ワーカーズ570号  2017/5/1   案内へ戻る

朝鮮半島での戦争を阻止するため反戦の宣伝と行動を!
 危機を利用した国民動員態勢づくりを許すな!


 今回の朝鮮半島危機を生み出した要因が、米国トランプ政権の特有の性格にあるのは明らかだ。北朝鮮の側の、体制維持、休戦協定を平和条約へという要求、そのための核・ミサイル開発への邁進はかねてより明らかだった。これに対して米国は、北のミサイルはまだ米国本土には届かないとたかをくくってきたが、北がICBMとSLBMを手にせんとする直前であることが明らかになるや、慌てて先制攻撃の脅しを振りかざして北を封じ込めようと乗り出し始めたのだ。

 背景には、米国経済の建て直し、その方法の重要なひつとしての軍事産業へのテコ入れ、軍拡経済に活路を求めようとするトランプ政権の思惑がある。もちろん、資本主義としての盛りをとっくに過ぎ、生産しないで消費する国、輸出しないで輸入する国、他国に資金を提供するどころか他国から借金を重ねる国として衰退の道に入った米国が、今さら軍拡経済で再生するなどということはあり得ない。だからこそ、なおのこと、一縷の望みとして軍拡、公共投資、保護主義など、古い経済政策を総動員しての悪あがきに必死にならざるを得ない。

 他方、北朝鮮の金体制と先軍政治の背景には何があるのか。かつて日本に先進文化を伝えた朝鮮は、アジアの近代化のうねりに出遅れて、日本の植民地支配下に置かれる屈辱を強いられた。日本軍国主義の敗北とともに、半島の近代化に向け一挙に乗りだそうとしたが、東西冷戦体制の壁に阻まれ、分断国家化を強いられた。さらに朝鮮戦争によって、それでなくても疲弊していた経済と社会は決定的なダメージを受け、マイナスからの経済社会国家建設を強いられることとなり、その遅れを急速に取り戻そうとさらに極端な開発独裁の体制を採用することとなった。

 三代にわたる金一族による独裁支配はそのためのものであり、その安定と強化の拠り所を、先軍政治、核とミサイルによる米国からの承認の取り付けに求めてきた。急速な資本蓄積のために国民には強搾取・強収奪が強いられ、その反抗を防ぐために独裁体制と軍事優先政治が一層強化されていった。無理に無理を重ねて、ようやく、米国に届くミサイルに手をかけるところにまで到達することが出来た。ところがその途端、落ち目の米国にトランプが登場し、落ち目故に何をしでかすか分からない危うさを秘めて、先制攻撃もありなどと叫び始めたのだ。

 このような状況に、私たちはどう立ち向かえば良いのか。先ずは日本の国民に対して、そして世界の国民に対して、この軍事挑発が、市民・国民の暮らしや権利を守るためのものではまったくなく、米国の軍産複合体始めとする大資本の体制、北朝鮮の独裁体制、これら両国の支配層の利益を守るための軍事挑発以外の何ものでも無いことを徹底して暴露する必要がある。精力的な活動で世論を喚起し、その世論の力で、彼らの手足を縛り、危険で愚かな挑発行動に歯止めをかけていかなければならない。(阿部治正)


 脅かされる当事者主権――安倍政権下の国家主義への傾斜を許すな!――

 安倍政権下で国民主権・当事者主権が脅かされている。

 いま国会で審議されている共謀罪ばかりではない。あの特定秘密保護法や森友学園で浮上した政官の癒着や教育勅語の復権のもくろみも、みんなそうだ。

 これらは安倍首相が狙う国家主義的な改憲につながるものであり、また並行して進められてきたガイドライン=安保法制や先制攻撃も可能にする戦争国家化と対をなすものだ。

 安倍政権の暴走を止めなければならない。

◆奪われる〝国民主権〟

 安倍政権が執着する一連の法制化を考えるにつれ、浮かび上がってくるのは、戦後民主主義の個人主義、憲法でも保障されているはずの国民主権が脅かされているという現実だ。主権者であるはずの個々人からその内実を剥奪するもくろみは、立法府の形骸化、行政権への権力の集中として現れている。

 たとえば13年の年末に強行採決された特定秘密保護法だ。政府・行政機関が決めたその特定秘密に対し、国民の代表機関とされる国会の関与は極めて限定的だ。衆参には情報監視審査会が置かれているが、メンバーは衆院ではたったの8人、大多数の国会議員は膨大な機密事項に触れる事さえできない、なにが秘密事項なのかさえ分からないのが実情だ。

 また、いま関心を集めている森友学園をめぐる疑惑。愛国心やら高邁な道徳を叫ぶ日本会議の幹部と権力者が癒着している姿があぶり出されている。官僚はといえば、公僕としての地位はどこへやら、権力者の疑惑を隠すガードマンの役割に汲々としている有様だ。

 その森友疑惑に関連しては、教育勅語の扱いをめぐる思惑も浮上した。森友幼稚園で園児に唱和させていたからだ。
 教育勅語は、親孝行や隣人と仲良くなど、一見するだけでは誰も否定できないような徳目が並べられている。が、両親に対する「孝行」と天皇への「忠誠」をつなぎ合わせることで、大家族主義とその頂点に君臨する天皇とその国家体制に「忠・孝」を迫るものになっている。「和」「睦」「「信義」「慈愛」にしても、その一部としての徳目でしかない。

 教育勅語が象徴する天皇制イデオロギーと皇室制度は、戦後の個人中心の国家システムを気に入らず、ひっくり返したいと考える権力者やその太鼓持ちの面々によって持ち上げられてきた。むろん、行政権力を頂点とする国家主義的支配・統合に都合がよいものだからだ。

 教育勅語については、稲田防衛相などが「勅語の核の部分は取り戻すべきだ」と、勅語の復活への野望に執着してきた。さらに政府によるこの件に関する閣議決定では、「教材として用いることことまでは否定されることではない」とし、管官房長官も「教育勅語を我が国の教育の唯一の根本となるような指導を行うことは不適切だ」と発言している。まるで現行の教育基本法と並列で扱うことまで可能にするような言い方だ。

◆際立つ国家中心主義

 まだある。自民党が画策している国家主義が色濃い改憲そのものも同じだが、なかでも緊急事態条項の新設だ。この条項では、政府が緊急時だと認定すれば、内閣が法律と同じ効果を持つ政令を発布することができる。その緊急時というのも、自然災害や外部からの武力攻撃・内乱に加え「その他」があり、何にでも拡大適用可能な代物だ。その根拠と必要性を判断するのも、これまた内閣という行政権力だ。現在でも「安倍一強政治」といわれる中、内閣という行政・執行機関の暴走を憲法上でも公認するものになっている。緊急事態条項が導入されれば、究極の「内閣独裁」が成立してしまう。

 思想・内心まで支配しようとする共謀罪の導入のもくろみも同じだ。

 犯罪の計画段階で処罰する共謀罪では、犯罪の嫌疑、捜査、検挙まで、結局は警察や検察など、捜査機関の判断に委ねられる。組織的犯罪集団であるかどうか、あるいは共謀したかどうかは、捜査してみないと分からないからだ。でっち上げの嫌疑で内偵することも検挙することも可能だ。誰かが偽りの告げ口をするかもしれない。他人と腹を割って話すことも出来なくなる、そんな監視社会、警察国家化を招き寄せる代物なのだ。

 原発をめぐっては、あの福島の事故など無かったかの様に、政官業がグルになった原発ムラ勢力によって、世論を無視して着々と再稼働=原発回帰の道を進んでいる。また森友学園や加計学園疑惑では、普通の人には見えないところで権力者と官僚・業者が癒着して甘い汁を吸い続けている実態があぶり出されている。

 議会制民主主義の建前に立つ日本でも、現実に日本を動かしているのは、数年に一度の選挙という選択の機会を与えられている有権者ではなく、政治や行政と癒着した一部の利益集団であることを浮き彫りにした事例だ。現状でさえ、国民主権が確立・機能しているかといえば大いに怪しいものだが、国家至上主義者の連中にとっては、それでもまだ現状が気にくわないらしい。

 先に取り上げたものはいずれも現行憲法で確立されたはずの国民主権、個人的人権の保障、その背後に流れている個々人の当事者主権をないがしろする事例だ。いずれも、議会制民主主義の建前のもとで自立化・肥大化する行政・執行機関への権力の集中を進めるものという他はない。

◆国家主義と戦争国家は表裏

 こうした国家主義化への暴走を続ける安倍首相の立脚点は何なのだろうか。

 祖父の岸信介元首相を敬愛するという安倍首相が持つ、戦前回帰の思想・思惑もあるだろう。ただしそれは戦前回帰という復古思想だけのものではない。武力を背景としたパワーポリティクス=力による外交を推し進めたいと考えているからだ。むろん、あの戦争に対する反省はある。が、その反省というのは、膨大な犠牲者をつくり出した無謀な戦争に突き進んでしまった、というところにあるのではない。反省するのは戦争そのものではなく、戦争に負けてしまったことだけを悔やんでいる姿だ。なんとも一面的で歪んだ反省ではある。

 その歪んだ反省の表れが、再び表面に浮上している。いま、安倍政権のもとで、嫌中・嫌韓の言説があふれている。むしろ、政権自体が煽っている。戦後いち早く経済復興を遂げた日本が、かつては日本の勢力下にあり国家再興後は日本が経済援助もした中国に追い越さた。日本の手下扱いしていた韓国も、それなりの経済発展を遂げて、なにかと日本にたてついてくる。それらが気にくわないから、嫌中・嫌韓なのだ。戦前回帰派やパワー外交派の目先の格好の標的として、中国・韓国が写っているいるのだろう。嫌中・嫌韓は、グローバル化が進む中、失われた20年という日本経済の相対的衰退という現実を背景として肥大化してきたともいえる。

  そんな安倍政権、これまで続けてきた軍事力増強路線をさらに推し進める姿勢を示している。

 トランプ大統領は、軍事予算を1割増やすとし、核戦力増強の態度を鮮明にしている。呼応するように安倍首相は、日本も軍事力を増強する姿勢を示し、3月2日には軍事費の対GDP比を「安倍政権においては1%以下に抑える考えはない」と明言した。さながらトランプ大統領が打ち上げた軍事力増強の姿勢や対日要求を、はやくも利用した格好だ。また米軍によるシリアへの違法な軍事攻撃に対しても、トランプ大統領の決意への「支持」も明言し、軍事力優先のパワー外交に傾斜する姿勢を露わにしている。

◆軍事合理性?

 そうしたパワー外交で見逃せないのが、このところまた浮上してきた「敵基地攻撃論」がある。これは目先のものとして、北朝鮮による瀬戸際外交としての核開発・ミサイル発射での威嚇に対する対抗策として語られている。ところがこの「防御としての攻撃」が一番あぶないのだ。

 敵基地攻撃論は、「防御」の議論から続く。敵のミサイル攻撃を弾道ミサイル防御網で防御する、が、すべて破壊できるとは限らない、それなら座して死を待つより、打ち込まれる前に攻撃してしまえ,というものなのだ。

 こうした考えは、風が吹けば桶屋が儲かる式の飛躍した議論でしかないが、こと軍事に関しては一面の合理性がある。「攻撃は最大の防御なり」という言葉もある。が、この言葉は半面ではもっとも危険な言葉でもある。武力衝突をめぐる軍事的な合理性、整合性の土俵が、対外関係そのものの枠組みにすり替わってしまうからだ。外国との関係を何でも武力・軍事力のめがねを通して考え、行動してしまうことと紙一重だからだ。敵基地攻撃・先制攻撃論は、非常にあぶない考えなのだ。

 現時点では、政府のスタンスとしては、敵基地攻撃や核攻撃でさえも、自国防衛を目的としたものであれば合憲であり可能だ、というものだ。ただし政策としてそういう方策は採らない、としてきた。要するに、攻撃されたら身を守るための防御や攻撃は必要であり許される、ただ、現在はそういう情況になく、そのための装備も持っていないし、持たないだけだ、ということなのだ。

 これが変えられつつある。これまでも自民党議員の国会質問などで、先制攻撃論の必要性が煽られてきた。が、それは一部の跳ね上がった議員の発言に止まってきた。いま安倍政権のもとでは、自民党そのものが敵基地攻撃論に染まっている。

 今年1月には、政府寄りのシンクタンクが相次いで防衛力増強を求める提言を出した。12日には中曽根元首相が会長の世界平和研究所が「北朝鮮のミサイル施設を破壊する能力の導入も検討すべきだ」と踏み込んだ提言をしている。呼応するかの様に、3月29日には、自民党の「弾道ミサイル防衛に関する検討チーム」が「反撃」という言葉で敵基地攻撃能力の保有を政府に検討するよう促した提言をまとめた。自民党の国防部会で了承されたうえで、翌30日には安倍首相に提出されたという。首相官邸とすりあわせも当然あったのだろう。かつては一部の突出した議員の主張が、いまは政権中枢と一体となった野望にまで膨らんでいるのだ。

◆せめぎ合い

 武力を背景としたパワー外交、それに対をなす国家中心主義と国家への権力の集中。これはおびただしい犠牲を払って日本の国民がなんとか獲得した平和主義と国民主権をご破算にするものだ。

 14年にはあの戦争法を強硬成立させた安倍政権。我が国の防衛のための自衛隊は合憲であり必要だとしてきた歴代自民党政権。いまや防衛目的だとして敵基地先制攻撃まで視野に入れた野望を露わにしている。まさに実質的な改憲だという他はない。この攻防は、当事者主権と国家主権のせめぎ合いの現状を映し出している。

 日本国憲法の前文には、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し……」とある。ただし「決意」だけでは政府による国民主権の形骸化と行政・執行機関への権力の集中を止められないのだ。同じく憲法第12条には、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」と明記されている。国民主権を確保・前進させ、「政府による戦争」を阻止するためには、「不断の努力」こそ必要なのだ。

 戦争体制と国家中心体制は表裏のものといえる。こうした野望の実現に向けて、それに歩調を合わせるかのように、国民主権という建前さえもないがしろにする安倍政権の暴走を許してはならない。国民・有権者から自立して、逆に国民を犯罪予備軍扱いする行政権力の暴走を許してはならない。(廣)案内へ戻る


 百条委員会で真に追及すべきは「新銀行東京」の経営実態に対する石原氏の責任だ

 豊洲市場問題に対する百条委員会の追及は予想通りの竜頭蛇尾に終わった。東京ガスの経営陣と都庁幹部に対する追及は、都庁の文書管理の甘さ故に徹底的に追及し切れなかったからである。特に浜渦元副都知事と前川練馬区長に対する追及はさらに迫力に欠けたものであった。彼らは文書の決定的な証拠が示されなかった限りで東京都政の闇の中に自らを隠すことが出来たのであった。聞くに堪えなかったのは前川氏の石原氏の週2勤務実態「批判」である。なぜその場その時に石原氏に対して的確な批判をしなかったのか。まさに当時は茶坊主のだったとの反省も自覚もない破廉恥さである。そのため、漸く石原元都知事を追及の場に呼び出したのにもかかわらず、その場での石原氏の発言はといえば自分に都合がよいことは鮮明に覚えているのに対して都合が悪いことは覚えていない・知らないとの無責任極まりない対応だった。見苦しいの一言で切り捨てる他ない酷さである。

 石原氏は証言の冒頭で“ひらがなさえ読めなくなった”との衝撃の証言で追及の手から逃れる一策を弄した。まさに言った者勝ちの破廉恥ぶりだ。これが本当のことであればそもそもワード入力など使えないと私などは考える。では『天才』等の著述は誰が書いているのであろうか。そんなまともな記者の具体的追及はついぞなされなかったのである。

 振り返ってみれば、石原氏の都知事時代とは東京都民の税金を好き勝手にやりたい放題で石原家全体の食い物にしつつ、その責任は一切取らない実に腐敗した13年だった。

 その最たるものが不良債権問題で揺れたメガバンク等への対抗意識丸出しで設立した「新銀行東京」だ。なぜここに切り込まないのか。豊洲の盛土なしもここに遠因がある。

 2005年4月の新銀行開業前の会見や都議会で石原氏は「東京都が主体となって、日本や世界の代表的企業と共に、負の遺産のない新しい銀行を創設したい」「出資する1000億円が、やがては数兆の値になる」との大風呂敷を広げたのである。

 しかし東京都が策定した「マスタープラン」に沿って営業をスタートした新銀行は、最初からビジネスモデルは破綻していた。すなわち財務データをコンピューターが機械的に判断する「スコアリングモデル」によって、経営陣や経営内容の審査によらないたった3日で無担保無保証のスピード融資を行うがウリだった。無担保金の借り手でも金を返さない業者はいないことを前提とした、世の中を知らない役人の発想そのものではないか。

 石原氏はこれを「IT時代の新しい銀行モデル」と謳ってはいたものの、案の定、償還がないため不良債権が膨らんだ。「新銀行東京」の開業3年後には、融資先2300社が経営破綻し、285億円が焦げ付いた。そのため、累積損失は1000億円に達した。

 融資にあたっては「ずさん審査や不正融資が横行し、行員が逮捕される事態に発展して、さらには都議会議員らの口利きまで噂された。石原ファミリーや石原氏の三男・宏高衆院議員の地元都議などが動いていたと、週刊誌に報じられ」(都政記者)ていたのである。

 結局、2008年に都が400億円を追加出資して救済する羽目になる。開業時出資分1000億円の内855億円は減資でパーになった。それでも石原氏はその責任を開業当時の経営陣に押し付け、何と議会で「最初から私が社長だったら、もっと大きな銀行にしてました」と言い放つ。経済は役人の恣意では動かない。まさに実業を知らない小説家の観念ダルマの本領発揮であり、つくづく自分の言葉の重さを知らない恥知らずな男である。

 ではその後の新銀行はどうなったのか。石原氏が都庁を去ると東京都は重すぎる荷物を売却する。そして今年4月、東京TYフィナンシャルグループに吸収された。2018年にはグループ傘下の東京都民銀行や八千代銀行と合併して「きらぼし銀行」となる予定であり、石原氏の負の遺産は形式的には“完全消滅”することとなるが、重い責任は残る。

 実は、東京「きらぼし銀行」誕生は全国地銀サバイバルと再編の嵐の渦中の出来事である。昨年の10月、現状のままでは10年後、地方銀行(一般社団法人地方銀行協会加盟銀行64行)の6割が“赤字転落”する、と金融庁がシミュレーション結果を発表した。その衝撃とともに地銀ではサバイバルと再編への動きが一気に表面化したのである。

 地銀は数年前から地方の人口減少、地方企業の資金需要の乏しさ、運用難の三重苦に悩まされてきた。中でも筆頭に挙げられる問題は人口減少で、2015年の国勢調査では実に39道府県で人口が減っている。地銀からすれば人口減は預金者も貸し出し企業も激減することを意味している。そして地銀を締め付けたのは日銀のマイナス金利の直撃である。

 2016年3月期の協会加盟行の純利益の合計は、過去最高を計上した。これはアベノミクスや円安効果のためだったが、今年に入り一転してマイナス金利となり、協会の見通しでは2017年3月期の純利益が前期比17・7%減の7343億円にまで、一挙に落ち込む予測になってしまった。そのため、以前から水面下で進められていた統合が、ここへ来て一気に表面化する。きらぼし銀行(それにしても何と日本離れしたネーミングであろうか)は、総資産では全国の地銀グループでは20位程だが、4年後の東京五輪、再開発などの建設ラッシュで経済が活性化する東京での統合のため、俄然、注目を受けているが、都市銀行との競合が堅実となるにつれて不安材料には事欠かないものがある。

 しかしながらこの銀行の行く末がどうなろうとも、現実に東京都民の税金をドブに棄てた張本人の石原氏の責任は追及されていない。私たちはこの事を認識すべきではないか。

 豊洲移転問題を簡単にお復習いしてみる。豊洲汚染地の売買が行われたのは2011年3月。1859億円が東京都から東京ガス及び関連会社に支払われた。しかし「汚染地」であるから「汚染対策」が必要になる。東京ガスは汚染対策費の100億円と追加費用負担78億円を支払った。しかし汚染対策はこの金額では実現せず、東京都がさらに849億円も投入した。土壌汚染が深刻な土地を東京都が購入する際に、土壌汚染の処理費用を十分に価格に反映させなかった。こうした汚染地をなぜ東京都は不当に高い価格で買い取った責任を明らかにする必要がある。浜渦氏と前川氏はもっと追及されるべきだ。

 すなわち築地から豊洲への移転の不透明性は、単に豊洲の汚染地が高額で買い取られたことに留まらない。今の築地市場を閉鎖して、この地をビジネス街に転換することに伴う「利権」が大きいことを見落とせない。そして「築地」の「市場」が消滅し、「築地」が「ビジネスセンター」として隣接する「汐留」と合体すれば、一躍「汐留・築地地区」が「巨大ビジネスセンター」として価値が激増する。さらに巨大ゼネコンが「利権」を念頭に置いて築地市場閉鎖の力学が働き続けていることを見落とせないのである。

 また築地移転に反対していた業者が築地移転賛成に回った経緯にもメスを入れることが必要である。背景にはおそらく石原氏が推進した「新銀行東京」がこの問題に深く絡んでいるからである。7月2日の都議会選挙に向けて築地・豊洲問題に焦点が当てられている。豊洲の土壌は汚染されているが、コンクリートで遮蔽しているから「安全」だとする見解が強調されおり、豊洲移転を推進する東京都自民党が強く小池批判を始め動いている。

 今こそ私たちは東京都政の深い闇追及のその原点に立ち返り、新銀行東京の設立経緯や経営実態にも深くメスを入れるべきだと主張する。元より豊洲移転計画そのものが「利権まみれの産物」であった。そこには土地取得の経緯、「盛り土」の消滅、自公の暗躍と新銀行東京が介在する利益誘導などの重大な問題が内在していることを強調したい。

 この問題の徹底追及のためにも百条委員会の設立を要求するものである。これに関連して確認しておきたいことがある。今回の百条委員会でも偽証を疑われている浜渦氏は、2005年に行われた副知事時代に議会にやらせ質問を依頼したことを問われた百条委員会で「偽証」を認定された人物である。つまり百条委員会の追及など恐るるにたらずを地で行き、偽証することすら平気な人物である。結局、浜渦証言は偽証と認定されたことで都議会で問責決議を受け副知事を辞職することになったが、その直後に石原氏の肝いりで「東京都の第三セクター(東京都交通会館)に副社長」に天下っていた事実がある。

 東京都における議決機関である都議会で「偽証」し「問責決議が可決された」人物に対し天下り先を用意する石原氏と東京都政がどれだけ腐敗した組織なのか、本当に驚きだ。それをまさに象徴する人事である。東京都政の闇の深さを知るべきだろう。今回の百条委員会証言においても、また浜渦氏は石原氏の忠犬として“見事”に振る舞ったのである。

 石原氏が真に百条委員会で問われるべきは新銀行東京の実態である。新銀行東京は自公議員等の口利きやヤクザなどによって都民の税金が食い物にされたと巷間噂されてきた事例である。その杜撰な経営実態について石原氏に対する住民訴訟も起きている。別言すれば、東京都民の税金を利権政治家が食い物にし浪費した最たる事例である。まず第一に石原氏の政治責任を問われるべきで、その設立からの経緯を徹底的に洗い見直されるべきものだろう。そして二度と地方自治体が金融に手を出さない戒めとすることが重要である。

 そもそも石原氏に日本銀行とは、日本国の銀行ではなく民間銀行との基本的な認識があっただろうか。石原氏には、中央銀行制度についての基本的な認識があったのだろうか。

 私たちは日本の中央銀行制度について正確な認識を持つ必要があり、現在の/も引き続く日銀の異次元金融緩和策や日本国債引き受けには断固として反対するものである。

 この点を百条委員会では都議会で徹底して追及して貰いたいものである。(直木)案内へ戻る


 読書室  佐藤優氏・高永チョル氏著 『韓国左派の陰謀と北朝鮮の擾乱』 KKベストセラーズ

 北朝鮮分析は、日本では職人芸、韓国ではスタンダードだと佐藤氏は喝破する。

 この本は、金正男氏が暗殺された背景そしてそのことが朝鮮半島情勢の中で持つ意味を明らかにする目的を持つ最新の刊行本である。
 本書の構成は極めて変則的である。紹介すれば下記の通りである。

 赤化する朝鮮半島の行く末――「まえがき」にかえて
[第1章]緊急対談 なぜ金正恩は金正男を殺したのか 佐藤優X高永チョル
[第2章]緊急対談 朝鮮半島有事に備えたインテリジェンス連帯 佐藤優X高永チョル
[第3章]日本に憧れを抱いた韓国軍将校
[第4章]貴台韓国大統領の悲惨な末路
[第5章]赤化統一を企む韓国左派の正体
[第6章]北朝鮮崩壊の可能性

 以上のようにまえがきと第3章以下は高永チョルの単著なのである。したがって紙面の関係から、ここでは佐藤氏と高氏との対談である第1章と第2章を中心にして書評を行うことにする。

 まず職人芸の代表者の佐藤氏は、2014年に刊行された金正恩の著作集『最後の勝利を目指して』の中にある2012年12月12日の書簡に注目する。そこには「人の血は遺伝しても思想は遺伝しません。革命思想は、ただたゆまない思想教育と実際の闘争を通してのみ信念となり、闘争の指針となりうる」ある。つまり血筋だけでは革命家ではなく革命思想が大事だとしているが、いうまでもなくこれは金正男への批判である。

 佐藤氏は、金正日時代は金日成の遺訓政治であるとした。遺訓政治であるからには、つねに新しい指示が見つからなければならない。生前出版された金日成著作選集は8巻、金日成著作集は44巻、そして今では金日成著作全集は何と百巻である。いうまでもなくどんどん新しく作っていると佐藤氏は考えている。しかし金正恩が権力の座に立った時、全集はもう作らないとなった。そして「限りなく謙虚であられる金正日将軍は、自らの思想はどこまでいっても金日成主義であるから、あえて金正日主義という尊命を付けて呼ぶことを禁止した。しかし私は“金日成・金正日主義”が党の思想原理である」とした。

 ここで佐藤氏は職人芸を発揮する。このやり方が祖父と父の遺訓を棚上げすることだと分析した。つまり金正恩は今後は先に引用した「思想教育と実際の闘争」を通してのみ「闘争の指針」となるとの表現で、結局は自己正当化を行ったと読み解いたのである。

 また佐藤氏は北朝鮮の核開発の不思議さを指摘する。アメリカもイランも運搬手段を確保しつつ核開発してきた。しかし金正日は核実験だけを重視してきた。この核開発はアメリカとの交渉カードであったが、金正恩は弾道ミサイルの開発に着手し出したのである。

 そこでトランプはそうはさせないと動き出した。佐藤氏は北朝鮮の情報機関・偵察機関とCIAとの情報交換があり、その中での情報伝達の最中で金正男の暗殺があったと考えている。高氏もこの考えに同意している。さすがロシアで情報収集の第一線にいた佐藤氏の推理である。この接触から金正恩は自分が排除される危険を感じたのである。

 核運搬手段の開発などの金正恩の暴走は、就任早々の張成沢の処刑等、高官130名の粛清に象徴されている。金日成・金正日の粛清は人事異動だったが、金正恩はすぐに処刑なのであり、このため北朝鮮は人材不足に陥り側近の軍が益々勢いずく背景があると高氏は分析する。マレーシアで金正男を公然と暗殺したのも同じ金日成の血筋持つ者たちや高官の亡命に対する「見せびらかし」の警告だ、と高氏は指摘して佐藤氏も同意する。

 この対談を通じて私たちは韓国情報機関のスタンダードを知ることが出来る。第3章以下の展開も同じく韓国情報機関の北朝鮮に対する分析水準がよく分かり読む意義がある。

 ここで私は高氏のサービス精神に対して苦言を呈してみたい。それは第3章にあり、「私の人生を一変させた『坂の上の雲』」という小見出しがついた文書の中にある。

 彼は「私自身が海軍軍人であることもあり、全編に渡って心に響き、読んでいて涙が止まりませんでした。『一冊の本が一人の人生を変える』といわれますが、私にとっては『坂の上の雲』がまさにその一冊でした」と書いている。高氏のサービス精神の発露である。

 しかし問題はその約1ページ後に、「海軍士官学校の参謀兼教官、また国立海洋大学の教官在職のときには、生徒たちに必ず日露戦争を教えて」いた高氏が、「戦略面だけでなく、政治・外交の分野においても日露戦争には、勝利するための教訓がつまっています。特に『坂の上の雲』は、日露戦争で『なぜ日本が勝利することができたのか』を理解することができる、説得力ある教科書となる」と書いていることなのである。

 高氏の対談者の佐藤氏は歴史を小説で学んではならないと厳しく警告している。実際、『坂の上の雲』とは何を問題にしているのか。生前司馬氏はこの作品の映像化に頑なに反対した。一体なぜか。ここではサントリー文化人である谷沢永一氏の見解を紹介する。

 『坂の上の雲』は、「明治期の日本陸軍・海軍に対する讃歌、オマージュ、褒め言葉」と解釈する人がいる。そう解釈する人はこの作品をきちんと読んでいない。実はこの作品は日本陸軍・海軍を含めて、この日露戦争における悲壮な勝利の中に、様々な病が既に芽生えていたことを明らかにするためのものである。それを一つ一つ指摘することを司馬さんは目的にしているのではないか。だからこれは帝国陸軍・海軍批判の書として読むべきなのである。

 私も谷沢氏と同意見である。したがって先に紹介した高氏の「説得力ある教科書」発言は、情報機関に関係したことのある人間としては失格発言である。ここまで書いた高氏の真意は分からないが、私はこれは過剰で余計なサービス精神の発露と理解している。

 このことで高氏の第3章以下の記述を少々割引することはやむを得ないが、韓国情報機関の北朝鮮の現状認識を知ることは私たちのためになる。一読を勧めたい。(猪瀬)案内へ戻る


 「エイジの沖縄通信」(NO38)

①「埋立本体工事着工」というセレモニー!

 報道各社は一斉に「25日朝9時過ぎ、沖縄防衛局は名護市辺野古の海岸で埋め立てのための海への投石を始めた。埋め立て本体工事の第一段階となる護岸工事に着手した」と報道した。

 確かに、沖縄防衛局はこれまで護岸工事に向け、キャンプ・シュワブの浜辺で、護岸用の石材を運搬する車両やクレーンが通行する「付け替え道路」の敷設を進めてきた。先週末までに汚濁防止膜を海中に広げる作業を終えていた。この護岸工事は石材を海中に投下し、積み上げて埋め立て区域を囲む。埋め立て区域北側の「K9」護岸の建設から着手する。一部護岸ができ次第、土砂を海中に投入する埋め立ても進めるものである。

 しかし、高江のヘリパッド建設工事の時と同じだ。工事が始まったと大騒ぎし、もう「完成式典」の計画をしていると大宣伝して、沖縄県民を諦めさせようとした。

 現地辺野古のこの日の様子を、「チョイさんの沖縄日記」は次のように伝えている。
『各新聞やテレビ会社のニュースでは、今日、埋立本体工事に入ると言われている。早朝から辺野古に行き、「平和丸」で汀間漁港を出港した。他には「不屈」「美ら海」「勝丸」、カヌーは16艇だった。

 キャンプ・シュワブの弾薬庫下の浜辺に行って驚いた。海保のGBが25艇(これだけで海保は100名ほど)もぎっしりと並んでいる。そして、海岸にも、海保、軍警、警備員、防衛局職員らがひしめいている。

 午前9時20分、クレーンが根固用袋材を吊り上げ、波打ち際に置き始めた。わずか5袋を置いただけなのだが、これが「埋立本体工事着工 」の実体。海岸にはテーブルが置かれ、防衛局職員や海兵隊員などが並んでセレモニーを行っている。 正面左側ではテーブルが置かれ、セレモニーが行われている。埋立本体工事の「起工式」のようだ。

 結局、今日はわずか5袋ほどを波打ち際に置いただけだ。埋立本体工事が始まったと騒ぎ立て、県民を諦めさせることだけが彼らの狙いだ。全くのお笑いでしかない。』

②沖縄問題は本土問題だ!

 沖縄を中心として南西諸島(与那国島・石垣島・宮古島など)にも自衛隊配備が進んでいる状況を、この「沖縄通信」でも紹介してきた。

 この実態を知る意味で、是非とも三上智恵監督の最新作「標的の島・風かたか」(現在、全国各地で上映中)を見て欲しい。

 三上監督はこれまで「標的の村」や「戦場ぬ止み」を製作し、この国で平和と民主主義を守る闘いの「最前線」にいる沖縄の人々を描いてきた。その映画を通じて、それに気づいた本土の人々が沖縄の闘いの現場に結集した。

 安倍政権のもとで安全保障政策が大転換され、与那国島、石垣島、宮古島、奄美大島、そして鹿児島県西之表市の馬毛島、岩国へと。これらの地域(九州から奄美、さらに南西諸島)に自衛隊あるいは米軍の訓練基地・ミサイル基地と嘉手納、辺野古、岩国が絡み合った日米軍事同盟=安保の一大軍事再編が進行している。

 特に本土で目立つのが、米軍岩国基地である。海兵隊オスプレイ24機が普天間飛行場に配備されてから、普天間のオスプレイが本土にも飛来して、全国各地で飛行訓練や日米合同訓練に参加している。その中継基地が岩国である。この岩国から横田へ、そして横田から全国各地に行き飛行訓練を繰り返している。

 さらに、厚木基地(神奈川県)の空母艦載機部隊59機が2017年にも米海兵隊岩国基地(山口県岩国市)へ移転する計画を受け、国が山陰沖と四国沖に新たな訓練空域を設定し、運用を開始すると言う。とてつもなく広大な空域である。

 それに伴い、空母艦載機の陸上離発着訓練(FCLP)<陸地の滑走路を空母の甲板に見立てて離発着訓練>を、硫黄島から種子島の西隣の馬毛島に移転させようとしている。

 沖縄を中心とした南西諸島、奄美大島、馬毛島、そして在日米軍再編に伴い極東最大の米軍基地となる岩国基地。止めどもなく拡張する自衛隊基地、米軍基地、平和的外交手段を放棄したかのように見える政府の方針である。

 沖縄と本土が一体になった反基地闘争が求められている。

③199日も勾留されていた添田さん、ようやく釈放される!

 昨年10月、高江のヘリパッド建設反対運動において「公務執行妨害」で不当逮捕された添田充啓さんが21日夜、半年ぶり(199日ぶり)にようやく釈放された。

 山城さんが高江で不当逮捕されてから、高江や辺野古で次々に不当逮捕が続いた。その中で、稲葉さんを含む3人だけが長期の不当勾留が続き、その不当逮捕・勾留に対する怒りと抗議が沖縄に本土に世界に拡がった。

 今年の3月8日に稲葉さんが釈放され、18日には山城さんが釈放され、3人のうち添田さんだけが勾留されていた。

 弁護側はこれまで7回も保釈申請してきたがすべて却下。ようやく21日に保釈されたが、保釈金はなんと800万円だと言う。

 高江で抗議行動を共にしていた目取真俊さんが添田さんの逮捕・勾留や抗議運動への思いを次のように述べている。

 「うっそうと茂る木々の中、『痛い』と叫ぶ声が響く。声の主は沖縄防衛局の職員。顔には笑いが浮かぶ。・・・防衛局職員は私たちを挑発し、触れただけで大げさに騒いだ。添田さんも逮捕されないように細心の注意を払っていた。・・・彼の逮捕、勾留は明らかに政治的意図を持った『狙い撃ち』だ。・・・添田さんは、ヘイト運動に対抗する活動を全国で展開する『男組』の組長。反ヘイト・反差別の象徴的な人物だ。だからこそ狙われた。・・・権力側は、抗議運動の根底に沖縄差別への抵抗があることを知られたくない。差別への抵抗だと伝わることで、反差別という新たな連帯が全国で生まれる。運動の厚みが増し、強化されることを避けたい。それが狙いだ。沖縄と全国を分断するための逮捕、勾留だ。・・・抗議運動には基地を造る、造らない以上に大きな意味があることに県民も気付かなければならない。・・・添田さんのような理解者を世界中につくるため、県民自身が現場に足を運び『理解』しなければならない」(「琉球新報」4月17日より)

 このように、沖縄の高江・辺野古ではまさに「共謀罪」を先取りしたような不当弾圧が展開された。反対運動の高まりと拡がりを潰そうとした政治的意図を持った一連の逮捕劇だと言える。(富田 英司)


 コラムの窓・・・ よみがえるか!教育勅語

 森友事件を契機に、古い日本が時空のトンネルを超えて、維新の会がはびこる大阪に根付こうとしていたことが明らかになりました。統治する側においても、統治される側においても、8・15が断絶ではなかったという苦い事実を確認するなら、教育勅語もいずれは教育の現場に再登場てもおかしくはないわけです。それが、戦犯総理岸信介のDNAを受け継いでいる安倍晋三によってもたらせるのは、必然でもあるのでしょう。

 4月14日の「東京新聞」読者欄は教育勅語についての意見を集めています。そこから、読者の声を拾ってみます。
「振り返れば幼い日からの教育は、天皇陛下のために『死ぬ』ことにつながり、天皇陛下万歳と叫んで死ぬのが到達点であった。天皇の名の下に隊長は『命令』し、私的制裁し、若者を肉弾とした」(92歳・女性)

 「悪い事件などをメディアが大々的に報道するので、若者への道徳教育を、という声が上がりますが、多くの学校で思いやりを育む教育がされていると思います。そこへ、教育勅語で踏み込むことは、もう、暴挙としか言いようがありません」(72歳・男性)

 「今、日本では、家庭における児童虐待が大きな問題になっている。子どもに親孝行を説く以前に、親に対し、子どもを愛情を持って育てることを教えるべきではないのか」(53歳・女性)

 それでは、呼吸のなかに教育勅語が息づいていた時代はどうだったのか。早川タダノリ氏の著書、「『日本スゴイ』のディストピア‐戦時下自画自賛の系譜」から紹介します。

 「日本教育の本質をなす日本の性格とは何か!(略)国全体が団体的精神によって統制されてゐて、而も、そこには常に血族的団結心をもち、その団結の中心に位し給ふ天皇陛下に対し奉つては、君臣一如の信念を抱き、所謂『忠君愛国』の精神をもって、『きみ』は『君』であり『公』であると考え、臣民は即ち『公民』即ち『おほみたから』であるといふ固い信念に生きてゐるのである」(野瀬寛顕「新日本の学校訓練」1937年)

 ちなみに、野瀬という人物は「敗戦直後に小学館に入社、雑誌『教育技術』を創刊し、教育技術連盟を率いて戦後もこれまたブイブイ言わせていたという人物である」と早川氏は指摘しています。

 文部省視学官草場広「皇民錬成の哲理」(1940年)からの引用はさらにスゴイのです。「日本は今や人類の歴史始まって以来未だ嘗てなかった戦を闘つてゐる。領土的野心もなく経済的私欲もなく、只支那の抗日侮日の精神的膺懲の為に、その道義的反省を求めて闘つてゐる。東西の歴史の何処にかくの如き教育的、精神的、而して道義的の戦を闘つた者があらうか」

 ここには安倍さんや稲田さん、それに連なる有象無象のみなさんが望む教育の実践があります。「我が大日本帝国は、大東亜の盟主となり、東亜の諸民族を率ゐこれを指導して、大東亜共栄圏を確立すべき重大な責任を負ふものである」(甫守謹語吾「国民礼法 産報版・男子用」(1942年)との使命を、ひょっとすると安倍さんは本気で果たそうとしているのかもしれませんね。(折口)案内へ戻る


 何でも紹介

 沢田研二さんの、我が窮状という曲
です。この曲は2008年に創られました。窮状というのは、憲法9条のことです。2012年5月4日付の朝日新聞で沢田研二さんは、「『憲法9条を守りたい』と思う人たちに、『同じ気持ちだよ』とそっと伝えたかった」と。

 歌詞もメロディーもいいです。少し紹介します。「英霊の涙に変えて 授かった宝だ」、「この窮状 救うために 声なき声よ集え」、「老いたるは無力を気骨に変えて 礎石となろうぜ」、「諦めは取り返せない 過ちを招くだけ」。

 沢田研二さんは、脱原発の曲も歌っています。沢田研二さん、いいですね。(河野)

「我が窮状」
    作詞:沢田 研二,作曲:大野 克夫 

1.麗しの国 日本に生まれ 誇りも感じているが 
  忌まわしい時代に 遡るのは 賢明じゃない
  英霊の涙に変えて 授かった宝だ
  この窮状 救うために 声なき声よ集え
  我が窮状 守りきれたら 残す未来輝くよ

2.麗しの国 日本の核が 歯車を狂わせたんだ
  老いたるは無力を気骨に変えて 礎石となろうぜ
  諦めは取り返せない 過ちを招くだけ
  この窮状 救いたいよ 声に集め歌おう
  我が窮状 守れないなら 真の平和ありえない

  この窮状 救えるのは静かに通る言葉
  我が窮状 守りきりたい 許し合い 信じよう


 「投稿」・・・「金は金を生むが価値は生まない。価値は人間労働から生まれる」(上)

 絶海の孤島に住んだロビンソン・クルーソーは金貨何百枚もっていても、それは彼にとって価値はない。彼にとって生きるためにの価値は、自分自身の労働だ。難破した船まで、岸に流れ着いた板切れで造った船を漕いでいって、残っていた必要品を持ってくる。雨露をしのぐ掘ったて小屋を、船から持参した斧をつかって建てる。野生の鳥獣を手づくりのワナで捕らえるワナをつくる。棒きれに糸と針をつけた釣り竿で魚を釣る。木の実や食用になる草を探し、手づくりの発火装置で煮炊きする。これらの労働がクルーソーにとって、生活するための唯一の生活手段だった。

 しかし、300年の昔話から遠く離れた、商品生産・交換社会に住む我々は、金が唯一の生活手段=価値あるものに見える、衣・食・住のすべて、健康、はたまた権力でも異性でも・・・かくして拝金精神は地球上あらゆる場所に広がっている。

 しかし、1919年の第一次世界大戦後のドイツ国民は、日用品の買い物に、買い物カゴ一杯に詰めたマルク紙幣を持っていかなければならなかった。超インフレである。そして10年後の世界恐慌は全世界の人々に、60年前のマルクスの「予言」の正しさを肌で感じさせた。金はただの紙切れにすぎなかった。

 第一次世界大戦後の敗戦国は、資本主義的な「正常」な資本家と労働者の関係を破って、独裁政権の暴力と恫喝の、狂信的愛国主義宣伝で、労働者を搾取し、資本家にとってかわって価値を略奪し、金貸し、ユダヤ人を劣等人種として殺戮して金を奪い、軍事体制を整えて第二次大戦に突入した。

 さて、我々の現在生活している社会は、金融資本主義社会。平たく言えばローン社会である。ローンは利息なしには成立出来ない。利息は金でなければ土地・建物・使用権・租借地-中国に対して、かってイギリスが行った香港や、シンガポールが行ったマカオなど。
現在中国がアメリカやかっての列強にならって、発展途上国-平たく言えばアジア・南米等々での租借地漁りがそれである。現在、世界金融資本の頂点にIMF、世界銀行があり、世界を牛耳っている。これらが債務国にローンする条件は、必らず労働者側が被害者となる。生活を苦しくさせる結果と結び付いている。

 ところで、日本も第二次世界大戦後、アメリカ軍による「租借地」ほ各地に置くことを強いられた。これは借金の形にとられたのではなく、武力によって軍事基地を置かれたのである。そして、その「租借地」を置かれた側が建設維持費を払っている。アメリカはもう70年以上も居座っているが、条件は緊急時には日本を守ってやろうと言うのである。

 他国の軍隊が守ってやるというのは、それだけで胡散臭いではないか。アメリカ軍がいるから他国から攻撃されるということは充分ありえる。広島は軍需工場、明治時代には最初の大本営のおかれた所である。これは原爆の目標になった。

 沖縄は第二次大戦末期多くの民間人が悲惨な犠牲になった。日本軍がここで最後の地上戦を準備していたたからである。アメリカ軍が此処からミサイルを飛ばせば、「敵」のミサイルは此処に飛んでくる。「占領」による被害は戦争状態であろうが、あるまいが住民にふりかかってくる。それなら、アメリカ軍に引き取ってもらって、自前の軍隊の基地にしたらどうか、と気楽な右翼の方々が多い。軍隊は戦争に備えようが、戦争を始めようが危険であり、まったくの無駄な存在なのだ。経済学的にいっても兵器は「再生産」出来ない。機械は人間労働と共に「使用価値、交換価値」をつくり出すことが出来る。兵器は何の価値をつくり出せるのだ?だから人を殺し、価値を破壊するだけの代物なのだ。

 現在の兵器は、金がかかっているものが戦場で勝つ確率が高い。日露戦争でもロシアのおくれた軍艦や大砲より、精度の高い欧米の兵器を使った日本に分があったように、イスラエル・エジプト戦でもイスラエル軍の勝利にみちびいた。アメリカは防衛網をハイテク技術をつかって製作し、世界の紛争地で売りさばこうとしているが、例えば改良型パトリオットをレーダー関連機器を含め、ワンセット配備したいと思っても、小国はともかくイスラエルのように針ネズミのように武器と防衛網をはりめぐらしている国でも手が出ない。ワンセット10億ドル、イスラエルの防衛予算の15%が吹っ飛んでしまうからだ。アメリカが現在、アジアの経済大国の日本、韓国、インド等への急速な接近をはかっているのは兵器市場を頭においているからだ。(M)


 色鉛筆・・・新しい出会いに感謝しながら

 私が働く特別支援学校にもまた新たな生徒が入学してきました。受験競争を勝ち抜いた子ども達です。
なぜ、特別支援学校の受験競争があるかというと、年々知的障害者の数が増え続け、受け皿である学校が足らないのです。私自身は、ずっと学校増設の要望を毎年、県に要望し続けてきました。義務教育の間は、特別支援学級があったり、分校として小学校の空き教室を利用したりしながら、教育現場の人たちも一生懸命子ども達と関わり、なんとかしのいできました。

 私の働く特別支援学校は、療育手帳を利用し一般企業に就労を目指した職業訓練校のような学校です。中には一流企業の工場のラインに働いている卒業生もいます。将来、障害者年金とあわせてなんとか食べていける給料をもらうことを目指して、入学を希望する生徒が多いのです。

 今年は2.2倍の倍率で、まあ受験した二人に一人が不合格になるのです。複雑な気持です。学校の教室の数の関係で、定員があり合格者と不合格者に別れ、それぞれの人生のまた新しい道が受験という選別を受け決定されました。

 不合格になった子ども達は、受け入れてくれる支援学校の二次募集を受験、また定員割れの普通高校に受験・進学しています。今は普通高校の中にも、知的障害者か増え、来年から特別支援学級を作ると文部科学省は発表しています。

 福祉的就労と一般就労の賃金があまりにも違うので、こうように障害者のなかでも競争社会が発生します。福祉的就労は自立支援法の改悪の影響で、仕事をした工賃から施設利用料を支払わなければいけないので、残念ながら実質の収入はすごく低いものになってしまいます。時間給300円の世界です。

 今のきびしい社会で生き抜くために、教える方は管理強教育になりがちです。私は、自分で考えて判断できるようになって欲しい。わからないことは、聞ける人になって欲しいと、生徒とともに歩んでいきたいと思います。

 そして、差別を感じない社会体制を目指して、おかしいことは、おかしいと声を大にしていくことも続けていきたいと思います。           (弥生)

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