ワーカーズ607号(2020/6/1)        案内へ戻る

 黒川訓告処分問題の予算委員会集中論議を求める!

 この5月に看過できない二つの事が出来した。
 
 一つは、日本憲政史上最長の在任記録を持つ安倍首相が、何と弁護士や法律家ら662人から「桜を見る会」前夜祭に参加した有権者に飲食代を提供した等の行為は公職選挙法違反の寄付行為、また参加者から得た収入を政治資金収支報告書に記載せず山口県選挙管理委員会に提出したことは、政治資金規正法に違反するものとして、首相と後援会幹部2人を東京地検に刑事告発されたことである。

 もう一つは、今年の1月国家公務員法の例外規定が検察官には適用されないとの政府見解を完全に亡失し、違法な閣議決定してまで勤務延長を計った黒川弘務東京高検検事長が、何と賭博の常習者等だと発覚したのだが、既に常習賭博者に対する人事院の懲戒処分の立派な方針があるにもかかわらず、懲戒免職ではなく単なる訓告処分としたことである。

 これら二つの事件は、日本憲政史上疑いもなく最悪・最腐敗の安倍政権を象徴するものである。時の総理大臣が法律家の集団に法律違反で告発される事態が出来するなど、一体誰が想像できたであろうか。また私人に対して犯罪を告発する権限を持つ検察庁のナンバー2が現実に賭博・買春等の常習者であったなどと、一体誰が想像できたであろうか。

 数々の違法行為・脱法行為を繰り返しながら、一向に悪びれない安倍総理の存在。私人でありながら公人として振る舞い、担当の秘書官を侍らして平然としていられる安倍昭恵夫人の存在。事実を突きつけられても反社勢力は定義不能と真顔で語る官房長官の存在。

 日本は本当に法治国家なのか。安倍政権下の日本は、本当に醜悪な国家へと変貌した。

 こうして日本社会には、「今だけ・金だけ・自分だけ」が蔓延してしまった。さらに新型コロナによる社会的不安が深刻化する中、思いつきで決定されたアベノマスクの全戸配布は未着、国民の怒りで決まった一人当たり十万円給付も何時になるかも不明である。

 安倍政権の支持率は急落して30%を切った。当然だ。今こそ、すべての労働者民衆が安倍政権の裏の守護神だった黒川氏の訓告処分問題を積極的に追及しなければならない。

 私たちは、今国会の予算委員会で黒川訓告処分問題の集中論議を求めるものである。(直)


 〝ネット・デモ〟の勝利――検察賛美より当事者主権――

 5月18日、安倍首相は、内閣の裁量で検事総長や検事長の役職定年の延長を可能にする検察庁法改正案の今国会での成立を断念した。その直後の22日、黒川検事長が自粛中の賭け麻雀で辞職に追い込まれた。

◆安倍首相の〝人治国家〟

 今年の1月末以降の黒川検事長の定年延長と検察庁法改正案をめぐる一連の騒動。転機になったのは、「#検察庁法改正に抗議します」というツィツター上で拡散された多彩な人々による抗議の声の拡がりだった。

 その検察庁法改正案は、首相をも公訴できる準司法機関である検察トップ人事を、行政府の内閣(首相)の裁量に委ねてしまうものだ。それが三権分立を形骸化させるものだとして、野党やメディア、それに検察官OBからも強い反対の声を呼び起こした。それに、国民・有権者の拒絶反応は、世論調査や内閣支持率の下落に直結した。

 安倍首相がそれを強行しようとしたのは、三権分立を形骸化させる目的があってのことだ、という見方もある。が、それは結果の話であって実際はもっと単純なものかもしれない。黒川検事長の定年延長が批判されたのに対し、それなら法解釈(検察官には適用しないという以前の人事院答弁)を変更すればいいのだろう、と開き直った。その解釈変更も批判されたので、それなら法律を変えてしまえ、という「法や規則も知ったことか」という傲慢な態度がそうさせたともいえる。三権分立という民主主義の根本を犯す、という自覚はそれほど無かったのかもしれない。そこから見えるのは、自分がこの日本の最高権力者なのだ、という傲慢不遜な態度だ。それはそれで安倍首相自身の民主主義への無理解、それに民主主義を歯牙にもかけない戦前の国家主義的な政治家であることを浮き彫りにするものといえる。

 が、ここではその三権分立、民主主義というものをもう一歩深めて考えてみたい。

◆頼れない三権分立

 検察への内閣の関与を擁護する議論に、それが国民による検察に対する統制の一つだという見解があった。確かに、準司法機関であるといっても一行政機関でもある検察庁、何らかの統制に服さなければならないのは当然のことだ。が、それは本来は有権者から直接選ばれた国会による統制であり、究極的には有権者による民主的な統制であるはずだ。

 三権分立構造にあるといわれる国会と行政府と裁判所、その相互関係も実際は極めて曖昧かつ不十分だ。

 内閣総理大臣は国会で指名され、国務大臣は内閣総理大臣が任命する。総理大臣には、衆院の解散権もある。現状では首相は与党自民党の総裁なので党三役も任命する。両者ともトップによる上意下達の組織になっている。一旦選ばれた総裁・首相は、与党に命令し、内閣・行政府を采配する。だから立法府による行政府への統制は、ほとんど機能していないのが現実だ。要するにこれまでの《安倍一強政治》がそれを体現しているわけだ。

 その立法府の国会議員。一旦選挙で選出されれば、各選挙区の有権者から解き放たれて全国民の代表扱い(憲法43条)されてしまう。また、議員(公務員)を罷免することはできるが(第15条)、その実施法が制定されていないのでリコール(罷免)さえできない、結局、《平穏な請願》(第16条)が認められているに過ぎないのが実態だ。

 司法機関の最高裁判所長官は天皇が認証するが、指名するのは内閣(首相)だ。裁判所は、個別事件の判決で首相を辞任に追い込むことはできるが、人事制度上では行政府の内閣が上だ。その最高裁は立法府が制定した法律を審査する違憲立法審査権があるが、最高裁の「〝国家統治の基本に関する高度な政治性”を有する国家の行為は司法審査の対象にならない」という《統治行為論》もあって、現実には機能していない。また総選挙時には国民審査投票があるが、これも機能していない。

 要するに、司法による行政の正当性に対する審査も、司法に対する主権者による統制も、機能していないのが現実なのだ。

◆ネット・デモの勝利

 結局私たちが目にするのは、有権者による統制から遊離する国会議員と立法府、その立法府の統制から遊離する行政府としての内閣と首相。その内閣と首相は、有権者から自立・遊離して逆に有権者に対する独裁的政治も可能になる、という現実だ。

 要するに、三権分立はうまく制度設計している面もあるが、非常時になればなるほど日常政治を采配する行政府としての内閣・首相優位の政治が展開されざるを得ないことになる。あのナチス・ヒトラーが登場したのも、議会政治の中からだったことを忘れるわけにはいかない。
 いま求められている検察への主権者による民主的なコントロールは、確かに不可欠だ。ただ上記の事情もあって、それを立法府から遊離している行政府に白紙委任することもできない。今回のように行政府による恣意的な政治介入ともいえる事態が生じるからだ。

 ではどうするか。

 検察も含む司法機関に対する民主的統制は、本来、最高裁長官や検事総長などは国会で任命することで実現すべきだろう。それができないうちは、総選挙で検察人事を思いどうりに壟断する内閣とその与党を否認することで実現すべきだろう。またそれに至る前でも、今回のSNS上での「ネット・デモ」と称される草の根からの行動を拡げ、内閣の暴走を押しとどめることもできる。

 結局、民主主義やそれを支える三権分立という《制度》に頼るだけでは民主主義は維持できない、ということだ。肝心なのは、民主主義や三権分立を、可能な限り国民・有権者、要はひとり一人の住民という当事者による権利行使、当事者主権に近づけることが民主主義だといえるのだろう。

 その点で、検察庁法改定を断念させた今回のSNS上での世論の広がりは、大きな実績となった。「#検察庁法改正に抗議します」というSNS上で拡散された多彩な人々による抗議の声の広がりだ。その声が野党を動かし、さらに検事総長経験者など、検察OBの反乱を呼び込む事態をもたらした。少数の行動が大きく拡散し、政治を動かすという今回の集団的経験は、次への大きなステップになる。

◆検察賛美より《当事者主権》

 今回の事件では、野党や識者の他、検察OBによる批判や抗議・反対表明も大きな力になった。元検事総長などによる反対声明では、フランス絶対王政のルイ14世の《朕は国家なり》まで持ち出して内閣による検察への恣意的介入を可能にする今回の改正案を指弾している。

 この行動について、メディアや世論からの激烈な支持の意見もあったし、私たちとしてもその勇気には敬意を表したい。が、手放しでは喜べない面もある。日本の検察は別の顔も持っているからだ。

 今回は民主主義、三権分立の擁護者の顔を見せたが、つい昨年末のカルロス・ゴーン事件では日本検察の《人質司法》が多方面から批判された。「森友」や自民党の甘利経済財政相の事件などでは、根拠も示さずに不起訴とした。少なくない「えん罪事件」に際して、まともな謝罪もないことが多い。それに《検察ファッショ》という言葉もある。警察もそうだが、検察に対しても日常的で民主的な監視態勢はないも同然だ。

 また検察の正義、あるいは検察の正当性についても、私たちが拠り所とする当事者主権とは大きく違う。あのロッキード事件に臨んだ特捜部の検察官が近くの神社へ祈願に赴いたときの願いは《捜査の成功》と《国家安泰》だったと記憶している。検察の使命が《公共の福祉・基本的人権の尊重》や《適正・公正》ではなく、《国家安泰》であることに強い違和感を覚えた記憶がある。

 ここでいう《国家安泰》とは、《国家秩序の安泰》であり、《司法システムの安泰》であって、17世紀イギリスの哲学者ジョン・ロックの「人民による抵抗権・革命権の権利」を持ち出すまでもなく、国民の意思や利益など民主主義の理念に対立する意味もあるからだ。見方を変えれば、国民の要求や批判に対する国家側の防壁になるという意味内容にもとれるわけだ。あるいは、権力の不正に対する司法による牽制に関しても、国家体制にたいする国民の疑念が大きく膨らまない程度の牽制で済ます、という態度に繋がる。

 いずれにしても、今回の検察OBの行動にしても、その勇気に拍手すべき面もあるが、反面では、検察の論理そのものも検証・批判の対象とすべきだという視点も欠かせない。内閣・首相によるごり押しを批判するあまり、安易な検察賛美に流されることは避けなければならない。(廣)案内へ戻る


 目ざすべきは当事者主権!――監視国家・劇場政治はゴメンだ!――

 この5月後半、全国に出されていた新型インフル特措法にもとずく緊急事態宣言は、感染者の減少などで順次解消された。

 この間、都市圏を中心に、逼迫する医療現場や街中、それに各家庭での日々の生活を含め、日本全国で日常生活は一変した。また、この間の政治のフィールドにおいても、いくつかの特徴的な動きが目立った。第二波、三波の到来という注意喚起があるとはいえ、そのいくつかについて振り返ってみたい。

◆デマ、あるいは警察国家

 今回の新型コロナ感染拡大でも、というべきか、あちこちでデマ、流言飛語が振りまかれた。初期の「トイレットペーパーがなくなる」といったものから、「どこそこで感染者が出た」「感染者がコンビニや居酒屋を8軒もはしごしてウィルスをまき散らした」として、立ち寄った店名を掲示板に載せるという、根も葉もないデマが拡散された。あるいは「公園でカップルがいちゃついている」「自粛せず開いている店がある」「公園で親子が遊んでいる」など警察への通報も増えたという。また、「ゴミ。」「死ね。」「許さない。」等々。要するに「自粛警察」「自粛ポリス」が蔓延しているのだという。

 なぜ増えているのか。新型コロナへの不安を背景に、攻撃対象を作ることで自己肯定感を得たいという狭量さからくるものだとの見方も出ている。

 その不安と狭量さが暴力的な攻撃性へと暴発するのは悪夢だ。あの関東大震災時の朝鮮人虐殺も同じ構図だった。地獄絵の中での「不逞鮮人(朝鮮人の蔑称)が井戸に毒を流した」「朝鮮人が略奪・放火している」などと言うデマがあっという間に拡がり、集団虐殺まで引き起こしたことは忘れることはできない。私自身も、当時、なぜそこまで暴発したのか体感しきれない面もあった。が、今回の新型コロナでのデマの拡散とその攻撃性に接すると、あの在特会による意図的な政治的排外スピーチとは違った意味で、思わずゾッとしてしまう。

 なぜそう感じるのかと言えば、今回の事例とほぼ100年前の朝鮮人虐殺事件をめぐる構図が重なって見えるからだ。

◆相乗効果

 今回も、SNS上でのデマの拡散だけだったらまだそこまで考えるのは大げさかもしれない。しかし、それが自治体広報や警察行動と相乗作用したらどうなるか。戒厳令下の朝鮮人虐殺では、当初、「デマ―流言蜚語」は官憲も流して(張り紙などで)いたし、それに自警団の攻撃的行動が誘導された面もある。いはば、官憲の誘導と自警団の恐怖心が相乗して虐殺が一気に拡がったわけだ。

 今回の緊急事態宣言でも、自治体職員による繁華街での自粛広報がおこなわれ、また警察庁も5月8日、繁華街でのパトロールを強化するよう都道府県警察に指示を出し、自粛パトロールをあちこちで展開した。警察官職務執行法に基づく「職務質問」は自制したと言うが、自粛要請という「声かけ」が実施された。

 朝鮮虐殺時の官憲の行動と今回の警察官による「声かけ」を同等と見なすことはできない。が、自粛という名の統制とそれを周知徹底する行政・警察のデモンストレーションが、SNS上のデマと相乗効果をもたらしたことは否定できない。それに、感染状況がパニック的に深刻化した場合、デマと他者への攻撃性が店舗の打ち壊しなど現実の暴力行為へと暴発する可能性はないとはいえないのだ。

 同じような相乗効果は、より大規模に事態を動かす場合もある。戦前の国家総動員体制や国民精神総動員では、当時の近衛内閣や軍部が推進したものだが、もっと強行策が必要だ、政府は何をやっているのだ、等々、野党や在野の声も動員されたという経緯がある。

 今回の新型コロナでも、緊急事態宣言は遅かった、自粛要請・自粛指示では弱すぎる、営業停止命令と補償のセットが必要だ、ロックダウン――都市封鎖もあり得る等々、様々な強行策を求める声が飛び交った。

 今回のような感染症の広がりという現実に対しては、人々の物理的行動規制が必要な場面も当然出てくる。が、そこで必要になるのは、自粛警察や監視国家ではない。政府や自治体に対する情報公開要求と行政監視、生活者の権利擁護だ。「緊急時だから政府や知事を批判するな」というのとまったく正反対のことが重要なのだ。

◆再演される劇場政治?

 今回の新型コロナで浮かび上がったものに、表舞台に登場した各自治体の首長の姿がある。政府に先駆けて自治体版の緊急事態宣言を発出した北海道の鈴木知事、自粛要請とあわせ出口戦略をセットで示した「大阪モデル」を発信した大阪府の吉村知事、「支援金」や「ロックダウン」「東京アラート」と政府を突き上げたり横文字言葉を連発した東京都の小池知事などだ。

 首長が新型コロナ対策の表舞台に登場したのは、政府(首相)は緊急事態宣言の発出、首長が自粛要請・指示の権限、という特措法の組み立てそのものによるものだった。ただし、基本的対処方針で「国との協議」が入り、分担が不明確になったことで、混乱や軋轢もあったし、主役競争、リーダーシップ競争、有能な指導者像での競い合いも繰り広げられた。まるでかつての小泉劇場の再現かと思わせるものだった。

 特に東京都の小池知事は、東京オリ・パラの延長が決まった3月24日まではオリ・パラ開催が最優先。延期が決まってからは態度を一変させ、毎日新型コロナ対策でのスポークスマン役でメディアでの露出が最優先だった。本人は否定するだろうが、むろん、7月の都知事選の選挙運動を意識したものだった。

 住民は危機に遭遇したとき、強いリーダーや賢明な対処策を求めるのは、一面で当然だ。しかし、それは反面で英雄待望論的な権力者への依存を強める面もある。先に挙げた首長の間での人気投票まがいの世論調査もおこなわれている。

 いまさら指摘するまでもないが、いま重要なのは、そうした英雄待望論ではなく、あくまでも当事者主権の確立にある。幸いというか、現在の特措法は、行動規制の権限は自治体の首長に持たせている。その点、個々の地域、個々の自治体の方が、権力監視がしやすい。選挙時ばかりでなく、日常的にも知事への注文や批判などの監視を強める必要がある。あくまで当事者である住民・有権者による中央と地方政府に対する大衆的・民主的な統制が大事なのだ。(廣)案内へ戻る


 新型コロナ第一波の中間総括と第二波への備え(PCR検査遅れの問題を中心に)

 新型コロナの感染者数の勢いはいったん「ピークを超えた」とされ、政府は緊急事態の段階的解除に動き始めた。このまま収束に向かうか再燃するか、現時点では予断を許さないし、過去のパンデミックが第二波、第三派にみまわれたことを踏まえるなら、ここで中間的な総括をしておく必要はある。論点は多岐にわたるが、日本に特徴的であった「PCR検査の遅れ」の問題に絞って考えてみたい。

●どこで間違ったのか?

 「いったい、どこで間違ったのか?」(『毎日新聞』より)
この問いは、五月の連休明けの緊急時代解除が見通せず「一か月延長」と安倍政権が表明したとき、多くの人々が抱いたのと同じだろう。

 四月七日の「緊急事態宣言」の際、政府は「連休明けには何とか収束」と期待していた。ところが新規感染者数は、高止まりで推移した。全国知事会から「緊急事態の延長を」と要請が上がったのも「状況を読み違えた」(政府関係者)という。さらに「三七・五度が四日以上」という基準により、PCR検査をなかなか受けさせてもらえず、手遅れとなって社員寮で死亡した事件が報じられた。もはや政府の対策に「間違い」があったのは明らかだが、いったいそれは「どこから」か?

●つぎこんでこなかった

 その「どこから?」を考えるため、以前紹介した専門家会議の座談会を再度引用しよう。

 司会「2月末までの日本の対応は、過去の感染症流行の経験を踏まえたものといえるでしょうか。」

 押谷仁「2003年に流行したSARSの大きな流行があった地域は、きちんとした対応がとれるようになっているところが多いです。具体的にはシンガポールや香港、中国。そうした国々と日本の対応能力の違いはかなりあります。日本はこうした感染症への対策に必ずしもリソースをつぎこんできませんでした。

 たとえば、シンガポールはPCRのキャパシティがすごいです。人口が約560万人で東京23区の6割くらいしかないのに、ほとんど全ての病院でPCRのシステムを持っている。そのため、感染経路を最初から可視化できていました。多分、シンガポールはそう遠くなくこのウィルスのかなりの部分を終息させる可能性が出てきていると思われます。」(『日経サイエンス』5月号)

 韓国や台湾も同様の体制があったことは、すでによく知られている。つまり、日本はスタートラインで「一周遅れ」だったわけだ。

 日本も二〇〇三年の「SARS」を経験しなかったわけではない。当時の医療機関は専門外来を設置し、それなりの体制をとった。結果としてSARS感染者が確認されなかっただけだ。この経験を真剣に総括し、海外の事例からも学び、次にそなえて対策を立てることはできたはずだ。感染対策の渦中にありWHOのスタッフとして海外で活躍した関係者の経験は活かせただろうし、感染症学会としても「海外並みのPCR体制の確立」を提言すべきだったろうし、厚労省もその努力をすべきだったろう。

●声が起こらなかった

 ところが五月四日の「提言」で専門家会議はこんなことを述べたという。

 「新型コロナウィルスのPCR検査(遺伝子検査)が海外と比べて少ない理由について、政府の専門家会議は4日、重症急性呼吸器症候群(SARS)などを経験せず、新しい病原体を想定した検査体制が十分に整備されていなかったことなどが原因との見解を発表した。韓国ではSARSなどの経験から検査体制を拡充したが、日本では感染者が確認されず、同会議は「(検査を担う)地方衛生研究所の体制拡充を求める声が起こらなかった」と指摘。新型コロナの感染拡大後は、検査を実施するかを判断する保健所が患者らの相談対応で忙殺され、検体を採取する医師の感染防護具も不足していたことなどを挙げた。」(『日本経済新聞』五月五日)

 「今さら何を!」と憤らざるを得ないのは筆者だけだろうか?第一に、「声が起こらなかった」と他人事のように言うが、専門家会議のメンバーはSARS当時、WHOの委員等も経験し、海外事例も熟知していたのであり、真っ先に「声を起こすべき」立場にあったのではないのか?

 第二に「新型コロナの感染拡大」直後の二月段階でも遅くないから「PCR体制確立」を緊急に強力に実施するよう、声を大にして提言すべきではなかったか?それをせずに「保健所は忙殺され」「医師の防護具も不足」していたのに、手をこまねいていた。

 二重の意味で「今さら何を!」と言いたい。

冒頭の「どこで間違ったのか?」の問いに対しては、それは二度あったということだ。第一は、SARSを踏まえた海外並みの対策を、これまで怠ってきたこと。第二は、今回緊急に海外並みの体制に引上げるため、強力なテコ入れを本気で実施してこなかったことだ。

●やる気が無かったわけでは

 安倍首相はPCR体制について「やる気が無かったわけではない」と述べたというが、言葉の選び方を間違っていないか?そういう言葉は、聞いた側には「全く『無かった』わけではないかもしれないが、すごく『あった』わけでもなかったのか」と受け取られる。

 なるほど、国会では「一日二万件の体制を目指している」等と答弁していた。だが言うばかりで実効は上がらないまま推移し、世間の目は「いつもの、やってる感か?」と冷ややかだった。

 「民間の検査センターに委託できるよう保険点数を設けた」というが、そんな簡単なものではないことを、どれだけ理解していたのか疑問だ。

 まずコロナ疑いの患者から検体採取する際も、感染防止の専用診察室で防護服着用で行い、厳重に梱包しなければならない。次に検査機関の集配スタッフは感染専用のクーラーボックスを携帯し「別立て」で医療機関を回らなければならない。さらに検査機関に運ばれた検体の仕分けも、陰圧の二重扉で仕切られたスペースで「別立て」で行なわなければならない。もちろん検査機器も一般とは別の陰圧の検査室に設置し、技師は防護服を着て専用の陰圧作業台で作業しなければならない。そして検査後の検体は、専用のフリーザーに保管し、再検査に対応し保管記録を入力しなければならない。

 これらに携わる人員の確保や施設・設備の改修工事も必要になる。当然そのための財政措置が緊急に必要になる。そのためのヒアリングなど「真剣な努力」をしたのかどうか?言うだけでは「やる気がなかった」のと変わらないのではないか?

●責任転嫁してない

 加藤厚労相は「責任転嫁していない」と言い張った。

問題の「三七・五度が四日以上」の基準は撤回されたが、それは「四日を待たずに、という意味だった」と強弁したことに、国会で「国民が誤解したのが悪いかのような言い方だ」「責任転嫁ではないか」と追及されたことに対してだ。

ただ、ひとつ明らかになったのは、これまで検査抑制を正当化してきた「安易に病院に行くと感染を拡大させる」とか「患者が殺到して医療崩壊が起きる」とかの「理由」が、結局は検査体制が整わないことを覆い隠す「詭弁」であったと、多くの国民が気づいたことだ。責任を認めず、反省もせず・・・「またいつもの対応か?」多くの国民はため息をつく。だが、それではすまされない!

●過ちを正しく把握

国立感染症研究所の黒田誠・ゲノム解析センター長は「過ちを正しく把握する必要がある」と話した(『日経新聞』五月十七日)。

同じことはPCR検査についても言えるだろう。今からでも遅くない。韓国や台湾の経験に学び、地方自治体の自主的なドライブスルー等の先行例を取り入れ、各地の大学医学部の教授達の批判や提言に耳を傾け、これまでの過ちをただしてPCR体制の確立を緊急に行なうべきだ。

それは、第一波からの適切な出口戦略の科学的指標のためでもあるし、心配される「第二波」に有効に備えるためでもある。アメリカのジョンホプキンズ大学等は、繰り返し「第二波の可能性」を警告している。仮にそれが「杞憂」に終わったとしても、地球規模における野生動物の棲息環境の破壊や、生物多様性を無視した工業的大量畜産のしくみが続く限り、次の新種のパンデミックの蓋然性は高いと言わなければならない。

「過ちを認めない政府」に何を期待してもムダだということは分かった(森友・加計・桜の会・検事長人事と同じだった!)。であるならば市民の側から「政府の何が間違っていたか」を突きつけ、「今何が必要か」を提言し要求していこう!(松本誠也)案内へ戻る


 読書室  副島隆彦氏著『もうすぐ世界恐慌 そしてハイパー(超)インフレが襲い来る』(徳間書店2020年4月刊)

 私たちが現代資本主義を考える上で重要な事がある。それは世界を覆い尽くす資本主義が現状どんな段階にあるのかの認識である。マルクスによれば資本主義の成長には産業循環が不可欠の契機である。それ故に資本主義は、久留間鮫造氏の解説によると中位の活況・生産過程の弾力化の増大・商業資本と信用制度による資本の制限を乗り越える拡大・生産の突然の膨張・突発的な収縮・恐慌への突入・長く続く不況の、産業循環の諸局面がある。さらに成熟期の資本主義は諸資本の拡大にもかかわらず、利潤率の傾向的低下の法則に絡め取られるが、個別資本は利潤の質を利潤量の拡大で逃れようとする傾向が生ずる。

 翻って現代の世界資本主義の現状を見れば、まさに産業育成による成長ではなく金融市場の徹底利用による経済成長をめざす。そして2008年のリーマンショックの大不況後には信用制度の拡充とその金融工学によって作られた各種の怪しげな債券が発明された。日本政府を始めとして世界各国は、紙幣を印刷機をフル稼働させ、今や無制限に刷り散らしいる。まさに世界にジャブジャブ・マネーが世界的に溢れかえっている現状にある。

 副島氏も第4章で孫正義氏とカルロス・ゴーン氏をこの時代の寵児として取り上げた。コーン氏についてはここでは省略するが、孫氏は携帯電話会社ではなく今は世界的な投資会社のリーダーへと変貌した。その彼が巨額の負債にまみれ、今日の話題となっている。

 このような金融情勢下の現代資本主義の現状は、本書より約一ヶ月前に出版された黒川敦彦氏の『ソフトバンク崩壊の恐怖と農中・ゆうちょに迫る金融危機』に活写されている。

 そうした中で今回降って湧いた世界的なコロナ・パンデミックが出来した。世界的に経済活動は大きく阻害された。その結果、考えたこともない原油相場の大暴落が出来した。これにより金融工学で作られていた各種の「ハイリスク・ノーリターン債」の全面崩壊が始まった。この結果、世界的にもコロナ対策の必要性が声高に叫ばれ始めたのである。

 そして我が日本では、緊急に必要なコロナ対策の救済策として、金融市場を始めとして、潰れかかった民間企業、個々の商店や芸術家やフリーター等にまで百万・十万単位の紙幣を配ろうとしている。ここで副島氏は、直接は現代貨幣論(MMT)に触れはしないものの、この政策を理論的に裏付ける思想に対して、やがてこれがハイパー・インフレを引き起こすと喝破している。貨幣を際限なく発行すれば、貨幣価値の大暴落は必然のこと。

 また金融工学で作られた各種の投資信託を買い込んだ農林中金始め日本の地銀や生保会社は、今度の株式及び債券のコロナ大暴落で、またまたヒドい大損害を出したのである。

 この原油暴落発によるハイリスク債の値崩れが、各国の国債の信用をこれから突き上げる。こうして約8年間続いたアベノミクスと名付けられた安倍の「資産バブル経済」(アベ・アセット・バブル・エコノミー)は、コロナ危機で最終的に終わったのである。

 世界大恐慌突入を目前にして、各国は統制経済に移行する準備中だ。「ショック・ドクトリン」である。これは「大災害のショックで民衆の脳を支配せよ」という悪の統治技術で、別名を“disaster capitalism”「ディザスター・キャピタリズム」、日本語では「大惨事便乗型資本主義」と言うのである。最初に言ったのはカナダのナオミ・クラインである。

 では本書の構成を目次で紹介する。

 まえがき
 第1章 コロナ大暴落に翻弄される世界
 第2章 金を買う人だけが生き残る
 第3章 世界経済はどこまで破壊されるのか
 第4章 インチキ経済の化けの皮が剥がされる
 第5章 コロナウイルス恐るるに足らず
 あとがき

 副島氏の本書での注目すべき主張は、大きく纏めれば以下の7つのことになる。

 1.新型コロナウイルスの所為で、3月に株の世界的大暴落が連続して起きた。とりわけ3月16日(月)にNY(ニューヨーク)の株が、1日で2997ドル(瞬間では3068ドル)下落した。歴史に残る大暴落だ。そして3月24日から一旦は下げどまった。各国の政府が協調して買い支えて暴落を喰い止めた。政府と中央銀行が株を買いまくるのだから権力者相場である。とても自由主義国がやることではない。恥を知るべきだ。

 2.3月コロナ大暴落は、明らかに世界大恐慌(ワールド・グレイト・デプレッション)への突入の合図、前兆である。それは、本格的にはいつ起きるのか。

 3.世界大恐慌はハイパー(超)インフレ(ーション)を誘発する。超インフレは、ただの消費者物価高騰として現われるのではない。生活物資は、あり余るほどの過剰な生産設備(サープラス・プロダクティヴィティ)によって支えられている。

 今度のハイパー・インフレは金融秩序(マネタリー)と政府の財政(ファイナンス)の、この2つの崩壊として現われる。その予兆と証拠は、「2024年に切り替わる」「渋沢栄一の新一万円札」である。この時、新一万円は、千円に「通貨単位の変更」、即ち「リデノミネイション」が断行される。これが日本国家のハイパー・インフレ対策である。

 4.新札切り替えと同時に預金封鎖(バンク・アカウント・クランプダウン)も同時に行われる。おそらくその時、「一つの世帯(家族)で、月に一回、五百万円しか引き下おろせません。これは生活費です」となる。この時金融恐慌はすでに起きている。富裕層(金持ち)に打撃がくる。

 5.世界中の原クルード・オイル油価格の暴落(3月9日)が、株の大暴落を誘発した。今、原油は1バーレル(158リットル)=20ドルである。原油の暴落がハイイールド債ポンドの暴落を呼び、これを買わされてきた農林中金始め日本の地銀や生保の崩れが政府の財政崩壊につながり、そして世界大恐慌に連結するのである。

 6.だから今のうちに急いで金を買いなさいなのである。

 7.今度の「中国武漢(ウーハン)に発生した新型コロナウイルスは、アメリカ軍の中の強硬派が撒いた(去年10月に)」論を、徹底的に書いた。安倍首相が、4月8日から発令した「緊急事態宣言」(3月8日の特別措置法の改正に基づく)は、民衆(国民)を脅して、恐怖に陥れて、それで自分たち権力者、支配者が新しい国家統制体制に移行しようとしている。その予行演習(ドリル)である。

 現在、新型コロナウイルスはどこから来たかで、アメリカと中国は激しい舌戦を繰り返している。日本の反中国派はアメリカの応援団宜しく中国批判を繰り返している。そんな中にあって副島氏は、従来通りの断固たるアメリカ起源説に立って熱弁を振るっている。
 読者の皆様は、本書の第5章を良く読んで自分の判断を纏めるよう、薦めたい。(直木)案内へ戻る


 コロナ禍に思う

 ● 人々は強いリーダーシップを求めたがるが!

 5月18日の神戸新聞に劇作家の平田オリザ氏の「コロナ禍が問うもの」と題する長文が掲載された。客員論説委員として、21世紀の進路を探る論考だ。その内容は、過日亡くなった別役実氏が宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」の詩の表題のくだりより、「日照リノ時ハ涙ヲ流シ、寒サノ夏ハオロオロ歩キ」が好きだと言ったことを紹介し、次のように書いている。

「今テレビでは連日、ポピュリストと目されてきた首長や元首長たちの勇ましい言葉が飛び交っている。もちろん知事や市長が『オロオロ歩キ』では困る。だが、勇ましい言葉を語ったところでウイルスが死滅してくれるわけでもない」

 強いリーダーはその権威を維持するために時に間違った道を進むことがある、ポピュリズムの特徴は分かりやすい敵をつくること、ポピュリストの政治家は自分を非エリートのリーダーと位置付け激しい言葉で既得権益を持ったエリート層を罵倒する、・・・

 これらの指摘がだれを批判するものか言う必要もないだろう。「ここ10年ほど、日本では、その矛先は公務員に向かっていた。ポピュリズムは新自由主義と相性がいいので、図書館や文化施設、あるいは労組や病院なども、その標的となった」と、維新による大阪の荒廃を描写している。

 平田氏は、吉村知事とその背後にある橋下氏がもてはやされている〝秘密〟を解き明かしているのだ。誰よりも強い言葉を発するものが喝采を浴びる、まさにポピュリズムのまがまがしい風が、テレビの映像を背に吹き荒れようとしている。こんな時だからこそ、平田氏は「苦しみに寄り添い涙する心」こそが求められているのだと強調するのだ。

 この言葉は、石牟礼道子さんの水俣病患者に「悶え加勢する」という言葉に通じているように思う。患者の苦しい言葉を聞いても自分は何もできない、治療できない水俣病に対して苦しむ患者に対して自分は無力だと感じる。水俣病センター相思社の永野三智さんは、「自分の無力さ加減に、時々泣きたくなることがある」と石牟礼道子さんに話した時の応答を紹介している。

「悶え加勢しているのですね。悶え加勢するということが、昔は水俣でもよく有りよりました」「人が悶え苦しみよらすとき、あたふたとその人の前を行ったり来たり、一緒になって悶えるだけで、その人は少し楽になる」(「ごんずい」128号・2013年2月)

この言葉を聞いて、永野さんも少し楽になったという。

 コロナ禍が収束したらV字回復だという輩がいるが、飛んでもない。コロナの蔓延によって否定された地点に戻ってどうする、着地点はどこか、何が否定されたのか、しっかり考えないと、強い言葉を発するポピュリストを登場を許してしまう。何と危ういことだろう。

 ● 水俣病公式確認64年、いまだ真相は闇に!

 同じ日の神戸新聞が水俣病64年、「救済の流れを止めるな」との社説を掲載した。水俣病の〝公式確認〟は1956年5月1日とされている。社説は、熊本県知事や環境相らが出席して行われる水俣市主催の慰霊祭が今年は延期となったという書き出しで、次のように指摘している。

「水俣病は被害者救済の問題がいまだ解決していない。患者認定や未認定被害者の救済策から漏れた人たちの訴訟が、各地で続いている」「その一つ、胎児期や幼少期の被害を訴え、未認定の8人が国や熊本県、原因企業のチッソに計約3億円の損害賠償を請求した訴訟は今年3月、福岡高裁で全面敗訴した。司法はこれまで救済の道を開いてきたが、逆に厚い壁となった」

 5月1日の患者団体による慰霊祭に出席した弁護団長は、「水俣病の実態をきちんと分かっていない裁判官が出した判決だ。今後も闘っていく」と語ったという。あれもこれもどこもかしこも、だれもかれも我が身大事、この体たらくだ。

 水俣病は食中毒であり、その原因物質はチッソが垂れ流した有機水銀。実に単純な事件であり、厚生省が組織した食品衛生調査会水俣食中毒部会も59年10月に有機氏水銀中毒説を厚生省に答申したが、その直後に解散させられ、チッソは68年まで9年間も排水を流し続けた。

 ことの真相を隠し、人命よる企業利益を優先し、被害実態を闇に葬る。企業城下町の被害者がどのような生活を強いられてきたか、水俣病告発の歴史が如実に物語っている。水俣病は有機水銀で汚染された魚介類を食べたことによって発症するものであり、地域の全住民の健康調査をすれば被害事実は明らかになる。

 いま、コロナ禍の下の生活の困難はなによりわが身が感染しているのかいないのか分からないこと、国家が分からなくしながら〝自粛〟を強要していること。子どもたちに学校に行くな、友達と遊ぶなというのは、ほとんど虐待ではないか。情報が隠蔽されたなかで「正しく恐れる」ってどういうことか、私にはわからない。
 (折口晴夫)


 コラムの窓・・・読書は続く、チッソは海南島でも略奪していた編!

 長い積ん読の習慣を反省し、古い資料の山から何冊か引っ張り出してみました。出てきたのは「海南島で日本は何をしたのか」(パトローネ特集号)、2005年の発行とあります。海南島で日本政府・日本軍・日本企業が行った侵略に関する「現地調査」報告(2002年春)にチッソの名前が出てきます。

 一行は「日本窒素が鉄鉱資源を略奪していた石碌鉱山のある石碌鎮についた日、私たちは日本窒素が作った発電所跡を見ようとして郊外の石碌ダムに行った」が、目的のダムはここではなく翌日、目的の発電所跡を見学しています。

「海南島の石碌鉱山を経営していたのは日本窒素であり、鉱山関係施設建設を行ったのは西松組(現、西松建設)であった。西松組は、日本窒素が全額出資した鴨緑江の水豊ダム建設工事を担当した」「日本では、滋賀県木本の土倉鉱山(銅鉱山)を日窒鉱業が経営し、西松組が関係施設の建設を行っていた。日窒鉱業は、朝鮮の鉱物資源を奪うために1929年に設立された朝鮮鉱業開発が1940年に改名した植民地企業であった」

 1939年2月、海南島はアジア・太平洋地域への侵略拠点として日本軍に占領され、1941年12月8日未明マラヤのコタパルを奇襲した日本軍はここから出港しました。ここでもまた虐殺を、島民の抵抗に対して「日本軍は、抗日軍の兵站を破壊しようとして、海南島内各地の村落を襲撃し、住民虐殺と略奪をくりかえしました」

 ところで、海南島には「朝鮮村」がありました。これは「南方派遣朝鮮報国隊」と称して、朝鮮の獄中者を刑期の短縮という条件で不足する労働力を補うために連行しています。8次にわたって2000人以上が連行され、逃げたら銃で撃ち殺され、捕まったら逆さに吊るされ殺されたりもしています。

 海南島へは、「神戸・南京をむすぶ会」が2011年に訪れています。残念ながら、私が初めてこのフィールドワークに参加したのは2012年なので、海南島には行き損ねています。ちなみに、私の娘がなぜかこの年の学生優遇枠で参加したことを、今でも羨ましく思い出します。団長の宮内陽子さんが「日中戦争の旅-加害の歴史・被害の歴史」(合同出版)のなかで「海南島(第15次)」として触れています。

「翌日、島の西の八所港まで行きました。八所は日本窒素が収奪した石碌鉱山の鉄鉱石を積み出すために、日本軍が西松組と共に築いた港です。鉱山の採掘はもちろん港も、港までの鉄道も、やはり強制連行した人々に造らせました」「海南島の土木工事のほとんどは、中国人、朝鮮人、連合国軍(イギリス、オーストラリア、イギリス領インドなど)捕虜の強制労働で行われました。酷使され亡くなった人々は万人坑に捨てられました」

 今も生き抜く戦犯企業の共同犯罪といったところでしょうか、西松もチッソも馴染みの名前です。よく、占領時にいいこともした、その後の発展に寄与した、という言葉を聞きます。鉄道やダムなど、日本軍の敗退後に活躍、経済発展に寄与したとかいう話です。

 そうしたインフラが全く役に立たなかった、とは言い切れないものもがあるでしょう。しかし、そのことをもって植民地支配が免罪されると思うのは悪意ある勘違いであり、加害者が〝不可逆的決着〟を言い立てる傲慢にすぎないのではないでしょうか。 (晴)案内へ戻る


 シリーズ「小さな旅」(第3回)・・・明石海人の歌碑を訪ねて「長島愛生園」へ!

 604号(「小さな旅」第2回)に、ハンセン病歌人として有名な静岡出身の明石海人の事を知り、明石歌人が住んでいた長島愛生園を訪ねてみたいと書きました。

 昨年末ようやくチャンスが訪れた。九州で出かけた帰り、岡山県瀬戸内市の瀬戸内海に浮かぶ長島にある国立ハンセン病療養所・長島愛生園を訪ねました。

 新幹線で博多から岡山駅まで来て、JR赤穂線に乗り代えて邑久駅で下車。長島行きのバスは日に数本しかないので、ここからはレンタカーで行った。

 約25キロの道のりをレンタカーで走り、長島の入り口に到着。そこに、本土と長島を結ぶ大きな「邑久長島大橋」が架かっている。療養所の入所者の架橋運動により1988年に完成。島外との交流の架け橋となり「人間回復の橋」と呼ばれている。聞けば、それまでは島に行くには小舟に乗って渡るしかなかったと言う。

 「邑久長島大橋」のおかげでレンタカーで簡単に島に渡り、長島愛生園に到着し園の事務所で事前予約の確認と他の団体と一緒となる見学を了解し、「歴史館の常設展示室」に入り見学した。

 前から、なぜ「国立ハンセン病療養所」がこのようなへき地の島に次々に建設されたのか?疑問を持っていたが、今度の見学でその事がようやく理解できた。

 時はさかのぼり、1931年(昭和6年)3月25日未明、東京府北多磨郡東村山(現・東村山市)の全生病院(現・多磨全生園)から、81人(初代園長となる光田健輔が、患者たちの模範になると見なした人を選んだ)のハンセン病患者と数人の職員が、ひそかに貨物列車に連結された2両の客車に乗って大阪をめざした。患者たちは一般の列車に乗れず、貨物と同じ扱いで運ばれた。途中、品川までは客車のブラインドは閉まったままだった。終点の大阪の桜島に着いたのは翌26日の午後7時45分。なんと40時間もかかった列車の移動であった。そして、地元の混乱を避けるため、患者は大阪天保山から海路船で瀬戸内海の長島の「収容桟橋」に到着したのである。

 東村山の全生病院は、明治末期に開設されたハンセン病患者の公立療養所だったが、隔離政策を嫌がる患者の脱走が多かったことから、院長の光田健輔が離島に患者をまるごと隔離する政策を打ち出した。その結果、1930年11月岡山県の長島に長島愛生園が開設された。

 1931年には「癩予防法」が施行され、国が主導して全国でハンセン病患者の強制隔離を行うようになった。この光田健輔の長島愛生園がまさに模範となって、全国に国立の療養所が各地に建設され、すべての患者の強制隔離が進められていった。

 その後、歴史館外の史跡を歩きながら見学した。

 「収容桟橋」→入所者は一般道路ではなく船で収容され、家族・一般社会との別れの場所となった。なお、別に「職員用桟橋」も造られたと言う。

 「収容所(回春寮)」→入所直後に収容された回春寮で消毒風呂への入浴。持ち物の消毒が行われた。

 「納骨堂」→引き取り手のない3600人を超える遺骨が眠っている。

 「目白寮跡」→ここで暮らしていた歌人・明石海人の歌碑を訪れた。

 明石海人の簡単な生い立ちについては、604号の「小さな旅・第2回」に書いたが、今回長島愛生園を訪ねてわかった事がある。

 沼津でハンセン病になり当初は自宅療養に努めたが、その後実家の経済的支援のもと、考えられる限りの治療を求めて、紀州粉河の佐野病院や、明石・楽生病院 などで治療に励んだが。明石・楽生病院での治療生活も症状の悪化で希望の光の見いだすことが出来なかった。

 結局、海人は入所していた明石・楽生病院から看護手に担架で運ばれて(とても一人で歩けないほど衰弱していた)、1932年 (昭和7年)に開園間もなかった国立ハンセン療養所長島愛生園に入所した。

 海人は入所後、1932年 から翌1933年にかけて精神錯乱を起こし。このままでは監禁状態を強いられる謹慎室に入れられることを恐れた松村らの病友の特別看護で救われ、毎晩のように裸になって山野を徘徊したりの異常行動等を繰り返していた海人が、次第に落ち着きを取り戻していく。

 回復後の1933年12月にはキリスト教に入信、洗礼を受けた。海人は入所後から、俳句、短歌、詩、エッセイ、小説などの創作に励んだが、重点は次第に短歌へと移り、次々に作品を発表。1939年に歌集「白描」がベストセラーになる。同年6月9日に37歳で亡くなる。

 明石海人の主治医をされていた女医さんは晩年に「私は明石海人を見た時、長身で色白、天才肌で眼光がすわり、豊かな感受性から発する特異な風貌、高い境地に達した人格など一言で言えば、弘法大師とはこういうお姿だったのではないかしらと思いました。」と述べている。

 最後に、長島愛生園の入所者の方から「現在の入所者は145人、平均年齢は86歳を超えている。自治会活動などを通じて元気よく生活しています。人権研修の場として光明園とともに世界遺産登録をめざしています」との話も聞くことが出来た。
 次の「第4号」は、同じ長島にある別の「邑久光明園」の報告をする。(富田英司)


 「エイジの沖縄通信」(NO71) ★「沖縄の本土復帰から48年、本土の課題とは!」

 5月15日は、沖縄の「本土復帰記念日」である。

 毎年、この5月15日に合わせて全国からの海外からの参加者を含めて「5.15平和行進」と「県民大会」が取り組まれてきた。しかし、今年はコロナウイルス感染拡大の影響で始めて中止となった。私も現役時代から、何度もこの「5.15平和行進」「県民大会」に参加してきたので、中止はとても残念である。

 この「沖縄の本土復帰」に関して、沖縄の知人から次の様な報告が届いた。

 『1972年の沖縄返還、沖縄の本土復帰から48年となる。米軍政下の四半世紀の倍近い期間、沖縄の復帰後が経過したことになる。

 この48年間で、沖縄は変わったこともあり、変わらなかったこともある。人口は1972年の96万人から145万人に増えた。平均すると1年に1万人増えた計算だ。

 観光客は55万人から1,000万人時代にへと約20倍近く拡大した。県経済の軍事基地依存度は、約15%から5%に低下したが、近年また6%程度に上昇しているという。 辺野古新基地建設のためだが、沖縄防衛局の工事の50%以上が本土企業で県外に流れる構造になっている。1人当たり県民所得、失業率、高校大学進学率などは依然として全国最下位近くから抜け出ることができない。

 沖縄がダントツで全国一が2つある。1つは出生率である。大分下がって来ているが、2018年で1.89はやはり全国一であり、社会の健全な在り方の1つの指標と言ってよいだろう。もう1つは米軍専用施設であり、多くの人は意外に感じるだろうが、復帰時の58.7%から70.3%に拡大した。米軍の再編過程で、沖縄基地の日本全国での比重はかえって増えたことになる。負担軽減とは何か。政治の嘘を示す言葉だ。

 米陸・海・空・海兵隊の4軍の軍人・軍属・家族合わせて5万人が、米軍基地内外に、住民登録なしに暮らし、事件事故、犯罪、騒音、環境汚染を生み出し続けている。復帰後48年の間に、米軍機・ヘリコプターの墜落事故は1年に1回の割合で発生している。何時どこに落ちるかわからないが、海上、山中、大学、海岸などに落ちた。必ずどこかに落ちる。こんなに危険なことはない。

 米軍の犯罪は復帰後6,000件以上にのぼる。普天間基地と嘉手納基地からの騒音や有害物質の流出はとどまることがない。その上に日本政府は与那国、石垣、宮古、沖縄、奄美での自衛隊基地建設を住民の反対を押し切って強行している。

 復帰後48年になるにもかかわらず、こうした沖縄の現状は、沖縄を軍事利用する日本の政治の貧困・堕落を示すものに他ならない。沖縄は中央政府の道具ではない。沖縄をこうした状態にしている日本の政治を変えなければならない。変える事の出来る権限も責任も日本国民にある。5.15の復帰記念日を機に、沖縄県民に寄り添い、県民ぐるみの要望を実現する日本政府をつくる道筋を考えよう。その様な日本政府とは沖縄県民との連合政府でなければならない。そうでなければ、人口で全国の1%余りにしかならない沖縄は必ず少数派になる運命にある。

 多くの沖縄県民は日本がもっとましな、まともな国だと考えていたのだ。なぜなら、戦争放棄と国民主権、地方自治と民主主義の平和憲法を持っている、世界でもまれな国なのだから。ところが、うわべとは違ってその内実は、虫食い状態。日本は逆に、平和と人権をむしばむ国家になっていた。』

 沖縄の皆さんは「72年の沖縄返還で、ようやく本土に復帰できる」と大きな期待を寄せていた。しかし、その後の経過は「沖縄は日本に期待しすぎて裏切られた」との思いが続いている。

 昨年2月の県民投票の辺野古新基地のための埋立てに関する賛否について、投票率約52%で、賛成が約19%、反対が約72%、どちらでもないが約9%であった。7割以上の県民が辺野古新基地建設にNOを突き付けた。ところが、日本政府・防衛局はこの県民投票の結果をまったく無視して、開票日の翌日も埋立て工事を強行した。

 大浦湾での海底調査が進む中で、大浦湾の「軟弱地盤」の存在(特に、B27地点)が明らかになった。大浦湾の一番深い、このB27地点は海面下90mまで谷埋堆積土(粘性土)が続いていることが判明。土木関係学識者の皆さんは「こんな深い90mの埋立工事は不可能である」と指摘している。

 ところが、政府・防衛局は「海面下70m以深は地盤改良の必要はない」と主張。なぜなら、今までの埋立て工事の作業船は深さ70mまでしかやった事がない。

 このように大浦湾の埋立工事は完全に行き詰まっている。ところが、安倍政権はこうした事実を無視し、大浦湾の埋立て工事を強引に押し進めようとしている。

 沖縄の知人の「沖縄をこうした状態にしている日本の政治を変えなければならない。変える事の出来る権限も責任も日本国民にある」「県民ぐるみの要望を実現する日本政府とは沖縄県民との連合政府でなければならない」との指摘を受けとめ、本土の私たちはそれに答えていく義務と実行力が問われている。
(富田英司)案内へ戻る


 読者からの手紙・・・“危機”は労働者の立場になって。

 新型コロナウィルス解明も不十分で、ウィルス薬の開発もまだだし、第2・第3の流行も予想される中、「わずか1カ月半で今回の流行をほぼ収束させることができた」と安倍晋三首相は25日の記者会見冒頭でそう強調し、新型コロナウイルス対策としての緊急事態宣言を全国で解除した。

 安倍政権の頭にあるのは経済や社会活動の再建があり、それこそ安倍政権を支える利潤追求を本質する資本家達の本心だからである。

 この間、新型コロナウィルス対策で社会活動は停滞し(新型コロナウィルスとの「戦争」と言いながら、人間の生存に必要な社会活動を停止するしか感染の停止や拡大を防ぐ方法が今の人類にはない状態)経済(=利潤追求)活動は停止状態だった。

 社会活動の停滞によりサービス産業等で倒産が相次ぎ、多くの派遣社員・非正規労働者が雇い止めや解雇を宣告され、貯蓄も使い切り、その日の食もままならない状態に陥っており、こうした状態を解消する多くの施策が急務である。

 しかし、安倍政権のアベノミクスからすれば、困窮にあえぐこうした状態に対応する方法は二の次、まず企業の利益を優先し、そのおこぼれを順次配給していくことなので、末端にいる多くの労働者には時間はかかるし、行き渡らないのだ。

 コロナ対策での(安倍政権の第一次)補正予算でも、医療に関する予算より、復興対策“GOTOキャンペーン”の費用が多く計上されているし、引き上げられた「雇用調整助成金」も企業側に支払い権限があり、休業手当の支払いは企業次第なのである。

 世界大恐慌以来の経済危機は資本主義の矛盾の爆発である過剰生産(恐慌)が根底にあるからで、この経済停滞を財政金融政策で先伸ばしてきたが、コロナによる社会活動の停止で一気に噴き出したのだ。

 不必要な防衛予算の削減や、400兆円を超える内部留保を抱える大企業への課税の強化や金融収益への課税強化、所得税の累進性強化など財源を得る方法はあるが、財界・独占資本を代弁する安倍政権は無責任かつ野放図な国債発行(国の借金が1100兆円を超え、国民1人当たり871万円)にのめり込むしか方法を見いだせないだろう。

 そのツケは、将来の消費税増税など労働者大衆に転嫁するしかない。

 財界や独占資本中心の経済・政治を労働者中心にした社会的なシステムを作り出す以外、危機からの活路はない。(M) 


 色鉛筆・・・「沖縄のコロナ禍に思う」

日々家にいて読む沖縄の新聞からは、全国紙には見られない情報が本当に多い。

 2月29日の琉球新報には、政府による突然の臨時休校要請と、一方では保育園や学童保育については、何の対策も準備も無しの今まで通りの開園要請に対して、憤りの声が載せられている。私の小4の孫が通う学童の、主任のコメントもあった。

「(政府は)あまりに乱暴だ。学童の現場を理解していないのではないか」と憤りつつ、小学校が臨時休校となる3月3日以降は、開所時間を2時間前倒しして対応。かさむ人件費等のために「保護者に14日間で6千円の負担を求めることになり、本当に心苦しい」と語る。もともとどこの保育、学童の現場も、ずっとぎりぎりの人員と予算でやりくりしてきている。政府の公的支援無しの要請は、あまりに乱暴に過ぎる。

今沖縄で、小4と4歳児をもち看護師を続けている娘に3月、電話で様子を聞いてみた。 「学童も保育所も預かってくれるけれども、もし自分が職場で感染し、それを子どもを通して預け先にうつしてしまったらと考えると、預けられない。今は夫が仕事を休んで、子どもを見てくれている」とのこと。傍らでは小4が「退屈だー!学童いきたーい!」と叫び、4歳児は在宅がうれしい様子でおしゃべりが止まらない。5月21日、ようやく学校再開となり、久しぶりに学童に行った娘と、主任さんはお互いを見て開口一番『痩せたんじゃないの?』と同時の発言だったと笑う。おのおのに厳しい日々を過ごしている。  コロナ禍は、弱い立場の人々をさらに追いつめている。沖縄の子どもの貧困率は、29.9%(2015年度)で全国の2倍近く、3人に1人が貧困状態。一人親世帯では58.9%にものぼる。「明日の食料も無い」との声が相談所に寄せられるという。政府は、困窮世帯の親の就労を促す対策をすすめているが、非正規などの不安定雇用が多い。日本が先進国を名乗るならば、せめて先進諸国並の公的支援をすべきだ。

学童に子どもを預ける母子家庭の母は、「家計が厳しく、仕事を掛け持ちしているが、いつ終息するか分からないので今後に備え、もう一つ仕事を探して蓄えておかないと。」と語っている。

沖縄は、日本で唯一の地上戦の場とされ、死者は県民の4人に1人にものぼった。雨あられと撃ち込まれた砲弾は、すべてを破壊し尽くし、迎えた戦後も1972年の返還までは、米軍施政下に置かれ、そこから派生する事件事故は、今日になってもなお続く。社会保障、医療、教育、インフラなど本土と比べ大きな格差がある。こうした歴史を持つのは沖縄県だけであり、今日に続く貧困率の高さと、決して無縁ではない。さらなる公的支援を開始すべきだ。

ところが政府による血税の無駄遣いは、辺野古工事関連だけでも数限りが無い。政府が打ち出した辺野古新基地建設費用9,300億円のうち、警備費に約1,700億円(約2割)も見積もっていること。また3月までに沖縄防衛局が、軟弱地盤のためほとんど着工できなかった6件の護岸・岸壁工事の発注打ち切りに伴い、業者に契約金約302億円を支払ったことなど、税金をドブに捨てるも同然の行為は、何のおとがめも無い。全国的に報道されることもほとんど無い。

 それどころか、4月21日に沖縄防衛局が、設計変更申請を県に提出した。そもそもそんな資格など毛頭無いはずだし、コロナ禍の中、県独自の緊急事態宣言が出された翌日とはあきれる。愚劣な税金の浪費は即刻止め、すぐにも貧困救済のためにこそ回すべし。(澄)

  案内へ戻る