ワーカーズ579号  (2018/2/1)  案内へ戻る

 一線を超えた空母保有計画!――9条明文改憲と軍備拡張はノーだ!――

 昨年暮れ、防衛省の複数の幹部が海上自衛隊による空母(航空母艦)保有の検討を始めたことを明らかにした。すでに保有している全通甲板(全面が平らになった甲板)を持った護衛艦〝いずも〟の甲板などを改修して、航空自衛隊の垂直離陸可能なF35B戦闘機を搭載できる空母にするといういものだ。

 護衛艦〝いずも〟は、15年の就航当初から全通甲板を持った艦姿に注目が集まり、将来的な空母の保有を狙った〝慣らし就航〟ではないかと指摘されていたものだ。就航当初はヘリコプター搭載型の〝護衛艦〟だと説明し、あくまで空母化を否定してきたものだった。それが今回のいずも空母化の計画浮上である。

 空母の保有は、〝専守防衛〟という基本的考え方に抵触するものだ。安倍政権も含めてこれまでの歴代政権は、空母や長距離戦略爆撃機、それに大陸間弾道ミサイルなどの攻撃的な兵器は、自衛のための必要最低限という範囲を超える〝戦力〟とみなされるとし、その保有を禁じている憲法に違反するとして保有を否定してきたものだった。

 それが現時点で空母化計画にかじを切ったということは、北朝鮮危機という「国難」を追い風として防衛族の永年の野望実現の好機と見て取ったのだろう。が、その理屈が尖閣諸島などの離島防衛のための「防御型空母」だという子供だましの言い分なのだから、その厚顔ぶりに呆れるしかない。

 安倍政権が進める軍拡は、空母保有の他にもある。敵基地攻撃が可能な巡航ミサイルの導入、巡航ミサイルも撃ち落とせる新型迎撃ミサイルの導入、活動地域の拡大などだ。

 安倍政権が執着している9条明文改憲の策動と最近の相次ぐ軍備増強の動きは、現実に近代戦争を遂行できる態勢づくりに向けた二正面作戦ともいえるものだ。私たちとしては、そのどちらの戦線についても、安倍自民党の野望を打ち砕いていきたい。(廣)


 空母保有と敵基地攻撃能力の野望――9条明文改憲と軍備拡張はノーだ!――

 安倍政権下で〝国難〟を口実に進められる軍備増強、ついに空母保有の野望の実現にまで行きついた。

 敵基地攻撃能力の保有、そのための空母保有とその艦載機への巡航ミサイルの導入計画も打ち上げた。

 北朝鮮の〝挑発〟は戦争を呼び込む危険極まる瀬戸際政策はある。が、それを口実に隣国の中国を仮想敵国として軍備増強に走ることは、際限のない軍備増強で北東アジアに戦争への危機を呼び込むものという以外にない。

 安倍政権が執着している憲法改悪の策動と最近の相次ぐ軍備増強の動きは、現実に近代戦争を遂行できる態勢づくりという二正面作戦ともいえるものだ。

 安倍政権がもくろむ、9条明文改憲策動と軍備増強という戦争遂行能力の保有を阻止する二正面的の闘いを拡げていきたい。

◆敵基地攻撃能力

 一面記事にある空母保有計画もそうだが、これまで自民党内や防衛関係者から、敵基地攻撃能力の保持の必要性について多く語られてきた。その期が熟したかのように、いま政権自身が敵基地攻撃能力を持つ兵器や装備品の導入に向けて矢継ぎ早に新しい計画を打ち出している。

 先にも触れたように、敵基地攻撃能力とは、大陸間弾道ミサイルや巡航ミサイル、それに航空母艦、長距離戦略爆撃機などの保有を意味する。要するに、本土から遠く離れた遠隔地を攻撃できる兵器だ。

 まず巡航ミサイルだ。政府は航空自衛隊の戦闘機に長距離巡航ミサイルを搭載するための調査費を新年度の予算案に計上することを決めた。導入は21年度中だとしている。検討しているのは、米国製「JASSM―ER」「LRAS」(いずれも射程900キロ)とノルウェーが開発したJSM(射程500キロ)で、前者はF15やF2戦闘機に、後者はこれから導入が始まるF35ステルス戦闘機への搭載を検討中だという。

 だがこの巡航ミサイル、射程距離が長いため以前から敵地攻撃にも使用可能なものとされてきた。実際、公海上からでも北朝鮮はむろん中国領土にも撃ち込める。が、政府は表向き、目的は敵基地攻撃ではなく離島防衛のためだとか敵基地〝反撃〟能力だとかと詭弁を弄するばかりだ。

 航続距離が長く敵地への攻撃しか用途がない長距離戦略爆撃機は、まだ保有の検討はされていない。が、水面下では当然議論されているだろうし、機が熟せば現実の計画として浮上するだろう。

 大陸間弾道ミサイルは、まだ直接保有や開発計画はないが、頻繁に打ち上げられる国産ロケット技術で実質的には開発・保有する能力はすでにあるも同然だ。固体燃料で打ち上げられるイプシロンロケットなど、その気になれば弾道ミサイルに転用できるし、北朝鮮弾道ミサイルでは確認されていない大気圏再突入技術も、あのハヤブサなどで実証済みだ。付け加えれば、核搭載弾道ミサイルも、政権が決意さえすれば、数ヶ月から半年で開発・配備可能だとも言われている。

 日本は建前上では専守防衛の平和国家を標榜している。が、その気になれば世界有数の攻撃型軍事大国にいつでも脱皮できる潜在力を現実に保持していること、そのための法解釈や周到な計画や布石を打ってきているのだ。

◆変質する日米安保

 安倍政権が進めているこれらの軍備拡張策は、これまでの日本の防衛政策を根底から変質させる可能性を秘めている。

 というのも、日米安保というのは、日本が武力攻撃された場合に、本土防衛は自衛隊、相手国への攻撃は米軍が担う、と役割分担が明確にされているからだ。日本が敵地攻撃能力を持つということは、その役割分担を見直す、変えることを意味する。

 さらには敵地攻撃能力という「戦力」を保有することは、現行憲法の戦力の不保持という原則にも抵触し、結果的に戦争の放棄という憲法上の平和主義の根幹を実質的に否定するものになってしまう。

 だから政府は、今回の一連の兵器や新装備の導入を「離島防衛」だとか「防御型」だというごまかしで突破しようとしている。が、それらはいずれも遠隔地の外国を標的にした兵器であり装備であることは明らかで、再び戦争を繰り返さないとする戦後日本の決意に反するものというほかはない。

 別な問題もある。米国は、日本を米国の軍事戦略・軍事組織に組み込んでいる限り、軍需品の輸出という面で日本に新兵器を供与してはいる。が、日本が再び自律的な軍事大国として登場することは認めない立場だ。自立した軍事大国日本が、アジアや世界でどう振る舞うか、どう受け入れられるかは、極めて不透明なままだ。

◆専守防衛のタガ外れる

 専守防衛からの逸脱といえるものは他にもある。

 昨年8月、核兵器搭載可能なB52と日本の戦闘機部隊が、日本海海域で共同訓練を実施したことが明らかにされている。これまで米軍のB1B爆撃機などとの共同訓練は頻繁に行われてきたが、核兵器を使用する任務に就く可能性があるB52爆撃機との共同訓練は初めてだという。

 この訓練が実践に生かされるケースはといえば、北朝鮮を核攻撃するB52爆撃機を日本の戦闘機が支援するというもので、一昨年強行成立された集団的自衛権の一部を容認した安保法(戦争法)をも超える事態である。

 他にもある。昨年末から朝鮮半島西側の紅海の公海上で、海自艦が警戒監視に当たっていたことが明らかにされた。目的は北朝鮮に対する国連安保理決議の制裁決議を履行するためだとしている。

 場所は日本本土から遠く離れた黄海。韓国・北朝鮮と中国に挟まれた海域だ。公海上とはいえ、振り向けば中国の陸地がある場所だ。これなども北朝鮮危機を口実とした自衛隊の活動領域の拡大に他ならない。

 日本の自衛隊は、PKOなど国連協力活動などを通じて自衛隊の海外活動を拡げてきたが、いままた北朝鮮危機を通じて自衛隊の活動領域を、仮想敵の本命である中国周辺へと今一歩拡大しつつあるというわけだ。

◆自衛と侵攻は表裏の関係

 安倍政権が進める軍備増強のあれこれ。いずれも防御のため、自衛のためと称して拡張路線をひた走ってきた。が、「攻撃は最大の防御なり」という言葉もある。軍事・戦争という土俵上では、攻撃=防御であり、その逆も真なりだ。一つの行為にも両義性はあるのだ。

 米軍によるアフガンやイラク攻撃は自衛権の名のもとに強行されたものであり、近代の戦争行為のほとんどは自衛のための戦争を建前として遂行された。あの日中・日米戦争も、日本にとっては「自存・自衛の戦争」とされていたのだ。

 一国の自衛は他国にとっての自衛で対抗される。それが悪循環の根幹なのだ。軍事力増強は軍事力増強で対抗される。軍事合理性=軍事整合性は軍事・戦争という土俵上では一面では全く正しく思えても、反面では、矛と盾の矛盾そのもので、悪循環は止まらないし、犠牲者もなくすこともできない。

 軍事・戦争という土俵を限りなく狭く、小さくする。このことこそが平和に近づく道だろう。

◆軍事大国、戦争国家化を阻止しよう!

 安倍政権はいま、米国が進める統合防空ミサイル防衛(IAMD)に連動したミサイル網の導入を進めている。17年度の補正予算に前倒しで関連経費を計上した陸上配備型イージズ・システム(イージス・アショア)もその一環だ。

 政府は、今年12月に改訂される予定の新防衛計画大綱に、弾道ミサイルだけではなく巡航ミサイルにも対処できるIAMDの導入を盛り込む方針だという。ねらいは中国が開発を進める「極超音速滑空ミサイル」にも対処できるようにするためだ。すでに導入を決めているイージス・アショアもその一環だし、新しい迎撃ミサイルSM6ミサイルの導入も、飛行経路を捕捉しにくい巡航ミサイルの迎撃を目的としたものだ。

 安倍政権は、実際上の防衛力増強を進める一方、他方では、第一次政権時の「価値観外交」を引き継いで第二次政権になってから「地球儀を俯瞰した外交」を掲げて安倍外交を展開してきた。昨年からは「自由で開かれたインド太平洋戦略」を掲げ、インド太平洋地域を「自由や法の支配、市場経済を重視する場にしていく」という建前での外交に力を入れている。これは明らかに中国が進めるシルクロード経済圏構想(一帯一路構想)との対抗戦略であり、日米に加えてインドやオーストラリアを軸に形成していくというものだ。

 麻生政権の「自由と繁栄の孤」にしても、安倍首相の「価値観外交」や「地球儀を俯瞰しての外交」も同じだ。あくまで中国への対抗心を軸にした冷戦時の戦略構想を土台とした構えなのだろう。が、長期にわたる高い経済成長を背景に世界第二位の経済大国日本を追い越し、いまや米国を追い越す勢いの中国と対抗しても、思惑どうりに推移する見込みはない。時代認識の欠如という以外にない。そんなことに執着するよりも、中国といかに協調していくかを考えるのが外交というべきものだろう。

 ともあれ、憲法改悪への野望と実体的な戦争遂行能力の確保は、戦争国家化に向けた二正面作戦と見ることもできる。私たちとしては、そのどちらの戦線についても、安倍自民党の野望を打ち砕いていきたい。(廣)案内へ戻る


 「働き方改革法案」をめぐる政労使の論争・・『ジュリスト12月特集号』に見る

 一月二二日、通常国会の所信表明演説で安倍首相は「働き方改革を断行する」と表明しました。「働き方改革基本法案」が上程され、審議が始まります。折しも法律雑誌『ジュリスト12月号』では特集「働き方改革の実現に向けて」を組み、巻頭鼎談「働き方改革と法の役割」で、労働者側・使用者側の双方の弁護士が、意見をぶつけ合っています。また司会役の京大教授は冒頭、この法案を提出するに至った政府側の意図を「成長戦略」との関わりで述べています。そこで、この鼎談の要旨を紹介し、重要な論点をピックアップしてみましょう。

Ⅰ.はじめに

★司会は京都大学教授・村中孝史、労働者側の弁護士・徳住堅治、使用者側の弁護士・中山慈夫、以下氏名略。( )内は筆者が付記しました。

【司会】(労使双方の意見を)
本日は、働き方改革の実現に向け、法がどのような役割を果たすべきか、労働者側、使用者側で長年活躍された弁護士とお話させていただく。最初にこの間の動きを時系列的に整理しておく。

1.働き方改革をめぐる議論の経緯

【司会】(成長戦略の一環として)
平成24年12月に発足した安倍内閣は、デフレ脱却をめざし「3本の矢」(金融政策、財政政策、成長戦略)を進める方針をとった。このうち成長戦略は、平成25年6月に閣議決定された「日本再興戦略―JAPANisBACK」で、日本産業再興プランの柱の一つとして「雇用制度改革」が挙げられ「行きすぎた雇用維持型から、労働移動支援型への政策転換(失業なき労働移動の実現)、女性・若者・高齢者の活躍推進、高度外国人材の活用」などが指摘された。具体的には「働きすぎの防止、時間でなく成果で評価される制度、裁量労働制・フレックスタイム制の見直し、多様な正社員、最低賃金の引上げ」。これを受け、最低賃金を引上げる一方、平成27年4月に国会に「裁量労働制の拡大、高度プロフェッショナル制度創設」の労基法改正案が提出されたが成立せず、今回の関連法案に一本化されることになった。

平成27年の総裁再選後「1億総活躍社会」、平成28年1月の所信表明演説で「同一労働同一賃金」を打ち出し「検討会」も設置された。6月に閣議決定された「ニッポン1億総活躍プラン」では、経済成長の隘路である少子高齢化の問題で「子育て・介護・教育の環境整備」と「働き方改革」が指摘された。これを受け、平成28年9月に首相の私的諮問機関として「働き方改革実現会議」が発足し、平成29年3月に報告書を出した。

働き方改革実行計画のグランドデザインは、わが国の経済成長を阻む要因として、技術革新や投資の欠如とともに、少子高齢化による労働人口の減少があるので、労働参加率を高め労働生産性を向上させる必要がある。しかし今の働き方は画一的で、働きたくても働けない人を生んでいる。したがって日本の企業文化を変化させ、正規・非正規間の不合理な格差を是正し、長時間労働をなくし、誰もが労働参加できる制度にする必要がある。労働参加率と労働生産性が向上すれば中間層が厚くなり、出生率の改善にもつながる。

今回の法改正は、平成27年改正案(高度プロフェッショナル制度)と一本化され、労働基準法、労働契約法、労働者派遣法、雇用対策法、労働時間設定改善法、じん肺法、労働安全衛生法と多岐にわたっている。本日は、労働時間関連と同一労働同一賃金関連について検討したい。

2.全体的な感想

【使用者側弁護士】(罰則は性急過ぎ、段階的な実施を)
 時間外労働の規制は罰則で強制するもので、平成31年4月の施行は性急すぎ、段階的になされるべきだ。電通事件が相当影響している。民間企業は「平成30年問題」と言われる「有期契約の無機転換権発生」(平成30年4月から)や「労働者派遣法の期間制限」(同9月から)の対応に追われており、特に中小企業への配慮が不十分ではないか。法案要綱は、極めて短時間のスピード審議で策定された。本来は各産業界の意見や中小企業の実情を調査し、段階的にやるのが本筋ではないか。

【労働者側弁護士】(高プロ法案一括、過労死ライン、派遣労使協定は問題)
 長時間労働削減と同一労働同一賃金・非正規労働者の待遇改善は時宜を得たものだが、8本の法案の一括提出は問題だ。国会審議が充分保障されない。特に企画業務側裁量労働制、高度プロフェッショナル制度は、時間外規制と真逆の法的性格を有している。時間外上限の罰則付きは評価できるが、「特別条項の上限時間」に「過労死ライン」の数字をそのまま用いたことは問題だ。非正規労働者の待遇改善は、「有期雇用者にも差別取扱い禁止」が設けられ、「派遣労働について不合理な待遇の禁止規定」が設けられたことは評価できるが、「派遣元との労使協定」により「派遣先労働者との不合理な待遇の禁止」が不適用になるのは、現場の労働者の団結の実情から疑問だ。

Ⅱ.労働時間法制について

1.労働時間の上限規制

【司会】(残業の上限規制と適用除外)
労働時間関係では、残業の上限時間を設けることが目玉になっている。今までは「告示の限度時間」であったものを「法律」に格上げし「罰則」を適用する。時間外労働の限度時間を「1ヵ月45時間、1年360時間」とする。変形制の場合は42時間、320時間だ。また従前「特別条項」として認められていたものは、時間外の上限として720時間を定める。以上に加え、休日労働を含んで2ヶ月、3ヶ月、4ヶ月、5ヶ月、6ヶ月の「平均で80時間以内」、「単月で100時間未満」という制約。時間外労働が45時間を上回るのは6ヶ月までという制約。こういう規制の上で、「適用除外」として従前の「新技術、専門開発、研究開発業務、自動車運転業務、建設」に「医師」を加えた。それぞれのお考えは?

【労働者側弁護士】(悪質な長時間労働に罰則は必要)
 罰則付きには賛成だ。過労死・過労自死やブラック企業・ブラックバイトの事件では、信じられないほどの長時間労働、残業代不払いが蔓延している。労基法は取締法規だが、最も法律不遵守の分野の一つで、検察当局も起訴に消極的だった。最近、厚労省のカトク班(過重労働撲滅特別対策班)による摘発、起訴も増えてきた。裁判所も電通事件のように、略式起訴でなく正式裁判で審理するようになった。労使関係に関して刑罰での処理が必ずしも妥当とは思わないが、これほど悪質な長時間労働や不払い残業をなくすには、刑罰の実行はやむをえない。

【使用者側弁護士】(規制は複雑過ぎ、企業の準備時間確保を)
罰則付きは、企業の実態を踏まえて段階的に導入すべきだ。これまでの長時間労働規制の手法は、上限を「36協定」つまり労使の合意で決めて、他方で行政上の指導監督と健康管理措置を義務付ける形になっていた。しかし、いきなり罰則付き上限規制をすることは、企業にとっては激変となる。法施行までの準備時間の確保が必要だ。今回の内容は非常に複雑で、民間企業が簡単に準備できるものではない。労働者ごとに労働時間情報をリアルタイムで把握する「情報計算ソフト」も必要だ。

【労働者側弁護士】(これまでの特別条項は上限がなかった)
今までの特別条項には上限規制がなく、1000時間を超える企業もあった。中小企業以下では、正社員として雇いながら働かせずくめにする長時間労働が蔓延し、女工哀史の時代よりも長くなっている。職場の労働時間管理の秩序を回復するには、当面罰則の強化が必要だ。

【使用者側弁護士】(繁忙期にはやむをえない場合も)
労使で特別条項を締結している企業には、労基法遵守の観点から、特定の繁忙期だけに時間外労働が増えるため、上限時間を多めに設定している例もある。繁忙期で取引先との関係で36協定の上限違反がやむをえず発生した場合は、直ちに刑事罰で対応するのではなく、まずは行政の是正指導で労使の業務改善を促すのが基本ではないか?

★以下「2.特別条項(三六協定)」、「3.過労死認定との関係」、「4.上限規制の適用除外」、「5.平成27年改正法案(高度プロフェッショナル制度)」、「6.労働時間規制の効果について」と、「Ⅱ.労働時間法制について」の個々の論点ごとに、労使双方から具体的な問題点が指摘され論争点となっています。また続いて「Ⅲ.同一労働同一賃金法制について」でも同様に、「1.パート労働法と労働契約法の改正」、「2.労働者派遣法の改正」、「3.説明義務と履行確保・紛争解決」、「4.同一労働同一賃金規制の効果」と、各論点での論争が続きます。紙面の関係で、これらは項目のみ紹介しました。この他「鼎談」では扱っていませんが「女性・高齢者・外国人」の分野でも、多くの論争点があるわけです。実はそれらはすべて、私達現場の労働者自身が、知っておかなければならない実務的知識なのだということを、忘れてはなりません。各論点について是非「ジュリスト12月号」を通読・熟読されることをお勧めします。最後に、司会と労使双方の弁護士による総括的見解を紹介しましょう。

Ⅳ.総括・働き方改革は実現するか?

【司会】(労働参加率は高まるか?弊害はないか?)
最後に、全体として政府が考えているような方向、今まで労働に参加できていなかった人も労働に参加していくのか。あるいは日本の雇用制度のプラスの面も崩れてしまう心配もないか、感想を一言ずつ伺う。

【労働者側弁護士】(労働組合の姿勢が弱いのが問題、悪しき商慣行も是正を)
労働者側の願いは、働きがいのある人間的な労働、ディーセント・ワーク、ワーク・ライフ・バランスの実現だ。電通過労自死事件もあり、厚労省もブラック企業に対する監督指導を強め、企業名を公表している。一部の企業では目に余る長時間労働が横行している。私が残念に思うのは、労働組合の自主的姿勢が弱いことだ。適正な36協定を締結し、長時間過重労働を点検し、過労死・過労自死をなくす強い決意を持ってもらいたい。非正規労働についても、労働組合の組織率は低く、非正規労働者の抱える問題を知らない、関心がないという状況だ。もう一つ重要なのは、悪しき商慣行の見直しだ。過剰なサービスをなくす、無駄な業務をなくすことを、労使ともに徹底してやる必要がある。そうしないと労働意欲も涌かないし、疲弊した労働者と鬱病患者をうむだけだ。

【使用者側弁護士】(企業の実情も理解し時間をかけて)
働き方改革は、1億総活躍社会の柱のひとつとして掲げられたが、当事者は民間企業の労使だ。企業の実情をよく理解してもらいたい。その点で今回の改正法案には疑問だ。人手不足の追い風もあって長時間労働は是正されてくると思う。フレックスタイム制度、企画業務型裁量労働制、高度プロフェッショナル制度については、果たしてどのくらい活用されるのか注目したい。非正規と正規の賃金差是正は、一定の時間をかけて、裁判例の進展に基づいて労使が取り組んでいくべきで、性急に行政が介入するのは控えるべきだ。

【司会】(法制定を過信せず、労使の取り組みのきっかけに)
働き方改革は、今の雇用のあり方にメスを入れるものだが、私は法ができることには、あまり過信しない方がいいと思っている。ただ立法はきっかけにはなる。やはり労使での会社の中の取り組みをしないと、うまくいかないと思う。

★以上、「鼎談」の要旨一部を紹介しました。これから国会の審議経過を注視しながら、労働団体や自主的労働者グループなど様々なルートで国会議員に働きかけ、国会議事堂前の集会・デモなどの大衆行動を組織し、全国各地で街頭宣伝や職場での学習討論集会を繰り広げていきましょう。その際、労働者側は日頃なじみのない専門的な法律知識も学びつつ、議員側に対しては職場実態を具体的に知ってもらうことが、双方向の課題となります。そのためにも、今回の『ジュリスト12月特集号』に見られる具体的争点について、しっかり捉えておくことは有意義だと考えます。(松本誠也)案内へ戻る


 「建国記念日」(神武東征説話)を問い直す!

  二月十一日は「建国記念の日」。一八七三年(明治六年)に「神武天皇の即位」にちなんで制定された「紀元節」が、いったん戦後廃止され、その後一九六六年(昭和四十一年)に「建国記念の日」として復活されたものです。しかし、日本の国民国家の成り立ちを記念する日として、古事記・日本書紀にある「神武天皇の即位」を「祝う」のは、果たして相応しいのでしょうか?法制定当時から「なぜ明治維新ではなく古代天皇制国家なのか?」、「そもそも神武天皇は実在したのか?」など、疑問や反対の声が上がり、今日に至っています。そこで、「神武天皇の即位」とは何だったのか?またそもそも日本の古代国家の成立は、どのようなものだったのか?改めて、考えてみたいと思います。

●「紀元節」から「建国記念の日」へ

 『日本書紀』における「神武東征・即位説話」(神武紀)をもとに、明治政府が暦学者の協力で計算したところ、「西暦紀元前六六〇年 二月十一日」に当たるとされ、これを「紀元節」と定め、休日としました。「皇国史観」による国民統合のはじまりです。

 この皇国史観は、明治維新当初は「廃藩置県」、「地租改正」、「学制発布」など、旧幕藩体制を打破し「上からの近代化(資本主義化)」を推進するために、旧武士層などの抵抗を抑えて、国民を近代国家に動員する役割を果たした面は否定できないでしょう。

しかし、日清戦争の前後からは、小学校で天皇皇后の「御真影」(写真)への最敬礼・校長の「教育勅語」奉読の儀式が行われるようになり、第一次大戦の前後からは、全国の神社での「紀元節祭」、さらに満州進出が本格化する頃からは、青年団や在郷軍人会による「建国祭」全国開催など、しだいに軍国主義との結びつきを強めるようになりました。

 第二次世界大戦後、紀元節はGHQにより廃止されましたが、その後日本が独立を回復した一九五二年頃から復活運動がおき、数度の法案国会提出・廃案の後、一九六六年の祝日法改正で「建国をしのび、国を愛する心を養う」との趣旨で「建国記念の日」が定められ、政令で二月十一日と定められたものです。

●「神武東征」説話とは?

 「神武天皇」というのは後の呼び名で、古事記・日本書紀には「伊波礼毘古命」(イワレビコノミコト)と記され、彼は天孫降臨のニニギノミコトの子孫で、日向(今の宮崎県)に居たとされます。

 ある時、イワレビコと兄のイツセ(五瀬命)が高千穂の宮で話し合い「何の地に坐さば、平らけく天の下の政を聞し看さむ。猶(なお)東に行かむと思い、即ち日向より発して、筑紫に幸行す。」とあります。つまり、日向(宮崎)では、統治がうまくいかないので「なお東に行こう」ということになり、日向を出発したというのです。

その後、宇佐(大分)、筑紫(福岡)、吉備(岡山)等に立ち寄り、それぞれの地で数年間滞在し、地元の豪族の支援を得ながら、瀬戸内海を東進します。そして「白肩の津」(シラカタノツ)今の大阪湾から上陸しようとしたところで、近畿在地勢力の「ナガスネビコ」の軍勢と戦闘となり、兄のイツセは矢傷がもとで死んでしまいます。

大阪湾からの正面突破に失敗したイワレビコの軍勢は、方針を変更し紀伊半島沖(和歌山)を迂回し、熊野(三重)に上陸し、背後から奈良盆地に侵入し、在地勢力の宇陀のエウカシを惨殺し、死体を切り刻んで見せしめにし、「畝傍の橿原宮」に陣取りました。
これをもって「神武天皇が大和に即位した」とされるのが、「神武東征・即位」説話の概要です。

●「神武架空説」をめぐって

 江戸時代の国学者・本居宣長の古事記研究を踏襲し、神武東征を「史実」として疑わなかった皇国史観に対して、戦後は実証的歴史学の立場から様々な批判が出されました。

 津田左右吉は文献実証的立場から、神武以降の八代の天皇説話に具体的な業績の記述が無いことから(欠史八代問題)、「神武東征架空説」を唱えました。そして「実際には十代目の崇神天皇からが実在」と主張し、今日歴史学会の「常識」とされています。

 続いて考古学者の江上波夫は、同じく神武架空説ながら「神武東征」説話は全くの作り話ではなく、古墳の副葬品に北方騎馬民族と共通する馬具・武具が見られることから、「騎馬征服国家説」を唱え、「朝鮮から渡来した騎馬民族の崇神(ミマキイリヒコ)の勢力が、いったん九州を統治しさらに大和を征服した史実が、神武説話に投影されている」と主張し、現在でも根強い支持を得ています。

 これに対して、古田武彦は神武説話を具体的に検証し、その東征経路が弥生後期における瀬戸内海や大阪湾の古い地形に合致することなどから、後世の作り話ではなく、史実を反映していると主張し、大きな反響を呼びました。また古田武彦は、「東征」ではなく「東侵(侵略)」であり、「建国を祝う」には全くふさわしくないと道義的にも批判しています。

●古田武彦の「神武東侵」批判

 以下、古田武彦の説を参考に考察してみましょう。

 第一に、神武(イワレビコ)が侵入してくる以前に、近畿地方には「ナガスネビコ」や「エウカシ」等を首長とする「銅鐸文化圏」のクニがあったと見られます。このことは、大阪湾でイワレビコを迎え撃ったナガスネビコの軍勢が強力であったことからもうかがえます。神武が侵入するずっと以前に、近畿地方はすでに「建国」されていたということです。もっともそれは、弥生後期の「地域国家」のひとつということにはなりますが。

 第二に、神武(イワレビコ)が大和盆地で、宇陀のエウカシを惨殺し、橿原宮で「即位」したとはいえ、その後の「欠史八代」に見られるように、その支配域は大和盆地の一部に留まり、周囲は依然としてナガスネビコ勢力に包囲され、地域国家にも満たない「ミニ豪族」の域を出ていないことがうかがえます。とても「建国」などというレベルとは言えません。このことは、弥生時代の近畿・中部地方を中心に広範に出土していた銅鐸が、弥生後期に奈良盆地だけ消滅しているという考古学的事実とも照応します。

 第三に、神武勢力の末裔が「欠史八代」を経て、ようやく東西へ「征服活動」を開始するのは、約二百年後の崇神天皇の代からです。ただし、その「新・近畿地域国家」も、その後内乱を繰り返し、王朝・王統は断絶し、けっして「万世一系の大和朝廷」などとは言えないものです。例えば武列天皇には子が無く、後継者争いで内乱となったあげく、遠い北陸地方から「応神天皇の五世の孫」というふれこみで豪族がやってきて、「継体天皇」を名乗ったとされています。

●古代の列島には複数の地域国家

 以上まとめると、津田・江上の「神武架空説」はさておき、仮に古田の言うように「神武東征は史実」としても、その実態は、①「建国」ではなく、既にあった近畿銅鐸文化圏の「地域国家」における一部地区の豪族支配権を、武力で「簒奪」したにすぎない。②しかもそれは地域国家の「建国」にも程遠く、依然として周囲の銅鐸文化圏勢力に包囲された、新参者の「ミニ豪族」として崇神までの約二百年をすごしたにすぎない。③その後も内紛や内乱で王統・王朝は断絶を繰り返し、「万世一系の大和朝廷が続いた」などとは言えない、これが古田説から浮かび上がる歴史の真相ではないでしょうか。皇国史観のイメージとはずいぶん異なります。

 古代の日本列島には、九州北部の筑紫、山陰の出雲、瀬戸内海の安芸・吉備、近畿の大和など、複数の地域国家が分立していたのが実態と考えられます。同じ時期、朝鮮半島にも、高句麗、百済、新羅、伽耶(諸国)という地域国家(群)が分立していたのと同様です。こうしてみると、九州地域国家の一豪族が、近畿地域国家の一部に侵入し割り込んだ、というのが「神武東征」の客観的位置のように見えてきます。

●日向の民衆から「神武東進」を見直すと?

 さて、民衆の側から「神武東征」説話を見直すとどうなるでしょうか?

まず日向(宮崎)にいた「神武」こと「イワレビコ」は、なぜ、「天孫降臨」以来の気候温暖な土地を離れ、「東へ行こう」と決意したのでしょうか?一説には「土地が痩せていたから」とも言われます。確かに、宮崎や鹿児島の気候は温暖ですが、土壌は「シラス台地」と呼ばれる火山灰ゆえ、水田稲作には不向きです。痩せた土地を開墾し発展させる見通しが立たず、その地を離れる決心をしたのかもしれません。ですが「農業共同体の統率者」としては、いかがなものでしょうか?取り残された民衆は、どう思ったでしょうか?

日向の民衆の一部、特に若い青年男子はイワレビコの一行に加わったかもしれませんが。大半の人々はその地に留まり、痩せたシラス台地を苦労して開墾せざるを得なかったでしょう。また水田稲作に依存せず、焼畑農業や漁業、鹿や猪の狩猟、豚の飼育、豊かな森林資源による木材交易などを工夫し、独自の社会発展を模索したのでしょう。

●奈良盆地の民衆から「神武侵入」を見直すと?

 一方、イワレビコ(神武)の軍勢に侵入された奈良盆地の民衆の側からはどうでしょうか?

 実は、イワレビコ(神武)が来る以前に「ニギハヤヒ」と言う、やはり「天孫系」の有力者がやってきていたことが、古事記・日本書紀には記されています。奈良盆地にやってきたイワレビコの面前に、ニギハヤヒが名乗り出て「私はあなた方と同族の者だ。先にやってきて、地元のナガスネビコと共に統治している。」と自己紹介したというのです。

 つまり、奈良盆地の人々は、もともとは外来者に対して寛容だったことがうかがえます。西から来た新参者を歓迎し、クニの統率者の一員として取り込んできたのです。

 ところが、ナガスネビコと協力したニギハヤヒと違って、イワレビコは敵対者として侵略してきたのです。古事記・日本書紀では、エウカシがイワレビコを歓迎する酒席を設けた際に、弟のオトウカシが「罠が仕掛けてある」と密告したため、逆にエウカシを罠に追い込んで殺したと記されています。

 一般に在来の共同体が外来者を迎える時、一方では歓迎の酒席を設け交流を深めつつ、その客が敵か味方か見極めつつ、万一敵対してきた場合に備えて、武器や罠も準備しておくのが普通です。ところで、設置しておいた罠に自ら追い込まれて死ぬようなヘマを、共同体の首長ともあろうエウカシがしでかすでしょうか?むしろ、エウカシが交流の席でイワレビコを「敵」か「味方」か見極めているうちに、何かのことで意見が対立し小競り合いになり、イワレビコに不意打ちにされたというのが真相ではないでしょうか?

 奈良盆地の民衆は、自分達の指導者を騙しうちにされたことに激しいショックと憤りを感じたでしょう。ただ、民衆の側からすれば、支配層が入れ替わっても、自分達の暮らしを守ってくれるならば、新たな統治にしたがう場合もあるでしょう。例えば、新しい土木技術を伝えてくれて、農地の開墾を指導してくれたなら(残念ながらイワレビコはそういう人物ではなさそうですが)。

 いずれにせよ、奈良盆地の民衆は、不満ながら新たな統治者のもとで、引き続き農地を耕し、社会を豊かにする努力をしていったのでしょう。ただし、飢饉や疫病などがあると、新参の統率者に抵抗することもあったでしょう。古事記・日本書紀に「天ツ神」では国を治めることができなくなり、「国ツ神」を復活させたことが記されています。

●古代国家の成立は未解明

古代国家の成立は、弥生時代の後期から古墳時代にかけての出来事であり、その実像はまだまだ未解明です。①古事記・日本書紀などの文献実証批判、②古墳や住居遺跡などの考古学的分析、③魏志倭人伝や新羅・百済史などの同時代史料の分析などを地道に積み重ね、多角的に解明しなければなりません。

「建国の日」を設けるなら、あくまで「学問としての歴史に国民が親しみ、平和な社会を展望する日」とすべきではないでしょうか。古事記・日本書紀を批判的に読み直したり、遺跡や遺物を見学したり、中国や朝鮮の歴史書と比較したりして、一人一人が歴史を見る目を養うことが大切です。そして、何より私達の社会というものは「国家」が「成立」するはるか以前から「共同社会」の営みとして、またアジア各地からの移民が協力し合いながら、農民・漁民・手工業者などの人々の労働によって作られてきたことを忘れてはなりません。「建国」の枠にとらわれず、「共同体」「移民」「労働」の視点から「社会建設」の歴史をこそ「しのぶ」べきですし、また同時に「国際社会」や「地域社会」をこそ「愛する心を養う」べきではないでしょうか?(松本誠也)案内へ戻る


 「エイジの沖縄通信」(NO.47)「米軍ヘリまた不時着」「注目の名護市長選」

①またしても米軍ヘリの不時着事故

 1/23日夜、今度は渡名喜村の急患搬送用ヘリポートに普天間飛行場所属のAH1攻撃ヘリが不時着し、村は大騒ぎになった。

 1/24日午前には、整備を終えて離陸して普天間飛行場に到着。その後、午後から普天間飛行場を離陸して飛行している。
 今月だけで伊計島、読谷村、渡名喜村の民間地に米軍ヘリが不時着する事故が多発した。さすがに小野寺防衛相も「あまりに多い」と、普天間所属の同型機12機の緊急総点検と飛行停止を米側に要求する異例の対応に踏み切った。

 ところが、米軍は政府の停止要求を無視して飛行訓練を強行。政府の思惑は空振り。この異例の対応は、2月4日の名護市長選向けの「選挙対策」との見方が強い。

 翁長知事は、米軍がすぐに同型機の飛行再開したことに対し「とんでもない話で怒り心頭だ」と批判。さらに「米軍は制御不能になっている。管理監督が全くできない」と厳しく批判した。

 誰が考えても、そのうち米軍ヘリが大きな墜落事故を起こすのではないか?と考えてしまう。県民の命を預かる翁長知事と沖縄県民の「怒り」と「飛行停止」は当然の要求である。ところが、日本政府は「飛行停止を要求し米側に無視され、それ以上の要求が出来ない」情けない姿勢である。

 この情けない日本政府の姿勢について、「日刊ゲンダイ」は次のように論じている。

 『立ちはだかるのが日米地位協定の「壁」だ。

 日米地位協定に基づく特例法で、米軍機は日本の航空法の義務規定の適用除外。航空法は住宅密集地などでは300メートル以上、それ以外の場所でも150メートル以上の高度を保つよう定めているが、米軍機は日本上空を飛びたい放題という「治外法権」状態が続いている。

 フザケたことに、米軍機は日本の米軍住宅の上空では普天間第二小のような低空飛行は絶対にしない。なぜなら米国内法がそうした危険な飛行を禁じており、その規定が海外の米軍居住地にも適用されるためだ。

 「米国内法では、鳥類やコウモリなどの野生生物から歴史遺跡まで、それらに悪影響があると判断されれば、もう飛行訓練はできません。飛行禁止区域の指定が優先されて、計画そのものが中止となります」(米在住ジャーナリスト)

 つまり前出の航空特例法があるため米軍にすれば日本国民の扱いはコウモリ以下で「OK」。こんなヒドイ人権無視の状況を放置しているのが、ひたすら米国ベッタリの安倍政権なのだ。』

 確かに今の日米関係の根本的な見直しは「日米安保条約」にある。

 しかし、翁長知事や沖縄県民の「県民・子どもたちの命を守りたい」という立場、米軍ヘリの落下物が起きた緑ヶ丘保育園父母会の署名要求に「保育園上空を飛ばないで下さい」と書かれていた。沖縄県民の状況(米軍用機の墜落の恐怖)考えれば、すぐにでも「日米地位協定の見直し」が必要である。

 維新以外の野党は、近く合同で米国大使館に米軍機運用の是正を申し入れると言っている。この通常国会でも相次ぐ米軍ヘリ事故に対する安倍政権の弱腰対応を追及する構えで、さっそく衆議院の代表質問で玉木希望の党代表が「9条改正の前に、日本の調査や捜査を制限している日米地位協定の見直しが先だ」と従来よりも踏み込んだ発言をした。

 地位協定見直しを通常国会最大の焦点としてほしい。野党はここが正念場だ!

②注目の名護市長選

 26日の衆議院本会議の代表質問の際、松本内閣副大臣が米軍ヘリの不時着などを取り上げた共産党志位委員長の質問に対して「それで何人死んだんだ」とのヤジを飛ばした。 さっそく沖縄から猛反発が続出。

 渡名喜村の桃原村長は「人の命を何だと思っているのか。恐ろしいことを口にする」と。沖縄県幹部も普天間第二小学校の運動場に窓を落下させたことを取り上げて「子どもが死なないと何も動かないのか」と非難。

 驚いた政府は、松本内閣大臣に辞表をすぐに提出させた。いつもと違い、この速やかな「辞任劇」はなぜか?2月4日(日)投開票の名護市長選問題である。これ以上、この問題が大きくなれば、言うまでもなく自民党の渡具知氏が不利になるとの思惑からである。

 この名護市長選は、「オール沖縄」翁長知事陣営の「稲嶺名護市長」を敗北させ、辺野古新基地建設に弾みを付けたい日本政府。何としても「稲嶺名護市長」を守りたい翁長知事陣営の大激突である。安倍政権と翁長県政の「代理戦争」と言われる。

 マスコミの選挙状況は「五分五分」であるとの予測が多い。この「五分五分」になった理由に、公明県本部の方針転換がある。公明の県本部は辺野古新基地建設に反対の立場である。2014年の前回市長選挙においては、公明は「自主投票」を選択し、市内に二千の基礎票を持つとされる公明支持者の票は分散した。その結果、稲嶺氏が四千票の差をつけて圧勝した。

 しかし、今回の市長選については公明は自民党・渡具知武豊氏(名護元市議)を全面的に応援している。創価学会の原田稔会長も沖縄入りし応援する位だ。

 自民党も昨年末から菅官房長官や二階堂幹事長ら自民の大物が次々と沖縄に入りしてテコ入れをしている。選挙戦に入れば人寄せパンダの小泉進次郞氏を沖縄入りさせるようだ。

 当然、この市長選は「辺野古新基地建設」の賛否を前面に出して争われる選挙になると思われた。ところが、渡具知氏の記者会見の政策発表には「辺野古」の文言がなかった。辺野古建設の賛否を明らかにしなかった。その事をマスコミから問われた渡具知氏は「私のスタンスは司法の判断を注視すること」と述べただけ。

 ところが、何でもありの選挙戦を進めている政府は、もし渡具知武豊氏が当選したら米軍再編事業の進捗状況に応じて交付する「再編交付金」を交付すると言い出した。

 前に示したように、渡具知氏は辺野古新基地建設について賛成・反対を明確に示していない。ところが、防衛省幹部は「渡具知氏は辺野古を否定していない。交付できる」と。誰が見ても「選挙目当て」の解釈で、渡具知氏を後押ししたい思惑が見え見えである。

 日本政府の全面的な支援を受けた自民党・渡具知氏と闘う稲嶺陣営は、厳しい選挙戦だが「負ける訳にはいかない」とフル活動を展開している。

 市長選と同日に告示・投開票となる名護市議補選に、辺野古「ヘリ基地反対協」の共同代表の安次富浩氏が立候補した。辺野古反対の稲嶺氏と安次富氏のコンビでの選挙戦は心強いものになるだろう。(富田 英司)


 読書室 『北朝鮮がアメリカと戦争する日 最大級の国難が日本を襲う』 香田洋二氏著 幻冬舎新書
       『朝鮮半島終焉の舞台裏』 高橋洋一氏著 扶桑社新書


 弾道ミサイル発射と核実験を繰り返す北朝鮮。アメリカとの緊張関係は極限までに高まっている。こうした状況下、アメリカが北朝鮮を武力攻撃しない理由はない、つまり緊急出版され開戦必至との見解を披瀝した二冊の著書を紹介する。

 著者である香田洋二氏は元海上自衛隊自衛艦隊司令官(海将)であり、2008年に退官し、翌年から2011年までハーバード大学アジアセンター上席研究員であった人物である。そして高橋洋一氏は、竹中平蔵氏の下で郵政民営化の実務を取り仕切った人として知られている。両者ともに現在は安倍政権とも親和性が高い人物であり、北朝鮮情勢に対する認識も安倍政権とほぼ同じ見解と見なして構わないものと考えて間違いないだろう。

 最初の香田氏の本の構成を紹介する。

 第一章 米朝開戦Xデー
 第二章 核・ミサイル開発の執念
 第三章 北朝鮮VS.アメリカ七0年
 第四章 アメリカによる北朝鮮攻撃はこう行われる
 第五章 中国の脅威・ロシアの思惑
 第六章 米艦防護と日本の国益

 続いて高橋氏の本の構成を紹介する。

 はじめに
 第一章 爆発寸前の朝鮮半島
 第二章 半島をめぐる周辺国のお家事情
 第三章 米朝のチキンレースの結末
 第四章 専守防衛国・日本にできること
 第五章 日本が進むべき道
 おわりに

 これらの本の読み方については、香田氏の本をメインに据えて高橋氏の本を周辺諸国の北への情勢認識の基本に織り込みつつ、読むことが適切だと考える。今現在、北朝鮮情勢において私たちが決定的に重要で確認すべき事は、まさにこの軍事的な視点なのである。

 現在マスコミでは平昌五輪に向けて北と韓国の融和が喧伝され、アイスホッケー等の統一チームの話題が取り上げられている。しかし昨年末に北と米国の秘密交渉が続けられている事実が報道されており、現段階での交渉内容は全く知らされていない。当然であろう。そのため、私たちはこれら二冊で、現在の北朝鮮情勢を推察するしかない現状である。

 香田氏は、何と2016年秋には米国が北朝鮮に対して電撃的な攻撃を始める意思を固めたと断言する。時期が来れば何の前ぶりもなく静かに米国は攻撃する―これが香田氏の確信である。それゆえに今の静かさは只様子を見ているだけだ、と香田氏は言う。
 高橋氏も国連制裁決議も昨年11月末までに9回積み上げ、もう限界に近づいていると主張する。そして高橋氏はロシアには北に構う余裕が無く、中国には力がないと見る。

 さらに北と米国の交渉の核心は、非核化を北が受け入れるか否かである。米国は非核を受け入れない北には容赦ない攻撃をすると見るのが順当である。ネオコンで『戦争にチャンスを与えよ』の著書を持つエドワード・ルトワックも北への先制攻撃を薦めている。

 私たち反戦勢力の力量不足もあり、北との開戦は今まさに必至の情勢である。そしてこの闘いにおける米国の戦術については、香田氏の本の熟読を期待する。 (直木)案内へ戻る


 コラムの窓・・・1・17 雨の東遊園地

 阪神・淡路大震災から23年、1月17日は午後から神戸地裁で西宮こしき岩アスベスト訴訟第8回口頭弁論があり、その傍聴のあと東遊園地に向かいました。いつも集会とデモの集合地になるところですが、足元がぬかるんでひどいことになっていました。

 鎮魂の思いが込められた雪地蔵ももとのかたちをなくし、竹筒のロウソクもおおかた消えていました。慰霊に訪れた方々の想いのこもったこの会場は、同じ震災を経験した私にとってよそよそしくもあるのです。

 あの日の前日、3女と4女が箪笥によじ登り、飾り棚を落としてガラスを割ってしまい、その飾り棚が震災で寝ていた娘たちの上に落ちたのです。私たち夫婦はガラスがなくてよかったと胸をなでおろしたものです。

 あらゆる家具が倒れ、玄関は開かなくなっていました。それも、1階だったのでベランダから出られ、そのあと外からこじ開けたのですが、しばらくは玄関が閉まらない生活を送ることになりました。とは言え、さいわいにも家族6人誰も怪我しなかったのです。

 とは言え、長女が通っていた市立西宮高校は校舎が壊れ、次女と3女が通っていた上ヶ原南小学校は何と二部制授業になり、学校が始まるまで兄の家(母がいて、風呂にも入れた)で預かってもらったり、それはそれで苦労したものです。また、団地の通路には大きな段差ができ、水道が出るようになるまで近くの臨時給水場を利用していました。

 私はといえば翌日から出勤してできる仕事はしていたのですが、郵便網も乱れていたので通常の配達とはいえないものでした。あのころ、担当区によっては悲惨な現場に出会った同僚もあったのですが、私が担当していた西宮市の南東部は比較的被害が少なくてすんでいました。

 結局のところ、私はあの震災で何も失わなかったし、悲しまなければならないこともなかったのです。一方で、周囲には家族を亡くされた方もあるし、近所の学生寮では関学の学生が命を落としています。そんなこともあって、何かしらの後ろめたさを感じることがあるのです。

 さて、月日がたっても震災の傷跡は消えません。借上げ復興住宅からの被災者追い出しと、がれき処理に従事した労働者のアスベスト禍が当地では大きな問題となっています。20年の借り上げ期間が過ぎて、神戸市と西宮市では住民を被告席に立たせる追い出し裁判を強行し、神戸地裁では住民敗訴判決が出ています。

 がれき収集などに従事した元明石市職員が悪性腹膜中皮腫で亡くなり、その妻が「地方公務員災害補償基金」を相手に1月15日、公務災害認定を求める訴訟を神戸地裁に提訴しました。がれき処理は災害発生だけではなく、アスベスト含有建材を使用した建築物の解体でも健康被害を引き起こします。

 神戸新聞によると、今年度中に最多60団地で入居期限が来るそうです。国際人権法では、強制立ち退きは(原則)規約違反だと言います。安倍首相やその取り巻きは韓国による「日韓合意」(公式文書すらないのに)の見直しを口汚く非難していますが、この国では政府も裁判所も憲法が条約順守義務を課していることを知らないのです。

 自らに非があるのに他を責めることしかできない、そんな非常識が世界に通用すると思っている人たちが国を動かしているのかと思うと、気が重くなるものです。 (晴)


 安保ブンドの秘密を知る人がまた一人死んでしまった・・・西部邁氏の自死について

 安保ブンドの秘密を知る人がまた一人死んでしまった。言わずと知れた西部邁氏のことである。彼は後進のために語るべき事を語らずに多摩川で入水自殺したのである。

 日本の階級闘争上で特筆すべき安保闘争を牽引した第一ブンドは、安保闘争後に大きく4グループに分裂し崩壊してしまう。ほぼ同時期だが一寸早く組織された革共同に流れ込むグループもあり、結局はブンドは日本の新左翼の源流の一つとなったのである。

 第一次ブントへの主な結集者の名前を挙げておくと、委員長は北大の唐牛健太郎氏、書記長は結成時東大医学部3年の島成郎氏、日共分裂時は主流派で静岡県立静岡高等学校から東京大学に進み、島の右腕となる生田浩二氏(その後ペンシルベニア州立大学に留学し、火事で33歳の若さで事故死した)、共産同第6全共後の解体状態の全学連を島氏と共に再建し、組織部長・共同戦線部長として砂川闘争を中心となって進め、後に政治評論家になる森田実氏がいた。理論的な指導者としては青木昌彦(姫岡玲冶)氏がおり、「姫岡論文」は終始ブント全体に大きな影響を与え理論的支柱の役割を果たしたのである。

 とくに青山氏は、現在中国において米国に留学した俊英らにスタンフォード大学で数理マルクス経済学を教え込んだ人物として大いに感謝されている存在だと伝えられている。

 その他の有名人としては、成蹊高等学校から東大へ進学、そして都学連の役員、全学連執行委員長、後に東大、神奈川大学で教鞭をとり、編集者・政治評論家となる塩川喜信氏、全学連執行委員の西部邁氏、同じく全学連執行委員の林兄弟、つまり後に保守派へ転向した東女教授の林道義氏、共産同共産主義の旗派、日本共産労働党、共産主義者同盟(旧共旗派だけの組織)、全国社会科学研究会(全国社研)、マルクス主義労働者同盟(マル労同)、社会主義労働者党(社労党)、マルクス主義同志会を経て、労働の解放をめざす労働者党の代表者となる道義氏の弟の紘義氏がいた。その紘義氏も今は老醜の極みである。

 その他、加藤尚武氏、柄谷行人氏、香山健一氏、その後中核派となる全学連書記長の清水丈夫氏、陶山健一(岸本健一)氏、北小路敏氏、革マル派となるブント労対部の鈴木啓一(=森茂)氏、根本仁(土門肇)氏らがいた。まさにブンドが新左翼の源流なのである。

 第一次ブンドに結集した人たちの中には、ブンド崩壊後に神戸の山口組に居候した唐牛氏らやアメリカに留学した青山氏や生田氏らや東女教授になる林道議氏や最終的に東大教授なった西部邁氏等々、ブンド崩れの「華麗」なる転身は如何にして可能だったのか。

 田中清玄氏やキッシンジャー氏や中曽根氏との関係も是非とも知りたいところである。

 今回、多摩川に入水して自死してしまった西部氏はまさに己のことでもあるので、死ぬ前にこの真実を後進のために是非とも話すべきであったと私は考えるのである。 (猪瀬)案内へ戻る

 ★ 【共産主義者同盟(共産同、ブント)は、1958年(昭和33年)に結成された日本の新左翼党派。主に全学連を牽引していた学生らが日本共産党から離れて結成し(一次ブント)、60年安保闘争の高揚を支えたが1960年解体。1966年に再建されたが(二次ブント)1970年に再び解体し、戦旗派、全国委員会派、ML派、赤軍派など多数の党派に分裂した。学生組織は社会主義学生同盟(社学同)。

1958年12月、共産主義者同盟 (一次ブント)の結成大会議案では、「搾取、貧困、抑圧、服従の絶滅と人間の真の解放を意味する世界共産主義革命」、「大衆的な革命党の結成とプロレタリア独裁の実現」、「マルクス・レーニン主義の革命的伝統」などを掲げ、「今日すべての共産主義党は平和共存と一国革命の絶対化、世界革命の放棄においてその本質は同一」とし、日本共産党を「代々木官僚」による「裏切り的性格」、革命的共産主義者同盟は「革命的理論の欠如」と批判し、また「既存の一切の党に信頼をおかず」、「一枚岩の団結の神話を捨て」、「組織の前に綱領」ではなく「実践の火の試練の中で真実の綱領を作りあげねばならぬ」などと記し、1959年8月 第3回大会で採択した規約では、一国の社会主義建設の強行と平和共存政策によって、世界革命を裏切る日和見主義者の組織に堕落した公認の共産主義指導部(スターリン主義官僚)と理論的、組織的に自らをはっきり区別し、それと非妥協的な闘争を行い、新しいインターナショナルを全世界に組織するために努力し、世界革命の一環としての日本プロレタリア革命の勝利のために闘うと宣言し、「マルクス・レーニン主義の復権」や「プロレタリア国際主義」、「世界革命」などを掲げた。】ウィキペディアより抜粋


 読者からの手紙・・・“防衛”を理由とした、歯止めなしの軍拡路線と戦争容認論を見直そう!。

 安倍首相は今国会において、長距離巡航ミサイル(最大射程900キロ)導入は「相手の脅威圏外から対処でき、自衛隊員の安全を確保しつつ我が国を有効に防衛するため」「自衛のための必要最小限度のものだ」と強調したが、海上自衛隊最大のヘリコプター搭載型護衛艦「いずも」を空母化する計画などと合わせて考えると、これまでの弾道ミサイルや長距離爆撃機などの敵基地攻撃用の「攻撃型兵器」は「保有できない」と解釈してきた姿勢から、積極的にこうした「攻撃型兵器」を導入する方向へ転換した。

 破壊力の強弱の違いがあるにせよ、長距離巡航ミサイル導入『専守防衛の必要最低限』発言は、自国防衛の為に核抑止論で核武装を宣言した北朝鮮の主張とどこが違うのか!

 18年度の防衛予算案は6年連続増で、5兆1911億円。“イージス・アショア”の導入検討など含めて過去最高額であり、北朝鮮による核・ミサイル開発や中国の海洋進出といった脅威に備えるとして、防衛力を増強する安倍政権の軍拡路線はとどまることを知らない。

 国連憲章51条には 国家の自衛権(「個別的・集団的自衛権とも)はすべての国連加盟国に認められており、その為、“防衛”のための戦争や軍拡は正当化され、“防衛”のための戦争や軍拡の総て、こうした理由で行われ、今も続いている。

 “防衛”を理由とした戦争や軍拡路線は相手の武力を破壊し、建物を壊し、人を殺すことを目指すもので、どこまで行っても結果として建設的でなく破滅的なことにしかならない。

 “防衛”を理由とする戦争や軍拡路線など、社会にはびこる破壊的行為やそれにつながる軍拡競争について、人類の未来の為に見直す時期に来ているのではないか!(M)


 色鉛筆・・・ある日の辺野古ゲート前座り込み

 今年に入り1月25日現在で、米軍ヘリの不時着が3回。それ以前からも相次いでいる墜落、部品落下などのトラブルの原因は、機体の老朽化、米国防費の予算削減による整備不良等によるものだという。

 昨年12月に普天間第二小学校の校庭に落ちたヘリ窓枠は約8㎏もあり、しかも児童からわずか10メートルだった。その直前の保育園屋根への部品落下では、あと数十センチずれていたら子どもを直撃していたという。今は遺憾だの抗議の申し入れなど言っている場合ではなく、一刻も早い基地の閉鎖しかない。

あきれることに政府はこの事態を前に「辺野古に基地を造れば、市街地でなく海上を飛行するから安全になる(1月24日安倍総理国会答弁)」とのたまう。もしそれが本当だと言うなら、それに反対するゲート前や海上の現場の人たちを、こんなにも沖縄の安全確保のじゃまをしているのだと、全国に報道すれば良い。2月4日投開票の名護市長選でも正々堂々と主張すればいいのだ。それが出来ずむしろ必死で辺野古隠しに奔走するのは、政府自らこの主張が破綻していることを知っているからだ。

昨12月26日『名護市民投票から20年!辺野古テント村座り込み5000日集会』に参加。その日、キャンプ・シュワブゲート前に約500人が結集した。

今日までの長い闘いは「結いの会」の女性が言ったように「政府は試合中にルールを変え、そのルールも無視」という困難の連続だった。だが不屈のこの闘いは政府にとって大変な脅威でもある。「弾圧にめげずこれからも頑張ろう!」「基地は造らせない!」固い決意の声が次々に上がった。

連日9時・12時・3時の3回に、200台を超える大型車両の搬入があり座り込みで抵抗を続けている。1年前の20数台と比べて凄まじい加速だ。

 26日私たちは、3時の搬入に備えて2時半からゲート前に座り込んだ。残念ながら集会終了後残ったのは約100名。2時50分機動隊の大型車両がたくさん来て、座り込みの強制排除が始まった。

 マスクをした無表情の機動隊員が多い。物、それもゴミか何かを持ち運ぶ様な3~4人がかりのごぼう抜き。太った男性も、涙を流す女性もたちまち追いやられる。悲鳴や怒号、マスコミや警察のカメラなどが入り乱れる中、ゲート入口がこじ開けられた。左右に押しやられた私たちの前は、民間警備員と機動隊員による二重の人垣が立ちふさがる。すると見たこともない見上げる様な大きなダンプ車両が、びっしり列をなして入ってゆく。その車列はいつまでもいつまでも続く。悔しくて涙が出る。

 それでも果敢にダンプの合間を縫って道路横断を繰り返してダンプを止めようとする女性達。その中のIさんは70代、逮捕も拘束も経験しているが、すこしも怯まない。若い頃基地で働いていたと聞く。クバ笠をかぶるAさんは、沖縄戦の時幼い妹を壕の中で泣かすなと日本兵に殺されている。

これだけ大きな「公共工事」を、地元名護市、沖縄県ともに反対する声に一切向き合うことなく強行する政府。工事に反対し不当に逮捕・拘束された山城博治さんたちに、3月14日判決が下されると言うが、裁かれるべきは彼等ではなく、政府の方だ。

「民意を押しつぶし、人の生活環境を破壊し、美ら海を壊し、ましてや人殺しの基地を造ろうとする。・・あなたたちは四重の加害者だ。自覚はあるのか?6歳児でもわかる。」 これはゲート前の横断幕に書かれていた言葉。(澄)

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