ワーカーズ603号(2020/2/1)      案内へ戻る

 春闘の異変と「働き方改革フェーズⅡ」?

 春闘が「アベノミクスの柱」に組み込まれてはや八年。毎年、安倍首相が「ベースアップでデフレ脱却に協力を」と要請し、財界もそれを受けてベアを実施してきた。「官製春闘」と言われてきた所以だ。だがここへ来て異変が起きつつある。自動車メーカー最大手企業の経営側が「全員一律に引上げる必要性はよく考えて」と発言し、労働組合側もそれに呼応し「ベア原資を五段階の勤務評価に応じて配分する」要求方式を提起した。「アベノミクス春闘」の終焉を示唆するものではある。

 だが「ちょっと待て」と言いたい。従来、給与原資のうちどれだけを「勤務評価分」に、どれだけを「ベースアップ分」に配分するかは、賃金闘争の重要な争点であったはずだ。これでは春闘の形骸化どころか「変質」につながらないのか?

 もちろん背景には経営側の危機意識がある。自動車販売台数は、国内外問わず伸び悩み、減少に転じた。AIによる自動運転や電気自動車、燃料電池などの「開発競争」に直面している。カーシェアリングに対応し「ソリューション型営業」への転換もせまられている。開発部門や営業部門の戦力を「人事評価」によってしぼり出そうと必死なのだ。

 しかも問題は自動車業界にとどまらない。日本経団連は年頭会見で「働き方改革フェーズⅡ」なる構想をぶちあげた。昨年から順次、法施行されている働き方改革は「フェーズⅠ」で、時間外労働の規制と同一労働同一賃金を基調とし「得失」両面があったと言う。今後は「労働の質を高める職場環境」を構築し「エンゲージメント」つまり「自らの仕事が社会に役に立っていることを実感」できるようにするのだと言う。理想は美しいがその具体的な手段となると、結局のところ「人事評価制度の再構築」しか示せない。

 しかし、こうした人事評価による競争は、一方で労働者相互の分断とストレスをもたらし、メンタルヘルスやハラスメントを引き起こし、職場の疲弊を蔓延させてきたのではないか?労働者が根本的に求めているのは、仕事が「社会」にどう評価されているかであって「企業」にどう評価されているかではないはずだ。「エンゲージメント」の趣旨をすり替えた財界版「働き方改革(フェーズⅡ)」は、いくらかでも淡い期待を抱かせた官製「働き方改革(フェーズⅠ)」への「逆風」以外の何ものでもない。

 財界あげての「企業主義」の再編強化に「NO!」と言おう。

 企業の枠を超えた地域の多様な労働者の連帯こそが、春闘の原点であることを忘れてはならない!すでに「外国人労働者春闘」のような新たな試みもある。介護・保育労働者、働く障がい者、非正規労働者・・・。

 「評価と分断」の春闘でなく、「協働と連帯」の春闘を再構築しよう!(冬彦)


  「働き方改革フェーズⅡ」の矛盾

 一面の論説でも述べたように、これまでの「ベアによるデフレ脱却」を掲げ続けた「アベノミクス官製春闘」が精彩を失い、代わって「ベア原資を人事評価に反映させる」(自動車最大手企業)など春闘の異変が始まった。

 日本経団連は、それを「働き方改革フェーズⅡ」であると表明している。ここには経営者側の危機感が反映しているが、「フェーズⅡ」の「目的」(社員のエンゲージメントの重視)と「手段」(人事評価制度の改革)との間には、実は深刻な矛盾があることを、おそらく現場の労働者なら気づいているはずだ。

●問題は景気後退だけか?

 自動車産業は、世界的な自動車販売台数の頭打ちと減少に直面している(例外はインドくらいだ)。その中で、AIによる自動運転システムや、燃料電池による電気自動車化という巨大な開発競争を強いられている。またカーシェアリングの比重が増大し、営業のあり方も「ソリューション型」へのいっそうの転換をせまられている。

 問題はこの危機が、単なる世界景気の後退といった循環要因や、イノベーションの進展といった技術要因だけではなく、気候変動やカーシェアリングに見られる地域社会そのものの構造変容が背景にあるということだ。

 マイホーム・ファミリーを顧客モデルとして、個々の車種の居住性と機能性を売りにして販売数を競うような従来のような開発と営業のあり方では、もはや対応できないところにきている。それなのに、「人事評価制度」の強化によって、開発・営業社員のモチベーションを上げようとする試みが成功しないのは、現場の感覚からは確かであろう。

●地域社会の構造変化

 カーシェアリングの動きは、端的に言えば乗用車を個々の消費者の私有物から、地域社会の住民の共有物に転換することである。単なるレンタカーの拡大ではない。そのあり方は地域によって異なる。過密な都心部におけるステーション間の利用、郊外におけるパーク&ライドの発展形、過疎地における買い物サポートシステム、介護ヘルパーや訪問看護の事業者・住居間移動。

 地域社会の多様なあり方に即した、多様なカーシェアのシステムを構築するためには、工場の実験室や営業所のパソコンの中では、いくら仕事をしても答えは出てこない。社員が地域に出向いて、カーシェアシステムに留まらず、地域社会の暮らし方の改革をコーディネートすることまで手を広げなければならないのだ。

 本来、地域社会のコーディネートは、市町村の自治体職員や社会福祉協議会の嘱託職員、あるいは地元の信用金庫の行員、地場の中小不動産業者の得意分野である。農協や漁協、林業組合との対話も必要とされる。

 こうして地域社会に出てゆき、その多様な課題のコーディネートと関連させて、ミニバンや軽乗用車、ユニバーサルデザインの車種を組み合わせた移動システムを構築するような「新しい社員」の育成が課題なのであり、それは「人事評価制度の強化」からは到底生まれてこない。

●企業版スマートシティ?

 地域社会の変容という重大な課題には、実は経営者自身も気づいてはいるようである。先ごろ、自動車大手企業は「スマートシティの建設」という壮大な構想を発表した。

 しかし、それは企業の工場跡地に新しい街を建設し、そこに数千人の従業員を居住させるというのだ。今ある地域の課題に向き合うのでなく、設計主体も居住者も企業丸抱えの人工都市だという。

 労働者はもはや自分の労働が「企業にどう評価されるか」ではなく「社会にどう評価されるか」を根源的に求めていることに経営者も気づいてはいる。だから「社員と社会のエンゲージメント」を「スマートシティ」で達成しようというのだが、やり方はどこまで行っても企業主義の延長だ!

 労働者は企業の生産現場だけでなく、暮らしまで企業主義の檻の中に住まい、その中で「社会における仕事のやりがい」を感じろ、というわけだ。これは自動車産業の外への発展ではなく、内への萎縮ではないのか?

 かつての高度成長期におけるモーレツ社員のような熱気は、人事評価制度の強化からはもはや生れてこない。企業への帰属意識そのものが薄れている中で、いくら企業版スマートシティという理想を掲げても、かつての「CI」(コーポレートアイデンティティ)の再来にはならないだろう。

●もうひとつの働き方

 長時間労働や低賃金によって、労働者は疲弊し離職率も高まり、人手不足に拍車がかかり、その打開に「働き方改革(フェーズⅠ)」は始まった。確かにそれは「労働時間の適正化」と「同一労働同一賃金」という「量的側面」のみの改革であった。労働現場の疲弊をもたらす負の要因を制限するものだが、それだけでは労働者のモチベーションは上がらないことに経営者は気づき、何か「フェーズⅡ」が必要と額を寄せ合い編み出したのが「人事評価制度の強化」とは!

 大手企業の労務管理では、すでに人事評価制度は整備され尽くしている。成果主義賃金、ボーナス査定の自己評価、技術資格取得制度、定期昇給の細分化、ライン職とスタッフ職への職務再編、目標チャレンジ制度、等々等々!だがそれらは、かつてのような「気骨のある管理職」や「ハングリー精神に溢れた若手社員」の育成にはつながらず、パワーハラスメントの横行、メンタルヘルスの多発、職場の人間関係の疲弊しか生み出さないことをどう反省するのか?

ある大手自動車企業の経営トップは「わが社の問題は、部門間のコミュニケーションが円滑にいっていないこと、それを改善することが喫緊の課題だ」と告白している。「何を今さら!」と言いたいところだが、実は労働組合側にとっても深刻な課題であることには変わらない。企業主義の枠を乗り越え、地域社会に向き合い「もう一つの働き方」を視野にすえた闘いが、根本的に求められている。(冬彦)案内へ戻る


  許さないぞ、政治の私物化!――包囲網づくりは現場力との連携――

 通常国会が始まり、国会での論戦も始まった。

 安倍政権の腐敗ぶりや横柄さに対する国会での追求も大事だ。が、私たちとして観客に甘んじてばかりではいられない。私たち自身も、安倍包囲網の一翼として攻勢に出たい。

◆安倍包囲網づくりへ

 通常国会で野党は、桜を見る会、カジノ収賄、公職選挙法違反などをはじめ、政権への疑惑追求を再会した。官僚からの聞き取り―ヒアリングも含めて、政権への包囲網を縮めようというわけだ。

 国会を舞台にした安倍政権への追及は重要だ。とはいえ、国会論戦にしても、ヒアリングにしても、中央政治の頂上合戦だけではなかなか退陣にまでは追い込めない。草の根からも批判の矛先を突きつけていく必要がある。それが拡がれば、政権や行政内部からのリークや証言も誘発させるなど、政権基盤を掘り崩すことも可能だ。そうした安倍包囲網を拡げ、任期満了を待たずに安倍政権を退陣に追い込みたい。

 だが現状はといえば、安倍首相自身も説明拒否やごまかし、開き直りの姿勢が露骨だ。取り巻きの官僚たちは公僕との立場もどこへやら、安倍首相の姿勢を追認・追従するばかりだ。

 米国などでは、あのロッキード事件やトランプ政権のウクライナ疑惑などでみられるように、官僚や政府要人の反乱も珍しくない。それは頻繁な政権交代に加え、キリスト教的な信仰心という土壌にもよるものだろう。要するに、内なる信仰心という心理的支えだ。

 とはいっても、日本の官僚に内心の正義感を期待することは無理だ。長期政権に反旗を翻せば報復は避けられないし、左遷や退職後の再就職に触る。生涯、官僚の世界で生きていこうとすれば、上司=首相の意向に逆らうことはできない。

 しかし、政権の内外からの告発や反乱も含めて政権包囲網を築くことは、可能なのだ。次の事例を見ればわかる。

◆連係プレー

 今回の「桜を見る会」などでの安倍首相自身による政治の私物化や政治資金違反疑惑は、共産党の田村智子衆議院議員による国会質問から、一気に攻防の焦点に浮上した。それを掘り起こしたのは、同じ共産党の宮本徹衆議院議員や赤旗記者、それに現地山口県の共産党の自治体議員や党員などによる連携作業だった。

 そうした国会議員から現地、草の根の連携作業によって、安倍事務所による案内状や〝反社〟のライフ会長への招待状を悪用した勧誘場面の画像など、証言や証拠資料が相次いで暴露された。それもあって、安倍首相や管官房長官などが前言撤回に追い込まれる事態が続き、安倍首相を次第に追い詰めたわけだ。

 しかし、まだ当時者たる内閣府からは、情報リークや重要な証拠資料をまだ引き出せていない。内閣府は各省庁のエリートが出向しているケースが多いせいもある。それでも一般職員はいるし、労組員もいる。後で触れるように、そうした人たちの協力があれば、内外併せて政権を追い詰めていくこともできるのだ。その一端を見ていきたい。

◆強いのは現場力

 「桜を見る会」での不祥事と並行するかのように、日本郵政のかんぽ生命保険での不祥事が注目を集めている。いわゆるかんぽ不正募集の件だ。

 日本郵政でも、貯金や保険募集などの奨励部門は特殊な部門であり、郵便など通信・物流部門とはかなり異質な部門だ。それはともかく、かんぽ生命での不正募集に関連して内部から多くの情報が寄せられている。それはなぜか。

 日本郵政には最大労組のJP労組の他に左派系少数派組合も存在するし、組合活動家もまだけっこう残っている。そうした人たちからの情報がマスコミにも入ってくる。結果、社長などの幹部の言い逃れや嘘がすぐばれる。

 郵政の左派系労組は、少数組合とはいえグループ・集団を形成している。郵政組織の不正は身近に見ているしそれを公表したり追求することも可能だ。その多くがヒラ社員という立場なので、個人としても左遷や、降格など恐れる必要もない。

 普通、どんな職場・企業でも、組織の不正を暴露することは個人では難しい。が、個々の従業員を束ねる労働組合ならば、暴露や追求は可能だ。個々の要求を掲げるのは一人では難しくても、集団であれば可能なのと同じだ。組合要求を勝ち取ることはいつでも難しいが、明らかな不正を暴いてやめさせることは、組織内外の声や力を合わせることさえできれば、けっこうたやすいことなのだ。

◆カギは労働者の力

 同じように、官僚も一人で内部告発することは難しい。繰り返しになるが、告発後に村八分にされたり左遷されたり、見せしめ的に過酷な不利益扱いにさらされるからだ。一時は、英雄として持ち上げられても、生涯にわたる処遇の保証は反故にされ、それを世論が救ってくれるとは限らない。

 たとえば、加計学園問題で「総理は自分の口からいえないから、私が代わりに言う。」と言われたと証言し、無いとされた「総理のご意向」という文言が記された文科省の文書の存在を認めた前川文科省次官のケースなどもあった。彼は文科省次官を辞めた後に証言したが、それでもその後、官邸や文科省サイドから攻撃や圧力をかけられ続けている。

 逆に、権力者に忠誠を尽くし、その意向に沿って証拠隠滅や文書改ざんを指示した官僚は、その後に昇進したり厚遇されたりする。財務省で公文書改ざんを指示した佐川理財局長が国税庁長官に昇進したり、内閣府から財務省に戻って昇進した柳瀬首相秘書官や、昭恵氏付きの職員が遠いイタリア大使館の一等書記官に昇進させて口封じをしたうえ、マスコミや世間から遮断した事例などだ。

 ただし、一人ではむすかしくても、集団になれば話は別だ。公務員にも労組がある。ここでは国家公務員労働組合連合会(国公労連)だ。告発も、集団の力、労組の立場からならできる。他にもある、安倍首相が開催した桜を見る会の前夜祭が開催されたホテル・ニューオータニだ。そこで会費がどう徴収され、ホテル側にどう手渡されたか、従業員組合がしっかりしていれば事実関係はすぐ明らかになる。要するに、現状はともかくとして、働く人たちとまっとうな労組があるところに、隠し事や違法行為がまかり通ることはない。

 いま、不正や疑惑を繰り返す安倍政権と、それを忖度せざるを得ない官僚の結託ばかりが目立つ。が、あらゆる労働現場の労働者や労組との連携を深めることで、不正や腐敗を曝き、解消することは可能なのだ。

◆私物化される政治主導

 安倍首相は、まだ9条改憲に拘っている。とはいえ、国会の中でさえ憲法論議は拡がっていない。安倍首相による改憲反対の世論の声を受けて、強引に進められないからだ。国民主権という立場に立てば、その憲法改定以上にいま必要なのは、憲法の規定を実施するための法律だ。

 いま、公職選挙法違反やIRに絡む賄賂疑惑で国会議員が捜査対象になったり逮捕されたりしている。当事者は説明責任を果たすと言っておきながら、何の説明をしないまま、雲隠れしている。時間の経過で、追及の矛先がしぼむのを待っているかのようだ。

 官僚も同じだ。森友・加計問題と同じように、今回の「桜を見る会」でも、本来残しておくべき公文書を隠したり破棄したりさせられている。政治の私物化などという批判から安倍首相を防御するためだ。

 国民の利益より一部の特権的な政治家の地位を守るために、国家公務員が不正に荷担している場合、あるいはより一般的に、権力が反国民的に運用されている場合、主権者たる国民・有権者は、公務員(一般職も特別職《議員や政治任用職》も含む)、なかでも特定の上級公務員を解職(リコール)できなければおかしいのだ。現行憲法にも、第15条で「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。」と明文規定されている。そうでなければ「主権者は主権者であり得なくなる。」(杉原泰雄『資料で読む日本国憲法』)。

 ところが現状はそうなっていないどころか、正反対だ。

 安倍政権の2014年に、以前は実質的に各省庁の事務次官が行使していた省内の人事権が、内閣人事局に移された。その結果、各省の上級公務員の人事権は内閣人事局長を兼務する内閣官房副長官が握り、実質的には内閣官房長官(究極的には首相)が上級公務員の人事権を掌握するようになった。いわゆる政治主導だ。その政治主導が安倍政権の場合、自分の権力維持のために私物化されているのだ。

 その結果は、ほとんどの上級官僚が〝金魚の目〟で官邸ばかり気にするようになった。官邸に逆らえば、すぐにでも左遷させられるし、官邸の意を忖度して服従すれば昇進や厚遇を得られる。これでは公務員は、国民・有権者の方を向いた仕事など、するはずがない。公務員は〝公僕〟などでなく〝権力のしもべ〟に成り下がっているのが実情なのだ。

 公務員の採用や免職・解雇については、国家公務員法などがあるが、それは国家・行政による人事権に過ぎない。国民・有権者の意思による公務員の解職・罷免、いわゆる「リコール」に関する法律はないのだ。どのランクの公務員にどういう理由や根拠で解職・罷免を発議・決定・行使できるかという法律や規定があれば、国民・有権者の方を向いた仕事もできるのに、そうなっていない。国民主権が全く機能していないのだ。

 民主主義を標榜するのであれば、憲法で規定されている国民・有権者のリコール権を規定した法律は欠かせないはずだ。これは憲法改定以前の問題で、憲法体系の不備なのだ。安倍首相の野望にもとづく9条改定などより、遙かに切実で緊急に必要なものであるはずだ。

◆遊撃戦と陣地戦

 安倍政権の不正や疑惑は、何も目の前にある三つのものだけにとどまらない。いまでも森友・加計疑惑を引きずっているし、IR=カジノ疑惑も今後もっと拡がってもおかしくない。入試に絡む疑惑についてもまだ手つかずだし、安倍政権が絡む不正や疑惑は、計り知れない拡がりがある。

 当面はいま目の前に浮上した不正や疑惑の追求が最優先だとしても、それに止まっているわけにはいかない。

 安倍政権を追い詰め、退陣に追い込むためには、それら目先の闘いと、より長期的な闘いを同時並行的に進める必要がある。いはば国会論戦などをに象徴される遊撃戦と、労働者や市民の力をつける陣地戦の両方だ。そうした闘いを拡げていくことが、安倍政権を退陣に追い込んでいく鍵になる。一人でも多く、そうした闘いにどんどん踏み込んでいきたい。《廣》案内へ戻る


  読書室 名越 健郎氏著『秘密資金の戦後政党史 米露公文書に刻まれた「依存」の系譜』新潮選書

○米ソ中の超大国の興亡と対立構図が日本の国際関係や国の進路を大きく左右してきた現実がある。本書は、敗戦直後から冷戦期における日本の主要政党に対する外国資金流入問題を、公開された米公文書及び発掘されたソ秘密文書等で包括的に解明したものである○

 この本を完成させるには約30年も掛かった。この間、著者は仕事の一部でもあった米公文書館に日参し、ソ連公文書やソ連共産党やKGBの秘密活動等の報告書を追う日日であった。こうして属国だった戦後日本の政治状況が白日の下にさらけ出されたのである。

 まず私たちが確認しておかねばならないことは、日本の政党が外国から資金を受け取ることは是か非かの基本的認識である。これを是とする読者には、本書は時間を費やすだけで何の意味もない、つまり無駄な読書を強いる無価値な本と決めつけるしかないだろう。

 戦後日本では敗戦直後から、そして冷戦下でも自民党を始めとして、また共産党、そして民社党、さらには社会党までがその活動資金を米ソ中から密かに受けてきたのである。

 私たちに精読が求められるのは序章である。その表題は「外国の資金援助はなぜ違法か」である。周知のように外国や外国組織からの政治資金受領は、政治資金規正法の違法行為である。このことは同法第二二条の五に明記されている。政治資金規正法はこれまでに何回も改正されてきたが、この条項は今でも不変である。二00七年に改正された同法では、この条項に違反した場合は「三年以下の禁固又は五十万円以下の罰金に処する」との規定があり、有罪が確定した場合は選挙権や被選挙権等の公民権が停止されるのである。

 広く世界を見ても、グローバル化がこんなに進展する現在でも、米国等の主要国では外国人・外国組織の政治献金は禁止又は規制されている。主要国では監視機関がある国もあり、外国人等からの政治献金は、現実には厳しい監視下にある。しかし日本は別のようだ。

 実際、二00五年から計五年間、京都市で焼肉屋経営の在日女性から年五万円の政治資金を受け取っていた前原外務大臣は、野党・自民党から政治資金規正法違反を理由に退陣を迫られ、二0一一年三月に辞任した。その後、菅首相が在日男性から百四万円の政治献金を、さらに野田首相も在日男性から十六万円政治献金を受け取ったと自民党から政治資金規正法違反を理由に追及されたが、「日本名で寄付を頂き、一人ひとりの国籍を調べるわけにはいかない」との釈明と公訴時効の三年が過ぎていたため、本格追及はなかった。

 これらの事実は、現在の安倍自民党のいい加減さと比較すればまさに雲泥の差であろう。

 本書の第1章に関わる先行本に『CIA秘録』(文藝春秋社)がある。この本において岸信介の実像が徹底的に暴露されており、吉田茂も米国の意のままに動いていたのだ。

 実際、戦後自民党の薄汚い実態は、第一章で完全に公文書で暴露されているのである。

 ここで紹介が遅れたが、本書の目次と小見出しを、以下に詳しく紹介しておこう。

目次

はじめに
序章外国の資金援助はなぜ違法か
4政党が非合法動/占領期の依存体質が影響/政治資金規正法の意味/主要国も外国資金導入を規制/「年五万円」でクビになった外相/米国の公文書館/ロシアの公文書館

第1章 米国の自民党秘密工作

1.GHQの「逆コース」
変えられた日本の進路/「岸信介ファイル」の謎/米は「吉田より岸」/左翼勢力台頭を阻止スパイ・キヨナガの暗躍
2.『ニューヨーク・タイムズ』報道の衝撃
「自民党支援が日常化」/自社連立政権に反発か/自民党と外務省が隠蔽工作/ソ連の野党資金援助に対抗/情報公開で論争
3.岸・佐藤兄弟の暗躍
岸は最良のリーダー/「アデナウアー方式」とは/「自民党の物量作戦に負けた」/カネをせびる佐藤蔵相/情報と金の交換か/岸の見果ぬ夢/資金要請した幹事長/ライシャワー大使の勇み足
4.資金援助の実態
岸とのパイプ役を特定/「変えられた国」/二つの資金ルート/国務省のスモーキング・ガン/大平正芳がCIA資金を批判/ソ連の援助と桁違い

第2章 民社党誕生の内幕

1.期待された「社会民主主義」
社会党の宿命は分裂/西尾グループと米大使館が接触/健全な野党と労組を/自民離脱を容認した岸/弔い合戦で埋没
2.情報公開の攻防
文書解禁で大論争/日本外務省の暗躍/日本外務省が初の内政干渉
3.世界的な選挙干渉
CIAが敗戦国で秘密工作/イタリア総選挙が介入の雛形/岸とアデナウアー/戦後八十一回の選挙干渉/「共産主義の埋葬」も画策/今も続く選挙干渉

第3章 日本共産党とソ連の「内通」

1.日本共産党、百年の興亡
逆風を克服/コミンテルンの暗躍/「愛される共産党」/ソ連崩壊、「もろ手で歓迎」
2.ソ連共産党の対外資金援助
ソ連共産党の最高機密/コミンフォルムの別働隊/社会主義国に寄生/仏伊共産党が双璧/「クレムリンの長女」がトップに/米国は共産主義前夜/世界七十三の政党に提供/ゴルバチョフも承認
3.日本共産党に流入したソ連資金
日本共産党に二十五万ドル/党本部建設に使用か/「闇の司祭」が支援認める/袴田里見の暗躍/ナウカ書店融資の疑惑/医療機器、輪転機も要請/「赤旗」記者に便宜供与
4.野坂参三の謎の百年
GHQが監視を強化/中国から二千二百万円/延安で米軍に協力/秘密のモスクワ入り//野坂がKGBに情報提供/書簡で対米協力約束/金日成に一宿一飯/野坂とソ連の内通監視/昭和史最大の謎の人物/社会主義「宴のあと」

第4章 社会党の向ソ一辺倒

1.社会党の終焉
奇怪な自社連立政権/凋落続く社会党/五〇年代に中国が秘密援助/中国からソ連へ乗り換
2.なぜソ連に傾斜したか――一九六〇年代
「社会主義への道」を採択/コワレンコの暗躍/日ソ貿易協会に優遇措置/新聞用紙もソ連頼み/漁民釈放からシロクマまで
3.貿易操作で資金援助――一九七〇年代
情報とカネの交換/社共共闘路線に邁進/「尊敬するブレジネフ書記長」/十万ドルの上納金/十万ドルで「二島返還」に/繊維、エビ、イカで優遇を
4.ソ連崩壊直前まで癒着
リストに五社/お礼にアジア安保構想を支持/社会主義協会を優遇/北海道知事選でもソ連資金/ミグ25亡命事件の内幕/ミグ事件で貿易利権要請/革命六十周年で記念事業/崩壊直前まで行われた「お抱え旅行」
5.証言から見る資金援助
社会党は全面否定/社会党だけが得点/KGBが社会党工作で年次計画/ソ連資金は派閥に流入?/ミトロヒン文書の告発

終章 民主政治の発育不良

天王山で岸に賭ける/占領メンタリティー/主戦場は欧州/選挙干渉をどう防ぐか
あとがき

 ここからは紙面の関係から、各章を短評することでお許しいただきたいと考える。

 第2章では、自民党と鋭く対決する社会党を分裂させるために、西尾末広らと米大使館が接触して、日本に西欧型の社民政党を育成しようとした米国の日本統治戦略を暴露している。しかし折角結党した民主党は安保反対の大闘争の中で、また社会党の浅沼委員長刺殺の大弔い合戦の中で地盤沈下を続け、米国の思惑が外れ結局消滅して行くのである。

 第3章では、一九二二年にコミンテルン日本支部として組織された日本共産党がそもそも結成当初からソ連からの活動資金を貰ったことを明らかにした。勿論、その当時世界の共産党はコミンテルンの支部だったので、ソ連からの資金援助がなされていたのである。

 戦後は、その窓口は野坂参三と袴田里見らであった。現在の共産党は、ソ連資金は党として受領した物ではなく、ソ連の内通者の野坂らが貰った物だとの詭弁を弄して、かつ既に野坂は除名処分にしているので、共産党とは一切関係ないと逃げている。

 この言い分は、野坂が戦後直ぐには共産党の切り札として大々的な帰国歓迎会を開いたこと、その後徳田に次ぐナンバーツーであったこと、所感派幹部として地下活動をしたこと、その後第一書記と議長を経て名誉議長に就任の事実を無視しており、野坂を名誉議長の顕職に位置づけた共産党の責任を全く不問にした、実に醜く呆れ果てたものなのである。

 ここで名越氏の知識不足を指摘しておく。野坂参三の旧姓は小野である。九才で実母の家の養子に入り野坂姓になった。妻の龍夫人の姉婿には後に幣原内閣書記官長となった内務官僚次田大三郎がいる。慶応進学や就職や結婚も後藤新平の掌にあった。インターナショナルの訳詞者の佐野碩は、後藤新平の女婿である兄の佐野彪太の息子である。さらに共産党委員長だった佐野学は佐野彪太の弟だが、後藤新平のツテで就職や共産党の弾圧から逃れるのにソ連に亡命するなどした。また彼の姉のお順の息子佐野博は、武装共産党時代の指導者である。さらに後藤新平の義理の姪婿に講座派の論客平野義太郎、後藤の孫に社会学者の鶴見和子、哲学者の鶴見俊輔、その従弟に人類学者の鶴見良行がいるのである。

 戦前の共産党史の研究には、日本のセシル・ローズである後藤新平の研究が不可欠だ。

 野坂は山本懸蔵の売り渡しとソ連のスパイ容疑で除名処分になったが、その最大の政治的犯罪は戦後天皇制が最大の危機に直面していた時に、天皇制の延命に手を貸したことにある。後藤新平の草だったからだ。このことは、一九九七年四月刊行の近現代史研究会著の『実録 野坂参三―共産主義運動“スパイ秘史”』(マルジュ社)に詳しい。この本は古書でも手に入りにくいものだが、公立図書館には所蔵する所もある。ぜひ一読を薦める。

 第4章では、社会党の興隆と消滅が論じられている。自社さ政権とは一体何だったのだろうか。ここには自民党と社会党との関係の知られざる真実があるのであり、有権者への裏切りの本質がある。この点を真剣に総括しない限り、残存政党=社民党の展望もないだろう。それはともかく、当初は中国よりだった社会党は、ソ連との関係が悪化して行く共産党にかわってソ連資金を貰うようになっていく。その貰い方は、直接現金を貰うのではなく、友好貿易商社を迂回して受け取るとの手法であった。この貿易利権の増大する流れの中で、向坂逸郎が指導者だった社会主義協会もその手中に落ちていったのである。

 終章において、著者の名越氏は、与野党が安易に外国資金を貰った要因は戦後の保革両陣営の選挙戦の激しさやイデオロギー対立にあったとまとめている。日本は属国なのだ。

 米国が自民党に資金を融通したのは、日本をアジアの「共産主義の防波堤」とすることにあった。一九五八年の自社対決選挙の趨勢は、「将来の両国関係への正当な賭である」との認識は、その前年の岸の盛大な訪米とCIAの資金供与のきっかけとなったのである。

 それに対してソ連は、「日米離間」をめざして革新勢力に資金援助を行った。コミンテルンの時代に始まる各国共産党への資金援助は、ソ連の伝統であった。当初は共産党に肩入れしていたが、自主独立路線に転換すると社会党を支援するようになるのである。

 その後のソ連崩壊を既に手を切っていた共産党は「巨悪」がなくなったと冷静に対応できたが、社会党はソ連と同じく崩壊していった。なぜなら社会党は自社さ政権樹立により自民党の結党以来の危機を回避させただけでなく、自らの「非武装中立」の看板を議論もなしに日米安保容認・自衛隊合憲に書き換えるとの「政策大転換」を行ったからである。

 これら米ソ両国には独特の政治思想があった。米国にはアメリカの自由と民主主義を世界に拡大するとの使命感が、ソ連には自国を中心に衛星国を樹立しようとの盟主感があった。それ故に両国とも秘密資金を支援してでも自分の思いを遂げようとしたのであった。

 その意味で戦後日本は、まさに米ソの秘密資金が激しく流入する場となったのである。

 これらの都合の悪い真実は、多くの人には知られていないのたが、その理由は自民党を始めほとんどの政党が米ソ等の秘密資金で政治活動をしてきたからである。唯一公明党だけが秘密資金を貰っていないが、それは宗教団体の秘密資金、つまり創価学会財務部のお世話になったことと関連がある。だから公明党も秘密資金については不問にしたかった。

 総頁は三百五十頁になる大著である。戦後史に関心がある読者には一読を薦めたい。(直木)案内へ戻る


  何でも紹介・・現代社会の「家族」を描いた2つの映画
  「家族を想うとき」(ケン・ローチ監督)と「パラサイト半地下の家族」(ポン・ジュノ監督)


 家族を描いた映画をふたつ観ました。いずれも、背景にある、現代社会の厳しい格差と貧困について考えさせる作品でした。

 ひとつはケン・ローチ監督の「家族を想うとき」。ケン・ローチ作品はほとんど見ていますが、今回の作品も監督ならではの、英国社会に対する鋭い切り口の批判に貫かれていました。

 描かれているのは、今日の労働者にとっては、決して際だった特殊な生活ではありません。英国でも米国でも日本でも普通に見られる、労働者の生活の現実が、誇張を交えたりすることなく取り上げられています。

 しかし、だからこそ、資本というものの非人間性、飽くなき搾取に狂奔する苛烈な本性が、浮き彫りにされてしまいます。私たちの周辺にも見られるごく普通の労働者の生活が、いかに非常識で非道な事態であるかが、ケン・ローチ監督の手にかかると、見事に浮かび上がります。

 同時に監督は、資本の貪欲は労働者の中にある人間的な暮らしへの希求と衝突せざるを得ないこと、しかし資本の論理はその希求さえ逆手にとって労働者を絡め取っていく力を持っている事実を、隠すことなく描いています。

 「パラサイト 半地下の家族」でも、韓国社会のひどい格差の現状が描かれています。しかしこの現実も、韓国だけではなく世界中に共通する問題です。

 ただ、この映画は、格差社会の歪みを描いた社会派映画というだけでなく、スリラー、サスペンス、あるいはブラックコメディというか、ひとつのジャンルにはくくれない不思議な世界を作りだしています。

 ネタバレにならない範囲で紹介します。韓国の最底辺といって良い半地下生活を余儀なくされた家族が、ある裕福なIT企業家の生活に手練手管を用いて徐々にパラサイトしていきます。ドキドキ、ハラハラさせながら、ときに小気味よくパラサイトが進行しますが、やはりというべきか、ある出来事から歯車が狂い始めます。しかし、話は歯車が狂ったという簡単なものでは終わりません。そこからが、誰もが予想しない怒濤の展開が始まります。最後の部分は、観る人によって評価は様々に分かれると思います。

 2作品、是非ご覧になって下さい。(阿部治正)


  シリーズ「小さな旅」(第1回)・・・「国立ハンセン病資料館」を訪ねて

 私にとって「ハンセン病」の事を知るきっかけは、1974年の有名な映画「砂の器」でした。

 天才作曲家・和賀英良の人生を描いた作品です。当時は「らい病」と呼ばれていた時代で、「らい病」の父とその子供2人が放浪の旅に出て、多くの人たちから迫害を受け海辺を2人で歩くシーンは私に強烈な印象を残しました。

 私は2000年の沖縄サミットから米軍基地反対運動に関わりから何度も沖縄に行くようになりました。ある時沖縄名護市の屋我地島にある「沖縄愛楽園」を訪ねる市民グループのツアーがあり、それに参加し始めて「ハンセン病療養所」を訪ねました。そこで初めて患者さんの話を直接聞くことができました。

 このツアーは、2001年の小泉純一郎首相の「控訴断念」(熊本地裁でハンセン病患者の隔離政策が違憲と示された判決)が注目を集め、沖縄の市民団体が企画したツアーでした。

 その後、2010年に退職して沖縄に移住しました。沖縄に住みながら沖縄の人たちと何回も「沖縄愛楽園」を訪ねて患者さんたちと交流する機会が増え、次第にこの「ハンセン病」の事、隔離された患者の皆さんの生活と気持ちを少しずつ理解できるようになりました。

 さらに沖縄の皆さんと一緒に、奄美大島の「和光園」や宮古島の「南静園」を訪ねる機会もあり、次第にこの「ハンセン病」問題に関心を持つようになりました。

 沖縄から本土に戻ってきてからも、この「ハンセン病」問題と関わりを持ち続けました。 ネット等で東京の東村山市に「国立ハンセン病資料館」があることを知り、初めて訪ねました。

 資料館2階には3つの「提示室」があり、「歴史展示」(日本のハンセン病の歴史や政策について)と「らい療養所」(療養所の中で患者がいかに苛酷な状況下で生活していたか)と「生き抜いた証」(苛酷な状況にあっても、生き抜いてきた患者・回復者の姿)がわかりやすく展示され、とても勉強になりました。

 資料館で頂いた説明書「偏見や差別によって想像を絶する苦しみを受けた患者さんたち」には、次のような説明がされています。

 『1900年代、ハンセン病はコレラやペストと同じような恐ろしい伝染病と考えられていました。1907年(明治40年)、「癩予防ニ関スル件」が制定され各地を放浪する「浮浪らい」と呼ばれる患者さんの収容が始まりました。この法律は、1931年(昭和6年)成立の「癩予防法」へと引き継がれます。国立の療養所が各地に建設され、すべての患者さんの強制隔離が進められていきました。「癩予防法」は、1953年(昭和28年)に「らい予防法」して改正されます。しかし、この法律には大きな問題点がありました。それは、薬で治るにもかかわらず強制隔離を続け、退所規定が設けられなかったことです。それは、一度療養所に入所したら一生そこから出ることができないことを意味していました。

 1996年(平成8年)、ようやく「らい予防法」が廃止されましたが名誉回復は不十分なままでした。そして、2001年(平成13年)、熊本地裁での「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟で国の強制隔離政策を憲法違反とする原告勝訴判決が言い渡されました。さらに2008年(平成20年)には、今後のハンセン病対策の指針となる「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律」が制定され、いまでは療養所の周辺住民とも広く交流が図られています。

 しかし、患者さんたちの想像を絶する長年の苦しみを忘れてはなりません。一生療養所から出られない、実名を名乗ることができない、結婚しても子供を産むことが許されない、亡くなっても故郷の墓に埋葬してもらえない・・・。療養所に暮らす元患者たちは病気とともに心に受けた傷を、長い年月を経たいまもなお、消せないまま暮らしているのです」

 この資料館を見学して全国に「ハンセン病療養所」が14カ所(国立療養所が13カ所と私立療養所が1カ所)あること、そして患者の入居者総数は1338名だと言うことを知りました。

 資料館を訪ねた日に、映像ホールで映画「ふたたび」を観ることが出来ました。

 50年ぶりにハンセン病療養所を退所し、仲間と再会するための旅に出た元ジャズ・トランペッター(財津一郎さんが演じる)と孫(鈴木亮平さんが演じる)との姿を、往年のジャズナンバーと共に描く心温まる映画(2010年の作品)でした。<富田英司>案内へ戻る


  コラムの窓・・・浮足立つ日本的刑事司法!

 アッと驚くカルロス・ゴーン被告の〝国外逃亡劇〟に快哉を叫ぶ向きもあるようですが、大富豪による金に飽かした密出国には白けるだけです。そもそもの容疑事実に犯罪性があるのかという点についても、彼の経営手法によって多くの日産関連労働者が泣かされたという事実が裁かれることがない以上、不毛な主導権争い劇としか映りません。

 1月8日に行われたゴーン被告のレバノンでの記者会見は自己弁護に終始していましたが、私たちが注目すべきは日本的刑事司法に対する批判です。主張に対する日本の刑事司法関係者の慌てようはどうでしょう。森雅子法相は翌9日、2度も会見を行い、東京地検も声明を発表するなど弁明に追われました。元検事の高井康行弁護士はこれを評価していますが、笹倉香奈甲南大学教授は次のような的確な指摘をしています。

「弁護士が取り調べに立ち会えないことや、長期拘留への批判は国内外で繰り返されてきた。法務・検察当局は、そうした声が強まるのを懸念しているようだが、指摘は真摯に受け止めるべきだ。法相の記者会見や東京地検のコメントは、自分たちに都合の良いことばかり発信している」(1月10日「東京新聞」)

 笹倉教授はえん罪救済センター副代表として活発な活動を行っています。そうしたなかで、市民や社会を犯罪などから守る役割の検察や警察は身柄拘束や家宅捜索など大きな暴力的権限を持っており、これが誤りを犯したときにえん罪が生まれると指摘しています。代用監獄や人質司法、この国ではえん罪の種は無数に転がっています。その先に死刑執行があることを見逃してはならないでしょう。

 昨年12月26日、元専門学校生魏巍(ぎぎ)死刑囚の刑が執行されました。2012年から8年連続、第2次安倍内閣発足以降17回、39人の死刑執行となっています。森法相が就任後初の執行命令であり、法相は「誠に身勝手な理由から、幸せに暮らしていた家族全員を殺害した。被害者はもちろん、遺族にも無念この上ない事件だ」と述べています。なお、確定死刑囚は112人、国家による合法的殺人は止まりそうもありません。

 保釈中の被告人の国外逃亡としての〝ゴーン事件〟は密出国の罪を犯したことになるのですが、こうした事態を防ぐために保釈を認めないとか衛星利用測位システム(GPS)の装着などが取りざたされています。こうした主張は実態を無視したものであり、むしろ過剰な拘束こそが見直されるべきです。1月10日の神戸新聞も、「自白を引き出すために逮捕・勾留で長時間拘束する」「国際的に非人道的と批判される日本独特の『人質司法』は改善すべき」と指摘しています。

 ついでに「犯罪人引渡条約」をみると、状況はもっと不利なのです。日本がこの条約を結んでいるのは米国と韓国のみです。世界をみれば、欧米では数十カ国から百カ国以上、中国や韓国も約30カ国程度だそうです。なぜ日本が2カ国としか結べていないのか、ズバリ死刑があるからです。

 とまあこんな具合で、国際社会ではひんしゅくを買っている日本、どんなに弁明しても、すればするほどボロが出る、ゴーン被告への対応によってさらに醜態をさらすことになっています。この迷路から抜け出すためには、自らを真摯に顧みることが不可欠なのですが、それができない日本(国もマスコミも国民も)は救いがたいことを教えてくれた〝ゴーン事件〟でした。アァ情けない! (晴)案内へ戻る


  読者からの手紙・・・ 対立思考ではなく発展的に!

 年初、アメリカによるイラン司令官殺害でイランからの報復攻撃が行われ、全面的なイラン対アメリカによる戦争が行われ、(ひいては第三次世界大戦すら起こるのではないかと危惧されたが、)アメリカ側の更なる報復攻撃の自制?でその危機は回避されたかに見えるが、宗教対立や民族・部族対立とそれらに絡みつくような石油資源などの諸利権の獲得争いが存在する地域ではより深刻で大規模な戦争が起こる可能性が無くなったわけではない。

 人間が宗教や部族・民族・人種争いを繰り返している中で、中国武漢で発生した新型コロナウイルスは当初の発表とは違いその感染力を強化しながら全世界に広まりつつある。

 国境や人種・宗教等の壁を越え人類に襲いかかっている。 

 ウイルス(病原体)は人間と同様に自然界に存在し、生きる為に人間に寄生し、人間の生存の一翼を担ったり、時にはその生存を脅かす要素にもなるものである。

 ウイルス病原体には人間が作り出した国境・人種・宗教などの違いや対立は関係ない、人間は物事を対立的に捉える傾向が強くあるが、その方が単純化し理解しやすいのだが、自然界に存在し、人間と共存してきたものがあるきっかけから人間の生存に害をおよぼすことなど“対立”思考からは理解しがたいことだろう。

病原体の拡散を防ぐために監視や隔離が行われるが、差別や迫害を起こすことも“対立”思考から起こるのである。

 対立思考の限界を克服し、固定的ではなく発展的に物事を捉え、諸問題に対処したいものだ。 (M)

 深町さんのコメントです。

「資本の延命を許している我々は、残念ながら極少数にとどまる。オルタナティブの運動、思想は社会主義を始めとする様々な潮流があったが、いずれも内部の対立・構想・敵権力の弾圧、なによりも、味方となるべき被抑圧人民の理解を得られないままに自滅、崩壊した。救世主とみえた共産主義も一党独裁を強化し、権力の集中、非道さを露呈している。世界に共通してみられるグローバルリズムは格差拡大と一見、相反するナショナリズム(差別分断)を高め、戦争へとしらしめる動きだ。左翼・労働運動の消失が危険を深める要因でもあるが、現状打破を求める活動が弱い現状は、反天皇制、反独占、反安保を志向する私のような人間は、極めて居心地の悪さと、空しさのまじったニヒリズム的怒りが内部から突き上げる日々だ。」 

 Gさんのコメント

「東日本大震災からもうすぐ9年です。精神的損害賠償を求めた私たち「中通りに生きる会」の5年にわたる裁判が、12月裁判所から和解勧告が出されましたが、1月に東電が拒否したため2月19日に判決となりました。待っています。」【注】中通りに生きる会」(平井ふみ子代表)の男女52人(福島県福島市や郡山市、田村市などに在住)が福島第一原発の事故で精神的損害を被ったとして、東電を相手に起こした損害賠償請求訴訟


 「色鉛筆」・・ 映画『家族を想うとき』(2019年イギリス・ケン・ローチ監督)

「終わりが唐突」「救いがな無さすぎる」等々、周囲の前評判はあまり良くなかったが、私自身は見終わって、心に沁みる多くの言葉に、胸が暖かくなった。

主人公のリッキーは、妻と高校生・小学生の子どもの4人家族。安定した住居を求め、職を転々とした後、「働けば働くほど稼げる個人事業主」といううたい文句に騙され、宅配ドライバーの仕事を始める。

先輩ドライバーから、車中で使う尿瓶を手渡され、バカな!と投げつけたリッキーも、やがて働いても働いても稼げるどころか、トラブルや休暇の申し出にさえ罰金を課せられる現実に突き当たる。人間ではない、電子頭脳による効率的かつ過密に仕組まれた「宅配ルートと宅配時間」に追われ続ける、非人間的な長時間労働(14時間も!)に、やがて家族の間にも大きな亀裂が生まれてゆく。

妻アビーもパートタイムの訪問介護福祉士として、時間外まで懸命に働いている。訪問に必要な車は、夫の配達車購入のため手放すはめになり、やむなくバスで移動するが、この移動時間は仕事と見なされず、さらには決められた2時間の訪問中にやるべき事は山のようにある。ある日糞尿にまみれた高齢者を丁寧に洗い上げ、時間をオーバーしたことを雇い主に告げると、「一軒2時間がルールだ」と冷たく返される。アビーは「私には私のルールがある!時間だからと汚れたままに放っておくことは出来ない!ケアする人には、家族と同じに対応するのが私のルールだ!」と叫ぶも、相手には届くはずもない。

訪問先で、高齢の女性が1984年の炭鉱スト当時の写真を見せて歓談中、ふと今のアビーの勤務時間表を手に「朝7時半から夜9時までって、どういうこと?8時間労働制は?」と問いかける場面も、印象深い。

今年83歳のケン・ローチ監督は、2014年に引退宣言をしたものの、翌年イギリス保守党が圧勝し福祉予算の大幅削減が始まると、引退を撤回し『私はダニエルブレイク』(2016年)を、そして本作を作った。いずれも弱者に視点を置く作品だ。この映画のドライバーには、ドン・レーンという実在のモデルがおり、一年で最も苛酷なクリスマスの繁忙期を務めた後、2018年1月に亡くなっている。彼は糖尿病であり、受診する必要があったにもかかわらず、多額の補償金を支払わされることを怖れ、亡くなったという。イギリスでも大きく報じられたという。

映画の終盤、それまで家族にも、ケアする訪問先でも、相手がどんな理不尽やわがままを言っても、終始穏やかに対応していたアビーが、猛然と抗議してまくし立てる場面がある。大けがを負わされ、出勤どころではない状態の夫に向かって、雇用主が携帯電話で「明日必ず出勤しろ。休めば罰金だ!」と言うのを、電話を奪い取って「個人事業主だなんて建前だけだ!重傷を負っても休むな、休めば罰金?あなたは一体何者なの!」アビーの怒りは収まらず、とうとう最後には「ケツに電話を突っ込め!」との捨てゼリフまで・・。

 原題の『Sorry We Missed You』は、不在の配達先に置くメモの言葉。Missには「(人に)会いそこなう」の意味とともに、「(ねらったものを)取り逃がす」「(目的を)達しそこなう」といった意味もある。私たちは、何を取り逃がし、なにを取り戻すべきか?気づくことを促している。私たちの身近にも、非人間的で過密な長時間の働かせ方が、ますまか増え続けている。(澄)

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