ワーカーズ627号 (2022/2/1)  案内に戻る

  吉本に続き読売新聞が大阪府と包括連携協定締結、公然と大阪府吉村知事の言いなりに!
  新自由主義・排外主義の維新の勢いをストップさせましょう!


 維新が、住民サービスを低下させ、カジノや吉本やパソナなどにお金を使っておりひどいというのは明らかです。

 その維新が昨年末、大阪府と読売新聞が「包括連携協定」を結びました。「包括連携協定」というのは、自治体と民間企業等が協力する官民提携の一種で、大阪府HPでは「企業の社会的責任」や「共通価値の想像」との連携やコラボレーションによって〈社会課題の解決を図る新たな公民連携のモデルを確立します〉と謳われています。これまでも大阪府は、維新との癒着が目立つ吉本興業をはじめ、ローソンやセブン-イレブン・ジャパン、ファミリーマートなどのコンビニ、イオンなどの流通、キリンビールなどの飲料事業、ほかにも製薬会社や運送会社、保険会社、銀行などの企業と包括連携協定を結んできました。

 そして、大阪府は「地域の活性化と府民サービスの向上」を目指し、新たに読売新聞と「包括連携協定」を結ぶと12月22日に発表しました。 はっきり言って、あり得ないです。言うまでもなく、メディアの役割は行政の監視をし、その政策を客観的・批判的な視点から報じることです。ところが、よりにもよって国内最大発行部数を誇る読売新聞が監視対象である行政と協定を結び、権力側の政策を後押しする側に回るというのは、メディアの役割を放棄したと言っても過言ではありません。

 実際、今回の問題については、22日に協定を結ぶことが発表された段階からジャーナリストを中心に批判が殺到しました。たとえば、東京新聞の望月衣塑子記者は「解せない。特に情報発信分野は利益相反する部分が出てくる。色がついた状態で、権力監視の役割が果たせるのだろうか」と投稿し、富山市議の腐敗を描いたドキュメンタリー番組『はりぼて』(チューリップテレビ)が映画化され話題を呼んだ石川テレビの五百旗頭幸男記者も「本日を持ちまして報道機関の看板を下ろさせていただきますとでも発表するのでしょうか」「国内最大手の新聞が地方自治体の太鼓持ちになるなんて、エイプリルフールにも思いつかない悪い冗談です」と批判しました。

 また、毎日放送(大阪市)の番組について、政治的中立性を欠くなどと指摘する声が相次いでいます。

 指摘されているのは、毎日放送が1月1日に放送したバラエティー番組「東野&吉田のほっとけない人」。日本維新の会代表の松井一郎・大阪市長、副代表の吉村洋文・大阪府知事、創設者の橋下徹氏がそろって出演しました。

 これについて、同社の番組審議会で委員から「(政治的)中立性を欠くのではないか」と指摘があり、虫明洋一社長は19日の記者会見で社内調査チームを設置したことを明らかにしました。

 放送法第4条は「政治的に公平であること」と規定しており、SNS上でも有識者らからさまざまな声が上がっています。

 維新は、大阪では府政・市政を牛耳っています。先の衆議院議員選挙では41もの議席を持っています。維新がやっている住民のためになっていない施策や考えを、一つひとつ明らかにしていきます。維新政治にストップを!(河野)


  《22春闘》分厚い活動家層の形成を!――春闘の再構築を考える――

 今年も〝春闘〟の時期がやってきた。

 いうまでもなく、賃金闘争は労組の中心的な課題の一つであり、労組の真価が問われる場面だ。

 とはいえ、現状は労組が賃上げを勝ち取るには高いハードルがある。日本中の労組が目先の賃上げに取り組む意義は大きい。が、賃金闘争の根本的な再構築のためには、より戦略的で粘り強い闘いを担う活動家層の形成が不可欠だ。

◆〝新しい資本主義〟春闘?

 春闘といっても、奮い立って臨む勢いとか、その結果に一喜一憂する場面は、残念ながら無い。それほど春闘は形骸化が進んでいるからだ。すでに経営側は〝春闘〟や〝春期賃金闘争〟といった言葉は使わず、〝春期労使交渉〟だ。

 その上、ここしばらくの春闘は〝アベノミクス〟を掲げる安倍元首相の主導で、いわゆる〝官製春闘〟が演じられてきた。岸田首相は〝新しい資本主義〟を掲げて賃上げ優遇税制を引き上げるなど、経済界への賃上げ要請を一歩強めている。

 経団連も岸田首相の要請をくみ取り、昨年と同じような賃上げ要請を出してはいる。が、引き上げ額は明示せず、結果は個別企業に委ねたまま、形ばかりのお付き合いだ。

 他方、春闘の中軸を担う連合は、2月末までの要求書提出、大手組合は3月中頃の決着を求めている。賃上げについては、4%(定昇2%+ベア2%)の引き上げを求めている。

 とはいえ、その要求額を〝闘い取る〟という姿勢は全くない。世間や組合員向けのポーズでしか無い。岸田首相も、当初3%程度の賃上げを語っていたが、今は率への言及はなくなっている。

 さらに、岸田首相お声掛かりの賃上げ税制の有効性にも、すでに疑問が突きつけられている。

 一つは、赤字企業はそもそも法人税を納めていないので、賃上げによる最大40%の減税分の給付を受けられないこと、それに、たとえば人手不足やリストラなどで従業員が減れば、残った労働者に賃上げしても賃金総額は増えないので減税は受けられないこと、等々だ。

 それ以前の問題として、企業活動で新たに創り出した価値の一次(本源的)分配という場面で、果たして政府の介入がどれだけ結果を左右できるかが見通せないことだ。経団連も賃上げ余力のある企業に限定した〝支払い能力論〟を堅持している。

 そもそも賃金改定は使用者(会社)と組合とのせめぎ合いと交渉で決まるもの。一端、賃上げをすれば、それが次年度以降の賃金交渉の土台となるので、時限的な減税だけで企業が賃上げをするはずもない。

 こうした政府による賃上げへの後押しは、どれぐらいの効果があるのだろうか。現実は、連合の調査で19年は2・07%、20年で1・9%、21年は1・78%だった。

 近年の賃上げは低迷し続け、結局、定期昇給をまかなう程度の2%程度の賃上げに止まり、賃金はまったく上がっていない。1%前後の物価上昇を考えれば、むしろ実質的な賃下げだ。〝官製春闘〟など、全くの掛け声倒れに終わってきたのが現実だ。

 他方、企業の内部留保(利益剰余金)は、9年連続過去最高を更新中だ。20年度末で対前年2・0%増の484兆円。売上高や経常利益が減っている中での、内部留保だけの増加だった。その結果として、OECD諸国のなかで日本の賃金だけが低迷しているのが実情なのだ。

◆阻む二重の序列構造

 現状の賃金体型と賃上げ方式は、すでに会社側の手のひらに完全に封じ込まれ、制御されている。現状の賃金闘争の土台は、労働者の生活費の補填や労働成果の分配でもなく、現状の賃金水準を維持するのかどうかに狭められている。結果的に、会社側の言い値で決まってしまう。

 少し日本の企業構造を見渡してみると、現状の日本の賃金構造は、二重の序列構造に規定されていることが見て取れる。

 一つは企業の中軸となっている正社員と最低賃金水準に張り付いた有期で非正規の時間給労働者、その中間の様々な雇用形態の低処遇労働者という序列だ。

 もう一つは、大企業の親会社を頂点とする企業グループのピラミッド構造だ。親会社を頂点に、いくつかの中・大規模の系列企業や子会社が続き、その下に孫会社が置かれる。取引関係で言えば、親会社を頂点に、一次下請や二次、三次下請けなどと、系列関係もはっきりしている。

 日本最大の会社であるトヨタ自動車を例に見ると、トヨタ自動車本体を頂点にトヨタ車体やアイシン精機やデンソーなどのグループ会社があり、それぞれに無数の二次下請け、三次下請けが連なる。資本関係も複雑だ。

 賃金水準も、トヨタ自動車を頂点に、系列関係の序列に従って親企業・子会社・孫会社、一次下請、二次下請け、三次下請けと、明確なピラミッド型の序列を形成している。子会社や下請け会社が親企業より高処遇だと、そんな余裕があるなら納入単価を引き下げろ、とか、他に変えるぞ、となるからだ。

 こんな序列構造が構築されてしまえば、毎年の賃金交渉で、そうした秩序からはみ出た回答など、個々の会社、個々の組合が勝ち取れるはずもない。

 今年は、大企業に部品や製品を納入する中小の下請け会社の賃上げが期待されている。中小企業の賃金が上がっていないからだ。が、こうした二重の序列構造のなかでは、できるはずがない。まさにその二重の序列構造が、大企業の独占的な利益をもたらしてきたシステムそのものだからだ。大企業や親企業は、アウトソーシング(外部委託)、サプライチェーン(部品・製品の供給・販売網)などといって、自分たちだけは必ず利益を上げられる序列構造を作り上げ、温存してきたからだ。〝同一労働=同一賃金〟がいかに困難で、またいかに重要かが見て取れる現実でもある。

 そのトヨタ労組、今年の春闘では、全組合員平均での賃上げ要求を止めるという。トヨタ労連全体でも、昨年に続き、統一的な賃金水準を示した要求方式はとらないことを決めている。賃上げ額や賃上げ率は、対外的に一層ブラック・ボックス化されてしまう。労働者の唯一の武器が〝団結〟だとするなら、賃金額や引き上げ額はお互いで分かっていなければならない。それを否定しているわけだ。〝団結〟より〝序列構造〟だと。

◆会社組合=御用組合

 連合は、夏の参院選に向けて支持政党を明記せず、政策協定も結ばない基本方針をまとめ、2月中旬に正式決定するという。これまで推薦してきた立憲と国民の候補に対し、共産党と共闘する候補者を支援しないことも盛り込んでいる。新たに就任した芳野友子会長が主導したという。

 春闘の正念場での新しい政治方針は、共産党や共産党と連携を辞さない野党候補への締め付けで、結果的に自民党を利する方針でもある。政権や企業と対峙するより、原発推進も含めて労使一体路線を進む連合。ここにも〝御用組合〟〝会社組合〟としての連合の実態が透けて見える。

 この〝会社組合〟について、最近では『労働組合とは何か』(木下武男著・岩波新書)が、米国の1920年代の労働組合を例として紹介している。そこでは、〝会社組合〟は「企業内従業員組織」として、会社側による企業内労働者支配という「占領地管理施策という性格」を維持すること、同時に、「外部の組合運動(企業横断的労働組合)の侵入を未然にふせぐ」「橋頭堡の役割」を果たすものだった、と指摘している(田島司郎『アメリカ労務管理形成史』を援用)。この〝会社組合〟は、別名〝御用組合〟ともいう。

 大手の組合に続く中小の春闘では、必死の交渉でなんとか大手に準ずる賃上げを獲得してきた経緯もある。しかし、こんな連合の大手民間の〝御用組合〟〝会社組合〟が主導する賃金闘争=春闘が、意義ある成果を勝ち取れるはずもない。

◆分厚い活動家層の形成を!

 こうした構造の春闘の再構築、あるいは賃金闘争そのものの再構築という課題は、長期の、戦略的・戦術的方策の息の長い闘いや活動によってしか実現できないものだ。

 それぞれの会社・職場で活動する組合〝活動家〟・アクティブ・世話役など、すぐには報われない、時には孤立を強いられるような活動の集積によってしか達成されない。いまは死語に近い〝活動家〟だが、将来を見据えて活動する人たちを増やしていくことは賃金闘争の再構築に止まらず、労働運動全体の再構築をめざす上でも最重要な課題だ。

 そうした〝活動家〟は、政党などと接点があったり、あるいは活動家集団という形のない(見えない)連帯感などによって支えられれば、息長く持続的な活動を担っていける。

 こうした闘いや活動は、数は少ないかも知れないが、必ず共鳴して共に闘う仲間を生み出す。それがどう発展・展開するかは一概に言えない難しさがあるが、そうした地道な闘いを拡げていく以外に展望は開けない。

 いま、コロナが急拡大している米国においても、労働者は至る所でストライキに立ち上がり、賃上げを勝ち取っている。21年に全米で370件のストが起き、9月以降の4ヶ月で180件と集中したという(「朝日」1月21日)。背景として、21年12月の対前年度物価上昇率が7%にも達するインフレや、格差拡大、それにコロナ禍での人手不足もあったという。西欧でも多くのストライキが闘われている。何はともあれ、自分たちの苦境に対し、果敢に闘う世界の労働者と共に闘い、連携すべきだろう。

 いま格差社会の進行で、自民党から立憲民主党まで〝分厚い中間層〟をつくることを掲げている。自民党は選挙公約で「『新しい資本主義』で分厚い中間層を再構築」を掲げ、立憲の枝野前代表も昨年の総選挙で「所得を再分配して『一億総中流社会』を取り戻す。」と訴えていた。

 しかし、現実には中間層の解体が進んでいることに対し、その解体過程でやられたこと、起こったことへの対抗策を棚上げしたままで、あるいは〝再分配〟による『総中流社会』を叫んでも、無力だろう。

 私たちとしては、現状の刷新・変革を実現するためにも、上記の分厚い活動家層を形成することを目ざしたい。

 春闘は目先の闘いではあるが、目先の闘いだけに終わらせるのではなく、長期的な展望と、それを実現する仲間づくりを結合させることで、必ず展望は開ける。(廣)案内に戻る


  気候危機とアソシエーション革命について

●レギュラシオン論から

 マルクスの未来社会論・アソシエーション論については、以前からの議論に加えて今日、気候危機との関連でも、改めて積極的な議論が行われています。これについては、レギュラシオン理論の中でも、早くから議論が提起されてきたところです。

 フランスのレギュラシオン経済学者で環境活動家のアラン・リピエッツは、次のように述べています。

●もうひとつの働き方

 エコロジー経済は第一に、今までとは違うもうひとつの働き方を意味する。エコロジー経済では、農村共同体・地域の自主団体・生産協同組合の小さなグループによってコントロールされた活動形態が優先される。

 さらにまた(中略)製品の質とか生産組織の安全性や効率性をめぐる闘いに人間資源が交渉によって動員されるというように、賃労働関係が変容することが重視されるのである。(中略)

 労働の意味が回復し、ほんのちょっぴりでも工場や事務所において自律が取り戻されるならば、企業内だけでなく社会生活のあらゆる面で、もちろん環境に対する責任という面でも、市民的権利が拡がっていく土壌が改善されることになるだろう。(中略)

 エコロジストの主張するマクロ政策の中心に労働時間の短縮が位置しているのは、このためである。

●自由時間革命

 仕事の分かち合いが多数の人々に受け入れられるのは、それが自由時間の増大、つまり内容ゆたかな自由時間の増大として感じられるときのみである。(中略)

 他方、労働時間の短縮は自然に対する責任の要請である、というのは、廃棄物によるオゾン層破壊や酸性雨の危機、温室効果による地球温暖化は、無制限の物質的成長モデルの帰結にすぎないからだ。

 また労働時間の短縮は、諸個人の自律の条件でもある。なぜなら、自由な諸個人から成る社会は自由時間の増大に基礎を置く社会なのだから。(『レギュラシオン理論の新展開・エコロジーと資本主義の将来』大村書店一九九三年刊より)

●議論の豊富化を

 以上のようにアラン・リピエッツは、「生産協同組合にコントロールされる経済」の重視、「製品の質や生産の安全性を巡る交渉」による「賃労働関係の変容」、「労働時間短縮」による「労働の意味の回復」、「諸個人の自律と環境への責任や市民的権利の拡大」、「無制限な物質的成長モデル」からの脱却など、多様な角度から「自由な諸個人からなる社会」のあり方に向けて豊富なイメージを提起しています。

 これらの論点も踏まえて、アソシエーション革命についての議論を発展させていくことが、有意義なのではないかと考えます。(冬彦)


  読書室 ジョシュ・ホウリー著『ビッグテック5社を解体せよ』(徳間書店)2021年11月刊

 ○ 本書は、現在アメリカでビッグテック解体論者の急先鋒ホウリーの邦訳である。彼は、1979年生まれで38歳の時、上院議員に当選した。また彼は一貫してトランプに忠実でミズーリ州の司法長官を務めたこともあり、法律の実務にもたいへん詳しい。
 本書は2021年5月に出版され、すぐにニューヨーク・タイムズ紙のベストセラー1位となる。そして「ビッグテックを解体せよ」の動きは、実際にはトランプ前政権が2020年10月にグーグルを独占禁止法違反で訴えた時から始まる。12月にはフェイスブックを従業員に対する差別的処遇で訴え、バイデン政権もこの動きをトランプから受け継ぎ強力に継続している。その意味において米国の「ビッグテック解体」を知る上での必読書である ○

著者ホウリーを突き動かすものとは

 本書の著者ホウリーは、立法府のアメリカ連邦議会において上院の司法委員会に所属し、独占禁止法小委員会に所属している。この委員会は、ビッグテック解体の闘いを進める組織だが、委員長は2020年の大統領選挙の民主党予備選挙に出馬した、エイミー・クロウブシャー(1960年生)議員(ミネソタ州選出)である。クロウブシャーは真面目な女性政治家としてアメリカ国民の信頼が厚いとのことである。本書と同時期に、クロウブシャーも『独占禁止』を出版した。つまり民主、共和両党の上院議員2人が、同趣旨の本を出版しているのだ。彼ら2人は対ビッグテックということで強力に協力している。

 このようにビッグテック包囲網、ビッグテック解体の準備が着々と進んでいる。特にフェイスブックのマーク・ザッカーバーグに対する攻撃は厳しいのである。

 ではビッグテックを解体せよとの問題意識とはいかなるものか。それは、彼らが自らのプラットフォームに利用者を誘導して無料で使わせることで、利用者の個人情報を集め、そうして集めた膨大なデータを利用者に無断でアルゴリズム(コンピュータの計算方法)に当て嵌めて利用者個人の嗜好や性格まで分析し、それを売買し広告収入に結び付けて大きな利益を出すという、世の中のためには一切何も作らない虚業に対する怒りである。

 まさにオーウェル『1984年』の「ビッグ・ブラザーがあなたを見張っている」ならぬ「ビッグテックがあなたを監視している」世界の出来、これが米国の現状である。

本書の目次

 それでは本書の目次を、次に紹介する。

推薦文
序文
第一部
第一章 独占の復活4
第二章 泥棒男爵たち
第三章 最後の共和主義者
第四章 大企業優 先自由主義の大勝利
第二部
第五章 依存症に苦しむアメリカ
第六章 反社会的メディア
第七章 検閲担当者たち
第八章 新しい世界秩序
第九章 不正操作されているワシントン
第三部
第十章 私たち一人ひとりにできること
第十一章 新しい政治
訳者あとがき

 ご覧のように本書は三部十一章の構成となっている。

本書の内容

 第一部は第一章から第四章までで、第一部では米国における独占(モノポリー)の出現とその繁栄の歴史を詳述する。すなわち1870年代から鉄道産業や石油産業を中心にした巨大企業による独占により、「泥棒男爵」と僭称された資本家たち(J・P・モルガン等)は莫大な富を蓄積した。それと同時に彼らは独占を正当化するために、「大企業優先自由主義(コーポレイト リベラリズム」というイデオロギーを生み出したのである。

 こうして彼らの独占支配が正当化されたが、この動きに抗ったのはS・ルーズヴェルト大統領(第26代)だった。しかし彼の闘いは失敗に終わった。その後ウィルソン大統領(第28代)は大企業優先自由主義を称賛し、「個人の自由とは個人的な生活の中に限定される。政治に参加する必要はない。また物質的な豊かさを保証するのは政府と大企業の役割だ」という考えを定着させる。その結果、経済的に自立し政治参加する普通の人々が力を持ち統治する政治体制である米国の共和政治体制は危機に瀕していったのである。

 ホウリーは、米国の共和政治体制が危機に瀕したこの時期と現代の状況が酷似していると私たちに訴える。彼がビッグテック解体を叫ぶのは、勿論人々に損害を与える独占の解消が理由なのだが、この現状が続けば米国の共和政治体制(リパブリック)と民主政治体制(デモクラシー)の護持が困難になるとの危機感が、その主張の根底にあるのである。

 第二部は第五章から第九章までで、第二部ではビッグテック各社が米国社会や経済、そして米国市民の一人ひとりに、いかに依存症等の損害を与えているかを、多くの具体的な事例を列挙し説明している。また「ツイッターやグーグル、フェイスブックは利用者に無料で使わせているが、どうやって利益を出しているのか」、「広告収入が大きいと聞いたことがあるけれど、どうなっているのか」との疑問を皆さんもお持ちだと考える。

 この第二部では、ビッグテックのビジネスのからくりと実態が明らかにされている。

 端的に言えば、ビッグテックの共通モデルはあらゆる種類の個人データを膨大に集め、それをアルゴリズム(コンピュータの計算方式)に当て嵌め、利用者よりも早く、その人が欲するものを導き出し、それに合った内容の投稿や記事、そして広告を表示する。その過程で、既存のマスメディアや小売業者に圧力をかけて記事や商品を提供させる。またビッグテック、特にフェイスブックは、個人データとアルゴリズムを使って、選挙の際に有権者の投票行動をコントロールしている。またビッグテックのプラットフォームが日常生活の中に浸透していき、人々、特に子供や若者たちの精神に悪影響(自殺やうつ症状の増大など)を与えている実態も詳細に紹介されている。これらの暴露は徹底している。

 第三部は第十章と第十一章までで、第三部ではビッグテックからの悪影響からいかに私たちは自分自身を守るのか、そして米国の共和政治体制と民主政治体制をいかに守るか、いかに修復するのかが書かれている。またホウリーが自身の家族で行っている取り組みは私たちの参考になる。それは一見迂遠なこと、すなわち自分自身がスマホやパソコンを使用時間を厳格に決め守ること、また子供にはスマホを持たせずに外で遊ばせたり、一緒に本を読むこと、そして家族や友人、さらにご近所との付き合いを大切にすることである。

 ホウリーは「これこそがビッグテックとの戦いにとって重要な力になる」と述べている。今ここで私が思い出すことは、あのIT長者のビル・ゲイツが子供にスマホを持たせないという事実である。ゲイツのこの行動はホウリーの主張の正しさを証明するものである。

 本書は使命感に燃えるホウリーとフェイスブックのザッカーバーグとの激烈な闘いを、まさしく米国政治情勢の最新情報を、読者に生き生きと伝えるものである。それゆえ、私は読者の皆様へ本書の一読を強くお薦めしたい。 (直木)案内に戻る


  何でも紹介・・・『全訂 社会事業の基本問題』(ミネルヴァ書房 孝橋正一)

社会保障や福祉の施策・事業を科学の対象に

 コロナ禍の中で社会保障や福祉の施策・事業をどう位置付けるかが、改めて問題にされています。営業自粛、収入減や失職、住居喪失、貧困の拡大、自死の増加等々、支援を必要とする人々が確実の増大しているのだから当然です。

 振り返れば、およそこの30年間ほどは、新自由主義政治が吹き荒れる中で、自己責任と自助が強調され、社会保障や福祉は冷遇されっぱなしでした。資本主義の長期停滞を背景に、企業による労働者への搾取が強められ、低処遇の労働者が激増した時代だからこそ、社会保障と福祉が出番だと思われたにもかかわらず、貧困の拡大と並行して社会保障と福祉は形骸化の一途をたどったのです。

 この状況を見て、社会保障や福祉はもっとしっかりしろ、その本来の役割と責務を果たせとの声があげられるのは自然の成り行きです。

 しかし、自然の成り行きであるかもしれませんが、ことはそう単純ではないようです。なぜならば、社会保障や福祉はもともと、労働者の生活の安定や生活困窮者の救済それ自体を課題や目的としたものではないように思われるからです。では、何を目的としたものなのか。それは、今日の社会制度の多くが基本的にそうであるように、企業家とくに大企業の利益の安定的確保やその拡大です。

 ここでご紹介する『全訂 社会事業の基本問題』は。まさにそのことを論じた「古典的」名著のひとつです。世上おうおうにして、社会保障や福祉については、それはかくあって欲しいという人々の期待や理想が投影される形で論じられてきました。あるいはまた、社会保障の制度設計、福祉事業の技術論として議論されてきました。しかし本書では、そうした主観的思い入れや技術論とはいったん厳しく距離を取り、社会保障施策や福祉事業と呼ばれているものをひとつの客観的な社会事象として捉えて、社会科学の対象として分析をしています。

 その具体的な内容は、ぜひ直接に手に取って吟味していただきたいのですが、この原稿は「何でも紹介」ですから、簡単にそのエッセンスだけを記しておきます。
本書は社会保障とか社会福祉とか言われるものを、以下の二つに分けて捉えます。ひとつは「社会政策」、もうひとつは「社会事業」(俗に言う「社会福祉」)。この二つに関連してさらに、教育や公衆衛生や産業政策などを内容とする「公共一般施策」があります。

 まず「社会政策」。その内容は、失業や労働災害・職業病、高齢化、労働力の再生産が不可能なほどの低賃金等々に備えるための諸施策です。これは、資本主義が成立するにはなくてはならない賃金労働者階級が、何らかの原因で労働力販売が不利となったり、不可能となったりする事情に対して、それを予防したり支えたりするための施策です。労働力の販売以外に生計の手段を持たないのが賃金労働者ですから、その販売の不全や不能が続いて階級として崩壊してしまえば、資本主義は立ち往生してしまいます。ですから、労働者の側からの強い抗議や闘いに直面した場合には、企業家の側からも社会政策を講じることは利口な対応という事になります。

 もうひとつは「社会事業」。これは、上の「社会政策」がもともと持っている限界、つまり企業家たちが体制維持に不安を感じた時に、最低限の費用の範囲内で実施されることなどから生じる限界を補充、代替するための事業です。施策としては、生活保護、障がい者施策、ひとり親世帯への施策、児童養護施策等々が含まれます。施策の対象は、人間を労働力、搾取材料としてどれだけ役立つかでしか評価しない資本主義の下で、その埒外に置かれた人々。高齢や病気のために社会政策では労働力としての再生が不可能と見なされた人々、障がいを持った人々、その他ひとり親家庭なども含む、労働力として一定の効率を発揮するには不利な社会的条件を背負い込まされた人々です。これらの人々に向けた「社会事業」の費用は、「社会政策」によってなんとか労働市場にしがみついている労働者正規軍に対するのとは違って、企業家たちは「空費」と見なします。なので、「社会政策」以上に徹底的にコスト減が追求されます。

 おおよそ、以上がこの本書のエッセンスです。こう聞くと、社会政策も社会事業も結局は大企業の保身とその利益を最重視したもので、なんだかありがたみがないように思えますが、そんなことはありません。労働者は、自らと家族の暮らしの損耗や破綻を回避するためには、嫌でも大企業に対して社会政策と社会事業を要求する闘いに乗り出さざるを得ません。そしてこうした闘いの一定の成果があってはじめて、そもそも資本主義の欠陥の取り繕い以上にはなり得ない「社会政策」や「社会事業」のレベルを乗り越える、より人間的な生活の実現を目指して前進することが可能となるのです。〈阿部治正〉案内に戻る


  敵は国内にいる 戦争勢力の跳梁を許すな (上)

◆敵基地「先制」攻撃論の屁理屈

 56年の国会答弁(鳩山首相当時)。防衛の基本的な方針である「専守防衛」を維持しつつも「座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨とするところだというふうには、どうしても考えられない」とし、「誘導弾等による攻撃を防御するのに、他に手段がないと認められる限り」「誘導弾等の基地をたたくことは、法理的には自衛の範囲」云々と主張した。安倍、菅義偉、岸内閣もこの立場を踏襲している。

 言うまでもなく、日本国憲法から逸脱した解釈だ。敵の攻撃の機制を制する「敵基地先制攻撃」が「防衛」的な軍事行動だ、などと言う屁理屈は成り立たない。しかし、「蟻の一穴」とばかりにこの問題を軍拡の突破口にしようとする動きが急だ。政権中枢の首相、首相経験者、新旧防衛相などから発せられるエスカレーションだ。(敬称略)

◆「基地」攻撃から大規模軍事作戦に変貌か

 今年1月7日の日米外交・軍事担当閣僚会合(2プラス2)では日本側が「ミサイルの脅威に対抗するための能力」検討を米側に約束し、林芳正外相は「敵基地攻撃能力」が含まれると認めた。

 岸田首相も所信表明演説などで「敵基地攻撃」に何度も論及。「あらゆる選択肢を排除せず現実的に検討」するとの立場で「防衛計画の大綱」や「中期防衛力整備計画」の年末の改定に反映される見通しだ。

 ところが自民党内ではこの問題がさらに深掘りされている。一例だが、河野太郎前防衛相は自らのブログで「敵『基地』攻撃能力は、昭和の議論であり、令和の今日、もはや意味がありません。今、議論すべきは「抑止力」です。」「懲罰的抑止の究極は、核兵器による壊滅的な破壊によるものとされていますが、北朝鮮の特異な政治体制の場合、最高指導者に対するピンポイント攻撃が耐えがたい損害になるとの意見もあります。その場合には、核を用いない懲罰的抑止が成り立つ可能性があります」云々。攻撃こそ最大の防御との考えを綴った。

 安倍政権以来、現在進行している「敵基地」攻撃能力の獲得論議は、大規模な「敵国攻撃作戦」へと進化しつつある。河野太郎といえば次期首相候補者の一人だ。「核兵器」や「最高指導者」のテロ攻撃まで論及するのは異常で危険な動きだ。

◆すっぽりと抜け落ちた議論、国民に隠された深意

 「敵基地攻撃能力」は既に自衛隊が事実上保有している。しかし、その事実を率直に語る政治家やマスコミは少ない。と言うのは長射程のスタンドオフ・ミサイルもだが、軽空母「いずも」「かが」搭載のF35-Bスティルス戦闘機であれば、北朝鮮ならほぼ全域で基地攻撃と移動式ミサイルランチャー破壊などの作戦行動ができる。このことを安倍も河野太郎もそして岸田首相もあえて触れようとしない。つまり、目指している目的を探られたくないということだろう。ますます危険な兆候だ。つまり、念頭にあるのは偵察衛星(宇宙)やサイバー空間、陸海空全軍を活用した大規模作戦(それを支える軍団)の構築なのだ。

 既に自衛隊が確保している攻撃力はそれだけでも北朝鮮にとっては脅威であるはずだ。だがそれでは足りないと彼らは考えている。彼らの言う「抑止力」とは安倍が不用意に吐露したように「相手を殲滅」する戦力なのだ(『祖国と青年』1月号)。つまり、敵の攻撃を「未然に」阻止するばかりではなく、反撃力を根こそぎ奪うことなのだ。ゆえにいくつかの敵「基地」やいくつかのミサイルランチャー破壊力の獲得などで終わらせるべきではないと考えていることは明らかだ。

 こんなことを許すことはできないしその前に安倍晋三や河野太郎を「殲滅」しようではないか。

 しかし、簡単に書くが、安倍らは重大なことを見落としている。彼等の言う「抑止力」の行使が仮に実行されれば、国際的には先制攻撃とみなされ、他国への侵略行動であり(米国はともかく)日本国内はもちろん国際世論を敵に回すだろう。朝鮮半島での「自衛」隊による大規模軍事作戦に韓国は猛反発し同盟関係を清算するかもしれない。その上多数の(ダミーを加えた)移動式ミサイルはいずれの手段によっても完全捕捉が不可能であり、残存ミサイルの報復により日本本土も焦土となる。安倍や自民党防衛族の野望の結末は明らかだ。

 91年、湾岸戦争における米軍の「スカッド・ハント作戦」の不首尾な結果がそれを証明している。米軍の執拗な探索にも関わらず数十発のスカッドミサイルの発射を許した。 北朝鮮のミサイルは精度・破壊力ともに当時のスカッドとは比較にならない。ゆえに「敵基地攻撃」「攻撃的抑止力」の獲得とは現実には発動不能な無駄無意味な戦力構想なのだ。自国を守るには日米軍事同盟を相対化するとともに平和外交推進と国民的交流の発展以外にない。

◆中国と北朝鮮はどの程度脅威か

 中国軍事力の「脅威」は、それが存在するのだが、米国の軍事力や地球規模での軍事作戦展開力に比較すれば、中国のそれは子供並みだと言える。「公式発表」でかつドル換算表示という限界があるが、米国の軍事費に比較すれば「脅威の」中国は三分の一程度の規模となる。GDP比でも中国の軍事費は三十年間二%を超えたことがない。対する米国は「平時」でもGDP比三%を切ったことが無い。中国のGDPは米国を急追しているが現時点でも米国の三分の二程度。当分の間総合力で米軍に追いつくことはない。大陸間弾道弾でも、弾頭数では米国の十五分の一程度だ。

 留意すべきは軍事費の制限は中国政府の一貫した方針だ。中国は旧ソ連の経済の疲弊そして体制の崩壊から教訓を得たからなのだ。旧ソ連は米国と同等かそれ以上の軍事力獲得という消耗戦に陥って弱体化し崩壊に至った。米ソ冷戦時代のような軍拡の消耗戦を避けて、人民解放軍を事実上解体し(兵員の大幅削減)近代的精鋭軍隊に変貌させるのが習近平の軍政改革だ。改革開放路線も含めて中国は旧ソ連の道と袂を分かったのである。

 そして中国の国家戦略の基本は接近阻止・領域拒否(A2AD)という本土防衛計画だ。つまり近海での米・日軍らの空母などによる作戦行動を阻止することなどが中心だ。空母も持つが、主力はミサイルで、開発製造が低価格なのに超高価な米空母打撃群と近海でなら同等に対峙できる。非対称戦略と言われる所以だ。

 つまり、「中国の軍事脅威」なるものは意図的にかなり誇張されたものだ。中国の支配層のもくろみは一帯一路計画に見られる様に、中国資本の世界進出とグローバルな経済的優位性の確立だ。さらに先端テクノロジーで米国に追いつくことである。偶発的戦闘を避けつつ今後台湾「併合」があるとしたらこのような経済的包摂を目指すつもりだろう。
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 北朝鮮は、中国とは体制がかなり異なり、旧ソ連同様の軍事体制とそれを支える集産的経済体制があり、政治的には専制が敷かれた社会だ。彼等の戦略の柱は核を搭載した大陸間弾道ミサイルであり、脅威であることはもちろんだ。とはいえ北朝鮮の政治的目的は、既に伝えられている様に核開発の放棄との引き換えに「キム体制の保障」と経済制裁の撤廃を求めている。この点は既に明らかであり、対立解消に向かう外交の努力こそが鍵になっており、そして韓国ムンジエイン政権は懸命にその道を開こうとしてきた。米国すら米朝和平に関心を持ち続けている。それに対して愚かしいアベ外交以来、日本は「北朝鮮ミサイルの脅威」を誇大に叫び「敵基地攻撃」にのめり込んで、北朝鮮の強い反発を招き話し合い路線(外交による解決)の妨げとなってきた。一例を挙げれば、トランプと金正恩の歴史的な米朝会談(2018年6月)後に米韓合同軍事演習中止の意向を示したトランプ大統領(当時)に反対し、「圧力の継続」を日本政府は求めた。非妥協的な対応で最もタカ派的に振る舞いむしろ米朝会談の失敗を策して来たのだった。

 (下)で述べるが、この裏には日本反動派の企みが隠されている。(次号に続く/阿部ぶんめい)案内に戻る


  米国と中国の“民主主義”について

○ 非民主的要素を抱えるアメリカに“民主主義”を語る資格があるか?

 米国は、中国による新疆ウイグル自治区におけるウイグル族に対するジェノサイドへの抗議などと証し、北京五輪への「外交ボイコット」を表明し、合わせて、今の世界で最も重要な争いは民主主義と専制主義の闘いだと主張し、ジョー・バイデン大統領の主宰で、オンライン形式の「民主主義サミット」も開催するなど、アメリカが民主主義の価値を率先して世界に示さなくてはならないと言い続け、民主主義の守護者であり、その先導者であるかのごとし姿勢を示している。

 米国はアメリカ大陸の発見以来、色々な民族や人種が移り住み、土着民族との争いや奴隷制度の解放・南北戦争を経て最も民主的で自由がある国として認められてはきたが、実際には、土着民族や肌の色に対する人種差別は以前として発生しており、選挙制度についても、大統領選の行方を決める「選挙人団」という奇妙で非民主的な制度や、世論の感覚を共有できていない最高裁、偽情報が飛び交った昨年の大統領選、等、今のアメリカに民主主義の実践や価値に関する十分な資格があるのかが問われている。

○中国の“民主主義”--アメリカに専制主義と批判される中国も“民主主義”を強調する。

 米国に批判された中国は「民主主義は統治形態のひとつにすぎない。中国は共産党による統治で成果を上げている」「統治のあり方に絶対的なものはない。国民がそれでいいと考え受け入れることが重要である」などと答え、「自分たちこそ民主主義を大事にしてきた国だ」というキャンペーンを展開している。

 中国政府は昨年の12月4日に『中国の民主主義』と題する白書を公表し、まず結党100年を迎えた中国共産党は一貫して人民民主主義を掲げ積極的に推進してきたことを強調し「民主主義はそれぞれの国の歴史や文化、伝統に根ざすものでありさまざまな道と形態がある」として、その普遍性を否定し、「中国流民主主義」を自画自賛し、「ある国が民主的かどうかは、その国の人々によって判断されるべきことで、少数の部外者によって判断されるべきではない」「世界にはすべての国に適用できる政治システムはない。各国はそれぞれが自国の発展に適した民主主義の形態を選択する」「中国は民主的モデルを輸出しようとはしない。
 そして、中国モデルを変更しようとする外圧を受け入れない」と民主主義は普遍的なものではないのだから国によってさまざまな形があって当然だ。したがって人権問題などを理由に外からとやかく注文をつけ、改革を求めることは内政干渉であり、これを拒否する、というわけである。

 中国の現代史では、新疆ウイグル自治区におけるウイグル族に対するジェノサイドや毛沢東による反右派闘争・文化大革命、鄧小平時代の天安門事件、香港の民衆の声を無視した香港統治と反体制派の粛清と民主化運動の弾圧を繰り返してきている。

 白書では民主主義をうたう文書であるにもかかわらず、あくまでも党や国家が最優先される内容であり、民主主義にとって最も重要な個人の尊重、基本的人権が軽視・無視され“個人の自立”など問題視さえされないのだ。

○どちらの“民主主義”が正しいというのでなく、民主主義が不十分で問題があると言うことだ!
 
 米国のバイデン大統領が言う民主主義と中国共産党が述べる民主主義どちらが正しいと言うことではなく、現代民主主義そのものが問題なのだ!

 米国も中国も民主主義を語りながら、民族や人種差別をおこし、人民の権利を制限したり自由を奪っていたりしている。どちらの側につくのかと言うことではなく、現代民主主義とは何なのか、その限界性や不十分性を明らかにして行かなければならない。

 中国共産党では民主主義の普遍性を否定しつつ民主主義を語っているが、それでは民主主義の正当性は導き出せないだろう。

 国家資本主義と国家独占資本主義という違いはあるが、同じ資本主義経済社会の中で語られる現代民主主義社会の諸矛盾やその限界を見るにつけ、人間の尊厳性や社会の中での個人の自立・尊重など真の民主主義とは何なのか今こそ問われなければならない。(光)


  コロナ第六波 感染者過去最高に

日米地位協定の壁 米軍基地からの始まり

 デルタ株が収まり始めた中、感染力の強いオミクロン株が猛威を奮っています。

日本でオミクロン株が増え始めた最初のきっかけは、沖縄米軍基地でした。その後山口県にある米軍岩国基地、青森県にある米軍三沢基地でもどんどん感染者が増え、年末年始の移動も伴い、市中感染の拡大に繋がったと考えます。

 感染症対策が米軍任せになる背景には日米地位協定の背景があり、基地内の感染状況や対策の実態が見えないと地元住民からは不満の声が上がっています。

 日本政府が米軍に問い合わせると、米国からの出国時にPCR検査を実施していなかったことが判明し、入国直後の行動制限期間中に米兵が基地内を自由に動き回れたことも、わかりました。その後、米軍はキャンプ・ハンセンに限らず、全ての在日米軍施設で昨年九月三日に出国時検査を免除していたことが明らかになりました。

 十二月中旬のキャンブ・ハンセンのクラスター発生以降もマスクをせずに基地外に出て飲酒を含んだ飲食する姿が目撃されています。

 日本側の検疫が免除される根拠は、米軍の特権的な地位を定めた日米地位協定にあります。入国手続きに関する日本法令を適用しないと定めた九条に基づくとされます。検査や感染対策は米軍任せにならざるを得ない大きな壁があります。

公立病院の統廃合

 コロナ感染が始まる以前から、政府は公立病院の統廃合をすすめています。背景には「公・民」のバランスがあります。医療費の抑制に向け、診療報酬が高い「急性期病床」の削減を目指しています。赤字で自治体財政を圧迫するケースの多い公立病院は、民間に比べて標的にされやすいのでした。厚生労働省は一昨年、全国の公立病院をふるいにかけ、四百二十四機関を再編や統廃合の検討の対象とするリストを公表し、その後四百三十六機関にふえています。

 すでに、統廃合され病院も減り、医療従事者も減り、まだまた減らそうとする動きがあります。人の命の重さを考えず経済優先の政治路線を歩んでいます。

 第六波の影響でさらに医療がひっぱくしています。病院で治療できずに、多くのビジネスホテルが借り上げられている状態です。

今後にむけて

 感染症は人類の歴史と共に歩んできたもので、ウイルスが変異していくことは、仕方ないと思います。しかし、私たちで考えて、感染症を防ぐことはできると思います。ワクチンも世界を見渡せば、南アフリカなどまだまた平等には行き渡っておりません。
希望する人には、接種する機会を与えられる環境を、また、希望しない人には接種を強制しない環境作りをしていきたいです。

 日米地位協定に縛られない感染症対策を、そして経済優先の政治にならないよう、人の命の重さを考えた政治の実現を目指していきたいです。  (弥生)案内に戻る


  コラムの窓・・・デジタル庁の次は子ども家庭庁ですか?

 昨年9月に創設されたデジタル庁はいま、新聞やテレビでしつこく〝便利な〟マイナンバーカードを持つようにすすめています。便利ならそんなにやかましく言わないでもカードは普及するはずですが、持っていてもさして役に立たないし、うさん臭さが先に立つのではないでしょうか。

 2万円というエサをぶら下げてまで普及をめざすのは、カードで個人認証をしてなんにでも使えるようにする、そうして個人の行動をすべて把握できるようにすること。その情報、ビッグデータを企業利益に役立てる。国策に逆らう者をあぶりだすとかもできるということ。

 さらに問題は、国の仕組みに自治体の仕組みを従属させる、個人情報保護〝条例〟をリセットして個人情報保護〝法〟に従わせる。本来、国と自治体は対等なはずなのに、自治体を事実上国の出先の窓口にしてしまうとしているのです。

 それでは子ども家庭庁はどうか、内閣府の子ども・子育て本部と厚生労働省の子ども家庭局を移管するもの。内閣府は少子化対策と児童手当、認定こども園、厚労省は虐待防止と保育、母子保健、ひとり親家庭支援を担当していますが、子どもの貧困対策も含め移すようです。当初は幼稚園も移す予定でしたが、文科省が反対(縄張り争い)したので、幼稚園は文科省に残ることになったようです。

 子ども庁に〝家庭〟が付加されたのはなぜか、伝統的な家族観を重んじる議員に配慮したからとか。自民党のベテラン議員が言う「子どもは家庭でお母さんが育てるもの。『家庭』の文字が入るのは当然だ」という意識、山谷えり子・元拉致問題担当相は「『家庭』が入って良かった。家庭的なつながりのなかで子どもは育っていく」と語っています。

 何事も〝家族〟に縛りつけたい古い考えの政治家たち、かつては〝戸主〟でいまは〝所帯主〟が家族をたばねる、男性がその位置を占めて家族(妻や子どもたち)を支配下に置く、そうした〝家庭〟を理想とし、時代を逆戻りさせたいのでしょう。もっともそういう家庭は少なくないし、家族によって虐待され命を奪われる子どもたちは少なくないのです。例の10万円も所帯主宛となっていて、虐待や離婚が原因となって届かないひとり親が少なくないのです。

 子どもは親の付属物ではない、親の希望を叶えるための道具でもない。国家の役に立つために学んでいるのではない、子どもたちは自らの希望を叶える権利を持っているのです。例えば子どもの権利条約第6条は、「すべての児童が生命に対する固有の権利を有すること」「児童の生存及び発達を可能な最大限の範囲において確保する」ことを締約国に求めています。

 日本も締約国なので、子どもの権利条約を守らなければなりません。子ども〝家庭〟庁を創設するというのなら、家庭に付属する子どもとしてではなく、権利を持った子どもとして尊重すべきです。そして、すべての関係者に子どもの権利条約の4つの柱(生きる権利・育つ権利・守られる権利・参加する権利)を学ばせなければならないでしょう。(晴)

  子ども権利条約の4つの柱

1.生きる権利:防げる病気などで命をうばわれないこと。病気やけがをしたら治療を受けられることなど。

2.育つ権利:教育を受け、休んだり遊んだりできること。考えや信じることの自由が守られ、自分らしく育つことができることなど。

3.守られる権利:あらゆる種類の虐待や搾取などから守られること。障害のある子どもや少数民族の子どもなどは特に守られることなど。

4.参加する権利:自由に意見をあらわしたり、集まってグループをつくったり、自由な活動をおこなったりできることなど   案内に戻る


  「沖縄通信」・・・名護市長選と南城市長選の報告

 沖縄は5月に「日本復帰50年」を迎える。この節目の今年は沖縄では重要な選挙が続く「選挙イヤー」である。

 この「選挙イヤー」の最初の選挙が、1月23日に行われた「名護市長選」と「南城市長選」。今後も7月10日に「参議院選挙」、9月は「統一地方選挙」と「県知事選」、11月は「那覇市長選」とオール沖縄にとって重要な選挙戦が続く。

 名護市長選の結果は、現職の渡具知武豊氏(60歳)<自民、公明推薦>が19,524票を獲得し、14,439票の前市議の岸本洋平氏(49歳)<共産、立民、社民、社大、にぬふぁぶし、れいわ推薦>に5,085票差をつけ、2期目の当選を果たした。

 南城市長選では、自公推薦の元市長の古謝景春氏(66歳)がオール沖縄が推す現職の瑞慶覧長敏氏(63歳)を破って返り咲いた。

 このように、名護市長選と南城市長選でオール沖縄が推す候補者が連敗する残念な結果となった。

 特に、名護市長選はこれまでも「基地推進派候補」と「基地反対派候補」が激しい選挙戦を繰り返してきた経緯があり、今回の名護市長選も自民・公明が支援する現職の渡具知武豊市長とオール沖縄側が支援する前市議の岸本洋平氏の一騎打ちとなり、激しい選挙戦となった。

 岸本洋平氏は1998年~2006年に名護市長をつとめた故岸本建男の息子で市議会議員。一方の渡具知市長は市議会議員を5期勤め、前回の市長選で初当選している。

 今回の名護市長選の結果について、地元の琉球新報は次の様に報じている。

 「コロナ禍の長期化が市民生活に深刻な影響を与える中、経済対策や子育て支援に対する有権者の関心の高まりが見られ、争点のうち基地問題が埋没する形となった。

 渡具知陣営は自民、公明の組織力を発揮して支持層を固めた。米軍再編交付金を財源とした子育て支援の無償化事業などが、若年層を中心とした無党派層にも支持を広げ、1期目の市政運営に対する評価が見られた。渡具知氏は辺野古移設については『県と国の係争を見守る』とする従来の立場を貫き、争点化を避ける戦略をとった。」

 この「米軍再編交付金」問題を報告したい。

 琉球大の島袋純教授は選挙戦の結果について、「今回の選挙の結果で沖縄の意思が変わっているように見えるかもしれないが、変わったのは政府の沖縄に対する仕掛けだ。非常に功妙になっている(振興費を県に通さず市町村に配布する)。政府は言う事を聞く市町村と、そうでないところに沖縄を分断統治している。」と批判する。

 2018年に当時の翁長知事が亡くなり。その後地元財界人の離脱等もあり、日本政府はさらに揺さぶりをかける。玉城デニー知事の沖縄県には振興費を削減して、前回市長選で渡具知氏が当選すると、名護市に対する「米軍再編交付金」を復活させた。

 鎌田慧氏は25日の東京新聞「本音のコラム」で「沖縄を支配する交付金」の事を次の様に述べている。

 「辺野古の海に土砂投入を開始したのが、渡具知市長が初当選した年の12月である。防衛省関係者は『渡具知氏が勝たなければ、あのタイミングで土砂投入はできなかった。』それと引き換えに、年15億円の米軍再編交付金が交付されるようになった。『学校給食』『子ども医療費』の無償化ができ、票を集める。米軍基地や原発など、住民の命にかかわる装置を受け入れれば、カネを支給し、拒否すれば情け容赦もなくスットップする。地方自治をカネで操る。野蛮な政府をわたしたちは拒否できていない。』

 地方をカネで操るこの交付金のばら撒きは、沖縄だけでなく「日本全体を支配する交付金」と言える。野蛮な政府を私たちは拒否しなければならない。(富田英司)案内に戻る


  川柳  2022/2 作 石井良司

 応援をしたい亡命アスリート
 一分のパンダへ夢が押し寄せる
 ふと過る敵地攻撃真珠湾
 一寸の虫パワハラへ意趣返し(「虫」)
 ノーモアと叫ぶ葉月のキノコ雲(「雲」)
 終息の記念日欲しいコロナ戦(「新春詠草」)
 瀬戸際の命エクモが救い上げ(「決め手」)
 受話器からお酒の匂う午前様(「困る」)
 投入の土砂に咳き込む美らの海(「困る」)
 外出にスマホがいつもかくれんぼ(「困る」)
 脳トレのクイズに鍋が焦げている(「クイズ」)
 生きるとは冥土の土産作る旅(「旅」)
 脳トレへ夫婦で作る新メニュー(「新」)


  色鉛筆・・・津波浸水想定区域に病院の移転反対
                        
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 FACEBOOK 🚫STOP THE 津波病院🚫より 

 背後にLNG液化天然ガスの巨大タンクが複数埋められている清水駅東口公園において、野外ステージは大きな音をたてて壊され、美しい木々は引き抜かれています。

 南海トラフ地震の津波浸水想定区域に、東日本大震災以前であればまだしも、「これから」「病院」を建設しようとするJCHOと市政の現状認識、価値観と姿勢は間違っています。日本全国が、災害時に少しでも被害を少なくすることに苦心して行政を進める中で、病院の採算が取れるかどうかを天秤にかけて判断すること自体、利益優先主義の考え方です。この場所を候補地に上げるべきではないし、それを利益優先で選択すべきでもありません。行政(特に首長)と立法(議会の多数派)において、「災害は起こらないだろうが、もし災害が起こり人が死んだとしても仕方がない」と考えているならば、実質的には殺人罪における未必の故意にあたります。熱海の土石流の惨事と同様です。

 静岡市清水区で起こっている、この力による強引な行政と悲惨な事実を、日本中、世界中の人々が知るようになることを祈っています。
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 私が住んでいる街で津波浸水想定区域の清水駅東口公園に桜ヶ丘病院を移転をする計画が起こり、本誌616号(2021年3月1日)で「今度は病院を津波浸水想定区域にあえて移転」と報告したが田辺市長に公開質問状、JCHOの尾身茂理事長(コロナ専門分化会長)に要望書を提出したり、6月には尾身理事長に東口公園への移転中止を求める署名を提出した。その後はコロナ感染が拡大しなかなか活動ができなかったが、突然11月1日に移転地先である東口公園の改修工事が始まった。工事のお知らせの看板もなく周辺住民にも知らせず工事が始まったので私たちは驚き、仲間たちが連日抗議をして工事は一時中断になった。

 私たちは市による病院経緯の住民説明会を市長に開催するよう申し入れをしても市長は『記者会見や議会答弁、広報誌で丁寧に説明している』として拒否してきた。仲間たちが公園の工事中止を求めて抗議行動をしたが市の担当者は『工事を進める立場に変わりはない』と22日工事は強行に再開されてしまった。(後日羽鳥モーニングショーで全国放映された)東口公園は河津桜や紫の美しい花が咲くジャガランダの木々が季節になると開花して住民の憩いの場所だったのに樹木が全て引き抜かれ、清水駅改札口を降りると1億円かけて作った円形のモニュメントから見る富士山が景勝スポットで観光客を魅了していたがそのモニュメントも撤去された。市民に説明もしないで市民の財産である公園を勝手に壊して市民の土地である公園をJCHOに勝手に売るのは余りにもひどすぎる。

 私たちは住民の声を無視して行政の説明責任を果たさないのは問題だとして市長に再三要望書を提出したり、移転反対の集会を開催してデモ行進をして抗議の声を上げた。さらに12月1日には病院を運営する地域医療機能推進機構(JCHO)の尾身理事長に訴えようと仲間たちと東京の本部に行った。残念ながら理事長は不在で運営支部長に「移転の撤回はできないか」「当初予定の大内新田ではだめなのか」「津波は大丈夫か」などを訴えたがJCHOは『早期移転の実現』『建て替えは決まったこと』などと議論は平行線に終わった。その議論の中で私たちが何度も尾身理事長にはがきや手紙を書いたり要望書を送ったことを言うと『尾身会長は多忙なので見ていない』という返事にあきれてしまった。あまりにも誠意のない対応で私たちの声を聞こうともしない尾身理事長にがっかりした。

 そして12月15日、市議会でJCHOが持つ大内新田の土地と市所有の東口公園の土地を交換する議案が可決された。すると『静岡市の姿勢には問題はないのか。2005年に制定された市自治体基本条例には「施策について、市民に分かりやすく説明しなければならない」と明記してある。「市が説明を拒むのは条例違反と言われても仕方がない。住民の声を粘り強く聞く努力を市は怠ってはならない」と静岡大の川瀬憲子教授は指摘する』(朝日新聞より抜粋2021/12/6)『桜ヶ丘病院移転 改めて説明を聞きたい なぜ津波浸水想定区域内なのか、危険性があっても立地する利点がどこにあるのか、市は政策決定過程の説明を尽くすべきだ』(静岡新聞社説より抜粋2021/12/12)と、新聞が私たちの思いを取り上げてくれた。普通に考えて津波浸水想定区域にわざわざ病院を移転するのは間違っていて移転の経緯を説明するのは当たり前のことだということがはっきり分かった。。

 こうした強引なやり方に怒り何とか計画を止めたいという気持ちから私たちの仲間がFACEBOOKで日本中、世界中の人たちに呼びかけた。(別表参照)投稿の中でJCHOと市政に対して間違っていることを訴え、災害が起こり人が死んでも仕方がないと考えるのは殺人罪における未必の故意にあたるという指摘があった。「未必の故意」という法律用語を調べると「犯罪となる事実が発生する危険性があると思いながら、もしそうなってもそれはそれで良いと思う」という意味で、もし大地震が来て大災害が起きたら犯罪になるということだ。こうした事実を多くの人たちに知ってもらいたいので是非「STOP THE 津波病院」を見てほしい。 

 私たちは市長に対して市民に説明しないのは条例違反であることや東口公園への桜ヶ丘病院の移転について意見公募手続き(パブリックコメント)がとられなかっのは行政手続き上の違反行為であることを訴え続けて、地方自治・防災対策講演会等を開催するつもりだ。

 最近全国各地で地震が頻繁に起こったり、トンガの海底火山が噴火して津波が起きるなどいつ大地震が起こるかもしれない不安を感じながらコロナ感染第6波の中、私たちのできることをやっていくしかないと思っている。(美)   

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