな中で、日本が頼りだったのが中国の「爆買い」と輸出だ。ところが中国の高度成長も末期なのは明らかだ。そのうえ先月の株価急落や引き続く経済失速から、さらには今月の中国=元の切り下げにより事情は急速に悪化してきた。日本はもはや中国経済をこれまでのように当てにはできない。世界経済の低迷が鮮明であり、「外需頼り」の日本経済は極めて危うい現状なのだ。

日本の「上げ底経済」の実態日本経済の二極分解は、いうまでもなく格差の拡大でもある。さらに言えば日本経済構造の歪みの増大にもなっている。

 そしてこの事実は、アベノミクスの「成長産業育成」というスローガンの挫折でもある。中小企業やベンチャー企業がまるっきりさえないのだ。東証一部が金融大緩和と官制相場で不安定ながら活況があるが、「ジャスダック(中小企業株式市場)」「マザーズ(ベンチャー企業株式市場)」などではそれこそ閑古鳥が鳴く状態だという。

「ロイター八月十九日」
新興株式市場の売買代金が低迷している。8月中のジャスダック市場における1日平均売買代金は、日本取引所グループが現物市場を統合した2013年7月以降の最低記録を更新する可能性が出てきた。

新興市場に上場する主力銘柄の4─6月期決算が力強さに欠ける内容となったことなどが背景にあるようだ。日本の将来を背負うはずの新興株のさえない動きは、国内市場全体への不安材料となるリスクもある。

8月3日から18日までの1日平均売買代金は、ジャスダックが約632億円。過去最低だった14年10月の663億円を下回って推移している。マザーズも約769億円と、13年8月の708億円以来の低水準となっている。

一方、東証1部の8月中の1日平均売買代金は約2.7兆円と前月並みで推移。このままいけば、8月単月としては08年年以来、7年ぶりに一日平均売買代金が2兆円超えとなる可能性もあり、対照的な姿となっている。(ロイターここまで)

いよいよ日本資本主義は泥沼状態だ。政府と日銀にあおられた東証の「株高」だのみとなってしまった。

安倍政権は、政府の「緩やかに回復」コメントとは別に、巨額の補正予算で景気てこ入れを図るほかはなくなっている。結局はまたまた財政出動なのである。モルヒネ経済はつづく。(竜)号案内へ戻る


 コラムの窓・・・異常を感じないのだろうか

 8月7日、盗聴捜査の拡大などを狙った刑事訴訟法改正案が衆議院を通過しました。これで、改正案は今国会で通過の見通しだとか。今国会最悪の法案は安倍の戦争法ですが、これも参議院の審議次第という危うい状態です。

 他に共通番号利用拡大法案も衆院を通過しており、8月21日の日経は1面で「マイナンバー改正案成立へ」との見出しを掲げ、年金との連結を当面延期すること与党と民主党が大筋合意することによって成立する見通しだと報じています。

「マイナンバー法改正案は任意で預金口座にもマイナンバーを付け、国が個人の資産情報を把握しやすくするのが柱だ」「企業は17年から国や自治体に提出する従業員の年金関係書類にマイナンバーを記入する義務が生じる」等々。

 マイナンバーについては、今年10月に12桁の個人番号の通知カードが世帯一括で送付され、来年1月にはこれとIC搭載の個人番号カードとの交換が予定されています。個人番号カードの取得は任意ですが、企業を介して従業員に一括交付ということにもなりそうです。もちろんこちらも任意ですが、警察の任意の事情聴取が実際上は〝強制〟であるように、企業によって強制的にカードを持たされることにもなりかねません。

 さて、刑事訴訟法改正案の衆院通過に戻りますが、8月8日の神戸新聞は、「司法取引導入『チェック機能働かぬ』」「通信傍受拡大『プライバシー侵害も』」との見出しを掲げ、「今の検察にこういう制度を運用する資格はない」という元検事の弁護士の批判を紹介しています。9日の毎日新聞社説も「冤罪の懸念なおぬぐえず」との見出しで次のように報じています。

「容疑者が他人の犯罪を話せば起訴を見送ったり、求刑を軽くしたりする司法取組については、うその供述によって冤罪が生まれる懸念が指摘される。参院でさらに議論を尽くし、万全の措置を講じるべきだ」「現行より大幅に対象犯罪を拡大する通信傍受についても、現行で義務付けられる第3者の立ち合いを不要としたため、審議では捜査側の恣意的な傍受への懸念の声が強く出された」

 男女の中学生が惨殺された事件では、ほぼ防犯カメラ(監視カメラ)の映像のみによって容疑者が逮捕されました。この経過を冷静に読み取るなら、誰もが始終監視されている、という恐るべき事実が浮かび上がります。事件の凶悪性に目を奪われて、この国がほぼ完全な監視社会と化していることにマスコミを筆頭に世間は何の疑問も持たないようです。私はこの事実に底知れない恐ろしさを感じます。

 私が抱く危惧に、8月15日の朝日新聞「言論 日常化する監視」が答えています。「フェイスブックに家族の写真をアップした時だけ、特別親しくもない軍人が『いいね!』をクリックしている‐ある40歳代のタイ人記者の実体験だ」。これは、言論がクーデターで権力を握ったタイの国家平和秩序評議会(NCPO)によって日常的に監視されている実態を示すものだというのです。

 国に盾を突くもの、お前たちのことはいつでも監視しているぞという圧迫感。マイナンバー制や司法取引、盗聴、監視カメラなどは戦争法と結びつくことによって、人々を戦争に動員する強制力を持つことになるでしょう。私たちはいま、かの安倍70年談話いうところの日露戦争の前に立たされ、同じ轍を踏むのかと問われているのです。つまりは、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように・・・ (晴)


 チャイナバブルの後始末は?

■中国の過剰生産と過剰設備 

 世界の成長センターとして、市場資本主義を二十年にわたってけん引してきたのが、社会主義中国であることは(それを皮肉るかどうかは別として)誰でも知っていることでしょう。

 08年の「リーマンショック」と称され百年に一度ともいわれた経済恐慌。信用機関の破たんまで引き起こしたことはまだ記憶に新しいことだと思います。

 中国はこのリーマンショックも早々に克服して、成長軌道にもどったことが世界資本主義の最大の救済になったのでした。日米欧などの過剰生産・資本を一手に吸収していったのです。

しかし、その中国も、いまでは典型的な過剰生産・設備を国内に抱える国にほかなりません。習近平政権は、「ニューノーマル」つまり高度成長の終焉と、歪みの修正を最大の政治課題として位置付けてきました。

「習近平政権に移行した中国政府は、中央経済工作会議や政府活動報告などで生産設備の過剰問題を指摘。鉄鋼、アルミ、セメントなど19業種を対象に生産能力の淘汰(とうた)目標量を地方政府に示すなど、過剰生産設備の解消を経済政策の柱の1つとしている。」(「ロイター五月十三日」)

 「アジアインフラ投資銀行」設立プランも、海外輸出を増やし中国の過剰生産を解消しようとする目的もあると思われます。しかし、全体として過剰生産解消の方針は必ずしも意図したようには進んでいないようです。大企業でも、中小企業でも過剰設備は解消しないままに経済は減速し始め、そのため他方では用途のない過剰な貨幣資本が政策金利の度重なる低下にあおられてバブル化してゆくことになったのでした。証券投資や土地投機に回ったとみられます。

 株や土地のバブルをけん制するのであれば、金利を高める必要があるのは常識。しかし、政策当局は、中小企業や大企業の倒産や結果としての失業率の上昇を政治的に許容できず、金利の低下など金融緩和を乱発してきたのです。習近平政権成立期と言う過渡期で習政権は権力掌握に血道を上げていたこともおそらく関係があったと思われます。

■チャイナバブルの発生過程 

さてチャイナバブルには、八十年代中期から九十一年にかけて発生した日本のバブルとは似ていないという指摘があります。

「もともと中国株の「バブル」は、不動産市場からのマネーシフトによる影響が大きい。一部都市での2軒目の住宅購入者に対する頭金比率と貸出金利を引き上げるなど、中国政府は過熱する不動産市場を抑えるために様々な抑制策を2013年ごろから次々に導入。「不動産市場から逃げ出したマネーが株高を演出した」(SMBC日興証券・投資情報室中国担当の白岩千幸氏)とみられている。中国経済の成長率が7%台に減速しているにもかかわらず、上海株は1年間で2.5倍に上昇。株式市場の過熱感を感じた投資家の一部が不動産市場に戻り始めたことで、株価が天井を打った一方、住宅価格などの下落には歯止めがかかったようだ。相次ぐ金融緩和であふれたマネーは、都市部の不動産に再び流入し始めている。」(ロイター七月十四日)

 つまり、日本のバブルの発生過程とは異なり、このロイターの解説者によれば中国バブルの発生は跛行(はこう)的だというのです。だから日本のように一度にパチンとはじけ飛ぶことはないのではないかと、ひと月前に論じています。

 もちろんこれからのバブルのはじけ具合まで誰にもわかりません。ただし、この一週間で明らかになったことは、中国バブルの綻(ほころ)びが世界中に信用恐慌を巻き起こしたということです。バブルは中国だけではなく、日本にも米国にも欧州にもあるのですから、相互の作用がどんな過程を経るかも不明だし一層深刻になるかもしれません。

 そのうえ、海外の投資家が中国政策当局の、株価維持政策に乗っかり、逆手に取って儲けているという実態。そのことが当然、「株価維持政策」を無効にしてしまうというイタチごっこが続いています。

「当局の指示でナショナルチーム(政府系金融機関チーム)が買いを入れると、海外投資家はすぐにそれにならい、同じ銘柄を買う。両者の唯一の違いは、海外投資家は利益確定のため、できるだけ早くその銘柄を売ってしまうという点だ。購入してから数時間、数日以内のことも多い。結果的に、ナショナルチームは図らずも、相場とファンダメンタルズとをさらに乖離(かいり)させる短期売買のパターンを助長していることになる」(ロイター八月十八日)

■中国政策当局に頼る西側

いまや世界の信用制度と市場資本主義の守護者となったのが中国政策当局なのです。世界のすべての政策当局者と民間エコノミストの注目が中国に集中しています。

 しかし、中国の対応はきわめて不十分で危険なものと危機感を抱くエコノミストは言います。

「 中国から焦りや不安がにじみ出ている。国内株式市場が2日間大荒れとなったことで、当局は株価の直接的下支えをあきらめたような印象を与えた。」
 人民銀行(中央銀行)が利下げと銀行準備率の引き下げに動いた。そしてこの際とばかりに導入した「金利の自由化」や人民元の変動制への移行なども「別の場面なら妥当とみなされるこの措置は今回、危険なシグナルを発している」と(ロイター八月二十五日)。

 さらには、今回の信用危機の発生源が中国であるということは、国際協調を無意味なものにしているとさじを投げています。実際、八月二十六日に安倍首相とオバマ大統領が、電話会談をしたが、そのさい世界株式市場の混乱について取り上げられたらしいが、何の提案も定まらなかったらしいのです。菅官房長官は「中国の金融政策へのコメントは控える。(利下げに伴う)金融市場の安定を通じ、中国の経済成長に期待したい」と述べるにとどまっています。
上記のロイター・エコノのミストがさらに次のように指摘しているのは、当然でしょう。

「この(中国の)供給サイドの過剰にメスを入れ、過剰設備の除却に本格的に手を付けないと、中国経済の「立ち直り」は期待できないと考える。ただ、この政策を進めると、過剰な設備投資に融資された資金の「焦げ付き」が表面化し、中国の金融機関の多くで不良債権比率が急増。金融システム不安を増幅するという「激痛」が走るに違いない。

こうした中国政策当局のマクロ政策対応の難しさを考えると、市場が期待する中国とG7を含めた「国際協調」の実施は、かなりハードルが高いと予想される。「国際協調」と言って、実際に何をするのかを考えれば、その実現性の低さはさらにはっきりするだろう。」(ロイター八月二十五日)

 もう一点付け加えれば、これまで二十年間、日本をはじめとして世界の過剰資本を吸収しつづけてきたのが中国です。そうであるならば、なおさら中国の過剰生産をこれからどこの国が受け入れられるだろうか。そこが最大の難関であるし、富と貧困の二極化が生み出してきた資本と商品の過剰は一層深刻になるということです。そして、この過剰生産は他方では過剰貨幣資本の奔流を創り出し、経済の金融化とバブル化を今後も加速すると考えられます。

 資本主義との決別と別な道を模索すべき時なのです。(竜)号案内へ戻る


 再び動揺はじめた世界信用制度

 中国発世界同時株安が始まった。

七月初旬には、六月のピーク時に比べて三十%も中国株式が下降したのが発端だ。

しかし、この時点での大方のエコノミストの希望的観測は「中国経済や株市場は閉鎖的で、中国株の下落は世界に伝播しないだろう」と。

 ところが、世界の信用制度は、再び三度、動揺を開始したように見える。米国は二十四日の月曜日、一時は千ドルも下げて「新ブラックマンデー」となってしまった。日本でもあっという間に二千円株価は下落した。中国は再び下降を開始しているようです。

この信用の恐慌状態が、どこで止まるのかは誰にもわからない。エコノミストたちは根拠も薄弱な「中国政府による、株と景気てこ入れ政策に期待」をつないでいる。

 しかし、金融緩和や中国=元の切り下げなど、中国政府はこれまで何もしなかったわけではない。打つ手打つ手が効果を生まなかっただけだ。中国政府は、今では株価浮揚の切り札として年金基金の投入を決定した。(中国はけっこう日本の株価政策を真似している。)

この結果は、国家と市場の力比べであり、今後の予想は誰にもつかない。

しかし、はっきりわかることが二つある。

世界経済の中心が、中国に移ったこと。そして世界経済が、リーマンショック(0?年)からの回復わずか数年で再び激しく震撼しているように、巨大化する投機的金融資本の制御がままならないことを証明したことでしょう。そして21世紀の資本主義の退廃ぶりを、いっそう浮き彫りにしました。

 例えば日本の場合。3年半前の株価が、九千ないし一万円程度。先週初めまでは二万円台を超えていました。その間、二倍以上日本の景気は拡大しましたか? それとも今後の見通しは明るいですか?

 もちろんそうではないでしょう。去年の景気はGNPでマイナス1%。今年度の開始も(4ー6月)年率換算でマイナス1・6%。実体経済はアベノミクスのから騒ぎにもかかわらず、ジリ貧です。だから、証券市場の(東証一部のみの)バブルでありカラ上昇に過ぎないのです。

 「官制相場」なんて言葉もできましたが、実体経済が信用の拡大をうみだしたのではなく、黒田日銀による金融大緩和と安倍政府の財政出動によって「演出」された相場であり、真正バブルであり風が吹けばいつでも吹き飛びうるものなのです。

 思い出してください。あのでたらめな日銀の黒田氏や浜田氏の「リフレ理論」など、今ではだれもが忘れてしまい無視しています。しかし、次の点は忘れてはなりません。彼らが実際にやったことは、「信用制度を不安定化」するのに(世界の金融当局にその責任があります)手を貸したことです。(竜)

資料
[東京 八月二十五む日 ロイター] - きょうの東京株式市場で日経平均株価は、続落が見込まれる。米国株の大幅安に加え、外為市場では急速な円高が進んでいる。投資家の不安心理は収まらず、リスク削減の動きが続きそうだ。日経平均は2月17日以来の1万8000円割れが意識されるが、取引時間中の上海株や為替の動向次第では下げ渋る可能性もある。

前日の米国株市場は、世界的な株安連鎖の流れでダウ工業株30種平均.DJIが寄り付き直後に1000ドル超下落。その後は下げ幅を縮小したものの、終値は588ドル安と大きく下落した。為替は1ドル118円台と急速に円高方向へ振れている。シカゴの日経平均先物9月限(円建て)清算値は大取終値比600円安の1万7810円。朝方は同水準を意識して現物、先物に売りが先行し、1万8000円を割り込む可能性がある。
(ロイターここまで)


 シリーズ「戦争」・・・第1回「8月15日終戦記念日の疑問」

 今年も8月15日終戦記念日がやってきた。

 今年は戦後70年。戦争屋・安倍首相の安保法制が国会でも国民にとっても大問題になっており、安倍首相の70年談話が注目された。
 私は前より、なぜ8月15日が「終戦記念日」になっているのか?9月2日のミズーリ号での降伏文書調印こそが戦争終結の日ではないか。また、なぜ「敗戦」ではなく「終戦」と言うのか?等の疑問を感じていた。

 この疑問の答えを佐藤卓己氏の著作「8月15日の神話」(ちくま新書)で知る。

 佐藤氏も「8月15日が来るたび、先の戦争のことが語られる。だが、終戦の『世界基準』からすれば、玉音放送があった『8・15=終戦』ではなく、ポツダム宣言を受諾した8月14日か、降伏文書に調印した9月2日が終戦の日である。にもかかわらず、『8・15=終戦』となっているのは、なぜか」と、疑問を提起している。

 次に、では一体この「8月15日終戦記念日」というのは、いつ頃から日本社会に定着してきたかと言えば。

 佐藤氏は「『終戦記念日』の法的根拠が戦後18年も経過した1963年5月14日に第二次池田勇人内閣で閣議決定された『全国戦没者追悼式実施要項』であることを知った」と、「さらに、終戦記念日の正式名称『戦没者を追悼し平和を祈念する日』は1982年4月13日、鈴木善幸内閣によって閣議決定された」と、「私自身が終戦記念日制定の経過を知らなかったように、国民一般が8月15日を終戦記念日と感じる根拠は、こうした法的決定にはない。戦後世代が多数を占める現在の日本で『8月15日の記憶』は、毎年流される新聞報道やテレビ番組によって創られてきたのではないか」と述べている。

 戦後の日本社会の8月と言えば、8月6日に広島の「原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」があり、そして9日には長崎の「原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」があり、15日には東京で「全国戦没者追悼式」の開催。さらに「お盆」休みをめぐる民族大移動、夏の甲子園「全国高校野球選手権大会」の開催などが恒例行事となっている。

 マスメディアはこうした8月の恒例行事を連続報道し、各テレビ局も毎年「終戦特別番組」というタイトルでドキュメンタリー作品や戦争ドラマを流し続ける。そうした作品で「玉音放送」を聴きながら人々が泣き崩れるシーンが繰り返し象徴的に描写されてきた。毎年こうした戦争報道に私たちも慣れてしまい特別な違和感を感じる人は少ない。

 今年もNHKで「玉音放送」の完全版が放送されたり、映画「日本のいちばん長い日」が大宣伝されて、昭和天皇の聖断が強調されていた。この事に違和感を感じたのは、私だけではないと思う。

 佐藤氏は「そもそも、歴史的事実として1945年8月15日に終わった戦争は存在するのだろうか」と述べている。

 そこで、1945年8月の歴史経過を確認しよう。

 ★8月6日・・・広島にウラン型原爆爆弾が投下される。
 ★8月8日・・・ソビエト対日宣戦を通告し、満州に侵攻する。
 ★8月9日・・・長崎にプルトニウム型原子爆弾が投下される。
 ★8月10日・・・御前会議において本土決戦を唱える軍部の要求を退け、昭和天皇は ポツダム宣言受諾の「聖断」をする。当時の「バーゼル新報」号外に、日本政府が「国 体護持」条件にスイス政府を通じて連合国にポツダム宣言受諾を表明し日本が降伏した と書かれている。欧米メディアではすでに8月15日以前に日本降伏を報じている。
 ★8月14日・・・昭和天皇は再度会議を招集し、「第二回目の聖断」によってポツダ ム宣言受諾が確定され、天皇は終戦の詔書に署名する。
 ★8月15日正午・・・昭和天皇が14日深夜に録音した終戦詔書がラジオで放送され る。しかし戦場では戦闘はまだ停止されていない。ソビエト軍が千島侵攻を開始する。
 ★9月2日・・・戦艦ミズーリ号上で降伏文書の調印式。
 ★9月7日・・・沖縄の日本軍が降伏文書に調印する。

 こうした歴史的経過を踏まえて、佐藤氏は結論を次のように述べている。

 「終戦とは外交事項である。相手国への8月14日通告より、自国民向け8月15日玉音放送を優先することはグローバル・スタンダードではありえない。国際標準としては東京湾上の戦艦ミズーリ号上で降伏文書が調印された9月2日(旧ソ連・中国・モンゴルでは9月3日)がVJディ(対日戦勝記念日)であり、8月15日は国内向きの録音放送があった日にすぎない。とすれば、8月15日を『終戦記念日』とする根拠は歴史的には乏しい」と述べている。

 では、私たちは今後「8月15日終戦記念日」をやめるべきなのか?また違う「記念日」が必要なのか。この点について、佐藤氏は次のような問題提起をしている。

 「これまでの分析を踏まえて、戦後世代として一つの提案を行ってみたい。・・・1982年に閣議決定された『戦没者を追悼し平和を祈念する日』はまだ20余年の伝統しかない。憲法より先に、まず改正を論議する必要があるのは、この終戦記念日である。『戦没者を追悼し平和を祈念する日』を二分割して、8月15日を「戦没者追悼の日」、9月2日を「平和祈念の日」としたい。8月15日のお盆に慰霊供養を行い、9月2日には近隣諸国との歴史的対話をめざすべきだ、と考える。」と述べている。

 私は佐藤氏が提案する、「戦没者の追悼」と「戦争・平和問題」を分け二つの記念日を設定する案は、新たな試みとして検討に値すると考える。まず、市民の私たちが9月2日に「平和祈念の日」集会を開催することから始めようではないか。(沖田未来)号案内へ戻る


 安倍70年談話 文言しぶしぶ、意図明瞭?  新たな〝戦前談話〟を許さない!

 多方面の批判や注視に晒されながら、「安倍70年談話」が出された。

 一読すると、〝侵略〟〝植民地支配〟〝痛切な反省〟〝心からのお詫び〟など、発表前から注目されていた文言は盛り込まれてはいるが、何とも抽象的で曖昧な談話だと思わざるを得ない。それも多方面からの批判と注視などで、言葉尻だけ整えたという、談話作成の経緯自体がそうさせているのだろう。

 自己中な戦争観

 特徴的な部分をざっと見ていこう。まず安倍首相の歴史観、戦争観だ。

 談話は100年以上前の植民地支配の時代から説き起こしている。右翼や保守派は、侵略や植民地支配はなにも日本に限ったことではない、従軍慰安婦なども似たようなことを西欧諸国もやっていた、などと、日本の行為を相対化することで戦争責任の言い逃れをはかろうとしてきた。安倍首相も、帝国主義の波がアジアに押し寄せていたことに触れることで、日本の侵略行為もそうした帝国主義列強への対抗策だった、と言いたいのだろう。

 戦前の経済のブロック化も同じだ。談話は、「世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。」と記述する。ここでも日本の戦争は、欧米諸国による〝経済のブロック化〟に起因するものだとし、お互い様だ、という戦争責任を相殺するような歴史観を示している。

 驚くのは「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。」だという日露戦争の評価だ。過去にそうした受け止め方は一部であったにしても、いまでは遅れてやってきた日本による植民地再分割戦争の一幕だったことは、その後の旅順・大連の租借権獲得、南樺太の割譲、朝鮮での権益獲得など、列強の仲間入りした現実が歴然と示している。

 こうした安倍首相の歴史観は、客観的な歴史記述としては真理の一端を含んでいる。とはいえ終戦70年目の首相談話は、本来、アジア世界に甚大な犠牲を強いた加害者としての反省や謝罪,それに戦後補償などを述べる場面であるはず。加害者とその代表たる首相が言うべき言葉ではない。

 主語隠しの間接話法

 今回の談話では、侵略や謝罪の文言は記述されているが、特徴的なのは、そのすべてに〝誰が〟〝何によって〟という主語がないことだ。「国内外で倒れたすべての人々……哀悼の誠を捧げます。」「先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。」「戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。」「何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。」これらの記述には、本来、主体的な反省と謝罪がセットになるべきだろう。ところがこれらに続く言葉はなんと「歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。」と、日本による侵略戦争の結果ではなく、単に〝歴史〟になってしまっている。記述が他人事なのである。

 「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。」「先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。」も同じだ。先の大戦の何を侮悟しているのか意味不明、過去の談話の援用でしかなく、主体的な決意、想いが込められていない。というよりも、それを拒絶したというのが安倍談話の意味なのだ。

 こうした記述表現は、偶然のものではない。今年4月のバンドン会議でも同じだった。安倍首相は、過去の村山談話などを全体として引き継ぐと言いながら、自分の言葉での反省や謝罪を巧妙に拒絶してきた。今回も、「先の大戦への深い悔悟」もそれらは一貫して主語がない引用という間接話法なのだ。こんな反省や謝罪の言葉では被害を受けた側に響くはずもない。

 安倍首相は、今回の談話では、過去にばかり目を向けないで、未来志向の談話にしたい、との思いを語ってきた。被害者と加害者の立場を取り違えているのでは、ということはさておき、確かにその主旨の記述もみられる。「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」という記述だ。これが未来志向の記述だとは勘違いも甚だしいが、意図は「もう謝罪は止めたい」と言うことにある。安倍首相自身も戦後世代。本来は「私たちは戦争責任はないし、いつまでも謝罪を続ける必要はない。」と言いたいところ、それでは反撥必至だから「私たちの子や孫」に置き換えただけの話だ。被害者が受け入れられるような真の反省と謝罪、それに戦後の個人補償など棚上げしたうえでのこの記述。被害者側がどう受け取るのか、指摘するまでもない。

 逆流の一里塚

 安倍談話の持つ意味は、他方で戦争法を強引に成立させようとしている好戦勢力の頭目による歴史認識の書き換えなのだ。実際、今回の談話では、「我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、『積極的平和主義』の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。」という記述で締めくくられている。

 この記述は中国を標的とし、それに対抗していく姿勢を含ませたものだ。「積極的平和主義」も、いまでは「積極的武力行使主義」として批判の声に晒されているものでしかない。《戦後レジームの打破》を旗印に掲げながら、他方で戦前回帰の歴史認識を押しつける、そんな安倍首相がいくら反省と謝罪を語っても、鎧が透けて見える代物でしかない。

 〝戦前談話〟は許さない!

 今回の安倍70年談話。確かにいくつかのキーワードはちりばめられている。が、全体的に抽象的な記述に終始し、主語・主体が不明、言葉の羅列でしかない。これも多方面からの注視・牽制を受け入れてた妥協の産物だからだ。安倍首相も追い込まれていたのだ。それでも当初の首相の思惑からはだいぶ後退はしたが、それでも歴史認識の逆流の一里塚をつくらせてしまった事実は残る。

 私たちとしては、安倍70年談話を批判しているだけでは不充分だ。日本が本当にあの戦争を反省するのであれば、安倍政権など誕生させるべきではなかったのだ。
戦前回帰志向の首相を実現させてしまった現実、保守派の台頭を許してしまった攻防ラインをどこまで押し返せるか、正念場はこれからだ。「戦後70年」と銘打った安倍談話。新たな「戦前○○年談話」にさせてはならないのだ。

 かつて竹下首相は、自身の国会答弁などを「言語明瞭、意味不明」だなどと人を煙に巻いていた。それに重ねれば、今回の安倍70年談話は、「文言しぶしぶ、意図明瞭」となるだろうか。(廣)号案内へ戻る


 色鉛筆・・・辺野古の工事も安保法案も、永遠にさようならを!

 琉球新報を手にする私に「それは日本語で書いてあるの?」と真顔で尋ねる若い知人は、琉球語(?)で書いてあると思ったと言う。沖縄と本土は遠く分断され、無理解や誤解が多い。それは、過重な基地負担を押しつける政府にとってはきっと好都合なのだろう。百田氏の様に「軍用地主は大金持ち」などという悪意が込められた嘘があふれている。

事実は、地主の75%が200万円以下の軍用地料にすぎない。国の予算も、沖縄にだけ手厚いというのも嘘で、2013年度ベースで人口一人当たりの国庫支出金は24万4000円で全国4位。総額3737億円は全国14位だ。

「沖縄は基地で潤っている」というのも大間違い。基地関連収入は県民所得のうち5%でしかなく、逆に基地返還後の北谷町ハンビ-地区では、雇用は22倍、税収効果は51倍、経済波及効果は81倍にもなった。米軍牧港住宅地区だった現在の那覇新都心も、返還後の雇用効果が36倍になった。基地があるゆえに、経済発展を阻害されさらには事件・事故・爆音・環境汚染などにさらされねばならない。そのマイナスは計り知れない。

政府は「世界一危険な普天間基地の一日も早い危険性の除去。その解決策は辺野古移設しかない」と繰り返す。けれども他ならぬその日本政府こそが、基地の固定化に努めてきたのではないのか?1972年沖縄返還の時と、1995年米兵による少女暴行事件で怒りに燃える沖縄から、撤退しようとした米軍を日本政府が引き留めた事実が公文書で明らかとなっている。

法的に支払う義務の無い日本だけの米軍への「思いやり予算」は、年間約2000億円、一日換算で5億円にものぼる。被災地復興にまわせばどれだけの人が救われることだろう。日本では「憲法よりも大切な日米地位協定」も、他国と比べて破格の米軍最優先の内容だ。

ドイツでは、1959年に締結した協定を1993年に改定。米軍機にドイツ国内法(航空法)が適用され、飛行禁止区域や低空飛行禁止を定めている。イタリアでは、駐留米軍は軍事訓練や演習を行う時は必ずイタリア政府(軍)の許可を受けなくてはならない。両国とも、米国との粘り強い外交交渉の成果であり「基地は受け入れるが主権は譲り渡さない」ということだ。
「米韓地位協定」も1966年の締結以来、1991年2001年さらに2011年にも改定を求め、米軍基地内の汚染について、各自治体が基地に立ち入って調査できる権利や、返還された米軍基地内の汚染は米軍に浄化義務があることなど、7~8年におよぶ交渉の結果に勝ち取っている。日本では原状回復義務免除で、浄化は全て日本政府が負担している。日本政府が交渉している様子は無い。取り組むべきは安保法案ではなく、日米地位協定の改定こそだろう。その上さらに辺野古に巨大新基地を、日本の税金1兆円あるいは1兆5000億円を投じて建設しようというのだから、これはもう世界に例のない破格の米軍優遇国だ。

ところで最近になって、2009年当時のクリントン国務長官のメールが公開され、藤崎一郎駐米大使(当時)の嘘が明るみに出た。当時の民主党鳩山政権は、普天間基地の県外移設を模索中で、藤崎大使は「米国務長官から異例の「至急・重要」の呼び出しがあつた」とマスコミに説明している。アメリカは怒っているといった報道が国内にながれたが、呼び出しなど無く、大使の方から国務長官を訪ねているのが真実であり、これは県外移設つぶしに加担する形となった。藤崎氏の嘘は、国会証人喚問にあたいすると思うだが、どこからもそんな声は上がらない。

米軍基地負担(在日米軍基地の面積の多い順)から、「沖縄県74%、青森県7、7%、神奈川県5、9%、東京都4、3%、山口県2、6%、長崎県1、5%、北海道1、4%」となっている。

 今沖縄各地で、自発的に「島ぐるみ会議」など様々な反基地のための活動がかってない勢いで生まれ広がってきている。その「島ぐるみ会議」の島袋純琉球大学教授が、静岡で

「沖縄への同情・支援ではなく、自分たち自身の問題として米軍基地問題に取り組んで欲しい」と話された。この基地負担の不公平な数字は、まさしく「私達自身の問題」であることを突きつけている。

 平和に生きる権利そして人権を守るために、「島ぐるみ会議」に学びながら、辺野古工事を永遠にとめそして安保法案の廃案を求めていきたい。(澄)

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