ワーカーズ610号(2020/9/1)      案内へ戻る

 安倍政権の〝終わりの終わり〟――当事者自身の闘いで安倍政権を退陣に追い込もう!――

 さきの8月24日、安倍首相の連続在任期間が歴代最長になった。が、これは皮肉にも安倍内閣の〝終わりの終わり〟の様相をもたらした。長期政権を誇った安倍政権がいよいよ終幕を迎えているのだ。

 安倍政権の終幕は、突如として訪れた年初からの新型コロナ渦の拡大で加速された。安倍首相自身の失策が続いたからだ。それ以前からの「モリ・カケ」「桜」「河井克行・案里事案」なども、裁判などで現在進行中だ。内閣支持率も、政権発足以来最低の20%台30%台まで落ち込んでいる。

 失態続きになった最大の理由は「安倍一強」政治の行き詰まりだ。国政選挙での連戦連勝を土台とした、官邸官僚という最側近グループを従えた安倍首相中心の政策運営の限界、綻びでもある。側近政治というのは、安倍一強という独裁政権を維持・延命させることが最優先となる。結局、普通の庶民の感覚から遊離し、忖度最優先の指示待ち官僚組織も機能しない。

 内閣支持率の低迷を受けて自民党内部でも「ポスト安倍」を見込んだ政局がらみの動きも目立ってきた。最近では安倍首相の健康問題も浮上している。

 そんな安倍政権に対し、野党の再結集も進んでいる。9月中旬には150人規模の新野党が結成される。しかし、日米安保堅持、自衛隊合憲、消費税維持など「保守本流」を明言する枝野代表は、野党の立場として自民党との対決姿勢を押し出しているが、実質的には第二保守党だ。野党が増えるのは政権交代の観点からは歓迎だが、その「保守本流政権」に期待することはできない。

 結局、事態を打開するのは、労働者自身の闘いの如何に関わってくる。このコロナ禍で、しわ寄せは多くの業種やその従事者に偏っているが、とりわけ非正規労働者やフリーランスの労働者に雇用危機、生活危機が押し寄せている。現時点でも、休業を余儀なくされた労働者が増えているし、失業状態に追いやられる労働者は、今後も確実に増える。

 こうした事態に対し、政府による財政支出にばかり期待してはいられない。雇用や賃金をめぐる闘いなどで各種ユニオンに加盟しての闘いで成果を上げているケースも多い。企業や政府の雇用責任や生活補償責任を追及することも含め、労働者自身の闘いを拡げることで〝終わりの終わり〟を迎えた安倍政権を退陣に追い込んでいきたい。(廣)


 安倍政権の〝終わりの終わり〟――繰り返すまじ、劇場政治――

 安倍政権の〝終わりの終わり〟の兆しは三方向で表れている。

 一つ目は、安倍内閣の支持率の低下だ。若者、とりわけ30才代の安倍政権離れだ。

 二つ目は、コロナ・ショックによる経済の落ち込みと、コロナ対策での失態続きだ。

 三つ目は、自民党内で政局がらみの動きが加速していることだ。

 付け加えれば、このところの安倍首相の健康問題も加わっている。

◆始まった〝若者〟の安倍離れ

 まず内閣支持率の低下だが、目立つのがこれまで安倍内閣を支えてきた若者の支持率低下だ。

 安倍政権の特徴は、18~20才台や30才台の若者の支持率の堅さに支えられていたことだ。それもあって、これまでも集団的自衛権・安保法制やモリ・カケ問題で支持率が落ちてもやがて持ち直す、という経緯をたどってきた。それがこのコロナ禍で、岩盤支持層と言われた18~20才台や30才台、特に30才台で安倍内閣の不信任が増えた。30才台、40才台といえば子育て真っ最中の世代だ。小中高の一斉休校で共働き家庭の負担が高まったり、拡がる休業や失業の増加に直撃された雇用不安、生活不安が高まってきたことの結果だろうか。

 史上最長になった安倍政権を支えてきたのは、発足前から始まった景気回復局面と、円安・株高で景気回復を演出したアベノミクスによる経済の安定によるところが大きい。ところが、消費税が10%に引き上げられる1年も前の18年10月から実質的な景気後退局面入りしていたことが判明した。その上、今年拡がったコロナ禍で4~6月期のGDPが前期比で7・8%減、年率27・8%減という落ち込み余儀なくされた。その影響で、倒産、失業者、希望退職の募集、休業者などが激増し、安倍政権にとって強烈な逆風となった。安倍政権の戦前回帰の反動政治や「モリ・カケ」その他のスキャンダルで、いったん下がってもなんとか持ち直してきた内閣支持率、子育て世代や働き盛りを直撃したコロナ禍で堅調な経済という基盤が崩れると同時に、急落したわけだ。

◆迷走するコロナ対策

 次は、新型コロナ対策での失策だ。2月末の小中高の一斉休校から始まってアベノマスク、目詰まりするPCR検査、ペットの犬とくつろぐ動画、減収世帯への30万円給付、電通との癒着など、ことごとく世論の反発を受け、首相批判も拡がった。そして7月からのGo・Toトラベルをめぐるゴタゴタだ。

 そんな状況のなか、安倍首相とその取り巻きたちの迷走を受けて「安倍四選」の声はぱったり止まってしまった。そのあげく、と言うべきか、自民党内部でも政局がらみの動きが目立つようになった。派閥のボスたちや党・政府高官の有力者は、これまで安倍総裁(首相)の再選や三選への〝よいしょ〟で競っていた。が、いまは「安倍四選」の話はどこえやら、〝ポスト安倍〟を巡る派閥のボスどうしの〝会食・会談〟がおおっぴらに繰り返されているのが実情だ。

 その上で持ち上がったのが、安倍首相の〝健康不安〟情報だ。未だ憶測の域を出ない情報にとどまっているが、仮に事実ならいよいよ政権の行く末は不透明になる。

◆お終いにしよう〝劇場政治〟

 今回のコロナ禍では、首相や政府の対応だけではなく、知事を始め各自治体の首長に多くの注目が集まった。それは新型インフル特措法で、政府の緊急事態宣言が出た場合に、知事が外出自粛やイベント制限などの要請や指示を各企業や店舗などに出せるようになっているからだ。特措法での具体的な対応策では知事が主役だ。注目されて当たり前なのだ。

 その自治体首長、最初に注目されたのは、政府に先だって今年2月に小中高校の一斉休校、それに自治体独自の「緊急事態宣言」と「不要不急の外出・往来自粛」を続けて打ち出した鈴木直道北海道知事だった。次に、独自の自粛要請や支援金を給付した小池都知事、自粛要請を判断する独自基準の〝大阪モデル〟を提起した吉村大阪府知事、その他の首長に注目が集まった。

 その中の一人、大阪府の吉村知事は、独自の往来自粛要請や独自の支援金給付など、迅速な対策をアピールして世論の評判をとった。連日テレビなどに登場し、ネットなどでは「イケメンで若くて有能で誠実で……」と、トップリーダーとして人気が急上昇したという。

 要するに、コロナ禍中でまた劇場政治の様相が深まったわけだ。〝観客〟の側も、目先の生活が緊迫・激変しているので、関心もより強くなったのだろう。

 ただし、そうした劇場政治も長続きはしない。小池都知事も「感染爆発」や「東京アラート」など目立つキャッチフレーズの発信ばかり目立ち、現実のコロナ対応では後手後手に回っている。「東京版CDC(アメリカ疾病予防管理センター)」などは、中身がまったく伴っていない。大阪の吉村知事も政府との間合いで揺れ動き、早とちりした〝イソジンうがい薬〟の推奨でコケてしまった。強くて有能なトップリーダーを振りまきたいのだろうが、事態が進行するにつけて、メッキも剥がれ落ちつつある。

◆「ゆ党」に未来はない

 そんな吉村知事人気もあって、副代表を務める大阪維新の会(日本維新の会)の人気も高まった。この7月の世論調査では、毎日新聞の調査で立憲民主党9%、日本維新の会10%、共同通信の調査で立民6・3%、維新6.3%と、同じか上回る結果だった。国民民主党から維新にすり寄る議員も現れ、いま総選挙となれば東京などで議席が見込める状況だという。

 その日本維新会、憲法改定や大阪万博などでは安倍政権と連携するなど、野党でも与党でもない〝ゆ党〟などと揶揄されている。実際、安倍首相や菅官房長官と定期的に会食しているように、実質的には自民党の別働隊となっている。たしかに、与党以外からの野党への側面攻撃は効果的だ。ただし前回総選挙では大幅に議席を減らし、衆院10議席のうち未だ人気がある大阪府以外では3議席しかない。

 その日本維新の会の位置取りは、ドイツのキリスト教社会同盟(CSU)に似ている。バイエルン州を基盤にした地域政党だ。ドイツの政権はメルケル首相率いるキリスト教民主同盟(CDU)(=中道右派政権)を中心に与党を形成してきたが、バイエルン州だけはCDUの支部がなく、逆にCSUはバイエルン州以外では活動していない。実質的にはCSUはCDUのバイエルン支部になっていて、連邦議会では、統一会派(CDU/CSU)を形成している。

◆自前の闘いで安倍政権を退陣に追い込もう!

 自民補完勢力としての日本維新の会と自民党がともに今後とも議席を増やしていくことは、まず無理だ。自民党が順調に増えれば、補完勢力の意味などなくなってしまうからだ。実際、かつての「新自由クラブ」や「みんなの党」など、結局は、第二自民党はみな消滅している。日本維新の会も、そうした経緯をたどりつつあった。それが今回の人気復活だが、自治体首長と国政は根本的に違う。結局は、日本維新の会も同じ道を通るしかない。日本維新の会がもし生き残るとすれば、大阪府や近畿圏の地域政党として、ドイツのCSUと同じように、自民党の地域支部として生き残っていく以外にないだろう。

 自民党やその補完勢力、あるいは〝保守本流〟の新野党に甘い幻想は持てない。それらに依存することなく、私たち労働者や市民による闘いで安倍政権に対抗し、退陣に追い込みたい。(廣)案内へ戻る


 安倍首相はコロナ対策に不適格!退陣を要求する!

●健康不安

  安倍首相の健康不安が取り沙汰されている。

 「持病の潰瘍性大腸炎が悪化しているのでは?」「胃潰瘍も併発しているのでは?」「コロナ禍の激務が続いてストレスが蓄積している」「疲れているので休ませるべきだ」「近く退陣せざるを得ないのでは?」

 だが何倍も「疲れている」のは国民、労働者の方だと言いたい!

●不適格

 「健康不安」の如何に関わらず、安倍首相に対してただちに退陣を要求する権利がある。その理由は、この半年の安倍首相を見てきて、あらゆる面でコロナ対策に不適格であることが明らかになってきたからだ。

 最大の弊害は、コロナ対策に真っ正面から向かい合おうとせず、常に「他の事」で頭がいっぱいだったことだ。

●黒川問題

 一月に中国で新型コロナが蔓延した時期には、黒川検事長人事の画策で頭がいっぱいで、水際対策が後手に回った。黒川問題をクリアしなければ、森友、加計、桜、河合疑惑にフタをできなくなり、憲法改正への筋書きが狂ってしまうからだ。

●緊急事態宣言

 二月以降、国内感染が広がると「緊急事態宣言」に固執し、十分使える感染症対策法を「民主党政権が作った法律だから」と、わざわざ法改正までして、日時を費やした。「緊急事態条項」を軸に憲法改正に繋げたかったからだ。

●祝勝五輪

 東京オリンピック・パラリンピックの延期問題では「コロナとの戦いに勝った証としての完全な形での開催」こだわった。「祝勝五輪」のプロパガンダを引き金にナショナリズムを煽り、憲法改正の国民投票に導きたかったからだ。

●電通優遇

 「持続化給付金」や「GoToキヤンペーン」では、電通など特定の業者を優遇するカラクリを組み込んだ。改憲キャンペーンCMの応援団として期待する電通を優遇する意図が透けて見える。

●画策ばかり

 このように一事が万事、肝心のコロナ対策の進め方について、真剣に検討しながら最善の道を進むべきところ、常に改憲や、そのための人気目当てのバラマキ、改憲応援団のお友達優遇に、官邸側近とともに画策することに時間と労力を費やしてきたのである。

 首相の健康不安も、こうした画策によるストレスが原因のひとつだと言っても過言ではない。

●本題後回し

 その結果、肝心のPCR検査の拡充や、医療体制の整備は、今もっておざなりなまま放置され、自治体の責任に丸投げされ、小池東京都知事や吉村大阪府知事が、身近なパフォーマンスもあって、期待を集めているありさまだ。

●退陣要求

 今や健康不安の如何に関わらず、コロナ対策に不適格な安倍首相は退陣し、真にコロナ対策を正面に見据えて、中長期的で科学的な社会経済政策を、国民、労働者、専門家と共に進めていく姿勢を持った政権に譲るべきである。(松本誠也)案内へ戻る


 読書室 佐々木隆治氏著『私たちはなぜ働くのか マルクスと考える資本と労働の経済学』旬報社2012年9月刊

※※ 本書は自らの生活のために、会社等に雇用されて働くとの自発的選択した労働のあり方、すなわち賃労働と呼ばれる労働形態に焦点を当て、その観点から『資本論』を説明してゆく新機軸の手法を取った、マルクス『資本論』への最適の入門書である。 ※※

 本書のはじめにおいて、佐々木氏は次のように詳説する。「一昔まえとくらべて就職がむずかしくなり、正社員で働きたいのに、やむをえず非正社員で働いている若者が増えている。しかも、いったん正社員になれたからといって、働き続けることができる保障はない。違法な長時間労働や新入社員にたいする嫌がらせが蔓延し、勤め始めてからわずかな期間で辞めてしまう人も少なくない。働こうと思っても働けない、あるいは、ふつうのまっとうな働き方をすることがむずかしい、そんな社会になりつつある」。

「ところが、いまや『年功賃金』や『終身雇用』さえもなくなろうとしている。以前と同じように、あるいはそれ以上に劣悪な労働条件で働くことを求められるにもかかわらず、企業側が必要ないとみなすやいなや、簡単に解雇されたり、嫌がらせによって退職においこまれたりする。企業の乱暴な使い捨てによって、働いている人々が心身の健康を害する事例も後を絶たない。しかし、そんな過酷な状況であるにもかかわらず、私たちの多くは働こうとする。あるいは、これから働く予定のものは就職活動をする。むしろ、雇用が厳しさをますなかで、『働きたい』という願望は以前より強まっているとさえ言える」。

 これが佐々木氏の現状認識である。この認識から佐々木氏はさらに一歩先へと進む。
「だが、考えてみれば、不思議ではないだろうか。なぜ、私たちは過酷な労働を自ら進んでおこなおうとするのか。私たちは、ふだん、このような疑問を抱くことはほとんどない。生活のために、会社に雇われ、働くのは当然のことだと考えているからだ。しかし、それは本当に当然のことなのだろうか」。これが本書を書くに当たっての問題意識である。

 世界史を振り返れば、賃労働は決して人々にとって当たり前の働き方ではない。近代以前には賃労働での働き方はほとんど存在しなかった。また近代において賃労働が人々の間で定着するまでには数世紀の時間がかかっている。当然である。自給自足を基本にした働き方に慣れていた人々には他人に雇われ、他人が命ずるままに過酷な労働を行い、しかも賃労働を自らの意志で進んで行うことは、とても受け入れることができなかったからだ。

 私たちはもう一度問うてみるべきだ、と佐々木氏は言う、「なぜ、私たちは過酷な労働を自ら進んでおこなおうとするのか、これを可能にしているものはなんなのか」と。

 周知のように資本主義を解明したのは、マルクスの『資本論』だ。だが難解である。そこで佐々木氏は、『資本論』の入門書を書いた。その特徴の第1は、『資本論』の単なる教科書的な解説ではなく、私たちにとって身近な、生活のために自発的に雇われて働くという労働のあり方、すなわち賃労働に焦点を当て、『資本論』の内容を説明するという手法をとっていること。その第2は、基礎から丁寧に説明した『資本論』入門であること。

 第1の特徴は、賃労働は資本主義と切っても切り離すことができない密接な関係があることから、資本主義を解明することなしには賃労働を理解できないし、賃労働を解明することなしには資本主義を理解することはできない。だから賃労働をテーマとすることは同時に『資本論』入門にふさわしいのである。第2の特徴は、佐々木氏によれば類書と比べて本書の最大特徴である。実はこれまでの『資本論』入門の多くは基礎の部分を丁寧に説明していない。なぜならマルクスも認めているように、基礎の部分ほど説明がむずかしいからだ。だから「入門書だから簡単に書こう」と考えると、どうしても基礎の部分の説明が疎かになる。だが『資本論』の基礎部分は簡単ではないとはいえ、決して訳のわからないことではなく、きちんと考えれば誰でもわかることである。またそれは文字通り基礎をなすものであるから、内容的に非常に重要な意味を持っており、これを正確に理解することなしには『資本論』全体の内容を適切に理解することはできないのだと、佐々木氏は言う。それ故に本書では一部簡略化した所はあるが、できるだけ正確に、そして丁寧に基礎の部分を説明することにした、と佐々木氏は自らの工夫と自負を語り、強調したのである。

 それでは考え抜かれた『資本論』入門書である本書の目次を紹介することにしよう。

 はじめに
 序 章 マルクスの方法
     コラム マルクスと哲学
 第1章 労働するとはどういうことか
     コラム 肉体労働と精神労働
 第2章 私的労働と商品
     コラム 脱商品化と生活の安定
 第3章 値札と貨幣
     コラム 貨幣崇拝と文学
 第4章 賃労働と資本
     コラム 日本企業の強力な指揮命令権
 第5章 労働時間と自由時間
     コラム 賃労働と性差別
 第6章 賃労働と生産力の発展
     コラム 技術進歩と労働時間
 第7章 賃労働と所有
     コラム 非正規雇用と相対的過剰人口
 第8章 労働の自由を目指して
     コラム 現存社会主義と新しい福祉国家
 キーワード
 あとがき―『資本論』をより深く学ぶために

 さて佐々木氏が具体的に工夫し詳しい説明を付した所とは、端的に言えば序章から第4章である。したがってその部分を短評することで、この書評の責を果たして行きたい。

 序章は、マルクスの方法の説明である。マルクスの方法を理解することで、その後の展開がより一層理解し易くなることは明白である。ここで佐々木氏はソ連で作られたマルクス像=哲学者との認識に反対する。何よりもマルクスの哲学批判は彼の理論活動の根幹であり、世界の解釈ではなく、この世界の変革こそが彼の問題意識だった。すなわちマルクスがやろうとしたことは、単に世界の矛盾を指摘し、これに「正しい理念」=社会主義を対置することではなく、この現実の中に社会変革の契機を発見することだったのである。

 その核心は、現実の世界が「なぜ、いかにして」存在しているのかを問うことである。現実が「なに」であるかでなく、「なぜ、いかにして」成立しているのかが重要である。マルクスは、目の前の現実の人間たちが取り結ぶ諸関係から「なぜ、いかにして」この現実が成立したのかを解明したのだ。これが『資本論』のマルクスの唯物論的方法である。

 そして資本主義が歴史的に成立したものならば、そのことを問題にしない経済学は批判されなければならない。したがってマルクスの『資本論』は、資本の運動法則を明らかにするだけでなく、同時に副題となる既存の経済学批判でなければならなかったのである。

 第1章は、労働とは何かの説明である。現実の人間は自然の一部であり、現実の生活は自然とのやりとり、つまり物質代謝の中で成り立つ。すなわち労働とは人間と自然との物質代謝を意識的に媒介し、その代謝を規制し制御するものである。こうして人間は労働を通じてその他の人々との結びつき、つまり生産関係を取り結ぶことになるのである。

 第2章は、マルクスが商品の分析が厄介とすることに対しての佐々木氏の易しい説明である。商品についても「なに」を問うのではなく、「なぜ、いかにして」商品であるかが問われなければならない。人間関係が直接的に把握できる過去の共同体や家庭の中では、労働生産物は商品ではない。だが確かに生産関係を取り結んでいるが、資本主義社会では現実にはバラバラに商品を生産しており、その生産関係は商品交換を通じて確認される。すなわち現実の人間は、商品という物象を交換すること通じて、自らがバラバラに行っている私的労働を社会的分業の一分枝の社会的労働=価値として現実に実証するのである。

 第3章は、『資本論』の難解箇所である価値形態と物神崇拝の説明である。この説明は部分的には第2章とかぶる。マルクスを引用すれば「困難は、貨幣が商品であることを理解する点にあるのではなく、いかにして、なぜ、なにによって、商品が貨幣であるかを理解する点にある」。この点に対する佐々木氏の工夫した易しい説明は本書の白眉である。

 第4章は、いよいよ本書のメインテーマである賃労働の説明となる。現代の私たちは労働一般を賃労働と同じものだと考えている。たが実際はそうではない。この同一視が賃労働の特殊性を見失わせ、固有の特徴を理解不能にする。では賃労働の本質的な特徴とは何か。それは賃労働者が売るのはその労働ではなく、自らの労働力である点にある。賃労働とは、労働力商品の買い手がそれを消費する際に労働力商品の売り手によって行われる労働のことである。資本家は労働力商品を購入し使用することで、労働力商品の価値以上を引き出して剰余価値を取得する。それに対して労働力商品の売り手は自らの再生産費を取得するにすぎない。賃労働者は資本家によって搾取されることになる。すなわち資本主義的生産過程においては、生産手段を所有する資本家が賃労働者を支配するのである。

 このことに関連してこの章の「コラム 日本企業の強力な指揮命令権」は重要である。数十年前の日本の雇用システムでは、「長期雇用」と「年功賃金」がある程度保証される代わりに、仕事の範囲と責任については労働組合側の規制が弱かった。既に上記2条件がなくなったのに労働組合の規制・限定はないに等しく、強力な命令権だけが健在なのだ。

 紙面の関係から後は省略せざるをえないが、第8章では賃労働者の生産手段に対する従属的な関わりを変えるものは、アソシエートした無所有者たちが労働の自由と人間が行う自然との物質代謝の意識的媒介を自由に行うことにある、と佐々木氏は説明している。

 マルクスは、資本主義の下で発展した生産力能を基礎として労働の自由を実現するならば拡大された自由時間において労働の自由を超えた、真の自由が可能になると展望した。それが資本主義に代わって新たに生み出される社会=アソシエーションである。

 このことに関しては、「コラム 現存社会主義と新しい福祉国家」と「あとがき―『資本論』をより深く学ぶために」の熟読をぜひとも読者に期待したい、と私は考える。

 佐々木氏は「本書が、現代の労働問題を考えるための理論的基礎として、また『資本論』に入門するための一助としてお役に立てば幸い」としたが、まさに役立つ本である。

 私も自信を持って、皆様へお薦めできる本に仕上がっていると確言するものだ。(直木)案内へ戻る


 コロナの夏と山歩き

 今年は今までにないコロナの夏だ。新型コロナウイルス感染拡大で夏の風物詩である花火大会・お祭り・甲子園大会・イベント等々が中止になったり、3密を避けるという対策で地域や職場で制限された猛暑の夏だった。

 私は子育てや介護が終わり、ここ10年位毎年夏季休暇を使って連れ合いと山歩きをしてリフレッシュをしてきた。6月コロナの感染者が一時落ち着いたので今年計画していた山小屋に連絡をすると、コロナ対策として完全予約制で宿泊人数を制限し、寝具の貸し出しはできなく寝袋を持参するようにということだった。今まで山小屋は、どんなに混んでいても宿泊を希望する人は全て受け入れ、寝具も完備されていたが、これも3密を避ける対策なのだろうと思い準備をしていた。

 ところが、7月に入って大都市地域をを中心に全国で感染拡大が進行し、県境を跨ぐ不要不急の往来、旅行は回避するよう呼びかけられた。職業柄私がもし発症したり濃厚接触者になったら大勢の人に迷惑をかけてしまうと思い、残念だが山行きは断念した。

 8月23日に、私と同じ自治体で働く女性が感染したことが分かると、マスコミは自治体の職員であることを大きく取り上げた。自治体で初めての感染者ということもあるが、感染者が差別や偏見、誹謗中傷を受けて傷ついているのだから大きく取り上げるべきではない。治療薬もない今、いつ自分も感染するかわからないのだから感染しても「お互い様」という気持ちを持って静かに見守って欲しいと思う。

 コロナの夏は山歩きができなく、やっとの思いで昨年登った剱岳を思い出したい。

 剱岳は富山県東部の立山連峰にある標高2999mの山で、一般登山者として国内最難度として知られ北アルプスの岩峰。険しい稜線と深い谷がおりなす山で岩稜伝いの鎖場やはしごルートがあり、難所としてカニのヨコバイ・カニのタテバイと呼ばれる鎖場がある。 どうしてこんな危険を伴う山に登ったか?それは5年前、連れ合いと立山に登り頂上から見た剱岳はごつごつした岩峰が凛々しくそびえ立ち、次の日朝焼けで赤く染まった山々を眺めていると「登ってみたい」という気持ちと「怖くて私には無理」という気持ちが揺れ動いた。同じ山小屋に泊まったご夫婦から剱岳に登った話を聞いていたら、ゆっくり行けばいけるかなと思うようになり、富山県在住の女性は毎日どこから見ても剱岳の表情が違う話を聞いて、私が毎日富士山を見るのと同じだと思うと剱岳に親近感を感じ「よし、来年登ろう」と決意をして山を後にした。

 しかし、翌年連れ合いが病にかかり山には登れなく、その次の年から徐々に山に登りはじめ昨年剱岳に登ることができた。4年越しの思いが詰まった山だったが、やはり大変だった。断崖絶壁の岩峰を登る時は下を見ないようにして上だけ見ていると、登ってやろうという気持ちが出てワクワクして登り、苦しかったが頂上に着いて登りきった時の達成感は何とも言えないうれしさがあり、頂上から見る大パノラマは素晴らしいものだ。だが、下りでドキドキの岩峰が終わりほっとしていると、今度は大小さまざまな岩や石がゴロゴロ散乱しているザレ場が続く。早朝から歩いて疲れもあるのかズルッと滑ってヒヤリとしたが、落石しないように一歩ずつ慎重に歩いた。歩きながら5年前、滑落事故で息子さんを亡くしたという女性と立山で出会い「毎年息子に会いに来るんですよ」と話していたことを思い出し、気持ちを引き締めて滑らないように歩いたが怖かった。

 山歩きとは不思議なもので、歩いている時はなんでこんな苦しい思いをしなければならないのか自問自答したり、滑落したらどうしようと不安を感じたりしているが、終わってしまうと何故か苦しさや恐怖は消えて達成感だけが残り、また山に登りたくなる。山歩きはどんな事があっても最後まであきらめないところが社会運動にも人生にも通じるのかもしれないと思った。コロナ禍が終息することを願いたい。(美)


 中学時代の不思議な思い出(六義園)

●六義園

 先日、東京の文京区にある「六義園」(りくぎえん)という公園を散策した。

 この公園は、もともと江戸時代の武家の回遊式庭園で、大きな池の回りに桜や松やモミジの木が植えられていて、区民の憩いの場となっているのだが、それはさておき、僕にとっては思い出深い場所なのだ。

●教育実習

 あれは中学生の時。ある日、確か「歴史」の授業だったと思うが、「班目」(まだらめ)先生という女性の教育実習の「先生」が紹介された。不思議な先生だった。日に焼けたような赤い顔で、大きな眼をしていて、何となく南アジアの神像か仏像を思わせる美しい風貌だった。

 その班目先生の実習授業のテーマが「仏教の歴史」だった。初めて聞く異国の歴史。「マガタ国…、コーサラ国…、アショカ王…、」不思議な物語に、生徒達はシーンとして聞き入った。今では具体的な内容は、すっかり忘れてしまったが。

●遠足

 数ヶ月後、実習授業のしめくくりに、班目先生はみんなで六義園に遠足に行こう、と提案した。みんな楽しみにその日を迎えた。もう秋になっていて、紅葉の庭園を先生について歩き、それからめいめいが思い思いに歩き回った。

 実習授業のテーマと六義園が、どう関連しているのか、今でも良く分からないが、そんなことはどうでもよく、みんな心から楽しい時間を過ごしたのだった。校区のすぐ近くにありながら、意外にも六義園を訪れたことがない生徒が大半ではなかっただろうか。

●職員会議

 この話には、思わぬ後日談がある。僕たちにとっては楽しい遠足だったが、どうも班目先生はこの遠足について、学校に正式に話を通してなかったらしい。後日、職員会議で問題になってしまったのだそうだ。「万一事故があったら誰が責任を取るのか?」と。

 その話を聞いて、僕たちは悲しくなった。「先生は僕たちのためを思って、美しい庭園に連れて行ってくれたのに。後で叱られたのだろうか?」

 まあ、今思えば実に真面目で、それでいて天真爛漫な教師の卵だったのだろう。その後、班目先生に会うことはなかった。

●思い出

 今でも六義園を散策しながら思い出す。実習授業…、仏教の歴史…、マガタ国…、コーサラ国…、アショカ王…、六義園…、職員会議…、班目先生…、大きな眼…、今どうされているだろうか?それとも、あれは夢だったのだろうか?

 思い出にひたりながら暑い中、歩き疲れたせいか、帰りのバスの座席で、僕はボーッと、空想の世界に入り込んでいた。あの中学時代の教室にタイムスリップして、担任の先生に聞いていた。

 「先生!あの班目先生は本当は異国の神様なのでしょう?ご自身の世界にお帰りになったのですか?」 (担任の先生)「いいえ。皆さんと同じく人間です。教育実習が無事終わったので、大学にお帰りになりました。皆さんも班目先生に教わったことを大切に、立派な大人になり、立派な世の中を築くよう、心がけてください。」

●現実

 立派な大人…、立派な世の中…、僕はハッと我に返って夢から覚めた。

 マガタ国とコーサラ国どころではない!世界にはもっとひどい紛争が絶えないではないか?この日本も「敵基地攻撃能力」等と言い始めた。

 アショカ王の征服戦争どころではない!もっとひどい専制主義や覇権主義が、はびこっているではないか?日本の首相は「大日本帝国」を復活させようと躍起になっているではないか!

●苦笑

 班目先生がご健在なら、もう退官されているお歳か?今の教育と社会の現状を、どう思っておられるだろうか?できることなら聞いてみたい。

 「班目先生!先生の教育にかけた思いは、叶えられましたか?」
 「…どうでしょうね。…ところであなたは?」

 黙って苦笑する先生の慈悲深い顔が、思い浮かぶのだが、果たして?(松本誠也)案内へ戻る


 コラムの窓・・・被爆ナショナリズム

 敗戦から75年、暑い夏の戦争報道がことさら多かったようです。しかし、被害と加害が分断され、あの戦争は何だったのか、敗戦後の75年のこの国の歩みにどのように評価が与えられるでしょう。

 憲法第9条のおかげで日本は戦争をしないで来られた(平和だった)とされ、これに〝唯一の被爆国〟という唯一無二の立場が付け加わることによって、何か戦後世界の平和をリードしてたかの錯覚があります。ここに〝被爆ナショナリズム〟の落とし穴がありそうです。

 この言葉の発信源がどこなのかわかりませんが、「週刊金曜日」(7月31日)特集・原爆から75年「『ノーモア・ヒロシマ』のこれから」のなかで、東琢磨氏が次のように述べています。ヒロシマの記憶の継承が議論されているけれども、すでに膨大な出来事が忘却され、その上に「戦後焦土から復興した広島」や「ノーモア・ヒロシマ」の物語が立ち上がっているとし、次のように述べています。

 この75年の間に、「記憶」そのものが選別されてきました。その上に「被爆ナショナリズム」も成り立っている。しかも、韓国の歴史学者・権赫泰さんが『平和なき「平和主義」』(法政大学出版局)で指摘したように、「被爆ナショナリズム」を立ち上げていったのは主に「革新陣営」でした。そのことを少しずつ反省しながら、私たちは「ヒロシマ」を語り直す必要があります。(21ページ)

 同誌で植松青児氏は、被爆者・沼田鈴子さんの実践を紹介しています。沼田さんは「アジアの国々では今も『原爆のおかげで日本の侵略や支配から解放された』と認識している人は多い。その状況に向き合い、日本の戦争加害を謝罪し、被害国の人と手を握りあってきた」(24ページ)と評しています。

 ある出来事をきっかけに、沼田さんは「ヒロシマ」から語り始めるのではなく時系列に先行する日本の加害行為への謝罪があり、その後に自らの被爆体験を語ったということです。自らの体験をそれがすべてであるとするのではなく、批判的認識を持つことの重要性がここにあります。加害の忘却こそが、この国が陥って這い上がることができない泥沼です。

 8月3日に放映されたNNNドキュメント「レンガの記憶 広島 被爆建物は語る」では、15歳で学徒動員された岩切千枝子さんが軍都広島について語ります。岩切さんは陸軍被服支廠で軍服を洗う作業をしていました。その被服支廠は4棟(国1・広島県3)あり、県が2棟を解体するという動きがありました。

 当然、反対運動が高まり、今はその動きは凍結されているようです。戦争遺産として残す意義ははかり知れませんが、どのように残すのかそれが問題でした。原爆ドームは被爆被害を象徴する遺産として残されましたが、戦争遂行施設だった陸軍被服支廠はどうでしょうか。

 岩切さんは、「原爆で被害を受けたが、その前は加害の町であったことの証明だと思う」「加害の歴史と被害の歴史と両方を語っている『もの言わない証人』だと思っている」「加害を抜きにして被害だけ伝えるというのは違うと思う」と語ります。今は亡き沼田さんや、90歳の女性のこの言葉に私は敗戦から75年の確実な歩みを感じます。 (晴)


 「エイジの沖縄通信」(NO73)・・・GOTOと米軍による沖縄のコロナ感染

 沖縄のコロナ感染拡大が止まらない。

 沖縄県は当初8月1日~15日としていた緊急事態宣言の期間延長に踏み切り、29日までの約2週間延長した。

 沖縄県内累計感染者数は20日現在で1804人。GOTOトラベルによる7月の4連休の観光客の訪問拡大の後、県民の感染は爆発的に拡大し続けている。直近一週間の人口10万人当たりの感染者指数は31.02人で、東京・福岡・大阪・愛知を上回りダントツの日本一だ。遊興街だけでなく病院、老人施設、幼稚園などでのクラスターの発生、店舗の休業・廃業などにより、県民生活は大きな打撃を受けている。

 その中で、沖縄のコロナ感染の最大の悩みは「米軍基地での感染」である。最初の米軍基地でのクラスターは7月4日の独立記念日パーティーで発生した。

 その後、7月から米軍兵士の基地移動時期と重なり、基地全国の米軍専用施設の70%を占める沖縄に米軍感染の大半が集中した。米軍関係の新規感染者は累計355人以上となっている。また、約9千人の軍従業員、タクシーなど軍関係の業務、基地外居住の米軍人軍属との日常生活上のつながり、米軍によるホテル借り上げなど等々、米軍からの感染拡大の脅威が常に存在する。

 米軍コロナ汚染で起こった問題に「米空母コロナ感染者の沖縄移送計画」がある。

 この問題について沖縄の知人は次のように報告している。

 『今年3月、グアムに向かって太平洋を航行中の米原子力空母セオドア・ルーズベルトで新型コロナの集団感染が発生した。この空母は総排水量10万トン、全長333m、FA18戦闘攻撃機やヘリコプターなど70機前後を搭載、加圧水型原子炉2基を積み、航空要員を含め全乗組員は5000人になる。密集、密閉、密着の「3密」の典型のような空間である。

 空母はグアム島に寄港したが、感染拡大が止まらない事態に対し、艦長のクロジャー大佐が海軍上官に「乗員を上陸させ、検査、治療を実施する」「感染拡大回避のため緊急退避の裁可を仰ぎたい」と異例の訴えを行なった。ところが、海軍長官代理は「大量の兵器、弾薬、航空機の保守、火災の危険、原子炉の運転」などを理由に挙げ、艦長の直訴を「愚か」と断じた。これらのいきさつがマスコミにも流れ、その結果、艦長の解任、長官代理の辞任という事態に至った。

 琉球新報8月20日付紙面によると、この時、乗組員の隔離先として第一候補に挙がったのは沖縄だったという。横須賀の第7艦隊司令部がうるま市のキャンプ・コートニーに司令部を置く第3海兵遠征軍と協議し、普天間基地と海兵隊基地に3000室、厚木基地に400~600室を確保することを決めたが、第7艦隊司令部の上部組織の太平洋艦隊司令部が①沖縄まで9時間の空路移動でさらなる感染拡大のリスクがある、②日本政府との関係を複雑化させる、との理由で沖縄案を撤回したという。

 報道されるや県内で、「一体沖縄を何だと思っているのか」と批判の声が沸き起こった。沖縄が米国の軍事植民地になっている現実。米軍にとっては、日本軍との激戦を通じ数万の米兵の犠牲の上に奪い取った戦利品。事件・事故のたびに、戦後75年続く軍事基地沖縄の姿がさらけ出されるが、日本政府の指導層、歴代の政治家、官僚、裁判官たちは米軍追従を言葉巧みに隠蔽することで政権の継続をはかる歪んだ政治を続けてきた。』

 このように、いつものように「沖縄を利用する。沖縄に押しつける」現実がある。

 この問題の根本は「日米安保」と「地位協定」である。特に、「日米地位協定による米軍の権利」によって、米軍関係者はパスポートなしで、また日本の検疫検査を受けないで自由に入出国しているのが現実。

 このように、コロナ感染の重要な検疫や感染対策が米軍任せにならざるを得ず、「水際対策の穴になっている」と指摘。

 日本側の要望もあり、7月下旬以降は無症状でも軍属、家族を含む米軍関係者は入国時に全員PCR検査を受けることになったが、関係者は「基地内で感染拡大をここまで防げなかった米軍の防疫を信頼できるか」と懐疑的である。(富田 英司)案内へ戻る


 色鉛筆・・・新しい生活様式

 コロナ渦が終息せずに、倒産した企業も多く高校生や大学生の就職が一度決まったのにもかかわらず内定取り消しになった人も多くいて、経済も落ち込んでいます。私自身も年に一度の帰省もできず、祖父母の墓参りにいけないで、毎年のルーティンが叶わないことに残念な思いで一杯です。しかし基礎疾患を抱えている私は、罹患すると重症化する可能性もあり、自分の命は自分で守るしかないと感じています。

 その中で生き延びていくための新しい生活様式がいろいろな場所でうたわれています。学校だと文科省の通達、趣味の合唱では、合唱連盟のガイドラインなどが提示されています。

 特別支援学校で働く私は、在宅勤務などの時期を経て学校再開に心躍らせています。実際にはじまって生徒たちは、いきいきと楽しそうです。休校中も分散登校時も生徒たちは口々に、はやく普通に学校に行きたいと話していました。学校は単に勉強だけをする場所ではなく、生徒同士の関わりを通じて仲間意識を育てる場所であることを改めて感じました。

 その中で生徒とともに新しい生活様式をしながら、お互いの命を守らなければいけないのです。たびたびくる文科省の通達の中で、徐々に教室での生徒間の距離が縮まっています。本当に大丈夫なのだろうかと感じます。

 以前から私は普通高校の四十人学級に反対でした。せめて半分の二十人学級ならば本来の学校の姿、勉強だけする場所ではなく生徒たちがいきいきと活躍できる場所として理想の人数だと思っていました。コロナ渦がひどくなっても、残念ながら対策はとられません。なぜなら、教室が足らないから新しい学校を建て、先生を増やさなければいけません。お金がかかることをやろうとしません。一番お金をかけなければいけないと感じている教育の予算は切り捨てられてばかりです。結局は新しい生活様式も、教室に四十人入るようにするために変質したように感じます。最初の「生徒間の距離は二メートルあける」はなんだったのだろうと感じます。

 コロナ感染症に関して、私自身もなかなか実態をつかめず、対策もわからないことばかりです。私自身ももっと勉強をしていかなければと感じています。

 しかし、話がころころ変わり、必要最低限の命を守る政策よりも、経済優先のこの国は残念な国だと思います。

 最初の緊急事態宣言もなんだったのかと思います。突然の休校で多くの混乱を招いた学校現場でした。普段の仕事が倍以上になり大変でした。

 それよりも、生徒たちの気持ちが混乱し涙・涙の二月末が私の心に刺さり、悲しい思いをしました。卒業式にも参加できなかった在校生の気持ちを考えてほしいと思います。

 これから私にできることは、生徒たちが将来、自立にむけて過ごしていけるようにこんな国の中でも、ともに歩んでいくことが大切だと感じています。 (宮城 弥生)

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