ワーカーズ595号 (2019/6/1)  案内へ戻る

 アジアの軍事緊張に拍車をかける軍拡政策に反対しよう!
 消費税増税は中止しろ! 予算は社会保障・福祉・教育などに振り向けろ!

 安倍政権の軍拡が止まらない。5月には、自衛隊のオスプレイを千葉県の木更津自衛隊駐屯地に暫定配備しようとしていることが明らかになった。現在、日本が米国から購入したオスプレイ4機は米国内に留め置いている。これを、来年納入される5機と合わせて、木更津に暫定配備するというのだ。陸自が購入するオスプレイは、最終的には17機になると言われている。

 当初は1機60億円と言われたオスプレイは、今では1機百数十億円に跳ね上がった。オスプレイ1機分で百箇所の保育園が建設できるのと知れば、とても許せる気にはなれない。

 しかも、陸自木更津駐屯地の直ぐ側には、保育園や幼稚園が学校等があり、世界の各地で重大な事故を引き起こし多くの死傷者を出しているオスプレイを配備させるわけには絶対にいかない。

 安倍政権による軍拡計画は他にも目白押しだ。F35戦闘機は100機以上も米国から爆買いして、合計で147機まで増やす計画で、うち42機は空母搭載機と言われる。このF35も極めて高額で、維持費を合わせれば6兆円を越えてしまうと言われる。イージスアショア(陸上配備型イージス)も2基導入しようとしているが、関連施設分も含めれば少なく見積もっても総額6000億円だ。

 安倍政権は、軍事費増の予算をどのように賄うつもりなのか。政府が狙っているのは消費税の増税だ。消費税は社会保障や福祉のためと言われるがそれは真っ赤なウソ。消費税は目的税ではないので、実際には何に使われているかは分からない。消費税が導入されて以降の300兆円を超える消費税収は、大企業減税、無駄と浪費が指摘されている大規模公共事業、そして軍拡のための予算額に照応しており、実際にはそれらに振り向けられたことは明らかだ。

 消費税の根本性格は、その逆進性にある。所得の少ない者ほど負担が多くなる弱い者いじめの税であることが、消費税税の本質だ。自民党は三度目の増税先延ばしもほのめかしているが、選挙のための術策として弄ぶのではなく、きっぱりと中止すべきだ。軍拡競争を招き、アジアの軍事緊張を高める軍備の拡張策はやめ、国の予算は社会保障、福祉、子育てや教育にこそ振り向けるべきだ。 (阿部治正)


 空手形の安倍政権を退場させよう!――同時選挙の大義名分は?――

 安倍首相は、今年の憲法記念日にも改憲への意欲を見せ、任期中の2020年に改憲の実現をめざす姿勢を放棄していない。

 その改憲スケジュールも視野に入れ、夏の参院選が迫った昨今、安倍首相の周辺から衆院解散と同時選挙の可能性を匂わせる発言もでた。

 解散は、安倍首相の腹に中にあるが、仮に解散・同時選挙となれば、どんな大義名分を掲げるのだろうか。

 私たちとしては、事態がどう展開しても、草の根からの闘いを拡げながら、安倍政権を退陣に追い込んでいきたい。

◆音なしの後半国会

 統一地方選が終わり、夏の参院選挙が迫ってきた。改憲に執念を燃やす安倍首相にとって、改憲発議に必要な衆参で3分の2の議席を保持しておくことが至上命題だ。そのためにも、夏の参院選で勝利することがまずは絶対条件だ。

 モリ・カケ疑惑や公文書改ざんなどで追及を受けつつも、安倍内閣の支持率は底堅い水準を維持している。野党も画期的な対抗策を示しきれず、少数勢力に分裂したままだ。安倍政権としても、今度の参院選でも3分の2の勢力は維持できるかもしれない。が、内外政策とも大きな成果を上げているわけでもないので、いくつかの選択枝を保持しておきたい、ということなのだろう。

 前半国会が終わった後、今年の天皇代替わりイベントや来年のオリンピック開催は、政権の追い風として活用できる。がそれが終われば、21年9月までの自民党総裁の任期切れまで1年を残すのみとなり、解散総選挙も難しくなり、レイムダック化が進んでしまう。それを避けるためには、出来れば今年中に解散総選挙で勝利し、政権への求心力を保持したまま、うまくいけば20年までの改憲の実現につなげたい、とでも考えているのだろう。

 とはいえ、衆院の解散と総選挙をやるには、それなりの大義名分が必要だ。

 安倍内閣の看板政策であるアベノミクスは、デフレ脱却と2%の物価目標の実現のため、三本柱の政策を進めてきたが、どれも不発。いまでは景気後退局面の到来を怯えつつ、財政赤字とゼロ金利政策の副作用が目立つだけ、大きな成果を誇示することも出来ないというのが実情だ。

 安倍首相にしてみれば、それではとばかり、北方領土の返還に道筋を付けられればその成果を掲げて衆院解散に打って出でる、あるいは、北朝鮮拉致問題での日朝首脳会談の開催などでの前進をめざし、その成果を掲げての解散総選挙も模索した。が、そのいずれも膠着状態、それを掲げての解散総選挙は難しくなった。

 そこで、出てきたのが、景気後退の影を利用して、消費増税の再々先送りを餌に解散総選挙に打って出でる、という選択枝だ。いうまでもなく〝二度あることは三度ある〟という消費税引き上げ延期を目玉とした解散総選挙である。

 首相側近の萩生田光一幹事長代行が、景気後退の兆しに関連して、そうなれば衆院を解散して信を問うことになる、とアドバルーンを上げた。菅官房長官も、5月17日の記者会見で、野党の不信任決議案が出されれば、それも衆議院を解散する大義に「当然なる」と明言した。

 これらの発言は、このところ浮上してきた景気後退の影が影響している。

◆同時選挙?

 その政府による景気判断、微妙な報告内容になった。

 5月13日に公表された景気動向指数は、6年2ヶ月ぶりにこれまでの「下方への局面変化」から「悪化」に引き下げた。一方、5月24日に発表された月例経済報告では、前月の報告から下方修正したものの「穏やかに回復している」との表現は維持した。こちらも判断引き下げは2年8カ月ぶりだ。

 とはいえ、これらの報告だけでは安倍首相が言い続けてきた「リーマン・ショック級の景気の落ち込みがない限り消費税増税は予定通り実施する」というこれまでの内閣の判断をひっくり返すことは出来ない。

 そこで安倍首相が考えたのが、二枚のカードだ。一枚は、消費増税の延期をエサに衆院の解散に打って出ること、二枚目は、消費増税は予定どうり実施するが、その他では国民世論を刺激する場面を極力回避し、有権者受けする大型イベントを押し出すことで政権への吸引力を維持したまま参院選に突入する、というシナリオだ。

 実際、国政に混乱を与えないことを最優先にして後半国会では与野党激突の対決法案の提出は無し、音なしの後半国会を演出している。もっぱら、改元や即位の礼など天皇の代替わりイベントや大阪でのG20のイベント成功、米国=トランプ大統領との良好な関係など、安倍首相の活躍を有権者にアピールする場面の押し売りに精を出すばかりだ。

 こうした二枚のカードを意識したのだろう。安倍首相は、5月24日の衆院厚生労働委員会で、「消費税増税は予定通り実施する」という言葉を繰り返した後で「その時の状況等によるので、一概にはお答えできない」と、延期も匂わせている。

 それもこれも、7月の参院選、場合によっては衆参同時選挙という国政選挙での自民党の勝利を最優先にした政権戦略というものなのだろう。

◆止めよう!消費増税

 ところで安倍首相も二枚のカードを手にしている消費増税の是非について、私たちが取るべき態度についてはっきりさせておきたい。

 安倍首相は手持ちのカードとして含みを持たせているが、野党はおおむね消費増税には反対だ。私たちも反対だが、その理由はまったく違っている。

 例えば立憲民主党や国民民主党の立場は、今年10月の消費増税には反対だ。が、再引き上げそのものについては賛成の立場だ。実際、立憲や国民の前身である民主党とその民主党政権時代、自公民で合意したのが〝税と社会保障の一体改革〟であり、そこで消費税増税の路線を敷いたという経緯もある。民主党の野田政権のときだ。

 この〝税と社会保障の一体改革〟とは、要するに増え続ける社会保障給付を賄うために消費税を増税するというもので、いはば社会保障給付と消費税をリンクさせたものだった。

 私としては、殖え続ける社会保障給付は予算全体の組み替えで賄うべきだとの立場から、この〝一体改革〟は他の財政支出、例えば公共事業予算や軍事予算などを聖域化するものだとして、根本的に反対してきた。すなわち、社会保障給付を賄うために消費増税をするという立場に立てば、例えば公共事業や軍事予算は一般財源から優先して確保し、それで社会保障の財源が足らなくなれば消費税を引き上げれば良い、ということになるからだ。

 現に、民主党政権時に漸減傾向にあった公共事業や軍事予算は、安倍内閣になってから毎年増え続けてきた現実がある。特に軍事費については、日本版海兵隊の創設、事実上の空母の保有、イージズ・アショアやステルス戦闘攻撃機の多数の購入、先島諸島の要塞化等々、対中軍事対決に向けた大盤振る舞いが露骨だ。

 他方で〝一体改革〟はどうか。高齢化が進むなか、同じ制度のなかで対象者が増えることで自然に増える社会保障給付。本来、毎年約1兆円増える計算だった社会保障給付の自然増は毎年削られ、昨年は6000億円、今年は4000億円の増加に抑えられている。現状維持でさえなく、削られているのだ。

 今年度予算では、幼児教育無償化のために10月の消費増税での増収分から3800億円、年間で7600億円を負担しているが、これは社会保障の拡充になる面もあるが、また別の矛盾を内包したものでもある。

 他方、〝税と社会保障の一体改革〟の裏では、法人税の大幅引き下げが実施された。これで〝負担能力があるものに課税し、必要な人に届ける〟という社会保障をめぐる所得の再配分機能の形骸化は一気に進んだ。要は、低所得者ほど負担感が強い消費税で社会的弱者への給付を賄うということ、社会的弱者どうしの自己責任として賄えということなのだ。本来は、逆であるべきだろう。社会保障費は、累進課税の所得税や法人税増税で賄うべきなのだ。

 これに加えて問題なのは、企業負担、雇用者負担の増という考え方が、今の日本ではあまりに弱すぎることだ。社会保険での企業・雇用者の負担率が、独やフランス、あるいは北欧諸国より低率なのだ。日本では年金掛け金や医療保険での労使折半という考えが定着してしまい、それを企業負担を増やす方向での要求や取り組みが絶無というほどに弱いのが現実だ。それが実現すれば、先行きの生活の安定度が飛躍的に増すにもかかわらずだ。個々人の貯蓄率が高いのもその裏返しであり、もっと大きく言えば少子化もその結果だ。暮らしやすさや将来不安がまったく違うのだ。社会保険での雇用者負担を増やすという課題は、私たちにとって大きな闘いの目標でもある。

◆反転攻勢へ

 安倍政権は、若者ほど支持率が高いという。それは若者ほど現状に対する満足度が高い結果でもある。また、若者ほど変化への期待が少ないという。自分が行動しても世の中は変えられない、という想いからだろう。現状を変えられないから、期待も小さい、ということなのだろう。自分をとりまく環境と自分の行動が切り離されているわけだ。これらは世論調査結果として出ている。

 とはいっても、安倍政権に対する期待は、積極的で前向きなものではない。支持理由で「他より良さそう」という回答が突出していることでそれが分かる。

 これらを総合すると、民主党政権時代は暗かった。現状は誰がやってもそんなにうまくいかない。その中でも安倍首相はよくやっている。だからなんとか現状維持でいってほしい、ということになるのだろうか。

 安倍政権は目立った実績は無い。それでもとっかえひっかえ打ち出してくる「一億総活躍社会」だとかの空疎な空文句が、なんとなく「やっている」感を出しているのだろうか。

 そんな空手形を乱発するだけの安倍政権。今度の国政選挙でこそ、政権の座から追い出していきたい。(廣)案内へ戻る


 労働を中心とした福祉社会を!

●参議院選挙へ向けた世論形成

 7月の参議院選挙を前に、安倍政権はいろいろなアドバルーンを揚げています。

 新天皇即位の祝賀行事と新元号「令和」「万葉集」ブーム。渋沢栄一、津田梅子、北里柴三郎をモチーフとした「新札発行」の発表。東京オリンピックのチケット発売等など。これら自体は、制度政策というより、「国民的アイデンティティ」高揚の演出により、うまく安倍政権の支持率につなげる世論形成のようにも見えます。

 一方、制度政策面では、国会で「保育・教育の無償化」法案を成立させ、また「骨太方針」に「高齢者や女性の就業を促し国民皆社会保険で社会保障を支える」ことを盛り込むなど、かつて中曽根政権が「左にウィングを伸ばす」作戦で、国政選挙に圧勝した手法を踏襲しているかにも見えます。

 その先には、安倍政権の悲願として「憲法九条改正」を目指しているわけですが、これも自民党の改憲案である「国防軍創設」という本音は隠して「九条の1項、2項は変えず、3項で自衛隊を明記する」とあたかも現状維持を装い、それでも「安倍政権のもとでの改憲には反対」という世論の警戒心を和らげるためか、憲法改正の賛成か反対はともかく「議論を行うことの是非を問う」と、さらにハードルを下げる作戦に出ています。

●国民的アイデンティティ

 「令和」や「新札発行」「オリンピック」は、いずれも今日の若者を中心として「アイデンティティへの飢え」があることに対し、「受け」をねらっている面があるように思われます。森友学園や加計学園など数々の疑惑にも関わらず、安倍政権の支持率が下がらない要因には、保守派や復古派やヘイト系のコアな支持層だけではなく、現状維持と漠然とした将来不安の中で、自らの確たるアイデンティティを見出すことのできない若者層の気分があると思われます。

 これに対して「戦後の平和と民主主義」というアイデンティティも、中高齢層には案外と根強く残っていることも確かですが、それが若年層の共感を必ずしも呼び起こしていないのです。とはいえ、安倍首相がもくろむように「万葉集」で「一億総活躍社会」と繋げようとしても、それは「奈良時代の日本は輝いていたのかも」という程度で、自分自身のものにはならない消化不良感が残るものにしかなりません。

 アイデンティティにも、いろいろな種類があるのですが、結局のところ労働と結びついてしか、しっかりしたものは得られないのではないかと思われます。しかし、今日のように、労働が無味乾燥で、バラバラな存在では、労働を通じたアイデンティティは即時的には成り立ちにくい現状があります。そのため、社会心理学的に考察すれば、その代償心理として「万葉集」の世界や「明治産業遺産」などの「国民的アイデンティティ」が持てはやされるのではないでしょうか?

●労働を中心とした福祉社会

 若者層も含めて、労働を通じたアイデンティティが確立できるようになれば、安倍政権への対抗勢力は形成できるでしょう。しかし、かつての様に職場の身近に労働組合があり、それとの関わりを通じて「働く者たちの一員」としての仲間意識ができる状況にはありません。労働組合があっても、その実態は形骸化しています。

 とはいえ「労働を通じた」社会ビジョンを提起することの重要性は、何ら変わることはありません。だからこそ、保守派の安倍政権も「皆社会保険」だの「保育教育の無償化」だの、労働者向けの政策を打ち出さざるをえないのです。

 「労働を通じた福祉社会」というスローガンは、以前から連合が掲げているものです。その中身の是非はともかく、その視点は大いに活用し、組織されていない労働者にも広げることは有意義だと思います。

 安倍政権のこれらの政策は、実はどれもかつて民主党政権が打ち出した「物ではなく人への手当」の焼き直しでしかありません。その意味では、安倍政権は社会民主主義化しているとも言えなくもありません。立憲民主や国民民主が政策的に違いを出しにくい状況が生れています。それでも労働者の側は「それは本来我々の政策だ。本物はこっちだ。」と堂々と掲げて良いと思います。

●平和と民主主義は「主体的」に

 もうひとつ世論分析学から、若者の意識では「改革」と「保守」がかつてと逆転しているという指摘がなされています。「平和憲法を守れ」「民主主義を守れ」というスローガンを掲げる共産党などは「保守派」と映り、「大阪都構想」などを掲げる維新が「改革派」に映るというわけです。

 実は「平和と民主主義を守れ」なる社共のスローガンは、かつてのラディカル左派(全共闘世代、パリの5月世代)からも「保守的」と見なされていたことを忘れてはなりません。「安倍一強」に対して「野党共闘」を追求せざるを得ない政治状況から、かつて批判していた「守れ」運動にすり寄ってしまう弊害も意識すべきです。

 平和は「守る」だけではダメで、日々の努力で「作る」ことなしには達成できないことを肝に銘じるべきです。沖縄の民衆の闘いがそれを良く示しています。国家と国家の外交だけで、平和は実現できるものではなく、民衆と民衆の連帯が不可欠です。

 アイデンティティの問題で言えば、日露戦争に真っ向から反対した幸徳秋水、与謝野晶子、内村鑑三こそ「新札」のキャラクターにすべきだ!と声を上げても良いのです。その民衆アイデンティティの確立もまた、やはり労働との関わり抜きにはありえないのではないでしょうか?

 以前、レギュラシオン派のロベール・ボワイエが来日した折、「ヨーロッパの社会民主主義」について論じた際、彼は「選挙だけで樹立した社会民主主義政権は弱い。民衆はストライキもデモも行わず、楽をしている。」と辛口の批判をしたのを思い出します。最近もアントニオ・グラムシの「ヘゲモニー」をキイワードにした『民主主義の革命』(エルネスト・ラクロウ、シャンタル・ムフ共著)が再読されていることは注目されます。「民主主義」もまた単に「投票へ行こう」という「お任せ民主主義」ではなく、主体として普段からの参加を促すことが必要なのだと思います。(松本誠也)案内へ戻る


 読書室 『未だ占領下にある日本の是非を問う』 池田整治氏著 コミック出版 2019年3月刊行 

○本書の副題は「日米地位協定を自衛隊元幹部が告発する」である。その主張を端的に要約すれば、「敗戦後、GHQによる自虐史観の刷り込みと日米地位協定によって日本の安全保障は骨抜きにされている。この知られざる日本の現実を矢部宏治氏の提起を踏まえ、『日米同盟』の実態を明らかにしつつ日本の安全保障を論ずれば、今こそ反米でも媚中でもなく脱米軍依存、脱植民地をして日本を真の独立国とせよ」というものである○

 著者の池田氏は異能の人として知られ、オウム事件ではオウム・サティアンへの強制捜査に同行した唯一の自衛官としても知られている。
その後自衛隊陸将補となり、定年前に退官した人物である。そして2017年3月、著者の家にフランスのテレビ番組制作会社のクルーが収録に訪れた。この会社は日本人が何時までもこのまま、マインドコントロールされ続けるのか否かを論議する日本人を探しており、彼が選ばれたのであった。

 何故かと言えば、池田氏はかっての自衛隊の任務と経験から世界の支配構造と日本の置かれている状況について『マインドコントロール』『同2』『超マインドコントロール』『今、「国を守る」ということ 日米安保条約のマインドコントロールから脱却せよ』等の多数の著書を保つ池田氏は、まさに選ばれし人物であり、今回取材されるべき人物であった。

 独自の観点から「ユダヤ陰謀論」を展開している池田氏のファンは実に多い。その人たちから是非呼んでほしいと紹介された本が矢部宏治氏の『知ってはいけない』だった。支持者たちは矢部氏の主張は正しそうだが、その主張の真贋の判定を池田氏に聞きたかったのである。

 本書は、彼の支持者から民間人の書いた『知ってはいけない』を読んで日本人にとって、自衛隊にとって、日米地位協定はどういう存在なのか、問題があるのならどこをどういうふうに改善すればいいのか、それにともない安全保障政策はどう変えたらよいのか、元自衛隊の立場からは矢部氏の指摘は正しいのか否かを教えてほしいとの要請に応えたものである。それにしても一民間人の根本的な指摘と提起から逃げる回る自衛隊関係者の多い中、その矢部氏と正面から向き合った池田氏の誠実な態度には、率直に敬意を表したい。

 では本書の構成を紹介する。
 序 章 日米地位協定の正体を明らかにする前に
 第1章 「日本の空は、すべて米軍に支配されている」は本当か?
 第2章 「日本の国土は、すべて米軍の治外法権下にある」は本当か?
 第3章 「日本に国境はない」は本当か?
 第4章 「国のトップは『米軍+官僚』である」は本当か?
 第5章 「自衛隊の実力は世界トップクラス」は本当か?
 第6章 「自衛隊は米軍の指揮のもとで戦う」は本当か?
 第7章 「北朝鮮の核放棄」は本当か?
 第8章 日本の存亡を賭けた近未来の安全保障政策

 ご覧のように本書の各章の表題も矢部氏の『知ってはいけない』を意識したものである。

 このような点にも池田氏の誠実さが充分に表されている。そしてその内容はと言えば、ほとんどが矢部氏の指摘と提起は本当だと、自分の経験と実例から解説しているのである。

 1993年までは池田氏も日米地位協定に疑問を持つことはなかった。この年、北朝鮮のノドンミサイル対策の過程で、当時陸自幕僚監部防衛部運用係長だった時に横田基地にある横田・平壌間の定期空路の存在と大量に移送される基地建設資材やミサイル部品等について疑問を持ち、外務省担当者を通して問い合わせた所、米軍担当者から「それ以上詮索すると日米関係にひびが入るぞ!」と恫喝され、移送はなかったことにされた。まさに治外法権である。

 こうした経験から池田氏は、世界金融支配体制が北朝鮮危機を「自作自演」しながら、日本等から経済的利益をうる「仕掛け」、つまり「南」「北」を分断し対立させて、漁夫の利で儲けるという彼らの手段(離間工作)に気づいた。世界金融支配体制の植民地・日本の「根源」が在日米軍にあることも分かってきた。池田氏は矢部氏の本で「日米合同委員会の公式議事録」の具体的な内容を知り、彼らの「仕掛け」を、衝撃をもって深く再認識することが出来た。ここで池田氏は「それは、サスペンスドラマの主人公が、最も信頼していた友人が実は敵の回し者だと知った時のようなショック」だと告白するのである。

 特に第4章では、「日本の官僚トップエリートは、米軍に無理やり屈服されているという面ばかりではなく、彼らも米軍に従うことで日本の代理支配者としての特権を獲得してる、日米安全保障体制の既得権益者たちであるということです。/そして、代理支配者の地位をこれからも維持し続けようと画策している、ということです。/これは自覚しているか否かにかかわらず、彼らが世界支配体制に取り込まれていることを意味します。/その証拠に、本書がこれまで述べてきたような、日本が主権国家として体を成していない事実を、日本の為政者は隠蔽し続けています。現状の世界金融支配体制が続くほうが、彼らにとって都合がいいのです」とまで断言する。

 そして「枠」=利権を越える指示を出す大臣には「面従腹背」してしまうのが、「官僚の性」と池田氏は糾弾し、鳩山元総理の普天間基地の県外移転問題を上げている。まさに池田氏の真価はここにある。

 但しさすがの池田氏も、第6章「自衛隊は米軍の指揮のもとで戦う」では、矢部氏の自衛隊に対する米軍の指揮権=「口頭密約」の指摘はあり得ないとした。引用しよう。「朝鮮戦争時代の口約束の『指揮権密約』は、自衛隊が国を守る現代では『無効』と言えます(本書175頁)。」とある。池田氏はここは、(これは、)憲法改正より先に取り組むべき喫緊の問題だと書いており、元自衛官の矜持を感じさせるものがある。

 第7章と第8章は、今日的な意義を持っているが、誌面の関係で今回は論評を省略する。(直木)


 コラムの窓・・・2本の映画を観て!

このところ立て続けに2本、大阪の第七藝術劇場で「主戦場」を、神戸の元町映画館で「眠る村」を観ました。どちらもドキュメンタリーで、「主戦場」はネトウヨ系の主役級の人たちがそろって出てくるようなのでいやだなと思っていたけど、平日でも満席だと聞いて興味を持ったところです。これまでじっくり聞いたことのない人たちの主張を聞いてみて、そういう考えかということがよくわかり、〝納得〟したところです。

 それらの主張はどれもありうべき日本、日本人というものがあらかじめあって、それを打ち消すような現実はないものとしてしまう。しかし、幻想から発する認識は訳の分からない話になってしまっているのです。とりわけ、そうだったのかと思ったのは藤岡信勝氏が国家は謝らない、謝ってはならないと言ったところ。彼にあっては日本というものがあり(お望みならその頂点に天皇家を置いてもいいのですが)、それを支えるものとして日本人があるということなのでしょう。

 一方、「眠る村」は名張毒ぶどう酒事件を取り上げた東海テレビドキュメンタリーです。1審で無罪、第7次再審でも一度は開始決定が出たのに、奥西勝さんは医療刑務所で死刑囚としての一生を終えています。今は妹の岡美代子さんが最後に残った親族として再審請求を引き継いでいますが、彼女は「(裁判所は)私が死ぬのを待っている・・・」とつぶやきます。

 眠る村とは、事件の舞台となった葛尾村の人々は息をひそめて事件が〝終わる〟のを待っている、つまり奥西=犯人で決着がつくことが村にとって最もいいことなのだと思っている様子をそんなふうに表現しているのです。しかし、眠っているのは村だけではなく、裁判官もまた〝自白〟に頼り、真実から目を背けて眠り続けているのだと感じました。

 科学的な分析が進み、新事実をもって再審に臨むたびに、裁判官は自白にしがみつくことによって過去の裁判官たちの過ちに目をつぶり、法廷もまた〝眠る村〟と化しているのです。袴田さんの事件も、和歌山カレー事件でも同じことが繰り返されています。

 あの事件でもこの事件でも、再審請求も含めると数十名に及ぶ裁判官たちが、人の命よりも自分達の体面を護ることに汲々としているのです。さらに、検察に〝上訴〟の権限がなければ、1審無罪で自由となった奥西さんが5年を経て2審死刑で再び自由を奪われて89歳の無念の獄死を迎えることはなかったのです。

 この国に生まれた不幸は、裁判など当てにならないという事実です。さらに厭うべきは、〝日本人〟という幻想に振り回されている人たちの大きな声が耳を覆う昨今の世相です。浅野真一神戸大学教授は「日本人とはだれか?」(5月10日神戸新聞)と、次のように問うています。迷える人々にこの言葉を進呈したいのですが、その意味を理解できるか心もとない限りです。

「残留孤児が『自分は何人なのか』と思い悩むのは、むしろまっとうである。本当に自分を知らないのは、『自分は正真正銘の日本人(又は中国人)だ』と思い込み、外国人や異民族を差別・排除している人たちの方だ」 (晴)案内へ戻る


 園庭がない保育園に事故が起こっている!
  事故の原因は規制緩和を進める安倍政権にある

 5月8日、滋賀県大津市の県道交差点で車2台が衝突し、保育園児ら16人が巻き込まれて園児が2人亡くなった。保育士として働いている私には他人ごとではなく、いつ自分にも起こるかもしれない出来事で、事故が起きた保育園の保育士や親の気持ちを考えると切なくなり心が痛む。私たち保育士は毎日何よりも子ども達の命を守るために、朝早く出勤して園舎・遊具・園庭の安全点検を行い、いつ起こっても不思議ではない地震や津波の避難訓練や不審者が園内に入ってきた時の訓練。感染症を防ぐために園内や玩具の消毒等々数多くのことをやっているが、まずは子供たちから目を離さないことが命を守ることだと思って仕事をしている。

するとこの事故の1週間後の15日、千葉県市原市で公園に急発進した乗用車が金属製のフェンスをなぎ倒して突っ込み、公園内で近くの保育園児らが遊んでいて2歳園児を守ろうとした保育士が大けがをするという事故がまた起こった。けがをした保育士は危険を察して子どもの上に覆いかぶさって子どもを守ったのだろう。

どうしてこんなに事故が起こるのだろうか考えると、この2園とも園庭がないことに
気がついた。普通保育園は園庭があって子供たちは安全に過ごせる所なのだが、安倍政権の子育て政策で保育現場の規制緩和政策が推し進められていて、認可保育園でも園庭がなくても園の近くに公園があればよいとされている。だから事故が起こったのだ!東京都保育園支援課によると、2017年度に認可した268園のうち、敷地内に基準を満たす園庭があったのは47園。都市部では3割の保育園が園庭はないと新聞に掲載されていた。

 私が勤めている保育園では園庭があり、子どもたちは朝夕にも体を動かし散歩に出かけるのは週に1日位なのだが、この2園では園庭がないから子どもたちが体をを動かすために毎日散歩に出かけている。これでは毎日危険と隣り合わせでこれからもこのような事故が起こるかもしれない。事故後、安全のために速度を抑えるポールやガードレールをつけることばかりが話題にになっているが、本当の安全のためには保育園に園庭を作るべきだ。この事故が起きた原因は規制緩和を進める安倍政権にある。

 職場で散歩に出かける時、同僚たちと「体を張って子供を守らなくてはならないね」と笑い合っているが、信号待ちや車とすれ違う時は緊張して、子どもたちに自分の手足を伸ばして守っている。園庭のない保育園ではこうした緊張が毎日あれば保育士の負担が増えて、ますます保育士が足りなくなり、安全のために散歩に出かけなくなった子どもたちの体は大丈夫だろうかと心配になる。(美) 


 なんでも紹介・・・「琉球処分」から140年を考える

 「琉球処分」から今年が140年にあたる。

 現在も沖縄には米軍基地が集中し、今まさに沖縄の民意を無視して辺野古新基地建設が強行されている。さらに、宮古島などの南西諸島への自衛隊配備がどんどん進んでいる。

 このような沖縄への差別的な扱いは1879年(明治12)の「琉球処分」から、すべてここから始まったと考えられる。従って、「琉球処分」の歴史やその意味を知ることを通して、今の沖縄を捉えなおすことが必要ではないかと考える。

 1879年3月、処分官・松田道行は軍隊・警官600人を引き連れた武力で、琉球を完全支配するために琉球藩を廃し沖縄県を設置する「琉球処分」を断行した。これで、500年余もつづいた「琉球王国」は終わりを告げた。

 歴史的にはこのように説明されている。しかし、「琉球処分」された沖縄の立場からは、当然もっと厳しい見解が示されている。

 神奈川大学准教授の後田多敦氏は、「日本の明治政府によって『琉球処分』と呼ばれた19世紀末の琉球国併合は、琉球側からすれば国家の解体・滅亡の過程であり、この事件を明治政府の名づけで呼ぶことには課題が残る」と主張する。

 最近は「琉球処分」から併合へと、さらに併合を超えて「植民地」視点を指摘する論者が増えている。

 吉田健正氏は「沖縄は軍事植民地」との指摘。矢内原忠雄氏も「軍事植民地沖縄」論を展開している。平良勝保氏は「『琉球処分』後の沖縄の政治社会状況を『植民地』としてとらえている。松島泰勝氏は「日米の植民地である琉球の人民」との視点を提起している。

 後田多敦氏はこれからの展望について「平和と共存のアジアへ」の中で、次のように述べている。

 「さて、それでは沖縄はどこへ向かうのか。まずは、犠牲や抑圧からの解放である。第2次世界大戦の未清算問題の処理という意味での本来の戦後レジームからの脱却である。そして、もう一つは近代日本の侵略や植民地支配という負の遺産の清算だ。戦後のヤマトが封印したのは沖縄だけではない。これらの二つの清算と解放の問題は、現代の日本政府が目を閉ざそうとする近代日本の踏み荒らした韓国や台湾など近隣諸国地域でも同じことでもあり、沖縄の進む道には先行者や多くの同伴者がいることになる。それは平和や共存という新しいアジアへと到る道である。沖縄社会は多くの犠牲を強いられてきたことで、そのことに気づき確実に新しい道を歩み始めている。

 しかし、日本政府が誘導している「脱亜」の道は、アジア世界での孤立へ向かう。日本政府は武器をもって仲間とし、武力を使って仲間を得ようとしているようだ。しかし、たとえそれで仲間を得ることがあったとしても、その先にあるのは破滅でしかない。そして、今度破滅するのは日本「本土」である可能性は高い。他者を抑圧し続ける社会が豊かであり続けることはないだろう。

 ヤマト社会に対して言えることは、アジアに生きる人々は敵ではなく、手をとるべき隣人であり友人だということだろう。ヤマトにとっても、アジアは「脱」するところではなく、生きていく場なのである。沖縄「独立」への動きは、犠牲を強いた戦後レジームや近代以降の植民地支配からの解放とアジアの平和や共存への模索である。ヤマト社会が耳を澄まし沖縄の人々の力強い声を聞くことができるなら、その先に手を取るべき多くの隣人がいることに気づくだろう。まだ、遅くはない。ヤマトは本来アジアの有力な一員であること、しかも西欧とアジアを結ぶことのできる貴重な存在であることを思い起こすことから始めればいい」と。

 最後に、この「琉球処分」の歴史の流れを知りたい人には、大城立裕氏の「琉球処分」(上・下)<講談社文庫>を読むことを薦める。(富田 英司)案内へ戻る


 「エイジの沖縄通信」・・・(NO62)

「日米地位協定見直し」と「辺野古埋め立て中止」の意見書が全国の地方議会に広がる

 静岡でも、3月市議会に「辺野古工事の中止」を求める請願活動を取り組みました。

 引き続き、6月議会でも再度の請願活動を検討しています。

 5月20日号の「しんぶん赤旗」は、こうした請願・陳情活動が全国の地方議会で広がっていることを報じました。

 『史上最悪のアメリカいいなり政権である安倍政権の下、沖縄県名護市辺野古の米軍新基地建設や日本全国での米軍機の横暴な飛行など、米軍基地の害悪が強まっています。これに異議を唱える意見書採択の動きが、全国の地方議会で広がっています。

 昨年7月27日に全国知事会が日米地位協定の抜本的な見直しなどを求めた「米軍基地負担に関する提言」を採択。その後、地位協定見直しの意見書採択は7道県123市町村の計130自治体に広がりました。

 米軍基地の7割が集中し、過重な基地負担に苦しむ沖縄県では、これまでにほとんどの自治体で同趣旨の意見書が採択されていますが、本土でこれほど短期間に採択が広がるのは異例です。都道府県別でみると、とりわけ北海道と長野県で際立っています。

 同時に、沖縄県名護市辺野古の埋め立て中止を求める意見書も、昨年12月14日の土砂投入や今年2月24日の沖縄県民投票を前後して、本土でも採択の動きが出ています。今年3月には岩手県議会で「沖縄県民投票の結果を踏まえ、辺野古埋立て工事を中止し、沖縄県と誠意を持って協議を行うことを求める意見書」が採択。沖縄県内を含め、14自治体で採択が広がっています。

 東京都小平市議会に「辺野古STOP」の請願を行った「辺野古問題を考える小平市民の会」は「どうすれば沖縄県外の人が動きだし、深く考えてもらえるか。その手段として思いついたのが議会への請願でした。本当に止める力があるのは国会です。参院選では野党各党はぜひ、辺野古新基地中止を公約に掲げてほしい。同時に、日米地位協定の見直しでは、与野党問わず公約にいれてほしいです」と述べています。』
 (富田 英司)


 「色鉛筆」・・・辺野古にて

5月初めの朝8時過ぎ、1年ぶりにキャンプシュワブゲート前に行った。

 歩道をはさみ、基地側には見上げるほど高い幕と、整列した10人の民間警備員による「壁」。車道側には1メートルの高さのがっしりとした柵が並び、座り込みの場所が格段に狭くなっている。警察側は安全のためと説明するが、座り込みの場所を奪う事が、目的なのだろう。
1年前『ゲート前で連続6日間500人を集めて工事を止めよう』という呼びかけに、7~800人が集まったことも効いているのかもしれない。

座り込み参加者たちは、狭い歩道に次々と折りたたみ椅子を並べて座る。それにつれ整列した警備員が、じりじりと押しやられてゆくのが何やらおかしい。

やがてゲート前に、資材を積んだ10トントラックが何百メートルも並び、遙かに遠い最後尾は道がカーブしていて見えない。この車列に巻き込まれた一般車や路線バスは、その中でひたすら待つしかないのだという。

 さて、私たちのまえには機動隊員が登場、その数の多さに圧倒され緊張が走る。一様にサングラスをかけ、マスクの人も多く、無表情だ。リーダーらしき人がハンドマイクで「皆さんが座り込むので渋滞が起きている」と言うと、「ダンプが一度にたくさん来るからだ!」「昨日は10人しか座り込んでないぞ!座り込みのせいじゃない!」と抗議の嵐が沸き起こる。

車道を隔てた向かい側に、島袋文子さん(90歳)が車椅子に座って参加している。一年前の場所が広かった時は、一緒にこちら側に座り込むことが出来た。強い日差しだが終始毅然とした雰囲気の文子おばあ。数年前に、杖をつきダンプの前に立ちはだかった、その時の表情と少しも変わっていない。

機動隊による強制排除が始まった。2~3人がかりで、まるで物か獲物を運ぶ様に座り込む人を抱えて行く。安倍政権がよく口にする『国際社会』。だが抗議の意志を示して座り込む人を強制排除することは、国際的に許されない行為のはずだ。

わずか15分ほどで排除された。ダンプカーが基地内に入り始める。長い長い車列の中、ピカピカの新車がとても多い。素人目にも、大きな利権の絡む工事なのだと感じられる。

 この日にも、朝・昼・午後と3回で延べ263台が入ったというから、単純に割ってもこの回に90台!と言うことになる。

砂ぼこりと排気ガスにもめげず、皆でスクラムを組み、抗議のシュプレヒコールを上げ、歌い、行進を続ける。足の弱い杖を必要とする高齢者もいるが、新基地建設反対の意思はみな強固だ。

強制排除の前、隣に座る沖縄の女性と少し話しをした。

 退職して今67歳。週3回通っていると言う。「一緒に参加する友人は、いつも座り込みの中央へ行くけれど、私は機動隊に抱えられるとけがをしそうで怖くていつも端っこ。中には乱暴な隊員も居てね。あの人はコツでもあるのかいつでも上手にかかえられるのよ。」と笑う。私が、「本土からだがなかなか座り込みに参加できずごめんなさい」と言うと、「ここに来てくれるだけで、本当に心強いですよ」と逆に励ましてくれた。

キャンプシュワブ前だけでなく、海上でも、また埋立て用土砂の搬出に使われる名護市安和でも、決してあきらめない抗議行動が、うまずたゆまず続けられている。

 政府は工事費の金額について、新たに軟弱地盤が発見されるなどして難工事が予想される中、金額を発表しなくなった。それに対して、沖縄県は工事費2兆5000億円、工期も13年もかかると発表した。にもかかわらず、政府としてまともな反論も訂正もないのが現状。

 普天間基地と辺野古は、直線距離でわずか34キロしかない。その「移設」が「普天間の危険性除去の唯一の解決策」だと言い続ける政府。危険が増すことはあっても、「除去」などありようがない。反対する地元への説明は一切無しに、工期も予算も明らかにしないで「公共工事」を強行する政府に対し、玉城知事は日米、沖縄の3者で基地問題の解決のための協議を求めている。政府は正面からこれに答えるべきだ。(澄)

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