ワーカーズ617号(2021/4/1)    案内へ戻る

  ジェンダー平等の社会を目指そう! 女性を家族制度から解放し個の確立へ

 自民党の国会議員有志50名が、地方議会に夫婦別姓に賛同する意見書を採択しないようにと、40都道府県議会議長に文書を送っていたことは、既に明らかになっています。あろうことか、新しい男女共同参画担当相・丸川珠代氏がこの文書に名前を連ねています。女性が働き易い環境を整えて行くべき担当相として、その方向性とは真っ向から対立し、不適格と言わざるを得ません。しかも夫婦別姓導入反対の理由は、家族単位の社会制度崩壊を招くという時代錯誤も甚だしいことです。

 このように、第5次男女共同参画基本計画に、本来なら盛り込まれるはずだった選択的夫婦別姓制度は、見送られることになったのです。合わせて、政治家や管理職の女性割合についても「2020年代の可能な限り早期に30%程度」と、従来の目標を先送りし、明確な年限を設けていません。この点でも政府の消極的姿勢が浮き彫りになっています。答申から25年、社会の変化を無視し、放置してきた政府の無責任な姿勢は、許されることではありません。

 また、東京五輪組織委員会会長だった森喜朗氏に至っては、女性蔑視発言で辞任に追い込まれました。国内だけでなく世界のジェンダー平等の視点から、批判を浴びるのは当然のことだったと言えます。このことは、自民党内を含め保守的な人も、ジェンダー(性別による不平等)を意識せざるを得ない状況になりつつあるということです。世界153ヵ国中、121位(2019年版)というジェンダーギャップを持つ日本の社会は、どう変えて行けるのか? 男性中心の政治家では期待できません。私たち女性の声を、政策決定の場に持ち込むこと、それは女性議員の数を増やしていくことに他なりません。

 そもそも、日本において、夫婦ともに「家」の氏を称し同氏になると民法で定められたのは明治時代の1898年で、たかが120年しかありません。徳川時代は町民・農民は名字・氏の使用は認められていませんでした。1875年に氏の使用が義務化されても、妻は実家の氏を名乗らせ、「夫婦別氏」を国民のすべてに適用することとしたのです。氏の義務化が実施される2年前、陸軍省が「兵役法」を発布、その兵籍取調に氏が必要になり、明治政府が「家父長制」を利用し陸軍強化を図っていったと思われます。

 コロナ禍で、女性の自死率が15%も増加しているのが現状です。心身共に安定した生活を送るには、労働環境の整備が必要なことは言うまでもありません。まずは、女性が多く占める非正規から正規労働者への移行を、政府が政策的に実行すべきです。96%が夫の姓にしている社会の一方で、札幌地裁で同性婚を認めないことが差別的で、「法の下での平等」である憲法14条に違反するという画期的な判決が出ました。残念ながら憲法24条の「両性の合意」には反しないと判断されましたが、社会が変わりつつある兆しは見えています。
 色んな性を受け入れ、個人を尊重する社会へ、そして家族に縛られる子どもを生み出さない社会を創り出そう。孤立し悩む女性を見守り大きく包みこむ、そんな社会の実現に向け、女性の皆さん、共に行動しましょう。(折口恵子)


  米中「新冷戦」時代の到来!?――米国の対中戦略に組み込まれる日本――

 米国バイデン政権が本格的にスタートするや、米中が衝突する場面が目立ってきた。両国の戦略的思惑が衝突しているからだ。

なかでも中国と地理的に向かい合う位置にある日本は、米国の対中封じ込めの前線基地の位置に立たされようとしている。

 大国間のパワーゲームに対抗し、日米中のそれぞれの労働者・市民による自国政府への監視の行動を拡げることから、国家間対立のエスカレーションを封じ込めていきたい。

◆対中包囲網と中国の〝野望〟

 バイデン米大統領が誕生してから二ヶ月あまり経過した。この間、バイデン政権による対中封じ込め策が新展開している。これは、クリントン政権の「戦略的パートナーシップ」、オバマ政権の「建設的、協力的な関係」といった位置づけから大きく転換したもので、オバマ政権後半の中国の脅威を意識した「アジア・リバランス」、トランプ政権の「米主導の秩序への挑戦」「競争国」という対中封じ込め政策を踏襲するものになっている。そうした立場から、バイデン大統領は、同盟国などを巻き込んで周到に準備した対中封じ込め外交を始動したわけだ。

 3月に入ってバイデン大統領は、「日米豪印4カ国」によるリモート首脳会議を主催した。その直後、日米「2プラス2」会談、米韓「2プラス2」会談と、矢継ぎ早に外交・軍事トップ会談をおこなった。その上で、中国との外交トップ会談に臨んだのだ。

 3月13日にアラスカで行われたその会談は,冒頭から大荒れ、異例の展開になった。米国のブリンケン国務長官が「新疆ウィグル自治区、香港、台湾、サイバー攻撃、同盟国に対する経済的な威圧」など、「中国の行動は,世界の安定を維持するルールに基づく秩序を脅かしている」と中国を非難した。

 対する中国外交トップのヤン・チェチー政治局員は、平和や公平・自由は国連や国際法に基づく秩序で守る、米国には米国の、中国には中国の民主主義がある。」「中国への内政干渉」と反発した。要するに、これまでの米中対立の小競り合いを超えて、米中激突時代への到来を印象づけたのだ。

 要するに、人権外交・封じ込め外交の継承だ。中国による人権弾圧や大国化を背景とした「覇権行動」への傾斜が明確になるにつれ、米国による中国への圧迫も強化されつつある、というわけだ。3月30日に公表された安全保障の基本戦略では、中国は「安定した開かれた国際システムに挑戦する力のある唯一の国だ」とされている。その他、バイデン大統領はじめ米国高官による相次ぐ強硬発言にも現れている。次のようなものだ。

 ○バイデン大統領――中国は「最も重要な競争相手」、「民主主義」対「権威主義」の競争。
 ○ブリンケン国務長官――「21世紀最大の地政学的試練」と位置づけ(3月3日)
 ○デービッドソン米国インド太平洋軍司令官――「中国は21世紀の安全保障にとって最大の長期的な戦略的脅威だ」 3月9日、上院軍事委員会
 ○オースティン国防長官「中国は増大する脅威だ」3月16日

 唯一の超大国として世界に君臨してきた米国。その米国がいま、中国への対抗心にむき出しの警戒感と封じ込めの姿勢を隠さなくなっている。

 対する中国。現時点で中国の国防予算は日本の4倍だが、他方で米国の3分の1でしかない。だから中国側からすれば、「日米一体での対中包囲網で圧迫されているのは中国のほうだ」(軍関係者)という認識だ。「FOIP」についても「アジア版NATO」だと反発する姿勢を強めている。

 その中国。2017年の第19回共産党大会では、建国100年に当たる2049年頃には「世界最高水準の総合的な国力」を持つ「社会主義現代化強国」を目ざすと宣言している。習近平の「中華民族の偉大な再興」だ。2021年の今年は健党100年を迎え、重要な節目を迎える。建国100年を目標とした大国化への野望を棚上げすることは許されないし、強硬派も抱える中国で習近平政権の基盤を盤石にするためにも、また2期10年を超えて中国トップに君臨する野望も視野に入れる習近平主席としても、「屈服は許されない」との思いなのだろう。

◆軍産複合体

 中国の国内的な強権政治や覇権国家志向の膨張政策は、むろん批判されるべきものだ。とはいえ、米国も他国を批判する資格はない。あのトンキン湾事件のでっち上げで「北爆」に踏み切ったベトナム戦争や、大量破壊兵器を隠し持っているというでっち上げで強行されたイラク侵攻は,つい先日のことだ。第二次大戦後も世界のあちこちで戦争を続けてきた「戦争国家=米国」もまた批判されるべきなのだ。そもそも米国が対中封じ込めに動く動機は、自分だけが唯一の覇権国家であり続けるべきだ、という自己中心主義によるものだからだ。

 バイデンの米国が対中包囲網づくりに突き進むのは、地球規模で米国の覇権に挑戦する中国を牽制し押さえ込むという覇権国家としての戦略でもあるが、もう一つの側面も見ないわけにはいかない。軍産複合体の存在だ。

 トランプ政権時代にも、F35ステルス戦闘機や陸上イージスの導入など、日本にも米国産兵器の爆買いを押しつけてきた経緯もある。バイデン大統領も、対中危機感を振りまき、対中包囲網づくりをめざすのも、それが軍需産業の利益に繋がるからだ。

 実際、米国政権の軍需産業との癒着は、共和党や民主党を問わずこれまでも温存されてきた。核兵器廃絶を掲げて大統領になったオバマ政権の下でも、その核兵器廃絶の旗を掲げ続けるのと引き換えに、30年間で1兆ドル(約110兆円)もの核兵器近代化計画を飲まされた、という経緯もある。それだけ軍産複合体の利権構造は根深いものがある。象徴的なのは、軍事会社大手レイセオンの取締役を務めていたオースティンが国防長官になったことだ。軍産複合体の癒着は、バイデン大統領になっても変わらない。

◆変質する「自由で開かれたインド太平洋=FOIP」

 日本はどうか。菅(スガ)政権は、3月13日の日米首脳によるリモート会談では中国を名指しして批判することは避けた。が、16日に行われた日米「2プラス2会談」では、尖閣諸島をめぐる中国牽制はむろん、香港や新疆ウィグルでの人権侵害や台湾海峡の「平和と安定」への言及など、中国を名指しした共同声明を発出した。その後行われた米韓「2プラス2」では中国への批判がなかったことと対照的だった。

 菅政権は、米国の対中包囲網に同調した形だが、あれほど対中包囲網づくりに執拗だった安倍政権でさえ、台湾海峡での中国の態度に対して直接的な言及は避けてきたのと比べて、明らかに踏み込んだ態度だった。それを推し進めれば、いざ米中激突になったとき、日本は米国の先兵として対中衝突の前線部隊・前線基地となる。果たして菅首相に、そうした覚悟と決意の上だったのだろうか。

 今回のバイデン大統領ら4カ国のリモート首脳会談や「2プラス2」だが、そこで浮かび上がったのは、「自由で開かれたインド太平洋=FOIP」の変質だ。

 2016年に安倍首相の提唱で始まった「自由で開かれたインド太平洋=FOIP」〝戦略〟は、安倍政権時代のものとは少し違っている。安倍首相の提唱で始まった「価値観外交」や「自由で開かれたインド太平洋=FOIP」〝戦略〟の提唱に対し、外交儀礼上はアジア各国とも同調姿勢を見せていたが、実体は伴わないものだった。提唱国の日本でさえ、19年には「 Strategy=戦略」を外し、「ビジョン=構想」に〝格下げ〟した。が、中国の国力の増強と習近平の強権政治や膨張主義が、近隣国だけに止まらない警戒感を抱かれるに従って、対中姿勢が変わってきたわけだ。

 米国にしても、バイデン大統領は、当初、日本が主導する「FOIP」という用語を使わなかった。昨年11月12日の菅首相とバイデン氏による最初の電話会談では、「『繁栄し安全なインド太平洋」の基礎としての日米同盟を強化する』」方針について協議した、と事後発表していた。

 付け加えれば、その直後の14日、菅首相は東南アジア諸国連合と日中韓の首脳会議後、首相が『平和で繁栄したインド太平洋」をともに作り上げたい」と述べて、『自由で開かれた』というイデオロギー的価値観を示す言葉が使われなかった、という場面があり、一時、物議を醸した場面もあった。要するに、菅政権自身の足下も固まっていないのが実情なのだ。

 そんなFOIPだが、バイデン大統領は就任後、はっきりと「自由で開かれたインド太平洋=FOIP」を採用した。そして、周到にも事前に日米豪印という「QUAD(4つの意味)」という対中包囲網をはっきりと中国に見せつける形で、米中外交会談で態度で示したわけだ。安倍日本が提唱した日本主導の対中包囲網の形成が、米国主導へと変質した瞬間だった。

 とはいえ、米国が「自由で開かれたインド太平洋=FOIP」を対中包囲網づくりに接合したこと自体、米国の国力・軍事力の相対的後退の反映でもある。かつての95~96年の台湾海峡ミサイル危機では、米軍の二つの空母艦隊を台湾海峡に派遣しただけで、中国を屈服させた経緯がある。そのとき米国は、同盟国の支援など無関係に単独で軍事的圧力をかけて中国を引き下がらせたのだ。

 米国は、まだまだ経済力でも軍事力でも中国を凌駕する規模を保持している。が、経済力であと10年、30年ぐらい後には米国に比肩する軍事力を保持する目標を掲げている中国。同盟の力を利用しなければ、単独では中国の台頭を阻止できなくなる、という米国の危機感の現れでもある。

◆日本は米中激突の最前線に!?

 すでに触れたが、現時点での米国主導による対中包囲網に、日本も本格的に加わることになるのか。かりにそうすれば、日本は米国の対中包囲網の最前線に置かれることになる。米中衝突が起これば、主戦場は南・東シナ海が戦場となる。インドはそもそも対中包囲網への参加は、自国の対中戦略とは相容れない。インドにとって中国は国境紛争を抱える隣国である。その中国と正面からの衝突など望んではいないからだ。

 豪はどうか。今では中国とつばぜり合いが続いているが、インドネシアを挟んで遠い中国と正面から闘うことはできないし、それだけの軍事力もない。結局、東シナ海で尖閣諸島という係争地を抱え、南西諸島を対中防護壁として軍事化を進める日本が、中国の矢面に立つことになる。中国にとっても、沖縄を中心とする南西諸島を突破しない限り、外洋には出られず、台湾包囲網すら築けない。

 こんなイメージが現実になれば、米中軍事衝突は沖縄は言うに及ばず、日本本土も主戦場になる。それは悪夢以外の何物でもない。そんな事態を招き寄せることは、何としても避けなければならない。

 しかし、右派や保守派など対中強硬派は「それに備えよ」という。冗談ではない。彼らに日中激突への覚悟と決意が本当にあるのだろうか。それがあっても無くても、そんな瀬戸際外交はきっぱり止めさせなければならない。

 しかし、そうした悪夢も夢物語とは言えないような発言もある。米インド太平洋軍のデービッドソン司令官は3月9日の議会証言で「台湾に対する中国の脅威は今後6年以内に明らかになるだろう。」と、中国による台湾への武力侵攻の可能性を示唆する発言を行った。どんな根拠があるのか現時点ではっきりしないし、中国脅威論を煽るだけの発言かもしれない。が,仮にそうした現実が起こった場合、また米国が台湾防衛のための軍事行動に踏み切った場合、同盟国日本はそれに加わるのか、加わらないのか、究極の選択を迫られることになる。そんな中での「2プラス2」での「台湾海峡の平和と安全の重要性」に言及した菅政権の対中批判であることの意味を、改めて考えさせられる。

◆労働者・民衆レベルの国境を越えた連帯を!

 日本では政権与党の自民党ばかりでなく、立憲民主党や共産党まで、尖閣諸島など領土問題ではほぼ〝固有の領土論〟に立っている。

 例えば共産党。「日本の領有の正当性を説く外交努力」と言っているが、「尖閣は日本による先占(=最初の領有行為)による日本の領土」だとしている。1972年に当時の田中角栄首相と周恩来首相が日中共同声明を出すにあたって周恩来が『いまこれを話すのはよくない』として“棚上げ”を主張し、日本側は事実上同意してしまった、日本政府は尖閣諸島の領有権について、この時にはっきりと主張するべきだった、という立場だ。

 そうだとすれば、中国の武力侵攻にはどう対処するのか。政権と一緒になって中国と闘うとでもいうのだろうか。打算も含めた自民党政権以上にナショナリズム派なのだ。

 立憲民主党はどうか。こちらは「話し合い」「外交交渉で」という以外に、確固とした政策はなし。こういう情況では、尖閣や台湾をめぐる武力衝突が起こっても、それに対抗する陣地からの闘いなど起こせない。野党ともども、戦争体制に動員される他はない、というところだろう。

 バイデン政権になって改めて浮かび上がった米国を中心とする対中封じ込め戦略。かつての東西冷戦を彷彿させる事態だ。が、現実は以前と違う面もある。東西冷戦では軍事的な東西対峙に止まらず、経済的交易でも両陣営はくっきり分かれていた。しかし、今では米中交易は世界最大の比重を占めており、それだけ相互依存も深まっている。両陣営が政治的・軍事的に敵対関係を拡大すること自体が、時代に逆行したものであることを物語っている。それを強行する他はない主権国家関係を清算し、共同・協力関係の地域間協調の形成が必要になっているとの時代認識を共有すべきであろう。

 領土紛争も含め、覇権を巡って争う各国の政権と一線を画して、労働者・民衆の立場から領土紛争と戦争の反対する闘いを拡げていきたい。(廣)案内へ戻る


  富裕層高級品爆買い「コロナ対策で格差拡大」 金融大緩和がもたらす深刻な社会の亀裂 !!

「JBプレス」に珍しい「所得格差告発」記事が掲載された(三月八日)。論旨は竜頭蛇尾だが指摘された点は重要だと思われる。JBプレスの記事からやや長い引用をします――「日本百貨店協会によると二〇二〇年十二月における飾品・貴金属の売上高は、他の商品が軒並み大幅なマイナスになっているにもかかわらず2%の増加となった。百貨店における宝飾品・貴金属の販売実績は富裕層の消費動向を示す有力な指標のひとつといわれており、大抵の場合、株価や不動産価格と連動して消費が増える。首都圏における新築マンションの平均販売価格も上昇しており、二〇二〇年はとうとう六〇〇〇万円を突破した。コロナ危機で開発案件が減り、その分だけマンション供給も減ったが、高額物件を中心に消費者の購入意欲は強く、逆に価格が引き上げられている状況だ。」(富裕層爆買い「コロナで格差拡大」は日本の大問題 株高がもたらす構造的格差を見過ごしてはならない・JBプレス)――引用終わり。

■コロナ「対策」として各国政府が強力に実施している財政追加出動と大金融緩和は、世界でも日本においても格差の拡大に結果したが、それは残念なことに完全に予想の範囲であった。日本においてはアベノミクスの七年間を含めて低成長が続き、「異次元の金融大緩和」が施行されてきた。そんな令和不況からコロナ大不況へと経済の収縮が加わり、さらなる空前の金融緩和と財政出動政策が開始されたのである。金利の低下や信用の拡大政策、財政支援である給付金の散布は、たしかにある程度は連鎖倒産を防ぎ、労働者・低所得者の苦痛のいくらかの緩和にはなったかもしれない。

しかし、この機を逃す気のない富裕層は、株式や証券など金融資産やその他の資産(土地建物、宝飾品、ビットコインなど)の買い増しを進めた。富裕層や金融資産の所有者はそれゆえにバブルが大好きである。つまり、バブルを利用すれば金融資産運用を通じて金融資産を膨らますばかりではなく、他方では実在的富を引き出すことができるからである。

■つまり現在の彼らの戦略的行動は二つ。先行き不透明の局面にあるので一つには「資産価値の確保・保全」である。それ自身無価値な株や債券類(架空資産)の「より確かな」資産へのシフトである。二つ目にはさらなる金融資産の強気の取得だ、何せ政府や中央銀行が総がかりでバックアップしているのだから。

彼らは完璧な資産ポートフォリオを作り、計画的に行動しようとしている。だから株式などの架空資本も上昇するが金、宝飾品、土地建物の売買も活性化するのだ。

■一般的に言って、金融資産を持つものは、賃労働やささやかな自己営業にすがる庶民よりも長期的に有利なのであり、それはピケティの「二十一世紀の資本」が統計的・マクロ的に示したことである。その上に立っていえば、このカラクリは、我々が日常的に接する様々な金融サービスにある。他方では大掛かりな官製相場と化した右肩上がりの株式(金融資産)相場の中にある。もちろんバブルの崩壊は彼らにと手危険である。「架空の富」を実体的富へと不断に転嫁できる信用制度の「安定」も欠かせない。現在の日本や世界の金融当局による金融大緩和政策のさなかではこれらの機能はとりあえず盤石となる。濡れ手に粟、とはこのことだろう。このような追加的な庶民収奪構造に無関心でいてはいけない。

■金融取引の制限や課税を。有価証券取引税や取引所税の復活強化を。日銀やGPIFは株式市場から撤退せよ。消費税を廃止して、所得税・法人税の累進課税を強化せよ。政府はMMT的政策を中止せよ。財政拡大・金融緩和政策を停止して、インフレを阻止せよ。低所得者層へコロナ対策費を集中せよ。(アベフミアキ)


  川柳 作 ジョージ石井

 「非公開透明性を黒く塗り」
 「遍路道忖度のないお接待」
 「焼き芋が冷めた心に温かい」
 「空手形空から叱る滋さん」(課題「昨年の出来事から」)
 「法螺吹きが負け皺増えた星条旗」(「昨年の出来事から」)
 「片仮名のシャワーを浴びる錆びた脳」(「片」) 
 「片付けが楽だと鍋の出番増え」(「片」) 
 「埋められる鶏の零れてくる挽歌」(「こぼれる」)
  語り部の地震体験聴く鼓動(「ショック」)
 「スーパーへ冷やかし今日も根無し草」(「ぶらぶら」)
 「米国へウインク北の核強化」(「こっち向いて」)
 「ブレーキとアクセル生死すぐ隣」(「勘違い」)
 「円満な夫婦無口で用が足り」(「円満」)
 「核兵器持つ大国の平和主義」(「失格」)
 「悲しみも再スタートの十年忌」(「スタート」)
 「神不在罪なき鶏のジェノサイド」(「信じる」)
 「助手席に疑い持たぬ子の寝顔」(「信じる」)
 「病む地球癒す再生エネルギー」      案内へ戻る


 読書室 『プラットホーム革命』(経済を支配するビジネスモデルはどう機能し、どう作られるのか)アレックス・モザド氏&ニコラス・L・ジョンソン氏著英治出版2018年2月刊

○現在、産業革命以来の大変革が進行中である。それは、モバイル・テクノロジーの普及を背景にしており、買い手と売り手、消費者と開発者など相互に依存し合う複数のグループを結びつけ、相互に恩恵をもたらすビジネスモデル=プラットフォームが世界経済を支配しつつあることだ。本書はプラットフォームとはどのようなビジネスモデルか、またどのような特徴と機能を持ったものであるかについて、業界の第一人者達が平易かつ率直に解説したものである○

 本書は、アプリ開発だけでなくプラットフォーム事業者へのコンサルなどを業務とするアプリコの創業者でCEOのモザド氏とアプリコのプラットフォーム研究統括者のジョンソン氏による、プラットフォームビジネスの起業家向けの解説書である。本来の英語の原題は『プラットホーム革命』ではなく『モダン モノポリーズ』、現代の独占で、つまりプラットフォームという、これまでとは違う独占形態を生み出した必然等を詳しく解明しているものである。

 著書ら自身が数多くのプラットフォーム事業と関わってきたこともあり、プラットフォーム事業の特徴や成否を分ける細かな機微などについては、具体的でかつ説得力がある。しかしそんな話よりも私たちが真に学ぶべきものは、プラットフォーム事業がいかにこれまでの直線的ビジネスと異なるかを力説する点であろう。

 ここで直接的ビジネスとは、商品やサービスを作り、それを顧客に販売する会社のことで、サプライチェーンに沿って一方的に流れることから、彼らはネットワークを中心基軸とするプラットフォームビジネスと対比的なビジネスだとして多用している。まさにプラットフォームこそは現代の怪物なのである。

 かつて1901年、幸徳秋水はレーニンの1916年7月出版の『帝国主義論』に先駆ける15年前に『二十世紀の怪物 帝国主義』を出版した。その炯眼たるや畏るべしと言わなければならない。では翻って21世紀の怪物の特徴とは何だろうか。レーニンの『帝国主義論』では、何と50人の従業員を雇用している企業は大企業と呼ばれていたことを、私たちは今こそ思い出すべき時であろう。まさに当時とは余りに異なり隔世の感があると言わざるをえない。

 では現代の独占の規模はどのような規模であろうか。2015年7月現在、企業株式価格総額10億ドル超える未上場企業126社の内、73社(つまり58%)がプラットフォーム企業が占める。時価総額で世界最大級の企業アップル、グーグル、アマゾン、フェイスブック、テンセント、アリババは、今では知らぬ者はいないだろう。ここでは著者らがこれらの各企業の雇用者数を明らかにせず、まったく問題にしていないことに注目しておこう。

 現在、フェイスブックのユーザー数は20億人を超え、アリババの流通総額は年間50兆円を上回る。またこれらのプラットフォーム企業は、コネクテッドカーなどの新領域も牽引しているのである。

 このように産業・社会・生活の隅々に大変革をもたらし、世界経済全体をも再編しつつあるプラットフォームであるが、その台頭は一方でこれまでの既存大企業にとっても途方もないリスクと、他方で巨大なチャンスをもたらしている、と著者は主張する。

 ではプラットフォームはなぜ爆発的に成長するのか。一体何がその成否を分けるのか。どうすれば次の成長の機会を見出して活かせるのか。著者はその豊富な事例と理論的枠組みについての実経験に基づき、プラットフォームのビジネスモデルを解き明すのである。

 ここで本書の章立ての構成を紹介しておこう。

 プロローグ 燃えるプラットフォーム
 第1章 プラットフォームが世界を食い尽くす
 第2章 ハイエク対コンピューター
 第3章 限界費用ゼロの会社
 第4章 現代の独占

 第5章 ビリオンダラー企業をデザインする
 第6章 見える手
 第7章 ネットワークに仕事を任せよう
 第8章 なぜプラットフォームは失敗するのか、どうすれば失敗を避けられるのか
 結論 次のビッグチャンスを見つける方法

 このような構成を見れば、プロローグから第4章まではプラットフォーム・ビジネスモデルとは何かを説明し、プラットフォームが現代の経済を作り変えている理由を明らかにしたもので、第5章以下はプラットフォーム・ビジネスモデルの仕組みを解き明かし、彼らの会社・アプリコの顧客が現代の独占企業になるに至った枠組みとインサイトの一部を紹介するものとなっていることが分かる。したがってこの書評では、興味深い前半のみを取り上げる。

 プロロークでは、プラットフォーム業界の栄枯盛衰の激しさを示すものとしてノキアが論じられる。

 周知のようにノキアはほんの10年余りまでは世界最大の携帯電話端末メーカーで、市場占有率及び販売台数の両方で1998年から2011年まで世界の最先頭だった。2012年の第一四半期には、スマートフォン戦略及びアメリカ合衆国での市場戦略の迷走で低落しサムスン電子に次ぐ2位となり、さらにはiフォーン等のアップルやアンドロイド採用の新世代スマートフォン端末の台頭による経営危機と大規模なレイオフを経て、マイクロソフトがノキアの携帯電話事業を買収、さらにマイクロソフトはその携帯電話部門をノキアOBによる会社に売却したのである。

 現在、この会社がノキアのブランド名を継承したが、この会社へのノキア資本の出資等は行われていない。まさにノキアはノキアでない劇的展開である。

 このような事態はカナダでも起きていた。他ならぬ著者らの会社は、この時凋落したカナダのある会社のアプリ開発者として出発し成果を上げ、ライバルが倒産・買収される中で、成長を遂げ世界初のプラットフォーム・イノベーション会社となって成功を収めたのであった。

 この自信から著者らはこう豪語する、「私たちは今、誰よりもプラットフォームのことをよく理解している。この5年間、その技術改革の中心にいて、口先だけでなく実際に成功を収めてきたのだから」。この意味において本書は、著者らの実際の経験等が集大成されたものなのである。

 第1章は、プラットフォームが世界を食い尽くすと題し、プラットフォームは単なるソフトウエア企業でないとする。そして従来のビジネスモデルである直線的なビジネスモデルとの対比により、プラットフォーム論を展開するところに本書の最大の特徴がある。

 直線的なビジネスモデルとは、ある企業が商品やサービスを作り、それを顧客に販売する。つまりサプライチェーンが一方向に直線的に流れることから、このように呼ばれる。実際のところ、20世紀を支配した大企業はこのようなサプライチェーンの大規模化・効率化で巨大化したのだ。

 ところが独占が独占となった代償は巨大な投資が必要なことである。だが21世紀にはネットワークが登場し企業と個人が結びつくことで、このようなサプライチェーンは企業価値の中核からはずれた。つまり今や企業が何を所有しているかよりも、何を結びつけられるかが重要になったのである。

 現在最も価値が高い企業とは、大規模なネットワークを構築し調整できる企業であって、社内に大量の商品をため込み、それを動かす企業ではない。私たちが、このことを理解するには端的にはアマゾンをイメージすればよい。

 著者らは、ここでプラットフォームを「複数のユーザーグループや消費者とプロデューサーの間での価値交換を円滑にする」ビジネスモデルと定義する。

 すなわちプラットフォームはユーザーとリソースからなり、好きな時にアクセスできる大きなネットワークと相互に取引が出来る市場を作り上げるとするのである。この業界で世界的にも最も成功したのは、グーグルとアップルであった。

 第2章は、ハイエク対コンピューターと題されている。ここでは世界を変えつつあるプラットフォームに人々が気づいていないことに対して、かつて熱い論戦がなされた、中央がすべてを決める計画経済派と権力が分散された市場に調整させるとの市場擁護派のハイエクの論争を引き合いに出し論じている。
 典拠となった本は、周知のハイエクの『隷属への道』である。

 当時の経済学者達は「完全な市場」論に捕らわれていたため、中央がすべてを決める計画経済派が優勢であった。これに対しハイエクは一方ではこれに自由経済の熱狂的支持者として対峙し、他方では「完全な市場」論を「概念的には存在するかもしれないが、その実現方法は分からない条件を定義している」にすぎないと切り捨てた。

 すなわちハイエクは市場経済が計画経済より優れているのは、中央に集中された情報より「特定の時間の、特定の場所における状況に関する情報」で経済を調整(価格決定)することにあると考えていたからである。

 その後、ポーランドのランゲがコンピューターが登場したので、ハイエクは当時は正しかったが今は違う、中央集権したシステムも可能だと問題提起した。確かにコンピューターの性能・処理能力等の進化はランゲの時代を遙かに超えたが、そもそも必要なデータをいかに集めるかの大問題は残った。

 それが改善されたのはインターネットやコネクテッド革命の登場を待たなければならなかった。まさにデータのリアルタイム収集が現実となったからである。

 第3章は、限界費用ゼロの会社と題されている。「ソフトウエアは、それだけではコモディーティーにすぎない」とされる。何れ誰かにコピーされ、改良され、もっと安価になるからだ。インターネットで自らを守る「堀」を作っても、ハードルが低いため次々に乗り越えられる。

 これを防ぐにはより巨大で便利なネットワークを築くしかない。このため、プラットフォーム業界は、一寸した経営判断のミスが命取りとなる場合が多くなる。

 第4章は、現代の独占、これがそもそも本書の原題である。副題を紹介すれば「プラットフォーム資本主義と勝者総取り経済」である。これが本書の最大の主張である。だからこの章の主張には著者ら資本家の立場からの一方的な主張に充ち満ちているのである。したがって賃労働者には一切触れていない。ここに著者らの階級的な立場が示されている。

 インターネットが拡大するにつれ、プラットホームも巨大化する。市場が成熟するとその業界を支配するプラットホームは一つか二つに絞られる。本書では中国を例に上げて展開している。

 それはアリババとイーベイとバイドゥとの闘いである。第1の敵である外資のイーベイは売り手に手数料を課し、かつ取引成立前の売り手と買い手の交渉は禁止していた。これに対しアリババは開業3年間は手数料を無料とし、取引成立前の売り手と買い手の連絡を可とした。価格交渉を日常的に行う中国人にマッチした戦略を採る。中国市場の特質を理解していたアリババは勝利したのだ。

 アリババは当初の約束のため、広告から利益を取ることを選んだ。次なる敵は中国最大の検索プラットホームのバイドゥだった。そこでアリババはバイドゥからのクローラー巡回を拒否した。その理由を連動広告の不正操作を防止するためとしたが、本音は最初からアリババを使わせたかったことにある。

 著者らによればアリババのこの決断が偉業なのである。そしてまさにこのアリババの決断は一か八かの賭けだったのである。

 このようにバイドゥ(=グーグル)を使用禁止にしたことがアリババの勝利につながった。つまりプラットホームの闘いとは勝者総取り経済である。この結果、アリババは中国のeコマースの90%を支配するまでになる。こうして最大の敗者であるイーベイは中国市場から撤退していったのである。

 こうした激戦はスマートホン業界でも進行し、アンドロイドとiOSで90%以上だ。このよう展開をしているとUSスチールやスタンダード石油も独占だという声が聞こえる。確かにもっともな疑問である。

 しかし規模と市場支配力を別にすれば、20世紀の独占企業と21世紀のそれとの共通点はない。過去の各業界での独占企業に対してはライバルも参入をためらったり、そもそも独占との競合製品を作る勇気はなかったのである。

 現代の独占企業であるプラットホームは、巨大工場や独占的な生産手段を持つことではなく、ネットワーク内のユーザーを増やし結び付けることで成長する。換言すれば生産手段を持つことではなく、ユーザーを増やし結び付ける手段を持つことで市場支配力を持つのである。

 かつての独占企業が嫌われ批判されていたのに対して、現代の独占企業であるプラットホームは、勿論一部には毛嫌いする人がいるものの、大方の人々には好かれているばかりでなく、気が利いていると好意的な評価がされていると著者らは力説する。これらの点にも著者らの階級的な立場が示されたものである。現実には各国で様々な訴訟がなされているのである。

 なぜならプラットホームの市場支配力は、かっての独占が生産手段の独占、いわば力による支配ではなく、出品者と消費者を媒介することで両者に価値を実現するからである。それは支配力といっても間接的なもので、プラットホームがユーザーに選ばれた結果だとするが、これもまた極めて一面的な主張だ。

 つまりプラットホームの支配力はユーザーの幅広い参加とその利用による結果であって、かつての独占のような厳しく管理された所有と支配の結果ではない。この違いは大きい。かつて独占との闘いは行政による規制と法律である。独占の反撃の武器は弁護士を中心にしたものだったと著者らは指摘する。

 しかしプラットホームはこうした規制に対して、ユーザーを動員して反撃できる。そしてこの反撃は実に議会に対して有効なものである。現代の独占・プラットホームはこうしたユーザーの幅広い支持や共感がなければ、成功も市場獲得もできない。確かにそのような側面もあるが、無視できない反面もある。

 もう一点、かつての独占と現代の独占・プラットホームとの違いを指摘しておこう。それは独占が生まれる背景についてである。かつての独占は市場原理が破綻したために需要と供給のバランスが崩れ、特異なシェアを持つ独占が生まれたと考えられてきた。

 しかし現代の独占・プラットホームは市場原理の破綻ではなく市場が正しく機能したために生まれたと考えられている。これは経済学者が「自然独占」と呼ぶ現象である。そのため、先に見たように現代の独占であるプラットホーム業界は酷薄なほどの排他的な寡占状況である。

 これがユーザーのメリットになっている。さらにこのことが市場の拡張効果をもたす。この効果が過去の独占との最大の違いであると著者らは主張する。

 現実にも現代の独占・プラットホームの市場の規模は、多くの国の国内総生産を上回っているほどである。過去の独占は競争を排除したが、現代の独占の競争は過酷である。これは間違いはない。

 さらに現代の技術革新のスピードは、現代の独占・プラットホームさえ一寸した経営判断のミスから没落させる実力を持つことは実例が語っており、企業生命もきわめて短くする。これも間違いはない。

 また現代の独占・プラットホームには、巨大化した個人情報の管理の法的な規制等の問題も存在する。今後この規制法がどのように変化していくかは、誰にも予測が付かないものがある。これまた間違いなく不確定的な要素ということだろう。

 以上、現代の独占・プラットホームに関する本書の前半部分の概要を紹介した。プラットホームに関心を持つ読者には、是非一読を薦めたい。

 また私自身は本書をプラットホーム起業者向けの本だと考えている。そのため、本書の考察から除かれている、実際にプラットホームで労働する賃労働者の実態については、『物流ビジネス最前線』(光文社新書)や『物流危機は終わらない――暮らしを支える労働のゆくえ』(岩波新書)等、実際の労働現場を活写した著作を併せて読むことを強く薦めたいと考える。実際、問題解決は労働現場をよく知ることなしには現実のものとならないからである。

 かつての独占や現代の独占・プラットホームと闘っていくと決意する私たちの戦略と戦術については、今後皆様へ明らかにすることを約束して、この書評を終わりたい。(直木)案内へ戻る


  何でも紹介ーー『連帯を求めて孤立を恐れず・・・』オルガナイザーの心得

 「連帯を求めて孤立を恐れず・・・」と言う言葉の解釈説明は多くの人がなされていますが、私の労働運動への参加とその実践にも影響をうけた言葉でもあったので、私なりの解釈で紹介します。

 「連帯を求めて孤立を恐れず 力及ばずして倒れることを辞さないが 力を尽くさずして挫けることを拒否する」と言う言葉は、1968(昭和43)年の東大闘争時、東大安田講堂内に落書きとして書かれていたもので、かつての全共闘(注)のスローガンとも言えるものでしたが、1960年後半から郵政職場で労働組合活動(70年前半にかけて戦われていた公務員のスト権確立闘争や郵政反マル生運動等)をし始めた私にとっても刺激を覚えたスローガンでもあったのです。

【注】全共闘(全学共闘会議)とは、1968年(昭和43年)から1969年(昭和44年)にかけて日本の各大学でブント(1958年に結成され、1966年までに再結成された共産主義者同盟の略称)や三派(中核派、社学同マル戦派、社青同解放派)連合の全学連などが学部やセクトを超えた運動として大学内に結成された学生運動連合組織。その結成時期・目的・組織・運動方針などはそれぞれであったが、「既成の権力に対する盲目的な服従の拒否」や「不合理に対する無批判な隷属の否定」など「大学解体」「自己否定」といった主張を掲げ「実力闘争」を前面に出し、中でも日本大学の日大全共闘と東京大学の東大全共闘が有名で、後に全国全共闘も結成され、当時のベトナム反戦闘争や沖縄復帰・反安保闘争・郵政や国鉄の反マル生闘争などにも影響を与えた。しかし、統一した思想や方針を掲げる組織運動というよりは、いろいろな思想が集まった大衆運動との側面があり、大学封鎖・バリケードなど闘争戦術主義に傾斜し、各セクトの「カンパニア組織」にもなり、分裂・解体し影響力を失った。

 「連帯を求めて孤立を恐れず・・・」は当時東大生だった橋本治氏が製作した駒場祭のポスターに書かれていたもので、谷川雁(注)がまだ共産党員だった1958年に書いた「工作者の死体に萌えるもの」というエッセイにあった章句が元で『力及ばずして倒れることを辞さないが 力を尽くさずして挫けることを拒否する』は後でつけられたものだと言われています。

【注】 谷川 雁(たにがわ がん、本名:谷川 巌(たにがわ いわお)1923年12月25日~1995年2月2日)は、詩人、評論家、サークル活動家、教育運動家であり、社会主義的なリアリズムを基調とした詩人として知られおり、評論集「原点が存在する」「工作者宣言」は1960年代の新左翼陣営に思想的な影響を与え、晩年は児童文化活動に取り組んだ。

 「連帯を求めて孤立を恐れず」は、評論集「原点が存在する」の中の工作者(=社会主義運動の扇動者、オルガナイザーを指す)が、大衆を組織する方法論について論じている評論「工作者の死体に萌えるもの」の最終部分に書かれていたものです。

「 大衆と知識人のどちらにもはげしく対立する工作者の群・・・・・・双頭の怪獣のような媒体を作らねばならぬ。彼等はどこからの援助を受ける見込みはない遊撃隊として、大衆の沈黙を内的に破壊し、知識人の翻訳法を拒否しなければならぬ。すなわち大衆に向かっては断乎たる知識人であり、知識人に対しては鋭い大衆であるところの偽善の道をつらぬく工作者のしかばねの上に萌えるものを、それだけを私は支持する。そして今日、連帯を求めて孤立を恐れないメディアたちの会話があるならば、それこそ明日のために死ぬ言葉であろう。 谷川雁「原点が存在する」(現代思潮社版)」

 この文章を書いた頃の谷川は、政府のエネルギー政策が石炭から石油に変わりつつあり、鉱山の縮小・閉鎖と戦う炭鉱労働者の支援のため福岡県中間市に移住し、労働者の生活の中に入り、工作者として労働者の文化的サークルを水平的に組織する活動(「サークル村」)を組織しようとしていた。

 この文章では、まさにその「大衆」=「労働者」の生活圏の中に入った「知識人」で「工作者」である谷川たちの悲壮的な努力姿勢を表明していると言えます。

 谷川雁の福岡県への移住、炭鉱労働者との共闘は、炭鉱産業自体が石炭から石油に転換していくエネルギー変換施策によって縮小していく中で、闘争の成果としては配置換えや退職金闘争などでは一定の成果が得られたが、炭鉱産業自体の縮小などがあり、かつて一枚岩であった組織には「血縁集団」と「思想集団」(谷川はこちらに属していた)との分裂が起こり、結局失敗し、同志たちとも決別し、本人は東京に戻ってくることになった。

こうした背景の中で生まれたこの言葉は、工作者が、大衆を組織しようとするとき、自分自身は組織者・知識人なのかはたまた組織されうる大衆なのか、自然発生的な大衆意識と政治的意図を持って臨む組織者のギャップから来る自己矛盾と孤立感からこうした言葉が生まれたのだと思います。 

 私は「知識人」「工作者」として運動に参加したわけではないが、働く者の環境をより良くするためには社会変革が必要だという程度の未来像を持っていたから、実践的な活動(=労働条件改善活動)を社会変革を目指す政治的な活動へと高めようと(諸活動を積極的に実践すればよいという程度だったが)職場の仲間に呼びかけていたときで「連帯」と「孤立」という相対する言葉を使って自分の信念や思いを貫き通したいと言う悲壮的な決意を感じたからこそ、この言葉に感動し自分の活動を鼓舞してきたものです。

 もっとも、当時二十歳前後の若く無知識の私にとっては「孤立を求めて連帯を恐れず」ではなかったかと思えるのですが、坂本龍馬の『世の人は我を何とも言わば言え 我なす事は我のみぞ知る』という句と合わせて自己納得していたのではないかと思いますが、自然発生的な大衆運動・組合運動や改良闘争の限界と社会変革闘争の違いを対立させたり混同したりした時期でもあったので、いつかは分かってもらえるという自己正当化が、労働組合活動での役割(組合員300名ぐらいの全逓支部青年部役員・支部執行委員から書記長へ)が高まるにつれて、組織活動での指導的役割の一種の責任感から来る孤立感とも言うべきものがそうさせたのだと思います。

 私たちは資本主義社会の諸矛盾から資本主義社会の限界を知り、新しい社会の実現を目指しています。

 資本主義社会を学び研究し、その中から新しい社会の芽をつかみ育てることや資本主義社会の諸矛盾から来る大衆への搾取や収奪を明らかにして、生活改善等そこからの脱却を示しつつ、諸課題の全面的解決方法を示さなければなりません。

 そしてそれはより多くの大衆からの支持を得られなければなりませんが、支持をするかどうかは社会の中で安定的な生活を望む大衆なのです。

 生活を不安定にさせられることによって初めて社会に対して疑問持つのが自然発生的な大衆意識であり、不安定が解消されれば怒りも収まるもので、意識的に社会変革を目指す「知識人」「工作者」とは違い活動の継続性から言ってもおのずと違いが出るものです。そうした運動感の違いが孤立感をもたらしているのだと思います。

 自然発生的な大衆意識と「知識人」「工作者」を結びつけるのは、社会の中で圧倒的に多数であり、使われているとは言え生産を中心的に担っているにもかかわらず、労働者大衆がいつも搾取と収奪によって苦しめられること。生活を不安定にする搾取と収奪が資本主義社会の利潤追求という本質=必然性から行われるものであり、生活を守る為に資本=その政府に要求し闘いを挑む自然発生的大衆意識は、資本主義社会の限界を知り共に新しい社会を築いていける要素を持っているという可能性があるからこそだと思います。

 大衆の支持を得られる根拠、可能性があるからと自画自賛や思い込みによる孤立は、やはり恐れなければ本当の連帯は獲られられないことを肝に銘じるべきです。

 孤立を避けるためには、自然発生的な大衆意識(いろいろな意見や意思を示しその幅のある大衆意識)に寄り添い、なおかつ知識人・オルグ者として未来を見据える知識をより身につけ、確固たる決意を持って大衆に呼びかける時こそ「連帯を求めて孤立を恐れず・・・」と言う言葉は悲壮的なスローガンではなく力強い決意となると思います。(光)


  維新による広域一元化条例は大阪府による大阪市の乗っ取りだ!維新は住民投票の結果に従って広域一元化条例をやめろ!

大阪府と大阪市が「大阪都構想」の代案と位置付ける広域行政の一元化条例案について、大阪府議会(定数88)は3月24日、大阪維新の会と公明党などの賛成多数で可決しました。公明が賛成に回ったため、26日の大阪市議会採決で成立することが確実な情勢になっており(この原稿は25日に書いています)4月1日に施行されます。

条例案は85人で採決され、賛成65、反対20でした。維新と公明は全員が賛成し、自民党と共産党は反対したが、自民府議の1人は採決直前に退席しました。吉村洋文大阪府知事(維新代表)は府議会閉会後、「条例は二重行政にすることなく、同じ方向性で都市戦略を実行する第一歩となる」と記者団に意義を強調しました。

条例案は「二重行政の解消」を基本理念に掲げ、市の都市計画と成長戦略の事業を府に委託して権限を移す内容です。政令市の中核的な権限が道府県に移行すれば全国初になります。具体的な委託事業は施行後に議論されると。

大阪府は採決に先立ち、府主導の事業決定を懸念していた公明の要望を反映した修正案を提出しました。委託事業を協議する「副首都推進本部会議」は、府と市が対等な立場で招集・運営すると明記したほか、知事と市長の合意事項は府市両議会に報告することを追加しました。事業選定の原案作成段階から市側が関与するとした付帯決議も付けられました。

 公明はこのようなことで、広域一元化条例案に賛成しましたが、「副首都推進本部会議」の本部長は知事、副本部長は大阪市長と条例案にしっかりと書かれています。そして、事務委託によって大阪市の権限・財源を大阪府に持っていくのは変わりません。昨年11月1日の住民投票では、「特別区設置協定書」案の賛否を問うものでした。協定書には、「広域機能を大阪府に一元化し、二重行政を制度的に解消」と書かれていました。つまり、今回の広域一元化条例案は、昨年の住民投票で否決されています。2015年5月17日の住民投票でも、大阪市廃止・分割=トコーソーは否決されています。

 維新は、二重行政の解消のためにも広域一元化と言いますが、二重行政と言えばムダなことと聞こえますが本当にそうでしょうか?大阪府立と市立の図書館がありますがムダでしょうか?二重行政だとして、2018年に住吉市民病院をなくしたのはよかったのでしょうか?2017年に大阪府立公衆衛生研究所と大阪市立環境科学研究所を、地方独立行政法人大阪健康安全基盤研究所に統合したのはよかったのでしょうか?

 結局維新が言っている二重行政は、住民サービスを切り捨てるものです。

 一方、維新がやってきた大阪市廃止・分割=トコーソー関連に2013年以降、少なくとも100億円がかかっていました。住民サービスは切り捨て、無駄な制度作りには大金を使う、カジノや万博など大型開発にも大金を使う、おかしいです。
 こうした状況を転換するには、次期大阪府知事選・大阪市長選・大阪府議選・大阪市議選で維新・風見鶏公明を少数に追い込むしかありません。そのために尽力します。 (河野)案内へ戻る


  再生エネルギーに立ちはだかる大電力の壁!「カーボンニュートラル宣言」の裏で仕掛けられた歴史の逆行

 「容量市場」は、一般的な市場とは異質なものだ。ほとんどの国民はその実態を知らない。その仕組みは再エネつぶしであり、他方では石炭火力や原発の救済に繋がりかねないものなのだ。

■電力料金の高騰に結果する  
四年後の電気事情

 この市場を設計し取り仕切るのが電力広域的運営推進機関(occto)。彼らによれば、容量市場とは次のような意義づけとなる。
「容量市場とは、電力量(kWh)ではなく、将来の供給力(kW)を取引する市場です。 将来にわたる我が国全体の供給力を効率的に確保する仕組みとして、発電所等の供給力を金銭価値化し、 多様な発電事業者等が市場に参加していただき供給力を確保する仕組みです」(occto)。
ちなみにこの「電力広域機関」なるものの正体は、大半が九大電力出身者だ。

 二〇二〇年七月に容量市場オークションが実施され、九月十四日に結果が公表された。ところが、この「市場」は九電力独占体に圧倒的に有利なシステムであることが具体的に示された。この「市場価格」はストップ高に張り付き、電力小売り業者は、四年後に向けて総計一・六兆円という莫大な支出(容量拠出金=電力会社の設備費)を強いられる。とりわけ新電力は莫大な負担金のために小売電力に価格転嫁すかあるいは大赤字を計上するしかない。他方では、九大電力の「小売り会社」は、同じグループの関連会社なので、親会社から損失補填されると考えられる。とすれば、新電力つぶし以外の何物でもなく、新電力が主に担ってきた再エネ事業は危機に陥る可能性がある。

■容量市場は大電力に好都合
 カーボンニュートラルに逆行

詳しい「容量市場」の仕組みについては「eシフト〈容量市場〉」を検索してみてください。

 簡単に言えば、四年後の「電力予測需要」を電力広域機関が設定して、その時の発電設備を小売業者が負担するもの。電力広域機関がすべての小売電気事業者(と一部送配電事業者)からピーク需要(kW)に応じて電力容量拠出金を集め、落札した電源(つまり石炭火力とか液化天然ガス発電とか原発とか)に支払う。古い火力発電などは応札がなく「価格はゼロ円」だったらしいが、ここからが酷い話。つまり、「シングルプライスオークション」方式というもので、入札「最高値」が基準となる。かくして、とっくに減価償却が済んでいる古式型で発電効率が悪く煤煙も多量に排出するローテク火力設備ですら、設備の温存の資金を多額獲得できる仕組みだ。このような旧式の巨大設備を抱えているのが言わずもがなの九大電力だ。これはカーボンニュートラルに向けた世界の努力に逆行するものだ。さらに古い火力発電装置だけではなく、原発再稼働を後押しするものにもなる。というのは、「防災対策工事」「テロ対策工事」などで今や原発は金食い虫だ。大電力会社はかなりの資金積み上げを求められている。とすれば、稼働原発はもちろん、今回入札に関係のない再稼働を待つ原発に棚ぼたの容量拠出金が回されることも十分考えられる。

■容量市場は世界では一般的でない

 電力システムの特徴は、電気が余っても足りなくともシステムが不安定化し、大停電を生み出しうる。ゆえに「三十分同時同量」という原則が守られなければならない。自由化が日本より二十年先行した欧米諸国ではその対策がそれぞれ模索されてきた。

 「将来の電力ひっ迫の回避」という目的は容量市場でなくとも実現できる、いやもっと容易に国民に分かりやすい形で解決できるのである。ドイツはその点でも一つの模範をなしている。ドイツでは戦略的予備力(容量予備力)と言われる。日本との基本的な違いはドイツでは「ピーク時対応の電力設備=予備力」だけが問題とされ、日本のように全電力の設備を対象として「大規模な入札」をしない(日本の百八十分の一の市場出来高額)。ドイツでは結局五つの天然ガス火力発電所だけが、入札の対象になり、緊急時(予測不能な電力が不足に見舞われた際の)予備設備として約百万KWが確保されたのである。それらの設備負担は電力料金に転嫁されるが、その規模は小さく、電気料金に平等に上乗せされる。

他方、日本では述べてきたように、零細電力を除く大電力の稼働するすべての設備が対象となり「容量拠出金」一・六兆円がペテンのような仕組みで集められ、結果として大電力に注入される。ドイツと「建前」は同じでも結果は真逆の再エネ潰しと火力と原発の温存だ。

「我が国全体の供給力を効率的に確保する仕組み」(電力広域機関)だと言うのなら、非常時の「予備力」こそ問題にすべきもの。新電力にシェアを蚕食され、原発再稼働に経営圧迫されている九大電力会社の救済にだけ資する欺瞞=容量市場を廃止すべきだ。(アベフミアキ)


  コラムの窓・・・デジタル関連法案が招くデジタル監視社会!

 2月4日、全国8地裁で闘われていたマイナンバー違憲訴訟の最後の判決が大阪地裁であり、私は原告として傍聴席で敗訴判決を聞きました。遠く、住基ネット違憲訴訟参加から数えたら20年近くなるでしょうか、番号の利用差し止めや削除を求める市民の要求は司法の壁によって跳ね返され続けてきました。

 大阪地裁判決はマイナンバー制度は憲法13条に保障される権利を侵害するものではないとし、原告らの請求を棄却する内容でした。判決は、住基ネット最高裁判決の「個人に関する情報をみだりに第三者に開示又は公表されない自由」を踏襲したうえで、「個人に関する情報をみだりに収集,保有,管理又は利用されない自由を内容に含む」とし、住基ネット最高裁判決より一歩踏み込んだ内容となっています。

 また、プロファイリングについても、「個人情報が漏えいした場合に,漏えいした特定個人情報の名寄せにより,本人の関与しないところで,その意に反した個人像が勝手に作られるというプロファイリングの危険性」などとして、その危険性自体は認めています。にもかかわらず、大阪地裁は国策の壁としての役割を果たすべく、マイナンバー制度により原告らの権利を侵害する具体的な危険は生じていないとしてその請求を棄却しました。 デジタル庁関連6法案は2月9日に国会に提出され、3月9日に衆院で審議入りしました。政府は「デジタル化は、次の時代の成長の原動力でもあり、デジタル庁の創設はその象徴だ」(加藤官房長官)とし、その成立を急いでいます。しかし、法案はデジタル庁設置法案、デジタル社会形成基本法案、預貯金口座の登録・管理2法案、自治体の情報システム標準化法案、デジタル社会形成の関係法律約60本の改正、以上をまとめた整備法案となっています。

 見ての通り、あれもこれも鍋にぶち込んで、ごった煮で味もわからないままに食べさせてしまえというものです。そして、このデジタル社会実現の土台にマイナンバー制度があります。しかし、マイナンバーカードは交付から5年が経過しているのに普及率は25%止まりです。3月から健康保険証として使えるようになりましたが、医療機関の準備が進んでなくて、東京保険医協会などは「今まで通り保険証を持参してください」というキャンペーンを行っています。

 さて、マイナンバーカードを持たない約8000万人に「交付申請書」が郵送されてきますが、もう届いたでしょうか。私のところには最近届いたので、即座に「受け取り拒絶」とし、地方公共団体情報システム機構(JーLIS)に丁重にお返ししました。今はまだ国が管理する組織ではありませんが、総務省とデジタル庁の支配下に置かれることになれば、マイナンバーは名実ともに国民総背番号制化することになります。

 個人情報保護から個人情報利活用の推進へ、警察等の捜査関係事項紹介や不正アクセスによる住民情報の入手、国・自治体・民間で個人情報の連携利用、そしてスマホへの搭載、かくして個人情報は企業利益のために利用されつくし、情報漏洩の危険も増大します。

 菅政権が取りまとめたデジタル社会の実現に向けた改革の基本方針には、「誰一人取り残さない、人に優しいデジタル化」なんて歯の浮くような言葉が躍っています。その意味は「誰一人取り残すことなく監視し、異論は排除できるデジタル化」でしょう。だから、私たちはどこまでも「書かない番号! 持たないカード!」で対抗しましょう。(晴)案内へ戻る


 「エイジの沖縄通信」(NO79<最終号>)沖縄戦の犠牲者の骨も土砂投入に対して抗議のハンスト!

 前号で政府・沖縄防衛局の「土砂投入2年、なりふりかまわぬ埋め立て土砂の強行」の実態を報告した。

南部の土砂を辺野古の埋め立てに使うことを知った具志堅隆松さん達は、「南部地区の土砂には遺骨が混じっている。その土砂を辺野古埋め立てに使用するとは戦没者を冒涜するのである」との怒りの声を上げ、3月1日(月)から6日(土)まで沖縄県庁前で抗議のハンガーストライキを行った。

 具志堅さんの訴えは「遺骨がまじった南部の土砂を辺野古の埋め立てには使わないで下さい」「沖縄戦で亡くなった方々を、二度殺すのですか」「法的にどうこうではなく、人道上の問題です。戦没者の尊厳を守ることです」」「遺骨には日本兵も沖縄の人々も、またアメリカや朝鮮の方々も含まれています。遺骨を埋め立てに使うなと言う願いは、党派や国籍に関係ないことです」と単純で分かりやすい。

具志堅さんのこの必死の訴えは、多くの沖縄県民に熱い共感を呼んだ。県庁前広場の座込みテントには、戦争体験を持つお年寄りが次々にテントに来られ「具志堅さんが頑張っておられるので、どうしても来ようと思いました」「叔父は南部で亡くなったのですが、骨壺には石が入っているだけでした」と訴えました。

ついに、自民党県連も公明党本部まで、沖縄防衛局に「南部の土砂を埋め立てに使うことには県民感情の理解が得られないから配慮するように」との要請書を出している。

副知事に就任した照屋氏も、就任記者会見で「沖縄戦の遺骨を含んだ土砂を、辺野古の埋め立てに使用する問題について、合法的に規制でせきないかを検討している」と発言。玉城知事を含めて前向きに検討している事を表明した。

このように、具志堅さん達の抗議のハンストは大きな力となり全国にもその支援の輪が拡がっている。(富田英司)

★最後に、長くこの「エイジの沖縄通信」の連載を続けてきましたが今号で終了します。しかし、本土と沖縄のかけ橋をめざした役目は続けていきます。


  ワクチンの「副反応」にどう向き合うか?

●アナフィラキーショック

 欧米に続いて日本でも、新型コロナに対するワクチン接種が始まりました。ファイザー社のワクチンが承認され、二月からは医療従事者向けに、四月以降はまず高齢者向けの接種という段取りです。ワクチン接種による集団免疫への期待の声が高まる一方で、副反応に対する不安の声も聞かれます。

 実際に接種開始後、少数とは言え、腫れ、頭痛、目眩などの副反応が報告され、重いケースではアナフィラキーショックの報告もあります。薬物アレルギーがあるなど不安のある市民は、かかりつけ医と相談し、無理に接種しない選択肢も保障するインフォームドコンセントの原則は遵守されなければなりません。これは医療従事者や介護従事者についても同様です。

●薬物の副作用・副反応とは

 ワクチンに限らず、およそどんな薬物療法にも副作用は付き物です。しかも患者の体質によって、個人差があります。

 そこで副作用のリスクのある薬物を投与するにあたっては、事前にテストを行う場合があります。まず医師は患者に対して、薬物投与前と投与後の二回、採血を行います。その採血された血液を、臨床検査技師が分析機にかけ、それぞれの血中薬物濃度を測定し、結果を薬剤師に報告します。薬剤師はそのデータをコンピュータに入力し、TDM回析という計算を行い、薬物の作用曲線と副作用曲線の交点を割り出し、どの程度の量の薬物投与が適当か推計し、医師に報告するのです。

医師はTDM回析に基づき、適切な量の薬物を患者に投与しますが、その後は看護師が経過観察を行います。万一、副作用の症状がでたら、主治医に報告し、適切な処置を行わなければなりません。場合によっては、皮膚科医が薬疹の治療を、気分が相当悪ければ精神科医が安定剤を処方し、重篤な症状に至ったら救急処置室か集中治療室に搬送します。

リスクのある薬物療法の場合は、そこまでがマニュアル化され、チーム医療として患者の安全を確保する体制が整備されていなければならないのです。

●インフォームドコンセントとは

 治療を受ける際、患者は医療者側から、その治療にかかるリスクについて、十分な説明を受ける権利があり、医療者側は十分な説明と同意のもとで治療を行う義務があります。

その際、大切なことは医療者側は患者に対して、リスクの内容を説明するだけではなく、万一そのリスク、薬物療法の場合なら重篤な副作用が起きた場合、当施設ではどのような救命処置を行う体制になっているか?救急医は、どんな配置で、救急処置室には、どんな機材が準備されているか?帰宅後に急変した場合夜間でも救急受け入れしてもらえるのか?など具体的に説明することが、真に誠実なインフォームドコンセントであると言えるでしょう。患者は、リスクの説明を聞くだけでなく、万一それが起きた場合、どんな体制が準備されているのか、具体的に確認する権利があるのです。

ワクチン接種と副反応のリスクについても、同じことが言えるはずです。

●副反応のフォロー体制を

現在の国の対応を見ていると「臨床試験では副反応は百万人のうち何人で極めて少ない」などと説明するに留まっていて、実際に副反応が起きた場合に、どのようなフォロー体制を整えるのか、必ずしも具体的に明らかにしていないようです。

今は、公的医療機関において、医療従事者を対象に接種が行われているので、副反応のフォローについては、お互いに了解の上のことと思われます。薬物アレルギーなど事前に申告すべきポイントについても、本人が熟知しています。それでも職員間で、何が不安かディスカッションを行う必要があったと言われています。

今後、一般市民への接種が始まると、救急体制の整った公的医療機関だけではなく、ショッピングモールなどの公共施設などで実施されるケースも想定されています。その場合、接種要員だけでなく、副反応の起きた場合の救急処置要員はどのくらい配置されるのか?重篤なケースにおける救急搬送先はどうなっているのか?かかりけ医の診療所で接種する場合も、いざという時の提携病院との連携体制は、確保されているのか?帰宅後に急変した場合、どこに連絡したら良いのか?

行政はそこまでの体制を確認して、市民に説明する責務がありますし、接種を受ける側もそのことを確認する権利があることを、十分認識しておきましょう!(冬彦)案内へ戻る


  色鉛筆・・・ 宮城県感染者数人口比で全国1位 独自の緊急事態宣言
 
 宮城県の村井知事は3月18日夕方、新型コロナ感染の急拡大をうけ緊急事態宣言を発出し、予断を許さない事態となっています。3月17日には過去最高の107人の感染、次の日も98人 現在では毎日100人以上の感染が確認され、10万人当たりの感染率で全国第1位の深刻な局面を迎えています。3月19日は宮城県内初の変異株感染一例が発見されました。
            
 なぜ宮城がこんなに急拡大しているのでしょうか?

 宮城県の最近の状況はゴートゥーイートが2月下旬に再開され、多くの県民が飲食を楽しみました。また、大型スーパーが開店して、東北発の店が多く、毎日東京ディズニーランドくらいの人が集まって来ています。その店舗の従業員や来客者もどんどん感染しています。今は保健所の指導は1日だけ休業して次の日には再開できる体制です。

 東日本大震災から10年、宮城県に多くの方にお越し頂き、人の往来がいつもより多い状況でした。その原因を専門家の意見も踏まえ早急に分析し、正確な情報を知りたいところです。

 PCR検査は自分の意思で受けられない。
 
 こんなに感染者が増えても高齢者施設、教育現場全体に向けてのPCR検査は進んでいません。感染者が発生し濃厚接触であればやっとPCR検査が受けられます。
 仙台の飲食店でのクラスターをはじめ、県内各地に感染が拡大し、感染経路のわからない陽性患者が過半数を超えています。また、無症状の患者も増えています。感染拡大を抑えるためには、モニタリング検査や希望するすべての人に対してPCR検査ができる仕組みを構築してほしいと強く感じます。また変異株の疑いを確認する検査の割合を大幅に引き上げ、実態を把握できる状態を作ってほしいと思います。

 「自粛と補償」はセットで対応してほしい

 全県下に緊急事態宣言が出され、飲食業界および観光宿泊業等は大変な経営状態です。「自粛と補償」はセットを基本に、具体的な県独自の給付金(協力金)を考えてほしいです。
 
 私が想うコロナ感染拡大の原因は、経済優先(もうけ主義)の宮城県の政策だと感じます。水道民営化を進め、女川原発は再稼動に向けて推進する知事の姿勢は悲しいです。最近の震度六弱の地震の震源地は女川原発のすぐ近くでした。ほんとうににこわいです。良識ある県議員の方がたは市民の会と連携して反対運動をすすめています。「命の水」を守り「原発再稼動反対」は引続きみんなと運動して生きたいと想います。

 コロナ感染拡大を減らせるように、検査を充実し、ワクチンは強制的にならないように、慎重に対応していくべきだと想います。また「自粛と補償」はセットにし生活困窮者が出ないように社会が支えるべきだと想います。(宮城 弥生)
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