ワーカーズ600号  (2019/11/1)  案内へ戻る

 戦争する国目指す安倍9条改憲を阻止しよう
 国民投票法を改憲案とともに葬り去ろう!


 6月の参院選の結果、参院での改憲勢力3分の2以上という条件を失った安倍首相は、改憲に向けて新たに巻き返しの動きを強めている。「理想を議論すべき場こそ憲法審査会」「国民への責任を果たそう」などと言い、党改憲推進本部長に細田博之、衆院憲法調査会長に佐藤勉を充てて野党を引き込もうとしている。また党政調会長の岸田文雄に改憲もテーマとする地方政調会の全国展開の指揮を執らせ、党幹事長の二階俊博に野党合意の詰めの役割を担わせるなど、全党挙げての改憲シフトを敷いた。

 しかし、安倍自民党が掲げる改憲案は、国民の「理想」とはかけ離れた、海外で武力行使する自衛隊に憲法上のお墨付きを与えることと、戦争につながる動きに反対する国民の声を押さえ付けるなどための緊急事態条項の持ち込みが主な内容であり、労働者・国民には断じて認められないものだ。

 これに対し、維新の会は改憲論議に同調する姿勢。公明党も臨時国会で自民党の改憲案を議論しても良いとの態度を表明した。国民民主党も憲法改正議論を進めるという立場だ。

 今臨時国会での国民投票法の改正をめぐる闘いが最初の攻防戦となる。資金力のある団体に有利な規定を残したままの改正案は断じて認めることは出来ず、廃案に追い込まなければならない。自民党の狙いは改正案を通した後に、憲法審査会で自民党改憲案を提示することに置かれているが、この思惑を改正案ともども葬り去らなければならない。

 それと同時に、憲法を活かす闘いを発展させていくことこそ重要だ。私たちは、現憲法の中でまだ十分には実現されていない、平和の理念、民主的諸権利の現実化を求める闘いを、労働者、民衆の日々の闘いとしっかり結びつきながら、大きく前進させていくために闘う。この闘いの前進を通して、安倍改憲策動を打ち破るために全力をあげる。(治)


 それでも消費税は悪税だ!――「消費税コミコミ論」の迷言――

 度重なる台風襲来のせいか、10月1日に引き上げられた消費増税の影響は、それほど大きくは広がらなかったようだ。とはいえ、消費増税の分だけ確実に個々人の消費力は縮小する。それが消費不況を一層深刻なものにするかどうかは、今後はっきりする。

 その消費増税、次の解散総選挙の争点に浮上する可能性が高い。れいわ新選組の山本太郎代表が「消費税ゼロ」を訴えた参院選で旋風を巻き起こしたからだ。

 そうしたなか、ある「仮説」がメディアに現れた。「消費税コミコミ論」という「新発想」への転換だという。

◆逆進性は消える?

 10月9日付けの朝日新聞「多事奏論」欄で、編集委員の原真人氏が「価格を科学する――消費税コミコミの新発想」というコラムを書いている。
 要は消費税も価格現象の一つであり、消費増税でも所得増税でも、結果・効果は変わらない、だから消費増税で大騒ぎする性格のものではない、というご託宣だ。

 自公民による三党合意で始まった「税と社会保障の一体改革」を支持し、消費増税による財政再建を支持してきた朝日新聞、その一論説委員が書いたコラムにいちいち反論するのもどうかと思われる。が、それでも消費税は富者や大企業に優しい、庶民にとっての悪税だとの立場から、反論せずにはいられない。

 原氏の主張をざっとみていく。

 原氏はまず今回の消費増税で、企業や消費者が慎重かつ賢明な選択をした、と評価する。例えば、消費者は極端な駆け込み消費に走らなかった、企業も、事前に本体価格を変えることで、飲食料品での店内飲食と持ち帰りの税込み価格をそろえて混乱を和らげた……。

 こうした事例から、原氏は消費税も「価格の一要素」に過ぎないことがくみ取れる、だからこれまで消費税アレルギーが強い日本での、消費増税の影響を過大に見る発想は転換が必要だ、というのが前書きになっている。

 原氏はさらに続ける。

 先の参院選で、れいわ新選組の山本代表が、消費税廃止の代替財源として法人税の大増税をあげているが、「だが実は消費税だって事業者がまとめて税務署に納める一種の法人税だ。仮に消費税廃止で生じる財源の穴をすべて法人増税で埋めたとしても、理屈の上では全事業者が納める税総額は変わらない。」「事業者が払うあらゆる税は最終的に何らかの形で消費者に転嫁される。消費者だけが得をする、ということにはならない。」

 絶句……。なんということだろうか。最終的に税額を国に納入するのは同じ事業者だから、価格設定次第で誰が負担するかは関係なくなる……ということなのだ。

 例えば税の歴史で悪名高い「人頭税」。国民の個々人に一律に同額を課す租税で、逆進税の最たるものだ。消費税も、同じ商品を買う限り、富者も貧者も同額の税を納める。実際は、購入する商品のランクも購入量も違うから納税額は差がつくにしても、基本的な性格は人頭税と同じだ。だから消費税の逆進性が指弾されてきたのではなかったか。人頭税をやめても別の重税を押しつけてくるから結果は同じだ……。原氏の主張に沿って考えれば、消費税の逆進性という性格は、ものの見事に消されてしまう。

◆「ダイナミックブライシング」の効果?

 原氏は最近増えてきた「ダイナミックプライシング」に注目する。要するに、人工知能を活用することで需要に合わせて価格を弾力的に変えていく手法のこと。米国の航空会社が導入し、その後、スポーツや音楽コンサートで広がっている。

 そうした各種のチケット販売では、対戦成績や座席の位置、売れ残り具合などで、価格は毎日、毎時ごとに変わっていく。結果的に、価格を操作することによって総額では高く売れたり、売れ残りをなくすことができる。要するに、需要と供給をマッチングさせる技法の一つだ。身近な場面で考えれば、スーパーやコンビニの賞味期限切れ商品の値下げや閉店前値引きも、意味合いは同じだ。

 その「ダイナミックプライシング」に注目する原氏は評価を下す。需要などの様々な変数を前提として、まず最終的な価格を決定してから消費税率を逆算するから、消費税率の変更をあまり意識しないで価格が決まる。「いはば『消費税後決め方式』。これが広く普及すれば『消費増税は景気に影響する』などとは決めつけられなくなるだろう。消費者物価指数ひとつでインフレだデフレだと一喜一憂しなくなるかもしれない。」……うーん、なんとも苦しい論理展開。

 「ダイナミックプライシング」。動的で柔軟な価格付け、とでも訳したらいいのだろうか。とはいえこれらはあくまでチケット販売など、全産業・全商品の一部にとどまるものだ。現実の取引価格は、コストと需要・供給の関係で決まるのだろうし、卸などの段階ではいまでも多くが相対取引で決まったりする。結局、「ダイナミックプライシング」とはいっても、生産価格を基準として需要と供給の関係で決まる価格メカニズムそのものは変わるわけではない。

 原氏は結論として、物価や価格を巡る考え方を大きく見直すときだ、と結ぶが、どう変えるのか、具体像はない。

◆現実は露骨な収奪と格差社会

 私たちとしては、消費税を評価する場合、その逆進性だけをやり玉に挙げているわけではない。それだけで税制の性格を正確に評価できるわけでもない。同じように注目するべきは、第一に、消費税と他の税目、たとえば法人税や所得税などとの比重の問題だ。

 消費税が導入されてから30年、現実の税収構成はどう変わったか。所得税、特に法人税が段階的に縮小され、取って代わって消費税が基幹税になってきた(グラフ――1)。グラフを見れば、一目瞭然だ。

 そうなった原因は法人税の大減税だ。法人税率は、段階的に引き下げられてきた。消費税が初めて導入された1989年には40%だったが、いまでは23%台にまで減らされている。

 他にも研究開発減税など各種の租税特別措置で、大企業への減税が大規模に実施されている。トヨタは年1000億円もの減税の恩恵を受けていた年もある。結果的に、大企業ほど税負担率が低くなっているのが現実だ(グラフ――2)。

 赤字を次年度以降に繰り越して減税できる繰越欠損金制度も、企業優遇税制だ。いまでは最長10年の繰り越しが認められている。あのトヨタ自動車でさえ、法人税を払っていない時期があったほどだ。

 各種の富者優遇税制もある。金融取引利益への低率の分離課税もその一つだ。基本は国税15%、地方税5%の計20%で、これが所得税とは別に計算され、しかも累進税ではない。累進所得税自体の最高税率も引き下げられているが、これらによって富者の納税額はさらに軽減されている。安倍政権を含む歴代政権による大企業・富者への優遇税制は目に余る。

 第2の注目点は、法人減税と消費税導入によって、どういう結果がもたらされたか、だ。

 消費税導入や税率引き上げと並行するかのように、一方では企業の内部留保が膨れ上がり、いまでは全産業で500兆円を超える規模に膨れ上がっている。内部留保は過去7年連続で増えており、安倍政権に入って加速されているのだ。他方、労働者はといえば、賃金は押さえ込まれ、消費税で追加収奪も強化されてきた。かつての分厚い〝中流層〟は痩せ細り、格差社会が格段に深まっているのが実情だ。

 消費税増税と法人税減税をはじめとする各種の富者・大企業優先の税制改定が、こうした結果をもたらしたのだ。消費税の性格とそのあからさまな効果が現れてきたわけだ。こうした現実を作り出した法人減税と消費増税、単なる価格現象だなどと受け流してすむ話ではない。

◆「コミコミ論」は〝宿命論〟

 原氏は「消費税コミコミ論」という「新発想」への「転換」をアピールしているが、「コミコミ論」は、すでに以前から存在している。

 資本制社会では、資本・経営者は、様々な環境のもとで様々な手法をこらすとはいえ、基本的な指向は、常に労働者の賃金をはじめとするコストを最低限に抑え、最大利潤をめざす。いったん余儀なくされた賃上げの場面でも、次の局面ではその挽回を図る。賃金の額面ばかりでなく、インフレなどによる実質賃金の引き下げもその一つだ。結局、賃金は、労働者の生活を維持する最低限の水準に押さえ込むという圧力にさらされ続ける。

 こうした資本制社会の傾向を考えれば、労働者や庶民は、結局最低限の生活水準に落とし込まれる。それが資本制社会の必然的傾向だとすれば、賃上げや税金を巡る闘いは無駄な努力となる、という言説のことだ。「消費税コミコミ論」も、こうした〝宿命論〟の一変種といえる。

 たしかに賃金闘争を闘っていけば労働者はいつかは資本のくびきから解放される、ということはない。賃金は労働による生産で新たに生み出された価値額の一定割合でしかなく、限度がある闘いなのだ。

 それでも賃金闘争は無駄ではない、というのが、私たち労働者の基本的なスタンスだ。賃金を巡る闘いは、労働者と資本家の間の攻防の舞台。税制についても同じだ。政府を間に挟んだ〝再配分〟を巡る闘いの土俵なのだ。

 賃金でも税制でも、それを巡る闘いは勝ったり負けたりで、押し込まれることも多い。しかしそうした土俵での闘いを通じて、労働者は成果を上げることもできるし、団結して闘うすべも鍛えられ、より長期的で大局的な戦略目標を立てることも可能になる。

 ここまで原氏の言説に反対してきたが、実は、原氏の提言は全面的に間違っているわけではなく、物事の一面を指摘しているのも確かだ。ただ、その一面を恣意的に膨らませすぎてはいけない。

 消費税コミコミ論などの〝宿命論〟に対置すべきは、労働者は、賃金や税金など資本主義の個々の結果に対する抵抗だけでは不十分であること、根本的な原因の除去、資本制社会そのものを変革する以外にないという現実への、洞察と対抗戦略なのだ。

◆労働者は闘いの土俵で鍛えられる

 いま野党共闘が模索されている。とはいえ、消費税については「目標は廃止、当面は5%への引き下げ」が共産党やれいわ新撰組によって主張されている。他方、立憲や国民は、具体的な数字は示せず、足並みはそろっていない。

 ただ重要なのは、大企業や富者を優遇する一方で大衆課税を押しつける安倍政権と徹底的に対決する、という姿勢での合意作りとその貫徹だ。現実は心許ないばかりだが……。

 朝日の「コラム」が変な理屈をこね回して「物事の本質から目を背けた判断を続けていれば、司法(メディア)に対する信頼は失われるばかりだ……(全く別の件での26日付朝日社説の結語からの引用)。」私たちとしては、労働者や庶民に厳しい消費税と大企業・富者優遇税制と対決し、その闘いの土俵で力をつけて、より長期的で大きな戦略目標の実現をめざす闘いを拡げていく他はない。(廣)案内へ戻る


 読書室 岩佐茂氏・佐々木隆治氏編著『マルクスとエコロジ』
  ー ―資本主義批判としての物質代謝論  (Νyx叢書2) 堀之内出版 2016年6月刊行


○マルクスにとってエコロジーとは、既に終わった、単なる些末的なトピックにすぎなかったのか。世界最先端の研究成果により見えてきたマルクスのエコロジーへの関心は、『資本論』から一層進んだ資本主義批判の理論に深く関わる大きな意義があった。そしてマルクスを読み解く鍵は「物質代謝」の思想であり、マルクス思想の全貌はこれから明らかになる。晩期のマルクスの研究を知らずに、知ったかぶってマルクスを語ることなかれ!○

 本書の実質的な編著者である佐々木氏は、あとがきで自分の大学入学時の「マルクス葬送」の流行に触れて、「それに対抗する側も、旧態依然としたマルクス理解に固執するか、現代思想などを背景とした『新しい読み方』を提示するだけであった。要するに、マルクスそれじたいは研究されて尽くされており、その思想の内容は自明であるという暗黙の前提が存在」していたと述べた。まさに不肖の私なども、その傲慢な立場だったのである。

 しかし佐々木氏は本書を読んだ読者であれば「そのような前提がたんなる思い込みでしかなかったことを直ちに了解される」、そして誤解を恐れずに言えば、「いまようやくマルクスその人自身の思想を研究するための条件が整いつつある」と続ける。そしてこれを可能にしたものこそ新MEGA(マルクス・エンゲルス全集)の刊行の進展であり、生前刊行物だけでなく草稿・手紙及び抜粋ノートの出版である。これら草稿等の刊行により、エンゲルス編集の『資本論』第2巻及び第3巻では見えにくいマルクス自身の理論の展開を明らかになった。この新MEGAでは既に全ての草稿が刊行済みである。それ故、今やこれらを参照せずにマルクスの経済学批判研究を行うことはほとんど不可能になった。

 また抜粋ノートは、様々な書物を読む際にマルクスが生涯を通して作成した読書ノートである。晩期マルクスの抜粋ノートは全体の3分1ほどの膨大な量があるが、マルクス自身は健康面での制約から著作等にすることが出来なかった。その意味でこれらのノートは晩期マルクスの思想展開を理解する上で第一級の基本的な資料であることは間違いない。

 だが私たちがマルクスの思想に向き合うことが出来なかったのは、単に資料的制約だけではない。マルクスの理論、特に経済学批判の理解の不十分さが大きく関わっていた。だがようやく優秀な先学の努力と日本では久留間鮫造氏と彼を学統とする大谷禎之介氏らが『資本論』研究を世界随一の水準まで高め、マルクス思想に肉薄するまでになったのだ。

 本書は、こうしたマルクス思想と抜粋ノートの研究を背景にして出版されたものである。

 ここで本書の目次を紹介する。

 序文
 第一部 マルクスのエコロジー論
     第一章 マルクスのエコロジー論の意義と射程―物質代謝論の視点から
     第二章 マルクスと自然の普遍的な物質代謝の亀裂
     第三章 持続可能な人間的発展についてのマルクスのヴィジョン
 第二部 経済学批判とエコロジー
     第一章 経済学批判体系における物質代謝論の意義
     第二章 資本の弾力性とエコロジー論
     第三章 資本主義的生産様式における「自然の無償性」とは何か?
 第三部 新MEGAとエコロジー
     第一章 「フラース抜粋」と「物質代謝論」の新地平
     第二章 マルクスと発展した資本主義的生産における社会の物質代謝の絶え間ない破壊
 第四部 第一章 マルクス『資本論』における技術論の射程―原子力技術に関する理論的考察
     第二章 マルクスの資本主義に対するエコロジー的批判と二一世紀の食糧危機―過少生産論に対する批判的検討
 あとがき
 参考文献

 このように本書は、米国・日本・ドイツ・韓国の著者による各項目の論文集、すなわち新MEGAの『資本論』草稿類と抜粋ノートに関する国際的な研究論文集なのである。

 紙面の関係から、本書を代表する論文として、ここでは第二部経済学批判とエコロジーの中の第一章経済学批判体系における物質代謝論の意義だけを取り上げることを、お許しいただきたい。もう一人の編者である岩佐氏も、この論文については「マルクスの経済学批判の核心はなによりも物象的な経済的形態規定と素材的世界における物質的代謝との絡み合いに存する。それゆえ、これまで経済学批判において注目されることが少なかった物質代謝概念に注目し、その意義について考察した」ものだとの高い評価を与えている。

 佐々木氏は既に2011年の処女著作『マルクスの物象化論』において、「マルクスの経済学批判の核心が物象的な経済的形態規定と素材ないし物質的代謝との絡み合い」にあり、マルクスを「素材の思想家」だと指摘している。だがその著作では物象化に力点が置かれ物質代謝の意義については展開できなかった、とこの論文執筆の経緯を書いている。

 まず佐々木氏は、表題の物質代謝を一段と適切な素材代謝と言い換えた。そもそもこの概念は、生物体の内部における物質の化学変化を示す物であった。そして農芸科学者のリービッヒは外界から摂取した物質を体内で結合・分離することで生命活動が維持されることを重視し、名付けたのであった。その後、個々の生命体の栄養摂取・排泄ばかりでなく、一般化されて環境との相互作用等、さらに自然科学だけでなく社会科学、生産と分配そして消費の循環的かつ有機的な人間活動を扱う経済学においても使用されるに至る。マルクスは、リービッヒから直接にではなく、友人の医師のダニエルスからこの概念を知った。

 こうしてマルクスは、資本主義的生産様式においては人間達の振る舞いによって特定の経済的形態規定(価値)が絶えず再生産され、この経済的形態規定が素材的世界を再編し、社会的素材代謝にとどまらず自然的素材代謝にも大きな影響を与えると気づいたのだ。
 資本主義下の私的生産者は、生産物に価値という社会的力を与え、商品・貨幣等の物象とし、これらの力に依存して互いに関係を取り結ぶ他はない。このように資本主義下では生産関係が人格と人格との関係ではなく、物象と物象との関係として現れる。それ故、生産を制御するのは人間関係ではなく物象の運動が生産活動を制御する。これがマルクスのいう物象化の核心である。これにより素材代謝も大きな影響を受けることになるのである。

 この資本主義による素材代謝の編成と攪乱を、マルクスは、以下の7点にまとめた。

 第一に絶対的剰余価値の追求が賃労働者と自然との正常な素材代謝を攪乱する。

 第二に相対的剰余価値のための生産力上昇の追求が労働過程自体を技術的に変革する。

 第三に資本蓄積の進展において、一方で資本は素材の弾力性を最大限に利用して蓄積強度を最大化し、他方で資本の有機的構成の高度化により相対的過剰人口を発生させ、貧困を社会的に蓄積する。前者は都市への人口集中と住宅問題・環境問題を深刻化する。後者は賃労働者達の自然的素材代謝にとり必要な社会的素材代謝を妨げ、現役労働者の労働条件や生活条件を悪化させる。

 第四に資本の回転時間の短縮により素材代謝の攪乱が生じる。例えば森林の衰退等。

 第五に利潤率の上昇のため、賃労働者雇用の節約が素材代謝の攪乱の原因となる。

 第六に一般的利潤率の傾向的低下の法則により現実性をもつ恐慌が社会的素材代謝を攪乱することを通じて自然的素材代謝をも攪乱する。例えばバブルの発生とはじけである。

 第七に人間の自然的素材代謝の「本源的武器庫」である土地が資本主義的生産様式に包摂され、前近代的土地所有が物象の力に基づき近代的所有に転化すると、人間と大地との本源的統一が破壊され、人間と自然との素材代謝が未曾有の規模で拡大する。

 こうして人間の自然的素材代謝に関わる労働問題と土地の自然的素材代謝に関わる農業問題乃至環境問題が不可分のものとして現れる。マルクスの物質代謝論は単にエコロジー危機の把握を可能にするだけではなく、資本主義に固有な労働様式の帰結としてそれを理解することを可能にした。マルクスの経済学批判体系は素材代謝の視角が一貫している。

 マルクスの経済学批判体系において決定的だったのは、労働の社会形態から出発し、生産関係を把握したことである。つまり「伝統的マルクス主義」のように、資本家による生産手段の私的所有を基礎にして資本主義的生産関係を把握したのでなく、マルクスは私的労働と賃労働という特殊な労働形態から出発してそれを把握したことにある。そのことはマルクスが社会把握の基礎に素材代謝を置いていたこと、さらに労働とは根本的には自然と人間との間でのまさに素材代謝の媒介に他ならないと認識していたからなのである。

 マルクスの経済学批判の問題意識は、旧来の経済学が形態規定と素材とを癒着させることにより経済的形態規定の固有性、さらには資本主義生産様式の歴史的特殊性を把握できなかったばかりでなく、素材代謝の具体的論理を捨象し極めて抽象的にしか素材の論理を把握することが出来ず、したがって旧来の経済学が素材代謝の様式を一面的にしか把握できていないことに対して向けられていたのである。これがマルクスが素材の思想家といわれる所以である。

 翻って私達はこうしたマルクスの問題意識を共有していただろうか。まさに共有していなかった。マルクスのアソシエーション論もこの文脈において、つまりアソシエートした自由な諸個人が労働配分や生産分配の在り方を規制するだけでなく、こうした自由な人間達が持続可能な仕方でしかも自分たちの人間性に適合する仕方で、人間と自然との素材代謝を制御する社会だと認識しなくてはならないと佐々木氏はこの論文で強調している。

 最後に本書の第四部第一章において、「マルクス『資本論』における技術論の射程―原子力技術に関する理論的考察」で興味深い事を述べていることにも注目しておきたい。

 本書は4千円に迫る値段ながら、一読に値する本である。是非にと読者の皆さんへお薦めしたい。(直木)


 読書室  『植民地朝鮮と日本』趙景達著(岩波新書)

●はじめに

 一般に朝鮮の植民地支配の歴史は三期に区分されます。第一期は「韓国併合」に始まる「武断統治」の時代。第二期は「三・一独立運動」をきっかけに「文化政治」に転換し「重化学工業化」に至る時代。第三期は「日中戦争」から「太平洋戦争」にかけての「総力戦体制」のもと「徴用工」「慰安婦」が問題となる時代です。

 著者の趙景達(Cyo Kyeungdal)は、これらの各時期について豊富な資料に基づいて克明に描いており、コンパクトな「新書本」ながら、「歴史修正主義者」(リビジョニスト)の「植民地正当化論」や、「否定論者」(ディナイスト)の「慰安婦捏造説」に、客観的に反論するためにも有意義な良書と言えます。

●武断統治

 第一章「日本の軍事支配」では、朝鮮総督府と憲兵警察制度の設立により、義兵闘争に対する大掃討作戦が行われ、言論弾圧により「新民会」も解散に追い込まれます。さらに憲兵警察主導で「土地調査事業」「林野調査事業」が強行され、「東洋拓殖株式会社」が最大の地主となります。

朝鮮に食糧生産地の役割を担わせるため、「武断農政」のもとで米を日本人の嗜好に合うよう品種改良させ、棉花・養蚕・果実・畜牛などの指導を推進します。また朝鮮農業に工業の原材料供給地の役割を担わせるため、棉花栽培協会を設立し陸地棉栽培を推進し、日本の紡績工業を支えます。

朝鮮を食糧・原材料供給地として押し止めるため「会社令」により会社設立を制限し、その結果、朝鮮人会社の設立は抑えられます。また主に軍事目的の鉄道や道路を整備するため、強制収用により多くの農民が田畑や家屋を失います。

一方「朝鮮教育令」を公布し「忠良なる国民(臣民)」を育成するため、日本語を普及し同化教育を推進します。地方行政においても、行政区画を総督府の支配が貫徹しやすいよう再編します。

こうして、武断統治の時代、朝鮮民衆は政治・産業・教育・地方行政の主体から徹底して排除され、怒りは鬱積してゆきます。

●文化政治

 第一次世界大戦の終結に際して、アメリカのウィルソンの提唱した「民族自決主義」は、朝鮮民衆にも大きな勇気を与えます。一九一九年三月一日、京城のパゴダ公園で学生代表が「独立宣言文」を朗読すると、「大韓独立万歳」が高唱され、数万名の示威行進が繰り広げられます。この「三・一独立運動」は全国に広まり、武断統治期に蓄積した民衆の怒りが噴出します。

 これを機に武断統治の限界を感じた日本政府は、憲兵警察制度の廃止や地方制度への参加など「文化政治」への転換を余儀なくされます。言論・出版の自由を認めると同時に「親日派」の育成を行います。

 これに対応し民衆の側からも「実力養成運動」という改良主義的運動が起こり、「民立大学設立運動」や「物産奨励運動」、「自治運動」へと発展していきます。それはさらに、天道教やキリスト教の運動、女性運動、旧賎民(白丁)の衡平運動、農村運動、生活改善運動、帰郷学生のヴ・ナロード運動などへ、裾野を広げていきます。

 一九二二年になると「朝鮮共産党」が設立され、コミンテルンの影響のもと、労働運動・農民運動を組織しますが、総督府によって弾圧されます。社会主義者と民族主義者との共同戦線が追求され「新韓会」が組織されます。
国外においても満洲における独立武装運動、上海における大韓民国臨時政府の運動、日本における在日朝鮮労働総同盟の運動などが展開されます。

 こうして民衆運動の激化に直面した「文化政治」は、一九三一年の満州事変を機に終焉します。「農工併進」政策のもと、農業では「南棉北羊」(南では繊維工業用の棉花、北では軍需用の緬羊)、「北鮮開拓」(森林伐採)が推進され、工業では「重化学工業化」が進められ、「日窒コンツェツン」により鴨緑江の大規模電力ダムと「朝鮮窒素肥料株式会社」が設立されます。

●総力戦体制

 一九三七年に日中戦争に突入すると、朝鮮は「戦時動員体制」に組み込まれ、太平洋戦争に至って、その過酷さは極限にまで達します。

 一九三八年には「国民精神総動員朝鮮連盟」を発足させ、「内鮮一体」の掛け声のもと、「朝鮮教育令」改正により生徒の皇国臣民化を推進し、「創氏改名」により、「姓」基本の朝鮮の伝統的家族制度を破壊し、日本の「氏」制度に強引に組み込みます。

 「皇軍」への動員は、一九三八年の朝鮮陸軍特別志願兵令に始まり、四三年には海軍特別志願兵令、さらには朝鮮人の学徒出陣にまで拡大されます。多くの青少年が戦地で犠牲になりますが、学生の反抗も激しく、志願拒否、脱走、抗日軍への合流、入営後の反乱などが起きます。

 「労働動員」(いわゆる「強制連行」)は、三つの階梯をたどります。第一段階は「募集」方式で、一九三九年の「労務動員計画」により、総督府が指定した地域で企業主が募集を行いますが、実質は警察が人数を割り当て強制的に行われます。第二段階は「官斡旋」で四二年に総督府が決定した「斡旋要綱」に基づき「朝鮮労務協会」が村々に割り当てた人数を村落責任者の責任で挑発します。第三段階は四四年の「国民徴用令」による法強制での徴用です。忌避や逃亡による抵抗がありましたが、約七十万人近くが炭鉱や工事現場で過酷な労働に従事させられ、強制貯金で半数以上が賃金も未払いのまま終戦を迎えます。

 「軍慰安婦」の徴集も行われます。「軍慰安所」は一九三二年の上海事変以降設置されますが、三七年の南京事件で大量虐殺と婦女暴行が問題となってから大量設置されます。慰安婦の募集には陸軍省も深く関わっています。朝鮮では総督府が徴集された女子の身分証明書発給や移送業務を行います。徴集は軍に指定された業者が行いますが、貧困農家出身で教育もさほど受けず就職先に窮する娘を主な対象とします。女工ということで応募した就職詐欺や人身売買、班長・区長の説得による半強制、巡査・憲兵による拉致も少なくなかったと言われます。彼女たちは戦地で「性奴隷」として過酷な扱いをされます。

●問題提起

 ところで、この『植民地朝鮮と日本』は『近代朝鮮と日本』の続編として執筆されています。趙景達は両書を通じて朝鮮史のあり方に、独自の問題提起を投げかけています。以下は、両書の「まえがき」の中から要約しつつ引用します。

 戦前の日本は、朝鮮植民地化を正当化するため「朝鮮の歴史を停滞的、他律的と見る歴史観」、「朝鮮は自力では近代化できず、日本が助けてあげなければならない、という手前勝手な植民地史観」を流布しました。

 戦後の歴史学は、こうした歴史観を克服することに力を注ぎ、「朝鮮は内在的に近代の方向に発展の道を歩んでいたが、日本によって阻害されたという、いわゆる内在的発展論が一世を風靡」します。(特に梶村秀樹の業績は重要です。)

 ところが、一九八〇年代以降、それへの懐疑が生れました。「内在的発展論は、それまでの支配・抵抗の歴史を取り込みつつ、近代的な発展の道を描こうとしたのだが、近代日本の民族主義・国家主義を指弾する一方で、朝鮮の民族主義を鼓吹するものであったからである。」(近代そのものを相対化する視点が提示されます。)

 これに対し提起された「朝鮮近代化論」や「朝鮮近代性論」についても、趙景達は批判しつつ(内容は省略)、次のように問題を投げかけます。

 「内在的発展論は、先鋭な近代日本批判を展開したが、朝鮮と日本との同質性を前提としており、近代日本が批判されるべきなのは、朝鮮の内在的な近代化を阻害したからだということにしかならない。朝鮮近代史研究では近代の呪縛から逃れることは容易ではない。」と指摘します。

 「では、近代を相対化しようとするなら、どのような歴史認識が必要か」と問い、「そこで着目したいのは政治文化である」と提起します。「政治文化とは、政治や抗争が行われる際に、その内容や展開のあり方などを規定する、イデオロギー、伝統、観念、信仰、迷信、願望、慣行、行動規範(ルール)など」であると規定します。

 その上で、趙景達は「儒教的民本主義」に着目します。詳しい展開は省略しますが、武断統治の破綻した要因、社会主義が民衆に受容された要因、朝鮮共産党や臨時政府が派閥抗争に終始した要因などについて、これまでの「内在的発展論」では必ずしもうまく説明できていなかった問題が、「儒教的民本主義」の視点を通じて、ある程度説明できているのは確かでしょう。(その当否は、今後多くの論者によって、検証されていくでしょう。)

 このように、趙景達の『植民地朝鮮と日本』は前著『近代朝鮮と日本』と合わせて、最新の客観的資料を踏まえ「歴史修正主義」に対する実証的批判に有用なテキストであると共に、梶村秀樹らが切り開いた「内在的発展論」をさらに批判的に継承・発展させるべく問題提起の試論としても、必読に値すると思います。
(松本誠也)案内へ戻る


 なんでも紹介・・・ノモンハン・南京・桂林

ノモンハン

 8月15日に南京訪問することがここ数年の習慣になっています。中国の戦跡訪問、フィールドワークなのですが、この暑い最中の行動にどのような意味があるのだろう。加害者側の立場にある私の慰霊の旅など自己満足にすぎないのではと思いつつ、事実と向き合う旅を続けています。

 9月8日、神戸新聞がノモンハン事件の記事を掲載しました。1939年5月から9月、日本軍が〝暴走〟して旧満州とモンゴルの国境をめぐってノモンハンでソ連軍に無謀な戦闘を仕掛けた事件です。記事はそのありさまを、次のように伝えています。
「計4万人以上が死傷した現地には今も爪痕が残り、不利な戦いを強いられた元日本兵や遺族は体や心に傷を抱える。日本が対ソ開戦を諦めて南進政策に転じ、太平洋戦争に向かうきっかけとなった事件を振り返った」

 すでにこの時期に彼我の戦闘能力の違いを無視し、「楽観的な見通しで戦闘を継続し、精神論を強調して兵站を軽視」していました。何しろソ連軍は戦車が中心なのに、「一線の日本兵は火炎瓶を片手に戦車に向かうしかなく、多くの戦死者が出た」
 生き残った兵士、柳楽林市さん(102)歳のインタビューも掲載されています。今や戦場での経験を証言できる元兵士は少なくなっており、柳楽さんの証言にもあるように実に〝ひどい話〟です。

「百数十人いた柳楽さんの中隊は20人ほどに。中隊長も戦死したが、生き残った戦友とともにソ連軍が守る高地に突撃した。たどり着いた時、至近距離で手榴弾が破裂。右鎖骨付近に大けがをして、近くの塹壕に飛び込んだ。その後、戦況確認に来た日本兵に救出された。隊はほぼ全滅した」「戦功のためには1連隊3千人など消耗品に過ぎなかったのだろう。参謀たちは作戦の失敗の責任も取らなかった。ひどい話だ」

南京にて(13日~16日)

 中国のテレビはもちろん見ても分からないけど、漢字からいくらか内容は読み取れます。見ることができたのはCCTV(中国新聞)放送ばかりで、なかでも際立ったのは香港情勢の報じ方で、暴力的デモに反対する人たちの行動が大きく紹介され、結束バンドで縛られた人物の映像がたびたび流れていました。さらに、識者が机を並べインタビューを受けている場面も報じられていました。

 これらが国家的キャンペーンであることはわかりやすかったのですが、結束バンドで縛られた人物が何者なのかは謎でした。

「被害者の1人は、共産党機関紙・人民日報系の環球時報の記者だった。手足を結束バンドで拘束されて暴行を受ける映像を、国営中央テレビも繰り返し放送」(8月15日「神戸新聞」)

 なるほどそうだったのか、とにかく香港の抗議行動がどれほど違法で暴力的かということを中国国民に植え付ける報道が行われていました。デモ規制の警察の暴力的弾圧と中国本土からの圧力が、学生や市民の抗議行動を過激化させていることには触れていないようでした。中国はどこへ行くのか、香港の明日はあるのか、暗い気持ちになります。

 顔認証は今や大流行ですが、中国では顔認証が必要なホテルがあります。それに、街中にはスローガンが溢れ、建国70年のポスターが貼られていました。10月1日の国慶節の向けたものです。聞くところによると、中国のスカイネット(天網・顔認証システム)では6万人の観衆のなかから手配者を割りだ検挙。2020年までに監視カメラを4億台設置して、14億人の国民を3秒以内に特定することをめざしているらしい。

 翻って日本はどうでしょうか。一見、法の支配が機能しているようで、警察は巧妙に合法性を装い、司法に守られて暴力を行使しています。国家がウソと排外で国民を組織しようとしています。監視カメラの増殖という点でも、中国とさして変わらないように思います。

 さて、南京は城壁に囲まれ多くの門がありますが、何といっても中華門の威容にはため息が出ます。老門東はその東側に出来た観光地のようなところです。南京利済巷慰安所旧址陳列館は以前は半分壊れたような建物でしたが、今は整備され〝慰安所址〟として管理されています。

 南京侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館では15日の朝、平和集会式典に参加し幸存者の証言を聞きます。最近は国旗掲揚とかもあります。正式な式典は12月13日に行われ、2014年から国家公営となっています。南京民間抗日博物館は呉先斌さんが設置しているもので、規模が大きくなっていました。

 こうした傾向を〝反日〟と捉える方もあるようですが、南京の多くの慰霊碑は中曽根ヤスクニ訪問を契機としてつくられたものであり、加害者がなかったことにしようとしていることに対する反応だと私は思うのです。ちょうど、平和の少女像が増え続けているように。

大陸打通作戦、広大な大陸での約束された敗北

 盧溝橋事件(1937年7月7日)で中国との全面戦争に突入したとき、「ときの陸軍大臣、杉山元は、2ヶ月でかたがつくと天皇に上奏し、戦線が拡大したあともなお参謀本部は、南京(当時の首都)を占領すれば、国民党政府は抗戦を断念する可能性が多いと判断していた」(中塚明「近代日本と朝鮮」)

 情勢分析なき精神論、兵士を消耗品として使い捨てる作戦を当然としてきた大日本帝国の興亡が、このようにあらゆる局面で内外におびただしい犠牲を強いてきました。明治の初め、木戸孝允は「速に天下の方向を一定し、使節を朝鮮に遣し、彼の無礼を問ひ、彼若し不服の時は罪を鳴して其の土(国土)を攻撃し、・・・」(同書)と言いましたが、中国には〝暴支膺懲〟という言葉があてられました。参院選後の安倍内閣改造で防衛相に転身した河野太郎前外相が韓国に対して〝無礼〟と言い放ちましたが、それは、150年この国は何も変わっていないということを暴露したものです。ちなみに、アメリカやイギリスは〝鬼畜米英〟だったのですが。

 昨年は廠窖・常徳へ、1昨年は徐州へ、その前は拉孟・騰越へも行きました。しかし、それらは細切れの知識としてあり、結びつけひとつながりのものとして十分把握できていません。大陸打通作戦(1号作戦:中国大陸の米空軍基地の覆滅・大陸打通・国民党政府の撃破など)はそれらを結びつける鍵なのかと思います。どんなに大量の兵士を送り込んでも所詮は点と線に過ぎず、消耗戦に敗れて8・15へとたどり着いたのです。

 徐州は南京の北にあり、徐州作戦は南京占領後の1938年に行われましたが、台児荘では手痛い敗北を喫しています。中塚明氏は前掲書において次のように記しています。

「38年はじめ日本軍は華北と華中を連絡するため徐州作戦を行なったが、台児荘でまたしても敗北した。こうして数個師団の軍隊で主要都市を占領しさえすれば、中国は降伏すると考えていた日本政府・軍部は予想を裏切られ、大兵力を増援しなければならなくなった」

 引用中、「またも」とあるのは、前年の「9月下旬、山西省北部前線に出動した林彪の率いる八路軍は、平型関で日本の精鋭部隊板垣師団3000余人に壊滅的打撃を与えた」ことを示しています。日本からの侵略戦争の火中、中国は内戦か国共合作かという錯綜した状況にありました。台児荘や拉孟での勝利は蔣介石軍によるものであり、その評価には微妙なものがあったようです。

 常徳はずっと南下して長沙の近く、1943年ペスト菌を使った細菌戦が行われたところ。拉孟や騰越はビルマに近く、インド方面からの援蒋ルートを断つのが目的でした。敗戦1年前の1944年、拉孟守備隊は全滅しています。ビルマ戦線でのインパール作戦(1944年3月~7月)も援蒋ルートを断つ作戦でしたが、その無謀な作戦は悲惨な敗北を招き、日本軍の敗走路は〝白骨街道〟と称されました。

 吉田裕氏は「日本軍兵士 アジア・太平洋戦争の現実」で戦争栄養失調症について触れ、徐州作戦でそうした兵士(生ける屍)の死が多発したと書いています。大陸打通作戦でも患者が多発しているのですが、補充兵として大陸に送られた兵士は体力が劣り、「靴に鮫皮まで使用した物資欠乏」のなかで、無理な行軍に耐えられず、餓死と自殺へと追いやられました。同書から、湘桂作戦に従軍した兵士の回顧録を引用します。

「補充兵はたくさん来た。その半数は第二国民兵の未教育兵、年齢も30歳以上、部隊へ着くのがやっと、ほとんど半病人のありさま、こんな様子だから現地での教育もできず、8月下旬再び行動開始で出発したが、約1ヶ月ぐらいの間にほとんど野戦行動に堪えず落後してしまった。昔日の皇軍の面影はさらにない」

 大陸打通と言い、日本軍は広大な大陸を無意味に右往左往しただけ。その点と線の周辺では略奪の限りを尽くし、被害地を巡るたびに『こんなところまで兵士は食料を漁りに来たのか』という思い、中国の方々の被害に対する申し訳なさと、戦争に狩り出された日本軍兵士もまた哀れな〝犠牲者〟だったという思いが交錯します。

桂林で河を下り、羅善学さんに会う(16日~19日)

 桂林には若干の不純な動機(河下り観光)もあって行ったのですが、そこにも日本軍の爪痕がありました。長沙からさらに南にあり、その先に仏印へのみちがあります。フィールドワークノートには「第11軍は衡陽から湘佳線沿線を南下して(1944年)11月10日に桂林・柳州を攻略、一部はさらに貴州の独山を占領した。広東から南部○漢線にそって西進した第23軍は第11軍と同日に桂林・柳州を攻略したのち、12月24日南寧を攻略、さらに北部仏印から鎮南関の国境を越えて北進してきた第21師団と合流し、ここに中国大陸から仏印を通り、南方圏に通ずる陸上交通路が開通し、大陸打通の目的は一応達成されたのである」と、微妙な記述となっている。

 すでに制空権はなく、もちろん制海権もなく、〝一応〟確保された交通路を維持するすべもすでにありません。兵士たちは食料と女性を求めて徘徊し、〝日本鬼子の子〟羅善学さんの出生という償いきれない犯罪を侵し、また洞窟に逃げていた村人たちを入口から火を放ち殺すようなこともしました。

 韋紹蘭さんは馬嶺鎮の日本軍トーチカに捕われ、性奴隷とされて妊娠し〝日本鬼子の子〟羅さんを生みました。残念ながら5月に亡くなっていて、会うことはできませんでした。羅さんとは七星公園で会うことができました。出生に刻印された苦しさに耐え、なにか達観した、あるいは諦念のようなものを感じましたが、懸命に自らに課された発言を行っているのではないかという印象を受けました。

 台児荘戦役で日本軍と対峙し、勝利した中国軍第5戦区司令長官李宗仁の記念館が台児荘にあり2017年に見学ましたが、桂林では李宗仁故居を見学しました。山を背に立派な建物で、内部には私学校もあります。一時は中華民国総統代理にもなったのですが、台湾行に不安を覚え、香港からアメリカに亡命。1965年には人民共和国に迎えられるという波乱の人生を送った人物。

 馬埠江村見学では、80歳を超える陽振珠さんの案内で洞窟(白骨洞)まで行き、兄の陽振球さんはここに来るのはつらいと言いながら、次のように話されました。日本兵が洞窟の入り口に草(トウガラシ)を積んで火をつけ、中にいた村人たちが殺された。111人の遺骨が今も洞窟内にあり、数年前に政府が危険だとコンクリートで入口を塞いだ。自分たち家族は外にいたので無事だった、と。

 桂林の河下りは100%観光気分。観光船が数十隻もある船着場は大型バスが並び、人込みでごった返していましたが、カルスト地形で林立する山が次々に現れ、4時間近い船旅を満喫しました。しかし、この河下りは韋紹蘭・羅善学母子の自宅を訪問するためでした。

 なお、桂林を象徴する山々は街中にもあり、ホテルの前にある山(伏波山)は登れるというので、朝早く起きて登ってみました。幸運にも、そこで日の出を見ることができたのです。この日、午前中さらに宝積山にも登りました。山頂の国民党軍トーチカはあちこちにあり、多くの山に国民党軍が陣地を構え、日本軍と戦ったということです。

 帰国前に上海で1泊、20日はバンド(外灘)あたりを散策、四行倉庫記念館を見学。1937年10月26日~31日の4昼夜、日本軍との戦いが繰り広げられたところです。外壁には戦闘の跡が残っています。

 日本の敗戦後、中国では内戦を経て人民共和国が誕生し、台湾に逃れた蔣介石は白色テロを行ないました。その台湾を訪れたのは2013年でした。白色テロ(1947年「台湾2・28事件」)で家族を殺され、自身も弾圧を受けた夫妻との対面は劇的でした。当時、「セデック・バレ」という台湾の長編映画を観た直後で、その舞台となった霧社にも行くとあって、興味深い思いで参加した。そして、霧社事件・原住民蜂起の首領モーナ・ルダオ像に面会し深い感銘を受けました。

 今年もまた皇軍が侵略した道筋をたどるフィールドワークに参加し、夏の暑い時期に中国を訪れました。それは、なかったことのされようとしているこの国の歴史の一断面を訪ねる旅です。日本と中国の過去と現在、そして未来について想いをめぐらしてください。         (折口晴夫)案内へ戻る


 コラムの窓・・・「関電ゾロゾロ」

 9月26日の報道以降毎日、関電の見出しが新聞紙面に踊っています。まるでこれまで溜めに溜めていた汚泥が溢れ出し、そこから原発マネーを喰らったゴキブリがぞろぞろ現れています。名指しでもらった金品を報道され、この人たちは恥ずかしくないのかと思いますが、そんなこととは無縁な世界に生きる人たちなのでしょう。

 9・11以降、多くの電力会社に対して「再稼働反対」の抗議行動が続けられていますが、関電に対しては〝関金行動〟があります。私は毎週金曜日11時から、関電本店前に行くようにしています。

 10月4日は朝から関電は正面玄関(通用口)を閉鎖していました。恥ずかしくて門を閉ざしているのか、それとも招かれざる客の来訪を拒否しているのか、どちらにしても居座りを目論む八木・岩根ラインは風前の灯火となっていました。そこで、10月6日のフェイスブックに次のような書き込みを行いました。

誰が越後屋を育てた!

 関電の対応は頭隠して尻隠さず、日替わりでどんどん悪事が暴かれつつある。これらは原発稼働に固有の現象と思われるが、実はあらゆる産業に見られる現象のようだ。簡保の現場も収拾がつかないなかでNHKを巻き込んだ悪事の隠蔽も露見した。

 何ともお寒い限りだが、資本主義そのものが根腐れをおこし、教師間の陰湿な虐めさえ見過ごされ、N国党首は他国の人々・子どもたちを公然と蔑み殺せという。神戸新聞は10月4日の社説でこれを適切にも「国会は炎上商法を許すな」と指摘したが、その本家が安倍自公政権だとは書かないところがあと一歩ということか。

 10月9日の八木会長らの辞任表明によって一段落の感があるかのようですが、問題はこれからです。11日の金曜日、昼休みデモかと思いますが全労連が関電デモを行い、その後抗議文を届けに来ました。ところが、関電の社員は出てきません。嫌なことは下請けに押し付けるといういつもの手で、警備に〝追い返す〟仕事を押し付けているのです。何とも子どもじみた愚行です。

 しかも、抗議文は受け取らずに追い返せという指示のようでしたが、結局、通用門の外で警備員が受け取ったようです。嫌なものは見ないようにすればなくなる、きっと森山栄治という都合のいい人物を創造することによって、すべてうまくいくと思っていたのでしょう。

 そうしたい危うい均衡の下で若狭の原発は稼働してきた、その危うい均衡が破綻し、関電は危機に陥っています。原発を動かし続けようとしている勢力は、この危機を関電トップの首きりで終わらせようとしているのです。原子力マフィアは巨象。関金行動はその足に刺さる棘といったところです。 (晴)


 「エイジの沖縄通信」(NO67)・・・「今、必要なのは防衛省ではなく防災省だ!」

 今までの台風の銀座通りといえば、南の島・沖縄であつた。

 それが、今では「九州」や「東日本」が台風の銀座通りになりつつある。やはり地球の温暖化が深刻になっている影響だと思える。

 私も沖縄生活で「沖縄台風」を幾つか経験したが、本土の台風とは段違いでそれは凄かった。ヘタをすると2日も3日も外に出られなくなる。

 その「沖縄台風」で知った用語が「けーし風」(返し風)である。

 本土の台風は、通り過ぎれば次の日は「台風一過」で晴天になる事が多い。ところが、沖縄の台風はやっと通り過ぎて、やれやれ静かになったと思いきや、また台風が来たのか?と思うほど、「けーし風」(返し風)が凄い!

 でも、沖縄の皆さんの「台風慣れ」と言うか、台風に対する「対応能力」(食料の買いだめとか)にいつも感心させられました。

 前置きが長くなりましたが、今の日本社会が直面している大きな課題が「自然災害」(豪雨台風、等)問題である。「想定外」とか「今まで経験したことのない」という言葉はもう通用しない。

 9月の台風15号は千葉県等に大規模停電をもたらした。そして台風19号が東日本全域を直撃して、堤防の決壊が7県71河川135カ所に及び、死者行方不明者が90人以上、けが人も400人以上、住宅6万棟以上が浸水した。さらに、台風21号と低気圧は東日本に記録的な大雨をもたらし被害が増大。

 東京新聞に被害者の声が載っている。千葉県の人は「最悪の年だよ。これだけの災害が自分の身に降りかかるとは想像していなかった」と。避難した人からは「氾濫せず無事だったが、本当に怖かった」「強い風雨で防災無線がまったく聞き取れなかった」「深夜に自治体から高齢者避難のメールが何度も来たが、もう遅いと思った」等など。

 防災の専門家の皆さんは「これまでの常識や経験だけに頼らず、危機感のハードルを下げ自分の命を守ってほしい」と警鐘を鳴らすが。

 しかし、想像を絶する猛威を振るう「自然災害」(豪雨台風、等)の中で自己責任で自分の命を守る事には限界がある。

 この問題について宇野重規氏は「時代を読む」の中で、次のように指摘している。

 「古来、政治の最も重要な任務の一つは治水であった。・・・実を言えば、治水をはじめ、私たちの日常生活の基盤の整備は日々、目につかない場所で、多くの人々の努力によって少しずつ実現されている。それは確かに目につきにくいが、政治の重要な要素である。関係者の日々の努力が声高にたたえられることは少ないが、災害や事故が発生したときに初めて、私たちの生活の基本的な条件が誰かによって支えられていることを思い知る。今回の台風はその最たる例であった。・・・政治の課題が新たに浮き彫りになったと言っていいだろう。」と指摘している。

 安部首相は官邸で開いた非常災害対策本部会議で、「救助活動に全力を挙げ、被災自治体などと緊密に連携し、ライフラインの復興や被災者の生活支援に迅速に取り組んでほしい」と出席閣僚らに指示したと言う。

 確かに「豪雨救助に全力」を上げて取り組んでほしい。しかし、「堤防の整備もまた、後手後手に回っていることは明らかであろう。東京五輪を迎える首都圏に投入される資金と労力とは対照的に、日本各地の人々の暮らしはいまだ脆弱な条件に置かれている」と、その危険性を宇野氏は指摘している。

 この防災について、斉藤美奈子さんも「コラム」で次のように指摘。

 「戦後70数年、ひとまず日本は戦争は経験しないできた。その一方でこの国は、ほぼ毎年、何らかの大災害に遭遇している。・・・国の最大の責務が『国民の生命と財産を守ること』であるなら・・・しかるに予算配分はどうか。19年度の防衛予算は過去最高の5兆2600億円。防災・減災・国土強靱化対策を含む防災関係予算は1兆3500億円、前年度の補正予算をあわせても2兆4000億円だ。防衛予算のたった半分。これ、逆じゃありません?・・・災害大国であることを思えば、防衛省を防災省に、自衛隊を災害救助中心の隊に再編したっていいくらいである」と。

 安部政権は米軍の軍事兵器(F35戦闘機、オスプレイ、イージス・アショア等)の爆買い。与那国島、宮古島、石垣島、沖縄本島、奄美大島などの自衛隊部隊の基地建設の拡大等など、軍事費増の予算化を推し進めている。

 今、多くの国民が望むことは「軍事力の拡大」ではなく「自然災害に強い国土づくり」(命と生活を守ってくれる)政策の実行である。(富田 英司)案内へ戻る

 
 読者からの手紙・・・自衛隊(日本軍)の独自行動と存在感を強める中東派遣

 安倍政権は10月18日、中東情勢の安定と日本に関係する船舶の安全確保を理由に、情報収集の強化を目的とし、防衛省設置法に基づく「調査・研究」を根拠にホルムズ海峡周辺のオマーン湾など中東への自衛隊派遣を検討することを決めた。

 ホルムズ海峡周辺では、米国がイラン産原油の全面禁輸を開始した5月以降、石油タンカーなどが攻撃を受ける事案が続発し、6月、日本の海運会社が運航するタンカーなど2隻がホルムズ海峡付近のオマーン湾で攻撃された。

 石油タンカーのみならず、9月にはサウジの石油施設が無人機などで攻撃を受け、内戦中のイエメンでイランから支援を受ける反政府武装組織フーシが犯行を認めた。

 10月にはサウジに近い紅海でイランのタンカーで爆発が起きるなど、いずれも攻撃主体ははっきりしないが、米国とサウジなどは「イラン犯行説」を主張し、米国は有志連合を結成する方針を表明し日本に参加を求めていた。

 イランも独自に「ホルムズ平和構想」を打ち出して、米側と対立が深まるという構図が繰り返されている。

 こうした状況の中で、安倍政権は「調査・研究」を根拠にホルムズ海峡周辺のオマーン湾など中東への自衛隊派遣を検討することを決めた。

 イランは日本にとって重要な石油輸出国であり、友好国イランに配慮し、米国主導の「有志連合」構想・海洋安全保障イニシアチブへの参加は見送り、米国をたてつつ、イランとの関係悪化を避けることも念頭にした窮余の策とも言える方針である。

 早ければ来年1月の派遣が見込まれる中、「調査・研究」名目で情報収集をする為とのことだが、根拠となるのは防衛省設置法4条の規定だ。1954年の防衛庁設置法の施行当時からあり、首相や国会の承認は不要で、防衛相の判断だけで派遣が可能だ。

 条文は抽象的で解釈の幅が広く、適用の例示もない。「打ち出の小づち」「魔法の杖」で「法の支配の観点から問題」だし、「情報収集」名目でどこにでも自衛隊を派遣できることになりかねず、拡大解釈の懸念がつきまとい、「調査・研究」は常に争い事の名目になる。

 明治維新後の1875年、日本が朝鮮に開国を迫り、武力衝突した江華島事件も、発端は日本軍艦が測量や航路研究を名目に示威行動したこと。この事件を口実とし、日本は日朝修好条規という不平等条約を結ばせた事実がある。

 「調査・研究」名目での軍隊派遣が現地での軍事的衝突を勃発させ、他国への軍事的威圧と侵略への糸口になる可能性がある以上、自衛隊の中東派遣には反対しなければならない。

 安倍政権は憲法改正案で自衛隊の明記を主張しているが、今回の派遣方針は、米国の主張する有志連合にも参加せず、イラン側にも配慮した日本独自のものであり、自衛隊の存在を強くアピールするものである。

自衛隊は憲法違反という批判に対して、国際法の自衛権の容認を持ってその批判を交わしつつ、国内では災害救助に積極的に参加させて、「平和的」存在として認知度を高めてきた。

 しかし、自衛隊は軍隊であり、武力=軍事力を持って対応する国家機構であり、外国との戦争や政権=その国を支配する権力者を守る為に存在するものである。

 今回の派遣方針は権益を守るためにPKO協力法等、国連等の要請での派遣ではなく日本の権益(石油輸入ルートの確保等)を守るための派遣である。

 安倍政権は自衛隊の海外派遣の実績をも積み重ねることによって自衛隊(日本軍)を認めさせようとしているのである。

 安倍政権の憲法改正に反対するとともに、自衛隊の海外派遣をやめさせよう! (乙見田 慧)


 色鉛筆・・・ 幼保無償化が始まったが・・問題は山積み

 10月から幼児教育・保育の無償化が始まった。無償化が動き始めたのは17年9月。安倍首相が衆院解散・総選挙に踏み切る際、消費税率10%への引き上げによる増収分の使い道を変え、無償化に充てると表明した。消費税の増税を正当化するために無償化を打ち出したが、具体的な制度設計は後回しだった。

 政府は当初、無償化の対象は認可施設の利用者だけだったが、認可外施設の利用者から「不公平だ」と批判されると認可外施設も対象にしてしまった。認可外施設は保育士数や保育計画の基準を満たしていないから認可されていないのに公費を投じるのは矛盾している。

 政府は、認可外の施設に対する指導・監督を強化に努めるとしているが、今でさえ自治体では年1回の監査にも手が回らない実情があるのにできるわけがない。子供の安全をを守ることができるのか不安になる。

 無償化より認可外施設を認可施設にすることにお金を使うべきで、無償化なら働きたいという保護者が増えてますます待機児童が増えていくだろう。

 まずは希望者全員が認可施設に入れるように整備するのが先決だ。

 何よりも保育士不足で保育園の開園や増設ができなかったり、保育士不足で現場の保育士たちの負担が増えていることが全国で起こっている。

 無償化より保育士の処遇改善にお金を使うべきだ。

 無償化という場当たり的な政策やうわべだけの手直しだけではなく、根本的に制度を変えなければ待機児童問題は解決しない。

そして、無償化が始まると様々な問題が起こっている。

 無償化が「各種学校」である外国人学校は対象外になるというのだ。

 新聞に投書した女性は「高校無償化除外に続き、幼稚園児までに差別の矛先が向けられた。

 在日朝鮮人をはじめ外国人たちは義務である納税はするのに、権利としての無償化は享受できない」と訴えている。

 まったくそのとおりで外国人たちに財政的負担だけ押しつけて無償化にしないのは不公平で差別そのものだ。

 また、幼稚園では表のように認定保育所や認定こども園,新制度に移行した幼稚園は原則無料にしたが、移行しない幼稚園に補助として「月2万5700円まで無料。預かり保育は月1万1300円まで無料」となった。

 保護者としては家計負担が減り預かり保育をしてもらえると思っていた。ところが、ある私立幼稚園では9月までの授業料は給食費を含んで2万3700円だったのが、10月から授業料2万5700円、給食費4500円になった。(2万5700円は無償化で無料になる上限額)保護者の負担は減るがトータルでは6500円の値上げで、この園には約170人が通っており今回の値上げで園は毎年1300万円以上の増収になるという。 この幼稚園は「子ども・子育て支援制度」に移行しないので利用料は各園の裁量で自由に設定できるというのだから驚く。新制度に移行しないなら補助をするべきではない。まさに便乗値上げで儲けるとは余りにも汚い。

 別の私立幼稚園の預かり保育でも「預かり保育は希望者が多く、利用できない人もいる。利用者だけ無料では不公平になる」と、この幼稚園では無償化に必要な手続きをしていなく無償化にならないという。

 無償化にするかどうかは各園の判断次第で、「無償化で利用者が増えれば職員増が必要になり人件費がかさむ」等の理由で「無償化辞退」が各地で起きているという。

 これらは政府が制度の検討や周知が十分ではなく中途半端な無償化をするからこういうことが起きているのだ。無償化によってこれからも様々な問題が起こるだろうが、子供たちが安全に命が守られることを願いたい。(美)  

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