ワーカーズ577号(2017/12/1)      案内へ戻る

 「戦後体制の転換」を目指す安倍政権を大衆的実力闘争で追いつめよう・・・嘘と強権で国会の乗り切りを策す自公政権

十一月十七日に行われた、安倍首相の所信表明演説は、前年の同演説の半分程度と言う簡略なものであり、引き続く国会論戦の糸口を与えまいとする不遜なものであった。安倍氏の言う「謙虚」「丁寧」は従来よりカラ文句であったし、今後も安倍政権のまともな答弁を期待することは出来ないばかりでなく、ますます専横的で国民軽視の姿勢を増長させることを強く予感させるものだ。

 国会はこれまでになく有意義な機能を果たさなくなっている。日本における政治・統治機能がますます国会から「官邸」へと移動していると言わなければいけない。

というのもかつては少なくとも議員による政府や官僚に対する論戦や追及と言うものが、せめて国民的関心を喚起することの意義は存在したからである。国会論戦が大衆運動を喚起してきた歴史は日米安保条約やロッキード事件、ベトナム反戦運動などが想起される。だが、今では国会が政府のチェック機能さえ喪失しつつある。それは国会が無用であるというのではなく、ますます職場や街頭での行動が重要性を増していることを示している。

こうした中で、安倍政権は「丁寧」「謙虚」とは裏腹に、籠池夫妻の不当拘束を継続し口を封じ、他方では疑惑の渦中にある加計理事長を隠しつつ、新たな情報を規制して国会乗り切りを策していることは明白である。野党の質問時間の短縮などやりたい放題だ。つまりは国会での数の多数と政治強権による「モリ・カケ隠し」である。われわれは、ますますデモや集会など大衆闘争を拡大してゆかなければならない。

来年の通常国会で憲法九条改悪が主題となることは確実である。正念場が続く、宣伝し組織しよう!。(文)


 危うい立憲民主党の立ち位置――宏池会的政治をほのめかす枝野代表――

 民進党三分裂後の新しい勢力関係のなかで特別国会の論戦も始まっている。先の総選挙で有権者の追い風を受けた立憲民主党。当面、野党第一党として世論の視線や後押しもあり、国会論戦などでは野党色を強める場面もあるだろう。

 とは言っても、枝野代表は自身の立ち位置として保守リベラルや自民党宏池会的な政治という主旨の発言をしている。労働者・民衆の立場に立つとは一言も明言していない。期待ばかり膨らませることなく、労働者・民衆の監視や圧力で野党第一党の責任を果たさせていきたいところだ。

◆注目を集める立憲民主党

 国会はまだ代表質問などが終わった段階で、総選挙で掲げた公約をどう実現していくか、これから詰めていくといった場面だ。

 民進党から分かれた三党は、無所属組や参院組が中心の民進党を挟んで、自民党や維新の党の連携も視野に入れる希望の党と、共産党や社民党・自由党を含めた全野党の協力を視野に入れる立憲民主党という三極構造に分かれたままだ。その中でまだ10%以上の支持率を保ち、地方選でも当選者を出している立憲民主党の今後の政治的立ち位置に注目が集まっている。国会などで野党第一党として安倍自民党に対抗する局面では、当然私たちも含めて後押しすることになるだろう。

 ただ立憲民主党の選挙公約を見ても、実質賃金の引き上げで中間層を再生させるだとか、税の再配分機能の強化だとか、あらゆる差別に反対……。総じて総花的でお題目を並べただけというもので、現実社会の矛盾や閉塞情況に鋭く切り結んでいくという迫力に欠けるものでしかなかった。とりあえず立憲民主党という党名に込められた憲法を大事にした〝まっとうな政治〟を実現したいという想いだけは伝わってくるが、立憲民主党の立ち位置を冷静に見極めその限界をはっきりさせておくことが、今後の労働者派、左派としての私たちの立ち位置を明確にするうえで不可欠だろう。

◆立憲民主党とはなにものか

 総選挙で世論の追い風を受けた立憲民主党。とは言っても、その出自や誕生のいきさつを見れば、そんなに威張れたものではい。ワーカーズ前号でも触れたが、立憲民主党の生まれは、共通の目標を持った人たちの誓約者団体という積極的で前向きな内実からはほど遠い、いはば排除された側の生き残り策という防御的行動から生まれたといえる。一旦は小池新党への全員での合流という前原前代表の提案を受け入れていたからだ。前原代表が憲法違反の安全保障法制はダメだとの前提で提案した合流案に、枝野氏自身も「これだったらみんな(希望に)行けるんじゃない」と前原氏に言っていたという話も伝わっている。(11月21日 朝日新聞)

 その枝野氏、新党立ち上げに際して〝枝野立て〟というネットでの後押しも呼び込んだ。総選挙でも〝筋を通した〟と追い風を受けて野党第一党に躍り出た、というよりも、希望の党は問題有り、という世論が立憲民主党を押し上げたと見るべきだろう。

 その枝野立憲民主党。まだ政治的な立ち位置についてはっきりしないところもある。が、枝野氏が総選挙後に語っていることの一つに、〝1996年体制の終わり〟がある。96年は小選挙区制度が導入されて最初の総選挙が行われ、旧民主党が結成された年だ。要は、政権交代を自己目的化した民主党が有権者から単なる数合わせと見られていたのではないか、という見立てである。こうした立ち位置から、旧民進党系の三党の再合流には否定的で,共産党なども含めた〝全野党共闘〟志向という立ち位置も出てくるのだろう。

 すでに触れた総選挙時の公約を見ても、一つ一つは深刻な実情を反映した公約ではあるが、単なる総花的な羅列の域を出ていないのが見て取れる。たとえば賃上げや中間層の実質賃金引き上げだ。その実現には、労働者が連帯して資本・企業と闘って勝ち取るという態勢構築が不可欠になるが、公約はあくまで目標の羅列に止まっていて、実現方法や実現主体に何ら言及していないからだ。

 とはいっても、まだ生まれたばかりの立憲民主党。有権者や支持勢力の監視や圧力でどの程度進化するかは未知数だ。結果は期待せず、つぎの総選挙まではそうした視線と圧力は欠かせない。

◆甘い現状認識

 立憲民主党の立ち位置で一番問題なのは、現状認識の問題である。

 たとえば、党名にもなっている立憲民主党という旗印だ。これは憲法に沿った政治を実現する、というもので、枝野氏が〝まっとうな政治〟と言うのも、憲法の立場を体現した政治を行いたい、と言うことなのだろう。

 憲法改正論議でも、こうした立場から憲法9条改定などではなく、野党が要求する臨時国会召集義務や首相による衆院解散権の制約を議題とするよう要求する。

 安保法制についても同じことがいえる。先に強行採決された安保法制は、集団的自衛権を禁止した憲法に反するものだから憲法違反であり、その憲法違反の任務を持たされた自衛隊を憲法9条に明記することに反対、となるわけだ。

 要は憲法を中心に政治を考える、という立場だ。憲法は主権者としての個々人が権力を縛るツールだ、というのはその通りだ。自民党改憲案が国民を指図するのが憲法だ、という逆立ちした憲法観とは対極のもので、憲法観としてはむろん正しい。

 とはいえ憲法とは、一面では言葉で書かれた文章でしかなく、実情を反映したものかどうかは別問題だ。現実の戦後史はといえば、憲法の理念・条項が文字通り実現されてきたというより、日米安保条約という軍事同盟が憲法の理念・条項を浸食してきた歴史でもあった。このことは日米軍事同盟という実質的な戦争国家化と交戦権と戦力の保持を放棄した平和国家という建前が共存してきたこと、要は平和国家としての建前を維持しながら実質的な戦争国家としての歩みを着実に進めてきたのが戦後の日本なのだ。

 こうした現実は、戦争もできる普通の国家を志向する勢力と平和国家志向勢力の攻防の一時的な解決策、妥協の産物であり、要は日本という国はそうした矛盾を抱え込んだ国家でもある、ということなのだ。

 本来はそうした矛盾をどういう方向で解決するかの攻防戦であり、その場合には、規範としての憲法を持ち出して実態としての戦争国家に対抗するという立場は、堂々めぐりに終始するか、引き分けにならざるを得ない。

 現に立憲民主党の選挙公約では、9条改悪に対置するものとして「領域警備法制定」と「憲法の枠内での周辺事態法強化で専守防衛を軸とする現実的な安全保障政策を推進する」としている。これらは再軍備初期の自民党的立場と共通のものであり、事態の推移によって変わったり進化するものでしかない。要するに主権国家とその国家の自衛権を認めた瞬間に、戦後日本がそうであった様に戦争放棄や戦力の不保持という理念は空洞化せざるを得ないのだ。

◆現状変革という立ち位置

 立憲主義について少し言及してきたが、同じような事実認識をめぐる違和感は他にもある。たとえば議会制民主主義や働き方など労使関係に関わる問題、あるいは格差社会が抱える問題などだ。

 一例として保守派による立憲民主党評を見てみる(11月3日 朝日新聞)。保守派の論客とされる佐伯啓思氏によれば、最近の保守リベラルという対抗関係は,意味をなさなくなっている、という。具体的には、安倍首相が憲法改正や「生産性革命」それに「人づくり革命」や「働き方革命」など矢継ぎ早に打ち出し、なにか〝改革者〟のごとく振る舞っている。それに対し、革新やリベラルの側は、「生活を守れ」「弱者を守れ」「地域を守れ」「平和を守れ」「憲法を守れ」で、これではどちらが保守か分からない、と皮肉っているものだ。

 革命とはそれまでの生活が続けられなくなる局面で発生するもので、「生活を守れ」という旗印が保守と決まっているわけではないが、それにしても、確かに「守れ,守れ」では現状変革の気迫が感じられないのも確かだ。同じ事は例の戦争法、安全保障法正反対闘争の場面でも当てはまる。反対派の声として、安保法の強行成立でこれまでの平和国家が戦争をする国に変質してしまう、あるいは憲法違反の安保法が通れば,現状の国民主権が崩されてしまう、というような言葉も繰り返されてきた。

 それはその通りだとしても、どこか違和感がある。現状をどう認識しているのか、反対の論拠がどこに求めるか、に関わるもので、どこかが違う。

 私などは安保法の強行成立について、平和国家が〝変質〟してしまう、などとは思わない。米国の対日占領政策の変更とその受け入れ、要は日米安保と自衛隊保有によってすでに日本は軍事国家、戦争国家になったのであって、ただしそれがいくつかの要因によってタガをはめられてきた、それがまた一つタガが外されてしまった、と受け止めるだけだ。言葉を換えれば、鎧の上に着た建前としての〝平和国家〟という服をまた1枚脱ぎ捨ててしまった、というものだった。日本丸という船が進んでいる方向は、だいぶ以前から戦争国家への航路だったと思うからだ。

 同じような感想は他にもある。国民主権の破壊、立憲主義の破壊という主張も同じだ。そうした声の背後にあるのは、現在の日本は国民主権や立憲主義が貫かれてきた、それが壊されようとしている、という受け止め方だ。

◆主体形成と一体で

 私などはそうは思わない。かつて「民主主義は工場の門前で立ちすくむ」という言葉があった様に、会社内、労使関係では人民主権・労働者主権などあるはずもなかった。議会制民主主義も同じだ。数年に一度の選挙のときだけの主権者扱い。〝公約は破るものなり〟の横行、国民主権などどこ吹く風の〝ムラ政治〟や政官業癒着構造や最近の〝忖度(そんたく)〟政治。どこに人民主権主義があったというのだろう。

 このところ言われている首相による解散権の制約の話もそうだ。任期の4年間解散がないとすれば、有権者の意志はどう政治に反映されるのだろうか。その間の期間はまたしても白紙委任なのだろうか。対案としては一面的に過ぎると言わざるを得ない。物事には裏表がつきものなのだ。〝決められない政治〟を散々批判し、強行採決を繰り返す〝安倍独裁政治〟を招いたのはつい最近のことだった。その教訓はどこに生かされているのだろうか。

 まだある。このところの非正規雇用増加の話。確かに雇用破壊であることは間違いない。その対案として正規雇用、正社員化が叫ばれている。これも一面では正しい。が、かつての終身雇用・年功賃金・企業内組合という日本的労使関係のなかでこそ、労働者の団結が破壊され、会社人間(社畜)・企業戦士や過労死など社会問題化したのではなかったか。均等待遇の実現とそれを可能にする企業横断的な労組づくりこそが問われているのだ。

 まだまだある。グローバル経済化を背景とした一部の特権層への富の集中、進む貧困化社会、要するに格差社会、階級分断社会の進行だ。対案は単なる中間層の再生などではあるはずがない。富を独占する一部の特権層、あるいは巨大多国籍企業との闘いの問題なのだ。であるならば、その闘いを担う主体の形成、要は労働者や庶民の闘う力を結集できる様な共通の要求を発見し、それを政策化することが肝心なのだ。

 そのためには正確で正当な事実認識が前提となる。現状は満足すべき状態であって、それを壊すのが悪い人たちなのだ、という認識からは、悪いのは、改めるべきは現状を変えようとする相手側である、という結論しか出てこないし、自分がどうすべきかという発想もわいてこない。そうではなくて、現状自体が問題を抱えているのであれば、現状を打破し変えていくのは自分たちしかいない、自分たちこそが行動を起こす以外に解決策はない、と思いを拡げていけるかどうかが問題なのだ。

 枝野代表は、自分がめざすのは「お互いさまに支え合う社会」だとし、かつての池田首相や大平首相が率いた自民党の派閥である宏池会的な立ち位置でもあると説明している。保守層も念頭に置いたものだろうが、そうした保守リベラルが安倍自民党への対抗軸となり得るかは怪しい。あったとしても自民党的政治の範囲内、そのジグザク路線の一翼を担うものでしかないだろう。

 立憲民主党の野党第一党としての闘いを推し進めるかぎり、私たちとしても、同じ方向を向いた闘いができるだろうが、立憲民主党を後押しすればよいと安易に考えるならば、裏切られるのは私たちだ、ということになる。(廣)案内へ戻る


 「働き方改革」に対するオルタナティヴは?

1、「先送り」された基本法案

昨年の九月に「働き方改革実現会議」が設置され、約半年かけて「九つの論点」(長時間労働の規制、同一労働同一賃金、高齢者と若者・女性、外国人材、テレワーク、転職の推進など)が議論され、今年三月に「働き方改革実行計画」がまとまりました。これをもとに「働き方改革基本法案」が策定され、九月に予定されていた臨時国会に上程されるはずでしたが、二つの番狂わせが起きました。ひとつは法案に「高度プロフェッショナル制度」(脱時間給)という改革に逆行する内容が盛り込まれたこと。もうひとつは、安倍政権の突然の解散総選挙で、法案提出が先送りされたことです。総選挙後の臨時国会における安倍首相の所信表明演説では、焦点は「生産性・人作り革命」と「憲法改正」にシフトし、「働き方改革」は後景に退いてしまいました。

とはいえ、「働き方改革」を打ち出さざるを得なかった底流にある、過労死を生み出す長時間労働や、格差・貧困への労働者の怒りは、依然として根強いものがあります。また資本の側も、労働人口減少社会に直面し、これまでの男子正社員中心の企業主義的労務管理から、高齢者・女性・外国人を本格的に労働力として位置付ける方向に、雇用のあり方を転換せざるを得ないという使用者側の課題も厳然として存在しています。こうした事態に、労働者の側からいかに闘うのかが問われています。

2、労働者の課題を「闘争」と「構想」から考える

 働く者の側の課題は、ひとつには「資本の搾取」に対する(階級的な)闘いを様々な方面から推し進めていくこと、もうひとつは資本主義的ではない協働組合的(アソシエーション的)な「新しい働き方」を模索していくことだと言えます。「闘い」と「構想」の両面から考えてみたいと思います。

①労働時間の短縮と自由時間革命

過労死を生み出す長時間労働は、正社員にも非正規労働者にものしかかっています。正社員の側では、開発プロジェクトを担う担当社員が、多くは「裁量労働制」のもとで、際限のない長時間労働によるうつ病を発症し、自殺に追い込まれています。また、長距離トラック運転手や建設業では、極度の緊張が長時間続くことで、脳血管障害や心筋梗塞などによる過労死をもたらしています。

他方、非正規労働者は、低賃金のもとで生活を維持するために、ダブルワーク(トリプルワーク)により、長時間労働に縛り付けられ、精神的にも疲弊しています。子育てや介護もうまくいかなくなり、生活苦のため抑うつ状態になり、自殺に追い込まれています。
労働時間自由時間の規制と、生活できる賃金の保障により、大幅な労働時間の短縮を要求して、労働者全体が階級的に闘うことが課題になります。

さらに、労働時間の短縮によって得られた自由時間は、職場の内外の社会的活動に振り向けていくことが可能となります。労働現場では、自らの生産するモノの安全性や社会的有用性について、消費者や市民と直接交渉することで、労働の意味を取り戻すことが可能になります。さらに、自由時間を使って、地域社会に出て社会活動に参加し、自然エネルギーや安全な農産品の流通、地域の人々と共に介護や子育てのシステムを共同で作る、自主的な地域社会作りを展望したいものです。

②ラディカルな同一労働・同一賃金

 そもそも「同一労働同一賃金」は、大企業と下請け企業の「賃金の二重構造」が問題となって以来の労働者側の要求でした。今では、正社員と非正規労働者の格差となり、貧困の温床となっています。最低賃金を大幅に底上げし、生活できる雇用環境を要求して、階級的闘いを推し進めることが課題です。

それと共に、日本型企業主義労使関係のもとの男子正社員中心に制度設計された「年功序列型・職能給型賃金」のあり方を見直し、「仕事給型・生活型賃金」に転換し、シングルマザー、シングルファザーでも、子育てや介護をしながら、人間的な生活を営めるような賃金のあり方、そして社会保障給付(介護・育児・教育・疾病)との組み合わせを確立しなければなりません。

③ワークシェアリングと男女平等、高齢者・障害者の労働参加

 今や、資本の側が、労働者の雇用を男子正社員中心から、高齢者、女性、外国人にシフトしていこうとしています。それは、すべての人々をバラバラに個別化して、搾取の対象にしていこうということに他なりません。

これに対して、労働者の側は、高齢者、女性、外国人、それぞれの立場からの階級的闘いの領域を広げていくことが課題となります。

さらに、私たちは様々な立場の人々が連帯して、社会的労働を共同で分かち合うために、ワークシェアリングの視点を持つことも必要です。子育・介護を含む男女の労働分かち合い、教育を受けた若者が複数の職場をローテーション的に経験し豊かな社会的労働能力を獲得できるしくみ、高齢者の社会経験を活かせる労働ポジションの設定、様々な障害のある人々がそれぞれの多様性にもとづき社会的労働に参加できるしくみ、等々。

④労働者自主管理とアソシエーション的な労働者協働組合

 現在の企業内では資本の力が圧倒的に強く、労働組合は職場では形骸化してしまい、労働者の人権を守れない惨憺たる状態に陥っています。こうした労使関係を「経営側の専決的管理運営」から「勤労者民主制」(労働者統制)へ転換するために、労働者一人一人が人権意識を取り戻し、職場組織を再構築することが必要です。

さらに、社会連帯型協働組合を組織し、企業にしがみつかなくても働ける社会環境を作ることも展望したいものです。「使われる」立場から、事業の運営を共同で管理する立場になっていくことも考える必要があります。

3、働く者の人権を大切に

 いろいろな方面から「オルタナティヴ」を提起してみましたが、もちろん、これらは一挙には進むものではないでしょう。しかし、そうした「構想」を掲げながら、一人一人の労働者が、自分の人権を、また仲間の人権を大切にし、できることから手がけていくことが重要だと思います。

過労死遺族の裁判闘争をあちこちで全力応援しましょう!様々な労働者グループと連帯し労働関係の法案の国会審議を包囲する闘いをくりひろげましょう!各分野(女性労働者・障害者・外国人支援・労災問題など)の対厚生労働交渉に参加しましょう!各職場で「三六協定」をチェックし、形骸化した「労使協定」「労働協約」に職場の声を反映させましょう!

 小さなことで良いから、自分の職場や地域で出来ることに取り組みながら、世界や未来の変革を構想しましょう!(松本誠也)案内へ戻る


 読書室 『自発的対米従属 知られざる「ワシントン拡声器」』
     猿田佐世氏著 角川新書 本体価格 860円

 日米外交の問題点を日本政治に大きな影響力を及ぼしてきた少数の知日派と日本の政治家やマスコミなどが、互いを利用し合い政策を日本において実現していくという、ある種の共犯関係に基づいた「自発的対米従属」とも「みせかけの対米従属」とも言える状態が、戦後七十年間続いてきたとの猿田氏の現状認識は正しいものであるか!

 今回読書室で取り上げる本書は、紹介文でも書いたように現在の日本の対米外交の本質をある種の共犯関係に基づいた「自発的対米従属」、つまり日本は本当は対米従属なのではなく「みせかけの対米従属」だと捉える猿田氏の現状認識が述べられたものである。

 ここ数年にわたりこの読書室を通じて私は孫崎享氏の『戦後史の正体』を嚆矢として、更に孫崎氏の本の出版に関係して触発され最近では精力的な執筆活動を展開している矢部宏治氏の数々の本を取り上げては、詳しく丁寧に紹介してきた。

 矢部氏の第1作目の著書は『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること』である。まさにこの本が矢部氏の著作のプロローグである。続いて『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』を書く。この本が日米安保体制の法律面からの解明書である。引き続き『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』を書いた。この本は書き続ける過程で次々に沸き上がる彼自身の疑問を解明したものであり、更に『戦争をしない国 明仁天皇メッセージ』を書き、今上天皇の平和のシンボルとしての行動と発言を紹介したものである。そして『日本はなぜ、「戦争が出来る国」になったのか』が書かれた。この本は日本の自衛隊の指揮権が米軍にあることを暴露した決定的な本である。

 これらの本の累計は約18万部になる。こうしてこの5冊書き上げたまとめとして、今夏に出版された著作が、この『知ってはいけない』(講談社現代新書)なのである。

 この『知ってはいけない』の目次は、以下の通りである。

 はじめに
 第1章 日本の空は、すべて米軍に支配されている
 第2章 日本の国土は、すべて米軍の治外法権下にある
 第3章 日本に国境はない
 第4章 国のトップは「米軍+官僚」である
 第5章 国家は密約と裏マニュアルで運営する
 第6章 政府は憲法にしばられない
 第7章 重要な文書は、最初すべて英語で作成する
 第8章 自衛隊は米軍の指揮のもとで戦う
 第9章 アメリカは「国」ではなく、「国連」である
 あとがき
 追記 なぜ「9条3項・加憲案」はダメなのか

 このように『知ってはいけない』は、第1章から第9章までの表題をまさに9本の横糸とし、全体を貫く太い2本の縦糸は日本の最高法規は米国との密約と日本の最高議決機関の月2回開かれる非公開の日米合同委員会として個々の点での深い関わりが論じられている。したがって重層的で稠密に織りなした決定版と表すべき著作でまさに矢部氏渾身の著作であり、敗戦後の日米関係と戦後日本の国家体制の秘密を暴いたものである。

 まさに孫崎氏と矢部氏の努力によって、米国と戦後日本国家体制の真実の関係がザワザワと日本の労働者民衆に伝えられている状勢である。これに対して猿田氏の現実認識は正反対であり、まさに真逆である。なぜなのであろうか。私がこの本を紹介されたのはワーカーズ会員からであるが、それは私に更にもっと研究せよとの薦めてであったと考える。

 猿田氏の本の構成は、はじめに、第一章 外交は劇である、第二章 自発的対米従属、第三章 トランプ・ショックと知日派の動向、第四章 今後の日米関係の展望 第五章外交・安全保障における市民の声の具体化のために 第六章 今、日本の私たちがなすべきこと となっている。この本の核心部分は第二章にあるが、ここに猿田氏の対米従属を見せかけのものとし、黒を白と言いくるめる牽強付会の議論の弱点も集中的に現れている。

 猿田氏は私自身も知らなかったが、新外交イニシアティブ(略称ND)の事務局長をしている40代の私学出身の女性弁護士で、日米外交に市民の声を反映させるためのロビー活動をしているとのこと。しかし問題は彼女自身の立場である。彼女は本書で告白しているようにマイケル・グリーンの教え子であり、主観的には日本の自立をめざす活動家だ。

 その点、マイケル・グリーンの鞄持ちだった小泉進次郎氏や小池都知事がグリーンのスカーフを翻してマイケル・グリーンの威光をちらつかせる手法のような露骨なことはしていないが、猿田氏自身、マイケル・グリーンの手の内に人物であることは間違いがない。

 その何よりの証拠には、本書で記述されている知日派に対する巧妙な弁護があることだ。

「日本の政策に多大な影響を及ぼしていることをもって、アメリカの対日派を批判する人も日本には多いが、一歩引いて考えれば、別に彼らが悪いわけではない。知日派が日本に対して、自国アメリカの利益として最善だと思うことを『こうしてほしい、ああしてほしい』と言うのは、ある意味アメリカ人としてしかたのないことである」「日本からの資金提供により、もともと彼らが持っている価値観を曲げて発現しているわけでないだろうことは、私も承知している。むしろ、自ら「対米従属」を選びながらそれを隠し続け、従属させられている振りをしてきた日本政府のほうに問題がある。その政府を選んでいるのは私たち日本国民である」(同書123~124ページ)と猿田氏は問題の所在を指摘す る。

 が、カート・キャンベル・ジョセフ・ナイ・マイケル・グリーンらは単なる知日派ではない。彼らはジャパン・ハンドラーと呼ばれていることを猿田氏は敢えて触れないままでいることを私たちは咎めないわけにはいかない。そもそもアメリカのソフト・パワーという概念についても、猿田氏はまるで知らないかのように振る舞っているのも異様である。

 更に猿田氏は改定されたこともない日米地位協定・在日米軍に対する思いやり予算等を見ると、日本は一見、アメリカの属国のようにも思われると言いつつも、直ちに否定してみせる。そして「これらはある部分、『みせかけの対米従属』であり、自分たちにとって都合のいいよう、『恣意的に選択された対米従属』である(政治学者の白井聡氏は「自発的隷属」という言葉を使っている)。『恣意的に選択された対米従属』の典型として、日米地位協定を挙げることができる」(本書125ページ)とまで猿田氏は断言する。

 この本自体の出版が2017年3月にもかかわらず、2009年の鳩山政権の誕生と普天間基地移転問題での退陣に一切触れないのも異常である。そして「米国の圧力によって鳩山政権が倒れた」との総括がある中、その評価に猿田氏が異議を唱えないのも異常だ。

 ここまでくると私は形容すべき言葉を失う。まさに矢部氏とは真逆である。更には『永続敗戦論』を書いて日本の対米従属を永続敗戦として定義した白井氏の悪意ある局所的引用で「みせかけの対米従属」説の補強に使おうとするの猿田氏の姑息な手口をご覧あれ!

 孫崎氏が高く評価した若手政治学者の白井氏は「純然たる『敗戦』を『終戦』と呼び換えるという欺瞞によって戦後日本のレジームの根本がなりたっている」(『永続敗戦論』37ページ)と喝破し、「ゆえに問題は、日本が政治的・経済的・軍事的な対米従属を強いられているとして、その責はわれわれの国家・社会の側にある、ということを徹底的に自覚することにある」(『同書』130ページ)と明確な定義を与えたが、何と彼に対してさえ、猿田氏は「自発的隷属」論者だという仄めかしで仲間にしてしまうのである。

 今回のトランプ訪日に際して、トランプが羽田国際空港を利用せずに直ちに横田基地から入国し、六本木のヘリポートを経由して埼玉県にあるゴルフ場に直行したことを孫崎氏や矢部氏らが日本が米国陸軍の占領下を告知する為の公然たる非礼を糾弾していることや更に横田空域内を自由に行動したことを批判していることに対して、猿田氏は一体どんなコメントをするのであろうか。実際、反安保闘争が頂点に達したアイク訪日断念も、横田基地利用ではなく羽田空港利用を想定していたことを今こそ思い出す必要がある考える。

 今こそ猿田氏の本書を反面教師として私たちは読み抜かねばならない。そしてその彼女の論理打ち破る為、私たちの闘いにしっかりと理解していく必要性を感じる。

 私が猿田氏の本書を読み、一言で批評するとしたら「真実はかく偽る」である。(直)案内へ戻る


 「エイジの沖縄通信」(NO.45)・・・「日米同盟の実相」とは!

1.米軍属による女性暴行殺人事件の裁判

 昨年4月女性会社員を暴行し殺害したとして、殺人罪などに問われた元米海兵隊員で当時軍属だったケネス・フランクリン・シンザト被告の裁判員裁判が16日と17日に開かれた。

 シンザト被告は「殺すつもりはなかった」と殺意を否認する一方、強姦致死と死体遺棄の罪は認めたが、その後被告は黙秘権を行使して検察・弁護側双方の質問に答えなかった。 一方、検察側は「ナイフで首の後ろを3~4回刺した。後頭部も棒で5~10回殴打しており、殺意が認められる」と主張。

 被害者の父親は「遺族は極刑を望みます。命をもって償ってください」と。母親も代理人を通じて「いまだに心の整理がつかない。娘は恐怖におびえ、痛み、苦しみの中でこの世を去りました。悔しいです。無念で胸が張り裂ける思いです」と裁判官らに訴えた。

 24日(金)には論告求刑公判が開かれ、検察側は「極めて残酷で身勝手な犯行だ」として無期懲役を求刑した。弁護側は最終弁論で、殺意を改めて否定した。

 判決は12月1日(金)に言い渡される。

 被害者が遺棄された現場には今も献花台が置かれ、手を合わせる人が後を絶たないと言う。この事件に対する県民の関心の高さの背景について、沖縄タイムスは次のように述べている。

 「戦後72年続く米軍関係事件事故の多さがある。本紙が調べたところ、復帰後から2014年までの米軍人・軍属やその家族による刑法犯罪の検挙件数は5862件。うち『殺人』『強姦』などの凶悪犯罪は571件で、戦後から昨年までの『殺人』『強姦』などの犠牲者は少なくとも620人に上る。在日米軍専用施設の70%が集中する沖縄。『これほど集中していなければ事件事故はなかったであろう』との重いが県民から消えることはない」

2.今度は米兵飲酒運転で死亡事故起こす

 被害者の家族に取っては極めて辛い裁判が続いていた19日、米海兵隊員が飲酒運転事故を起こし男性を死亡させる事故が発生。

 その事故の内容を聞き驚く。朝の5時頃、酒気を帯びた状態で軍の公用車(2トントラック)を運転し、交差点で信号を無視して交差点に進入して会社員が運転する軽トラックと衝突して会社員を死亡させた。

 事故後、米軍側から公務外という連絡があったと言うから、この米兵は無断で勝手に公用車を持ち出したことになる。

 翁長知事はさっそく在沖米軍トップのローレンス・ニコルソン司令官に会い「綱紀粛正、再発防止に努めると言っても、県民は疲れ果てて何ら信用できない。とても良き隣人とは言えない」と批判した。

 ところが、ワシントンのロバート・ネラー米海兵隊総司令官は、この事故について「亡くなった方のご家族に哀悼の意を表する。また、事故を起こした海兵隊員にも深い同情を感じている。事故は彼の意図ではなかったと確信している」と述べた。

 責任について言及せずに「深い同情」を示した総司令官の発言にたいして沖縄から猛反発の声が上がる。「あまりにも傲慢で上からの目線だ」「軍を守る意識が第一にあって、地元住民への哀悼の言葉はリップサービスで言っているだけだろう」「事故を起こした当事者感覚がないと思う。ますます腹立しい」「沖縄から離れるほど、沖縄の存在は切り捨てられている感じがする」等々。

3.米軍機また墜落

 22日(水)午後、沖縄・南大東島から南東約700キロの公海上で米海軍の原子力空母「ロナルド・レーガン」の艦載機C2輸送機が墜落して、搭乗員11人のうち8人は救助されたが3人が行方不明とのこと。

 C2輸送機は米軍嘉手納基地にもたびたび飛来し、22日も墜落した機体を含む2機が飛来し、補給後午後1時ごろ飛び立ったと言う。

 在日米軍の航空機事故が続いている。

 8月には、普天間飛行場所属のMVオスプレイがオーストラリア沖で揚陸艦への着艦に失敗し墜落。10月には、東村高江の民間地に普天間飛行場所属のCH53E大型輸送ヘリコプターが不時着し炎上した。ヘリの部品に放射性の材料が使われていた事で、放射線被曝が大きな問題となった。また、被害を受けた土地所有者は「良質な牧場農地だったが、もう回復できないだろう」と述べている。

 沖縄では米軍兵士による事件が多発し、そのたびに被害者とその家族の悲劇がずっと続いてきた。また米軍機の墜落事故もずっと続いている。米軍専用施設の約74%を押し付けられてきた沖縄は、戦後72年間このような事件・事故に苦しめられてきた。

 米兵の犯罪・事件が起こるたびに「日米地位協定」について、「免法特権や治外法権」の事や、米軍優位の権利関係について改訂の必要性が長年何回も何回も指摘されてきたが、まったく改訂は進まない。

 また、基地問題についても政府は口を開けば「負担軽減!負担軽減!」と言うが、沖縄からは「政府が言う基地負担の軽減なんてうそ」と指摘される。

 米軍の事件・事故が起こっても安倍首相の口からは米国に善処を求める言葉が出ることはない。対等な同盟とはほど遠い宗主国と植民地にも映る日米関係。さらに国内での本土と沖縄の差別構造。これが「日米同盟の実相」と言える。(富田 英司)案内へ戻る


 コラムの窓・・・ IRカジノの皮算用?

 図書館に新聞のコピーを取りに行って、面白い記事をみつけました。目的の記事は11月6日の日本経済新聞に掲載された地方公務員法の改正に関するもので、「非正規の待遇、改善に道」という見出しがついているものです。2020年4月から「会計年度任用職員」という制度が創設されるというのです。そこに自治体の非正規労働者の時給(昨年4月1日現在)の表があり、最下位は美浦町(茨城県)の599円で、これは最低賃金を割り込んでいます。600円台、700円台の時給が多くあり、まさに官製ワーキングプアそのものです。

 法改正について、総務省は「正規と非正規を同じ考え方で処遇していただく」としているようですが、新制度がまともな労働者処遇を実現するとは思えません。職場にまともな労働組合がないなら、非正規労働者の処遇改善どころか正規労働者の労働条件も維持できません。
とりわけ、安倍自公政権による〝働かせ方改革〟がわずかに残された労働基本権を瓦解させつつある今、懸命な闘いによって対抗しなければ生活を守ることはできません。 さて、面白い記事とは「日本型IR~観光振興と経済成長のために~」という全面広告。提供は米日経済協議会で、内容は9月13日に東京で開催されたIR推進のセミナーの報告です。萩生田光一自民党幹事長代行は「家族連れで楽しめ、日本の魅力のショーケースとして観光地に送客し、地域経済に寄与できる日本型IRを実現したい。また、財政立て直しへの貢献も大いに期待されるところだ」と〝期待〟を吐露しています。

 米国関係者は、あけすけに「世界の投資家にとって日本は天国となった。以前のような株式持ち合いが解消され、日本企業がオープンになったからだ。内部留保と世界から集まる投資、日本は成長に投資することができる環境にある」とあけすけに語っている。さらに、オックスフォードエコノミックスとかの試算によれば、「首都圏にIRができた場合、直接的経済効果は1兆2000億円、間接的なものも含めた経済効果では2兆2000億円と予測されている。雇用創出も、直接的なもので3万4500人、全体で10万3000人という予測だ」

 大阪の場合も試算されていて、「それぞれ8000億円、1兆6000億円、2万6000人、7万7500人」とか。ハイエナのように襲いかかる、〝誰が何に〟と問うも愚かでしょう。経済効果という美味しいエサをぶら下げ、全てを奪いつくす、冷静に考えれば、博打で金儲けして、豊かな社会を築けるわけがないのです。

 セミナーでは依存症についてのセッションもあったようですが、米大学教授は「依存症の人は、ほんのひと握りに過ぎない。大多数は娯楽でギャンブルを楽しんでいるのであり、たったひと握りの人のためのセーフティネットが、その楽しみを奪うことがあってはならない」などと言っています。呆れ果ててものも言えませんが、IRカジノ推進勢力の意識はそんなもの、仕掛けている奴は狡猾で踊らされている奴は愚か者というところでしょうか。 (晴)

ギャンブルオンブズマン「なくそう!ギャンブル被害」http://gambl.seesaa.net/


  読者からの手紙  ふかまち ゆたか氏からの手紙

 始めに、先日亡くなられた元赤軍派議長・塩見孝也氏について若干のコメントを記したい。

 一口に左翼(主にマルクス・レーニン主義)といっても幅が広い。私のようないわゆるカッコ付きの口先だけのエセ左翼もいるし、故元赤軍派議長の塩見孝也氏のように社会主義を実現するのには、暴力が不可欠だと主張し、果敢に武装蜂起を実践しようとした人もいる。私は当時否、今もそうであるが、左翼の主流の考えである、資本の専制・抑圧から労働者を解放するだけでなく、戦争・ナショナリズムの基盤たる国民国家を打倒し、国家を否定・国境をとっ払い、世界人民の連邦社会をめざす思想・理念に共感する。但し、あくまで理想的な抽象的な観念・イデオロギーにとどまる。

 旧ソ連邦始め、かっての東ヨーロッパ諸国のみならず現在のいわゆる社会主義を自称する中国・キユーバ等の諸国の現状は、自由無き物質的にも不平等の一党独裁の抑圧国家そのものだ。

 マルクスは、資本主義のメカニズムを精密に深く堀り下げた秀れた革命思想家であったが、資本主義に代わる社会主義更に発展したインターナショナリズムの結晶である共産主義の具体的構想シナリオは描けなかった。それ故、人類最初の社会主義革命を成功させたレーニン・トロツキー等がやろうとした社会主義はマルクスのおぼろげな概念である生産手段の国(公)有化、中央(官僚)権力による計画生産を中心として社会主義を推進したが、結局は壮大な実験に終わり、寧ろ膨大な人命を反革命という大義名分の下、強制収容所に押し込めると共に、殺した。

 社会主義の歴史的な意義は、資本主義の非人間的な労働者・人民の貧困・疫病を軽減・緩和する社会保障政策を引き出したことにある。旧ソ連邦の人々は、かっての旧ソ連邦の年金・医療・教育等の充実した社会保障をなつかしんでいる。しかし、社会保障の充実について言えば、経済的にも比較的豊かなスウェーデン等の社会民主主義の理念が浸透している資本主義諸国の方がはるかに優る。

 革命後の無残、人間としての基本的人権である思想・言論の自由、労働者の団結権等が奪われ,否定された社会主義がいかに非人間的管理全体主義国家であったか。果たして、人類は科学・技術を基盤とした物質的生産力・物質文明は著しく進歩したが、肝心の人間性の発現である融和・共生・協同の理念・実践は極めてぜい弱、むしろ退化している。そのカギを握るのが政治であろう。しかし、実に厄介、ある意味、危険、人間の理性を疑いたくなるシロモノである。政治の重要かつ適正に執行運営することの問題点をいみじくも、「ワーカーズ(2017/11/1 576号)」に掲載されたお二人の文に考えさせるものがある。お二人の共通テーマは、今回の衆議院議会選挙神奈川11区候補者である「労働の解放をめざす労働者党」の圷氏の選挙活動である。

 松本誠也氏は、選挙区から遠く離れた九州での見聞であり、又、私自身も松本氏と同様の素朴・シンプルな圷氏への支持でしかない見解があるだけだが、松本氏の圷氏に「奮闘」下としか述べていないのに対し、(せ)氏は地元にいるだけに圷氏の現代版ドン・キホーテ的姿を暴いた。表現は厳しい、辛らつだが。

 圷氏は典型だが、又、圷氏ほどではないとしても左翼の現状分析は鋭いが、どうしたら在るべき社会主義社会に近づける構想・アポローチの方法・変革主体をいかに形成 ・組織化できるかが、殆ど明らかにされていないし、模索試行されていても依然五里霧中にある。圷氏の高まいなスローガンである労働者の解放とは具体的にいかなる方法をもってするかも大切だが、選挙活動そのものが到底、ブルジョワ選挙以下のレベル・意識・思考では全くの茶番劇である。

 私も人のことをいえないが、左翼共通の現実を無視しないまでも、リアルに実相を見抜き、大衆に分かりやすく、共感・納得できる手段を獲得できていない。社会主義党派・民主的人士に多くみられる観念に酔い、自らの解釈する理論・思想のみを絶対正しいものとし、そうでない解釈・見解を排除・断罪する独善・狭量の思考・価値観を反省、精算できていない。

 分裂・内ゲバをやっているうちに、新たな戦前の復活、強化の時代に突入してしまった。天皇制民主主義のくびきから解き放ち、民主国家へと志向する流れは弱いが、全くの絶望でもないと自らをはげましているけれども。(2017/11/17 深町豊)案内へ戻る


 色鉛筆・・・後を絶たない過労死に思う

 過労死された遺族を支え合う「全国過労死を考える家族の会」は、全国で18ヵ所にも及びます。過労死防止法が成立したのが2014年6月20日、その成立に向けては家族の会の精力的な働きかけがあったからです。

「兵庫過労死を考える家族の会」共同代表の西垣迪世さんを講師に招き、10月21日西宮市で過労死を考える講演会を持ちました。1時間半の講演では、過労死で亡くなった息子・和哉さんの職場での強制的な長時間労働の実態が明らかになり、精神的にも追いつめられうつ病を罹患、つらい経過をお話ししていただきました。

 私が驚いたのは、労使で結ぶ36協定で1日13時間の残業を認めていることです。たとえ、期限が迫った政府依頼のソフト開発といえ、1日21時間 の労働を強いる会社の姿勢は普通ではありません。しかし、3ヵ月300時間の残業も認め、さらに特別な事情が生じた時は延長も可能とする36協定に、川崎北労働基準監督署の認めたスタンプが押してあったのです。

 労働基準監督署は、この働き方で本当に労働者の命が守られると判断したのでしょうか。私は、講師の西垣さんが言われた、もう労働組合にも期待できないとしたら家族と市民が協力して、会社の労務管理を監視しなければならない事態になっている、という指摘に頷いてしまいました。

 そして、11月17日には神戸で厚労省主催の過労死防止対策のシンポジュウムが開かれ、参加してきました。残念ながら、会場には背広姿の男性が多く市民の参加は少数でした。講演には、精神科医師の天笠崇さんがメンタルヘルス対策として、健康経営をあげ、企業が従業員の健康に配慮することで経済面においても大きな成果が期待できると主張。長時間労働を強くことは、労働者には大きな負担となり、必ずしも生産性を上げることにつながらないということでしょう。

 家族の会からは、過労で病気となったが、他の職場で復帰できた男性のアピールや、30代の夫が過労で倒れたが一命を取り留めた例など、家族の真剣な訴えでした。製菓工場で働いていた20歳の男性は、パワハラや嫌がらせで線路に飛び込み自死してしまったこと、2度と同じような犠牲者が出ないようにと母親から企業の経営者に向けて訴えがありました。働く者にとっては、体が資本、健康であり続けることの大切さを改めて確認し、市民による監視と声を上げていくことの課題を皆さんと共有したいと思います。(恵) 案内へ戻る