ワーカーズ569号  2017/4/1     案内へ戻る

 監視社会、警察国家化はノーだ!――「共謀罪」の成立を阻止しよう!――

 この3月21日、政府は犯罪の計画段階で処罰する〝共謀罪〟を閣議決定し、衆院に提出した。政府は4月中旬に審議入りし、6月18日までの会期中の成立をめざすとしている。私たちとしては、成立阻止の声を上げ続ける以外にない。

 日本の刑事法は、現実におこなわれた行為とその結果に対して処罰することを原則とし、その前段階の予備罪は殺人や放火など一部の重罪に限定してきた。今回提出された「共謀罪」は、こうした日本の刑事法の原則を根本的に転換する、国民の権利よりも捜査機関を優先させる転倒した法案という以外にない。

 この「共謀罪」の正式名称は「組織的犯罪処罰法改正案」とされている。政府は当初、過去に3回廃案になった「共謀罪」を創設する法案を「テロ等準備罪」と呼称してきた。ところが法案には「テロ」の定義はおろか、「テロリスト」「テロ集団」という文字はどこにもなかった。「テロ」とか「テロ対策」という言葉を使えば、普通は反対する人はいない。政府のやり方は、「共謀罪」を誰もが反対しづらい「テロ対策」と装うことで導入してしまおうという、姑息で卑劣なやり方だという以外にない。

 「共謀罪」も含め、これまで安倍政権が進めてきた国家機密法(特定秘密保護法)や戦争法(安保法制)などでも、その性格は行政・執行権力の強化につながるものばかりだ。特定秘密法では、どんな文書の内容が秘密なのか、というそのもの自体が国民の代表たる国会議員にも秘密にされている。戦争法でも、「事態」を具体的に判断するのは内閣総理大臣という行政権力だ。国民の代表とされる国会や国会議員も、首相の判断への事前承諾、事後承諾の権限しかない。多くの情報が秘密にされるなかで、事実上、内閣の決定を追認する以外にない。

 今回の「共謀罪」についても同じだ。その結果は、戦前の特別高等警察(特高)を見るまでもなく、警察や検察といった捜査機関に事実上絶大な権限を与えるものになっている。安倍政権が推し進めてきた一連の秘密法体制、戦争法体制、それに今回の共謀罪体制が進めば、到達点は一億総監視社会、警察国家化以外にない。

 議会制民主主義は、国民、有権者が主権者だとされている。とはいえ実態は、その主権者の権利が限りなく縮小化され、国家、その中でも行政・執行権力だけが主権者から自立して肥大化していく。このこと自体が議会制民主主義の根本的な弱点であり、民主主義の後退を象徴するものになっているのだ。

 「共謀罪」の制定は、これまでの特定秘密保護法、集団的自衛権の行使容認に連動する戦前回帰の一里塚だ。その戦前回帰とは、“新たな戦前”と同義でもある。

 政府は、4月以降の後半国会での成立をもくろんでいる。すでに多くの反対アピールや反対行動が取り組まれている。安倍政権による“新たな戦前へ”の道を許すわけにはいかない。なんとしても「共謀罪」の成立を阻止していきたい! (廣)――関連記事ページ――


 警察国家を呼び込む共謀罪

◆説明はウソ

 今回提出した新たな「共謀罪」法案では、その対象を「テロリズム集団その他の組織的犯罪集団」だと規定し、「2人以上で犯罪の実行を計画」し、その内の誰かが「資金や物品の手配」をしたり、「関係場所の下見」などの「準備行為」をした場合に適用するとしている。

 だが、この法案を読めば、政府の「一般市民には影響は及ばない」、テロリストグループや暴力団を対象としたものだとの説明が、全くのウソだということが分かる。

◆拡大解釈・拡大適用

 法案がいう「その他の組織的犯罪集団」は抽象的で拡大解釈がいくらでも可能だ。現に政府は「正当な活動をする団体でも、性質が組織的犯罪集団に一変すれば対象になり得る」としているのだ。戦前の治安維持法が、当初は共産主義や国体(天皇制)の変革を目的とする団体に限定していたものが、3年後の改訂で対象が拡大され、労働組合や宗教団体、それに言論人や演芸運動なども対象とされた経緯もある。

 団体の性質が一変したかどうかについては、判断するのは警察や検察などの捜査機関以外にない。それにいつから一変したかなどについては、それ以前から捜査し続けないかぎり、計画段階からの摘発は出来ない。かつて自衛隊が市民団体を監視していた事例や、昨年には、警察官が労働組合事務所に監視カメラを取り付けていた事例もある。無断のGPS捜査は違法として、最近になって無罪判決が出た。

 現在でも違法な監視が横行しているが、「共謀罪」が成立したら、それが捜査機関にとって義務的な当然の捜査になるのだ。町角の防犯カメラばかりでなく、いまは制限されている盗聴なども際限なく拡大されるだろう。米国では、9・11同時テロの後、違法な盗聴が横行し、他方では同盟国の首脳にまで盗聴器を仕掛けているのだ。「共謀罪」が成立すれば、いつ組織的犯罪集団になるか疑って掛かる捜査機関にとって、当然のごとく、当局にとっての敵性組織、たとえば左翼組織や反政府組織ばかりでなく、ごく普通の政治サークルや労働組合、それに市民団体などが監視や捜査の対象とされるだろう。

 「2人以上で犯罪の実行を計画」、そのうちの誰かが「資金や物品の手配」、「関係場所の下見」するという「準備行為」についても、実際には、犯罪には繋がりようがないものでも、外形的なものだけで強引に「共謀罪」が適用できることになる。

 たとえば森友問題で渦中にいる安倍首相の昭恵夫人に対し、居酒屋談義で「引っ張ってても国会に引きずり出すべきだ」と盛り上がり、後日そのうちの誰かがたまたま首相官邸近くにいったとする。そのケースでも、盗聴や臨席者、店主などからのたれ込みなどで察知した警察は、「逮捕監禁」の共謀罪で全員を逮捕できることになる。

 「計画」については、明文のもの、文書である必要はなく口頭での合意、さらには〝目配せ〟を含む暗黙の合意も対象だと説明されている。本人はそんな計画に同意したわけでもないのに、明確に反対しなかっただけでも「共謀罪」に問われる可能性があるわけだ。

 「準備行為」についても「その他……の準備行為」という拡大解釈できるような規定もある。捜査当局が「準備行為」として認めたものは、「資金や物品の手配」、「関係場所の下見」以外のものでも、普通の人によるごく普通の日常的な行為であっても、捜査・摘発対象にできるのだ。捜査機関の裁量権は際限なく拡大されるだろう。

◆テロ対策?いや監視社会

 「共謀罪」の問題点はまだある。「共謀罪」には、「実行に着手する前に自首した者は、その刑を軽減し、または免除する」という条文が盛り込まれている。これは団体内からの通報者あるいは「裏切り者or改心者」を強引に作り出すことも考えられるだけではない。あらかじめ送り込んだ捜査機関やその雇い人のスパイによる“そそのかし”や扇動などで犯罪を「計画」させたり、何らかの「準備行為」をさせ、他のメンバーを逮捕させて自分だけが放免されることも可能だ。要は、スパイ活動にお墨付きを与える条文なっているわけで、これでは誰がスパイかを巡って仕事仲間や隣近所の人にも疑心暗鬼になるという、「一億総監視社会」になってしまうだろう。

 そもそも「共謀罪」の導入が必要だと政府がいう国際犯罪防止条約は、麻薬組織やマネーロンダリングの防止が目的だった。この条約を締結するには、「共謀罪」の新設が不可欠で、東京五輪も条約が締結されなければ開けない」とまで言ってきた。が、これまで簡単に見てきたとおり、「共謀罪」の目的や効果はそんなものではない。

 「共謀罪」の適用対象を見てみよう。当初は一定以上の刑罰の対象になる676もの罪名をあげてきたが、公明党などの要求で277の罪名に絞り込まれた。が、絞り込まれたなかでも「共謀罪」の対象罪名として理解不能な罪名も多く含まれている。

 たとえば著作権の侵害、種苗の育成者権の侵害、無資格競馬、切手類の偽造、商標権の侵害、酒酔い運転、重要文化財の損壊などだ。もっとあげればきりがないほどだ。要は現時点で一定以上の刑罰の対象になるすべての罪名を対象として「共謀罪」が適用されるということだ。政府はテロ集団や組織的犯罪集団によるものだけを対象と説明しているが、何のことはない、一定以上の罪名を対象として網をかけるようにそのすべてに「共謀罪」を導入するものになっているのだ。その影響は計り知れない。

◆警察国家化を阻止しよう!

 こうした「共謀罪」が成立したらどういう社会が生まれるのだろうか。

 まず第一に、社会生活の雰囲気が変えられるだろう。雰囲気醸成効果である。井戸端会議や居酒屋談義であっても、当事者は気が抜けないだろう。誰かが盗み聞きしているかもしれないし、当事者の1人が捜査当局に告げ口するかもしれない。当然のごとく、むやみに自分の考えは公言しないことだ、という自制心が働くだろう。

 第二は、威圧効果だ。「共謀罪」の適用には、事後的にではなく事前の捜査が不可欠だ。事件が起こってからでは、「共謀罪」での摘発など必要が無くなる。事前に、ということは、常時と同義なのだ。監視カメラや盗聴器など、すでに多くのケースで犯罪捜査に使用されている。今後はメールやラインといった最近の情報伝達手段に対しても、盗聴・監視が強化されるだろう。

 第三は、対象とされた団体への攪乱効果、無力化効果だ。仮に団体の同調者を装った捜査当局のスパイが、団体内で過激な行動を煽ったり、そそのかしたりした結果、その団体が捜査されたり摘発されれば、その団体内には大きな衝撃と疑心暗鬼が生まれるだろう。メンバーの誰かがスパイであったり、あるいはメンバーが途中で寝返ったりすれば、その団体内では相互の信頼関係などズタズタにされるだろう。一端そうなれば、その団体は存続不可能になる。

 最後の第4は、そうした共謀罪による捜査・摘発などが繰り返されることの結果だ。一言で言えば、「一億総監視社会」あるいは「警察国家化」という以外にないだろう。

 その「共謀罪」。政府が「テロ等準備罪」として法案を提出したいとした時期では、国民の間にも容認論が多かった。調査によってばらつきがあるが、たとえば朝日新聞による世論調査(2月18・19日実施)によれば、賛成44%で反対は25%、その他31%だった。他面では、「共謀罪」で一般の人まで取り締まられる不安については、「感じる」が55%で「感じない」が38%だった。

 これらの世論調査では、不安があるがテロ対策だからしょうがない、という受け止め方になってる様だ。しかし、最近での国会論戦や各種の報道、反対アピールなどによって変わってきているだろう。
 政府は今国会の会期中に成立をめざしている。草の根から国会前の行動まで、すべての反対勢力を結集し、成立を死ししていきたい。(廣)案内へ戻る


 豊洲移転問題と石原都知事の関係―百条委員会証人喚問で明らかになったこと

 現在、時の話題としてマスコミの連日の報道により焦点化している築地魚市場の移転と豊洲の深刻な土壌汚染等も、その根源を辿れば当時の石原慎太郎東京都知事の鶴の一声と「彼を支えた東京都政」のドス黒い実態がその核心である。つまり端的に言えば大手ゼネコンと石原元東京都知事を含めた利権政治屋が深く深くつながる問題なのである。

 オリンピック招致による利権の拡大に非協力的な舛添前東京都知事は、リークされたスキャンダルの発覚により追い落されて辞任した。残念ながらこの経緯は今ここで取り上げられない。お許し頂きたい。その結果行われた都知事選挙で当選した小池百合子新東京都知事は、小泉元総理に学んだ“劇場型政治家”としてその活動を開始した。

 そしてその活躍の場として俄に注目された豊洲移転と盛土問題に関する奇っ怪な設計変更や整備費高騰に関わって東京都庁利権と骨がらみの自民党と分裂都知事選挙を闘いながら離党もせず、自らを東京都政の改革者だと都民に印象づけようとし、その鉄面皮を隠そうともしていない。この厚顔・破廉恥さは、まさに日本のヒラリーの名に恥じないものがある。


 そこで私たちも「都政を革新する」とはそもそもどこに原点があるのかを再確認するため、東京都政に利権構造を持ち込み、都政をその中に投じた張本人である石原元都知事の都政の内実を抉ってみたい。

 そもそも石原元東京都知事は、その特異なキャラクターと人を驚かす過激な言動に対する批判も必要不可欠だが、ここでは石原元東京都知事をとりまく“カネ”と“カネづる”について徹底的に明らかにする。

 第一に指摘したいことは、そもそも築地市場移転と豊洲新市場の開場の問題は東京臨海部再開発と一体の案件であるということである。築地市場は銀座から徒歩圏にあり、浜離宮と向き合った位置にある。

 ここでは築地と豊洲に関する事情を最新のものも含めて分かり易くまとめて、現在に至る不明朗な築地移転を鶴の一声にて決めた石原元都知事の責任を断固追及したい。

▲東京臨海部再開発と一体の築地  ゼネコン利権まみれの移転問題だ

 過去に東京ガスがガス製造をしていたので汚染物質まみれの土地ため、ガス製造をやめた後はどうにも使いようのなかった豊洲だった。なぜ築地移転の候補地となったのか。

 そもそも築地に注目が集まったのは、1973年の田中角栄氏著『日本列島改造論』の出版のためであった。そこでは品川区の「汐留地を中心にして芝、芝浦から銀座、築地地域までの350ヘクタールを再開発しよう」と港区と中央区の町内会長や立地企業により「東京都臨海地域開発計画」が作られた。しかし76年ロッキード事件により田中総理が失脚すると流れは変わり、東京都は81年に築地市場を現在の大田市場に全面移転させようとしたが反対のために棚上げになっていた。ところが86年になると民活担当大臣の金丸副総理の10兆円プロジェクト「臨海副都心開発」が開始され、都心と臨海副都心とを結ぶ「環状2号線」「高速晴海線」等、5本の幹線道路を中央区に通す計画が発表された。まだ当時は築地の移転案はなくて現地再整備を進める予定のため「環状2号線」は築地市場の地下を通す予定であった。こうして臨海開発が進む中で97年頃から中央卸売市場長やゼネコン関係者から築地市場移転の声が出始めた。当時の青島都知事は移転しないとしていた。

 移転の大きく舵を切ったのは、99年石原新都知事の誕生があったからである。3月3日の記者会見や百条委員会の証人喚問で石原氏は、移転は青島都知事からの既定方針だや引き継ぎを受けたとの証言はまさに虚偽である。つまり石原元都知事の鶴の一声で築地市場移転に大きく踏み出したのである。

 元々、土壌が汚染されていることがわかっていた東京ガスの工場跡地に世界最大の生鮮市場を移転させることには強い反対意見があったが、市場の移転によって築地という銀座から徒歩圏内にある都内の一等地の広大な土地の再開発が生み出す莫大な経済的利益は、大手ゼネコンの垂涎の的であった。つまり元々豊洲は築地市場の移転先として立地条件が適していたから選ばれたのではなく、かくして築地地域の再開発ありきで押出されるように豊洲に追いやられたのである。

 これを東京都が高値で買い取る話で、東京都は土地売買に関して理解不能な瑕疵担保責任請求放棄の一条を取交わした契約書を締結していた。石原元都知事はすべて浜渦に一任していたと発言に徹底した無責任を貫く破廉恥漢であることを事故暴露した。このことにより契約日以降、豊洲に新たな土壌汚染が発覚しても契約書で免責を受けた東京ガスはまさに大儲けになるということだ。この売却を仕切った政治家に巨額の謝礼を渡しても十分お釣りが来る。さらに築地はまた汐留の隣接地である。築地市場が消滅しても築地と汐留とが合体すれば、汐留・築地地区が一大ビジネスセンターになる。

 つまり東京都中央区大手町に並ぶ巨大ビジネスセンターに昇格する。この開発の建築時の入札で違法な「談合」をすれば、鹿嶋や大成建設等大手ゼネコンはさらに大儲けとなる。築地市場では当初でこそ移転反対の中小業者が多かったが、 多くの業者がいつの頃からか大人しくなった。これには、新銀行東京からの貸し付けがが深く絡んでいると従来からいわれてきた。

 築地の移転方針が定められたのは1999年。移転先は豊洲となったのは2001年。環境基準の4万3千倍のベンゼンが検出されたのは2008年 5月。豊洲新市場の整備方針が決定されたのは2009年2月。この時は盛り土実施の方針だった。盛り土が地下空間に入れ替わったのは、2011年3月から6月の間である。

 当初は、盛り土の上に高床式施設が建設されるはずだった。これが石原元都知事の提案が大いに関わって、その経緯が良くは解明できていないが2011年6月、盛り土部分に地下空間を作り高床式にしない設計に変更された。この変更に関わる文書がないことにも驚かされる。まさに東京都政の闇である。豊洲汚染地の売買が行われたのは2011年3月。1859億円が東京都から東京ガス及び関連会社に支払われた。

 東京ガスは汚染対策費の100億円と追加費用負担78億円を支払った。しかし汚染対策はこの金額では実現せず、東京都がさらに849億円も投入した。このことを考えても瑕疵担保責任放棄の1条の件は全く不可解の3文字しかない。しかも2011年3月と言えば、あの原発事故と東日本大震災が発生した、まさにその時である。

 実際、この地震で豊洲においても百数箇所で液状化が発生したが、この最中に東京都は何と土地売買を実行した。しかも東京ガスが負担した汚染対策費はその後の実費をはるかに下回る金額のため、不正売買で東京都が損失を蒙ったとして石原元都知事に対する賠償訴訟も提起されている。そして小池現都知事は『石原元都知事に賠償責任なし』との立場を見直すために準備中である。

 つまり築地、移転、豊洲、土地売買、盛り土から地下空間への変化のすべては、1999年から2011年までの間に生じたことである。この期間、東京都知事の地位にいたのは誰か。石原氏こそは1999年4月から2012年10月まで東京都知事の地位にあったのである。
 そして何度でも言うが、東京都が東京ガスから汚染地を購入する際に契約書には瑕疵担保特約がついていない。まさに都民の利益を損なう売買契約である。さらに最も重大な問題は、東京都が虚偽を公表し続けてきたことだ。つまり敷地全体に盛り土を行うことが当時の汚染地対策の目玉だったのである。この盛り土を実施したとの虚偽がホームページなどを通じて公表され続けてきた。議会審議においても、虚偽答弁が行われてきた。

 今回の都知事選で移転が中断され、もしこの事実が公表されなければ不正は闇に埋もれたままになっていた。猪瀬元・舛添前東京都知事までは、何の問題提起もなかったからである。

 これらの無数の疑惑と関係するのが、東京都の天下り利権である。築地移転、豊洲決定、不正売買疑惑の動きの最中に2005年に東京都局長から定年退職後、東京ガス執行役員に天下った人物がいる。東京都知事本局長の前川燿男氏がこの契約の責任者だった。とすれば彼が東京ガスに利益を供与して、その見返りに天下りポストを東京都が獲得する。このような推理が充分に可能だろう。確か東京都は悪名轟く東京電力と東京ガスの最大株主のひとつである。そしてこの前川氏は2015年からは東京都練馬区長の現職である。まさに東京都都政の利権政治の恩恵をその全身に受けた人物である。

 実はこれが東京都の天下り問題の本質である。官僚機構が民間事業者に利益供与を行う。その見返りとして民間事業者に天下りポストを提供させる。天下り問題は、霞が関官庁だけの問題ではないのである。

 豊洲新市場の総事業費は2011年度段階での3900億円から約 1.5倍の5900億円に膨れ上がっている。 さらに拡大する見通しだ。こうした事実こそ築地市場移転がゼネコンの利権であることの生きた証明である。石原都知事の逗子市の別荘が法外な価格で大手ゼネコンの子会社が購入していることもその傍証となる。一体このように露骨な偶然があるものだろうか。小池都知事は、2月18日都議会本会議で「人件費や資材価格の高騰があったとはいえ、当初の予定額から大きく増加しており、そのことも移転延期を決断した理由のひとつだ」と答弁している。

 要するにこれらすべては、石原元東京都知事の責任なのである。

 これらの事実に関する証言は、百条委員会の証人喚問で福永副都知事と大矢元市場長の証言から明らかになったといえる。石原元都知事は記憶にないといいながら、反論する段になると極めて具体的に反論している。誠に都合の良い「記憶にない」発言である。

 また小池都知事の腹の中には築地市場の移転中止があるようだ。このことを仄めかした石原元都知事が指摘した不作為の責任よりもさらに一層重い豊洲の格安転売が頭にあるようだ。まさに第2のかんぽの宿の整理問題である。安倍総理とトランプ大統領との間には密約があるとの話がまことしやかに伝わっている。カジノ法案があんなに早く設立したのもそのことと不可分だとの説明であるが、事の真偽はとよう移転の顛末がすべてを語ることになるだろう。

 現在、マスコミが毎日のように豊洲新市場の移転問題の報道合戦を繰り広げているが、私たちは小池“劇場”の単なる観客に止まることなく、自民党利権政治の根源をいかに絶つのかの視点で、この問題の核心に迫っていかなければならない。(直木)案内へ戻る


 三浦瑠麗氏の石原元都知事の記者会見に対する弁護論を駁す!

 既にこの石原元都知事記者会見については別に論じている。ぜひ参照をお願いしたい。⇒老残の身を晒して―石原元都知事の記者会見とは何だったのか

 この記者会見を周囲の反対を押し切ってまで強行した石原元都知事が得たものといえば最低最悪との評価だけだった、と私はその記事において酷評している。しかし今ここで確認しておきたいのは、この記者会見を積極的に擁護する国際政治学者である東京大学政策ビジョン研究センター講師・三浦瑠麗氏の石原元都知事擁護論についてである。

◆三浦瑠麗氏と「東大話法」

 三浦瑠麗氏といっても知らない人がいるかもしれない。しかし彼女は今マスコミの売れっ子であり、「美人の政治学者」として評判である。蓼食う虫も好き好き」の谷崎の名言もあるように三浦氏を美人だと思うのも自由である。しかし注目すべきは彼女の話しぶりとその論理的な展開方法であり、それは典型的な東大話法だということである。

 では東大話法とは、一体どのようなものなのであろうか。東大話法とは東京大学の安冨歩教授が命名した。安冨氏は、その著書『原発危機と東大話法』の中で「常に自らを傍観者の立場に置き、自分の論理の欠点は巧みにごまかしつつ、論争相手の弱点を徹底的に攻撃することで、明らかに間違った主張や学説をあたかも正しいものであるかのように装い、さらにその主張を通すことを可能にしてしまう、論争の技法であると同時にそれを支える思考方法のことを指す」と定義している。

 まさに三浦氏は東大の学者だとの肩書により自らを権威づけつつ、展開される論旨が不明確な文章の中に巧みに自己弁護を織り交ぜながら、「論争相手」である日本のリベラル層に対しては大した根拠もなく否定するレトリックを赤もか煙に巻くかのようなに駆使する新たな保守・ニュー・リベラルの星なのである。

 副島隆彦氏の一番弟子でジャパン・ハンドラーの研究者である中田安彦氏によれば、ヒラリーが大統領になった時に日本で活躍する様にジャパン・ハンドラーに育てられた人物で、この女性学者が問題なのは「本当に重要な論点」から議論をそらすために「もっともらしい論点」をでっち上げて、それにそって議論を誘導する、しかも「女性美人学者」だと指摘している。その意味では、ポスト櫻井よしこ氏というべき注目すべき存在であろう。実際、三浦氏に魅了される若者も多いと聞いている。

 三浦瑠麗氏は、東大農学部にいた時は旧姓の濱村瑠璃と名乗っていた。1980年生まれの湘南高校出身で東大在学中にベインキャピタル(ミット・ロムニー元共和党大統領候補が所属していたファンド)に現在務める福岡出身の三浦清志氏(義理の兄がどうもアメリカ人学者である)と2003年3月に結婚している。まさに「イラク戦争記念結婚」というべきか。結婚を転機に農学部から国際政治に転向している。湘南高校出身といえば、石原慎太郎、岡本行夫、浜田宏一らがいる。現在でも全国的に有名な公立進学校であり、戦前は海軍兵学校の予備校として著名な旧制中学校であった。

 中田氏によると彼女は元々は農業政策の研究者だったのだが、「イラク戦争に衝撃を受けて農学部から政治学に転身」した。この頃に結婚もし、元外交官で現在は投資ファンド「ベインキャピタル」に務める夫と同じく国際関係論の専攻者に鞍替えしている。岩波系リベラルの藤原帰一教授の下で学んだ。つまり人脈的にはこの彼女は藤原帰一の弟子で「東大国際関係論人脈」に連なり、そしてどうやら10年前から今日に備えて育成されてきた様であり、東大の国際公共政策コースというのは要するに日本において「ハーヴァード大学ケネディスクール」を真似した様な学部なのである。

 このような背景を知れば、三浦氏の石原元都知事会見の擁護論のおかしさが良く理解できる。3月4日の彼女のブログ「山猫日記」は、「石原慎太郎元都知事の会見を受けて」というもので、先日の石原元都知事の記者会見を擁護している。ここでは傍観者のごとく振る舞っている彼女が、なんとなんと石原元都知事と同窓であることを忘れるべきではないだろう。
3月4日の三浦氏のブログ「山猫日記」⇒http://lullymiura.hatenadiary.jp/

◆三浦氏のレトリック

 彼女は、まず「何が『問題』なのか?」と問題を提起する。以下にそのレトリックを示すために長い引用をすることをお許しいただきたい。なぜなら東大話法とは何かを知るために必要不可欠な引用のである。

「石原元都知事の豊洲に関する会見を見ました」「中身に入る前の印象としては、石原氏が大組織のトップとしてまっとうなことを言っているのに対し、記者達の『世間の空気』をカサにきた質問が、いかにも失礼で、勉強不足であるというものでした。マスコミの通り一遍の論調と、ツイッターの中の論調の多様性とのズレが目立ってきたという印象も持ちました」

 このようにおおざっぱな印象を語ることによって「石原氏が大組織のトップとしてまっとうなことを言っている」のに対し、彼を問い詰める記者達のカサにきた質問が失礼で勉強不足だと切り捨ていてる。まっとうな石原氏まと失礼で勉強不足の記者と無知な「世間」との対比である。これがまさに東大話法であり、問題の核心をそらす物言いである。そのためにこそ、三浦氏は石原元都知事の責任を追及する記者達に対して「魔女狩り」との脅し文句を用いる。こうして石原元都知事編に対する責任追及を不当なものといいたいのである。

 私が既にこの記者会見のやりとりを紹介しているので、是非とも参照の上、石原氏がまともだという根拠を三浦氏が具体的に列挙する義務があるだろう。それなしとはまさに無責任な議論である。

 それに続いて三浦氏は「そもそも、本件は何が『問題』なのか整理が必要」だする。
「石原氏と記者達のすれ違いの最大の要因であり、本件の核心は、そもそも豊洲への市場移転に問題があるのかという点でしょう。石原氏は、豊洲を市場として使う上での安全性の問題は、科学によって決着がついている。その判断は、今もって権威ある専門家によって是認されている。したがって、今すぐ豊洲に移転してもなんら問題ない、というものです。豊洲移転が完璧ではないかもしれないが、耐震基準を満たさず吹きッ晒しの前近代的な施設である築地に残ることによるリスクや不衛生より『まし』であろうと。

 対して、石原氏をバッシングしたがっている『世間の空気』は、豊洲への移転は危険であると思っています。仮に専門家が『安全』と言っても、『安心』はできないと。安全と安心は違うというのは、政治的な現実として真実です。

 本来は、安全で十分なはずなものについて、安心までを求めるのは民主主義のコストであり、文脈によっては払わざるをえないコストです。しかし、安心をゼロリスクと定義するならば、それは追い求めてもしょうがない『青い鳥』であり、実際には存在しません」

 ここで三浦氏は、本件の核心は豊洲への市場移転に問題があるか否かとする。核心の豊洲の土壌汚染問題となぜそんな所が移転先に決まったのかの経緯に隠されている大問題には、三浦氏はまったく触れないのである。そして石原元都知事に対する種々の批判に対しては、「世間の空気」として一方的に断罪し、論点をずらし石原元都知事を擁護して専門家が「安全」だとするも、みんなを納得させる「安心」など追い求めてもしょうがない「青い鳥」だと喝破する。確かに一部の読者には受け入れやすいかもしれないが、全くの詭弁だ。

 さらに三浦氏は、「リーダーとは、どこかで一線を引いて、世間を安心に導かないといけないものです。あくまでも安心を求める安心至上主義者は残るだろうけれど、安全について疑義を生じさせる客観的な事実が出てくるまでは、それらは極論として捨て置くしかないのです」

 ここで三浦氏は、核心的な問題に具体的に迫って説明するのではなく、極めて抽象的な一般論で問題の所在を誤魔化すのである。

 そして三浦氏は、争われたのは「美学の問題」の問題だと決めつけて次のように述べる。

「会場の雰囲気、記者達の質問、そしてスタジオに戻った後のコメンテーター達の発言が一様に求めていたのは、『責任』の二文字を石原氏と結びつけること。それは、報道ではなくて、魔女狩りです。瑕疵担保責任というマジックワードに焦点を当てて、それを知っていたか否かの一点に論点を絞り込む。科学的な知見を要する大組織の決断がいかに行われるかという石原氏の発言については、聞いていないのか理解できないのか。会見で争われたのが、美学の問題であったということはあります。石原氏は、スター作家の出身で、国民的な英雄のお兄さん。無頼派のデカダンな態度に、世間の政治家とは異なる美学が感じられて支持されてきた人です。石原氏の外国人差別的で、女性蔑視の言動について『あの世代の保守的な男性だから』と言って免責する気にはさらさらなれないけれど、氏のビジョンと魅力を多くの人が支持してきたということでしょう」「石原氏の弁明で感じたのは『世間の空気』が作り出した、安っぽい善悪二元論の茶番に乗っかる気はないよということです。むしろ、最後まで反抗してやるぞと。人生を通じて反抗期であった元作家としての、それはそれとして、別の矜持であり、美学を感じた方も多かったろうと思います」

 今更一々ここで論評するのが馬鹿馬鹿しくなるほどの支離滅裂な議論ではないか。記者会見で焦点となった石原元都知事の責任とその原因となる瑕疵担保責任の免責を、「魔女狩り」「マジックワード」と断定するに至って、三浦氏の東大話法は頂点に達する。

◆次から次へと論点ずらし

 こうして三浦氏は現実世界での議論から、抽象の世界つまり美学の世界を云々する。しかしここにのみ拘泥しては、自らの東大話法は崩壊する。それは三浦氏自身了解する所である。そこで次に新たな論点として「手続きの問題」に踏み込んでいくのである。
「美学の問題は、それこそ『感性』の問題でしょうからこれ以上深入りはしません。現状での豊洲移転に問題がないとすれば、『問題』は手続きに帰着せざるを得ません。昨日までに提示された事実に基づけば、石原氏が知事に就任した時点での前提条件は下記になります。
 築地の防災リスクと不衛生に基づく近代化は長年の懸案であったこと
 現地での建て替え案が検討されたものの現実的でないと判断されたこと
 豊洲などの海岸近くの移転案以外は現実的に検討された形跡がないこと
 豊洲の地権者であった東京ガスは汚染の問題があることから売却に消極的だったこと

 その上で、知事に就任した石原氏の判断は、市場関係者や議会の議論は堂々巡りになってしまっており、自らが方向性を示さない限り問題が解決しないということ。

 その上で、最終判断に至る経緯として、下記の手順を踏んでいます。それは、豊洲案は、完璧ではないかもしれないが、現状の築地での現状維持よりはましであるという、現状でも成立する問題意識に根差しています。

 土壌汚染の問題について専門家の意見とともに、都の関係機関に検討させて『解決可能』という結論を得ていること
 土地購入の手続き及び価格が適正であるかについて都の関係機関に検討させて『妥当』との結論を得ていること

 以上の条件が満たされたことで、裁可したというわけです。焦点となっている瑕疵担保責任の免除について『知らなかった』、『報告を受けていない』ということについて、石原氏を責めることはありだと思います。これほど政治問題化していた案件について、知らなかったでは確かに恰好は悪い。しかし、恰好が悪いということと、なんらかの『不正』があったと前提することは違います。ましてや、そこで生じた『コスト』について、現在出揃っている証拠でもって石原氏個人に請求するというのは、暴論でしかないでしょう。兆円単位の予算を預かる知事です。部下には、明確な目的(豊洲の土地購入)を与え、そのための手段(瑕疵担保責任の免除)について細かく介入しないというスタイルはあり得ます。大組織で仕事をしたことがあれば、想像がつくのではないでしょうか。仮に、瑕疵担保責任の免除について石原氏が知事として知っていたとしても結論は同じだったと思います。民間企業である東京ガスの立場からすれば、法令上の安全対策をする義務はわかるが、『世間の空気』であるところの安心対策までを、青天井で引き受ける契約を結べるわけがないからです。豊洲以外に現実的な移転先の選択肢がなかったならば、その土地を確保する以外にはないわけだから、土地を入手して物事を前に進める上での必要な妥協だったということです」

 格好が悪いと不正があるとは違う! まさに三浦氏でなければこんな擁護の仕方があると考えつく人はいないだろう。三浦氏の東大話法に拍手! このような全面的な石原元都知事の擁護論に鼻白む思いの人たちもいるだろう。三浦氏がここで具体的に揚げた根拠こそ、今現在それらのすべてが本当に適切な判断だったかがまさに問われている当のものだ、との認識が彼女にはあっただろうか。三浦氏は人を愚弄し、人を騙すのもいい加減にするべきである。

 こうして三浦氏は最後に「政治の問題」を持ち出してくる。

「本件も、最後は当然に政治の問題となります。今もって、豊洲問題が『におう』というのはわからないでもないからです。石原氏自身も、自分が話すと『困る人がいる』という趣旨の発言をしています。豊洲の土壌汚染対策が高騰した経緯は理解したいところです。安全が達成された後に『安心』の旗を振って不安を煽ったのは誰か。豊洲の建物の工事が高騰した経緯は何か。築地の跡地利用がどのようになされようとしているのか、等々。そのあたりにこそ、都政を浄化する論点があるように思います。マスコミは、小池知事と石原家の因縁の対決構図を作ろうとしています。週刊誌的な関心としてそこに面白さがあるのはそうでしょう。都知事選中の慎太郎氏の女性蔑視の発言は醜かったし、都連会長の伸晃氏が桜井パパから増田氏まで官僚上がりの実務家っぽい人を次から次へと担ごうとした経緯は滑稽でした。政治には復讐という人間的な要素があるのは否定できませんから、それはそれでやればいい」

 先の「手続きの問題」で目一杯の石原元都知事を擁護した三浦氏は、一転して彼に対する批判めいた発言をする。あまりに身を入れすぎた擁護論を展開しては、傍観者ではなくなってしまうからである。ここも東大話法の妙味である。まさに三浦氏はここ一番とばかりに豊洲問題に対する傍観者として振る舞うのである。しかしこのやり口は既に私たちによって完全に見破られている。

◆大問題をスルー 「東大話法」

 結論として豊洲移転問題に対する三浦氏のまとめを読んでみよう。
「御年84歳、足腰は衰えていても頭脳はしっかりしていた。かつてほどの攻撃力は発揮されなかったけれど、腹切りを求める『世間の空気』を十分に理解した上で、会見に臨んだ石原氏は、私にはまっとうに見えました。その、石原氏がもっとも強調したのは、小池知事の不作為の責任です。使う見込みのない地下水の汚染レベルについて喧伝するのは的外れではないかと。現代の政治が迫られる科学的な決断について、どこまで『安心』の論理を引っ張るのか。日々、積み上がっていく判断延期のコストにどのように落とし前をつけるのか。築地に関する客観的な事実がきちんと出てくれば、世論における豊洲移転派と築地残留派は拮抗するでしょう。都議選までは、自陣営が割れるような論点を作り出したくないということかもしれないけれど、リーダーの資質というのは困難な局面においてこそ発揮されます。晴れた日の友も、晴れた日のリーダーも役に立たないものです。政治的嗅覚に優れた小池知事のこと、『世間の空気』の潮目の変化を嗅ぎ取っているのではないでしょうか」(2017年3月4日「山猫日記」より転載)

 このように三浦氏は今傍観者を装って石原元都知事を客観的に擁護しつつ、小池現都知事批判の片棒をしっかりと担いでいる。これこそが東大話法の真骨頂そのものである。

 ところで三浦氏は「御年84歳、足腰は衰えていても頭脳はしっかりしていた」と石原元都知事を形容したのだが、その記者会見での実態とは老残を晒して無責任な言動を繰り返した見苦しい最低最悪の会見だとの評価を受けたものである。

 また目玉の、それまで石原元都知事が思わせぶりに仄めかしてきた「困った人がいる」として初めて名前を明らかにした人物とは、築地移転、豊洲決定、不正売買疑惑の動きの最中に2005年に東京都局長から定年退職後、東京ガス執行役員に天下った東京都元知事本局長の前川燿男氏であった。しかし 前川氏はこの記者会見で名前が出たことに直ちに反論した。彼が東京ガスとの売買契約の当事者でないことは、この契約日が2012年3月だったことで明らかである。したがって石原元都知事もぐうの音もなく記憶違いとして直ちに訂正発言するしかなかったのである。

 石原元都知事が三浦氏が保証したように頭脳はしっかりしていなかったことは、東京ガスと東京都の売買契約の核心であるキーパーソンの人違いに象徴されている。なぜ三浦氏は石原元都知事の都知事時代の勤務実態に関して一切の批判を封殺しているのであろうか。ここがポイントである。三浦氏は、特別職は週2日の勤務で十分だと考えているのか。この点を聞きたいものだ。

 まさに鬼面人を驚かせる石原都知事の勤務実態とそのことで不可避となった都知事の決裁権の都副知事への丸投げにこそ、豊洲移転問題の本質の一部が隠されているのである。

 こうした大問題をはぐらかすためにこそ、三浦氏の東大話法を駆使した石原先輩の擁護論が書かれたことを、私たちはしっかりと認識する必要がある。(直木)案内へ戻る


 森友学園と教育勅語についてひと言・・・「歴史」の視点から

 森友学園問題は、国有地の格安売却の疑惑や、安倍昭恵夫人や周辺の関わりをめぐって証人喚問の攻防が激化しています。そこで気がついたことを、歴史の視点からいくつか述べてみたいと思います。

教育勅語と自由民権運動

 塚本幼稚園では、園児に教育勅語を唱和させる時代錯誤的教育方針が話題となり、安倍首相も高く評価していました。稲田防衛大臣も「教育勅語の精神は間違っていない」と発言しています。

 「教育勅語」は、明治20年代(1890年代)、自由民権運動が高揚し、明治政府が危機感を抱き、政治的社会的秩序を確立するため、教育方針をそれまでの「文明開化」「立身出世」(民主化・自由化)重視から「国家主義」「民族伝統」重視へと、大きく右へ舵をきる中で採用されました。

 内容は儒教(朱子学)をベースしたものと言われます。僕の母親は子供の頃、学校で唱和させられた経験を語る時、「中身はいいことが書いてあるんだけどね」と言っていますが、当時の家父長的家族社会の道徳を反映し、反対しにくいものだったかもしれません。

 それでも、内村鑑三のようなキリスト教民主主義者は、拒否の闘いを貫いたのです。

 自由民権運動を弾圧し、日清・日露戦争に進んで行く中で、教育勅語の果たした歴史的役割を覚えておくことは大切です。

安保法制反対運動の直後

 さて、塚本幼稚園に安倍昭恵夫人が招かれ、講演を行った時期(籠池理事長は安倍夫人から百万円の寄付金を受けたと発言)、その後国有地をめぐって籠池氏側の依頼について、昭恵夫人付き内閣府職員が財務省に問い合わせをした時期は、2015年の10月から11月、つまり集団的自衛権の安保法制が国会で強行採決された9月19日の直後だった事に注意すべきでしょう。

 国会議事堂前では、学生や市民が連日、抗議の集会やデモを繰り広げていました。

 安倍首相も強い危機感を抱いていたのは想像できます。そんな中で「教育勅語を推奨する幼稚園」「さらに小学校へも」という森友学園の「挑戦」は、安倍首相にとって願ってもない応援団に見えたのではないでしょうか?何とか助力してあげたいと思ったとしても不思議はありません。

 安倍首相だけでなく、その取り巻きの政治家、官僚、保守的政治団体も、危機感は共有していたでしょうし、その危機感に駆られて様々な勇み足的行動に走りやすい状況であったことは確かです。

 自由民権運動への危機感からの教育勅語、そして安保法制反対運動への危機感からの教育勅語復活の試み・・・民衆抑圧と帝国主義の歴史を繰り返してはなりません!(松本誠也)


 読書室 森田 実氏・斎藤 貴男氏共著『誰も語らなかった 首都腐敗史 東京のデタラメは日本の諸悪の根源』成甲書房刊 本体価格千六百円

 2017年2月18日、本の帯の表には「小池劇場に騙されるな! 都庁は頭から腐っている!!」、そしてその帯の裏には「青島に始まるタレント知事時代から狂いだし石原がおもちゃにして定着した無責任都政を猪瀬・舛添の無様な木っ端知事が引き継いで独裁者・小池が完成を目論む!」との文字が躍る本書が刊行された。

 現在進行形の“小池劇場”の核心である築地市場の豊洲移転問題等の本質にとことん迫った森田実氏と斎藤貴夫氏の対談による舌鋒鋭い東京都政史の腐敗追及の本である。さらに巻末の[付録]都政腐敗史年表には、①「汚職」と「無責任」の都政腐敗年表②築地市場の豊洲移転問題年表③東京オリンピック問題年表の3つの年表がついており、読者にはたいへん参考になる本作りとなっていることにも感心した。

 本書の構成を紹介する。

 まえがき(斎藤貴男)
 第1章 東京都を分割せよ
 第2章 伏魔殿・東京の歴史
 第3章 2020年東京五輪の無責任
 第4章 小池劇場に騙されるな!
 第5章 マスコミが翻弄する東京都政
 第6章 雇用と平和を守る東京都へ
 第7章 「自分さえよければ」思想との決別
 あとがき(森田実)
 [付録]都政腐敗史年表

 本書は百条委員会が開設されたこともあり、今焦点となっている豊洲市場の移転問題を始めとして、森元総理との対立と小池現都知事の最初の躓きとなった東京オリンピック会場変更問題等と費用肥大化問題の他、連日“小池劇場”熱狂するメディアの狙いを具体的に暴露したものである。

 対談者は、浮き沈み甚だしい政治評論の世界に身を置いて久しい第一次ブンドの元組織・共闘部長で砂川闘争指導の森田実氏と『東京を弄んだ男―「空疎な小皇帝」石原慎太郎』(講談社文庫)の著書がある斎藤貴男氏である。この2人の対談が面白くない訳がない。

 残念ながら、ここでは紙面の関係で石原氏に関わることでこの本の骨格を紹介する。

 首都腐敗史は、森田氏によれば第二次世界大戦中に東京府と東京市が合併して上意下達の組織として東京都が軍都として誕生したことに始まる。したがって敗戦後には当然解体されなければならなかったのにそのままになったことで腐敗は深刻化していった。極度の中央集権と国に頼ることなく唯一財政が豊かであった東京都のあり方が腐敗を招いていったのであるが、その跳躍点となったのは石原都知事の誕生であったのである。

 石原氏について斎藤氏は「あれほど無責任な人間は、おそらく世界中を探しても珍しい。『差別と無責任に服を着せたものが石原慎太郎だ』」、とまえがきの中で断罪している。

 小心者のくせに尊大な立ち振る舞いに眉をひそめる人も多い。しかし彼の背後にはマスコミ界のワルのドンである渡邉恒雄氏がいる。森田氏は、石原氏に利用価値を見出した渡邉氏は山崎派を石原伸晃氏に譲らせたのだと解説している。はったりが多く虚飾に満ちた石原氏の実体を人々に誤認させるのも、すべては渡邉氏の後光のお陰なのである。

 読者の皆さんも豊洲での盛り土の設計変更がなぜなされたかについては、経緯の説明がないことに釈然としない方も多いのではなかったか。まさに東京都政の無責任体質が象徴された一事であったが、森田氏は都知事への報告の仕方を石原氏が簡略化した事実を暴露した。まさに石原都知事の信じられないような驚くべき変更であったのである。

 本書の核心のひとつなので引用する。それは森田氏の発言である。

「石原都知事は本当に無責任だった。知事のなすべきことまで役人に丸投げして、ほとんど遊んでいたと言われてもやむを得ないような生活をしていたそうです。知事としての自分の顔だけ立ててくれれば、あとは“よきにはからえ”という感じだったようです」(19ページ)
「例えば今度、豊洲の移転問題で問題になったのですが、行政文書が残っていないという。それで良く都政と言えるのか。国には文書がある。他の自治会もみんなある。東京だけ、しかも相当の長期にわたって文書なしに通してきたという。他の自治体だったら、知事の首が飛ぶような話です。それは石原知事が“俺は読まねえから1枚のペーパー以上のものは持ってきちゃだめだ”といったからだという話です。俺の目を通せる範囲のものにしろといって、すべての文書を短くしたんだと言われています。しかし、それすらもろくに残っていない。こんなに腐敗している自治体は、他に例がないと思います。東京都は相当に深い腐敗の中にあると言うことです」(21ページ)

 こうした石原都知事の下で東京の腐敗が一段と進んだのは、自分の顔を立ててくれれば仕事ぶりに口出ししないのが第1、都知事の仕事は都副知事等に丸投げするが第2、そしてその細部・決済報告も碌に聞かないという石原知事の無責任三点セットに秘密がある。

 これについては是非糾弾しておきたい事実がある。残念ながらこの本にも書かれていない。それは平成28年10月7日に小池都知事から石原慎太郎元都知事に対して発せられた質問書に対しての回答である。

 小池都知事の豊洲市場に関する質問

1 築地の豊洲への移転に関する立地上の問題について
(1)1999年4月23日に東京都知事に就任された後、9月に築地市場を視察し、「築地市場は古くて狭い」「アスベストの危険がある」として、市場として不適切であるとの感想を述べられた。それは、誰からのどのような説明、根拠に基づくものだったのでしょうか。

 石原元都知事の回答

1の(1)について
 1999年4月に私が都知事に就任する以前から東京都の幹部や市場関係者の間では築地市場の限界を感じ、移転先候補地を物色する中で豊洲という場所を決めていたようで、就任早々にそのような話を担当の福永副知事から聞いた記憶です。ただし、豊洲の中の東京ガスの敷地であるとまでは聞いた記憶はありません。したがって、少なくとも豊洲という土地への移転は既定の路線のような話であり、そのことは当時の資料をお調べいただけば分かるものと思います。

 まさに唖然・呆然としか形容できない回答である。この驚くべきやりとりを聞いて驚くのは私だけであろうか。なんとなんと石原元都知事は、当時豊洲が東京ガスの跡地とは知らなかったとまで回答して、まったく恥じ入ることすらないのである。

 さらに行政文書がなしという東京都政の無責任体質を裏付けるものこそ、豊洲で盛り土をしなくて良いと未だ誰が言ったか分からないという事実である。岡田元市場長は契約したのは私だが、その時契約書の文面を確認していなかったと放言する始末だ。確かに歴代の市場長等に処分者は出ているものの、この真実は闇から闇の中にあり、小池都知事もこの間の経緯と責任追及の手綱を締めることが出来ずまったく諦めているかである。

 小池都知事も小池塾などでエネルギーを使うのをやめるべきであるし、こうした点にも彼女が石原元都知事と同じ体質を持っていることを問わず語りに明らかにしているのだ。そして森田氏は、豊洲の未来についてトランプのカジノが来る可能性があると語る。これについては、斎藤氏も「来るんだったら大阪だの横浜だのじゃなくて」と素直に応じているのである。そしてこの噂は、石原元都知事も充分承知の事実のようだ。

 森田氏と斎藤氏の対談は、東京都の腐敗の歴史をきわめて具体的に指摘している。本書の帯に「青島に始まるタレント知事時代から狂いだし石原がおもちゃにして定着した無責任都政を猪瀬・舛添の無様な木っ端知事が引き継いで独裁者・小池が完成を目論む!」とある通りの展開である。桝添前都知事がいかに追い詰められたかも話題となっている。

 今回の書評は、誌面の関係から豊洲移転に絞って書いてきたが、東京五輪問題等、東京都政が関わる諸問題も論じている。是非今後のために読んで頂きたい1冊である。(直木)案内へ戻る


 紹介 アメリカ労働運動の基本的性格について--豊田太郎氏の「アメリカにおける労働運動の展開─ 労働騎士団からAFL-CIOまで ─」

 2016年11月の米国大統領選挙の結果、得票数では民主党ヒラリーが共和党候補のドナルド・トランプを僅差で上回るものの、選挙人はヒラリーが232人、ドナルド・トランプが306人を獲得しトランプ氏が新大統領に選出された。

 トランプ氏が勝利した背景には、米国内各州の深刻な経済、とりわけ雇用喪失があり、米国内の雇用喪失の深刻さを訴え、米国の労働者の利益のために自由貿易協定を見直すことを訴えたトランプ氏に、アメリカの労働者の支持があったことは明らかである。

 「自由貿易協定を破棄して」「アメリカ一国主義」やメキシコからの「不法移民」「イスラム教徒の排除」など保守的政策を掲げるトランプ新大統領をなぜアメリカの労働者は支持したのか、少し考えてみようとインターネットで「アメリカ労働運動」を検索すると豊田太郎氏の「アメリカにおける労働運動の展開─ 労働騎士団からAFL-CIOまで ─」が真っ先に検索されてくる。

 豊田太郎氏はこの論文で『19世紀後半から20 世紀に至るアメリカの労働運動をとりあげる。』としてアメリカの労働運動の性格について『労働者が団結することによって労働条件の改善など自己の経済的・社会的な地位の安定・向上を確保する運動。運動の基礎を労働組合・労働者政党などの組織におき,資本主義社会の変革をめざす社会主義運動と結びつく性格を有する。」(『広辞苑』第 4 版)ただし,いうまでもないが,産業革命以来各国が経験することになる労働運動は,それぞれの国に与えられたその時々の社会的・経済的条件によって性格を異にする。例えば,アメリカの労働運動を振り返った時,概して引用文の後半の部分は当てはまらないのである。』と言い、『1,労働運動のアメリカ的特徴の(1)』で『アメリカ労働運動の特質は,ビジネス・ユニオニズムにあるといってよい。

 ビジネス・ユニオニズムは「現実的労働組合主義」「経済的要求中心主義」などと訳されるが,それは,①資本主義から社会主義への移行といった経済体制の転換を志向せず,資本主義を支持しつつその枠内で賃金・労働時間といった労働条件を維持・改善しようとする,②イギリスの労働党のような労働者政党をもたず,その時々の状況に応じて共和党・民主党いずれの政党を支持するか決める,いわば無党派性が強い,この2点を基礎的内容としている。

 例えば,アメリカ最大の労働組合中央組織であるAFLーCIO(アメリカ労働総同盟・産業別労働組合会議)が東西冷戦時代に反共産主義の立場をとり,朝鮮戦争,ヴェトナム戦争を支持したこと,さらに規制緩和など新自由主義政策を採用することになる共和党大統領候補のロナルド・レーガン(1911~2004)を支持したこと,などはよく知られている(ただし大統領就任直後の1981年8月,レーガンはストライキに打って出たかつての支持母体,航空管制官の組合労働者 1万1000人余りを解雇している)。』とアメリカ労働運動の特質を指摘している。

 そして、こうしたビジネス・ユニオニズム「現実的労働組合主義」「経済的要求中心主義」等の『アメリカ労働運動の特質』について形成された背景については『(2)地理的・社会的流動性』で『つまり,経済的機会が閉ざされた社会であるか,それとも開かれた社会であるか,の違いによって労働運動の性格は大きく異なってくるのである。前者の場合,自らの境遇を改善する手段としては労働者同士の団結を図り,資本家側との交渉力を強化することが有力な選択肢となるだろう。後者の場合,労働運動に金と時間を割くよりも,努力の継続と新しい機会の探求が優先されるだろう。

 こうした点についてアメリカではどうであったか。』『アメリカ史のなかで機会の多寡,人々の社会的流動性を考える際に,西部の広大なフロンティアの存在は重要な要素である。アメリカの歴史は国土の西方への膨張過程でもあったから,「荒野に隣接する人口の少ない開拓地」2)としてのフロンティアもまた太平洋岸に向かって進んでいった。

 フロンティアにやってきた人々は,生産手段としての土地を所有する家族単位の自営農民となり,成功を信じて日々の労働に励んだのである。資本家から支払われた賃金によって生活を維持する他ない東部の労働者とは異なり,フロンティアの農民は「だれからの命令を受けることもなく,日々の生活を自己決定できる独立した人間として生きる」3)という「自由」を手に出来たのである。

 こうした事態は,東部で失業・貧困等に逢着し希望を失った「不自由」な賃金労働者が西部の「自由」なフロンティアに逃れていく可能性を生むことになる。実際には賃金労働者の移住は少なく,農民の移住が多かったことが分かっているが,農民が東部工業都市に流入した際の影響を考慮すれば,フロンティアが間接的に都市における労働者の不満を緩和したのは確かであろう』とのべ、『ただ,経済成長という一般的条件のもとで,これら成功者の存在は労働者を刺激し,アメリカ社会の地理的・社会的流動性を高めたのである。』と『労働者が固定的で「階級意識」を育んだヨーロッパとは異なり,アメリカでは社会的流動性が大きく,そのことが「意識の低い」ビジネス・ユニオニズムを生み出す底流となったのである。』と分析している。

 『(3)の工場労働者の多様性』では『総じて,全体としてのアメリカの賃金労働者の状態が異質の者同士の集まりとなった以上,手っ取り早くかれらをまとめて労働運動に参加させるには労働条件の改善,すなわち「厚い給料袋」に目的を絞ることが最も有効であった。なぜなら,社会主義云々という理念を主張するのに較べて,それはどの労働者も関心を持つ一般的事項であったからである。

 かくして労働運動のアメリカ的特徴が与えられることになった。』とアメリカ労働運動の特質をビジネス・ユニオニズム「現実的労働組合主義」「経済的要求中心主義」と定義している。
 
 論文ではこの他に
2,AFL(アメリカ労働総同盟 American Federation of Labor)の展開
(1)労働騎士団(Noble Order of the Knights of Labor)
(2)AFL
(3)技術革新の展開
3,CIO(産業別労働組合会議 Congress of Industrial Organizations)の発展
(1)IWW(世界産業労働者組合 Industrial Workers of the World)
(2)CIO
アメリカの労働組合組織率・・・と労働組合組織の結成とその戦いの歴史を論じているが、紙面の都合上割愛させていただく。

 論文ではこうした『意識の低い』ビジネス・ユニオニズムからの脱却については論じられていないが(労働組合主義や資本主義社会からの解放を目指す運動の構築は、必要だと思うが)トランプ支持に回ったアメリカ労働運動の基本的な性格を理解し、アメリカ労働運動史を学ぶ基本資料として、この論文を読んでみてください。(真野)案内へ戻る


 色鉛筆・・・次々と入れ替わる介護職員

 私が介護の仕事に就いて、1年4ヵ月になります。60歳からのチャレンジ! と言えばかっこいいのですが、最近やっと仕事の流れを掴めたかなという感じです。当初軽い気持ち(半分ボランティア的な気分)で職場見学に行った私は、本心は仕事といっても補助的なもので楽なものだろうと思っていたのでした。しかし、週2回勤務で1日8時間労働、仕事内容も他の職員と同様にローテーションで仕事をこなさなければならなかったのです。プロ意識を持って! と叱咤激励されても私にはピンとこず、素人感覚も大切と開き直る私でした。

 私と同じ頃に勤め始めた2人の職員は、1年を経ずして、1人は足の怪我をして治療に専念のため、もう1人は新しい職場に就職のために辞めて行きました。今年に入って、私のすぐ後に勤め始めた同世代の職員は、自営業が人手不足で辞めざるを得ず、もう1人は父親の介護のためにと離職しました。そして、3月半ばに10年近く勤めたベテランの職員が退職して、故郷に帰って行きました。

 2000年に介護保険制度が導入され、始まった介護の社会化のための事業ですが、当初からすれば小さな事業所は閉鎖に追い込まれ、法人格を持った施設や病院系列の事業所などが生き残ったようです。機能訓練と称したサービスには、健康器具よりも精密な体の各器官を訓練する医療設備が必要です。それにはまとまった資金が必要ですし、その機器を操作する作業療法士も義務付けられ、人件費もかさみます。

 私の勤めるディサービスは、法人格を持ち、経営面で色々と優遇されています。法人税の免除はもちろん、建物も神戸市の所有なので耐震工事などは市の費用でやってもらえます。しかし、介護職員の働き方は貧弱で、常勤が4名、残り10名は時間給のパート職員です。他にも看護師・厨房係・運転手がいますが同じく時間給での雇用です。不安定な働き方は、働く意欲を減少させ離職を容易にしてしまい、さらにそのしわ寄せが残った職員に及ぶのは確実です。

 職場は3月中には新しい職員が2名入職の予定です。できるだけ長く続いて欲しいと願うばかりです。それには、何よりも働き方の改善が必要、そして職員同士の信頼関係を作ることも大切。私は古い考え方かもしれないけれど、可能であれば同じ職場で働き続けることが仕事の安定=生活の安定につながって行くと思います。「憲法カフェ」に並んで「働き方カフェ」で意見交換してみたいですね。(恵)


 「エイジの沖縄通信」(NO.37)

★「山城博治さん、元気に3・25県民大会に登場」

 微罪で3回も不当逮捕され、約5カ月も長期勾留されていた山城博治さんが、ようやく3月18日に保釈された。

 沖縄の皆さんは、毎日・毎日・・・那覇裁判所前で抗議の声を上げ続けていました。

 本土の仲間の皆さんも、「山城さんの保釈をめざそう」と各地で抗議の声を上げ続けていました。

 世界の仲間の皆さんも、日本のNGO4団体が国連人権委員会で山城さんの釈放を訴える。アムネスティの呼びかけに応じて、ニューヨークの市民団体が日本領事館に抗議の署名を提出するなど、日本政府の長期勾留・人権無視に対する怒りが世界に拡がっていた。

 そして山城博治さんは、3月25日(土)辺野古キャンプ・シュワブゲート前で開催された「違法な埋立工事の即時中止・辺野古新基地建設断念を求める県民集会」に顔を出し、支援者の皆さんに元気に挨拶をした。

 翁長雄志知事も就任後初めて辺野古での集会に参加し「力強く撤回を必ずやる」と述べ、辺野古の埋め立て承認を撤回する方針を明言した。

 ゲート前に結集した3500人の沖縄県民は、新たな闘いの決意をした。

 この山城博治さんらの不当逮捕・長期勾留に関して、高江の市民団体「ヘリパッド建設に反対する現地行動連絡会(高江連絡会)」のブログ記事を紹介する。

※民衆運動弾圧裁判公判開始にあたって

 3月17日の長期拘留3者の第1回公判の翌日夜、沖縄平和運動センター議長山城博治さんが保釈されました。3月17日那覇地裁は700万円もの高額な保釈金の下に保釈を認め、翌18日福岡高裁那覇支部はそれに対する那覇地検の抗告を棄却、保釈が決定しました。裁判所のあこぎな高額な保釈金はたたかう民衆にとってはいささかもブレーキとなることはありません。

 10月17日の不当逮捕以来、弁護団の度重なる保釈請求は延々と拒否され、勾留は約5カ月にもわたりました。もはや誰の目にも明らかに、沖縄の民衆運動を潰すための人質司法によるリーダー拘留でした。

 那覇地裁前で保釈時の新聞報道写真の数々やツイキャス動画からも分かりますが、山城博治さんを迎えた人々の光景は、氏がまさしく戦後この方数十年の沖縄民衆運動が生み出し育てたリーダーであり、県内外、海外の人々を自立と共生を求める闘いの現場へといざなう、氏の人々を結ぶ天性の力量と熱を彷彿とさせるものでありました。権力が弾圧の目的とするところが何であるか良く分かります。

 何度でも確認しておかなくてはなりません。日米安保条約(今では非対称隷属関係の日米軍事同盟)に基づく米軍基地施設は日本国土の0.6%にも満たない沖縄島&周辺離島に70%以上も配備されているのです。去った大戦の沖縄戦でほとんどの住民が過酷な戦火の中で生死の境をさまよい、4人に1人が斃れました。かろうじて生き残った人々は心身ともに傷を負いながら復興ままならぬ中で子らを生み育て、家族を再興してきました。つまり戦前戦中世代も戦後世代も戦後の米軍占領統治下におかれ、沖縄社会は長く治外法権下で人権蹂躙に喘いで来ました。それでも、敗戦国日本は日本国憲法下で1952年一応主権国家の形を認められて国際復帰を与えられ、戦後復興を果たしました。一方で、沖縄には日本復帰(施政権返還)後も更に米軍基地を負わせ続け、日米地位協定下で沖縄住民を憲法番外地に置いて苦しめ続けているのです。

 そして今、そんな国日本が、基地災害のみならず、高江や辺野古、伊江島への米軍新基地建設・機能強化、更には列島への自衛隊ミサイル基地建設計画に見られるように、日米共同の国策による要塞化で沖縄の自然と住民を再びの国益(国体)擁護の“捨て石”として戦争の恐怖の中に投げ込もうとしています。沖縄は、近代日本の琉球併合による植民地政策、沖縄戦とその悲惨の極致である集団強制死と敗戦後の米軍占領統治の経験から「基地・軍隊を(どこにも)許さない」と叫び続けて来ました。その体験は今、アベ政治の本質を聞き分け、戦争の足音がざわついているのを感じ取っています。

 それゆえに、ここ数年の新基地建設反対を争点とする県知事選、衆院選、名護市長選、参院選の大きな選挙すべてで勝利し、沖縄の民意はゆるぎなく圧倒的に示されました。だが、直近の昨年7月の参院選結果発表(伊波洋一氏の圧倒的な勝利)の翌日からやんばる高江地域に機動隊が導入され、北部訓練場オスプレイパッド工事が強行されたことに見るように、そもそも民意を顧みることは端から念頭にない植民地的抑圧・支配の、かつての米軍の銃剣とブルドーザーによる横暴にも勝る不正義な行為であることは明らかでした。

 県外(6都府県)からも500名以上もの機動隊が導入され、また防衛局も当初計画にない強引な工事用道路建設や工程無視の杜撰な工事、森林伐採を機動隊、防衛局職員、民間警備員らの擁護の下に強行しました。アベ政権による問答無用の、まさに国家暴力装置の駆動によって民意を蹂躙して行ったのです。

 そんな状況に対して非暴力・不服従の抵抗運動が、表現の自由をそれ自体に含む基本的人権を守る闘いとしてたたかわれています。権力を嵩にして自在にわれらの行く手を阻み追い詰めてくる者らの暴力と差別意識と闘っているのです。

 正義は我われにあります。公判はこれから続きます。被告らはすべて無実、無罪です。裁判による攻撃は民衆運動に対する攻撃です。
すなわち、我われに対する攻撃です、弾圧です。リーダーは不在ではありません。1人ひとりのなかに生まれ、成長します。より根源的な靭帯で結び結ばれて行くのです。

 裁判は勝利します!辺野古の現地行動も闘い抜きます!辺野古工事強行は嘉手納基地撤去の動きをもたらします。

 今後の公判へ注目し、応援しよう。そして同時に辺野古にも行こう!

★「在沖米軍トップの発言・・・日米の本音か?」

 3月上旬、米軍キャンプ瑞慶覧で記者会見した在沖米軍トップのローレンス・ニコルソン四軍調整官の発言が注目を集めた。
 その発言内容は、①「沖縄の全基地を自衛隊との共同使用すべきだ」②「米軍機の騒音規制措置に関連して、即応性の観点から夜間飛行訓練は必要だ」との主張。

 しかし、①の米軍基地の自衛隊との共同使用化については「軍人としての個人的意見で日米両政府の政策ではない」と補足したが。

 この衝撃的な発言について、琉球新報は次のように述べている。

 「ニコルソン氏は今後、在沖海兵隊約8千人がグアムなど国外に移転することに伴い、自衛隊との統合運用が可能になると述べた。キャンプ・ハンセンなどでの米海兵隊の訓練が移転するため、基地の運用に『空き』ができることを念頭に置いたとみられる。」

 しかし、沖縄から見ればグアム移転の話は沖縄の負担軽減のためであった。
 従って、琉球新報は「米軍の訓練を移転しても、代わりに自衛隊がその場所を使用すれば『衣替え』の訓練が続き、負担軽減は有名無実化する」と指摘。

 さらに、「南西諸島防衛の強化を掲げる自衛隊は辺野古新基地建設もにらみ、キャンプ・シュワブやキャンプ・ハンセンの共同使用で新たな訓練場を獲得したい思惑がある。日米の制服組の狙いが浮かび上がった形だ。共同使用はこのところ、県出身の自民党議員などからも提言されている。まずは共同使用し、将来的には県内の米軍基地を自衛隊の管理下に移す構想だ」と報じた。

 あくまで辺野古の新基地建設にこだわり、国家権力を総動員してなりふり構わず新基地建設を進める安倍政権のやり方を見て、「口では米軍基地の建設と言っているが、本音は自衛隊基地にするつもりではないか」と指摘されてきた。
 まさに、その事が証明されたような在沖米軍トップの発言であった。(富田 英司)案内へ戻る


 コラムの窓・・・毎日定時で楽しい生活を!

 月最高100時間を挟んで検討されてきた残業の上限規制が、安倍晋三首相の一声で100時間未満で決着するようです。この攻防、労働組合ならぬ連合の姿勢では、所詮アベの働かせ放題〝残業規制〟で決着することは予想されたことでした。

 労働基準法36条(時間外及び休日労働)は労使の合意によって労働時間を延長できるとしており、37条(時間外、休日及び深夜の割増賃金)ではその場合は割増賃金を支払わなければならないと規定しています。残業の場合は時給換算で2割5分以上、月60時間を超えたら5割以上の時間賃金支払いを使用者に義務付けています。

 こうした規定は、今日的には週40時間、週休2日が基本の労働時間であること、労働時間延長は例外的なものとして労働側の了解を得た時間について割増賃金を支払う、つまりこれは使用者に課されるペナルティです。ところが現実は、死ぬまで働かせ放題、残業代はまともに払わない、多くの職場が奴隷労働の場に成り果てているようです。

 かつての郵便局には全逓という労働組合があり、年末ともなれば36協定を盾に郵政と交渉を行っていました。36協定がなければ残業なしだから年賀も滞り、当局は困ってしまいます。その頂点が1979年末の反マル生越年闘争でした。私の職場は全郵政(御用組合)が圧倒的多数派だったので残業の発令があったのですが、私は定時終わりで楽な年末始でした。

 その後、全逓は坂道をころげるように御用化し、全郵政との合併を経て今や押しも押されもしない御用組合に成り果てています。全逓がその名とともに闘う路線を捨てたときに、私は全逓を捨てました。現場労働者の苦闘に上に築いてきた「権利の全逓」は、過去の栄光とともに消え去ったのです。ともあれ、私の子そだて期は毎日が定時終わりで午後5時には帰宅、子どもたちと楽しい時間を過ごすことができました。実に古き良き時代でした。

 労使対立はあったもののこうした牧歌的郵便職場が崩壊に向かったのは、ライバル企業ヤマト運輸の台頭によってでした。そのヤマト運輸がいま、長時間労働と残業代未払いで〝働かせ方〟の再検討を迫られています。支払い対象者は7万6000人、原資は数百億円に上るとも言われています。

 劣悪な労働条件による人件費削減と送達速度の高速化で実績を上げてきたクロネコヤマトが、一時代の終わりを迎えようとしているのです。所詮企業はそんなもの、プリントパックだって安くて早い印刷で業績を上げていますが、こちらでは労働者が立ち上がって働かせ放題に待ったをかけています。

 恐るべき〝致死労働〟が安倍政治によって公認されようとしているいま、これをはね返すことができるのは月並みな結論ですが、労働者の団結した力によるほかありません。付け加えれば、〝安く、早く〟という消費志向こそが過労死を強いる要因であることを私たちは反省しなければならないようです。 (晴)

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