ワーカーズ604号(2020/3/1)     案内へ戻る

  黒川検事長の定年延長は違法!

 黒川弘務東京高検検事長(62)の定年が半年間延長されました。検察庁法は検察官の定年を63歳、検事総長は65歳と規定しています。首相官邸に近いとされる検察ナンバー2の黒川氏を検事総長に据えようと、政府が異例の措置を取りました。

 「検察庁の業務遂行上の必要性に基づき、引き続き勤務させることを決定した」。黒川氏の定年延長を決めた1月31日の閣議終了後、森雅子法相は記者会見でそう説明しました。

 黒川氏は2月8日63歳になりました。

 黒川氏は捜査現場よりも法務省勤務が長く、政治家との付き合いが多かったことから、法務・検察の中でも政界と関係が深いといわれています。2016年9月に官房長から法務次官に就任した際は、地方の高検検事長に転出する案が、官邸の意向でひっくり返ったとの臆測が飛びました。

 安倍首相の都合で一般法が特別法に優先するようなことが起きたり、法解釈が変えられたりした東京高検検事長の定年延長問題ですが、国家公務員法は、国家公務員の身分や職務に関する一般法です。検察官も国家公務員ですが、検察庁法が特別に検察官の定年を定めています。
 
 いわゆる一般法と特別法の関係にあり、両者の間に齟齬・抵触があるときは、特別法が優越します。国家公務員法81条の3が制定された当時の政府見解でも、検察官にはこの規定は適用されないという考え方が示されていました。 つまり今回の定年延長は、違法というしかありません。 

 
  桜を見る会を私物化した安倍政権!

 安倍晋三首相の後援会が「桜を見る会」前夜に東京都内のホテルで毎年開いてきた懇親会。首相は後援会の主催としながらも、ホテルと会費の支払い契約を結んだ「主体」は、あくまで個々の参加者だったと主張しています。

 後援会の指示に従って会費を払っただけの参加者が「ホテルと契約した」との解釈は不自然ですが、首相は国会答弁でこの説明を繰り返しています。

 後援会がホテルと契約していないとの見解を変えない理由は、政治資金収支報告書に、懇親会の収支が記載されていないことを正当化でしょう。政治団体の収支があったにもかかわらず不記載だった場合は、政治資金規正法に違反するからです。

 首相は、1人5000円(安すぎる)の会費の支払いについて、「集金した全ての現金を、その場でホテル側に手渡す形で、参加者から支払いがなされた」と。首相の事務所は、会費を受け取ってホテルに渡しただけなので、後援会に入金や出金はなかったと。首相は「(ホテルとの)段取りを行ったにすぎない事務所職員は、契約上の主体にはならない」と。

 だが一方で、会場を予約したのは事務所の職員で、昨年の懇親会の準備経費は自身の選挙区支部から支出したと認めています。

 これに対し野党は、ホテルと主体的に契約したのは後援会だと指摘し、首相の説明通りであったとしても脱法行為に当たると批判しています。今回の桜を見る会のケースは、有権者への寄付を禁じた公職選挙法に違反する可能性もあります。

 このような安倍内閣は総退陣してもらうしかありません。(河野)案内へ戻る


  「新型肺炎」政府の失策から身を守る「職場の心構え」

●潜伏期間でも感染する!

 今回の新型コロナウィルス肺炎は「潜伏期間で無症状でも感染する」ことが、当初から感染症の専門家により指摘されていたにも関わらず、安倍政権は「水際対策」ばかりに躍起になり、中国人と接点の無い人をウィルス検査対象から除外し、結果として後手に回った失態は厳しく批判されるべきだ。ようやく二月二五日、政府の「基本方針」が示されたが、もはや「遅きに失した」と言っても過言ではない。

●基本はインフル対策の強化

 「すでに私達自身もどこかで感染していて潜伏期間かもしれない」という心構えを持ち、身を守らなければならない。とはいえ、こうした事は初めてではなく、二〇〇三年の「SARS」や二〇〇九年の「新型インフルエンザ」、さらに言えば毎年ウィルスの変異した「インフルエンザ流行」でも経験していることである。

●「風邪かな?」すぐ受診を

 まず発熱・頭痛・喉の痛み・せき等「風邪」の症状を感じたら、「様子を見よう」などと放置せず、またドラッグストアの売薬で済ませず、すくに「受診」することだ。職場の近くの開業医に行く。休暇を申請して時間内に受診するのが望ましいが、どうしても急に休めないなら、地域の「休日夜間診療所」に行く。わからなければネットで調べよう。

●通常の風邪(ライノウィルス)

 受診に当たって、自分の風邪の原因が「ライノウィルス」(普通の風邪)か?「インフルエンザ」(感染力が高く重症化しやすい)か?「新型コロナ」(専門の医療機関へ)か?それ以外(肺炎球菌など)か?複数の可能性を想定しておくことが重要だ。医師にも「新型肺炎の可能性はないか?」聞く。その上で「普通の風邪」と診断されたら医師の処方に従い、早めに病気休暇を申請しよう。健康保険の傷病手当金の申請も忘れずに。

●インフルエンザならすぐ休む

 インフルエンザか否かは、咽頭や鼻腔粘液を綿棒で採取し、簡易診断キットですぐに判明する。「陽性」と告げられたら、感染症予防法の就業制限の対象になるので、上司に伝え事業主の責任で五日間の出勤停止措置をしてもらう。就業規則で有給の「感染症休暇」があれば適用する。なければ病気休暇として最低でも傷病手当金は申請しよう。

●新型コロナを疑ったら

 症状から「新型コロナウィルス肺炎」が疑われたら、保健所を通じて専門の医療機関を紹介してもらい、精密検査を受ける。新型コロナ「陽性」なら指定感染症の対象として、感染症病棟に入院する等の治療に入る。その際の病気休暇や有給扱いあるいは傷病手当金、場合によっては休業手当の可能性もあるので、上司や所属労働組合と相談しよう。治療法は現在未確立で対症療法か、新薬の「治験」などの治療計画が示されると思われる。インフォームドコンセント(説明と同意)にのっとり十分な説明を受けよう。

●呼吸器感染症は他にもある

 なおこの他にも、高齢者に多い細菌感染症である「肺炎球菌」、栄養状態が悪いと現代でも発症する結核菌による「肺結核」、小児に多い「RSウィルス」「ヒトメタニューモニアウィルス」「マイコプラズマ肺炎」などがあるので、受診と診断は大切だ。

●予防も「インフル」に準じて

 ライノウィルス、インフルエンザ、新型コロナいずれにしても、その予防は毎年流行するインフルエンザ対策と共通する。呼吸器疾患のウィルスの感染ルートは、セキ・クシャミなどの「飛沫感染」、ドアノブや衣服などからの「接触感染」、飛沫が乾燥し空気中を移動する「空気感染」だ。その中間の「エアロゾル感染」というのがあるが、これは主に医療機関での処置中に起こるもので医療従事者は注意すべきである。

●マスク着用は目的を理解して

 マスクの製造が追いつかず、ドラッグストアで品切れになっているが、マスク着用の目的を理解する必要がある。マスクは近くでの「飛沫感染」を防止するためで、自分自身のセキやクシャミに際しての「セキ・エチケット」である。マスクが入手できなければハンカチーフ等で代用する。なお乾燥した微細なウィルスの空気感染では、通常のマスクの編目を通過してしまい、決して万能ではない。また同じマスクを長時間使用すると、かえってガーゼに雑菌が繁殖して逆効果になるので注意が必要だ。

●手洗いは流水・石鹸・アルコールで

 手洗いの目的は「接触感染」の防止である。ウィルスが付着したドアノブや電車・バスの吊り革、衣服や家具に接触した手や指で、鼻や口に触れたときに感染するのを防ぐためだ。十分に流水で洗うこと、石鹸で汚れを落とした上で、噴霧型のアルコール手指消毒剤(インフルエンザウィルス・コロウィルスには有効)を使うのが望ましい。

●「うがい」も忘れずに

 飛沫感染や接触感染で最初に付着するのが咽喉である。混雑した駅や列車・バスに乗車して帰宅したら、面倒がらずに手洗いと「うがい」を行なう。ドラッグストアでうがい薬を購入するのが望ましいが、水やお湯でもしないよりは良い。実はこうした習慣は、保育所や小中学校の方が、子どもへの教育が徹底しているようなので、大人も子どもを見習うようにしよう。

●体調管理「働き過ぎ」は禁物!

 こうした初歩的な対応策を取っても、感染リスクをゼロにはできない。ただ呼吸器感染症ウィルスは、体力低下や体調不良によって重症化するので、体調管理が重要である。高齢者や基礎疾患があり体力の弱い人は、特に重症化のリスクがあるので、自身も家族も注意が必要だ。

 また一般の労働者も長時間労働や深夜勤務は免疫力を低下させるので、過労を続けるのは禁物だ。特に今の時期、決算期や納期をむかえ現場の業務量が激増する傾向があるが、担当者に無理な残業を続けさせないよう上司の配慮が必要だ。「働き過ぎ」で感染を拡大し重症化を招いてからでは遅い!職場の助け合いが今ほど重要な時はない!(松本誠也)


  パンデミック対策を春闘の緊急要求に!

●新型コロナウィルス肺炎

 中国の武漢市・湖北省から爆発的に拡大し始めた「新型コロナウィルス」肺炎の感染は、海外にも波及している。WHOの慎重にその表現を避けているが、もはや「パンデミック」の第一歩を踏み出していると言っても過言ではない。

 「潜伏期間中の感染の可能性」を専門家が指摘していたにも関わらず、それを無視して「水際対策」に偏った安倍政権の対応は、日本の国内で「中国との接点」が確認できない発病者の続発という事態を招き、完全に後手に回った形となった。

 いまや中国渡航と関係のない日本中のどこの地域の事業所の労働者でも、感染のリスクはまぬがれない。

●出勤停止に対する賃金保障を

 感染症予防法や労働基準法では、感染症を防止するための「出勤停止」措置を規定している。さらに二〇〇三年の「SARS」や二〇〇九年の「新型インフルエンザ」を経験して、官公署や企業の多くでは、有給の「感染症休業手当」を就業規則に明記するようになってきた。

しかし多くの中小零細企業や、派遣社員、日給月給の非正規労働者については、未整備の状態である。そのため、ひどい呼吸器症状を発症しても、解熱剤や咳止めを服用して就労し、事業所における感染を招いたり、たとえ休んでも「欠勤」の無給扱いになることが大多数である。

 感染症が疑われる場合は、事業所が責任をもって出勤停止を措置し、休業中の賃金を補償することが求められる。

●春闘の緊急要求に

 今回の春闘ではほとんどの労働組合がすでに要求書を提出済みであると思われるが、今回の新型コロナウィルス肺炎の事態に対応し、緊急に「感染症予防のための出勤停止と賃金保障」を追加要求するべきである。また、すでに要求書の回答が示された企業においても、追加交渉を緊急に要求すべきである。

 個別企業だけでなく、地域のすべての事業所について「感染症予防の出勤停止と賃金保障」を行なうよう、労働組合の地域組織が地域の経営者団体や行政組織に要求する取り組みを緊急に提起すべきである。

 ナショナルセンターも、政府に対して同様の要求を掲げて、緊急の政労使交渉を行なうべきである。(松本誠也)


  〈コロナ危機〉に便乗した「改憲」論を許すな!

 新型コロナウィルス肺炎は、国内でも感染者が増加し、国内患者も死亡する事態に発展している。ところが安倍政権やそれを取り巻く右派勢力は、足元の感染対策を見直すどころか「今こそ憲法を改正して緊急事態条項を!」などと見当違いの主張をしている。

●「緊急事態条項」で改憲?

 自民党の伊吹文明元衆議院議長は、一月三〇日に派閥の会合で新型肺炎に言及し「緊急事態の一つの例。憲法改正の大きな実験台と考えた方がいいかもしれない。」と発言した。下村博文選対委員長も二月一日「議論のきっかけにすべきではないか」と講演で述べた。

 衆議院では一月二八日、日本維新の会の議員が、新型肺炎に関連して改憲議論を促進するよう質問したのに対し、安倍首相は「緊急事態条項」をどう位置づけるか「大いに議論をすべき」「国会の憲法調査会で活発な議論を」と答弁した。

 今回の新型肺炎への対応は、現行法のもとできちんとした対応をすることが肝心であり、そのさなかに「改憲」を持ち出すような場合ではない。

●「政府専用機」(自衛隊機)を派遣検討

 安倍政権は、水際対策ばかり強調し、専門家が指摘する「国内感染対策の必要」を後回しにする一方〈コロナ危機〉に乗じて、あの手この手で自衛隊の出番を作ろうとやっきになっている。

 武漢市からの邦人帰還にむけ、チャーター機を派遣したが、当初「政府専用機の派遣も検討する」と息巻いた。政府専用機とは自衛隊機のことである。しかし、政府専用機の座席数は百席と少なく、民間機の二百席の半分であることなどから、これは立ち消えになった。

●防衛省チャーター船に医官

 クルーズ船ダイアモンドプリンセス号から感染者が発生し、横浜港に長期停泊することになったが、これに対して防衛省は民間貨客船「はくおう」をチャーターし自衛隊員四十人と医官五人を派遣し、支援にあたるとした。

 しかし、実際に活躍したのは、各都道府県の公的病院医療スタッフで組織するDMAT(災害派遣医療チーム)の隊員であった。彼らは東日本大震災や熊本大地震などで、緊急にかけつけた経験を持ち、日頃から感染対策を含む訓練を積んでいるのであり、自衛隊に頼らなくても、十分な働きができたのである。

●海自に「病院船を配備」?

 あげくの果てには、クルーズ船対策にかこつけて「病院船」の配備を検討すると言い出した。二月十二日の予算委員会で加藤厚生労働大臣は「病院機能を持つ病院船の配備を検討するため各省庁と協議する」と述べた。当然のごとく海上自衛隊への配備が取りざたされている。だが「病院船」の配備なるものは、海外での戦争への対応が前提となるものであり、自衛隊の海外派兵の道をいっそう開く危険な構想である。

 今回の新型コロナウィルス肺炎への対応は、二〇〇九年の「新型インフルエンザ」や二〇〇三年の「SARS」(重症急性呼吸器症候群)を教訓として、当時対策に当たり経験を積んだ医療関係者の専門的な知識と経験を総動員するのが最善なのであり、「自衛隊の活用」だの「改憲」だのを喧伝するのは、全くの筋違いである。(松本誠也)案内へ戻る


  新型肺炎「基本方針」記者会見への疑問

新型コロナ肺炎について、政府は二月二五日、前日の専門家会議を受けて「基本方針」を策定したとして、加藤厚生労働大臣が記者会見で概要を説明した。
 記者会見を聞いて疑問を抱くのは、「風邪の症状を感じたら休暇を取り自宅で療養を」という対処法だ。一般の人は、風邪の症状が出たとき、それが普通の風邪(ライノウィルス等)なのか?インフルエンザウィルスか?新型コロナによるものか?自分で判断はできない。

 必要なのは、直ちに医療機関を受診し、診察と検査によって診断してもらうことではないのか?自宅療養は必要な処方箋が前提となるはずだ。それを受診もせず、検査もせず、自宅で様子を見なさいというのは、いよいよ重症化してから受診しなさい、というのと同じではないか?

 これでは「感染の拡大を抑制する」という基本方針の趣旨とも矛盾する。

 また「休暇を取りなさい」と言うが、その際の賃金保障についても、何ら言及していない。「感染症休暇」が就業規則に整備されている企業はまだしも、日給月給の非正規職員はどうなるのか?あまりにズサンな基本方針に疑問を抱かざるを得ない。

 今後、基本方針の詳細を精査し、きちんとした批判をしてゆく必要があると考える。(松本誠也)


 《経団連報告》露骨な企業利益至上主義――経団連の雇用・処遇の再編策――

 いま春闘真っ最中、ということになっている。とはいっても、いつもどおり盛り上がりは見られない。新型コロナウィルスの不気味な拡散だけではない。労組の要求や行動そのものがまた一歩後退・縮小しているからだ。

 そうした中、経団連はこれまで積み上げてきた既成事実の上に、労組・労働者に対する一層の攻勢に出ている。新時代を迎えているという口実で企業に都合がよい雇用・処遇システムへの再編をもくろんでいるのだ。

 私たちとしても、それを跳ね返す対抗戦略を確立して、押し返していきたい。

◆「妖精さん」?「ぶら下がり社員」?

 すでに形骸化が進む春闘だが、この3月11日の大手企業による一斉回答日に向け、大詰めを迎えている。

 その春闘に絡んで、ということもないだろうが、「ぶら下がり社員」や「妖精さん」などというネーミングがネットなどで飛び交っているという。

 「ぶら下がり社員」というのは、仕事や昇進などへの意欲がなく、成果を上げる若手社員や会社にぶら下がっているかのような無気力な社員を指している。「妖精さん」というのは、会社に来るだけで仕事はあまりしないのに、若者より高い給料だけはしっかり持って帰る中高年社員に対して向けられている言葉のようだ。

 これらは、主に若手社員から出ている言葉で、会社への貢献度や仕事の成果と賃金や仕事量が釣り合っていないこと、世代間の不公平な働き方や処遇への不満の声だともいえる。

 確かに、給与・賃金を仕事・労働への対価だと捉えれば、不公平ではある。とはいえ、給与・賃金を生活基盤とせざるを得ない働き手からすれば、年齢に応じて膨らむ生活費をまかなう年功的な賃金は不可欠だ。そうした年功的な賃金に多くの若者から不満が発せられるのは、終身雇用と年功賃金という絵に描いたような日本的な雇用慣行が、すでに崩れているからだろう。

 実際、非正規労働者が全雇用者の4割近くまで増えている。また、能力主義や成果給の普及、あるいはリストラなどで、若者の多くが生涯にわたって年功的な処遇が受けられる見込みがほとんど無くなっている現実がある。全員が同じ年功システムに乗っかっていれば「お互い様」で、そんな不満は拡がらないだろうし、実際、高度成長期などではあまり問題にされてこなかった。

 こうした雇用慣行の変化、その結果としての矛盾やねじれに対し、打開策は多方面から提起されている。その一つ、企業・経営側から出されたのが1月21日に発表された経団連の「2020年版・経営労働政策特別委員会報告」(=以下「報告」)だ。この報告は毎年の春闘に際して経営側のスタンスや方針を示すものとして毎年出されていたが、今年は近年の雇用システムの再編への提言が大きなウェートを占めている。

◆企業利益の最大化

 すでにメディアなどでその一端が紹介されているが、労使関係での基本的な力関係を左右する重要なものなので、『ワーカーズ』前号でも大きく取り上げられている。ここで経団連がどんなシステム再編をもくろんでいるか、前号に引き続いて見ていきたい。

 「報告」は、近年の日本の経済力が低迷していることに危機感を感じ、「日本経済のグローバルな競争力を大きく高めていく」(中西会長)ために、労働生産性を高め、付加価値を最大化させていく必要性を訴えている。

 その経団連の「グローバルな競争力をたかめていく」という目的意識そのものが時代錯誤なのだが、それはさておき、この「報告」は3つの章立てで提起されている。第2章では、雇用・労働分野での具体的な課題を取り上げ、第3章で今年の賃上げの指針に触れている。その前提となる基本的な経団連のスタンスは第1章で示されている。

 第1章では、基本的な時代認識として政府が提唱する「Society5・0時代」にふさわしい働き方を提唱している。

 「Society5・0」とは、政府の科学技術基本計画(16年)で「超スマート社会」と位置付けた未来社会を、経団連が「創造社会」と言い換えているものだ。要するに、政府が描く未来社会論に乗っかった、経団連なりの未来社会の設計図といったところだ。トヨタ自動車が富士山麓につくるという「コネクティッド・シティ」構想による実証都市=「ウーブン・シティ」などもその一つなのだろう。

 その「創造社会」にふさわしい働き方として経団連が掲げるのが、「フェーズⅠ」(労働の効率化)から「フエーズⅡ」(付加価値の最大化)への転換・進化だ。これまでの働き方改革では、労働生産性を引き上げるために、主に投入労働量についての改革が中心だったが、今後は、付加価値=企業利益の最大化に注力することが最大の目的になる、としている。だがそれだけだとあまりに企業エゴが露骨なので、「エンゲージメント」という外来語を持ち出す。要するに、「個人と組織が一体となり、双方の成長に貢献しあう関係」を表す概念だという。

 具体的には、SDGsの達成、ダイバーシティ経営の推進、人事・賃金制度の再構築、チャレンジ制度、AIやRPAテクノロジーの活用……といった具合だ。修飾をふるいにかければ、要は人事・賃金制度の再構築やジョブ型人事・賃金制度の活用といったところだろう。

 その「Society5・0」にふさわしい労働時間制度。「報告」では裁量労働制はジョブ型雇用と相性がよいので、その拡大をめざす、また、働き方改革関連法案に盛り込まれていたが削除されてしまった企画業務型裁量労働制の対象業務の拡大の復活・法改正、あるいは昨年4月に創設された「高プロ」の導入企業の増加への期待も示されている。

 問題は、その日本型雇用システムの再編にかかわる経団連のスタンスの方向性と内容だ。

 「報告」では、日本型雇用システム、すなわち、新卒の4月一括採用、長期・終身雇用、年功型賃金などは、「メンバーシップ型」(人を格付け)であって、欧米の「ジョブ型」(仕事を格付け)と対比されるものだが、それが転換期を迎えているとの問題意識だ。

 こうした日本型雇用システムは社員の高い定着率や企業への忠誠心をもたらしたが、反面、中途採用は抑制されて就職氷河期世代生み出し、また職能給が年功的に運用され、優秀で意欲ある社員のやる気がそがれている、としている。

 時代に合わなくなっている日本型雇用システムに変わるべき今後の方向性としては、メンバーシップ型(終身雇用型)社員を中心としながら、ジョブ型(職務格付け型)社員も活躍できる複線型の制度を構築する。具体的には、採用方法の多様化・複線化、高度人材への高度処遇(ジョブ型処遇)、雇用の柔軟化・多様化だ。処遇は、ジョブ型社員には職務給・仕事給・役割給、昇給については、自動昇給から査定昇給へ。裁量労働制「高プロ」はジョブ型雇用に適しているので、併せて導入する、というものだ。

 第2章の「雇用・労働分野における諸課題」については、高プロの創設、フレックスタイムの精算期間の延長、同一労働同一賃金、改正労働者派遣法、70才までの就労機会、最低賃金制度……などに触れている。また第3章の「2020春季労使交渉における経営側の基本スタンス」では、経済の先行き不透明、賃上げのモメンタムは維持する。他方、業種横並びの集団的賃金交渉は実態に合わなくなっている、春期賃金交渉自体の否定へと続くが、ここでは省略。

◆さらなる雇用・処遇破壊

 ここまで見てくると、経団連がどういう雇用システムへの再編をもくろんでいるか、ある程度見えてくる。それは、未だ広範に残存している終身雇用型で年功処遇の労働者を二つに分け、幹部社員を対象に一定程度の年功労働者を温存し、残る部分をジョブ型雇用に再編したいという思惑である。そのために、新卒の一括採用の縮小や、一律の賃上げや業種横並びの集団的賃金交渉の廃止など、様々な「改革」を推し進めたい、ということなのだ。

 経団連のこうした雇用システムの再編は、企業利益至上主義の身勝手なものだと言わざるを得ない。

 たとえば「報告」では、非正規社員が4割近くにも増えてしまった現状への反省や改善姿勢が全く欠落している。現に、非正規社員の処遇改善についてほとんど言及がない。むしろ、最低賃金に関する部分で、最賃の急激な引き上げに懸念を示すなど、抵抗姿勢を示すばかりなのだ。「報告」は、正社員の雇用の安全弁として不安定低処遇の非正規社員の存在を前提とした上で、正社員の二分化をめざすというのが財界の本音なのだろう。

 要は、賃金の年功的運用を見直して企業利益への貢献度以上に受け取っている中高年社員の賃金をカットする。そのために、ジョブ型雇用を拡大し、成果や会社への貢献を今以上に厳しく査定する人事評価制度に変えていく、というものだ。

 現に、この「報告」を先取りするかのように、いくつかの企業では、優秀な人材の採用で既存の初任給からかけ離れた処遇を適用したり、トヨタ自動車のように、ベア額の非公表、一律の賃上げの回避を始めている企業もある。この「報告」は、そうした個別企業の施策の追認という性格も併せ持っているのだ。

 経団連の雇用・処遇システムは、これまでも状況に応じて大きく変わってきた。

 イ)高度成長期は年功賃金を導入した。激増する若年層労働者に、将来の昇給をぶら下げることで現在の低賃金を受け入れさせるためだった。

 ロ)石油ショックからバブル崩壊までは、相対的に賃金が高い中高年労働者が増えてきたので、50歳代からの賃金カーブを右肩下がりにする「賃金カーブの圧縮」を進めた。

 ハ)90年代以降は、クビ切り自由な低賃金の非正規社員の拡大による賃金総額の圧縮。

 ニ)そして今回の雇用・処遇システムの再編。正社員に幅広く残っている〝職能給の年功的な運用〟を縮小し、職務給を拡大することで賃金総額の圧縮を意図している、というわけだ。

 こうした雇用・処遇の再編によって、企業利益への貢献以上の賃金を受けとっている「妖精さん」といわれる中高年社員の賃金を引き下げ、若年労働者には微々たる賃金引き上げで、企業利益の拡大を実現していく。これが経団連のいう生産性向上であり、今回の「報告」の眼目なのだ。

◆均等待遇と子育て・教育費と住宅費の社会化

 今回の「報告」も、多くの修辞で包みながら企業エゴの施策を実現・普及させるというもので、これまでの「報告」と同じものでしかない。実際に個々の企業がやっていることいえば、過労死・過労自殺の原因となっている長時間労働、中小・下請け企業への納入単価切り下げの強要、最低賃金の抑制、外国人労働者などの低賃金労働者の活用、有期雇用労働者の無期雇用への転換での雇い止めの横行、それに賃金を継続して押さえて企業の内部留保だけをため込み続ける、というのが現実なのだ。

 その経団連の賃金論は、賃金とは企業利益からの配分だ、という立場だ。だから企業利益が減れば、当然賃金も下がる、というものになってしまう。また、賃上げの決定についても、企業は賃金交渉は拒否しないが、決めるのはあくまで企業であるという立場だ。

 連合は、賃金の月額総額を引き上げるとは言うものの、「2020春期生活闘争方針」でも経団連に対抗する戦略はまったく打ち出せていない。賃金とは「付加価値の適正配分」だとして企業の賃金原則を追認するのみだ。

 本来、労働者側の賃金原則とは、「賃金=労働力の再生産費」であり、労働者世帯が再生産できるだけの生活費であり、企業利益とはリンクしない独立変数であるはずだ。だから企業利益が増えても減っても、企業は労働者が生活できる賃金を支払う義務がある、という立場である。

 また賃上げの決定についても、あくまで「合意・妥結、共同決定」だ。要するに、労働組合として賃上げの決定権を企業側と分かち合っている、というものだ。

 連合は、こうした基本的な賃金論で会社側、経団連側に屈服しているので、企業の意に反してでも要求を実現するという決意も生まれないし、そのために組織を強化するとか、要求を勝ち取る闘いも位置づけられない。

 こんな日本の雇用・処遇システムについて、私は90年代から、年功賃金を同一労働・同一賃金に転換すること、企業内組合を企業の壁をこえた産業ごと地域ごとに、別の言い方をすれば、個別企業に従属した組合から個別企業から自立した労働組合に再編すべきだ、と主張してきた。労働者の規制力を強化することで、労働者の安定した雇用と人並みの賃金も確保できるとの思いからだ。

 具体的に言えば、若年でも中高年でも同じ程度の仕事なら同一賃金とする、その上でライフサイクル上で大きな負担となる子供の養育・教育費と住宅費を共同化・社会化し、国・企業拠出の基金から支給することでまかなっていく、というものだ。現にフランスなどでは、「家族手当金庫」など、それに近い制度もある。

 なぜそうした雇用・処遇システムに変えていくべきなのか。それは、戦後日本の労使関係、すなわち、終身雇用、年功賃金、企業内組合とを特徴とする日本独特な労使関係の致命的欠陥は、労働者が個別企業=会社に従属せざるを得ないことであり、企業戦士、過労死を生み出す土壌となってきたからだ。

 仮に経団連が言うように、終身雇用や年功賃金を可能な限り縮小していくとすれば、三点セットでそれに照応した企業内組合の必要性は、限りなく縮小していくはずだ。経団連は、御用組合として企業内組合を温存したいはずだが、経団連の雇用・処遇システムの再編そのものが、企業内組合の土台を掘り崩すことには目を背けている。

 私たちがめざすべきなのは、労働者、労働組合が個別企業から自立すること、労働者が独自の立場から団結して企業に対峙できるようになることだ。このことで結果的に、雇用や労働時間や賃金に関して労働者の決定権が確保され、要求実現の可能性が大きくなる。このことはいくら強調しても足りないくらいだ。

 経団連によってさらに分断・解体されようとしている雇用と処遇システム。ここは、労働者独自の賃金概念を共有化し、労働者の連携した行動によって雇用・処遇改善の闘いを盛り上げていきたい。(廣)案内へ戻る


  読書室 『闘わなければ社会は壊れる:〈対決と創造〉の労働・福祉運動論』
今野 晴貴氏・藤田 孝典氏編著 岩波書店2019年6月刊行

○現代の賃労働者の前に立ち塞がる長時間労働・低賃金・非正規雇用の増大等の諸困難。だが現実に賃労働者を救うのは、政治家等による〈政策〉や〈調整〉ではない。社会運動だけが、賃労働と福祉での諸権利を勝ち取り、社会を根源的に変えられる現実性を持つ唯一の方法なのである○

 本書の編・筆者である今野 晴貴氏は、NPO法人POSSE代表であり、年間およそ3千件の労働・生活相談に関わるブラック企業対策プロジェクトの共同代表である。もう一人の編・著者の藤田 孝典氏は、NPO法人ほっとプラス代表理事であり、聖学院大学人間福祉学部客員准教授である。そして反貧困ネットワーク埼玉の代表であり、またブラック企業対策プロジェクトの共同代表でもある。さらに今野氏はブラック企業のやり口や労働者を使い潰す等の暴露本『ブラック企業』等、藤田氏は貧困問題の最前線である『下流老人』『貧困世代』等の著書でも知られる。

 要するにこの二人は、現代の賃労働者の前に立ち塞がる長時間労働・低賃金・非正規雇用の増大等の諸困難、さらには現代の貧困問題と真正面から対峙する当事者たちである。

 その彼らが自らの問題意識とその解決案として出版した本書の目次を、以下に紹介する。

 目次
 はじめに 今野 晴貴・藤田 孝典
 第一部 福祉運動の実践をどう変革するか?
 1 みんなが幸せになるためのソーシャルアクション 藤田 孝典
 2 ソーシャルビジネスは反貧困運動のオールタナティブか? 渡辺 寛人
 3 不可能な努力の押しつけと闘う 後藤 道夫

 第二部「新しい労働運動」の構想
 4 新しい労働運動が、社会を守り、社会を変える 今野 晴貴
 5 年功賃金から職種別賃金・最賃制システムへの転換 木下 武男

 第三部 ポスト資本主義の社会運動論
 6 経済成長システムの停滞と転換 宮田 惟史
 7 福祉国家論の意義と限界 佐々木 隆治
 おわりに 今野 晴貴・藤田 孝典

 でははじめにの記述を参考にして、本書の全体的な構成とその狙いを短評してみよう。

 第一部では、福祉・社会保障制度の現状分析がなされている。1は、福祉実践に関わるものである。そこでは社会福祉とは法的な・形式的な制度ではなく、ソーシャルワーカーの実践により初めてその内実を獲得できること、またそのような実践の不足こそが今日の貧困な福祉がまかり通る要因であることが指摘されて、ソーシャルワーカーが今なすべき事とは何かが提起される。2は、東日本大震災の被災者支援や労働問題を取り組む筆者が、「派遣村」以後、反貧困運動が対抗的な力を失った要因を労働運動との分離、「行政の下請け化」と「ソーシャルビジネス化」の視点から分析する。そして「対決」を避ける「ソーシャルビジネス」の貧困対策アポローチが貧困を生み出す根本を温存させることを鋭く抉り、労働運動と連結した対抗的な反貧困運動の構築を提起する。3は、日本社会で「生活できる」条件を福祉国家型で再生する方向性を示す。それは、その要となる生活できる賃金の実現を、男性世帯主の年功賃金でなく労働者のライフステージに見合った特別な給付の充当により、労働者の生活保障をしてゆくものに変えていくことにあるとする。

 第二部では、日本の労働運動の課題を明らかにする。4は、最近の労働運動の変容と新しい交渉術を紹介した上で、今日の労働者の階層分析から新しい労働運動の戦略が展開される。そこでは個別具体的な労使紛争の対決と交渉から新しい社会構想につなげられている。5は、日本において福祉国家型の生活保障の実現を妨げてきたのは年功賃金制度であるが、現実に存在する正規・非正規等の分断社会を克服し個々の企業を越えた連帯を築くためには、年功賃金から職種別賃金・最賃制システムへの転換が不可欠だと問題提起する。

 第三部では、資本主義社会における社会運動戦略を理論的に解明する。6は、現代の日本の「経済成長」は行き詰まりに直面しており、今以上の成長の追求は人々の社会生活をさらに破壊すること、それゆえ経済成長システムの転換が今こそ求めらていれること、そしてこの転換には連帯(アソシエーイト)した諸個人による、資本(収益論理)に対する対抗的運動こそが鍵を握ることを明らかにしている。7は、6を受け自民党から政権を奪還するための方策としての「リフレ」論や「ベーシックインカム」論など、「制度」を基軸にする社会変革に対しては、一九七0年代西ドイツを中心に展開された「国家導出論争」を検討することで、福祉国家による社会変革戦略の妥当性と資本主義と福祉国家の関係の理論的な解明を通して現在の資本主義的社会システムを越える理論の構築を成し遂げなければならないことを具体的に示したものである。

 紙幅の関係で、これ以上詳しく、より具体的な内容を読者に紹介できないことが本当に残念だ。やはり本書は、とりわけ第三部は現実と闘う労働者には、今こそ熟読されなければならない、と私たちは確信する。なぜなられいわ新選組のブレーンの一人でもあり、自らのホームページに私たちワーカーズ・ネットの国家資本主義論をアップして、私たちに好意的な態度を示す松尾匡氏も、こうした「経済成長」幻想に深く取り憑かれている一人だからである。

 この2月4日、れいわ新選組の山本太郎代表は広島市内で市民との対話集会を開き、蔓延する生活困窮を救うための経済政策を、新規国債の発行で賄うことを主張しいる。周知のように山本氏は従来から消費税の廃止を主張しており、当面は消費税5%減税の野党共闘を追求している。そしてこの1月末には野党共闘が出来ない場合は、100選挙区に独自候補を擁立する方針を明らかにしている。

 反緊縮の積極財政政策で安倍政権と闘う活動家の間では、『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう』(亜紀書房)が読まれている現状がある。そして松尾氏は、2019年の6月には反緊縮本である『左派・リベラル派が勝つための経済政策作戦会議』を出版しており、まさに意気軒昂そのものである。さらに今注目されているMMT(Modern Monetary Theory現代貨幣理論)にも言及している。

 こうした経済政教政策等で安倍政権と闘おうとする傾向に対して明確に理論的な批判を対置したものが、まさに第三部だからである。そして本書の中でその批判の核心ともなる7の筆者は、POSSEに大きな影響力を持つ佐々木隆治氏、その人である。

 佐々木氏は、現在の日本を席巻する新自由主義的経済政策等は財界等の恣意的判断でなく、資本蓄積の現段階に規定されたものと分析し、それゆえ利潤率の傾向的低下と市場の成熟により、現代日本の資本蓄積の停滞は単なる反緊縮政策・積極財政政策等では打破できないとする。それゆえに順調な資本蓄積と密接不可分だったケインズ流の「福祉国家」はもはや実現不可能になったのである。とすれば資本主義社会を根源的に変える現実性は、「国家導出論争」の論客ヒルシュの指摘したように、「自由な諸個人による自由な結社をその原理とする、強力なアソシエーション運動によって価値形態と政治形態の双方を抑制する長期的なプロセスを経る」他ない、と佐々木氏は結論する。

 ヒルシュは、「価値形態および政治形態を抑制していく」改良的方策として、社会的コミュニティの統制の下での社会的基礎サーヴィスの公的保証や企業活動の規制等を挙げたのであった。本来ならここで「価値形態および政治形態」概念についての丁寧な説明が必要とされるのだが、紙幅の関係で残念ながら展開できない。

 この提言は、安倍内閣の打倒を何よりも優先すべきだとの「左派」の諸氏にはあまりに胡乱で「現実味」がないように「見える」。これに対して佐々木氏は、「価値という経済的形態規定、近代国家という近代的政治形態があまりに強力であり、それに包摂されているから」だと反論している。まさにこの点にこそ、「価値という経済的形態規定」にこだわるマルクスの経済学批判の核心があるのである。

 佐々木氏の指摘の通り、まずは現実の資本主義的生産様式をありの儘に捉え、そこに見出される矛盾と現実性を直視し、この社会システムを越える理論を構築する他はない。この指摘はたいへん重要なものである。そして主著として『マルクスの物象化論』等の著書を持ち、若手の『資本論』研究者としても著名な佐々木氏が、ここで『資本論』によってすべてが解明されている、と言わないところにこそ、実に大きな意味がある。

 すなわち佐々木氏にとって重要なものとは、マルクスが実際に構築した学的な体系、つまり『資本論』ではなく、その時代の資本主義に関する諸問題を把握して、まさに『資本論』として結実させたマルクスの構想力である。この構想力こそ、今後とも私たちが継承しなければならない、現実を変革するために現実と格闘する不滅の生命力をもつ、マルクスの問題意識なのである。

 それゆえ、佐々木氏は「かって若きマルクスが人類史上初めて試みたように、資本主義を人類史の一つのプロセスとして位置づけ、大胆不敵に『ポスト・キャピタリズム』を展望すること。このような広大な理論的視座をもつ社会的アクティヴィスト(活動家:直木注)こそが、社会運動の低迷を打破する」、と現実変革ために必要となる理論と活動家の重要性を本書の結論として確認したのである。

 私もこの見識に深く同感するものだ。その意味において本書を皆様に強くお薦めしたい。(直木)


  読書案内「南太平洋の小国 サモア・キリバス・フィジー」 300円 著者 ジョージ石井 

 著者の石井さんは、昨年9月にサモア・キリバス・フィジー3カ国に行かれました。

サモアは、1899?1918年ドイツの植民地でした。その後、1945年ニュージーランドの国連信託統治領を経て、1962年に独立し、1976年国連に加盟、1997年国名を西サモアからサモア独立国に変更しました。

 キリバスは、1788年英国海軍大佐ギルバートが上陸し、その名が現地語でキリバスになり国名になりました。英国の植民地になりましたが、第二次世界大戦中に日本軍が占領、戦後再び英国領になり1979年に独立しました。この国、軍隊はないそうです。

 「1943年11月20?23日、第二次世界大戦の血なまぐさい戦場の跡」という看板があり、日本軍4600人犠牲者のうち1200人もの朝鮮の方々が含まれているいたそうです。軍事基地建設のために朝鮮半島から連れてきて、弾除けにしたのです。

 フィジーは、1643年オランダ人が上陸、1874年英国の植民地に。1970年英連邦の立憲君主国として独立し、同年国連に加盟しました。

 著者の石井さんは、1993年80歳のお父様と72歳のお母様と初の海外旅行を体験、今回で82カ国になります。

 いつも石井さんの本を読んで思うのは、その土地の風景や状況が浮かんできます。この本も、南太平洋の国々の様子が浮かんできます。

 それと、本には川柳が書かれていて、これも毎回楽しみです。いくつか、紹介します。

 実弾の諭吉が泳ぐ原発炉
 年金を羽交い締めする消費税
 キャッシュレス税の苦痛を先延ばし
 大企業減税民が尻拭い
 安倍一強米つきバッタばかり増え

 上手いです。河野)案内へ戻る


  映画紹介『感染列島』

 二〇〇九年に公開された映画『感染列島』(瀬々敬久監督)は、妻夫木聡、檀れい主演で作られ、前年のカンヌ映画祭でも『パンデミック』という英語題名で大きな話題となったものである。二〇〇三年のSARSの経過をもとにドラマ化したと思われるが、公開された二〇〇九年に奇しくも新型インフルエンザが猛威を振るったため注目された。

 ストーリーはある日、救急救命医である松岡剛(妻夫木聡)が働く市立病院に、正体不明のウィルスに感染した患者が搬送されるとことから始まる。そのウィルスは院内に広まり、大混乱となった。そこにWHOから派遣されたメディカルオフィサーノ小林栄子(檀れい)は、「このウィルスが国内に広まったら交通網・都市機能が停止し、半年後には感染者が数千万人になる」と告げた。

 作品中には、今回の武漢市封鎖を思わせるような、自衛隊による首都圏の交通封鎖のシーン、患者であふれる病院ロビーでメディカルオフィサーの小林栄子が「トリアージュ」を命じるシーンが登場する。トリアージュとは、大規模災害の際に大量の患者の治療優先順位をつける緊急措置である。治療回復の見込みの無い患者は治療対象から切り捨て、回復可能な患者を集中的に治療し、軽度の患者は待機させるものである。個々の患者に対応する医師にとっては「非情」すぎるもので、医師間の怒号が飛び交う場面や、心が折れて職場を離脱する医師・看護師の姿がリアルに描かれている。

 病院の敷地に白いテントが設営され、感染患者専用スペースとして機能するのも、SARSの際に実際に国内の感染症拠点病院で実施されたことをもとにしている。またWHOのメディカルオフィサーも実在の日本人をモデルにしていると言われる。

 ストーリーの中では、医療指導に当たったメディカルオフィサーの小林栄子自身も感染し、自分自身を血清療法の治験に使うよう申し出るが、最後は亡くなる悲惨な展開となる。またウィルス発生の原因が、東南アジアで多国籍企業が大規模なエビの養殖事業を行なったこと、という設定になっていることも、示唆的である。

 近年世界的に問題となっているウィルスの広域感染の原因として、急速な都市化による人口過剰社会が感染を急速に蔓延させる要因になっていること、何万頭もの養豚や何万羽もの養鶏など家畜・家禽の超大規模化によりウィルスと宿主の安定した生態系が破壊される要因になっていること等が指摘されている。

その意味でも警鐘を鳴らしている。DVDレンタルなどでの鑑賞をお勧めする。(松本誠也)


  何でも紹介・・・古代の日本を訪ねて

以前から憧れていた東京国立博物館、出雲と大和展にいきました。営業時間前から行列ができていて、多くの方が関心を寄せていることに驚きました。

 出土された銅鐸や剣の数の数が多いこと、今なお保存されており、私自身が古代の世界にいるような気分になり、神秘的なものを感じました。出雲の話しは日本書記の「国譲り」の物語を思い出します。出雲や筑紫の「王権」と大和の権力のせめぎ合いは、古代王権成立に関する大変興味あるテーマです。

日本書記によれば、権力は大和、信仰は出雲…という妥協策で国譲りが為されたと書いてありました。戦乱の跡が無く、一理あるのかも知れませんが、正確な話しではないかもと感じています。卑弥呼が古事記に出て来ないし、実在が否定された神功皇后が卑弥呼に結びつけられる日本書記は、矛盾していると想います。天皇家の正当化がこの著書の制作動機のように感じます。

邪馬台国は天皇系統はことなる、まだ未知なる国かもしれません。邪馬台国を解明することができれば、日本史を大きく変えるかもしれません。

 さて、ヤマト王権生成の過程は興味深いとは言え、歴史は多面的なものです。特に「有史以降」は、王権の成立と存立を巡る攻防に歴史学が矮小化されていないのでしょうか?

西日本では約一千年の歴史を持つ弥生時代の農耕部族がその後権力やそれに伴う国家を形成するのは、あえて言いますが、稀なるケースだと想います。

世界史も同じです。当たり前に教えられて来た学校教科書の農耕と「四大文明」から図式的に展開された世界史は本当なのかといつも疑問に思います。

歴史は権力者の治世をたどる学問であってはいけないし、文化・文明とは文字や鉄器そして宮廷を飾る文物にとどまっては意義はありません。私たちにとって大切なものはその裏側にある背景を読み込むことだと思います。アフリカ、南北アメリカを含む多くの地域では民衆が、

簡単には統治権を手放しませんでした。つまり簡単に国家は成立しませんでした。

古代の出土品を見ながら、当時のことを思い巡らすことはむ楽しい時間となりました。(宮城 弥生)


  コラムの窓・・・無意味な戦争だった!

 今年これまでに観た映画、「パラサイト・半地下の家族」「100年の谺」「判決、ふたつの希望」「彼らは生きていた」の4本。映画館ではなく集会で観た映画もありますが、それぞれ考えさせられるというか、そういう映画しか観ていないようです。

 昨年末に観た「家族を想うとき」と「パラサイト」は本紙ですでに紹介されていますが、「パラサイト」の原題は「寄生虫」となっており、その寄生虫というのは〝半地下の家族〟のことではないと私は感じました。生きるために必死で働いている人々に寄生しているのは、優雅な誕生パーティができる連中のことではないでしょうか。邦題には問題あり、と言うほかありません。

 その他の映画についてですが、「100年の谺」は大逆事件を扱ってドキュメントで、「大逆事件は生きている」という副題がついています。2012年の作品で、まさに100年を超えて大逆事件は何だったのかという問いがこだます作品でした。

 今年秋、神戸で「大逆事件第5回サミット」開催ということで、それに向けた取り組みが行われているところです。天皇暗殺を企てたというでっち上げで24名は死刑宣告され、幸徳秋水ら12名が絞首刑となりました。いまだ公的名誉回復がない、つまり今もこの国は当時と変わっていないということを示しているのです。

 2017年制作の「判決、ふたつの希望」は西宮アジア映画祭で上映された作品で、キリスト教徒であるレバノン人男性とパレスチナ難民の男性との口論が裁判沙汰となったものです。イスラエルの影が重くのしかかるなか、ふたりの男性の尊厳をかけた争いが全国的な事件へと発展していく、実に考えさせられる内容でした。

 さて、「彼らは生きていた」は2018年の作品、そこで英・独兵士が辿り着くのが「無意味な戦争だった」という結論です。時は100年前、1914-18年の第1次世界大戦。モノクロ・無音・経年劣化の映像がカラーとなってよみがえり、そこに兵士たちは生きているんです。

 国会で「無意味な〇〇だった」とつぶやいて、謝罪に追い込まれたお粗末な人物がいましたが、映画のなかの「無意味な戦争だった」という言葉が心にしみました。映像の兵士と証言をしている兵士は同じではないのですが、死と生は紙一重。その生き残った兵の証言のなかで、捕虜となったドイツ兵と「無意味な戦争だった」という点で意見が一致したというのです。

 開戦前、イギリスでは兵への志願が奨励されたのに、帰還兵には冷たい態度だったとの証言もありました。前線では兵の死はありふれたものであり、塹壕で敵と(死と)向かい合っています。が、前線を離れれば、捕虜は(皇軍兵士とは違って)同じ人間、殺しあうことの意味が分からなくなるのでしょう。

 かつての日本では銃後という言葉が生活の隅々にまでのしかかり、少国民たちは戦争で死ぬことが生きる目的とされました。2020東京五輪が金メダル30個(かつて五輪で金メダルを取った男の言葉)などという禄でもないゴールへと、人々は追い立てられています。だからこそ、〝ワンチーム〟などという浮ついた言葉には気をつけましょう。(折口)案内へ戻る


  シリーズ「小さな旅」(第2回)・・・「ハンセン病歌人」明石海人を知る

 前号(第1回)で、全国に「ハンセン病療養所」が14カ所(国立療養所が13と私立療養所が1)あり、そして患者の入居者総数は1338名である事を報告した。

 その14カ所の「ハンセン病療養所」を紹介すると。

 北から、松丘保養園(青森県・76名)、東北新生園(宮城県・65名)、栗生楽泉園(群馬県・71名)、多磨全生園(東京都・166名)、駿河療養所(静岡県・54名)、神山復生病院(静岡県・5名/私立療養所)、長島愛生園(岡山県・164名)、邑久光明園(岡山県・98名)、大島青松園(香川県・56名)、菊池恵楓園(熊本県・221名)、星塚恵愛園(鹿児島県・130名)、奄美和光園(鹿児島県・24名)、沖縄愛楽園(沖縄県・147名)、宮古南静園(沖縄県・61名)となる。

 この全国の「ハンセン病療養所」を訪ねると、共通していることは極めて交通の不便なところにある。設置当初は患者を隔離することが目的であった。そのため、多くは島や僻地の場所に建設されたのである。

 沖縄から静岡に戻り、沖縄だけでなく全国にある「ハンセン病療養所」を訪ねてみようと考えたきっかけは、ハンセン病歌人として有名な明石海人さんを知ったからである。

 私はハンセン病歌人の明石海人さんの事はまったく知らなかった。

 東京新聞の連載「海人の娘/ハンセン病歌人と家族」を読み初めて知った。本名は野田勝太郎で1901年(明治34年)静岡県沼津市生まれ。小学校に勤務しながら作歌を始める、しかし24歳の時に癩(ハンセン病)と診断され、当時まだ治療法は確立しておらず、手足や顔が変形することも多く、家族(妻と娘)と別れて1927年明石楽生病院に入院する。1932年病院の閉鎖にともない長島愛生園(岡山県瀬戸内市邑久町長島)に入所し、園の機関誌に作品を発表するようになる。

 特に、死の4ヶ月前の1939年に発表された歌集「白描」はベストセラーとなる。詩人の三好達治、歌人の塚本邦雄は「天才」と評した。映画監督の大島渚は学生時代に「白描」に感動し、自分の墓石に序文の一説「深海に生きる魚族のやうに自らが燃えなければ何処にも光はない」を刻んでいる。伝記もこれまでに何冊も出版され、小説の北條民雄と並ぶハンセン病文学の最重要人物と言われている。

 明石海人(野田勝太郎)は長島愛生園で1939年6月9日に37歳で亡くなる。

 明石海人さんの連載を読んで、もう一つ驚いたことは海人さん及び家族の皆さんは静岡県の人であった。海人さんの3人家族は静岡県富士市の吉原に住んでいた。海人さんの母校は沼津商業高校であり、生誕百年の2001年に建てられた歌碑「さくら花かつ散る今日の夕ぐれを幾世の底より鐘の鳴りくる」が沼津の千本松原にあることを知った。

 歌碑建立の動きが始まったのは1998年。沼津商業高校の同窓会が、翌年の創立百周年に向けた準備中に、海人が卒業生だと気付いたのがきっかけだと言う。しかし、海人さんの家族が「何を今さら」と固く拒否したという。

 その後、1998年にハンセン病療養所の入居者が隔離政策の違憲性を訴え国家賠償請求訴訟が始まり、違法性を認めた熊本地裁の判決が2001年5月11日、政府の控訴断念が5月25日と大きなニュースになったことで社会も少しずつ変化し、家族が歌碑建立を了承し7月5日に歌碑の除幕式が行われたという。

 長島愛生園に明石海人さんが住んでいた場所に「歌碑」が建てられていると聞いて、一度長島愛生園を訪ねることにした。(富田 英司)


  福島・中通り原発集団訴訟で、東電に賠償命令  福島地裁判決

 先月のワーカーズで紹介した福島市在住の読者Gさんの裁判判決が出ました。河北新報から報告します。

 「東京電力福島第1原発事故の初期被ばくや自主避難による家族の分断などで、精神的被害を受けたとして、福島中通り地方の住民52人の東電に計約9800万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、福島地裁(遠藤東路裁判長)は、2月19日、国が定めた指針を超える東電の賠償責任を50人について認め、計約1200万円の支払いを命じた。住民2人は棄却した。

 中通りの多くは、国の原子力損害賠償紛争審査会が定めた賠償のガイドライン(中間指針)で自主避難地域に当たり、東電は訴訟前に一律12万円(子ども・妊婦は最大72万円)を賠償済みで、住民一人一人が受けた精神的損害を司法がどう判断するかが焦点だった」

2016年4月に提訴された集団訴訟は、準備期間も含め5年の歳月を要しています。原告たちにとっては陳述書の作成も何度も書き直すなど苦労があり、本人尋問に至っては心身ともに消耗するなど、和解による早期解決を望んでいたと報告されています。原告の思いを汲み取って、福島地裁は昨年12月、和解の勧告をしたが東電が拒否したため判決待ちとなりました。

 ネットで紹介されている「民の新聞」には、裁判の経過が詳しく書かれています。昨年4月26日付で提出された第17準備書面には、原告たちの想いが凝縮されています。

「この訴訟は『私はここにいます』ということを認めてもらうための訴訟です。被告東京電力を断罪する目的で提訴したものではありません。被告の法的責任は、原賠法3条により明らかです。原告らは、『私はここにいます。私は原発事故により苦しんでいます。私は原発事故により被った精神的損害は、東京電力が一律に支払い済みの大人1人あたり4万円ではとうてい補えない深刻なものです』と訴えているのです」

 東日本大震災で津波や地震の被害もあったけれど原発事故が起きなかったら、普通の生活を取り戻せていたかもしれない。東電はせめて早期和解で原告たちの想いに答えるべき償いの姿勢を示してほしかった、と思います。原発の再稼働を止めようと、関西電力本店前での抗議行動を続けて行くことで、現地の皆さんとつながって行きたいと思います。(恵)案内へ戻る


  色鉛筆・・・庁舎移転は住民投票で決めよう!

 私が住んでいる街で、津波浸水想定区域に清水庁舎と桜ヶ丘病院を移転する計画が起こっている。この問題については本誌598号(2019年9月1日)に報告したが、その後を報告したい。

 静岡市の清水庁舎整備計画は、津波浸水想定区域内にある築36年の清水庁舎を解体し、同じ津波浸水想定区域内のJR清水駅東口に移転新築して、跡地に今高台にある老朽化した桜ヶ丘病院を誘致する計画だ。この計画に反対する住民達が集まり、「住民の安心安全のためには津波浸水想定区域に庁舎と病院を新たに建設してはいけない」と確認し合い、「清水庁舎・桜ヶ丘病院の移転を問う市民の会」を立ち上げて住民に訴えてきた。

 すると突然、昨年の8月田辺市長は移転を進めるための条例改正案と事業費の予算案を9月市議会に提出をすることを明らかにした。市長はこの問題について聞かれると「市民には丁寧説明にしていきたい」と、何度も言うが反対する私たちとは会おうともしない。(あまりにも安倍首相と一緒で笑ってしまう)やはり市長は危機感を感じて反対運動が盛り上がらない前に強行しようとしたのではないかと考えた。 

 そこで私たちは市長に対して移転の賛否を問う「住民投票の実施を求める要望書」を提出したが拒否の回答をされ、9月市議会で議員発議で提出した「住民投票実施条例案」も反対多数で否決されてしまった。「もうここまでくると住民投票しかない」「市議会が変わらないかぎり無理だ」等々、賛否両論の話し合いを重ねて住民投票の準備を進めた。

 11月には現庁舎の解体費用がこれまでの約8億円の4倍、約32億円と市が試算していたことが分かり(3月にわかっていたのに公表しないまま計画を進めていた)現庁舎の基礎部分に使われているコンクリートの杭が133本も埋められていて解体するのはもったいないことや、事業費と解体費を合わせると約120億円の税金を使うのは税金の無駄遣いであることも訴えていくと、清水区だけではなく葵区や駿河区でも運動に賛同する声が高まり全市の運動として展開することになった。今年に入ると、市は事業を進めるにあたり民間資本を活用したPFI方式で22年度中に新庁舎の開館のスケジュールでいたが、1月6日から9日に入札業者を受け付けたところ参加を表明する業者が現れないことが報道された。

 こうした様々のことが起こり、住民の声も聴かずに強引に進めていく市長のやり方におかしいと声を上げる住民達が増え、賛同する人たちが集まり元自民党の市会議員から有志の自治会・政党・市民グループ・労働組合等々幅広い人たちがつながりようやく1月に「静岡住民投票の会」を立ち上げ、住民投票の実施を求める署名活動が1月23日から始まった。

 この間私たちの運動をマスコミで取り上げてくれニュースで流れたり、新聞報道もされたので署名活動をしていると、今までにない反響でうれしい悲鳴をあげている。

 住民投票を実施するためには有権者の50分の1(約1万2千)以上の署名を集めなければならないが、世論を巻き起こすには5万以上の署名を集めようと仲間たちと取り組んでいる。署名期間は2ヶ月間で3月23日までだが、清水区だけは衆議院議員補欠選挙があるため前半は2月25日までと後半は4月27日から5月24日までとなっている。

 住民投票を実施して移転計画が中止になるまで運動をしていくつもりだ。また報告したい。(美)

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