ワーカーズ578号 2018/1/1
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米軍ヘリ 窓落下事故 許せない!沖縄基地の問題は本土に住む人たちの問題でもある!
12月13日、沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場に隣接する普天間第二小学校の校庭に、米軍大型ヘリコプターCH53Eの窓が落下しました。これにより児童がけがをしました。一歩間違えれば死者が出ていた状況です。
それにもかかわらず米軍は、事故からわずか6日でヘリの飛行を再開しました。到底許せません。
ヘリ飛行再開について翁長雄志知事は19日、記者団に「保育園や学校という子どもたちにとって一番安全であるべき場所で重大事故を繰り返し、わずか6日で飛行再開を強行した米軍の姿勢は県民の理解を得られない」と述べ、強く抗議しました。
また飛行再開を容認した政府に対し、「県民に寄り添う姿勢とはかけ離れている。今後の事故の責任は米軍はもとより、日本政府にもある」と強調しました。
沖縄県議会(新里米吉議長)は21日午前、11月定例会最終本会議を開き、米軍普天間飛行場所属のCH53E大型輸送ヘリが宜野湾市の普天間第二小学校運動場に窓を落下させた事故に対する抗議決議・意見書を全会一致で可決しました。普天間所属の米軍機による保育園、学校、病院、住宅など民間地上空での飛行・訓練の中止を求めています。
抗議決議と意見書は「米軍機の事故が後を絶たない実態は、米軍の安全管理体制や再発防止が機能していないことを示し、県民の米軍に対する不信感は一層高まっている」とし、徹底的な事故の原因究明と結果の公表、政府が約束した普天間の5年以内の運用停止の実現も求めています。
米軍機といえば、最近では保育園の屋根の上で米軍ヘリの部品が見つかっています。沖縄県によると米軍機の落下事故は、1972年本土復帰から67件(12月1日現在)発生しているそうです。
2004年8月には、沖縄国際大学の敷地内に飛行訓練中のCH53Dが墜落して炎上、乗員3人がけがをしました。
また1959年6月には、宮森小学校に米軍ジェット機が炎上墜落事故を起こしました。学童11人、住民6人が犠牲となりました。
このような状況ですが、本土のマスコミは沖縄のひどい状況をあまり報道しません。これではダメです。マスコミは、沖縄の事実をきちんと報道するべきです。
アメリカに思いやりを持つ前に沖縄に思いやりを持て!
17日、ウーマンラッシュアワーが、ある番組で辺野古や高江の基地問題、原発などの状況を風刺する漫才を行いました。
基地問題では、「それらは沖縄だけの問題か?」、「いや、日本全体の問題」、「沖縄の基地問題は沖縄だけに押し付ける」すごいテンポのある漫才で大変良かったです。
沖縄基地の問題、辺野古や高江以外にも、宮古島への自衛隊ミサイル基地配備計画、これらに反対します。
みなさん、できることから行動していきましょう。 (河野)
腰を据えた陣形づくりを!――足元から自力・自闘の拠点づくりだ!
昨年の12月で安倍政権発足後5年が経過した。その前の民主党政権への失望もあって安倍自民党の選挙での大勝が続いき、選挙での得票率は3分の1しかないにもかかわらず、小選挙区制度で議席の上では圧倒的な多数を手にしている。そんな安倍首相、執着してきた憲法改定のためならと、金融・財政を含めて何でもありの政策を進めている。
他方では、安倍政権に対し若者ほど支持率が高いという現実もある。野党はといえば、権力志向丸出しの役者に振り回されて混乱するばかり、ここは腰を据えた闘いの陣形づくりが必要だろう。
◆中流崩壊
「中流崩壊」が言われて久しい。日本=総中流社会と言われた時代はだいぶ過去の話。終身雇用・年功賃金・企業内組合という日本型労使関係の三種の神器は様変わりしている。その象徴が4割に迫る非正規労働者だ。
総中流社会の崩壊と並行するかのように、一つの現象が拡がっている。在日コリアンへの「ゴキブリ死ね」などのヘイトスピーチ、沖縄での「土人」発言、生活保護受給者など経済弱者への攻撃などもそうした事例の一つだという(12月21日 朝日新聞 小熊英二氏)。それは識者によると「弱者利権」に対する攻撃なのだという。中韓批判
、マスコミ批判も同系列のもので、発信源は「多数派として満たされていないと感じている人々」だ。要は、本来多数派として自分たちを守ってほしいという欲求があるが、弱者利権のせいで自分たちに光が当てられていないことに対する不満が背景にあるという(木村忠正氏)。
欧米に拡がっている現象も根っこは同じだと言う。移民排斥などを主張する排外主義の拡がりや、トランプを大統領に押し上げた「見捨てられた白人労働者」の不満や怒りも同根なのだろう。
こうした弱者利権や排外主義の背景にあるものとしては、以前から別な見方も出されていた。一例をあげれば、グローバル化の中で進む中間層の解体、その中間層から下層への転落に怯える不安からくるもので、その不安や怒りが自分たちが吸収されるかもしれない下層の人々への攻撃となって現れる、というものだった。
そうした解釈はそれぞれ一理ある。どちらもグローバル化の中で進む格差の拡大や社会の分断という地殻変動に光を当てた視点なのだろう。私たちとしてはこうした衝動的態度は、階級関係の再編という地殻変動に対する転倒した異議申し立て行為でもある、と受け止めるべきだろう。
こうした傾向は、巨大な地殻変動に対する自分たちの無力感を背景としている。本来は企業利益優先のグローバル化を体現してきた多国籍企業やそれと結託している政治に向けられるべきものだろう。が、その対象があまりに巨大なものだから、より攻撃しやすい対象を求めて発散しているのだろう。要は、現実的な打開策を見いだせない、ということなのだ。
◆拡大するギャップ
この総中流社会の崩壊は、別の角度から見れば「失われた20年」という経済停滞の過程でもある。
12年に政権の座に就いた安倍首相によるアベノミクスは、三本柱による低迷する経済からの脱却を掲げたものだった。その三本柱。成長戦略は掛け声倒れ。異次元の金融緩和や財政出動は、いくらやっても2%の物価上昇目標を達成できず、消費・需要・生産の拡大と賃金の上昇という好循環のサイクルに転換できないままだ。
現実に起こっているのは、円安誘導や法人税引き下げによる輸出産業や多国籍企業の利益増大、金融取引の優遇や株価上昇による富裕層への一層の富の集中だった。
一方で労働者はといえば、雇用拡大といってもそれは非正規労働者の増加でしかなく、現実はといえば傾向的なな賃金低下だ。正社員個々人としては実際は現状維持かもしれないが、むしろ生活レベルの現状維持のために、がむしゃらな働き方を強いられているのが現実であり、行き着く先が過労死・過労自死に象徴される長時間労働の蔓延だ。
アベノミクスが、結局は巨大多国籍企業と富裕層を富ませ、労働者は不安定低処遇労働者ばかり増やす結果になっても、なぜか、安倍政権に対する支持率は底堅い。中でも若者ほど安倍政権への支持が高い高い状態が続いている。
昨年の衆院選で比例区での投票先の調査では、自民党と答えた人は全体で39%だったが、10~20代は52%、30代は43%、40代は42%、最低だった60代の34%に比べて若者ほど自民党に投票した人が多かった。
アベノミクスによる景気拡大の恩恵を受けていないといっても、そもそも今の20代30代の若者が社会生活に入る1990年代後半以降という時代は、バブル経済がはじけて「失われた20年」が始まった時代でもあった。若者はいわば経済低迷しか、賃金が上がらない時代しか知らない世代でもある。その世代にとっては何代もの政権が替わっても生活の改善が実感を持ってもたらされることなどなかったわけだ。少なくとも安倍首相に対して、現状の低迷や閉塞状況を打破するために、結果は伴っていないが打てる手はすべて打ってきた、と評価しているのだろう。
それを裏付けるのは政権担当能力に関する調査で、自民党への評価は圧倒的だ。昨年12月の朝日新聞と東大の谷口研究所の共同調査では、政権担当能力がある政党として立憲民主党の18%、民進党の4%に対し自民党は75%という結果だった。
格差の拡大、社会が分断される一方、現状追認志向と政権の支持の気持ちは底堅い。現実の政治・社会構造と意識構造のギャップが拡大していると見る他はない。
◆劣化する政権支持理由
安倍政権への底堅い支持には、その前の民主党政権での苦い経験が大きく寄与している。
民主党政権は、マニフェストで約束したことの多くを裏切った。年金改革、高速道路無料化、後期高齢者医療制度廃止、ガソリン税の暫定税率廃止、普天間基地移設、農家の個別所得保障制度、子ども手当などだ。
そしてマニフェストには記述されていなかった消費税引き上げやTPP加入を決めた。これで一気に政権への期待は霧消し、アベノミクスを掲げる自民党にとってかわられたのだ。
その失望は大きかった。象徴は「子ども手当」の挫折だ。マニフェストでは「子ども手当」は中学生までの子供一人につき月26000円、3人の子供がいれば、毎月78000円、年間93・6万円だ。最後の局面では、この手当てが家庭の誰の口座に振り込まれるのか、つまり夫か妻かそれとも子供名義の口座か、という家庭内バトルという笑えない騒動までもたらした。そのあげくの民主党政権の破綻だ。
こんな経験もした若者世帯の自民党への高い支持率。その原因は、現状への肯定感にも支えられている。現状どう見るかという世論調査で、若者ほど現状への肯定感が高いのだ。高度成長成長期の調査結果と比べて、正反対の結果である。
昨年の総選挙直前に行われた朝日新聞の世論調査では、小規模ではあるが暮らしの満足度に関する調査が行われている。それによれば、「あなたはいま、自分の暮らしに満足していますか?」という質問に、40歳未満では「大いに満足」が13・4%、「どちらかというと満足」が61%、あわせて74%が満足という回答を寄せている。それが40代では52%、50代では61%、60代では59%、70以上では56%だった。若者のほうが一番満足度が高いという結果が出ているわけだ。
ただし、こうした現状肯定の傾向はいつまでも続く保証はどこにもない。安倍内閣の支持理由で、「政策への期待」が落ち、「他よりいいから」という理由が増えているのもその一端だ(以下、朝日新聞)。
安倍政権発足後半年の13年5月の調査では、安倍内閣を支持するが65%、そのうち「首相が安倍さんだから」は12%,「自民党の政策が評価できるから」は51%だった。また安倍内閣の経済政策を「評価できる」としたのが63%、「できない」が19%だった。
安倍内閣を支持すると答えた人の内、その理由を「安倍首相の政策」と答えた人は、政権が発足してから半年後の13年7月は47%で同9月が49%、「何となく」と答えた人が7月で18%、9月で17%だった。質問項目が少し違っているが、それが政権発足5年が経過した昨年12月の調査では、「首相が安倍さんだから」は10%で政策の面が21%でしかなく、「他より良さそう」が47%に増えた。
これらの結果につながった理由は様々だろう。アベノミクスそのものに対する期待は次第に落ちてきているにもかかわらず、現実そのものやアベノミクスにとってかわる対案が具体的なイメージを伴って見えていないということだろう。安倍政権に代わる対案=オルタナティブが見えないということなのだ。
◆まっとうな労働組合の出番
安倍政権に代わる対抗勢力が登場しないことのもう一つの理由として、代替案の実現への道、回路が見えないことも挙げられる。
たとえば、このところ焦点化されている「働きすぎ社会」「働かされすぎ社会」の是正問題だ。昨年、電通の若い女性の過労自殺が労災に認定され、法人としての電通に50万円の罰金刑が確定した事件に関心が集まった。が、現実はといえば、長時間労働は解消される気配もない。
安倍首相も「働き方革命」などと選挙対策や改憲対策の思惑もあって長時間労働の規制に意欲を示している。が、本来、働き方革命は労働者自身の事業のであり、労働組合の課題そのものであるはずだ。が、現実は大手組合をはじめとして長労働時間の規制ではほどんと機能していないのが実情だ。
昨年、働き方革命という旗印の下で、残業上限を月80~100時間未満にするという労働基準法改正案が国会に提出された。この法案で設定された月間80~100時間未満という上限規制は、過労死認定ラインそのものであり、「過労死するまで働かせるのか」と批判が巻き起こっているものだ。
残業時間の法規制は規制の「最低ライン」を定めるものといえるが、労働組合による規制力が弱い中では、実際にはその最低ラインまでの残業時間に公的なお墨付きを与えるものになってしまう。
ここでの第一の問題は、過労死ラインを超える残業時間を労働組合が労使協定で認めてしまっている事実だ。現に、東証の一部上場企業225社の調査によると、今年7月時点で、月間80時間未満が54社、80時間以上100時間未満が84社、100時間以上が41社にも上っている。最高は150時間の労使協定を結んでいた。長時間労働の規制の必要性が注目されている中、一流企業といわれる会社自身が、過労死ラインを超える残業時間を定めているのだ。労組などよる労働組合の力や闘いによる規制力が、まったく機能していない実態がここにも表れている。
個々の職場で労働組合の規制力が発揮できなければ、法律の空洞化は避けられない。風呂敷残業や不申告など闇残業などが増えるだけ。今まさに本来のまっとうな労働組合の出番が廻ってきている場面なのだ。
◆闘いは足元から
その労働組合、現実には多くの御用組合の実態を知るほど絶望感に襲われる。が、本来は労働者の生活改善や権利保護のためには欠かせない組織なのだ。
その労働組合の位置づけや役割での意識変革も必要だ。
元連合非正規労働センター長の龍井葉二氏によると、「働く上でトラブルがあった時、個人ではいえないことを経営者に申し立てて交渉する組織が労働組合です。」(12月16日 朝日新聞)と説明している。ここで龍井氏は、個人と労働組合を併記している。個人と労働組合は別物だ。また、「個人では言えないこと」を代理する存在として労働組合を位置づけている。
確かに労働組合の一つの機能を表現してはいるが、労働組合の根本的な位置づけとしては一面的なものだ。本来は個人の主張・要求を経営者に伝える回路・手法が労働組合なのだ。主体はあくまで自分自身だ。その自分が、個人でいうだけでは力不足だが、集団で、全員で、組合として主張することで主張・要求を実現できる力を手にすること、なのだ。組合は代弁者でもサービス業でもない。自分自身が声を上げる手段・方法なのだ、ということを銘記したい。
労働者の健康や権利が守られていない背景には、職場で組合の規制力がなくなっていること、あるいは組合そのものがないことが大きく影響している。組合が働く者同士の連帯力で「長時間残業は認めない」という存在力を発揮していれば、個々の職場でも長時間残業など撲滅できるはずだ。
労働組合の規制力の欠如に理由については、まず1989年の連合創設までさかのぼる。それまでの総評と同盟の鼎立状態から労働戦線統一という名目で総評の多数と同盟が合同して連合が作られたが、統一の内実としては総評の同盟への吸収合併だった。要は労使協調の同盟が官公労を吸収し、企業に従属した企業内組合中心の連合が生まれたわけだ。
その連合は、個々の労働者の権利より、企業内労使秩序の維持を優先してきた。今では非正規労働者の組織化も進めてはいるが、それも組合そのものの維持や正社員の地位を守るためという意味合いが強いものだ。
だから課題は二重性を帯びる。まず、第一に個々の労働者が声を上げること、それを結合して要求を実現する力を獲得すること、第二に、既存の多くの御用組合を労働者自身の権利と要求を実現する本来のまっとうな組織に転換させること、である。
もとよりこうした闘いは簡単なものではない。会社と結託した組合と会社そのものからの攻撃も受ける。しかしこうした闘いをやり抜くこと以外に、現実に労働者自身の生活と権利を確保して、明日の生活を勝ち取っていくことはできない。
腰を据えた闘いを推し進めていきたい。(廣)
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「働き方改革」と「自由時間革命」
●アラン・リピエッツの労働論
昨年秋の安倍首相による解散総選挙のおかげで、臨時国会に提出されるはずだった「働き方改革基本法案」は、今年の通常国会までずれ込みました。その内容も働く者が切実に望む「過労死・長時間労働の根絶」や「非正規・格差・貧困の一掃(同一労働同一賃金)」から焦点がずらされ「高度プロフェッショナル制度(残業ゼロ法案)」などが盛り込まれ、「改革」どころか「改悪」が濃厚になっています。
そこで新年を迎え、改めて労働者の基本的立場から「働き方改革」をどのように考えたら良いのか考えて見たいと思います。今回はレギュラシオン派の経済学者であり、社会運動家として積極的に発言しているアラン・リピエッツの所論を参考にいたします。(アラン・リピエッツ著『レギュラシオン理論の新展開』大村書店1993年刊より)
●もうひとつの働き方
リピエッツは、レギュラシオン派の中でも「エコロジー」を重視する「緑派」として知られており、実際にフランス緑の党の地方議員も経験しているため、「エコロジー経済」という用語が頻繁に登場します。ただ、労働論の脈絡で読み解く時、彼の言う「エコロジー経済」は「アソシエーション経済」と読み替えても、大筋で差し支えないように思われます。その点を踏まえて、論文「エコロジーそれは新しい経済革命だ」の一節「もうひとつの働き方」において、次のように述べています。
「エコロジー経済は第一に、今までとは違うもうひとつの働き方を意味する。エコロジー経済では、農村共同体・地域の自主団体・生産協同組合の小さなグループによってコンロトールされた活動形態が優先される。さらにまた(中略)製品の質とか生産組織の安全性や効率性をめぐる闘いに人間資源が交渉によって動員されるというように、賃労働関係が変容することが重視されるのである。(中略)労働の意味が回復し、ほんのちょっぴりでも工場や事務所において自律が取り戻されるならば、企業内だけでなく社会生活のあらゆる面で、もちろん環境に対する責任という面でも、市民的権利が拡がっていく土壌が改善されることになるだろう。(中略)エコロジストの主張するマクロ政策の中心に労働時間の短縮が位置しているのは、このためである。」
ここでリピエッツは地域の生産共同組合などの組織化を念頭に、そこでは製品の質とか安全性に関して、現場の労働者自身が地域市民との協議に主体的に関わり、労働の意味と自律を回復することを重視しています。労働者は賃金を要求するだけの存在ではなく、何をどのように生産するかをめぐって、市民的権利の主体となるということです。
●自由時間革命
こうした観点に立ち、「自由時間革命」の一節では、次のように述べています。
「仕事の分かち合いが多数の人びとに受け入れられるのは、それが自由時間の増大、つまり内容豊かな自由時間の増大として感じられるときのみである。(中略)他方、労働時間の短縮は自然に対する責任の要請である、というのは、排気物によるオゾン層破壊や酸性雨の危機、温室効果による地球温暖化は、無制限の物質的成長モデルの帰結にすぎないからだ。また労働時間の短縮は、諸個人の自律の条件でもある。なぜなら、自由な諸個人から成る社会は自由時間の増大に基礎を置く社会なのだから。」
リピエッツは労働時間の短縮について、長時間労働による健康破壊の回避や、家庭生活や余暇時間の回復に留まらず、「諸個人の自律の条件」としてこそ、自由時間増大の意義があると強調しています。リピエッツは酸性雨や温暖化などへのアプローチを例示していますが、もちろん環境問題に限られることではなく、貧困や差別の問題をはじめ、様々な領域の社会運動への参加によって、社会的主体となっていくことの意義を受け止めることはできるでしょう。
●反貧困の闘いと結びつけて
ところで、リピエッツが「もうひとつの働き方」「自由時間革命」を提唱した八十年代末から九十年代初めの状況と、今日の状況とでは、労働者を取り巻く環境が大きく変化していることは否めません。
当時は、オートメーションとコンビナートのもとで、労働の非人間化や生産の環境破壊が大きな問題となっていました。もちろんそうした課題は依然としてあるわけですが、九十年代後半から今日までに数度の経済危機を経て、非正規労働者や不安定雇用が拡大した現在、新たな貧困や搾取・分断が深刻化しており、「労働時間短縮」をめざそうにも「低賃金」や「不安定雇用」のハードルが立ちはだかっているのもまた事実です。
貧困化や搾取・分断に対する新しい階級的闘いのあり方や、保育・教育・医療・介護・居住の社会的保障という制度的課題も視野にいれながら「もうひとつの働き方」や「自由時間革命」を展望することが、今日の情況でリピエッツの労働論を活かすためには必要でしょう。
とはいえ、そうした状況変化を踏まえて読み解くなら、リピエッツの所論は、今でも新鮮な視点を提起してくれています。新年にあたって、私達働く者はどのような社会をめざすのか、改めて論議したいと思います。
(松本誠也)
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神社本庁と日本会議と櫻井よしこ氏との関係に潜むどす黒く深い闇とは?
富岡八幡宮境内で起きた殺人事件と神社本庁
ワーカーズ紙とワーカーズ・ブログで既に2回神社本庁の腐敗・堕落を告発した。ついにその黒く深い闇は、大事件として世の人の耳目を大いに引くまでに発展したのである。
その事件とは12月7日夜、東京都江東区の富岡八幡宮境内で起きた殺人事件である。富岡八幡宮のまさに境内で姉の富岡長子宮司(58)が、あろうことか実弟の富岡茂永元宮司(56)に日本刀で切られて死に、弟はその場で妻をも殺して自刃した事件である。
元宮司はこの犯行直前に全国の神社関係者などに二千八百通の手紙を送付していた。その手紙には「『約30年にわたる富岡家の内紛について、真相をお伝えします』などとして、神社の運営や相続をめぐる親族間のトラブルを告白。自らが宮司の座を追われたことについて『クーデターが画策された』などとし、関係者に対して富岡さんを神社から追放し、自分の息子を宮司に迎えることなどを要求。『実行されなかった時は、死後においてもこの世に残り、祟り続ける』」(産経新聞)等が書かれていたと報道されている。
遺恨30年とは。「神聖」な境内で実姉を日本刀で切り殺し、そしてはたまた祟り続けると書きつける。何とも面妖で時代掛かった異様な文面ある。富岡家は社家なのだが、数年前から富岡宮司代務者を誹謗中傷する怪文書が飛び交うなど、その闇は深いのである。
富岡八幡宮は弟の宮司を解任した後実父を復帰させて、神社本庁に対し7年前から富岡長子宮司代務者を宮司とするように要請していたが長らく認可されないため、今年9月に神社本庁を離脱し単立神社となった。この展開によりこれまで一縷の望みを繋いでいた元宮司が、宮司復活の道が完全に閉ざされた絶望から犯行に及んだと考えられる。まさに経典無き宗教の宮司の地位と神社の利権の頂点の地位とには大きな落差があったのである。
神社本庁に根深く存在する男尊女卑の差別意識と宮司の利権構造は、八幡信仰の総本社・宇佐神宮でも同様な問題を引き起こしていた。したがって今回の殺人事件に関しては神社本庁も全く無関係でない。これについてはワーカーズ等の過去記事を参照のこと。
下鴨神社境内で億ションの完成
現在、神社本庁では土地転がし紛いの不動産取引を内部規則違反だと咎めた神社本庁の部長を懲戒免職した事件が裁判沙汰になっている。このように神社本庁の利権は賽銭や札等に限るものではない。次期宮司の指名権や神社境内や関連の土地に対する利権等があり、莫大な利権が宗教法人の名前故に無税の特権に守られて存在しているのである。
例えば京都市左京区にある賀茂御祖神社は、通称下鴨神社として知られている。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社である。つまり下鴨神社の運営は神社本庁がしていたのだが、同時に下鴨神社境内に建設中のマンションに反対する地元住民らが風致地区条例に基づく許可を取り消すよう裁判を起こしていたことでも知られていた。
住民らは建設地が世界遺産の周辺環境を保護するための区域「バッファゾーン(緩衝地帯)」内で、市が平成27年に出した許可で貴重な樹木の大量伐採が可能になり、世界遺産の価値を下落させると訴えた。この住民らの訴えは、ある時は世界遺産の名前を使い、ある時は神社運営の都合を持ち出すなどの、実に宗教法人の恣意性を突いたものである。
注目された裁判は、今年3月30日に判決があった。京都地裁は判決で住民側の訴えを却下した。判決理由で久保田裁判長は訴えの根拠とした条例が「個別の景観利益の保護を目的とするものではない」として、住民には原告の適格がないとした。実に笑止である。
こうして今年6月に世界遺産の神社境内に建ったマンションの特別な「入居条件」を持った億ションは完成した。この億ションの敷地はそもそも下鴨神社が式年遷宮の費用捻出目的で貸し出したものなのだが、その条件とは「ご契約の際は、『糺の森保存会』もしくは『下鴨神社崇敬会』の終身会員になっていただくことが必須」ということでだった。
JR西日本不動産開発の販売担当者は「契約の際にお客様の信仰チェックなどはありません。神道ですから、寛容さがある。他の宗教を信仰する方でもご入居いただけます。ただ、神社の整備計画の一環で建設されたので、神社を支えたいという意識のない方との契約は難しい」とのことである。後で紹介するが櫻井よしこ氏の場合はどうだったのか。
神社本庁と日本会議と櫻井よしこ氏の関係
さて話題が変わるようだが今年の11月27日、日本会議・日本会議国会議員懇談会の設立20周年記念大会が東京都港区で開かれ、憲法改正実現に向けた国民運動の推進に取り組む決意を明記した宣言文を採択した。当然ながら櫻井よしこ氏も出席している。
安倍晋三首相は自民党総裁として大会にメッセージを寄せ、「自民党は国民に責任を持つ政党として(国会の)憲法審査会の具体的な議論をリードし、歴史的使命を果たしていく」と訴えた。自民党の下村博文元文部科学相も大会で「来年の通常国会にはわが党として憲法改正案が憲法審査会に提案できるよう頑張りたい」と語った。
櫻井よしこ氏は安倍総理大臣の代理人の顔をするかのように「現代の日本人に必要なものは、現実を直視する力である」と提言し、「誇りある国づくりへ!」と憲法改正に向けて全力を尽くすよう呼びかけたのである。この決定的な発言に注目せよ!
この記念大会には国会議員約60人を含む約2千人が参加した。神社本庁と日本会議は一心同体の組織であることはよく知られている。それもそのはず、神社本庁と日本会議には国家神道を今日の日本に復活させたいとの野望があるからである。そしてこの神社本庁と日本会議の広告塔として活躍しているのが、誰あろう櫻井よしこ氏本人である。
この櫻井よしこ氏の公然たる顔が満天下で知られている一方で、他方で櫻井よしこ氏が殆ど知られていない顔を持っていることは実に奇妙なことである。
櫻井よしこ氏のジャーナリストの基本からの逸脱
2015年、櫻井よしこ氏は『日本人に生まれて良かった』を出版している。この本自体は青春期をハワイで過ごした事で英語は分かるものの、日本文化の理解に関しては大きな欠落がある。しかも帰国後も大して研究もしたことがないことがはっきり分かる、実に無残としか言いようがないお粗末な本である。
2013年に『迷わない。』というハワイ州立大学を卒業して「クリスチャン・サイエンス・モニター」紙の東京支局に就職して以降の自伝的な新書を書いているが、そこに実父や実母の名前は書いていない。支局長のポンド氏のことは実に好意的に書いている。その人からジャーナリストの基本を仕込まれたからである。この新聞は宗教紙ではなく、また宗派「クリスチャン・サイエンス」の教義を直接宣伝しようとしている訳でもないが、宗派創始者エディの要請により、日常的な宗教関係の記事を毎号載せていた。現在はオンライン新聞であるが、統一協会との関連はあるだろう。
では仕込まれたその基本とは何か。その基本の第一は、取材相手に借りを作らないことで、取材の時にお茶一杯の代金も払ってもらってはならないという事から始まって厳しいものであった。もう一つ大事な事は取材の仕方であり、事前に質問を用意しておき最初は軽いものから次第に相手を追い詰めてゆくプロセスを繰り返し情報を精査する事とである。また文章道は「要を得て簡」であり、「大事なことは最初に書け」であった。
これらの基本から櫻井よしこ氏を批評すると、戦時下にハノイの野戦病院で出産したのに、戦後は大分県中津市に海外からの引き揚げ者として帰国したのに、母の実家に近い新潟県長岡市へ引っ越したとだけ書く。なぜ中津市だかは全く不明なのだ。しかもその本で実父のことはほとんど書いていない。その一方で父はアジア各国で貿易業を営み、ハノイを拠点としていたとだけ書く。中津市は父の実家なのかは全く不明である。櫻井よしこ氏の父の国籍は謎であり、台湾人との説もある。櫻井氏が語らない以上、真相は不明である。しかし他方で『日本人に生まれて良かった』を書く面妖さである。この本は青春時代をハワイで過ごしその後、日本文化を深く認識することがなかった櫻井氏の浅薄さを 証明 する本である。ヘーゲルにならえばまさに浅薄隊長ド・フリースならぬ櫻井よしこ氏である!本当は櫻井氏は、なぜこんな無内容な本しか書けなかったかについて、まず充分に「要を得て簡」な説明をする必要があると私は考える。
さらにはこれより重大なジャーナリストの基本を逸脱する行為がある。それ故、私は告発しなければならない。それは櫻井よしこ氏は今や安倍首相応援団の筆頭格で神社本庁や日本会議等、様々な民間右派組織の広告塔を勤めていることに関連してのものである。
櫻井よしこ氏は東京都の一体どこに住んでいるのか
先に紹介した『迷わない。』には「私は神社のすぐ脇に住んでいます」(同200頁)とある。この記述を読んだ人は、櫻井よしこ氏は神社の近くに住んでいると読み取るだろう。勿論、これ以外の読み取りは真実を知らない人には出来ない。しかし事実は東京都港区の一等地にある素盞嗚尊を祀る有名な赤坂氷川神社の境内に住んでいるのである。
確かに神社のすぐ脇に住んでいる事に間違いはない。一私人が宗教法人である神社の境内に自宅を建てているなどと一体誰が想像できるだろうか。実に想像を絶することである。しかもその家は赤坂氷川神社の木々茂る東側入り口から境内に入ると、社殿の方へと向かう道脇に衝立で囲われた一軒家である。建物は白を基調とした外観の巨大な鉄筋コンクリート造りで表札こそ掛かっていないが、そこが本名・櫻井良子の自宅なのである。
リテラの調査では、登記簿に地上2階地下1階、総床面積約520平方メートルの、単なる一私人の邸宅とは思えないような豪邸である。因みにこの建物には建築した2004年の翌年、05年に1億7千万円の根抵当権がついていたが、僅か6年で抹消されている。
勿論、問題はその豪邸が建っている土地だ。こちらも登記簿を見ると、赤坂氷川神社の所有である。つまり櫻井氏は衆議院議員会館近くの徒歩圏である一等地である赤坂氷川神社の境内の一角を借りて、この巨大な鉄筋コンクリートの建物を建ているのである。
ここで考えなければならない事は、櫻井氏の評論活動と神社との関係だ。櫻井氏が大分前から全国で約7万9千の神社を統括している宗教法人・神社本庁と一緒になって改憲や歴史修正主義的活動に取り組んできた事は周知の事実である。さらに昨年1月からは、全国の神社の境内で行われた憲法改正実現のための「1000万人」署名運動がある。これは神社本庁が改憲団体「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の運動の一環として行っていたものだが、同団体は神社本庁も参加する日本会議の団体であり、櫻井よしこ氏はその共同代表を勤めている事もこれまた公然たる事実である。
したがって人は櫻井氏のこのような神社界(神社本庁)と一体化した言論活動と神社の土地を借り、巨大な建物を建てているということは何か関係があるのではないかと考える。勿論、寺社が敷地を借地にしているケースは珍しくはないが、借地上の建物は「非堅固建物に限る」「木造家屋に限る」という条件が付いているケースも多く、私人にこんな巨大なコンクリート造の建物を建てさせるというのは珍しい。では地代は一体いくらなのか。
ここでこれらの疑問に追及したリテラの過去記事を引用する
当然の疑問を抱いたリテラ編集部は取材を開始した。まず土地を貸している氷川神社に電話で問い合わせてみた。すると電話口の担当者は櫻井氏の自宅の土地が神社の所有物であることは認めたが、「櫻井先生の自宅以外にも境内に3つのお家が建てられております。いずれも地代をいただいています」と無償提供ではないという。また櫻井氏の言論活動と関係があるのではないか?という質問については「当神社と櫻井さんに個人的なつながりがあるからとか、櫻井先生が神社界に力をいれているから土地を貸しているということではない」と強く否定した。
ところどころ、櫻井氏の事を「櫻井先生」と呼んでいることが気になるが、氷川神社は櫻井氏を敷地内に住まわせていることと櫻井氏の活動は無関係だというのだ。しかし一方で、櫻井氏は自らの言論活動の中で氷川神社とその国家神道礼賛の主張を、土地を借りていることは隠したまま、PRしたことがある。
櫻井氏の言論が地主への利益誘導ではなかったとしても、思想的な影響はどうなのか。櫻井氏はかなり前から改憲を主張していたし、タカ派的な論客ではあったが90年代頃まではここまで戦前回帰、国家主義的な思想を声高にがなり立ててはいなかった。むしろ、薬害エイズ事件などでは、国家犯罪を追及する姿勢も見せていた。
それが2000年代に入ると、GHQによる神道指令は誤りだったとの論陣を張って、極端な国家主義や歴史修正主義を声高に叫び始め、その思想をどんどんエスカレートさせていった。氷川神社の敷地に家を建てたのは、その極端な右傾化の真っ直中のことだ。ここに何かしらの“縁”がなかったと、果たして言い切れるのだろうか。
ここはやはり、櫻井氏本人に聞いてみるしかないと、以下のような内容の質問状(要約)を送った。
・ご自宅の土地はH神社(質問状では実名)の所有ですが、地代はいくらですか。
・H神社所有の土地を借りることになった経緯をおしえてください。
・「別冊正論」の3月発売号〈一冊まるごと櫻井よしこさん。〉に登場し、プライベートについても公開されていますが、神社の敷地内に住んでいることを隠し、〈東京都心ながら静かで緑の多い住宅地〉に住んでいるとしています。その理由はなんですか。
・神社本庁および神社が担っている改憲や戦前回帰運動に協力し、その主張と内容を一にする言論活動を行なっていることに、神社から土地を貸与され、敷地内に建物を建てているという関係が影響を及ぼしているのではないですか。
・直接的な影響はなかったとしても、利害関係にある宗教団体の運動に協力し、その主張に沿った言論を展開することは、ジャーナリストとしての独立性、倫理に反していると考えますが、いかがですか。
・言論活動を検証してみると、以前は、ここまで右翼的、戦前回帰的な主張はしていませんでした。この主張の変化に、H神社との関係、もしくは神社本庁との関係が影響を及ぼしているのではないですか。
しかし残念ながら、締め切り期限を過ぎても、櫻井氏からの返事はなかった。
ただ、少なくとも櫻井氏が神社の境内の土地を借りるというある種の利害関係にあること、その言論や活動がこの十数年の間に急速に右傾化し、今や神社本庁と完全に歩調を一にしていることはまぎれもない事実だ。……。
新右翼の鈴木氏が〈怖いし、過激だ〉という今の櫻井氏の思想はどこからきているのか。なぜ、ジャーナリストが神社本庁や日本会議と濃密な関係を築き、極右の女神的存在になってしまったのか。少なくとも、その主張がいったい誰を利するのかを、われわれはよく見定める必要があるだろう。 (編集部)
櫻井よしこ氏は自分を見失っている
リテラの過去記事は実に秀逸である。この記事は櫻井よしこ氏と神社本庁・日本会議の黒く深い闇を鋭く抉り出している。このような当然な公開質問状に答えずにいるとは、櫻井よしこ氏もこれで終わっている存在だと言えるであろう。まさにそれは虚像なのである。
櫻井よしこ氏は「私の家は曹洞宗」(『迷わない。』194頁)と書き、「日本人の宗教観は、どこかの宗教に属しながらも、自然の摂理としての神を感じとり、その大きな秩序の中に自分自身を位置づける、ということではないかと感じています。その意味では、神道が基本ではないでしょうか」と書いている。まさに櫻井よしこ氏は無知を告白したのだ。
まさにこの記述は、櫻井よしこ氏が青春時代の貴重な日々をハワイで過ごし、その後深刻な学習もせずにいた事、つまり国家神道の何であるかについて全くの無知蒙昧の発言として記憶すべき決定的な発言だ。国家神道の下に各宗教が統合された事実を知らない!
こんな櫻井よしこ氏はこんな浅薄な認識から国家神道の復活についての発言を繰り返していた事を、私たちは知らなければならない。まさに彼女にとって無知は力なのである。
櫻井よしこ氏は、『迷わない。』においても「神社を支えたいという意識」を積極的には一切語っていない。そうだとしたらなぜ赤坂氷川神社の境内に借地権により鉄筋コンクリートの建物を建てて住んでいるのかを明瞭に語らなければならないのではないか。そして公開質問状に答えないのであれば、それに替わる自己弁明をするべきである。つまりはまさに櫻井よしこ氏はリテラから追及されたこの問題の核心から逃げているのである。
問題の核心は、これは神社本庁の櫻井よしこ氏に対する利益供与であるか否かである。
私がこれに付け加えたいのは、東京支局のポンド氏から厳しく仕込まれたはずの「ジャーナリストの基本」であるお茶代一杯ももらってはならないとの教えに対して、つまり『迷わない。』で書いたあの教えの前で恥じ入る自分はいないのかという問いだけである。
赤坂氷川神社の境内に自分は特権的な待遇で住んでいながら、その決定的な事実を隠蔽しつつ、国家神道の復活を呼びかけるなどは、全くの論外であることを櫻井よしこ氏は知らなければならない。櫻井よしこ氏はジヤーナリスト失格者なのである。(直木 明)
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書評『労働者階級の反乱 地べたから見た英国EU離脱』
ブレイディみかこ著・光文社新書(2017年10月初版)
『ヨーロッパ・コーリング 地べたからのポリティカル・レポート』(岩波書店2016年6月刊)がベストセラーになっているが、その著者、ブレイディみかこ氏が新たに書き下ろしたのが、この本です。
ブレイディみかこ氏は、1965年福岡県生まれ、96年からイギリスのブライトンという地方の労働者地区に在住し、保育士のかたわらライターとして、イギリスの労働者の生の意見を聞き取り、さかんに発信していることで注目されています。
実は僕も、この本を読み始めたところであり、総括的な評価を書ける段階ではありませんが、「まえがき」を引用することで、書評というか紹介に代えたいと思います。
2016年6月24日の早朝、著者の配偶者は「離脱する、離脱するんだ、俺達は・・・。オー・マイ・ゴ―ッド」と、雷に打たれたような顔でテレビの前に座り込んでいたそうです。実は、彼自身も「離脱」に投票していたのに、です。
EU離脱投票で離脱派が勝利した瞬間、彼ら英国労働者階級の人々は、世界中から「不寛容な排外主義者」認定されてしまいました。投票結果分析で、英国人労働者階級の多くが離脱票を投じ、彼らこそがブレグジットの牽引力になっていたことが判明したからです。
これが海の向こうの国や、同じ国内でもあまり彼らのような人々とは接することのない場所から見ているのなら(日本からの駐在員、留学生、観光客など)、「信じられない」「排外主義に走った愚かな人々」と遠くから罵倒してすむかもしれません。
しかし、「わたし」(ブレイディみかこ)は彼らのど真ん中に生きているのです。家庭の内外で彼らと生活している人間にとっては、単純に「理解の範疇を超えている」と上から目線で批判しておけば終わる問題ではありません。
そんなわけで、よく理解できない事柄に出会ったときに人類がせねばならないことを、いまこそしなければならない、勉強である。と思ったそうです。
英国の労働者階級はなぜEU離脱票を投じたのか、そもそも彼らはどういう人々なのか、彼らはいま本当に政治の鍵を握るクラスタになっているのか、どのような歴史を辿って現在の労働者階級が形成されているのか。この本は、その学習の記録です。
第Ⅰ部では、世論調査の結果やメディア記事を引用しながら、英国のブレグジットと米国のトランプ現象は本当にイコールで括っていいものなのか、英国の政治状況を追っています。
第Ⅱ部では、労働者階級出身の友人たちへの聞き取りや、2016年の話題書、ジャスティン・ジェスト著『ザ・ニュー・マイノリティ 移民と不平等の時代の白人労働者階級政治』を参考に、現代の労働者階級のエスノグラフィー的位置づけ、彼らの政治意識、彼らの支持を得るために政治がすべきことを考察しています。
第Ⅲ部では、100年前まで遡り、英国労働者階級の歴史を振り返り、彼らの連帯のはじまり、スタブリッシュメントとの闘いの経緯、保守党と労働党の政権交代の歴史、労働者階級がクールだった時代と没落した現代など、政治、社会、カルチャーの側面から「貧乏なのにやけに誇り高い階級」はどのように形成されてきたのかを探っています。
このように、本書は、英国在住のライターが、EU離脱投票で起きたことを契機として、配偶者を含めた自分を取り巻く労働者階級の人々のことを理解するために、まじめに勉強したことの覚書きといえます。
日本にはほとんど伝えられていないイギリス労働者階級の人々の現状や、主流派とは違うもう一つの英国の歴史について、著者の祖国である日本の読者に少しでも関心を持ってほしいという思いが伝わってきます。
ワーカーズの会員や読者の皆さんにも、必読の書として紹介しつつ、僕自身も引き続き読み進めていきたいと思います。(松本誠也)
〈読書室〉『東京と神戸に核ミサイルが落ちたとき所沢と大阪はどうなる』
兵頭二十八氏著講談社+α新書
北朝鮮核ミサイルについて大騒ぎする前に、文芸評論家・江藤淳に見出された軍学者・兵頭二十八氏の北朝鮮ミサイルの脅威に対する基本的な見解をまずは知るべきである
現在、北朝鮮情勢は一段と緊張を強めている。
12月22日午後(日本時間23日午前)国連安全保障理事会は、北朝鮮による11月末の大陸間弾道ミサイル(ICBM)発射を受けた新たな北朝鮮制裁決議を全会一致で採択した。全会一致とは、ロシアと中国も賛成したとうことである。
こうして一段と厳しい経済制裁はかって日本がなされたような国際的な包囲網を思い起こさせる。日本はこれに対してたいがい戦争に打って出たが北朝鮮はどう出るのか。
日本に対する北朝鮮の核攻撃はあるのか否か。この問いに対して兵頭氏が答える。
兵頭氏は、本書について「二一世紀のこれからのあり得る『対日核攻撃』のケースについて、改めていくつか検討を加え、特にこれまで人を欺いてきた『核戦争の神話』のいくつかを正そうと試みます。紙数に限りがありますので、『アグレッサー』(攻撃してくる者)を中共に絞りますが、昨今、世上を騒がせている北朝鮮にも触れます」と書いている。
このように本書はそもそもは中国からの対日核攻撃に関して書き始められた本であっが、今年9月からの情勢の急転の中で北朝鮮についての考察を拡充した本なのである。
では本書の構成を紹介する。
まえがき――「核戦争の神話」を正すために
第一章 最も格被弾の可能性が高い街――横須賀
第二章 東京を襲う水爆は何発か
第三章 東京の周辺都市はどうなる
第四章 なぜ大阪は狙われないのか
第五章 北朝鮮が狙う千歳と小牧
第六章 被害を最小化する方法
おわりに――核攻撃を受けない術がある
日本の政治家は、こうした核攻撃があると考えなければならない話を今まで公然と論じてきたことはない。兵頭氏がまず第一に指摘するのは、この事実だ。彼らは被害を受ける国民のことなど考えてもいないからである。本当にどうかしているのである。
かってのソ連と異なり、中国だったらまず代米戦争の初盤の政治的駆け引きとして横須賀基地を核攻撃するであろう。横田基地への攻撃は第二次的なものになる。横須賀で起きる核爆発の衝撃波は横浜市の郊外に達し、二次放射能は千葉や東京都心に達するであろう。その場合でも空中で爆発するか、地上で爆発するかでは直接被害やその後の放射能被害も大きく違う。地上で爆発した場合は、横須賀基地は半永久的に使えなく成るであろう。
東京を襲う水爆は新宿区から千代田区に三発前後であり、核戦争対策がない東京都は壊滅する。爆心から半径二キロは普通の戸建て住宅は爆風で破壊され、水平に約17キロの範囲は人に三度の火傷を負わせる熱線が及ぶ。福島原発や東海村や六ヶ所村は狙われる。
関西の狙い目は神戸と熊取の中間で、さらに呉や岩国より関門海峡が狙われるだろう。
ここで第四章の内容を若干掻い摘んでおくと、北朝鮮の現在推定される核ミサイル数は十発前後である。その数では金体制が終焉するにあたって道連れにできる相手は、中国と韓国と比較的近距離に存在する米軍だけに限られる。これが合理的な判断である。
つまり日本には回せないのではと、兵頭氏は推測する。それに北朝鮮核ミサイルの弾頭重量はゼロだと兵頭氏は推測している。つまりまだまだ核の搭載は出来ない。要するに北朝鮮の開発成功報道はフェイク・ニュースの類だと兵頭氏は判断しているのである。
それに対して平壌に一発の水爆が落ちただけで金体制は崩壊するのだ。したがって米軍は刺激できず、多くの米国人を巻き込む北朝鮮の日本の主要都市への先制攻撃などは殆ど考えられないことである。しかしそれ故に近くに米人が数千単位で住んでいない千歳基地や小牧基地を先制攻撃するオプションはあり得る、と兵頭氏は解説するのである。
核攻撃被害を最小化するには、巨大な真水タンクが必要である。次に必要なのは、低空核爆発によって舞い上がった土壌等が放射性同位体の粒子なり、地上に落ちて降り積もるまでの対策――フォールアウト対策である。これに関わって地下駐車場・地下鉄を利用した核シェルターを整備すること。また鉄道網や高速道路網の迂回路の整備等が必要。
日本には、「核戦争の死者」を出さないよう考えるプロ集団はない。だからといって私たちは漫然としていて良いのであろうか。勿論、それで良いはずはない。
私たちは、米国と北朝鮮の開戦に反対すると共に、安倍政権や野党の対北朝鮮政策を検討しつつ、日本政治には一体何が欠けているか、また何をしなければならないかとの視点から、兵頭氏が分かり易く説いた本書をじっくりと読んでいきたいと考える。(猪瀬)
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2018年・非武装こそが戦争回避の選択肢!
米元軍人らによる平和団体「ベテランズ・フォー・ピース」のメンバー、マイク・ヘインズさんは海兵隊員としてイラクの最前線に派兵された。その任務は「『テロリスト』の疑いのある人物を片っ端から探し出すため、民家のドアに爆発物を仕掛け、それが爆発した瞬間に、銃をかまえて家の中に突入する。そして、屋内の人々を、壁に押し当てて、尋問する」(「DAYS JAPAN」2018年1月号)ことだった。
ヘインズさんは「愛国心に育まれた自分にとって、戦争で死ぬということは、最高の名誉だと思って」いたから、9・11(同時多発テロ事件)後の熱気に押されイラクに行ってテロリストと闘うことに何の疑問も持たなかった。ところが、「危険と思われるものは何でも撃て」という上官の命令に従い続けることに疑問を感じ、「自分はテロリストと闘うという任務で戦地に赴いたけれど、実際自分がやっていることがテロ行為ではないか?」という考えにたどり着いた。
米国によって開始されたテロとの戦争とは何だったのか、今ではそれは大国の利害(例えば石油利権とか)のための破壊と殺戮であり、兵器産業のための武器の消費であり、国家の軍事化であり、そして軍産複合体の武力による世界の席捲だった。兵士はその為の消耗品に過ぎず、アフガニスタンやイラクからの帰還米兵は「良心の損傷」に苦しみ、1日約22人自殺しているという。
ヘインズさんはまた「日米地位協定は、日本の独立性をないがしろにしていると私は思っています。日米地位協定が、日本国憲法の上に位置しているからです」とも言う。沖縄で起きているヘリ事故を見れば明らかなように、米軍は何でもできるし、安倍自公政権はそれを止めることは出来ない。いや、止めるつもりもないといった方が正確だろう。これを単に対米従属と言うだけでは正確な事態の把握とは言い難い。日米軍事一体化による自衛隊の軍隊化、日本的軍産複合体の創出がその先にある。
トランプ米大統領が米軍基地経由で日本にやってきて武器を買えと言い、安倍晋三首相は喜んで買おうとしている。衆院選後の国会で、安倍首相は「先般、トランプ大統領が来日し、日米同盟のゆるぎない絆を、世界に示しました」(11月17日の所信表明演説)と述べた。トランプ米大統領は国内においても、国外においても批判にさらされているのに、安倍首相はその親密さを愚かにも自慢して恥じないでいる。
さらに、安倍首相は「北朝鮮による挑発がエスカレートする中にあって、あらゆる事態に備え、強固な日米同盟の下、具体的行動を取っていく。ミサイル防衛体制をはじめとするわが国防衛力を強化し、国民の命と平和な暮らしを守るため、最善を尽くしてまいります」とも述べている。陸に上がったイージス艦といわれるイージスアショアは何と1基1000億円程で、それを2基配備すれば朝鮮民主主義人民共和国からのミサイルを撃ち落とせるとか・・・
北の〝脅威〟を煽り、対話ではなく制裁を叫ぶ安倍首相は、テロ国家アメリカに習い北に〝テロ戦争〟を仕掛けているようだ。かつて、教育勅語の下で子どもたちは天皇のために戦場で死ぬことを強制された。今また子どもたちはJアラートに怯え、敵を憎むことを教え込まれようとしている。求められているのは制裁ではなく対話であり、ミサイルに怯える社会はごめんだ。 (折口晴夫)
コラムの窓・・・ 三重苦にあえぐ電力資本
電力資本が今、三重苦にあえいでいます。
①電力自由化になって独占にあぐらをかくことができなくなりました。
②料金値下げ競争に勝つために原発頼りを深めています。
③その原発には〝訴訟リスク〟という落とし穴が待っています。これは泥沼です。
とりわけ原発依存を深めていた関電は深刻です。3・11前は11機の原発を持っていましたが、美浜原発1・2号機は廃炉。年末には大飯原発1・2号機も廃炉が決まりました。その日、私は本店前の抗議行動に参加していましたが、テレビカメラが何台も前を通り過ぎました。カメラは威容を誇る関電ビルを必ず写すのですが、抗議行動は見えないかのように避けます。テレビカメラがとらえる〝事実〟なんてそんなものです。
稼働している高浜原発3・4号機はウラン・プルトニウム混合酸化物(MOX)を燃料としていますが、そのMOX燃料の値段が5倍に高騰、1体10億円超とか。1999年に東電が福島第一原発で使用した時は2億3443万円だったというから、電力資本は泣いているでしょう。ウラン燃料でいいのに、その数倍以上高いMOX燃料を〝国策〟で使用しているのですから、経済性はボロボロです。
残った大飯原発3・4号機、美浜原発3号機、高浜原発1・2号機は審査合格で、稼働に向けて動いているのです。しかし、電気は足りてる(余っている)のにそんなに再稼働してどうするのでしょう。一層の値下げで競争に勝とうというのか、オール電化で消費喚起するのか。一方で、関電ガスを売り込んでいるのだから、オール電化推進はまずいのではないか、何て心配してやる必要もないのですが・・・
執念で再稼働を実現しても、そこに待っているのは〝訴訟リスク〟です。四国電力は伊方原発3号機の仮処分裁判に負けて、真っ青になっています。関電はすでに経験済みですが、地裁が国策を止めるのはけしからんなんて口走り、その衝撃の大きさをあらわにしました。司法が国策追随なのは事実ですが、ひとつの原発で何件もの裁判になったら、たまにはあたることもあるのです。
さらに問題なのは、使用済み核燃料プールが数年で満杯となり、原発を動かすことが出来なくなります。すでに満席でも、立っている人がいたら席を詰めて座れるようにする、燃料プールではこれを「リラッキング」と言うそうです。席を詰めるのは親切ですが、燃料棒集合体の間隔を詰め過ぎたら臨界反応(核爆発)の危険性があります。
そんなこともあって、関電は使用済み核燃料の中間貯蔵施設建設を計画しています。岩根茂樹社長は、2018年には福井県外で計画地を示すと西川一誠福井県知事に〝約束〟しました。しかし、「13年6月以降、関西の自治体を中心に延べ7千回の説明を実施した」(11月24日「神戸新聞」)のに、立地場所は決まらないままです。
このように、すべての事実が原発には未来がないことを示しています。過酷事故による破綻なんていうことになる前に、関電さんが〝原発の泥沼〟から抜けられなくなる前に引き返せないものかと願ったやまない、今日このごろです。 (晴)
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「エイジの沖縄通信」(NO.46)・・・沖縄予算3010億円で最小額となる
日本政府は2018年度の沖縄関係予算案を17年度に比べて140億円減の3010億円とした。13年に安倍首相が3千億円台確保を表明して以降、最小額となる金額となった。
沖縄県や市町村が自由に使途を決められる沖縄振興一括交付金は17年度当初比171億円減の約1188億円となり、12年度の制度創設以降、最も低い額となった。
ところが、一括交付金が削減された一方、公共事業など使途が決まっている国の直轄事業などは17年度比で69億円も増額になっている。国が決める事業費は増額である。
沖縄の翁長知事は、決定された2018年度沖縄関係予算案に対して「総額として昨年度のを下回っていることや、増額を求めていた一括交付金について県や市町村の切実な要望が反映されなかったことは極めて残念だ」と述べた。
沖縄関係予算は各省庁に直接折衝する他府県のやり方と異なり、沖縄に関する国の直轄事業費や県、県内市町村に交付する国の予算を県と各省庁の間に内閣府沖縄担当部局が入って編成し、一括計上して財務省に要求する。
このように沖縄県は、他県と違って一括計上方式がまとまった総額で提示されることになっているので、予算面で国から特別「厚遇」を受けているとの見方をされる訳だが、全国の自治体と比較するとけっして突出しているとは言えない。
それよりも最大の問題点は、政府の基地問題政策と予算の増減額が関連することが多い事だ。沖縄振興予算は基地問題と「リンク」していると言う「リンク論」だ。
今回も沖縄予算担当の江崎沖縄担当相は「リンクさせるべきではない」とか「知事選挙と、こうした予算案は別だ」と強調したが、それは沖縄からはとても信じられない。
過去の歴代を見れば、稲嶺知事が革新大田県政が反対した普天間飛行場の辺野古移設を受け入れを表明した時、振興予算は増加傾向に転じた。その後、稲嶺知事が普天間代替施設の15年使用期限問題で政府と対立、すると予算も3千億円を割るようになった。
仲井真県政の時に振興予算は減少したが、13年12月に辺野古埋め立てを承認すると、14年度は前年度より500億円増の3501億円にも上った。
しかし、14年12月に辺野古移設に反対する翁長知事が就任し、辺野古問題で対立してから安倍政権は態度を変え、17年度から2年連続で減額している。
翁長県政で沖縄関連予算の減額が続く状況について、沖縄の識者からも「政治的な圧力で減らしているのは間違いない」と、「政府が振興策と引き替えに沖縄への基地負担の受け入れを強いてきた構図」の問題点を指摘している。
この指摘どおりである。来年2月の名護市長選や12月の知事選を見据えて安倍政権が翁長県政に揺さぶりをかける狙い「政治的圧力」が、みえみえである。(富田 英司)
2018年、私の抱負 -今こそ、どう生きるかが問われている-
年の初めに、この一年の目標を考えてみたいと思う。昨年は健康管理に気をつけて、体重を落とすためにウオーキングに励むこととしたが、実行できなかった。テレビ番組でも病気に罹らないための情報を毎日のように提供されるが、その自覚がなかなか持てない。きっと、元来のずぼらと楽天的な性格が私をそうさせているに違いない。どうしたら実行できるのか? 何か追いつめられることを計画するか、今年も引き続きの課題だ。
「君たちはどう生きるか」が今、話題の図書でブームになっているが、もうすでに人生の折り返しを通過している私にとって、どう生きてきたかを振り返る作業が大切なのかもしれない。社会との関わりのなかで見えてくるものを、どのように理解し行動につなげるかは、信頼できる正確な情報を得ることなしには実現できないと思う。
政府が打ち出した「共通番号制度」は、本格的に動き出し、私の職場でも再度11月半ばに、個人番号の提出を求められた。ディサービスの責任者が言うには、500人以上の職員の内未提出は私だけで、このまま拒否を続けるなら仕事の存続も保障できないかもしれない、との厳しいものだった。
私は、その場で即答はせず、3日後に共通番号の提供は義務でないとした資料と私の決意を書いたものを、法人本部宛に提出した。私は、もし個人番号を提出するとなれば、私のこれまでの生き方に矛盾し、思いを同じくする知人からも信頼を失うことになるので、やっぱり拒否を続けると決意を書いた。
その後、気にしながら仕事をしていたが、12月に入って責任者との個別の話が設定され、今後の勤務の希望場所を調べるものだった。その時、責任者に番号拒否の結果はどうなったのかを聞くと、「あれは、本部に任せているから」とそっけないものだった。責任者にとっては、共通番号拒否の結果よりも毎日の仕事の配置をどう回していくかで、必死なのだ。
今年も集会とデモ、街頭宣伝と忙しくなりそうだが、自分を見失うことなく、社会に関心を持ち続けたい。読者の皆さん、今年もよろしくお願いします。(恵)
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色鉛筆・・・素晴らしい 漫才に感動
私自身、毎日遠くにある職場と家との往復で精一杯でテレビはあまり観ることはありません。しかし、私自身の心で毎日のように感じている社会の矛盾を、ウーマンラッシュアワーというグループが、見事な漫才で話してくれたと聞き、さっそくユーチューブで観ました。
自分の故郷福井は夜真っ暗。でも原発は三基もあるという問題から始まりました。東京都知事を都民ファーストではなく、自分ファースト。まったくそのとおりです。次に沖縄問題です。内容を紹介します。
村本「現在、沖縄が抱えている問題は?」
中川「米軍基地の辺野古移設問題」
村本「あとは?」
中川「高江のヘリパッド問題」
村本「それらは沖縄だけの問題か?」
中川「いや日本全体の問題」
村本「東京でおこなわれるオリンピックは?」
中川「日本全体が盛り上がる」
村本「沖縄の基地問題は?」
中川「沖縄だけに押し付ける」
村本「楽しいことは?」
中川「日本全体のことにして」
村本「面倒臭いことは?」
中川「見て見ぬふりをする」
村本「在日米軍に払っている金額は?」
中川「9465億円」
村本「そういった予算は何という?」
中川「思いやり予算」
村本「アメリカに思いやりをもつ前に──」
中川「沖縄に思いやりをもて!!!」
一気呵成に畳みかけられてゆく、事実と正論。次に取り上げたのは、熊本です。ここでふたりはいまなお仮設住宅に暮らしている人が熊本で4万7000人、東北では8万2000人もいること、一方で新国立競技場の建設費が1500億円もかかることを掛け合い、「国民はオリンピックが見たいんじゃなくて」「自分の家で安心してオリンピックが見たいだけ」「だから豪華な競技場建てる前に」「被災地に家を建てろ!!!」と展開しました。
さらに、次にぶち込んだのはアメリカと日本の関係です。
村本「現在アメリカといちばん仲がいい国は?」
中川「日本」
村本「その仲がいい国は何をしてくれる?」
中川「たくさんミサイルを買ってくれる」
村本「あとは?」
中川「たくさん戦闘機を買ってくれる」
村本「あとは?」
中川「たくさん軍艦を買ってくれる」
村本「それはもう仲がいい国ではなくて──」
中川「都合のいい国!!!」
村本「現在日本が抱えている問題は?」
中川「被災地の復興問題」
村本「あとは?」
中川「原発問題」
村本「あとは?」
中川「沖縄の基地問題」
村本「あとは?」
中川「北朝鮮のミサイル問題」
村本「でも結局ニュースになっているのは?」
中川「議員の暴言」
村本「あとは?」
中川「議員の不倫」
村本「あとは?」
中川「芸能人の不倫」
村本「それはほんとうに大事なニュースか?」
中川「いや表面的な問題」
村本「でもなぜそれがニュースになる?」
中川「数字が取れるから」
村本「なぜ数字が取れる?」
中川「それを見たい人がたくさんいるから」
村本「だからほんとうに危機を感じないといけないのは?」
中川「被災地の問題よりも」
村本「原発問題よりも」
中川「基地の問題よりも」
村本「北朝鮮問題よりも」
中川「国民の意識の低さ!!!」
言葉の勢いは増し、息をつかせぬまま、最後に突きつけられる「国民の意識」という問題。社会や政治の出来事を風刺する旧来の漫才ネタではなく、情報の多さとスピード感で見る者を引きつけながら、言葉の力で圧倒させました。しかも、毒舌芸人として鳴らす村本らしく、最後はマイクに向かって「お前たちのことだ!」と言い放ち、ステージを去りました。
そのとおりです。みんなで私達の意識を変えて、政治を変えていきましょう。 (宮城 弥生)
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