ワーカーズ584号 2018/7/1
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政権延命のためだけの経済財政(骨太)方針――借金頼みの政権延命で何をやる!
安倍内閣が先月15日、経済財政運営と改革の基本方針(骨太の方針)を閣議決定した。
その最大の特徴は、2020年とされた財政健全化指標である基礎的財政収支(プライマリーバランス=PB)の黒字化を25年へと5年間後送りするものだった。PBの健全化は、繰り返された消費増税の先送りやばらまき財政を正当化するものとして、かたちばかり掲げてきたものだったが、この期に及んであっさりと先送りしてしまったわけだ。
現実はといえば、借金1000兆円時代。財政健全化は避けてとれない課題だ。深まる格差社会や高齢化社会を前提にすれば、本来は所得再配分に資する所得税の累進課税や法人増税で賄うのが当然だ。が、安倍政権は大衆課税である消費増税で賄うとの姿勢を崩していない。本末転倒も極まれり、だ。
しかもその消費増税ですら後送りしてきたのは、ひとえに安倍首相が傾倒する歯止めのない軍事大国化と戦前回帰につながる憲法改定にあった。それが自身の内閣の存在意義だとの思惑もあったのだろう。そのために、負担増の後送りと軍事費をはじめとする膨張財政を続け、黒田日銀を動かして株高と好景気を演出する金融緩和を続けてきたわけだ。
ところが肝心の改憲機運は、この1年間で大きく削がれてきた。
一つはモリ・カケ疑惑で、政権自体の正当性に関わる内閣支持基盤が大きく揺らいでいることだ。自らの疑惑に言い逃れするに終始し、白々しく開き直る様を延々と見せられて、世論の安部離れはかつて無く拡がっている。安倍首相が信用できないとの声は7割前後を占めているのだ。そんな安倍首相による改憲スケジュールがとんとん拍子に進むわけもない。
それに追い打ちをかけているのが、皮肉にも米朝、南北朝鮮の緊張緩和だ。あの〝歴史的〟といわれたトランプ・金正恩会談を挟んで、朝鮮半島情勢が安定化へと大きく動いている。いまだ着地点ははっきりしないが、昨年10月の総選挙時に安倍首相が掲げた〝国難〟に立ち向かう、という勇ましい旗印は遠くかすんでしまった感もある。
そんな安倍政権による財界や防衛族に甘いばらまき政策、他方で憲法改定はほぼ絶望的、政権延命のためだけの金融緩和と放漫財政に様変わりしている。そうした自転車操業による〝後は野となれ山となれ〟の無責任なアベノミクスと戦前回帰路線の安倍政権は、一日も早く退陣に追い込む以外にない。(廣)
「働き方改革法案」の反労働者的な仕掛けを許すな!
「働き方改革基本法案」は衆議院で強行可決され参議院に送付され、安倍政権は会期を延長し是が非でも成立させようとしています。しかし労働時間調査をめぐる「データ捏造」疑惑から財界の「宿願」であった「裁量労働制」の営業職への拡大が見送られるなど、資本側から見ても法案は「見掛け倒し」なものになっています。
●資本側からも「期待外れ」
焦点となっている「高度プロフェッショナル制度(脱時間給)」は、実は財界関係者の間でも、実際にどのくらいの企業が導入するか疑問で、当面は「様子見」なのが現状で、それよりも「裁量労働制の拡大」の方が経営者見たら「旨み」のある実利だったからです。実際、大手不動産会社では、現行では「経営中枢の企画立案」や「専門職」に限定されている「裁量労働制」を脱法的に営業職に適用し労基署から摘発されており、その「合法化」のためにも「裁量労働制の拡大」は切実な要求でした。その意味で安倍政権の「裁量制見送り」は、「期待外れ」であり、財界から冷ややかな視線をあびているのです。
●「労働時間原則」の破棄宣言
見方によっては「高度プロフェッショナル」は、今のところそのまま実施できる企業は限られており、その意味では「象徴的」な意味しかないとも言えます。しかし、労働者側から見たら「象徴的」だからどうでもいいとは言えない深刻な意味を持っています。それは「労働の価値」を「労働時間」で計るという基本原則を、資本側が捨て去ったという「象徴的」「原理的」な意味を持っているからです。国会議事堂前で「過労死遺族の会」が、連日のように抗議行動をしているのは、「労働の価値は労働時間で計る」という原則を否定すれば、その影響は労働全般に波及することが目に見えているからに他なりません。
●すでに空洞化している規制
すでに多くの労働者が「企画調査型・専門職型の裁量労働制」や「事業場外型みなし労働時間制」のもとで、超過勤務手当なしの長時間労働を強いられています。現行の「裁量労働制」のもとでも過労死は多発しています。「名ばかり管理職」のもと、実質的に管理職とは言えない労働者も「時間外労働規制」の適用を除外されています。「36協定」を無視した「不払い残業」も横行しており、労基署や厚労省の摘発も追いつかない状態です。労働時間規制は、すでに空洞化してしまっているとも言えます。
●「時間外規制案」も骨抜き
今回の法案では「時間外労働の上限規制」も「過労死ライン」の「月100時間」まで容認されている始末です。さらに運輸労働者は「5年間の経過期間」のもと、適用から外されています。医師や教師も別扱いとされています。長時間労働の規制は、労働者側からすれば、全くの「骨抜き」であり「期待外れ」です。それでも資本側からは「性急すぎる」「中小企業には経過措置が足りない」と不満が上がり「経過措置の上乗せ」が求められている状態です。
●歴史的な長時間労働の慣行
いったいどうして、このような長時間労働がまかり通るようになったのでしょうか?高度成長期に需要拡大に対して、商社マンなどのホワイトカラーを筆頭に「モーレツ社員」像をあおり、他方で下請け会社には無理な「納期短縮」をせまり、長時間労働を当然視する企業慣行を形成しました。一転して90年代のバブル崩壊で、企業は「経営危機」を理由に人員削減のリストラを進め、ギリギリの人員で「成果を上げろ」とせまり、「残業代無き長時間残業」が常態化するようになりました。さらに正規職員を減らし、パート・契約社員・派遣社員など非正規労働者を導入しました。低賃金化された短時間労働者の側からすれば、一つの雇用では生活が維持できないため、ダブルワーク(パートの掛け持ち)に走らざるを得なくなります。このように歴史的に形成された、長時間労働の日本的労務システムの根幹には触れようとしないため、あらゆる点で「取り繕い」に終始しているのが今回の法案の特徴なのです。
●同一労働・同一賃金の抜け穴
取り繕いは「同一労働・同一賃金」についても言えます。「法案」とセットで示されている「ガイドライン」では、肝心の「賃金」本体については事実上、企業の裁量に任され、「諸手当」や「福利厚生」等の周辺の労働条件のみ、合理的理由なく差別してはならないとされているだけです。「通勤費」や「忌引き」などに限られてしまいかねません。
さらに「派遣労働者」に至っては、派遣先の労働者との格差は「派遣元で労使協定を結ばない限り認められない」とされますが、裏を返せば派遣先との格差を認める「労使協定」を結べば、格差は容認されてしまうわけで、派遣社員の団結が困難で、そのような不利な労使協定を阻止できる条件が乏しいことを見越した規定と言わざるを得ません。
●団結の再構築が不可欠
このように、長時間労働の問題にせよ、賃金格差の問題にせよ、抜け穴だらけの法案であり、結局のところ労働者に不利に働きかねないと言えます。私たちはこうした法案の反労働者的な仕掛けを許すわけにはいきません。同時に、労働組合の再活性化や、労働委員会を活用した闘いを繰り広げて、労働者側からの反撃を行っていくことが求められていると言えます。人間的に働き続けられる社会をめざし、国会の内外とともに、職場からの闘いを再構築しましょう!(松本誠也)
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軍事的対峙から交流・共存へ――消滅するか?〝北朝鮮の脅威〟――
さきの南北・米朝首脳会談によって、朝鮮半島情勢は劇的に変わろうとしている。金正恩が朝鮮半島の非核化を正面に掲げて米朝関係を大きく動かし、朝鮮半島で38度線を挟んだ緊張関係が解消される可能性も出てきた。
安倍政権が、当初から一貫して続けてきた北朝鮮敵視姿勢や圧力一辺倒路線は変更を余儀なくされている。これまで日本の軍事力強化の根拠とされてきた〝北朝鮮による脅威〟をあげつらうことが出来なくなっている。
仮に北朝鮮の軍事的脅威が解消されれば、これまで掲げてきた軍備増強の根拠もなくなり、対中国へと脅威の対象を変更せざるを得なくなる。いまや経済的にも軍事的にも日本を遥かに凌駕する実力を持つ中国を現実的な脅威だとし、軍事的に対峙する道を進むべきだとでもいうのだろうか。
◆消える?北朝鮮の脅威
今年に入ってから朝鮮半島情勢は劇的に動いた。
まず、今年の新年の金正恩談話で平昌オリンピックへの参加に言及し、それを皮切りに、南北首脳会談や米朝首脳会談を実現させ、自らの核放棄と引き換えに、米国による金正恩体制の保証、米韓軍事訓練の中止、在韓米軍の削減へのトランプ大統領の言及などを引き出してきた。
そんな中、北朝鮮による脅威への対処だとする陸上配備型迎撃ミサイルシステム(イージス・アショア)の日本本土への配備を、安倍首相や小野寺防衛相は、配備理由をあっさり覆して強行しようとしている。
イージス・アショアは、安倍首相が〝国難突破〟という旗印を掲げて臨んだ昨年10月の総選挙後の昨年末、北朝鮮の弾道ミサイルの脅威を根拠として導入を決めたものだ。衆院を解散した直後の9月25日の記者会見でも「少子高齢化、緊迫する北朝鮮情勢、まさに国難とも呼ぶべき事態に強いリーダーシップを発揮する。自らが先頭に立って国難に立ち向かっていく。この国難を乗り越えるために、どうしても今、国民の声を聞かなければならない。」と〝国難〟を煽ってきた。表向きはあくまで北朝鮮による弾道ミサイルの脅威だった。
この〝国難突破〟総選挙で自民党は大勝し、麻生財務相からは「北朝鮮のおかげ」という本音発言が飛び出したことは記憶に新しい。
同じ趣旨の発言は、今年の通常国会での所信表明演説でもあった。「北朝鮮の核・ミサイル開発は、これまでにない重大かつ差し迫った脅威であり、我が国をとりまく安全保障環境は、戦後、もっとも厳しいと言っても過言ではありません。」と、北朝鮮による脅威を最大級で煽っている。
それが一連の米朝交渉などで朝鮮半島の緊張が緩和され「日本にいつミサイルが飛んでくるか分からない状況は明らかに変わった」(管官房長官)と情況は様変わりした。なのに、小野寺防衛相は配備予定の現地説明会を強行し、また現地調査を実施する業者を選ぶ一般競争入札を公告した。また国会では安倍首相も「導入方針は変わらない」と答弁している。イージス・アショアの導入は変わることはないというわけだ。北朝鮮情勢がどうなろうと、関係なかったことになる。
◆不都合な真実
そんなイージス・アショアの本土配備、安倍首相は平然と〝抑止力の強化〟のためだ、と根拠を拡げる発言をしている。そういえば、今年1月に小野寺防衛相が米国ハワイ州にあるイージス・アショアの実験施設を視察した際に、北朝鮮の脅威とは別に、「いずれ巡航ミサイルなどミサイル防衛に役立つ基礎的なインフラに発展させていきたい。」と、対中国などへ用途を拡大させる考えも明言していたのだ。むしろ本命はこっちだったというわけだ。防衛省の幹部から「国民に受け入れやすくするため『北朝鮮の脅威』を説明として使ってきたが、もう通用しない。」と本音が漏れてくるありさまだという。 まさに〝不都合な真実〟ということだろう。
北朝鮮の脅威を根拠にした軍備増強は、まだまだある。今年の所信表明演説で安倍首相は、スタンド・オフ・ミサイルの導入にも言及した。これは相手の射程外の場所から撃ち込むミサイルのことで、長距離弾道ミサイルや巡航ミサイルを指す言葉だ。表向きは離島防衛だとしているが、敵国に打ち込むことも可能で、明らかに攻撃兵器でもある。
また小野寺防衛相は、ヘリコプター搭載護衛艦「いずも」をF35Bステルス戦闘機を搭載するため、改修を検討していることを3月2日に予算委員会で明らかにした。その他、自民党政務調査会は5月29日、新防衛大綱などに対する提言で、軍事費のGDP費1%枠の撤廃や「いずも」空母化、それに敵基地攻撃能力を持つ巡航ミサイルの保有などを提言している。これらは、いずれも安倍首相の軍事力拡大路線に呼応したもので、党と政権があい呼応して軍事力拡大に邁進する姿勢を示している。
これらはいずれも北朝鮮の脅威を煽り立てて軍事力増強を進めようとする安倍政権の狙いに沿って進められてきたものだ。言い換えれば、自分たちが狙う適地攻撃可能な軍事力拡大を進めるために、北朝鮮の脅威を必要以上に煽り立てて来たことの結果である。13年の特定秘密保護法、14年の集団的自衛権の行使容認、15年の戦争法の強行成立、17年の共謀罪成立等々。実質的な戦時体制の確立への野望に向けて、麻生財務相が言うように、そのすべてで北朝鮮の脅威は大いに役立ったというわけだ。
◆対峙ではなく交流と共存へ
ところが事態は劇的に動いた。トランプ・金正恩会談を経て、朝鮮半島は融和に向けて大きく舵を切った。慌てたのが安倍首相だ。米国の威を借りる安倍首相としては、トランプ大統領の選択に異を唱えるわけにはいかない。それまでの圧力一辺倒は棚上げせざるを得なくなり、会談への賛意や拉致事件の解決に向けた関与策に乗り出さざるを得なくなった。そのためには日朝関係の過去の清算が不可欠であり、そうなれば拉致事件の解決に光も射す。
ところが、軍備増強や戦時体制の話になれば、これまで大いに利用できた北朝鮮脅威論が使えなくなる。仮に北朝鮮の核やミサイルの脅威が相当程度低下すれば、それを根拠としてきた安倍政権や防衛相、自民党国防部会にとってその理由自体がなくなってしまう。現に、配備予定とされた山口県や秋田県では、配備を警戒する声が拡がっているという。当然だろう。仮に戦時ともなれば、真っ先に相手国の攻撃対象とされる可能性が高いからだ。
北朝鮮による脅威論が使えなければ、当然、本来の仮想敵国が浮上することになる。むろん中国だ。
現に安倍政権は、中国とは尖閣諸島だけでなく、外交的にも軍事的にも全面的な中国包囲網の形成に向けてインド太平洋地域での首脳外交を繰り拡げてきた。「いずも」空母化や長距離弾道ミサイル・巡航ミサイルなどによる敵基地攻撃能力は、事実上、中国を対象としたものになっている。
その中国はといえば、かつて日本の援助などで経済的な離陸を果たしたかつて〝途上国〟中国ではないし、同盟国の米国にとって踏み潰すことも簡単な北朝鮮のような小国でもない。今では名目GDPで日本の3倍、購買力平価では日本の4倍以上の経済大国であり、軍事予算も公式なものだけでも日本の5倍もある軍事大国なのだ。
その中国と本気で対抗しようと考えれば、自民党が示したNATOの目標と同じGDP費2%としても日本の軍事費は現行の2倍の10兆円にも増やす必要がある。米国に軍事的に対抗するのと同じように不可能な話なのだ。
いうまでもなく、脅威とは〝攻撃能力〟と〝攻撃意志〟のかけ算だ。攻撃能力は米国を始め中国やロシアなども保有している。が、攻撃意志は外交努力などで緩和もできる。悪循環が避けられない軍事力整備に巨額のカネを投入し続けるぐらいなら、中国との交流事業に、現在の日本の軍事予算のたった1割、5000億円ぐらいを政府間交流やNGO・労組間など民間交流に廻す方が、両国の交流と共存に大いに資することは間違いない。
ただし、そうした事業ができるのは、安倍首相の「戦前回帰」や習近平の「中華民族の偉大な復興」をみるまでもなく、日中両国家、両政権ではない。両国の労働者階級の連携など、労働者・大衆自身による共同作業を通じてしか実現できないというべきだろう。
東アジアの善隣友好関係づくりのためにも、日本では安倍政権を退陣させ、南北朝鮮や中国の労働者・民衆との連携による東アジアでの善隣友好関係づくりをめざしたい。(廣)
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アピール(米朝首脳会談)実は金正恩、名はトランプの〝曖昧合意〟
――米朝正常化はスタートライン―― 2018.6.13 ワーカーズ事務局
6月12日、〝歴史的〟な米朝首脳会談が行われた。結果は〝曖昧合意〟。金正恩は実を、トランプは名を手にした形だ。
発表された米朝首脳共同声明の内容はといえば、前文と4項目の合意事項、それに後書きという簡単なものだった。しかも合意4項目を見れば、「新しい米朝関係」「朝鮮半島の平和体制」「朝鮮半島の非核化」「遺骨回収」であり、しかもそれぞれ「約束」「尽力」「努力」というものでしかなかった。米国にとっては「曖昧合意」という大きな譲歩。金正恩にとっては、「安全の保証」を手にするという初戦での善戦だ。
トランプ大統領は、歴代米国大統領の対北朝鮮政策は失敗の積み重ねだと批判、自身の政権では北朝鮮の完全で無条件の非核化を実現できると豪語していた。が、結果は曖昧合意、トランプ大統領の譲歩が目立つ。かつての6カ国合意に比較しても、曖昧合意という他はない結果に終わった。トランプ大統領にとって、20年の大統領再選や今年秋に迫った中間選挙を意識して、前政権に対する批判よりも支持者向けの〝具体的な成果〟を獲得したいという変わり身なのだろう。
他方、金正恩にとって今回の首脳会談は願ってもない場面だった。祖父や父親の時代を含め、金王朝の生殺与奪の軍事力を持つ米国を対話の場に引きずり込むため、ミサイル発射や南北間の緊張を高めるなど、瀬戸際政策を繰り返さざるを得なかった北朝鮮。それがいまやっと米国大統領を交渉の場に引きずり出せたからだ。
そんな両国の「曖昧合意」の象徴は、いうまでもなく「非核化」の中身とレベルだ。
首脳会談後の共同声明では、「非核化」の意味合いは大きく変わっている。米国を始め国連安保理決議での「非核化」とは、北朝鮮の「無条件での核放棄」だった。が、共同声明ではいつのまにか「朝鮮半島の非核化」になった。
「朝鮮半島の非核化」とは北朝鮮が主張していたもので、非核化と経済支援の段階的な実施、それに核攻撃可能な在韓米軍の撤退や米韓合同軍事演習の廃止など.要は北朝鮮敵視政策の撤廃=金体制の保証を含む概念のものだった。
だから今回の首脳会談の結果は、崖っぷちの金正恩の捨て身の賭が通り、再選を意識した「歴史的成果」への誘惑にかられたトランプ大統領の譲歩を引き出した、ということになる。
今回の共同宣言での曖昧合意は、詰めの交渉という第二ステージに入る。今後の展開は相互の妥協の模索となる可能性が高いとはいえ、まだ確定的に予測することはできない。が、米朝対話の失敗、軍事的緊張の高まり、軍事的な衝突、といった事態は絶対に避けなければならない。米朝両国はむろん、周辺国も含めて冷戦構造を最終的に終結させる責任を負っていることを銘記すべきだ。私たちとしても、そうした事態をまねかいないよう、米朝対話を監視、牽制し続ける必要がある。
今回の米朝対話を歴史的に俯瞰すれば、米国の歴史的な衰退の一里塚だとみえる。
トランプ大統領は、対北朝鮮での歴史的成果を手にするため妥協に走った。が、これは「米国ファースト」というトランプ大統領の公約に沿ってはいる。中東からの撤退姿勢やTPP撤退、それに米朝首脳会談直前に開催されたG7サミットでの米国の孤立という事態も、同じ発想からのものだろう。〝世界の警察官〟から一国主義、孤立主義への回帰という〝内向き姿勢〟だ。G7サミットとほぼ同時に開催された中国とロシアが主導する上海協力機構(SCO)首脳会談の参加国拡大も考えれば、まさに米国の歴史的な衰退の一場面を象徴するものだろう。
日本としては、安倍政権の圧力一辺倒路線が破綻したことは明らかだ。
安倍政権は、かつて日本が朝鮮併合の当該国だった忘れたかのごとく北朝鮮の核保有や拉致問題を非難してきた。ところがその日本は、米国による核の傘の維持強化を追い求めるに止まらず、自国の核保有の野望のために北朝鮮による核の危機を煽ってきたのが実情なのだ。北朝鮮に本気で核放棄を求めたいなら、まずは米国の核の傘を否定し、自国の核保有の野望を放棄すべきなのだ。
また拉致問題についても、あの朝鮮併合などの謝罪と補償を誠実に実行したうえで被害者の救済を実現すべきなのに、実際は、自身の国家主義・排外主義的政治に利用しつづけ、拉致被害者の救済に背を向けてきたのが実情なのだ。
安倍首相によるトランプ頼みの圧力至上主義に依拠した朝鮮半島政策は完全に破綻している。南北朝鮮などとの善隣友好の関係づくりは安倍政権を倒す闘いと表裏のものとして追求する他はない。
ともあれ、朝鮮半島の冷戦構造の終結は、北朝鮮の労働者・民衆にとって、新しい環境が開けることを意味する。本来であれば、金独裁体制打倒の闘いは、北朝鮮の労働者・民衆の権利であり課題でもある。が、実質的な戦時体制と国内的な〝王朝〟とも揶揄される金体制のもとでは、それも困難な状況下に置かれていたのも事実だ。
米朝正常化は、南北朝鮮、それに日中も含めた労働者民衆による国境の壁を越えた連帯への可能性を開くことに通じる。労働者にとって新たなステージでの闘いの出発点になるわけだ。そういう意味で、今回の米朝対話と朝鮮半島の平和への一歩を、私たちにとっても新しい未来を切り開く闘いの出発点としたい。
読書室 白井聡氏著『増補「戦後」の墓碑銘』 角川ソフィア文庫
2015年に出版されたこの文庫本の親本には、その帯に「『戦後』の断末魔=安倍政権を歴史の屑籠に叩き込め!」と書き込まれていた。実に闘いの本なのである。そしてその本では、白井氏の名付ける「永続敗戦レジーム」の構造を極めて具体的に解説していた。かくして白井氏は自民党や安倍政権に対する歴史的、社会的、精神的に全面的で見事な暴露を敢行しつつ、日本に生起しつつある新たな革命のヴィジョンを指し示したのである。
白井聡氏の代表作の一つは、2013年に出版された『永続敗戦論―戦後日本の核心』である。この本は2014年に第35回石橋湛山賞、第12回角川財団学芸賞を受賞した。白井氏の狙いは「戦後」=「平和と繁栄」の物語を批判的に再検証して、「戦後」を認識の上で終わらせることにある。
そしてこれまでに流布されてきた「戦後」の概念の吟味に取り組み再定義された「戦後」の概念とは、実に「永続敗戦」であるというものだ。さらに戦前のレジームの根幹が天皇制であったとすれば、戦後レジームの根幹は「永続敗戦」であり、「永続敗戦」とは「戦後の国体」であると言ってもよい、と白井氏は断言する。
では「永続敗戦」とは一体何か? 端的には1945年の日本の敗戦とその後の占領により必然化され、また敗戦の帰結としての政治・経済・軍事的な意味での直接的な対米従属構造が永続化される一方で、敗戦そのものを認識において巧みに隠蔽する、
つまり敗戦それ自体を否認し続ける自民党等の歴史認識・歴史的意識の構造そのものを指している。
それ故に自民党等は日本の敗戦をはっきりと否認したので、その後もいつまでもズルズルと米国に負け続けていく状態を、白井氏は「永続敗戦」だと定義しているのである。
こうした分析を基礎として「戦後」を批判的に再検証して見せた白井氏は、次いでその核心となる時評を『週刊金曜日』に連載を月1回、2014年2月7日から開始した。
この本には『週刊金曜日』に2014年2月7日号から2015年7月3日号までの間に月1回連載された鋭い時評が、第1章「戦後」の墓碑銘と題してまとめられている。
注目される現下でのアベノクラシー(安倍政治)の墓碑銘のすべてを紹介しておく。
対米従属支配支配層の抱えるディスコミュニケーション
安倍内閣が筆頭、権力者に蔓延する反知性主義
対米宣戦布告、アベノクラシーのアンビバレンス
改憲の道筋がはっきりと姿を現してきた
揺らぐ象徴天皇制というシステム
不穏さに慎重に応答する今上天皇
文化系全廃を視野に入れた大学改革の愚
基地を抱擁することはない沖縄のプライド
護憲ではない、制憲を
永続敗戦レジームと闘う沖縄の政治
安倍政権が変更しようとしているもの
人質事件を奇貨とする安倍政権の狙い
桑田佳祐氏とともに闘う手段を見つけ出す
七〇年代談話が出現させうる「敗者なき光景」
戦後精算のために原爆投下の意味を考え直す
本来の敵を見定め真っ直ぐに憤る生業訴訟
卑屈・矮小な為政者への我慢を止められるか
個々の墓碑銘への論評は控えるが、それぞれに的確な寸評であると私は判断している。
次いでこれらの具体的な墓碑銘に関する分析を受けて、第2章では「永続敗戦レジーム」のなかの安倍政権が論じられている。では白井氏の具体的な批判の視点を紹介しておこう。
「永続敗戦レジーム」は、なぜ、どのようにして壊れていくのか
おもしろうてやがて悲しきアベノクラシー
日本は近代国家なのか?
「イスラム国」が日本の戦後を終わらせる
「永続敗戦国」の憲法に優先する「米国との約束」―安保法制が示した二重の法体系
続く第3章では、「戦後」に挑んだ石橋湛山氏と野坂昭如氏の二人を取り上げる。彼らの対米従属等や戦後の虚妄性という時代閉塞への闘いを白井氏は高く評価したのである。
そして第4章では、生存の倫理としての抵抗と題して、白井氏は「永続敗戦レジーム」の最終の段階に位置する安倍政権に対する闘いの芽を今また極めて具体的に論じる。
悪鬼と共に闘う法
「犬死にせし者」を救い出すために
原発問題はそれでも最大の争点だった―都知事選を終えて
奴隷が奴隷をやめるとき
第二、第三、もっと多くの沖縄を―永続敗戦レジームに対する最初の勝利
選ぶべき候補/政党がない、というタワゴト
国際政治学者とは何者か?
抵抗だけが新たな社会を創出する
ここで紹介された数々の闘いはマスコミではあまり取り上げられていないが、これらの闘いは安倍政権へのボディブローとして、無視できない痛手を彼らに確実に与えつつあることを絶対に忘れるべきでない。
まさに抵抗だけが新たな社会を創出するからである。
また第5章には、今回、読み応えがある百ページほどの2015年10月から2017年10月までの時評が増補されて、平成政治の転換点と題してまとめられている。
紙面の関係で残念ながらすべての紹介はできないので、代表的なものに止めたい。
戦後レジームと闘う人々へ―新安保法制後の「永続敗戦論」
政治の根本展開を見据えよ―いつまで騙され続けるのか?「TPP大筋合意」に思う
いわゆる「保守派」は「現実派」ではなく「幼児派」である
日本の為政者に「独立国」としての誇りはあるのか? プーチンが突きつけた問い
安倍昭恵氏と籠池諄子氏、メール会話の読みどころ
安倍政権、改憲こそ究極の「権力の私物化」である
また低投票率の総選挙 政治から逃れられぬのに
トランプ政権の登場と日本
これらの表題を読めば、あたかも自分の耳元で白井氏の怒りの声が聞こえてくるようだ。みんなとても時宜に適った話題ばかりで、白井氏の安倍政治批判の的確さに驚く。
つまりこの第5章は第4章に直接に続くものであり、その意味において今回の増補によって親本を一層時宜に適ったようにバージョンアップされたものなのである。私が読書室でこの文庫本を取り上げたのも、この機に皆様に是非読んで貰いたかったからである。
この本の「戦後と決別するために―序に代えて」の中で白井氏は、『ルイ・ボナパルトのブリューメール一八日』におけるマルクスの書き出し=「一度は偉大な悲劇として、もう一度は惨めな笑劇として」を読者に指し示した。
この引用は極めて唐突だと読者は思われるかもしれないが、実は、それは安倍総理を念頭において書いたものなのである。
白井氏は言う、「安倍が一度総理になっただけならば、『偶然だ』と評することも可能だった。しかし、彼はもう一度権力を?み、長期政権を実現している。このことは、『安倍的なるもの』が、日本社会に確固たる根を持つ必然性に支えられて展開してきたことを意味する。/要するに、彼の愚かしさは、戦後日本社会が行き着いた愚かさの象徴なのである」と。
白井氏が本書を書いたのも、この事実を是非とも証明したかったからに他ならない。
白井氏のこの問題提起が正しいか否かについては、読者に判断の当否を委ねたい。(直)
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袴田裁判 再審の扉が、また開かず!
6月11日、東京高裁(大島隆明裁判長)は、検察の主張通りの「不当決定」を出した。即ち「DNA鑑定が信頼できない」「証拠の捏造は無い」として、4年前の静岡地裁の再審開始決定を認めないとしたのだ。
弁護団の西澤美和子氏によると、この4年間の審理の中で、高裁側から本田鑑定に対する疑問は出されなかったと言う。だからこそ弁護団の誰もが信じられない決定だった。これひとつとっても卑劣・不当そのものの決定だということの証だろう。
1966年に4人が殺害される事件が起きた。だがそもそも当時の警察が、内部の者即ち袴田さんこそが犯人であると決めつけたこと、見込み捜査の誤りから端を発している。
今回の高裁決定は、それによって「有罪である」との結論は導き出せるものではない。きちんと確定判決に対する疑問点を精査すれば、再審開始そして無罪は確実なのだ。それを巧妙に避け、再審への扉を閉じた犯罪的決定と言える。
52年もの長い間、何人もの優秀な頭の持ち主であるはずの、司法関係者が関わって来た。私には袴田さんが、まるで司法の名誉や権威を守るための「生け贄」にされているように感じられてならない
1966年の逮捕以来、袴田さんは、第一次再審請求を1981年に申し立て、最高裁決定の2008年までの27年間を、続く第二時再審請求を2008年に申し立て、静岡地裁の再審開始決定が2014年、そして検察の卑劣な即時抗告によりこの高裁決定に至るまで、さらに4年、合計10年も浪費させられた。今もなお殺人犯・死刑囚の汚名を着せられたまま、公正な裁判を受ける権利を奪われ続けて居る。
37年もの長きにわたって開かない再審の扉、人質司法、証拠不開示、有罪率99%以上などなど、日本の刑事司法が「中世なみ」と世界から指摘されて久しい。今回の高裁決定を聞かされた巌さんの「そんなのうそ嘘だよ、うそ嘘言ってるだけだよ」のことばは、真実を言い当てている。
「これか゛本当に一人を死刑にする内容か?」支援者のSさんの怒りと落胆の表情が忘れられない。6月16日、静岡での高裁報告集会は、85歳の姉の秀子さんの顔を上げきっぱりと「最高裁に向かって突き進むのみです。」との力強いことばに、誰もが励まされた。励まされてしまったと言うべきか。
7月1日(日)13時20分から、JR清水駅近くの「清水テルサ」にて「無実の袴田巌さんに1日も早い無罪判決を 清水集会」が開かれる。(澄)
追い出し裁判は居住権の侵害 「日本居住福祉学会」から借上げ復興住宅問題を考える
6月18日午前7時58分、大阪府北部地震が発生、私の住む西宮市も震度5弱の揺れを受けました。金魚の水槽から水があふれ、背の高い本棚が少し揺れたので、手で押さえにかかろうとした頃、揺れはおさまりました。23年前の早朝の大揺れを思い出し、今一度気を引き締めねばと佇む私でした。
地震を含む自然災害は、日本列島に住む限り避けて通れないことです。他人事でない、自分はどう対処するのか、共通の課題として災害復興問題に取り組むことが必要だと思います。先の阪神淡路大震災で住居を失くし仮設住宅に入り、その後借上げ復興住宅に住み続けた被災者たち。20年という歳月を経て、今度は西宮市から住居の追い出し裁判を起こされ、現在も裁判は続いています。80歳を超えて無理を押しての闘いなのです。
西宮市が原告となり、UR(都市再生機構)からの借上げ復興住宅に住む7世帯10人を被告として訴えた前市長は、任期途中で雲隠れのように引退しました。新しい市民派?の市長は、他の入居者(退出した方)との公平性に欠くという理由で、追い出し裁判を続ける決定を出してしまいました。公平性に欠くとはどういうことか。全ての入居者がはたして同じ条件で入居したのか? 年齢、職業の有無、家族構成など、それぞれ違った環境であり、比較するには無理があり、特に高齢であることの配慮も無いと思われます。
5月下旬、「日本居住福祉学会」の方と借上復興住宅弁護団の合同のシンポジウムがあり、この被災者追い出し裁判がどれほど不当なものであるかを、確認できる集いとなりました。裁判での争点となっている入居期限20年をめぐり、契約書での記入の有無を問う以前の、居住権(基本的人権)の侵害ととらえることの重要性が明らかとなりました。住み続けることが出来る権利を主張し、むしろ侵害さていることを訴え今後の裁判に活かせないものか、弁護団への期待が高まります。
今回のシンポジウムで、「日本居住福祉学会」から立退き強制をとりやめるよう、神戸市と西宮市に対して力強い声明が出されました。皆さんにその一部を紹介します。
『高齢化した被災入居者に、コミニュテイの喪失、買い物や医療・福祉などの居住環境の激変、ネットワークを失う孤立化など、甚大なダメージをあたえるものであり、同時に、多大な健康上の問題を生ずるものである。そもそも、被災者に対する復興住宅を十分に供給できず、その後の迅速な公営住宅の提供もできなかったことから導入された借上復興住宅であったにもかかわらず、長期間を経て、被災者が想像しない形で、立退き強制を迫ることは、「復興災害」の最もたるものであり、断じて認めるわけにはいかない。』
原告の神戸市と西宮市が主張する公営住宅法の適用に対しては、『賃貸人保護の脊椎とも言うべき「正当事由論」(借地借家法28条)は本件で妥当するものであり、安易に判断を回避すべきではない。・・・既に立退き強制の請求を受けている被災者が次々に健康を害しており、民法・借地借家法の請求の当否に止まらず、国際人権法、憲法からも極めて深刻な居住権(基本的人権)の侵害といわなければならない由々しき事態であることを確認した。』
この追い出し裁判は、兵庫県内が初めてのことですが、今なお、仮設住宅で余儀なくされている東北や熊本の被災者の方にも、今後関わってくる問題です。一緒に考えて見て下さい。(兵庫・折口恵子)
コラムの窓 ・・・壁をこわす!
壁の崩壊といったとき、一定の年齢から上の方は「ベルリンの壁崩壊」を想起するのではないでしょうか。都市を分断する壁が突如建設されたのは、ドイツ民主共和国(東ドイツ)という国が存続するために自国の国民を囲い込むためでした。
その壁は1961年8月13日から1989年11月9日まで10316日存在し続け、壁の崩壊と共に東ドイツも崩壊に向かいました。今年の2月6日、分断された日々と同じだけの日々が過ぎましたが、統一されたドイツに中東から大量の難民が押し寄せて来ました。その難民を迎えるのか拒むのかでドイツが、EUが揺れています。歴史の揺れ戻しを見せつけられているようです。
壁の建設ということではどうか。今日的にはトランプ米大統領によるメキシコ国境への壁構築が思い浮かびますが、戦後世界のゆがみが今も残るものとしてパレスチナ分離壁と、こちらは壁ではありませんが朝鮮半島の軍事境界線(南北それぞれ2キロの非武装地帯・DMZ)があります。
6月24日、≪そろそろ心の壁を壊しませんか?≫をスローガンに「世界難民の日関西集会2018」が開催されました。目に見える壁と見えない壁、難民にとってはどちらも同じ壁として立ちはだかっています。国家がつくる現実の壁と人々がつくる心の壁は難民の希望を阻み、命をも奪うのです。
日本におけるそれは〝出入国管理〟であり、外国人は単に管理の対象でしかなく、同じ人間とは見なしていません。親が外国籍なら子も外国籍、日本国籍の選択権すらありません。技能実習生は労働力でしかなく、隣人として迎えいれることはありません。難民は出稼ぎの〝偽装難民〟とみなされ、どんどん入管への収容、強制送還となっています。
数字を示すと、昨年の難民認定申請者は2万人弱で難民認定者は20人に過ぎません。ちなみに、難民とは①迫害を受ける恐れ、②十分に理由のある恐怖、③人種、宗教、国籍、特定の社会的集団の構成員であること、政治的意思を理由とした迫害などから国外に脱出し、例えば日本にやってきた人たちです。日本政府はこうした人たちを〝厄介者〟として扱っていることを、0・1%という難民認定率が示しています。
入管による非人間的処遇を示す数字として、2008年以降12人の収容者が死亡(5人は自殺)。体調を崩しても医師の診断を受けさせないで病状が悪化、入管職員による暴力など。入管の職員は職務に忠実なのだと思いますが、保護を求めて海外からやってきた人々を刑期のない檻に閉じ込め、非人間的扱いをすることで、自らをも非人間的に扱っているのです。
島国日本には国境の壁はないように思われますが、実は海が見えない壁ではないかと私は思います。見えないからその壁は高く強固だし、外国人労働者(技能実習生や留学生)を隣人・生活者としてみない心の壁を高くめぐらしても、日本人はそれが正常だと錯覚しているのです。島国根性のなせる業、といったら言い過ぎでしょうか。そういえば、高校生が偶然日本に生まれてきただけと発言していました。彼は心の壁を壊したのです。 (晴)
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「エイジの沖縄通信」(NO51)・・・「6月23日・沖縄慰霊の日」
6月23日、沖縄は太平洋戦争末期の沖縄戦終結から73年を迎えた。
この日、糸満市摩文仁の平和祈念公園で「沖縄全戦没者追悼式」が開かれた。
毎年の「追悼式」で注目されるのが、知事の挨拶、首相の挨拶、そして沖縄を代表する生徒の朗読である。
ガン治療の影響でやせ細った翁長知事だが、朝鮮半島の非核化が発表された事を踏まえての「平和宣言」は力強く、安倍政権に疑問を投げかけた。
「平和を求める大きな流れの中にあっても、二十年以上も前に合意した辺野古の移設が唯一の解決策と言えるのか」「沖縄の基地負担軽減に逆行しているばかりでなく、アジアの緊張緩和の流れにも逆行していると言わざるを得ず、全く容認できない」と批判し、「辺野古に新基地を造らせないという私の決意は県民とともにあり、これからもみじんも揺らがない」と決意を強調した。
これに対して安倍首相は辺野古移設に触れず、相変わらずの「基地負担軽減に全力を尽くす」というまったく内容のない挨拶だった。
その内容にない安倍首相の挨拶と比較され、絶賛されたのが浦添市立港川中学校3年の相良倫子さん(14歳)が朗読した詩「生きる」であった。
とても素晴らしいので、「追悼の詩」全文を紹介したい。
『私は、生きている。
マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、
心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、
草の匂いを鼻孔に感じ、
遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。
私は今、生きている。
私の生きるこの島は、
何と美しい島だろう。
青く輝く海、
岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、
山羊の嘶き、
小川のせせらぎ、
畑に続く小道、
萌え出づる山の緑、
優しい三線の響き、
照りつける太陽の光。
私はなんと美しい島に、
生まれ育ったのだろう。
ありったけの私の感覚器で、感受性で、
島を感じる。心がじわりと熱くなる。
私はこの瞬間を、生きている。
この瞬間の素晴らしさが
この瞬間の愛おしさが
今と言う安らぎとなり
私の中に広がりゆく。
たまらなく込み上げるこの気持ちを
どう表現しよう。
大切な今よ
かけがえのない今よ
私の生きる、この今よ。
七十三年前、
私の愛する島が、死の島と化したあの日。
小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。
優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。
青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。
草の匂いは死臭で濁り、
光り輝いていた海の水面は、
戦艦で埋め尽くされた。
火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、
燃えつくされた民家、火薬の匂い。
着弾に揺れる大地。血に染まった海。
魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々。
阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。
みんな、生きていたのだ。
私と何も変わらない、
懸命に生きる命だったのだ。
彼らの人生を、それぞれの未来を。
疑うことなく、思い描いていたんだ。
家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。
仕事があった。生きがいがあった。
日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きてきた、私と同じ、人間だった。
それなのに。
壊されて、奪われた。
生きた時代が違う。ただ、それだけで。
無辜の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。
摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。
悲しくて、忘れることのできない、この島の全て。
私は手を強く握り、誓う。
奪われた命に想いを馳せて、
心から、誓う。
私が生きている限り、
こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。
もう二度と過去を未来にしないこと。
全ての人間が、国境を越え、人種を越え、
宗教を越え、あらゆる利害を越えて、平和である世界を目指すこと。
生きる事、命を大切にできることを、
誰からも侵されない世界を創ること。
平和を創造する努力を、厭わないことを。
あなたも、感じるだろう。
この島の美しさを。
あなたも、知っているだろう。
この島の悲しみを。
そして、あなたも、
私と同じこの瞬間(とき)を
一緒に生きているのだ。
今を一緒に、生きているのだ。
だから、きっとわかるはずなんだ。
戦争の無意味さを。本当の平和を。
頭じゃなくて、その心で。
戦力という愚かな力を持つことで、
得られる平和など、本当は無いことを。
平和とは、あたり前に生きること。
その命を精一杯輝かせて生きることだということを。
私は、今を生きている。
みんなと一緒に。
そして、これからも生きていく。
一日一日を大切に。
平和を想って。平和を祈って。
なぜなら、未来は、
この瞬間の延長線上にあるからだ。
つまり、未来は、今なんだ。
大好きな、私の島。
誇り高き、みんなの島。
そして、この島に生きる、すべての命。
私と共に今を生きる、私の友。私の家族。
これからも、共に生きてゆこう。
この青に囲まれた美しい故郷から。
真の平和を発進しよう。
一人一人が立ち上がって、
みんなで未来を歩んでいこう。
摩文仁の丘の風に吹かれ、
私の命が鳴っている。
過去と現在、未来の共鳴。
鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。
命よ響け。生きゆく未来に。
私は今を、生きていく。』
最後に、追悼式に参加する安倍首相に抗議する県民が、平和祈念公園入口で「6.23慰霊の日に参加資格なし」との横断幕を掲げ抗議行動を展開したが、彼女の朗読を聞き、沖縄の皆さんの気持ちが理解できる。(富田 英司)
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読者からの手紙 副島氏の6月北朝鮮爆撃との大予言の大外れに関して考えること
ワーカーズ6月号の読書室で紹介された副島氏の本での6月北朝鮮爆撃との大予言は大外れとなってしまった。副島氏のこの予言外れについては、本人が「副島方隆彦の学問道場」のホームページでその予言外れの顛末を公開しているが、今一つ何とも歯切れが悪い。
副島氏はもっとはっきり自分の予言が外れたことを素直に認めるべきだったろうに…。
私はやはりトランプの「アメリカ・ファースト」=「国内問題優先主義」の真実を見誤ったことこそ、副島氏に予言外れをさせた根本原因だと考える。そもそもトランプはアメリカは世界の警察官を辞めるとした。それはトランプがアメリカ・ファーストだったからだ。ここから出てくる大事な結論とは、在外米軍は外国からアメリカへ帰そうである。
いかにボルトンが辣腕だと言えども、ホームシックに罹り厭戦気分に浸る兵隊を率いては勝利を得るのは難しいのである。
そこに文在寅が民族統一を悲願とする大技を仕掛けてくれば、米軍に深刻な動揺が走るのは目に見えていた。トランプは昨年秋以来の北朝鮮とのやり取りの中でこの米軍内の緊張の変化に気づいたのであり、実際に最後通牒を突きつけては見たものの、今年の2月から決定的になった南北融和ムードに刃向かい、北朝鮮に迫る大義を見失ったのである。
トランプが時間がなかった・金がかかるとの言い訳の下、安直に大綱妥結して北朝鮮との交渉を早々と打ち切ってしまったのは、すべて彼自身が唱えた国内問題優先主義のためだった。端的に言ってしまえば、中間選挙で票がこの妥結で取ればよいのである。
まさにパンタ・レイである。結局、ヒラリーとの対決においてトランプ大統領の誕生を予言した副島氏は、日々刻々とあらゆる情勢は変化することを忘れて、過去において一時の情勢を的確に?まえた自らの才に溺れてしまった結果、日常的にその検証を怠っていたが故に残念にも予言を外してしまったのである。本人も深く反省したであろう。
副島氏が予言を外したことから私たちが学び取るべきものは、何事に対しても自分の信念すら絶えず疑い続けるとの慎重で謙虚な姿勢を貫くことではないだろうか。
それを別言すれば、ヘーゲルが言ってきたように人は誰でも自分の意識を自己吟味する尺度をしっかりと持っているということに尽きるだろう。 (稲渕)
色鉛筆・・・「出生率1・43」昨年より低下 安倍政権の幼保無償化に反対!
2017年の合計特殊出生率は1・43で、前年を0・01ポイント下回ったと6月1日に発表された。(図①参照)
昨年の出生数が94万6060人で、一昨年より3万919人も減っていて統計がある1899年以降、最小だったという。逆に、人口の高齢化を反映して死亡数は134万433人と戦後最多。出生数から死亡数を引いた自然減は39万4373人となり、統計開始以降で最大の減少幅だったという。このまま少子化が進むと人口が減り、社会保障を持続する事ができなくなってしまうだろう。こうした現状を何とかしようと真剣に取り組んでいない安倍政権は、自分の人気取りの政策を次から次と出して解決できないまま進み問題が山積みになっている。
歴代の政権は、少子化対策として「待機児童ゼロ作戦」を打ち出しているが、政策を裏付けする財源がなく問題が起こると名前を変えた政策を打ち出すという事を繰り返していた。安倍政権も2013年「待機児童解消加速化プラン」を打ち出して『17年度末までには待機児童ゼロを掲げ50万人の受け皿をつくる』と言い放ったが、達成には絶望的だとわかると昨年の5月、「子育て安心プラン」と命名して『2022年度までには32万人分の保育の受け皿を新たに整備する』と新しい計画を発表する始末だ。達成できないなら責任を持って辞任するべきなのにごまかして新しい政策を出すやり方が彼らの常套手段なのだ。
さらに作秋の衆院選で勝利するために唐突に打ち出された『幼児教育・保育の無償化』には驚いてあきれた。国の財政に余裕があるならば無償化は理想だが現実は借金だらけで財政赤字が何年も続いている。その打開策として来年の10月から消費税を10%に上げて、借金返済という事だったのにいつの間にか増税分の中から無償化の費用に充てるという事になってしまった。今まで「待機児童ゼロ作戦」政策を推進してきたならば希望者全員が認可施設には入れる様にするのが先決なのにどうして無償化なのだろう。
「順番が違う!」と言いたい。『待機児童の解消の為に誠心誠意を尽くしていく』と言っていたのは誰?(どんな問題にも同じ事を言う安倍首相)美辞麗句を並べて口先だけで私たちをだます安倍首相には、辞めてもらいたいと思っている人たちは私の周りにも沢山いるのに退陣させる事ができなく苛立たしい。
そして、国会で国民民主党の山井和則氏が試算した所、幼保無償化で「格差が拡大」する事が明らかになった。新たな無償化策にかかる費用(税)は約7948億円。このうち、利用者の人数構成で15・3%を占める住民税非課税世帯に投入されるのは、258億円で3・2%。一方、人数構成で13・3%にあたる年収800万以上の世帯には18・5%の1492億円も費用が投じられるというのだ。(図②参照)高所得者層がより恩恵を受ける形になる無償化政策より、子どもの貧困対策など低所得者層を意識した政策を優先すべきだと訴えた。
また、朝日新聞が5月、調査した所、2019年10月から始まる無償化で今後「保育ニーズが増える」と答えた自治体は8割を超える事がわかり、実際16年度から独自に無償化を先行している兵庫県明石市では、待機児童が急増し、待機児童が「全国最多」になったという。無償化ならば、子供を預けて働きたいという保護者が今後増える可能性があるのだから明石市のように待機児童はますます増えていくだろう。
まさに安倍政権の政策が間違っている事がはっきりわかる。今やるべき事は幼保の無償化ではない!消費税を増税しなくても予算の使い方で財源を確保できるのだから、まずはその財源で希望者全員が認可園には入れるようにして待機児童をゼロにするべきだ。
保育労働者である私は、職場の同僚と無償化の話になると「今でさえ保育士が足りないのに」「足りなくて超過勤務やサービス残業をしているんだよ」「無償化になったらもっと働けというの」「やっていられないよ」「辞めようかな」「保育士の待遇をよくしなくちゃあ集まらないよ」「無償化より保育士の賃金を上げるのが先だよね」等々。
保育士が足りなくて休みが取れない子育て中の保育士達は「自分の子どもが病気なのに休めなくてつらい」「母親は私1人なのに授業参観にも行けない」「自分の子どもをしっかり育てたいのに・・・」と悩みながら仕事を続けている。この声をそのまま安倍政権に伝えたい。(美)
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