ワーカーズ633号 (2022/8/1)    案内へ戻る

  核をめぐる危険な動きに抗議しよう!

 広島・長崎の被爆者の声を踏みにじるような、危険な動きが相次いでいる。
 ロシアのプーチン政権は、ウクライナへの軍事侵攻を続けているが、その中で核兵器の使用も辞さないと恫喝を繰り返している。

 さらにチェルノブイリ原発を占拠し、放射能に汚染された粉塵が舞い上がった。またザボロージャ原発の施設を砲撃しただけでなく、敷地内にミサイルを配備し発射している。相次ぐ核を巡る蛮行に、広島・長崎の被爆者や福島原発事故の被災者が、怒りの声を上げたのは当然のことである。

 ところがこの危険な動きのさなかに、日本の保守派の中から「核共有の議論を」などという好戦的な主張がなされ始めた。「ウクライナが侵攻されたのは核兵器を持っていなかったからだ」とか「NATO諸国のように米軍の核兵器を共同運用すべきだ」というのだ。

 さらにウクライナ侵攻を機に原油や天然ガスの価格が高騰している「エネルギー危機」を理由に、国内の原発を再稼動すべきと言い出した。むしろ今こそ再生可能エネルギーの導入を急ぐべき時であるにもかかわらず、電力資本の利益を優先し、あわよくば原子力の軍事転用につなげたい軍拡勢力の思惑が見え隠れする。

 今回のプーチン政権によるウクライナ侵攻は、核兵器や原発が、いかに危険きわまりない存在かを、満天下にさらけ出したのであって、「核共有」だの「再稼働」だのは、言語道断の主張以外の何物でもない!

 その背景には、核軍拡に乗じて巨利を得ようとする世界の軍需産業資本の策動があり、日本の資本もその一翼を担っている。三菱重工業はインドネシアに艦船を輸出しようとしており、三菱電機もマレーシアに防空システムを輸出しようとしているのは、そのほんの一例にすぎない。

 国連の多数の国が核兵器禁止条約を成立させ、世界が核廃絶に向けて進んでいこうという矢先、核保有国や軍産複合体に群がる資本は、これに逆行して利潤追求に走っているのである。

 さらに国内の軍拡勢力は「台湾有事に備えよ」と叫び、沖縄をはじめとした南西諸島へのミサイル配備を推進するだけでなく、中国や北朝鮮を視野に「敵基地攻撃能力を持つべき」と主張している。そのために「改憲」を煽っている。

 参議院選挙中の銃撃事件で死亡した安倍元首相の「国葬」を利用して「改憲は安倍元首相の悲願!」と叫び、霊感商法や集団結婚式で社会問題を起こしてきた統一教会にビデオメッセージ等で肩入れしてきた問題を隠ぺいし、全てを「改憲」の流れにもっていこうとしている。そして岸田首相は「防衛費の大幅増額」を明言している。

 私たちはこうした危険な動きに、声を大にして強く抗議する。

 この時期、広島・長崎の原爆犠牲者追悼と合わせて、多くの人々が当地の原爆資料館を訪れる。また全国各地に設置されている戦争被害に関する資料館等を訪れる人々も後を絶たない。

 戦争の悲惨さを改めて確認し、核軍拡勢力との闘いの決意をかためよう!(夏彦)


  安倍元総理の銃撃事件と国葬の正否を論ずる

 7月8日、安倍元総理が銃撃され、その日の午後に死亡した。犯人はその場で拘束されはしたが、犯行現場の周りはただちに封鎖の上、犯行現場の現状が固定化され、関係する人員の移動が厳重に禁止される事態とはならなかった。まずこのことが不可解なことだ。

 犯行時の動画を見ると、一発目の銃声音と共に白煙が沸き立ち、安倍元総理が何事かと振り返った後に、演台から自ら下り、崩れるようにしゃがみ込む様子が確認できる。

 犯人が撃ったのは2発。奈良県警察によれば手製の散弾銃だったとのことだ。その場で拘束された山上容疑者は、統一協会により家庭崩壊された恨みを安倍銃撃で晴らしたと供述した。しかしこの論理には飛躍があり、事件の背景説明には到底ならないものである。

 ここから山上容疑者が単独犯だとの手堅い証拠固めもないまま、一方的な断定に基づくマスコミの偏向報道がこの間続けられてきたのである。再度繰り返せば初動がおかしい。

 単独犯か否かは、犯人の供述でなく、客観的な物証による確定事項でなければならない。これがまずは犯罪捜査の鉄則ではないか。奈良県警察は初動と鉄則を間違えているのだ。

 手製銃器で6発撃てると容疑者が主張しても、奈良県警察は実弾による発射確認をしなければならないし、それをしない前に容疑者の主張を垂れ流すことは間違いである。

不可解なことの第1点目は、記者会見を開いて説明したのは、奈良県警察本部長であったことだ。本来なら安倍総理により警察庁長官となる中村格氏が説明すべきことであった。

 中村氏は、先日の安倍元首相の襲撃事件を受け「痛恨の極み」とは発言したが、警察組織の弛緩ぶりを象徴的に示す人物の典型である。当日の安倍警護のお粗末さは中村氏が自ら引き寄せたものだ。記者会見当日の奈良県警察の態度の悪さがそれを証明している。

 現在、銃撃事件の検証チームは警察庁が所管している。まさに狂っているのである。

 不可解なことの第2点目は、7月25日現在でも奈良県立医大と奈良県警との検視発表内容が大きく異なっていることだ。そしてこれを不問にする警察庁の職務怠慢がある。
 不可解なことの第3点目は、山上容疑者の単独犯人説の警察リークによる垂れ流しである。なぜ当然にも考えられるへき複数犯人説を否定するのか。まったく訳が分からない。

 確かにアメリカは事件に衝撃を受けたように振る舞ってはいる。ブリンケン国務長官は予定を変更し、横田基地から入国し弔問に訪れている。しかし羽田や成田からでないとは、まさに日本を属国扱いする非礼ではないか。この点を厳しく指摘するマスコミもない。

 不可解なことの第4点目は、これまで封印してきた統一協会告発報道をまるで解禁したかのような統一協会の解説報道の狂態である。何故このようになるのか。その説明が全くない。まさに安倍元総理の死亡がきっかけだと誰にでも分かるような展開ではないか。

 不可解なことの第5点目は、安倍元総理銃撃事件の犯人像や現在進行中の統一協会と自民党との癒着批判を一体誰が仕組んだのかが全く想像できないことにある。今、ウエッブ上では、CIA主導説、CIA内部抗争説、統一協会分派説、八咫烏説等がある。日本のマスコミには、これらについての記事は書けないのだから、解説は一切期待できない。

 こうした事実がありながらも相変わらず日本のマスコミといえば、連日山上容疑者の身の上話と彼が安倍氏を狙った動機となる旧統一教会の違法活動等の実態暴露のみである。

 最大の問題は、奈良県立医大と奈良県警との検視説明が大きく異なることではないか。だが安倍元総理の遺体は既に焼却済。真相は解明されないようになっているのである。

 さて安倍元総理の死去に伴い、岸田総理は国葬を執り行うとした。しかし現在、国葬を定める法令がない。姑息にも内閣法制局は内閣府設置法を根拠に国葬を実施できると岸田総理の考えを追認したが、それは正当な法解釈でない。内閣府設置法は国葬に関する法的根拠ではないからだ。強行するのなら、日本は法治国家でないからと宣言するべきだ。

 確かに安倍元総理の在任期間は、最長記録であろう。しかしそのことがただちに国葬にとはならない。まずは法廷根拠がないことを岸田総理はしっかりと認識すべきだろう。

 内閣府が「国の儀式」として国葬を執り行うのであれば、まずは国葬を国の儀式とする法令を定める必要があり、その法令があってこそ初めて国葬は法的根拠を持つ。そして国葬の費用が全額税金で賄われる以上、それは必要最低限の当然の展開なのである。

 敗戦後日本はデモクラシーを選択した。天皇の国事行為も明確に定めた。このことから敗戦後の法体系からは天皇の勅令による国葬令も排除された。したがって敗戦後日本で吉田茂元首相死去に際して国葬を強行実施したが、事実上の失敗に終わった。それ故、敗戦後日本の国葬例はこれ以外に行われてはいない。デモラクシーと国葬は相容れないからだ。

 この年の吉田茂元首相の国葬をめぐってかって国会で論戦があった。国葬に予備費を支出したことについて、1968年5月の衆院決算委員会で社会党の田中武夫議員がこう発言した。「その時の内閣の思い付きによってやられるということには賛成しかねるわけなんです。だから、今後はやはり一つの基準を設けるべきである、そのように思います」質問に対して水田三喜男大蔵大臣が次のように答弁した。「国葬儀につきましては、御承知のように法令の根拠はございません。(略)私はやはり何らかの基準というものをつくっておく必要があると考えています。(略)私はやはり将来としてはそういうことは望ましいというふうにかんがえています」「国葬についての法的根拠は存在せず、今後、国葬を実施する場合に備えて何らかの基準、すなわち法的根拠を備えることが必要である」ことが当時の大蔵大臣から答弁された。当時の自民党には、確たる見識があったのである。

 このことに関連して7月21日、安倍元首相の国葬に反対する市民グループのメンバーなど50人が、国葬を実施しないよう、国葬に関する閣議決定と予算の執行をしないことを求める仮処分を東京地方裁判所に申し立てた。市民グループは「安倍氏については森友・加計学園や桜を見る会の問題など数々の疑惑が取り沙汰され、国民の評価が分かれている。『国葬』を行い、国民を強制的に参加させることは憲法で定められた思想・良心の自由に違反する」と主張している。世論調査結果でも、国葬に賛成する国民と国葬に反対する国民が拮抗する状況が伝えられている。公文書等の偽造・捏造や虚偽答弁の数々と国家財産の恣意的処分等は、まさに万死に値する民主政治に対する最大の犯罪なのである。

 それを日本史上最大の規模と数において最大限行ってきた安倍氏を国葬などと、悪い冗談はなしに願いたい。最近ではそれらの悪行の他にも、統一協会の違法行為の広告塔として活動してきた事実も大々的に発覚した。こうした人物がそもそも国葬に値するのか。
 岸田総理が早々と国葬を行いたいとしたのは、安倍支持層と安倍派に対する岸田総理の配慮だったかもしれないが、総理として判断すべきは何よりも国葬に対する正否である。

 こうした単純な事実すら適切に判断できないのなら、岸田首相の資質に重大な問題あり
と言わざるをえない。もっとも岸田総理の祖父・岸田正記氏は大連及び奉天で不動産業や百貨店経営をしており、安倍元総理の祖父・岸元総理の満州人脈に位置する人物である。

 したがってあまりにも知られていない事実ではあるが、岸田総理の遠縁の関係にあった安倍元総理の国葬決定は、単に誤った判断であると言うに止まらず、安倍元総理のような国政私物化の要素も強く持っている、身内の決定だと断固糾弾せざるをえない。

 私たちは、安倍元総理の国葬の正否の判断には、断固として否あるのみ!
 この岸田総理の判断が自らの政権運営における最初のつまずきのきっかけとなる現実性を大いに孕むものとなっていることは疑いえない事実だと考えざるをえない。 (直木)案内へ戻る


  ロシアの侵略戦争を糾弾する!――二十一世紀の「帝国主義論」の再建を

■大混乱に陥った「社会主義」勢力

 ロシアのウクライナ侵攻により世界の「左派」「社会主義」勢力は混乱した。その多くは伝統的反米主義の立場からロシア侵略を徹底批判できず自らの限界を露呈した。彼らの一部は「ウクライナ=ファシズム政権」論に立ち、プーチンらとともにその打倒を掲げることで侵略を事実上容認したのであった。

 あるいはロシア帝国主義の定義をあえてレーニンなど過去の「帝国主義論」にもとめつつ、後に述べるようにその不十分性を「利用」して(資本輸出が少ないとか、ロシアはむしろ資源輸出国だとか)ソ連やロシアの帝国主義的性格を薄めようと努力する左翼もいた。

 他方、ロシアの侵略を非難しつつもNATOにより仕組まれた「東方拡大」という圧力によって「ロシアはウクライナ侵攻を強いられた」という論理が幅を利かせた。ゆえに「米国・NATOにも戦争の重大な責任があり、東方拡大をやめよ」と主張する。

 米国中心のNATOのような帝国主義同盟に「自重せよ」とはなんとも賢明な考えだ。これは、多くのリベラル派や左翼知識人の共通の間違った一面的な見解だと考える。

 日本共産党は繰り返し「ロシアの侵略を国連憲章違反として非難し」「いかなる国の覇権主義にも反対」(志位氏)としているが、同様に「ロシアは帝国主義」との批判を避けているようだ。

 すなわちいずれの論理も、ロシアの内在的衝動としての対外支配=帝国主義という科学的視点が欠けているように思われる。

■ロシアの三十年史を振り返る

 紙面の関係で旧ソ連帝国主義の歴史は割愛せざるを得ない。ロシアは軍事基地を旧ソ連圏中心に十か所以上を持つ。アゼルバイジャン、アルメニア、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、ベラルーシ、シリア、モルドバ、ジョージア、シリアその他である。

 ロシア政府はそもそも「ウクライナ」「カザフスタン」等を自立した独立国家として認めない旨を公言している。2021年7月12日に発表されたウラジーミル・プーチンによる論文『ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について』は、日本帝国主義の「日朝同祖」論(日朝は歴史的に密接で、しかも古より日本が支配的であった云々)と酷似し、あるいはナチスの「アーリア人種」論(「長身金髪の白人=西欧人優越論」)にも通ずるものがある。

 このようなイデオロギーの下で自分の「属国」であるとばかりに、ロシアは周辺諸国への内政干渉や軍事介入をいとわない。事実「ロシア人保護」や資源や権益の確保のために軍事侵略を繰り返してきた。ジョージア(08年)、モルドバ(91,92年)、ベラルーシ(2020年)、カザフスタン(22年1月)そしてウクライナ(14年及び22年2月)において軍事侵略を断行した。ロシア内でもチェチェン共和国の民族自決の闘争を執拗に武力制圧した(~2009年)・・。これを帝国主義と言わずに何というべきか?

 すなわちプーチンの思想の生成や、これらの軍事行動は単なる偶然の連鎖なのか?それともロシアに内在的する対外膨張、支配域の暴力的確保の継続的発現というべきなのであろうか?それがまずは問われるべき課題ではないだろうか。

■レーニン『帝国主義論』の限界

 レーニンの『帝国主義論』は当時の出版の事情で、「奴隷の言葉で書き、記述は経済的側面に限定せざるを得なかった」とレーニン自身が述べた。政治過程や肝心の国家の本質論には触れずじまいであり不十分なものである。これを聖典あつかいしつつ、あげくに幾つかの「定義」「基準」を活用して前述したようにソ連=ロシアの帝国主義・植民地支配を誤魔化し、否定的に論じるのは不誠実だろう。

 あるいは反対に、レーニンの幾つかの定義に沿って丹念に資料を収集し結論として「ロシアは帝国主義」と断定する論考もいくつか見た。しかし、それはそれでレーニン自身が「しかたなく経済問題に限定」した制限あるものを、そのまま利用するもので、贔屓(ひいき)の引き倒しではないかと思う。

■二十一世紀の帝国主義論の課題

 旧ソ連やロシアは気まぐれで帝国を築いたのではなく、もちろん米国・NATOの圧力のせいでもない。すでに上記したようにロシアは現在でも帝国主義的膨張を繰り返している。NATOの東方拡大が有っても無くとも、ロシアによるウクライナの隷属化攻勢は別な形で実行されたとみるべきだ。あるいは時期がずれ込むだけのものだろう。例えば独・仏・ロの三国干渉は、日本帝国主義の本格的大陸侵攻を十年遅らせただけであった等々。

 別稿を充てて論じるべきところだが、簡単に要点を記述しよう。領土・領域・領民に対する支配拡大の衝動は、部族社会から台頭したばかりの初期国家(E.サービス、M.サーリンズ)ですら明確に持っている。国家形成と領域拡大は基から分かちがたい運動なのだ。アスティカ連合、インカ帝国など参照。さらに経済的土台の歴史的変遷(農耕や遊牧、封建制度や資本主義等々)はこの国家の領域・領民拡大の圧力を当然変化させる。同時に抑圧的政治体制の形成と国際情勢の悪化などの政治過程が、帝国主義戦争の勃発に深くかかわる。

 つまり私見では、資本主義最先進国である米国のみを帝国主義国として認定すべきではないのは当然として、英・仏あるいはドイツ、日本などに限定してもいけない。ロシアを追うようにしてトルコ、イラン、サウジアラビア、イスラエル、中国なども帝国主義としての強い内在的運動と現実化の可能性を持っていることを示しているからである。

■帝国主義は国内の政治反動と不可分だ

 まとめ。今回のウクライナ侵略は、「後進的でかつ資源輸出国」ロシア、「資本の蓄積も経済規模も低位」のロシアですら、その衝動が抑えきれないことを教えているのであり、この事実から教訓を学ぶべきだろう。すでに指摘したが、「帝国主義は最高度に発展した資本主義(段階)」が生み出す、と必ずしも考えるべきではない。 

 むしろ帝国主義は「国内の反動と不可分密接」に結びついていることを実践的課題として強調したい。政治の強権化や国権主義の台頭、軍拡勢力の拡大を警戒し徹底して反対しなければならない。

 社会の根本的変革(国家の廃止)を準備すると同時に、反戦平和を訴え人権を守り拡張し反差別運動や気候危機などの大衆運動を盛り上げ、生活防衛の労働者の闘いを支援し、改憲など国権主義の流れに抵抗する一層の努力が今必要だ。平和外交の努力も一定は力になる。このような人民的力の台頭こそが帝国主義的暴走を当面回避する力となる。(阿部文明)案内へ戻る


  財閥資本主義が主導するウクライナ「解放」戦争という欺瞞
――ウクライナの勤労市民は決然と革命的方針を掲げるべきではないのか?

■「ウクライナは廃墟となりロシアは監獄となった」

 この言葉は心あるジャーナリストが記したものだ。しかしあえて言わなければならない「ロシアは監獄となり、ウクライナも監獄と化しつつある」と。

 ウクライナのゼレンスキー大統領は三月二十日、国内の親ロシア的な複数の政党に関し、活動を一時禁止すると発表した。同様に戒厳令下で労働者市民のデモやストライキ、抗議行動は禁止されている。そればかりではない。まさに戦時下非常事態のさなかに労働法の改悪が矢継ぎ早に進められている。

■戦時下で進められる悪法二つ

 今年3月、ウクライナ最高会議は投票を行い、ヴォロディミール・ゼレンスキーは法案2136号(「戒厳令における労働関係の組織化について」)、すなわち戦争状態における労働関係に関する法律に署名した。「法案2136は、雇用主に〈労働契約を停止する〉権利(白紙委任状)を与えています」(Links International Journal of Socialist Renewal)。同様に労働組合の機能を損なうものでもある(詳しくは「ワーカーズ」632号「ウクライナの階級闘争」参照)。

 「法案2136を導入した後、彼ら(ウクライナ最高会議)は法案5371に取り掛かった。法案2136は多くの労働者によって過酷だが不可欠な(やむを得ない)措置(戦時下の一時的措置との「名分」があった)と考えられていたが、法案5371は進行中の戦争とは何の関係もない」(同)。

 法案5371は従業員数が250人以下の雇用主の労働者(全労働者の70%)の団体交渉権を排除し、雇用主が個々の雇用契約においては既存の労働協約の条件を無視することさえ許している(ukrainesolidaritycampaign.or)。法案5371の本質は、雇用関係を労働法に基づく資本の規制と労働者保護から「解放し」民法によって、すなわち雇い主と労働者の個別の契約となることを意味する。民法による対個人契約(ある種の委託契約?)となる。例えば従業員の10%が月にわずか32時間しか割り当てられず、毎日「オンコール」状態にすることができる。オンコール労働とは、事前に事業主に登録を行い、必要に応じて呼び出されて短期間の就労を行う究極のギグワークや非正規労働のことだ。もちろん時限立法ではない。

 さらに組合員を解雇するために労働組合委員会の同意を得るための手続きは、法的拘束力のない協議の手続きに置き換えられた・・。

 これでは中小事業所の労働者が、低賃金、一方的契約解除など不利な条件を押し付けられるのは必至である。

■闘うすべを奪われた労働者

 「組合が今できないのは、街頭での抗議行動やストライキであり、これも法案2136に含まれていた」。法案5371を止めるために、労組らはウクライナの国会議員に訴えるしかない。左派党や組合側の主張も「ILO違反、EU連携協定違反」だとして議員に呼びかけるだけだ。このような闘いでは大きな限界がある。

 ゼレンスキーの与党名「人民の僕(しもべ)」は、キツイ皮肉のように聞こえる。人民の僕(しもべ)はますます露骨な新自由主義政策を推進しており、「脱ソヴィエーション」「腐敗撲滅」と「自由化」をスローガンとして戦時下=非常事態下の状況をずるがしこく利用している。

 他方残念なことに、ウクライナ最高会議(国会)に、まともな労働者の代表はおらず、議員の大半がブルジョア自身かその家族だといわれている。

 欧米では実現できなかった自由な資本の制度の創出に、カナダの元駐ウクライナ大使は「ウクライナはユーロマイダン以降、理想郷の実験場となった」と褒めたたえたそうだ。

■オルガルヒの資産等を国有化しウクライナ国民を救え

 ウクライナに対するロシア軍とプーチンの野蛮極まりない侵略はとどまるところを知らない。前線ばかりではなく一般市民への無差別攻撃を改めて糾弾する。

異常な状況に直面して、ウクライナ政府は「ロシア系資産の没収」を決定した。だがそれだけでは不十分であり、戦略的企業を国有化し、億万長者の財産を押収して国家管理下に置き、医療、輸送、住宅、食糧への公衆のアクセスを確保する必要がある。オルガルヒを利する制度を撤廃し彼らを規制し、傷つき破壊された国民と社会を、オルガルヒらが支配することを許すべきではない。

 ところがウクライナ政府は「驚くべきことに、(今年)6月下旬には〈国有資産の民営化を新たなレベルで再開する〉ことを目的とした法律まで成立」させた(Ukraine’s War Economy Is Being Choked by Neoliberal Dogmas /jacobin.com)。民営化とは、ほかでもなく「公有」とされた富と財産のオルガヒ達への払い下げ以外の何物でもない!

 政府と議会に対して断固として抗議し、闘わなければなららない。今こそ国家の政策は、最前線にいる労働者市民の利益を第一に優先し重点的に確保することを目的とするべきではないのか。

■■ウクライナの武装した勤労市民は議会と政府に以下の政策を断固要求すべきだ

★新自由主義的諸政策を直ちに中止しせよ。
★ウクライナの十大財閥の資産を直ちに国家管理に移行させよ。
★新たな立法により、高所得の規制と戦時下の特別累進課税を。
★新たな財政基盤をもって戦時体制の財政を確立せよ。
★労働者と組合の諸権利を損なう労働関連新立法を撤回せよ。
★法律3216を撤回し、法案5371の審査を中止せよ。
★政府は、戦時下の特別の医療、輸送、食糧への公衆のアクセスを国民に確保せよ。
★避難者・被災者の住宅を国家は保証せよ。
★「農地売買自由化法」の施行を棚上げせよ。
★対外債務返済を直ちに中止せよ。
★一千億ドルの借款の棒引きをIMFや欧米各国に求めることを決定せよ。

 個々人の社会的志向を高め、労働組合を強化し、エコロジー、フェミニズムを包括しつつ、資本や市場の自由化に反対しよう。何より当面は福祉政策の再構築を目指そう。

 ウクライナは復興を必要としています。IMFら国際金融機関等からの負債を大幅に削減するために各国政府に理解と支持を求めよう。(阿部文明)案内へ戻る


  日本の給料はなぜ上がらないか
 最賃引き上げから雇用システムの転換へ! ――最低賃金改訂を考える――


 最低賃金引き上げ額が勧告される時期になった。

 最低賃金は、労働者全体の賃金闘争の一部であり、労働者の生存をかけた攻防ラインを左右する闘いでもある。

 その最低賃金引き上げの闘いは、単に額をめぐる攻防に止まるものではない。労働者の雇用システムや権利関係にもかかわる、いわば労働者としての尊厳をかけた闘いの土台づくりでもある。

 日本は、この30年間、賃金=給料は全く上がっていない。なぜ上がらないのか考え、最低賃金のみならず、自分ごととして処遇改善の実現について考える機会にしたい。(7月26日)

◆重みを増した最低賃金

 今年も最低賃金の改定時期になった。が、今年は7月25日の厚生労働省の中央最低賃金審議会で労使の見解が折り合わず、仕切り直しになった。

 日本の最低賃金は、安倍元首相による〝官製賃上げ〟の旗振りもあって、近年はほぼ3%の引き上げが勧告されてきた。昨年はコロナの影響でほぼゼロとなったが、今年はこのところの物価高によって3%、あるいはそれ以上の引き上げへの期待や圧力が高まっていた。そうしなければ最低賃金レベルで働く非正規労働者の生活がいよいよ成り立たなくなるからだ。

 最低賃金は、現状では主に時給で働く非正規労働者を実質的な対象にしたものだ。が、それに止まるものではない。「裁量労働制」や「みなし残業代制」や「固定残業代制」などでの長時間労働の結果、正社員であっても、時給換算で最低賃金ギリギリで働かされているケースも多いのが実情だからだ。影響は、時間給の非正規労働者に止まるものではないのだ。

 今では大きな注目が集まる最低賃金額の改定作業。が、今世紀に入るまではさほど注目を集めていたわけでは無かった。

 それまでの最低賃金制は、実質的にはママさんパートや学生バイトなどを対象として適用されていたものだった。大多数の正規労働者は、1990年頃までは大企業・親企業を頂点とするピラミッド構造の中で年功賃金とそれを変形・準用した賃金制度のもとで働いていた。

 なので、最低賃金の水準は、それほど社会的に注目されていなかった。いはば、日本の賃金水準は、毎年の春闘で引き上げられる正規雇用の年功賃金と、パート・アルバイトに適用される最低賃金という、二重構造の下に置かれていたといえる。

 しかし、時代は変わり、90年代を通じで増えていった非正規労働者が全体の4割に達する今、その多くが年功賃金の埒外に置かれ、最低賃金か、それとさほど違わない時給の下で働かされる時代になった。最低賃金の水準は、労働者の半数近くに大きな影響を与える時代になっているのだ。

◆増殖される〝ワーキング・プア〟

 いま、最低賃金は、緊急の課題として大幅な引き上げが不可欠だ。

 しかし現実には、後でも触れるように、中小・零細企業やその業界団体(日本商工会議所)などは極めて消極的だ。だから、毎年の最低賃金改訂交渉では、1円単位の攻防戦が繰り広げられ、結果として大幅な賃上げはむずかしい状況が続いてきた。これが現実だった。

 しかしそんなことに止まっていては、非正規労働者の生活改善はいつまでたっても実現しない。現状はと言えば、最低賃金は全国加重平均で930円。一日8時間働いても7440円。週5日で3万7200円、一ヶ月22日働いても16万3680円、年収196万円にしかならない。ここから税や社会保険料を引かれれば手取りは15万円以下で、アパート・マンションなど賃借していれば、ほぼ月収は実質10万円程度になってしまう。年間収入は180万円で、わずかなボーナス(あった場合)を含めても、せいぜい年収200万円程度でしかない。

 現に、国税庁の調査では、非正規社員の平均年収は175万円、正規社員の平均年収503万円の35%でしかない。正規労働者と年収レベルで3分の一程度の賃金しか得ていないのが実情なのだ。

 しかもコトの深刻さは、そうした低賃金労働者が、働き盛りの年代でも増えていることだ。いま就職氷河期世代の38~52才は、〝ロス・ジェネ世代〟として就職難と雇用破壊のしわ寄せを背負わされている。それらの年代を含め、25才から54才の非正規が1000万人、非正規全体の約半分(48・2%)を占めている。青・壮年層でも最低賃金レベルで働かされている人が激増しているのだ。

 そんな働き盛りの年代層が不安定・低賃金の非正規労働に追いやられていては、消費需要も増えないし、少子化など止まるはずもない。低レベルの賃金は、日本社会の人口減少や経済低迷を象徴するものになっているのだ。

◆必要で可能な抜本的な引き上げ

 こうした実情を考えれば、毎年3%という算術的な引き上げでは、現在全国加重平均で930円の最賃は10年後でも1250円にしかならない。1日10000円、月22万円、年間264万円だ。これでは正社員の賃上げが10年間ゼロであったとしても、正社員の半分程度に止まる。こんな算術的引き上げでは、抜本的解決にはほど遠いというほかはない。

 仮に時間給を5%、10%と大幅に引き上げても、それだけでは格差解消に繋がらない。正規労働者と非正規労働者の間に、別の大きなギャップがあるからだ。

 別の大きなギャップとは、月例賃金そのものの大きな格差に加え、期末手当(ボーナス)それに退職金だ。現役時代の給与額に左右される年金額も含めれば、四重のギャップだ。それを年に一回の数%の時給引き上げだけで解消するのは、まったく不可能だ。

 だから、緊急の――2~3年程度、政策的支援や親会社・取引会社への単価引き上げの実現も含めて――措置として誰でも1500円程度への引き上げは、収入格差解消のスタート台に立つための緊急な課題なのだ。

 前にも触れたように、こうした最賃引き上げに対して、以前から一貫した批判がある。主として中小・零細企業を代表する業界団体や一部のエコノミストなどの声だ。それは、急激な最賃引き上げは、ギリギリで維持してきた雇用が維持できなくなり、倒産や機械化による解雇が増加し、中小・零細企業労働者にとって逆効果となる、との説だ。が、生身の人間がまともな生活・人生を歩めないような低賃金こそ、搾取労働そのものであり、それを間接的に温存したい立場からの説でしかない。

 実際、中小・零細企業の多くは、大手企業の子会社・孫会社であったり、下請け、納入企業として連なっている。その親会社や大企業の手元には膨大な内部留保が蓄積されている。それは中小の労働者や企業経営者の本来受け取るべき報酬や賃金を絞り、利益を親会社が独り占めしてきた結果なのだ。

 だから最賃額の決定では、労働者対中小経営者という構図の中ではなく、親企業・大企業対中小の労働者・経営者という構図で主張すべきなのだ。現実には中小経営者が親企業・大企業に単価引き上げで対峙するのは至難の業だ。だから中小・零細企業の労働者が力を結集して正面から単価引き上げと賃金引き上げをセットで大企業に突きつけるべきなのだ。

 現在、大企業に貯め込まれている投資先のない内部留保(――21年で484兆円、9年連続過去最高――)などを、単価引き上げや最賃引き上げで地方の中小経営者や労働者に配分すれば、国内需要が増大し、回り回って大企業は新しい投資先も獲得し、政権や日銀も言っているような、賃上げと市場拡大の好循環も達成できるだろうに…………。

 こうした最賃の抜本的な引き上げは、臨床的な緊急の処遇改善策として実現させる必要がある。その上で、長期的な課題である日本的雇用の大改革(終身雇用、年功賃金、企業内組合から、同一労働=同一賃金、ジョブ型雇用、企業内組合から産業別組合への編成替え)を実現させることが、より長期的な課題になる。

◆日本的労使関係の再編を!

 日本的労使関係とは、終身雇用、年功賃金、企業内組合という《三種の神器》をいう。こうした労使関係は日本独特のもので、米国や欧州でもどこにもない。

 いま世界の主要先進国と比べて、日本だけ賃金が上がっていないという現実がある。バブル崩壊後の20年、30年を《失われた○○年》と表現する言い方もある。その大きな要因になっているのが、日本的雇用をはじめとする日本の独特な労使関係なのだ。

 まず、終身雇用と年功賃金という組み合わせは、当該労働者を企業に縛り付け、企業に従属させられるシステムであることだ。端的に言えば、転職=賃金・処遇の切り下げになるからだ。会社に働き方や処遇などで不満があっても転職できない。転職すればそれまでのキャリアはほぼ関係なく中途採用者として賃金や役職など、ほぼ新入社員のレベルからのやり直しになってしまう。

 それでは生活できないから、労働者は自分の会社に逆らえず、残業や単身赴任も断れず、企業戦士や過労死、過労自殺などに追い込まれる。

 そんな現在の日本の多くの企業の賃金制度は、ひとことで言って《職能・成果給などの年功的運用》だといえる。これは、職能給や成果給など、会社ごとにそれなりの理屈を付けているが、結局は会社や上司による主観的な職務遂行能力の評価付けの域を出ないものであって、社員間の格差やランク付けすることで競争を煽ってきたものだ。

 ただし、それで決められる賃金水準そのものは、社員のライフサイクルを概ね満たすものでなければならない。でないと、生活できないで闇バイトや退職者が続出してしまう。だから結果的には様々な理屈を付けながらも、勤続を重ねていくほどにそこそこ賃金も引き上げられてきたわけだ。

 要するに、いまの企業で労働者が置かれているのは、次の二つのケースだ。一方には、働きづくめで会社の言いなりでの働き方によって、やっと家族が生活できる賃金を得ている働き方。他方では、最低生活さえおぼつかない無権利の低賃金労働者。そのどちらかに多くの労働者が分布するという、いびつな働き方である。

 これが、終身雇用と年功処遇という日本的労使関係の現住所なのであり、これを抜本的に世界標準の普通の労使関係に再編していくという大きな課題がある。

◆抜本的な雇用・処遇の改善が不可欠

 すでに触れたように、最低賃金の引き上げの問題は、二重の課題を含んでいる。

 日本の賃金は、戦後の混乱期と高度経済成長期をくぐる中で二重構造を形成してきた。それは、一方では高度経済成長と対になって伸びてきた正社員の年功賃金の引き上げと、定額で推移してきたいわゆるパート・アルバイトの時間賃金だ。

 この二重構造自体は、本来は賃金差別そのものだが、終身雇用の正社員が大多数で、最低賃金レベルのパート・アルバイトが主婦パートや学生バイトに限られていた時代には、さほど問題にならなかった。主婦や学生にとって、自分が働きたいときだけ気軽に働けるという面もあったからだし、要するに、主婦パートや学生バイトが、家庭責任を負う男性正社員の存在を前提にした、家計補助的な収入に止まっていたからだ。

 しかし日本の雇用構造は、バブル期の終焉の時期に大きく変わった。正社員中心の雇用から、各職場で非正規雇用の比重が増えたからだ。これは自然現象ではない。経団連(当時の日経連)が主導した雇用の多様化(『新時代の日本的経営』1995年)の結果だった。

 この提言を転機に日本では劇的に非正規労働者が増えていったのだが、それまでは、パート・アルバイトは、年間や一日の一時期・一定時間だけ労働需要がある職務にだけ従事させていた。それが経団連の提言を転換点として、年間を通して業務がある職場でも非正規労働者の雇用が普通になっていった。いうまでもなく、雇い止めが簡単で、人件費・賃金も安くすむからだ。

 これに味を占めたのが各企業で、特に中小・零細企業では、人集めはまず時給制の非正規雇用が当たり前になってしまった。いまでは新卒4月一括採用を除けば、通年での採用募集は、ほぼ何らかの非正規労働者での採用に絞られてしまった感もある。

 付け加えれば、非正規労働者の増加は、なにも民間企業、中小企業に止まらない。いまでは公務員や学校の教師、それに大学の研究者まで、大企業でも派遣や契約社員、それにいまでは請負労働やギグ・ワーカーといわれる人たちまで、あらゆる労働現場で非正規労働者が拡大している。こんな無権利状態の労働者がまん延している先進国は他にはない。

 こんな不安定で低処遇な雇用のあり方と最低賃金が結びついてしまったのが現状なわけで、これを抜本的に解決する以外に、不安定低処遇問題の解決は不可能だ。

 最低賃金引き上げの闘いは、目先の抜本的引き上げと、長期にわたる日本的雇用と処遇の抜本的解決との結合以外にあり得ない。長い闘いが待っている。(廣)案内へ戻る


  読書室 中北 浩爾氏著『日本共産党「革命」を夢見た100年』中公新書2022年5月刊

○本書は、日本共産党が宮顕党となる必然性、そして今まさに衰退しつつあるのか、その謎を解明している。それが本書の問題意識である。たいへん優れた共産党史ではないか○

 この7月15日、日本共産党は党創立100周年を迎えた。これに先立って出版されたのが、本書である。新書版としては分厚い440頁、関連年表や党組織図等が付いている。

 著者の中北氏は、序章「国際比較のなかの日本共産党」で、東欧革命・ソ連崩壊により世界各国の共産党が路線転換する中、日本共産党の柔軟性と教条性に着目し、ユーロ・コミュニズムとして各国共産党が自立と多様化に向かう中で宮本路線の独自性を強調する。現在の共産党は、宮本以降不破・志位氏と顔は代われども依然として宮顕党なのである。

 本書は6章構成で、序章に続く第1章では非合法下の戦前、主に結党から壊滅までの経緯を、第2章では敗戦後の再建から武装闘争を経て、方針転換を果たすまで、第3章では民族民主革命に基づく平和革命路線と自主独立路線党を内容とする宮本路線の形成と展開を、第4章では東欧革命とソ連崩壊による停滞と孤立に陥った中で宮本路線の大枠を堅持しつつ、部分的な修正を積み重ねてきたことを確認し、終章では追求中の野党共闘の実態と党組織の現状を分析し、いよいよ宮本路線の転換が必要だとして選択肢を紹介する。

 つまり本書の肝は、第3章以降の部分、特に終章である。ぜひ精読をお願いしたい。

 ここで中北氏の問題意識から欠落した部分を指摘しておこう。それは中北氏も認めるように戦前の党は、拷問とスパイを駆使した特高警察と転向により壊滅したことに関連する。

 これに関連しては、『占領神話の崩壊』(中央公論新社)の第四章「共産党殺しの特高警察―GHQへの再就職」で約二百頁にわたって詳説されているので、ここでは省略する。

 最大の問題は、本書でも前掲本でも紹介されていない事実にある。それは、戦前・戦後を通じて最大のスパイは野坂参三であったとの事実認定がなされていないことである。

 野坂参三は、1892年3月30日に出生した。戦前の弾圧期には国外脱出し、コミンテルン(共産主義インターナショナル)日本代表に、戦後凱旋将軍のように帰国すると日本共産党第一書記、議長、名誉議長等を歴任、この間衆議院議員3期、参議院議員4期勤めた。ソ連崩壊時に、大粛清時代に山本懸蔵らをソ連当局に讒言・死刑に追いやったことが発覚し、除名された。中北氏はこの事実に対して和田春樹氏の『歴史としての野坂参三』に依拠し、この除名は事実誤認の上での酷薄な処分だとし、野坂を擁護する立場を取る。

 無知とは恐ろしいものである。野坂は山口県萩市の小野家に生まれたが、9歳で母の実家の野坂家の養子となり、野坂姓となった。問題は、参三の妻・龍氏の義兄(姉婿)が内務官僚・次田大三郎であることだ。次田大三郎は、1916年に後藤新平内務大臣の秘書官に起用され、その後も後藤系の有力官僚として戦前・戦後に活躍しているのである。

 この後藤新平については、台湾総督、初代満鉄総裁、逓信大臣、内務大臣、外務大臣、東京市第7代市長、東京放送局(後のNHK)初代総裁、拓殖大学第3代学長を歴任等の大活躍から、山ほどの後藤礼賛本が出版されているが、注目すべきものは駄場祐司氏著『後藤新平をめぐる権力構造の研究』(南窓社)であることは異論がないところである。この本には、後藤新平の活躍の政治的背景と複雑な人格がよく提示できているからである。

 この本の「序論2 先行研究の検討(15)」に「左翼陣営との関係」、「第三章 後藤新平の左翼人脈」に「1 佐野学 2 佐野硯 3 平野義太郎 4 大杉栄」とある。

 勿論、日本共産党の大幹部佐野学のことである。前掲本には「佐野学は、後藤新平が名古屋時代、芸者に生ませた隠し子を養女として後藤家の籍に入れた静子の夫である医師佐野彪太の弟である。後藤新平と佐野学の関係については怪文書ばかりでなく、議会でも政友会の小川平吉が『佐野学の逃亡事件を後藤子爵が援助した』と後藤内相を攻撃していた」(前掲書二0八~九頁)とある。中北本でも、一旦は逮捕された野坂が眼疾のため早期釈放されイギリスに逃亡した、また佐野学が大弾圧から逃亡した後に逮捕されたとは書くが、何故可能になったのかは書かれていない。この二人は、後藤新平の遠縁に当たるのである。

 ここでまた天下の奇書を紹介しておこう。それは、佐藤正氏著『日本共産主義運動の歴史的教訓としての野坂参三と宮本顕治―真実は隠しとおせない』(新生出版)である。

 この佐藤氏は、所感派の流れを汲む活動家で三十年代からスパイの野坂が指名したのだから宮顕もスパイだの論理を展開するが、逐一検証するには膨大な時間が必要である。

 内務省が共産党に関わった理由は、国体を否定しないように活動をコントロールする狙いがあったのではないかと推測されている。確かに現在、日本共産党は天皇制を容認し、自衛隊の緊急活用を認めるまでとなり、あたかも「国体」を容認しているかのようである。

つまり日本共産党は勿論のこと、中北氏にも日本共産党と後藤新平と内務省・特高警察との真実の関係は一体どのようなものであったのかを追及していく義務があると考える。

野坂を除名しはしたが、都合の悪いことには一切無言でほっかむりを続ける共産党には期待は出来ないが、真実を追い求める意思のある中北氏の今後の研鑽には是非とも期待したいものである。 (直木)


  「エイジの読書室/第1回」 ★『誰が永山則夫を殺したのか/死刑執行命令書の真実』(上)
著者・坂本敏夫(幻冬舎アウトロー文庫、2014年12月5日初版発行)

 今号から新しい連載「エイジの読書室」を始めることにしました。

 私は若い頃から旅好きで日本国内さらに外国に出かけていました。しかし、この3年間コロナ感染の影響で旅行に出かけて行く事もめっきり減りました。この3年間は、私に「読書時間」と言う「素晴らしいプレゼント」をくれました。

 この「エイジの読書室」で、これまで読んだ本の中で是非皆さんに薦めたい本を随時紹介していきたいと思っています。

 第1回で紹介するのが永山則夫氏の本です。私は永山則夫氏と同じ1949年(昭和24年)生まれです。同じ時代を生きていた事もあり、彼の生い立ちと逮捕後の獄中活動は強烈な印象を残しました。そんな思いを持ち続けていた時、昨年東京で元刑務官の坂本敏夫氏の講演を初めて聴く機会がありました。

 まず著者の坂本敏夫氏を紹介します。1947年熊本県生まれの刑務官で。1967年大阪刑務所刑務官に採用される。その後、神戸刑務所、長野刑務所、東京拘置所、甲府刑務所などに務め、1994年広島拘置所総務部長を最後に退官。現在はノンフィクション作家として、『死刑執行人の記録』や『元刑務官が明かす死刑のすべて』(日本文芸社刊、現在文集文庫に収録・2003年出版)等の作品があります。

 本書『誰が永山則夫を殺したのか』の「まえがき」を紹介します。

 「2010年(平成22年)8月27日、東京拘置所の死刑場が公開された。私は『ようやくここまできたか』とある種の感慨にひたった。2003年(平成15年)2月に出版した『元刑務官が明かす死刑のすべて』で絞首刑の実態を発表してから7年半。この日が来ることを、私はひそかに待ち望んでいた。死刑に関する議論を深めていく契機になると信じていたからだ。命と正面から向き合うことでどんな悪党も更生する可能性がある。これは、実際に死刑囚と向き合ってきた私の確信でもある。死刑囚処遇はどうあるべきか。本書が、そうした議論のきっかけになることを願っている。」と述べています。

 永山則夫氏が4人を殺して逮捕されたのが1969年(昭和44年)4月7日。当時永山則夫氏は19歳の少年だった。
東京地裁に起訴された永山氏は東京拘置所に送られ、7月2日にノート使用が許可され『無知の涙』の執筆を開始する。なお、永山氏は1970年(昭和45年)3月に『無知の涙』を出版し、その印税を被害者の遺児に支払う出版契約を結んでいる。

そして、1969年8月8日に東京地裁で初公判が開かれ裁判闘争が始まる。

・1973年(昭和48年/永山氏24歳)、5月『人民をわすれたカナリヤたち』角川書店より刊行。10月『愛か-無か』合同出版より刊行。『動揺記Ⅰ』辺境社より刊行。
・1979年(昭和54年/永山氏30歳)、7月10日東京地裁で「死刑判決」
・1981年(昭和56年/永山氏32歳)、8月21日東京高裁は「原判決を破棄し無期懲役」を言い渡す。
・1983年(昭和58年/永山氏34歳)、2月小説『木橋』が新日本文学賞を受賞。そして、『木橋』が立風書房より刊行。7月8日最高裁第二小法廷は「原判決を破棄と東京高裁への差し戻し」判決。
・1987年(昭和62年/永山氏38歳)、東京高裁差戻控訴審判決で「控訴を破棄し、一審の死刑を支持」。7月10日『捨て子ごっこ』河出書房より刊行。
・1989年(平成元年/永山氏40歳)、『なぜか、海』河出書房より刊行。
・1990年(平成2年/永山氏41歳)、4月17日最高裁第三小法廷で「本件上告を棄却する」と主文を宣言し直ちに閉廷する。
・同年5月8日「死刑確定」。5月30日『異水』河出書房から刊行。12月10日『永山則夫の獄中読書日記-死刑確定前後』朝日新聞より刊行。
・1997年(平成9年/永山氏48歳)、松浦功法務大臣は東京高検検事長に死刑の執行を命令する。

 なお、「上告破棄」について、著者の坂本敏夫氏は次のように指摘。

 「1990年の上告破棄は、日本文芸協会入会騒動(永山氏は編集者の勧めで日本文芸協会理事会に入会申込書を提出するが、入会委員会が決定を保留する。これを受けて永山氏が推薦人に迷惑を掛けたくないと入会を取り下げる)が、最高裁の判断を急がせたのではないかという疑念を私は持っている。」

 「永山は幼い頃母に捨てられた。中学校卒業後は行く先々の職場から追い出され、非行と犯罪を犯しても家裁裁判所は少年院で学科教育を受けさせ、職業訓練を受けさせるなど保護の手を差し述べようとしなかった。この日の最高裁判所の対応は余りにも軽い。命を奪う極刑を確定させる重大かつ厳粛な判断を示す姿勢とは到底言いがたい。これこそ、三審制を保障する司法の根幹を揺るがす暴挙であり、憲法違反の疑いさえあると私は考えている」と述べている。<次号に続く>(富田英司)案内へ戻る


  「何でも紹介」・・・入管行政を問う 中島京子著『やさしい猫』(中央公論新社2021年)

主人公のマヤは3歳で父と死別。母と2人で暮らしていた小学4年の時、母がスリランカ人男性クマラさんと出会いやがて、中学高校へと成長する中で、再婚を勝ち取り新しい家族として歩み始める物語を、マヤの眼を通して語ってゆく。

矛盾、問題だらけの日本の入管行政のもと、3人の前には山ほどの難題が立ちはだかる。ある日、就職先の倒産によって突然失業したクマラさんは、必死になって仕事を探すもかなわず、とうとう就労ビザが切れオーバーステイ、超過滞在により入管施設に収容されてしまう。諸外国では3ヶ月、6ヶ月の収容期限の定めがあり、必ず裁判所が関与するが、日本では全て、入管の裁量ひとつで決められてしまう。

いったん収容されると、いつまで拘束されるのか全く知る事は出来ず、おまけに外部との連絡の自由は制限され、劣悪な食事や環境に体を壊しても、「詐病」とみなされまともな医療も受けられない。自殺者も少なくないという。昨年収容中だったウィシュマさんも、こうした中で死に追いやられたのだと想像する。

本の中で特に驚かされたは、東京オリンピックを前に長期収容者が増加したということだ。つまり「よほどのケガや病気でなければ施設から出さない」という方針の通達が、2019年2月に入管から出されていたという。収容者を犯罪者であるとみなしているのだ。

日本では難民申請したとしても許可されるのは1%未満で、世界と比較しても桁違いに少ない。そもそも難民に対する理解がゼロに近く、「保護」より「管理」、そして「追い出そう」という姿勢が強く働いている。ある人は、発熱のため在留資格の更新がたった1日遅れただけで、退去強制令が出され長期拘留されたという。

「本来は、入国管理局から独立した難民認定機関が必要だ」と作中で弁護士が語る。

この本を読んでもう一つ大きな問題に気づかされた。私たち自身の無知と無関心だ。作中でクマラさんが苦しそうに語る言葉、「日本人は、入管のこと、在留資格のことを、何も知らない。それらをすべて説明するのは困難だと思ったのです」と。本当に私自身、何も知らなかった。

今回の参院選では、初めて議席を獲得した「参政党」をはじめいくつかの政党が、外国人の排除を公言していることに恐怖を覚える。国籍を問わず、人間としてともに生きる社会を心から望む。

「やさしい猫」は、クマラさんが幼いマヤに話してくれたスリランカの民話の題から取ったものであり、そしてマヤがこの物語を語りかけている相手は、マヤにとって愛おしく大切な存在であることを付記しておく。

7月23日の東京新聞によると、2019年4月に「法務省入国管理局」が格上げされ発足した「出入国在留管理庁」の初代長官であった佐々木聖子氏の後任に、今年8月、菊地浩最高検検事が就任と報じられている。
昨年五月に、難民申請者の強制送還をより強力に進めるための入管法改悪案は、ウィシュマさんの死に対する抗議の声もあがる中、大きな反対により廃案となった。ただ再度提出される可能性もある。今後の入管行政を注目してゆきたい。(澄)


  大阪 カジノはいらない! カジノの是非は住民投票で決めよう!

 カジノの是非を住民投票でと求める条例制定署名は210134筆で、そのうち有効署名数は192773筆でした。 法定署名数を約46000筆も超えています。署名運動の実施団体「カジノの是非は府民が決める住民投票をもとめる会」はこの日7月21日、大阪府に条例制定請求書と署名簿を提出しました。署名が法定数を超えたことで、吉村洋文大阪府知事は、住民投票実施の条例案を府議会に提出しなくてはならない。条例案を審議するため7月29日に臨時府議会が招集されます。

 7月21日大阪府庁前で、7・21『カジノ住民投票をもとめる大阪府民アクション』 に参加してきました。参加者は、約550人でした。

 「もとめる会」共同代表の1人、作家の大垣さなゑさんはマイクを握り「今年の3月24日に府議会はデタラメな区域整備計画(大阪IRの具体的な事業計画)を可決した。あの時と今の状況は同じではない。これだけの署名に対し、府議会がどう判断するのか、問われているものの重みが違う」と府議会に住民投票実施を可決するよう訴えました。

 署名簿を前に、72市区町村の代表が一言アピールしました。そして、参加者で大阪府庁を囲むヒューマンチェーン(手はつなぎませんでした)を行いました。

 私はこれで帰りましたが、集会の後は14時、大阪府庁舎別館で署名簿提出と請求手続きを行い、15時、記者会見には在阪メディアなど勢揃いし、この取り組みが大きく報道されました。16時過ぎからは、大阪府企画制作部秘書課・総務部法務課・IR推進局に対して「吉村知事との直接面談を求める」と要請書と「知事への手紙・書簡」を手渡しました。

 大阪IR誘致を進める吉村知事は署名の法定数超えが確実になった先月の段階で「住民投票は必要ない」との意向を示しています。そして7月22日の会見でも吉村知事は、「誘致をする決定の議決もしています。今は国に認可申請をしている段階です。住民投票をする必要はないと思っています。ただこれは議会で最後判断されます。議会を開くというのが法律の手続きですから」。と住民投票は必要ないと言っています。

 大阪IRは現在、「区域整備計画」を大阪府が国に申請済みで、国の審査を受ける段階です。「地域における十分な合意形成」「地域における(IR事業者との)良好な関係」が審査項目にあり、住民投票が行われた結果「反対多数」になれば、国が大阪IRを認可するかどうかに影響します。

 大阪府議会は、7月29日臨時府議会を開き住民投票の条例案を審議しますが、即日採決を強行しようとしています。「もとめる会」の山川義保事務局長は「カジノ誘致計画はここ数年で内容が変遷し、府民に正しい情報が伝わっていない。約20万筆の署名には、カジノ反対だけではなく、府民の不安や疑問が込められている。府議会は議論を尽くしたうえで住民投票の是非を判断すべきだ」と即日採決に反対しています。府議会は、カジノに賛成の維新・公明が過半数なのでこのままいけば、住民投票条例案は否決される可能性が高いです。読者の皆さんが紙面をみる時には、大阪府議会で条例案の強行採決がされているかもしれません。

 大阪府・市の計画では、大阪市の人工島・夢洲(ゆめしま)にカジノやホテル、展示場などを整備します。府・市は今年4月に国へ申請しており、秋ごろに認定を受け、2029年秋~冬ごろの開業という構想を描いています。だが、夢洲では液状化リスクや土壌汚染が判明し、市が対策費約790億円を負担することになりました。ギャンブル依存症の問題も懸念され、府市がIR開業後に年間約14億円を対策に充てる方針ですが、効果は未知数です。

 吉村大阪府知事や松井一郎大阪市長ら維新は、大阪市廃止・分割=トコーソーの住民投票は1回否決されているのに、なんと2回も住民投票をやりました。どちらも否決でした。それなら、今回のカジノの是非を問う住民投票、やるべきです。地方自治法に基づく住民による直接請求である署名約21万筆は重いものですよ。(河野)案内へ戻る


  コラムの窓・・・精神病院経営者と国会議員、献金が取り持つ利害!

 7月18日午後、ジャーナリストの大熊一夫さんの講演がありました。大熊さんの名前は、「ルポ・精神病棟」(朝日文庫)を読んで衝撃を受けたことから記憶に残っていました。何しろ40年ほど前のこと(本は行方不明)なので、内容はよく覚えていないのですが、アルコール依存症を装って潜入したものの、脱出が大変だったような記憶がある。

 演題が「日本は牢獄型治療装置をいつまで続けるつもりか」というそのものズバリの内容で、今も身体拘束、監禁、暴行が横行していると指摘しています。1960年代、日本医師会会長として厚生業界に君臨した武見太郎氏が「精神病院経営者は牧畜業者」だと言ったことを取り上げ、その内容を次のようにまとめています。

 1960年に医療金融公庫が創設され、精神病院の大増設が始まった。武見牧畜業者発言はその結果を予想したものであり、「患者の固定資産化」「ベッドコントロール(新規入院がないと退院は認めない)」「病院の転売(社会的入院者の転売は人身売買では)」「業界から国会議員への多額献金」

 その結果、「宇都宮病院や安田(大和川)病院みたいな、強欲と暴力の無法病院が特別な存在ではなかった状態」が出現し、「起業家は、『看護職に不向きな極めて粗暴な人材』を基準以下の少数雇って入院者にニラミを効かせた」

 さしたる病状もないのに40年間も精神病院に入れられていた方について、大熊さんの試算によると、1ベッド年400万円の稼ぎ、40年で1億6000万円の稼ぎ。入院患者の減少しつつある今、認知症患者の囲い込みが今後の生き残り策と言われています。

 かつての宇都宮病院や大和川病院の監禁と暴力から50年たっても、神戸の神出病院のようにほとんど状況は変わっていません。かつて、宇都宮病院の院長は「北関東医療刑務所」とイキがっていたということですが、精神病院(入管収容所も)には〝刑期〟がないだけ、さらに絶望的監獄と言うべきです。

 大熊さんはイタリアのトリエステを度々訪れ、精神病院を廃止し地域精神保健サービスへの移行の取り組み(日本でも急務の課題)を見ています。フランコ・バザーリアが精神病院をぶっ壊す目的をもってゴリツィア県立病院の院長となったのは1961年、バザーリア派が脱施設化というときの〝施設〟とは、「自由はく奪、管理、支配、隷属、抑圧がルツボで溶かされたような恒久化・惰性化」といった意味付けが行われています。そのイタリアでも、精神病院復活を求める声(医師や家族から)があるそうです。

 神出病院に関しては、「神戸新聞」(7月16日)が『神出病院、事件発覚後も虐待』との見出しを付け、「昨年5月に2例目が発覚した以降も計5件の虐待があり、病院が神戸市に報告していなかったことが分かった」と報じています。こうした実態に対して、兵庫県精神障害者連絡会は「神出病院をただちに廃院にすることを求めます」との声明を神戸市などに発しています。

 ちなみに、医療保護入院制度について「神戸新聞」は7月1日、「廃止に向けた検討続けよ」との社説を掲げました。こちらは、医師が家族らの合意を得て患者を強制的に入院させる「医療保護入院」を、厚労省有識者検討会が当初掲げていた「制度の将来的な廃止」方針を撤回、制度縮小の方向性すら打ち出せなかったことを批判しています。

 その経緯は、お定まりの利害関係者である〝牧畜業者〟の妨害によるものでした。

「看過できないのは、報告書が『日本精神病院協会(日精協)に配慮した結果』との見方が関係者の中にあることだ。自民党の支持団体である日精協の山崎学会長が、検討会で『制度を廃止したら、精神科の医療は完全に壊れる』と発言した」

 名古屋地裁で7月20日午後、名古屋入管ウィシュマさん死亡事件国家賠償請求訴訟第2回口頭弁論があり、その報告集会を映像配信で視聴祖しました。精神病院と並んで悪名高い収容所で事実上殺されたウィシュマさんのふたりの妹さんが求めた295時間の監視カメラ映像の開示を被告国側は拒否しました。また、入管が適切な医療措置を講じる義務を怠り、違法な収容を続けて死亡させたとする主張に対しても、「漫然と職務行為を行ったと認める事情はない」と反論しています。

 あれもこれも、すべてにわたってこの国の対応はかようなもの。日本的日本人と自称する者以外は全てこの国から出て行け、と私も言われた経験がありますが、出ていけるものなら出ていきたい心境です。 (晴)

 
  川柳  (2022/8) 作 石井良司

 国葬にモリカケ桜忘れない
 マスクして三年七波疲れ果て
 ダンベルと散歩老化を迎え撃つ
 歩数計犬の機嫌に歩かされ
 メイドインチャイナを食べる土用の日
 プロの道決めた結弦の華の舞
 失言とジョークにあった紙一重(「際どい」)
 戦争が平均寿命引き下げる(「平均」)
 願い込め承認印のガン手術(「押」)
 核のシェアもっての外と千羽鶴(「外」)
 熊本のアサリの会話外国語(外」)
 コンビニにフクロウが来る午前二時(「働く」)
 戦争は総て利権と裏表(「総」)
 葉月の空に涙する千羽鶴(「空」)
 誠実さ測る心のリトマス氏(「誠」)
 晩学の喜び脳が若返る(「喜」)
 キャッシュレス遺物となった小銭入れ(「財布」)
 ない袖で他国援助をする日本(「フォロー」)
 どんな世も平和を嫌う兵器商(「嫌」)
 大谷がゴミを拾えばファン増える(「行儀」)
 情報戦フェイクニュースが武器になる(「ニュース」)
 アンテナが錆びてニュースが拾えない(「ニュース」)
 核保有びっくりしてる八月忌(「夏」)  案内へ戻る


  読者からの手紙・・・ウクライナ戦争

 『読者のHさんよりの投稿です。ウクライナ戦争を、ロシア・ウクライナ両資本間の戦争ととらえています。そして、戦争を終わらせることができるのは、ロシア・ウクライナ人民としていて、いい内容だと思います。(河野)』

 ロシア資本とウクライナ資本

 ロシアは、ソ連のイメージで共産主義または社会主義だと思っている人が多い。しかし、ロシアはそれが崩壊してできた資本主義国です。欧米と同じ資本主義経済の国です。

 ソ連時代のロシアは、共産党が経済も支配して国営企業でモノを生産していましたが、ソ連解体後は、オルガルヒと呼ばれる金持ちたちが企業を所有し、金もうけにはげんでいます。

 オルガルヒとは、元共産党幹部や国家官僚で、ソ連解体の時うまく立ち回って、国営企業や国家財産(軍事物資、石油・天然ガス等資源)を格安で手に入れ、金もうけに成功した富豪たちのことです。

 プーチンはそのオルガルヒの一人ですが、軍事・警察権力によって、他のオルガルヒを手なずけて独裁政治を行っています。ただしオルガルヒの財力に支えられている面もあり持ちつ持たれつの関係です。オルガルヒの支持を失うと、プーチンといえど大統領でいられなくなります。

 一般のロシア国民は、欧米と同じ、賃金をもらって働く労働者です。

 ウクライナも、実はロシアと同じ資本主義国です。ソ連時代のウクライナはロシアと同じ共産主義体制の国でしたが、ソ連解体の過程で、ロシアと同じように新しい金持ち(オルガルヒ)が誕生します。今では、ウクライナ議会はオルガルヒが多くの議席を占め、政治を動かしています。

 一般のウクライナ国民も、ロシアと同じく賃金労働者です。しかも安い給料で雇われています。

 ですから、ウクライナ戦争は、ウクライナ資本主義国とロシア資本主義国の戦争です。

 資本主義国では、お金があれば何でも買えます。何でもできます。(宇宙にだって行けます)たくさんお金があれば多くの人々を動かすことができます。つまり、資本主義国では、資本(お金をたくさん持っている者)が政治を動かします。政府は、資本の要求に従って政治を行うのです。(そして資本の要求は「金もうけのシステムを維持し発展させろ」です)

 今回のウクライナ戦争のきっかけとなったウクライナのEUおよびNATOへの加盟要求は、ウクライナ資本(オルガルヒ)の要求です。

 ウクライナのオルガルヒたちが、今までのようにロシアと貿易していてもたいしてもうけにならない。世界中でもうけまくっている欧米の巨大資本と手を組んだほうがずっともうかるぞと判断して、ゼレンスキー大統領にロシアと手を切って欧米と付き合うように圧力をかけたのです。

 欧米のウクライナへの接近は、ソ連解体直後から始まっていました。(資本はもうけ話があれば、世界中どこでももぐりこんんでいきます)欧米資本は、ウクライナの富(小麦・トウモロコシ・石炭・鉄鋼・安い労働力など)を虎視眈々と狙っていました。

 ロシア資本は、いつウクライナを欧米に取られてしまうかビクビクしていました。資本主義というのは、もうけ競争に敗れると、買ったほうに合併吸収されてしまうのです。ウクライナを失えば、ロシア資本は一気に衰退、滅んでしまいます。ロシア資本が生き残りをかけて‘‘ウクライナ取り’‘にでたのが今回のロシア侵攻です。

 「独裁者プーチンは気が狂って侵略戦争を始めた」みたいに報道されていますが、プーチンの背後にはロシア・オルガルヒたちがいて、プーチンにウクライナを失わないように圧力をかけているのです。プーチンがウクライナに取りに失敗すれば、たちまちロシア大統領の地位を失うでしょう。

 ゼレンスキーも同じです。毎日女こどもの死者が出ていても、徹底抗戦を叫んで戦争をやめようとしないのは、ゼレンスキーの背後にウクライナ・オルガルヒたちがいるからです。ウクライナ・オルガルヒがロシアにウクライナを取られないように圧力をかけているのです。

 ウクライナ戦争は、ウクライナ・オルガルヒとロシア・オルガルヒの戦争です。ウクライナ資本とロシア資本の戦争です。

 戦争を止めるには

 資本に取りつかれているオルガルヒに、戦争を止める気はない。戦争は「もうかる」。現に武器・兵器・軍需物資の輸出で、欧米の軍需産業はもうかっている。ロシアやウクライナの軍需企業も、在庫一掃でもうけを手にしている。戦争は「大資本」の大好物なのです。

*「資本」とは、金もうけの妖怪のこと。人間に取りついて、金もうけの我利我利亡者にする。

 ロシア・ウクライナの国民が、オルガルヒ(金もうけに夢中になっている連中)の戦争に巻き込まれて、戦場に引き出されて殺し合いをさせられている。

 金持ち連中の戦争なのに、なぜ貧しいい国民が殺し合いをしているのか。それは、この戦争が「オルガルヒたちの戦争だ」ということが分からないからです。「狂った独裁者の侵略戦争」とか「独裁者対民主主義の戦い」とか「ロシア人とウクライナ人の民族対立」などのすり替えが行なわれていて、ロシア・ウクライナのオルガルヒが全く見えなくされているからです。

 プーチンもゼレンスキーも、国民の愛国心につけこんで国民を戦場に連れ出している。ウクライナの国民は「国を守るために」と言われて志願兵になってロシア兵と殺し合いをしている。ロシア兵は「ウクライナ人にいじめられているロシア人を助けるためだ」とだまされて戦場に連れてこられている。

 この戦争を終わらせるのは容易なことではありませんが、終わらせることができるのはロシア・ウクライナ両国民だけでしょう。

 ロシア・ウクライナ両国民がまず、「戦争はイヤだ」「人を殺すのも殺されるのもイヤだ」と声を上げることです。そして、ロシア国民はプーチンに、ウクライナ国民はゼレンスキーに「今すぐ戦争をやめろ!」と命令することです。

 ところが、どこの国の国民も「お国のため」という文句に弱いようで、日頃「反戦」を信条にしている者でも、いざ戦争がはじまると簡単に銃を手にして「お国を守る立派な兵士」になってしまうのです。

 多くの国民が、政府に「戦争はヤメロ!」と命令して、戦争を止めるには、それなりの運動(反戦運動、労働運動、社会運動など)が必要なのです。

 今のところ、ウクライナ、ロシアばかりではなく、世界中どこにもこうした運動が見られないのは残念です。

 命は一つ人生は一回だから命を捨てないようにね 
 慌てるとついふらふらとお国のためなのと言われるとね
 青くなって尻込みなさい逃げなさい隠れなさい  教訓Ⅰ(加川 良)より (H)案内へ戻る


  色鉛筆・・・「患者1人1人に寄り添う医療を」 医師の長純一さんを偲んで 

 東日本大震災で被災した住民らの医療ケアに尽くした元石巻市包括ケアセンター所長で医師の長純一さんが六月二十八日、五十六歳で死去されました。

 長純一先生は、東京で生まれ、奈良で育ち、信州大学医学部を経て、主に長野県佐久の地で若き日を過ごし、東日本大震災を機に石巻に来られました。

 五月の連休明けに体調の異変を自覚し、五月末に腹水貯留の診断を受け、六月二日に末期のすい臓がんであることがわかりました。

 医師として、自身に残された時間が長くはないことを自覚し、最期まで社会生活を送りたいと、自らも担ってきた在宅療養を選択されました。

 「日本一恵まれた医療を受けている」

 長先生からフェイスブックを通じて皆さんに大切なお知らせがありますと連絡があり末期がんであることを公表されました。そのお話の中で、「石巻で地域包括ケアを推進する立場から、ケアを受ける患者の立場になった。近くの中核病院で治療を受けると同時に、自宅ではかつて務めた石巻市立病院の後輩たちが面倒を見てくれ、看護師もすぐ飛んできてくれる。周りに仲間がいて、日に日に病状が悪くなっても自宅の方が安心できると思えた。私は日本一恵まれた医療を受けている」と話されていたことが、とても印象的でした。患者の視点で考えて在宅ケアの仕組みを準備し、そこに報酬が認められる形になればサービスの隙間を埋めることができ、在宅医療の可能性はもっと広がると話されていました。

 新型コロナウイルス禍でも医療と介護の連携がうまく機能しなかった。行政が主導すべきで、特に県は医療に責任を持つ立場だが民間との協働が苦手だ。行政の目線を変える必要があるという気持ちを持たれ、石巻市長選や知事選に立候補され精一杯戦われました。

「長先生が伝えたいこと」

 これからの医療は福祉的な見方がなければいけない。つらい人のそばで苦痛を和らげるのが本来の医療であって、病気を治すことだけが医療ではない。総合診療や在宅ケアを学び、患者中心の医療を幅広く考える医者が増えてほしい。選挙活動中も療養中も、かつて診た多くの患者さんや後輩医師が応援のメッセージをくれた。今までやってきたことの回答だとすれば、すごくうれしい。私の心が誰かの中で息づいてくれれば大満足で、死ぬことは全然怖くない。3歳の娘には申し訳ない。どんな子どもも大事にされる社会を目指して戦ってきた。子どもを第一に考え、母親が支援される社会になってほしい。

 長先生が目指されたことを引き継いで、私なりにできることに取り組んでいきたいと想います。(弥生)

 案内へ戻る