ワーカーズ576号(2017/11/1)
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安倍自民党の圧勝と今後如何に闘うべきか
突然の安倍「国難」総選挙は、自公で313と改憲発議が出来る3分2以上の議席を獲得した。大失速の希望の党を含め野党は3分1の勢力に押し込められ、この党から排除された為、急造の立憲民主党が第一党に、共産党は議席を半減し社民党は持ち堪えた。
注目すべきは常勝公明党の5議席減と維新3議席減と左派勢力の縮小である。結局小池都知事や前原民進党党首が合流をめざした希望の党は、小池自らの言動で実は安倍自民党以上の反動政党だと有権者に見抜かれた為、彼女の野望は打ち砕かれ自滅したのである。
安倍暴政に対する有権者の怒りは公明党と維新を直撃した。もし反安倍勢力を政権交代の一点で一本化していたら、自民党の敗北は必至の情勢だったのに誠に残念なことである。
立憲民主党の健闘は民進党の解体状況の中で反安倍のリベラルの結集軸となったこと、また共産党等の「市民と野党の共闘」の呼号が強い追い風となって出来したものである。
清和会に体現される日本会議の改憲勢力の拡大と外交軍事タカ派路線は、中国の歴史的台頭と米国が後退する中、核独占体制に反発する北朝鮮の行動等を封じろとの偽りの現実認識から始まった。今回の総選挙でもこの北朝鮮への脅威が最大限利用されたのである。
この偽りの現実認識に捉えられたのは自公政権ばかりでなく維新や希望の党は勿論深く若年有権者層の政治意識に浸透していることだ。さらにまた共産党も経済制裁の必要を強調し安倍政権と同様の北朝鮮批判をしていることにも注目しなければならないだろう。
旧来のリベラル勢力は大きく揺れているといえる。あの枝野氏も安倍政権の北朝鮮政策を支持していること、さらに今でこそ安倍政権の沖縄政策や辺野古基地問題にも口先では反対しているものの、立憲民主党が真に反対を貫くことが出来るかは大いに疑問である。
枝野氏といえば、福島原発事故の際の「ただちに危険とは言えない」との名言で知られる。この言葉は彼の人格の一端をはしなくも確かに間違いなく言い表したものである。
今後とも私たちは一段と厳しい情勢下ではあるが、倦まず弛まず偽りの現実を切り崩すため地道で着実な闘いを積み上げて、現実的な対抗勢力を作り上げる覚悟である。(直木)
安倍政権への対抗勢力づくりを!小池劇場後の課題を考える
安倍政権の是非が問われた今回の総選挙では、安倍首相率いる自公の与党が大勝し、引き続き安倍政権が続くことになった。
これまでの数次にわたる安倍政権では、選挙公約では語られなかったことが選挙後に強行されてきた。今回も選挙演説などでは強調してこなかった改憲について、早くも実現への意欲を示している。
議席の上では絶対多数や改憲発議可能な3分の2の議席を手にしているとはいえ、自民党の得票率を見ても政権基盤は盤石とはいえない。今後仕掛けられるであろう改憲策動を始め、安倍政権と真っ向から対抗する勢力づくりと闘いを拡げていきたい。
◆頓挫した小池劇場
総選挙結果が出た。終わってみれば選挙期間中の予測通り、自民・与党圧勝と野党の分断・流動化が待っていた。
安倍自民党は、単独過半数を確保したほか、改憲発議が可能な自公の与党で衆院3分の2の議席も確保した。参院での3分の2の議席と合わせ、19年夏の参院選まで、ほぼ2年弱の改憲発議の時間を手にしたわけだ。
他には、すでに選挙期間中に鮮明になっていた希望の党の失速と立憲民主党の伸張という傾向も、立憲民主党が野党第一党の地位を手にする形で終わった。
今回の総選挙は、自民・公明の与党、希望・維新、それに立憲民主党と共産・社民という三極の間で闘われたわけだが、立憲民主党に風が吹いた結果、共産と維新が埋没する形で議席を減らした。
今回の総選挙で一番注目を集めたのは、小池都知事が立ち上げた希望の党であり、小池都知事自身だった。小池氏の一言で〝突如〟生まれた希望の党が有権者やメディアの関心を集め、ちょっとした劇場での振り付けと台詞のせいで、あっという間に波間に沈んだという、まさに小池劇場の一幕ではあった。
小池氏としてはこんなはずではなかったろう。知事選と都議選で改革者・挑戦者としての地位を手にしたことをホップ、ステップとしては安倍自民党を過半数割れに追い込み、、つぎのジャンプで自民党の党内抗争に手を突っ込んで念願の政権取りを実現しようというのが、小池劇場のシナリオだったからだ。
そのシナリオは希望の党の立ち上げまでは順風満帆だった。知事選と都議選で二連勝中、また希望の党の立ち上げでは民進党の前原代表を舞台廻し役にした民進党議員の雪崩を打った取り込みに成功する、かに見えて、その瞬間にすってんころりとなった。
小池氏は願ってもない展開で舞い上がっていたのだろう。選挙直前の「排除いたします」という「選別と排除」を宣告した〝小池ファースト〟の一声ですべてを台無しにしてしまったのだ。
有権者はその前後にも同じような場面を見せられた。「わたし自身が直接立ち上げる」と大見得を切った希望の党の立ち上げもそうだった。政党とは同じ目的を持つ有意の人々が集う組織のはずだが、小池氏にとっては自身が君臨する私党、個人商店なのだ。その後の政策協定書という「踏み絵」の顛末も同じだった。
といっても小池都知事の挫折は、なにも舞台上での演出と台詞の失敗だけで起こったとはいえない。第二自民党丸出しの選挙公約、ともかく議員になりたいだけの雑多な候補者、「小池ファースト」という他はない女帝を奉るかの様な希望の党。だが世論は甘くはない。鎧の下は見透かされ、いずれにしても沈没は時間の問題でもあった。
◆立憲民主党の健闘?
ところで、総選挙をめぐる今回の政治家の離合集散劇を見るに付け、あまりに情けない民進党の体たらくには言葉も出ない。前原新代表が指名した幹事長が自身のゴシップで離党し、その野党第一党の混乱を見た安倍首相が巻き返し解散に打って出た場面で、民進党議員は浮き足だった。数人の議員が離党して小池新党に乗り換えようとし、議員としての生き残りだけを求めるかの様な民進党議員の右往左往が続く。見るに耐えないあっという間の野党第一党の解体劇だった。
結果はご覧の通り。民進の希望組が解散前議席を下回る議席しか確保出来なかったのに対し、立憲民主党は解散前議席の三倍増以上もの議席を獲得した。結果的に、野党第一党に自民党以上のタカ派が紛れ込んでいるという現状を解消することが出来たわけだ。寄せ集め集団とか選挙互助会とか揶揄され、いずれ分離することが避けられない民進党だったが、それが〝自民党別働隊〟と〝中道リベラル〟に二分されたことでむしろすっきりしたといえるだろう。
立憲民主党の躍進と希望の党の失速自体は、私も喝采を送りたい気分だ。が、立憲民主党にも目をつぶってはいられない惨めな現実があった。それは前原代表が民進党の事実上の解党を呼びかけた両院議員総会で、明確な反対意見が出なかったこと、ほとんど全会一致で希望の党への合流提案が承認されてしまったあの場面だ。
実際、当時の民進党幹事長だった枝野氏が立憲民主党を立ち上げたのも、希望の党から受け入れられなかった候補者が立憲民主党から立候補したのも、小池氏による「排除」発言があった後の話だったのだ。また第一次公認候補からはずされた後の話、維新の会との取引で大阪では希望の党から立候補できないことが明らかになった後の話だったことだ。
選挙戦に入る直前から吹いた立憲民主党への追い風で、確かに立憲民主党の候補者は選挙で善戦し、多くの候補者が勝ち上がってきた。「スジを曲げずにがんばった」と評価されたわけだが、それ自体、希望に走った民進党議員よりましだった、ということでしかない。先述した顛末は、選挙戦での躍進という現実もあって記憶も薄らいでいる。が、自民党政権に対峙する確固とした対抗勢力として期待を集めた割りには、かなりお寒い実情であることが現実なのだ。
◆支持なき多数派
派手な小池劇場も、終わってみれば何を招き寄せたかは明らかだ。選挙前にはいわゆる改憲勢力は、自民・公明・維新だった。それが選挙後には自民・公明・維新に加え、希望の党が加わった形だ。党としての安倍改憲反対派は、立憲・共産・社民だけ、議席で言えばたった67で全議席の15%に満たない。改憲派はといえば、371議席だ。465の全議席に対し、ほぼ8割の議席だ。議席の上では、安倍改憲を翼賛する勢力が圧倒的な勢力を手にした形だ。小池劇場は、民進党を分裂させ、自民党別動隊としての新たな野党を誕生させただけ、ということだったのだ。
ところで安倍自民党の勝因は何だったのだろうか。総選挙前は内閣支持率の急落になすすべもなかったのにだ。安倍首相に巻き返しのチャンスを与えたのは、まず野党第一党の体たらく。安倍自民党は、民進党の混乱と流動化に大いに助けられた。小池氏による希望の党による政権取りの思惑も、安倍政権批判票を左派やリベラルではなく、第二自民党という保守の枠組みに絡め取る役割を果たしたといえる。
こうした野党の混乱や流動化に加え、今回の投票で有権者を安倍自民党につなぎ止めた大きな要因は、一連の北朝鮮による〝挑発〟だろう。安倍首相をはじめとした与党は、北朝鮮の脅威を最大限に煽った。「国難だ」「国を守るのだ」という外敵の活用だ。
北朝鮮による核開発やミサイル発射は、それ自体危険極まる瀬戸際外交の最たるものだ。が、そういう事態を招いたのは、米国によるイラクなどへの根拠なき軍事的圧殺、それを無批判に追従する国との相互関係の結果であり、また核兵器の独占を放棄しない5大国による核不拡散体制の閉塞情況にこそある。そうした経緯には頬被りし、ただ脅威をあげつらって危機を増幅させる政権とは何なのだろうか。それこそ無責任極まるものという他はない。
安倍自民党が圧倒的多数の議席を獲得したとはいえ、実際の支持基盤はそんなに盤石ではない。たとえば今回の総選挙でも比例区での自民党の得票率は33・8%で、総得票数の3分の1しか獲得していない。14年総選挙の33・1%、16年参院選の35・91%と比べても、ほとんど変わっていない。議席数では全体の6割を超えてはいるが、実質的には〝3分の1政権〟でしかない現実は変わっていないのだ。
◆若者世代を引きつけられるオルタナティブを
その安倍首相だが、改憲については表向き慎重さを装っている。具体的スケジュールにも言及していない。世論は侮れないということだろう。
とはいえ、安倍首相のことだから、改憲の実現に向けてアクセルをふかすだろう。現に、総選挙直後も野党第一党の態度にとらわれることなく改憲を進めることをほのめかしている。そこでは9条だけではなく、非常事態条項という触れ込みで国家緊急権の創設も企んでいる。これは国家が国民の負託を超越して権力を行使できるというものだ。この件も含め、要は「国家あっての国民」「国家が国民を指図する国」へという、クーデターともいうべき国家改造の野望に他ならない。総選挙後の課題は、そうした安倍クーデター政権と対峙する私たちの陣形づくりが問われているのだと思う。
そうした課題を考えるにつけ、直視すべき現実がある。
今回だけでなく、近年の選挙情勢調査でもそうだったが、若者の自民党支持率が他の年代に比べて図抜けて高いという現実だ。朝日新聞の調査でも、若年層ほど自民党政権への支持率が高いという結果が出ている。
たとえば16年参院選挙の出口調査では、比例区の投票先で自公の与党に投票した人は20代が最高で52%、次が18・19歳で50%だった。年齢が上がるにつれて順次その比率は下がり、30代は49%、40代47%、50代46%、60代43%と続いている。
今回の総選挙でも同じ傾向が続いている。朝日新聞の直前の世論調査では、小規模ではあるが暮らしの満足度に関する調査が行われている。それによれば、「あなたはいま、自分の暮らしに満足していますか?」という質問に、40歳未満では「大いに満足」が13・4%、「どちらかというと満足」が61%、あわせて74%が満足という回答を寄せている。それが40代では52%、50代では61%、60代では59%、70以上では56%だった。若者のほうが一番満足度が高いという結果が出ているわけだ。
その年代、たとえば40歳未満の年代の有権者は、若者世代・子育て世代といってもいい世代だ。その年代は、「保育園落ちた日本死ね」や過労死・過労自殺、それに不安定・低処遇の非正規雇用や手薄い社会保障給付など、どれも青壮年層が直面する劣悪な状況を余儀なくされている年代でもある。にもかかわらず、若者にこそ現状肯定意識や政権支持が厚いのだという。理由として「自民党政権に代わる受け皿がない」とか、「現状を悲観しているからこそ、力のある政権支持に傾くのだ」とか、理由はいくつか挙げられている。
そんな若年層・青年層の境遇と意識情況を理解し、.説得力のあるオルタナティブを提起できる様な政治勢力の形成が急務だ。(廣)
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「働き方改革」の背景は何か?
はじめに
九月の国会に上程される予定だった「働き方改革基本法案」は、突然の「解散・総選挙」で先送りされましたが、与党「圧勝」を受け、基本的には同じ枠組みで、今後の国会で審議されることになりそうです。
改めてこれまでの経過をおさらいすると、昨年九月に「働き方改革実現会議」が発足し、十回の会議で「九つの論点」を議論し、三月二八日に「働き方改革実行計画」をまとめ、労働政策審議会に諮問されましが、その際「高度プロフェッショナル制度」(脱時間給)がセットにされたことから、労働者の抗議が起き、連合も反対しています。
働き方改革の内容は多岐に渡っています。(同一賃金同一労働や最低賃金の引上、長時間労働の是正、非正規労働者、女性・若者、高齢者、外国人材、転職・再就職支援、テレワーク、子育・介護との両立など)。
ところで、今なぜ「働き方改革」が政治のテーマになってきたのか?その背景をいろいろな角度から考えてみたいと思います。
1、安倍政権の政治的おもわくは?
多くの人々が見抜いているように、安倍首相の本命は「憲法」とりわけ「九条」の改正(改悪)をやり遂げることでしょう。しかし、それを真正面に掲げると、保守復古主義者は別として、少なからぬ国民から疑問を持たれてしまうので、選挙の時には「アベノミクスでデフレ脱却を」とか「景気回復のため消費税の延期を」、「企業は春闘で賃上げを」、「消費税の使い道を子育て・教育に」等と、甘いスローガンを掲げてきました。
ところが「量的金融緩和」の効果も上がらず、それらが色あせてくると、今度は「地方創生を」、「一億総活躍社会を」、「女性が輝く社会を」と、次々に目新しい政策を掲げて、国民の期待を繋ぎとめようとしてきました。「働き方改革」もその流れの一環で、過労死の多発や格差・貧困の拡大で高まる労働者の不満をなだめ、「改革」という将来への期待をいだかせ、労働者の歓心を買おうおとする政治的な意図が透けて見えます。
もちろん、それだけが理由ではないのですが、やはり「憲法改正」に向け国民の多数の支持を得るために、かつての中曽根政権がしたように、「ウィングを左に伸ばす」おもわくは否めません。
2、労働力人口減少社会への対応
もちろん「働き方改革」は、経済的社会的にも要請されていることは、見逃してはならないでしょう。日本社会は少子高齢化が進み、労働力人口減少に直面していると言われます。既にいろいろな分野で「人手不足」が叫ばれています。
例えば東日本大震災でインフラが破壊され、その復旧工事が今も行なわれていますが、建設業界は思うように労働力を確保することができず、賃金単価を少しばかり上げても、抜本的な解決にはなりません。下請け・孫受けシステムを前提に、過疎地域からの出稼ぎ低賃金労働者にたよって、労働力を確保してきた安易なやり方が限界に突き当たっているのです。一部では「女子のとび職」が脚光を浴びていますが、建設業の労働力需給構造の地殻変動を垣間見るようです。
同じようなことは、農作物の栽培収穫作業や、水産加工作業についても言えます。都市近郊地域の農協では、野菜を栽培・収穫するのに農家に頼れず、外国人の技能実習生を使用しています。スーパーに並んでいる「モヤシ」や「アスパラ」の多くが、外国人労働者によって生産されているのです。これは本来の「技能実習生」の趣旨からは逸脱していますが、現実には労働力不足の穴埋めに使われています。
つまり、今までのような「男子正社員(本工労働者)」プラス「男子下請け労働者」を中心とした労働力供給構造が、あらゆる業界で崩れ始めているのです。トラックや宅配便などの運輸労働者しかり、零細な縫製工場しかり。
かつては「専業主婦の家計補助」であった「女子パート労働者」は、今日では非正規労働者の一翼となりつつあり、「退職後の年金不足の補い」のための再雇用制度のもとで働いている「高齢者」、一部の分野に限られていた「外国人労働者」を、これからは「本格的な労働市場の担い手」と位置付けなくてはならないのではないか?様々な業界でそんな声が上げっています。
そこで、「男子正社員・非正規労働者」中心から「女性・高齢者・外国人」の本格活用へ、労働力の需給構造をシフトさせる必要性を、多くの経営者団体や経営コンサルタントが深刻に意識し始めたのです。
3、日本型「企業主義的」労使関係の限界
ところが「言うは易し、行うは難し」です。「男子正社員中心から、女性・高齢者・外国人の活用へ」という課題そのものは、先進資本主義国に多かれ少なかれ共通しています。しかし、日本型の労使関係は、ヨーロッパや英米のような「ジョブコントロール型」労使関係と異なり、こうした転換が容易には行い難い根深い職場構造にあるのです。
その最たる問題が、大企業のホワイトカラーにおける「過労死」、それも「うつ病による自殺」の多発です。激しい企業間競争のもとで、システム開発の「プロジェクト」を担当する若い社員に多く起きています。プロジェクトを担当社員に丸投げし、その社員は何とか期間内に達成しなければと強迫観念に追われ、自分から長時間残業にはまりこみ、気づいた時には「うつ病」を発症し、その症状が悪化し自殺に追い込まれてしまうのです。
これは、社内の「研究開発部門」に限られることではありません。むしろ、顧客企業の新規システム開発を受注する担当者の方が、契約の履行に終われるため重圧がより重いとも言えます。
また「営業職」も例外ではありません。一昔前のように「御用聞き」のように企業廻りをしていては勤まりません。顧客企業の特質を調べて、ニーズを掘り起こし、新たな「システム商品」を提案し、パワーポイントを使いプレゼンでうまく伝えなければなりません。顧客企業の反応が悪ければ「営業失格」の烙印を押され、自己喪失感のどん底に落ちるのです。
「過労自殺」に追い込まれるケースの多くが、若い女子社員であることに注意する必要があります。これは、日本型「企業主義的」労務管理における「社会病理」といっても過言ではありません。過労自殺は、残業時間が「過労死ライン」を超えているか?「勤務インターバル規制」が確保されているか?がメルクマールになりますが、問題はこうした労働時間規制の論理が通用しないような、非人間的空間が放置されていることです。
正社員の過労自殺と、非正規労働者の貧困格差は、メダルの表裏でもあるのです。
4、労働者側のオルタナティヴは?
さて、「働き方改革」をめぐって、安倍政権の政治的意図、労働力減少に対応した「女性・高齢者・外国人」本格的活用の要請、日本型「企業主義的」労務管理の弊害などを考えてみました。では、労働者の側からの要求はどうあるべきでしょうか?裁量労働制拡大に反対し、実効ある残業規制で過労死を根絶することや、同一労働同一賃金を徹底させ、格差・貧困を無くしていくことが根本的要求ですが、そのためにも一歩進んで労働者の側からのオルタナティヴを掲げていく必要があります。
キーワードとして、「労働時間の短縮と自由時間革命」、「ラディカルな同一労働・同一賃金」、「ワークシェアリングと男女平等、高齢者・障害者の労働参加」、「労働者自主管理とアソシエーション的な労働者協働組合」を提起したいと考えます。
また当面の闘いとして、過労死裁判闘争を応援することや、様々な労働者グループと共に国会審議を包囲する闘いや、対省庁交渉に参加すること、そして何より一人一人が各職場で「三六協定」チェックし声を上げることが必要ではないでしょうか?(松本誠也)
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コラムの窓・・・ 嵐の夜に!
古本屋さんで、カレル・ヴァン・ウォルフレン「いまだ人間を幸福にしない日本というシステム」(2012年・角川文庫)を入手にしました。1994年に刊行された書籍の改訂版です。まだ読み始めたところですが、市民という概念について述べているところがありました。
「『市民』、『臣民』、そして『国民』は同じような意味で使われることが多いので、大抵の人はこれらを同じものととらえている。だが、国籍とは違って、市民には単に海外渡航に必要なパスポートといった出生地を示す以上の意味がある。またこれは政府や天皇に従順な臣民にとどまらない存在を意味している」
そして、日本の現状認識を次のように述べています。
「北朝鮮の人々は、労働者にとっての楽園のような国に暮らしているのだと絶えず吹き込まれている。旧ソ連の人々は最初から終わりまで、この国こそ世界で最も先進的な社会福祉体制だと聞かされ続けていた。
日本は専制国家でもなければ、政治的に見ても全体主義体制ではない。それでも政治や社会の真実から離れた偽りの現実が、日本のいたるところに深く刻みつけられている」
何故! ここでウォルフレンは「無知をうながす伝統」が民主主義を現実のものとさせない障壁として立ちはだかっていると指摘します。市民が市民としての役割を果たすためには知識が必要です。「ところが、人生にかかわる重要な根本事実に関して、大抵の日本人は充分に理解していないという印象を私は受けるのである」「その一方で、官僚やビジネスマンたちは、知識は力であることをよく理解している。だから市民もそのことを知るべきである。自分たちがおかれた状況について、真実を完全に知ることはできないにせよ、それでも我々には正確な情報を集め、幻想や誤解があればそれを見破り、排除できることくらい、誰にでもわかるはずだ」
問題の核心は、「日本ではいまなお支配者がひそかに権力を行使する一方では、一般の人々は事実を知らされないまま、架空の現実を受け入れ続けている」という事実。これはこの国に伝統的な「民は知らしむべからず、由らしむべし(大衆には情報を与えてはいけない、ただ政府の威光にしたがわせよ)」という統治の原則です。ありていに言えば、政治的無知、「社会や階級について何も知らないことことは日本人ではむしろ賞賛に値する」のです。
ここまで書いてきて、テレビが「自民党が単独過半数を確保した」と報じました。先に指摘したことが的を射ていたのです。この現実を覆すために、自立した市民が育たなければならないのです。どのようにして? 大変難しい課題ですが、明日から始まる苦難の日々に立ち向かいながら考えましょう。 (晴)
次の反撃は地方自治体選挙で!
希望の党をめぐるゴタゴタが災いしたこともあり、自民公明の与党が三分の二を維持し、維新や希望をふくめると改憲勢力が四分の三という結果となりました。しかし安倍内閣に対しては「不支持」が「支持」を上回るなど、政治不信の根強さも明らかです。労働者派・市民派・平和派は次の反撃にそなえなければなりません。その舞台は地方自治体選挙です。
全国の地方自治体では、社民党や新社会党、緑の党、無所属市民派などの人々が、様々な形で連携しながら、各種の自治体議員選挙に挑戦し、また実際に地方議員としても活躍しています。こうした勢力を次の自治体選挙で、ひとまわり広げることが、次の反撃の基礎を作ると思います。
今回の衆議院選挙で神奈川では、「労働の解放をめざす労働者党」の圷(あくつ)候補が奮闘されました。僕は九州にいるので詳しいことはわかりませんが、九州の組織の方からカンパの要請があったので協力しました。その際「次の地方自治体議員選挙にも労働者派として挑戦してほしい」と注文をつけさせていただきました。
労働者派の取り上げるべき課題は、地方自治体には山ほどあります。自治体版ワーキングプアの問題、その歯止めとして「公契約条例」の制定、介護労働者や保育労働者の労働条件の改善、障害のある人々の就労条件の拡充、地域で働く外国人労働者の劣悪な労働条件の問題、学校教育労働者の長時間労働、地域の企業の過労死問題、非正規労働者と子どもの貧困問題、等々。
こうした地域の労働者の問題を、平和や環境の課題と合わせて掲げ、自治体議員選挙に挑戦することで、地域の労働者・市民との協力関係を広げるこができると思います。それなしに、次の国政選挙への展望(ホップ・ステップ・ジャンプ)は開けてこないのではないか?そんなことを「あくつ候補」を応援する立場から、差し出がましいようですが、言わせていただきました。
ですが実は、これは私達自身の課題でもあります。我と思わん人は、ぜひ地元の自治体選挙に挑戦しましょう!あるいは、広い意味で労働者的な候補を(社民党であれ、新社会党であれ、緑の党であれ、「労働者解放をめざす労働者党」であれ)地元で応援しましょう!政治方針の違いについては、一緒に闘いながら、率直に議論していったら良いと思います。(松本誠也)
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何でも紹介・・・ 南京フィールドワーク
世界は恐怖する
本紙574号の「コラムの窓」で亀井文夫の紹介をしました。その際はまだドキュメント「世界は恐怖する」を観ていないなかったので、ここでまずその紹介をします。亀井文夫は1957年、原水爆実験後の日本の実態を告発する作品「世界は恐怖する 死の灰の正体」(88分)を世に問うています。これはインターネットで検索すれば観ることができます。映画はビキニ事件後の日本における放射能汚染の影響をあらゆる角度から明らかにしています。なおこの年、亀井は「流血の記録・砂川」(56分)という凄いドキュメントも制作しているのです。
小鳥の十姉妹をコバルト60に曝し死に至らしめる実験、空間の放射性物質をとらえる調査、米の汚染、粉ミルクからのセシウム137の検出、ハツカネズミの動物実験、ショウジョウバエの遺伝実験、さらに死体の調査、等々。そうして、胃にも肺にもストロンチウム90は体内に定着すること、遺伝的影響はどんなに少ない被曝でも影響があると強調しています。
これでもかこれでもかと映像が出てくるので、最後まで観るのがつらくなります。恐いのはこうした異常が被爆者にも現れているという指摘です。私が生まれた1950年前後でも遺伝的影響が子どもに現れ、ホルマリン漬けされた新生児も写されています。映画のラストで亀井は死にゆくネズミを写し、「ネズミは死にました。ネズミの死が人間の運命を暗示するものでないことを心から祈ります」と訴えています。
この映画で象徴的なのは、このまま原水爆実験を続けるなら取り返しのつかない放射能汚染をもたらすとの予測図を示し、実験を直ちにやめてもストロンチウムは長く残り続けるというところ。歴史は汚染の進行が悪い予測にはいかなかったことを示していますが、その〝平和的利用〟によってより深刻な事態に今私たちが直面しているのは悲劇的な巡り合わせです。
さらに指摘すれば、映像では実験動物を観察し、解剖し、放射能汚染状態を調べる研究者たちも写しだされています。そこから、何故か占領下中国で行われた人体実験を思い起こしてしまいます。私たちは今回、南京・栄1644部隊が人体実験を行った、今は軍の病院になっている建物を見学しました。
2週間で世代交代するショウジョウバエは遺伝研究に便利だそうだですが、米国がもっぱら原爆の影響を調べるための対象として被爆者を扱ったこともあわせて、医学が人体実験という禁忌を常に破り続けているという思い起こしてしまう。なにしろ、米国にはアトミックソルジャーという言葉もあるのです。
南京で紫金草の歌を聴く
8月15日、侵華日軍大屠殺遇難同胞紀念館で紫金草の歌を聴きあした。皇軍による南京占領から80年、南京大虐殺紀念館での追悼集会に参加し、犠牲者を慰霊、黙祷しました。訪中に先立つ7月7日、盧溝橋事件から80年のその日に西宮で関西紫金草合唱団のコンサートを聴いたばかりで、8・15南京で中国語の同じ歌を聴くなんて、思いもしなかったことでした。
紫金草は「日中戦争のころ薬学者で陸軍衛生材料廠の廠長だった山口清太郎さんが、南京から花の種を持ち帰り、『紫金草』と名付け広めたそうです」(大門孝子文・松永禎朗絵「むらさき花だいこん」)。私が7・7で聴いたのは歌と朗読による合唱組曲「紫金草物語」でしたが、その少し前に合唱団の藤後博巳さんから「満蒙開拓青少年義勇軍を生き延びて!」というお話をしていただいたところでした。88歳にして訪中を繰り返している、私など足元にも及ばない人生を歩んできた方です。
ところで、私が南京に初めて行ったとき大いに驚いたのは、右側通行というのも怖かったけど、それよりバイクがほとんど電動で、まるで自転車のように歩道を我が物顔で走っている光景でした。しかも、3人・4人家族で乗っているし、荷台満載、屋根あり多数、荷車牽引など、そのバイタリティには圧倒されます。
さて、今回のフィールドワークでこれまで解けなかった疑問がひとつ氷解しました。バイクの分類がガソリン車と電動車で違っていて、電動車は免許が要らない自転車と同じ扱いだとか。そう聞いて「なーんだ」と思い、なるほど合理的な区別です。しかし、新たな疑問が。そうすると電動四輪はどうなるのか、タクシーのようにお客さんを乗せているのもあるけど、あれも免許いらないのだろうか、それで営業できるのだろうか、この疑問は解けていません。
それから、昨年と様変わりしていたのが貸自転車の氾濫。特に、南京では自転車の墓場かと思うほど散乱していました。驚いたことに、右折のバスが道路にはみ出して倒れている自転車を轢いて通り過ぎたのを見ました。この貸自転車、最近は日本でも登場しつつあるが、案内の戴國偉さんがスマホをかざして鍵を開け、自転車に乗って見せてくれました。便利なものですが、スマホを持たない私には無縁のしろもの。
フィールドワークでの移動は基本的に大型バスで、快適で楽なのですが、飲食店などに入るときなどひどく心配になります。車がかなり適当に駐車していて、ぶつからないだろうかと思ってハラハラします。何年か前、道路の角に車が停まっていて、バスは何度も切り返しをしてやっとそこを通過したのです。その時、私たちは思わず運転手さんに拍手を送ったものです。
とまあこんなところで、道路を渡るのも思い切りが必要。なにしろ、信号など無視して大きな道路を渡る人が多いし、それも堂々としているので感心しきり。問題ないようなら、それで良しですかね。
フィールドワーク
私が夏に南京を訪れるのはこれで4度目、一週間程の旅行なので定年後の参加となりましたが、行って見ることの意義を身にしみて感じています。南京大虐殺は揚子江沿いで行われ、死体を川に流し犯行を消し去るためです。また、何かの建設作業を始めたら人骨がたくさん出てきたというようなこともたくさんあるとのことです。
従って、南京には、とりわけ揚子江沿いには多くの慰霊碑があります。中曽根康弘氏が首相として靖国神社を公式参拝したのは1985年でしたが、慰霊碑の多くがその85年に建てられています。加害者は自ら行為を容易く忘れるけれど、被害者は忘れることなく心に秘めていて、何かのきっかけがあればそれが現れる、そういうものではないでしょうか。
だから、赦しというものは加害者が過ちを忘れないでいることが最低の条件であり、なかったことにするのは過ちの上に過ちを重ねることになります。昨今の嫌中嫌韓、歴史改竄などは、再び過ちへと向かう余りに愚かしい行為です。その心の奥底にはむしろ劣等意識があり、その裏返しとしての虚勢に過ぎません。フィールドワークはあるがままのものを受け入れ、そこから出発するための旅行です。 (折口晴夫)
「エイジの沖縄通信」(NO-44) ★怒りがおさまらない高江の米軍へり墜落事故
皆さんもご存知のように高江に米軍ヘリが墜落炎上するという事故が起こった。墜落したCH53E大型輸送へりは米軍普天間飛行場所属で、13年前にも沖縄国際大学に墜落した古いヘリである。
墜落炎上した現場は県道70号に近い民間地で、最も近い民家からわずか300mという至近距離だった。復帰後、米軍機の墜落はこれで47件にもなるという。高江周辺に6ヶ所ものヘリパッドを集中させたのだから、これは当然予想された事故で政府の責任は重大である。
昨年の今頃は、日本政府が強引に「ヘリパッド建設」工事を進めていた。地元の住民及び県民は、毎日のように高江に通い続けへの抗議・阻止行動を続けたが完成してしまった。その後、高江ではオスプレイやCH53ヘリが激しい訓練を繰り返していた。
地元住民は「騒音がひどく、もう住めない」「いつか墜落事故を起こすのではないか」との不安を感じていた。このような時の墜落事故であった。
翁長知事も、さっそく現場を視察した。また県環境部も、土壌中の放射性物質や有害物質の調査をするため、現場への立ち入りを求めたが米軍は拒否した。2004年の沖縄国際大学への墜落の時と同じように、「日米地位協定」と「日米合同委員会」が大きな壁となっている。
この問題に対して翁長知事は「日米合同委員会の中で日本政府に当事者能力がない。米軍に『二度とこういうことがないようにして下さい』という話しかしない。豆腐にくぎのような状況だ」と指摘した。
沖縄県民の激しい抗議の声を受け、政府の小野寺防衛相は「飛行停止要請を米軍が受け入れてくれた」と強調していたが、ところが米軍は18日「専門家が整備記録を調査した結果、問題点は確認されず、運用上の懸念はない」として、原因不明のまま同型機の飛行を再開した。
これに対して沖縄県や地元自治体は猛反発。翁長知事も、高江地区周辺にある米軍「ヘリパッド基地」の撤去を初めて示した。
①屋根の上の報道陣
現場に入る道路は警察官らに封鎖されているし、墜落現場は米軍が黄色テープを張って完全封鎖している。
県などの関係者もマスコミ関係者も普通の人たちも、墜落現場の中に入ることが出来ない。それを救ったのが、現場近くの地主のNさんだ。地主のNさんは、事件の詳細を報道してくださいと、屋上を報道陣に開放した。
そのお陰で、取材したい人たちは、Nさん宅の屋根に上がらせてもらい墜落機の様子を見ることも出来て取材することが出来た。
②「高江米軍ヘリ炎上」放射性物質飛散の可能性!
今回墜落したCH53Eヘリに関し在沖米海兵隊は「ヘリのインジケータ(指示器)の1つに放射性の材料が使われている」と認めている。米軍は「健康を害すのに十分な量ではない」と言っているが。
この件に関して、沖縄の矢ヶ﨑克馬・琉大名誉教授(物性物理学)は今回の事故による内部被曝の危険性ついて次のように述べている。
「沖国大に墜落した米軍ヘリCH53には回転翼の安全装置に放射性物質ストロンチウム90が使用されていた。その際には六つの装置のうち一つを回収できず、米軍は気化したとし、環境に影響ないと主張した。この時に消失した量は約500マイクロキュリー、1850万ベクレルとされた。大変な量だ。
ストロンチウム90は高速ベータ線(電子)を出す。回転翼の中は真空になっていて、ベータ線を常時測定している。損傷が起き空気が入ると測定数値が激減し、警報が鳴る仕組みだ。
ベータ線は透過力が弱いので通常は近接しない限り危険性はないが、燃え上がると酸化しながら微粒子になって大気中に飛散する。空気中を漂う微粒子が体内に入ると内部被ばくの危険がある。
今回も黒煙と一緒に周囲にばらまかれてしまったのではないか。爆発的に燃えていた様子からすると、複数の装置が燃えて沖国大の時より多く飛散したかもしれない。」(「琉球新報」10月12日付)
③相次ぐ「緊急抗議集会」の開催!
12日(木)は、夕刻から石平の海兵隊司令部の前で緊急抗議集会が開かれた。選挙期間中と言う事で結集が心配されたが、集会には300名近い人たちが集まり怒りの声を上げた。山城博治さんも元気な姿を見せデモの先頭に立った。
15日(日)正午には、墜落現場に近い東村高江の米軍北部訓練場メインゲート前で、「ヘリパッドいらない住民の会」と「ヘリパッド建設反対現地行動連絡会」が主催した抗議集会が開かれた。
県内各地から約200人が集まり「基地がある故の事故。北部訓練場を含めた全ての基地撤去まで頑張ろう」との声を上げた。(富田 英司)
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読者からの手紙 小泉進次郎氏と対決した圷候補は三千票弱、得票率は1・58%であった
全国の労働者からは全く注目されてはいないが、「労働の解放をめざす労働者党」が神奈川11区の小泉進次郎氏を落選させようと圷氏を立候補させて、この総選挙を闘った。
この党は、今年4月の結成大会決議で18年衆議院選挙はまずホップとして一つの小選挙区に立候補させ、続くステップとしては「19年夏の参議院選挙区で連動して闘い、3%、5%といった大きな成果を上げて22年参議院選挙につなげ、その参議院選挙で最初の国会議員の実現を目指す。ただし、次の衆院選が今年中の場合はパスする」(『労働の解放を目指す労働者党 綱領・規約』P39)と100万票の獲得を宣言したのである。
のっけから恐縮だが、このただし書きの部分で17年の衆議院選挙パスを謳っていたのに何故立候補するのか。まさに大会宣言を自ら踏みにじる破廉恥さをまず指摘したい。
この党の致命的で決定的な欠陥は壮大な戦略を掲げてはいるが、それを実現する現実的で着実な戦術がほとんどないことである。せいぜい各地域で展開されている資本論研究会があるだけだ。しかし政治闘争とは研究活動ではなく、代替は不可能なものである。
それに自民党政治と対決すると豪語するのなら、何故小泉氏の選挙区で闘うのか。安倍総理の選挙区で闘った黒川氏のように、または菅幹事長の選挙区から立候補して闘うのが本来の筋道というものであろう。さらに横須賀市で闘うというのなら、一柳氏や呉東氏や新倉氏等のような横須賀市では著名な市民活動家と何故連携を追求しないのか。また労働者派というのなら、いまだ地区労の旗を降ろさず地域の労働組合運動を支援し続けている三浦半島地区労へ推薦要請をしなかったのであろうか。こうした目配りが一切ないのだ。
総選挙の開票結果は、約15万5千票の小泉進次郎氏に対して、2番手の共産党の瀬戸氏は約8万2千票、落下傘候補の希望の党(元自由党)の真白氏は約1万9千票で、我らが注目の圷氏はなんと3千票弱に過ぎなかった。得票率は1・58%だったのである。
これまでの彼らの選挙戦の結果から言えばこの得票率でも最高水準であり、勝利だとの総括しかできないのだろう。開票から3日が経過してもいまだ総括は公開されていない。
しかしこの選挙戦開始時に彼らはこう大言壮語した。「私たちは、神奈川11区で自民党のホープ小泉新次郎と〝激突〟しますが、ここで小泉を倒せば安倍政権打倒の突破口になるに違いありません。容易な闘いではないですが、全力で頑張ります」「しかし小選挙区制には一つのメリットがあります。11区で我々が小泉を圧倒し、あるいは勝利でもしたら、それはまさに安倍政権打倒を闘う全国の闘いにとって大きな意味と意義を持ち、安倍政権打倒のために重要で、実際的な役割を果たしたということになります」
まさに負けることを知らない「労働の解放をめざす労働者党」万歳!である。
ここで確認したいことは、「小泉を圧倒し、あるいは勝利でもしたら」の一文である。圧倒するとはつまり勝利すると言うことと同義ではないか。まさにレトリックによる詐術であり、無内容である。自己満足もここまで来れば何も言う必要はないというものだ。
先の大会宣言をよく読めば、5%を大きな成果と書いている。確かにその数字は今までの選挙体験では大きいものがある。しかし当選するには少なくとも20%前後の得票率が必要とされることは間違いない。そして得票率5%が夢のような数字なら20%はまさに天が落ちてくるほどの水準ではないか。彼らには票を獲得する現実的な考えや方法もなく、全く現実性のない白日夢に自己陶酔しているという他はなく、目を覚ませというしかない。
選挙直前の2017年10月20日、代表委員会は「庶民派『まじ太』(あくつ)を国会へ! 〝超エリート〟の『きざ夫』はもう沢山だ! 小泉氏への投票は安倍政権の延命だ」とのメッセージを発している。ここまで行くと私などはあっぱれと感心する他はない!
ここには労働者の代表を国会へと高らかに謳った彼ら自身が「庶民派『まじ太』(あくつ)を国会へ!」と言い始めている見るも無惨な姿がはっきりと示されている。
彼らは選挙カーに手を振る人が全て圷に投票するものだと独り決めしてそれを信じて疑わないかである。まさに政治的には子供の水準である。自分の力がいかほどのものかも知らず、自らの言葉に自己陶酔する労働者党に夜郎自大の思い上がりがあると指摘したい。
かってマル労同、社労党と借金をし続けて選挙戦を闘い、約2億万円を蕩尽させて得た政治的教訓とは何だったのだろうか。それは弱小セクトの政治的見解を聞かされたことだけで労働者民衆が直ちに覚醒することなどほとんどあり得ないと言うことである。(せ)
深町さんのコメント
「革命と戦争の世紀とされる20世紀の歴史から学ぼうとしない今日の世界は、一部の権力者、支配層の一貫して変わらぬ人民支配と覇権への強い欲望は、北朝鮮を巡り、今や破滅・破局を迎えている。
米帝は、朝鮮戦争において北と休戦協定を締結した際は、3ヵ月以内に韓国から撤退する旨を約束した。しかし、その実行を無視、以来今日に及ぶ。米軍が戦後為してきた他国への侵害・侵攻は無法者そのものだ。かかる事実を知らず、いや、あえておおいかくし、軍事産業、テロリストの野望を満たすだけの北朝鮮を暴発に追い込む姿は、無力な反戦活動を行う私に限りないうっ屈した気分にさせる。
核戦争の想像力を欠いた多くの人々に目ざめよ! といいたいが。」
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色鉛筆・・・津波浸水想定区域に病院と庁舎を移転するとは正気の沙汰ではないー強引に進めるやり方に反対!ー
私が住んでいる街で、LNG火力発電所建設反対運動が起きているが、病院と庁舎の移転問題も起こっている。
ことの始めは、旧社会保険病院である桜ヶ丘病院は築57年を経過し老朽化が進んでおり、病院を運営する独立行政法人地域医療機能推進機構(JCHO、東京都港区)は、移転先を急いでいた。旧社会保険庁が2001年に土地を獲得した清水区大内新田への移転は利便性などの面から15年に白紙化され、昨年5月に市に適地の選定を依頼していた。
すると、今年の3月に田辺市長は桜ヶ丘病院の移転先を現在の静岡市役所清水庁舎とすることとし、あわせて清水庁舎を清水駅東口に移転・建設する案を正式に発表した。しかし、今回の清水庁舎移転は、桜ヶ丘病院を移転させるため、玉突きで清水庁舎の移転を強行しようとしている。事実、2年前に策定した静岡市第三次総合計画には区役所の移転のことなど一言も触れられていないのだ。
現庁舎のある場所は、清水港から数百㍍の場所で県の津波浸水想定区域で、昨年より、地域住民は「津波被害のおそれがある地域にどうして病院を持っていくのか」と一斉に反発し、地元の連合自治会を中心とした「桜ヶ丘病院の移転を考える会」が、現在の病院から近い桜ヶ丘公園を移転候補地とするよう要望書を提出した。まったくその通りで、災害時に治療を受けなくてはならない人を運ぶ病院を津波の来る場所に移転するとは正気の沙汰ではない。私の周りの人たちも「怖くて入院できない」「入院していたら死んでしまう」「初めから桜ヶ丘病院に行かない」とあきれている。
地域住民が移転先を桜ヶ丘公園に要望したのは、公園は海抜8㍍以上あって津波の心配がほとんどなく、周りには5つの小・中・高校(避難場所)があり、ここに総合病院があれば災害時の救援基地としても機能できることだ。
さらに庁舎の移転を待っていたら桜ヶ丘病院建設にはあと5~6年かかってしまう。今でも桜ヶ丘病院は狭くて汚いという評判で患者数が減っているのだから、緊急時に備えるためにも一刻も早く桜ヶ丘公園に建設するべきだ。
ところが、市はこうした地域住民の思いをいっさい無視して『市民の利便性が高い、津波浸水想定区域でも対応できる、市街地の活性化に寄与する』と、自分たちに都合のいい理由を言い出して強引に病院の移転を進めている。
そして、私たち住民に「庁舎移転計画(清水駅東口公園)」が公表されたのは市が配布した広報しずおかで、新清水庁舎も港に近い県の津波浸水想定区域で道路をはさんで目の前にLNG火力発電所が建設計画されているところだ。病院の移転と同じ様な場所なのでこれまた住民たちはあきれて、「どうしてこの場所に庁舎なのか」「東日本大震災の教訓が生かされていない」等、市長への批判が高まっている。
現在の庁舎は、築30年で耐震工事もされていてレベル2の地震でも建物が倒壊することはないと言われているのだからまだ十分使えるのだ。ところが市は、『地下に設置してある電気設備などに被害を受けて、業務継続に支障が生じる可能性がある』『倒壊する可能性は低いが壁や天井に被害を受ける可能性がある』と、これまた自分たちに都合のいい理由を言っている。
だが必要な設備は上の階に移設して、壁や天井は張り替えれば庁舎の機能を維持する事ができるのに何が何でも新しい建物を建設する事が目的なのだろう。借金をしてまでも建設をするという今の政治のやり方は間違っている。
市長は住民の同意なしに急テンポに進め、庁舎の「建設検討委員会」を設置して委員会も開催させ、病院の移転を反対している市民たちと会おうともしないのだ。こうして強引に進めていく市長のやり方を黙っていたら決まってしまうので、反対の声をあげていきたいと思っている。(美)
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