ワーカーズ555号   2016/3/1   案内へ戻る

 どん詰まりのアベノミクスと世界経済  欧米の信用不安は世界恐慌の前触れか

 黒田日銀と安倍首相は円安と株高を狙ってマイナス金利導入を打ち出しましたが、逆に円高と株価下落をもたらしました。不況脱出を狙った財政膨張策は、財政危機を深化させるだけでなく経済波及効果も失なって行き詰まりが明らかに。ならばと、市場にジャブジャブとマネーを注ぎ込む政策を打ち出し、大幅な金利引き下げが続きました。しかしそれでも効果はなく、次には量的緩和。それでもデフレ脱却の気配なく質的量的緩和=異次元金融緩和。そしてとうとうマイナス金利の導入。

 こうして世界中で金融の超ルーズな緩和と信用膨張が図られてきましたが、不況脱出の兆しも見えません。米国は少し景気が良くなったと早合点し、出口戦略を探ると言って金利を引き上げてみましたが、その結果はドル安、株価下落。結局は出口戦略も断念せざるを得なくなっています。そして欧州では、超金融緩和と信用膨張の末に、とうとう信用不安が生じ始めました。

 それだけではありません。今や高名な体制派経済学者、シンクタンクなどは、「現金の廃止」「ヘリコプターマネーの導入」さえ口にし始めています。現金の廃止はマネーの電子情報化などというハイカラな話しではなく、本音はタンス預金への対抗。人々の銀行不信に対抗して中央銀行の信用力をムリクリに維持するための策。ヘリコプターマネーは輪転機をどんどん回して市中にカネをばらまいてこれまたムリクリに需要を喚起しよう、インフレを引き起こそうという究極のやけっぱち、無責任政策です。

 リーマンショックの痛手を中国当局の財政大盤振る舞いとそれにつられた途上諸国の活性でしのぎつつ、野放図な金融緩和で命をつないできた世界経済は、欧州で生じた信用不安によって再び暗雲に覆われようとしています。世界的な過剰生産、過剰資本の中で信用の連鎖が地球の片隅のどこかで絶ちきられてしまえば、それは一挙に各国に飛び火し、世界はリーマンショック以上の深刻な恐慌に突入してしまうことは避けられません。「現金の廃止」「ヘリコプターマネー」は、マイナス金利をも凌ぐどん詰まりのトンデモ政策です。それは、市場経済=利潤動機の経済の末期の言葉にさえ聞こえます。

 過剰生産、過剰資本とは、絶対的な意味での生産力と富の過剰、人々の必要に対するそれらの過剰ではなく、現在の生産の仕組みつまりより大なる利潤の獲得を動機とする経済システムの下では、新たな生産や投資に向かえない生産力、富という意味です。ならば、生産の動機や目的を、現在の狭い、歪んだ、歴史的に役割を終えつつある呪縛から解放してやりましょう。人々の生活と福祉の向上、人々の諸能力の向上、人々同士の、そして人々と自然との関係を調和あるものに変革するという課題に沿う形に、生産の目的をチェンジさせましょう。それにふさわしい生産の仕組みを、幾千万の働く人々の団結と連帯と協働を通して、下から、多方向からつくりだしていきましょう。(阿部治正)


 〈同一労働同一賃金〉企業内組合から脱却を!──均等待遇の実現を考える──

 安倍首相が突然打ち上げた同一労働同一賃金。言うは易しで実現は無理だ。とはいえ、安倍首相が同一労働同一賃金を打ち出したことで、労働者の処遇が注目されるのは大変良いことだ。

 ただし現行の年功賃金は、終身雇用や組合の組織のされ方などと密接に絡んで形成されている。賃金制度を根本的に変えようとすれば、雇用形態や組合の組織のされ方とセットで考えざるを得ない。相互に深く関連し合っているからだ。

 ワーカーズの前号で同一労働同一賃金について考えてきたので、今回はそれと密接に関連している雇用問題と組合の組織問題について考えてみたい。

◆実質不平等?

 日本ばかりでなく、各国でも多様な働き方が拡がっているが、日本の正規と非正規の処遇の格差は異常だ。フルタイムの非正規では正社員の64%、年収ベースでは55%でしかない。退職金まで含めればさらに拡大する。あまりに格差が大きすぎるのだ。しかも今では家庭責任のある壮年の働き手まで非正規が拡がり、全労働者に占める割合は40%台にも増えている。その結果、直接の生活苦ばかりでなく、結婚できない、子供もつくれないといった、少子化にも繋がる実態が深刻さを増している。こうした現状を根本的に変えるためにも、同一労働同一賃金は極めて大きな意味を持っている。

 ところがひとたび同一労働同一賃金を実現しようと、具体的なイメージの模索を始めると、とたんに多くの難点にぶつかってしまう。

 まず、同じ仕事に就いているかぎり同じ賃金を受け取れるとすると、高校を卒業したばかりの20歳ぐらいの労働者と、結婚して子どもがいる30代、40代の労働者が同じ賃金になることになる。賃金がどちらにも余裕があるぐらい多ければ問題はないが、実際はそういうことはあり得ない。単純な同一労働同一賃金は形式的には平等な賃金だといえるが、それぞれの生活実態を考えると実質的には不平等な賃金になってしまう。独身の若者に比べて家庭持ちの労働者は子どもの養育費などがかかるからだ。だから単純な同一労働同一賃金は、政府がいくら旗を振っても、そもそも肝心の労働者内部で共通認識を形成することは出来ない。家庭持ちの労働者の生活が成り立たなくなってしまうからだ。だから正規・非正規の共通の要求にも闘いにもなり得ない。

 それではどうやって同一労働同一賃金を実現していけばいいのだろうか。以下、その具体的なイメージをちょっと考えてみたい。

 実際の賃金水準がどこで決まるかと言えば、単純化すれば労働者の生活費だ。その生活費は「生活とは衣食住だ」いわれるように、大きく分ければ身の回り品と食費、それに住まいの費用だ。だから労働者の賃金は、それぞれに時代に照応したレベルでの衣食住をどうにか賄うに足る水準で推移してきた。

 そうした衣食住という労働者の生計費を考える場合、1人の労働者の必要額は若者だろうが壮年だろうが、あまり変わらない。代わるのは生活する人数であり、それに家庭生活に欠かせない住まいにかかる費用、要するに住居費、アパートやマンションの賃貸料、あるいはマイホームローンだ。

 労働者世帯でもっとも費用がかかるこの二大出費、養育費と住居費の問題をクリアーすれば、後は単純な同一労働同一賃金でやっていける。

◆養育費と住居費の社会化

 中間をはしょって結論を言えば、この養育費と住居費を年功賃金ではなく、毎月の賃金の外に出してしまうことだ。これが解決策だ。

 具体的に考えてみる。これまでの日本では、年齢が上がるとともに膨らんでくる出費を賄うために、単身の若年層では低いが、結婚して子どもが出来るなど出費が増える年齢になるにつれて昇給する生涯賃金カーブが形成されてきた。いわゆる年功賃金だ。各労働者はこの毎年上がる賃金で子どもの養育費や住居費を捻出してきたわけだ。この部分を賃金の外にしてしまえば、右肩上がりの賃金カーブは不可欠ではなくなる。経験の蓄積などをどう評価するかという問題もあるが、現状よりも緩やかなカーブにはなるだろう。

 養育費や住居費はどうするか。これまでは、扶養手当や住宅手当など、各企業ごとに何らかの手当が支給されてきた。その分と本給・年功給に含まれる養育費と住居費を賄う部分を合算して、手当として該当する労働者に支払わせる、ということである。現に、女性の社会進出や低賃金を支えてきた面もある扶養控除の見直しも何回も遡上に上がっているのだ。また最近の能力主義経営などでは、養育費などは業績や役割に関係がないなどといって、支給を取りやめる事例もあった。

 養育手当については、国や自治体からも児童手当、児童扶養手当などの名目で該当者に手当が支給されている。それらも含めて一括して個々の労働者の手当が支給されることになるが、その手当額は最低でも子ども1人に5万円ぐらいは必要だ。

 こうした養育費や住居費は、手当として各企業が支払ってもいいが、それらをまとめて政労使でつくる公的機関に拠出し、その機関が個々の労働者に支給する仕組みでも良い。その場合、個々の企業にとって、労働者が結婚しているか、子持ちであるかに関係なく、「雇用する労働者1人につき一定額」という拠出額を固定化すれば、扶養家族の有る無しは生産性に関係ないとしてきた企業にも、公平感をもたらすだろう。

 上記のイメージを分かりやすく数字化してみる。

 たとえば個々の労働者の基本賃金を15万円とする。養育費は1人5万円、2人いれば10万円とする。住居費は単純に労働者1人5万円とする。
 これを数式化すれば以下の様になる。

 【20歳の独身労働者】──基本賃金15万円プラス住居費5万円──総額20万円
【30歳の夫婦共働き家庭】──基本賃金15万円×2=30万円、住居費5万円×2=5万円──総額40万円
 【40歳の子ども2人の4人世帯】──基本賃金15万円×2=30万円、子ども手当5万円×2=10万円,住居費5万円×2=10万円──総額50万円。

 金額はあくまで仮定の話だが、要はこんなイメージだ。

 同一労働同一賃金が土台になっている欧州では、子ども手当など各種社会保障給付が手厚く支給されている。こうした方式になれば、賃金はこれまでの1人の働き手が家計を賄うという家族賃金から個人単位・シングル単位の賃金制度も可能になる。

 これらは空論ではない。現にオランダなどでは、パートなどと正社員の違いは働いた時間数での賃金額の相違でしかない。半分の時間働けば、賃金も半分になるだけだ。だから夫婦共働きでも、どちらかがハーフタイムでどちらかがフルタイムという働き方を選択できる。またそれらは交代も出来る。そのばあい、賃金は1・5人分支給される。どういう働き方を選択するかは、個々の労働者の選択で可能になるのだ。

 同一労働同一賃金がこのようにものになれば、労働者は年功賃金に縛られて個々の企業にずっと働き続ける理由が無くなる。どこの企業に転職しても、同じだからだ。そうなれば日本的な終身雇用の必然性もなくなる。だから同一労働同一賃金への根本的な転換は、日本的な終身雇用制度からの脱却と合わせて考えなければならないのだ。

◆産業別組合

 こんな同一労働同一賃金を、果たして新卒一括採用や年功賃金でやってきた日本の個々の企業に受け入れさせることが出来るのだろうか。あるいはそもそも同一労働同一賃金が、企業の壁を越えて労働者全体の要求として合意できるのだろうか。現状の企業内組合のもとでは、不可能だろう。そこで問題は、日本の企業内組合の問題にぶつかる。

 日本の際立つ特徴として、欧米で一般的な産業別、職業別の組合ではない、企業内組合がある。これは、個々の労働者は企業事に組織されている組合に加入し、その企業組合を構成単位として産別労組ができ、それが全国的に集まったものが全国組織──ナショナルセンターになっている。連合や全労連、それに全労協などだ。こうした企業内組合では、その多くがユニオンショップ協定等で、雇用されれば職種に関係なく即会社組合のメンバーになる。

 こうした企業内組合では、職業別・産業別組合とは違って、個々の組合は当該企業の社員だけで組織される。いはば、労働組合は企業事に、企業の内部で組織される。欧米の産業別・職業別組合は、これとは違って、個々の労働者は企業の外で、企業横断的に組織されるそれぞれの職種別・産業別の組合に入る。だから組合は企業の外、企業とは別枠で組織される。

 そうするとどこが違ってくるのか。

 日本のような企業内組合では、終身雇用と年功賃金が土台になっているので、中途で転職することのデメリットが大きすぎる。だから労働者は一つの企業で働き続けることになり、そうなれば自分の生活や将来は自分の会社の盛衰に左右される。結果的に、労働者は個々の企業への従属を深めざるを得なくなる。企業内組合の問題は、単に組織形態上の問題だけではなく、運動理念も企業業績に依存したものにならざるを得ないのだ。

 これとは違って職種別・産業別組合のもとでの同一労働同一賃金の場合、あらゆるテーマで個々の企業の事情とは関係なく、その職種、その産業全体の労働条件などに関心が向けられる。だからどんな課題でも、同じ職種・産業での共通の関心事となり、組合の方針もそこで決まり、またその成果も個々の企業、個々の地域を越えて全国共通のものになる。

 こうした特異な日本の企業内組合は、戦前から引き継いだものでも、また自然にできあがったものではない。戦後少しの間では日本でも産業別組合があり、「産別」のゼネストなど行われたこともあった。多数を占めていた企業別組合の連合体でも、産別組織への移行の必要性が叫ばれたがそれは大成しなかった。結局、日本が高度成長に入る過程で、産業界や財界主導での猛烈な攻勢で日本の企業別組合が定着させられたという経緯がある。

 日本の様な企業内組合では、雇用にしても賃金にしても、その企業の事情、たとえば業績に左右されやすい。だから日本では、賃金などの企業間格差、あるいは親会社と子会社などの企業間格差が大きくなる。欧米の場合、どの企業も同じような賃金を支給しなければならないのとは、事情がかなり違う。結果的に、労働者の意識も「企業あっての労働者」だとか「労使運命共同体」意識が強くならざるを得ない。こうした労使関係があるから、日本では欧米の労使関係では考えられない様な企業戦士や過労死などが多発してきたのだ。

 そうした企業内組合では、労働者の境遇は、個々の企業の業績に大きく左右されざるを得ないので、会社の業績が悪化すれば賃上げ自粛などという事態になる。それに賃金などの労働条件以外でも、かつてのチッソに象徴される公害問題や、最近の原発事故でも、組合は化学会社や電力会社の方針に沿った別働隊としての役割を果たすことになるのだ。

 現に連合は、安倍首相の同一労働同一賃金に対して歯切れが悪い。むしろ非正規労働者のレベルにまで賃金が引き下げられることを警戒してか、迷惑顔でさえある。終身雇用や年功賃金といったいびつな既得権にしがみつくだけの連合には、本来の同一労働同一賃金の導入など、最初から無理なのだ。

 こんな事情もあって、欧米と違って企業内組合中心の日本では、単に均等待遇といってもその実現は難しい。それを闘い取るための運動理念や闘える組織が対応していないからだ。だから均等待遇の獲得と企業から自立した組合づくりは、これからの労働運動づくりや組合づくりでの車の両輪なのだ。

◆主体は労働者

 以上、同一労働同一賃金への根本的な転換にあたっては、賃金制度のみならず、終身雇用や組合の組織のされかたも大きく関係していることを見てきた。思い起こしてみれば、日本的労使関係の特徴は、終身雇用、年功賃金、それに企業内組合という三種の神器に象徴されている、といわれてきた。どれも企業や財界主導で形成されてきたもので、その相互間には密接な関係があるのだ。

 その日本の労使関係、グローバリゼーションの進展のなかで、解体の危機が何度も指摘されてきた。特徴的なのが、非正規社員の激増による終身雇用制度の崩壊だ。実際、リーマン・ショック時の山一証券や現在のシャープなど、大企業でもいつ破綻するかもしれない。それに非正規労働者の激増もあって継続雇用者の割合がしだいに下がっている。その結果、以前であれば大多数の労働者が組み込まれた年功賃金制度も、現在はかなり縮小・変質している。

 そうしたなかで、企業内組合は依然根強いものがある。とはいっても、終身雇用や年功賃金が形骸化するとともに、企業内組合の衰退も進んでいる。それが組合組織率の傾向的な落ち込みにも現れている。今では全雇用者のなかで、組合に加入している労働者の割合は、17%台にまで落ち込んでいるのだ。なのに、企業内組合という枠組みだけは、根強く継続している。それだけ企業や財界が企業内組合に執着している結果だといえるだろう。

 私としてはワーカーズ前号で、安倍首相が同一労働同一賃金の導入を叫んだだけでは、その実現などあり得ない、と指摘した。同一労働同一賃金をどう実現していくのか実効性がある方策を示していない。今でも労働契約法やパート労働法などで「不合理な労働条件の違い」や「差別的取り扱い」が禁止されているが、実効性はほとんど無い。単に法改正しただけではそうしたザル法が増えるだけであり、現状を根本的に変えることはできない。

 あり得るとすれば、同一労働同一賃金を名目とした正社員の賃下げだろう。いわゆる〝たして二で割る〟ものだ。労働者の闘い抜きで〝たして二で割る〟のは、低い方に平準化されるだけだ。

 本来の同一賃金同一労働を勝ち取るためには、養育費や住居費の社会化という社会保障がらみの抜本改革、それに均等待遇をめざす企業の壁を越えた労働者の一大闘争が不可欠なのだ。そのためにも、現行の企業内組合を職業別・産業別の、企業の外で組織される組合づくりへの挑戦が不可分なのだ。その闘いの主体はむろん安倍首相ではなく、私たち1人1人の労働者なのだ。

◆可能性・現実性

 同一労働同一賃金や企業の壁を越えた組合の組織にされ方が重要なのは、労働者の安定した処遇のためだけではない。それらを含めて、労働者がぶつかる様々な課題に、労働者自ら団結した力で対処できる、という規制力、決定力を持つか持てないかに関わってくるからだ。

 日本では労使関係の三種の神器という枠組みをつくられることで、労働者が企業に従属し、労働者自身が労働条件や権利などで自らの力で規制していく力が決定的に削がれてきた。そうした力関係が労働者の処遇改善に止まらない、政策的課題や政治的な課題での発信力や規制力が脆弱な現実をもたらしている。かつてある財界首脳が、労使関係が安定(=組合の企業への従属)していれば政治の危機があっても資本主義体制は存続できる、という主旨の発言をしたが、現実はまさにその通りに推移してきた。この力関係を根本的に変えることがすべての攻防の土台になるのだ。そのためにも、労働者が個々の企業への従属から解放され、自立した要求と主張を打ち立てることが出来るようなな連帯型の賃金や組織を手にすることが何より重要になってくるのだ。

 そうした大局的な観点を確認した上で、何から始めるべきか、少しだけ考えてみたい。

 非正規労働者が劇的に増えている現状は、一方では労働者の生活破壊が進んでいることを象徴している。が、半面、労働者が企業の壁を越えて流動化しているので、結果的に企業の壁を越えて団結する可能性や現実性を拡げている。パートや派遣、それに期間限定社員など、非正規労働者は基本的に時給制であり、また個々の企業で一生働くわけでもない。それだけ個々の企業利益に従属することも少ないわけだ。

 現に、企業内組合の枠外でつくられる組合も増えている。1人でも加入できる地域ユニオンや職種別ユニオン、あるいは派遣労組など雇用別ユニオンなどだ。そうした組合は個々の企業利益から自立したところで組織され、活動している。そうした新しい組合をドンドン作ること、それに加入すること、それを支援すること、こうしたところから始める以外にない。

 また大企業の企業内組合のなかでも、まだ個人レベルだが、企業の不当な扱いに敢然と立ち向かっている労働者は多い。そうした個別争議に立ち上がる人たちへの支援などを拡げ、企業内組合の中に組合の刷新をめざす労働者たちを増やしていくことも大事だ。

 そうした企業横断的な闘いをつなげ、そのもとで闘う労働者が増えていけば、本来の均等待遇につながる同一労働同一賃金や企業から自立した組合づくりへと前進する大きなうねりも生まれるだろう。(廣)

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 自民党版百花斉放のお粗末な喜劇―丸山議員は辞職せよ!

 安倍政権の下で自民党議員の退廃は、目を覆うばかりである。

 まずは昨年末以来、大きく取り上げられている高木復興相の「パンツ窃盗疑惑」、甘利明前TPP担当相・経済再生相の「金銭授受問題」、島尻安伊子沖縄・北方担当大臣兼科学技術政策担当大臣兼宇宙政策担当大臣の歯舞が読めない、丸川珠代環境相の1ミリシーベルトに何の根拠もない発言、高市総務大臣の電波停止発言、そして岩城光英相の国会質疑での全く低レベルの答弁等が問題視されている。

 まさに国会は、自民党版言いたい放題の百花斉放の状況である。この事態に有権者が呆れていると、今度は宮崎前衆院議員の「不倫辞職問題」、兵庫県選出衆議院議員の元秘書の「怪死事件」、佐藤衆院議員の政治資金規正法違反トラブル、丸山参院議員の「米大統領は黒人・奴隷の子孫」発言などが続々と噴出したのである。

 毛沢東の百花斉放は、歴史の悲劇といって良いものだが、今回の日本の自民党の百花斉放とは、まさに喜劇そのものだ。この喜劇を全力で演じる切る事で、自民党議員は自身の政治的資質が如何なるものかについて、私たち有権者の蒙を完全に啓いたのである。

 ここで特に問題にしたいのは、2月17日の参議院憲法審査会において丸山参議院議員がオバマ大統領を「黒人の血を引く奴隷が大統領になっている」と発言した事である。このその場の空気を読めない発言が人種差別的だと問題になっているが、強調したいのはそもそも人種差別よりも何よりも、オバマ大統領は奴隷の血を引く大統領ではない事だ。

 その事実認識が全く根本から間違っているにもかかわらず、丸山議員は「奴隷制度を乗り越えた米国を讃えるつもりで発言した。良心に恥じる所は何もない」と開き直ったのだから私たちは驚く他はない。こんな人物が弁護士だったとは、信じられないの一言だ。

 属国日本の政治家が戦後一貫して日本を従属させてきた国のリーダーがいかなる人物かを知るのは最低の条件だろう。オバマ大統領は東アフリカのケニアから米国に留学した父親が留学先のハワイ大学で知り合った米国人の母親と結婚して生まれた子供である。ご多分に漏れず、その父親はケネディ一族が親米指導者を育成するために用意した奨学金を受けて留学のだからケニアで将来を嘱望されたエリートと言える。経過は不明だがオバマの母親との結婚はすぐに破綻して別の白人女性と結婚してケニアに戻った。

 それゆえオバマは母親とその祖母に育てられる事になり、アフリカ系の父親の影響より白人社会の影響の方が圧倒的に強い。また母親は米国人には珍しく無宗教で、マルクスの『資本論』を読む左翼思想の持ち主である。そしてオバマの父親と別れてインドネシア人の地質学者と再婚し、インドネシアで米政府系の援助団体の仕事などをしたが、再び離婚してハワイに戻り1995年に病死した。

 またケニアに戻った父親は政府のエコノミストとなり1982年に交通事故で死亡している。したがってオバマ大統領にアフリカ人の血は流れていても、アメリカでの奴隷の血が流れている事は全くない。つまり丸山議員には、アメリカの黒人をすべて奴隷と思い込む様な明確な差別感覚があるという事である。但しオバマ大統領のミッシェル夫人は奴隷の子孫である。ミッシェル夫人はシカゴ生まれだが家系を辿ると南部の奴隷に行きつく。

 端的には、オバマは時のアメリカの戦略家・ブレジンスキーに選ばれたのである。

 確かにWASP(白人のアングロサクソン系プロテスタント)が伝統的に上流階級を占めてきた米国にアフリカ系の大統領と奴隷の血を引くファースト・レディが誕生した事は画期的だったが、その事実関係に無知で、なおかつ自らの前提となる解釈も滅茶苦茶そのもので、丸山議員の無知蒙昧を地でいったものと結論づけられるであろう。

 更に「奴隷の血を引く大統領」発言は、「日本が米国の51番目の州になった方が良い」との丸山議員の主張から導き出されものだ。日本が米国の51番目の州になれば日本人には米国の選挙権が与えられる。そうなれば日本州の人口は米国最大になるから最多の下院議員を議会に送り込め、また日本人が米国大統領になる可能性もあるというのである。そしてそれは奴隷の血を引く大統領が誕生する国だから充分に可能だというものであった。

 しかし日本を51番目の州にして日本に選挙権を与える事を米国が許すと思っているのなら丸山議員は米国の本質を全く知らない大馬鹿者という他はない。米国は常に世界中から利益を吸い上げる事を考え、他国に利益を与えようと考える国ではない。日本に米国の選挙権など与える筈がなく、したがって51番目の州にする事もその気もあり得ない。

 米国が日本を見る目はまさしく白人が黒人奴隷を見る目と同じで、違いがあるとすれば「褒め殺し」で有難く思わせ日本を主体的に隷属させる事である。つまり米国の思惑通りに隷属すれば日本政府を誉めそやすが、日本が少しでも自立しようとすれば徹底的に叩くという事である。それが戦後70年にわたる日米関係の真実の歴史そのものである。

 かつての日本政治はそうした事を前提に自民党と社会党が水面下で手を組み「絶妙の外交術」を行使してきた。彼らは平和憲法を盾に軍事負担を極力減らして富を蓄え、米国の経済力を追い抜く勢いを見せる。冷戦の間は確かに有効に作用したが、冷戦が終わると米国は逆襲に転じ、日本に応分の軍事負担を負わせてため込んだ富を吸い上げる布石を打ち始めたのである。

 それに全面屈服したのが現在の安倍自民党政権だ。安倍政権は集団的自衛権を主体的に選び取ったかに振る舞ってはいるが、その実態は真逆である。日本は米国によって軍事負担を増やされ自衛隊の世界展開を強制され、また米国の都合よい構造改革を強制されて、米国のための現金支払機になる他の選択肢はない属国なのである。

 橋下前大阪市長と丸山議員は、行列が出来る法律事務所というお笑い番組出身のタレント政治家だが、彼らはその肩書きは兎も角として、二人とも全く世の中の常識もそもそも世界の常識を全く知らない、つまり国政を担う資格などない実に低レベルの政治家である。

 世界に恥をさらした丸山議員は、その政治責任を取って辞職しなければならない。また安倍政権も躊躇なく、彼に辞職勧告を突き付けなければならない。

 かくして私たちは、世界史的な事件は「一番目は悲劇として、二番目は喜劇として」現れるという苦い事実を?み締めざるを得ない。日本における長期的な自民党政治の退廃はまさに喜劇として現出しており、その歴史的役割を終えようとしている事を、私たち有権者に雄弁に語っているのである。(直木)案内へ戻る


 丸山「黒人・奴隷」発言に優るとも劣らないもう一つの差別発言とは

 丸山差別発言で再び呼び起こされたもう一つの差別発言とは、金美齢氏の発言である。

 金美齢氏とは早大在学中に活動を開始した旧台湾反体制派の生き残りであり、今は日本国籍を持つ伝説的な人物である。色々な出版物で著名な黄文雄氏はその仲間である。金美齢氏は現在八二歳、テレビなどで見かける度にその高慢ちきを絵に描いた立ち居振る舞いにはただただ呆れるばかりであり、その発言には何の見識も感じられないのだ。

 今回問題にする発言とは、今から2年前の「オバマが白人だったら,あのレベルでは大統領に当選しなかった」発言である。彼女の差別発言は、丸山議員が国会参議院内の会議(参院憲法審査会)で発言した「オバマは黒人で奴隷の子孫云々」という事実誤認の差別的発言とは異なり、更に一段と明確な黒人差別発言であった。

 確かにアメリカには、歴史的に黒人差別撤廃に対するための積極的是正措置がある。更には女性差別等に対する積極的優遇措置(=差別撤廃措置)があり,それらは「女性・被差別少数民族の雇用・教育の機会を増す積極的な政策」と呼ばれているのである。

 問題は,この発言、「オバマが白人だったら、あのレベルでは大統領に当選しなかった」である。つまりオバマがこの積極的是正措置の恩恵を、あたかも受けていたかのように仄めかしている。まるで実力(学力・能力)以上に待遇されてきたから、「黒人でも大統領になれた」との口ぶりだ。もし本当に彼女が言う通り、実際にオバマ(黒人が父・白人が母)がそれに該当するなら、まさにその点を指摘をすべきではあった。しかしそんな大統領は、そもそも誕生した途端に辞職しかないし、まして2期も勤められる筈もない。現実のオバマは、演説が上手いとの理由でブレジンスキーに見出された人物なのである。

 現実にアメリカのカリフォルニア州では、州立大学の入学審査において積極的差別是正措置の適用を禁じる法律が住民投票により採択された。その結果として、これらの州立大学(私立は関係なし)で白人の新入生の数は大して変わらなかったが、黒人の入学率が下がり、アジア系の入学率が上がった。しかし入学後に落ちこぼれたり、退学する黒人やラテン系の学生の割合が減ったため、実際に卒業する黒人やラテン系の学生の数は変わらないという結果になっているのである。アメリカ競争社会は金氏の想像を超えているのだ。

 ところで発言は、二0一四年二月二十三日に放送された読売テレビの人気バラエティ番組「たかじんのそこまで言って委員会」でなされた。この番組は大阪でしか見られない。

 発言そのものは、https://www.youtube.com/watch?v=u6eN6rj_eqQの動画で確認出来る。

 金氏には、黒人の政治家を大統領に選ぶ事になった「アメリカという国家」そのものを何かレベルが低いと言いたいがためにオバマに託けて辱めたいとの思いがあるようだ。それゆえに、平然と人種差別的発言を恥ずかしくもなく繰り出しているのである。

 ところで彼女の盟友とでも表すべき黄文雄氏は、「安倍晋三は岸信介の外孫だったから首相になれた」と触れ回っている。これはほとんどの日本の有権者が考えている事の一面を鋭く突いてはいる。本当は安倍晋太郎の息子だったからである。確かに彼は2回総理大臣をやっているが、国家戦略なき属国日本の総理大臣だからこそそれが出来るのである。

 金氏がオバマを云々するのなら、安倍晋太郎の子だから総理大臣になれたとの事実の指摘と成蹊大学の成の文字も書けない程のレベルの人物なのだと指摘しなければならない筈である。これがフェアな態度というものだ。勿論、彼女にそんな本当の事は言えない。

 それはなぜか。それは金氏が安倍総理のインナーサークルの一人であり、自宅を開放して総理とそのお友達を招いて懇親パーティを開く程の関係だからである。したがって総理も自分と同意見である事をよく知っているからこそ、安心してのこの大胆な発言である。その点、金氏とお仲間の安倍総理は、身の程知らずも甚だしいものがある。

 安倍総理がこの件でどんなに弁解し釈明しようとも、アメリカのマスコミが金氏の人種差別発言に注目して、金氏の発言は安倍首相の考えを代弁しているのだ報道すればどういう事になるか。アメリカでの問題化は必至である。

 それにしても大阪読売テレビはよくこんな番組を放映したものだ。「やしきたかじんのそこまで言って委員会」はぶっつけ本番の生番組ではない。事前に収録してその後に編集してから流される番組だ。では製作担当者はなぜそのまま流したのだろうか。まさに日常性だ。驚くべき事に先に紹介したように、今でもこの番組は動画で確認出来るのである。

 今では既に知られているようにやしきたかじんは在日タレントであり、その事実を隠していたが、「自分自身の本名・本心」を押し殺す在日系タレントは、日本社会の中にひっそりと通名で暮らす姿で大半が生活している。こうした在日を隠す事実こそが、現在の日本社会ですらも顕在的・潜在的とを問わず生き続ける強烈な他民族差別意識、つまり日本社会が明治以来育んできた他民族等に対する「差別的意識」、更にいえば日本社会の中に根深く息づく「生き負の遺産」の証明である。これが日本人はバナナと言われる所以だ。

 日本という国は、帰化した事でその差別意識にどっぷりと浸り切り日本人受けばかりを狙った差別的言論活動をしている金氏らを生息させる社会的背景を与え、「オバマのごとき政治家は黒人だったから大統領になれたのだ」という人種差別的発言を、何の恥らいもなく発言する風土を与えていると言うべきである。

 私たちは丸山議員の差別発言と共に金氏の差別発言も又許す事が出来ない。(猪瀬)


 「エイジの沖縄通信」(NO.24)・・・「辺野古阻止の運動、全国に広がる!」

①国会包囲行動に2万8000人結集する!

 21日午後2時から国会周辺で「2.21首都圏アクション国会大包囲」が取り組まれた。辺野古新基地建設に反対する国会包囲行動は昨年9月以来で4回目となる。

 今回の国会包囲行動は、東京だけでなく全国8都市<札幌、仙台、富山、名古屋、京都、大阪、岡山、高知>でも「全国同時アクション」として取り組まれた。

 この「国会大包囲行動」はこれまで3回取り組まれてきた。2015年1月25日の第1回の参加者が7千人、同年5月24日の第2回の参加者が1万5千人、同年9月12日の第3回の参加者が2万2千人であった。このように参加者は回を重ねるごとに増えており、辺野古新基地建設に反対する声は確実に広がっている。

②大成建設に抗議しよう!

 辺野古の新基地建設事業を受注しているゼネコンの中でも、その金額で他社を圧倒しているのがスーパーゼネコン・大成建設である。

 大成建設は、辺野古新基地建設の仮設工事、中仕切り護岸工事、汚濁防止膜等工事の3件を受注し、金額では他社を圧倒している。

 ところが、その工事費がどんどんうなぎ登りに増えていることが判明した。

『辺野古の仮設工事費2.5倍、契約変更も1年間で4回も!・・・米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設予定地とされる名護市辺野古に仮設桟橋などを造る工事について、防衛省が発注後の1年間に契約を4回変更し、工事費が当初の59億円から147億円と2・5倍に膨らんでいたことが朝日新聞の調べで分かった。抗議活動への対応で追加工事が必要になったためというが、「当初の入札の意味がない。新たな契約を結ぶべきだ」と批判が出ている。

 この工事は本体着工前の準備工事だが、その後に発注された本体工事でも契約が直後に変更され、当初より150億円以上増えたことも判明。防衛省は2014年3月、移設の総経費を「3500億円以上」と明かしたが、膨らむ恐れがある。

 2・5倍になったのは「シュワブ(H26)仮設工事」。沖縄防衛局は14年6月に指名競争で入札を実施し、大手ゼネコンの大成建設と59億6千万円で契約した。落札率は97・9%だった。

 沖縄防衛局や契約関係書類によると、工事内容は、仮設の浮桟橋・桟橋の設置▽フロート(浮き具)やブイ(浮標)の設置▽安全対策。防衛省は14年7月、移設予定地周辺の海域約560ヘクタールを日米地位協定に基づき立ち入り禁止と設定しており、フロートやブイはその周囲に設置された。

 辺野古移設に反対する人たちは、カヌーでフロートを乗り越えて立ち入り禁止区域内に入るなどの抗議活動をしている。防衛局は当初契約4カ月後の14年10月、「フロートの設置数量が追加となった」として契約を変え、47億8千万円増額した。防衛省関係者は「カヌーが入れないようにフロートを二重三重にした。安全確保のために仕方がない」と説明する。

 沖縄防衛局はその後も3回契約を変更し、さらに金額は膨らんだ。この増額理由について、防衛局は詳細を明らかにしていない。

 防衛局は仮設工事を進める傍ら、14年10月~15年2月に岸壁建設など本体工事を7件発注。当初契約では計413億7千万円だったが、うち4件について1~2カ月後に契約を変更し、総額は計564億9千万円となった。契約変更調書には、理由について「設計精査」と記されている。

 会計検査院は今年1月に沖縄防衛局に検査に入っており、移設工事の妥当性を調べているとみられる。

 辺野古移設を巡っては、会計検査院の07年度の検査で、約8億円の予算だった海底地質調査に関し、旧那覇防衛施設局が抗議活動への対応として次々に追加で事業を出し、計約22億円を支払っていたことが発覚。この際は契約変更の会計手続きも怠っていたとして、検査院が悪質なケースに当たる「不当事項」と指摘した。検査院は09年、この事例で当時の局長2人を懲戒処分するべきだと防衛省に要求したが、防衛省は従わなかった。

 辺野古移設を巡っては、防衛省は昨年10月末、沖縄県が反対するなか本体工事に着手した。国は今後、本体工事を本格化させるとみられる。』(「朝日デジタル」より)

 辺野古現場報告の「チョイさんの沖縄日記」によると、「今月号の『文芸春秋』に、『昨年12月始めに防衛局がコンクリートブロックを投下しようとして、安倍も菅も了解していた。ところが法務省から法的に問題があるとして中止せざるを得なくなった』という記事が載っています。2月1日の産経新聞1面トップの『春まで工事延期』の記事といい、今、政府・防衛局は辺野古新基地建設事業で大きな混乱を続けています。毎朝、ゲート前で機動隊により強制排除され、工事車両が入っていく。座り込んでいる方の中には、『これだけ頑張っても工事車両に入られている。もう工事はどんどん進んでいるのではないか』と諦めの思いを持たれる方がおられるかもしれませんが、その必要は全くありません。八方塞がりに陥っているのは防衛局です。防衛局はこの間、ほとんど作業を進めることはできていません。県民の抗議行動が防衛局を追い込んでいるのです。確信を持ちましょう。と訴えた。」と報告されている。

③大阪から凄い助っ人「ミキサー車」の登場

大阪からやってきた関西生コン労組のミキサー車。「辺野古新基地建設反対」「警視庁はヤマトに帰れ」の横断幕をつけてゲート前を往復し、皆から大きな喝采を浴びた。フェリーの費用は往復50万円だというが、その心意気がすばらしい。(富田 英司)案内へ戻る


 コラムの窓・・・「3分間待てない?」

 お湯を注いで3分、食べる時間を含めても10分で食事が済む、いつからそんなに急ぐようになってしまったのでしょう。いま、究極の〝速さ〟を誇るリニア中央新幹線建設が動き出しています。なにしろ、飛びながら走るのだから、飛行機よりも早く移動できそうです。

 2027年開業に向けてJR東海の単独事業として動きだしたこのリニア新幹線建設、東京‐名古屋間を40分で結ぶそうですが、建設費5.5兆円かけて「絶対にペイしない」と公言されているのだから不可解です。鉄道審議会は2011年5月12日、「新幹線は安全性、信頼性、省エネ性、速達性、ネットワーク性、定時制、建設費用等の点では優れているが、リニアの方が高速性の点で優れているのでリニアのほうが適当である」という、実に〝適当〟な理由をつけてこれを認可しました。

 答申の末尾には次のような記述があります。「三大都市圏を直結する中央新幹線の整備は、被災地の復興に直接的に寄与するものではないが、災害に強い国土の形成及び我が国の中長期的な経済復興に貢献することが可能な事業である。小委員会として、被災地の復興を心から願うとともに、中央新幹線の整備についても、東日本大震災の教訓を踏まえながら着実に進められ、我が国の経済社会全体の復興の一助となることを切に望む」

 高速性だけしか優位でないのに、被災者を置き去りにして突き進む、〝速く〟という呪縛に囚われたこの国を象徴する事業というほかありません。このスピードへの信仰からもう覚めてもいいのではと思うのですが、3・11を経てなおリニア建設を推進しようというのです。

 山梨のリニア実験線には、当初は柏崎・刈羽原発から電力供給されていたそうですが、東京‐大阪間が完成したら約原発1基分の電力(在来新幹線の3・5倍)が必要だとJR東海は説明しています。リニアと原発、どちらも社会的必要性はなく、電磁波と放射線という害悪を垂れ流します。

 この社会的に有害なリニア建設と原発再稼働、どちらも安倍的インフラ輸出の目玉として、国内で動かないようでは海外に売れないというのです。3分で食べられるカップラーメンは便利だし、ファストフード店では3分も待たずに食事にありつけるのです。この待てない社会が何をもたらすのか、豊かさとはどのようなものなのか立ち止まって考えてみないと、取り返しのつかないところにたどり着いてしまいそうです。 (晴)


 日銀正副総裁も信じていない!マネタリーベース・インフレ

 まずは「ブルーグバーグ」の記事をざっと見てください。

国会答弁で、日銀正副総裁がマネタリーベースを増やしてもインフレに直結しない、という当たり前のことを今更認めたのだ。ではあなた方は今まで、心にもないウソを言ってきたのか、ということになる。

「日銀正副総裁も信じていない、マネタリーベース増加で直ちに物価上昇」(ブルームバーグ):
2013年4月に量的・質的金融緩和を導入してほぼ3年が経過する中、日本銀行の黒田東彦総裁は金融市場調節の操作目標としているマネタリーベースに対する考え方を変えてしまったようだ。

こうした発言は同政策を導入した際に示した楽観的な発言とは対照的だ。総裁は導入直後に行った講演で、「日銀が経済全体に供給する通貨(お金)の総量であるマネタリーベースが、私どもの積極的な金融緩和姿勢を対外的に分かりやすく伝える上で最も適切」と述べた上で、「物価安定目標の早期実現を約束し、次元の違う金融緩和を継続することにより、市場や経済主体の期待を抜本的に転換する」と述べた。(二月二十三日ブルームバーグ) 記事全文は?ttp://www.bloomberg.co.jp/news/123-O2ZFN26JIJUQ01.html

 日銀が金融調節手段の目標としているマネタリーベースは12年末には138兆円だったが、昨年末には356兆円と2.6倍に膨らんでいる。しかし、昨年12月のコアCPIは前年比0・1%と、2%の物価目標には遠く及ばない水準にある。(ブルームバーグ)

◆言い訳はできない日銀政策の破たん

 このような圧倒的な現実の前で、言い訳は通用しないだろう。その事実上のの破産をしぶしぶ認めたということだ。

今更ではあるが、日銀のあるいはリフレ派も含めて、そのばかばかしさは二重三重にある。

一つは上記の「マネーストック」⇒インフレ論だ。これは黒田日銀が自ら破たんを認めたということで決着済みだということにしておこう。

 少しだけ論及すれば、日銀の各口座にどれだけ円が蓄積されてもいわゆる"ブタ積み"状態である。肝心の引手がないのであるからそのまま貯まるほかはない。現実に金融緩和で「二・六倍」にもなった。しかし、民間の企業の新規投資や新しい事業の展開がないのだから嫌でも"ブタ積み"のままだ。この資金が動くはずもない。日銀総裁をしてこの程度かとあきれるほかはない。

◆金融で経済を甦らすという幻想

 第二点は、より根本的なことで、日銀はしゃにむに「デフレをインフレに転換する」と考えてきたし、今でもそう考えているはずだ。しかし、インフレもデフレも貨幣現象であり、「デフレ⇒インフレで経済回復」という問題設定自身が正しくない。こんなものは幻想であり「風吹けば桶屋が儲かる」しきの当てどもない論理だ。

 景気循環を考えればわかりやすいが、景気が低迷すれば、需給関係が弛緩し物価は低下する、デフレだ。反対に景気が広範に拡大する過程では、需給がひっ迫し物価が騰貴する。インフレとなる。だが金兌換停止=管理通貨制度の下では、特にインフレにはこうした景気循環から切り離されて、景気低迷でも物価が騰貴することが生じる。このケースは信用貨幣(日銀券)が、必要流通量に対して其れ以上に入り込むことによって生じるので、経済の収縮過程でもインフレが発生するという現象も出る。だから不景気なのにインフレも起きるのだ。「インフレになれば景気回復する」というのは信仰宗教やおまじない程度の知識にしか過ぎない。科学ではない。

◆現代資本主義の腐朽化進む

 第三点は、それでは経済停滞(日本・欧州など)はなぜ長引くのか、という問題だ。いくつかの要因が絡んでいるが、三つの点が要因として大きいと思われる。

 ①国家の金融政策などで、かつてのような景気の高揚と経済恐慌という循環がゆがめられ、だらだらとした低空飛行が続く傾向が支配的になってきたと考えられる。しかし、それにしても九十年以降の日本の場合は、「日本病」とまでいわれてきた。それが今では欧州にも広がっている。

 ②それは先進国の産業の衰退、あるいは産業構造の変化にそのカギがあると考えられ。日本では八十年代後半のバブル時代以降、経済の金融化と産業の空洞化が進んできた。裏を返せば日本製造企業の海外進出でもある。半面国内的には金融業やサービス業に置き換わっていった。農業従事者、鉱工業従事者は減る一方である。かくして経済低迷の真犯人は生産的労働・生産的経済の国内的衰退(国外逃避・新興国への進出)こそその根本原因であるのだ。

 ③さらにより根本的に考えれば、七十年代を経て成長を遂げた日本の製造資本は、国内的市場の狭隘性の壁にぶつかったのだ。つまり、労働者・勤労者のの消費の能力は、資本によって低く抑えられてきた。他方の企業は生産能力と産業効率化の結果として、日本国内に十分な市場を見出すことができなくなってきたのだ。それゆえの海外進出であり、これ自体資本主義の固有の矛盾の結果というべきなのだ。新興国経済が安い労働力を提供したという点や対米経済摩擦なども海外進出を促進した動機でもあるが、いずれにしても資本の急速な成長は、日本市場の限界を突破する必要があったのだ。

 このような事態なのであるから、ことは資本主義経済の内在的矛盾の結果であり、ゆえに日銀が国債を大量に買い受けてマネタリーベースを増やしたのどうしたの・・は経済政策として的外れなのだ。日本の経済成長や生産性の向上はこのような金融操作といっさいのかかわりがないのだ。

 現実には日銀の国債大量買い付けは、借金漬けの日本政府の救済の道を掃き清めたということ以外にない。これは別に論じるほかはない。

◆責任の取り方

「玉木氏(民主党)はさらに、就任前の岩田副総裁の論文を引用し、『新日銀法施行後、物価上昇率が2%以下のプラスの領域にあった、いわば合格点が上げられる月は13年6カ月中、16%しかない。そういう責任者は責任を取って辞任するはずだが、日銀総裁は誰一人責任を取っていない』と書いているが、自身の責任はどう取るのかと質問した。」(ブルームバーグ)

 日銀の言い訳を紹介する気にはならない。むしろ玉木氏の言い方はなまぬるすぎる、と言いたい。というのは「公約違反」となりつつある日銀の政策だが、目標値の達成ができなかった責任よりもはるかに大きな責任を彼らはとるべきだ。

 政府国債を大量に買い込んで資産内容が極端に悪化した問題や、事実上の国債の日銀による直接買受けというシャブ漬け体質に突き落とされた日本経済と財政の責任はどうとるのだ、と言いたい。残されたのはボロボロの経済とタガが外れゆがみ切った国家財政だ。(竜)案内へ戻る


 色鉛筆・・・あれから5年 群青(ぐんじょう)の子らを想いながら

 私は趣味で合唱をしており、今年出会った歌「群青」を毎日練習しています。

 「群青」は、福島第一原子力発電所の北、半径二十キロメートル圏内にある南相馬市立小高中学校の小田美樹先生が構成された曲です。この地域の方全員が今もなお避難生活を送っています。

 東日本大震災発生後、一ヶ月たった四月二十二日にやっと市内の中学校を間借りして学校を再開したときには、生徒はたった七名でした。ある日、誰がどこにいるのかを確かめながら仲間の顔写真を大きな日本地図に貼り付けていくと生徒達は「遠いね」「どうやったら行けるの?」「でも、この地図の上の空はつながってるね」などの気持ちを述べました。その日から「群青」の詩の核となる生徒たちのつぶやきを綴る毎日が始まり、美樹先生が子どもたちの言葉をつなげて「群青」が生まれました。題名の由来は、文化祭は「群青祭」とよばれ、みんなが自分たちの色と感じている色、そして絆そのものであったからです。「群青の子」は、「群青の町」で再び集う日を思い描き今日もどこかで同じ空を見上げて頑張っているはず、そう思い続けることが毎日を生きる力になっている、そしていつかあの美しい小高で「群青の子ら」と再会できる日を信じていますと美樹先生は語られています。

 私は、別れを告げることも、再会を誓うこともできないまま、それきりになった友達へ心からのエール 故郷と友、そこで過ごした時間に思いを寄せる「真実の歌」をこれからも歌い続けていきたいと想います。(宮城 弥生)

  「群青」

 ああ、あの町で生まれて、君と出会い、たくさんの思い抱いて一緒にときを過ごしたね 
 今、旅立つ日見える景色は違っても、遠い場所で君も同じ空、
きっと見上げてるはず「またね」と手を振るけど、明日も会えるのかな。
 遠ざかる君の笑顔、今でも忘れない
あの日見た夕陽、あの日見た花火、いつでも君がいたね。
 あたりまえが幸せと知った。
 自転車をこいで君といった海、鮮やかな記憶が目を閉じれば群青に染まる。
 あれから二(五)年の月日が流れ、僕らの中を過ぎて三月の風に吹かれ、君を今でも思う。 
 響け、この歌声 響けも遠くまでも あの空の彼方へも大切なすべてに届け
 涙のあとにも見上げた夜空に希望が光っているよ、僕らの待つ群青の町で
 きっとまた会おう あの町で会おう
 僕らの約束は消えはしない群青の絆
 また会おう 群青の町で


 読者からの手紙

「戦後民主主義の虚実(偽善、少しの安楽、平和)の織りなす歴史的歩みの帰結点である今日の社会に生きる私は、年齢的にも一連の総括をなす責務がある。戦後復興のレールに乗って本質的には中産階級の一員として、安住した。性格的に小ブル特有の偽善、怠惰、幼児的ヒューマニズムの発露としての左翼思想への傾斜。狭い観念主義は、実体的実践的に己を賭した実存的揚企もないまま、利己的大衆社会に埋没、歴史は繰り返す。岸につながる安倍の独断専行の軍国主義路線。資本の延命である露骨な成長路線は格差、貧困を増大、受け皿のない日本は、右翼論争をも許さない暗黒へと突入。一部の目覚めた人士は果敢に闘う。私も末端で声を上げ厚い壁に挑んでいる。内心は破滅の予感がある。

民主主義の機能をしない、教育不在の日本は、安保を盲信する本土側の大衆無関心、無知、無恥により非常な困難を強いられている。佐藤優は安保同盟支持だが国際政治のパワーポリティクスについては九条は理念宣言だ。シビアな生き残りに米のサポートが必要だという。理念を現実に少しでも根付かせる努力、知恵が我々に足りないのも現実。保守、無関心層を巻き込む、肯定させるには何をどう展開すべきも負荷がいわれているが遅々として進まず。相変わらずの愚痴、弁解の心愛しき日々。」深町さんのコメント


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