ワーカーズ614号 (2021/1/1) 案内へ戻る

 維新の広域行政一元化は大阪市の自治権を大きく侵害するもの!
 維新の大阪府政、大阪市政からの転換を!


 大阪市立高全21校、2022年4月に大阪府に移る

 大阪府議会は12月21日、大阪市立高(中高一貫含む)の大阪府への移管を可能にする学校条例改正案を大阪維新の会や公明党などの賛成多数で可決した。市議会は既に可決しており、2022年4月の移管が正式に決まりました。高校が都道府県に移管されるのは全国初です。
 府市一体で教育目標の統一を目指す市立高の移管は当初、大阪市廃止・分割=トコーソーの動きに合わせて計画されてきました。移管に伴い、計約1500億円の資産価値があるとされる学校の土地や校舎は市から府に無償譲渡されます。

大阪市から大阪府への移管を巡っては、自民党は市議会で無償譲渡を批判した上で、大阪市廃止・分割を前提にした計画の撤回を求めて反対しました。しかし、府議会では「府全体で教職員が人事交流できる」と賛成しました。

 大阪府吉村洋文知事は可決後、府庁で記者団に「市立と府立の良い部分を合わせ、府全体で高等教育を高めていきたい」と述べました。

 大阪府教委は市立高の移管について、「人事や学校配置で効率的な運営が可能になり、府市のノウハウを共有することで教育が向上する」と説明する。しかし、一部高校の再編案も浮上しており、教育現場からは戸惑いの声が聞かれます。

 11月1日の住民投票で大阪市廃止・分割=トコーソーは否決されました。そこには、今維新が条例化しようとしている広域一元化も含まれています。つまり大阪市の権限・財源・財産を大阪府に移そうとするもので、今回の大阪市立高校を大阪府立に移すのもそのひとつです。
今回の住民投票は、法的拘束力を持ちます。否決された内容のひとつ広域一元化を条例化することは、違法です。維新は、ほんまにひどいです。

 大阪の医療崩壊目前は病院や医師や看護師などを削減してきた維新の責任大!

そして、今大阪で起きている医療崩壊は、維新の橋下氏が大阪府知事、市長時代に、医療福祉を切り捨て、公立病院を削減したほか、医師・看護師などの病院職員、そして保健所など衛生行政にかかわる職員を大幅に削減してきました。

 関西最大の看護専門学校で、公立病院や公的病院に多くの人材を輩出してきた「大阪府医師会看護専門学校」が2019年度募集をもって閉校することが発表されています。

この専門学校を運営していた府医師会によればこれも〈大阪府・大阪市の財政再建を名目に、一方的に補助金が打ち切られた〉ことが主要因だったといいます(「府医ニュース」2018年4月4日)。

 住吉市民病院を廃止し跡地に民間病院を誘致するとしていたが、誘致に失敗、医療空白をまねきました。

 現在、大阪では、医師や看護師、保健所の人手不足など脆弱な検査・医療体制が、感染を拡大させ、さらに医療現場を逼迫させるという悪循環に陥っています。

 ようするに維新は、医療についてどんどん切り捨てています。これでは、だめです。維新による大阪府政、市政からの転換を! その勢いで、自民党菅政権を退陣させましょう。(河野)


 菅政権「敵基地」論議なき装備増強  
 「中国脅威論」利用しアジアの軍事的主導国の野望も


 国民や野党の批判を避けるために、「粛々」と既成事実化を図るというのが、安倍前政権と異なるスガ政権のやり方のようだ。

 空母やイージス艦、それに航続距離の長いスティルス戦闘機の大量保有。それに加えて、和製海兵隊と長距離巡航ミサイル、南西諸島の要塞化。他方では、サイバー・宇宙軍の創設も構想し推進しようとしている。

 その狙いはもちろん軍事的な中国包囲網戦略であり、米軍戦略の主要なパートナーの地位を利用したアジアの軍事大国化である。

■ 増強しようとするのは陸上自衛隊の「12式地対艦誘導弾(SSM)」。改良して射程を数百キロ程度に伸ばし、航空自衛隊の戦闘機や海上自衛隊の護衛艦からも発射できるようにする。当然、北朝鮮・韓国・台湾・そして中国本土も当然標的としうる。つまり標的も従来の艦艇という「限定」から地上に広がる。ある制服組は「抑止力として十分働く」と語った(時事通信)。

 長距離巡航ミサイルばかりが話題の中心となるのはマスコミの限界というものだ。実は、「敵」領土内での軍事作戦の実施にはサイバー攻撃と、宇宙からの監視活動が決定的に重要なのである。そして、日本はこうした米国類似の総合戦力と統合的戦争計画を立案し実行できる力を目指しているのだ。しかし、ミニ米軍化する自衛隊だが、国産兵器開発がじり貧であることがこれからの軍事大国化へのネックだと上層部は理解しており、その手配も抜かりがない。

■ 次期戦闘機の配備開始は三十五年頃とされ、機数は九十機強が見込まれている。この大役を担うのが軍需の老舗=三菱重工だ。総合設計をつかさどり、米国の風下に立たされないように政府の支援の下、戦闘「ソフト」で圧倒的優位に立つロッキード・マーチンなどを「下請けとして使う」ことになっている。

 三十五年時点での空自戦力は百数十機の「F35」と「F15」の能力向上機、今回の次期戦闘機の3機種(ニュースイッチ)となる。この次期戦闘機開発を「悲願」とする、国防部会や軍事村は活発に動いている。

■ くりかえすが、戦争行動は一つの兵器や一つの作戦行動立案によって完遂できるものではなく、総合戦力の行使により実行できるし、少なくとも自衛隊中枢は、まさにそれをイメージして軍拡計画を立案しつつあると見るべきだ。そして全体として米軍のアジア戦略を担うことを目指していることが重要だ。

 十月十九日、岸信夫防衛大臣とオーストラリアのリンダ・レイノルズ国防大臣が共同声明で、自衛隊法の“武器等防護”条文を根拠として、自衛隊がオーストラリア軍の警護を行うための調整を始めると発表した。今まで“武器等防護”を根拠として自衛隊が警護を行うことにしていたのは、日米同盟を結ぶ米軍に対してだけ。それをオーストラリア軍に拡大した。となれば、インド軍ともそうなる。さらにベトナムやフィリッピンに日本は触手を伸ばしている。「中国は危険だ、守ってあげよう・・」と親切と声とモノ・カネをばらまいている。

中国脅威論に乗っかり、日本は今やアジアの軍事的盟主として躍り出ようとしている。(阿部文明)


 日銀、最大の株式投資家に 金融バブルという犯罪的政策を中止せよ

■株式市場への資金投入を安倍晋三氏から「強要」されてきた年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)であるが、こんな大物を抑えて、日本の最大の大株主の栄えある一位に輝いたのが日本銀行である。

「日銀が、金融緩和の一環として上場投資信託(ETF)の買い入れを始めてから15日で10年となる。中央銀行がリスクの高い株式関連資産を購入するのは極めて異例だが、保有残高は時価ベースで約45兆円に膨張し、日銀は国内最大の株式投資家になった」(時事通信)。「株式市場は官製相場の様相を帯び、株価のゆがみ」を金融界の一部が心配し始めているともある。今さら何の話だ?

■日銀は、東証一部の図抜けた大株主であり、フィルファディングという戦前の経済学者が知れば「金融独占資本主義」だと再定義するかもしれない。しかし、現実はそうではなく、金融大独占体となった日銀トラストも、決して直接に資本関係に介入するそぶりはない。日銀の役割は、ただただ「官製相場」を維持することだ。株高維持で、経済と政治を「安定」させることだ。口先ではなんと言い訳しようと日銀はMMTの忠実な使徒として説教を実践していることになる。

■しかし、日銀のビックリはそれだけではない。この十年で既発国債の四十五%を買い込んでいる。もちろん、金利の低下据え置きとマネーの供給を通じて景気や架空資本の官製相場の維持のためだ。いくつかのまとめをしましょう。

① MMTのご説通り国家の一部である日銀には「タマ切れ」はない、というものの、そもそも「自由主義経済」の終末だ。資本主義の歴史的幕切れも近いのだろう。さて、円の為替相場の国際的低下を放置すれば(EU、米国も追随しつつあるが)、輸入インフレが継続し国民への追加収奪となる。アベノミクスはそれを以前から実行に移してきたが、その政策の継続となる。

② 生産的資本・実体経済の衰退は、経済の金融化の必然的結果である。そして労働者の整理解雇と低賃金や地位の低下はとどまる所をしらない。

③ さらに、この政策の犯罪性は、この官製相場で金融バブルを維持しつづけ、それにより富裕階級・大企業の金融収益を最大化してきたこと。つまりは、庶民の所得からの追加的収奪を常態化して労働者階級の窮乏化を深堀りしてきたことである。 (阿部文明)   案内へ戻る


 《菅政権》強権政治への包囲網を拡げよう!――まずは対抗運動、対抗勢力づくりから――

 昨年は新型コロナに始まりコロナで終わる一年だった。国際政治も国内政治も、コロナ抜きに語れない年だった。

 とはいえ、昨年から今年にかけて米国や日本で政権交代があった。コロナ禍でも、政治は確実に変化・進展している。

 新年の一時、目の前に浮びあがった政治地図や、その中で私たちが目ざすべき闘いについて考えてみたい。

◆覇権をめぐる〝トランプの4年間〟

 昨年11月4日の米国大統領選挙でバイデン候補が勝利し、トランプ大統領は一期4年で退陣する事態となった、昨年末の段階ではトランプ大統領と一部の熱狂的な支持者は未だ選挙での敗北を認めておらず、米国大統領の交代局面としては異様な事態を招いている。が、それも常識的に考えれば、1月20日の新大統領就任は揺るがず、トランプ政権の幕は下りる。

 そのトランプ大統領の4年間は何だったのだろうか。

 「アメリカ・ファースト」を大上段に掲げたトランプ大統領。あけすけな「米国第一」を貫き、難民・移民の流入阻止のためにメキシコ国境に壁を築いた。また日米主導のTPP(=環太平洋経済連携協定)、温暖化防止のパリ協定、イラン核合意など、国際的な枠組みからの離脱を進めた。

 さらに、民主党やリベラルなメディアなどをフェイク(=うそ)だと決めつけ、人種対立を煽ったりして国内でも分断を拡げた。また既存のエリート層を既得権益層だと敵視し、他方でラストベルト地帯など、白人のブルーカラー層に寄り添う姿勢を押し出して、旧来の支持関係を一変させた。かつては白人を中心とする製造業の労組やブルーカラーは民主党支持だと決まっていたが、それをトランプの共和党支持に変えてしまった。いまや共和党はトランプ大統領に乗っ取られて〝トランプ党〟になってしまった。トランプ大統領は、無視され置き去りにされてきた白人ブルーカラー層が抱く〝内なるエゴイズム〟やあけすけな〝損得勘定〟を解放してしまったかのようだ。

 トランプ大統領の4年間は、「唯一の超大国」の米国の衰退過程を象徴するとともに、だからこそというか、台頭する中国への強硬姿勢は一貫したものだった。トランプ大統領は、中国に対する貿易や技術覇権などに関わる経済制裁はむろんのこと、政治的・軍事的台頭を抑えようとする姿勢は貫いた。要は、「世界の警察官」の地位は放棄して「米国オンリー」へ転換したものの、「唯一の覇権国」の地位は捨てがたい、ということだろう。

 こうした米国の態度は、オバマ前大統領の「アジア・リバランス」にも通底するものだったし、バイデン新大統領と民主党も同じスタンスのようだ。バイデン大統領や民主党にしても、ウォール街やエリート層に支持される構造は変わらないし、格差是正などでもさほど期待できない。覇権国家としての米国の地位を脅かす第二の覇権国の台頭を容認できない、というのが、新旧米国大統領の変わらぬ姿勢だと受け止めるべきだろう。

 対する中国はどうか。生活実感に近い〝購買力平価〟では、すでに2014年に米国を追い抜いて世界最大の経済大国になっている。ドル換算でもすでに米国の3分の2の経済力を持ち、日本の3倍の経済力を持つに至っている。中国の経済成長がいつまでも続くか見通せないにしても、2042年頃には米国を追い抜く、という米国のゴールドマンサックスの予測もある。

 軍事力でもイラク戦争以降、中国も軍の近代化に取り組み、いまでは宇宙空間やサイバー空間でも米国と拮抗する。また中国海軍の行動領域も、第一列島線(東シナ海や南シナ海・南沙諸島を囲む、フィリピン沖に至る中国の軍事防衛ライン)の外側へと拡大してきている。いまでは、いざ有事になれば、中国沿岸部に配備された中国のミサイル総攻撃で、第一列島線内での米軍の行動はほぼ不可能になり、また沖縄や日本本土の米軍基地は、短時間で破壊されてしまうという時代を迎えている。

 その中国。2017年の第19回共産党大会では、建国100年に当たる2049年頃には「世界最高水準の総合的な国力」を持つ「社会主義現代化強国」を目ざすと宣言している。いまでは中国共産党の統治の正統性を「侵略からの解放」や「社会主義」ではなく、「民族主義」「ナショナリズム」に置いているということだ。中国は、かつて列強による侵略で寄ってたかって食い物にされてきた苦難と屈辱の時代を経験している。だから習近平総書記が掲げる「中華民族の再興」という野望は、簡単には下ろさない。「一帯一路」でも、日本やアジア各国はむろん、東欧やアフリカをも巻き込んで米中対立の時代が当面続くことになる。それは、バイデン時代になっても変わらない。

 私たちとしては、そうした国家間対立の次元で対応するのではなく、あくまで各国の労働者や市民の連帯という目線で対抗軸を見つけていく必要がある。

◆安倍政権7年8ヶ月の意味

 国内に目を向ければ、安倍政権は歴代最長の政権となった。その長期政権を歩む中で「安倍一強」という強大な官邸主導政治という行政権独裁ともいえる体制を築いた。

 第一次安倍政権では、「戦後レジームからの脱却」を掲げ、憲法改定に意欲を燃やした。その前哨戦として教育基本法を国家主義的な性格が強いものに改定し、また憲法改定に向けた国民投票法も成立させた。

 政権に復帰した第二次政権では、「アベノミクス」という経済優先の姿勢を前面に打ち出し、金融緩和などで円安や株高を演出して政権の浮游力に変えた。が、現実の安倍政権が実際にやったのは、「特定秘密保護法」(13年)、集団的自衛権の行使容認(14年)、安全保障関連法(15年)、それに共謀罪(17年)の成立などだった。経済の引き上げを言いながら実際にやったのは、軍事優先政治と国家至上主義の政策だった。とはいえ、イデオロギー色の強い改憲策動は忌避され、安倍首相の野望は潰えた。

 その安倍首相は、欧州政治の範疇で言えば〝右翼〟〝極右〟だ。特に際だったのが「戦後レジームからの脱却」という戦前回帰指向と露骨な国家主義だ。ただし、東京裁判史観の否定や靖国神社への参拝などが米国から「歴史修正主義」と警戒・批判され、第二次政権の後半からはそうした復古調の政治姿勢は一部封印されもした。

 少し前の20世紀終盤までは、日本で極右政権など生まれることはなかった。戦後民主主義を支えた反戦平和の願いは強く残っていたし、それを体現した対抗勢力としての社会党や労組の総評もそれなりの力を残していた。だから、右派・タカ派の岸信介や中曽根康弘は首相になったが、さすがに極右団体「青嵐会」の石原慎太郎は、首相への野望が強くても、結局、叶わぬまま国会議員を辞めた。安倍前首相は、石原慎太郎などが所属した「青嵐会」「真・保守政策研究会」の後継団体である「創世『日本』」の会長になった時期もある。そうした極右政治家の後継者といってもいい安倍首相が長期政権を続けられたのは、日本社会が相対的に衰退期に入ったこと、その中で嫌韓・嫌中に象徴されるナショナリズムの台頭が重なったことも一因となっている。

 西欧でナショナリズムが席巻し、極右政党が各国で伸長した。在野の右翼勢力が膨張したのだ。だが、日本では欧州でのように新興の極右政党が急成長したわけではなかった。移民・難民排斥なども含めて、日本では政権政党自体が極右化したということだろう。

 その極右政権を〝一強政権〟として長期に存続させたのが小選挙区制と政党助成金で、人事権と政治資金を握った自民党総裁=首相の権力を膨れ上げさせた。国会議員には選挙での公認権と閣僚任命権を手にし、内閣人事局をつうじて官僚=上級職行政官を平伏させたからだ。

 首相が何をやらかそうと、選挙で勝ち続けてさえいれば、安倍チルドレンなど何もしなくても国会議員の地位に安住していられる。「八紘一宇」や「女性はいくらでも嘘をつける」などと内輪の受けを狙った発言さえも許される。与党議員は議員の地位に安住していられる間は首相に反抗する必要もない。逆に、首相に反抗すればパージされる。河合前法相夫妻の選挙での買収事件の目的は、まさに反安倍議員に対する粛正のようなものだった。結果として自民党議員は官邸政治を追認する投票マシーンへと劣化した。

 また、それを可能にしたのが、何があっても安倍自民党を選挙で勝たせる有権者の存在だ。民主党の失敗が大きかったにせよ、安倍政治に変わる政治勢力を築けなかったのは、私たち有権者自身や左派の運動主体が弱体化していたことの帰結という他はない。

◆強権政治の菅内閣

 安倍継承内閣として昨年9月16日に発足した菅内閣。7年8ヶ月もの長期政権からバトンタッチした新内閣として、期待値とご祝儀相場による高支持率での発足だった。が、慎重な滑り出しだったとはいえ、早くも「着物の下から鎧」という事態となった。学術会議の任命拒否と問答無用の説明拒否、コロナ対策での失態などで、支持率は70%ほどから昨年末では40%前後に急落している。12月19、20日の朝日新聞の世論調査では、支持が39%で不支持が35%にまで下がっている。

 コロナ対策では、感染対策より経済活動優先の姿勢に批判の声が寄せられ、また頻繁に報道される会食や、国民への要請に反する自らの行動様式に対し、多方面から批判が寄せられている。たたき上げの苦労人というセールスポイントの外皮が剥がれたわけだ。その結果としての支持率急落だった。

 この間、菅内閣の性格として浮かび上がってきたのが、「まずは自助」という新自由主義、マイナンバーカードによる国民総背番号制での国民統治、それに安倍内閣から引き継ぐ形になった官邸での警察官僚出身者を活用した強権政治だろう。官僚トップで内閣人事局長も兼任する杉田和博官房副長官と北村滋国家安全保障局長は、両者とも日本版CIAをめざして設立された内閣情報調査室の室長(現在の内閣情報官)を歴任している。菅首相が安倍首相から継承したのは、自らもそれを支えた警察官僚上がりを重用した官邸主導政治、官邸独裁政治だという他はない。

 菅内閣は、安倍継承政権という表看板は掲げているものの、趣は大分違った内閣になっている。安倍外交やアベノミクスの継承と言っても、まだはっきりしない。目立つのは、庶民受けしそうなケイタイ料金の引き下げや、観光・旅行産業をはじめとして経済へのてこ入れとしてのGoToキャンペーン、ふるさと納税制度やデジタル革命、地方銀行の再編、50年に温室効果ガス排出量の実質ゼロ目標などの、個別政策でのアピールだ。菅首相とすれば、地方出身のたたき上げ宰相というセールスポイントと、目先の人気取り政策という組み合わせで評価を得たいのだろう。

 そして視野に入るのは、今年夏に延期された東京オリ・パラの実施だ。オリ・パラの成功は、菅政権にとっての大きな実績になり、総選挙での勝利に直結すると考えているのだ。それが菅政権の本格政権への前提であり、長期政権への通行手形になる、とでも考えているのだろう。

 その菅首相だが、他派閥の支持を集めて発足した内閣だったが、首相になるや、官邸主導というより官邸オンリーでの政治が目につく。普通であれば、政権に担ぎ上げてくれた派閥の有力者や内閣の基盤である党組織や党役員に相談するのが普通だろう。が、そうした場面は政権発足後数ヶ月間の間、まったくと言っていいほどなかった。とりわけ安倍前首相と面会して協力を要請する、等の場面はあっても良かったのに、それもなかった。安倍首相が健康問題で辞任した場面での官房長官の任にあった関係であればなおさら異様だ。

 対する安倍前首相、「陸上イージス代替案」に関して「今年末までにあるべき方策を示す」という「ミサイル阻止談話」を出した。菅内閣を縛るかのような露骨な行為だ。また、本来は〝隠居〟の身分であるはずの安倍前首相は、体調が回復すると同時に、細田派、麻生派、岸田派という前安倍政権を支えた派閥を中心とした「ポストコロナの経済政策を考える議員連盟」を旗揚げしてその会長に就いた。再々当番の野望が見え隠れする態度を示しているわけだ。

 その上、安倍前首相の「桜前夜祭」問題で検察の捜査が安倍事務所や前首相自身にまで迫るという異常事態は、自民党内の〝暗闘〟を想起させるに十分だ。加えて新型コロナ感染が第3波といわれる拡大を示し、東京オリ・パラの実施も不透明感が増しているという現実がある。菅政権の新年の幕開けは暗雲に包まれていると言っても過言ではない。

 とはいえ、私たち対抗勢力としては、そんな暗雲に期待してばかりではいられない。小泉政権時代の自民党内の暗闘を観客席から眺めるだけ、という〝劇場政治〟に今また巻き込まれているわけにはいかないのだ。私たちの主体的な、身近なところからの闘いを拡大していくことで、菅政権への包囲網づくりを進めていく必要がある。

◆対抗運動、対抗勢力づくり

 対抗勢力づくりには、何が必要か。それは戦後の対抗勢力が弱体化したことを反省すること、要は、その逆を実践することの重要性だ。

 戦後の対抗勢力の弱体化は、一つには労働者をはじめとした対抗勢力の分断策に敗北したことだ。労働者は大企業の企業内組合化と非正規労働者づくりで分断構造が定着してしまった。労組を基盤とする社会党なども弱体化され、政治構造としても保守二党制に巻き込まれている。その基盤となるべき大衆闘争も、労組、地域、沖縄など個別の戦いに引き裂かれてしまっている。

 いま求められているのは、そうした足下からの反乱の拡大である。これまでの対抗勢力の低迷は、政権や企業体制の側からの攻勢に敗北、後退してきた結果もたらされたものだ。そうである以上、現状の打開策は、ひとり一人の労働者や市民が、どれだけ行動に立ち上がれるのか、にかかっている。そうした試みは、現時点でも絶えずに存続している。対抗勢力として新しい主体も形成されつつある。何か手軽な特効薬があるわけではない。

 反原発、脱原発での草の根の活動も持続しているし、少し前には「シールズ」など若者の闘いも起こった。非正規労働者による抵抗や決起も引き続き、各地で起こっている。そうした草の根の闘いを拡げていくこと、それらが結集し、独自の政治勢力を形成していくこと、これらが重要になる。

 他方で菅政権の側では、竹中平蔵という御用学者が性懲りもなく暗躍し始めた。小泉政権で派遣労働など非正規労働者を増やした竹中平蔵は、人材派遣会社パソナグループの現職の取締役会長だ。ブラック・ジョークだと笑っては済まされない。その竹中が、いま菅首相が安倍政権時代の「未来投資会議」を廃止して新たにつくった「成長戦略会議」のメンバーにも連なっている。

 その竹中平蔵は、菅政権のアドバイザーとして例のベーシック・インカムを提唱し始めている。ベイシック・インカム自体は様々な問題を孕んでいるが、竹中平蔵の狙いは別のところにあるのだろう。一つはベーシック・インカムの導入を材料として、現行の社会保障給付の解体的縮小案を思い描いているのか、それとも人材派遣会社の利益のために現行の雇用形態の再編・流動化をもくろんでいるかのどちらかだろう。いずれその内容と性格も明らかになる。

 政権を追い詰めていくのは直接的には選挙での与党の敗北やその前提となる支持率下落だが、単に世論工作や評判づくりだけでは決定的に足りない。具体的な要求と行動に支えられた、身近な人たちと協力した運動づくりが問われてくる。新しい年も、そうした立場から、行動を拡げていきたい。(廣)案内へ戻る


 新しい年、おおいに勉強しよう!

●『人新生の「資本論」』を読み始めて

昨年は新型コロナ感染症のパンデミックや地球レベルの異常気候により、資本主義世界の社会経済のあり方が根底から問い直された年でした。

九月に斎藤幸平著『人新生と「資本論」』が刊行されると、若者から年輩まで幅広い読者に大きな反響を呼び起こしました。本紙でも紹介されていましたので、詳しい内容には触れませんが、これまでエコロジストとマルキストの間にあったある種のギャップを越えて両者の関心を繋いだ点で、またそれぞれの従来の認識に刷新をせまっている点でも、大きな意味があると思います。

ですが、その叙述が分かり易いのは良いのですが、一読してわかった気になっていると、後でお返しが来るのも確かです。何回か読み直していくうちに、そのバックグラウンドにいくつかの深い論点があることに気がつくからです。

そこで今年はこの本を再読、精読しながら、さらに発展して、いくつかの論点となることについて勉強し、若い人々と有意義に意見交換できるようになることを目標としたいと思います。

●グリーンニューディールについて

斎藤氏はグリーンニューディールについて、気候危機の克服と資本主義の経済成長が両立できるかの誤謬であり「気候ケインズ主義の限界」として厳しく批判しています。確かにその通りと思いますし、だからこそ資本主義を変革する「脱成長コミュニズム」こそが進むべきという論旨にも頷けるのですが。

多くの若い人々、とりわけ大学で環境問題を真面目に学ぼうとしている学生の立場から考えてみたらどうでしょうか?まず「環境経済学」のどこがどのように問題なのでしょうか?また市民運動の立場からも、日頃交渉する自治体や国の環境行政担当者は、環境経済学の知見を ベースに対応してくるわけです。

そういう人々の中で、いくらかでも斬新な考え方の人は、グリーンニューディールの政策立案に、多かれ少なかれ期待を抱いているのも事実と思います。斎藤氏の意見も、良く突っ込んでみると、百パーセント否定しているわけではなく、例えば ナオミ・クラインが『地球が 燃えている』で展開しているようなラディカルな主張については積極的な評価をしているようです。

そこでグリーンニューディールについて改めて学んで、そのあり方について考えてみる意味はあると思います。

●ベーシックインカムについて

ベーシックインカム については、この本の中ではあまり触れていませんが、『未来への大分岐』では慎重論ないし懐疑的な見解を表明しています。むしろベーシックサービス(医療、介護、教育、住居の脱商品化と現物給付)をしっかり行えば、現金給付としてのベーシックインカムは必ずしも必要無いのではないか?との立場がうかがえます。

これについては労働問題の研究者たちの『ベーシックインカムを問い直す』を手掛かりに、欧州の福祉国家と日本の企業主義的社会保障制度の違い、産別組合を軸とした欧州の労使関係と企業別組合を軸とした日本のそれとの違いを踏まえて、丁寧に検証する必要があります。

そのためにも労働経済学や社会政策論、税財政論の大学生向けテキストくらいは、読んでおく必要はあるでしょう。

●MMT(現代貨幣理論)

この本の中で「反緊縮」について触れられていますが、この問題はかなり難しいと思います。 もちろん新自由主義の福祉切り捨てを意味する緊縮に反対するのは当然なのですが、一方で「反緊縮ポピュリズム」が唱える「MMT」(現代貨幣理論)をどう評価したらよいのでしょうか?実体経済を無視して野放図に国債を乱発することが、経済的に不健全なのは直感的にわかるけれど、かといって財務省のような財政均衡論による増税論もおかしいのも確かです。

それゆえに面倒でも「MMT」の主張をきちんと把握して、検証する必要があると思います。またこうした主張を生み出す背景にある、今日の金融資本主義の在り方についても、認識を深める必要があるでしょう。もちろん大学テキストレベルの金融論や、マルクスの信用論の基本も、おさらいするのは必須です。

●マルクス主義について

こうしてみると、やはり斎藤氏が「新MEGA」の共同研究に加わる過程で明らかになったマルクスの新たな解釈について、突っ込んで学ぶ必要はあるでしょう。この本の中では、そのサワリ程度にしか触れられていません。

それについては『大洪水が来る前に』 で詳しく展開されているので、熟読し、合わせてこれまでのマルクス主義理解の通説について、入門書をおさらいしておくのも、オールドマルキストと議論する上でも有意義と思われます。

 ちなみに一月のNHKテレビ『100分de名著、カール・マルクス「資本論」』は斎藤幸平が解説するようなので、ぜひ視聴したいと思います。

●新しい社会運動へ向けて

さて、もちろんこうした理論を学ぶのは、それ自体が目的ではなく、日本の若い世代と手を携え、資本主義を変革していく新しい社会運動を作り上げるために他なりません。斎藤氏がこの本で紹介する世界のジェネレーションレフトやミュニシパリズムについて、私たちもよく学び、日本の状況で可能なところから取り組んでいきたいし、そのイメージを語り合えるようになりたいものです。(冬彦)案内へ戻る


 《何でも紹介》 今回は私が最近もっとも注目しているウエブサイトを紹介いたします。
 そのサイトの名は「青山繁のby the peopleへようこそ!!!!」です。

 ホームページ【https://www.aoyamashigeru-bythepeople.info/】から引用してみましよう。

「青山繁のby the peopleへようこそ!!!!
 今の日本に疑問を持っている人、今の日本に絶望している人、
 そして、今の日本になんの疑問も感じていない人へ
 社会と経済の深刻な危機を考える
 日本の今をいっしょに考えよう!!
 なぜ親の世代は生活が安定していたのに今は先が見えないのだろう
 なぜ年々富が多く作れるようになっているのに暮らしは豊にならないのだろう
 なぜ金持ちはますます金持ちになるのだろう
 なぜ企業は海外に出て行き産業の空洞化が起きるのだろう
 なぜ危険な原発を動かし続けようとするのだろう

 その原因は、
 ①資本主義社会は、絶えず拡大再生産を続け資本を増大し続けなければならず、
 ②社会の生産力とは関係なく、資本は儲かる限りでのみ働くという〝資本の拡大ための 経済〟になっていて、
 ③経済が社会を豊かにするためのシステムになっていないからです。

 そのことを具体的に、みんなで一緒に考えましょう。
 ①資本はどのように拡大再生産を続けて、富を増大し続けているのか、
 ②その結果、現在の日本経済はどのような状況になっているのかをしっかりと確かめ、 ③どうすれば国民生活が豊かになり、若者が希望のもてる社会・経済システムは実現す るのかをみんなで一緒に考えよう。(中略)

 このページの構成
 Ⅰ、最新(NEW)ページ・注目ページ等の紹介
 Ⅱ、今を検証する(①資本はどのように拡大再生産を続け富を増大し続けているのか、  ②その結果、現在の日本経済はどのような状況になっているのかをしっかりと確かめ  るページ)
 Ⅲ、パラダイムシフトと新しい人、新しい社会(③どうすれば国民生活が豊かになり、  若者が希望のもてる社会・経済システムは実現するのか)
 Ⅳ、不破さんの思い違い(最も有力な未来を展望する思想、科学的社会主義の思想を歪  曲し、汚す人たちの批判)
 Ⅴ、温故知新(マルクス・エンゲルス・レーニンの著作から科学的社会主義の思想の根  本・本質を確認する)
 Ⅵ、適時論題(今注目すべきテーマと書籍の提示)

 以上ですが、私がとくに注目しているのは、左記のⅣ、不破さんの思い違いとⅤ、温故知新です。特にⅤは久留間鮫造氏の『マルクス経済学レキシコン』からの抜粋で作成されています。この只者でない青山氏の政治的立場はどんなものかははっきりと書いていないのですが、彼が使用する用語からは日本共産党の強い影響下にあることが読み取れます。
そしてこのサイトの最大のウリは、不破哲三氏が主導した『新版 資本論』に対する徹底した批判的評論の数々でしょう。最近では以下の様な「過激な言動」公開しています。

『赤旗』を私物化してデマを広める不破さん
正義の味方、真実の友である『赤旗』は、「恐慌」の都度「前よりも高い所で経済的発展が進む」という資本家の立場に立った不破さんのウソを合理化するための、欺瞞の「新刊本」の宣伝をするのを、ただちに、やめて下さい。『赤旗』は不破版エセ「資本論」の宣伝を、直ちに、やめて下さい

 この実に的確な文面にひかれて興味を持ち、青山氏の数々の記事を読んでいくと、Ⅴ温故知新の中の2に「大谷禎之介氏と『資本論』」の表題があり、「故大谷禎之介先生の業績を正しく伝えるためのページです」との紹介があります。引用してみましょう。

 ホームページ「大谷禎之介氏の『マルクスの利子生み資本論』とマルクス・エンゲルスの『資本論』から学ぶこと」に新しいPDFファイルを添付しました

 このPDFファイル「第三部第三三~三六章とマルクス・エンゲルスと大谷氏」は、「4年越しの作業」の完了であり、このページの最後のファイルですので、このファイルの作成に至る経緯とこのファイルでの大谷氏の『マルクスの利子生み資本論』の評価の一端を紹介させていただきます。

 さらに読み進むと、このサイトがなぜ公開されたのかについての青山氏の説明があります。重要な記事なので、以下に引用しておきたいと考えます。

四年前に、このホームページを作成した意図
 大谷禎之介氏の『マルクスの利子生み資本論』(全4巻)は2016年6月に出版され、私は来たるべき不破さんの『資本論』攻撃に備えて同年の9月から読み始め、2017年7月に上記の総括ページを、不破さんのデマに負けないワクチンの意味を込めて、公開しました。

 つまり青山氏は、不破氏の『資本論』とマルクス・エンゲルスへの本格的攻撃が、雑誌『経済』で「『資本論』探究」というタイトルでの連載が2017年5月から、またさらに『赤旗』紙上で「『資本論』刊行150年に寄せて」というタイトルでの連載が同年8月1日から、開始されたことに反撃するためにサイトを作ったのです。引用します。

不破さんのデマを取り除くために費やした2年強の歳月
 そのため私は、この二つの連載で振りまかれる不破さんのデマを取り除くため、ホームページ「『資本論』刊行150年にかこつけてマルクスを否定する不破哲三氏」という連載とホームページ「エセ「マルクス主義」者の『資本論』解説──「『資本論』探求」で欠落しているものと不破哲三氏の誤った主張──」という連載の作成に2年強の歳月を費やさざるを得なくなってしまいました。(中略)

 そして、2020年、いよいよ不破さんの贋作「マルクス『資本論』」の宣伝が「赤旗」紙上で大々的に行なわれるのに合わせて、ワクチンの意味を込めて二年半前に作ったホームページ「大谷禎之介氏の『マルクスの利子生み資本論』とマルクス・エンゲルスの『資本論』から学ぶこと」のリニューアルとホームページ「不破さん監修の「新版『資本論』」の読み方について──『資本論』を革命の武器から改良主義の弁明書に変えさせるな!!!──」シリーズ及びホームページ「国民のための経済がある、新しい共同社会を創るために、不破さんのマルクス・エンゲルスと『資本論』の歪曲・捏造を暴き、科学的社会主義の思想のエネルギーを取り戻そう」シリーズの公開を致しました。(中略)

 大谷氏の『マルクスの利子生み資本論』は、不破さんの期待に反して、不破さんの作った「恐慌の運動論」にもとづく資本主義発展論をきっぱりと退け、不破さんの言う『資本論』第三部「第三篇」の最初の「第一三章」は「マルクスの最大の経済学的発見を記録した輝かしい章」、最後の「第一五章」はここで「展開した理論の主要部分を以後の草稿で取り消した章」、中間の「第一四章」は「第一五章の準備のため」の章で「不要になった章」だという妄想をキッパリと否定しているだけでなく、『資本論』第3巻「第5篇」とマルクスの草稿との綿密な比較を、丹念な調査によって、(略)マルクス通を自認するペテン師を撃退するうえでの強力な〝真実の武器〟を与えてくれました。(中略)

 今やっと完結したこのPDFファイル(『マルクスの利子生み資本論』―直注)の最後には、このような大きな功績を残した大谷氏への感謝の気持ちをしたためていますが、一年前に、その気持ちの届かない遠い世界に旅たたれてしまったことは、無念の極みです。
NeW!!こちらも、是非、お読み下さい。

〈不破さんの『資本論』の歪曲と捏造の解説〉(AZシリーズ)の紹介
「自らの虚構にあわせるための『資本論』の変造」
 2003年にルビコン川を渡った不破さんの『資本論』変造の虚構の解明
 このページは、不破さんはなぜ『資本論』を変造しなければならなかったのか、不破さんの『資本論』変造の壮大なカラクリを明らかにし、マルクス・エンゲルスと不破さんとの世界観・革命観の違いの核心である「産業循環」に対する見方の違いを徹底的に暴露しています。そのことによって、壮大な虚構(マルクス主義の偽造)を手品の種として自らの思想がマルクスの思想の最新の到達点を引き継ぐものででもあるかのようにいう不破さんのデマを完膚なきまでに論駁し、不破さんがマルクスのお面をかぶったブルジョアジーに操られたピエロであることを明らかにし、「AZ」シリーズ──主として不破さんの『資本論』の変造を暴露することを通じて、科学的社会主義の思想を再確認し現代の課題を考えるページ──をよりよく理解していただきたく思いこのページを作成いたしました。

 AZシリーズの紹介。 是非、お読み下さい。
 AZ―1 不破さんの「マルクス『資本論』反面教師講座」の解説〈ここをクリック〉
 AZ―2『資本論』刊行150年にかこつけてマルクスを否定する不破さん〈ここをクリック〉
 AZ―3 エセ「マルクス主義」者の『資本論』解説〈ここをクリック〉
 AZ―4 不破さん監修の「新版『資本論』」の読み方について〈ここをクリック〉

「共産党」にシャキッとしてもらうために、
 科学的社会主義とは何かを考えるページの紹介。
 日本共産党第28回大会議案にみる科学的社会主義の思想の欠落
 志位さんが第28回大会議案の「提案報告」で、中国を「社会主義をめざす新しい探究が開始」された国と言うことをやめ、「ルールある資本主義社会」論の破綻を告白したことは、一歩前進です。

 しかし、志位さんの「提案報告」での世界の見方、運動の進め方は、〝経済が人々の生活を豊かにし、社会を豊かにする〟社会の実現をめざす私たちの運動にとっても、世界の革命運動にとっても、けっして、寄与する内容のものではありませんでした。

 私は〝科学的社会主義〟に最も近い人達が最も多くいる政党である「日本共産党」が、一日も早く科学的社会主義の思想に立ち帰ることを熱望して、このページを作成しました。

「共産党」の人もそうでない人も、是非、お読み頂き、科学的社会主義とは何かを考えるきっかけにしていただくことができれば、幸いです。

 青山氏の久留間鮫造氏と大谷氏への敬仰と不破氏の『資本論』歪曲に対する怒りがよく分かります。それにしても2003年から不破氏の『資本論』変造を見抜き準備していたとは、本当に驚かされます。その炯眼と問題意識の鋭さには、まさに脱帽あるのみです。

 今後、私はこのサイトを参考にしつつ、大谷氏らの『資本論』理解に大いに学ぶとともに、今後は不破氏のこの『資本論』歪曲を研究し闘っていくことが強く求められていると考えます。そして既に2020年9月に出版されベストセラーとなっている、斎藤幸平氏の『人新世の「資本論」』等の、私たちより若い世代の『資本論』理解を自らの立場から捉えかえす作業も、これらの研究と一体のものとして不可欠な課題でしょう。

 ですから読者の皆様も是非と関心と問題意識を持ってこのサイトをご覧下さい。(直木)案内へ戻る


 ワタリガラスの知能は大型の類人猿並み
  協調や連携の発達~「社会脳仮説」の正しさが再び示された~


■動物の世界には、様々な能力(自然適応)が観察される。ヒマラヤを超えて旅をする異常に発達した肺と翼をもつ鳥や、地中でくらし移動する虫もいる。1000㍍の深海でも生息できるものもいるし、酸素無しでも生息するバクテリアもいる。そうしたなかで「認知能力」が高い動物もいる。この発達によって、宇宙の始めや物理法則を理解しようとする動物(人間)もいる。

 この認知能力が、どのように成長したのかは、その適応・進化がどのような客観的環境で推進されたものであったかを示すことでもある。

■哺乳類は全体として、知能が高いと言える。それは、基本として母子関係があり、家族関係を長く持つものもいる。このような集団的・社会的関係が「知力」を必要とすると考えられてきた。それ故に社会集団の大きな動物ほど知能の高まりを傾向的に示すこともできたのである。

■社会脳仮説は、前世紀に生まれた学説だ。しかし、その後今世紀の入り口のころロビン・ダンパーや澤口俊之が、サルや類人猿の集団の規模と脳の大きさ(前頭連合野)の比較をすることで、大きく前進した。「仮説」が「学説」になったといってよい。社会集団が大きくなると脳も大きくなる。(つまり、何らかの必要で社会の拡大や密度の高まりが求められるほどに、それを担保するための脳の増大も導かれるということ。)

■ダンパーは、この式から逆算して、人間の異様に発達した脳の大きさは、150人の集団規模だとしている。これを「ダンパー数」という。人間(ホモサピエンス)の進化過程での基礎集団だと理解されている。その後、「クジラ類」(シャチやイルカも含む)でもその有意の関連は示された。

■ドイツのオスナブリュック大学の研究(「ニューズウィーク日本版」)によると結論は鳥も同じようだ。

高度の知能は、裏を返せば規模が大きく密度の高い「社会生活」を前提としているのだから、カラスたちの知能は、その土台としての社会性を研究することが重要となる。出回っている「カラス本」には、このような視点が薄く、単に結果のみの「頭が良い」「スゴイ」ことを並べているのは少し残念だ。もちろん、カラスは自然のもので観察が難しいのは理解できるが。

 道具をつくることのできるカレドニアガラスも、密林の中の生活で全貌はよくわからない。ワタリガラスはどうなのか?「社会は離合集散型(個体が群れたり離れたりする社会)であり、また同じつがいで長期間過ごす一夫一婦制であるという。同博士らは、そのため生存や生殖には協調や連携が非常に重要であることから、早い段階で物理的・社会的に高い認識能力を身に付けるのではないかと考えている」(「ニューズウィーク日本版」)なるほど、興味深い。前世紀には、類人猿やサルの高度の知能は「騙すこと」「権謀術数にたけること」「集団の中で出し抜き、優位に生存し子孫を残すこと」で「進化・発達した」という乱暴な研究が横行した。しかしそうではない。社会性や集団性は、そうした面を制御しつつ連帯や協同行動の進化を促すためにこそ進化したのだと考えることが明らかになりつつある。(文明)


 川柳  作 ジョージ石井

日韓と米中欲しい譲り合い(「譲る」)
ワクチンの見切り発車が命乞い
ハヤブサがコロナ見舞いに贈る砂
足型が睨みを利かすレジの列
母介護昔話でボケ防止(課題「防」)
国債が落ち葉のように舞う悪夢(「落ち葉」)
寄り道をした分無二の友がいる(「寄る」)
テレワーク見えぬ上司とデスマッチ(「炎上」)
べた褒めで夫の料理上手くなる(「単純」)
夜なべする母の曲がったままの指(「曲がる」)
シルバーシートへ二の足を踏む老春期(「二の足」)
老骨へ手加減しない砂時計(「計」)
原電の虚偽リスクに蓋をする(「原」)
無為無策野辺に送ったコロナ死者(「送」)
埋められる鶏へ葬送曲がゆく(「送」)
断捨離で過去から明日へ生き直し(「明」)
五つの小密を防げぬウサギ小屋(「密」)案内へ戻る


 読書室 保阪正康氏著『対立軸の昭和史 社会党はなぜ消滅したのか』河出新書 2020年10月刊

○戦後、野党第1党の位置を占めながらも、内部抗争を繰り返し、幾度ものチャンスを生かせぬまま、ついに消え去った社会党。この混迷は今のリベラルを掲げる野党にも引き継がれている。昭和とともに忘れかけられた戦後社会党の興亡を知らずして現代の政治を語ることは出来ない○

 この本を読む動機は2つある。1つは社民党「解体」を考える為である。2020年11月14日の臨時党大会の会場では怒号も飛んだ。社会党といえば左右の対立が激しく党大会で罵詈雑言や怒号が飛び交うのは日常だった。多数派の国会議員は泥船から逃れるネズミのように立憲民主党は逃げ込み、社会党の後進政党であるこの党は文字通り「政党ひとり」となった。唯一の国会議員兼党首は福島瑞穂再議員議員になってしまったのである。

 もう1つは、2000年3月、原彬久氏『戦後史のなかの日本社会党 その理想主義とは何であったのか』(中公新書)以来の戦後日本社会党史本に関心があったからである。

 保阪氏によれば、現代日本の中に社会党が残したものは以下の5つにまとめられる。
 1 平和、自由、進歩といったプラスイメージの語彙を空虚にさせた。
 2 生活の中の現実主義を湖塗するために空論を弄することになった。
 3 自らの論を絶対視して自省を著しく欠く行動を特徴とした。
 4 日本社会の歴史を天空から批判することに熱中しての傍観さがあった。
 5 独善主義に陥り、上から目線の言動に終始する愚を犯した。

 この5つこそ批判のための批判を繰り返す党内グループの動きそのものを集約するものだとし、この中の「平和」や「自由」を「聖戦」や「神格化した天皇」と換えてみるとまさに戦前の青年将校たちと同様の精神構造であろうとまで保阪氏は酷評するのである。

 こうした保阪氏の視点から、本書は戦後社会党の左右対立の実情を振り返りつつ、社会党の興亡を語っているのだが、党内左派(&総評)とりわけ社会主義協会が教条的で排他的であったとして、彼らが政権を担ったならば日本はソ連型社会主義国になったとする。

 では本書の構成を目次を引用することで紹介してみよう。

 序章 安倍的時代の先を見つめるために
 第1章 右派と左派、骨肉の憎悪
 第2章 60年安保以後、大衆社会の中で
 第3章 社会党はなぜ国民から見放されたか
 第4章 「社会主義」から「護憲」へ
 第5章 社会党の消滅と戦後の終焉

 要するに日本社会党は、戦前の無産政党の大同団結で誕生したのだが、その実態は思想的統合はなく、単なる寄り合い所帯であった。一旦は片山政権を樹立したものの、その後は階級政党か、国民政党かを巡る論争に明け暮れる。そして結局は左派が党内を終始牛耳った。「民主社会主義」を唱えた右派は脱党し民社党になった。さらに社会主義協会の影響が強まると「第二共産党」化してしまい、非武装中立だの、ソ連は日本より自由だ等の、空論が支配したことで党勢が低迷し、土井旋風があったものの、結局解党したのである。

 紙面の関係からここでは第1章から第4章については省略し第3章のみを紹介する。昔から「人を看るには只後の半截を看みよ」と言う。この名言は組織においても通用する。

 それではこの名言に従って、第5章の小見出しを詳しく紹介してみよう。

 双頭の鷲と化した土井社会党
 社会党vs自民党の核心
 「なしくずしの死」への道筋
 権力に媚びる「革新政党」
 「社会主義者」という虚偽の自意識

 第5章を保阪氏は「土井たか子の政治姿勢は、社会主義者というより原則的な護憲論者というべきであった」と書き出す。まさに1986年1月、社会党はこれまでの「日本における社会主義への道」を棚上げし、「政権政党」をめざす石橋委員長の下で階級闘争史観から脱却する「ニュー社会党」を「新宣言」で打ち出した。このように階級政党からの脱皮を模索する過程の、その年の6月に土井氏が臨時大会で委員長に就いたのである。

 土井氏が委員長に就いて3年目の11月にはベルリンの壁が崩壊し、12月にはマルタ島での米ソ首脳会談、さらにその2年後には米国の原水爆実験には反対しながらソ連の原水爆実験を断固擁護してきたように、日本共産党や社会主義協会が一生懸命に天まで持ち上げてきたソ連が現実に崩壊してしまった。1990年2月、つまりソ連崩壊の1年前に行われた衆議院選挙では、土井護憲社会党は消費税導入の1年後ではあったが、「消費税反対」を掲げて改選前83議席から一気に136議席に増加し、これまで選挙の度に議席減少させるジンクスを終わらせた。しかしこれが社会党消滅の始まりだったのである。

 1991年4月の統一地方選挙で社会党は首長選挙、都道府県選挙で大敗し、土井委員長は退任した。敗因は、国政選挙とは異なり地方選挙では護憲が明確な争点となりにくかったからである。その後の委員長は田辺氏。左派の上田氏と争った上での就任だった。

 双頭の鷲と化した土井社会党とは次のようなことを指している。その転機は湾岸戦争時の自衛隊派遣問題であった。社会党は久しぶりの牛歩戦術で徹底して闘う一方で、他方ではソ連崩壊に何らの反省も自己批判もしない党の体質は田辺現実路線となり、それは金丸氏との親密交際を通して行われおり、結局は金丸とともに彼は辞任に追い込まれた。

 これ以降の委員長等は世襲議員2代目の山花氏と同じく2代目の赤松書記長であり、その次は村山氏、久保書記長である。この間、自民党政権から非自民細川連合政権、羽田政権、自社さきがけの村山政権が誕生した。社会党はこれまでの政策を大転換し、自衛隊合憲・非武装中立の放棄・日米安保堅持等へと踏み込む。そして1995年1月阪神・淡路大震災、3月地下鉄サリン事件が出来し危機管理に直面する。5月には自衛隊合憲等を基本価値と政策目標とする「95宣言」を採択し、翌年1月には村山首相は退陣したのだ。

 こうして日本社会党は、一方では95年8月に「村山首相談話」、同年12月に「被爆者援護法」、「水俣病未認定患者救済」を打ち出したが、他方では村山後継首班に橋本龍太郎自民党総裁を推挙し、2年半ぶりの自民党首班内閣の復権に尽力したのである。

 私が本書を読む動機の1つに上げた『戦後史のなかの日本社会党』の中で著者の原氏は、社会党衰退の原因のすべてを「冷戦崩壊」に求めるのは誤りだとした上で「『日本社会党』という名の奴凧が『自民党』奴凧と激しく交差しつつ(略)『米ソ冷戦』の嵐に舞っていたときでさえ、みずからの体内に疲労と失調を抱え込んでその浮揚力をすでに失っていたといえるかもしれない」と書いた。保阪氏もこれに同感だが、さらにダメ出しする。

 保阪氏の下した結論とは、1993年7月の社会党の惨敗は社会主義協会等のドグマの全面的な敗北(議席は134から70へ)であり、やがて消えゆくことの序曲であったというものだ。彼らが理想としてきたソ連が崩壊したのに反省も真摯な総括もないからだ。

 畢竟、日本社会党には戦後日本国家とは何か、を真剣に総括してこなかったツケが回ってきたといえる。戦後日本国家を米国の政治学者からは米国の「保護国」と呼ばれ、オーストラリアの歴史学者からは米国の「属国」とまで言われている。なぜ社会党や共産党はこうした諸外国の学者の認識に対して自分の認識を対置することに真剣ならないのか。

 私たちは、「明治維新」にまでさかのぼり、近代天皇制、つまり日本の「国体」とは何かを真剣に考えなければならない。そうすることで初めて、日本国憲法や安保条約の真の意味が認識できるのである。そうした認識もなく、護憲というのはナンセンスである。

 読者の皆様にも本書を読み、戦後社会党の興亡を考えつつ、自分の認識を深めることを薦めたい。(直)


 「エイジの沖縄通信」(NO76)無人島・馬毛島買収に160億円もの税金が!

①馬毛島とはどんな島?

 沖縄の南西諸島への自衛隊ミサイル基地建設がどんどん進む中、鹿児島県の種子島のすぐ横に位置する馬毛島(種子島の西之表市に属し、西之表市から西およそ12キロメートルにある島)が、日本最大の自衛隊基地建設問題で揺れている。

 1980年の少し前から平和相互銀行が出資した馬毛島開発がレジャー施設等を作るといって住民から土地の買い上げを始めた。

 しかし1980年に最後の住民が島を離れて無人島となる。その後、タストン・エアポート社(立石勲社長)が1995年に馬毛島開発を買収して子会社にする。

 その後、この立石社長が馬毛島活用をめざして日本版スペースシャトルの着陸場とか、使用済み核燃料の中間施設の計画、等々持ち上がる。さらに、沖縄の「普天間飛行場」の移設先という話も持ち上がる。

 どの計画も実現しなかったが、それでも会社は2006年~7年に島に2本の十字の滑走路(写真参照)を建設するが具体的な計画は進まなかった。

②馬毛島買収160億円で合意

 ところが、2011年6月の「日米安全保障協議委員会」(いわゆる2プラス2)で、馬毛島が正式にFCLP(米軍の空母艦載機離着陸訓練)の候補地に挙げられた。しかしこの時は、種子島と屋久島等1市4町が反対したので地権者との交渉は進まなかった。

 2018年11月末に「馬毛島の買収合意へ」という報道がなされる。この合意に至る過程で、タストン社と防衛省との間で水面化の交渉が色々とあったと指摘されている。

 タントン社は最初460億円ぐらいを要求、防衛省の判定評価額は45億円くらい。民間業者の査定は3億~5億円くらいと。この大きな開きのせいで土地の売買交渉は全然進まなかったという。それが、2019年11月に160億円で買収合意したと発表されて、それから一気に買収が進んだという。

 この不可思議な交渉について、「週間新潮11月19日号」が特集を発表。タイトルは「利権の島に血税120億円が消えた!防衛省馬毛島買収に暗躍した加藤勝信官房長官」で、内容は「馬毛島の買収で地権者と合意した、と当時官房長官だった菅総理が発表したのは昨年(2019年)12月。買収の舞台裏は一切表沙汰になっていないが、その一端が分かる訴訟が密かに進んでいる。そこには加藤勝信官房長官の『口利き』を示す面談記録が証拠として提出されていた」と書かれている。
 
③馬毛島買収の目的は?

 防衛省は最初は米軍の「FCLP訓練」を行う場所にすると説明していた。ところが、2019年12月の買収合意以後、防衛副大臣が2回地元に来て「自衛隊馬毛島基地の整備」であると説明。

 その後さらに「陸海空自衛隊の総合的な訓練拠点」とすること、具体的には「自衛隊戦闘機の連続離着陸訓練」や「F35Bの模擬艦艇発着艦訓練(日本版のFCLP訓練)」や「V22オスプレイ訓練」を含めて12種類もの訓練を展開することを示した。

 さらに、敵の南西諸島攻撃(離島に軍事衝突があった時)に対処する展開活動拠点にして、物資や装備や人員の集積拠点にするとの事。また、米軍のFCLP訓練施設としても使用するとの事。この三つの機能を持った自衛隊馬毛島基地を建設することが明らかになった。

④自衛隊配備反対の市長誕生と反対運動の盛り上がり

 2017年に市長選・市議選が行われ、市長選は6人も候補者が出る混戦だったが、基地反対の矢板俊輔さんが当選した。市議選においても、定数16のうち基地反対派候補が11人も当選している。

 2019年12月には自衛隊配備反対の市民運動が再結成されて、改めて署名活動を始めている。2回防衛副大臣が来島した時には市役所前で抗議集会を開き、100名を超える反対市民が集まってシュピレヒコールをあげる等、反対運動が続いている。

 この馬毛島への自衛隊配備問題が拡がる中で、矢板市長が馬毛島の自衛隊基地建設に対し不同意であることを表明し、その事が全国紙でも報道され一挙に馬毛島の自衛隊基地問題が全国に拡がったと言える。

 矢板市長が「馬毛島への自衛隊基地の建設」に同意できない理由を述べているが、その内容は「①基地経済に頼った地域の発展は一度踏み入れれば引き返せなくなる。②静かで豊かな環境を守り地域本来の力を信じて進む道が目の前に開かれている。③そして地域経済に依存しないまちづくりを推進することにこそ、持続可能な社会への希望がある。④さらに、将来にわたって島の子どもたちが安心して生活できる島を築くことが、安心して生活できる島を築くことが、今の生きる者の責任である。」と述べている。

 この不合意の表明に対して、島の内外からも評価する声がすごく届いており、これからの反対運動にも弾みがつくであろうと言われている。(富田英司)案内へ戻る


 沖縄戦の犠牲者たちの骨を米軍事基地の「土砂にする」という冷酷非道な計画
  辺野古埋め立ては許されない


「辺野古埋め立てに「激戦地の土砂」検討、多数の遺骨混入の恐れ 土砂投入2年」(東京新聞 TOKYO Web)の記事を読み、驚愕したのは私だけではないと思う。まさに「人倫にもとる行為」とは政府・防衛省のこの計画のことではないか。辺野古基地埋め立て計画の土砂に戦死者の遺骨が含まれる、とは。

政府が県民の怒りや悲しみを踏みにじり辺野古沿岸部への土砂投入に踏み切って2年がたつ。『東京新聞』によると、防衛省は埋め立て土砂の採取地に本島南部の糸満市と八重瀬やえせ町などを追加した。南部は先の大戦で犠牲になった戦没者の遺骨が今も残るとされ、今後の埋め立てで遺骨まじりの土砂が使われる可能性がある・・というのだ。沖縄戦の犠牲者たちの骨を米軍事基地の「土砂にする」という残忍非道な計画に驚き怒るのは沖縄県民だけではないはずだ!!辺野古基地建設は許されない。(文明)


 コラムの窓・・・郵便は土曜休配でどこへ行く!

 昨年11月27日、参院本会議で普通郵便の土曜休配の廃止などを柱とする改正郵便法が全会一致で可決、成立しました。郵便局員の負担軽減と手紙やはがきの減少に対応するためだとされ、日本郵便は今秋から実施予定としています。その真の狙いは何か、郵便労働者にとってどのような意味があるのか。そして私の古巣、郵便局はどこへ行くのでしょうか。

 郵便法などという法律があることを知っている方は少ないでしょうが、私にとって郵便法第1条は40年余の郵便配達における指標としてありました。

第1条(この法律の目的)「この法律は、郵便の役務をなるべく安い料金で、あまねく、公平に提供することによつて、公共の福祉を増進することを目的とする。」

私は「あまねく公平に」に仕事をするんだ、と思って郵便を配っていたのでした。

 郵便休配の経過をみると、最初に全逓の日曜配達廃止の闘いがあり、私が就職した1970年にはめでたく日曜日は休みになっていました。そのかわりに、月曜日は休みが取れなくて30分早い7時半出勤でした。だから、月曜日は郵便は大変多くて、日曜日の夜は憂鬱になったものです。

 ちなみに当時、祝日は配達があったのであまり休むことができず、成人の日も私は郵便を配っていました。さらに盆や正月もない、もちろんゴールデンウイークもない郵便職場。ですから、定年退職で年末年始を働かなくてよくなったとき、やっと人並の生活になったという感慨に浸ったものです。

 さて土曜休配ですが、今回もきっと月曜日は大変になるので、土・日休みだと単純に喜べないでしょう。しかも勤務は4週8休で変わらないから、平日にあった非番の休みがほぼなくなり、生活への影響もあるでしょう。もっとも、配達は休んでも郵便の流れは止まらないので、郵便内務労働者や速達・小包の配達は毎日あり、変則勤務がなくなることはありません。

 それでは、闘う郵便労働者は土曜休配をどのように見ているのか、闘う郵便労働者の機関紙「伝送便」(2020・12)の〈特集 現場から見た「郵便法改正」〉から紹介しましょう。まず、この〝改正〟によって5・4万人の要員が生み出されて、600億円の経費節減効果があるとする郵政経営陣の試算を示しています。

 それでどうなるのか、まず要員不足の解消だけではなく劇的な人減らしが実施されるとし、「期間雇用社員は年間1万人から1・4万人退職するので、毎年同じ数雇用している。つまり、3年を待たずにして4万人は自然減出来る」と予測しています。郵政内最大労組にして御用組合のJP労組は改正に協力的だそうなので、経営側のこの目論見を阻止するのは困難でしょう。

 土曜休配の社会的影響はどうか、例えば私も購読している「週刊金曜日」は時に土曜配達になることはあるけど、これが月曜配達はさすがにダメでしょう。新聞も郵便配達に頼っているとこともあり、日刊紙は毎日配達しなければならないでしょう。どうしても土・日を挟んで遅れたら困る郵便は速達で出さなければならなくなる可能性もあり、ますます郵便離れが進むと思われます。

 郵便局はどうなるのか、経営側はすでに普通郵便に見切りをつけ、小包等の物流と不動産(土地資産の活用)に活路を開こうとしているようです。なので、郵便職場はスクラップ化の対象としか見ていないでしょう。郵便労働者にとっては〝進むも地獄、引くも地獄〟の様相ですが、ユニオンの労働者が闘い取った郵政労契法20条裁判の成果がこの社会を支えるすべての非正規労働者のものとなる、そんな初夢はいかがでしょうか。 (晴)案内へ戻る


 コロナウイルス対人間の未来について

 ●中途なコロナ対策 

 コロナ対策と言えば、コロナウイルスに対抗する有効なワクチンがない中では、ソーシャルディスタンス=「社会的距離」を保つために「密閉空間」「密集場所」「密接場所」の「3密」を避け、A(当たり前のことを)B(馬鹿にせずに)C(ちゃんとやる!)ことが大事と言われて、手洗い、咳エチケットとしてのマスク着用、換気など D(できることを・どこまでも)行うというのが感染予防の主な対策であった。

 しかし、利潤追求の経済活動を止めることが出来ない各国政府は、『コロナと生活』のどちらも果たすと称して、経済活動優先の対策(日本ではGOTOキャンペーンなど)をとってきた。

 結果、A・B・C・D対策は精神的なかけ声となり、コロナ禍は留まるどころか感染拡大は広がり、感染率の高い変異したコロナウイルスさえ発生している事である。

 朗報?としては、早くても2~3年はかかるだろうと予測していた新型コロナウイルスのワクチンだが、米ファイザー社などが開発した新型コロナウイルスのワクチン接種が12月8日、英国で始まった。

 日本にも供給が予定されているが、審査を簡略化できる「特例承認」を適用したりして、審査に2~3ヶ月かかるところを、新型コロナの治療薬レムデシビルにはこの制度が使われ、申請からわずか3日で承認されるなど、安全性などの確認・検証と同時進行で接種されている。

 英国や米国では、小数だがアレルギー反応など発生し、ワクチンの安全性や効果など未知数でも、他のワクチンの実用化と共に急がれているが、効果は1~2年経ってみないとわからないとも言われているので、ワクチンを手にしたことで、世界的大流行(パンデミック)は収束に向かうのかどうかは不明だが、ワクチン接種の実施は明るい話ではある。である。

● コロナウイルスに勝利することは人間のエゴ。

 政府は10月23日、東京五輪・パラリンピック競技大会推進本部の会合を首相官邸で開いたが、本部長を務める菅義偉首相は東京大会について「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証しとして開催し、東日本大震災の被災地が復興を成し遂げた姿を世界に向けて発信する場にしたい」と表明。予定通り来年7~9月に東京五輪・パラリンピック競技大会を実施することに強い決意を示した。

 利潤追求の経済活動を進める自民党政権はオリンピック開催を契機として停滞している経済活動を活性化するためにはコロナ憎しで、コロナをやっつけたいのだろう。

人間は害を及ぼすものを敵対視し、利権を争うものには、相手を戦争等で破壊し打ちのめすことが生きる為だと信じられてきたが、果たしてコロナウィルスを絶滅することが出来るのか?

 コロナワクチンは人間への感染を防ぎ、抗体を生成し、病気の悪化を防ぐものでコロナウイルスを死滅させるものではない。コロナウイルスが人間に害を与えないようにするだけで、コロナウイルスも生き続けて行くのである。

 お互いが存在し合い生きていると言うことは、いつか又害をおよぼす可能性も否定できないが、その存在を完全否定するのではなく、ウイルスが人間の生存に役立っているものもあるように、理解すれば“共生”は可能と言えるだろう。

人間は神でも全能者でもないが、自然界を理解する能力を持った生き物として自然界に存在している。

 人間の“考える”能力はまだまだ発展途上であるが、この能力を最大限に発揮しさえすれば、あらゆる困難--差別・貧困・自然災害・諸々ーーを乗り越えていくことが出来るであろう!(光)


今の“民主主義”に埋没することなく真の民主主義を求めて。

 政府主導による「官製春闘」や「同一労働同一賃金」とか「ベーシックインカム=BI」=“最低限度の生活”ができる収入を無条件で給付する、という考えに基づく制度=等々・・・かつては労働組合や自民党政権に異を唱える野党が掲げていた要求や政策が、政権主導によって、“社会保障制度”として持ち出されている。

 資本主義経済の発展と民主化によって、社会民主派の弱体化と政権内部への取り込みなど進み、労働組合や野党の役割が薄れ、あたかも抑圧者と非抑圧者ーー資本と労働者と言う階級対立がないかの機運さえ生まれている。

 民主主義の発展・深化が浸透すればするほどこういう“社会保障制度”や“平等主義”は一見進んでいるかのように見えるものだが、果たして社会・民主主義派としての面目躍如が問われるときでもある。

 格差拡大、生活困窮が叫ばれている中で、コロナ過や景気の低迷を受け解雇や雇い止めが起こり、今年度の賃上げはしないと賃上げに難色を示す資本家連中がいるように、増税や社会保険料の値上げなど、犠牲を弱者に押しつける行為はなくなってはいない。

 資本と労働者との関係は基本的には変わっていないのであり、経済的停滞の犠牲者は常に非抑圧者である労働者・働く者・弱者にかかってくるのが現代社会である。使う人と使われる人--抑圧者と非抑圧者がいるかぎり社会的不平等は起こるし、対立はなくならない。

 “民主主義”の下に抑圧者(支配者)は非抑圧者(労働者大衆など)からの要求に余力があれば応えるだろうし、余録がなければ抑圧するという“アメとムチ”の強弱が繰り返されて今日に至っている。

 階級対立がある中での“平等”は限られた“民主主義”であり、民主主義社会の限界とも言えるのだが、真の平等社会を実現するためには階級対立を無くすこと、少数の抑圧者に変わって多数の非抑圧者が抑圧者の地位を奪い、抑圧者を無くすこと以外にはなしえない。

 しかし、非抑圧者が抑圧者の上に立つことはそう簡単なことではなしえない、大多数の非抑圧者が何より少数の抑圧者より上に立つという自覚が必要であり、その為の力量を獲得しなければならない。

 多数の非抑圧者ゆえに抱く仲間意識や団結心によって養われた活動経験と、その自然発生的行動を意識づけて、政治的な要求と行動に結びつける意識的活動との結合無くしてはなしえない。

 今行われている生活保障や“民主主義”は絶対的なものではないのだから、まずは、抑圧者から非抑圧者を守るための生活保障や“民主主義”(政治的自立と自由)を守り獲得する活動を絶えず取り組むこと、支配者=抑圧者の社会保障や“民主主義”が中途半端でいい加減なものなのかを暴露しつつ、真の社会保障や民主主義を明らかにしていくことである。(乙見田)


 色鉛筆・・・女川原発再稼働に想う

 十二月四日の大阪地裁は大飯原発3・4号機(福井県おおい町)に対する国の設置許可を取り消す判決を下しました。まさに画期的といってよい「勝利」です。長いこと原発に反対している私にとっては、とても励まされる出来事でした。

 この判決は、想定される地震の最大の揺れを示す「基準地震動」の算定について、「看過しがたい過誤、欠落がある」と厳しく指摘。さらに、基準地震動は原発の耐震性判断の要となる重要な指標となるため、この判決は同じ算定方法に基づいて建てられた全国の原発に大いなる影響を与えることとなります。

 弁護団長を歴任した冠木克彦弁護士は「大きな地震が来た時にどうするのかと裁判で説明を求めてきたが、論理的な証拠が全く出てこなかった」「全ての原発で地震想定を見直すための議論が始まるだろう」と(毎日)。女川原発も津波があと一メートル高ければ、福島原発と同じ運命を辿っていたでしょう。

 三年前大飯三・四号機が規制委の安全審査に合格して以来、規制委から度重なる指摘を受けて「安全対策」の修正を重ね、工費は当初計画の約一〇八億円から10倍以上の約一三〇〇億円に膨ら見ました。三十年に再稼働後、テロ対策工事「特定重大事故等対処施設」も追加し、工事総額は二八〇〇億円超になりました。実に二十数倍です。今回の司法判断で安全性の水準がさらに上がる(産経新聞)。今更ながら、原子力発電は環境汚染ばかりではなく、高コストの電力であることがわかりました。

 原発が前世紀の遺物であり、環境のお荷物であり一刻も早く廃棄されるべきことを新たに証明するものです。女川原発の再稼働も当然中止すべきです。

 賛成か反対か県民全体に確認する投票もできず、原発に反対する県議会の意見に耳を傾けることなく再稼働に向けて進んでいます。原子力規正委員会が安全だという話しも信じられません。

 女川原発の近くに住んでいる住民からは、原発が怖いけれど、毎月お金をもらっているから何も言えない。漁業の収入が不安定だから、原発労働者になリませんかとか生活補償を盾に弱みに付け込みすぎだと想います。本当に大切なことは何かを考え、政府や自治体は原発にお金を使うのではなく、津波に奪われた町や地域の生活を保障し楽しく過ごしていけるように支援すべきです。  (宮城 弥生)

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