ワーカーズ545号 2015/10/1 号案内へ戻る
自衛隊員を戦場に送るな!
国のために死ぬ愚かさを知れ!
安倍の戦争法が強行採決に次ぐ強行採決によって成立した。とりわけ、鴻池委員長による参院特別委員会での採決は無効というほかない映像が流れ、多くの人々が国会の惨状を見せつけられたのではないか。それにもかかわらず、国家権力を握っている勢力は既成事実の積み重ねによって〝国軍〟を生み出すだろう。
この国を戦争する国にさせないために何ができるのか。戦争法に賛成した国会議員を次の国政選挙で落とそうという動きはすでに始まっている。弁護士からは違憲訴訟を行うという動きがある。水島朝穂氏は自身のブログ「直言」で、憲法違反を理由とした戦争法の廃止法案を直ちに国会に提出すべしと主張している。これらは、すべての勢力がすべての手段を用いて戦争する国の出現を阻止しようというものだ。
かつて、皇軍兵士は日の丸の旗に送られて戦場へと、死出の旅に送り出された。天皇のために命を捧げること、国のために戦場へと向かうことを強制され、当然ともしていた。教育勅語による教育、それは調教というほかないものだったが、安倍の教育基本法改悪や石原・橋下の教育への介入は、再び〝少国民〟をつくりだそうとしている。特攻という悲惨な自爆攻撃によって、若者たちが自死を強制された過去を忘れてはならない。
この社会が自衛隊員を戦場へと追いやるか、戦争する国を拒否するのか問われている。脅威が拡大しているという宣伝が敵をつくりだし、軍備増強への支持を根強いものとしている。軍需産業は武器輸出を要求し、米軍と一体となった新軍部・自衛隊上層部の実戦への欲求も強まっている。自衛隊員は任務なら従うと言い、その家族は反対できないと言う。これらすべてを呑み込み、肥大しつつ暴走する安倍政治を許してはならない。この愚かな循環を断ち切れ。 (折口晴夫)
反転攻勢に出よう!安倍政権は追い詰められる!
学者・専門家による反対表明、それに行動に立ち上がった多くの人々による反対の声を無視して、アベ戦争法が成立させられてしまった。国会内外の議論で、安倍首相などが言う同法の必要性や根拠の綻びが次々と明らかになるなかでの強行採決、ただただ国会議席の多数に依拠しての暴挙という以外にない。
安倍首相にとっては念願の戦争法の成立だったかもしれない。が、反対行動の拡がりは、武力行使への安倍首相のフリーハンドを狭めるまで追い詰めたともいえる。
法案が成立させられたとはいえ、ここで立ち止まることなく、防御戦から陣地戦へ、さらには追撃戦へと闘いの歩みを進めていきたい。
◆裏口入学?
すでに多く語られてきたように、今回の戦争法の意味は、なんだかんだと屁理屈をこねて自衛隊が現実に武力行使できるようにすること、さらには政治と軍事力を一体化して外交を展開する〝普通の帝国主義国家〟として再登場したいという、安倍首相の思惑を実現する一里塚だ、ということにある。いはば、安倍首相が言う、〝自衛隊の持てる力を発揮する〟ための解釈改憲だった。
はじめに戦後の経緯をちょっとだけ振り返る事から入ってみたい。
日本は、あの戦争への反省と教訓を踏まえ、戦争とそのための戦力を放棄し、平和な国家づくりに進むはず、だった。あるいは、日本は〝普通の国〟としてではなく、戦争はしない、武力も持たない〝特殊な国〟として再出発することで、戦後の国際社会に復帰することが出来たともいえる。
ただし現実には、平和国家としての再出発を願う圧倒的多数の人々の願いに反し、一つまた一つとその歩みをねじ曲げられてきた。その出発点が、サンフランシスコ条約に基づく日本の本格的な再軍備と日米軍事同盟だった。それ以降、戦前から続く日本の反動勢力は、日本も〝普通の国家〟として、憲法の制約を実質的に突破してしまう施策を次々と導入してきた。
戦前のような軍事力も行使できる普通の国への再転換は、当然ながら内外からの厳しい警戒や批判を受けてきたものでもあった。日本の支配勢力は、やむなく日本の〝普通の国家〟への回帰を、日米同盟のもとで、米国や米軍に追随する手法でその回帰を追求する道を選択せざるを得なかったわけだ。
ただし、こうした野望がそう簡単に実現できるはずもない。米国の日本コントロール、アジア民衆の監視、それに日本の民衆などの平和意識と闘いが、その野望の前に立ちはだかっていたからだ。安倍首相が言う〝戦後レジームからの脱却〟とは、そうした内外からの制約を散り払って、戦前のように軍事力の行使もいとわない〝普通の国〟へと日本を再度大転換させる、ということに他ならない。だから〝戦後レジームからの脱却〟という旗印は、戦前のような〝日本を取り戻す〟という安倍首相の野望を、単刀直入に表すスローガンなのだ。
ただしそうした安倍首相の野望も、すんなり実現したわけではない。第二次政権発足直後は、そのもくろみを改憲に賭けてきた。が、三方向からの制約は重く、明文改憲という正面突破の思惑は跳ね返され、やむなく裏口入学としての96条改訂や、さらには何度も繰り返してきた解釈改憲に後退せざるを得なかったのが、これまでの経緯だった。
今回の戦争法の成立は、一面で安倍首相などの好戦派の野望がまた一つ実現したことは間違いない。が、半面では、当初の思惑が砕かれて裏口からしかその野望を実現できなかったという意味で、安倍首相としては、中途半端な結果を余儀なくされたことになる。私たちは、今後の闘いのあり方を考える上でも、こうした攻防戦の位置と性格を直視する必要がある。
◆原動力
今回の戦争法案反対の闘いは、最近になく大きく拡がった。これまでの一部野党や左派的・独立的労組、あるいは政治グループ・市民団体などが担ってきた反対行動は、今回大きく拡がったのだ。
多方面から注目されているように、学生などの若者やママさんグループそれに学者集団など、これまで政治行動から距離を置いてきた人たちが大挙して政治の舞台と街頭に登場した。それに、学者や各職業団体からも多くの反対決議や声明が寄せられた。これらにも触発されて、ごく普通の人たちがそれぞれ街頭に出てアピールする場面が、それこそ都会から地方まで含めて日本中のあちこちで見られた。
こうした行動は、90年初頭のアフガン・イラク戦争反対行動の時より、格段に拡がりを持ったものだった。その時は、人々の人道的な正義感や使命感から突き動かされていたのに対し、今回の行動は、それこそ自分たちや自分の子どもが戦争にかり出されるかもしれない、しかもそのことが自分の知らないところで決められてしまうという、まさに自分の身に降りかかる脅威として捉えられていた、ということだろう。それがたとえ「利己的」と言われようが、自分自身の問題として、主権者意識・当事者意識を持って受け止められたことは、反原発行動と共通で近年にない画期的な事態だった。そうした思いやそこからわき上がる行動は、ちょっとやそっとのことで消え去ることがない。一端このことを自覚した人々は、たとえ一時は最前線から退いたとしても、事態の推移によっては必ず行動で意思表示するだろう。
政治が変わるのは、いつの時代でも新しい行動参加者が大規模に政治の舞台に登場する時だ。そうした人たちが政治変革の原動力となる。反原発や今回の闘いで、その端緒が切り開かれた事になる。今後それがどう拡大・展開するか、真価が問われる時でもある。新しい主役は、多くの課題を乗り越えて必ず飛躍した闘いを展開するだろう。
◆結合
ただ今後の闘いに影響する課題や一抹の危惧も無いわけではない。
今回の戦争法案反対の根拠として、憲法違反かどうかに大きな争点が集中したこともその一つだ。それ自体が一つの大きな争点であるには違いない。が、本来は憲法に違反している日米軍事同盟や在日米軍基地の問題など、現実の政治・軍事問題との関係性が時に後景に追いやられたことである。このことは、安倍政権が、現実の安保環境が激変したこと、あるいは最近の中国の脅威を協調してきた姿勢への全般的な対決の構図をつくる面での不充分さと関連している。安倍政権との攻防は、平和主義の理念追求と安保・軍事面での現実対応とですれ違いに終始した。
街頭など闘いの最前線では、一面化や単純化はやむを得ないことで、必要な場面もある。が、継続的な闘いの観点からは、土台の不充分さとして今後の闘い方にも影響するかもしれない。すべて今後の闘い方次第にかかっている。
またこの間の街頭での闘いをリードしてきた観がある学生団体(SEALDs)や学者の会などの一部には、政党や労組などの旧来型の闘いへの違和感や反撥からか、個人としての闘いを重視する声も聞かれた。あるいは政党や労組などの行動を〝動員された行動〟だと一面化して捉え、それに対置するものとして〝個人の自発的な行動〟を強調する発言もあった。
現実の政党や労組、あるいはかつてのそれらの闘いがそうした一面を持っていたのは否定出来ないし、克服すべき課題ではある。が、個々の闘いを超えて全体的、長期的な闘いを牽引すべき政党や、職場や地域などを基盤として自分たちの利益や社会的な活動をする労組の運動を否定したり一刀両断して済ますわけにはいかない。
たとえばやり玉に挙げる動員型の集会・デモにおいても、工場や職場での組合員の声や意志を背景として行動に出るという側面も見る必要がある。私が所属したかつての組合でも、集会やデモに取り組むべきだ、という組合員の声が執行部を動かす場面も多々あったのだから。
端的な話が、街頭での集会やデモが、工場や職場でのストライキなどと結びつくことに、政権や支配層は危機感を抱き、また動揺する。かつて「桜田テーゼ」というものがあった。40年近く前の話だが、当時の日経連会長だった桜田武が、ロッキード事件やスト権ストで混乱した政治状況のなかで発言した言葉だ。主旨は〝政治は混乱していても、企業の職場が労使協調で安定していて、それに警察や官僚組織が機能していれば,支配体制は安泰だ〟というものだった。いわゆる「労使関係安定帯論」である。国家支配の要諦である体制の安定策を語ったこの発言に即してみれば、今回の闘いの最大の弱点と言えば、個々の組合員の声を反映した労働組合の参加が限られたこと、しかも街頭やネットでの闘いに終始し、職場や工場での闘いと連動できなかったこと、だろう。
今回の若者などの闘いは、あの中東でのジャスミン革命や香港での雨傘革命、それにニューヨークのオキュパイ運動などに触発された面もあるだろう。それら若者を中心とする闘いはそれなりに大きな役割を果たした。が、問題はそうした闘いが一旦はうまくいったり、あるいは挫折した後の問題だ。エジプトでは、11年の民衆革命で政権打倒にこぎ着けた。が、イスラム勢力に偏ったムルシ政権が13年の軍部のクーデターで排除される段階では、青年組織の一部はむしろ軍隊に期待するという態度を取ってシーシ軍事クーデターを後押ししてしまった。いま、エジプト革命を牽引した少なくない青年が監獄に入れられているという。こうした諸外国の経験からも学んでいく必要がある。
私は、反原発運動も同じだが、普通の市民による個々の自発的な行動と、政党や労組の組織的な闘いが結合するような道を模索すべきだと考える。これらはいまの民間大企業を中心とする御用組合が多い連合労組には期待できないとしても、一連の反原発闘争や戦争法案反対の闘いの場でも、現に個々の左派的・独立系組合などは重要な参加勢力になっているのだ。そうした将来展望を共有することで、戦争法制の撤廃や安倍政権打倒をめざす闘いのバージョンアップも可能になるのだと思う。
◆追撃
戦争法が成立して、日本は本当に海外で戦争が出来るようになったのだろうか。法的土俵では出来るようになったかもしれないが、政治的には、極めて脆弱な土俵しか作れなかった、ともいえる。拡がった反対意見や街頭行動が、強行突破を諮った安倍政権に実質的な縛りの役割を果たすからだ。かつて日本周辺という概念は地理的概念ではないとしながら、結局は日本周辺に限定せざるを得なかったことと同じだ。
現に、安倍首相が集団的自衛権の行使を可能にするために持ち出したホルムズ海峡封鎖や米艦防護の事例は、答弁が食い違ったり修正されたりで、実際に行使できるか疑問符が付いたままだ。出撃準備中の米軍機への給油など、米軍の武力行使との一体化の問題も曖昧さが浮き彫りになった。また存立危機事態や重要影響事態という概念も曖昧さが露わになり、事実上の政府への白紙委任に対して厳しい目が注がれるようになった。これらも含めて実際の法律運用や武力行使に際して、政権の判断は厳しい批判の目に晒されるだろう。いはば、実際の法律運用の道に地雷が埋め込まれたようなものだ。
いうまでもないが、安倍首相の野望は今回の戦争法が最終目標ではない。次はなにが来るのだろうか。
普通であれば、安倍首相が当初持ち出していたように集団的自衛権の全面行使、それを可能にするような憲法の明文改定だろう。しかしこれまでの攻防で、国民世論の半ば以上が、戦争法案のごまかしや危険性を見抜いてしまった。過去の改憲アンケートで9条改憲では改正賛成派が少数だったが、憲法改正そのものには改憲賛成派が多数だった。が、安倍政権による改憲そのものへの警戒観や批判が拡がっており、明文改憲はこれまで以上にハードルが高くなった。一本調子に改憲に走ることは出来ないだろう。むしろ今後の展開は、実質的な軍事力の整備や海外派兵の実績づくりなどに向けられるかもしれない。現に、政権は来年早々にも南スーダンでのPKO活動で今回の戦争法の適用を準備している。とはいっても、安倍首相などは9条改憲をあきらめたわけではない。現にその旗は掲げ続けるとも明言している。
安倍首相は通常国会の会期末を前に記者会見した。そこでは戦争法だとのレッテル貼りに対して向きになって反論する姿が目立った。それだけダメージがあったのだろう。また次の改造内閣の重要課題に「一億総活躍社会」をあげ、アベノミクスは第二ステージの始まりだと強弁した。選挙の前には経済・景気、選挙が終われば改憲なのだろうか。そんな安倍政権の有権者を小馬鹿にした態度は繰り返させてはならない。安倍政権打倒への闘いを、これまで以上に拡げていく以外にない。(廣)
胸を張り 声高く進もう
われわれはあきらめない!
安倍政権が、集団的自衛権を実現するための事実上の「戦争法案」を強引に参議院を「通過」させました。
この法案に関しては、あらためて言うまでもないのですが「日本の防衛」ではなく、同盟国である米国の世界戦略への合流を意味しています。
米国は、戦後七十年間に多くの戦争を米国本土の侵略防止と言う理由からではなく、米国国防省(ペンタゴン)とロッキード、ボーイング、レイセオンなど軍産複合体の利害のために世界中で戦争を引き起こしてきたのです。軍事官僚と軍需産業の利益に基づいて軍備を拡張し戦争をしてきました。
古くはベトナム侵略戦争がそうです。米国は陰謀によるトンキン湾事件を演出しました。
記憶に新しいとこでもイラクへの侵攻(湾岸戦争、イラク戦争)。戦争の口実であるサダム・イラク政権とアルカイダとの関係も「大量化学兵器保持」の実証もありませんでした。
並行してアフガンへの介入という不毛で無謀な戦争に命を懸けてきました。多くのイラク人、アフガン人が戦闘員のみでなく一般住民も殺戮されました。今でもそれは続いています。米兵も多くの死傷者を出しています。帰還兵もほとんどが精神的疾患をわずらい「勝利」とか「敗北」など関係なしに悲劇の連鎖が続いています。
こんな不毛な軍需産業のための戦いに安倍首相は参戦すると決意したのです。それが現実です。日本軍=自衛隊もまた他国の治安の問題や内戦に絡んで、戦力を送り込み国際社会とやらのリーダーでありたいのでしょう。同時に、日本にも米国同様の軍産複合体を創設し、教育制度やマスコミを統制して戦争を望む国民づくりを始めたいのです。戦争を商売の手段にしたいのです。成長産業にするつもりなのです。
こうしたなかで安倍政治に励まされた自衛隊=軍部の暗躍が強まっていますし、三菱重工をトップとする日本軍需産業も活発化しています。
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このままでは日本も米国同様の戦争をやめられない社会になってしまいます。
状況は困難になりました。しかし、安倍内閣の対外戦争を可能とする法律はあくまで「法律」です。こんなことは憲法に違反するという明確な事実とともに、国民多数の議決によって「廃止」することは当然可能なのです。次回の参議院選挙、衆議院選挙で自民党を敗北させればよいことです。あきらめるなんて必要ありません。「決まった」のは今国会の話のみです。
街頭活動や集会で国民世論を一層高めれば、裁判での違憲判決や国会での「廃案」への道が切り開かれるでしょう。
前に進もう、拳かかかげすすもう、声高く進もう、嵐突き すすもう!未来のために(文)
新聞各紙による安倍政治の評価を読む
安倍の戦争が自公与党と、一部野党の賛成で強行可決された。すでに読むまでもないという声が聞こえてきそうだが、9月16日「産経新聞」が安倍総裁再選に関する社説検証を行っているので、紹介したい。
無投票再選について、「産経、読売、日経の3紙は再選が当然と受け止め、新たな任期(3年)の課題を論じたのに対し、朝日、毎日、東京の3紙は自民党の議論不在を批判し、成立間近の安全保障関連法案についても、進め方が強引などと異議を唱えた」
産経など3紙はアベノミクスの推進が今後の最重要課題だとし、「規制緩和の徹底、環太平洋経済連携協定(TPP)の早期妥結など、成長戦略の強化を求め、産経と読売は、電力の安定供給に向けた原発再稼働の重要性を指摘した」...
締めくくりは、「安保関連法案は週内にも参院本会議で可決され、成立する。消費税の10%への引き上げまで、あと1年半となり、アベノミクスはいよいよ正念場を迎える」とある。産経は戦争法は決着がついたと評価し、拉致被害者救出に向けた首相の決や憲法改正への行動などを求め、安倍に進路を照らしている。
こうした産経の論調は、「安保の逆風アベノミクスで回復!?」(24日「神戸新聞」)という安倍政権の「経済カードでの浮揚もくろむ」の思惑と
ピタット一致している。こんな子どもだまし惑わされるようでは、この国に未来はない。 (晴)
新聞各紙の論調を読む(2)
9月20日「朝日新聞」が19日付け各紙の論調を報じている。毎日「支持ない派兵ならぬ」、読売「必要最小限の抑止力」等と。朝日・毎日は省略し、他紙について紹介する。
東京「法律が成立しても国民多数が望まぬなら不用にできる」、読売「強大化する中国と向き合い、必要最小限の抑止力を維持できるようになる」、産経「自国存立のために集団的自衛権を行使できるようにするのは当然」
読売は60年安保闘争に参加した大学名誉教授の「当時は安保改定が何なのかよくわからないままデモに加わったが、のちに必要だと理解できた」という声を紹介し、若い世代のデモ参加の意義を貶めようとしている。この名誉教授の発言は、軽薄だった過去を告白しているだけではないか。
ついでに各紙の社説も紹介しよう。
18日「中日新聞」は、「『違憲』安保法制、憲法を再び国民の手に」の見出しで、採決強行を阻止できなかったことに絶望してはならないとし、「絶望とは愚か者の結論である」との言葉を引いている。また、「首相は、徴兵制は憲法が禁じる苦役にあたるとして否定したが、一内閣の判断で憲法解釈の変更が可能なら、導入を全否定できないのではないか。現行憲法が保障する表現の自由や法の下の平等ですら、制限をもくろむ政権が出てこないとも限らない」との懸念を示した。それは、自民党憲法草案が目指しているものに他ならない。
19日「神戸新聞」、「安保大転換、『平和主義』を守り抜こう」では、「政府は禁断の『ルビコン川』を渡ろうとする。だが国民の意思で引き返すことはできる。これで終わったわけではない。これからが重要だ」、と強調している。
20日「毎日新聞」は、「安保転換を問う 法成立後の日本、国民が監視を強めよう」として、「新法制の成立で私たちが失ったものもあるが、希望も見えた」「多くの人が安全保障や日本の国の在り方を切実な問題として考えるようになったことだ」、とデモに明け暮れたこの夏の日々が無駄には終わらないと強調した。また、「首相は、日本が集団的自衛権を行使できる国になることで、祖父の岸信介元首相が改定した日米安保条約の双務性を高め、憲法改正につなげたい、と考えてきた。日本を軍事的に『普通の国』に近づけようということだ」と指摘している。
同日「朝日新聞」は、「安保法制と民主主義、新たな『始まり』の日に」として、「自由も民主主義も、日々私たちが行使することによってのみ守られる」「既成事実に身を委ねず、自分の頭で考え、言葉にし、今ここにはない現実を自らの手でつくり出していこうとする主権者一人ひとりの不断の努力が、この国の明日を希望で照らす」、と主張している。また、「まさに安倍政権が見せつけているのは、日本が70年かけて積み上げてきた理念も規範も脱ぎ捨て裸となった、むき出しの権力の姿である」と指摘。
九電川内原発再稼働の強行や、沖縄辺野古新基地建設で見せているむき出しの暴力こそが国家権力の真実の姿だ。「SEALDs」の若者たちも、いずれこのむき出しの権力と遭遇するだろう。若者たちが、かの老名誉教授のようにくじけることなく、力強く前進できるように全力でサポートしよう。
前記「中日新聞」がジャーナリズムの使命を確認している次の文章も紹介し、マスコミにも希望があることを示したい。「憲法を再び国民の手に取り戻すまで、『言わねばならないこと』を言い続ける責任を自らに課したい。それは私たちの新聞にとって『権利の行使』ではなく『義務の履行』だからである」 (晴)
「エイジの沖縄通信」(NO・17)・・・「安保法と沖縄」(沖縄ではもう安保法が始まっている)
※はじめに
9月17日の参議院安保特別委員会での「採決」の場面、テレビで視た多くの人々から「あのように委員長席周辺が騒然とし、委員長の議事進行の声を自席で委員が聴き取れない状況で、5件もの採決がされたとは信じられない」という声が上がっている。至極もっともな指摘である。
誰が見ても「採決」とは言えない。「採決」がそもそもなかったというのが本当の事ではないのか?このような余りに理不尽な状況が既成事実としてまかり通るのを見過ごすことはできない。
さっそく、インターネット署名(「議決がなかったことの確認と審議続行を求める」内容)が全国に呼び掛けられ、署名開始から5日間で3万2千筆を超えた。さらに「無効だ」との抗議の声をしつこく上げていこう!
あらためて今回の安保法成立の流れを確認し、問題点を提起したい。
1.安保法成立の流れ
・2010年・・米軍「エアシーバトル」の登場。
★2012年・・「アーミテージ・ナイ報告書」。
アーミテージ元国務福長官やナイ元国防次官補らの「ジャパン・ハンドラー」が、日 本に安保法の制定を求めていた。報告書は日本に米国との同盟強化を迫り、日本が集 団的自衛権を行使できないことを「日米同盟の障害となっている」と述べている。
・2012年7月・・統合幕僚監部防衛計画部の内部資料「日米の『動的防衛協力』に ついて」の中で、キャンプ・シュワブに普通科中隊(約150人前後)、ハンセンに 普通科連隊(約600人規模)の緊急展開部隊を常駐させる方針が示されていた。
・2013年12月・・「国家安全保障会議」(日本版NSC)の発足。「特定秘密保護 法」(米国との機密共有)の成立。
・2014年4月・・「防衛装備移転三原則」(武器輸出を事実上解禁)の閣議決定。
★2014年12月・・「河野克俊統合幕僚長」は訪米し、ダンフォード米海兵隊総司 令官と面談し、米海兵隊と陸上自衛隊との共同訓練の強化、米軍専用施設・区域の共 同使用を確認したと言う。
・2015年4月・・「新ガイドライン」(日米防衛協力指針)では、「自衛隊と米軍の 相互運用性を拡大し、柔軟性を向上させるため施設・区域の共同使用を強化する」と 明記された。
★2015年4月・・安倍首相は訪米し「夏までに安保法制を成立させる」と約束。
・2015年5月・・「安保関連法案」を閣議決定。
・ 〃 7月16日・・「安保法案」衆議院通過。
・ 〃 8月12日・・うるま沖の「米軍へり墜落事故」で自衛隊員2名(陸自中 央即応集団「特殊作戦群」の隊員)が負傷する。
・ 〃 9月18日・・「安保法案」成立。
以上、見てきたようにポイントは2012年の「アーミテージ・ナイ報告書」、2014年の「河野統合幕僚長の訪米」、2015年の「安倍首相の訪米」であろう。特に、安倍首相がまだ国内では安保法案の問題が出ていない段階で、米国で必ず「安保法案」を成立させると約束していることだ。
この事を、内田樹氏は次のように述べている。
「これほど否定的条件が整いながら、あえて安倍内閣が法案の成立にこだわった合理的な理由は一つしかない。4月の米議会で『この夏までに、成就させます』と誓言したからである。・・・なぜか。それは日本が米国の政治的属国だからである。」「戦勝国が『押しつけた』憲法9条を空洞化し、『戦争ができる国』になるためには戦勝国の許可が要るのだ。・・・安倍首相はその誓言を履行した。かつて韓国の李承晩、ベトナムのゴ・ジン・ジエム、インドネシアのスハルト、フィリピンのマルコスを迎えた『開発独裁の殿堂』入りを、安倍首相は果たしたのである。」(9月18日付、琉球新報より)
2.沖縄では、もう「安保法」が始まっている
8月12日の「米軍ヘリ墜落」で明らかになったことは、もう米軍と自衛隊が一体となった共同訓練が当たり前になっている事である。沖縄では、米軍海兵隊基地に自衛隊が滞在した共同訓練(集団的自衛権の訓練)が日常化している。
ここで、オバマ大統領の「アジア重視戦略(リバランス戦略)」を紹介する。
「オーストラリアのダーウィンにも海兵隊を駐留させる。これによって、南沙諸島有事の際にはグアム・ハワイ・ダーウィンから南沙諸島に米軍が対応し、それを支える後方支援を集団的自衛権を行使して日本の自衛隊が行う。」
「たしかに、米軍は冷戦時代は、東アジアに軍事的空白をつくらないため、沖縄を重要な拠点と位置づけてきた。だが、日米防衛協力が拡大・深化したため、米軍は中国・福州から350キロの近距離にある与那国島に米軍を展開させない。与那国は『近すぎる』から。今後は、先島諸島に配備される陸上・海上自衛隊が米軍の手となり足となれば良い。」
事実、防衛省の「2013年の新防衛大綱」に基づき、沖縄を軍事拠点とする「島しょ防衛」の自衛隊配備計画がどんどん進んでいる。
★「沖縄本島」・・・在沖米軍基地では米軍と自衛隊の共同使用と共同訓練が強化されている。辺野古新基地は日米共同使用(自衛隊駐留)めざす超巨大基地<(海兵隊・ オスプレイ配備)+空軍(滑走路2本)+海軍(軍港機能)>である。
本島南部の基地を北部に移設させ、辺野古を中心とした北部地域に軍事基地ゾーンを建設する計画である。
★「与那国島」・・・陸上自衛隊沿岸監視部隊(150人規模)の配備決定。宮古島ののレーダーを補完するために、探知半径2千メートルのレーダーを建設する。
2014年4月から「駐屯地」の造成工事に着手しており、2016年3月末までに配備を完了させる予定。
★「宮古島」・・・現在、航空自衛隊基地に半径600キロメートルの探知能力のある固定式レーダーが配備されている。これに陸上自衛隊(地対艦や地対地のミサイル部 隊や警備部隊など800人規模)の配備計画、本年度中に用地取得に着手する計画。
もう一つの懸念が、「下地島空港」(3000mの民間空港)に航空自衛隊のF15戦闘機を配備する計画案がある。
★「石垣島」・・・陸上自衛隊のミサイル部隊と警備部隊(500人程度)の配備計画
が決定。今後、用地取得に着手するだろう。
★「奄美大島」・・・陸上自衛隊のミサイル部隊と警備部隊の配備が決定している。
沖縄本島では辺野古新基地建設反対の「島ぐるみ」総がかり運動、与那国島・宮古島・石垣島でも自衛隊基地建設反対の「住民の会」等が結成され反対運動を展開、まさに反「安保法」闘争に突入している。
沖縄の闘いと連帯して、本土でも粘り強く闘って「安保法」を廃案に追い込もう!(富田 英司)
読書室 豊下 楢彦氏著『昭和天皇の戦後日本〈憲法・安保体制にいたる道〉』岩波書店刊 二五九二円 二0一五年七月刊行
本書は、憲法改正、東京裁判そして安保条約という日本の戦後体制の形成過程に、天皇がいかに主体的かつ主導的に関与してきたかを、『昭和天皇実録』を駆使して抉り出す。
二0一四年九月に公表された『昭和天皇実録』は、編集に着手して以来、二十余年の歳月を掛けて纏め上げられた全六十一巻の浩瀚な資料の宝庫である。
当然のことながらそれらの資料は、前提として「昭和天皇の生涯を顕彰する性格」を持つ物ではあるが、何よりも重要なのは豊下氏が指摘する様に「一日一日の昭和天皇の行動を記述するにあたって、……数多くの出典資料が挙げられている」ことである。つまり『実録』編集者は、それらの資料にあたった上で「練りに練ってある選択を行い記述している」と豊下氏は認識し、そうであれば「なぜこの記述が記され」「なぜ別の記述ではなかったのか」とその問題意識を掘り下げていくと、そこに新たな「発見」があると指摘する。
すなわち豊下氏は『実録』の重要性は読み解く側の姿勢に係っており、その意味において実に豊富な材料を提供していると指摘する。ご存じのように豊下氏は、『安保条約の成立―吉田外交と天皇外交―』等を始めに数々の充分に説得的な「仮説」を読者に提起してきた。したがって本書はまさに『実録』の出版に関連して書かれるべき著作であった。
豊下氏自身、「本書は、こうした『実録』を文字通り駆使してまとめあげられたものであり、その結果として、かねて提起してきた筆者の「仮説」に裏付けが与えられたと考えるもの」との自信を披瀝している。現代政治の研究者としては何という幸運であろうか。
それでは、〈憲法・安保体制にいたる道〉の追求過程でもある本書の目次を紹介する。
序 『昭和天皇実録』の衝撃
第Ⅰ部 昭和天皇の〈第一の危機〉――天皇制の廃止と戦犯訴追
第一章 「憲法改正」問題
1 「天皇の事業」としての憲法改正
2 マッカーサーへの「謝意」
3 なぜマッカーサーは急いだのか
第二章 「東京裁判」問題
1 天皇への「叛逆者」
2 「勝者の裁判」の先例
3 英語版「独白録」のゆくえ
4 対立する弁護の論理
第三章 「全責任発言」の位置づけ
1 「史実」となったマッカーサーの回想
2 「東条非難」の筋立て
3 円滑な占領遂行
第Ⅱ部 昭和天皇の〈第二の危機〉――共産主義の脅威
第一章 転換点としての一九四七年
1 「天皇制打倒」の脅威
2 「米国のイニシアティブ」を求めて
3 なぜ「沖縄メッセージ」なのか
4 「領土は如何でもよい」
5 「芦田メモ」と昭和天皇
第二章 昭和天皇の「二つのメッセージ」
1 マッカーサーの「極東のスイス」論
2 池田勇人蔵相の「拝謁」
3 天皇の「口頭メッセージ」
4 天皇の「文書メッセージ」
第三章 「安保国体」の成立
1 日本側の準備作業
2 米国の「根本方針」
3 「非公式チャネル」の展開
4 吉田茂首相の「全権固辞」
5 天皇の「大義への貢献」
第四章 立憲主義と昭和天皇
1 内乱への恐怖
2 天皇の「行動原理」とは何か
3 なぜ「退位」できなかったのか
第Ⅲ部 〈憲法・安保体制〉のゆくえ――戦後日本の岐路に立って
第一章 昭和天皇と〈憲法・安保体制〉
1 昭和天皇の憲法認識
2 昭和天皇の歴史認識
第二章 岐路に立つ戦後日本
1 「戦後レジームからの脱却」
2 「東京裁判史観」をめぐる相剋
3 歴史認識問題の機転
第三章 明仁天皇の立ち位置
1 「歴史の風化」に抗して
2 新憲法と日本の伝統
3 明仁天皇の歴史観
4 あるべき日本の立脚点
あとがき
主要参考文献
本書の目次を子細にみれば、敗戦により天皇制存続の危機に直面した昭和天皇がいかにその危機を打開しようと、どのような行動に出たのかが、また折から冷戦が深刻化していく中で、昭和天皇は何を考え、いかなる外交を展開したのかが、実によく分かる展開となっている。そこでの天皇は憲法下で規定された国事行為のみを行う「一見芒洋とした」天皇ではなく、国家の統括を行う実に主体的かつ主導的な君主然とした昭和天皇像である。
三百頁を越す大著なので、とても全面的な論評は出来ないが、大筋は以下である。
戦後70周年である現在も、日本は〈憲法・安保体制〉下の属国状態にある。一体なぜなのであろうか。その答えが、本書では実に克明かつ説得的に解明されている。
いまだに「歴史認識」問題を日本が引きずるのは、昭和天皇が「全責任は私にある」と言ったとの「神話」とは全く裏腹に、戦争責任もとらず退位もせずにまた正式に世界に謝罪や反省をすることもなく、従って戦前と戦後とに明確な一線を画す事なく、米軍に継続占領を依頼したことに端を発する。
そしてマッカーサーとダレスがこの昭和天皇の申し出を了承した結果、国体と安保、九条と米軍という対抗軸が、米軍の恩恵という論理で併存してしまう事態となったためだ。日中戦争の推進派だった吉田茂は、後年「対米独立」派だと「神話」化されたが、その内実はといえばさんざん安保交渉から「全権固辞」で逃避し続けた挙げ句、昭和天皇から引導を渡されるや米軍に安全保障を任せるとの天皇の対米従属路線に追随したのであった。
昭和天皇の行動原理は皇統を守り抜くの一点であり、専制君主として戦前は勿論、戦後も最高権力者然として振る舞った昭和天皇であった。しかし2・26事件以降軍部クーデターを常に恐れ大東亜戦争に反対しなかったために、結局310万人の日本人が犠牲になった。現在でも戦後日本には政治的責任をとるべき政治的中枢が欠落しており、端的に表現すれば、戦後日本の体制とは在日米軍に守られる天皇とその官僚主導体制なのである。
昭和天皇の公然たる「違憲」の戦後外交は、以下のようなものであった。
昭和天皇の自発的な意向で行われた沖縄処分(本土と沖縄の構造的差別)も元を辿れば、重光へ在日米軍撤退反対の指示を出し従米安保体制(米占領軍による巧妙な日本統治の占領体制の継続)を構築することにあった。このように米軍の日本占領に協力することで、東京裁判を免れ、忠臣東条に全責任を負わせ(米側が東条に証言を指示)、日本国憲法(天皇が保証する民主政治体制)では天皇制(国体)を温存させたのである。
皇統護持のみが頭にあった昭和天皇は、広島や長崎原爆に就いては「やむを得ない」と何の呵責もなく発言できた。さらに朝鮮戦争では米軍のリッジウェイに原爆使用を催促し、対中ソ包囲網や価値観外交を米側に提案した。つまり昭和天皇には、違憲か否か、戦争か平和か、主権か沖縄かではなく、皇統の護持がすべてだったのである。
これが乃木希典や杉浦重剛らから受けた「日本とは天皇である」との強烈な帝王学に忠実だった昭和天皇の、戦前、戦中、戦後を貫く一貫した論理だったのである。
これらはすべて敗戦国の元首としては、全く類を見ない歴史的事例であり、「天皇外交」として豊下氏により新旧資料を基にした検証作業によりすべて具体的に論証されている。
その意味において、本書の存在意義は極めて大きいものがある。本書の真価とその具体的検証の過程は、ぜひ自分の目で確かめていただきたいと私は考えるのである。
ついでに明仁天皇と安倍総理の立場が違うこと、それはなぜかを書いておこう。
まず昭和天皇及び皇族は、占領軍の日本占領に協力する代償に、天皇制を日本国憲法に維持できたので、それだけでも連合軍に心から感謝した。現憲法が占領憲法だから改正するとの安倍総理とは、立場が正反対なのである。
現憲法に改正された時、天皇はマッカーサーに対し、今回成立する憲法により民主的新日本建設の基礎が確立された旨の御認識を示され、憲法改正に際しての最高司令官の指導に感謝の意を示したのである。このことは第一章に詳しく書かれている。
昭和天皇は、東条非難をイギリス国王や米国紙等において行い、全責任を東条に押し付け、東京裁判を免訴された。これに関わって天皇には、この裁判のための日本語版と英語版の「告白録」があり、そして連合軍に東京裁判についても謝意を表明していた。これまた安倍総理とは、正反対なのである。これについては、第三章に詳しく書かれている。
具体的には、昭和天皇は戦争裁判(東京裁判)に対して貴司令官が執られた態度につき、この機会に謝意を表明したいと発言している。
これに関連して昭和天皇は、一九七八年に元宮内大臣の松平慶民の息子永芳が、靖国神社の宮司として戦犯を、日本精神復興のために東京裁判を否定するという主旨で合祀した際に、これを厳しく非難し、以降天皇家は今に至るも参拝を拒否し続けているのだ。
皇統継続の強い意思をもった昭和天皇は、結局の所、米軍占領体制の継続となる安保体制(戦後対米隷属体制)の構築者した張本人である。すなわち昭和天皇は、日本側から米軍の継続占領を要請し、最終的にマッカーサー元帥もダレスもこの案にのり、そのために沖縄処分がなされたのである。当初は五分五分の論理での対等な日米(駐留)協定の交渉は、昭和天皇が占領継続を熱望した為に、早々に頓挫し米軍の占領が事もあろうに米軍の恩恵という形で交渉に入り、結果、全負担が日本に強いられることになり、現在に至る。
すなわち昭和天皇にとって、〈憲法・安保体制〉とは米軍占領継続であり、天皇制護持の手段だったのである。つまり憲法も九条も、天皇制護持と一体のものなのである。
この時、ダレス特使は、日米二国間協定について、日本の要請に基づき米国軍隊は日本とその周辺に駐留するであろうと述べた。この説明に応えて、皇帝(昭和天皇)は全面的な同意を表明した。(『米国対外関係文書一九五一年・六巻』)
一九七五年、外国人特派員から日本が再び軍国主義の道を歩む可能性があるとお考えですかと問われた昭和天皇は、「いいえ。私はその可能性については、全く懸念していません。それは憲法で禁じられているからです」と答えている。明仁天皇はこの立場にある。
結局の所、明仁天皇とその一家の保守の立場とは、反軍国主義、九条及び日本国憲法擁護、ポツダム宣言に基づく東京裁判承認、靖国合祀問題反対なのであり、右派を自称する安倍総理ら日本会議一派の立場とは対局にあるのである。
豊下氏は、安倍氏ら日本会議について、本書で以下のように記述している。
「歴史的にみれば安倍政権の成立は、東京裁判とサンフランシスコ講和条約に基づいて構築されてきた戦後秩序を否定する論理と心情を孕み、しかも相当の大衆的基盤をもった政権が、戦後初めて誕生したことを意味する」「こうした安倍政権のスタンスは、米国をジレンマに直面させている」
このジレンマとは、「米国がかねて求めてきた集団的自衛権の行使を積極的に進めようとする政治勢力が、同時に戦後秩序を否定する勢力に他ならない」というものである。
かくして日本は戦後最大の岐路に立っている。しかもそこで問われていることは、豊下氏が提起するように「一九三○年代から終戦までの間」の時代をいかに総括するか、ということなのである。
私もこの提起には全面的に賛成する。また九月十九日に安保法案が強行採決されてしまったが、多くの人々は憲法九条を守る立場から闘った。しかし私たちは、戦前と戦後確立してきた〈憲法・安保体制〉について、今こそ豊下氏の著作に学ぶ必要があるだろう。
今後について、豊下氏は「国際社会の有効と平和、人類の福祉と繁栄に寄与する」との明仁天皇の立ち位置を立脚点としつつ、「今後の日本が進むべき道を具体的に展望していくことは、我々がなすべき主体的な課題に他ならない」としている。しかしこの点については、私は日本社会に天皇は必要なしとの観点からとても賛成できない。
既に述べたように豊下氏は『安保条約の成立―吉田外交と天皇外交―』等を始めに数々の説得的な「仮説」を読者に提供してきたが、その「仮説」がまさに『昭和天皇実録』の出版により、事実として確定した。
さて前号の読書室では、矢部宏治氏の『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』を取り上げた。その本の「PART3 安保村の謎(1)」では、昭和天皇と日本国憲法、国連憲章と第2次大戦後の世界、自発的隷従とその歴史的起源といった重たいテーマについての分析がなされている。
私自身、矢部氏の論証の緻密さに圧倒され、従来から知りたかった事が明確に述べられていることに驚かされた。そして天皇の「人間宣言」も「日本国憲法草案」も最初は英文であった事の秘密が、矢部氏によって徹底解明されている。その核心は「天皇+米軍」が戦後日本の国家権力構造になった事にある。つまり天皇と米国による「アメリカの占領政策=日本の国家再生計画」という共同プロジェクトを進めることでもあったのだ。そして日米合同委員会とはそのための組織のである。この会議は月二回の定例で行われている。
本書は、その包括的な内容により矢部氏の結論を補強し、ある意味において豊下氏の現代政治史論の総決算書とでも形容できる、大変に優れた学ぶに値する著作である。(直木)
紹介 著 伊藤真 「憲法の力」 集英社新書 680円+税
安保法=戦争法の問題点がよくわかる!
著者の伊藤真さんは、1958年生まれで伊藤塾塾長、弁護士です。
伊藤さんは、9月8日の国会安保特別委員会で参考人として、安保法について反対の見解を述べています。少し引用します。
「憲法を無視して、今回のような立法を進めることは立憲民主主義国家としては到底有り得ないことです。国民の理解が得られないまま採決を強行して法律を成立させることなどあってはならない」。「本案は国民主権民主主義、そして憲法9条憲法前文の平和主義、ひいては立憲主義に反するものでありますから、直ちに廃止すべきと考えます」。「代表民主制としても正当性を各国会でもある場合、主権者国民の声を、直接聞くことが不可欠と考えます。連日の国会前の抗議行動、全国の反対集会、デモなどを始め、各種の世論調査の結果で、国民がこの法制に反対であることは周知の事実となっております」
また、徴兵制について安倍政権は、憲法18条 (意に反する苦役)に反するから有り得ないと言います。これについて伊藤さんは、「憲法18条で、意に反する苦役に服させられないとありますが、しかしこれは公共の福祉で制限できると解釈されているものです。ということは、必要性・合理性が生じたならば、徴兵制も可能、ということを意味します」。
伊藤さんは、今回の安保法についての問題点を実にわかりやすく述べています。今回紹介する本は、2007年7月に発行されましたがこれを読みながら、安保法が立憲主義に反し、憲法9条の平和主義に反するものであることを、再認識しました。
憲法は国民が守るものではなく国家権力が守らなくてはならない!
本の紹介に戻ります。憲法と法律は性質が違います。法律は、国家権力による強制力を伴った社会規範で私たち国民に対して命令やルールづけをして、守らないと国の機関から罰則を与えられます。それに対して憲法は、国家権力を制限して国民の人権を保障するもので国民が守るべき法律ではありません。憲法99条をみると、憲法を守らなければならないのは天皇や国務大臣、国会議員、公務員であり国民ではありません。
本では、集団的自衛権について、政府が行使できないとしてきたことを述べています。引用します。「我が国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法第9条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されないと考えている」(1981年5月29日 衆議院議員稲葉誠一氏提出の「憲法、国際法と集団的自衛権」に関する質問に対する政府答弁書)
安倍政権は、明らかに憲法違反の安保法を通してしまいました。この法律を廃止するため、安倍政権を退陣させ次期衆議院選挙、参議院選挙で自民・公明・橋下一派らを少数に追い込まないといけません。
伊藤さんは、日本の進むべき道について積極的非暴力平和主義を提唱しています。「紛争が起こったあとに軍事介入してそれを解決しようとする対症療法ではなく、紛争の原因をなくすための協力をするという、いわば根本治療を国際貢献の中核にしようとしたのです。・・・世界中の紛争には必ず原因があります。そうした紛争地域に、丸腰で積極的に出かけていき、現地の人と一緒になって学校を建てたり、作物を植えたり、医療の支援をしたり、仲裁のために尽力したりすることによって日本は、本当に信頼されるようになります」
そして、伊藤さんは自民党の憲法改悪の動きについても「改憲」ではなく、「壊憲」だと述べています。これから私たちが進むべき道についてヒントになる本だと思います。(河野)
色鉛筆ー介護職初任者研修を終えて
今年、6月25日から始まって9月24日に終えた介護職研修は、私にとって新たな挑戦でした。本来なら4月に60歳を迎え、これからは少しのんびり、と思っていたのが正直な気持ちでした。しかし、職安に行って、職業訓練という恵まれた条件(受講料は無料・交通費も支給)で資格が取れる事を知り、年齢的にも今しかないと決めたのでした。
前回、担当した7月の「色鉛筆」でも研修のことを紹介しましたが、その後8月の8日間を実習したことは介護の現場がどれほど大変かを、実感した貴重な体験でした。よく耳にする特別養護老人ホームは比較的、利用者負担が軽く、そのため入所待ちの方が後を絶ちません。私たちが通った施設は総合的なサービスを提供している社会福祉法人でした。その建物内には、特養のほかデイサービス・訪問介護ステーション・ショートスティ・ケアーハウスと、利用者と家族にとって幅広いサービスの選択ができる便利な所でもあります。
介護業界では、社会福祉法人の資格があれば、法人税の免除をはじめ日々の経営維持にも有利になり、事業拡大に向けての国からの補助が受けやすくなるようです。どこの業界でも大きい所が得をする、ということでしょうか。しかし、そこで働く労働者、入所している利用者にとっては、大規模施設ということがプラスになるとは一概に言えないと思います。
私が実習に行った特養では、94名もの入所者があり、正直言ってフロアー担当の職員は排泄・移乗の介助に振り回されている、といった印象でした。そんな中、もちろん職員の一人ひとりは利用者に合った的確な介助をしていますが、介助待ちの呼び出しベルを気にしながらの目の回るような忙しさは、びっくりでした。時には、教わっている職員の姿を見失うという場面もあり、恥ずかしい私でしたが20~40代の若い職員だからこそ勤まる仕事だと、厳しい現実を知りました。
9月に入った頃から、訓練中の授業の一貫として施設見学を自主的に行って良い時間があり、私も他の訓練生と連なって何ヵ所か見学に行きました。印象に残ったのは株式会社で運営する認知症型のグループホームで、9人が各階で共同生活を営む小規模な施設でした。入所者3人対し1人の介護者が付く恵まれた条件でした。その家庭的な雰囲気の中で、見学者である私たちには入所者の安心感が伝わってきました。
このような小規模が理想だと思いましたが、このグループホームを運営するのには、入所者1人に18万円の負担が必要とのことでした。その上、各部屋は自宅という設定なので電球が切れたら家から持ってきて交換してもらうなど自己負担も伴うようでした。施設長の説明では、社会福祉法人は法人税を免除してもらっているが、ここは株式会社なので納税は必要、そのしわ寄せが入居者の負担増につながっていると強調されました。
新たな挑戦の結果、無事、終了証書をいただき、資格を取得しました。これからは、週の限られた曜日・時間を使い、教わった知識や技術を生かし、健康な体を資本に働くつもりです。退職後の半年間、体を楽したつけが体重に加わってしまいました。元の体重に戻すためにも体を動かし働かなければと思うこの頃です。(恵)
読者からの手紙
「NO 544号で掲載された阿部氏の言解、主張に共感、絶対的に支持する。九条の持つ歴史的意義は、人類最大の愚行である戦争に手段としての軍事力の放棄であり、何よりも防衛・自衛という名の正当な大義をも否定している法である。
護憲派の中に多くいる専守防衛を拒絶するあまりにも理想的な理念を示す九条をいかにして実現するのか?
自衛隊を改編、内外の緊急援助支援に徹し、外にも紛争の原因である領土・資源・民族・宗教、貧困格差の資本主義特有構造にふみこみ、矛盾を軽減する経済改革の実践を日本みずから担う。戦争は一時的解決はすれど、多在人命、恐るべき環境の破壊をもたらす。誰か誰(圧倒的多数)が損失をこおむるのか。この真実がいまだに多くの人の反映されない。全く不可解の人間の扱いにくさを思いしらされる。」(深町)
コラムの窓・・・最古の反戦運動はローマの女性たちから?
ローマがまだ「帝国」になる前のこと、まだイタリア半島の小さな「都市国家」群のひとつでしかなかった。
移住してきたばかりのこの部族は、男性が多く女性が少なかった。結婚相手が不足し、ある計略を考えついた。ローマの隣の都市国家の住民に「お祭りをするから」と誘った。ところが、祭りが始まると、ローマの男性達は、祭にきた女性達を、無理やり自分の家に連れ去り「妻」にしてしまった。有名な「ローマの嫁取り」である。
隣国の王は激怒し、ローマに対して戦争を始めた。戦いは長びき、そのうち女性たちが「もう戦いはやめて!」と声を上げ始めたという。無理やり「妻」にさせられたとはいえ、今では子どもも生まれ、夫もそれなりにまじめに家庭を守って働いてくれている。これから育つ子どもたちの命を粗末にするのは、やめてほしいと懇願した。
女性たちの声に押されて、両国の王は戦争を停止し、その後しばらくは連合を結び、王も交互に選出したという。歴史に残る「最古の反戦運動」である。戦争はいつも支配階級の論理に民衆が煽られて始まる。だが、その民衆には子どもがいる。「命を粗末にするな」という戦争忌避の論理もまた民衆からわいてくるのだ。
今回の安保法制で安倍首相が、「子どもを抱いた母親」のイラストを多用したのも、そこがネックと気付いたからかもしれない。だが、その母子が「艦船に乗っている」構図では逆効果だった。
明治の大日本帝国が、清国やロシアとの間で「朝鮮に対する覇権」を争って戦争を起こしたときも、詩人の与謝野晶子は「君死にたもうことなかれ」と反戦の詩を読んだ。幸徳秋水は「帝国主義論」を著わし、日本とロシアの民衆連帯を訴えた。内村鑑三もまた、キリスト教人道主義の立場から、平和を訴えた。彼らは日本人民の誇りである。
人類がお互いに戦をするようになったのは、いつごろからだろうか?少なくとも今から四千年前までは、大規模な戦の形跡はないらしい。数万年前、氷河期と悪戦苦闘していた後期旧石器時代、人類は寒冷世界や海洋世界を乗り越え、助け合って生きていた。一万年前、気候が温暖化し、新石器時代(日本では縄文時代)に入ってからも、しばらくは母権制の平和な社会が続いたという。
四千年前ごろを境に、何故か地球の一部で戦争や侵略が始まった。「四千年問題」と言われる人類史の大命題である。「気候が寒冷化したため」だけでは説明できない。大規模農耕・牧畜社会で階級支配が発生したことも、深く関係しているとも言われる。
だが、そこにも「戦争を回避する」知恵は生まれている。東南アジアの稲作社会は、ひとつの河川水系から、各水田に水を分け合う必要から「水争い」を避ける社会的ルールがはぐくまれてきたという。
ドイツのある村祭りでは、今も「子どもが戦争を止めた」歴史が路上劇で演じられるそうだ。中世ヨーロッパの戦乱の時代、ドイツ領内に攻め入ったスウェーデン軍の前に子ども達が出てきて「村を攻めないで」と懇願した。その姿を見て、ついに隊長は攻撃をあきらめたという。
人類の戦争の歴史。それは帝国主義と民族主義(宗派主義)の歴史である。しかし同時に、多種多様な反戦、非戦の歴史もあったことを忘れてはならない。今、あらためて、それらを掘り起こし、現代に生かしたい。(松本誠也)