ワーカーズ567号  2017/2/1  案内へ戻る

  トランプ政権の本性・・・軍事拡張主義と保護貿易・孤立主義鮮明に
  安倍政権の海外軍事進出 加速か


トランプ米国新政権が明確な「保護主義」政策を打ち出したので、その波紋は広がるばかりだ。保護主義だ、規制が多い・・と米国に言われ続けた日本が、今回TPPで「野心的な自由貿易」主義に向かおうとした時に米国が突然背を向けたのは歴史の皮肉としか言いようがない。

さらに国際機関への拠出金の抜本的な削減や、米国の離脱につながる可能性もある条約を検討している。TPP離脱もふくめて孤立主義を深めるだろう。資本主義のまん延した世界で、米国は自ら国際的影響力を削いでいるに等しい。切り替えができない安倍政権はうろたえるばかりだ。

トランプ大統領は、「米国は世界の警察官ではない」「自由経済で米国から富が流出するのを止める」と選挙戦で訴え続けてきた。まだまだ不透明ではあるが、「大統領になれば変わる、軌道修正する・・」といった観測はたいへん甘かったということになる。

しかし、安全保障に関してはTPPやNAFTAの立ち枯れ状態とは別に、トランプ政権が大統領就任直後の「声明」で以下のような軍備強大化を宣言した。

声明では、議会とオバマ前大統領の政権が合意した国防総省の支出上限を撤廃し、米軍への展望を示した新たな予算案を近日中に発表するとした。

今後の防衛の必要性を考慮するための手段を米軍指導者に提供し、「いかなる国もわが国の軍事力を上回ることがあってはならない」と述べている。

さらに声明は、「米軍の軍事的優位が疑問の余地のないものでなければならない」と宣告した。イランや北朝鮮、そして中国を念頭に置いたものだ。これはかつてのレーガン時代の「スターウォーズ計画」をほうふつとさせるものだ。これはとんでもない軍拡路線の提示だ。

ひるがえって日米同盟への影響は、「米軍の整理・縮小」「自衛隊による自己防衛」「駐留経費負担の増額」ということが米軍から突き付けられるだろう。つまり、国際的な軍拡機運が高まると予想されるばかりか同盟関係の再編も必至の情勢だ。

安倍首相は、TPPが挫折した今、自力武装、自己防衛力増強は望むところとばかりに米国と連携して日米安保条約の更なる変質を目指すと予想される。対中国政策では日米は強硬路線では今後一致する可能性があり、安倍首相はその点でトランプ政権に期待をかけているだろう。日米の市民、労働者は連帯してトランプ政権打倒、安倍政権打倒の運動を強めよう。(片平)


 看板に偽りあり――トランプ政権を考える――

 トランプが大統領に就任した。

 あけすけで過激な物言いで物議を醸してきた不動産王の政権誕生背後には、グローバル資本主義の歪みへの憤懣と告発が隠されている
。内と外、白人と有色人種、多数派と少数派などの間に引かれた分断線は、資本と労働、富裕層と貧困層、差別者と被差別者との間の分断と抗争の転倒した現れといえる。

 唯一の超大国として永年世界を牛耳ってきた米国で浮かび上がった分断線を、本来の対抗軸の土俵に再編する必要がある。

◆超大国米国の地殻変動

 米国大統領選挙を振り返って印象に残るのは、予備選でのトランプ候補とサンダース候補への根強い支持だった。どちらも選挙戦序盤では泡沫候補扱いされた。本選では民主党のヒラリー・クリントンと共和党のトランプの対決となったが、あからさまに排外主義を煽ったトランプが勝利した。

 トランプの勝利に対してこれまでも様々な〝解説〟が飛び交ってきたが、その対決の構図は東部エスタブリッシュメント(支配階級・既得権益層)に対する五大湖周辺に拡がるラストベルト(さび付いた工業地帯)の白人労働者のというにはほど遠いものだった。

 現に、民主党予備選挙ではサンダース候補が選挙戦の終盤に近づくほど支持を伸ばし、ヒラリー候補を追い詰めた。その背後には、1%の収奪者への怒りや教育費の重圧に圧迫されている若者達の怒りが渦巻いていたのだ。トランプを押し上げた白人ブルーカラー層も、結局は職の保証や待遇改善などの生活改善の願いをトランプに託したのだろう。

 こうした構図から見て取れるのは、民主党・共和党を含めて、米国のトップリーダーが結局は支配階級・既得権益層を代表してきたという現状に対する不信や不満が膨れあがっているという現実だろう。米国では民主党と共和党がどちらの政権になっても外交・安保政策では大きな違いがないとされ、実際に米国の既得権益層の承認を受けてきたからだ。

 ただしサンダース支持者にしてもトランプ支持者にしても、見ている景色とその解決策についてはまったく違う。サンダース支持派は1%の収奪者と99%民衆の対決という階級対立型で、トランプ支持派は移民や外国企業の排斥というナショナリズムだ。今回はたまたま型破りの排外主義的発言を続けてきたトランプの勝利という結果になっただけのことだ。

 米国での政治的亀裂と対抗軸は、超大国の余裕を失ってかつて無く先鋭化している。

◆看板に偽りあり

 先の1月20日、トランプが米国大統領に就任した。通常だと〝ご祝儀相場〟で高い支持率であることが通常だったはずが、今回は支持率40%という前代未聞の低支持率だという。

 そのトランプ大統領、就任したその日から選挙戦でも主張してきたいくつかの目玉政策を発表した。米国エネルギー産業へのテコ入れ、TPP(環太平洋経済連携協定)からの離脱やNAFTA(北米自由貿易協定)の見直し、金融規制の緩和、などだ。25日には不法移民対策としてメキシコ国境に壁を築くなど、矢継ぎ早に大統領令に著名した。大統領に選出されれば実際の政策は柔軟になるのでは、との見方もあったが、形としては公約を守った形だ。

 ただしトランプ大統領の政策が首尾一貫したものかといえば、もちろんノーだ。メキシコとの間に壁をつくる、輸入車には高額の関税をかける、外国のことは考えずともかく米国の利益を第一に考える、が、核ミサイル戦力などは世界で比類の無いほど整備する、同盟国にも米国と同じ不負担を求める、ロシアとはうまくやっていくがイランには圧力をかける、…………などだ。耳に入りやすい話ばかりだが、思い込みや居酒屋談義の延長線のような方策をたれ流しているのだ。

 分かりやすいのが、1兆ドル(約110兆円)規模のインフラ整備や法人所得税を35%から15%に引き下げる、というものだ。必要な財源はどこから持ってくるつもりなのだろうか。どこかの国がやっているアベノミクスとかいう積極財政と減税による景気刺激策と同じように、労働者の雇用や生活を改善するためにまず企業が潤うようにするつもりなのだろうか。その結果、経済成長で増えた税金でインフラ整備に充てるのだろうか……。

 また、トランプ大統領は中国を為替操作国に認定するという。為替レートの変動を国家が意図的に操作しているという認識からだ。他方、トランプ大統領がやろうとしているのは、貿易操作国そのものだろう。お互い様というか、やれやれ……という話ではある。

 輸入車の国内生産化や関税強化にしてもおなじだ。たとえばメキシコの工場を閉鎖し米国に持ってくるといっても、メキシコの産業が衰退すれば米国の輸出は減ってしまう。一事が万事、相互関係の一面しか見ない議論なのだ。

 トランプ大統領が本当に額に汗して働く人を支援するかどうかは、まったく当てにならない。それを遂行する政府高官の人選とのギャップが際立っているからだ。

 メディアはさっそくトランプ政権の高官人事について、「3G」人事だと揶揄している。大富豪、金融大手のゴールドマン・サックス、軍人の重用が目立つからだ。

 まずトランプが既得権益層の代表だとしてやり玉に挙げていたウオール街から、ゴールドマン・サックスのスティーブン・ムニューチンを財務長官に、またゲーリー・コーンを国家経済会議議長に任命した。産業界からは石油大手のエクソンモービルからレックス・ティラーソンを国務長官に任命した。加えて、人種差別主義的なニュースサイト会長でGS勤務の経験もあるスティーブン・マノンを主席戦略監に任命した。また軍からは、大統領補佐官、国防長官、それに国土安全保障長官だ。そのほか大富豪ぞろいでほかにも家族・身内からも娘婿のジャレッド・クシュナーを大統領上級顧問に登用している。

 ラストベルトの復活をいうなら、労組出身者など入れてもよさそうなものだろう。就任パーティでは、セレブの面々が新大統領を持ち上げ、新大統領もご満悦だったらしい……。

 「アメリカ第一」であって「アメリカ労働者・市民が第一」ではないのだ。看板に偽りあり、という以外にない。

◆トランプ政権に未来はない

 トランプ政権の今後については、まだ見通せない部分がある。選挙中の公約がどのぐらい現実の政策として打ち出されるか、まだはっきりしない。一貫性のない政策を、どう具体化に結びつけるのかが分からないからだ。ただ、米国が辿ってきた超大国としての一国主義と普遍主義の揺らぎで見れば、内向きの一国主義への回帰は確かだといえるだろう。「自由と平等という建前」と「世界の警察官としての地位と役割」の放棄である。ともかく自分たちだけ良ければそれでいい、という自己チュウの世界だ。超大国ならではの勝手とゆとりでもある。

 これは戦後だけでも世界中で戦争をし続けてきたという戦争大国からの転換ともいえるが、それでも世界最強の軍事大国をめざす点ではこれまでと変わらない。まだ喜んではいられない。

 米国の一国主義については、超大国としての米国ならでは、という面もある。強大な軍事力と豊かな国としての米国は、世界趨勢を見る必要がない。だから、たとえば日本人の私たちと同じようには世界が見えていない面がある。現に、米国民の多くが日本の首相が誰だか知らない人も多い。日本人で米国大統領を知らない人はほとんどいないだろう。同じように、米国のエリートも、世界の出来事に関心がない場合もある。先の大統領予備選で、リバタリアン党から立候補したゲーリー・ジョンソン元ニューメキシコ州知事が昨年9月、報道番組で「アレッポの情況にどう対処するか」と問われ、「アレッポって何?」と聞き返したことが報道された。諸外国の代理戦争としての性格を強める内戦を6年間も続け、30万人以上が殺されたといわれるシリア内戦を知らなかったわけだ。

 同じような例だが、ベトナム戦争でベトコン(南ベトナム民族解放戦線)や子どもを含めた一般人を空爆して殺した後、何事もなかった様に食事をしたり、得意話をしたりするパイロットのインタビューなども流されていた。ベトナム人など人間とも思っていなかったのだろう。たぶん、米国人の少くない部分が、世界地図などあまり知らず、アジアや中東、それにアフリカなど、米国にとって辺境な地域は視野の外かもしれない。超大国住民ならではの傲慢とゆとりの結果なのだろう。

 そうした米国のラストベルト地帯では、「新大統領への期待?仕事を増やしてくれ、それだけだ」(朝日1月21日)という労働者も多いそうだ。職が無くなり、あるいは処遇の悪化で切り詰めた生活を余儀なくされている現実を前にして、その改善の思いを外国のせい、移民・難民のせいにしたいのは、分からないでもない。日本でもアベノミクへの期待が根強い。結果は出なくともともかく景気をよくしてほしい、という思いは共通だからだ。欧州に拡がるナショナリズムを見ても、当座の処置として分かりやすいからである。省みられなくなった永年の不満と鬱屈が、排外主義的気分としてトランプを押し上げたのだろう。

 ただしこうした排外主義、現代のラッダイト運動に展望があるわけではない。労働者が職を奪われたり賃下げを強いられたりするのは、移民や外国企業のせいではない。資本主義経済は、資本家・資本が利益を上げる目的でつくる営利企業で成り立ち、それが最大の動機であり目的になっている。そこでは所有権が手厚く保護され、どこで、何をつくるか、どういう経営陣で行うかという経営の自由も保障されている。その結果としての自由貿易であり、資本の自由化なのだ。労働者の処遇はそのための手段か、良くて二の次なのだ。そうした経済システムの必然的な負の帰結を、移民や外国企業という目に見える対象を標的にしても、解決にならない。倒産した会社の労働者が、競争相手の企業の労働者を恨んでも仕方がないのと同じだ。

 トランプを大統領に押し上げた人たちは、近い将来、また裏切られたことに気づかされるだろう。トランプ政権に未来はない

◆国境を越えた共同闘争

 トランプ大統領が〝アメリカ第一〟のかけ声の下、移民排斥や国境を境とした障壁づくりに精を出しても、うまくいかないだろう。「米国と世界」「米国人と移民」「白人と有色人」「男と女」「既得権益層と忘れられた労働者」「多数派と少数派」の分断を煽っても、肝心の「資本と労働」「1%の収奪者と99%の民衆」という観点が欠落しているかぎり、場当たり的で転倒した解決策にしかならないし、むしろ人々の分断と世界の混迷を深めるだけだ。

 実際、トランプ大統領がやろうとしていることは、まず米国企業の繁栄、インフラ産業やエネルギー産業へのテコ入れ、それに軍産複合体へのテコ入れに過ぎない。それらがやがては労働者の雇用や処遇改善に結びつくという、不確実な夢物語に過ぎない。

 そうしたトランプを大統領に押し上げたのは、忘れられた中間層の憤懣と既得権益者、既成秩序への憤懣にあることは間違いないだろう。それが排外主義的な極論を吐き続けたトランプ支持へと向かったわけだが、他方では「サンダース旋風」も巻き起こった。こうした事態を冷静に考えれば、超大国米国でも、既成秩序への憤懣と本当のオルタナティブを求める声が渦巻いていることを知ることができる。ただそれが今回の大統領選挙では、転倒した形で噴出しただけのことだ。

 欧州各国での右翼勢力の台頭などと合わせて考えれば、トランプ政権の発足はゆゆしき事態であることに変わりはない。日本の現状も含めてだ。

 繰り返すが、そうした観点も含めて、排外主義ではなく、労働者自身による国境越えた共同闘争で、今後の道を切り開いていきたい。いま米国で、そして欧州で起こっている地殻変動は、私たちの闘いにとても正念場を迎えていることを示している。(廣)案内へ戻る


 「資本主義の成長はなぜ損なわれたのか」 イノベーションの枯渇?ではなく資本の腐朽化だ

昨日(一月十五日)こんな経済論評が掲載されました。そのタイトルは見逃せないものでした。「資本主義の成長はなぜ損なわれたのか」(ロイター=河野龍太郎BNPパリバ証券 経済調査本部長)

 この論文は「資本主義の成長」という根本問題を正面から取り上げようとしたことで、目を引くのですが、内容としては従来の様々なエコノミスト達の論調の「まとめ」ないしは「代表」のようなものです。結論としてはアベノミクスもトランプのミクスも「経済成長に逆行している」ということですが、その論拠はまるでわれわれと違っています。

「ロイター」のような国際的報道機関が、こんな間違った報道を大々的に流していること自体が、エコノミストたちの質の低下を示しているのかもしれませんが、その影響を無視はできないので少しばかりコメントしました。まず、河野氏の言い分を聞いてみましょう。引用はすべてこの記事から行っています。

「繁栄が続く一方、近代資本主義の負の側面も注目されるようになり、欧州では20世紀に入る頃から社会主義や政労使が協調するコーポラティズム(協同主義)が勢力を強めるようになってくる。」河野氏にとっては「コーポラティズム」は最大限広く理解されているか、あるいは不正確なようですがそのまま使います。。

◆「コーポラティズム」が悪いのか?

さらに『米国でも広がるコーポラティズム』として「第二次世界大戦後、西欧で社会主義が広がることはなかったが、コーポラティズムは根を張り、経済のダイナミズムをむしばんだ。既存の企業やそこに勤める労働者など既得権者が潤い、割高な商品の購入を迫られる消費者の利益が損なわれたのである。同時に、新規参入が阻害され、草の根のイノベーションも困難になる。欧州では早い段階から、成長を抑制する要因の種がまかれていたのである。」

つまり「コーポラティズム」が蔓延しそれゆえに「新規参入が阻害され、草の根のイノベーションも困難になる」というところが氏の第一のポイントです。

つぎのことばにもその重要性が示されています。「これまで見た通り、コーポラティズム的な政策は、既存企業やその労働者に恩恵を与え、高い支持率の要因になり得る。しかし、新規参入が阻害されるため、イノベーションは起こらず、成長率を高めることはできない。」「吉川洋・東京大学名誉教授は、近著「人口と日本経済」で、労働力人口が減少しているからと言って、ゼロ成長が必然ではないと喝破した。筆者の分析でも、近年の日本の潜在成長率低下は、労働力の減少よりも、イノベーションの枯渇による。」

「イノベーションで生産性上昇率が高まるのなら、自然利子率や均衡実質為替レートも上昇するため、金利上昇やドル高が続いても経済は好調でいられる」


さらに現実の政治=安倍政権の政策と予想されるトランプ政策に対して以下の批判に至る。河野氏からすれば、アベノミクスは「コーポラティブ」の一種であると。

「近年、1億総活躍プランとして、これまで包摂(ほうせつ)されていなかった人々にも光が当てられている。コーポラティズムの範囲をさらに広げるということだが、歳出削減や増税で財源が捻出されているわけではないから、これも結局、将来世代の所得を先食いするということである。1億総活躍プランは懸念した通り、1億総バラマキ・プランの様相を強めている。」

「コーポラティブ」と言うべきではありませんが、この指摘は一理あるでしょう。安倍政権の高い支持率、たとえば近々のNNN報道度で安倍政権支持率は六十%を優に超えているということですが、その理由は安倍政権の財政ばら撒き政策によるのは明らかです。国民総買収政権なのです。どんな無能政権でも政策アドバルーンを上げ、幾ばくかの金(予算)を付けてばら撒けば人気は上がるのです。もちろんこんな都合よい政策を続けることはありえないのであり、「将来の所得の先食い」であるし、国債の不安定化もありうる危険な政策です。しかし、アベノミクス=「コーポラティブ」というのはあまりに無理な定義でしょうが。

同様に「(トランプ氏は)一方で米国第一主義を掲げ製造業に国内回帰を迫り、公的な見返りを前提に、海外の生産拠点を国内にシフトさせる大企業も現れている。これは、結局、コーポラティズム的な政策を強めるということではないのか。個々の案件にまで政権が介入するということは、縁故主義的政策の色彩が強まることを懸念すべきではないか。」としている。アベノミクスやトランプノミクスはどう見ても「コーポラティズム」の反対物ではかと思われますが。

◆イノベーションは枯渇しているのか ?

安倍、トランプ批判はさておいて、河野氏の核心「イノベーションの枯渇」について考えてみましょう。まず、素朴に近年経済成長が特に先進諸国で低下し日本などはゼロ成長に等しいのは事実ですが、近年イノベーションが低下ないし枯渇している・・とは容易に納得できるものはないでしょう。

毎日と言ってよいくらい、「自動運転車」「脱炭素社会」「自然エネ」「AI(人工知能)」「IOT」「全ゲノム解析」「ゲノム編集」「量子通信」などの革新的技術が話題となり、その進捗が話題になります。以前にもIPS細胞や人工臓器あるいは古い(?)ものですがLED等々もありました。イノベーションは加速度的に進展し、産業に取り入れられていると考えていない河野氏の見解を詳しく知りたいものです。もちろんイノベーションが社会の保守性に拒まれて速やかには拡散しないという問題はいつの時代にもあったと思われますが(首切りや合理化がともなうからです)。とはいえそれは企業において争って取り入れられてきたはずです。

◆議論を逆さまにしても問題は解決できない

むしろ問題の核心は、イノベーションの枯渇や普及の阻害ではなく、イノベーションがもたらされても経済が成長しない=低成長であるという現実でしょう。河野氏はイノベーションによってもたらされる生産性の上昇による経済成長、というありふれているが誤った定式を前提にしているものと推測されます。イノベーションが華々しく進展しているとすれば、エコノミストの共有する「理論」によれば生産性が向上しまた付加価値が上がるのであり、ゆえに先進国ほど「経済成長が急速に発展する」はずなのです。ところが現実の先進国ほど成長が低い・・どうしたわけか?ということなのでしょう。これはほかでもなく、現代経済学が根本的に間違っており、現実を説明もできないし対処の仕方、どうすれば経済を拡大するかも分からなくなったことの証明なのです。

河野氏などのエコノミストは、「イノベーションこそ富と成長をもたらす」という間違った前提にたち、推論を進め「成長が失われたのはイノベーションの枯渇」であり、その一般的要因をさらに「コーポラティブが妨害する」にもとめるという、まるで見当はずれの理屈を展開してしまいました。

イノベーションが取り入れられても必ずしも「経済成長」と結びつかない・・ことは以下の事例で考えればわかると思います。
「ホワイトカラーの仕事も、AIに取って代わられる
重要な「決断」もAIが下すようになる」(日経ビジネス)
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/283738/011100035/?rt=nocnt

イノベーションは少なからぬケースで労働者を駆逐します。上記のAIの導入ケースではとりわけその失業問題=テクノ失業が問題視されています。上記記事でも「AIが人間を労働から解放すると失業する」と執筆者のエンリケ氏はあけすけに語っています。「その影響がホワイトカラーも駆逐する」と強調。

事実、過去の歴史もまたイノベーションが労働者を排除します。あるいは直接の「失業」ではなくとも、生産的産業からサービス業さらには補助的労働へと人間が追いやられることはこれまでの先進国・新興国の歴史が示しています。これは単に労働福祉政策、雇用政策といった問題にとどまらず資本主義が停滞する根本原因でもあるのです。生産的労働の相対的縮小やあるいは絶対的縮小により現実的富の生産が抑止され、それによって資本主義経済の成長は低下ないし縮小しうるのです。富とは、労働力の行使により自然素材の転換などにより初めてもたらされます。他にはないのです。資本主義の経済の規模(GDP)と成長はこのような富を支える労働力が生み出す商品取り引きから計算されます。(ここではスルーしますが、個々人のアソシエーションは「経済成長」を自己目的化することを止めるでしょう。)

◆イノベーション=生産性向上は「経済成長」をもたらすという幻想

だから河野氏の言うように「イノベーションで生産性上昇率が高まるのなら、自然利子率や均衡実質為替レートも上昇するため、金利上昇やドル高が続いても経済は好調でいられる」ことはないのです。イノベーションが労働者を駆逐し、生産部門や生産工程から締め出すとすれば、仮にそれによって「生産性の上昇」が実現しても個々の資本家が獲得できるのは一時のみの超過利潤にすぎません、資本主義経済総体としては富の増加はないし経済総体として成長しないのです。ところが労働価値説に立たない限り、生産効率の上昇が実は利潤率の低下になることを理解できないのです。そしてそれは経済成長率の低下とも深く結びついているのです。この根本理論が理解されていないのです。

さらに、産業資本=実体経済の収益劣化が、他方での金融資本主義の隆盛となり、利潤率や利子率などの長期停滞を不可避としているのです。河野氏も直感的に金融資本・金融資産が経済停滞と結びついていることを感じてはいるようです。

「金融業の本来の役割は、成長分野を発掘し、リスクを取って成長資金を供給することである。しかし、近年、増えたのは、国債や為替などの売買ばかりだ。公的債務の膨らむ国の成長率が低いのは、政府支出拡大で資源配分が歪むことの影響が大きいが、それは金融面にも当てはまる。金融業がリスクを取らないでも、国債ファイナンスの仲介で莫大な利益を得ることが可能になり、民間の成長分野の発掘を怠る。」(河野氏)

ただし、金融資本が繁盛し、株や債券の売買が特に中心となってきたことは、実体経済が不振であることの反映でしかないでしょう。実体経済が「富を効率よく生み出しえなくなった」という現実が余剰資金をリスキーな株や為替取引、さらには国債購入へと誘導したのです。金融経済の隆盛と実体経済との関連はこのような論理的関係でとらえるべきでしょう。河野氏はここでもずれているのです。 資産家や銀行の「怠り」に責任があるわけではないのです。「資本主義の成長はなぜ損なわれたのか」という真っ向からの問題提起は評価したいところです。ただし、その結末は彼らのよって立つ経済学が混乱しており、理論的限界を露呈していることを示しただけだと思います。(西脇)案内へ戻る


 ブロックチェーンの適応は、貨幣を超えて生産と流通の直接の管理に導入されうる!人類による有機的な経済統御の実現へ

IOT(物のインターネット)やAI(人工知能)などとともに話題になる「ブロックチェーン」だ。そのことにについて未来的視点から論説があったので読んでみた。

「ブロックチェーン技術は、ビットコインを超えて急速に拡大しつつある。ブロックチェーンのことを既存の支払い方法や金の競争相手であると考えている人が多い一方で、まだ見ぬ世界の訪れを知らせてくれるのがブロックチェーンなのだと私は思う。」未来のインターネットは、非中央集権型のインターネットだ(TechCrunch Japan 1/10)

★ブロックチェーンの適用は「仮想通貨」だけではない

ブロックチェーンはたしかにビットコインや仮想通貨とともに知識が広まったということもあり、そのレベルでとらえられているが、多様な活用方法の展開が期待されている。

しかしこの筆者オラフ・カールソン氏はそもそも「ブロックチェーン・ベースの資産に特化したヘッジファンド」の創業者=運営者ということで、現在繁栄を極めている「金融市場」「貨幣・為替世界」に対抗する意識からすべてが語られているのが残念だ。

「多くのブロックチェーンとトレード可能な何百種類ものトークンが創りだす世界では、産業はソフトウェアを利用して自動化され、ベンチャーキャピタルや株式市場は利用されず、アントレープレナーシップは合理化され、ネットワークは独自のデジタル・カレンシーを通して主権を獲得する。これこそが、次世代のインターネットなのだ。」(同)と既存の経済に対して実は同じようなことを対置しているに過ぎないのです。。

彼の言っていることは、間違ってはいないとしてもさらに多くのブロックチェーンの可能性を理解していないと思える。ブロックチェーンはどうして「貨幣」⇒仮想通貨(記号通貨)と同じでなければならないのか。(コインでなくトークンであっても。)思考を広げるべきだと思う。

「何よりも重要なのは、起業家が従来の資金調達方法とは違ったルートで資金を調達できるようになったということである。起業家たちは独自にトークンを発行することで、彼らのネットワークに必要な資金を調達している。従来の資金調達ルートを利用せず、ベンチャーキャピタルという世界を迂回しているのだ。この重要性は千言万語を費やしても表現し得ない。 ― この新世界では、企業というものは存在しない。あるのはプロトコルだけなのだ。」(同)云々。

このような場合オラフ・カールソン氏は「貨幣とは何か」ということも考えるべきでだろう。現代的なドルや円など貨幣が何万年前から存在していたわけではない。貨幣はそれ自体が価値物であり、一般的等価物として特異な地位を占めているが一個の商品でもある。だからブロックチェーンの適応は、貨幣を超えて生産と流通の直接の管理に導入されうる!このことこそが「千万語を費やして」語るべきことなのだ。新しがっても、結局のところブロックチェーンを新たな「仮想貨幣」「トークン」や新たな「資金集め」といった側面からばかり眺めているこの記事はいかがなものかと思う。

★計画経済を不必要にしたP2P(ピアツーピア)とブロックチェーン

P2P(ピアツーピア)ネットワークは、やはりビットコインの存在から有名になったネットワーク方式である。この方式には「センター」「キー局」がない。これはビットコインの場合には、「貨幣の発行主体」「貨幣を振り出す中央銀行」といったものが存在しないことに現れている。ではどうしてビットコインが支払いや国際決済などに利用されるのか?P2Pネットワークで二者の取引が実行される(⇒ある商品と○○ビットコインが交換される)ことを全ネットワーク参加者が「確認する」からである。そしてそれがブロックチェーンの中で確定されてゆくのである。だからこのシステムは信頼できるにもかかわらず「国家」あるいは日銀のような権威や権力とは無縁なのである。それに代わる参加者全員の「確認」こそが保証となる。だから「中央銀行」「政府」そんなものが無くても経済システムが構築され、複雑な国際的取引が瞬時に「確定」されてゆく可能性があることを示す。

この場合私見では特に重要と見なしていることは「計画経済の完璧性」ではなく、ネットワークの速さとそれに対する信頼性により経済的動向が確定され、それからのフィードバックにより再調整されてゆくという有機的な経済組織が生み出されうるということである。時系列に沿って一つの結果が確定する、そしてそれを土台として次のステップが予想され修正を施してゆく。

一定の計画を立てるのは当然であるが、完璧に未来を予測し、完璧な経済・社会計画を立てることは何ら絶対的に必要とはされない。完璧であることは不可能であり徒労ですらある。。国家指令やカリスマ指導者やゴスプラン(ソ連国家計画委員会)のような絶対的中央は不必要であるし邪魔なのである。そしてすでに失敗している。

 ピアツーピアネットワークとブロックチェーンは、個々人の協同経済の下地になる科学技術なのである。(上藤)案内へ戻る


 読書室 ・・佐藤 則男氏著『なぜヒラリー・クリントンを大統領にしないのか?』(講談社+α新書)

「口先では女性を立てても結局は『男性社会』のアメリカ!グローバルパワー低下、内なる分断、ジェンダー対立、在NY40年のジャーナリストが大混戦の選挙を読み解く!」との本帯を持つ在NY40年のジャーナリストの予想が見事に外れたのはなぜか。

この本が出版されたのは2015年11月19日で、序文が書かれたのは同年9月であった。その意味では米国大統領選挙が行われる日の1年前に出版したものであるから、予想が外れるのも無理はない側面がある。しかし「在NY40年のジャーナリストが大混戦の選挙を読み解く」と鳴り物入りで出版した本にしては、お粗末だとしかいえないのだ。

 佐藤則男氏は力説する。選挙人選挙方式であるとはいえ、限りなく直接選挙に近い形で「自分たちの手でリーダーを選ぶ」大統領選挙を勝ち抜けるのは、1強烈なエゴを持ち、2ファンドレイジングができ、3雄弁家であり、4体力があり、5効果的な戦略と戦術を立てることができ、6ライバルとの「ラベル貼り」競争を突破する精神力と雄弁さを兼ね備え、7マイノリティの支持を取り付けることのできる人物だけだ、と。

 つまり権力の座を求める人の戦い方は、なりふり構わない。「相手を倒し、勝てばよい」のである。それは、自分の世界観、求める理想の勝利ではなく、エゴの勝利なのである。そしてその戦略は人間の常識では考えられない非情なものである。そのためには相手にデマもネガティブな攻撃を仕掛け不利なレッテルを貼る戦いであり、徹底的に叩く闘いである。このために巨額の選挙資金が使われ、メディアも候補者ごとに分かれてレッテル貼りに協力する。米国大統領選挙とはこうした闘いの舞台なのである。

 2016年大統領選挙の大本命・民主党のヒラリー・クリントンは、国務長官時代のプライベートメール問題、クリントンファンド問題を乗り越え、「ヒラリー・ヘイター」たちに足元を掬われることなく、女性初の米大統領の座に就けるのか。暴言を連発する共和党のドナルド・トランプが対抗馬になるのか、ジェブ・ブッシュが党内レースを勝ち抜き、ブッシュ家対クリントン家の闘いを再び繰り広げるのか。こうした問題意識から出版された本ではあった。しかし再び言うが、佐藤則男氏の予想はことごとく外れたのである。

 確かに大統領選挙の結果を知っている私たちは佐藤則男氏の予想が外れたと笑っても何の意味もないことであるかのようである。しかし勿論そんなことはない。予想を立てた佐藤氏の論理の間違いを見い出す必要があり、そのことには大きな意味があるのである。

 では本書の章立てを紹介する。
 第1章 真夏の異変
 第2章 愛されないヒラリー
 第3章 反体制の扇動者とダークホース
 第4章 日本人の知らないアメリカ大統領選挙
 第5章 テレビ討論の時代
 第6章 ストラテジストとネガティブ・キャンペーン
 第7章 新しい大統領の下での難しい選択
 第8章 日本はどうする?

 既に述べたように佐藤則男氏は予想を見事に外した。実際、彼は米国の大統領になる人物のは、トランプではなくヒラリーかブッシュだと考えていたのである。

 第1章の真夏の異変の中で夫婦揃っての大統領をめざす野心家のヒラリーが民主党予備選挙への立候補を表明したことからすべてが始まった、と佐藤氏はこの本を書き出す。

 ヒラリーは嫌われているから、この立候補に対して共和党の予備選挙には空前の17人が出馬することになった。トランプもまたその1人であった。9月の段階でトランプは支持率30%でトップに躍り出たが、その後下落したことを持って佐藤氏は彼を全くの泡沫候補扱いにして、「ドナルド・トランプの正体」の小見出しを立ててこう述べていた。

 メディアはトランプをポピリストなどと呼ぶが、筆者が見るところ、その表現は正しくないと思う。「ビジネスマン」とか「企業家」と呼ぶのが正しいと思う。大衆が求める話題を提供する優れたビジネスマンだ。しかし、政治思想、政治的価値観などを持ち合わせた人物とは思われない。いずれ、その人気もピークに達し、下降線をたどる運命にあると見る。トランプには申し訳ないが、そうならなければアメリカの大統領選挙ではないと思う。

 何とも大胆な発言ではないか。これが在NY40年が売り物のジャーナリストの予想だというのだから私はただただ恐れ入るばかりである。佐藤氏には多様性を持って鳴るリバータニアリズムという共和党の本流をなす政治思想に対する理解が全くないのである。

 トランプは一時期共和党の茶会運動に資金提供していたコーク一族と連携を取っていた時期もあったことを知らないらしい。

 次いで第2章では「愛されないヒラリー」と題して「ガラスの天井」と闘う女性のとしてのヒラリーがなぜ嫌われるかが書かれている。彼女は今でこそ民主党リベラルの代表のような顔をしているが、高校生の時1964年の大統領選挙で「ベトナムで核兵器の使用も視野に入れる」と発言した共和党のゴールドウォーター候補の運動員であった。あなたは事実を受け入れられますか。弁護士の「才女」ヒラリーが特別な人格を持った「野心家」であることがこうして暴かれる。そしてこの勘違いからヒラリーは決定的な失言をした。それはオバマと指名近居を争った時、それはケネディが6月に暗殺されたことに言及して「オバマ候補の暗殺を期待している」というものだ。この失言にもかかわらずヒラリーは生き延びる。ヒラリーは確かに誰かに守られているのである。

 今回佐藤氏が予測を外すことになったのも、ヒラリーに対する自分自身に追及の甘さがあるからだ。佐藤氏も当然のことながらヒラリーのプライベート・サーバー問題や「クリントン・ファンド」の問題、そしてベンガジ領事館襲撃事件には言及する。しかし彼はこうしたスキャンダルについては、通り一遍の記述で事を済ませてしまう鈍感さである。引用する。

 筆者の予想では、これらのスキャンダルは、いくら共和党候補者が追及しても、証拠が見つからず、ヒラリーが逃げ切るのではないか、と思うのである。問題は、逃げ切ったヒラリーの姿が選挙民にどう映るかと言うことであろう。

 私などはこの佐藤氏の判断には呆れてしまう。ここには過去にワーカーズ読書室等で取り上げてきた15年5月出版の『クリントン・キャッシュ』や同本を元にした同年7月公開のドキュメント映画のことが紹介すらされていないからである。特に『クリントン…』ではヒラリーらは中国に国家機密を漏らしているとまで批判されていたのに。

 またトランプが共和党大会で共和党の大統領選挙に指名された時、会場で沸き上がった「ヒラリーを投獄せよ」との大会代議員の声に触れないいい加減さに驚くのである。

 さらにヒラリーのプライベート・サーバー問題とベンガジ事件とは密接不可分である。それはヒラリーの手引きでカダフィーを暗殺してリビアの国家資金を強奪しISを作ったことが6千通のメールに明らかになっており、これが米国の国家犯罪と深く関わるためにヒラリーは逃げ切れると踏んでいるのだ。FBIもこの巨悪解明には及び腰である。

 昨年の9月にトランプが大統領になる現実性に気がついたケリー国務長官はISを作ったのは米国だと告白し日本では今年から解禁されたのだが、トランプは昨年の1月からヒラリーがISを作ったと弾劾していたことを私たちは忘れてはならないだろう。米国ではこれらのことは周知の事実として知られており、佐藤氏がなぜ無視するのかは不明だ。

 佐藤氏はこうしてヒラリーに対してまったくの白日夢を見るのである。引用する。

 ヒラリーは、オバマ政権時代に国務長官を務め、「クリントン外交ドクトリン」のようなものを作成し、アジア中心の貿易圏の設立を唱えた。ヒラリーはおそらく、中国を強く念頭に置き、同盟国を中心にして、アジア外交・軍事・経済に力を注ぐであろう。……

 ヒラリー、ブッシュともに、中国が再び尖閣列島で何か過激な行動を取れば、日本を防衛する発言など、日本国民を安心させるために強硬な「リップ・サービス」を行うのではなかろうか。しかし、いざ行動となると、消極的なものとなるだろう、と思う。アメリカ市民が、これ以上、外国における戦争に介入したくないのである。

 佐藤氏はヒラリーとサンダースの指名選挙での一騎打ちをどのように見ていたのか。まさにサンダース旋風こそ、ヒラリーが戦争を起こすかもしれないとの現場党員の判断から巻き起こされたのであり、当然の事としてその後彼らはトランプに投票したのである。

 本書は確かに過去の本とはなってしまったのだが、アメリカ政治の内幕を暴いたものとしては日本人には大いに学ぶべきものがあると私は考えている。一読を勧めたい。(直木)案内へ戻る


 コラムの窓・・・「監視カメラの増殖に御用心!」

 近年、自治会などが行政に防犯カメラ設置のための補助金を求める例が増えているようです。そうしたなかで、議会がこれを先取りして設置の面倒を見るだけでは不十分と、「地域の安全・安心のための直営型防犯カメラのあり方と求める効果について」という提言をまとめてしまったりしています。

 そこでは、議員のなかから「近年、犯人の検挙には、防犯カメラがなくてはならない存在となりつつある。防犯カメラの抑止効果についての議論はさまざまあるが、防犯カメラが全くない街が、犯罪を行おうとする人にとって都合が良いのか否かの説明は不要と考える」といった発言も飛び出しています。

 しかし、防犯カメラが犯罪を防止するのに役立つのか、警察が犯罪捜査で安易にこれに頼り、冤罪を生みかねない危険すらあり、監視カメラとして違法に使用する警察まで現れています。何より、防犯カメラで守られる〝安全・安心〟とはどうなんだろう。

 監視カメラについて、昨年12月29日の神戸新聞で「監視カメラ増設 独で賛否」という見出しの、「ベルリンのトラック突入テロを受け、ドイツで監視カメラ増設の是非を巡る議論が活発化している」という記事をみつけました。政府は治安対策が最重要課題だとするのに対して、ベルリン市はプライバシー保護優先だと主張しているとのこと。

 テロが現実のもとなり、市民がその脅威にさらされているなかでも、監視強化に慎重な意見があることにホッとさせられます。もっとも、一部の政治家が衛星利用測位システム(GPS)搭載の足環を装着させろとまで言い出しているとか。日本にもそんなアホなことをことを言った自民党議員がいましたが、管理・監視すれば事足れりという思考回路の政治家はどこにもいるようです。

 1月11日の西日本新聞では、「防犯カメラのぞき見多発 IoT機器サイバー攻撃『危機意識持ち対策を』」と報じています。こちらは、インターネットに接続された防犯カメラなど「IoT機器」はサイバー攻撃によって覗かれ放題になるというもの。以前、コピーするとその情報が流出するというようなこともありましたが、これらは便利なものには落とし穴があるという典型です。

 監視カメラが犯罪防止に役立つというのは、死刑が殺人事件を抑止するというのと同じく、思い込みにすぎません。犯罪が起きないような社会、普通に働けば普通の生活が得られる社会であれば、犯罪に走る動機も少なくなるでしょう。何より、全てを監視される社会は楽しいはずがありません。

 ジョージ・オーウェルが描き出した〝1984的社会〟では家のなかにまでテレスクリーンという双方向の監視カメラが侵入し、逃げ場のない国家による監視が貫かれています。安倍晋三首相がテロという亡霊を呼び出し、導入をはかろうとしている「共謀罪」は国家による監視社会を一歩進めるものです。こんなものは御免です。 (晴)


  「エイジの沖縄通信」(NO・35)山城博治さんらの不当逮捕・勾留に思う・・・これが法治国家か!

1.反対運動の萎縮を狙った弾圧

  沖縄の辺野古新基地建設をごり押しする安倍政権の菅官房長官らは、口を開けば「法治国家ですから・・・」と言う。

 しかし、今沖縄の高江や辺野古で起こっている山城博治さんら、反対運動のリーダーたちに対する逮捕・勾留を見ていると、まったく法を無視して、こじつけとしか思えない理由で次々に不当逮捕し、そして逮捕理由も切り替わり、長期の不当勾留を続けている。

 特に反対派リーダーの山城博治さんの場合は逮捕容疑が3件も出て、不当勾留がもう3カ月以上も続いている。

 そのデタラメぶりを振り返ると。

 山城さんは昨年10月17日、米軍北部訓練場で沖縄防衛局が設置していた有刺鉄線をペンチで2カ所切断したとして、器物損壊容疑で準現行犯逮捕された。

 微罪でもう釈放されると思いきや、10月20日には2カ月前の8月25日高江の工事現場で、侵入防止フェンスを設置していた防衛局職員の肩をつかみ激しく揺さぶる行為などで、公務執行妨害と傷害の容疑で逮捕。

 これらで起訴された後の11月29日、今度はなんと10カ月前の1月28日~30日の間、キャンプ・シュワブゲート前でコンクリートブロック約1400個を積み上げたとして、他の3人と共に威力業務妨害の容疑で逮捕。なぜ、10カ月も前に行われた抗議行動について、いま逮捕なのか?ゲート前でそのコンクリートブロックを積み上げていた時、多くの警察官がその場にいて、見ていたにもかかわらず、何の行動も起こしていない。

 こうした逮捕のデッチ上げ、その逮捕容疑の内容を見る限り、3カ月以上の勾留に強い違和感と疑問を感ずる。

 最初から、反対派リーダー山城博治さんを何が何でも長期間拘束して、高江工事を推し進めようとする思惑(訓練場一部返還式典に間に合うように、12月中に高江ヘリパッドを完成させたい)。また政府に楯突く抗議行動を萎縮させようとする思惑(本土から来ている支援者の逮捕が増えている)。等などが見えるのだ。

 さらに許せないのは、他の拘留者は家族や知人などの「接見」が許されているのに、山城さんだけ、弁護士以外の「接見禁止」が続いており、家族の皆さんは会うことも出来ず、弁護士を介してしか知ることが出来ない歯がゆさを感じている。

 また、名護署に勾留されている時は「長めの靴下」などの衣類の差し入れが出来なかった。家族の皆さんは、山城さんがまだ手術後の体調なので、自分の体力を維持することが出来るのか?とても心配し、衣類の差し入れを強く希望していた。

 このように、不当逮捕・勾留、さらには「人権無視」を平気で続ける安倍政権に「法治国家ですから」と言う資格があるのか?まさに逆の「放置国家」である。

 こうした山城さんに対する「不当逮捕・勾留」さらには「人権無視」を続ける安倍政権に対して、国内を問わず、著名な国際法律家からも日本政府に警告が発せられている。まさに「日本の常識」は「世界の非常識」となっている。

2.沖縄でも本土でも山城さんらの早期釈放を求める抗議行動

 本土ではネットで「山城博治さんらを救え!キャンペーン」が取り組まれて、全国的に一気に署名運動が広がった。

 1月12日(木)には東京の参議院議員会館で、鎌田慧さん・澤地久枝さん・佐高信さん・落合恵子さん・小山内美江子さんら5人の文化人の記者会見もあり、12日間の短期間で約4万筆近くが集まった。

 1月16日(月)12:00~那覇地裁前において、山城博治さんたちへの「人権無視の不当拘留に抗議し、即時釈放を求める」抗議行動が行われ約400人が結集して怒りの声を上げた。

次の17日(火)午後3時~那覇地裁に対して39,826筆の署名を提出し、山城博治さんたちの即時釈放を要求し、裁判所と長時間の釈放交渉を行った。

 高まる沖縄の反基地闘争を潰すために、反基地運動のリーダーである山城博治さんを、昨年10月に高江の抗議活動で有刺鉄線(2000円相当)を切ったとして器物損壊容疑で逮捕。さらに3日後には傷害と公務執行妨害でも逮捕し起訴した。さらにさらに今度は10ヵ月前の辺野古ゲート前でコンクリートブロックを積んだとして威力業務妨害で再々逮捕と、異常事態の不当逮捕・拘留が続き、人権無視の逮捕・拘留に抗議の声が全国に拡がっている。

 今、安倍政権は「共謀罪」の成立を今国会で狙っている。沖縄の山城さんらに対する弾圧は、まさに「共謀罪」の先取りである。
 「共謀罪」を阻止する意味でも、山城さんらの釈放を求める救援抗議活動は重要な意味を持ち始めている。(富田 英司) 案内へ戻る


 読者からの手紙   一国主義(米国第一主義)の一人よがり・・・トランプ新米政権。

 「自由主義」で「多民族国家」の米国でトランプ米大統領が就任した。

 米国第一主義を掲げるトランプ新政権の政治手法は、ツイッター等を利用し、自分に批判的なメディアは「偽ニュース」「黙れ」と徹底的にたたき、認めたくない情報には、都合が良いように虚言や誇張を振りまき、メキシコへの「外交手段」では、米国の雇用がメキシコによって失われ、国境が緩いため麻薬が流入していると主張。そのうえで「我々は公平で新しい関係の構築に向けて協働していく」とし、「貿易協定や他の面でもメキシコと再交渉する」と述べ、北米貿易協定(NAFTA)を再交渉する方針を強調し、メキシコ国境に壁を建設する大統領令に署名し、建設費用をメキシコに弁済させると主張。トランプ氏が「費用を払わなければ、会談をキャンセルした方がいい」と挑発し、メキシコ側が猛反発して月末の首脳会談が取りやめになった。

 輸出の約8割を米国に頼るメキシコにとって、米、カナダと結ぶ北米自由貿易協定(NAFTA)の行方は死活問題だ。相手の弱みを利用して交渉相手を屈服させる手法がトランプ流というところか!?。

 「メキシコが職を奪っている」と訴えたトランプ政権ではあるが、メキシコ側からすれば、〈米ウィルソンセンターの試算では、〉メキシコとの貿易により米国で約500万人の雇用が支えられ、米国の対メキシコの輸出と輸入を合わせた貿易額は、2015年で約5300億ドル(約61兆円)。米国の総貿易額の14%を占め、1分間で100万ドル(約1億円)のモノが行き来している計算なのだ。
 対等とは言わないが、こうした交易によって「メキシコ」だけが「職を奪っている」のではなく、双方ともそれなりの利益を得ていることが数字的にも明らかになっているのだ。

 こうした事実を認めないトランプ新米政権の一人よがりは、今後他の国との多大な軋轢を生むだろう。

 そしてそれは、「自由主義」で「多民族国家」の米国そのものの自己否定として、米国国民に問いかけるし、国際的には、「一国主義」の一人よがりやその幼稚さ・狭さを問いかけるだろう。(M)


  「色鉛筆」・・・26年にも及ぶ水曜デモ

2015年12月の「日韓合意」が、「慰安婦」問題を解決に導くという見方があるがこれは疑問だ。安倍は韓国側からおわびの手紙を求められたことに「毛頭考えていない(昨年10月3日衆院予算委員会)」と即答、おわびの気持ちなど毛頭無いことをあらわにした。要するに10億円を拠出するから、後は日本側が不快な大使館前の「少女像」の撤去、その他の問題は韓国側で解決してと丸投げしている。被害当事者を抜きにした「合意」など成り立つはずもないし、お金だけで誠意無しとあれば解決などほど遠い。

今「慰安婦を象徴する少女像」という言葉が繰り返し報道されているが、正しくは「平和の碑」だ。

 その碑文には「1992年1月8日、日本軍「慰安婦」問題解決のための水曜デモが、ここ日本大使館前で始まった。2011年12月14日、1000回を迎えるにあたり、その崇高な精神と歴史を引き継ぐため、ここに平和の碑を建立する。」とある。

 1992年の水曜デモは、日本政府を相手に一回限りのつもりで始められたものの、一向に解決が見られず今日まで続いている。風雨や雪、酷暑酷寒にも負けずに。

その26年にも及ぶ闘いの歴史は、被害者に寄り添い支援する「韓国挺身隊問題対策協議会」などの民間の人々の力を得る中で、被害者自身が自信と誇りを取り戻し、今では現在の紛争地の被害女性支援のための基金(ナビ基金)を創設するなど、「崇高な精神」と実践とを生み出している。それは若い世代にも支持され受け継がれ、水曜デモの参加者も、そして各地での「平和の碑」の設置も増え続けている。

その崇高な精神と歴史から、日本は学ぶべきであり、被害女性達の名誉と尊厳が回復される「真の解決」に向けて力を注ぐべきだ。

ソウルに住み、今も水曜デモに参加されている金福童ハルモニ(92歳)から日本人に向けて語られた言葉を紹介する。

「14歳で日本軍『慰安婦』にされ、台湾、南洋諸島など数々の戦場へと連れ回された。日本敗戦後帰宅すると、家族に『お前は22歳だよ』と言われた。2015年の『日韓合意』は、過去26年間の(私たちの)闘いを無にしようとするものであり、怒り本当に落胆した。けれど今は再び立ち上がり闘っている。一日も早く日本政府がこの問題を解決して、今日の夜一晩だけでも両手足を伸ばして、一日でもいいから楽な思いをして死にたいと思う。日本政府がきちんとこの問題を解決してくれなければ、私たちは死ぬことは出来ません。こんなにも苦しい思いで一杯なのに、どうして死ぬことが出来るでしょうか。だから私たちが生きている間に、皆さん積極的に日本政府に働きかけて、間違ったことを正すように、活動をお願いします。」

加害国として日本が為すべき事は、碑の撤去に血道を上げることではなく、「公式謝罪」「真相究明」「歴史教科書への記録」などに取り組み、お金によらない真の解決をめざす事だ。日本軍「慰安婦」被害者は、韓国だけでなくアジア各国やその他の国にもいる。その取り組みはそれらの国々に届き、それこそ未来志向として評価されるはずだ。

この頃権力や金を持つ者が、声高に弱者を攻撃することがまかり通る嫌な世の中になってしまった。亡くなったハルモニたちも含め、被害女性たちの声にもう一度耳を傾けたい。(澄)

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