ワーカーズ625号 (2021/12/1)
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岸田政権の「新しい資本主義」とは、安倍・菅前政権に追随の「アホダノミクス」である!
第2次内閣発足後、岸田首相は一方で安倍政権の目玉政策「一億総活躍」に関連する有識者会議と担当部署を廃止し、他方で持論の「成長と分配の好循環」実現に向け「新しい資本主義実現会議」「デジタル田園都市国家構想実現会議」等を相次いで立ち上げ、岸田カラーの打ち出しに懸命である。だが十一月十九日、岸田政権が発表した経済対策は、安倍・菅前政権に追随したものだ。経済対策のメニューは安倍・菅政権が既に着手している政策である。それは、小泉政権以来、竹中平蔵氏が居座り続けていることに象徴される。
今回、その目玉の分配政策の柱の一つに据えたのが、看護や介護、保育などの現場で働く人の賃金引き上げである。それは、九月の自民党総裁選で岸田氏が訴えた内容を首相となり具体化したものだ。関連業界団体は、他業界に比較しての低水準な賃金のため、改善に期待していたが、そのあまりに惨めな内実に「子供の小遣いだ」と強く反発している。
成長戦略もまた同様だ。岸田首相の「成長と分配の好循環」との耳障りのよいフレーズも、二0一六年に安倍元首相が施政方針演説で既に用いていた。首相自身、分配よりも企業支援による経済成長を優先する姿勢なのだから「アベノミクスと大きく変わらない」のが実態である。当然のことながら経済官庁幹部からも「誰も『新しい資本主義』が何か分からず、困っている」の声も聞こえる。実際、どこが「新しい資本主義」なのだろうか。
「アホノミクス」の失敗は、彼らが自らのリフレ政策を封印したことからも明白である。
「アホノミクス」の命名者浜矩子教授は、岸田政権の経済政策を早々「アホダノミクス」とまたまた辛辣で言い得て妙な命名をした。私たちもこれをどんどん使っていこう。
海外に目を移せば、中台間に偶発的な軍事衝突が可能性として論じられるほど米中関係は激化し、コロナ禍の世界の物価水準は高騰を始めている。そんな中、岸田政権に現実を見よと言うが如く円の実力は限りなく落ち、今や一九七0年の水準にある。自公政権の下日本の国力は落ち続けているのであり、その責任は自公政権にあることも明白である。
「失われた三十年」の果ては、「物価が安く治安のよい日本」から「給料は上がらず、治安悪化で物価だけは高い日本」が出来する現実性が岸田政権の下で大いに高まってきた。
先の総選挙では、この自公政権に打撃を与えることは出来なかったが、自公政権を打倒をめざす闘いは今後とも粘り強く追求していくことが重要である。 (直木)
将来展望は労組の復権と刷新から――企業からの自立した闘う労組づくり――
今回の総選挙では、自民党や立憲民主党が議席を減らし、日本維新の会の躍進と国民民主党の議席増が注目された。
野党系候補の一本化などで議席増が見込まれた立憲民主党が議席を減らしたのは、もとより立憲民主党の政治路線や日常活動、それに組織運営も、有権者の支持を得られなかった最大の原因だ。
が、ここではかつて民主党や民進党と同根の国民民主党の一部が、なぜ頑なに立憲民主党に合流しなかったのか、あるいは野党候補への一本化(一本化自体の是非についてはここでは触れない――)に冷淡で、維新の会や自民党に接近しようとしているかを振り返えり、やはり再出発には労組の復権と大刷新が土台になることを確認していきたい。
◆企業の意向に左右される連合
今回の総選挙で議席を増やした国民民主党。昨年立憲民主党に合流したとき、一部の議員が国民民主党が残った。その理由は、立憲のリベラル志向や脱原発の方針等だった。これには連合内の電力総連や同質の民間大手組合の意向が反映したものだった。
その民間大単産とは、電力総連や自動車総連、それにUAゼンセン同盟などの旧同盟系の労組だ。労資協調・第二労務部的な同盟は、当時も自民党別働隊の民社党の支持団体だった。要するに国民民主党は、旧同盟系労組が母体だった旧民社党の系譜を引き継いでいる。
その国民民主党。選挙前から「対決より解決」――ちゃんちゃらおかしいが――など掲げ、選挙後は野党連携を離れる姿勢を打ち出し、自民党や維新の会への接近姿勢も見せている。(が、連合は、維新の会が大阪などで公務員組合を攻撃して府民の歓心を集めた経緯があり、相容れない部分がある。)
国民民主党は連合傘下の旧同盟系労組を基盤として原発維持の立場だが、これはもとはと言えば電力会社の意向そのものだ。旧同盟系労組は、総選挙では国民民主党が候補者を擁立していない選挙区では、自民党支持にまわり、組合から自民党支持での裏指導も出ていたという(10・17朝日)。
福島の東電原発事故であれだけの被害を出しておきながら、それでも原発維持という会社方針に付き従う電力労組など、雇用問題はあるにしても、まさに労組の社会的責任に背を向けた御用組合の典型というほかはない。半世紀以上前の現在進行中でもあるチッソ(当時の日本窒素肥料)工場からの有機水銀中毒による水俣病の発生当時、チッソ労組が会社側に立って、当初は公害被害者に冷淡だったのとまったく同じ構図のままだ。
◆社員支配を支える企業内組合
この秋、連合会長が代わって注目を集めた。芳野友子新会長は連合初の女性会長であり、またJAM(機械・金属製造業の中小企業労組)出身ということもあって、連合に新風を吹き込むことを期待されてもいる。確かにそれ自体は評価されてもいい。が、それが連合の刷新や役割の拡大に繋がるかの期待は、全くの見当外れだ。連合は、一人の女性トップが誕生したというだけで変わるような組織ではない。
芳野新会長は、さっそく岸田政権の『新資本主義会議』のメンバーに加わった。財界代表や企業トップが大多数を占め、一部学者が入った15人の内の1名という立場で、何事か発言して実現するものがあるのだろうか。労働政策審議会を含め、そんな政府の審議会で出る時間があるなら、連合の組合と組合員を叱咤激励して企業と政府に要求を突きつけて闘いを挑むべきなのに、だ。
連合は、財界や政府との接点は多いが、反面、共産党や共産党系の全労連と対立してきた歴史を持っている。というより、むしろ連合の役割は、共産党やその系列の全労連を含む、職場での異端分子や抵抗勢力を封じ込めるという役割を担ってきたが故に、歴史的に企業から存在意義を得てきた経緯がある。
戦後の労働組合の変遷は一言では語れないが、戦後、一時高揚した産別会議の時代の後、紆余曲折を経て、産別民主化同盟を母体として結成された総評と、その後の《鶏からアヒルへ》という左派転回があった。他方で、1953年の全自動車日産分会による日産争議とその後の分裂劇など、総評からの〝平時の分裂〟といわれた会社主導の組合分裂劇の結果誕生した御用組合も多かった。それを取り込んで影響力を増した同盟と総評との鼎立状態が長く続いた。
その同盟はといえば、第一組合潰し、数多くの抵抗者・抵抗者グループ潰しの片棒を担ぐなど、労使協調を超えて会社の先兵として行動する強烈な御用組合が多かった。その後、紆余曲折を経て、総評と同盟が再編・統合して1989年に結成されたのが、現在の連合だ。
日本の労組は、敗戦後の復興期以降、港湾関係労組などごく少数の例外を除いて、大多数が従業員組合として個々の企業の従業員が丸ごと組織され、職業別・産業別には組織されなかった。戦後の混乱期にともかく生活できる賃金などを実現するには、職制も含めて従業員丸ごと参加した組合の方が都合が良かった面もある。
が、企業内従業員組合は、ユニオンショップ制で社員に採用されると同時に組合にも自動的に加入する。組合員の処遇は、個々の会社の業績や経営側の裁量に左右されやすく、企業に従属しやすい。年功賃金で、転職は即、賃金低下を招く。現に自分は○○社の社員だという会社への帰属意識・社員意識は、根強く温存されている。
戦後日本の労使関係の基調となってきた終身雇用・年功賃金・企業内組合は、近年、企業側から非正規化や最低賃金での時給労働が増やされてきた。が、終身雇用・年功賃金が崩されても、企業内組合という組織原理だけは温存されてきた。企業内組合がそれだけ企業による労使関係の制御に都合が良かったことの反映でもある。
◆異端分子を恐れる企業――連合
その連合は、結成当時は組合員800万人を擁し、1000万人への拡大を目標としていた。しかし現在は700万人だ。
連合組織が増えないのは、大手製造業を中心とする正規労働者自体が増えていないこともあるが、そもそも労使協調や御用組合は、要求実現に向けて会社や政権と闘うという発想が無いため、組織の強化・拡大,他企業労働者との連帯などは必要ない。自分たちの会社内組合員を統制下におければ、それだけで御用組合の役割は果たせる。
今回の総選挙で、連合、あるいは連合のほぼ半数の単産が支持する国民民主党が、立憲民主党を中心とした野党候補の一本化や、共産党の閣外協力という立憲民主党の選挙方針にかたくなに拒否感を示した。これは自分たちも含む野党の議席を増やして政権に近づくことよりも、企業が毛嫌いする共産党系候補の拒絶優先姿勢の反映なのだ。
企業や連合がなぜ全労連=共産党を毛嫌いするのか。
共産党は今では《民主集中制》という上意下達の閉鎖的な改良主義政党。共産主義や革命などめざしてもいないし、できもしない。でも会社が共産党や全労連を恐れ、毛嫌いするのは、共産党や共産党員は、会社がコントロールできないからだ。かつての社会党や総評も、企業にコントロールされていた面もある。
対して、共産党員は、党上層部や党組織、党員を見て活動している。たとえ会社から不利益を被っても党の言うことを聞く、イデオロギー政党としての性格も併せ持っている。企業や連合は、それが気に入らないし、恐れていることなのだ。だから会社も共産党を敵視するし、御用組合の同盟や連合の一部は共産党や全労連を毛嫌いするのだ。
◆連合人事も企業の手のひら
企業が連合の旧同盟系の単産に影響力を行使した事例は、なにも今回の選挙だけではない。それ以前に、連合の人事さえ左右してきたのが、今年の連合会長選出の経緯だった。
そもそも今回の連合会長人事、当初は連合内部では事務局長を務めていた相原康伸事務局長を会長に昇格させるはずだった。
ところが異例なことに、相原事務局長の出身労組であるトヨタ労組が頑なに反対したという。トヨタの豊田章男社長が絶対に認めないからだという。理由は豊田社長が経団連会長に選出される可能性があり、そうなれば、経団連トップと連合トップが同時にトヨタ出身となり、具合が悪い、とされた。だが現実は、豊田社長は自動車工業会の会長の地位にあり、それも異例の3期続投中だ。先行きは経団連会長になるかもしれないが、今期は無いことは分かっていた。
本音は違うところにある。それはトヨタ労組出身者が連合会長になること自体、トヨタにとって都合が悪い、というものだ。なぜ都合が悪いのか。それは連合自体は御用組合や労使協調組合の集まりで、企業や経団連にとってコントロール可能なものだ。とはいえ、連合も一応は労働者の代表としての外面はある。時には形だけでも労働者の味方、労働者の代表として振る舞う必要がある。豊田社長はそれが許せないのだ。
そんな経緯もあって連合会長が女性、中小出身という異例の形で選出された。が、それだけを持って連合の旧弊を刷新できると思ったら、それは無い物ねだりの過剰な期待というほかはない。現に、芳野会長の発言は、これまでの連合トップの発言を踏襲したものでしかない。
◆当事者による闘いの強化が不可欠・最優先
いま私たちに決定的に欠けているのは、自分自身が立ち上がって一歩前に出る、という当事者意識、主体的行動だ。約5割という投票率もそうだが、労組組織率17%(20年)という現実もある。労組に信頼感がないということもあるが、当事者意識の低さや、労組活動家の未熟さも、むろん影響している。まずは、自分自身も含め、自分たちで行動を起こし、拡げていくという地点に立つ所から始めたい。
現実はといえば、労働者の生活の確保・改善を政治・政府に期待するという風潮とそれを助長する与野党。労働者の生活改善は、まずは自分たち自身で行動を起こし、闘いを拡げることでしか実現しない、という地点に立ち戻りたい。
今回の総選挙でも、こんな言葉が飛び交った。《何があっても心配するな!あなたには国がついている!》一票を投じれば我が身は安泰、こんな楽なことはない。究極の国家依存だ。
これまで連合は、非正規労働者が激増しても、その組織化や労働条件引き上げには冷淡だった。旧総評系労組も含めて、むしろ正社員としての自分たちの雇用と処遇を守るため、非正規労働者をその調整弁として利用する立ち位置をとり続け、企業による分断支配に便乗してきた経緯がある。
だから問題解決は二重の闘いとならざるを得ない。一つは非正規労働者など使い捨てにされてきた人たち自身による決起と周囲の支援拡大。もう一つは連合労組の根源的な解体と再組織化、この二つの結合だ。
連合を刷新しようとすれば、個々の労組員や個々の組合を粘り強くまっとうな組合活動に呼び戻すことだ。それと連合外の闘う労働組合との連携を強化することだ。ハードルは気が遠くなるほど高いが、それでも、大企業・正社員の運動と中小・非正規労働者の闘いを結合していく、そうした地点から闘いの再興を目ざしていきたい。(廣)
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日本資本主義の衰弱とリフレ派の凋落 今、何をなすべきか?
日本資本主義の衰退が深まる。誰の目にも明らかだ。しかし、思い起こそう。十年前にそれを阻止すべく登場した対策が「アベノミクス」でしかなかった。
「ノーベル経済学賞」級(?)の浜田宏一や黒田現日銀総裁など日本の「切り札」が結集した。そして、安倍首相のリーダーシップで推進したアベノミクスだが、それから九年。元の木阿弥どころか病状はどうにもならないほど悪化している。
経済成長が低迷している、所得が伸びない、下がる・・格差は広がる・・。経済協力開発機構(OECD)のデータによると、日本の平均賃金は1990年の3万6800ドル強から2020年に3万8500ドル強へと約1700ドルしか増加していない(実質所得はマイナス)。一方、米国は4万6900ドル強から6万9300ドル強へと上昇。4万ドルを超えている韓国の後塵を拝している。円に直せば韓国の平均年収は日本より約40万円高いのだ。国際通貨基金(IMF)のデータによると、1993年には1位だった1人当たり国内総生産(GDP)が、じりじりと順位を下げてきた。日本は2020年に4万0089ドルと世界24位だ。
野口悠紀雄は「アベノミクスの7年半で日本は〈米国並み〉から〈韓国並み〉になった」(ダイヤモンドオンライン)と記事を書いたが、中国にも一人当たり統計で急追されている。嫌韓・嫌中の右翼マスコミはそれを報じず、ますますヒドイ嘘を並べ立ててこの事実を隠そうとする。自民党・右翼によるやらせの世論操作が見えみえだ。
■「リフレ派の倒錯が明るみに」・・エコノミストの怒り
支配階級の経済政策として期待を集めて登場したリフレ派は、「刀折れ矢尽きた」わけである。七年前に「世界が日本経済をうらやむ日」(浜田宏一の著作の題名)などと語った彼だが、失策を反省せず、今度は無節操にMMTにまで足場を移そうとしている。リフレ派はそもそも倒錯した貨幣数量説を信仰の中心に置く「呪術師経済学」であるのだが、さらにその道を極めようとしているのだろう。
他方では、現実主義的なエコノミストなどからは、今さらながら非難の声があげられた。それが、この記事だ「企業物価は爆上がりも消費者物価が伸びない日本の特殊事情。企業の〈腹切りプライス〉は持続不可能」(Business Insider Japan)。
中身にたいしたことは書いていないが、ブルジョアエコノミストたちが反旗を翻したことに意味がある。「リフレ政策論者の〈倒錯〉が明るみに」「日本銀行は〈物価が上がれば景気も良くなる〉という、因果を取り違えた」云々とこの論者は批判した。しかし、とうの昔に明らかなことを今さら持ち出すのも情けないが、同時に、批判する彼らにも「対策」「対案」があるわけもないのはさらに情けないが。
■生産的資本の衰退と経済のサービス化・金融化
日本資本主義の陥った「危機」の根底には、資本主義に普遍的な面と固有に日本独自の面がある。しかし、それは程度の差であり、本質を同じくする現象なのである。つまり、生産的産業資本主義の衰退の問題だ。先進諸国での経済の第三次産業化(金融化)ともいえる(グラフ①参照)。このテーマは今に始まったことではない。欧米の伝統的資本主義も、中国のような新興資本主義も、この問題からフリーではない。しかし、その問題を極力軽減する意識的政策は各国でとられた。だが、日本ではほぼスルーされてきた。
そのため、産業の空洞化と資本の海外進出(聞こえは良いが、資本の逃避でもある)が怒涛のように進んだ。おかげで日本の海外純資産は三十年連続で世界一となっている(グラフ②参照)。これを「お金持ち日本、スゲー!」と自慢するバカなマスコミもいたが、さすがに昨今は聞かなくなった。これは資本による「日本忌避行動」の一つの結果だから。なにしろ日本資本の国内投下率は世界で最下位レベルだ。少し前だが(2013年)日本貿易振興機構(JETRO)対日投資部長の話が印象的だった。「日本の国内投資は経済制裁を受けている北朝鮮より低い世界196位(当時)だ」と言う。JPモルガン・チェース銀行の市場調査本部長佐々木融は、「日本企業のキャピタルフライト」だと呼んでいる(ロイター)等々。
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国内に残る資金も生産的産業投資には向かず、日本企業の内部留保額が五百兆円に迫るほど集積するし、あるいは政府の政策誘導もあり証券投資へシフトして経済の金融化も一層進んだのだ。カネ余りだから株式や証券投資にながれ、株式相場は経営実態と無関係に上がるし、他方では金利が極端に下がるのは理の必然だ。
日本は、日本の資本(生産的資本に限らず)にとっても市場として魅力が足りない。このような問題を抱えてきた日本であるが、改善どころかそれを悪化させたのがリフレ派のアベノミクス=「金融大緩和」やそれと密接な国債大量発行なのだ。国内資本は、円安環境の中で輸出も当初は堅調となり、輸出企業は史上最高の収益の年もあった。しかし、「円安に安住」してきたので、競争力を維持できず、円は「実質実効為替レート」で五十年前の為替水準まで低落した(グラフ③参照)。
そんな中でコロナパンデミックによりいわゆる「インバウンド観光関連収入」も喪失し異常事態に陥った。賃金は抑えられ、当然にも大衆消費は沈んでおり、ゆえに、資本は日本から逃避行動をつづけ国内では経済の金融化が進む。産業は衰退し輸出力も徐々にそがれ長期の円安が歴史的水準に達した。海外の最新技術は「高価」となり手が出せず導入は停滞し、ますます産業力は減衰する・・という負のらせん階段に終わりは見えない。追い打ちをかけるように、資本蓄積の力が弱体化して海外投資も頭打ちの兆しがある。「海外純資産大国ナンバーワン」の地位からの転落も時間の問題となっている。これが「日本病」と言われるものだが、他の先進国にも広がっている。
■巨額の政府債務と長期金融大緩和策は
為替ダンピング=労働力の安売り政策だ
さて、世界最大の政府債務問題を抱えながらも、高橋洋一、森永卓郎、MMTらがさらなる財政拡大を唱え、財政緊縮派?(財務省)と激しい論戦を戦わせている。
財政拡大論者は主張する。「年間三十兆円の赤字国債を五十兆まで拡大しても大丈夫」(森永)「政府債務は(現在GDPの2.5倍)GDPの10倍まで拡大可能」とか。「円は独自通貨なので財政破綻はしない」「国債利回りは低いまま」「政府の借金は国民の富だ」「日本政府には巨額な資産があり、国家財政は優良だ」云々。
個々の論者に論及しないが、日本政府が長期にわたって採用してきた財政拡大と国債の大量発行そして日銀による大量購入(質的量的金融緩和策)が、上記してきた「日本病」を加速させてきたことを踏まえれば、彼らの主張は極めて無責任だ。
これらの政策が、とりわけバブル崩壊以後三十年かけて日本経済と市民・労働者の生活を追い込んできた事実はどうなるのだ?彼らの推奨する政策とは、日本政府がこれまで三十年間続けてきた(続けざるを得なかった)政策の、より極端な再版・継続にしか過ぎない、ということだ。どんな新味も反省もない駄策だ。
財政は破綻していない?インフレにはなっていない、と?しかし、この政策は、本質的に為替ダンピング=労働力の安売りである。事実、前にも触れたが円の「実質実効為替レート」はこの三十年間で半分に下落した(グラフ③参照)。すなわち、資本のために目先の「国内需要の創出」と輸出拡大のために、日本の労働者に貧困を強いるものなのだ。その悪循環を固定する政策なのである。
■「日本病」につける薬はない
しかし、日本経済の再生の道は、もはや「産業資本の回復」と言った方途では解決できないし、気候危機対策の観点からすべきでもない。いわんや財務省の言う健全財政の道でもない。後者の道は社会的再分配はさらに劣化し、格差是正や、医療・福祉の再建。貧困対策や労働環境・待遇の改善など多岐にわたる問題が放置される。もはや資本とその政府の政策云々の問題ではない。自公政権よりましだからと、野党も期待することはなにもない。闘う労組をつくり、資本からの攻撃に抗うことも不可欠だし、労働者や市民の独自の経済・社会活動をつなげてゆく、新しい運動が必要であり、長い闘いとなるだろう。(アベフミアキ)
「ニューヨークCityコイン」の大きな波紋 ーー 暗号通貨の破壊的性質に注意と警戒が必要
デジタル後進国の日本で、ビットコインなどの暗号通貨を所有し利用する人は少ないし、関心もあまりない。しかし、海外ではそうではない。ニューヨーク新市長に当選したアダムズ氏は、「NY市も暗号通貨の導入探る」「給与をビットコインで受け取る」と明言している。マイアミコインについで「ニューヨーク・コイン」が流通すれば、その国際的影響力はマイアミやエルサルパドルの比ではないだろう。仮の話だが、暗号通貨が拡大してゆくとしたら、いくつかの面から、注目し、警戒する必要がある。(その前に政府・金融当局の圧力と規制は強まるだろう。中国は暗号通貨を根こそぎにするつもりのようだ。)
近未来の社会の動きに大胆に論及するのは十分に「科学的」とは言えない部分もあるが、大切なのはこの動きの本質をさぐり、大衆の警戒心を高め未来の変革に備えることだ。
■暗号通貨の普及について現在の一般的理解
①決済や送金コストが低く、特に海外送金などでは「為替」問題が無いので助かる。これは企業取引でもそうだ。ビットコインの欠点も例えばマイアミコインではクリアーされ「使い勝手が格段に良くなった」といわれる。スマート・コントラクトが内装されている。つまり「自動販売機」のごとく契約・支払いが一体化する。
②また、例えばビットコインに連動するマイアミコインで給料をもらえば、インフレによる「貨幣の減価」からフリーになる。ドルならば、現在は年五%減価する。だが、暗号通貨はその真逆で、実は歴史的にまれな「増価する通貨(投機的上下動を無視すれば)」なのである。給与は黙っていても長期では上昇する(通貨単位当たり購買力が増大する)可能性がある。
なーんだ、いいことずくめだ。心配ある?
いやそう簡単ではない。
■「利便性良く、お得」でも変動リスクがある
すでに世界の金融当局が絶えず繰り返してきた「暗号通貨(資産)は投機的で危険だ」という指摘。これはこの限りでは当然だ。海のものとも山のものとも知れない黎明期のビットコインを資産にすれば、「すべてを失う」と既存の金融界は警告を繰り返した。
たしかに「公的機関」が導入するケースでは、ビットコインが投機的な構成を持っていることを理解すべきだ。現在では市民権を得つつあるとはいえ、ドル・円・ユーロに対する変動リスクにも理解を置くべきだ。そもそも、「都市」というものが、ある種の金融投機の片棒を担ぎ、「都市財政を潤す」「市民の利便性を高める」というのが安易すぎるのは確かだ。良いとこばかりをもてはやすべきではない。
暗号通貨が及ぼすだろう破壊的歴史的意味を考えてみたが、労働者はもちろん既成の富裕階級も様々な錯綜した影響が避けられないだろう。
■暗号通貨の破壊的性質
さて、上記のように金融当局が暗号通貨に対抗意識をむき出しにして罵詈雑言を並べるのには理由がある。やみがたい存在の不安が心中にあるからだ。
「暗号通貨は既存の中央銀行や金融当局の金融政策を無効にしてしまい廃棄さえする可能性」を持っているという恐怖感だ。この直感は正しい。暗号通貨が改善を繰り返し(マイアミコインはかなり改良された)、進化を遂げて流通手段としても蓄蔵手段としても実用的なものとなれば、実際に権力の中軸にある現在の中央銀行や国際金融諸機構は、理屈の上では無力化され消滅の危機に追いやられる。このことに疑問の余地があるだろうか?
世界に各種ある円・ドル・元(デジタル人民元も同じだ)などは、おしなべて「国民貨幣」にしか過ぎない。ところが暗号通貨は非中央であり、「独立した価値」を持つ。ゆえに最初から国際的通貨である。そもそも為替問題(為替差損)など発生しない、生まれつきの国際通貨だ。いずれにしても今後「改良」を重ね社会に受け入れられるかどうかにかかっている。
暗号通貨が流通や蓄蔵手段として人々が幅広く利用するようになれば、中央銀行の通貨発行権どころか中央銀行自体の存在意義が大きく失われる。「良貨は悪貨を駆逐する」その過程で「国民貨幣」は減価しないだろうか?
■むき出しの階級対立へ
中央銀行の無力化ーーすでに行き詰まっているがーーは、労働者階級にとってそれ自体悲しむべきことではない。しかし、各国の財政の組み立てと国債の大量発行、それに金利の操作等の能力が喪失ないしは弱体化するとすれば、看過できない問題を生じる。労働者庶民はこの冷徹な現実も予想すべきだ。
世界中で戦後採用されてきた管理通貨制度=国民通貨制度が弱体化すれば、管理通貨制度の土台の上で拡大されてきた金融緩和や財政出動は決定的に劣化する。具体的には医療・福祉の財政支援や公共工事の拡大などは出来なくなる。(欺瞞的だったとはいえ)社会的再分配構造は崩壊する。つまり労働者庶民は階級的軋轢が高まることを覚悟しなければならない。国家権力の弱体化は好ましいが、それに比例した階級的闘いの時代を予測すべきだろう。つまり、暗号通貨が「市民の利便性」として広がったとしても、そのしっぺ返しはより強烈なものとなる。MMTは「独自通貨発行権を持つ国は財政破綻などしない」といつまでのんきなことを言っていられるだろうか。 管理通貨制度に風穴があくというのに。
■暗号通貨が及ぼす他の社会的影響
暗号通貨は、成立から十年もたたずに、社会に認知され一部に定着しつつある。冒頭に述べたが、ニューヨーク市が検討する「City通貨」が実現すれば、事態はかなり決定的だ。すでに述べたように金融当局との軋轢は高まるし、国家権力との関係が今後問題となる。中国は暗号通貨大国(「採掘」の中心)だったが、国家統制を脅かすこの「危険分子」の大弾圧を貫徹しつつある。西側諸国はどうするのか?
それはさておき、今後庶民・労働者にどのような影響をもたらすのか、暗号通貨が拡大した場合の注目点、警戒点をさらに列挙しよう。
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★マネーロンダリング。脱税。→犯罪に利用される可能性がある。
★この通貨が存立する基底「労働の証明(proof of work)」には莫大なパソコンと電力が使用される。→気候危機回避政策との矛盾が先鋭化する。
★「労働の証明」とはつまり社会全体にとっての労働の負担の問題だ。その点、円・ドルは低価格で「発行運用」できるキーストロークマネーだ(つまりほぼコストがかからず、ゆえにこれらの貨幣は無価値だ)。しかし、暗号通貨のマイニング「労働」は、理屈の上でゆくゆくは商品流通量に比例する(流通速度はとりあえず無視して)し、蓄蔵もできるのでさらにそれを上回るはずだから、普及するにしたがって社会の負担増となる。このブラックホールの重圧(社会的労働の浪費)は、社会全体で担うしかない。→つまり貧困や飢餓問題対策に逆行する。(イーサリアムは「労働の証明」を回避する改革を試行しているが。)
★暗号コインは「流通手段」「蓄蔵手段」「価値尺度」としての用途を生まれながらに持つ。これは一見立派な貨幣に見える。しかし、この「貨幣」には他の使用価値が「無い」に等しい。通貨として脆弱ではないか?つまりマルクス的に言えば、そもそも「一般的等価物ではない」。一般的商品として造られそこから這い上がり、商品世界の玉座についたものではない。それなのにここに莫大な社会的労働が投下される。金(きん)であれば、「貨幣」としての諸機能以外に、宝飾品や工業利用、そして医療的な入れ歯とかその金属属性にふさわしい多様な用途もある。しかし、暗号通貨にはそれが無い。
★さらに銀行とデジタルプラットフォームの衰退を促すだろう。スマート・コントラクトを内装する暗号通貨システムは、「手数料」「せどり」「レント」「中間マージン」「課金」「口入れ料」「利ざや稼ぎ」その他ピンハネの類(たぐい)の回避手段となるからだ。つまり銀行や胴元のような仲介者、取引に付随して介在する管理運営者が無用になる。銀行ばかりか今を時めくアマゾンやウーバーなど「私的独占」プラットフォームの栄華ももはやこれまでだ。
★裏返してみれば、暗号通貨が普及するということは、奇異に思われるかもしれないが、だれでも利用できる「新たな」経済プラットフォームの成長(を内在している)とみることもできる。そもそもこの「パブリック」なプラットフォームにとって「通貨」はアプリケーションの一つに過ぎない。
★資本はとっくに多国籍化しているし、金融もグローバル化した。さらに暗号通貨が群雄割拠する世界地図は、国民国家の存在とますます相いれなくなる。それ自体は不可避なものであるが、この社会的矛盾の軋轢にも大衆は備え未来を切りひらかなければならない。(アベフミアキ)
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読書室 「選択」編集部編『日本の聖域 ザ・コロナ』二0二一年一一月刊
○日本の聖域シリーズ第六弾となる本書は、二0一九年二月号から二一年六月号までの記事二五本を収載している。この間の最大にして空前の出来事は新型コロナである。ゆえに関連記事は八本にのぼる。これらを読めば、このコロナ敗戦の軌跡と本質がよく分かる○
本書は二五本の記事で三部構成となっている。第一部の表題はこの国ではカネは人命より重い。第二部の表題は堕落と癒着の連鎖。そして第三部の表題は私利私欲の果てに。
これら二五本の記事は、大マスコミが批判を忖度する中にあって「日本の聖域」に勇猛果敢に切り込んだ記事ばかりで、コロナ禍にあって実売部数を十%以上伸ばしたという。
この実績がこれらの記事の真実性を証明しているといえる。まさに珠玉の記事である。読書室では紙面の関係からコロナ関連記事しか紹介できないことが本当に残念である。
コロナ関連記事八本は第一部にまとめられている。再度この第一部の表題は、「この国ではカネは人命より重い」である。この表題が意味するものは、世界が総力を挙げて、この未知の病原体についての知見を集積していた時期に、これと距離を置き「日本ローカル」の非科学的な方針に固執し、アビガンやポピドンヨード等のうがい薬の使用奨励を謳った政府や自治体を放置し、国民を似非情報の沼へと放り込んだことへの厳しい批判である。
そして今も、若者を中心に新型コロナワクチンへの忌避感は根強い。当然である。日本政府の医療行政に対する若者の不信を増大させたのは、他ならぬ政府自身だからである。
第一部の八本の記事の表題を順に紹介しておこう。「国立感染症研究所 新型肺炎で機能不全の『利益集団』」、「新型コロナ専門家会議『尾身茂』という国難 その提言に世界が『疑問符』」、「厚労省・結核感染症課『コロナ騒乱』諸悪の根源」、「PCR検査 異常な少なさの全真相」、「新型コロナ対策本部 厚労省『御用集団』の深い罪」、コロナ感染『後遺症』多発する『自己免疫異常』の怖さ」、「緊急事態宣言 税金浪費で『効果なし』」、そして「GOTOトラベル『補助金』の闇 業界団体と結託『謎の企業』が大儲け」。
この八本の記事を時系列で整理する。すべてはここから始まった。新しい病原体が発生した時、まず担当するのが検疫法と感染症法を所管する厚労省結核感染症課だ。今回は二0年二月二五日、新型コロナウイルスクラスター対策班を設置した。名前こそ立派だが、その実態は、班長は専門家からの選りすぐりではなく同課課長の指定席で、医系技官の日下氏であった。医系技官の世界では「公衆衛生と国際畑は傍流」、医療費抑制・医者不足対策が厚労省の中心で主流だ。明治時代はともかく現在は、厚労省の内部でも結核感染症課に配属されるのは「イマイチの人」となり、WHO等の国際組織へも出向する。0九年の新型インフルエンザの流行で各省庁に跨る対策の必要性から政策決定は、厚労省と内閣官房新型インフルエンザ等対策室の二元体制となった。当然にも多くの反省点が残った。
今回のコロナでも結核感染症課の管理下に健康局に新型コロナウイル感染症対策推進本部を設け、にわか職員を集めた。この結果、初期対応に失敗した。二0年一月一六日、武漢から帰国した在日中国人の感染が確認されると、翌日国立感染症研究所は積極的疫学調査の実施要項を公開。要は検査対象を中国から帰国の感染者等と限定したことで潜伏期等の患者を無視した。つまり未知の病原体に対して過去の感染症対策のスキームで立ち向かい迷走していった。その上、同年一月二八日、厚労省はコロナを感染症二類に分類し、無症状者も強制入院させた。この対応は濃厚接触者を徹底して検査する一方で、一般の発熱者に対してPCR検査を厳しく抑制することにつながる。大きな判断ミスである。
こうしてPCR検査の対象を拡大せず、無症状者や軽症患者の自宅やホテルなどの隔離を躊躇し放置した。ゆえに重大で悲惨な人災が今回大規模に発生してしまったのである。
日下氏自身は「まじめな人」で利権とは無縁だとされたが、探求心の不足やコロナに対する危機感の欠如は隠しようもない。彼に医系技官に必要な責任感と矜恃はあったのか。
新型コロナ専門家会議の尾身会長もまた実力が疑われている人物である。彼は、診察歴は自治医大卒業後の九年間の地方勤務、研究歴も母校での三年間の助手勤務だけで筆頭著者の英文論文は一つのみ。彼は、経験・実力がないのに偶々知り合った慶応閥の医系技官に言われるままに要職に就き、ポストにふさわしい仕事が出来ない人物の典型だ。つまり三九歳で医系技官に入省一年勤務でWHOに出向して一九年在籍した。それもこれも学生時代に慶応出の篠崎氏、その後の「医系技官のドン」の知遇をえたことによる。つまりは「実直で経験豊富」そうに見える彼の容貌がこの時求められていたにすぎないのである。
国立感染症研究所はパンデミックの司令塔だ。二0年二月一六日の専門者会議にもここから三人選ばれている。座長の脇田氏は感染研の所長だが、専門はC型肝炎ウィルス。座長に所長が就任するのも慣例だから。残り二人の鈴木氏と岡部氏も感染研で重職にあったことから選ばれた。この三人は「政府支持」に決まっている。彼らは自らの使命を自覚せず感染拡大の警告レベル引き上げを見送った。彼らが守るのは国民の生命でなく利権。またインフルエンザワクチン利権のように今後の利権確保のためにコロナワクチンの独自開発に拘った。横浜のクルーズ船での遺伝子検査が遅れたのも彼らの能力不足からだ。PCR検査の件数が増えないのは、結核感染症課、感染研、保健所、地方衛生研究所から構成される「公衆衛生ムラ」のサボタージュで、「民間の検査会社や大学に頼めばすぐ増やせたのにカネと情報を独占するためにやらなかった」。
要するにこれが「人的な目詰まり」の内実であった。さらに入院環境が逼迫したのも厚生労働省管轄の四つの国際医療研究センター病院や大学病院が引き受けないことに原因があるが、これも厚労省の方針なのだ。
緊急事態宣言についてもPCR検査を減らしたため、正確な感染状況の把握なしの方針であり、マスクをしていたら濃厚接触者と認定しない方針では飲食店を狙い撃ちにした対策ばかりとなるのは必定である。GOTOトラベルにはピアトゥーという謎の会社が過半のシェアを占め、GOTO予算六千二百億円の内の一五億円を使用料として得たのだ。
コロナ感染後遺症についても今後は大問題となるだろう。ワクチン接種後の免疫異常には各種の合併症が報告されている。稚拙に接種を急げば、大薬害事件も起こりうるのだ。
このようにコロナ問題の核心は医系技官とそれを中心とする組織体制にある。具体的には、厚労省・保健所・地方衛生研究所の行政の意図的怠慢、真の専門性を有する専門家の不在、そして大手メディアの科学リテラシーの欠如の三点に集約できると考える。
今回は、「選択」のアンソニーファウチに対する美化記事、WHOへの資金援助実態や制約会社との癒着、新型コロナウィルスそのもの、ビル・ゲイツのパンデミック予行演習やワクチン利用による人口削減計画、そしてクラウス・シュワブらの『グレート・リセット』についての根本的で批判的な論評は、紹介の意図を明確にするため、あえて避けた。
しかし今ここで一言書いておくならば、コロナパンデミックは実に先に指摘したような複雑な環境の下で起きたといわざるをえない。その解明は実に今後の課題なのである。
この日本での混乱を知るためには本書は、大変お薦めの本である。 (直木)
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過労死等防止対策推進シンポジュウムに参加して
権利は主張することで作られる!
毎年11月は、過労死等防止を啓発するためのシンポジュウムが行われます。今年も神戸市で開催され、会場には背広姿の男性が多い中、30~40代の女性の姿も見かけ、少しほっとしました。一般参加者は少ないものの、過労死家族を支える人たちの温かみある言葉のやり取りに触れ、シンポジュウムの意義を再確認しました。今回、7回目のシンポジュウムですが、実は過労死遺族や弁護士の度重なる訴えによりやっと、2014年に「過労死等防止対策推進法」が制定され、それを機にシンポジュウムも始まったのです。
基調講演は、若者・貧困問題に取り組むNPO法人「POSSE(ぽっせ)」(東京)の今野晴貴代表による、具体的な相談事例をあげながらの報告でした。なかでも、過労死につながる過重労働がなぜ起こるのか? 今の労働のあり方を3つの特徴で分析して、低賃金を維持するための企業には最適の条件になっていることを明らかにしました。つまり、多くの労働が細分化・マニュアル化・定型化され、必要とされる能力が限られるようになり、労働の代替が可能になり誰でも出来る仕事になった。コンビニや飲食店などがそうで、出来るだけ少人数で長く安く働らかせることが過重労働の温床となっている。
コロナ禍での過重労働を防ぐには、「会社を動かすには、社会問題となるよう被害者の権利を訴えていく必要がある」と労働者への支援だけでなく私たちへの行動も提起されました。権利の「発見」に至る労働問題として捉える意識を社会で共有しよう。誰もが他人事でないと認識できるようになれば、企業にもプレッシャーを与え、労働内容の改善にも期待されると思います。
今回も、過労死遺族の切実な声が胸に届き、会社の不誠実な態度が家族も含め尊厳を傷つけられた思いが伝わってきました。私はこの機会に是非、読者の皆さんに知ってもらいたいことがあります。「全国過労死を考える家族の会」は、若者を対象にして過労死防止の啓発活動を行っています。「過労死等防止対策推進全国センター」の弁護士、社労士の援助を受けて、コロナ禍の2020年度、全国で161回の啓発授業を行いました。内訳は、中学校21、高校69、専門学校23、短大1、大学47で、合計14,708人が受講しました。未来につなげる、地道な努力が続けられています。私はこれからも支援を続けたいと思います。(折口恵子)
渋沢栄一ブームの問いかけるもの
●「論語と算盤」ブーム
渋沢栄一が何度目かのブームとなっている。今回はNHK大河ドラマ「晴天を衝け 」がきっかけとなり、書店には関連書籍が並び、特集番組も放映されている。「論語と算盤」「合本主義」「国立第一銀行」、様々なキーワードが語られる。
しかしブームの背景はそれだけではないだろう。新自由主義の行き詰まりに危機感を覚える人々、とりわけ「経営者層」の中でも職業倫理を強く意識してきた人々の存在である。
●経営者層の危機意識
九十年代のバブル崩壊から、リーマンショックを挟んで、これらの経営者層は自らの経営信条、つまり顧客や従業員との信頼関係を大事にするというモットーが通用しなくなり、深刻なアイデンティカル・クライシスに直面した。
例えば「信用金庫」や「損害保険会社」の経営者にとって「顧客」とは、地域の住民である。様々な事情で住宅ローンの借り換えに迫られている人であったり、災害で住宅が壊れて至急に修繕費用が必要であったり「助けを求めている」人々である。信金や損保の経営者は、こうした人々の顔が目に浮かぶのである。
●リストラとの板挟み
だが彼は経営者である以上、一方では「財務諸表」ともにらめっこしなければならない。経営環境の激変で「バランスシート」「損益計算書」「キャッシュ・フロー」の数字が年々悪化しているとなれば、なんらかの「リストラ」を決断しなければならない。
店舗の統廃合、従業員の希望退職や肩叩き、顧客の要望に対し以前より厳しい審査条件。甚だしくは「貸し渋り」「貸し剥がし」!マネーが生き残るために社員と顧客を切り捨てる。「いったい誰の為の経営か?」と自分を問い詰める日々である。
そんな時、頭に浮かぶのが渋沢栄一の「論語と算盤」であり、アダムスミスの「道徳感情起源論」なのだ。
●スミスの「道徳感情論」
このアダムスミス「道徳感情起源論」もまた、渋沢栄一「論語と算盤」と並んで、幾度もブームがあったことを忘れてはならないだろう。
彼は「国富論」において「見えざる手」の力で個々人の利己的欲求が市場で調整される事を説いたのだが、一方で彼は同じ市民社会原理から「道徳感情」が発生することを理論的に説明し、かくてアメリカ合衆国のイギリスからの独立を支持する論拠としたのであった。
「道徳あってこその自由経済」であり、それは「仁あってこその商売」とも共通する。良識的経営者が求めているマネーと倫理の両立の哲学が、そこにあるのではないか?と、彼らは期待したのである。
●藍玉とマニュファクチャ
だが渋沢栄一は、なにも論語の一字一句から自分自身の実業家としての哲学を会得したわけではない。それは彼の経験に根ざしており、その契機は三たびあると言えるだろう。
一度目は、生家の血洗島村(埼玉県深谷市)で藍玉を生産する商品生産農家として、腕を磨いた経験である。藍の買い付けにおいて品質の良し悪しを見極め、藍生産者との信頼関係を築くことに心がけたのである。論語は、あくまでそれを論理化するための言葉であった。
ここには家内制手工業(マニュファクチャ)の発展過程が見られる。近くの利根川の水運、中山道の交通という立地条件や、古くから近江商人が進出し「三方一両損」の考え方も影響したかもしれない。
●資本主義化の「起点」
かつて歴史学者の遠山茂樹は、明治維新の起点を「天保の改革とその挫折」に置いた。江戸時代後期の商品生産や家内制手工業の発達や農民反乱の高揚に、資本主義社会の出発点を見出したからだ。後に遠山は明治維新の起点を「開国」に置く修正を行なったが、果たして妥当であったか。
実は朝鮮史においても近代化の起点を「江華島事件」に置いて良いのかという議論がある。梶村秀樹は当時の朝鮮の社会においても、商品経済やマニュファクチャや農民反乱の多発があったことを重く見て、自律的発展論を提起した。
大塚久雄の提起した、資本主義は農村工業から発達したのか、世界商業からか、という論争にも通ずる。渋沢栄一の青少年時代の体験には、こうした論点を想起させるものがある。
●パリ万博とサンシモン主義
二度目はパリ万博の経験である。ここで渋沢栄一は機械工業や金融の仕組みを実地に見聞した。なおこのころのフランスは、サンシモン流の産業社会主義思想が一世を風靡しており、これが渋沢栄一の人道主義的色彩の濃い「合本主義」思想に影響したという説もある。
サンシモン主義の思想を、論語流に翻訳していたのかもしれないというわけだ。実際、その後の渋沢栄一は、貧困者の救済事業である「養育院」の設置とその維持に力を注いだ。
●国際貿易と商業倫理
三度目はその後、軌道に乗ったかに見えた日本の資本主義が、海外から批判に晒された経験である。
財界を代表して外国を訪問した際「日本の業者は海外取り引きのマナーやルールを守らない」と、強く批判されたことに衝撃を受けた。そこで改めて企業家を集め「論語」を学ばせることで、商業倫理の確立を図ろうとしたのである。
●論語の功罪とは?
ところで、古代中国の諸子百家の一人にすぎない孔子の教えである「論語」を現代社会に応用するのは、もともと無理のあることであろう。
にもかかわらず、日本のみならず中国や世界中で「論語」が教養としてもてはやされるのは何故か?
孔子が生きた時代は、戦闘においても礼や仁を重んじた「春秋時代」から、効率的な戦闘を重んじる情け容赦ない「戦国時代」への転換期であり、社会の指導層の心は殺伐として、人心もすさんでいた。
孔子はこの風潮を改めようと、春秋時代の人々の行動原理を抽象化し、「礼」や「仁」といった哲学を唱えた。この抽象性ゆえに、論語は後世のいろいろな時代にも応用可能な哲学として、伝えられるようになった。
●時代の転換期の哲学
この時代、中国では諸子百家、インドではウパニシャッド哲学や仏教、地中海ではギリシャ哲学が同時に興隆し、ヤスパースは「枢軸時代」と呼んだ。ある言い方をすれば、「古代の中世」から「古代の近代」に転換する時代が、これらの哲学を要求したともいえる。
逆に言えば、「論語」は悪用も可能である。しばしば会社に対する社員の忠誠心を煽る道具としても、ワンマンな社長に利用されるのは、よく見られる事でもある。
●労使協調と論語
この欠点は「協調会」における渋沢栄一の労使協調思想の空疎さに見られる。この点では、倉敷紡績の大原孫三郎のような、具体的な企業内福利厚生制度(作業場の衛生環境、社宅や託児所)の方が優れている。
工場法の制定に対しても渋沢栄一は「法律で強制するのでなく、経営者と従業員のお互いの信頼関係によるべき」と、精神論を唱えて反対したのである。
このため主立った労働団体は、協調会に代表を送ることを拒否した。労使関係における対等性は「礼」や「仁」ではなく、労働者が自ら組織し、交渉や争議を行う権利を「法」によって保証することが大前提だ。
渋沢栄一の限界は、労使関係において露呈せざるを得ないのである。
●「国際親善」の陰で
さらに国際関係においてはどうだろう?元来渋沢栄一は「自由貿易主義者」で、藩閥政府の軍国主義とは一線を画して民間の立場から論陣を張っていた。
「金本位制」を採用することで日清戦争の賠償金を国際通貨に変え、軍需物資を調達しようとする政府に対して、渋沢栄一は「銀本位制」を唱え、民間資本の輸出振興を優先すべきと主張した。
アメリカ合衆国や中華民国とも、国家間の対立を解消すべく民間サイドの「親善外交」に努めた。
●「礼」に反する日韓併合
だが朝鮮に対しては、日韓併合に反対することもなく、第一銀行釜山支店を開設し、鉄道敷設を促進した。その鉄道は、釜山と満州を結ぶ軍事目的の路線であった。渋沢栄一は、論語の礼や仁の思想から、どのように説明するのだろうか?
石橋湛山が「東洋経済」で「小日本主義」を唱え、植民地の放棄を主張したのとずいぶん違う態度だ。
●「真実の半分」でしかない
こうしてみると、確かに渋沢栄一の「論語と算盤」は、新自由主義に根本的な反省を迫るためには、一定の価値があるかもしれない。だがそれは「真実の半分」でしかない。そして「もう半分の真実」を、私たちは歴史的事実から、いくつも見出すことができる。
渋沢栄一が藍玉の家内制手工業から世直しを構想した時期、同じ埼玉・秩父の養蚕農家は高利貸しに抵抗し民衆蜂起し、自由民権運動の推進勢力となった。
渋沢栄一が万博でサンシモン主義に触れ「合本主義」を構想した時期、パリの労働者は協同組合を組織しアソシエーション運動の先駆けとなった。
これらは我々の側、「民衆側の真実」である。
●「もう半分の真実」とは?
さらに見出すべきことは多くある。
渋沢栄一が大阪紡績を設立し協調会で労使間の仁を説いた時期、現場では女工たちが同盟罷業に立ち上がり、キリスト教人道主義の初期労働運動が組織された。
渋沢栄一が第一銀行釜山支店を開設し、自分の肖像を刷った紙幣を発行した時期、朝鮮の女学生たちはサムイル独立運動の先頭に立った。その思想(の一つ)もまた「儒教的民本主義」、まさしく民衆の礼と仁であった!
労働者・民衆の様々な知恵と力で資本主義を変革するという、もう半分のより根本的な真実を忘れないようにしよう。(冬彦)
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私の個人的ナショナルセンター体験記
個人的な話になるが、私は労組関係で特異な体験を持っている。それは私の所属労組に関して、5つのナショナルセンターの構成員だったという、一風変わった経歴だ。
現在のナショナルセンターと少し違っているが、最初に働き始めたのは原発事故を起こした首都圏の某大手電力会社。当時の所属の電労連のナショナルセンターは全国労働組合総同盟(同盟)だった。そこで4年間働いて一端仕事を離れ、次に1年間の腰掛けで就職したのが首都圏の某中堅都市ガス会社。そこの組合は中立労連系だった。家庭の事情もあって次に就職したのが通勤可能な、当時は国営の郵便局。そこの全逓信労組が加盟していたのが全国労働組合総評議会(総評)だった。
その後、総評と同盟などが再編されて1989年に全国労働組合総連合会(連合)が結成され、連合に所属していた期間もある。その数年後、職場で労使協調志向を強めていた全逓を脱退して少数組合を立ち上げ、加盟したのが郵政労働者ユニオンで、全国労働組合連絡協議会(全労協)に加盟していた。
これで結果的に5つのナショナルセンターに所属していたことになるが、話はこれで終わらなかった。私が退職した後、郵政ユニオンが全労連(共産党系)傘下の郵政産業労働組合と合併して郵政産業労働者ユニオンになり、全労協と全労連に同時加盟となった。間接的に全労連とも関係することになったわけだ。
こんな経歴は〝だからなんなんだ〟というほどの話でしかないが、その経歴のおかげでそれぞれのナショナルセンターの性格・体質を肌感覚で体験する機会を得たことは間違いない。
まず同盟。数多くの体験からエピソードを三つ紹介したい。
一つは職場や組合や政治に全くの無知の新参者だった頃、職場会議で業務の問題点などいくつか提案したときのこと。後日、組合から呼び出され、『あまり意見を言うとリスト(=ブラック)に載るから注意した方がいい』と通告された。「えっ、職場の上司から何も言われないのに、組合からなんで忠告されるの」、「ああ、組合は会社の手先だったのか」だった。
その後、職場での先輩との話。先輩『3人以上の場(たとえ飲み会でも)では会社の悪口を言ってはダメ』。後で分かったのは、2人なら『そんなことは言っていません』といえるが、3人以上だとそれが通用しない。職場の仲間でも相互信頼はない、ということ。
選挙時の話。職場に民社党の候補者(『同盟』出身)がやってきて上司からの集合命令。10分ほど候補者の演説を聞く。野党の民社党候補の選挙演説を聴くことは、会社公認の職場命令のようなものだった。
次の中立労連。ここは組合集会で役員はほぼ常識的なことを話していた。御用組合(第二労務部)とは感じられなかったし、会社と組合の癒着や監視網を感じることもなかった。ただ組合役員はエリート社員の一時的通過点。多数の組合員をまとめる力を付けて、任期が終われば会社の役職を昇進していくようだった。
次は総評系。当初は春闘スト、スト権スト、反マル生闘争などでまだ一定の戦闘性を保持していた。職場闘争もあり、仕事はきつく処遇は良くなかったが、何でも本音で話し合えた職場で、精神衛生上は上々だった。
全労協時代。労働者の権利や非正規との連帯にも果敢に取り組み、裁判や時限ストなど闘う路線を突き進んだ。が、あくまで少数組合の闘い。全体的な後退局面を反転攻勢させるまでには至っていない。
次はどんなナショナルセンターが誕生するのだろうか。(廣)
維新の言う「身を切る改革」は私たちの生活を悪くするだけ!
自分たちは「身を太らせる」維新!
2021年10月31日に投開票された衆議院選挙は、日本維新の会が大きく議席を伸ばしました。公示前の維新の議席数は11でしたが、大阪では15選挙区兵庫では1つ、計16の小選挙区で勝利したことにくわえて、比例でも維新は25議席を獲得しました。2012年の衆議院選挙で獲得した議席数が54であったことなどから、躍進とはいえないかもしれません。しかし、少なくとも現在、維新に「追い風」が吹いていることは間違いありません。
維新の躍進をもたらした最大の要因は、関西圏での圧倒的な支持である。それは、比例で獲得した議席の半数近くが近畿ブロックでの獲得議席であることや、19ある大阪府の選挙区のうち、15の小選挙区で維新が勝利したことからも明白です。残る4つの小選挙区には候補者を擁立していないので、実質、大阪の小選挙区では全勝したことになります。
維新がなぜここまで大阪では特に選挙で強いのか?その要因としてしばしば言及されるのは、維新の副代表であり、大阪府知事である吉村洋文への支持、あるいは人気の高まりでしょう。コロナ禍を機に吉村のメディア露出の頻度は大幅に増え、とりわけテレビへの露出頻度が増加しました。それによって関西圏を中心に維新支持者が増加し、大勝するに至ったということでしょう。
そして維新は、「身を切る改革」などと言ってイメージを売りにしています。しかしその実態は、大阪では大阪市を廃止・分割=トコーソーをやろうとしたり(これは2回にわたる住民投票でともに否決)、大阪市の権限・財源を大阪府に移行する広域一元化条例を強行したり、吉本やパソナへの業務を優先して回したり、ひどいものです。
それと、今「文書通信交通滞在費(文通費)」が話題になっています。10月31日の衆院選で初当選した新人議員に10月分の文通費として満額の100万円が支給されたことを日本維新の会が問題視、「国民の理解が得られない」と批判して喝采を浴びているが、一方ではブーメランとして維新に跳ね返っています。 きっかけは維新新人の小野泰輔衆院議員が100万円を支給され、SNSで疑問の声を上げたことです。さっそく維新副代表の吉村洋文・大阪府知事が反応し、「どうやら1日だけでも国会議員の身分となったので、10月分、100万の札束、満額支給らしい。領収書不要。非課税。これが国会の常識。おかしいよ」とツイッターに投稿しました。
文通費は国会議員の歳費とは別に、1日でも在職していれば月額まるまるもらえて、使途の公開義務はなく、領収書が不要で、税金もかからない“第2の給料”になっています。 吉村知事は、当時大阪市長選に立候補するため2015年10月1日に衆議院議員を辞めました。1日だけの在職で辞めた10月分の文通費を当時は満額受け取っていました。
この件について、11月15日の会見で吉村知事は「6年前の文書通信費になるが、日割りで返還したい。寄付を考えている」と表明したが、自分のことを棚に上げて猛批判していたのは、何を言っているのかと。腹が立ちます。 文通費が話題になって過去を蒸し返されたのは、吉村知事だけではありません。維新は2015年から文通費の透明化をうたって、所属議員の使途を公開していますが、
2019年には、当時現職の21人全員が文通費の領収書を自分で自分に切ったうえ、自身の政治団体に寄付していたことが発覚しました。寄付の総額は、2015年10月から2019年3月に維新が受け取った約7.6億円の文通費のうち約5.7億円でした。「セルフ領収書」「どこが身を切る改革なのか」です。
「透明化どころか政治資金への流用とは、セコイ話です。今回、文通費の問題で騒いでいるのもパフォーマンスですから、有権者はダマされない方がいい。制度上、国庫返納ができないため、維新は10月分の文通費を党として寄付することを決めましたが、今月以降はしっかり受け取り、使い切れなかった分は自分の政治団体にプールしていくのでしょうか。それこそ国民の理解が得られないと思いますが」(政治評論家・本澤二郎氏)
維新が身を切る改革と言うのなら、まずは共産党のように政党交付金の支給を辞退したらどうなのか。文通費と違って、政党交付金は受け取りを拒否できます。 衆院選で躍進した維新は今年、約19億2200万円の政党交付金を受け取っています。「身を切る政党」と言いながら、政党交付金にはメスを入れずにちゃっかり受け取るとは。維新は、「身を切る改革」などと言うならば、政党交付金を受け取るな!
2015年、当時大阪府知事の維新の松井一郎氏は、知事である自身の退職金をなくしました。「身を切る改革」と言いたいところですが実際は、なくした退職金1200万円を48か月(1期4年)で割って、現行の月130万円に上乗せしました。そのため月給料は、150万円になりました。そのため、給料をもとに算出されるボーナスが年間100万円程増えることになりました。実際は4年で400万円収入が増えました。「身を太らせる改革」です。
以上みたように維新は、けっして庶民の味方ではありません。大阪では、2023年の大阪府知事選・大阪市長選・大阪府議選・市議選では、維新候補を追い落とさなければなりません。(河野)
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コラムの窓・・・エネルギー基本計画とCOP26
COP26が迷走の末、11月13日に閉幕しました。それに先立つ10月22日、第6次エネルギー基本計画が閣議決定されました。その概要は、安全性を前提とした上で、エネルギーの安定供給を第一とし、経済効率性の向上による低コストでのエネルギー供給を実現し、同時に、環境への適合を図るとか。
その上で、「昨年10月に表明された『2050年カーボンニュートラル』や今年4月に表明された新たな温室効果ガス排出削減目標の実現に向けたエネルギー政策の道筋を示すこと」「 気候変動対策を進めながら、日本のエネルギー需給構造が抱える課題の克服に向け、安全性の確保を大前提に安定供給の確保やエネルギーコストの低減に向けた取組を示すこと」が重要だそうです。
その内実は、石炭火力を「現状において安定供給性や経済性に優れた重要なエネルギー源」と位置付け、2030年度の電源構成で石炭火力を全体の19%としています。萩生田光一経産相は「資源が乏しく海で囲まれた日本において、単一の完璧なエネルギー源がない現状では多様なエネルギーをバランス良く活用することが重要だ」(11月5日の閣議後会見)と、まるで泣き言のような言い訳で石炭火力依存を正当化しています。
そういえば、NHKスペシャル「グレートリセットー脱炭素社会への大転換ー」を見ていたら、2030年の日本の電源構成が紹介されていて、〝脱炭素約60%〟とありました。これは、再エネ36~38%+原発20~22%で60%と言う計算です。岸田文雄首相はCOP26で「日本はアジアを中心にクリーンエネルギーへの移行を推進し、脱炭素社会を創り上げる」と言ったそうですが、原発は〝発電時〟に二酸化炭素を発生させない〝クリーンなエネルギー〟と言い繕うものです。
同番組では、フランスでは近距離を飛行機から夜行列車に移行するというのが紹介されていました。これはこれでありだと思いますが、マクロン大統領は原発活用を明言しています。10億ユーロ(約1300億円)を投資して、小型モジュール炉(SMR)の導入を進める方針を10月に示しています。
次世代原発とされるこのSMR、規模が数万~30万キロワットでポンプやモーターなど複雑な工程を経ずに原子炉を冷却できるので安全性が高く、工場で組み立ててから現地に運ぶ等々、いいことずくめの前宣伝です。さて、本当はどうなのか霧のなかですが、日本でも原発延命の切り札となりそうです。
そしてCOP26は、スェーデンの環境活動家グレタ・トゥンベリさんが言うように、「対策は空手形」でした。脱石炭の目標が抵抗勢力によって、石炭火力の段階的廃止から段階的削減へと後退させられました。日本はまたしても〝化石賞〟を受賞し、人権分野での不名誉の上に環境分野においても「国際社会において、名誉ある地位」を占めることが出来ていません。
ひたすら生産拡大へと突き進む資本主義的生産が地球環境の危機を招いていることを理解するなら、何よりもムダなエネルギー消費をなくさなければならないでしょう。実際、最大のエネルギー浪費は軍事、武器の生産、軍事演習、そして戦争による破壊と殺戮。日本においてはリニア新幹線、大阪万博、高層ビル建設(神戸・三宮再開発のような)等々。これらはもはや必要のないものばかり、すでに破綻した資本主義(新しいという修飾語など意味がない)に必要なのは、静かに退場して頂くことではないでしょうか。(晴)
川柳 2021/12 作 石井良司
黒ダイヤコスト重視に化石賞
三パーの接種アフリカ蚊帳の外
初デート二時間待って今の妻
老いの背にアイロンかけて前を向く
寂聴尼恋の曼荼羅語り終え
倉庫ではアベノマスクがする惰眠
戦友の妹めとる父の縁(「友」)
どん底に友の一言見る希望(「明るい」)
シェフの味ただで教えるユーチューブ(「レシピ」)
結婚をしてから演技止めました(「芝居」)
プラ容器厚着をさせて病む地球(「器」)
不器用な夫婦で歩む半世紀(「器」)
コロナ後の旅へ今日からスクワット(「スタート」)
子の船出見送る母の泣きぼくろ(「スタート」)
脱炭素気温上昇待ったかけ(「昇る」)
昇天の寂聴遺す相聞歌(「昇る」)
昇給のストップ富者に溜まるカネ(「昇る」)
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まだ寝てる帰ってみればもう寝てる(作者:遠くの我が家)
この句は、1991年のサラリーマン川柳大賞の作品です。会社と遠い所に家を買ったので、朝暗いうちに出勤する。妻はまだ寝てる。夜遅く帰ってみれば、妻はもう寝てる。サラリーマンに悲哀たっぷりな句です。
バブル期の世相が読み取れます。女性が強くなったおかげで弱くなった亭主族、社員の事情は考えずに残業をさせる会社の勝手、反対に飲んで遅く帰る癖が治らない亭主に対する妻の反抗とも読めます。
色鉛筆・・・復元船サン・ファン・バウティスタ号を解体しないで
サン・ファン・バウティスタ号 は、江戸時代初期に仙台藩で建造された船です。仙台からスペイン(イスパニア)やローマへ赴いたルイス・ソテロ、支倉常長ら慶長遣欧使節の渡航の中で、太平洋の横断に使用され二回の航海をしている船です。
1 航海の記録
第一回航海は、一六一三年十月二八日、当時ノビスパン(新イスパニア)と呼ばれていたメキシコのアカプルコを目指して、月浦から出航しました。一六一五年八月一五日に三ヶ月半の航海で浦賀に到着しました。
第二回航海は、一六一六年九月三日ルイス・ソテロの要求で再びアカプルコを目指し浦賀を出航しました。悪天候による船の損傷一行は一六一八年八月十日にルソンのマニラに到着しましたが、そこでサン・ファン・バウティスタ号はオランダへの防衛を固めていたスペインに半ば強制的に買収されました。
2 その後
航海と訪欧の記録については、航海日誌を筆頭に全て帰国前に廃棄されており、日本側に支倉使節団とサン・ファン・バウティスタ号の航海に関する公的記録文書は残りませんでした。バチカンの教皇庁宝物館には、伊達政宗が「奥州王」の名で送った親書が今も保管されています。この伊達政宗親書や、支倉常長がローマやイスパニア、フィリピンなどから持ち帰った品々などが仙台市博物館に保管・展示されており、それらの慶長遣欧使節資料はのちに歴史資料としては日本で初めて国宝に指定されました。
現在、サン・ファン・バウティスタ号が出港した月浦には、常長像や出帆の地の記念碑が設置されています。
3 復元
宮城県では、昭和末期に有識者会議がサン・ファン・バウティスタ号の復元に関する提言をまとめ、この構想は平成の時代になって進展し、一九九〇年に復元準備会が設立されました。復元は宮城県を挙げての県民運動となり、復元に対して五億六千万円の募金が集まりました。仙台藩の史料『伊達治家記録』にサン・ファン・バウティスタ号の規模や帆柱について記録があり、これをもとに現代の造船工学でシミュレーションを行うことで、船の復元が行われることになりました。これにより復元船の規模は、全長五五.三五メートル、全幅一一.二五メートル、吃水約三.八メートルとなりました。
一九九二年四月に起工式が執り行われ、宮城県石巻市中瀬の村上造船で復元船の建造が始まりました。木での組立はすごい技術で、職人さんたちが力を合わせて仕上げました。復元船の進水式は出帆三八〇周年にあたる一九九三年五月に行われました。ヤマニシ造船所での艤装を経て、復元船は石巻漁港に仮係留されて、竣工式が行われました。復元費用は約一七億円でした。その後、復元船は仙台港での公開のために、咸臨丸の復元船の伴走を受けながら、初の外洋航行を行い、気仙沼港や東京湾へ曳航され、公開されました。復元船は石巻に戻り、一九九六年八月に石巻市渡波に開館したテーマパーク「宮城県慶長使節船ミュージアム」に係留・展示されました。
二〇一一年三月十一日東日本大震災では、押し寄せた津波が復元船の周囲を囲むドック棟を呑み込み、建物を破壊して展示物の多くを流失させました。このとき復元船は津波を乗り越えたために外板の一部破損で済みましたが、同四月の暴風により、三本あるマストのうち、フォアマストが根元から折れ、真ん中にあるメインマストの上部三分の一ほどから折れました。宮城県は、二〇一一年度補正予算でドック棟の復旧費に三億五八〇〇万円、復元船の修復費に二億一二〇〇万円を計上し、復旧と修復が行われました。サン・ファン・バウティスタ号や施設の修復を完了し、二〇一三年十一月に再オープンしました。
4 解体
二〇一六年の調査で、東日本大震災の津波の影響で船体が歪んでいることが判り、主要な部材やマストに腐食が進行しているため寿命は5年ほどとされ、乗船は禁止されています。村井知事は解体することを決めました。市民団体が「十分に保存方法を検討せずに解体するのは違法」などとして、解体費用に係る公金支出差し止めを求める訴訟を起こしました。しかし、宮城県は二〇二一年十一月十日から解体工事に着手し始め、船体とドックをつなぐ連絡橋が撤去されました。
5 宮城県の横暴さ
すでにマストは外されました。私自身も地域の人も何度も足を運び、解体の様子を悲しい気持ちで眺めています。どうして、住民の意見に耳を傾けないのでしょうか。宮城県は、女川原発再稼働、水道民営化、病院や高校の統廃合をすすめています。文化的で暮らしやすいと願う住民の心の叫びを受け止めてほしいと強く願います。(宮城 弥生)
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