ワーカーズ564号 2016/11/1
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〝働き方改革〟働き方改革は、労働者自身の事業だ!――自分自身たちの闘いで実現しよう!――
安倍政権が「働き方改革」を推進している。長時間労働の是正・三六協定の厳格化、正規・非正規賃金の格差是正・同一労働=同一賃金を実現するのであれば、こんな良いことはない。これらは労働者の永年の悲願でもあった。とはいえ、実際にやろうとしているのは、とても労働者が期待できる代物ではないし、私たちが実現をめざすものとは大きな開きがある。そもそも目的が違うのだ。
安倍政権による働き方改革はあくまでアベノミクス成功の手段に過ぎず、そのアベノミクスは、企業が世界で一番活躍しやすくするものだからだ。野党との争点つぶしの思惑も絡んでいる。
安倍政権による働き方改革は、弊害が無視できない。政権の政策に期待・依存するだけであれば、それは労働者にとって副作用が大きい。
労働者が依拠すべきなのは、政権による後押しではない。それは「労働者の処遇改善は、労働者自身の事業である」という理念・立脚点なのだ。政府の政策は継続するとは限らない。政権が変わってしまえば、労働政策も変わる。
先日、電通の新入社員が過労自殺したことで、労災が認定された。電通ではかつても過労自殺を引き起こしている。長時間労働が蔓延している証左に他ならない。今回は注目されたことで東京労働局の過重労働撲滅特別対策班が抜き打ち検査が入った。
こんな事例が発生するたびに思うのだが、なぜ職場レベルで異議申し立てや是正がなされないのだろうか。起こってからでは遅すぎるのに、だ。
結局、当該職場や企業の労働組合が形骸化していることの結果である。労働組合は、いつでも働く環境を監視できるし、不充分であれば是正要求を出したり闘いを推し進めることができる。労働局など公的機関の監視などは、一時のもので範囲も限られるものでしかない。当てには出来ないのだ。
モグラたたきではなく、長時間労働などの根治に向けて最重要なことは、企業による不当な処遇の改善のために、自分たち労働者の力を強くすることなのだ。かつて熊沢誠氏が強調していたように、労働者の団結と闘いこそが、雇用や労働条件に関する最大の保障なのだ、ということを思い起こしたい。
働き方改革は、政権の課題などではなく労働者自身の課題なのだ、という原点を、もう一度確認し合いたい。(廣)
日常から政治参加を!――「国民投票」を考える――
安倍自民党が参院で単独過半数を獲得し、衆参で「改憲勢力」が3分の2を占めた。安倍首相は、任期中の改憲を明言しており、改憲発議が現実味を帯びてきた。
ただし、その後には国民投票での承認が必要だ。その国民投票、現時点でその意義にいくつかの疑念が寄せられている。改憲発議が現実になる前に、その「国民投票」について考えてみたい。
◆是か非か
最近、世界を驚かせた二つの国民投票があった。EU離脱の是非を問うたイギリス、それにコロンビア革命軍との和平案承認を求めた南米コロンビアの事例だ。英国では国会議員ではEU残留派が多数派だったが、国民投票では僅差で離脱承認が多数となった。他方コロンビアでは、和平の承認を求めた大統領の提案が退けられる結果となった。
この国民投票については、英国では投票後に離脱派の主張に疑念が持ち上がり、離脱への疑問が膨らんでしまった。コロンビアでは、和平条件への批判が強かった結果、和平そのものが否定される結果になってしまった。こうしたことから、両国内ばかりでなく、世界中で国民投票の意義について懸念が示されるようになった。日本でも事情は同じだといえるだろう。
その日本では、改憲発議に必要な衆参での3分の2の議席を自民党をはじめとする改憲勢力が確保したことで、国民投票の実施が現実味を帯び始めた。日本ではまだ国民投票が実施されたことがない。当然のこととして、国民投票の是非についても、議論が交わされる様になったわけだ。
そこで、10月10日に朝日新聞に掲載された3人の研究者の発言を材料に、この国民投票制度について少し考えてみたい。
まず、国民投票で安易に改憲を実現することの是非である。たとえば石田勇治東大教授だ。その場合、実例としてあげられるのは、戦前のドイツのケースだ。ドイツでは、あのヒトラーが国民投票を多用して自らの独裁体制を築きあげたことが指摘される。いわゆる国民投票=独裁のテコ論である。
こうした評価は、安易な国民投票で重大な改憲を可能にすることに警鐘を鳴らすものだ。国民投票を否定するものではないが、石田氏はこの立場からいくつかの条件を付けている。その条件とは、「下からの国民投票」「投票前の情報開示」「有権者の検討期間の保証」「民意を反映する投票方式」だ。一口に国民投票と言っても、それが孕む問題は多岐にわたるのだ。
また、国民投票には国民の意思が表れる、ということに疑念を表明する人もいる。毛利透京大教授だ。毛利氏は、現憲法は国民投票のテーマを改憲だけに限定しており、その他に拡げるのは疑義がある、というものだ。氏は、「ある一時的な政治状況のもと、特定の質問形式でイエス・ノーを答えさせているものに過ぎない。その結果に「国民の意思」という重大な政治効果を持たせて良いのか、疑問もある。」と述べている。彼は、国民投票は、有権者の一時の気まぐれ、とも感じているわけだ。
その反対の立場から、国民投票を意義あるものにするには、普段から政治参加を進めなければならない、としているのが橋場弦東大教授だ。彼は、古代アテネの民主制を引き合いに、有権者の政治的熟達を促している。曰く、「政治に参加する機会を、日常生活の中に埋め込むこと」として、具体的には学校の生徒会やPTA、マンションの自治会などを例に挙げている。
◆過程的評価
私としては、3番目にあげた、日常的な政治参加が大事だとする立場に賛同したい。日本だけではなく、議会制民主主義を採用する国は、国民の政治参加を数年に一度だけの二者択一的な選択だけに限定している。ヒラリー対トランプの米国の大統領選挙のようにだ。それに国民投票制度があっても、実施されるのはごく希だ。
日本でもそうだが、選挙で選ばれた政治家は全国民・全有権者の代表として、選挙での公約に縛られない政策を遂行してしまう。安倍首相の戦争法も実態はそういうものだった。「代表制」が「白紙委任制度」だといわれる所以である。
本来は、有権者が主人公の、有権者による被選挙者の罷免・召還制度を組み込んだ派遣制にすべきだが、そうした制度を採用している国はない。意識的に否定しているのが、代表制民主主義の実態なのだ。そうした議会制民主主義国の政治制度は、投票で選出した大統領や議員・議会による間接統治がほとんどで、直接民主主義を否定するいはば有権者軽視の政治制度という他はない。
数年に一度の選挙で統治者を選択するという制度は、他のほとんどの期間では有権者は無視され、あるいは有権者のほうも無関心が蔓延する。こうした現状を打破し、本来の民主主義=人民主権主義を確立することが必要なのだ。
私は、こうした観点に立って、国民投票を本来の人民主権主義への一つのステップとして積極的に評価したいと思う。物理的に頻繁な国民投票は無理だとしても、テーマを改憲だけに限定するのではなく、全国レベルの重要なテーマについては、国民投票を多用すべきだと思う。
たとえば、最近の事例では、原発依存と脱原発の是非というテーマは、国民投票の格好の事例になると思う。あの福島原発の事故以降、多くの有権者は数年にわたって真剣に考えてきた。このテーマでの国民投票は、単に一時の気まぐれというものからほど遠いもので、有権者の熟慮を前提とした投票も可能だと思われる。だから原発推進派は、有権者の声を聞こうとせず原発回帰に邁進している。国民投票というものに、もっと積極的になってもいいと思う。
選挙にしろ国民投票にしろ、なにが正しいか、誰が正しいかを証明するものではない。国民・有権者の多数意志ががどこにあるか、明確に示すだけだ。だから1回の国民投票ですべて決着させるのではなく、重要な判断を何回も積み重ねることで、有権者の政治意識が鍛えられてしだいに賢明な判断に行き着く。そういう過程的な評価が大事なのだ。
◆主権者蔑視
同じ事は国会での議決でもいえる。議決された法律案は、正しいとか間違っているとか、言えるはずもない。法案などを支持する議員が多数であることが示されるだけだ。議員の多数の意志を、国民・有権者の多数の意志だと見なしているだけなのだ。だから有権者の意向と違う法案や、時にはとんでもない法案が可決されたりする。国会での議決も、実はいい加減なものなのだ。
憲法では、唯一の立法機関は国会だとされていることから、国民投票による意志決定は憲法違反だという人もいる。が、国会での議決がそういうものである以上、「国民投票が正しい判断をするとは限らない」という理由で、国民投票そのものを否定することは出来ないだろう。それらはいずれも有権者不信、大衆蔑視の主張なのだ。ちなみに、先の参院選では自民党の比例区での得票率は、約2000万票、有権者の2割程度でしかない。2割の票数を背景に、独善的ともいえる立法化が進められているわけだ。
だから国民投票制度がないか、あっても憲法改定に限定するのは、それだけ有権者不信、国民蔑視の制度なのだ。それは選挙や国民投票だけに限らない。日本の憲法15条には、国民の権利として「公務員を選定し、及びこれを罷免することは,国民固有の権利である。」とされている。が、現実は、その公務員の範囲規定、及び手続き法がない。国民固有の権利は、お題目にされたままだ。
また自治体についても同じだ。今から20年前、東北電力による原発建設を巡って住民投票がおこなわれた新潟県巻町。全国的に注目されたその結果は、反対派が圧勝だった。その後、様々な変遷を経て03年に正式な撤回に結びついた。
この住民投票には、少なからず批判もあった。が、福島原発の事故の後、当時の誘致派や各地の推進派・誘致派は、今何を考えているのだろうか。
そうした住民投票。多くの自治体では住民投票条例そのものが無いか、あっても実施されたことが無いのがほとんどだ。私の住んでいる自治体でも、平成の大合併に際して住民投票を求める声があったが、議会で否決されてしまった。理由は議員軽視だから、というものだった。こうした場面でも、住民不信、有権者蔑視が蔓延しているのが実情なのだ。日本のみならず、議会制民主主義での有権者蔑視は普遍的なものなのだ。
◆足元からの闘い
主権者たる国民の決定権を尊重するなら、むしろ国民投票は積極的に評価されてしかるべきなのだ。とはいえ、焦点となっている改憲の是非について、いきなり国民投票による改憲阻止の闘いに飛躍するのは短絡に過ぎるだろう。現時点では、むしろそれ以前の、デモや集会など、直接民主主義の行動を拡げていくことで、安倍政権の改憲発議をさせないこと、そうした政治的闘いが重要だろう。先に触れた、古代アテネや古ゲルマンの共同体での「民会」の例を挙げるまでもなく、「住民自治」の理念を土台とした、自分たちの住む地域のことは自分たちで決める、という態度が問われているのだ。国レベルでも同じのハズだ。
国会では憲法審査会が再始動している。早くも改憲項目の絞り込みを意図したアドバルーンが上げられている。具体例として、選挙区おける合区解消などが取り定されている。これもいわゆる「お試し改憲」につながるものだ。
現状としては、国民投票までいくつかのハードルがある。憲法審査会での改憲項目の絞り込み、その後の国会審議、さらに周知期間などだ。自民党総裁職の任期延長も決まったし、国会での改憲発議は安倍首相の思惑によるところが大きい。私たちとしても、時間は長くないことを銘記する必要もある。
私たちとしては、安倍政権の改憲策動にはきっぱり反対する立場から、政権側の言動の一つ一つに対して警鐘を鳴らし、批判と追求の声を拡げていくことから始めていきたい。(廣)
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包囲網狭まるモスル(イラク) 戦闘止めよ!百五十万人が人命・人道危機にさらされている
イラクの第二の都市モスルでの「決戦」が始まってしまった。
北からはペシュメルガ兵力やトルコ部隊も進軍してきている。南からは体制を整えてきたイラク軍が総攻撃に備えている。当然米軍や欧米参戦諸国は主に空爆によって、それらを支援するだろう。イラク最大のイスラム国の拠点が今、「反イスラム国連合」により包囲され、その囲いが狭められている、戦死者が増大する市街戦が近づいている。
中東情勢が一変したのは、去年の秋口のロシアによる空爆介入からだ。それによりシリア軍が息を吹き返しイスラム国など反政府勢力に対して猛反撃に転じた。これらの戦闘により既に数十万人が死亡している。大量の難民が当然にも発生したが、難民は取り残されなければ周辺諸国や欧米への渡航を試みて国際的な問題にまで発展した。
一方イラクは、マリキ前首相によるシーア派優遇政策により国内分裂が深刻化し、一方的にイスラム国の勢力に押され続けてきたが、アバディ現首相はその点を考慮して国内的団結とイスラム国の掃討のための体制立て直しを急いできた。
アバディ首相は「勝利の日は近い」と国民を煽っているが、この決戦ともいえる大都市モスルでの戦いで一般市民も含めて多大な犠牲者が発生することを無視しているかである。そもそも、イラクやシリアとIS・「イスラム国」との闘いは、国家権力をめぐる戦いであり、一般国民からすればよそよそしい無駄な闘いであり、それに一方的に巻き込まれてきた被害者・犠牲者である。
国際世論は反イスラム国諸国、つまりイラ・クシリアはもちろんとし欧米諸国は、「イスラム国」の反社会性や残虐性、無法を一方的に非難し「テロリスト」とののしってきたが、同じかそれ以上にシリアのアサドは自国民を爆殺してきたし、米国はイラク戦争で劣化ウラン弾やクラスター爆弾で十数万人のイラク人を虐殺してこなかったのか。国民にしみこむ反米的憎悪があるからこそイスラム国はそれ故に発生し、勢力を拡大しえたのである。そのことをまず第一に指摘しなくてはならない。英仏諸国なども規模こそ違え同類である。この「反イスラム国戦争」にどんな正義も正当性もないことを確認せざるを得ない。 「反イスラム国戦争」は、双方ともに国家権力の闘争である。イラクやシリアといった既存の枠組みとそれを支援する欧米諸国=「国際社会」VS宗教的新興国の血みどろ闘いであるが、一体こんなことのどちらに正義があるというのだろう。今、軍事力の再編に成功したアバディ・イラク首相は「モスルの解放して祝おう」などと言っているが、もともとイラク第二の都市で今でも百五十万人が住んでおり、戦闘は市民を巻き込むことは必至でしょう。アバディが勝利したとしても一体死体の山の前で何を祝おうというのか!
この間近に迫った戦争が「祝えない」もう一つの理由は、その後にくるもう一つの戦争の可能性をたぐり寄せてしまうからである。それは虎視眈々と中東で勢力拡大を目指すトルコのエルドアン大統領がシリアやイラクのクルド人勢力ーー今回のモスル総攻撃作戦にも参加しているーーの掃討作戦を実行するタイミングを計っているからである。シリアやトルコの背後にはロシアがおり、イラクも米国が支援してきた。一つ間違えば、第三次世界大戦につながる可能性も出てくる。このような国家による権力対峙や勢力争いは、まさに正真正銘の「大テロル」であり反人類的な行動である。「イスラム国憎し」というキャンペーンに惑わされることなく人類史的視点に立つべきである。戦争は犯罪だ戦争を止めろ!(山崎)
資本主義の停滞象徴する「銀行の不振」
ウオールストリート・ジャーナルが以下の長文の記事を掲げていた。
「銀行の未来はなぜ暗いのか 2016.10.13」「・・ウェルズ・ファーゴのジョン・スタンプ会長兼最高経営責任者(CEO)の突然の辞任と、ドイツ銀行を取り巻く混乱は、銀行をとりまくもっと暗い状況を伝えている。両行はそれぞれ違った形で、銀行がもうけを出すのはどれほど難しくなっているかを示している。株式市場は、予想できる限りにおいて投資家が投資した資本に求めるよりもはるかに多くを銀行が稼ぎ出すとは期待していないようだ。その原因は超低金利やマイナス金利、規制強化や経済成長の低迷にある。」
米国というよりも世界の金融帝国を代表する同紙がこんな弱音を吐くのは珍しいのではないだろうか。この記事は、米国に限らずEUや日本にも完全にあてはまっており、金融制度の根幹である「銀行」が体力を消耗しつつあることを率直に認めている。
さらにこのように危機感を具体的に説明する。「資本コストよりも多くを稼ぐことができない業界は縮小する運命にある。これは銀行や株主にとって重要なだけにとどまらない問題だ。中央銀行が信用供給を通じて緩和する場合、融資や取引などで個人や企業、国の間にお金を回すことにより経済全般へ恩恵を波及させるため、銀行を頼りにする。銀行が先細りして利益を挙げられないと、この波及経路は目詰まりを起こす。」(同上)。
「資本コストよりも多くを稼ぐことができない」現状については以下の指摘がなされている。「有力な手掛かりの一つとして、銀行の株価純資産倍率(PBR)の低下が挙げられる。例えば、危機以前は約2倍だったバンク・オブ・アメリカとシティグループのPBRは危機以降、フランスやドイツ、日本やイタリアの銀行と同様に1倍を下回っている。つまり、銀行資産のコスト調整後のリターンはマイナスになると投資家が考えているということだ。事実、世界の銀行を代表する国際金融協会(IIF)によると、2010年以降、欧州と日本、米国の銀行は平均して資本コスト以下の収益しか上げていない。」(同上)
さて、資本コストとは企業が新規投資を行うとき,その投資があげなければならない最低限の利益率のこと。切捨率cut‐off rate,却下率rejection rateなどともよばれる。投資を行うためには資本を調達しなければならないが,株主,債権者等の投資家は資本提供の対価として利益の分配を要求することから,それを満足するに十分な投資利益率という意味の資本コストが発生する。(【資本コスト cost of capital】は「世界大百科事典 第2版の解説」)
この「最低限の利益」ラインを切ってしまえば、そもそも資本として投下する意義はない。資本は、その企業・業界を見限るほかはなくなるわけだ。まさに「却下」「切り捨て」られるほかはない。しかし、銀行業を切り捨てるということは資本の継続的運営いや資本の存在の否定に外ならなくなるのであり、かつての繊維産業や鉄鋼業からの資本の撤退・移動とはわけが違うのは明らかだろう。
中央銀行は、皮肉にも銀行安定化のための自己資本比率を高めさせたり、金融大緩和政策で金利をいやがうえにも低下させたが、各銀行は預金者には転嫁できずにいる。さらに中央銀行による国債購入によってできた各銀行内の巨額の資金は「中央銀行の口座」でゼロないしはマイナス金利で「ブタ積み」されており何の利益も上げないでいるという八方ふさがりである。
「キーフ・ブリュイエット・アンド・ウッズのアナリスト、ジョージ・カラマノス氏は、現在の金利が続いた場合、欧州各行の利益は2020年までに2割減り、ドイツ銀行は不採算になるだろうとみている。」(同上)。
リーマンショック以前には銀行業はいわゆる伝統的な金貸し業から転身して、「投資銀行」としての側面を強めてきた。銀行全体収益の主力となってきた。ところがドイツ銀行のように、それが一転して足かせとなりさらには不法行為として莫大な罰金支払いを米国法務省から請求されたりと、まさにリスキーな事業になってしまった。今後とも経済環境が大きく変化するーー銀行にとって改善されるーー見通しはなさそうである。銀行のじり貧の道は資本主義経済を象徴しているだろう。(リュウ)
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夢のAI(人工知能)やIOT(物と物へのインターネット)も資本に利用されているだけ
進むと予想される中産階級の分解と格差に警鐘を
■「シンギュラリティのことなんて誰も気にしちゃいない。みんなが気しているのは『機械に仕事奪われるんじゃないか』というところだ」(オバマ「AI未来戦略」)
シンギュラリティとは「技術的特異点」といわれ、人間による機械の支配から機械による人間の支配が開始されることを言います。それが来る25年あたりだという説があります。天才物理学者ホーキング博士がその見解をとることで、一般にも広く真剣に受け止められるようになりました。これは映画「ターミネーター」に登場する「スカイネット」の存在を思い起こさせる人類の悲劇ということです。
この点に関しては私見でもシンギュラリティの心配は見当はずれだと思っています。AIによる社会への衝撃は、労働者さらには技術者や知的労働者へと失業の脅威が迫ることです。これらの人々が現在のポジションと収益を失い、非正規で低賃金のサービス業などへと追いやられて格差が進むことです。「ギーズモンド」の記事にも以下の点が指摘されています。
「シリコンバレーのAI大手は「仕事奪いません!」と言ってますけど、英オックスフォード大学マーティンスクールが3年前に発表した予想では「アメリカ人の47%は2033年までにロボットに奪われる」そうです。ちなみに「カナダ人は42%」。かく言うイギリスはどうなのかと言うと、デロイトの今年の発表によると「2036年までに1100万人がロボットに仕事を奪われる」とのことです。まあ、どこも似たり寄ったりってことですね。」(ここまでギーズモンド・ジャパンより転載。)
18・19世紀に蒸気機関やベルトコンベアーなどの技術革新が工場にもたらされ、技能労働から代換が容易な単純労働へと労働者を追いやってきました。近年のコンピューターの普及も労働者を「解放」し知的で創造的な労働へと格上げさせることはなく(それはほんの一部です)、多数の労働者がより一層劣悪な待遇の場所へと移動せざるを得なかったことは資本主義の歴史そのものです。
AIの普及が開始されている現在、完全自動運転がドライバー業務へ、医療ロボが診断の技術の向上で医師の仕事に割り込み、弁護士業などもAIの法律相談など可能だとされています。建築やデザインさらに音楽まで進出し多様な職種で「余剰労働人口」がおしだされると考えられます。生産的現場のみならず、すでに株式市場取引の世界では人間トレーダーをAIが駆逐しています。失業者は各方面から発生するでしょう。人手不足の解消という枠を超えて、人間労働の質の劣化や社会格差が当然予想されるのです。
今、各国政府と大企業は「AI=人工知能」「IOT=物のインターネット」「ブロックチェーン」などの先端システムの構築で、標準化の主導権を勝ち取るための競争に突入しようとしているのです。
■資本に利用される先端技術は大衆貧困化の恐れがある
オバマ大統領がAI未来戦略と同時に「テクノ失業」と「ベーシック・インカム」を抱き合わせで提案していることは、それなりのーーつまり安倍政権や経団連に比較してだがーー見識を示しているでしょう。つまりAIの普及は単純労働者のさらなる転落ばかりではなく、知的職業などが衰退することで中産階級の解体に拍車をかけるだろうからです。AIの普及には失業防止とセイフティー・ネットの構築がなければ格差の拡大で階級対立が先鋭化することは確実と思われます。
■AIの普及は資本主義の?栄を意味しない
AI開発にしのぎを削る各国です。先進資本主義は低成長であり、成長産業の発掘に血眼です。ゆえにこの主導権をどこの国が、どの企業が握るのかです。しかし、こんなことにどんな期待も夢もありません。実は、資本主義はAIやIOT、ブロックチェーなどで経済の効率化と機械化を大規模に進めているわけですが、それ自体が資本全体の成長と剰余価値の減衰をもたらしているのです。
当ブログでは何度も論じてきましたが、経済的富とは実物の富の創造以外のものではありません。経済的価値や剰余価値や利潤というものは、こうした富の創造にかかわる人間労働、つまり生産的労働者だけが生み出しうるものなのです。資本主義の300年の歴史を俯瞰すれば、経済過程・生産過程は機械化と労働者の放逐ーー社会全体としての生産的労働者の相対的減少ーーとして進んできました。かくして富を生み出す力は弱まり、成長は鈍化し、経済は寄生的・非生産的になり利潤率や利子率は逓減するばかりなのです。昨今の経済の金融化はそれに輪をかけて資金を寄生的分野に吸い上げているのです。
資本主義下では、どのような経済的革新も社会に否定的に作用してしまうのです。この作用ーーつまり失業とか賃金抑制とかーーと闘う必要があります。他方ではこれらの先端技術が、資本や利潤の道具から解放されることで人類への恩恵をもたらしうることを研究することももとめられています。(文)
読書室『不正選挙――電子投票とマネー合戦がアメリカを破壊する』亜紀書房2014年7月刊
2年ほど前に出版されたこの本は、決して過去の選挙の不正を暴いただけの本ではない。今でもその内容は、アメリカ社会を充分揺るがすに足る内実を持つ著作である。
現在アメリカでは、ヒラリー・クリントンとトランプの闘いが山場を迎えている。過去三回の公開討論の行方は、アメリカのマスコミによって一方的にヒラリーの勝利と報道されているが、これは本当のことなのか。この討論の全体像を把握し得ない日本国民には、この報道が真実だとは俄に判定できないのである。
アメリカ政治の研究者である古村治彦氏は、この事に関わるアメリカの政治専門誌『ポリティコ』誌が行った世論調査を紹介した。10月19日の彼のブログから引用する。
「アメリカの有権者の4割がアメリカの選挙システムは『歪められている』と考えているという結果が出ました。共和党支持者の7割、民主党支持者の2割弱がそのように考えているということが分かりました。
民主党の予備選挙では、民主党全国委員会の幹部たちがヒラリーを勝たせるために、バーニー・サンダースを何とか貶められないかという話をしていたことがEメールの暴露で明らかにされましたし、そもそも特別代議員(スーパー・デレゲイツ)という制度も民主的であったのかどうかといわれると疑問が残ります。
現在の状況では、ヒラリー勝利が濃厚ですから、具体的な不正選挙(投票妨害や投票の集計を故意に間違うこと)ということはないでしょう。しかし、4割とは言わなくても、かなりの数の人々が選挙制度が捻じ曲げられていると考えることは、アメリカの根幹にかかわる問題です。(中略)
また、選挙が終わった後のことを考えると、選挙結果に疑問を持つ人々が多くいるという状態は健全ではありません。その結果として、過度の政治無関心に向かうか、過度の政治へのかかわりから暴力へと向かうか、ということになります。また、ヒラリー・クリントンが勝利し、大統領になった後でも、Eメール問題や選挙結果で火種がくすぶり続ければ、弾劾への動きが加速するでしょうし、ヒラリーが抱える健康問題が悪化すれば、4年間の任期を全うすることも難しくなることもあるでしょう」
古村氏の見解とは別に、今回の3回目の討論会では選挙結果を受け入れるのかという質問が焦点となった。司会者があなたは選挙システムが「歪められている」と主張しているが、もし選挙に負けたら選挙結果を受け入れるのかと質問されて、トランプは「その時に結果をよく見る」「はっきりしたことは言わない」と答えた。この答えに対してヒラリーは「彼は共和党の予備選挙でも負けた州では不正選挙があったと言ってきたし、自分の出たテレビ番組がエミー賞を取れなかった時も選考に不正があったと述べた」とここそとばかりに攻撃した。このようにトランプは本当に正直者だ。彼は知っているのである。
まさにここが核心である。この本はブッシュの不正選挙の暴露で始まっている。今回のトランプの立候補もブッシュが大統領候補に成ることを阻止するためのものだった。トランプかここまで健闘し共和党の大統領候補者になるなど一体誰が想像できたあろうか。事ここに至って大統領はトランプに決まりと断言する副島氏とトランプか大統領となる可能性があると発言しているのが藤井厳喜氏と森永卓郎氏達だ。しかし彼らの声はヒラリー優位の報道の中で消されている。そして今不正選挙の声がアメリカで高まっているのだ。
その意味においてアメリカの過去に行われた不正選挙を徹底的に暴いた本書の意義は、今本当に輝いて見える。この本の編集者であるマーク・クリスピン・ミラーの50ページほどのコモン・センスと題する序論は、本論にあるたった4ページ「アメリカの民主主義を救う一二のステップ」と併せて、今こそ鋭い問題意識を持って読むべき文章であろう。
序論では、紙を使わないコンピューター集計を「秘密の集計」と告発している。「一二のステップ」では、「『全ての』電子投票を止め、紙の投票用紙で手集計する」「全ての民間業者を我々の選挙から閉め出す」「テレビネットワーク局による集計完了前の当選者発表を違法とする」等の提案に私達は驚愕する。何故ならこれが日本の選挙の日常だからだ。
今回の大統領選挙は、驚くことにジョージ・ソロスの会社が請け負っている。
10月21日のブログで古村氏は「デモクラシーの根幹は自由で公正な選挙、ということをアメリカ人は言い続けてきました。しかし、このブログでもご紹介しましたように、アメリカ人の一定数が既に選挙に不信を持っています。そうなれば、デモクラシーの根幹が崩れることになります。今回の選挙ではそれが暴露されてしまうことになります。
トランプが敗北し、選挙結果を受け入れない場合、各州で投票の再集計ややり直しを求める動きが出てきて、それが激化するでしょう。そうなれば、来年1月の大統領就任式までのもろもろの準備も大きく遅れ、新大統領のスタートがつまずくことになります。また、ヒラリーに関しては疑惑や問題が多いですから、議会による弾劾ということもあり得ます。史上初の夫婦で大統領は史上初の両方とも弾劾を受けた大統領ということもあり得ます。
このようにアメリカ政治の不安定さを増すと、アメリカがデモクラシーの総元締め、デモクラシーを世界に拡散するということは、『まずは吾人の足元を見つめることからはないですか』ということになります。今回の大統領選挙は、アメリカのデモクラシーの衰退を含めて、終わりの始まりということになるでしょう」と書いている。
その後トランプは選挙結果を受け入れると発言したが、時は既に遅かった。ヒラリー達は、徹底してトランプのこの失言を利用し続けてスキャンダルを煽ってきたからである。
日本と同じく腐り果てたアメリカの大メディアでも2社だけが、米大統領選挙について本当の候補者支持率を書いている。つまり週刊誌のタイム誌が「トランプ89%、ヒラリー11%」とケイブル・テレビのフォックスが「トランプ85.54%、ヒラリー12.63%」としている。この2社だけが真実の世論調査の結果を発表したのである。
日米関係の重要性を考えれば、今回の大統領選挙の結果には注目せざるを得ない。そのためにも、今こそ本書を手に取り真剣な検討を呼びかけるものである。(直木)
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「エイジの沖縄通信」(NO.32)・・・高江報告-2題
(1)「悪は伝染する」・・・機動隊員の「土人」「シナ人」発言に思う
沖縄・高江のオスプレイ・パッド建設を警備する大阪機動隊員の抗議活動参加者に対する「土人」「シナ人」との差別発言が大問題になった。この差別発言を聞き、私は「悪は伝染する」という宮部みゆきさんの小説の事を思い出した。
20代の若い隊員は「興奮して思わず言ってしまった。差別的な認識はなかった」と釈明しているようだが、まったく許されない暴言である。
さらに、大阪府の松井一郎知事が「ツイッター」で「表現が不適切だとしても、一生懸命命令に従い職務を遂行ていたのがわかりました。出張ご苦労様」と、機動隊員の発言を擁護するようなこの政治家の発言も大問題である。これらの事に沖縄県民が猛反発するのは当然である。
ご存知のように松井知事は「日本維新の会」代表である。その身内である沖縄県の「日本維新の会県総支部」(儀間光男代表)は記者会見し、松井代表の発言に抗議し、抗議状を党本部に提出している。沖縄と本土の温度差を如実に示している。
県議会与党からも、機動隊の撤収を求める声が強まっている。また、琉球新報も21日の社説で「機動隊員の発言を単なる失言と済ましてはならない。その裏にある深刻な沖縄蔑視を反省し、機動隊を沖縄から撤収させるべきだ」と指摘している。
この若い機動隊員の差別発言は根が深いと言える。なぜなら、今の日本社会が抱えている諸問題がこの発言の背景にあると思う。
まず、多くの論者が指摘するように「20代の若い機動隊員が古い差別用語『土人』『シナ人』という言葉を知ったのは、ネットを通じてであろう。ネット上では差別用語が一種の流行語となっている」「差別意識が解消されないまま歴史的に何度も使われ続け、差別用語としてずっと生き続けてきた。発言することでまた再生産される」と。
さらに、問題なのは日本社会で蔓延している「ヘイトスピーチ」だ。「沖縄に対する差別意識を増幅させるようなヘイトスピーチが日本中に蔓延している」「機動隊だけの問題ではなく、日本中で沖縄を差別する雰囲気が広がっている」と指摘。「機動隊の派遣自体が差別政策だが、機動隊員は使命感に燃えて任務を遂行しているつもりだろうが、無意識のうちに沖縄人を見下したのだろう。政策も言葉も差別だと気付いていない」と。
この「機動隊の派遣自体が差別政策だ」「機動隊員は使命感に燃えて」との指摘を聞き、私は日本の侵略戦争で中国などに派遣された若い兵隊と同じではないかと思えた。「勝ってくるぞと勇ましく」日本を出発したが、泥沼の中国戦線でイライラが募り、その腹いせに中国人に対して「シナ人め!」と罵倒する兵士の姿が浮かぶ。
(2)デタラメな不当逮捕が続く高江現場
7月に2年ぶりに高江のオスプレイ・パッド工事が再開され、もう3ヶ月になる。
この間、150人の高江部落に500人の機動隊や防衛局職員・アルソック警備員・工事作業人等などが投入され「戒厳令」の下で工事が進行している。
沖縄の「民意」や「地方自治」をまったく無視して、弾圧姿勢で高江工事をすすめるデタラメ安倍政権。高江のオスプレイ・パッドを何としても年内中に完成させ、そして早く辺野古新基地建設へと焦っているデタラメ安倍政権。その焦りなのか、最近高江では不当逮捕がエスカレートしている。
その象徴的な出来事が、平和運動センター議長の山城博治さんの逮捕と再逮捕だ。10月17日高江の工事現場にいた山城さんをフェンスの有刺鉄線を切ったとして「器物損壊容疑?」で逮捕する。そして、20日が拘留なしに拘束できる期限だった。
ところが、同日夕方に強制捜査もしていない8月に発生した事案で「傷害・公務執行妨害容疑?」でまた再逮捕した。この事について、高江弁護団は「刑罰が器物損壊よりも傷害の方が重い。器物損壊での拘留は厳しいと踏んで、拘留請求却下に備えて再逮捕したのではないか」と述べている。
この山城さんの逮捕と関連するが、突然21日にN1ゲート裏のテント村に警察が家宅捜査(ガサ)に入った。9年目に入るオスプレイ・パッド反対運動においてテント村に家宅捜査が入ったのは初めである。また、同日山城さんの自宅も家宅捜査を受けた。
本土から高江に来ていた支援者2名を狙った逮捕も起きている。さらに驚いたは、辺野古の「島袋文子おば~」までも暴力容疑で告訴され、名護署で任意の事情聴取を受けたとのこと。なんと、この容疑事件は5月の話で島袋さんが米軍キャンプ・シュワブ前で男性に暴力をふるったと言う。被害届を出したのは「日本のこころを大切にする党」の運動員である。
このように、反対運動のリーダーである山城博治さんを長期間拘束することを狙った再逮捕。辺野古・高江の闘いのシンボルである島袋文子さんに対する告訴と、反対運動の停滞・萎縮を狙った弾圧であることは明白である。
デタラメ安倍政権のこうしたなりふりかまわない弾圧と不当逮捕が続く高江現場。こうした中での、若い機動隊員の沖縄県民に対する差別発言。やはり安倍政権の人権無視の高圧的な弾圧姿勢が若い機動隊員にあらわれたと言える。(富田 英司)
「色鉛筆」・・・沖縄高江で「土人」と口にした君へ
来る日も来る日もなぜ彼らは、諦めもせず抵抗し続けるのか?若く屈強な機動隊員が500人もかかってさえ、なぜ抵抗を止めないのか?・・・その強い苛立ちは君たち機動隊員ら同僚に広く共有されていて、何の抵抗もなく「土人」と口にしたのだろうか。
想像してみて欲しい。戦争末期、敗色濃い日本で唯一米軍との「地上戦」が沖縄で行われ、美しい田畑や松並木、道路、鉄道、建物などありとあらゆるものが破壊し尽くされ、県民の4人に1人が命を落とした。戦後、戦争を始めた日本からは、何の賠償も無く、逆に主権回復した日本本土からの生け贄の如く、沖縄は米軍のもとに差し出された。
その結果米軍は望みのままに、普天間や嘉手納などの広大な基地を強奪した。沖縄戦で生き残った誰もが死者の記憶、悲しみを抱えながらも、必死に生きるしかなかったが、まともな働き口などどこにあっただろう?「敵」の米軍基地で働かざるを得ない、あるいは男手を無くした女達では水商売や売春などに従事せざるをえない人も少なくなかった。戦争中、死体の血の混じった泥水を飲んで生き延びた島袋文子さん(87歳)は、戦後米軍基地などで働き、「いいことは一つも無かった」と言っている。
27年間もの米軍施政下、凄まじい事件・事故・被害にどれ程さらされ続けたことか!それは1972年の沖縄返還後の今日もなお、変わっていない。20歳になったばかりの女性が、4月に犠牲となった事件は覚えているはず。だからこそ沖縄は闘い続けて来たし、それを止めることは無い。
47都道府県のうちの一つに過ぎない沖縄県にだけ、米軍専用基地の74%が押し付けられ、その上さらに高江や辺野古に新基地を造るなどとうてい容認できない、子や孫にまでこの苦しみの歴史を押し付けられないという思いで抵抗しているのだ。あなたが「土人」という言葉を投げつけた人たちは、こういう過去を持ち、こういう思いを持つ人たち、その人達から話を聞いて育った人たち、それに共感する人たちなのだ。
今沖縄では、菅官房長官の言う「法治国家」と言う言葉が、恥ずかしくて逃げ出すほどの「無法」がまかり通っている。全国から500人もの機動隊員を使っての道路封鎖や検問、座り込み市民の強制排除。自衛隊ヘリでの工事用重機搬入、根拠のあやふやな数々の逮捕。
反対派のリーダー山城博治さんは10月17日の逮捕以来、まだ獄中だ(25日現在)。本土から高江の闘い支援に行ったある人は、帰宅途中の那覇空港(70㎞以上も離れている)で、2週間も前の身に覚えの無い行為を理由に逮捕された。
車いすと杖に頼る島袋文子さんに至っては、『日本のこころを大切にする党』の男性運動員から「暴行」容疑で訴えられ、名護署への出頭を命じられた。出頭当日、基地建設反対の市民らを非難する団体の街宣車が、署の前で大音量で繰り返しサイレン音を流したことで、島袋さんは戦時中の空襲警報を思い起こし、動悸や震え、悪寒、吐き気などの体調不良に陥り事情聴取は中断されたという(琉球新報10月22日)。戦争による心の傷は、70年たってもいまだに癒やされてはいない。
政府はなりふり構わぬ「無法」で脅し、反対運動の萎縮を狙っているが、沖縄は決して屈しない。君たちは、「無法国家」による無法な高江の警備命令などに、従う必要は無い。沖縄から立ち去るべきだ。
強奪された米軍基地は、無条件ですべて返されるべきものだ。そして豊かな自然と独自の文化・歴史を持つ本来の沖縄を取り戻そう・・・(澄)
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ふぅがわるいで、政務活動費! 第23回全国市民オンブズマン香川大会報告
9月24・25日、高松市で開催された今年の全国大会、関心はまず富山市議会の現状はどうなっているのかでした。報告に立ったのは、市民オンブズ富山の青島明生理事。ことの発端は、富山市議会が議員報酬を月額60万円から70万円に上げる件で、取材にあたっていた女性記者に暴力的妨害が行われたことで火がつき、北日本新聞が連日のように1面で報じ、議員は次々と辞職に追い込まれたということです。
こうした実態、その手口は少なくない自治体で今も続いています。問題はただ、それが明るみに出ていないだけです。ちなみに、手口はつぎのとおりです。
○ 白紙領収書に自己記入
○ 空白但書欄に自己記入
○ 虚偽領収書作成依頼(酒類→「お茶・菓子」)
○ 領収書に数字書き足し
○ カラ発注(一部含む)
○ パソコンで作成(印鑑作成・印影作出)
10月3日、12人目の議員辞職となり、11月6日投開票の補欠選挙(10月30日告示、欠員1を含め改選数13)が予定されています。こうした不正が自民党議員だけではなく、民主党(民進党)議員もやっているのだから救い難い。こうして、昨年度の富山市議会の政務活動費は全額支出、返還なしとなっているのですが、これは使い切らないと金額を上げることが出来ないという自民党会派の圧力によるものでした。
ところで、この補選で当選してもその任期は来年の4月まで。補選に費やされる選挙費用がもったいない(ムダだ!)という声が富山市民から聞こえてきそうですが、市民が監視を怠っていた結果でもあります。その一方で、既存の政党・議員の腐敗ぶりに維新の会がつけ込み、「身を切る改革」などというあざとい看板をかけて地方議会で進出しています。
しかし、維新議員も負けずに不正に励んでいます。最近も、兵庫県議会の維新議員が市議時代の備品の返還を怠っていたとか、大阪府議会の維新議員がレンタル契約の車を妻が使用していた(これはテレビで妻が買い物に励む映像が流れた)とか、でたらめな実態が明らかになっています。この党の〝身を切る〟というのは、他党をけなし切りつけることのようです。
大会では口利きの記録ということも提起されました。議員からの口利きを記録しようというもので、条例や要綱(例えば群馬県「職務に関する働きかけに対する対応要綱」など)で、職員が議員からの口利きを全て記録することで、議員による〝市民の御用聞き〟の実態暴露になるのです。
なお注意すべきは、熊本県「不当な働きかけに対する職員の対応要綱」のようにすると、職員が不当かどうか判断しなければならないので、全ての口利きを記録するような規定にすべきだという指摘がありました。さらに、議員だけでなく退職した職員による口利き、つまり先輩OBの介入も記録する必要があります。
この問題は、市民が行政に言いたいことがあるなら自ら動くべきで(それが市民自治の始まりでは)、議員を使い走りにしてはならないということです。地域ボスに依存する有権者がどぶ板議員と口利きを温存しているのです。富山のクズのような議員は全国に溢れています。その一掃は私たちの行動にかかっています。
次に、具体的な課題についても紹介しましょう。
リニア新幹線
採算の問題もあるけれど、そもそも何のためにつくるのかが問題です。JR東海は理由として、①輸送力増強をいうが、新幹線で対応できる。②災害対応については、費用が多額すぎる。③移動時間短縮については、それほど望まれていません。これまでは私企業の事業でしたが、税金が3兆円も投入されるのなら「何のためにつくるのか」説明を尽くさなければならないでしょう。
公営ギャンブル
そもそも、戦時に軍事費調達目的で導入されたもの。例えば、軍馬育成とか。敗戦後も当分の間ということで続けられたのですが、この国ではそうして始まったら利権が発生し、当初の存在理由がなくなってもやめられなくなるのです。ギャンブルは庶民に対する追加的収奪(すでに労働においてしっかり搾取されている)であり、社会を荒廃させずにはおかないものなのに、その存続に利益を見出している者にとっては手放せない金づるなのでしょう。
大阪府・維新の会が2025年万博誘致をぶち上げ、どうやら安倍自公政権も大阪万博誘致を正式に決めるようです。20年の東京五輪のあとの経済活性化の目玉だとか。大阪府は埋め立て地・夢洲の活用、民間資金も含め1200~1300億円規模の会場整備で景気を盛り上げようとの計画です。
そのテーマは「人類の健康・長寿への挑戦」だとか、本当にうんざりです。東京五輪に大阪万博、リニア新幹線にカジノ開設、そんなことをしている場合ではないだろうに、もはや邪悪な目論みというほかありません。
八ッ場ダム
始まりは1947年のカスリーン台風というから、私が生まれる前からの計画。この国の官僚の執念たるや、どれほどすさまじいか。86年、当初計画は事業費2110億円で2000年度完成。01年、完成を10年に延期。04年、事業費が4600億円に。ちなみに、この時期に1都5県で住民監査請求から住民訴訟へ。08年、完成年度を15年度に延期。
09年9月、政権交代。前原誠司国交相が八ッ場ダム中止発表。その後、国交官僚と利権集団の巻き返しによって事業継続へ。15年9月には住民訴訟が全て最高裁で敗訴となり、今年8月には事業費が5320億円となった。ちなみに、完成は19年度の予定。小さく生んで大きく育てる、無責任な公共事業の典型です。
この経過をみて、あきれない者はいないでしょう。事業費は、当初の2110億円から5320億円へ2・5倍に膨れ上がり、完成年度もいつになるかわからない。もっとも、完成が延びているのは無駄な公共事業を止めようという人々の力によるものですが、それにしてもこれほどずさんで無駄な事業を止めることができない司法も最悪です。いったいどれほどのの裁判官が係ったものか、情けない連中です。
今回の全国大会、香川県といえば讃岐うどんということで、うどんをしっかり食べうどん県を堪能しました。写真は大会が終わっての昼食、帰る前にもう一杯ということで、日曜日の徳島の駅前でずいぶん探してみつけた食堂のうどんです。おいしかったです。
大会では政務活動費支出の領収書等のホームページでの公開、さらにその情報を電磁的記録(PDFデータ等)によって公開することを求めていくことを決議しました。こちらは、各地ででたらめ放題の実態が明らかになるなかで、確実に実現しつつあるようです。 (折口晴夫)
大会宣言
2016年9月24日から25日にかけて、私たちは「ふぅがわるいで、政務活動費!」というメインテーマで、第23回全国市民オンブズマン香川大会を開催しました。
元兵庫県議の有罪判決の記憶も新しい中で、富山市議会で判明した組織的な政務活動費の不正支出は、富山市の制度固有の欠陥によるものではなく、同様の事態は全国で起こりうることが明らかになりました。
また、行政の適正な執行を監視するとともに、政務活動費支出の成果を市民が知る手段となる「行政に対する働きかけの記録制度」は、香川県をはじめとし多くの自治体で未制定か、違法・不当を要件とすることで機能していないことが明らかにされました。
情報公開制度全般についてみれば、共謀罪の立法過程の情報はすべて不開示とされるなど、市民の立法参加に必要不可欠な立法過程の情報すら相変わらず開示されないこと、本来当然開示されるべき情報も個人情報を口実に隠される事態が起こっています。その一方、富山市議会をはじめとする多くの議会で情報公開請求者の氏名を議員に伝えていたこと、また、大分県警が労働組合等の敷地に無断で立ち入り監視カメラを設置していた事件も発覚しました。こうしたことにより、一昨年施行された秘密保護法と相まって、民主主義の要となる知る権利・市民のプライバシーを侵害する動きが強まっていることが明らかになりました。
また、私たちがこれまで活用してきた住民訴訟制度を改悪し、首長の責任を限定するなど住民訴訟制度を骨抜きにしようとする動きも相変わらず進められています。
私たちは、今回の大会報告や討議をもとに、行政・議会をチェックし、公権力による住民監視・民主主義に不可欠な知る権利を後退させる動きを許さないこと、住民自治の実現へ向けた地方議会の改革を求めることを誓い、以下の4点を大会宣言とします。
記
第1 政治活動費に関するインターネットによる一層の情報公開を求め、引き続き監視活動をつづけること
第2 違法・不当を要件としない「行政に対する働きかけの記録制度」の制定を求めるとともに、開示された情報を不断にチェックしていくこと
第3 表現の自由・民主主義の危機に対抗し、情報公開を進める活動を継続し、不開示決定に対しあらゆる手段でたたかうこと
第4 住民訴訟制度の改悪の動きを監視しこれを許さないこと
2016年9月25日 第23回全国市民オンブズマン香川大会参加者一同
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コラムの窓・・・「誰が少女像の撤去を要求するのか!」
昨年末、安倍自公政権は日本軍によって軍事性奴隷とされた元日本軍〝慰安婦〟問題に決着をつけようと、10億円拠出することで韓国政府と合意しました。9月1日、その10億円が元日本軍〝慰安婦〟支援のために韓国政府が設立した「和解・癒しや財団」に支払われました。
これによって、マスコミなどの関心事はソウルの日本大使館前にある平和の少女像が撤去されるのかどうかに移っています。日本政府内には像撤去と引きかえの10億円拠出、つまり10億円で少女像を買おうとの卑しい思惑がありました。それを待たずに10億円払ったことを評価する向きもあるようですが、これは朴政権対元日本軍〝慰安婦〟と支援者たちで争そわせようという悪だくみなのです。
朝鮮の植民地支配・戦争加害について、日本政府は一貫してすでに解決済みとし、今回の日韓合意による10億円拠出も元日本軍〝慰安婦〟への支援だと強調しています。しかし、加害の事実があり(認めたくない困った人たちがいますが)、被害者が心からの謝罪を求めているのです。加害の側が一方的に〝解決した〟と言えるものではありません。
マスコミは安倍自公政権の少女像撤去要求を支持しているのか、少なくとも積極的にこれを批判しているようには見えません。権力を監視することが重要な任務とされるマスコミとして、実に情けないことです。歴史をかえりみて、反省しない、できないなら、また同じ過ちを繰り返すでしょう。だまされたと言っても、市民もその責任を逃れることはできないでしょう。
9月1日といえば93年前に関東大震災があり、〝流言飛語〟により朝鮮人が大虐殺された過去があります。日本社会はその当時からどれほど進歩したでしょうか。今また、誰かが悪意の噂を流したら、同じようなことが起こらないと断言できるでしょうか。朝鮮民主主義人民共和国との間では何も始まっていないのに、憎悪だけが増殖しています。
安倍首相は元日本軍〝慰安婦〟の方々の謝罪要求に対して、毛頭その考えはないと言い放っています。マスコミも歴史を正しく伝えないなかで、少女像とは何なのかも知らない人々が安易に政府に乗せられる可能性大です。皮肉なことですが、こうした歴史歪曲の強まりに応えるように、少女像は世界に増殖しつつあります。
少女像はすぐれて芸術作品であり、青い羽根を持つ韓国・梨花女子大前の少女像はため息が出るほど美しいものです。韓国に行く機会があったら、ソウルの日本大使館前だけではなく梨花女子大前も訪れ、苦難の人生を歩まされた少女たちの無念に思いを馳せたいものです。 (晴)
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