ワーカーズ550号 2015/12/15
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もんじゅナトリウム火災から20年 核燃サイクルもろとも葬り去ろう!
原子力規制委員会が11月13日、文科大臣に「半年以内に機構に代わる運営主体を示さなければ『もんじゅ』のあり方の抜本的見直しも求める」との勧告を行った。1967年10月の動力炉・核燃料開発機構発足に始まり、核燃料サイクル開発機構から日本原子力研究開発機構の今日まで、高速増殖炉原型炉「もんじゅ」の開発に関わってきた機構(名前は変われど内実は変わらない)が退場を宣告された。勧告はあいまいな表現だったが、田中俊一委員長は「もんじゅ」廃炉を選択肢として除外していないとの見解を明らかにした。
着工から30年、すでに1・1兆円の税金が投入され、維持管理と安全対策に1日5000万円が浪費され続けている「もんじゅ」にもはや存続という選択枝はない。馳浩文科相は機構に代わる運営主体を探すつもりのようだが、頼みの電気事業連合会八木誠委員長(関電社長)は「電力が引き受けるのは大変難しい」と、火中の栗を拾おうとはしない。電事連が求めているのは軽水炉(既存の原発)の再稼働であり、高速増殖炉の開発など必要ない。その一方で、核燃料サイクルの破綻には危機感を持っているのである。そんなことになれば、たちどころに使用済み核燃料の行き場がなくなり、原発を稼働し続けることも出来なくなる。
いま、原子力マフィアは大きな岐路に立たされている。核燃サイクルの存続が可能なら「もんじゅ」廃炉を受け入れるという選択肢だ。それがダメなら、「もんじゅ」を手放すことは出来ないだろう。原発の使用済み核燃料は青森県六ケ所村にある核燃料再処理工場に運ばれ、プルトニウムを抽出して高速増殖炉の原料を生産することになっているが、その完成時期は遠のくばかりだ。高速増殖炉も、原型炉「もんじゅ」すらまともに動かないなかで、実証炉を経て実用炉へ至る時期は示すことすらできていない。
以上のごとく、核燃サイクルは虚構の上にある。諸外国からプルトニウムをため込んでいる(47・8トン)ことへの疑惑を持たれ、青森県には再処理工場を止めるのなら中間貯蔵している使用済み核燃料を返すと迫られている。ここで、原子力マフィアの利益は「もんじゅ」も再処理工場も動かなくても維持し続け、税金を投入し続けるということになる。
もちろん、こんなことを許すことはできない。「もんじゅ」も六ヶ所再処理工場も廃止し、核燃サイクルを破綻させよう。さらに、安倍自公政権による原発の延命、輸出路線を阻止しよう。原発の廃炉と使用済み核燃料及びプルトニウムの処分という困難は残るが、これらは電力を湯水のように消費してきた我々世代が負うべきものであり、将来世代に押し付けてはならない課題だ。 (折口晴夫)
暗雲迫る 欧州極右の躍進と中東の混迷
移民排斥を言わば「党是」としてきた極右政党。難民問題にゆれる欧州で、排外主義を煽り大躍進を遂げることとなったようです。
フランスで実施された地方選挙でルペン党首率いる国民戦線が政権をとるかの勢いです。
【12月7日 AFP】
「百三十人の犠牲者が出たパリ(Paris)同時テロ事件で宣言された非常事態が続くフランスで六日、地方選挙が行われ、極右政党の国民戦線(FN)が記録的な得票率を達成した。
同党の全国での得票率は27・2~30・?%と推定され、全13地域圏のうち少なくとも6地域圏で首位となる見込みだ。
停滞する経済に対する有権者の怒りと、欧州の難民危機に関連した治安に対する不安をとらえた同党のマリーヌ・ルペン(Marine Le Pen)党首(47)と、そのめいのマリオン・マレシャルルペン(Marion Marechal-Le Pen)副党首(25)は、それぞれの地域圏で同党史上最高となる40%超の票を獲得した。
右派政党全体での得票率は27~27・4%となる見込み。一方の与党・社会党(SP)とその同盟政党の得票率は22・7~23・5%になる見込みだ。」(ここまでAFP)
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フランスの場合、今回の地方選挙は2017年に予定されている"大統領選挙の前哨戦"とみなされています。守勢に回るまいと、オランド大統領はますます「イスラーム国」に対する攻撃を強めています。しかし、この姿勢が現在国民に当座の「支持」を受けても、オランドの外交的失敗や国内経済の零落などで厳しい批判に直面しているのです。
「ル・フィガロが行った二〇一七年大統領選挙にむけての世論調査結果で、フランス人の78%が現職のオランド大統領は次期大統領候補者にふさわしくないと考えているという結果が出た。今日発表された世論調査は、今現在の人々の意識が反映していると考えるべきであるが、一位は極右政党FNのマリーヌ・ルペン氏で27から29%の支持率。二位は旧UМP右派政党のサルコジ氏かジュッペ氏で、25%の支持率。三位にオランド大統領が19%で着け、二位とすでに6ポイント離されており、現政権へショックとして跳ね返っている。(フランス2TV朝のニュース)
政権に一歩も二歩も近づいた極右政党=国民戦線の経済政策は、実際のところ平凡な財政拡大主義だといわれています。したがってバラマキ的な福祉政策を売り物として、力を入れて宣伝しているようです。権力到達のためには手段を択ばないやり方です。(ナチも同様に「国家社会主義」を標ぼうし福祉をある程度実現しました。)
また、近年マリーヌ・ルペン党首となってからは現実路線も取り入れ支持の拡大を果たしてきました。いまでは政権獲得も視野に入ってきたことから、反ユダヤ的発言など相変わらず右翼的発言を繰り返すジャン=マリー・ルペン名誉党首(党創設者)を事実上排除し、今年春頃には党員資格停止で役職も取り上げられました。
このような「内紛」にもかかわらず党勢は急上昇した点が気になりますね。
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国民戦線の諸政策をWikipediaからひろってみました。
●移民の制限。ただし、フランスの文化を尊重、保護する移民は拒まない。
●たとえフランス国籍を持つ移民や移民二世・三世でも、犯罪を行った場合は出身国へ強制送還させる。
●伝統的な生活様式を保護する。特に農民を尊重する。
●フランス国内のモスク建設の停止。
●麻薬の密売人や、小児性愛などの性犯罪者、母親による児童虐待、殺人者、テロリストを特に対象として、死刑を復活させる。
●公務員の削減。
●減税。
●極左に操られているような団体に対する補助金の廃止。
●放任主義を減らし、道徳の復権をはかる。
●犯罪者や移民には寛容ゼロ (tolerance zero) で臨む。
●同性カップルもパートナーシップを結べる民事連帯契約法の廃止。
●国籍に関してはいわゆる血統主義を採用する。
(ここまでウィキペディア↑)
父ルペン氏と一線を画しているようでも、内容はいっしょではないかと思います。「ユダヤ人排斥」の代わりの「移民・難民」排斥なのです。狭い視野にとらわれている彼らは、血の純潔、愛国主義の名のもとにフランス社会に分裂と闘争を持ち込むことでしょう。大盤振る舞いの財政政策は、日本の安倍首相と同じで、長期的には社会の矛盾を強め格差を拡大し社会不安を広げるでしょう。
それと並行して政治的独裁が強められることも、戦前のドイツや日本の歴史で証明済みのところです。
社会党大統領オランドの無力で混乱した政治がまさに極右の台頭を生み出しているのです。ちょうどこれも日本に当てはめれば民主党の無力さや政治的混乱の後に、反動安倍内閣が登場し、安倍内閣の暴走を国民が一定許容する空気を造ったことと類似性を感じます。
■オランド達の爆撃の悲惨な逆効果
「シリア北東部ハン(Al-Khan)村で七日、米国主導の有志国連合が実施したとみられる空爆により、一般市民少なくとも二十六人が死亡した。有志国連合に対しては、別の空爆によりシリア政府軍の兵士が死亡したとの疑惑が浮上したばかりで、今回の空爆によってさらに(国際的非難の)圧力が高まっている。」【十二月八日AFP】。
オランドなど欧米の指導者たちは、ひとつには国内政治の理由で目先の人気取りに走っているのでしょう。昨年ころ地に落ちた大統領支持率は空爆開始で倍増し、シャルリ―事件や今回のテロでの強硬姿勢が残念なことに「人気回復」に結び付いているようです。(しかし、上で見たようにオランドのゲス根性は国民に見抜かれ「次期大統領にはふさわしくない」とみなされています。)
二つ目には、産業としての軍需に追い風を吹き込むという、経済的打算です。このよう目先だけの自己都合政治では、経済的零落も「イスラーム国」対策にも何の効果もないのです。
イスラーム国は、挑発をくり返し欧米の軍事介入を意図的に招き入れているのです。もっと具体的に言えば「地上戦」に引き込みたいのです。政治的混迷や内乱、宗派対立、民族対立こそ彼らの「ジハード」の舞台になるからです。彼らの言うイスラム原理主義(ワッハーブ主義)は、欧米の中東支配と言う混迷の時代に生まれたものです。その再現をもくろんでいるとしか思えません。世界を恐怖と混乱に導き、その中からイスラム法に依る法秩序=カリフ制国家を再興するというわけです。
世界の国家指導者たちの、無定見と思慮のなさは世界にとって由々しきことです。マネー経済の生み出す格差や腐敗はそれに反発する若者たちを生み出しています。彼らをイスラム国は獲得しているのです。この問題は、われわれもまた深く反省して熟慮すべきことでしょう。とりあえずは安倍政権による自衛隊の中東派兵を阻止する運動を高めることが求められているでしょう。(研)
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貧困と戦争こそがテロを生み出す
欧米に嵐が吹いているようです。「反移民・反難民」というあらしです。
これは、パリテロ犯の一人がシリアのパスポートを所持しておりセルビアで難民申請をしていたからです。しかし、それは本人から奪われたか売買されてテロリストにわたった可能性があるようです。
極右など反移民派は、ここぞとばかり中東難民の拒否を声高く叫んでいます。「テロリストを入国させるな」と。EU国民も多くが動揺しているようです。
しかし、冷静に考えるべきです。難民保護は人道的であると同時に政治的にはテロリズムの抑止力になるからです。
本当に見下げたオランド大統領は、パリテロに驚いて「これは戦争だ!」と言っています。呆れたことです!フランスはこの一年間シリアやイラクで空爆を繰り返してきたではありませんか、これらの諸国民にとってすでに「戦争」以外の何物でもなかったはずです。
欧米連合による空爆は、一体無辜の市民を何人殺してきたのでしょうか。パリの百三十人をの犠牲者数を大幅に上回ることは間違いありません。米国の無人機(ドローン)殺人の九割が無関係の一般市民であったことを記載した軍の文書が、ウィキリークスで暴露されています。
にもかかわらず、オランド大統領には「フランスの空爆は戦争ではない」「ISのテロは戦争だ」というとんでもない思い上がりと差別感がにじみ出ています。
そのうえプーチンやオバマ大統領をも巻き込んで、さらに大掛かりの戦争を中東で展開するつもりのようです。その結果明らかなことは、一層多くのの難民が国を捨て、故郷を去ることでしょう。
とはいえ冷静に事態を受け止めようというジャーナリストたちも大勢いるようです。十一月十九日のロイター・コラムを最後に引用しておきます。
「・・・難民には救いの手を差し伸べなければならないという欧州の人々が抱く人道上の強い義務感との葛藤もある。だからこそ、パリ襲撃現場で発見されたあの偽造パスポートは、シリア難民の流入阻止を望む人々にとっては天の恵みだった。国家の安全保障に誰が盾突くことができるというのだろうか。テロ行為に走る難民などただの1人もいないと保証できる人がどこにいるだろうか。
当然ながら、そうした保証を与えることはできない。だが、難民らが受け入れ国に対して危害を加える目的で入国したことを示す証拠もまた乏しい。難民やその子供たちが入国後、政治的に急進的になる例はごくわずかだ。(だが中には、ケニア首都ナイロビのショッピングモール襲撃事件の実行犯の1人や、米ボストン・マラソン爆破事件を起こした兄弟など、大事件を起こした者も何人かいる。)定住プログラムを通して入国した難民がテロ行為を行う証拠となるとさらに少ない。・・(略)」
(文)
コラムの窓・・・「菅官房長官の朝三暮四」
この「朝三暮四」という故事の事を聞き、調べてみると。
中国の春秋時代、手飼いの猿にトチの実を与える際、朝に三つ暮れに四つ与えようとしたら猿たちは少ないと怒ったので、朝に四つ暮れに三つとしたら大いに喜んだという。目前の違いにばかりこだわって、同じ結果となるのに気が付かないことを「朝三暮四」と言い、猿知恵の例え。また、口先でうまく人をだますことにも言う故事との事。
この故事から私がすぐ連想したのは、今の沖縄問題。
猿知恵で口先でうまく沖縄県民や国民をだましているのが、菅官房長官。手飼いの猿で目先の餌に目がくらみ、安部政権に踊らされているのが、島尻安伊子沖縄担当大臣や佐喜真宜野湾市長などである。
今、特に菅官房長官の猿知恵が目立つのが、1月24日投票予定の「宜野湾市長選」対策である。
菅官房長官はケネディ駐日米大使との会談で、「目に見える成果」と大宣伝したのが、普天間飛行場の東側約4ヘクタールと牧港補給地区の国道58号線沿い約3ヘクタールの返還である。
しかし、沖縄の在沖米軍専用施設面積のたった7ヘクタールだけの返還で、普天間飛行場について言えば全体の0.8%の返還にすぎない。さらに、この二つの返還は96年のSACO合意などで返還が決まっていた合意で、本来なら約20年前に解決すべき課題であった。
このような事を、なぜこのタイミングで発表したのか?言うまでもなく、宜野湾市長選を意識して自民党佐喜真市長の後押しである。
さらに、菅官房長官の猿知恵は続く。佐喜真市長が首相官邸で菅官房長官と会談し、日米両政府で返還が合意している米軍キャンプ瑞慶覧のインダストリアル・コリドー地区へ、ディズニーリゾート関連施設の誘致に向け、政府に税制優遇措置などの支援を要請したと言う。
これに対して、菅官房長官は「全面的に協力したい」と述べたという。これまた、まさに猿芝居だ。
東京ディズニーランドを運営するオリエンタルランド広報は、沖縄タイムスの取材に対して「宜野湾市の佐喜真市長と島尻沖縄担当相から要請があったが、具体的な計画については白紙。現段階で話せることはない」とコメントしている。
一方で、このような猿知恵の口先でうまく沖縄の人をだまそうとしており。他方では、辺野古ゲート前には警視庁機動隊を配備して、大浦湾でには海上保安庁に警備させ、徹底的な暴力取り締まりをさせて、多くの怪我人や逮捕者を出し大弾圧している。翁長知事は「安部政権は対話より強権的に事を進めている」と批判するが、そのとおりである。
辺野古現場からは「いつ死者が出てもおかしくない」との声が上がっている。死者がでる前に、沖縄の民意(沖縄県民の8割が反対)である辺野古新基地建設を止めなければならない。(英)
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紹介 『近現代日本史と歴史学』成田龍一著(中公新書)
この本は、明治維新から戦後までの近現代日本史を単に叙述したものではない。近現代日本史の叙述の仕方が、どのように変遷してきたかをたどる「学説史」でもあり「論争史」でもある。
と言うと、この本を読む前に、あらかじめ日本の近現代史を勉強しておかなければならないと思われるかもしれないが、その心配はない。というのは、この本では、各々の歴史的時期について、まず簡単に教科書レベルの内容を紹介し、続いてその歴史事象の解釈や論争点が解説されるので、初めて近現代史を学ぶ人にでも、充分についていける展開になっているからだ。
そこで、まず各章の歴史時期が、どのように区切られているのか概観してみよう。第1章「明治維新Ⅰ開国」、第2章「明治維新Ⅱ倒幕」、第3章「明治維新Ⅲ維新政権」、第4章「自由民権運動の時代」、第5章「大日本帝国論」、第6章「日清・日露戦争の時代」、第7章「大正デモクラシー期」、第8章「アジア・太平洋戦争の時代」、第9章「戦後社会論」、となっている。中学や高校の歴史とほぼ同じである。
この明治維新から戦後社会までの歴史について、この本では戦後の歴史学を三期に分けて、叙述の仕方の変化を追っている。それについて著者は以下のように説明している。
「敗戦後に再出発した歴史学研究は「社会経済史」をベースにしていました。それが、一九六〇年頃からは「民衆」の観点を強調するようになりました。これが第一の変化です。さらに一九八〇年頃に「社会史」が強く提唱されるようになります。これが第二の変化です。大胆に言えば、この二つのパラダイム・シフトを受けた近現代日本史は、時代によって三つの見方・・・第一期の社会経済史をベースにした見方、第二期の民衆の観点を入れた見方、第三期の社会史研究を取り入れた見方があると言えます。」(はじめに ⅳページより)
この「三つの見方」(社会経済史・民衆史・社会史)が、具体的にどのように変化していくのかは、いちいち紹介していると長くなるので、実際に読んでいただきたい。ここでは、この本が、私達が歴史を学ぶ上で、どのように役に立つのか、思ったことを述べてみたい。
まずは、近現代の日本の歴史を改めて学び直す上で、この本は手軽なガイドブックでもある。できれば、中学か高校の教科書を併用し、読み比べながら進むと、いっそう分かりやすい。明治維新はどのようなことだったのか?日清・日露戦争はどのような戦争だったのか?大正デモクラシーではどういう人々が活躍したのか?等のおさらいができる。
次に、歴史学の論点がどのようなものであったかが、簡単に紹介されているので、その「さわり」を把握することができる。たとえば戦前の日本についての「絶対主義」論争とはどのようなものだったのか、「進歩史観の再検討」とはどのようなことが言われているのか等。これらを踏まえて、様々な歴史家が日本の近現代史について書いた著作を読むと、ああこの人は第一期のこの観点から書いているな、とか、この人は第三期のこの問題意識から展開しているな、とか、それぞれの傾向を見抜くことができるようになる。その上で自分はこの歴史家の論点には、こう同意できる、あるいはこう異論がある、など自分の意見を相対化しながら考えることもできるようになる。
これら歴史学における論争の流れに触れて思うのは、近年の「歴史修正主義」がいかに恣意的で偏狭な立論であるかということだ。「日本は中国を侵略なんかしてない」とか「朝鮮を植民地になんかしていない」とか「日露戦争はアジアの民衆を勇気づけた偉大な戦争だった」などという日本帝国美化の論調は、歴史学の論争のレベルから見れば、全くの的外れで自己満足的な「アジテーション」(煽動)でしかないことがわかる。
ここからは、この本の叙述から少し外れて、僕の個人的意見になるが、満州事変から日中戦争そして太平洋戦争へと拡大していった日本の軍国主義を反省することを「自虐史観」だと繰り返し非難する歴史観の台等を許してしまっているのは、あの侵略戦争をその前の日清・日露戦争以来の「帝国主義戦争」の流れのなかで捉える視点が弱いからではないだろうか?また、あの世界大戦を「ファシズムと民主主義の戦争」と規定した「戦勝国側」の史観に影響されているからではないだろうか?(スターリン主義者もこの影響から無縁ではない。)戦勝国側も含めて立派な「帝国主義」であったという観点に立てば、「日本だけが悪かったのではない。むしろ米英に追いつめられて開戦したのだ。」等という手前味噌な言い訳が許される余地はないのではないか?これは僕個人の見方だが、いずれにせよ、戦争の歴史的社会的性格をめぐる論争にも、目を配ることが必要だと思う。
一方、民衆運動の歴史を駆け足で振り返る上でも、この本は役に立つ。維新前夜の農民一揆や打ちこわし。維新政府の独裁化に抵抗する下級武士の反乱。農民や知識人を中心とした自由民権運動。日露戦争に反対した社会主義者の幸徳秋水や詩人の与謝野晶子、キリスト教人道主義者の内村鑑三。第一次大戦後の米騒動を皮切りに起きた大正デモクラシーでの労働運動や農民運動、部落解放運動、婦人運動。軍国主義に抗して闘った労働者や知識人の活動。戦後の民主主義における労働運動や反公害運動、平和運動。それぞれの民衆運動には優れている点もあったが、限界もあった。その評価も論争の題材となってきた。それらを学んで、現代の社会運動に生かすことも大切だと思う。
近現代史が見直されているのは、何も日本だけではない。最近は「イギリス革命」という呼び方が「イングランド中心の史観」であることを反省し、「ブリテン島内乱」と呼ぶべきだという見方も現れて論議になっているそうだ。そのあたりは、岩波新書の「イギリス史一〇講」、「ドイツ史一〇講」、「フランス史一〇講」等に、読書の幅を広げていく橋渡しとしても、この本は有意義だと思う。(松本誠也)
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侮辱されたままでいいのか──官制春闘に思う──
スケジュールどうりというか、来春に向けた16年春闘が〝始動〟した。
消費増税や食料品の値上がりなどで労働者の賃金水準が低迷から抜け出せない。こうした中、動きが目立つのが安倍首相による経済界に対する賃上げ要請だ。アベノミクス第二ステージを掲げる安倍首相にとって、賃上げによる消費の拡大やそれを契機とする経済成長をめざしているからだ。しかし安倍政権で具体的な数値が直接目に見えるのは、法人税引き下げなど大企業向けのものばかり、賃上げはあくまで〝お願い〟に過ぎない。
安倍首相の言動はともかく、賃金底上げの課題は本来労働組合の役割のハズだ。とはいえ、春闘の主軸を担う民間大労組の動きは、はじめから腰砕けの様相だ。賃金のみ成らず、働く環境を抜本的に改善するためにも、先行きを見据えた労組の根本的な立て直しが急務だ。
◆官制春闘
安倍首相は11月26日、官民対話で3年連続で経済界への賃上げ要請を行った。これはアベノミクスの三本の矢に関わるもので、景気回復と経済成長に賃上げは欠かせない、という立場からのものだ。ここ数年の春闘では、こうした安倍首相による賃上げ要請だけが目立ち、またも〝官制春闘〟といわれる構図だ。
対する労働組合の中央組織、連合はどう闘うのか。連合が掲げる賃上げ要求はベースアップ「2%を基準」だ。アベノミクスがいう「3%程度の継続的な賃上げ」にも及ばない要求で、満額回答でも昨年のマイナス分を取り戻すことも出来ない。しかもそれは輸出などで莫大な利益を上げている大企業だけ。中小企業の労働者やいまや4割に達した非正規労働者の賃金水準改善につながるかどうか心許ないのが実情だ。
それらを気にして、連合は中小や非正規労働者との格差縮小も目標に掲げてはいる。が、それも過去の経験から言えば、実効性に疑問符が付く。
実際、連合の主力労組である金属労協に至っては「ベア3000円以上」という要求額。これは月例賃金の1%程度でしかなく、昨年の半額だ。はじめから闘い取る姿勢などまるでない。この額は、企業が実際引き上げても良いとする水準でしかなく、企業の手のひらのうえでの春闘という以外にない。
話を戻して、安倍首相が言う賃上げによる景気回復はどういう代物なのだろうか。例のトリクルダウン論によれば、大企業が潤えば自ずとそれが下層にしみ出してゆき労働者や生活者に届いていく、というものだった。ところが現実には利益は大企業に止まり、実質賃金は引き続き低下しているのが現状だ。実際、実質賃金指数は、2010年に比べて82%台に大きく落ち込んでいる。消費増税前の13年(8月)と比べても、15年(8月)は2・7%落ち込んでいるのだ。企業がため込んだ内部留保は、いまや450兆円にも達しているにもかかわらずだ。
こうした構図で、果たして安倍首相による要請が現実のものになるのだろうか。これまでの経験から言えば、安倍首相の賃上げ要請はパフォーマンスに過ぎず、大企業の賃上げはそこそこに止まり、中小や非正規労働者は、これまで通り厳しい現実から脱することが出来ない、という管理春闘に終わるだろう。
安倍首相による賃上げ要請などは、官制春闘の土俵のうえでのやらせ、出来レースに過ぎない。労働者は、自力で賃上げを闘い取る以外にないのだ。
◆当てにならない連合
安倍首相による賃上げ要請ばかり目に付く春闘。組合応援団などと喜んではいられない。そこで侮辱されているのは、私たち労働者、労働組合なのだ、と受け止めるべきだろう。賃金は、雇用や権利と並んで労働組合の最大の課題の一つなのだ。
ところが発足以降、連合の闘いで賃上げを勝ち取ったことは1回もない。生産性基準原理と支払い能力論を掲げる経団連に封じ込められてきたのが現実だ。現に、バブル崩壊以降ほぼ20年間、労働者の賃金は下がり続けてきている。
連合は、1989年に当時最大勢力を保持していた総評を解体することで発足した経緯が示すとおり、企業内組合が連合して生まれた。はっきりいえば、労使協調、御用組合の連合体でしかないのだ。
御用組合の役割は、労使関係の各段階でそれなりの違いが出る。まともな組合が中軸でがんばっている段階では、穏健派を形成し、「企業あっての労働組合」など労使運命共同体の立場から、会社派組合を作ったりする。むろん、会社のテコ入れ、後押しのもとでだ。個別の企業内組合を御用派で多数派を占めて組合を支配したあとは、各産別あるいはその全国組織で多数派を握る。そのようにして御用組合は民間労組をはじめとして労働界を支配してきた。その間の主張や立ち位置は、程度の違いはあっても会社べったりで露骨なものだ。それが連合結成に至るまでの御用組合の姿だった。
一旦、左派やまともな組合を少数に追い込んだり壊滅させれば、その後は多少、労働者の利益を掲げるところも出てくる。それだけ組合の支配基盤が安定したからだ。が、最優先なのは、企業内の安定した労使関係、要は企業に従属した労使関係の維持だ。不満の拡がりを押さえ込むための〝あめ玉〟も企業が渡してくれる。
こうした連合の実権は、個別単位組合(単組)にある。組合員への指導権、組合資金の多さでもそうだ。これに対し連合は、労働組合の中央組織としてマスコミなどの批判の目に晒される。したがって、注目を集めるテーマでは、一定程度、労働者の利益を擁護する姿勢を取らざるを得ない。実際、連合でも、格差問題や女性差別など、脆弱ながらも改善要求、改善の取り組みもしている。とはいえ、原発問題や法人税問題、TPP問題など、産業界や個別企業が執着するテーマについては、産業界や個別企業の擁護に廻るところにその性格が如実に表れている。
◆労働組合の立て直しが急務だ
連合などの大企業労組が当てにならないいま、立ち上がっているのが個々の労働者や自立したユニオンなどだ。そうした場面では、これまでも様々な成果を上げてきた。
この12月8日に東京地裁で和解した「居酒屋チェーン和民」で起きた過労自死をめぐる裁判もそうだ。08年に自殺に追い込まれた女性の家族や支援者による永年の闘いで、ワタミグループの総帥で参院議員の渡辺美樹に全面的な責任を認めさせた。遺族には高額の和解金を支払うほか、同時期の新人社員にも未払い残業代などを支払うというものだった。
和民はこの件も含めて、いわゆる〝ブラック企業〟批判の声や客離れが拡がって、経営危機に陥っていた。それまで責任を一切認めてこなかった渡辺美樹だが、事業破綻の影が差すことでやっと責任を認めたことになる。労働基準法も無視して労働者を死に追いやったり、あるいは使い捨てにするような企業は、事業の存続さえも脅かされる。被害者の家族と支援者による永年の闘いで、このことを経営者側に思い知らせる成果を上げた。
実際、同じようなブラック企業は多く、他にも〝ブラックバイト〟と批判される、働くものの権利や闘いの手段に不慣れな若者を食い物にする企業も多い。牛丼チェーンの「すき家」では、〝ワンオペ〟と称する過酷な1人深夜労働もやり玉に挙がり、〝連帯離職〟も一時拡がった。泣き寝入りすることなく、はじめは孤立した闘いでもやがては支援者や支援の声も拡げることで、闘いに勝利することが出来る。今回の勝利は、他にも波及する普遍的な意味を持つ闘いとなった。
とはいえ、過労自殺という犠牲者を出してしまってからの裁判での勝利に喜んでばかりではいられない。まともな労組があれば、過労死、過労自殺が発生する以前に職場状況を改善することも出来る。現に、飲食業などサービス業でも、少数ではあるが各地の自立ユニオンなどの支援を得て立ち上がっている人たちもいる。ひとりが立ち上がった時、あるいは少数者が立ち上がった時、それを支援する勇気や習慣を拡げていく必要がある。自分が、あるいは仲間が犠牲になる以前から、自律的な組合を結成するなど、闘いを拡げていくことが必要だ。
大企業であれば、個人で公然と御用組合にたてつくことは困難だろう。個々の問題提起や少数の仲間作りから始めることも必要だ。そうした職場では、短期間での奮闘でことが前進することは少ない。辛抱強い,気長な取り組みが認められる世界なのだ。しかしそれは必要不可欠な営みなのだ。
法人減税、消費増税、消費者物価の上昇、実質賃金の目減りが続く。賃上げは労組の力で闘い取るもの、連合の刷新、ユニオン運動の強化・拡大、それらの連携が急務だ。(廣)
◆連合幹部の出自
あるいはその指導者がどういう存在なのか示す興味深い発言がある。11月末から週1回の連載で、連合5代会長を務めた高木剛氏の「証言」が朝日新聞に掲載されている。そこでは普段はあまり表面に現れない、連合指導者の貴重な〝出自〟を垣間見ることが出来る。
高木元会長は東大卒で、旭化成工業(現旭化成)にエリート社員候補として入社している。労組活動に専念するようになったのは、たまたま宮崎県延岡市の工場での勤労課勤務時代に労組から声がかかったことによる。少し長くなるが引用する(11月30日)。
──以下、引用──
「(旭化成工業で)最初の配属は工場の勤労課。工場内の人事・労務担当みたいなもの。工場内の組合の窓口でもあった。2年ぐらいしたころ、本部の書記長だった米沢隆さん(後の民社党委員長・民主党副代表)が来て、『君に来てもらうことになったからね』とだけ言って帰った。米沢さんの顔は町のおでん屋で見たりしよった。
組合が『あの工場によさそうなやつがいる』って労務をつうじて頼んでいて。本人を口説く前に決めちゃっている。自分が専従になるなんて思いも寄らなかった。最初は4年、あるいは6年という話だった。何のことはないそれが30年、40年じゃ。結婚したのは入社して2年後。専従になる前だった。嫁さんは今でも言うよ。『何で組合に』って。『巡り合わせじゃないの』って言うけど。」──引用終わり──
ふつう、計算高い組合幹部はこういうことは言わない。謙遜というか正直というか、普通は隠す自分の出自をしゃべってしまった。要は、勤労課で組合対策などの部署で働いていた東大卒の準エリートを,組合が会社とつるんでスカウトしたわけだ。
「準エリート」といったのは、東大卒などの学卒のなかでトップクラスのエリートは会社の出世コースに組み込まれる。そうではない二番手グループの中で労組と会社に都合がよいものが、別の活躍=自己実現の舞台をあてがわれて組合の専従になる。民間大企業の御用組合ではあたりまえになった組合幹部のつくられ方だった。むろん本人は、それが異常だともおかしいとも何とも思っていない。日本的企業内組合の堕落の深さを想わずにはいられない。
高木氏は続けて言う。
「私がよく言うのは、組合の専従には,必須が4科目ある、ということ。一つは団体交渉で労働条件を良くする.一つは組合を作る組織化。もう一つは合理化対策、その究極は倒産問題。そして最後は政治活動。どれもやだ、というやつはやめろ、と。選挙活動は嫌だが、おいしいものだけよこせというのは通じない。」
一見もっともらしいが、実はここで言及していない連合幹部の最も重要や役割を、高木氏は隠している。それは職場内に労使協調秩序に逆らう異端者や左派的分子が生まれることを防ぐこと、である。既存の大手製造業を牛耳る大労組のほとんどすべてが、その出自からそうした役割を担ってきたのが実情なのだ。
連合幹部のこうした出自は、他にも多い。鉄鋼労連委員長から連合会長になった第三代会長の鷲尾悦也氏も東大卒の同じような経歴で、今年新会長になった神津里季生氏も東大卒業後、新日本製鐵株式会社入社した経歴を持っている。いはば連合会長は、準エリートの指定席の様なものだ。(廣)
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株式市場に投入された年金資金 大幅損失!
去年十月の日銀による「追加緩和」、それに前後して決定されたGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)による、株の大幅買い増しでした。
「GPIF「損失?兆円」で怒りを向けるべきは誰か?」(見出し)「(略)・・・《国内株式二十五%、外国株式二十五%、外国債券十五%…》は、アベノミクスを盛り上げたいという首相官邸に、《指示された》と言わないまでも、その期待を忖度して、リスク資産を盛り過ぎたような感じがする。」【ダイヤモンド・オンライン】
年金という国民的資金を大量にアベノミクスの盛り上げのために犠牲に供する無謀な行為については、当ブログでも再三批判をしてきました。そもそも所有者である国民の議論も許諾も得ないとんでもない暴挙です。しかもGPIFのポートフォリオはますますハイリスク資産にシフトしたのでした。
そして、その危険な事態は起こったのです。
「発表された損失額は7兆8899億円、収益率では-五・五九%であった。九月末の運用資産額は百三十五兆一千八十七億円だ。」(同)
初夏の中国の株の暴落により、運用に大きな損失が発生したことが明らかとなりました。しかし、官邸の前で委縮し続ける一般メディアの反応はさっぱりです。
「ダイヤモンド・オンライン」も、「それでも世界的株価の暴落の中では、GPIFは健闘したともいえる」として批判は鈍いものがあります。しかも、「目標の与え方と共に、基本ポートフォリオの作り方も検討の対象にすべきだろう。四半期で?兆円の損」が出ることの適否については、GPIFの運用部隊ではなく、まず、厚労大臣及び、基本ポートフォリオを作った運用委員会に見解を求めるべきだろう。」と。
いまのところまとめて論評した数少ないものなので、ご紹介しましたが、もっともっと国民的批判が吹きあがってもおかしくないことです。(文)
日本的風土、なんて言い訳になるのでしょうか。フクシマ原発事故もいまのところ誰一人責任をとっていません。(それゆえ法廷に持ち込まれています。)戦争責任でもそうです。この問題もうやむやなんですか?
読書室 『米国が隠す日本の真実 日本の知られざる暗部を明かす』詩想社岩上安見×植草一秀×川内博史×木村 朗共著 1720円
米国に盲従する、また盲従せざるをえない安倍・現代日本の驚くべき現実を直視せよ!!
安保・基地問題、消費税・TPP問題、原発問題…新聞等の大マスコミでは決して報道もされない米国の日本支配という現代日本国家の大タブーに、気鋭の4人が切り込む。
本書は、'13年の秘密保護法の成立と国家安全保障会議の設置、'15年9月の安保関連法案の制定など、度々示されてきた民意を無視して、日本社会の変革を力ずくで推し進め「あたらしい戦前」を作り出してきた安倍政権の背景を切開して見せたものである。
この本の基調には、日米関係の真実を明らかにした孫崎享氏の『戦後史の正体』、戦後も敗戦を認めずに終戦と言い続ける事で対米従属を受け入れて来たと根拠づけた白井聡氏の『永続敗戦論』などがある。
本書の構成は、1章が総論で2章以下が各論になっている。紹介して見よう。
まえがき◎戦後日本のタブーを語る(木村朗)
1章 政治・経済・外交・軍事…… 日本人が知らない米国の日本支配の実態(植草一秀 ×岩上安身×川内博史×木村朗)
2章 国民に隠されたアベノミクスの正体(植草一秀)
3章 安保関連法案の背後に潜む米国の「オフショア・バランシング戦略」(岩上安身)
4章 米国の意を汲む政治家、霞が関、大メディアの実態(川内博史)
5章 偽りの「テロとの戦い」に組み込まれる日本(木村朗)
(特別寄稿) 権力やメディアを疑う「嘲笑」が今こそ必要だ(マッド・アマノ)
6章 安倍政権の暴走を止める「オールジャパン 平和と共生」連帯運動(植草一秀)
7章 なぜ、原発を止められないのか(川内博史)
8章 だれも語ろうとしない日本の刑事司法の闇(木村朗)
紙面の関係から、ここでは4人の討論が纏められた1章にのみ限定して取り扱う。
先程明らかにした事だが、1章だけで本書全体の3分の1程あり、討論の内容も総論に相応しいものである。それに各発言に付けられた注も実に充実しており、43もある。
この章は、'14年6月1日と'15年1月23日に行われた「日本の真実を語る」クロストークを、出版時点で加筆・修正して再編集されたものである事をお知らせしておく。
それでは、1章の小見出しも紹介していこう。
1 イスラム国による人質事件を招いた安倍外交
2 「世界最大の利権」に組み込まれつつある日本
3 日本が戦場となる米国の描く対中戦争
4 辺野古で繰り広げられている「海猿」たちの暴力行為
5 21世紀のグローバル・ファシズム
6 9・11ソロモン・ブラザーズ・ビルの謎
7 実質、上納金になっている日本の米国債保有
8 世界の金融界は「新秩序」を模索し始めた
9 金融を通じた日米の「裏取引」という疑惑
10 国民の年金を犠牲にして演出されている株高
11 財務省がもくろむインフレによる借金帳消し
12 消費税導入と、政権、官僚によるメデイア統制
13 1%の富める者と、99%の持たざる者との相克
これらの小見出しを見れば、実に絞り込まれた重要な討論がなされていると確認出来る。特に7以降の話題は、実にアップ・ツー・デイトなものばかりである。
植草氏が日本の米国債保有は実質上納金となり、しかも14年の円高の際には152兆円の元本が54兆円も損失したとの内幕暴露の発言に対して、岩上氏が「植草さんは、これから大丈夫でしょうか? 少し心配です」と受ける。対談とは、本当に面白いものだ。こうした受け答えが見られる面白さがこの本には充ちているのである。
ドルの覇権が失われていく事から生じる世界金融情勢の変化とそれに伴う日米関係の変化の中で日本は独立を強めていくのでなく、より一段と従米になっていく矛盾こそ私たちがよくよく認識しなければならないことであり、安倍政権の経済政策が誰に向けてのものであるかが実によく認識できるものなのである。
安倍政権が年金原資を株式市場に注ぎ込むのも、消費税を増税し法人税の減税するのも対米関係が深く影響を与え続けている事を私たちは知らなければならない。こうして現在、安倍政権の下で1%の富める者と99%の持たざる者との対立が鮮明になっているのだ。
私が本書を推薦する第一の理由は、何と言っても各話題のアップ・ツー・デイトさにある。そして第二の理由がここで紹介したような、受け答えの妙味にある。
是非一読をお勧めしたい。(直木)
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色鉛筆・・・特別支援教育を受ける高校生の生きづらさに想う
1960年代、小学校、中学校に身体障害者や重度の知的障害者はほとんどおらず、幼少期から特別支援学校で過ごしてきた。どんな障害があっても、みんなと一緒に学びたい。学校は勉強だけでない、集団の中で学ぶことが多くあるはずだと、そんな親たちの願いがノーマライゼーションの動きが運動となって、世の中の流れを大きく変えた。
今では、特別支援学校に検診によって振り分けられるのではなく、親が選べることになっている。多くの子どもたちは、普通小学校、中学校に入学しみんなと一緒に学べる機会が増えた。しかし、高校は義務教育ではなく、入試制度で振り分けられる。すべての子ども達が希望どおりの進路を選べない現状がある。小学校や中学校で発達障害や知的障害であったとしても、特別支援学級に別れてその子の発達に応じた学習の場を拒否したり、先生の数が足らず、同じクラス内で個別に対応出来なかったりして、月日が流れ、高校受験を迎える。普通高校にも入学が難しい、となり、あわてて知能検査を受けたり、療育手帳を取得して、特別支援学校の高等部に入学してくる。一般就労を目指す高等学園は、定員の約3倍の受験者がいて、振り分けられる。
身体障害者の方は、一見にしてわかることが多いが、軽度知的障害とよばれる方たちは、一見どこが障害者なのかわからないことが多い。いままで集団の中で過ごしてきたはずの彼らは、実はどこにも居場所がなかったり、友達がいなかったりする子が多い。いじめられたから、二度と普通学校に行きたくないという子も多い。
特別支援学校の高校で、初めての集団に入り、とまどっている子どもが多い。そこでも、「いつから特別支援学級に入ったのかと、」周りの子ども達に聞き、一度の特別支援学級に入らなかった子は自慢している。友達との関わり方も遊びの延長が暴力に替わったり、いじめとの区別もできなくなっている。また自分の居場所は特別支援学校ではない、たまたま小学校のときにかけ算が出来なかったから、療育手帳を取得させられたと、自分の障害がなかなか受け入れることができていない子どもも多い。また、定時制高校を選んで合格した人の名かにも発達障害の方が多く、ひらがなからの学習をしている高校もある。毎日の反復学習で積み重なる部分もあるけれど、そうでない場合もある。
療育手帳保持者が、今増えている印象もある。特別支援学校の高校の定員は増えていて、高校が足りなくなっている。
どんな子どもも将来社会に入って自律・自立して生きていけるように、その子どもが得意なことを見つけて、伸ばしていける環境を作りたい。また、「基本的な読み書き」歩いていて看板が読めたり、生活をしていく上で困らないよう時間をかけて学べる場所があればと願う。集団との関わりももっと幼少の時に学べる環境が必要だと想う。小さいときに、けんかしたり我慢したり、協力しあって仲間とのつながりを繰り返して友達ができれば、そのままずっと一緒に歩むことができればと願う。少しでも生きづらい高校生が減るように、もっと生きやすい社会を目指して、何をすればいいかを考えて生きたい。(宮城 弥生)
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