ワーカーズ632号 (2022/7/1)   案内へ戻る

  改憲粉砕・軍拡阻止・消費税廃止・大幅賃上げ獲得・年金削減反対で闘おう!

 参議院選挙が始まった。投票日は七月十日。今回の参議院選挙は、二重の意味で重要である。一つは自公等が安定多数の議席を占めると3年間は国政選挙がない事態となる。もう一つはロシアのウクライナ侵攻を利用し日本を「戦争に参加する」国へと変貌させる狙いがあることだ。これは日本の戦後史を画する一大事件で、改憲と自衛隊の国軍化と大軍拡の道を切り拓くことになる。

 参院の総定数は今回から三議席増して、二四八議席となる。この内改選となる百二四議席(選挙区七四、比例代表五0)と非改選の神奈川選挙区の欠員一を補う「合併選挙」を合わせた計百二五議席。自公に維新の会・国民民主を加えた改憲勢力四党の非改選議席は計八三。改憲発議に必要な「三分の二」(百六六議席)の丁度半分。四党で八三になれば現実となる。岸田政権は対中国戦争を見据えた米国に追随し、「戦争に参加する」体制づくりを急ぎつつある。

 岸田総理と茂木自民幹事長はこの野望を隠そうともしない。彼らは、ウクライナ侵攻により防衛費増額の機運を機敏に捉え、来年度予算で防衛費六兆円台半ば以上を確保、参院選後できるだけ早く憲法改正案を国会提出して発議をめざすと公言。また改憲案四項目の一つである緊急事態条項が導入されれば、政府は憲法を超越した措置、例えば徴兵や国家総動員も可能となる。今回の選挙はまさにこれまでの日本でいくのか、「戦争国家」かを選択するものとなる。

 改憲には衆参両院の総議員の三分の二以上が賛成の発議、さらに国民投票で過半数の賛成が必要だ。確かに改憲勢力が三分の二以上を占めても国民投票で拒否はできる。だが彼らに三年も与えれば、戦争の参加へと向かう自公等の政治体制は維持されたままなので、彼らは何度でも改憲を仕掛けてくることになる。したがって私たちはこうした彼らの野望を許してはならないと考える。

 しかし政治情勢でなく経済情勢に目を転ずれば、物価高と円安が有権者を直撃し、年金生活者には年金の削減が突きつけられる現実がある。怒りは沸々として高まるばかり。自公への支持率は日々確実に落ちているのである。

 急速に進行する円安・物価高は深刻だ。インフレ対策のため金利を上げた米国との金利格差により、ドル円相場は一ドル百三六円台、一九九八年十月以来、実に二四年ぶりの円安水準だ。この物価高は食糧安保等を軽視してきたからだ。岸田政権も黒田総裁も異次元の金融緩和を続けると傍観するしかない無残さだ。なぜか。まさに歴代政権の政策のツケが回ってきたのである。

 昨年末普通国債残高は一千兆円。財務省の試算では金利が一%上昇すると、二五年度元利払いの負担は三・七兆円増。二%では七・五兆円の増加となる。しかも日銀の保有国債は既に五百兆円を超え、黒田総裁の就任前より何と四倍以上だ。この異次元の金融緩和は、利上げするとなれば日銀は債務超過となり、厳しい政府の財政状況はさらに悪化する状況を作り出しているのである。

 野党は「円安が深刻になると金利に直接触れなければいけない。ゼロ金利の見直しを真剣に検討する段階だ」と岸田首相に迫るも、「ロシアによる価格高騰、有事による価格高騰」と言い張る岸田総理は「エネルギー、食料品の価格高騰が中心で、そこに政策を集中している」と強弁し、「中小企業の金利、住宅ローンなど景気に大きな影響を与える」と金融緩和の見直しを否定した。十年近く続くアベノミクスの異次元緩和と巨額の財政出動で政府も日銀も自縄自縛で今や身動きが取れない。また低金利を前提に借り入れを増やした中小企業や低率の住宅ローンを組んだ家計も金利引き上げにより破綻しかねないのだ。

 かつて一人当たりGDP世界第二位が今や第三六位。日本経済をここまでにしたのはまさに自公政治だ。政治は結果である。彼らには責任を取らせねばならない。それゆえ「戦争に参加する国」に突き進もうとする自公政治には今回明確な審判を与えなければならないのだ。改憲粉砕・軍拡阻止・消費税廃止・大幅賃上げ獲得・年金削減反対が私たちの旗印である。これらを参院選の争点としつつ、かつ投票率向上をめざして闘っていくことがきわめて重要である。

 広島県選出の岸田総理は「軽武装、経済重視」の宏池会の看板を最大限利用しつつハト派だとの印象を振りまきながらも、その実は最速で軍拡を推し進めていること、また消費税引き下げは「社会保障の安定財源だ。減税は考えない」との全く大嘘の理由付けを打ち砕き、かつそれを焦点化して闘っていかなければならない。ともに闘おう! (直木)案内へ戻る


  確かな立脚点を確保し、再出発しよう!――参院選挙に思う――

 参院選挙が真っ最中だ。

 今回の参院選挙では、与野党の争点がぼけているのか、さほど関心が高まっていないとの評もある。

 それでも経済低迷下の物価上昇というスタグフレーションの兆候とそれへの対処、経済格差の拡大とその解消や、軍事・安全保障をめぐる大きな争点は多数存在する。

 選挙結果の是非も大事だが、それ以上に、日本社会の未来を見据えて、対抗軸の再構築という課題に着目したい。

◆分断線と対抗軸

 いま世界は、ロシアによるウクライナ侵攻を受けて、大きな変容を余儀なくされている。

 90年代の冷戦構造の崩壊以後、世界の大きな関心は、経済のグローバル化と、国家の経済力を凌駕するかのように肥大化した《GAFA》などと称されるプラットフォーマーによる世界経済の支配と国家の統制力との間の攻防、それに格差や貧困の拡大などグローバル化の負の側面などに向けられてきた。

 いま、それに加え、ロシアによるウクライナ侵攻で、世界の安全保障や、新冷戦とも言われる世界の分断状況にも、注目が集まっている。

 こうした中で迎えた参院選挙、そこで問われているのは何なのか。あえて絞れば、経済のグローバル化で深刻化した企業利益の増大と賃金の低迷という労使間の格差や貧富の格差、それに今回のロシアによるウクライナへの侵攻にかかわる安全保障、軍事政策の問題だろう。

 今回は、この二つを中心に、参院選の争点に関する対抗軸を考えてみたい。

◆アベノミクス踏襲?

 岸田首相は、政権発足以降、慎重な立ち上がりを演じてきた。政権発足以降、衆院総選挙や参院選挙が間近に迫っていた、という状況で、世論の動向に配慮せざるを得ないこと、それに党内的にも、少数派閥を基盤とする政権の性格上、大派閥の意向に配慮せざるを得なかった。《聞く力》を掲げ、重要案件での曖昧答弁や先送りが目立ち、安倍政治に対しては転換と踏襲を織り交ぜながら両選挙を乗り切りたいとの政局的配慮もあったのだろう。

 その岸田政権。発足に当たってかつての自民党の宏池会政権、池田元首相の旗印を援用したかに見えた。格差是正に繋がる《分配重視》《所得倍増計画》だ。

 日米安保改訂など、政治や軍事で力を振るった岸政権に換わって登場した池田政権は、政治から生活へ、対決から癒やしへの転換をめざし、その象徴として所得倍増計画を打ち出し、経済の高度成長を背景にそれを実現させた。

 岸田政権は、その再現を狙ったかのように、新自由主義の欠陥を指摘した上で分配重視の姿勢を打ち出し《令和版・所得倍増計画》をほのめかして政権を発足させた。

 ところが岸田首相にはそれを実現させる決意も具体的方策もなく、あっけなく投げ捨てた。株価下落と経済界の反発が理由だった。

 いうまでもなく、安倍元首相のアベノミクス(財政出動、金融緩和、構造改革)は、まず企業利益、富裕者利益を増大させ、それが下流にしたたり落ちる、というトリクルダウンを前提にしたものだった。が、当然ながら、それは全くの虚構であり、ウソだったことが判明した。安倍元首相によって、世界で一番企業が活動しやすい国にするとのかけ声で実施されたのは、大衆課税の消費税の段階的引き上げと法人税減税、それに金融所得優遇税制の温存と企業への規制緩和などだった。これらによって大企業は法外な利益を内部留保などに貯め込み、合わせて株式配当の増額や自社株買いによる株価上昇などで企業利益の株主還元が広くおこなわれた。

 一方では賃上げは企業への単なる要請止まりという〝サル芝居〟。現実の春闘では定期昇給を除けばやっと物価上昇分の“賃上げ”に押さえられてきた。それも大企業正社員のみ。中小や非正規労働者も含めれば実質賃金の低下傾向から脱出できていないのが現実だ。
 そんな状況下で登場した岸田政権。格差是正策の象徴として宏池会派閥のかつての池田元首相が掲げた所得倍増計画にあやかり、《令和版・所得倍増計画》をほのめかした。多くのメディアや有権者は、そうした岸田首相に期待もした。

 しかし呆れかえるのは、それがたった半年でまったく手のひら返しされたのが、正反対の《投資所得倍増計画》だ。当初の所得倍増計画は、とにかく賃金に多く分配するというものだ。それが労働への分配から、投資、要するに企業活動の結果としての利潤や配当や投機収入の倍道に化けたわけだ。まさに手のひら返しそのものだという以外にない。

◆〝三段論法〟の悪乗り

 もう一つの手のひら返しは、軍事・安全保障だ。岸田政権は、ロシアによるウクライナ侵攻を背にして、新冷戦構造を後押しするかのように、軍事費増加や専守防衛という原則を放棄し、改憲姿勢も打ち出している。これも安倍元首相の集団的自衛権の容認や安保法制の強行採決などで批判が拡がっていたのを軌道修正する姿勢からの、手のひら返しだ

 かつての池田政権は、その前の岸政権の軍事・安保優先の政治に区切りを付け、経済・生活優先の政治への転換を演出したものだった。

 今回の岸田政権も、《聞く力》を強調し、当初は、安倍元首相の集団的自衛権の容認や憲法改定に前のめりの軍事・安保優先政治から、経済・生活優先政治への転換をほのめかしてきた。が、政権発足たった1年足らずで、ここでも180度とも言える変質を露わにした。

 いま、ウクライナ戦争の影響で、軍事や安全保障の分野での急激な右カーブ、軍事優先主義への傾斜が露骨だ。極めつきは、ウクライナの有事(戦争)はアジア(=台湾)の有事(戦争)、アジア(=台湾)の有事は日本の有事(戦争)だという短絡的で意図的な三段論法だ。

 この三段論法は、米国をはじめとする西側諸国による中国包囲網づくりに直結している。近年ではクワッド(日米豪印)やオーカス(米英豪)という枠組みでの包囲網づくりだ。

 しかし、米国などによる中国包囲網で最前線になり、米国にかり出されるのは、地理的にも軍事力でも米国と同盟関係にある日本以外にない。真っ先に戦場になるのは、中国にとって第一列島線とされる沖縄を中心とする南西諸島だ。またしても沖縄が戦場と化すが、そこに暮らしている人々の生活や命のことなど、対中包囲網に邁進する米国のリーダーの眼中にない。

 米国や日本にとって、中国・台湾関係は、本来、当事者たる中国と台湾の国内問題のはずだが、対中包囲網づくりを目論む米国にとっては、一つの政治的・軍事的カードになっている。また軍事力を拡大してアジアの盟主になるという野望を膨らませる日本の国家主義者や軍事大国化指向のタカ派や軍需産業にとって、台湾有事を口実に軍拡を進めるのはまさに自分たち自身の増長戦略なのだ。ウクライナ戦争は、そういう意味で彼らにとってはまさに〝僥倖〟なのである。

 いま、こうした文脈に悪乗りした論説がまかり通り、それが世論にも影響を与え、現時点でも日本の軍事費増額や核保有や憲法改定など、様々な場面で右旋回、軍事整合性論の跋扈が見られる。まさに危険な戦前的な論調の氾濫ともいえる状況だ。

 私たちとしては、戦争を止められるのは、戦争を起こさないようにするには、軍事的対峙のエスカレーションを拒否すること、当事国の労働者・住民が、それぞれの政府に戦争を起こせばその政府は打倒されるという闘いづくり以外にないこと、労働者・住民の役割は、殺し合いに駆り出されるのではなく、それをさせない政府を作っていく国境を越えた共同作業にある、という立場を確認したい。

◆野党第一党の崩壊?

 今回の参院選では、日本維新の会が比例区票で野党第一党になるかどうかが注目されている。自民党の別働隊としか言い様がない〝ゆ党〟の日本維新の会が比例区で自民党に次ぐ票を集めることにでもなれば、対抗軸の喪失に繋がる(私たちにとって)一大分岐点にもなろうかという事態だ。

 そうした事態は自民党政治に対する野党の解体状況の結果でもあるが、それが不思議でないほど野党第一党の立憲民主党の漂流状況は深刻だ。昨年の総選挙での敗北と通常国会を経て今回の参院選挙に至る場面で、抵抗政党か提案型政党かで揺れる現状は、まさに立憲民主党の、アイデンティテイー(存在意義)の喪失とオルタナティブ(対案)の不在を見せつけられる場面だった。

 その象徴が、枝野前代表だ。枝野前代表は、かつて「私は保守。言ってみれば30年前の自民党宏池会です。」と言った。自分は「保守であり、リベラルでもある」とも語っていた。かつての宮沢政権の護憲と生活優先の政治姿勢を評価したものらしいが、その枝野立憲民主党、日米安保基軸は当時の安倍自民党と同じだが、憲法や憲法政治を無視する、〝法治〟ではなく〝人治〟の安倍政権には、《立憲》の旗印はそれなりに対抗軸になっていた。しかし管政権を経て誕生した岸田政権は、れっきとした《宏池会政権》だ。こんな構図では立憲民主党は、岸田自民党への対抗軸になりようがない。野党だからそれなりの政策を打ち出しているが、現状はといえば、泉健太代表は敵失頼よりだけ。例えば岸田首相がお蔵入りさせた《金融所得課税の強化》などは政策集にも載っていない。

 かつての民主党鳩山由起夫政権の《東アジア共同体構想》《コンクリートから人へ》《子ども手当》などは、実現への戦略も具体的手立ても欠いていたが、それなりの自民党政権に対するオルタナティブ(対抗戦略)だった。しかし、枝野立憲民主党やその後を継いだ泉健太代表には、そうした対抗戦略が何もない。まさに野党溶融という状況だ。

 国民民主党は、《給料を上げる、日本を守る》《対決より解決》だという。ちゃんちゃらおかしいという以外にない。現実はといえば、国民民主党のバックにいる連合の民間大企業労組は、御用組合・企業組合だ。役割は会社の第二労務部、賃上げは会社の言いなり、賃金抑制の片棒を担いできた、労働者内での自民党の別働隊そのものだ。そんな国民民主党が《給料を上げる》など、ブラックジョークそのものという以外にない。

 今回の参院選挙では、有象無象の右翼団体が多数名乗り出ている。総じて右派、右翼からの立候補で、自民党の右翼ぶりを中和する自民党のもり立て役を果たしている。

 寂しいのは、左翼の党派、候補者が少ない、いないことだ。ここにも現在の政治状況が反映されている。左派の集団や候補者が林立する政治状況をつくっていきたい。(廣)案内へ戻る


  恐慌は すべての窓から世界資本主義を見つめている

 日々の経済ニュースからいくつかの論点をピックアップしつつ、現代資本主義の矛盾に満ちた路程にコメントしてみた。

■コロナ・バブルは崩壊中

 今年一~三月期の米国の実質GDPは前期比年率一・五%のマイナス成長となった。これは一時的な現象と考えられたが、ここに来て四~六月期の成長率見通しもゼロかマイナスとの予想が広がっている。

 米国を頂点に金利は急上昇だ。「米十年物インフレ連動債(TIPS)の利回りが過去六十営業日に一・五八%上昇した。インフレ調整後の実質利回りである同利回りの上昇幅は、1990年代後半のTIPS発行開始以降で最大。2008年の世界金融危機時をも上回る。」(ブルームバーグ6/15、以下BL)。ちなみに金利が上がるのは「好況」の時と「恐慌」の時の特徴だ。

 さらにこんな異変もある。「長短金利差の逆転は異常で、リセッション(景気後退)を示唆する兆候と見なされる」(BL6/13)。

 エコノミストらはこの一年の間に米国が景気後退に陥る確率を四十四%にまで引き上げた。「これは、通常であれば景気後退入り直前、あるいは景気後退期間中の調査で得られる数値である。一月の調査ではその確率は十八%、四月調査では二十八%だった」(WSJ)。

 米国のインフレは去年顕在化し五~六%であったのが、今年はしり上がりに七~八%に達し四十年ぶりのペースで上昇を続ける。英国は九%を超え、EU諸国も似たようなものだ。南米諸国にも波及。日本を除く主要国の消費者物価指数はすでに六%台まで上昇している。実は日本も財に限っては五%のインフレだが、「サービス価格の上昇率がほぼゼロ%」だから財とサービスの平均ではインフレ率が二・五%にとどまっている(Reuters6/20)。つまりサービス労働者の賃上げが無いという悲しむべき現実の反映なのだ。

 六月のミシガン大消費者信頼感指数は1970年代の統計開始以来、最低を記録。米国の消費がインフレのさなかで急速に冷え込んでいることがわかる。

 株価の加重平均の推移を見るS&P総合500種指数は年初来で二十一%下落。変化の乏しいこの指標だが、巨大企業などの経営に黄色信号がともっているのだろう。

 暗号資産市場は「総額」のうち二兆ドルが超吹き飛ぶ。「ビットコインは今年に入って半値に下げ、十三日だけで十二%も下落。仮想通貨は推奨派が唱えるような、インフレヘッジや分散投資ではないことが明白になった」(BL)。
「〈窮地〉という言葉は控えめ過ぎるかもしれない。今年の市場は異常なまでにFRBの政策金利見通しについて修正を迫られ、無傷で済む資産クラスや金融市場は、ほぼ皆無だ」(BL6/13)。

 資金はあってもその行き場がない。すべては不安定でリスクが高く、現金や預金にしておけばよいのだが、十%近いインフレだから瞬く間に減価するので資産の置き場がない・・。

 様々な種類の架空資本・株式や国債・他の債券、土地の「値段」は、すでにかなりのバブル状態であった。その収縮が始まっている。
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 他方、日本もまた過去三十年間「金余り」であるが、欧米諸国と比較して今回のバブル形成の勢いは弱かった。民間企業では産業投資が極めて低調であるがゆえに、当然株価は盛り上がりに欠ける。ゆえに日本の「金余り」「過剰貨幣資本」は、欧米のように金融マーケットを駆け巡り株価や債券市場を盛り上げるのではなく、日銀口座にその大半が眠っているかそれとも海外投資に向かうのが特徴だ(「日本資本主義の衰弱とリフレ派の凋落」ワーカーズ625号参照)。

 その代わりとなって株価を盛り上げ、債券を支えてきたのが日銀や年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)らである。これが日本固有の管制相場の主導者である。ゆえに日本でのバブル崩壊があれば、もちろん民間資本が損失を出すが、他方、日銀やGPIFの経営危機として発現せざるを得ないだろう。(「信用制度の要・日銀の「債務危機」問題」ワーカーズ631号参照。)

■金利上昇は経済収縮の結果であり原因ではない

 世界の経済ニュースは「FRB(連邦準備制度理事会)らの金利上昇政策が経済にブレーキをかけている」と批判的に書いているがそれは少し違う。「金利上げ政策」が景気の冷却につながるのは事実だが金利上昇の深い原因は、前にも触れたが実体経済が不況に突入していると考えられるからだ。

 景気の急速な失速が(インフレを伴うがゆえに一層明確に)、金利を上昇させ債権類(株・国債・地価など)の下落を導いているのである。これが現実の過程だろう。

 とはいえ世界の中央銀行は、インフレ抑制のために「利上げ政策」を優先させることで事態をさらに悪化させる可能性は否定できない。

■戦後二回目、世界的スタグフレーション

 過剰貨幣資本(生産的過程から継続的に乖離した投機的資金)は、長らく金融商品や株その他債券類の売買サイクルに留まっていた(ゆえに、インフレの昂進に向かわなかった)。今年のウクライナ戦争やそれに先んじた米・中経済対立(ブロッキズム)、コロナ・パンデミックによるサプライチェーンと運輸の混乱、さらには気候変動による食糧危機という気配の中で(コロナ経済対策費が追加されさらに勢いを増した)資金が地滑り的に商品市況(特にエネルギーと食料)に流入したとみられる。それが現在進行している数十年ぶりに顕在化した世界的インフレの姿だ。

 1973年の「オイルショック」と呼ばれた戦後初の世界同時不況。当時も「過剰ドル」と呼ばれ金(きん)から切り離されたドルが世界を駆け巡っていた。そして「第四次中東戦争」が勃発。「石油危機」が叫ばれ原油や素材への投機が大規模に仕掛けられ、激しいインフレと不況に世界は襲われた‥。現在のスタグフレーションの先行事例といえよう。
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 インフレとは「過剰の」貨幣資本が商品交換市場に流入する時点で発生する貨幣価値の下落であるのだが、それは商品市場に入り一巡して「解消」し、新たな平衡に達する。ところが米国や欧州でも一年以上インフレは継続し昂進さえしている。これは、たまりにたまった過剰貨幣資本の大きさを推測させるものだろう。

 また、次の点も理解すべきと思われる。インフレとはどのような発現形態を持つとしても「大衆に対する直接的追加収奪」なのだ。「インフレ=好景気=賃金上昇」は資本家の作り話にすぎない。逆である。大衆所得の削減なのであり、したがって状況次第では単なる不況を恐慌に転化する要因となりうる。今後どのような経過をたどるかは不明だが、スタグフレーションは賃金労働者、生活弱者の最大の脅威となる。生活防衛の闘いは待ったなしだ。

■「世界金融危機」とその後の経済循環

 08~09年の厳しいリセッションが、「世界金融危機(ないしはリーマンショック)」と呼ばれたのはブルジョア的な表面的理解によるものだ(本稿ではとりあえず踏襲するが)。その経済崩壊を導いたのはほかでもなく、資本主義に内在する矛盾(売りと買いの分離、生産と消費の分離、生産資本と商人資本の分離、資本間競争、信用制度による矛盾の拡張等々)が現実的対立として成長し、それらの暴力的調整である資本主義に固有の全般的経済恐慌の結果であった。「富裕国の資本移動は17兆ドルから1.5兆ドルへと減少」銀行の損失だけでも「アメリカ1兆ドル、ユーロ圏8000億ドル、イギリスは6000億ドル」であった(Wikipedia)。世界資本主義は何度目かの経済暴風雨に見舞われたのであった。

 二十一世紀になり金融当局の緩和政策は慢性化し、金融経済の発展は、例えば米国の不動産担保証券(MBS)をベースにした金融商品を開発・拡販し、巨額の富を資産家に運ぶ新たな大衆収奪の体制を打ち立てた。債務担保証券(CDO)やクレジット・デフォルト・スワップ(CDS)などがもてはやされた。

 金融緩和政策は経済矛盾の調整を図ることもある一方、バブルの発生がその矛盾を覆い隠し亀裂を極限まで引き延ばすこともある。事実、足元で不況が拡大し劣悪ローンが未回収となり、不動産担保証券(MBS)の暴落が開始され、凡てが後の祭りとなった。信用は動揺し金利は高騰し現金が求められ金融危機を深めつつ実体経済にさらなる打撃を与えた。世界の信用体系は動揺し不況が各国に広がり数千万人の失業者を生み出した。これが「百年に一度」と言われた「世界金融危機」の概略だと私は理解している。

 くだんの金融危機から十年後となる19年後半、先進資本主義は新たな景気後退期に入りつつあった(表参照―IMFより)。その時点で発生したのがコロナ・パンデミックだ。そして「経済対策」の名で財政出動と金融緩和政策が世界各国で空前の規模で実施された。その額は20年末時点で総額13兆8750億ドル(約1445兆円)に達した。世界の政府債務残高が20年に国内総生産(GDP)合計額に迫る前例のない財政出動が展開されたのであった。その後もコロナ復興対策ばかりではなく気候変動対策(グリーンリカバリー)、米国では対中国を意識したハイテク技術開発など今に至るバブルの燃料は蓄えられた。

(表)

■金融資本はますます巨大化し大衆を窮乏化させる

 バブルの発生と成長はもちろん何ら価値の創造ではない。価値は社会的存在であり、労働による使用価値の形成に基づく。それに対して金融バブルは信用創造による空虚な富の形成だと主張することは可能である。バブルが崩壊し世界的金融機関や資産家が右往左往し、一部が破産することは庶民からすれば「いい気味」だし、資本主義経済の空虚さの証明である。しかし、そのような視点は極めて一面的あるいは道徳的な批判にとどまる。

 金融資本は繰り返されるバブルの発生と崩壊を乗り越えつつ今でも異常な成長を遂げている。金融資本の巨大化は社会的富の増大とは相対的に独立して成長する。それにもかかわらず彼らが一定以上の資本収益を吸い上げようとするのだから(ピケティの重厚な研究によれば資産の収益率は二百年間あまり変化がなく、r=五%だ)、以下の結論は自明に思われる。金融資産が増大するには、要は搾取を強めるほかないのだ。すなわち、彼らの主戦場である株式や債券市場ではキャピタルゲインとインカムゲインなどに分配されるが、その背後ではさらに過酷な低賃金が資本により求められているだろう。地代、家賃料の上昇からも吸い上げられる。

 賃金労働の抑圧的搾取ばかりではない。彼らは大衆をして大量消費とローンに誘い込む。「利子」「手数料」「レント」「中間マージン」「課金」「サブスクリプション」「利ざや稼ぎ」その他ピンハネの類(たぐい)を「サービス」と称して卒なくこなしてゆく。かくして金融資本主義はニュータイプのデジタルプラットフォーム(アリババ、テンセント、GAFAやウーバー、楽天市場など)を必然的に準備したのである。

 金融資本主義と新自由主義は同根であり表裏一体である。個々人をコミュニティから追い出し孤立させ賃金労働者に追い込むこと、孤独にすること、市場経済の中で生きることすなわち資本の下で働き資本の提供するサービスの享受を運命づけることである。

 かつての共同体は財もサービスも家族やコミュニティから得ていたのである。われわれはある種のコミュニティの復権を目指すべきだ。

■反軍拡、消費税廃止、賃金・雇用闘争を

 恐ろしいまでの所得格差や、投資や生産と消費のアンバランス、資源の争奪戦、グローバル生産ネットワークの混迷、帝国主義的侵略、迫りくる気候危機、そして巨額の投機的資金の予測不能な運動・・。今回の経済危機がどのような過程を今後たどるかは定かとは言えない。しかし、われわれに一義的に重要なことは、九十九%の人々のための利益を切り開き実現するために、人々の主体性を高め、連帯し、運動をいたるところで造ることだろう。権力の不合理と戦うことだ。

 参議院選挙が近いので最後にそれに関連して述べておきたい。

 軍事予算の倍増や「台湾危機」をもてあそぶ者たちを糾弾する候補を選ぼう。軍備縮小に声をあげる人へ支持を集めよう。法人税の課税強化と累進課税の拡大強化を財源とすること。消費税廃止は必須、実質的なインフレ対策となる。賃金労働者や低所得者・貧困家庭の救済に情熱を持つ候補者。彼らとともに前進する候補者こそ大切だ。気候危機対策プランを持つ脱原発候補者へ投票してゆきましょう。(阿部文明)


  独立ウクライナの階級闘争(下)――新自由主義の労働者攻撃と闘おう

■氏族寡頭制=オルガルヒの確立時代と労働者の零落

 ウクライナの現代史は、独立した91年~14年、14年~現在として便宜的に区別して考えることができる。ウクライナの特権階級はソ連の解体過程で長年の夢であった「分離独立」に成功した。この最初の時期はウクライナの民族ブルジョアジー(オルガルヒ)の成立と権力確立に向けた暗闘の時代でもあった。一方、人々の生活はインフレや失業に悩まされた。以下はILO傘下の独立労組の委員長の発言(05年)である。

 「ウクライナはヨーロッパの東部に位置する人口4,740万人の国です。人口はこの5年間で500万人減少しています。原因は出稼ぎのためにロシアやEU諸国、イタリア、ポルトガルといった国々に非合法に出国をしているためです。というのも国内での賃金が非常に低く、政府がきちんとした労働条件、賃金を保障できないからです」「最近2年間、ウクライナは年率10%から12%の経済成長を遂げました。しかしその一方で国民の生活水準は50%減退したと言われています。たとえば国民の約70%が貧困生活を余儀なくされています。」(ウクライナ自由労働組合総連盟(KVPU)2005)。
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 ロシアの金融援助や何よりも低廉な天然ガスの供給支援などを受けつつ、ウクライナは輸出拡大などにより二十一世紀初めに一定の経済成長を勝ち取った。ウクライナの「自由な」資本主義(実は氏族寡頭制あるいは財閥体制=オルガルヒ)が動き出したといえるだろう。ウクライナは農業と工業はある程度回復したが、逆に国民は一層零落した。

 国有資産の独占的分割をはたした元企業幹部や元共産党員たちは、国民たちをしだいに無権利な無所有者へと追いやったのである。

 とはいえウクライナ・オルガルヒは、本稿「上」でふれたように他のソ連圏や東欧諸国とは異なり、欧米資本の介入による急激な変化を望まず、国有資産の自分たちだけによる独占的な支配を望んだ。旧ソ連時代以来の社会保障制度や労働の保護制度は、その理由からある程度温存されて、ウクライナ国民の最低限の生活を支えてきた。

 そして今まさにそれらの改革が、オルガルヒらの直面する課題となってきた。彼らが導入を望んだIMFの巨額融資および新自由主義的「構造調整」は同時に、オルガルヒ達にとって都合の良い社会制度改革に名分を与えるはずのものであった。

 そのチャンスは意外なことからやってきた。14年のマイダン革命、それに引き続くロシアのクリミア併合とドンバスの戦争。この一連の事件が作り出したのがウクライナ人のロシアに対する恐怖と離反である。と同時にEU圏への決定的な接近であった。

■新自由主義がもたらせた酷い所得格差

 ウクライナは1990年の旧ソ連の時代のGDPに今に至るまで近づくことさえできなかった。マクロ的な話ばかりではなく個々人、個々の家庭が貧困に苦しむ。国家統計局によると、ウクライナの人口は一時間ごとに47人減少。21年のわずか八か月で、ウクライナの人口は24万6千人減少した。「専門家の推定によると、海外でのウクライナ人労働者の流出は400万人から1000万人の範囲である(不法出国も多い)」(Kostritsa and Burlay commons.com.ua 2020)。「今日、人口の40%が、別の国に恒久的に移動したいという願望を宣言しています。2015年2月には、28%でした」(Mazyarchuk commons.com.ua 2019)等々。

 新自由主義に従った経済の構造調整と自由貿易政策により、ウクライナは世界の経済システムの「周辺」すなわち素材および原材料の生産・輸出と、消費財の完成品の輸入国に位置付けられ、ウクライナに存在していた科学的、技術的、産業的可能性を喪失させられた。これらの産業の崩壊は、何百万もの高給の仕事の消失を意味し、失業は増加し大多数の生活水準の一般的な低下をもたらし、すでに見たような不法も含めた移民の巨大な流れを生み続けた。

 一方ではオルガルヒ十財閥寡頭制とそれに連携する旧エリート層の岩盤支配層が形成された。「ウクライナの人口の上位10%の所得指標は、我が国の下位10%の同様の指標の40倍を上回ります。労働分野の不平等は今日特に深刻であり、ウクライナの高官と政府高官の給与レベルが国内の平均月額レベルを40?75倍、場合によっては130倍上回っています」(Mazyarchuk commons.com.ua 2019)。

 財閥は各種の大企業を束ね、その上独自のマスメディアを持ち、個々の財閥は経済力をほしいままにするばかりではなく、それ自体で政治党派のごとく振る舞い、自分の独自の利害を国政に反映させようと躍起となり政治闘争を繰り広げる。その一方では新自由主義による財政緊縮、社会的補助の削減等がウクライナ勤労大衆にのしかかる。

 さらに勤労者の七十%がかかわるとされる闇経済の問題がある。多くの勤労者は不十分な収入ゆえに闇労働の副収入で糊口をしのぐことになる。とはいえ、この「闇経済」は、どのような労働保護もない資本家の独裁を意味するばかりではなく、次に見るように「表経済」での労働保護法の解体の手引きとなりつつある。

■「マイダン」「ドンバス」後に本格化した政府=資本家による労働者攻撃

 本稿「中」(「ワーカーズ」631号)ですでに論じたように、2014年にロシアのクリミア併合とドンバスで戦争が勃発して以来、IMFや世界銀行などの国際金融機関は、ウクライナブルジョアジーや国民世論の追い風を受けて一層積極的にウクライナに関わってきた。2014年以来、世界銀行は84億米ドルを融資し、IMFは170億米ドルを融資し、欧州委員会は少なくとも130億ユーロを同国に融資した。

 「融資はウクライナに莫大なレベルの債務を生み出した。同国は1,290億米ドル(GDPの78.8%)以上の対外債務に溺れており、2022年には140億米ドルを返済すると予想されている。この債務のかなりの部分は国際金融機関に負っています」〔Elliot Dolan-Evans opendemocracy.net2022.3〕

 このような欧米機関からの借財は、労働者攻撃と表裏の関係にある。IMF主導の「構造調整」は情け容赦なく新自由主義を貫く。
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 「2022年3月15日付のウクライナ法(戒厳令下の労使関係の組織について法律№2136―IX)の採択は、従業員にとって真の打撃となった」(Дудiн Вiталiйcommons.com.ua 29.04.2022)。

 同法のすべての条文に、悪質な革新が含まれていた。以下、「commons」より。

★ 有期雇用契約と試用期間を条件とする雇用契約の締結の簡略化(第2条)。
★従業員の同意を得ずに別の仕事に就かせること(第3条)。
★2ヶ月以内に予告なしに重要な労働条件を変更する可能性(第3条)。
★病欠や休職中の解雇、および労働組合の同意なしの解雇(第5条)。
★労働時間の上限を週60時間に引き上げ、時間外労働の制限を撤廃し、休日及び不就労日を廃止すること(第6条)。
★夜間労働への妊婦及び幼い子供を持つ母親の夜間労働及び時間外労働への関与の禁止を解除すること(第8条、第9条)
★この違反が敵対行為またはその他の不可抗力の状況の結果として発生した場合、労働の遅延に対する責任から雇用主を免除すること(第10条)。
★使用者による労働協約の特定条項の一方的な停止(第11条)。
★年次有給休暇の基本期間の24日への短縮、従業員が重要なインフラ施設に雇用されている場合、雇用主が従業員の休暇を拒否する権利(第12)。
★雇用契約の停止(第13条)。
★身体的文化や大量労働に対する労働組合への控除を規定した法律や労働協約の規範の停止(第14条)。

 法律№2136―IXは「個々の雇用者側の利益を守るために作られたものである。彼らは、緊急事態(軍事的脅威や敵対行為など)に直接言及しなくても、ウクライナ労働法(Labor Code)の規範の代わりに、彼らにとって有益な法律№2136の特別規定を利用することができた」(Дудiн Вiталiй)。

 この法律は雇用者側に一層の白紙委任を与え、労働組合の立場を弱め資本家の支配を野蛮なまでに強化するものだ。さらに指摘したい点は、この法律が欺瞞的にも「戒厳令下の」としてロシアの全面侵略下での臨時的な立法という装いをもつことである。しかし、この法律はそれに先行する2019年末に議会で可決された「奴隷労働法」と呼ばれ、ILO(国際労働機関)をはじめ国際的批判を呼び起こした労働法改悪草案とコンセプトやその具体的内容まで類似していることである。要するに法律№2136―IXは、戦時下の「戦争の脅威」を前提にした臨時立法ではなく、ウクライナ議会の多数派である資本家勢力が火事場泥棒のようにどさくさ紛れに自己の利益、すなわち職場工場に彼らの独裁的支配を確立しようとしたのである。ウクライナ左翼と労働組合はこの策謀をもっともっと暴露して資本および政府と闘うべきであろう。

■ロシア帝国主義との闘いは国内資本=政府との闘いと結び付けなければならない

 ロシアの侵略と戦うウクライナ国民。ところが上記したようにオルガルヒ勢力やエリート官僚その他の資本家たちの思惑は民衆とは全く異なる。「同床異夢」と言うべき事態が存在する。労働者保護法はここぞとばかりに徹底破壊されつつあり職場は企業家の独裁となり多くの権利や保護が奪い去られようとしている。勤労民衆に対する攻撃はまさに国内から、あるいは民衆の背後から仕掛けられている。

さらに「農地売買自由化」問題があり、民衆に対するあからさまな新自由主義政策との矛盾はいよいよ先鋭化しつつある。

 「ゼレンスキー大統領は20年4月、農地市場法案(農地流通に関する複数国内法改正法案)に署名した。これにより、ウクライナ国内の農地売買が順次自由化される。具体的には、a.2021年7月1日以降、ウクライナの市民は100ヘクタールまでの農地の所有権を取得可能、b.2024年1月1日以降、ウクライナ人が所有する法人は最大1万ヘクタールの土地を購入可能となる。ただし、国有地や共有地の売却は依然として禁止されているほか、外国人の土地購入の可否については今後国民投票で決定される」(JETRO)。

 ウクライナは誰もが知る農業大国だ。農業生産はGDP中12%に達する。輸出される小麦・トウモロコシ・ヒマワリ油などは大企業が栽培し収穫する。その他の庶民の食糧である雑穀や野菜などは個々の家族農業が担う。ところで、ソ連解体以後、集団農業の土地は個人に分割され、それ以来原則として「農地売買禁止」が定められていた。ゆえにウクライナの農業大企業は小農民から大量に土地を借地し、経営を行ってきた。個々の零細の個人農(兼業農家も多い)にとって、この借地料金は生活の安定に寄与してきたとされる。

 旧慣墨守的なウクライナ社会に比較して、何度か述べてきた中東欧圏、例えばセルビアは新自由主義的政策の速やかな貫徹により農地の半分がドイツ資本の所有に組み込まれた。

 それゆえに後発のウクライナの「農地市場法」は、きわめて慎重な内容にとどまっている。ウクライナ・オルガルヒは農地についても外国資本を規制し優先的取得権を確立しようと策動しており、「門戸開放」を叫ぶIMF勢力との駆け引きや対立はこれからも継続するだろう。

 そしてこの農地売買自由化はいずれにしても、大量の農村人口の零落化と人口のさらなる流動化を引き起こしかねない。オルガルヒとIMFの情け容赦ない政策に対して、労働者農民等ウクライナ勤労者は明確に反対し、彼らの策動や攻撃に反撃しなければならない。
旧ソ連時代以来のほころびた社会保障制度や労働保護制度、あるいはその後の農地の個人所有の遵守は野党の政策となっているが、労働者や農民はその地点にとどまるべきものではない。ロシア帝国主義との闘いは国内資本勢力とそれに結びついているIMF=新自由主義との闘いと結び付けられなければならない。(阿部文明)案内へ戻る


  読書室 孫崎 享氏著『平和を創る道の探求』かもがわ出版 二0二二年六月刊

 二0二二年三月二四日、ロシア軍か突然ウクライナに軍事侵攻した。その時、日本国内ではロシア糾弾とロシア制裁を求める声が響き渡った。まさに日本においては「一億総糾弾」「総制裁」論が嵐のように席捲したのである。

 この時、著者の孫崎氏は、講演会で主催者から「『最初にロシアはけしからん。ロシアは謝罪すべきだ。即時撤退せよ』とよびかけて下さい」との注文を受けた。しかし孫崎氏は、「講師を決めるのはあなた方の権限です。でも何を話すかは講師の権限です。私は話したいことを話します」と申し上げ、講師の招聘を取り消されてもよいとの態度を貫いた。

 では孫崎氏がこのウクライナ軍事侵攻が持つ意味を一体どのように考えているのか。そのことを詳細に明らかにした書物こそ、かもがわ出版から緊急出版された、この『平和を創る道の探求』である。

 本書の副題は、ウクライナ危機の「糾弾」「制裁」を越えて、である。この副題に元外交官・孫崎氏の主張、軍事力で解決ではなく外交交渉で平和を、の思いが集約されているといえる。その意味においてまさに会心の作である。

 孫崎氏は、現下のウクライナ危機を鋭く切開し、その本質に迫る。そしてウクライナ和解に至る現実的な道を探る。そこからウクライナ危機後の新世界秩序を展望し、日中関係の争点になる台湾問題、尖閣問題、さらに北朝鮮問題など、今後の日本の平和への具体的な道筋を本書で展開している。元外交官・孫崎氏の本領が発揮された時宜にかなった良書といえる。

読者の皆様へ、ぜひ一読をお薦めしたい。 (直木)


  書籍紹介 『水道、再び公営化!』 岸本聡子

●ミュニシパリズム

 著者の岸本聡子は、アムステルダムで長年、欧州の「ミュニシパリズム」運動に関わってきたが、このほど帰国し杉並区長選挙に挑戦し注目された。そこで改めて欧州の水道再活性化と市民の運動、その日本における意味について問題提起しているこの著書を紹介したい。

●水メジャーと民営化

 「水道民営化」は日本では二〇一八年に「水道法改正案」が成立し、宮城県を皮切りに、これから始まろうという状況である。

 しかしヨーロッパでは、すでに九〇年代から、新自由主義の流れをバックに、各国で始まり、数十年経てその弊害が明らかとなり、市民の反対運動で、次々と「再公営化」されているのが現状である。

 ヨーロッパの水道民営化は「水メジャー」と呼ばれる巨大企業が巨利を得る仕組みになっている一方で、市民には料金高騰や自治体の水道行政の混乱など、様々な弊害をもたらす結果となった。
 これに対する市民の闘いがミュニシパリズムの原動力となっている。

●バルセロナ市民の闘い

 ここで紹介されているのは、「水のメジャー」の本拠であるパリの水道再公営化の運動、新自由主義国イギリスの運動、スペイン・バルセロナの地域政党などの、いきいきとした市民の運動である。

 とりわけバルセロナでは、リーマンショックの煽りを受けて、若者たちの失業が急増したことや、過剰な観光客の受け入れによりアパート家賃が高騰したこともあって、水道料金が払えない「水貧困」、家賃が払えずアパートを追い出されるなどの社会問題が起きた。
 これを契機に「バルセロナ・イン・コモン」という地域政党が結成され、水道再公営化にとどまらず、公営住宅の増設や気候危機などについて市民参加による新しい民主主義の運動が発展するようになったのである。

●これからの日本

 とはいえ一読して多くの読者がまず感じるのは、ヨーロッパと日本との状況の落差かもしれない。それは二つある。

 一つは「水道民営化」の動きが、日本ではまだこれからで、「公営より民営の方が効率的」という言説がまかり通っている。事実によって反駁する事例はまだない。そのため危機感や関心が薄いことだろう。

 もう一つは「水道」に限らず、市民運動が地域から湧き起こっている、その高揚感が日本では実感しにくいことだろう。昨年の衆院選を取材したヨーロッパの記者が「なぜ気候危機が日本では焦点にならないのか?」と不思議がって質問したことにも現れている。

 「日本は周回遅れ」と揶揄するのはたやすいかもしれない。しかし資本の側は、欧州で市場シェアを失った「水メジャー」が、新たなターゲットとして日本の自治体に食指を伸ばそうとしているのは客観的事実である。

 それだけに、この本はこれからの日本に何が問われているか、警鐘を鳴らすものとして、熟読する意義があると言える。

 また著者の岸本聡子は今回の杉並区長選挙で、接戦を制して当選を果たした。新区長がミュニシパリズムの新たな風を、地方自治体から巻き起こせるか、それを支える市民運動の真価が問われるところである。(夏彦)案内へ戻る


  女性であることが生きづらい・・・気づいてしまった女性たちの歩み

 ワーカーズ前号に、1970年代のウーマンリブ運動に少しだけふれましたが、私が体験した、地域で女性たちが立ち上げた運動を紹介したいと思います。1970年代後半、私の自宅で保育所待ちの0歳男児を預かることから始まり、その延長で複数の家族の交代制で行った共同保育、試行錯誤の日々でした。

 そして、保育に留まらず、医者に管理された出産ではなく、自らが選択できる助産所作りに挑戦。そのために、準備段階でお産のしくみや女性の体についての学習会を持ち、パンフレットを作り、共感できる女性たちに広めて行きました。しかし、助産所は実現したものの阪神・淡路大震災で、建物が被害にあい止めざるをえませんでした。

 神戸市内では1991年、主婦を中心に反原発運動がおこりその運動を母体に、神戸市に「女性センター」設立の要求を出しました。しかし、要求は退けられ92年、「ウィメンズネット・こうべ」を自分たちの手で立ち上げました。94年には、「女たちの家」を設立。女性たちの語り場として、またDV被害に遭った女性の駆け込み寺として活用されました。

 阪神・淡路大震災では、避難所や仮設住宅、街の中で、女性や子どもが性暴力の被害にあいました。相談窓口になったのは「ウィメンズネット・こうべ」が急きょ発足させた「女性支援ネットワーク」で、相談者の6割がDV被害だったと、記録されています。その被害の実態を新聞社に相談したところ、被害に遭った当事者から話を聞きたい、と言われその無神経な態度に断念。また、ある女性ライターが雑誌に記事を書いたら「被災地を傷つけるな」などと全国各地から批判が届いたそうです。

 もう、私たちが動くしかない。96年3月、「性暴力を許さない!」集会とデモは240人の女性が参加し、道行く人にもアピールしたのです。ところがその後、一部のマスコミから「被災地では性暴力はなかった。証拠がない。すべて捏造である」といったバッシングを受けることになったのです。バッシングは、これだけではなく、性暴力は捏造とする内容の雑誌の記事に、主催者の実名が18回も出されました。外出するのも怖いと感じる日々だったそうです。

なぜ、性暴力を問題にするとバッシングが起こるのか? その背景には日本社会にある根強い女性蔑視にあります。99年、男女共同参画社会基本法が施行され、全国の自治体で男女共同参画推進条例の策定の動きが始まり、前後して各地で男女共同参画センターの建設が進む。同時に啓発事業が行われ、2000年代に入ると、右派による反動、「バックラッシュ」が女性センターの資料や講座内容にまで及んで来ました。私たちが利用するセンターでの講座にも、慰安婦問題にクレームを付ける男性の市議会議員が居ました。結局、講座のタイトルの見直しや表現を変えることで対処したのを覚えています。

 今回、この記事を書くきっかけになったのは、西宮男女共同参画センターで見つけた1冊の冊子「エトセトラ」です。責任編集が石川優美さんという30代の女性です。彼女は、女性が仕事にパンプスやヒールを履くことを強要されることに疑問を持ち、SNSで発信。♯KuTOOの運動を立ち上げた女性です。自身が生まれていない50年前の女性の運動を知り学び、自分の運動に活かしたい、との思いが発端です。

 今や、一人からの発信で運動が始められる環境にあります。SNSでのつながりは、自分の知らない多くの人に呼びかけ、想いを共有出来るのが魅力です。しかし、予想もしない攻撃を受け、「成りすまし」が現れたり、その対処に大変です。そんなバッシングにもめげず、「もう黙らない!黙れない」と宣言。かつて女性差別というバックラッシュに洗脳されていた自分を振り返り、過去の女性運動を糧に自信を持った生き方を目指す石川優美さん。新しい運動家として紹介し、私の目指す方向性も再確認出来たと思います。(恵)

〇参考文献、「エトセトラ、特集・女性運動とバックラッシュ」責任編集・石川優美
発行・(株)エトセトラブックス 1300円


  脱原発市民による公開学習会 「元原発労働者が語る―原発労働と3.11女川原発の実態」に参加して

■今野さんは1982年より「放射線作業従事者」となり、主に福島第一・第二、もんじゅそして女川原発に従事、火力発電でも働いてきた。3.11当日はたまたま女川原発に出向、被災した。「子ども脱被爆裁判」「浪江原発訴訟」原告です。

■原発の労働者になったこと、その勤務とは

 質問に答える形で、原発労働者になるのは地元では普通のことのようだ。原発労働者として助かる面としては、線量の高い場所での作業に入ると一日の仕事時間は短くてありがたかったと。イベントなどで芸能人などに会えることもあった。

 他方、定期検査の(管理者としての立場になって)書類の整理作成のために朝帰りも多かった、責任も重かったとも。原子炉の下位部分にも入ることや燃料棒操作器具の点検などの話は迫真性があった。放射線の高い場所ほど要は「人力とアナログの世界(デジタルは放射線に弱い)」だとも。なるほど。火力発電と異なり、ススだらけになったりすることもなく、原発の作業環境は(被ばく問題さえなければ)きわめてクリーン。しかし、防御服での夏の作業はでも苦しかったと述懐。今野さんに見せていただいた「放射能管理手帳」。「俺たちは〈貯金通帳〉と呼んでいた」と。確かに被ばくの場所と量が記入、「貯金」されている。減ることのない「貯金」だ。

■原発労働者と高汚染地域帰還住民の相違

 ここで放射能汚染地域に帰還する人たちを思い起こさずにはいられませんでした。原発労働者は、年間被ばく量20ミリシーベルトを限度にしています。一日被ばく限度量や総被ばく限度量も定められています。現場の放射線量も計測できるのでしたがって個々人の被ばく量は一定計算されます。(原発の事故がなければ)つまり被爆が可視化され管理が一定可能でしょう。職業としての原発作業者の給料は被ばくによる健康リスクへの対価という面も当然あると思います。

 ところで福島の汚染地域への住民の帰還事業とは、原発内部の放射線管理区域のような生活を住民にしろ、というのに似ている面があります。除染された住宅・学校・舗装道路は被ばく量の計算が可能です。しかし、放射線作業者と異なるのは現実の広大な生活空間で移動する住民の被ばく量は計算されえない点ではないかと思われます(さらに被ばく健康リスク手当などは無いでしょう)。

■「放射能神話」は許さない!

 今野さんが指摘したように、政府は破綻した「原発神話」から「放射能神話」に乗り換えを図っています。「放射能はそれほど恐れなくてよい」として再稼働を推進する気です。福島県民の帰還事業では、年間20ミリシーベルト「大丈夫」論も大手を振っていますが、そもそもは「原発労働者の被ばく限度基準」なのです。原子力村は自己利権しか眼中にない。被害者へのしつかりした保証も、誠意も持ち合わせていない東電、関電ほか電事連の勝手はゆるせない?

■事故が起きれば放射能被害は必至だ

 いったん事故となり、放射能物質のランダムな拡散は容易に予想ができず避難途中で放射能プルームに遭遇し被ばくします、後になってもホットスポットや高汚染域隣接して生活をすれば、思わず知らずに被爆してしまいます。疫学的調査(岡山大学津田教授)でも、有意に汚染地域の子供たちの甲状腺がんが増大しています。これを頭から否定する御用「専門家」に怒りを禁じえません。(A)案内へ戻る


  大阪 カジノの是非は住民投票で!住民投票を求める署名は約21万筆!

 大阪府・市が進めるカジノの誘致をめぐり、市民団体の「カジノの是非は府民が決める 住民投票をもとめる会」が6月6日までに、住民投票条例制定を求める署名約21万筆を集め、府内72市区町村の選挙管理委員会に提出しました。

 住民投票条例制定に必要な法定数の約14万6000(大阪府内有権者数の50分の1)を大きく上回りました。選管が署名が有効かどうかを審査し縦覧手続きを経て署名数が確定し、法定数を超えれば市民団体が知事に条例制定を直接請求します。請求を受けた大阪府吉村洋文知事は、府議会を招集し意見を添えて住民投票条例案を提出しなければなりません。府議会が条例案を審議します。

 だが府議会はカジノに賛成する大阪維新の会が過半数を占め、維新の吉村知事は6月6日「今の時点で誘致するかどうかの住民投票をする必要はない」と記者団に語りました。このままでは、条例案は府議会で否決される可能性が高いです。

 先に市民団体がカジノの是非を問う住民投票を求める署名運動を実施した横浜市と和歌山市の場合はどうだったというと、いずれも法定数を超える署名を集めたものの条例案はそれぞれの市議会で否決されました。だが署名運動を通じて盛り上がった世論の力でカジノ誘致にストップをかけています。

 大阪の「住民投票をもとめる会」は6月6日の記者会見で、運動が第2ステージに入ったと。「メディアのアンケートでは過半数がカジノ反対なのに府議会ではカジノ賛成の大阪維新の会が過半数を占めるというねじれが生じている。これを正すために、直接民主主義の手段である住民投票で決めるべきだと訴えていく」と述べました。

 共同代表で作家の大垣さなゑさんはこう付け加えました。「政党や労働組合など既存の組織を当てにせず、個人から個人へという原則を貫いた。個人がゲリラ的に動いたことから、既存の組織・団体に所属する人たちを巻き込んでいくことができた。新しい市民運動への可能性を見ることができた」。

 それとカジノに反対している住民5人が、事業者との契約締結の差し止めを求めている住民監査請求について、6月23日に意見陳述が行われました。

 大阪市はカジノについて、予定地の土壌汚染対策費など約790億円を公費で負担するとしています。

 これに対し市民5人は5月に「無制限に費用を負担せざるを得ず、地方財政法に違反する」と主張し、今年秋以降に事業者の間で締結する予定の「定期借地契約」について、差し止めなどを求める住民監査請求を行っていました。監査結果は、7月8日までに発表されると。

 また、カジノに反対する大阪市議らが6月20日、カジノ誘致計画に反対する団体「NO!大阪IR・カジノ」を立ち上げたと発表し、府・市が申請しているIR整備計画を国が認めないよう、要望活動をすることを明らかにしました。

 団体は、川嶋広稔・大阪市議(自民党)、小西禎一・元府副知事などが呼びかけ人となり設立し、地元企業や他団体に賛同を呼びかけ、8月ごろに国に要望書を提出する予定です。

 団体は「大阪IR・カジノ計画は、当初の計画から大きく変更され、国際競争力も失い、国の定める基準に適合しないばかりか巨額の公金投入などの問題が明らかになっている」「計画の認可申請にあたって、国は住民との合意形成を強く求めているが、大阪府・市の説明は不足しており、住民投票を求める直接請求署名が約21万筆集められるなど、住民合意を得ているとは言えない」として、この現状を国に伝え、計画が認定されないよう要望するとしています。

 カジノに反対するいろんな行動が出ています。私もこれらの行動に連帯していきます。  (河野)
 
  読者からの手紙・・・差別・抑圧・戦争を繰り返す人類史からの脱却を!

自民党の公約には『弾道ミサイル攻撃に対処するため、相手領域内のミサイル発射基地などを破壊する「反撃能力」を保有し、防衛費は国内総生産(GDP)比2%への増額を視野に、防衛力の抜本的強化を掲げ。憲法改正は自衛隊の明記をめざして「早期に実現する」との方針であるが、ロシアのウクライナ侵攻を目の当たりにして、ここぞとばかりに北朝鮮や中国に対抗して軍事力を拡大させる動きが見受けられる。

 「軍事的強化だけが安全」をもたらすという考えは「目には目を歯には歯を」と際限のない軍拡競争を繰り返すだけで人類破滅の道を進むだけである。
 そもそも軍事力とは人を殺し相手の軍事力を含むすべての能力や施設の破壊を目指すもので、殺戮と破壊を目的としたものだから、人間が生きていく上で真逆のもので、無駄なものなのだ。

 殺戮と破壊、無駄と知りつつも、それに多額の予算を振り分け、そうせざるを得ない社会や国家こそ見直されるべきであり、改めていくときだ。

 人類史では戦争を繰り返してきた歴史があり、二回の世界大戦を経て核兵器という人類だけではなくすべての生命や施設を破壊するほどの兵器を持つまでになっている。

 差別・抑圧や戦争を繰り返してきた人類史は人間社会の前史であり、これからは個人の自立と協調・共存の新しい社会を目指していくべきだと考え、そうした人間社会を目指して、粘り強く活動していこう!(M) 


  コラムの窓・・・この国の惨状を見つめる!

 6月17日、ウィシュマさんの遺族による刑事告訴が不起訴とされました。名古屋地検は、①食事の提供、②医療の提供、③救急搬送を怠った不作為はないとしています。全くあきれはてた結論ですが、参院選前に入管の非人間的処遇にお墨付きを与えるものでした。

 ウクライナからの避難者の話題がマスコミで取り上げられるなかで、この国の難民処遇についてもわずかながら話題になりだしています。いい映画も制作されているので、映画館に足を運ぶ人が増えればと思うのですが、こればかりは難しそうです。そこで、最近見た2本の映画を紹介します。

 アメリカ出身のトーマス・アッシュ監督「牛久」、東日本入獄管理センター(牛久)の面会室に隠しカメラを持ち込み、被収容者のインタビューを記録し、そのまま映画化しているのです。前代未聞の快挙であり、闇に閉ざされた収容実態を白日に曝すものとなっています。インタビューに応えた方々は入管による報復も覚悟しての行動であり、大げさではなく命がけの決断です。

 命がけといえば、ハンガーストライキもそうです。餓死で命を落とした方もあるこの行動、入管当局は死なれたら困るので仮放免を出すのですが、2週間で再収用を繰り返しています。牛久は強制送還するまで収容し続けるところで、刑務所と比べても刑期がないので、より過酷な牢獄です。

 さらに悪質なのは〝制圧〟です。これは入管職員が撮った映像ですが、暴れたからとの口実で多数による暴行がおこなわれています。うつ伏せにして取り押さえて後手に縛り、仰向けにして頭を押さえる。その際、頸動脈を親指で抑えるようなことも行って動きを止めてから座らせて〝制圧〟は完了する。これは間違いなく演習を行っていると思われます。ありていにいって拷問、見せしめです。

 高賛侑監督「ワタシタチハニンゲンダ!」、映画案内には、「外国人学校に対する官製ヘイト、技能実習生、難民、入管など外国人差別の実態に迫る」とあります。外国人処遇の変遷を、1910年の朝鮮植民地化から入管によるウィシュマさん見殺しまで、余さずたどる映像でした。

 そこに一貫しているのは、外国人(そこには明確な選別がある)を人間として扱わないという強固な国家的意志です。例えばそれは、1950年に外務省の外局としてに出入国管理庁が設置されましたが、そこに戦前の特高崩れの悪党たちが続々と集まった。1981年に難民条約に加入し、それに伴って入管法は出入国管理及び難民〝不〟認定法に改められた、と指摘しています。

 話はかわりますが、法廷でのメモを解禁させたのはアメリカの弁護士ロ-レンス・レペタさんによる法廷メモ訴訟でした。このレペタ裁判は1989年3月8日、最高裁による上告棄却によって敗訴となりましたが、判決理由のなかでメモ禁止は間違っていたと認めメモ解禁となっています。しかし、法廷の撮影はいまだに滑稽なありさまです。

 今回の映画も監督はどちらも外国人である事実を、どのように受け止めればいいのでしょう。この国にあるのは〝世間〟だけだと言われたりしますが、権利の主体である個人はいないのでしょうか。こども家庭庁などという茶番も、子どもも権利ある主体だという認識がないなら、ダダの看板の架け替えに終わると思ったりしてしまいます。 (晴) 案内へ戻る


  川柳 2022/7 作 石井良司   カッコ内は課題句。

 キラキラは良いが別姓認めない
 日銀に苦労知らずの黒田節
 一呼吸すれば怒りも冷めてくる
 生き様を洗い直して老いの春
 期待することを止めたら楽になり
 八十路過ぎシニアに夢を与えた帆
 ツアー客あっと驚くマスク国
 遊行期へ助走傘寿のヨットマン(「助走」)
 空手形ばかり非情と拉致家族(「家」)
 医療危機自宅待機の繰り返し(「家」)
 プラゴミに咳き込む海を丸洗い(「掃除」)
 いい加減子離れしてと子の嘆き(「判ってるって」)
 ためらいを入道雲に叱られる(「もじもじ」)
 ジェンダーの最後列に立つ日本(「恥ずかしい」)
 折々の旬を五感が愛でている(「料理」)
 マニフェストやるやるばかり盛っている(「料理」)
 畦道が遊んだ里を呼び覚ます(「吟行」)
 傷心を積乱雲に叱られる(「乱」)
 一波乱告げてる妻のドアの音(「乱」)
 小腹にはスナックと酒あれば良し(「スナック」)
 二食でもスナック漁るメタボ腹(「スナック」)
 飽食と飢えに分かれる社会悪(「悪」)



   色鉛筆・・・漫画家、松田妙子さんへの追悼

今でも、手押しのコロコロを引きながら、現れそうなそんな雰囲気があります。亡くなって2ヵ月が過ぎ思い出すのは、自分の信念を曲げない不器用な生き方だったこと。夜の10時帰宅のため昼間は図書館など公共施設を利用して、時間を潰す日々でした。独りの時間を不安にするのは、拒食症を患っているためで、食べることのルールを決め自分を縛ることで対処していたのでした。私たちと喫茶店で話すときも注文はせず、水だけをもらい空腹に耐え会話に集中していました。

 ところが、亡くなる1ヵ月前頃は、自分で料理をして食べれるようになったと、他の友人たちに電話や葉書を出していたのです。その頃はすでに、体重は20kgあるかないかで、それなのに声は元気でこれからの人生を前向きに語っていた、そうです。医者は点滴で栄養補給を勧めていましたが、死の予告を受けても点滴を拒否する彼女の姿勢に、何がそうさせるのか? 自分だったらどうするのか? 考えさせられる出来事でした。

 代表的な作品は、反戦・反差別社会派コミック「日本人的一少女」で、全4部の大作です。初版は2003年3月、その5ヵ月後の8月15日に、1部と2部の合併版が、「自費出版を支える会」で発行されました。作品にはページの下に、1枚1枚の描いた日付と時間が小さい字で記入されています。まさに、自分の生きてきた記録を残すように・・・。

当時は、イラン・イラク戦争が起こり、中国で発生した病原菌サーズの感染、エイズを発症した在日中国人女性の登場などが紹介され、今のコロナ感染、ロシアによるウクライナ侵攻と類似する部分があり驚かされます。

 第3部のあとがきに、松田さんの作品への熱い思いが記されています。
「このマンガは、私という人間が『私は現在、ここまではやっと勉強しました』という報告書、レポートでもあるのです。中学生の時に摂食障害を発病して以来、社会と他人ともつながりを断って、長い間引きこもってきた私が『ようやくこのぐらいまでは考えられるようになりました』と世間の人々に対して提出したレポートです。・・・」 

私と同世代だった彼女は、日本の侵略戦争を経て朝鮮戦争でさらに南北に別れた隣国の朝鮮語を学び、中国残量孤児を支援するために中国語も習得しています。その努力は「日本的一少女」の文面で生き生きと描かれ読者を惹きつけます。50年に及ぶ摂食障害との付き合いは、国内に限らず世界の弱者への配慮を持ち続ける原動力になったのでしょう。私たちは彼女の遺志を継ぎ、これまでの活動を続けることで哀悼の意を捧げたい。(恵)
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