ワーカーズ554号  2016/2/15   号案内へ戻る

 安倍首相 また出た〝毛針〟約束 人気取りと攪乱策の『同一労働同一賃金』

 安倍首相の口から、またまたやる気もない〝毛針〟発言が出た。〝均衡待遇〟にこだわってこれまでかたくなに拒絶してきた〝均等待遇〟の実現をめざすというのだ。

 かすかな希望を抱くとすれば、それは大間違い。本来の同一労働同一賃金などはなからやる気はないのだ。

 同一労働同一賃金は私たち労働者にとって歴史的悲願だ。それを実現するためには、社会保障やライフスタイル観も含めて、気が遠くなる様な長期にわたる闘い抜きには不可能だ。そうした課題を担うのは、私たち労働者自身の歴史的な共同事業なのであって、政治や法律から舞い降りてくるものではない。

 安倍首相が同一労働=同一賃金を掲げたからといって、私たちは期待も出来ないし、安倍首相も本気でやろうなどとは思ってもいない。単に目先の思惑だけの撒き餌でしかないのだ。

 安倍首相はこれまでも労働法制については、財界・企業の主張に沿った政策を取り入れてきた。派遣労働の拡大や残業代ゼロ、解雇の金銭解決などだ。それがなぜ企業が反対する同一労働同一賃金の導入なのだろうか。

 まず選挙を意識した人気取りだ。何が何でも衆参で3分の2の議席を取りたい首相にしてみれば、実現する気がなくとも格差社会の拡がりを改善するかもしれないスローガンは、支持を呼び込むとでも考えたのだろう。

 次は、対抗勢力つぶし。均等待遇を主張している民主党と同じような政策をぶち上げることで争点を煙に巻きたいとでも考えたのだろう。安倍首相の導入発言は、夏の参院選挙対策としての域を一歩も出ていない。

 次は、民主党を支持する連合との提携にくさびを打つことだ。連合はこちらも表向きは均等待遇を否定していない。が、実情は正社員でつくる企業内組合の多くは、実際には均等待遇に冷淡だ。中には非正規の低賃金があるおかげで自分たちの相対的に高い賃金が維持されていると考えている人も多い。非正規を踏み台にすることで自分たちの狭い利益にしがみつくそうした身勝手な〝本音〟はおおっぴらに表明できないが、それでも職場レベルでは根強いものがある。安倍首相は〝建前の民主党〟と〝連合の本音〟というねじれに手を突っ込むことによって、民主党と連合の関係に軋轢を持ち込もうとしているともいえる。いはば、原発をめぐる構図と同じだ。

 安倍首相の口から出た同一労働同一賃金。表向きは労働者の歴史的な悲願と重なっているかに見える。が、現実は単なる口から出任せ、人気取りと攪乱を狙った〝毛針〟の一つに過ぎない。私たちとしては、正真正銘の同一労働-同一賃金の旗を掲げて闘い抜く以外にない。(廣)


 同一労働同一賃金 めざすは連帯的賃金制度

◆均等待遇?

 安倍首相は1月22日の所信表明演説で、非正規社員の待遇を改善するために〝同一労働同一賃金〟の実現に踏み込む」と明言し、あわせてこの春に策定する「ニッポン1億総括役プラン」に盛り込むと表明した。

 単純に安倍発言を信用するとすれば、私も大賛成だ。だがまてよ。安倍首相が言っていることは、私たちも賛成する同一労働同一賃金への道と同じなのだろうか。ちょっと考えてみる必要がある。

 言うまでもなく、同一労働同一賃金とは、同じ仕事=職種に従事しているのであれば、誰でも同じ賃金を受け取れる制度のことだ。同等に評価される違った職種についても含めて同一〝価値〟労働同一賃金という概念もあるが、基本は同じである。

 今さらいうまでもないが、この数十年、非正規労働者が爆発的に増えるにしたがって、賃金格差は複雑さを増しながら大きくなってきた。今では同じような働き方をしていても、正社員と派遣やパートなど、月給で半分から3分の1,年収レベルで3分の1から5分の1ぐらいの格差が拡がっている。安倍首相は、こうした格差を解消する方法として、同一労働同一賃金の導入を検討するというわけだ。

 安倍首相は、賃金格差の改善について、これまでは〝均衡〟待遇を主張してきた。〝均衡〟待遇とは、正社員と非正規などの格差が、それなりに理屈があれば一定程度許される、というものだ。要するに正社員と非正規で一定の格差があっても、それが責任の度合いなどをふまえたバランスが取れていれば許される、という考え方で、要は差別賃金を容認する考え方なのだ。

 現に、差別賃金を導入して拡げてきた企業は、雇用形態を何種類にも細分化し、その相互に賃金格差を付けることで総額人件費を抑えてきた。その口実として、転勤や時間外労働の可否や職種の違いを持ち出しながら格差を正当化してきた。安倍首相が言ってきた〝均衡〟待遇は、そうした企業の言い分とまったく同じだったのだ。

 それなのに今後は〝均等〟待遇の実現をめざす、と踏み込んだわけだが、実際はどうなのだろう。2月5日におこなわれた予算委員会での首相発言は、次の様なものだ。

 〝均等〟待遇とは,仕事の内容や経験、責任、人材活用の仕組みなどの諸要素が同じであれば、同一の待遇を保証することだ。」「今まで進めてきた均衡待遇とは、仕事の内容や経験、責任、人材活用の仕組みなどの諸要素にかんがみ、バランスの取れた待遇を保障することだ。」また「時間ではなく成果で評価をしていく。」とも発言している。

 これだけでははっきりしないが、「仕事の内容や経験、責任」もいろんな格付けが可能であり、それに人材活用の仕組みも加えれば、企業にとって賃金格差などなんとでも説明できる代物になってしまう。安倍首相がどこまで同一労働同一賃金に踏み込もうとしているか、これだけ見ても底が知れているというべきだろう。

◆職能給の年功的運用

 日本の賃金制度は、一夜にして成立したわけではない。戦後長く続く賃金をめぐる労使のせめぎ合いのなかで、経営者側に押し切られる形で形成されてきたものだ。その流れをざっと見てみる。

 戦争直後は混乱期で、労働者は食べていくのに精一杯で、賃金もそのための生活給としての性格が強かった。加えて、現実の低賃金を納得させるために将来における賃金上昇、すなわち年功型の賃金制度が経営者側の主導で採用された。

 生活給・年功給の時代の次は、高度成長の前半期に労使間で峻烈な攻防があり、使用者側が押し切る形で職務給や能力給が広く導入された。いわゆる能力給・職能給などだ。この時代まではまだ年功的要素も大きな比重を占めていたが、80年代からの低成長時代に入るとともにしだいに属人給的な性格を強め、成果給や役割給、それに究極の査定賃金としての年俸制などが導入されてきた。

 とはいっても、労働者も生活できなくては継続的な制度にならないので、実際の運用は年功的な性格も色濃く残したものだった。いはば〝職能給の年功的運用〟といった性格のもので、要は能力だとか成果だと屁理屈を付けながら、経営者が好きかってに査定してきたのだ。今では組合側は賃金制度に関して経営側と対峙するような体系的なプランは、なにも持ち合わせていないのが実情なのだ。

 現行の賃金制度は複雑怪奇。ただ正社員の賃金は形の上では職能給、成果給が中心だ。しかし、年功給部分も実質的に残されている。とはいっても属人的には能力や成果の評価次第で大きな格差が出る。ただ、個別の年齢層では、ある程度生活が出来るだけのゾーンに収まる様な賃金制度になっている。それにパート・アルバイトなど非正規労働者の低額な時間給が併存しているというわけだ。

◆連帯型賃金制度

 ここで賃金制度について、ちょっとおさらいをしておきたい。

 賃金制度を大きく分けると、二つに分かれる。一方は、職種をランク付けする仕事給だ。職務給,仕事給,職種給がこれにあたる。これに対し、人間を、個々の労働者をランク付けするのが属人給だ。年功(年齢)給、能力給、成果給,年俸制などだ。

 職能給、成果給の特徴は,賃金が職種や職務によって格付けされるのではなく、あくまで属人的に、個々の労働者を格付けするものになっている。いわゆる属人給で、経営者が個々の労働者を査定などで格付けするものだ。当然のことながら、労働者の企業・会社への従属は強化される。日本の企業戦士、過労死などの温床となっている全人格的な労働者支配の土台となるものだった。

 企業は、様々な方式の賃金体系を持っているが、多くが企業の恣意的な判断によって賃金が決められている。そもそも職能給(職務遂行能力)にしても、個々人の能力を正確に計量する基準など無いからだ。だから企業が好き勝手に個々の労働者の賃金を決めているのが実情なのだ。

 とはいっても、昔からそうなのではない。現行の職能給などは,歴史的に企業。経営者側によって導入されてきた経緯があるからだ。戦後復興期の横断賃率をめぐる攻防などがその代表だが、最近の例では経団連(当時は日経連)がつくった1995年の『新時代の日本的経営』がある。それまでは正社員中心の雇用形態が当然だったものを、いわゆる中核社員と専門技能社員、それに定型的な単純労働の三類型に分け、それぞれ長期雇用の成果給正社員、専門職としての定額賃金の期間限定社員、それに単純労働の時間給の非正規労働者、この三つに類型化し、全体では非正規労働者を増やしていく、という提言だった。

 それ以前はというと、パート・アルバイトなどは数も少ないうえ、家計責任を負わないママさんパートや学生バイトが多く、賃金の格差構造はそれほど大きな問題とはならなかった。日経連の提言はそれを大きく転換し、正社員の多くを非正規に置き換えていく、という宣言でもあった。

 実際、日経連のこの提言を転機として、日本中に派遣や期間限定など、非正規労働者が爆発的に増加した。こうした経緯を考えれば、現行の職能給の姿をした年功給と非正規の時間給をひっくるめて同一労働同一賃金に切り替えていくには、気が遠くなる様な努力と闘いが必要なのだ。

 同一労働同一賃金は、属人給とは性格がまったく違う。人ではなく仕事を格付けするもので、いわゆる仕事給・職種給だ。労働者や労働組合は、個々の企業の壁を越えて企業横断的に集団として使用者側と交渉して、それぞれの仕事・職種をランク付けする。だからその格付けは個々の企業や労働者個人の問題ではなくて、企業横断的な産業レベルでの集団的なランク付けだ。個々の企業・会社は、自分の会社の1人1人を格付けすることは出来ない。査定などで個々の企業に従属させることがそれだけ難しくなる。だから仕事給──同一労働同一賃金は、個別企業の壁を越えた企業横断的な連帯的賃金制度とも呼ばれてきたのだ。仕事内容が同じなら、どの企業で働いていても同じ賃金を受け取れるということは、賃上げでも労働者は企業の壁を越えて同一歩調を取れるし、個別組合や労働者個々人が仲違いする要素が少ない賃金形態なのだ。日本の様な労使運命共同体など成り立たない。それを知っている企業=経営者は頑強の抵抗してきたし、今でもそうだ。この賃金形態をめぐる闘いは、雇用での正規・非正規をめぐる労使間の闘いなどと合わせ、処遇の均等待遇をめぐる産業レベルでの労使の一大係争テーマなのだ。時の首相のひとことなどで動く様な代物ではない。

◆困惑とはた迷惑?経団連と連合

 同一労働=同一賃金では、人をランク付けするわけではないが、それでも仕事・職種をランク付けすることで、間接的に労働者をランク付けすることになる。同一価値労働=同一賃金にしても同じである。職種の価値判断には客観的な指標に加えてどうしても主観的な指標が入るためだ。

 そのランク付けは、欧米では産業別の労使が交渉で決めてきた長い歴史的な経緯がある。当然企業の言い分と労働者側の言い分が対立することも多い。が、それ以上に難しいのは、職種のランク付けをめぐる産業間や企業内での労働者側内部の調整であり、労働者どうしで納得がいくランク付けが出来るかどうかが大きな問題となってきた。

 西欧では資本主義の二百数十年にわたる悲惨な労働者の状態や経験を土台にして闘い取られてきた同一労働同一賃金制度。日本の場合、結局は労働者側の合意形成が出来ないまま、企業の能力給への大きな力に対抗することが出来ないまま押し切られていった、というのが歴史的な経緯だ。

 そういう曰く付きの同一労働同一賃金。裏切られた(?)形になった経団連は、困惑しながらもさっそく反撥している。経団連の副会長は、「日本は欧米と労働風土が違う。同じ仕事だから同じ賃金、とはいかない。」(2月6日朝日)とさっそく否定し、独り歩きしない様に牽制している。

 では労働組合の連合は歓迎しているのか。幹部は「企業が合理的に説明できない場合、同じ仕事なら同じ賃金、待遇にすべきだ。」(2月6日同)と言うが、歯切れは悪い。この「企業が合理的に説明できない場合」というのは、安倍首相も条件にあげる「仕事の内容や経験、責任、人材活用の仕組みなどの諸要素が同じであれば」という条件と同じではないだろうか。そうであれば、これまでも企業が現行の差別賃金をそうした条件で説明してきていた実態を、何も変えられない。あるいはたして二で割るように、正社員の賃金が引き下げられることを警戒しているのだろうか。いずれにしても闘いとは無縁の連合にとって、はた迷惑と感じるのも無理からぬ所ではある。

 安倍首相がいくら明言しても、現実の差別賃金は変わりようがない。ただそれが経団連の様に〝日本の労働風土〟だと、なにか自然現象のように言うのは全くの事実のねじ曲げなのだ。現実は、戦後の混乱期からの脱却に際して、労働組合の力が強くなる同一労働同一賃金の導入に頑迷に反対し、企業・経営者に都合がよい賃金制度を強引に導入してきた経緯を隠しているからだ。連合もそれに同調してきた御用組合の系譜を引き継いでいる。いはば、現行の差別賃金に象徴される〝日本の労働風土〟に、両者は共犯関係にあるのだ。

 安倍首相の口から出た同一労働同一賃金。実際は単なる口から出任せ、毛針の一つに過ぎない。私たちは正面から同一労働同一賃金の旗を掲げて闘い抜く以外にない。(廣)


 「エイジの沖縄通信」(NO.23)・・・高江オスプレイパッド建設阻止の闘い

★はじめに

 辺野古では、新基地建設をめぐって安倍政権と沖縄が激しい闘いを繰りひろげている。もはや、個別の反対運動レベルではない。まさに沖縄県民は、過去と未来をかけた命がけの「島ぐるみ」闘争を展開している。

 沖縄では、この辺野古の闘いと共に、もう一つの基地建設阻止闘争が続いている。それは、東村高江のオスプレイパッド建設阻止の闘いである。

1.高江のオスプレイパッドとは

 那覇空港から高速道路に入り名護の辺野古に向かう。その辺野古から北へさらに車で約1時間。高江バス停(共同売店前)に着く。そこから県道70号線をさらに北上していくと、米軍海兵隊の「ジャングル戦闘訓練センター」(通称「北部訓練場」)のゲートに到着する。ゲート前には「ここから無断で立ち入ることはできません。違反者は日本国の法律に依って罰せられます。在沖海兵隊」の看板が見える。通行人に「近づくな」とのメッセージと共に、監視所から米軍に雇われた警備員が鋭い視線を発する。

 この「北部訓練場」(面積7800ha)はジャングルでの戦闘訓練を目的に、1957年に使用が始まり、その3年後に始まったベトナム戦争でのゲリラ戦の訓練が行われた。

高江の闘いの始まりは、日米政府が1996年に合意したSACO最終報告だった。普天間飛行場など10箇所あまりの米軍基地の返還が約束されたが、北部訓練場については、主に北側半分(3987ha)が返還されることになった。ところが交換条件がついていた。「北部訓練場には米軍ヘリが訓練をする22のヘリポートがあるが、今度の合意でそのうち7つのヘリポートが返還され、新たに6つを新設する」と言う交換条件がついた。

 写真を見てほしいが、「やんばる三村」と言われる国頭村(くぎがみそん)、大宜味村(おおぎみそん)、東村(ひがしそん)がある。北部訓練場はそのうち、国頭村と東村にまたがり、その東村にある部落が「高江(たかえ)」である。ヤンバルクイナの住む森に囲まれた約150人の小さな集落だ。

 新設のヘリポート(地区と書いてある)は、左から時計回りで、N-4の2地区、N-1の2地区、そして、H地区とG地区の6か所である。400メートルほどしか離れていない高江の集落をグルリと取り囲むように予定されている。

2.国(沖縄防衛局)の「オスプレイ隠し」と「スラップ訴訟」!

 実は、この合意の背景には新機種「オスプレイ」の配備があった。

 反対する高江住民は、「ヘリパッドの工事ではなく、オスプレイが使うからオスプレイパッドの建設でしょ」と沖縄防衛局に何度も迫った。ところが、沖縄防衛局は「詳しいことは聞いていない」とごまかし、オスプレイ配備を明言しなかった。

 2007年7月2日、住民の声を無視するかたちで沖縄防衛局は強行に工事を開始した。まさに辺野古と同じやり方である。

 住民は「ヘリパッドいらない住民の会」を結成し、この日から工事現場で座り込み抗議行動を開始した。

 2008年11月には、国(沖縄防衛局)は座り込みで工事を妨害しているとして、通行妨害禁止の「仮処分」を那覇地裁に申し立てた。高江の住民15名が訴えられたが、中には一度も現場にいたことのない子どもまでも含まれていた。(後日子どもだけは却下されたが)

 2009年12月、那覇地裁が出した決定は、座り込みなどの表現活動の正当性を認めた。しかし、訴えられた14名のうち共同代表2名だけに通行妨害禁止の申し立てが認められてしまった。この決定に住民側は納得できず不服申し立てをしたところ、国は2名を訴え本裁判となった。(2名のうち1名だけ通行妨害があったとの不当判決を受ける)

 国は話し合いをすることよりも司法の力で住民を排除し、工事を進めようとした。このような裁判は、国による「SLAPP(スラップ)訴訟」と呼ばれている。

 大きな力を持つ国や企業が弱い立場の市民を威圧し、萎縮させることを狙って起こす訴訟のことを「スラッブ訴訟」と言う。アメリカ等では法律で禁じられているが、日本では今はまだこの「スラップ訴訟」を防ぐ手立てはない。

 この高江住民の闘いと国(沖縄防衛局)のこのような理不尽な妨害行為を全国に訴えたのが、三上智恵監督の映画「標的の村」であった。映画の反響はものすごく、「辺野古の事は知っていたが、高江の事は知らなかった」と、全国から支援者がぞくぞくと高江に来るようになった。

3.座り込み住民を排除する卑劣な画策ともう一つの「裁判」

 この間の工事で、N-4の2か所のオスプレイパッドは完成してしまった。ここは、前のヘリパッド基地で、オスプレイが離発着できるように直径75mの円形に改造工事されたパッドである。

 沖縄防衛局は現在、まったく新しいオスプレイパッドをN-1に2か所とH地区とG地区の計4か所の建設をめざしている。

 この4か所のオスプレイパッド工事を阻止するために、高江住民らは毎日24時間体制(夜は寝泊まり当番を置く)で各ゲート前に車などを置いて監視・座り込み行動を続けている。

 ところが今回沖縄防衛局は、この座り込みを強制排除するために住民らが座り込んでいる県道70号線の路肩部分を、現在の日米地位協定の日米共同使用地から米軍の専用区域に戻す準備を進めている。当然、米軍の専用地域になり黄色ラインの中に入れば刑特法違反で逮捕される。こうした方法で住民を排除し、ヘリパッド工事を強行しようとしている。

 この動きを知ったKさんは、資料集めのために公文書公開請求を起こした。それが、さらに裁判に発展してしまった。その間の事をKさんは次のように述べている。

 「私は、こうした動きを阻止するための資料を集めようと、県道70号線が日米共同使用地になった際の覚書等を県に公文書公開請求をした。県は開示決定をしたが、驚いたことに国が県の開示決定の取消を求める裁判を起こした。日米合同委員会に関する文書は絶対に公開させないというのだ。そのため、国が沖縄県を訴えるというきわめて異例な裁判となり注目を集めている。私は、公開請求をした当事者としてこの裁判に訴訟参加を申し立て、第1回の口頭弁論で認められた。法廷では、県の代理人らと一緒に座って国と対峙している。前仲井真県政時代なら想像もできなかったことだ。」

 2月9日(火)午後3時半より那覇地裁101法廷で、北部訓練場情報公開訴訟の第4回口頭弁論が開かれたが、その時の様子をKさんは次のように報告している。

 「今日も傍聴者が多く、傍聴券の抽選が行われた。原告席には、今日も原告国(代表者法務大臣)の代理人がぎっしりと座っている。県が、県道70号線の使用条件を記した文書の開示決定したことに対して、国が県を訴え、毎回、これだけの大勢の訟務官を裁判所に動員する。いったい何事かと思うが、「米国政府との信頼関係」(国の訴状より)ばかり気にして、日米合同委員会の文書はどんなものでもマル秘だという政府の強い意志を示しているのだろう。」

 沖縄本島北部の豊かな森に囲まれたこの地域は、昔より「やんばる」(山原)と呼ばれてきた。高江はその「やんばる」の中にある部落である。

 「やんばる」の森には地球上でここだけにしかいない「ヤンバルクイナ」「ノグチゲラ」などの固有種や絶滅危惧種が数多く生息している。日本全体の0.1%にも満たない「やんばる」に1000種以上の高等植物や5000種以上の動物が暮らしている。国際自然保護連合(IUCN)が保護を求めるほど世界的な貴重な生物多様性の宝庫となっている。

 辺野古の大浦湾も多彩なサンゴやジュゴンが生息する貴重な宝の海である。日本政府(安倍政権)は、沖縄の宝である「辺野古の海」と「やんばるの森」を破壊して、そこに軍隊の基地を作ろうとしている。

 絶対にそうさせてはならないと、高江でも毎日の監視・座り込み抗議行動が粘り強く続いている。この闘いも9年目を迎えている。(富田 英司)


 マイナンバーの狙い!

 言うまでもなく、共通番号制の目的は生涯不変の12桁の番号ですべての居住者を国家管理しようというものである。そのためには、個人番号を記載させること、個人番号カードを携帯させることが不可欠であり、そうさせるためには強制性と利便性が欠かせない。

 一見、強制性と利便性は無関係のようであるが、住基ネットにおいては11桁の番号はおそらく誰も知らないし、住基カードも取得の利便性はなかった。年金の手続きで住基番号のかわりに住民票を求められ、写真付きの身分証として住基カードは奨励されたが、12年余で710万枚の交付に終わった。

 その轍を踏まないために、個人番号カードを持たざるを得ないようにしむけることが新制度を定着させる条件となっている。一方で、個人番号カードの交付申請は任意であり、付け加えれば12桁の番号記載も強制されないことになっている。それではどのようにして強制力を働かせるのか。

 もっとも簡単な方法としては、国家公務員の身分証として個人番号カードを使用することであり、自治体も民間もこれを見習えとなる。すでに、職場では通知カードと免許証等の写真のある身分証明のコピーを提出することが求められている。もちろん、これを拒否することもできるが、就業規則で提出を義務付けられる可能性もある。

 あらゆる場面で、こうした事実上の番号記載強制が進んでいる。共通番号制導入を主導してきた人物、向井治紀審議官(内閣官房内閣審議官・社会保障改革担当室担当)は今後の課題について次のように述べている。

 マイナンバーは、行政事務の効率化の観点からも住民サービスの向上の観点からも、非常に重要な制度です。このためマイナンバーの利用できる範囲については、2015年の通常国会での改正に続いて、例えば、戸籍事務、旅券事務等でも利用できるように順次拡大を進めていきます。また、個人番号カードについても、国民のだれもが無料で持てる身分証明書であり、かつ、電子認証の仕組みも備えており、無限の可能性を秘めたとても便利なカードですので、国家公務員身分証との一体化を始めとして、各職員証や民間企業の社員証等、またクレジットカードとしての利用に向けて、検討を進めていきます。 *「ジュリスト」(2016年2月・座談会『個人情報保護法・マイナンバー法改正の意義と課題』)

 何ともあけすけな物言いだが、クレジットカードとしての利用などは民間活用としてすでに構想されているのだろう。同誌では、法改正について「今回の改正はあくまでも既存の社会保障・税・災害分野における利用範囲の拡大であり・・・」「銀行等に対してマイナンバーによる検索可能な状態で管理することを義務付けた。ただし、預貯金者については、銀行等に対してマイナンバーを告知することに関する義務は課されていない」と説明している。

 実に奇妙な説明だが、個人番号を記載する義務は課していないとしつつ、実質的には義務付ける仕組みで縛っている。実に汚いやり方だが、この国の官僚の常套手段というべきか。番号記載(カードの所持)を民・民の争い(といっても、彼我の力関係を考えると争いにもならない)にすり替え、官僚は高みの見物というつもりだろう。

 2月5日、高市早苗総務相は共同通信のインタビューで次のように答えている。「番号カードの活用場面は広くなり、今後は生活に欠かせなくなると考えている。メリットを周知していく」(2月6日「神戸新聞」)。これは、個人番号カードの民間活用開始に際しての見解だが、「個人番号カードには税や年金に関する情報などは一切記録されない。セキュリティー対策を施しており、たとえ紛失しても悪用は困難な仕込となっている」とも答えている。

 高市氏も〝悪用は困難〟と言い、悪用の可能性を否定することはできないようだ。しかし、〝生活に欠かせない〟となると、常時持ち歩くことも想定されるわけだ。静岡県警によると、昨年末までの2か月弱で通知カードの遺失、拾得届が66件あり、そのうち「遺失届は123件で、このうち自己発見が16件、第3者に拾われ返還されたのが9件、調査中が98件」(2月5日「静岡新聞」)ということだ。

 すでに約790万件の申請があるようだが、今後、個人番号カードを持ち歩く人がふえるとどうなるか、想像がつくというものだ。対抗的スローガンは番号は書かない!、カードは持たない!、これで頑張ろう。 (折口晴夫)  


 色鉛筆・・・便利なものにはご注意を!

携帯電話を持っていないと言えば,大概の場合、どうして? という顔をされます。こんな便利なものをなぜ必要としないのか? 携帯電話一つで何役もこなすとあれば、持たないことが信じられない、様子です。私が持たない理由は、電話から出る電磁波の影響が怖いからです。脳へ近距離で受ける被害は、脳障害を起こしどんな症状になるか、まだはっきりしないまま、利用者は試験的に使わされている状態なのです。そのことを知ったうえで使用するならば、電話をひかえメールを利用するなど工夫が出来るかもしれません。

 そんな私も、パソコンは使用していますが、画面を見ている時間が長いと目が疲れます。だからパソコンの利用は、ワーカーズの原稿担当で文章を作る時や地域のピースネットの宣伝にビラを作ったりなど、本当に限られたものです。今回、ワーカーズでブログを広め、色んな層の人たちとの交流を作っていくため、会員全員でブログに参加することになりました。私は、ネット社会に疎く、顔の見える関係、声の聞ける関係が安心する、いわゆる昔人間なのだと思います。ブログ、フェースブック
、ライン、など色んな発信手段がありますが、自分から積極的にやったこともありません。これからは、ワーカーズのブログに日常で感じた思い・疑問など書き込んで行きたいと思います。読者の皆さんも覘いて見てください。

 そして、昨年12月に届いたマイナンバーの通知番号。もう、すでにカード申請が始まりカードを持つ人も出てきています。政府広報や市政ニュースでも、便利になると強調し、リスク面については触れず、情報は洩れないようにチェックを厳重にしていくと、市民を平気で騙しています。しかも、まるでカードを持つことが義務であるような風潮を作り、職場でも通知番号を申し出ることが当然のようで従わざるをえない、と聞きます。番号はいらない! カードは作らない! を合い言葉に、管理されることに抵抗しましょう。自分の情報は自分で守る、そのためにも正しい選択を。(恵)


 日銀"マイナス金利"から読み解く現代資本主義

長期にわたるマイナス金利(低金利一般)が示すものは、資本主義の目的である利潤が極限まで低下し、この経済が仮死状態に陥っているということだ。

◆金利はなぜ変化するのかという基本を考えよう

 今回の措置のように日銀が当座預金金利を決めるといっても、それは外観だけのことで経済の実態の反映なのだ。
短期的に金利は、市場の刻々の需給関係により支配されている。しかし、中期的に観察すればそれは景気循環=景気の低迷あるいは上昇によって変動してゆくことが分かるだろう。

一般的には景気が低迷すれば物価が下降し、金利も低迷する。これがいわゆる「デフレ」だ。今の日本にはこんな景気循環すら明確ではないが、そのことはここでは触れないとしよう。話を戻すが、景気が上昇に転ずれば、商品物価も賃金もそして金利も黙っていても上昇する。理由は明白で、各企業が設備や人員の拡大を目指し銀行から融資をとるためだ。資金需要が活発になるから金利は上がるのだ。

 さらに重要なことは、長期的には金利は低下してゆく、ということだ。これは水野和夫氏『 資本主義の終焉と歴史の危機 』(2014/3)が論じて近年注目を集めた。しかし、長期的な金利の低下は今に始まったものではない。十八、十九世紀でも知られていた。アダムスミスもそれを論じている。
 それを労働価値説の立場から系統的に解明したのがマルクスであり、「利潤率の傾向的低落」の法則なのだ。マルクスが『資本論』第3巻第3編で論じた。ネットで解説も読める。

◆金利の変動は資本主義経済の"鼓動"のようなもの

水野氏の話を少し聞こう。
一九九七年までの資本主義の歴史の中で「もつとも国債利回りが低かったのは、17世紀初頭のイタリア・ジェノバです」「日本の国債利回りは四〇〇年ぶりにそのジェノバの記録を更新し、二・〇%以下という超低金利が(一九九七年以来)二〇年近く続いています。」「なぜ、利子率の低下がそれほどまでに重大事件なのかと言えば、金利はすなわち、資本の利潤と同じだと言えるからです。・・利潤率が極端に低いということは、すでに資本主義が資本主義として機能していないという兆候です。(=利子率革命)」「利子率=利潤率が二%を下回れば、資本側が得るものはほぼゼロです。」(前掲書)

長期金利低下は傾向的低下を示す

しかし二点付け加えよう。一つは十年債の金利ですら2%どころか現在はさらに低下し「長期金利の指標となる満期10年の新発国債の流通利回りが前週末の終値より一時0・045%幅下がり、過去最低の年0・050%をつけた。」(朝日デジタル2/1)。二月九日にはとうとうマイナス金利が十年国債についた。これは日本資本主義の低迷と、黒田氏の異次元大緩和政策のなせる業である。(グラフ参照)

ではどうして金利は長期的に下降するのか?
これを労働価値説から解明したのがマルクスだ。(水野氏にはこの視点はない。)
金利の原資である利潤は、生産的労働からのみ発生する。マルクスは資本主義経済の発展は、企業同士の激しい競争があり、効率化や合理化の連続となる。結局労働者を増やさず(むしろ減らして)、効率的な機械やシステムの導入に走る他はない。こうして総資本の中で「機械設備等=不変資本(剰余価値・利潤を生まない)」が「労働者=可変資本(剰余価値・利潤を生む)」の増大よりも一層速く増大する、ということだ。これを「資本の有機的構成の高度化」とマルクスは言っている。

資本という分母の増大が剰余価値=利潤の増大を上回るのだから、利潤率(利子率)は少しずつ下がるほかはない。そして同じ理屈は、産業分野の不均等な拡大でより大規模に生じている。

ざくっとした話だが、「金融・サービス産業」と「鉱工業・農業」を比較する。そうすればとりわけ先進国では近年前者の資本集積が進んでいることは周知のことだろう。さらに金融分野にひきつけられ投下されている資本は信用制度をテコとして幾何級数的に伸長している。今では実体経済の数倍から10倍程度の規模だといわれている。そこで売買される「資産」、つまり株やら国債やら社債やらまたまたミックスされた「金融商品」はそれぞれの「利子」「利回り」「配当」を産み落とすことになっている。

しかし、そこが問題だ。打ち出の小づちなど無い。もともと付け加えられる富=剰余価値・利潤の発生源は生産的労働のみなのだ。富の源泉が限られているのに、債券類や金融商品市場ばかりが成長すればそれぞれの企業の利潤率が低下ししたがって金融資産の「配当」「利回り」が低下するのは理の必然というものである。

つまり、経済の金融化は、それが急速であればあるほど利潤率は低下し、同時に配当や利回り、利子類が低下するのだ。EUや日本は実体経済が振るわず今では利潤を産み落とす投資先も限られ、したがってゼロ金利状態だ。資本主義の命脈はますます弱まっているということだ。弱々しくぴくぴくしていると表現するほかはない。

◆マイナス金利のマイナス効果

では今回のマイナス金利政策の行方を見てみよう。
マイナス金利導入は16日からだが、1日の東京債券市場では、今後、国債の利回りが低下(価格は上昇)すると見込んだ投資家が国債を買い進めた。長期金利の指標となる満期10年の新発国債の流通利回りが前週末の終値より一時0・045%幅下がり、過去最低の年0・050%をつけた。(朝日デジタル)さらにG7諸国で初めてのマイナス金利を記録した。かくして超低金利が急速に広がっている。

さらに、量的緩和と齟齬が生じる恐れもあるという指摘も。日銀は大量の国債を民間金融機関から買い入れているが、金融機関にしてみれば、国債を日銀に売って当座預金にマイナス金利で積むインセンティブはどこにもない。その結果、日銀の国債買い入れが困難になる可能性もある。(ダイヤモンドオンライン2月8日)

ところが問題は、銀行所有の国債が日銀に還流しないというばかりでなく、国債の市中消化に障害が発生しうる。財務省は、個人が購入できる国債のうち、3月に発行を予定していた10年物の新型窓口販売国債(新型窓販)の募集を初めて中止すると発表した。手数料などを踏まえて価格設定すると新型窓販の利回りがマイナスになる見通しで、買い手が見込めないと財務相が判断したためだ。同じ方式の満期二年、五年の国債はすでに募集を中止しており、これで新型窓販の募集はすべて中止となる。これは異常事態だ。

金利低下は国債を毎年大量に発行している国家(財務相)にとっては好都合のはず。ところがそう簡単ではないようだ。超低金利化した国債が売れる見込みが厳しくなる可能性が出てきた。他方、日銀は年間八十兆円も国債を市中から買い上げるのだが、低金利やマイナス国債は価格とすれば「高額」ということになる。もしその後金利が少しでも上昇すれば(国債が安くなる)日銀の含み損の発生となる。
 こんなふうで「マイナス金利政策」は国民経済の底上げどころか、肝心の信用機関に困惑と動揺が広がっているのが現状だ。国債の流れが滞留すれば財政の自転車操業に狂いが生じる可能性もある。黒田日銀のマイナス金利導入は、世界で進行している信用収縮に拍車をかけるかもしれない。

◆金融機関の危機は欧州からすでに開始された

五年前の「ユーロ危機」の再現だというのは、少しも大げさなものとは思えない。今朝(二月十日)のニュースによれば、その核心はイタリアである。欧州銀行株は年初以来二十五%下落しているが、イタリアは五十%の下げだという。朝六時のNHkBSニュース画像では、すでに倒産した地方銀行の預金者たちが、群衆となってイタリア銀行本店に押しかけている。「財産のすべてを失った!」と激しく怒りをぶつけている。ギリシャやポルトガルでも同様だ。ギリシャでは金利が上昇中だ。

他方では、日本国債は日銀の誘導もあるが、じりじり下がってきている。つまり他の国でも株式市場から撤退した資金は国債市場に流れ込んでいることは明白なのだ。日本の10年債利回りが9日、主要7カ国(G7)で初めてゼロ%を割り込み、マイナス金利を付けている世界各国の国債残高は計6兆ドル(約688兆円)を越えたらしい。JPモルガンによると、利回りがマイナスの国債残高はわずか2カ月前には3兆ドル、1年半前までさかのぼると皆無だった。[ロンドン 2月9日 ロイターによる]

このように金融資本や投資家の資金は「国債へ、国債へ」と流れを増しているようだ。

日本の国債利回りは下がる「毎日二月十日」より

しかし、欧州ばかりが信用崩壊の危機にあるというわけではない。本丸は米国だろう。今回の世界的な信用の動揺と収縮が中国から始まったことはご存知の通りだ。しかし、チャイナバブルの単独崩壊ではなく、中国が吸収してきた世界的な過剰生産と過剰信用の崩壊が中国から開始されたということにすぎないのだ。

世界最大の経済規模と金融帝国である米国こそ、再び三度その危機の中心にある。そしてその予兆は日本の国債に世界の資金が流れ込むことに表れていると私は読む。いまや、摩訶不思議なことに欧州からも米国からも日本に資金が流れているらしい。プロの投資家たちは欧州ばかりではなく米国の危機を察知しているのであろう。今日の「ウォールストリートジャーナル」は、これを大いに皮肉っていた。

「これまで長年、日本国債はいつ事故が起きてもおかしくないものと考えられてきた。政府の債務残高は国内総生産(GDP)の2・4倍と主要先進国で群を抜いて高い上、依然増え続けている。国際通貨基金(IMF)は2030年までに2・9倍に達すると予想している。また、日本は1998年にはムーディーズのトリプルA格付けを失い、現在はA1だ」と。
なのになんでまた好き好んで日本国債を買うの?と。 この記者はまだ分かっていないようだ。

ご存知のように日本の金利は米国より低い。長期国債ですらマイナス金利だ。"金利を払ってでも日本国債を買う"というのはシェルター効果=保管料を払っても資産を預ける、というスタンスなのだ。(ゆえに円高が進んでいる。)私にも皮肉を言わせてもらえれば、アベノミクスと黒田バズーカのおかげで、こんなにボロボロの日本経済ですが、投資家たちからみれば世界の中では"安全地帯"らしい。(k&R)


 コラムの窓・・・「ポストモダン」と「プレモダン」

 「イスラム国」(IS)で混迷するシリア内戦と押し寄せる難民。難民受け入れを巡って対応の割れる欧州連合(EU)。これからどうなっていくのか?考えているうち、昨年12月の『日本経済新聞』論説記事を思い出した。「止められるか『近代の逆走』 テロ・中国で揺らぐ世界」(12月7日付)と題する芹川洋一(論説委員長)の記事である。そこでは議論のたたき台に、「クーパー・モデル」として、英国の外交官であるロバート・クーパーの著書『国家の崩壊』の論旨を紹介する。以下は記事からの引用である。

・・その議論を紹介すると、3つに分かれる世界は次のようになる。第1は、権力がばらばらで、国の体をなしていない混沌とした「プレモダン」(前近代)の世界だ。第2は、国民国家による「モダン」(近代)の世界である。安全を保障するものは軍事力と考えられ、そこでは国境線の変更も可能だ。国の主権が何より優先するのも特徴だ。第3は、国の主権より人権、軍事よりも相互信頼が尊重され、国という枠組みを超えていく「ポストモダン」(脱近代)の世界だ。欧州連合(EU)がいちばん進んだ例である。前近代から近代へ、そして脱近代へと世界が進んでいくのが望ましいとの考え方だ。(略)クーパー・モデルは欧州統合を念頭に、21世紀の国家の進むべき方向を示した理想型と言える。(略)しかしクーパー流のポスト近代論は、残念ながらどうにも一本調子では進んでいない。むしろ逆走しているのが現在の姿ではないだろうか。・・・

以上の引用記事には、確かに僕も同感せざるを得ない。近代国家の論理を真正面から否定し、中世イスラム帝国の「カリフ制」復活を主張する「IS」の世界像は「プレモダン」の方向を向いているといえる。

ウクライナに介入しクリミアを強引に併合したロシアや、南シナ海の南沙諸島(スプラトリー諸島)を自国領と主張いし強引に埋め立てや滑走路を建設する中国は、第一次大戦以前の「強い者が勝ち」という「再モダン(近代)」の方向を向いているといわざるをえない。

1989年に冷戦が終結し、EUの経済的・政治的統合の機運のもと、「熟議民主主義」が強調され、新しい時代の到来を予感するオプチミズムが世界を覆った時期が確かにあった。尖閣諸島を含む東シナ海を「友愛の海に」という鳩山元首相の言葉が、決して荒唐無稽な理想論とは受け取られない雰囲気もあった。僕自身も、尖閣諸島の問題は、国家間で争うのではなく、海域の漁業に漁民の生活がかかっている沖縄県、台湾、福建省の自治体が国家の枠を超えて話し合い、漁業資源を共同管理し乱獲を防止し、地球環境を守るモデルケースにするべき、と主張してきた。それは、ドイツとフランスが鉄鉱石と石炭を共同管理することから始まったEUの先例が念頭にあったからだ。

ところが今や、新しい帝国主義や新しい民族主義あるいは宗派主義が、世界各地で台頭している。トルコはオスマン帝国を、イランはペルシャ帝国を、サウジアラビアはアラブ帝国を再興しようとしているかのように、地域覇権国家として周辺国に軍事介入している。しかもそこでは、スンニ派とシーア派の宗派主義が煽られ、覇権国の自己正当化に利用されている。かつてカトリックとプロテスタントの支援を大義名分に、フランスやスウェーデンがドイツの内乱に介入した、中世の悲惨なヨーロッパ戦争を彷彿とさせる。

かつて帝国主義、民族主義が現在よりはるかに大手を振ってまかり通っていた明治日本で、敢然と「帝国主義戦争」に反対した幸徳秋水は「露国と日本国の抑圧された労働者階級が手を結ぶべき」と、喝破した。その頃は、日本の朝鮮への覇権拡大や日韓併合でさえ、「日英同盟」の後押しで列強の間でも正当化されていた時代だった。帝国主義が是とされなくなるのは第一次世界大戦の後であり、植民地主義が否定されるのは第二次世界大戦の後である。それほど、帝国主義や民族主義が当然とされていた時代にプロレタリア国際主義の旗を掲げた幸徳秋水の先見性と勇気を、僕らは誇りに思わずにおれようか?

21世紀の「プレモダン化」「再モダン化」の逆流を覆し、真の「ポストモダン」に向かっていくためには、新しい「労働者の国際連帯」を構築するしかないのではないだろうか?(松本誠也)


 《何でも紹介》加藤哲郎氏著『象徴天皇制の起源 アメリカの心理戦「日本計画」』を今また再読する            平凡社新書 2005年7月刊行(現在品切れ)

日本のネイションとは明治以来の日本ピープルによって「想像された共同体」であり、敗戦後の戦後日本とは、太平洋戦争開戦直後から米国によって構想され設計され提示された「象徴天皇」をステイトの中心に置く「天皇制民主主義」国家である!

 今なぜ明仁天皇が平和のシンボルとして、激戦地のペリリュー島やパラオそしてフィリピンに行くのかの謎を解く鍵が、この著作に書かれています。

 1946年、日本に「民主教育」を植え付けるために訪日したアメリカ教育使節団が皇居を訪れた際、裕仁天皇からの強い要請により家庭教師として米国人でクエーカー教徒のヴァイニング夫人を付けられた明仁皇太子は、4年に渉って徹頭徹尾平和のシンボルとして行動するように躾けられたのです。そしてこの事は裕仁天皇の意思でもありました。

 敗戦国の皇太子に戦勝国の家庭教師を付ける事は、まさに日本が米国の軍門に下った事を何よりも雄弁に語るもので、裕仁天皇自身が「国策」として受け入れた事を示します。

 この著作は、2004年に加藤氏自身がアメリカの国立公文書館で発見した戦略情報局(OSS)の機密文書「日本計画」(最終草稿)についての著作です。

 しかし昨年の安保法案成立に至る安倍政権の状況と、この1年間の明仁天皇の「平和」のシンボル然とした言動との矛盾が大きなものになっている現在、既に私自身が10年ほど前に書評したものの、現在品切れに鑑みてその内容を詳しく書いておく事にしました。

 この「日本計画」の作成は、1942年6月の時点、つまり真珠湾攻撃から僅か6ヶ月後の事でしたが、その時点で既に戦後日本の「象徴天皇」制を構想した驚くべき計画でした。勿論、この結論に至る研究は当然の事ながらその前から行われていました。

 さてここで一寸話を替えます。湾岸戦争の開始日、つまり1991年1月17日、アメリカ軍を中心とする多国籍軍は対イラク軍事作戦である「砂漠の嵐作戦」を開始して、イラクのバクダットおよび各地の防空施設やミサイル基地を大規模に空爆しました。

 その日、多国籍軍は宣戦布告なくイラクへの爆撃(「砂漠の嵐作戦」)を開始したのです。この最初の攻撃は、サウジアラビアから航空機およびミサイルによってイラク領内を直接叩く「左フック戦略」と呼ばれ、当時クウェート方面に軍を集中させていたイラクは出鼻をくじかれ、急遽イラク領内の防衛を固める事になりました。かくの如く敵の中心を直ちに撃破する事は軍事作戦の常道です。

 この時、巡航ミサイルが大活躍し、アメリカ海軍は288基の「トマホーク」巡航ミサイルを使用し、アメリカ空軍はB―52から35基の対地ミサイルを発射しました。

 日本も太平洋戦争では1944年(昭和19年)11月14日以降、東京は実に106回もの空襲を受けました。特に1945年(昭和20年)3月10日、4月13日、4月15日、5月24日未明、5月25日―26日の5回は大規模でした。その中でも「東京大空襲」といった場合、死者数が10万人以上と著しく多い1945年3月10日の空襲(下町空襲)を指します。この3月10日の罹災者は100万人を超えたのです。

 ここで注目すべき事は、開戦以来皇居はこれまで一度たりとも爆撃された事はありません。しかし3月10日、東京駅周辺を絨毯爆撃を開始した米軍が全く意図も想像もしなかった事ですが、東京駅や銀座方面が余りの大火のため、期せずして皇居にも延焼し戦災に遭ってしまったのです。

 では日米開戦当時、何故イラク戦争のように開戦の当初に、皇居に対する激しい爆撃・攻撃がなぜされなかったのでしょうか。正解は、太平洋戦争では一貫して、皇居は爆撃目標から除外されていたからです。なぜならそもそも米軍には開戦当初から敗戦後の日本には天皇利用計画があり、その為に天皇が居住する皇居を爆撃をしようとの意思は、鼻からアメリカにはなかったからです。

 その計画の存在とその狙いを徹底して解明した本が、この著作です。その意味において天皇制は、つまり「国体」は敗戦後占領軍のマッカーサーたちと当時の天皇を始めとする日本側の必死の努力と折衝によって辛うじて「護持」されたのではなく、その内実はアメリカの主体的な決定による「日本計画」により、ただただ利用されたにすぎません。

 その証拠にマッカーサーの軍事秘書官、つまり日米開戦後にフィリピンからオーストラリアのブリスベンまで退却していた南西太平洋軍司令官マッカーサーに請われたボナー・フェラーズは、1943年9月からマッカーサー司令部統合計画本部長に就任、マッカーサーの軍事秘書、PWB=心理作戦本部長として活躍していたのです。

 映画・「終戦のエンペラー」で一躍有名になったフェラーズは日本通として、その映画の中ではマッカーサーの指令により「戦争責任者を特定せよ」との指令を受けて行動し、結果的に天皇を救った人物として描かれております。しかしマッカーサー司令部に赴任する直前まで戦略情報局(OSS)に努めていた事は伏せられていたのです。

 それでは、本書の章別構成を紹介しておきます。
 プロローグ
 第一章 象徴天皇制を巡る情報戦
 第二章 一九四二年六月の米国[日本計画]―最終草稿の発見
 第三章 戦時米国の情報戦体制―戦略情報局(OSS)の調査分析部
 第四章 「敵国日本」の百科全書―真珠湾攻撃時の調査分析部極東局
 第五章 「平和の象徴」天皇観の形成―「日本計画」第一・第二草稿
 第六章 もう一つの源流―情報調整局(COI)の「四二年テーゼ」
 第七章 第三の系譜―英米共同計画アウトライン
 第八章 「日本計画」と「ドラゴン計画」―対中国・朝鮮戦略との連動
 第九章 「日本計画」をめぐるOSS対OWI―マッカーサー書簡の意味
 第十章 「日本計画」と象徴天皇制のその後―心理戦・情報戦は続く
 エピローグ―研究案内を兼ねて

 以上ですが、250ページに満たない小著ながら、その丁寧で全面的な考察に私などは驚かされてしまいます。それでは章ごとに短評をつけてゆきましょう。

 プロローグでは、話の切り出しとして情報「戦争はなお続いている」、そして米国文化が日常生活に深く浸透しているが、その需要の受け皿が「象徴天皇制、天皇制民主主義」だと提起しています。

 第一章では、改憲・論憲・護憲・女性天皇をめぐる情報戦を紹介して、今では天皇制そのものを問う政治的「共和派」ほとんどみられないとした上で、現日本国憲法制定時には当時の日本政府と民主化・非軍事化を強力に推進する占領軍とのせめぎ合いの焦点として天皇制があった事を示しました。そして昭和天皇が一九五三年以降も「米国の駐留が引き続き必要」と発言していた事が米国側資料から明らかになったと続け、「天皇を利用する」米軍戦略文書が発見された事を明らかにしたのです。

 これがCIAの前身である戦略情報局(OSS)の機密文章で「一九四二年六月、情報工作の一環として昭和天皇を『平和のシンボル(象徴)として利用する』計画を立て」いました。同年八月五日付でこの「日本計画」に寄せたマッカーサーメモも見つかりました事も書かれています。

 第二章では、話の切り出しとして当年九月に後の駐日大使・ライシャワーが書いた日米戦争勝利後の「ヒロヒトを中心とした傀儡政権」を紹介し、その構想自体が戦略情報局(OSS)の「日本計画」の影響下にあったとしました。この計画は「ドノヴァン」文書といわれる文書綴りの中の一つで、起草者は陸軍情報部心理戦争課長のソルバート大佐です。

「シンボルとしての天皇利用」の発想は陸軍情報部ではなく、情報調整局(COI)調査分析部(R&A)極東課と思われ、チャールズ・B・ファーズが中心であり、彼には指導教官ケネス・W・コールグローブに影響を受けている。この教官は新渡戸稲造の影響下にありました。新渡戸は「天皇は国民の代表であり、国民統合のシンボル」と発言して、米国に天皇シンボル論を教え込んだ人物です。

「日本計画」には、三種の草稿があり、最終稿では連合軍の軍事戦略を助けるための四つの政策目標と八つの宣伝目的が設定されました。そしてより個別的な一一項目の宣伝目的が設定されたのですが、その最大のものは「天皇を平和のシンボルとして利用する」です。

 つまり日米戦争に導いた日本の軍部と「天皇・皇室を含む」国民との間に楔を打ち込み、「軍事独裁打倒」に力を集中させる方針が確立しました。ここに第一に天皇制存続、第二に戦後日本の繁栄=資本主義再建という、GHQの占領で実現する二本柱の方向が示唆されたのです。

 こうした視点から明治以来のアジア侵略は免罪され、明治天皇は「立憲君主」と美化されて、軍部を排除した後昭和天皇の下での繁栄での自由と繁栄が保証されました。ここで注意されなければならないのは、日本へのある種の畏敬と愛情からその判断が成されたのではなく、戦略的な「天皇の象徴的側面」の利用価値から出たものだという事実です。

 第三章では、今日「情報戦」と呼ばれる国家間の情報的側面をイギリスは「政治戦」、アメリカは「心理戦」と呼んでいた事と、アメリカにおける情報機関の創設と発展の歴史とそれに関わる機密文書の公開・閲覧について述べています。

 第四章では、真珠湾攻撃時の調査分析部極東局の関係文書が膨大で徹底的に敵国の全容解明に迫っていたものである事を述べています。日本の階級分析には、マルクス主義的な階級・階層分析も積極的に取り入れており、『日本資本主義発達史講座』を利用した上での「皇室、貴族、官僚、ビックビジネス、地主、小ビジネス、都市労働者、農民、朝鮮人、エタ」党の社会的身分の分析すら進めていたのです。

 こうした研究から「天皇でも共産主義でも勝利のために利用する」視点が出て来ました。特に日本の国民性分析から「エタ」=被差別部落民や朝鮮人、共産主義者などのマイノリティ利用戦略が考えられていた事は注目に値します。

 第五章では、「日本計画」の第一・第二草稿について書かれています。第一草稿での階級分析と天皇利用については、シンボルとして利用すために政府と普通の民衆との間に分裂を作り出す戦略が策定されたのです。その際、日本の民衆が持つナチスとの同一視には不快感を持つ事も考慮されました。そのため、軍部主導の戦争は日本の長い伝統および立憲君主制からの逸脱だとのプロパガンダが使われる事になったのです。その他、支配者内部のあらゆる対立を促進する事も考慮されました。例えば極端な軍国主義者対ビック・ビジネス、極端な軍国主義者対宮中グループ、陸軍対海軍、陸軍内部の派閥等々です。実に考え抜かれた方針ではないですか。

 第六章では、「日本計画」には情報調整局(COI)の草案もあった事が書かれています。

この計画は英米共同作戦文書の系列にあり、対中国向けの「ドラゴン計画」、対朝鮮向けの「オリビア計画」と一体のものでした。加藤氏は、この計画をコミンテルンの三二テーゼに習って四二テーゼと命名しています。この計画は、日本に「二度と侵略を許さない」ような日本の天皇をシンボルとする「真の代表政府」を作る事を目的としていました。このための方策として、「悪い助言者」が天皇を欺き起こしたとの方便が使われたのです。こうして天皇を誹謗する事攻撃する事は御法度になりました。

 第七章では、「日本計画」には英国政府と軍・情報機関の深い関与がある事が書かれています。両国の間にはインドを挟んで若干の対立があったが、「シンボルとしての天皇利用」の点においては米英共同戦略になったのです。

 第八章では、一九四二年四月二十日、情報調整局(COI)対外情報部(FIS)指令として「皇居への爆撃は避けるべきだ」とし「東京の心臓部に位置する皇居へのいかなる可能なダメージも、話題にしてはならない」と明言されていた事を明らかに致しました。

 その後アメリカで情報調整局(COI)が戦略情報局(OSS)と戦時情報局(OWI)とに二分された事により、「日本計画」完成の主導権争いが起こって参謀本部に送られる事なく、「日本計画」は同年八月に撤回・凍結されて棚上げとなったのです。しかしアジア戦略策定のため、対中国計画(ドラゴン計画)および対朝鮮計画(オリビア計画)が作成される過程で、第四の「日本計画」が浮上し「象徴天皇の利用」こそ明言されなかったものの、「代表制立憲政府への復帰」が戦略目的とされたのです。

 ついでに書いておけば、オリビア計画は朝鮮にはガンジーがいないとされて朝鮮戦争まで温存されました。

 第九章では、米陸軍の「日本計画」と戦略情報局(OSS)の「ドラゴン計画」との衝突が論じられています。戦略情報局(OSS)のドノバァン長官は、参謀本部でも検討していた「ドラゴン計画」の中での「日本計画」とソルバート大佐の「日本計画」(最終草稿)との調整が必要となり、更に研究する事で戦略情報局(OSS)の側近テイラーと合意したのです。

 こうして「日本計画」は根本的に書き換えられたのですが、再度棚上げされます。この間英国との協議も進み、戦時情報局(OWI)内部でも「英米対日心理戦計画アウトライン」の策定に踏み切りました。引き続き「皇居への攻撃は避ける事」とされながら。一九四二年十月十一日、心理戦共同委員会小委員会メモにはマッカーサーからの二通の機密電報が着いています。そこには「心理戦は、プロパガンダと破壊活動その他の手段と組み合わせて使用する戦略の特殊な形態である」との指摘とプロパガンダと破壊活動を結びつけるには「前線における心理戦指令系統が独自に必要だ」とあったのです。

 こうして戦略情報局(OSS)に勤務経験のある象徴天皇制存続に重要な役割を果たすボナー・フェラーズがマッカーサーの下に行く事になったのでした。勿論ボナー・フェラーズは、「ドラゴン計画」も「日本計画」も知悉しています。象徴天皇制の利用は既定です。

 第十章では、これまでの研究成果である全百三十二頁三部構成の「日本に対する心理戦争計画立案のための社会出来・心理的情報概観」の内容が書かれています。

 エピローグでは、従来の日本の研究が米国の国務省外交文書による物が大半を占めている事を俯瞰した後、通説の陥穽となる米国陸・海軍、戦時貿易省、さらには大統領補佐官などの多角的ルートで、中でも戦略情報局(OSS)の「日本計画」が重要視されなければならないと強調しています。

 ジョン・ダワーは、ピューリッツアー賞を受賞した『敗北を抱きしめて』の中で占領軍の天皇政策について、「なかでも最重要の人物は、マッカーサーの軍事秘書官であり、心理戦の責任者でもあったボナー・フェラーズ准将である」と書いてあります。

 続けてダワーは、このボナー・フェラーズが平和主義のクエーカー教徒である事、「終戦のエンペラー」の原作となった『陛下をお救い下さい』を書いた河合道とラフカディオ・ハーンとフェラーズとの麗しい関係も書いていますが、彼が実際に戦略情報局(OSS)の「心臓」にあたる心理作戦計画本部にいた事、そして極東のみならず世界全体での対米心理戦略立案で重要な役割を果たしていた事を伏せています。ボナー・フェラーズを映画の中で一面的に描いたようにではなく、まさに全面的に捉えなければ成りません。

 確かに「映画」で描かれたようにボナー・フェラーズと、占領当時恵泉女学園の校長をしていた河合道との活躍によって、「国体」は残ったかのようです。その策動の一環として昭和天皇『独白録』は英語版(フェラーズ所有)と日本語版の二つがあるのです。しかし真実をいえば、「『国体』は護持されたのではな」く「ただ利用されただけ」なのです。

 昭和天皇に対する最終的な決定は、1945年6月にトルーマン大統領と太平洋問題調査会(IPR)のジョン・マックロイたち「賢人会議」で決まったおり、多くの人々が誤解しているようにマッカーサー元帥と昭和天皇とが話し合って決めたのではありません。

 当然の事ながらボナー・フェラーズは勿論の事、マッカーサーですらこの日本計画の存在とその核心についての知識は、充分に周知していたのです。このように天皇の処遇と戦後日本の政治体制は、戦後の日本人の想像を遥かに超えた所で既に決まっていました。

 その意味において「国体」は護持されたのではなく、アメリカに利用されたにすぎなかったのであり、これまで真実はかくも隠されてきたのです。

 もし貴方が戦後の「象徴天皇制」には、今では大して意味はないと考えているのなら、是非この本を読んで今後のためにも真剣に考え抜いて欲しいと私は考えています。

 明仁天皇の誕生日の十二月二十三日午前零事にA級戦犯の絞首刑は執行され、米国は当時の明仁皇太子にメッセージを発していたのです。「政治とは関わりを避け、平和のシンボルとして行動せよ、さもないと……」と。私はこのように考えています。まさに米軍と象徴天皇制と憲法第9条は一体の物、つまり三点セットなのです。 (直木)
 

 読者からの手紙

「戦後民主主義の虚実(偽善、少しの安楽、平和)の織りなす歴史的歩みの帰結点である今日の社会に生きる私は、年齢的にも一連の総括をなす責務がある。戦後復興のレールに乗って本質的には中産階級の一員として、安住した。性格的に小ブル特有の偽善、怠惰、幼児的ヒューマニズムの発露としての左翼思想への傾斜。狭い観念主義は、実体的実践的に己を賭した実存的揚企もないまま、利己的大衆社会に埋没、歴史は繰り返す。岸につながる安倍の独断専行の軍国主義路線。資本の延命である露骨な成長路線は格差、貧困を増大、受け皿のない日本は、右翼論争をも許さない暗黒へと突入。一部の目覚めた人士は果敢に闘う。私も末端で声を上げ厚い壁に挑んでいる。内心は破滅の予感がある。

民主主義の機能をしない、教育不在の日本は、安保を盲信する本土側の大衆無関心、無知、無恥により非常な困難を強いられている。佐藤優は安保同盟支持だが国際政治のパワーポリティクスについては九条は理念宣言だ。シビアな生き残りに米のサポートが必要だという。理念を現実に少しでも根付かせる努力、知恵が我々に足りないのも現実。保守、無関心層を巻き込む、肯定させるには何をどう展開すべきも負荷がいわれているが遅々として進まず。相変わらずの愚痴、弁解の心愛しき日々。」深町さんのコメント