ワーカーズ618号 (2021/5/1)
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日米首脳会議の総決算、その銭金の面と日本の将来
4月16日午後、「日米のリーダーシップを世界に示す」意気込みで菅首相はホワイトハウスに到着した。バイデン大統領からは「われわれバイデン政権が発足して初めて我が国を訪れた外国首脳として、菅総理を心から歓迎する。ヨシと呼ばせてもらいたいな。いいかい」との「有難い言葉」を頂くも、特筆する成果はなく、唯一訪米の「成果」とも言うべきワクチン確保についても、日本から電話すれば済むことだったと冷笑されている。
この訪米で何よりも欲かった東京五輪への賛成と参加確約を、大統領は最後まで口にしなかった。これは訪米前に米国の狙いを読み切れなかった菅総理の決定的な誤算である。
発表された日米共同声明には、台湾海峡に始まり新疆ウイグル自治区、香港、尖閣諸島、半導体サプライチェーン、気候変動、東京五輪、普天間米空軍基地の辺野古移転まで、日米間の今後5年、10年の約束事を書き連ねている。これを菅総理は追認したのである。
対中国制裁しか頭にないバイデン大統領とともに「台湾海峡」に触れたことで「対中国」の姿勢を明確にさせた菅総理は、現在日本最大の貿易相手国である中国と今後どのように付き合っていくのであろうか。その目算が立った上での合意であるのか、大いに疑問だ。
ここに来て政権末期的様相の菅政権は、さらに一段と危機を深めたといってよい。
訪米3日間にかかった費用は、専用機と80名の随行団滞在費など1億6千万円(フライデー発表)。この金額で確保できたのは、ホワイトハウスでのバイデン・菅首脳会談のわずか20分と少人数会合55分、拡大会合65分。合わせてたったの2時間20分だ。
バイデン夫人なしディナーもなしの扱い。コケにされまくりの「朝貢」外交ではないか。
コロナ感染拡大で呻吟する日本「国民」を尻目にした大盤振る舞いと言わざるをえない。
この時期に訪米するなどは、何よりも税金の使い方を誤ったものだ。まず生活に困窮する「国民」に目を向けよ、至急彼らに対しあつく手当てせよと強く抗議するものである。
はしゃぎ過ぎた3日間の訪米日程の帰り、政府専用機の中で菅首相は一気にどっと疲れが出た表情だったとマスコミは伝えている。当然のことだ。何の成果もないからだ。
今後とも私たちは菅政権を追い詰め打倒していく決意である。ともに闘おう! (直木)
メーデー 労組が持つ未来の可能性!――労組の活性化が出発点――
今日(5月1日)はメーデーだ。
近頃低迷している労働組合。とはいえ労組の重要性は今後ますます高まるし、労組が持つ可能性は限りなく大きい。
メーデーの統一行動はコロナ禍でオンライン実施などに縮小されているが、この機会に、意識変革を含めて、労組づくりや労組の活性化・強化をめざしていきたい。
◆形骸化する〝春闘〟
今年の春闘での賃上げは、連合による初回の集計発表によれば、ベース・アップと定期昇給を合わせた賃上げ率は平均で1・81%で、2年連続の2%割れだった。中小組合ではこれからのところもあるが、大手組合を中心に未だに低迷情況から抜け出せずにいる。
2%程度といわれる定期昇給部分を除けば、賃上げはほぼゼロ。消費者物価がここ数年は0~1%なので、実質賃金は現状維持か減少しているのが実情だ。コロナ禍での厳しい経済的環境下での春闘という事情はあったにせよ、先進国との比較で見れば、日本だけ賃金が低下し続けるという傾向を脱却できないのが実情だ。
春闘という日本での賃上げ闘争は、特に石油ショック以降、儀式化・形骸化が進んだ。賃上げは〝春闘〟という闘いの結果というより、従業員の不満拡大を避ける経営側の裁量で決まっているのが実態で、いはば企業から見ての労使安定化装置と化している。
それもそのはず、同盟(全日本労働総同盟)と、組織力が落ち込んでいた総評(日本労働組合総評議会)の合併で生まれた現在の連合(日本労働組合総連合会)傘下の大手組合のほとんどは、企業に従属した企業内組合だ。とりわけ戦後復興期から経済成長期にかけて既存の労組への会社側の分裂工作などでつくられた同盟系の組合は、ほとんどが御用組合でもある。だから賃上げを闘いとる決意もないし、それを勝ち取るための力など必要としないからだ。
要するに、いまの企業内組合は企業から自立していないし、御用組合の地位に安住するだけ。企業から自立して、労働者の利益を実現する力を強化しようとする発想もない。
◆〝ストライキ〟の復権
例えば日本最大の労組のナショナルセンター「連合」、その会長選出だ。現在の神津里季生会長はすでに3期6年の任期で、今年10月には退任予定だ。
その神津会長の3選目である19年の連合会長人事。働き方改革での不祥事で一旦は辞任するはずだった神津会長だが、後任会長人事が揉めて結局三選となった。そのとき、当時の相原康伸事務局長が後継するはずだった。ところが相原事務局長の出身労組、トヨタ自動車労組の推薦が得られずに、結局会長になれず、そのまま続投という結果になった。理由は、トヨタの豊田章夫社長が「トヨタ労組から連合会長を出すことはまかりならぬ」という鶴の一声があったからという。
連合会長は、御用組合の集まりである連合のトップだ。会社の意向を無視しした組合運営などあり得ない。とは言っても、連合は労働者の利益に沿う建前になっている。対外的発信機能を受け持ち、露出も多い連合や連合会長は、労働者の利益を主張せざるを得ない場面も多い。
トヨタの豊田章男社長はそれが気にくわない。すべて「トヨタ第一」「豊田章男第一」でなければならない。春闘でもトヨタ自動車は、昨年から賃金引き上げの内容を対外的に公表しないこととしてきた。トヨタ労組も、それに唯々諾々と従ってきた。
そんなトヨタ労組には、豊田章男社長の意向に反した行為は考えられないのだ。豊田社長の意向に逆らえば、トヨタ自動車内で、トヨタ労組の要求は完全無視され、トヨタ労組の役員の存在価値はゼロにされる。要するに、トヨタ労組は会社から自立していない、会社の〝アンダーコントロール〟に置かれているのだ。
同じことは、連合傘下の多くの単位組合についても言えることでもある。そうした閉塞情況を脱皮して労組が会社から自立するためには、組合員の意識変革をともなう〝ストライキの復権〟がキーワードになる。
〝ストライキ〟。要するに、労働者が団結して経営側に賃上げを強要することだ。労働者の団結した力で賃上げを闘いとる、という地点に立たない限り、賃上げなど望めないからだ。ストライキで闘いとる、というのは、自分自身が当事者になって会社に立ち向かう、ということでもある。労組が自分たちの代行として会社と交渉してくれる、という関係性から脱皮して、労組が自分たちの要求と闘いのための回路、手段であるとの自己認識が前提になる。現状からの大きな飛躍が必要なのだ。
◆最低賃金のパラダイムチェンジ
賃上げを実現して生活を安定させるはずの春闘は、低迷から脱却できずにいる。そこで期待されるのが全ての働き手にかかわる「最低賃金」の引き上げだ。
最低賃金の引き上げは、いまでは特別重要になっている。最低賃金レベルで働く非正規労働者が全労働者の4割近くまで増えているからだ。かつては〝ママさんパート〟か〝学性バイト〟が中心だった非正規労働者、いまでは25才から54才の非正規が1000万人で、非正規全体の約半分(48・2%)を占めている。それだけ最低賃金レベルで働く人が激増しているからだ。
その注目される最低賃金をめぐる攻防。コロナ禍の拡がりでここ数年続いてきた3%前後の引き上げが中断し、昨年は加重平均1円の引き上げ、すなわち実質ゼロとなった。コロナでやむを得ない部分はあるにしても、最賃だけはなんとしても引き上げていかなければならないものだった、にもかかわらずだ。
その理由にされたのが、中小零細企業の倒産と雇用消失の可能性だった。ようするに、厳しい経済状況の中で最低賃金を大幅に引き上げていけば、企業数の99%以上を占め、日本経済を支えている中小零細企業の倒産が増えて、そこで働く労働者の雇用も失われてしまう、というものだ。
こうした論拠は一面の真実を反映したものだが、根本的に間違っているものだ。
現実の中小零細企業は玉石混淆。日本経済に貢献している不可欠の企業が大多数だとしても、改善の可能性もなくだだ労働者の低賃金に依存して生き延びている企業もある。本来であればまともな賃金を支払えない企業は撤退すべきだろうが、それも温存してしまうことになる。
その中小零細企業が供給する製品が必要不可欠ならば、そこが倒産しても別な企業が、あるいは親企業が直接生産を担うことになる。そうなれば、雇用移動は生じるが、雇用そのものは減らない。変わるのは雇用主だけだ。
対して、ピラミッド状の産業構成と中小零細企業の低賃金は、大企業・親企業の高利益構造を支えてきた。むしろ中小零細企業と労働者は一体となって、親会社・大企業に納入単価引き上げを突きつけていくべきなのだ。最賃引き上げの闘いは、中小零細企業の倒産と雇用消失を口実にした大企業、親企業による賃金抑制策をはねかえす闘いでもある。
◆肥え太る企業・資産家
いま労働者は賃上げも拒否され、最低賃金も抑制されている。にもかかわらず、企業や資産家の資産が増え続けている。こんなことを許していいのだろうか。
労働者の賃金は抑制されているのに,企業の内部留保(利益剰余金)はこの8年連続最高を更新しつづけている。2019年の内部留保は、前年比2・6%増の475兆円にも膨らんでいるという。企業が利益を上げても需要(賃金)は増えず、増産のための設備投資もできないで,ただ利益を企業の懐に貯め込んでいるだけなのだ。
他方では、資本家・資産家の資産は膨れ上がっている。
フォーブスの2021年板「日本長者番付」によれば、コロナ禍が続く中でも、日本の富豪上位50人の資産は合計で2490億ドル(約27兆円)となり、昨年の1680億ドルから48%増加したという。たとえば、1位の孫 正義(ソフトバンクグループ)は、昨年の2倍以上の444億ドル=4兆8920億円、2位 柳井 正(ファーストリテイリング)、昨年から90%増加の420億ドル=4兆6270億円……。
こんなことを許している大きな要因の一つは、近年、労働組合の力が低下し続けていることだ。
たとえば、従業員に占める労組員の割合である労組組織率の落ち込みだ。19年は16.7%で過去最低、1950年の46・2%、1980年の30・8%、2000年の21・5%、2010年の18・5%と、低下し続けているのだ。既存組合の取り組みの弱さと労働者の労組への参加意識が低迷し続けている結果だ。
ストライキなどの争議件数の低下も際立つ。最多だった1974年の5000件超、参加人数350万人から減り続け、2019年は49件で過去最少だ。
ストライキなど争議件数は多ければ良いというものでもないが、闘いで勝ち取ろうという意欲とエネルギーの表れでもある。果敢に闘う労組が多ければ、それだけ成果も上がるのに、だ。
◆将来の可能性を開く労組
いま、政府の側から〝働き方改革〟が言われ、同一労働=同一賃金など推奨されている。とはいえ、官制改革は労働者側の不満・圧力の先取りであり、また、企業が容認できる範囲での、各種手当てだけの均等待遇でしかない。
個別紛争の解決手段として訴訟での解決も大事だが、個別解決に止まるし、時間もがかかる。
よく〝労組とは保険のようなもの〟と言われる場合もあるが、むしろ身の回りの問題に対する日常的な補償装置のようなものだ。身近なところで、いつでも問題提起し、早期解決も可能になる。まず職場での声上げや行動が解決への扉を開くことに繋がる。
労働者自身の意識変革、脱皮も必要だ。労組とは自分に代わって会社と交渉してくれるもの、ではない。労組とは自分の思いと行動を実現する回路・手段でもある。新型コロナで〝行動変容〟が要求されている。労働組合についても〝意識変革〟と〝行動変容〟が問われている。
メーデーのこの日、いま一度、労働組合の重要性とそれを自分自身の行動とリンクさせることを考えてみたい。労働組合はそれ自体が労働者の協力・協同の装置であり、未来社会をたぐる寄せる強力な手段でもあることを確認したい。労働組合は未来の可能性を開いてくれる。(廣)
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日米共同声明に「台湾」明記 スガ外交の危険性明らか
先日行われた、スガ・バイデンの初の日米首脳会談。
マスコミの報道ぶりは「混迷」している。矛盾した評価をくだしている。
一つ言えるのは、それほどすっきりと日米の利害が一致したわけではないということだろう。対中国でも真意は不一致、五輪参加についても明確な参加表明はバイデンからはなかったと推測できる。「同床異夢」というのが、今のところ最も実際に近いものではないかと考える。
■「台湾(海峡)」への関与は危険
とはいえ、米国側からすれば外交の成果は日米共同声明に「台湾」への関与を明確にしたことだろう。日本を政治的に明確な形で「アメリカの主導する対中国包囲網」に組み込んだ。日本は台湾に対する中国の圧力や影響力の増大にたいして「戦う」ことが定められたのだ。「台湾」と言わず「台湾海峡」と言った、というのは言い訳にはならず、少なくとも米国はそのような言い逃れを許さないはずだ。
読売新聞はさっそく「「台湾有事」から日本への波及懸念、自衛隊が取り得る行動は複数類型」という記事を掲げた。二〇一六年施行の安全保障関連法に基づき戦争シミレーションを始めた。いまにも対中戦争が開始されるかの「期待」がにじみ出ている。
それぞれの政府の立場を冷静に今一度整理してみよう。
■米国の対中国包囲戦略の「要」となった日本
中国による経済的・軍事的追い上げは米国にとって脅威だ。しかしながら直接的全面的に対立の激化へと向かうことを避け、日本にその役割を代替えさせるという政策的選択肢をバイデンは一層明確にしている。バイデンの外交・安全保障政策は、トランプほど派手さはないが「戦力の米国回帰」「中国への警戒と包囲」「国内投資の呼び込み」など、これらの点では同じかそれ以上だ。当然、米国は「台湾有事」でも「尖閣問題」でも体を張り米兵の血を流すつもりはないことだけはあまりに明確だ。アジア諸国を抱き込み、西太平洋地域で米国の代替えを確保し、背後から支援する計画だ。
軍産複合体は、代表的な戦争勢力だが、彼らは電気、航空機等民生品の巨大産業でもある。経営指導層は米国社会の支配的階級である。そして、彼らの望むものはビジネスとしての戦争であり、米国に直接降りかかる戦禍ではない。つまり、欲しいのは代理戦争というおいしい市場だ。対中国の軍事緊張やアジアでの軍事紛争は巨大な商機だ。アジア諸国や日本は、彼らの野心の走狗になり果ててはならない。
■中国の思惑と日本懐柔
中国でも事情は似たようなものだ。ハイテクからウイグル族問題やらと、今や世界的な「中国バッシング」が吹き荒れている。そんな中で、ロシアやイラン、アフリカ諸国を味方に引き込むにしても、それほど大きな利にならない。米国や欧州はともかく、日本との軍事対決は避けたいのが本音だと私は推測している。できうれば日本を抱き込みたい(敵対を避けたい)のが、依然として習近平政権の思惑だ。「共産党機関紙・人民日報は18日、外務省報道官の談話を3面の最下段で掲載した。同じ面に掲載された東京電力福島第一原子力発電所の処理水の海洋放出方針を批判する論評よりも、目立たない扱いとなった。中国にとって敏感な台湾問題を巡り、国内の対日、対米感情が急速に悪化するのを回避したい考えがあるとみられる。」(読売)
日本のとるべき道は米国の思惑をキッパリと退けることであり、「尖閣」棚上げで中国との平和の道である。
■日本外交のネジレと日米軍事同盟への傾斜
中国の経済的・軍事的膨張は脅威であるとしても、日中の経済的利害関係は後戻りができない段階にある。日本の経済団体も中国との真の対決は全く望んでいないし、政治的代表部である自民党内部にも中国派(二階派)は今のところ実権を握っている。公明党も隠れ中国派だ。スガ首相も、前任アベ首相より中国に対決的ではない。しかしながら共同声明で「台湾海峡の安定」に論及し北京政府が中国唯一の正当な代表であるという「戦後の日本の対中外交を破壊」したことは歴史に残る外交の後退だ。この点では日中間の亀裂は深まったのは間違いがない。「五輪開催」「ワクチン支援」「放射能汚染水投棄容認」の口約束(?)と引き換えにバイデンに対して「台湾関与」を引き受けた日本政府。官邸チームだけの独断素人外交の脱線(台湾を「台湾海峡」と言い換えた浅知恵)だとの指摘もある。
スガ外交の定見のなさ、米国追随は相変わらずであるが、「外交は米国追随・経済は中国の下請け」という日本の極限のまた裂き状態は、大きな変動の先触れとなりうる。
■止まらない軍部の膨張――最大の危惧
さらに問題はこのような中国とのぎくしゃくした関係が続く中で、前任アベ首相が隠然たる力で極右的な路線(戦前の日本のようなアジアの盟主への復権)を温存しており、幅広い反動保守勢力が日本会議のような形でそれを支えているとみられることだ。
こうした政治の動きの証として、日本の軍部=自衛隊の軍拡だけは別枠で強化され続けており、南西諸島は要塞化され、辺野古基地建設が「自衛隊仕様」として変質し継続される可能性も否定できなくなってきたのである。「強固な日米軍事同盟」は彼らにとって不可欠であり、今回の首脳会談で「台湾海峡への日米の関与」を明確にしたことは、大きな成果であったことだろう。
「軍部膨張の危険性」といった一般的な警告を発しているのではない。政権の軍部ガバナンスの衰弱と極右勢力の存在は日本の未来に広がる差し迫った暗雲である。
反軍拡、スガ政権打倒の運動がますます重要となってきた。(アベフミアキ)
世界的金融機関が大ヤケド アルケゴスの「終わり」は何の始まり?
■「ファミリーオフィス」という聞きなれない名前
ちっぽけなヘッジファンド(正式にはこのようには定義できない)アルケゴスの破綻が、予想外の展開を見せているので注目してきました。
いろいろ論点がありそうだ。一つには米国の金融監視機構の目をすり抜けてきたあの手この手だ。「ファミリーオフィス」という形態で、監視当局どころか野村証券やクレディ・スイスが、運用実態をほとんど何も知らなかった。それにもかかわらずこの手の「影の」ヘッジファンドに資産が集まるのには訳がある。
「規制強化に直面した大手金融機関にとって、相対的に手数料の厚いデリバティブ取引や、資金繰り管理などのサービスを提供して収益を獲得するために、ファミリーオフィスの重要性は高まった。特に、(アルケゴスの)フアン氏のようにリスクテイクに積極的なファンドマネージャーとの関係強化を目指す金融機関は増える傾向にあった」(PRESIDENT Online)。
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二千二百億円を蒸発させた野村証券のアルケゴスへの買い被りは「焦点:アルケゴスに深入りした野村、フアン氏復活に賭けた事情」(ロイター)に詳しい。この中心人物のファン氏は、週末において敬虔なクリスチャンであるらしいが、祭壇の前で懺悔を果たしたのちトレーダとして本領を発揮すれば、恐れ知らずのあの手この手で資産を増大させるちょっとした伝説的人物らしい。
一千億円の損失発生の米モルガンはじめ、水面下で歯ぎしりしている大投資銀行の担当者も多いはず、三菱UFJ証券HD、みずほフィナンシャルグループも巨額損失の事態だから損失処理は大変だ。減損五千二百億円のクレディ・スイスの幹部たちは潔く職を去った。
■リーマン連鎖ショック時のCDSとTRS
アルケゴスが、ファミリーオフィスという「個人的な」閉ざされた世界でなんと五兆円もの資産を運用してきたという。そのことが金融監視当局の目を逃れたアコギな世界であったことは容易に想像されます。今回注目されたのは彼らが採用したTRS=トータル・リターン・スワップという手法。これ自身は違法ではないが、少額で巨額の資金を運用投資できるのでリスキーであると、名だたる投資家からも批判があるという。
デリバティブに興味はないよ、というのが「ワーカーズ」読者の大半だろうと思う。それが健全です。とはいえ、資本主義の根幹である信用制度の脆弱性を知る上では少しばかりは参考になると思い書いてみます。
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CDS=クレジット・デフォルト・スワップでは、リーマン連鎖危機でその名脇役を果たしたことはご存じの方もいるでしょう。これはデフォルトしない限り債券の価格変化に対応するものは補填されない。しかし、TRS=トータル・リターン・スワップでは、利払いのたびに債券の価格変化分を受け払いして決済するという。
CDSにしてもTRSにしても、普通に言えば投資会社の「保険」です。例えば野村は顧客から預かった資産を、守りつつ増加させる必要があります。CDSは倒産保険、TRSは損害保険と区別してもよい。前者が投資先の倒産で初めて保険が支払われるのに対して、後者は損失が出ればすぐに(例えばアルケゴスが)補填しますので、資産の所有者(例えば野村)にとっては大変安全・・なはず。というのは表向きの話でした。アルケゴスは、一定の金利を野村等に払いつつ、監視の目をかいくぐりながら資産運用権を利用して莫大なもうけを目指してきました。TRSの運用者(例えばアルケゴス)は「所有者」ではないので監視当局などへの報告義務もなく、しかも、同じような契約をクレディ・スイス等ともしていたので、潤沢な運用資金でぼろもうけを目指せるが、預かった資産が下がれば「損失補填」も莫大な額になるわけです。今回の破綻はTRSの取り決めに従って、「借りていた(運用権のみ)」資産価値が下落し、担保の積み増し(追証)を要請したがアルケゴスが応じられずゲームオーバーとなった。アルケゴスの「自己資産」は約一兆円超(これ疑問がある)だったが、約五兆円以上のポジションを保有していたと、つまりアルケゴスのレバレッジ(元手と運用額の比)は、普通の投資銀行などの三倍ではなく五倍であったようだ。まさにリスクテイクな資産運用となっていた。
■規制当局も止められない金融市場の御乱行――その背景
リーマンショック(世界金融危機)以後、米国の金融監視は厳しくなったのですが、結果を観ればイタチごっこでした。規制を突破するあの手この手が考え出されるということです。それを策するのが野村やクレディ・スイスなどの、世界的金融機関。自らは、脱法を避けつつ他の反社会勢力を活用して紳士然として利益を得る。今回はたまたま大火傷を負ったが、また別の手を見つけるでしょう。
というのは、世界的に空前の大不況であり元々カネ余りの上、コロナ下で政府・中央銀行が金融緩和と信用保証そして前例のない財政拡大を約束しているという事情が「リスクオン(収益を追求しやすい相場状況)」行動へと、投資関係者の背中を押し続けることは間違いがないでしょう。米国の株価は数字の上では好調を維持、しかも、野村やクレディ・スイスは、米国進出がなんといっても悲願なのだ。
■金融資本のポンプアップシステムで深まる格差
最後に、一番大切なお話です。金融市場に集まる金融資産は、預金通貨はもちろんそれが株や債券のような架空資本としての形態をとっていても、実在的富に絶えず転嫁されつつ富裕層(投資家や銀行のやり手トレーダーなど)に集まるということです。たまに破産することがあっても、一時のことです。
現在の資本主義経済は遊休貨幣資本を集合して新たな生産投資をする、という歴史的役割を後景に追いやりました。政府の繰り広げる金融大緩和や財政出動が、低所得者にわずかばかりの施しをもたらせたとしても、金融エリートや、彼らに連なり彼らを飼いならすことのできる一部富裕層の致富体制へと帰結しているのです。今やこれらは大衆からの追加収奪=ポンプアップ制度です。
金融資本の繰り広げる取引や蓄蔵の欺瞞性や脱法性の対極において、真実の富は農民を含む生産的労働者によって生み出されます。このような社会の根幹を担い富を生み出す労働(エッセンシャルワーク)を担う生産的階級との格差を、金融資本と国家の政策はますます押し広げています。
アルケゴス事件は、資本主義の退廃を象徴する事件です。反撃の準備を始めよう。(アベフミアキ)
医療崩壊と地域医療体制の危機
●第4波と医療崩壊の危機
新型コロナ感染は四月に入って急拡大し、大阪府では感染者が連日千人を超え、十の都府県が蔓延防止等重点措置、さらに進んで四都府県は緊急事態宣言の発出に至りました。
医師会関係者からは「医療崩壊が既に始まっている」との悲痛な訴えがなされています。具体的には、重症患者を受け入れるベッドとスタッフが足りず、重症患者の治療ができない。コロナ病床への転用によって、一般医療たとえば癌の手術ができない。
このままいけば、重大な災害時のように、助けられる命を選別するトリアージ(つまり一部を見殺しにする判断をする、医療者として耐えられない措置)を実施する事態になりかねない、ということです。
●医療崩壊の二つの要因
医療崩壊の危機の要因は、大きく分けて二つあります。一つ目は当然のことながら、患者数が急拡大していることです。裏を返せば感染対策、すなわち公衆衛生対策が追いついていないことです。
公衆衛生の基本は検疫と隔離ですが、当初からPCR検査体制整備の遅れが響いていることは間違いありません。SARSや新型インフルエンザ、MERSにいち早く対応したシンガポール、台湾、韓国に比べて、あまりにも後手に回ってしまい、いまだにその挽回の途上なのです。
加えて、変異株の特徴である感染力、重症度の強さ、入院期間がこれまでの倍かかることも、追い討ちをかけています。
●地域医療体制の危機
もう一つの要因は、医療体制が追いついていないことですが、実はこれには日本の地域医療体制の構造的な問題があります。現在国が進めている地域医療構想のあり方の矛盾です。
国は医療費抑制策の一環として、長年にわたって病床規制を行なってきたのですが、その手法として、医療機関を高度医療、急性期医療、慢性期医療、回復期医療、在宅医療にランク分けし、ベッド当たりの看護師配置数を徐々に減らし、看護補助者に置き換え、効率的な病院経営を促すように、地域医療を再編してきました。
その集大成が、各都道府県別に進めている地域医療構想なのですが、問題はこの構想に至る一連の地域医療計画は、そもそも感染症への対応とは別立てで制度設計されてきたということなのです。
●感染症別立ての矛盾
地域医療計画が始まった八十年代、結核や伝染病は過去のものというのが、国の一般的認識でした。そのため公衆衛生の拠点であるはずの保健所も統廃合され、各地の結核療養所や伝染病院も廃止され、一般病院の感染症病床として統合されました。
感染症は、まれに海外渡航者が持ち込むものとして、個別に対応していればいいと考えていたのです。
ところが二千年代に入って、状況は一変しました。SARSや新型インフルエンザ、MERSといった新興感染症のパンデミックに、たびたび見舞われるようになったのです。せっかく「新型インフルエンザ等対策法」ができたのに、国の地域医療計画に関する認識は、相変わらず感染症や精神医療は一般医療と別立てのまま、今日に至ったことが、医療崩壊の危機を招いているのです。
●機動的対応が欠如
地域医療計画が感染症や精神医療と別立てで進んできたため、いざパンデミックに直面すると医療機関はパニックに陥ってしまったのです。
当然ながら、もともと少ない感染症専門病床では対応できません。必要になったことは、まず感染症病床のある病院では、他の一般病床を感染症病床に転換することでした。そのためにはスタッフのトレーニング、医療機器や設備の整備が必要です。
また普段は感性症を担っていない一般の急性期病院にも、感染症患者を受け入れてもらうよう要請しなければなりません。
さらには感染症病床に転換した分、一般の患者たとえば癌の手術を予定していた患者を受け入れてもらえる転院先を確保しなければなりません。こうした機動的対応を、もともと想定せず、ギリギリの効率的経営を強いられてきた医療機関に、急にこれらを要請されても、その対応は至難の業なのです。
●根本的再構築が急務
さらに問題は重症患者の治療に留まりません。サイトカインストームや血栓症など難しい段階の患者に、人工呼吸装置やステロイド投与などを行い、何とか危機を脱した患者を受け入れた回復期病床でも、再度の容体急変に備えて、急変対応出来る体制が求められます。
あるいはPCR検査で陽性だが無症状か軽症の患者を受け入れる療養施設でも、昼夜の酸素飽和濃度チェックや急変時の対応が出来なければ、手遅れになってしまいます。
基礎疾患の合併症や認知症への対応、産婦人科での対応、精神科での対応など、要するにありとあらゆる診療部門、療養部門にわたって、感染症対応が求められる時代になったことを自覚する必要があります。
しかも、この課題は走りながら考えなければならないのです。目の前の重症患者の治療に悪戦苦闘しながら同時に、破綻した地域医療体制の制度設計を一からやり直さなければならないのです。
その意味でも、医療従事者の重圧は、何重にも苦しいものになっていることを理解して、政府・行政は課題の深刻さを、もっと真摯に自覚して欲しいと思います。(夏彦)
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大阪の医療崩壊は維新政治がまねいた!それを転換する闘いが必要!
新型コロナウイルス感染拡大のため、4月25日に3度目の緊急事態宣言になっています。大阪府の吉村洋文知事は、23日の会見で「感染の状況は1000人を超え、非常に厳しい状況が続いている。医療体制が非常に厳しい。府民の命を守るために、いま強い措置をとらなければならない。みなさんのご協力をぜひお願いします」と呼び掛けました。大阪府は、連日1000人を超えるコロナ感染者が出ています。
「医療崩壊を招いた責任についてどう思うか」の質問に吉村知事は「極めて厳しい医療体制であるとは申し上げた。いまも医療従事者のみなさんが命を守る活動をしてくださっている。僕自身が“医療崩壊”だと言うことではないと思っている」と語気を荒らげ、反論しました。
また、吉村知事は、「社会不安、社会危機を解消するため、個人の自由を大きく制限することがあると、国会の場で決定していくことが重要だ」と述べました。
個人の自由を制限することに、軽々しく発言するとはなんという知事でしょう。
そして吉村知事は、医療崩壊ではないと言いますが、実態は完全に医療崩壊しています。
大阪府では、重症病床の使用率が4月22日、初めて100%に達しました。病床は極めてひっ迫しています。
重症者は過去最多の328人で、そのうち56人は軽症・中等症病床で治療が続けられています。大阪府では22日は過去5番目に多い、1167人の感染が確認されています。
また大阪市内では、自宅療養中のコロナ患者が救急搬送を要請しても、搬送先の病院が決まるまでに24時間以上かかったケースが今週だけで少なくとも3件あったことが4月23日あったと。
大阪市消防局によると、4月19日に119番を受けてから搬送先の病院が見つかるまで46時間53分を要したほか、20日にそれぞれ約27、28時間の待機を余儀なくされた例もあったと。
搬送先が見つかるまで救急車内で待機するか、救急車を患者の自宅に横付けして室内で酸素投与を行うなどの措置が必要となるため、一般の救急搬送にも支障が出ていると。
また維新は、医療費に対してムダとどんどん削ってきました。これが現在の医療崩壊をさせた、大きな要因です。
例えば。公立病院や公的病院に多くの人材を輩出してきた「大阪府医師会看護専門学校」が、補助金打ち切りのため2022年3月に廃止されます。
また、2017年4月、保健所や保健センターと連携して感染症予防の機能を果たしてきた府立公衆衛生研究所と市立環境科学研究所を統合し、さらに独立行政法人化したことによって人員が削減されました。
2018年3月には、住吉市民病院が廃止されました。
維新府政・市政を終わらせる闘いが必要です。(河野)
ミャンマーの虐殺を止めよ 暴虐の国軍を経済支援する日本政府・企業を糾弾する!
■子供まで打ち殺す「ミャンマー国軍」
国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)は軍当局がデモ参加者を殺そうと手りゅう弾やマシンガンなど重火器を使う場面が増大していると指摘し、別な報道ではロケット砲まで使用している。国連児童基金(ユニセフ)によると、クーデター発生以降46人の子どもが死亡した。自宅や外で遊んでいるときに射殺された子どもの事例をCNNが記録している。
自国民に銃口を向けるばかりでなく、重火器まで持ち出し無差別発砲することに怒りを感じる。まさに、シリアのアサド政権に比肩する残忍さだ。
軍の幹部は「民主選挙」「複数政党制」を口にする一方、彼らの「民主主義」が西欧諸国の自由主義のシステムではないだろうと明白に述べた(CNN)。国民の四分の一は、一日一ドル(約百十円)以下で暮らしているアジアの最貧国の一つで、新型コロナウイルスの大流行で打撃を受けている。こんなミャンマーだが、市民は必至の抵抗を試みており、日本の労働者市民は彼らを何としても支援すべきだ。
■特異な国家資本主義(開発独裁)ミャンマー
アムネスティが入手した文書によると、国軍は、ミャンマー・エコノミック・ホールディングス(MEHL)の株を保有し、巨額の資金を得てきた。MEHLは、鉱業、ビール、タバコ、衣料品などの製造、銀行業など営む複合企業だ。日本のキリンビールホールディングスや韓国の鉄鋼大手POSCOなど国内外の多数の企業と提携関係にある。同社の株主資料によると、国軍の複数の部隊が、株式のおよそ3分の1を保有し、1990年の創業以来毎年、配当を受け取ってきた。また、同社の取締役会は、国軍の幹部で構成されている(Amnesty Japan)。
また国軍は「ヒスイや木材など天然資源を違法に蓄積し、それに支えられた莫大(ばくだい)な非公式な資産」からも恩恵を受けている。さらに、石油や天然ガスも大きな収入源となっている(AFP)。
明治時代の日本のような後発の資本主義にあまた見られるのが、国家主導の資本主義形成だ。これは国家資本主義とも開発独裁とも称される。近年でも韓国の財閥やプーチン体制のオルガルヒ新興財閥が、政権と絡みつつ急速に資本形成を果たしてきた。経緯は異なるが中国も国家資本主義以外の何物でもない。しかしながら、ミャンマーにおいてはやや趣が異なる。民間企業(クローニー資本主義)の形成という面もあるが、直接に軍が株を所有し軍幹部が企業の経営に参画している。
すでにミャンマー国軍が、実は単なる武装集団ではなく国家を管理統治できる官僚体制でもあることが指摘されている(GROUBE)。さらに、資本=企業の所有者としても存在するというのである。もっとも原始的な型の国家資本主義だと考えられ、背景には商人資本すら生育不十分な社会が想定される。軍人こそが唯一「開明的」であり、政治、行政、産業の管理所有まで支配するという。とすれば、国軍こそこの国のエリートであり支配階級そのものである。国民に対する信じがたいほどの暴虐の深淵がそこにありそうだ。
■日本は何をすべきか、何をすべきでないか
ミャンマーで総額三百億円以上の不動産開発事業を進める日本の官民連合が、ホテルやオフィスなど複合施設を建設する用地の賃料を支払い、それが最終的にミャンマー国防省に渡っていたことが分かった。ロイターが取材した複数の日本企業、政府関係者が認めた。
「ヤンゴン市内都市開発(Yコンプレックス)」と呼ばれるこの事業が、ミャンマー国防省の利益につながっていたことを日本側が認めたのは初めて。同事業には日本から大手ゼネコンのフジタコーポレーション、大手不動産の東京建物のほか、日本政府が95%を出資する海外交通・都市開発事業支援機構(JOIN)が参画。政府系金融機関の国際協力銀行(JBIC)も融資をしている。日本政府がミャンマー国軍に経済的利益を図っていることが具体的に暴露されたのである (「日本の対ミャンマー政策はどこで間違ったのか」ニューズウィーク日本版 )。ODAを含む一切の経済支援停止だけでなく、日本企業の投資関与を止めるべき。さらに難民支援、在日ミャンマー人保護のためにも、「難民認定申請中でも強制送還を可能にする入管難民法改悪」を撤回させなければならない。キリンホールディングスは軍と進めている事業の凍結(解消?)を発表したが、他の関連の日本企業はもちろん政府関係金融機関なども資金の凍結や引き上げを即時実行すべきだ。
■CRPH(連邦議会代表委員会)とNUG(国家統一政府)は解決の切り札になれるか?
現在のミャンマーは、どのような解決策も容易ではなくなった。しかし、見えてきたこともある。連邦制を真摯に導入し、多民族・多部族社会の連合を図りつつ「国軍」支配の正当性を奪い取ることである。彼らの独裁の「正当性」は、ビルマ愛国主義とビルマ族の守護神としての立場だ。社会は変化しており、国軍の唯我独尊はもはや到底許容されない。国民弾圧の責任も取らせなければならない。
そこで問題になるのが、圧倒的多数のビルマ族と、抑圧されてきた少数民族の不信感の除去である。現在都市部を中心に、激しく国軍に抵抗しているビルマ族系の若者は、Z世代と言われるネット社会育ちで、世界的な視野をもつ者たちだという。彼らが、偏狭な「ビルマ愛国主義」を脱却して、「地方武装組織」に多数参加しつつあるという。このような急速な変化の中で、連邦議会代表委員会(CRPH)が果たして「臨時政権」設立を担えるのか。設立が宣言されたNUG(国家統一政府)は四月十六日、クーデター以降、国軍により拘束されているウィンミン氏を大統領、スーチー氏を国家顧問職に任命、副大統領にカチン族出身者、首相にカレン族出身者が入り、民族多様性への配慮をアピールした。民主化運動の指導者ミンコーナイン氏は十六日、「統一政府は全ての利害関係者を代表している」との支持声明を出した。クーデターへの抗議デモを主導するイティンザーマウン氏が副大臣に指名されるなど、複数の市民活動家もメンバーに入った。スーチー氏の「穏健路線」の清算がカギとなる。(アベフミアキ)
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読書室 木下 武男氏著『労働組合とは何か』岩波新書(1872)2021年3月刊
○ 現代の日本では、労働組合というと「古臭い」「役に立たない」との意見が多数派であろう。しかし世界を見れば、労働組合は今でもバリバリの現役であり、立派に機能している。この彼我の大きな違いは一体どこにあるのだろうか。その疑問に対して著者は「日本には本当の労働組合が存在しないことによる」と答える。では社会を創り、社会を変える力を持つ労働組合とはどのようなものか。本書は『日本人の賃金』等の優れた著作を持つ木下氏のこれまでの研究の総決算とも評すべき、実に熱い充実した入魂の一冊である ○
広範な非正規労働者たちに必要かつ必読の手引き書
1944年生まれの木下氏は、84年から大学で「労働組合論」を講義してきた。その授業の半分が本書の歴史部分となっている。木下氏はアカデミズムの専門研究と運動現場とをつなぐ「通訳者」を自任する。それゆえ、本書は単なる専門書でも啓蒙書でもない。
本書で労働組合の歴史と理論を学ぶ目的は、労働組合の未来を議論する道具を身につけるためだ。未来のビジョンは与えられるものではない。運動の担い手が議論を尽くし、編み上げるものだ。共通の土俵がなければ議論は実らない。本書がその土俵なのである。
確かに日本に「本当の労働組合」の花を咲かせることは想像を絶するほどの難事業である。それでも歴史に学び理論に導かれ、日本の現状に適応すれば、やがて成し遂げることができる。本書は、日本に「本当の労働組合」の種を蒔き、育て、花を咲かせる、その歴史的な挑戦のための、広範な非正規労働者たちに必要かつ必読の手引き書なのである。
それでは本書の構成を章立てで紹介することで、本書の展開の流れを確認したい。
はじめに
第一章 歴史編1 ルーツを探る―「本当の労働組合」の源流は中世ギルドにある
第二章 歴史編2「団結せよ、そして勤勉であれ」―職業別労働組合の時代
第三章 分析編1 労働組合の機能と方法
第四章 歴史編3 よるべなき労働者たち―一般労働組合の時代
第五章 歴史編4 アメリカの経験―産業別労働組合への道
第六章 分析編2 いかにして社会を変えるのか―ユニオニズムの機能
第七章 歴史編5 日本の企業別労働組合―日本的労使関係の形成・衰退
第八章 分析編3 日本でユニオニズムを創れるのか
このように本書は三本の柱で構成されている。第一は労働組合の理論を歴史の中からつかみ取ること、第二はユニオニズムの理論をつかみ取ること、第三は労働組合の未来を構想すること。これらが三本の柱であるが、木下氏の最大の関心は労働組合の未来にある。
事実、本書の約半分が第六章以下の記述で占められる。木村氏には社会のルールの中軸にある働き方は、まさに労働組合と経営者が交渉し、話し合いで決めるものであり、政治で決まることではないとの信念がある。彼によれば労働者の働き方を変えられるのは、政治家でも官僚でも、裁判所でも警察でもない。まさに労働組合であり、労使交渉であり、政治で決まる国の制度とはその後のことだとする。一面的過ぎるかなとも思うのだが。
その労働組合の本質がよく見える「創世記」に立ち会った同時代人にエンゲルスとマルクスがいた。エンゲルスは「イギリスにおける労働者階級の状態」(1845年)で労働組合の新しい点は、第一に組合が雇い主と交渉すること、第二に組合が職業別に団結して同一賃金を要求すること、第三に組合がストライキをすること、の三点にまとめた。
つまり労働組合は、労使交渉し、武器はストライキ、皆で勝ち取るものは同一賃金だ。このことをマルクスは端的に「労働組合は、この(賃労働者間の)競争をなくすか少なくとも制限して、せめて単なる奴隷よりましな状態に労働者を引き上げるような契約条件を闘い取ろうという労働者の自然発生的な試みから生まれた」と指摘した。
労働組合と政党の関係
労働運動の歴史は、労働組合が誕生し、成長するとともに、それを基盤とした政党が出現する流れとなる。マルクスは、当時ドイツ労働界を仕切って来たラッサール派のシュヴァイツァーが自分たちだけ全ドイツ労働者大会を強行開催したことに怒り、同派のハマンに対し「労働組合は、もしその自分の任務を果たそうというのであれば、政党と関係したり、そうした政党に決して従属したりしてはならない。こうしたことが起こると、労働組合に致命的な打撃を与えることになる」と忠告したのである。
私としては、木下氏にマルクスの労働組合論のもっと全面的な展開を期待したかった。
アメリカの労働組合もこの経験に学び、当然ながら職業別に組織・拡大していった。
これらの点に日本的労使関係の中での企業別労働組合との決定的な違いがある。日本で主流の年功賃金とは、労働者の属人性を基準にしたものであり、労働者を団結させるのではなく逆に彼ら自身を個々に分断していく役割を果たしている。日本の労働組合が「本当の労働組合」ではないとの評価は、その実態からも実に正確で客観的な判断なのである。
日本の企業別労働組合の歴史、つまり日本的労使関係の形成・衰退は、第7章において約50ページを使って詳説している。それが第8章を展開する上での前提となるからだ。
ここでは残念ながらその紹介を省略し木下氏が情熱を傾けている第8章に集中したい。
日本の労働社会の激変と企業別組合の衰退
1992年、バブル経済の崩壊とともに日本の労働社会は激変した。この悲惨な現象は貧困と過酷な労働、雇用不安の三つで表現される。まさにブラック企業の台頭である。
この現実が出来した原因は何なのか。それは第7章で触れた日本的労使関係の崩壊だ。
日本の雇用保障は、国家でも労働組合でもなく、ひたすら企業によって支えられて来た。これが戦後に根付いた日本的雇用慣行だが、企業業績が悪化した2000年代になると一方的にこれが切り捨てられた。一方で大リストラ、他方で非正規雇用の常態化である。この変化に企業別労働組合は為す術がなかった。日本には、労働条件の維持・改善等を第一義にめざすユニオニズム=「本当の労働組合」がないことが誰の目にも明らかになった。
日本的雇用慣行の賃金と雇用の関係は、その企業に居続けることにより享受できた特典である。それ故企業別組合が「ノーと言えない労働組合」となるのは時間の問題だった。
ではこの過酷で悲惨な現実に労働者はいかに立ち向かっているのか。現状を守り、「滑り台社会」から落ちこぼれないよう恐怖に耐えるか、自宅に「引きこもり」を続けるしかないのか。日本の労働社会は現代日本の実に荒涼たる精神世界を形作っているのである。
今こそ「本当の労働組合」を創造していこう
このような現実だからこそ、ユニオニズム=「本当の労働組合」は理想論でも遠い先の目標でもなく、まさに日本の労働者が直面している現実を克服する唯一の道なのである。
過去の日本の企業別労働組合は、大企業や官公庁等、比較的恵まれた賃労働者層のものだ。だがそれと真逆の「下層」賃労働者たちが関生の産業別労働組合を創り出していた。
彼らが困難だとされた産業別労働組合を実際に切り開き、今も力強く前進している姿に私たちは大いに学ぶ必要がある。木下氏は本書の約30ページを使い事実を詳説している。
この関生の労働運動については、次号以降の読書室において関生支部執行委員長の武健一氏著の『武健一が語る 大資本はなぜ私たちを恐れるのか』を取り上げるので、紙面の関係からここでは詳説することを省略したいと考える。お許し願いたい。
木下氏は、今日本に広がっている「一九世紀型の野蛮な労働市場」の中でこそ、ユニオニズム=「本当の労働組合」を創造する手掛かりが明らかになっていると強調する。
労働組合の歴史から確認できることは「労働者類型」と「組合機能」と「主体の意識性」の三要素が相互関連することを教えている。「労働者類型」とは形成された労働市場で創られる。そしてこの類型が自分に適した「組合機能」を持つ「労働組合組織」を必要とする。ここに矛盾が生じる。「労働者類型」が多様であればそれだけ矛盾は大きくなる。大量生産で雇用が拡大したアメリカでは、不熟練労働者類型が多数派となり、熟練労働者の組合を圧倒して発展していった。それとともに「労働組合組織」は変化していった。この変化は必然ではあったが、自動ではない。「主体の意識性」が大きく作用するのである。
「本当の労働組合」を創造する具体的方針
このことを踏まえれば、これまでの「従業員」・「年功正社員」型の「労働者類型」から「企業別組合」が成り立っていたことが理解できるし、今後は「非年功型労働者」の「労働者類型」、あえて「下層労働者」と呼ぶなら、彼らこそ労働条件の維持・改善等を第一義にめざすユニオニズム=「本当の労働組合」の主役となりうる資格を持つのである。
ではユニオニズム=「本当の労働組合」を創る方途とはどんなものだろうか。
木下氏は以下ような五つの具体的な方針を私たちに提起するのである。
①現在ある企業別組合の「内部改革」ではなく、「新しい労働組合」の構築を考える。
②業種別職種別組合による「共通規則」・「集合取引」を実践する。
③業界の産業構造を改革する政策運動・政策制度闘争を展開する。
④一般労働組合の戦略による労働運動を再生する。
⑤ユニオニズム=「本当の労働組合」創造の担い手の大結集を追求する。
以上の表現は、木下氏の提起を私なりにより分かり易く平易に書き直したものである。
本書のはじめにあったように、日本で「本当の労働組合」の種を蒔き、育て、花を咲かせる、その歴史的な挑戦のための、賃労働者たちに必要かつ必読の手引き書として大いに活用したいものである。読者諸氏のご一読を期待したいと考える。 (直木)
川柳 作 ジョージ石井
お願いと無策が招く第四波
風評の濃度を増したトリチウム
トリチウム東京湾はノーと言う
麻生さん汚染水には口付けず
宣言を締めて緩めるネジ遊び
ワクチンの疑似餌せっせと撒くチャイナ
味噌汁のにおいと味に今日の無事
財産はない子に遺す自立自助
三枚におろせば粗がよく見える(課題「オープン」)
決断を延ばせば先に待つ闇路(「迷う」)
秘密洩れると尾鰭まで空に舞う(「密」)
巣籠りを逆手に稼ぐゲーム機器(「逆」)
解除した結果コロナの倍返し(「結」)
薄味も手間をかければプロの味(「薄」)
五輪旗が青信号で突っ走る(「五輪」)
被爆国核の傘下は似合わない(「似合う」)
折鶴の羽音高まる原爆忌(「高まる」)
本の紹介 『ガザ、西岸地区、アンマン「国境なき医師団」を見に行く』 著者 いとうせいこう 講談社 1500円+税
国境なき医師団(MSF)は、紛争や災害、貧困などによって命の危 機に瀕している人びとに医療を提供する、非営利で国際的な民間の医療・人道援助団体です。医師や看 護師をはじめとするスタッフが、世界約 70 の国と地域で援助活動を行っています。
1971年にフランスで医師とジャーナリストによって設立され、日本を含む世界 38ヵ所に事務局をもつ国際的 な組織です。1999年にはノーベル平和賞を受賞しています。MSF は医療倫理と「独立・中立・公平」という人道援助の原則に従 い、助けを必要としている人びとへ、人種や政治、宗教にかかわら ず、分けへだてなく無償の援助を提供します。
援助活動の現場では、虐殺や強制移住などの激しい人権侵害を 目の当たりにすることがあります。また、医療スタッフや施設が攻撃の 対象になったり、人道援助が政治的に利用される現実に直面したり することもあります。MSF はそのようなとき、世論を喚起するために現 状を国際社会に証言します。
MSF の活動資金は、9割以上個人からの寄付でまかなっていま す。それは資金の独立性と透明性を保ち、どんな権力や政治的圧 力からの影響も受けず、自らの決定で必要な場所へ援助を届けるた めです。公的資金の割合を抑えることで、活動の自由を確保してい るのです。
MSF の活動には医療従事者(医師、看護師、助産師、薬剤師、臨床検査技師、臨床心理士など)をは じめ、物資調達、施設・機材・車両管理、建築などを担うロジスティシャンや、人事・経理・財務を担当するア ドミニストレーターなどさまざまな専門家が参加しています。海外から派遣されるスタッフと現地で雇用されるスタッフで活動しています。
著者の いとうせいこうさんは、作家、クリエーターです。
いとうさんは2016年以来、「国境なき医師団」(MSF)の活動に同行して、ハイチ、ギリシャ、フィリピン、ウガンダ、南スーダンの現場を取材されてきました。そして2019年に訪ねた中東パレスチナのルポルタージュ『ガザ、西岸地区、アンマン 「国境なき医師団」を見に行く』を 2021年1月に発行されました。
いとうさんは、本の中で「今では全世界の人道組織の活動はさらに困難になり、それでも彼らは日々、目の前にいる患者のために全力を尽くしている。その志しが少しでも多くの人に伝わることを願って、また一冊本を上梓する」と語っています。
ガザへ行くには、まずイスラエルを通らなければなりません。そして、多くのパレスチナ人が住むガザへ行きます。2018年5月、トランプ大統領(当時)は米国大使館を、テルアビブからエルサレムへ移しました。これは、米国大使館をイスラエルを代表する地にしたのですから、パレスチナのガザでは抗議デモが行われていました。
この抗議デモ参加者に対しイスラエルは、銃撃しています。デモ参加者は、当然武器を持っていません。また、おもちゃに似せた爆弾によって子供などが負傷しています。
その負傷者に対しMSFは、治療を行なっています。また、MSFは負傷者に対するメンタルケアを行なっています。ガザは、ドローンでイスラエルによって監視されています。
西岸地区ベツレヘムでは、壁にイスラエルに対する抗議の絵が描かれています。
ヨルダンのアンマンでは、イラクで米軍に足を撃たれた人、イエメンで空爆を受けた人、その他多くの負傷者に対しMSFは治療を行なっています。
こんなひどい状況をなんとかしたいです。(河野)
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読者の声・・・「本当に東京五輪を開催するの?」
新型コロナウィルスり感染拡大の「第4波」を受け、政府は3度目の緊急事態宣言(4月25日~5月11日)を発令した。
不思議なのは、1回目と2回目の緊急事態宣言と比較して「期間が短い」、また終了日が「11日(火)」となっており極めて変則である。
3月21日(日)に2度目の宣言を解除したのは、25日(木)から始まる聖火リレーを意識していたと指摘される。今回の5月11日(火)の解除については、バッハ会長が訪日する17日(月)を意識した結果だと指摘されている。
その聖火リレーだかテレビを観ていて驚いた。ランナーがマスクをせずに手を振って走っている。国民に向かって外出するときはマスク着用と言っているのに。これでは、まさに「二重基準」ではないか。
また、「スポンサー車両が大音響の宣伝をしながら走る。」「有名人が手を振って走れば、どうなるか?」これでは当然多くの人たちが集まり蜜となり感染が心配となる。
聞けば、聖火リレーはまだ始まったばかりで、今後も約3ヶ月続いていくと言うが、この聖火リレーに対して多くの人から疑問の声が上がっている。
「なぜ五輪は行われ、一生に一度の修学旅行は中止なのか。なぜ屋外の聖火リレーはよくて、飲食を伴う花見はだめなのか。全てがダブルスタンダードである。」「世界では今、五輪開催に対し否定的なコンセンサス(合意)になっいる。日本は公衆衛生の見地から外れウイルスを世界にばらまくのではないかと言われている。」(東京新聞4月21日より)
特に心配なのが変異株(英国株、南アフリカ株、ブラジル株)の拡大である。ゲノム(全遺伝情報)解析で確定した全国の変異株感染者は20日までで1646人。13日時点よりも505人増えていると言う。
コロナ感染と最前線で戦っている医療現場の先生からは「医療従事者は命の選別をしなければならないような状況の中で死に物狂いで対応している。そんな中で、笑顔で手を振って走る聖火ランナーの姿は申し訳ないが場違いだ」「聖火リレーにかける時間とお金があるなら、医療現場や貧困に回してほしい。いったん聖火リレーを中止して下さい。」との切実な声が上がっている。(東京新聞4月21日より)
こういう中で、米有力紙『NYタイムズ』は12日付スポーツ面で「五輪を再考すべき時だ」と題した大きな論説を載せ、東京五輪を中止し、それを機会に五輪のあり方そのものを再検討すべきだと言い始めた。
今の世界のコロナ感染状況をみれば、極めてまっとうな指摘である。(団塊読者)
コラムの窓・・・入管職員のための入管法「改正」案!
4月21日に審議入りした「入管法改正案」は、この国の外国人処遇の醜悪な姿を浮かび上がらせています。外国からこの国に働く場を求め、あるいは庇護を求めてやってきた方々をどのように処遇するかは、この国の人権感覚を示す指標と言えるでしょう。
さらに、侵略戦争、植民地支配の過去を持つこの国には、すでに5世とか6世に及ぶ在日の方々がいまだ不安定な在留資格におかれている事実も忘れてはならないでしょう。こうした安易な外国人排斥、その裏返しの日本人至上主義にはどのような背景があるのでしょう。
かつて、法務省幹部が「(外国人は)煮て食おうと焼いて食おうと自由」と公言し、政治活動を理由に在留を許可しないことの是非が問われた訴訟で最高裁は「外国人を自国内に受け入れるかどうかは、国家が自由に決定できる」(1978年・マクリーン判決)との判断を示しました。
外国人は良き隣人ではなく管理すべき対象に過ぎないとするこの国家公認の思考が、今も入管施設のなかで生きているのです。入管施設は無期限の牢獄であり、そこでは希望を奪われて自殺、適切な治療を受けられないまま病死、抗議のハンストで餓死、こうした〝事件〟が日本人の目に触れることなく相次いでいます。
入管職員は国家意思を体現し、「私たちも同じ人間だ」という収容者の声を無視してひたすら暴力的な〝秩序維持〟を行ってるのです。私はビルマ国軍が自国民に対してどうしてあんなに残酷になれるのだろうと思うのですが、もしかしたら実行者はそれが正義だと思い込んでいるのかもしれません。同じことが入管職員の職務遂行にもあてはまるのでしょう。「改正」案はこうした入管職員の暴力的対応を後押しするものです。
さて、最近読んだ新聞記事(4月12日「神戸新聞」夕刊)に次のようなくだりがあり、なるほどと合点がいったものです。
「この古代における混血を踏まえると『日本人』という民族は実は存在しないことが分かる。『日本国民』はいわゆる『明治維新』後の政治的につくられた国籍上の概念であり、『単一民族国家』という発想もやはり明治以降の政治的な幻想(または施策)なのである」(倉本一宏国際日本文化研究センター教授)
この幻想に裏付けられた血統主義が、世代を経ても排斥の対象としての外国人への差別を当然のものとし、出入国という場面で非人間的行為を正当化しているのです。政策としての外国人技能実習生制度は、安価で取り換えにきく労働者の一群を確保することで、日本人労働者の処遇をも劣悪なものとしているのです。
この奴隷的とも形容できる労働者が家族を招き寄せ、あるいは家族を持つことを良しとしない外国人処遇。国連機関から人道に反するという批判にもかかわらず、難民認定を行わない、長期収容する、虐待によって〝自主的な帰国〟を強要する、それでも帰国しないなら犯罪者として扱う、暴力的に強制送還する等々。もはや、言うべき言葉もありません。 (晴)
メーテレドキュメント「面会報告~入管と人権~」!
明日から緊急事態入りで騒然とした4月24日、兵庫県ユニセフ協会のセミナー「知っていますか、収容、仮放免、強制送還」に参加しました。ドキュメントの上映とネットによる関係者のトークがあり、つくづくこの国の人権なき政治に嫌気がさしました。
18歳になった林佳昕さんは家族と仮放免の更新を求めて名古屋入管を訪れ、その場で収容され、荷物をまとめるための帰宅を許されただけで、翌日には関空から中国(上海)へ送還されてしまいました。すでに大学にも合格していたのにです。
支援によって裁判を起こしましたが名古屋地裁では請求却下、高裁でようやく留学の権利を認められます。この逆転は、入管の裁量を良しとした地裁と裁量権の逸脱だとした高裁の判断の違いよるものでした。本人が責任の取りようのないことで学習権を奪うことの不当を、名古屋高裁がかろうじて認めたことにって、佳昕さんは日本で学べることになったのです。
佳昕さんは大学で学んでいる私の孫娘と同じ世代、他人事とは思えません。10年も住み続けた日本から追い出され、中国で生活している家族と引き裂かれ、ひとりだけ日本で生活する環境にあります。トークで佳昕さんは多くの支援で日本の大学で学べている、社会福祉士の資格を取って頑張りたいと希望を語りました。一方で、日本は外国人が希望を持って住める国ではなくなっていると訴えています。
入管への面会活動を続け、同じ人としてこんなことは許せないという人々が存在し、この事実を映像として公にしようというジャーナリストが存在することは、この国におけるひとつの救いです。残念ながらこうした映像は深夜か早朝にしか放映されない、と制作者の村瀬史憲さんは吐露しています。
それにしても〝在留権〟て何でしょう。法務省・入管の裁量で自由を奪い、追放する。いま、国会で審議されている「入管法改正案」は入管の強権をさらに強めるものです。これを許すなら、この国に人権の暗黒が訪れるでしょう。ちなみに、「改正」案は次のようなものです。
①難民認定申請中は送還が停止されることになっているが、これに例外(3回を超える場合)を設ける。
②帰国できないから難民認定申請し続けているのに、送還拒否することに刑罰を科す。
③仮放免中に「逃亡」することに刑罰を科す。
*仮放免中の就労は禁止されており、健康保険にも加入できません。入管はこれでどんな生活をしろというのでしょう。 (折口晴夫)
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「映画紹介」・・・「生きろ島田叡-戦中最後の沖縄県知事」
今テレビ放送のコマーシャルでも、この映画「生きろ島田叡」の宣伝をしているが、私の住む静岡でも5月中旬から上映が始まる。
この映画は「米軍が最も恐れた男/その名はカメジロー」2部作で沖縄戦後史に切り込んだ佐古忠彦監督の作品である。
沖縄戦を生き延びた沖縄住民、軍や県の関係者、その遺族らへの取材を通じ、これまで多くを語られることのなかった島田叡という人物を取り上げて、沖縄の知られざる戦後史に迫った長編ドキュメンタリー作品である。
本土の人は、沖縄戦が始まってから沖縄県知事として赴任し、沖縄戦最終の6月に摩文仁で亡くなった島田叡沖縄県知事の事はあまり知らないと思う。私も沖縄移住生活で初めてこの島田叡知事の事を知った。この島田叡沖縄県知事の事を紹介したい。
1.島田叡の生い立ち
兵庫県八部郡須磨村(現神戸市須磨区)の開業医・島田五十三郎の長男として生まれ。 旧制神戸2中(現・兵庫県立兵庫高等学校)、そして第3高等学校を経て、1922年(大正11年)に東京帝国大学法学部へ入学。中学・高校・大学と野球に熱中し旧制神戸2中時代に第1回全国中等学校優勝野球大会に出場。東大時代は野球部のスター選手。
卒業後、1925年(大正14年)に内務省に入省。主に警察畑を歩み1945年1月の時点では大阪府の内政部長を務めていた。
2.沖縄県知事の発令
沖縄戦が始まる1944年10月10日、沖縄は米軍の大空襲(沖縄では10.10空襲と呼ばれている)を受け那覇は壊滅的な打撃を受け、行政は麻痺状態に陥っていた。
沖縄への米軍上陸は必至と見られていたため、前任者の知事が逃げ出す等、後任者の人選は難航していた。そんな中、内務省は新たな知事として大阪府内政部長の島田叡に白羽の矢を立てた。
1945年(昭和20年)1月31日、沖縄県知事の打診を受け即受諾した島田は、家族を大阪に残しひとり沖縄に赴任する。
沖縄に米軍が上陸すれば、知事の身にも危険が及ぶため、周囲の者はみな止めたが、島田は「誰かが、どうしても行かなならんとあれば、言われた俺が断るわけにはいかんやないか。俺は死にたくないから、誰か代わりに行って死んでくれ、とは言えん。」と言って、死を覚悟して沖縄へ飛んだと言う。
3.沖縄戦での住民指導
沖縄県に着任した島田は、沖縄駐留の第32軍の長勇参謀長とは上海事変のときから懇意にしており、前知事とは打って変わり島田知事には礼を尽くした。
「住民の食糧6か月分を、県において確保してほしい」と長参謀の要請を受けた島田は、同年2月下旬には台湾へ飛び、交渉の末、蓬莱米3000石分の確保に成功。翌3月に、蓬莱米は那覇に搬入された。島田はそのほかにも、大蔵省専売局の出張所に自ら出向き、厳しく統制されていた酒や煙草の特別放出を指示するなど少しでも沖縄県民の心をなごやかにするような努力をおこなった。こうした島田の姿勢により、県民は知事に対し深い信頼の念を抱くようになった。
4.摩文仁での最後
陸軍守備隊の首里撤退に際して、島田は「南部には多くの住民が避難しており、住民が巻き添えになる」と反対の意思を示していた。同年5月末の軍団長会議に同席した島田は撤退の方針を知らされ、「軍が武器弾薬もあり装備も整った首里で玉砕せずに摩文仁に撤退し、住民を道連れにするのは愚策である」と憤慨。そのとき牛島満司令官は、「第32軍の使命は本土作戦を一日たりとも有利に導くことだ」と説いて会議を締め括ったという。
6月9日、島田に同行した県職員・警察官に対し「どうか命を永らえて欲しい」と訓示し、県及び警察組織の解散を命じた。6月26日、島田は荒井退造警察部長とともに摩文仁(糸満市)の壕を出たきり消息を絶ち、今日まで遺体は発見されていない。
元兵士による「(島田は)壕で自決した」との証言がある。
★参考文献の紹介
佐古監督はこの映画の意義について、「権力者への忖度、資料の改竄や隠蔽が常態化し、政治不信が蔓延する21世紀の時代に生きる私たち日本人の眼に、後に『官僚の鑑』『本当の民主的な人』と讃えられた島田叡という人物の生き方はどのように映るだろうか」と述べている。
なお、参考文献として次の本を紹介する。
「TBSテレビ報道局『生きろ』取材班」(報道局の30代から50代の記者やディレクター6人が番組作りのために集まった混成の取材チームが取材し、この取材をベースに下記の本を執筆した)ので是非読んでほしい。
※本「10万人を超す命を救った沖縄県知事・島田叡」
・著者「TBSテレビ報道局『生きろ』取材班」
・出版社「ポプラ新書」2014年8月1日発行(富田英司)
宮城県のコロナ、四月三週目の状況
宮城県の四月最初の週は、これまでで最も多い九一九人の感染者が確認され、その翌週は三割ほど減り、その翌週はさらに三割ほど減りました。
前の週と今週を比較しますと、さらに二割ほどに減っています。ただ、一日平均で見ると約五十人と、依然として高い水準に変わりはありません。人口十万人あたりの感染者数は、二十一日までの一週間で宮城は十五.七八人とさらに減り、順位を先月と比べて下がり全国で十六番目です。
県内の療養者の状況は八三八人です。内訳は、入院中が二百人そのうち重症者十九人、宿泊療養中が二五四人、自宅療養中が二五一人、入院先など調整中が一三三人です。
県が確保している今すぐに使える病床の数は二六二床。そのうち七六.三%が埋まっています。また、重症者のためのベッドは三十二床で十九床が埋まっていますので使用率は五九.四%です。仙台医療圏に限って見ると病床数が一六六床。入院している人が一四二人で使用率は八五.五%。うち重症者用は二十二床でそのうちの十七床が埋まっていて使用率は七七.三%です。毎日亡くなっている方の発表があります。
感染力の強い変異株
仙台市は、三月下旬に新型コロナウイルスの陽性が判明し、国立感染症研究所が解析した検体九十六件のうち、九七・九%の九四件からワクチンの効果を弱める可能性がある「E四八四K」変異株が検出されたと発表されました。感染力が強いとされる「N五〇一Y」変異株も新たに五件が確認されました。
市によると、「E四八四K」変異株が検出された九十四件は、市内で感染者が急増した三月二十二~三十一日に陽性判明した患者の検体。保健所の担当者は「同期間の全検体を検査していないが、多くの人が感染している可能性はある」との見方を示しました。
一方、「N五〇一Y」変異株は既に公表した感染者から検出された。いずれも発症時期は四月中旬で、海外滞在歴や不特定多数との濃厚接触はないとのことです。市内の「N五〇一Y」検出は今の所は十六件です。
ワクチン接種
七十歳以上の市民にワクチン接種券が送られて来ましたが、そこにあるQRコードをかざして見ても具体的に予約はまだできません。高齢者施設、医療従事者からの順番のようです。接種された人の話を聞くとそれぞれのようです。なんでもなかった人、体調が悪くなった人様々です。今のところ身近な方の中でアナフィラキシーを起こされた方はいないです。変異株には有効的なのでしょうか。まだわからないことが多いです。
医療従事者は大変な状況
宮城県知事は記者会見で「肺が真っ白なのに、ホテルで療養してもらうしかない患者さんもいます。」と悲痛な発言をしました。なぜこうなったのでしょぅか?
宮城県の病院の医療従事者の配置は、実際の病床の八割だそうです。すでに八割の患者が埋まっています。もともと病床数にあった十分な配置がされていません。そして宮城県が赤字になるからと大学病院、がんセンター、労災病院の三病院を統合すると知事は言い出しました。今でも足らない病院を減らそうとしています。
この危機を乗り越えるために
経済ばかり優先していく知事、保健所も今まで統廃合の繰り返しで減りました。三病院の統廃合は何としても、止めなきゃいけません。地域の方も大変困っています。今回の反省を元に必要な医療従事者を人員確保していけるように、私に出来ることを周りの方々とともに続けていきたいと想います。
また、希望する全てのひとに無償でPCR検索を受けさせてほしいです。私は教育現場で働いており、重度の生徒にうつしてしまうと大変なことになります。生命を守るためには、検温、消毒は各々意識して続けていきながらも、定期的なPCR検査を定期的に実施してほしいと願っています。
そして、まん延防止等重点措置を続けていくならば、そのことで収入が減った方には、十分な休業補償をしていくことを、知事として頑張ってほしいと願います。(宮城 弥生)
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色鉛筆・・・「せやろがいおじさん」と沖縄に思う
目から血が出るほど働いた
昨年2月、安倍前政権の新型コロナ対策費は158億円。同時期の諸外国に比べて桁違いに少ない一方、米国からの戦闘機の購入・維持費などには6兆円超。お笑い芸人「せやろがいおじさん」こと榎森耕助さんは同3月、これを取り上げ動画配信した。
「(略)いや、大事よ。有事に備えるの。めちゃめちゃ大事やけど、今まさに有事が起きとんねん。このタイミングで金使わんとどないするん?火事に備えて、自宅の防火設備やら火災保険やらにめちゃめちゃお金かけているやつが、いざ家が燃えているときに『水道代がもったいない』いうて、放水ケチってたら、いやお前、金使うセンスゼロやんか(略)」
インターネット情報に疎いわたしは、生活クラブ生協編集『生活と自治』2021年1月号で初めて彼を知った。1987年奈良県生まれで、2017年から時事問題をツイッター、YouTubeへ動画配信している。紹介記事の中で、なぜ政治の問題を発信するようになったか?の問いにこう答えている。
「2018年沖縄県知事選で、辺野古基地建設反対の玉城デニーさんが当選したとたん、『沖縄終わった』みたいな言葉がツイッター上に広がった。ボクは沖縄の大学生時代那覇市の平和通り商店街でアルバイトをしていた。『昔は目から血が出るほど働いた』と言っていたおじいちゃんたちの言葉が今でも印象に残っていて、地上戦の舞台にされ悲しい思いをたくさんして、そこから必死の思いで復興してきた沖縄の人たちをたくさん知っている。彼らが沖縄を本当によくしたいと真剣に考えて逡巡しながら投票した結果に『終わった』なんて言葉は絶対に言ってはいけない。そんなことを言う人に対して何も言わなくていいのか。(略)見ないふりをしていていいのか。そんな自分の欺瞞に耐えられなかったこともあり(略)終わったじゃなくて、ここから始めていこうよというメッセージなら」と、お笑い芸人として自分なりの発信なら出来ると思ったことが発端と答えている。発信後は「芸人が政治を語るな」等の批判で大炎上したというが、誠実に、かつ風刺とユーモアで対応している。
辺野古警備に一日2600万円?!
米軍機爆買いも問題だし、不要不急の最たるものの辺野古基地建設工事もひどい。昨年12月21日加藤官房長官が記者会見で、2015年9月から現在までの警備費用の契約額は、約508億円(単純計算で一日あたり約2600万円に上る!)と発表。コロナ禍で苦しむ人がどんどん増えるる中、なおも全く見直しすること無く、何と総工費9300億円のうち約18%、1700億円を警備費用として計上。
辺野古の米軍基地ゲート前では、埋め立て用土砂を運び込むダンプカーを通すため、コロナ禍でも数十人の警備員が間隔も開けず壁のように立ち並び、対する抗議行動の人たちは一貫して非暴力であり、高齢者・女性も多く、人数、体力ともに比べてみれば、過剰な警備であることは明らかだ。この人員、この予算は今コロナ対策にこそ当てるべきだ。政権の息のかかった事には湯水のごとく税金を注ぐ一方、今苦しんでいる弱者、医療従事者たちは「放置」の国家、それは決して許してはならない。。
閑話
今も感染拡大が収まらない沖縄県。那覇の病院で看護師として働きながら、10歳と5歳を子育て中の娘と電話で話しをした。
「病院で2度目のクラスターが発生し、一時、外来と新規入院受け入れを止めたりの対応をしたけれど、感染を完璧に防ぐのはムリ。周りの病院でもあちこちクラスターが出ている。上司からは『医療従事者として自覚を持って感染の防止を』といった精神論がたびたび出るのだけれど・・・。看護師へのワクチン接種は終わったものの、2回目の接種後に発熱する同僚が続出。すると解熱剤2錠、次には4錠が配られてね。」
思わず私は「それって解熱剤を使ってでも仕事しなさいって事?!」
コロナ以前からの、慢性的な看護師不足。さらなる感染拡大の中、コロナ病棟をさらに増やすことに加えて、家族が濃厚接触者と指定されたため、自らも自宅待機をせざるを得ず、という同僚も少なくなく、人手不足に拍車がかかっているという。どこの医療現場でもぎりぎりの限界も超えているのが現状だ。
娘にとって定時の16時45分に帰れることなどまずあり得ず、ほぼ20時過ぎ。時にやむを得ず兄弟2人で留守番させることもあると聞き、胸が痛む。(澄)
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