ワーカーズ546号  2015/10/15  案内へ戻る

 多国籍大企業の支配強化と日米政治ブロック目指す TPPに反対しよう

日米加など十二か国の環太平洋連携協定(TPP)が大筋で合意がなされました。この歴史的意味合いを考えてみましょう。

 日本の社会経済に対する直接的影響は、第一に日本農業の一層の衰退に拍車をかけることです。農産品関税が今後広範に引き下げられ、低コストの海外製品が大量に輸入されることが予想されるからです。

 日本の零細個人農家の衰退により、地方の過疎化や都市と農村の格差が一層ひどくなり歪んだ社会になる可能性があります。都市の消費者は食料品の下落で利益を得るように考えられますが、決してそうではありません。都市の賃金労働者の生活費が安くなる分、企業はそこに賃金抑制の「余地」を見出そうとしているので、決して有利ではないのです。

 TPP協定の推進勢力は製造工業やアグリビジネスなどの多国籍大企業なのです(日本では経団連等です)。「国益のため」なんかでは全くないのです。

 しかしながら、彼ら大企業も成功が約束されているわけではありません。TPPが効力を発揮すれば、資本家勢力も生き残りをかけて一層激しい市場競争にさらされることは間違いありません。いずれにしても市場資本主義が今まで以上にこれらの国々に浸透し、資本家的ルールが国民生活の中に押し付けられると予想されます。

 政府調達や知的財産、労働、環境、金融・保険などの新しいルールづくりなどが盛り込まれています。投資企業が進出先の政府を訴えることができるISDS手続きも含まれます。保護規定が後退するなど労働者勤労者は一層の低賃金や非正規雇用化、解雇の「自由化」などが推進される恐れがあります。これは、労働者も国際的な連帯・団結ではね返してゆくほかありません。

 さらにTPPは単なる自由貿易圏の形成ではありません。すでに安倍首相は、4月29日の米上下両院合同会議の演説で「TPPには、単なる経済的利益を超えた、長期的な安全保障上の大きな意義がある」と述べました。米国政府も同協定は安全保障でもあるとしています。

 歴史的には、EUやASEANなどについで、新しい日米中心の経済的・政治的ブロックの登場を意味します。東太平洋で軍事プレゼンスを強めると同時に「一帯一路」やAIIB(アジアインフラ投資銀行)を主導する中国に対抗する「包囲網」としての意味合いがあります。

 今回の「政府間大筋合意」は、各国議会の承認を得る必要があります。このような多国籍企業の支配強化や軍事ブロック化を徹底暴露し、働く者の国際的連帯を強めTPPに断固反対してゆきましょう。(文)


 消えた「旧三本の矢」どこにもないアベノミクス「第二ステージ」

■安倍政治のデタラメ

九月二十四日、参議院で強行採決をしたすぐ後に「一億総活躍社会」なるものをぶち上げました。その中心である新しい三本の矢とは、(1)強い経済、(2)子育て支援、(3)社会保障の三つである。それぞれ目標として、名目GDP六百兆円を目指す、出生率1・8人を目指す、50年後に人口一億人を維持する、介護離職ゼロを目指す、などの数値目標が掲げられているます。

 こうした安倍首相の「海外軍事派兵」から「国内経済」「福祉改革」への変わり身は、失墜した人気の挽回であり不人気な軍事・外交問題から国民の目をそらすためのものでしょう。

 だから新アベノミクスは唐突に出てきたのです。

記者からの「いままでの三本の矢はどこに行ったのか?」ととわれて麻生副総理は「それは新三本の矢の①にまとめられている」と言い訳をしています。それなら「新三本の矢」ではなくせめて「新二本の矢」と言うべきでしょう。このように、政府内部でさえも合意も検討もなく慌てて出されたものといわざるを得ないでしょう。

 またこんな指摘もあります。野党のある衆議院議員は「新三本の矢」で掲げる「経済」「子育て」「社会保障」は、いれずも旧「三本の矢」に含まれている内容だとツイッターで指摘。「一部分を外出ししただけ。ごまかしも甚だしい」との見解を述べています。

 安倍「政治」はこれまでも、ほとんどの政策は選挙目当てのアドバルーンのみです。女性活躍でも、地方創生でも大義や美名をもてあそんできました。(それらはその後一体どうなったのですか?)戦争立法ですら真実をかくして「日本は一層安全になる」と強弁するなど、デマ政治に等しいものです。「一億総活躍担当」に大臣ポストを新設し話題づくりで誤魔化そうなんて、国民なめてませんか!

 安倍政権の目先だけのあの手この手にこれ以上振り回されてはなりません。

■旧「三本の矢」はどこに行ったのか

 では、あらためてアベノミクス=旧三本の矢はどこに行ったのか考えてみましょう。

ほとんど忘れられているので思い出してみましょう。
●異次元金融大緩和策
●巨額な財政出動
●成長産業育成

 このうち金融大緩和政策は、日銀が中心となり「質的量的緩和政策」をとりました。しかし、浜田氏、黒田氏のリフレ論は挫折し、予告されたインフレも好景気も何も起きませんでした。(当たり前ですが。)

 二本目の矢は、財政出動で政府支出を増やしました。GNPをこの分だけ上乗せしたものの、実体経済が低調なのでゼネコンが儲けた以外効果は限定的で、安倍政権二年間の実績はゼロかマイナス成長です。しかも、一年目よりも二年目(消費税増税もあり)が深刻で三年目となる十五年度もマイナス経済から脱していません。一方バラマキ政治のせいで、財政累積赤字は千兆円をゆうに突破しています。先進国でこんな深刻な財政赤字は類例を見ません。

 肝心かなめの「三本目の矢」=成長産業政策は、何も生まれていません。これは政府・日銀の金融緩和が、債券市場とマネー経済にのみ向かい、ものづくりなどの本来の健全な投資に向かわないという意味では「政治の貧困」のなせる業だといえるのです。
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 「アベノミクス」は、現実としては赤字国債の日銀引き受けと、その引き換えとして繰り出される日銀券=マネーの乱発なのです。歴史的には戦時経済のみにしか存在しないような無茶苦茶経済であったと総括するほかはありません。ちなみに太平洋戦争開始年である昭和十六年の累積赤字(当時のGNP比政府債務)を安倍首相は更新し続けているのです!

 日本の財政赤字はGDP比であのギリシャを上回るほどの巨大さとなってしまいました。米国などもリーマンショック以来QQE(量的質的金融緩和)をとってきたが、赤字財政の補てん(赤字国債)としての意味合いは少ないと考えられます。一般に欧米先進国の財政赤字はGDP比で日本の半分以下なのです。少し検証してみましょう。

 日本246%,ギリシャ177%,伊132%,米104%,英89%,独73%,中国41%等々。戦時の昭和十六年の日本ですら205%なのです!現代日本の異常さが浮き彫りです。

 「長期デフレ」「失われた二十年」とまで言われた九十三年から二千十三年までの二十年間の平均GDP成長率は0・9%なのです。これと比較して安倍政権下の経済成長はこれまでのところ消費税増税駆け込み需要に沸いた十三年度は約プラス2%超でしたが、その後は大雑把にゼロかマイナスです。つまり、日本経済は安倍政権が繰り返す定型コメント「穏やかな回復基調」どころか長期停滞から本格デフレに突入しかけているのです。しかも内容が悪すぎます。内需はマイナスで、外需、つまり輸出などでどうにか極端な落ち込みを避けてきただけなのです。

 ところが中国など新興国の高度成長も陰りが見えるばかりか、米国の実体経済も低調で日本からの実質輸出が一段と勢いを失っているか、日本経済は深刻です。

「アジアと欧州向けが弱含む中で期待されていた米国向け輸出数量も減少を続けている。7、8月の実質輸出指数の平均が4─6月平均を下回り、成長率に大きく影響する生産の停滞に波及する公算が大きくなった。その結果、7─9月期が2期連続マイナス成長に陥る可能性も出てきた。」(ロイター9/17)つまり十五年度も二期連続マイナスが予想される経済の落ち込みぶりです。

 日本経済は、長期経済低迷と財政赤字に苦しんできましたが、アベノミクスはそれを病的で回復の見込みのないところまで追い込んでしまったといえるでしょう。

 しかし、そればかりではありません。アベノミクスが生み出した経済の金融化(後に述べるように国際的な事象でもある)は、低成長でもマイナスでも資産家と大企業だけは為替・証券取引(マネーゲーム)で大儲けできるという構造を生み出しているのです。本業では赤字でも金融取引では儲けを出す。国内生産はジリ貧でも、海外投資の利子・配当などが企業や資産家に還流するという、パラサイト経済にますます変貌しているのです。

 トリクルダウンどころかポンプアップ経済というべきです、低所得者や貧乏国から吸い上げることにより、格差を拡大しながら一部のものだけに富が集中する構造を強めています。

■動揺繰り返す国際信用制度と資本主義

 現在の世界的株価の混乱の直接の原因は、6月に始まる中国市場のバブル崩壊によるものです。株価はいっきにピーク時から3割程度下落しました。この時は、「閉鎖的な中国の株式市場の混乱の影響は少ない」と高をくくっていました。しかし、株価の下落は米国でも、日本でも乱高下しながら起きています。

 これらは世界経済が金融化したことに一つの原因があります。米国でも、日本でも世界的に金融緩和が大々的に行われ、信用が拡大され資金が余っています。金利はほとんどゼロに等しくマイナス金利も登場しました。リーマンショック大不況(0八年)に対する金融の緩和策は、企業の倒産の連鎖を防ぐためのものでした。しかし、その後も先進国を中心に金融緩和は継続されマネーゲームが活性化しバブルが発生しそれは世界的現象となっているのです。

 しかし、バブルはいつかはしぼみます。中国では過剰生産・過剰投資が顕在化しており、その反動としての経済の収縮もあり得ないとは言えないのです。そしてその連鎖は当然日本や欧州、米国にも及ぶ可能性があります。

 あらためてふれれば日本の経済近況はこのように語られています。

「実際、8月生産は月初の生産計画から4.2%も下振れ、東日本大震災直後以来の大幅な見込み違いが発生するほど需要が減少した。中国減速や天津爆発事故の直接的な影響だけでなく、輸出全般の停滞が響いている。
加えて2次的な影響として、設備投資関連の需要悪化も目立ち始めた。資本財の生産は前月比4%近い落ち込みだ。一般機械では受注のキャンセルや納期延期が相次いだ。
GDPを左右する消費をめぐっては、10月2日発表の8月家計調査に注目が集まっている。今のところ実質消費支出は4─6月期平均と比べて横ばい程度で推移。7─9月を通してみれば、落ち込みの大きかった前期からは回復するとみられているが、けん引役になるほどの力強さは、どの統計からもうかがえない。政府関係者の中には、こうした事態を民間調査機関以上に深刻にとらえる声もある。ある政府関係者は”実需の落ち込みという面からみれば、リーマンショック以上かもしれない”との懸念を示す。」(ロイター9月30日)

 現在、政府経済担当者とエコノミストの懸念は次の1点に集約されています。

 「現在もしも大不況が来た場合、何も打つ手がない」ということです。「市場が今後、加速度的に下落する事態となった場合、FRBをはじめ世界の中銀の手には負えないかもしれない。金利はすでにゼロかゼロ付近にあり、量的緩和でバランスシートは膨張しきっているからだ。」と。(ロイター)

 金利はほとんどゼロに張り付いているからなのです、さらに財政出動も余力は限られてきました。つまり、各国政府には政策的余地がなく、これでは嵐をどうしてしのげるのか、と嘆いているということです。三百年をこえる資本主義経済は危機に直面しているのです。この危機の先端に位置するのが超低金利かつ世界トップクラスの財政赤字国、この日本なのです。安倍首相はこの危機と向き合おうとせず(あるいは理解できないのでしょう)まったく現実離れした都合のよいウソをならべています。
 
■嘘ばかりの「新三本の矢」

 政府・与党はこれまで旧「三本の矢」を中心としたアベノミクスの成果を強調していますが、ジャーナリストの江川紹子氏は「新三本の矢」を打ち出す前に、この「旧三本の矢」の効果、反省点の検証が必要との見解をツイッターで示す。旧「三本の矢」の検証が行われていないこともあり、中国出身の経済評論家である宋文洲氏も「『新三本の矢』。これ、つまり旧『三本の矢』の失敗宣言だ」とコメント。(ダイヤモンドより)

(1)強い経済、(2)子育て支援、(3)社会保障を並べたてましたが、(1)の強い経済がまるで嘘であることはすでに述べてきました。なんの実績も上げられない中で経済が下降するさなかに、よくもまあ「GDP六百兆円実現」などを言えたものです。国民生活統計を見ても労働者の賃金は2年間ほとんど下がり続けてきました。GDPの七割を占める個人消費は底冷え状態で、この二年間下がり続けているのに。

(2)の子育て支援とはまたまた唐突なものです。実際の安倍政権のもとで保育所の待機児童は増大こそすれ減少しておらず、子育て支援など放置されてきたのです。出生率「1・8」の回復や「介護離職ゼロ」などの目標も何の具体的政策もともなわず今までの実績ともかけ離れたものに見えます。
 まさにデマ政治のオンパレードです。ナチスドイツのゲッペルスが「ウソをつくときは大きなウソを言え、そのほうが本当に聞こえる」と語ったことを思い起こしてしまいます。
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 安倍首相の頼みの綱である株式市場は、このアベノミクス「第二ステージ」の発表にほとんど反応しませんでした。それどころか、さらに株価はさがりぎみ。

 市場が反応したのは次の時でした。「安倍首相がアベノミクス第2ステージ入りを宣言した翌日の25日昼、黒田総裁が官邸に呼ばれ、予定の1時間程度を超過して安倍・黒田会談が行われた。その内容は明らかにされていないが、市場では金融緩和観測が高まって、日経平均は前日比308円68銭高の1万7880円51銭に上昇して引けた。」(ロイター)

 つまり、市場はアベノミクス第二ステージとかではなく、追加の金融緩和のみを期待しているのです。安倍政権の経済政策は結局のところ一層の「金融緩和」とさらなる「財政出動」という泥沼の道しか選択肢はなくなっているのです。世界が効果を疑問視しているその古臭い治療薬なのです。アベノミクスに第二ステージなどないのです。(竜)案内へ戻る


 今また安保理常任理事国入りをめざす安倍総理の白日夢

日本は安保理常任国入りをめざす

 九月二十六日、国連安全保障理事会改革を共同提案しているインド、ブラジル、ドイツとの「四カ国グループ」(G4)の首脳会合に安倍総理は出席した。G4首脳は、二00四年以来実に十一年ぶりに開催され、安倍総理の他にはインドのモディ首相、ブラジルのルセフ大統領、ドイツのメルケル首相が出席した。そして常任理事国が現在の五カ国から拡大する場合、お互いの立候補を支持する方針を確認した。

 またG4首脳は、この会合で「急増しているグローバルな紛争や危機に対応するため、安保理をより代表性が高く、正当性があり、実効的なものにする必要がある」との認識で一致すると共に0五年以降、実質的な進展がない事を懸念して、改革は「一定の期限の中で進められるべきだ」と強調した。改革の早期実現に向け、すべての国連加盟国への働きかけを加速させる事でも合意した。
 G4は、具体的には常任理事国枠を六増やし十一カ国に、非常任理事国枠(十カ国、任期二年)を四~五増やして十四~十五カ国にする提案している。七月には国連総会のクテサ前議長が、各国の改革案を整理した文書を加盟国に配布した。G4首脳は会合で、この文書に基づいて政府間交渉を進める事を歓迎した。
 しかし改革を実現するには、国連加盟百九十三カ国の三分の二以上の賛同が必要であり、そのため「大票田」のアフリカ連合(AU)と連携できるか否かが鍵を握る。AUの改革案は常任理事国を十一カ国、非常任理事国を十五カ国(アフリカ枠の拡大二)にする内容で、G4案と共通点は多い。だが新常任理事国にも拒否権を与えるよう主張するAUに対して、G4は「当面は行使しない」という立場でまだ折り合いがついていない。

日本の常任理事国入りの現実性

 安倍総理と日本政府は、国連創設七十年の節目に安保理改革に道筋をつけたいと考えているようだが、問題はこの事の可能性ではなくまさに現実性なのである。
 0五年の総会でもG4が提出した改革案はほとんど支持が広がらず、採決されないまま廃案になった事実を安倍総理はどの様に総括しているのであろうか。是非とも自ら率先してこの点を明らかにする事が、この改革提案を再びするための前提ではないだろうか。

 国際社会は日本をどの様に評価しているのであろうか。それまでも国際社会からは日本はアメリカの属国として認識されていた。中国などは日本は後五十年でなくなってしまうとまで発言していた事を思い出すべきではないだろうか。小泉総理から自民党の対米追随は目に余るものがある。そして安倍総理に至っては先の「安保法案」を有権者からの支持もない中で採決を強行したほど「米国に追随する」以外の何ものもない。

 こんな惨めな日本をどうして国際社会が常任理事国入りさせたいと支援するだろうか。

 国際社会で評価されているリーダーに上げられている順番では、オバマやプーチンやメルケルや習近平に及ばないのは当然ながらも、安倍総理は何と六十三位なのである。

 参考のため十位以降を教えておけば、英国キャメロン首相は十位、サウド国王が十一位、インド首相が十五位、仏大統領が十七位、ブラジル大統領が三十一位、韓国大統領が四十六位である。安倍首相は世界から己がいかに評価されているかを?み締めるべきである。

国際社会の大変動

 今国際社会は、アメリカの歴史的な没落に遭遇する事で大きく変動している。かつてのようにアメリカや西側先進国が国際社会を動かせる時代ではない。西側先進国のG7の重要性は大きく後退して、BRICsを中心としたG20の発言力が増したのである。

 したがってもし安保理改革があって新たな国が安保常任理事国入りを果たすなれば、G20の代表となる事は論理的必然性といえる。つまり中南米の代表、中国と共に発言力の増すインド、経済成長著しいインドネシア、そして中東、アフリカの代表等が考えられる。

 第二次世界大戦の戦勝国の五大国が絶対的な権限を持つものとして組織された「国連」が、今まさに大変動の最中にある事を私たちはしっかりと認識する必要がある。
「国連」憲章の規定によると、「国連」の主要な目的の一つは「国際の平和及び安全」の確保である。そしてこの「国際の平和及び安全」とは、端的に言えば第二次世界大戦による五大連合国の戦後成果の「現状維持」に他ならない。この目的のために「国連」いかなる手段を行使するかというと、①「国連」自身の武力行使②敵国条項の発動③個別的自衛権の発動④集団的自衛権の発動がある。

 実際には、米ソ冷戦の深刻化の中で憲章で謳う「国連軍」は組織された事はなかったが、朝鮮戦争時も安保理決議によって便宜的に組織された僭称された「国連軍」は組織され朝鮮半島に派遣された。それ以降も本来の「国連軍」は組織された事もないが、安保理によってPKO等が作られ、またアメリカの「有志連合軍」がイラン等を蹂躙したのである。

 しかしそのアメリカの傍若無人さもついに限界が来て、中国の台頭の前に妥協を図らざるを得なくなった。勿論表面上は友好を深めながら、その実は足の蹴り合いである。

 国際社会の大変動の中で「国連」安保理改革も、強く求められているのである。

「国連」憲章の「敵国条項」

 今は確かに「死文化」してはいるとはいえ、「敵国条項」には注目せざるを得ない。「国連」憲章の第五十三条第一項後段及び第二項と第百七条がそれである。これらの条文は大変分かりにくいものたが、「敵国」に対する「強制措置」=「軍事行動」は安保理のコントロール下にあり、一方的に行使しても構わないというものである。

 一九五六年、日本は「国連」創設の時から連合国に対する「第二次世界戦争」の「敵国」として加盟した。そしてこの「敵国」の規定は、いまだについたまま。同じく「敵国」だったNTO創設にあたってドイツとイタリアは、「敵国」規定が外れたというのに今現在もそうなのだ。まさに「五大国」の特権の廃止と評決方法の改善が求められている。

 日本は公式に何度もこの条項の廃棄を要求しているが、アメリカを始め、もう「死文化」しているのだから、廃棄など必要ないとの冷淡そのものの態度なのである。

 確かに「死文化」しているかもしれない。しかし一九六八年にソ連がチェコスロバキアを占領した時に持ち出した根拠は、この「敵国条項」だった。そして北方領土問題では、ソ連はこの条項を盾に「国連」からお墨付きを得ているとしていたのを、私たちは忘れる事は出来ないのである。
 したがって安倍総理と日本政府は常任理事国入りをめざすとの白日夢にふける暇があるならば、何よりもまずこの理不尽極まりない「敵国条項」の破棄をめざす大運動を展開すべきではないだろうか。また「国連」分担金を最大限引き受けている他ならないこの日本が、「敵国条項」の当該国である事実と不当性を、国際社会に広く訴えていく必要がある。

 それともポツダム宣言をつまびらかに読んでいないと告白して恥じない安倍総理の事だ。「国連」憲章に「敵国条項」がある事を知らないとしても何の不思議もないが……。安倍総理と日本政府は、「国連」改革に着手する手順を全く間違えているのである。(直)案内へ戻る


 徒然なるままに (晴)

 阪神淡路大震災から20年、立ち退き迫られる被災者

 29日昼、西宮市役所玄関前にて、震災借り上げ復興住宅からの追い出しに抗議する集会があった。そのトップとなる「シティハイツ西宮北口」の借り上げ期限が9月30日で切れるということで、西宮市は居住者に対する立ち退き裁判を行う、としている。

 市役所のホームページから、9月24日付の「UR借り上げ市営住宅の期間満了に伴う市の取り組みについて」(都市局住宅部)を見ることができる。この件に関する今村市長の見解は、同じくトップページにある市長のブログを開けば見ることができる。「会見を求めるマスコミもありましたが、主張や発言の一部から誤解を招く可能性がありますので、整理した上記を以て、市の主張のすべてとさせていただきます。」とあり、要するに取材拒否宣言だ。

 今年初めから、テレビ報道に対する市長の〝偏向報道〟発言に絡む取材拒否の姿勢が、ようやくその姿を現したようだ。今村市長は追出し策が功を奏することを〝理解を得る〟と言い、〝公平性〟ということも問題にしている。しかし、この〝公平性〟というのが曲者で、立場によってその意味する内容は違い、利害が対立すれば逆転もする。権力を持つものが〝公平性〟を持ち出すとき、往々にしてそれは少数者・弱者を黙らせ、従わせるためのものだ。

 さて、問題の核心は「神戸新聞」(9月28日)に大きく報じられているように、対象の世帯が多数あり、他への波及が待ち構えているという点である。自然災害による住民避難が相次ぐなか、避難者の「住の権利」がどこまで守られるのかの試金石となるだろう。この問題、大災害時代に誰もが当事者になる可能性がある。

 10・3東京行① 蔡國強展「帰去来」

 朝6時20分、新大阪発の新幹線で東京へ。新横浜で途中下車、時間があったのでみなとみらいあたりを散策し、10時に横浜美術館に入る。99匹のオオカミが群れをなして透明の壁を目指し、見えない壁にぶつかり落下する。目に見える壁は壊しやすいが、見えない壁は強固だ、と蔡氏は述べている。

 この美術展は18日までだが、横浜美術館は常設展も充実しており、ダリやイサム・ノグチの作品があった。ちなみに、「帰去来」といえば、陶淵明が「帰りなんいざ、田園將に蕪れなんとす」と、官を辞し家に帰る決意を述べた漢詩がある。

 10・3東京行② ストップ!マイナンバー(共通番号)10月通知

 JR「桜木町」から「渋谷」まで移動し、午後2時から宮下公園で開催される全国集会とデモに参加。400名の参加者で行われた渋谷界隈のデモは注目を集めた。

 かのNHK会長が受信料徴収で、マイナンバー活用に意欲を示しているとか。また、文科省が奨学金回収にマイナンバーを活用し、被貸与者の年収把握を行うとか。
もう何でもありで、兎に角、個人番号カードを持たせようとしている。そして、一定段階まで普及したら、常時携帯切り替える、その到達年度がターゲットイヤーの2020年、東京五輪開催の年だ。通知番号から個人番号カードへの引き換えの際の顔写真情報はICに記録され、生体認証として活用される。

 一億総活躍社会?

 安倍首相の新スローガンは「一億総活躍社会」とか。「東京新聞」(10月3日)が、これは戦時を想起させるものと批判し、過去の標語を紹介している。

      標語             軍歌
1937年 一億日本 心の動員
1939年 聖戦へ 民一億の 体当たり
1940年 一億が 国の手となれ 足となれ 起てよ一億
1941年                出せ一億の底力
1942年                進め一億 火の玉だ
1945年                一億特攻隊の歌

 安倍首相の気分はすでに〝戦時〟なのだろう。時あたかも、米軍がアフガニスタンで「国境なき医師団」の病院を爆撃し、「自力で動けない患者らはベッドに横たわったまま炎に包まれた」(10月5日「神戸新聞」)。いつか、米軍が自衛隊に置き換わる日が来るのだろうか。武器を弄ぶことの罪深さを思わずにはいられない。

 TPP大筋合意で安倍はにんまり

 6日午前、TPP大筋合意を受けた安倍首相が記者会見をラジオで聞いた。例によって、「国家100年の計」とか、成果を得て、守るべきは守ったとか、得意げに話していました。記者の質問はやはり筋書きがあるのか、ぬるい内容だった。なぜ、確信を突いた、安倍をうろたえさせるような質問ができないのか。

 TPPは何よりも多国籍企業の利益にかなうものであり、安倍の背後で、モンサントが手ぐすね引いている姿が見えるようだ。遺伝子組み換え食品が押し寄せ、モンサントによる種子の支配が、遠くない時期に起こるだろう。この点に関しては、「週刊金曜日」(10月2日号25ページ)の記事を紹介しよう。

 ライターの武田砂鉄氏が、そこで「モンサントとスターバックスに反旗を翻すニール・ヤング」について書いている。「モンサントやスターバックスを名指しし、ツアーで歌う。この態度こそ〝プロテスト〟である」等と。

 ベトナムで使用された三種類の枯葉剤のうち、エージェント・オレンジには大量のダイオキシンが混入していた。これをモンサントも生産していたのだ。そのモンサントが、種子と抱き合わせで雑草を枯らす農薬を売り込みに、日本に乗り込んでくるだろう。案内へ戻る


 共産党の「国民連合政府」は現実的か?  

 安倍政権による「戦争立法」が参議院を通過すると、間髪を入れずに共産党が提案したのが「国民連合政府」だ。

 多数の国民(世論調査では国民の過半数)がこの法案に反対していたのにもかかわらず安倍政権がごり押しした。これには多くの市民や学生、労働者が怒った。私も国会前の集会に参加した時にはいろんな立場からの広範な反対表明を見聞きした。

 「戦争嫌だ、命を守れ」「立憲主義を守れ」「憲法守れ」「反自民」「安倍政治を許さない」とか。創価学会員も彼らの旗を掲げていた。プラカードも「愛」や「命」また人権的立場からキング牧師の「良心ある人が立ち上がらないのが一番の罪である」といったスローガンも見られ、その価値観や動機の多様性は驚くばかりだ。いままでの日本の定型的な(社会党、共産党など党派や労働組合主導の)左翼運動とはかなり違っていただろう。私はそのことを大いに評価するものである。
(古いレーニン主義者なら「自然発生的な意識だ」と言うのかもしれないが。)

■共産党の提案主旨

 「私たちは、心から呼びかけます。“戦争法廃止、立憲主義を取り戻す”――この一点で一致するすべての政党・団体・個人が共同して、「戦争法(安保法制)廃止の国民連合政府」を樹立しようではありませんか。この旗印を高く掲げて、安倍政権を追い詰め、すみやかな衆議院の解散・総選挙を勝ち取ろうではありませんか。

 この連合政府の任務は、集団的自衛権行使容認の「閣議決定」を撤回し、戦争法を廃止し、日本の政治に立憲主義と民主主義をとりもどすことにあります。

 野党間には、日米安保条約への態度をはじめ、国政の諸問題での政策的な違いが存在します。そうした違いがあっても、それは互いに留保・凍結して、憲法違反の戦争法を廃止し、立憲主義の秩序を回復するという緊急・重大な任務で大同団結しようというのが、私たちの提案です。この緊急・重大な任務での大同団結がはかられるならば、当面するその他の国政上の問題についても、相違点は横に置き、一致点で合意形成をはかるという原則にたった対応が可能になると考えます。」(志位委員長)

■選挙協力と政策協力ではだめなのか? 

 閣議決定された「集団的自衛権容認」「防衛装備移転三原則」を否決し、さらに今国会で通過成立した「新安保法制」をことごとく廃止しすることはもちろん必要だし、不可能ではない。

 共産党は連日著名人の賛同のアピールを「赤旗」に掲載している。浜矩子氏なども登場していた。

 しかし、第一にズバリ言って「戦争法」を廃止する目的の「政府」なんて継続的に運営できるのだろうか疑問だ。中央政府は、外交・安全保障・財政・経済政策・福祉行政とうとう包括的な立場に立たざるを得ない。「政策の相違をいったん横において・・」なんてできるのだろうか。

 社民党、民主党や維新の党(この党が来年まで存続しているかは不明だが)さらには小沢派などと連立政府を組むためには包括的な政策協定が前提となるのではないのか?こうしたことは可能なのであろうか。可能としても、そこでの大幅な政策譲歩により比較的庶民より・労働者勤労者よりの立場が後退しないのか?

 それよりも地域の選挙協力や、「戦争法制廃止」の一点政策協定で闘いを継続するほうが現実的ではないか。そもそも共産党が「一点共闘」を呼びかけてきたのではないか。

 政治的に同床異夢なのに無理して政策妥協して政権樹立したとしても、そんな「連合政府」「連立政府」が、政策の手詰まりで無力化し混乱し国民の支持を失うことになるのではないか。「統一戦線政府」で歴史的に実証済みではないか、これは反動派の思うつぼだ。

■法律を議会で廃止しただけでは済まない

 包括的な政策協定をむすび、連立政府を形成するのであれば、そもそもある程度類似した政策スタンスを共有していなければ不可能なのだ。社民党と共産党なら可能でも、民主党やそれ以上「右」の政党とは不可能であり、「野合」との誹りを免れないだろう。

 国会において「戦争法制」が違憲であり「廃止」が決議されることは大きな意義を持つのは言うまでもない。しかし、来る衆参選挙で反対派が多数となり、国会決議で安倍内閣決定や戦争法を廃止したとして、国会の新たな決定に「国家」つまり官僚や軍隊そして財界が従うとは限らない。いったん手中にした権限と利権を簡単に彼らが手放すことは考えられない。

 彼らを制御するためには最低限、継続的に圧力をかけ続けなければならない。大衆運動を継続し、政府を突き上げてゆかなければならない。長期的闘いを予想すべきだろう。

 ところが志位委員長の提案は、一過性の共闘で政権を立ち上げることが強調されており、国会の「廃止決議」で問題が終結するかの安易な展望にたっている。短期的課題とみなしているから「国政上の問題についても、相違点は横に置き・・」(志位氏)といったことが言えるのではないか。

 沖縄県民の闘いを参考にしているとも考えられるが、「県政」とは違うし闘いの歴史もしたがって人々の意識もかなり違うと思う。阿部流山市議のフェイスブックにもあったが、共産党の排他的体質も疑念のひとつだ。長くなるのでこの辺で終わりたい。(六)
    

 またも毛針かニンジンか──アベノミクス第二ステージの無責任・厚顔ぶり──

 安倍首相が掲げたアベノミクス第二ステージとやら。「新三本の矢」を見て驚いた。その無責任・厚顔ぶりに開いた口がふさがらなかった。

 安保法を強引に成立させた尻ぬぐいでもあるまいに、改造内閣のキャッチフレーズは再び「経済」だという。国民・有権者を舐めた新しい旗印にしようという魂胆らしいが、二匹目のドジョウなどいないと思い知らせる以外にない。

◆戦争の次は経済?

 安保法を強行成立させた安倍首相。発足させた第三次改造内閣が掲げる旗印がアベノミクス第二ステージだという。普通、第二ステージというのは、第一ステージが無事に完遂した後で使われるはずの言葉だ。そのアベノミクス第一ステージの到達点はどういうものだろうか。ざっと別記の数字を眺めていただきたい。(朝日新聞)

 この数字を一瞥しただけで、アベノミクスの本質が透けて見える。数字上で良くなっているのは名目GDPと日経平均だけだ。円相場は功罪相半のものだ。失業率は、団塊世代のリタイアや少子化、それに震災の復興特需などによるもので、アベノミクスの成果ではない。

 一方、悪くなっているのは雇用の質や勤労者の所得などだ。安倍首相は雇用が増えたと強弁しているが、実情は正社員が不安定低処遇の非正規労働者に置き換わっているだけだ。消費者物価は横ばいだが、生鮮食料品や輸入食品などは大きく上がっている。庶民の日常生活での負担は、以前より重くなっている。

 この数字には出てこないが、安倍政権がアベノミクスでこの間やってきたことは、大企業にテコ入れすることばかりだった。法人税率引き下げや派遣法改悪などだ。具体的に結果が出るものは大企業向けのものばかり、企業への賃上げ要請などは〝お願い〟に過ぎない。実際、賃上げは大企業の正社員に止まっており、実質賃金はアベノミクスの期間中もずっと下がり続けているのが実情だ。

 アベノミクスで当初掲げた「三本の矢」はどうなっているのだろうか。一本目の異次元の金融緩和では、日銀による大量の国債購入などで株高を演出してはきた。その恩恵はヘッジファンドや一部の大株主・個人投資家に過ぎない。その株価も中国経済原則などもあって、このところ乱高下している。

 二本目の矢だという大胆な財政支出。これも震災からの復興を名目とした国土強靱化などの大盤振る舞いにもかかわらず、国の財政赤字を増やしただけで成長には結びついていない。三本目の矢だとした成長戦略などは、どんな成果があったのか政府としてもなにもアピールできない。第一ステージがこんな有様なのに、ぬけぬけと第二ステージだと抜かす神経はなんなのだろうか。といっても、政治家たるもの、そんなつじつま合わせは関係ないらしい。大風呂敷が大事なのだ、と。

◆大風呂敷

 その第二ステージの中身はどんなものか。

 安倍首相が『一億総活躍社会』をめざすとして新三本の矢だとしてあげたのが
  「希望を生み出す強い経済」(名目GDP600兆円達成)
  「夢をつむぐ子育て支援」(希望出生率1・8の実現)
  「安心につながる社会保障」(介護離職ゼロ)、50年後も人口1億人維持

 歯が浮くようなキャッチフレーズには食傷気味だが、GDP600兆円という目標。名目3%、実質2%の成長率が必要になる計算だ。そんな皮算用する安倍首相だが、足元の経済はそんな楽観的な見込みを許す余地はない。現にこれまでの20年間、日本の名目成長率が3%を越えたことは一度もない。今年4~6月期の成長率はマイナス成長だ。また10月1日に日銀が発表した「短観」でも、製造業では軒並み悪化している。中国人などの爆買いなどで小売業や宿泊業者が好調なだけだ。が、それも先行きは落ち込むと見込まれている。鉱工業生産指数も7、8月と続けて下がっている。家計の消費支出も7月は前年同月を0・2%下がってしまった。600兆円という数字事態、実現するかどうかではなく、とにかく大風呂敷を拡げることが大事だということなのだ。

 出生率についてもまったく同じ。永年続いてきた少子化で、現在1・4という出生率を大幅に引き上げる特効薬などない。これもとにかく大風呂敷を掲げることが重要なのだ、というものでしかない。

 社会保障についても同じだ。安倍内閣はその充実を掲げながら、実際は膨らむ社会保障費を抑え続けてきた。その一方で、こんなスローガンを掲げるとは、言行不一致も甚だしい。

 ざっと見てきただけだが、こんなものが三本の矢だと掲げること自体、空論そのものだろう。誰かが言っていたが、これは「矢」でも何でもなく、要は目標、大風呂敷でしかない。目標を達成するための具体策が本来の「矢」というべきなのだが、提示されたものを見る限り、そんなものはどこにもない。

 第一ステージがそうであったように、第二ステージもとりあえず目先に大風呂敷を拡げながら対処療法で経済の失速を遅らせ、当面の政権浮揚の手段とするものでしかないだろう。

◆ドジョウ政権?

 安保法を強行した安倍政権、明文改憲なども諦めたわけではない。が、戦争法を強引に成立させた直後の疲弊した政権にただちにそれを進める推進力はない。来年7月には参院選挙がある。猫をかぶったように一旦は経済を前面に押し出して体制を整えるしかない、そこを乗り越えた先にまた改憲を強行しようとでも夢想しているのだろう。

 だが現実は甘くない。今回の戦争法で、民主党がなんとか戦争法反対の姿勢を貫いた。内部には賛成派を抱えているものの、これまでの経緯を考えれば、参院選までに急に舵を切り替えることは難しい。

 そこで安倍政権が期待するのは、橋下おおさか維新の会の抱き込みということになる。橋下維新の会は、維新の党との分派抗争で多数派を確保できなかったし、戦争法案での親アベ路線を見抜かれ、一時の勢いはない。しかも今年6月に否定されたばかりの大阪都構想をぶり返して11月のダブル選挙を戦うという。橋下政治のウリだったサプライズ政治も、他に材料がないということだろう。大阪都構想を実現するためにも、安倍政権にすりよるしかない。そうした橋下おおさか維新の会に、大阪を越えて全国に拡がるような勢いはもう無い。実際、世論調査でも維新の会支持率は2~3%程度だ。

 そんな維新の会を取り込むことで参院でも三分の二の勢力を確保し、国会発議にこぎ着けられると考えているのだろうか。そんな勢いはないだろし、それを許してはならない。

 安倍首相は、表看板でアベノミクスを掲げながら、実際には戦争法を強行成立させた。いままた毛針やニンジンで有権者を瞞そうと目論んでいるようだが、安倍首相に二匹目のドジョウはいないことを突きつける以外にない。(廣)案内へ戻る

 
 色鉛筆・・・中学生いじめ事件に想う

 毎日、目を覆いたくなるような事件が、あちらこちらで起こっている。そして加害者も被害者も未成年が増えているというように感じる。

 仙台市館中学校でいじめにより自死した少年がいた。最初は遺族の意向を汲み、その少年は転校したことになっていた。事件の重大さを感じた教育委員会が遺族の意向だと学校名を言わないで公表したことで、色々な憶測が飛び混乱した。そして、遺族の許可を得られたとして中学校名を発表し館中学校に通学する他生徒に、事件から何ヶ月もたってから校長が十月五日に話した。子どもたちは今大変混乱している。臨時保護者集会はこれからだそうだ。

 なぜ、こんな悲しい事件が起こってしまうのだろう。詳しいいきさつはまだわかっていないけれど、その子はきっと精一杯友達と一緒に生きたかったと想う。

 教員も評価の時代に入り、その成績が給料に反映している。昔の昇級と今の昇級制度は全然違う。号俸も細かく分かれ、評価されてランクづけされたとおりに昇級するが、いくら身を粉にして働いても昔ほどあがらない。また、年金も十月から一元化された。教員どおし本音で話し合う機会が減っているのではないだろうか?子供が中心の教育ではなく、評価される管理職のいいなりになっていないだろうか?

また、海外の大学での銃の乱射事件で多くの若者が亡くなっている。これは、私の偏見かもしれないが、ゲームが普及しその中で対戦相手がどんどん死んでいく。勝つことに集中して快感を覚え、実際の世の中でも試されているような気がする。

情報社会の発達、コンピューターは多くのことを助けてくれるけれど、資本主義社会という競争社会の中で発展した恐ろしい凶器も一杯あると想う。権力を得ることを目標にする社会ではなく、みんなで知恵を出し合い、一緒に成長していくことの社会体制、土台作りが、この悲しい事件から切り離されることの一歩だと感じる。(宮城 弥生)


 三上監督映画「戦場ぬ止み」の紹介

 9月18日、静岡で三上智恵監督の最新作「戦場ぬ止み」の先行上映と三上監督トークショーが開催された。三上監督の映画もトークショーも大好評だった。

 前作映画「標的の村」で沖縄東村の高江で起こっているオスプレイのためのヘリパッド基地建設問題を取り上げた作品は、まさに全国に衝撃を与えた。

 今度の最新作は今まさに安保法阻止の最前線である「辺野古」問題である。

 2014年8月14日辺野古沖は海上保安庁の巡視艇で「包囲」された。地元の人たちは「まるで沖縄戦だ!」「沖縄は再び戦場になった」と叫んだ。カヌー隊の海上抗議活動を屈強な「海猿」(海上保安庁職員)たちがを排除していく。米軍キャンプ・シュワブのゲート前では沖縄県警の機動隊や民間警備員の過剰警備によって、日々緊張を増す現場で負傷者や逮捕者が出ている・・・。はたして今、沖縄で本当は何が起きているのか?

 いくさに翻弄され続けた70年に終止符を打ちたいという沖縄の切なる願いを今、世界に問う。

 この沖縄の切なる願い、三上智恵監督の訴えを、皆さんに届ける。(富田 英司)

 『皆さんこんにちは!「標的の村」「戦場ぬ止み」を監督した三上智恵と言います。
 現在、全国各地およそ40館で辺野古の基地反対闘争を戦後70年の時間軸の中で描いたドキュメンタリー映画「戦場ぬ止み」が公開されています。
 おかげさまで来場者数は2万人に近づき、また山形国際ドキュメンタリー映画祭や釜山国際映画祭などにも招待され好評を博していますが、まだまだ一般にはコマーシャルもなく告知が行き届いていないのが現状です。
 そこで、あらためてみなさまの組織やネットワークのお力をお借りして今こそこの映画を見ることで、どこまで私たちの国が劣化しているかを知り、沖縄の問題の正体を確認して下さる国民が増えてくれればと願っています。
 私は前作の「標的の村」をなぜ映画にしたかといえば、テレビ局にいたらこれ以上は伝わっていかないという失望を感じたからにほかなりません。国の考える安保政策に反対する国民を嫌がらせ目的で裁判にかけた高江のヘリパッド問題は2012年当時全く本土では報道されなかった。
 このことは、27年放送局に勤めていた私がひとつの限界を知った出来事でした。
 一か八かで映画作品にし、少なくとも放送法の縛りから県民の闘いの記録をフリーにしてあげること、それが私の放送局生活の最後の賭けでした。その結果、映画を見に来てくださる方々の手によって、この映画は独り歩きを始め、いまは700件に達する勢いで未だに全国で自主上映が続いています。
 高江を見過ごすと、みなさんの住んでいる地域が高江になる。辺野古のSOSをスルーすればあなたのSOSをスルーする国になります。
 そして今、進められようとしている安保法制を止めることと、辺野古の新たな基地を止めることは全く同じ問題だということを、今回の映画でみなさんに知っていただけるのではないかと期待しています。
百田さんのおかげで、今自民党政権が私たちから何を奪おうとしているのか、あからさまなは表現をしてくれたおかげでみんなにわかってしまい、反安倍の抗議行動を流さなかったメディアも今、雪崩を打って国会前のデモや各地で拳を上げる民衆の姿を写すようになりました。
 経団連に圧力をかけて報道を締め上げる、よくぞハッキリ言ってくれたと感謝しています。どんなに鈍い人でも、この人たちはまずいとわかったはずです。
 この夏は、平和に生きるために声を上げ、行動をしなければ取り返しがつかなくなる
崖っぷちの夏です。
 でも、民衆の側が日々パワーを増しているのがわかるので、私は悲観していません。  この映画が、前を向いて頑張る沖縄県民の力強い群像が、いまも、50年後も、多くの人に勇気を与え続けることを願ってやみません。
 どうか「戦場ぬ止み」をご覧になって下さい!』案内へ戻る


 コラムの窓・・・自衛隊と災害救助に思う

 安保関連法が成立した直後の安倍首相の言動が、この人物の本質がよくわかる。

 アベノミックス第2弾は「新3本の矢」だ。金さえばらまけば何とかなると。そして、新スローガンが「1億総活躍社会」。まさに戦時中に使われた「一億総玉砕」「国家総動員法」という言葉を連想させる。

 次に国連総会に出向き、「日本は積極的にPKOに参加するから、国連安全保障理事会の常任理事国入りをめざしたい」との演説をした。また、外国記者からシリア難民の受け入れに対する質問に対して「日本は難民を受け入れることは出来ない。それは国内で老人問題や女性問題などで精一杯だ。でも中東難民支援のため8億1000万ドル出すことにした」と。ここでも結局金の話である。なぜ、目の前で起こっている難民問題に立ち向かおうとしないのか?

 その事を考えさせてくれたのが、鬼怒川決壊の大洪水災害だった。

 皆さんも、9月10日のテレビ局の生中継を見たと思う。茨城県常総市が大洪水で次々に家が流されていく。その一連の救出劇で大活躍したのが自衛隊であった。

 その日、国会参議院では審議中の安全保障関連法案をめぐる与野党の攻防が大詰めを迎えていた。「国会内」では、自公の議員たちが「米軍との集団的自衛権の行使・・・」とか「PKO活動で駆けつけ警備を・・・」と発言し、自衛隊を海外派兵して米軍との共同作戦に参加させるとの勇ましい空論の話ばかり。ところが「国会外」では、記録的な豪雨で堤防が決壊し逃げ遅れた住民が屋根の上で死ぬか生きるかの生死をさまよっていた。

 私は、この「国会内」と「国会外」の出来事を見て、自衛隊に関する議論がまったくかみ合っていないと思った。誰が見ても明らかなことは、自衛隊は海外の戦場で米軍と共に戦うことより、災害地の国民救出活動こそが必要とされる課題である。

 事実、自衛隊の災害救助活動は評価が高い。

 あの1995年1月の阪神・淡路大震災でも、自衛隊員ががれきの中から住民を助け出す様子が報道された。防衛省によると、約3ヶ月間で延べ220万人の隊員が投入された。

 また、東日本大震災でも2011年8月までに延べ1千万人の自衛隊員が被災地に送り込まれ、2万人近くの住民を救助している。

 国民の自衛隊への評価は、災害救助と密接に関わっている。今年4月に入隊した男性自衛官の入隊志望動機のトップは、「国や人のために役立ちたい」である。「戦地での活動より、災害救助を優先」「今回の災害救助で自衛官に憧れ、人命救助のために自衛隊を志望する」若者が多いと言う。

 専門家からも「自衛隊の本来のあり方と国民の視点にズレがある。災害救助隊組織を独立させ、消防庁のハイパーレスキュー隊のように高度な訓練を受けさせる」等の組織改編が必要だとの意見。また「災害救助に役立てにくいオスプレイ購入に大金を出すのは税金のムダ。装備品を購入する際には、災害救助を念頭に置くべきだ」との意見。事実、ネパールでの災害救助に米軍オスプレイが駆けつけたが、垂直推進の猛烈な風で家が次々に吹き飛ばされ、ネパール報道はオスプレイを「役立たず」と断じた。

 山口大の纐纈教授は「全国の自衛官24万人のうち、3分の1か2分の1を消防庁管轄に置き、消防隊員と一体となった国土警備隊のような組織を作ってはどうか」と提案。

 私もこの意見に賛成だ。私はさらに半分の自衛官を海上保安庁と合同させ、海上警備を専門とする人員と装備を備えた海上警備隊のような組織を作ったらどうか、と考える。

 これからの日本列島は間違いなく地殻変動期に入り、「地震」「火山噴火」などの自然災害が多発することが十分予測される。今日本が必要としているのは、海外で戦争をする軍隊ではなく、災害救助隊の充実である。

私たちは、「東日本大震災」と「福島原発事故」を通じて、政府や官僚の「自然災害」や「原発事故」対する対策がまったくお粗末で無責任である事を学んだ。

 今私たちが必要としていることは、遠い海外へ自衛隊を派遣することではなく、自衛隊を組織改編して、人員と予算を付け充実した「災害救助隊」を編成し、大規模な自然災害に備えることだ。

 その災害救助隊のなかに「国際救助隊」も組織し、海外での災害救助にも積極的に派遣すべき。それこそが「積極的平和主義」ではないのか。(英)

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