ワーカーズ635号(2022/10/1)
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《安倍国葬》国葬強行の岸田政権を追い詰めよう!――失策追及から対抗勢力づくりへ
昨年の総選挙と今年7月の参院選で勝利し〝黄金の三年間〟を手にしたはずの岸田政権。その足下が大きく揺らいでいる。
直接的な要因は、一方的に決めた安倍元首相の国葬強行と、その安倍元首相をはじめとした自民党議員と世界平和統一家庭連合(=旧世界基督教統一神霊協会)との癒着だ。
あの参院選での銃撃による衝撃的な死亡で、当初は献花や弔意の拡がりが報道され、岸田首相は事件からわずか6日後の14日に国葬実施を表明し、2週間後の7月22日には国葬を実施すると閣議決定してしまった。
憲政史上最長を誇った安倍元首相を顕彰する儀式を采配することで、〝非業の死〟を遂げた安倍元首相への追悼の声を岸田首相自身が回収する狙いだったろうし、党内掌握と自身の政権安定を意図した政略が絡んだものだった。要は安倍元首相と同じ、政治の私物化だ。
岸田首相がいう〝弔問外交〟はどうか。米国のオバマも来ないし、安倍元首相と首脳どうりの〝蜜月〟を築いたとされるトランプも来ない。長年首脳として併走したドイツのメルケルも来ないし、G7で唯一参列予定だったカナダのトルドーも参列中止だ。安倍元首相の外交実績、外交遺産といってもこの程度なのだ。
これとは別に、山上容疑者の供述などから、旧統一教会の悪行と自民党議員の癒着が曝かれて、潮目は一変した。とりわけ安倍元首相自身が選挙で旧統一教会票の采配までやっていたことが暴露され、世論の風向きも一変した。
現時点では、自民党と統一教会の癒着に批判が集まっている。が、日本の場合、自民党政権自体、とりわけ今では自民党主流派になった安倍元首相率いる保守派の極右的性格こそ批判が向けられるべきなのだ。
欧州で極右といえば、まず移民排斥が目を引く。その欧州で移民排斥は極右の専売特許であるのに対し、日本で移民排斥の当事者は、出入国管理庁や政権・政府そのものなのだ。水戸地裁では、14年に収容中のカメルーン男性が死去した事件で国に賠償命令を出した。昨年3月には、スリランカ人のサンダマリさんが収容中に死亡した事件などの悲劇も起きている。
安倍前政権の〝戦後レジームからの脱却〟も、国家主義の戦前回帰への政治姿勢で欧州でのネオ・ナチ台頭と重なる。
岸田首相が独断で決めた国葬についても様々な反論や疑義が提出されている。法的根拠無き国葬実施を決めたことへの批判、それに、評価が分かれる元首相に巨額の国費を投入することへの疑義、安倍政治賛美を国民に強要することへの批判などなど、それらは全てその通りだ。現に、世論も国葬賛成に対して反対が二倍にもなっている。
そもそも、葬儀というのは、いつの時代であっても生者のためのに行われる行事だ。一般の人々にとっては、身近だった死者に対する永遠の別れなど、生者の気持ちの整理・区切りをつける儀式だ。
それに対し、国葬というのは、国家(=天皇制)への功績を基準に、国家あるいは天皇の名において顕彰するものであって、実施そのものが国家への国民統合や忠誠心を強いるものだからだ。だから本来は当事者主権、民主主義とは相容れないものだ。
発足1年の岸田首相は、〝令和版所得倍増〟を似て非なる〝資産所得倍増〟にすり替え、原発回帰、新冷戦への加担、軍事費倍増等々、安倍政治路線の延長線を進んでいる。
私たちとしては、これらのうねりを一過性の岸田内閣不信任に止めることなく、対抗勢力の拡大に結びつけ、岸田自民党政権への包囲網を拡げていきたい。(9月26日 廣)
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再び動き出したロシア民衆の反プーチン闘争に連帯を!
ロシアのプーチン大統領は9月21日、ウクライナをめぐり「部分的な動員令」の発動を宣言した。ウクライナを侵攻中のロシア軍は今月に入り、占領地を奪還されるなど大幅な後退を強いられている。
■プーチン政権の挫折と「部分動員」の衝撃
報道によれば、国民向けのビデオ演説でプーチン氏は、ウクライナ政府を支援する西側諸国によって、ロシアの「領土的一体性」が直接脅かされていると述べた。また北大西洋条約機構(NATO)に対し、核保有国であるロシアはあらゆる兵器を使って、西側の「核の脅迫」に対応できると警告した。(BBCより)
プーチン政権の戦争の拡大と徴兵の増大に直面してモスクワ、ペトログラードをはじめとしたロシア全土で激しい反戦行動が発生し、ロシア政府は容赦ない弾圧を加えた。
また、反政府側の報道では「部分動員」とは伝えられた30万人ではなく100万人、すなわち予備役兵の半分の動員を秘密裏に計画しているとの情報が流され反発は強まった。
■崩れ去った「特殊作戦」の虚構
ロシアのウクライナ全面侵攻は、それにもかかわらず限定戦争(特殊作戦)と位置付けられてきた。何という帝国主義者の放漫さと欺瞞ではないだろうか。
今までウクライナに侵攻したロシア兵は動員されたプロ軍人、希望契約軍人、とくに地方の少数民族や経済的困窮者などが、比較的高い報酬目当てに参加したと指摘されている。あるいは武装勢力の金稼ぎがいる。
つまり、モスクワやサンクトペテルブルク等の大都市部の普通の一般ロシア人からすれば、「特殊作戦」という政府のプロパガンダもあり、それほど深刻に戦争の脅威を感じなくてもよかったのである。今やこんな虚構が崩れ去り、戦場がロシア人の眼前に現れ、ロシア社会は混乱し、戦争に反対する者、国外脱出を目指すものが増大している。
■欧米諸国政府からの「支援」は欺瞞に満ちている
多大の犠牲にもかかわらずウクライナ人民は侵略に屈せずロシア軍に抵抗を続けている。一般のマスコミにおいては欧米諸国の最新兵器の大量供与、その他作戦指導や軍事訓練、情報提供等の総合的軍事支援が前面に取り上げられ、過大に評価されている。
ウクライナの左派活動家は怒りをもって真逆のことを指摘する。欧米からの最新兵器はごく一部であり、多くは古い武器を在庫一掃のためにウクライナに高く売りつけている、と。とにかく闘う意思のある人民は多数いるが武器はまだまだ足りないのが現実である。(ロシア軍の欠点が人員の不足と戦意の欠如であるなら、ウクライナ側の欠点が武器の絶対的不足である)もちろん、西側の武器「援助」「提供」とはすべて有償であり、ウクライナは莫大な借金を作りながら戦争を遂行しているのだ。
欧米諸国はウクライナを金融支配したいのだ。ロシアとは異なったスマートな支配というわけだ。そればかりではなく欧米諸国は「ウクライナ支援」を、ロシアとのエネルギー問題をはじめ安全保障問題や和平交渉の取引材料として取り扱い、意識あるウクライナ兵士の激しい反発を買っている。たとえば彼らは言う「欧米政府にはウクライナ国内に線引きする(ロシアとの国境線を定める)権利は無い」と。
ウクライナの粘り強い対侵略戦争は「服(まつろ)わぬ民」として長い歴史の中に刻み付けられてきたものに支えられている。帝政ロシア・ソ連・ポーランド=リトアニア、オスマン帝国・ナチスドイツそしてプーチンロシア・・被抑圧者としての長年の抵抗の文化が生み出したものなのだ。
■戦争の原因は何か?
戦争を止める手段はあるのか?
二月の戦争開始とともに、多くの西側の左翼やリベラル派の見解は「戦争の原因はNATOの東方進出」にあり、それに恐怖したロシアは緩衝地帯としてのウクライナの支配に乗り出したと。しかし、この見解は今や一面的なものであることが明らかである。ロシアの戦略はウクライナの領土・領民の獲得と支配であり、同じことだが豊かなウクライナの資源の獲得である。つまり世界的穀倉地帯の支配および半導体関連の希少資源の獲得・・そのような侵略主義なのである。
プーチンは以前より温めてきた思想を去年七月に「論文」として上梓。ウクライナは独立した国家ではないと断言し侵略を正当化した。「ボルシェビキの行政区分でしかない〈ウクライナ〉」の従来の「区分線」を撤廃するというのだ。この戦争を止める手段はあるのか?
■ウクライナ解放戦争とロシア民衆の共同の闘いはすでに始まっている
核大国であるロシアの横暴と侵略を止めさせ現在の危機を脱するには、ロシア人民の闘いが決定的である。しかし、ロシア人民の闘いは孤立したものではないし、孤立していては成功しない。むしろ客観的にウクライナの人民の切り開いている解放戦争と結びつくのである。つまり、ウクライナのロシア軍との粘り強い闘いこそが、ロシアの反戦闘争を高め、帝国主義の政治に変更を迫れるのである。
最新兵器を持とうが持つまいが、ライフル銃一丁でもウクライナ民衆の文字通り必死の闘いこそ、現在ロシアで広がった反戦市民運動を誘発し、それを支えているのである。この両者は連絡を取り合っていたのではないが、客観的に同じ地平に立ち同じ闘いを展開している。それはプーチンの帝国主義の打倒である。プーチンとの駆け引きに終始するバイデン、マクロン、シュルツなどではなく、ウクライナとロシアの民衆の真剣な闘いこそが戦争を停止させられるのだ。
■ウクライナ民衆の抵抗戦争は国内の偽善者にも向けられる
すでに述べてきたように欧米諸国政府は、ウクライナを債務の罠に絡めとりつつ将棋の駒として利用しようとしてきた。そしてそれに呼応するウクライナ内部のオルガルヒらブルジョア勢力が国内政治の主導権を握って来る。(「財閥資本主義が主導するウクライナ「解放」戦争という欺瞞」ワーカーズ633号参照)ウクライナ国内は階級に分裂している。
彼らウクライナのブルジョア階級は、プーチンよりも露骨に「戦時下」ということを活用し国内の諸政党や労組の活動を大きく規制し新自由主義的政策、すなわち企業や職場に資本の専制を打ち立てようと反動的法律成立のために公然と活動している。ウクライナの民衆は反撃し、オルガルヒらの巨額の資金と工場などを没収して財政を再建しつつ対ロシア解放戦争を推し進めるべきである。彼らは民衆の戦いの遂行を分裂させ混乱させており、今後いずれかの時点で彼らとの戦いが公然と前面に現れるだろう。(阿部文明)
旧統一教会の教義は現実の中で破綻している
旧統一教会の教典『原理講話』
韓国の人口は約五千二百万人。その三割はキリスト教徒だとされている。何故多いのか。一つには朱子学の支配した韓国には中国の天命思想を天上の最高神ハヌニム(天なる父)とする信仰がありキリスト教を受け入れ易かったこと、もう一つには苦難の歴史を歩んだユダヤ人・イスラエルの民と自分たちを重ねる意識が強いことが上げられる。韓国人にとって現人神である天皇とは、まさにモーゼと対峙したエジプト王パロだったのである。
二十世紀初頭の厳しい韓日関係の中でキリスト教は、反日の抵抗思想の基となる。伊藤博文暗殺に関わった安重根もカトリック信者だ。また朝鮮戦争後にもキリスト教信者は急増した。実際、一九二0年生まれの文鮮明は、朝鮮植民地時代に成長し日本にも留学した。帰国後は神から啓示を受けたと布教を開始するも、異端の教えを広めたとし、逮捕され北朝鮮の刑務所生活と朝鮮戦争を経験するなどのたいへんな辛酸を舐めたのであった。
この体験のために、文鮮明の反共主義は徹底しており、KCIAが利用したのである。
一九六六年、旧統一教会の教典『原理講論』は韓国で出版される。翌年、日本語版が刊行された。『原理講論』とは、五二年刊行の文鮮明『原理原本』を基に文鮮明の高弟・劉孝元がこの間の文の説教を纏めて整理したものだが、聖書とは大きく異なり、揺るがせに出来ないほどの異端な解釈ばかりか、土着のシャーマニズムや陰陽道と文鮮明の私的体験等が色濃く反映された反日思想・韓国中心主義が盛り込まれている点にその特徴がある。
では『原理講論』の極端に異端な見解とは一体どのようなものか。以下に要約する。
アダムとエバが神の許可なく知恵の木の実を食べたので楽園を追放されたとの創世記の神話を、神の許可なくサタンと交わったから追放された、と文鮮明は独自の解釈をする。
すなわち文鮮明は、堕天使ルシファーは嫉妬に駆られてエバを誘惑し、エバは処女であったが「神のように目が開けることを望み、時ならぬ時に、時ならぬものを願」い、両者には授受作用(相互作用)が生じて、「不倫なる霊的性関係」を結んだとする。そのため、アダム以降のすべての人間は、善と悪、神の要素と堕天使の要素を併せ持つ存在となり、アダムはエバと性的関係を結ぶことでエバがサタンから受け継いだすべての要素を受け継ぎ、子々孫々にもサタンの血統が継承されている、と文鮮明はかく敷衍するのである。
これが文鮮明のいうところの「原罪」である。原罪は遺伝によって伝わるとされ、その罪によりアダムとエバは人類を偽りの主サタンに仕えさせることになった、と文鮮明は信者に信じ込ませる。さらに文鮮明は、イエス・キリストは本来、サタンが不当に奪った神の「主管性」を回復し、堕落した人類を原罪のない善の人類に産み直し、神を中心に据えた新しい人間の血統を築き、地上天国を築くために来たのだが、神はユダヤ民族をはじめとする全人類を救うための代償としてイエスの肉体をサタンに引き渡さざるをえず、イエスの肉体はサタンのために虐殺されたので、イエスの肉体が復活することはなく、今は霊人間として神のもとに生きているとした。つまり文鮮明はイエスで霊的救いは達成されたものの、肉体的救いは達成できず新しい血統を築くことはできなかったため、イエスは結局は敗北し神の救いの摂理は完成されていないとしたのである。まさに独自の主張である。
この荒唐無稽の説教に続けて文鮮明は、韓国中心主義を展開する。エバが一人前になる前の幼いアダムを育てる責任を負うように、元々サタン側だった日本は、神とメシアに対して大きな負債も負っている。したがって再臨のメシアである文鮮明・韓鶴子夫妻の韓国やアメリカなどでの地上の「闘い」を日本は物心両面で支えねばならないとするのだ。
神とサタンの世界史的な闘いにおいて、神側とサタン側にそれぞれエデンの園を再現する形でアダム国家、エバ国家、天使長国家がある。第二次大戦以降、神側のアダム国家は韓国、エバ国家は日本、天使長国家はアメリカだ。それゆえ文鮮明は渡米したのである。
韓国は元々世界を支配するアダム国、日本は韓国に従属するエバ国である。それゆえ、文鮮明はアダム国家になる予定だった韓国を植民地化し、韓国の文化を破壊した罪深いエバ国家日本をアダム国家韓国の植民地にすること、天皇を文鮮明にひれ伏させることが必要であるとし、その罪を清算するため、日本は自分の持つものすべてを韓国に惜しみなく与えなくてはならず、日本人は韓国に徹底して奉仕しなければならないとしたのである。
文鮮明は、強烈な反共主義の他に鬼面人を嚇すような韓国中心主義を持っているのだ。
つまり旧統一教会は、わが教祖の文鮮明こそ「再臨のイエス」=「人類と霊界を結ぶ比類ない存在」と認めることが信仰の前提であり、神の愛を中心に結婚し完全な子供を産み、真実の家族を作ることで地上の楽園(地上天国)を実際に建設できるとするのである。
来年の五月には、旧統一教会は「天一国(神様の理想が完成した国)の中央庁」と位置づける「天苑宮」の建立をめざしている。総工費約三百億円の一大プロジェクトには、信者の一家庭当たり百八十三万円の献金を求めている。韓鶴子総裁の現年齢と創始者の故・文鮮明が生きていれば来年百三歳になることから、百八十三万円の金額になったという。
何という驚くべき、かつ倒錯した信仰ではないか。ソロモンのように地上の栄華を追い求めるのではなく、まず神の国を求めよが、本来のキリスト教の姿ではないか。
旧統一教会の信仰生活と家庭観
『原理講論』は、創世記の「生めよ、増えよ、地を従わせよ」を三大祝福とする。彼らは、「生めよ」を人格完成、個性完成せよと解釈し、「増えよ」を子供を産み増やせ、家庭完成せよと解釈し、「地を従わせよ」を万物を主管せよと解釈する。そしてこれらが神が人間にだけ与えたもので、神、人類、その他の生物の調和のとれた理想的な世界を創造することを意味し「万物世界に対する人間の主管性の完成を意味する」とされているのだ。
しかし旧統一教会信者に信仰として実際に要求されるものは、「原理」の中核にあたる救済の「蕩減復帰原理」である。またこの復帰のプロセスは、神と人間の関係での縦の次元と人間同士の関係での横の次元があり、復帰は信心や行いではなく蕩減(償いの意)によって得られるとされ、信者は人類がメシアが出現できるだけの「基台」=条件を築くように務めなければならない。この救済の摂理の成就は、自らの信仰と働き次第であり、自らの財産ばかりでなく完全な献身を求められている。これが蕩減復活原理の内実である。
旧統一教会では「先祖の罪業を辿って償わないと不幸になる」との論理を教義の一つとしており、先祖一人当たり七十万円以上の定額寄付を促される。旧統一教会は、日本の信者に「先祖があまりにも多くの罪を犯したせいで子孫が苦しんでいる。だからその罪を帳消しにしないといけない」と、先祖の犯した植民地支配の罪を償うため日本人信者はあらゆる献金をし、先祖「解怨」をし、懺悔する気持ちで多額の献金せよと説くのである。
最終的に信者の財産を絞り尽くすためにも、定額寄付は信者の資産ごとに約束させ、場合によって縄文時代までの家系図を遡るように作成され恐怖を植え付けさせ続ける。統一協会の教義の異端中の異端はここにある。そもそも祖先などキリスト教は問題にしない。
彼らの「万物復帰」との教えは、「全ての万物は神に捧げなければならない」との旧統一教会の集金方式であり、信者の全財産を捧げさせるためのものだ。要は植民地時代の韓国民族の恨みを解くことであり、エバ国家日本で資金を厳しく調達し再臨のメシア文鮮明の世界的な活動に使うために韓国に持ってくる、これが旧統一教会の本質なのである。
こうした主張のどこにキリスト教本来のものがあるというのか。まさに異端そのものだ。
旧統一教会は元信者を中心に実に多数の損害賠償請求訴訟で訴えられている。当然だ。経緯を省略して金額だけを紹介すれば、一九八八年には七千五百万円、九二年には十九億三千万円、九六年には二件あり、各々十六億四千万円、十三億二千八百万円であった。
ここで示唆的な事実を紹介。九八年頃、統一教会の元信者の男性が教団に対し、十九億円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に提起した。男性は栃木県の資産家の家に生まれ、大学在学中に入信、以後、多額の献金を求められて、八六年から九一年までに総額三十二億を寄付し、先祖代々の土地の大半を失ってしまった。教団は当初争う構えを見せたが、最終的に十九億の支払いを認める形で和解した。弁護団は判決回避のためとみている。
0五年から一0年にかけて、警察による霊感商法の摘発が相次いだことから、不特定多数を狙った霊感商法は下火となる。そのため、旧統一教会の集金方法は「狭く、深く」なってゆき、資産家の信者から計画的に大金を搾取するように変化していったのだという。
このようにしてかき集められ大金は毎年数百億円であり、すべて文鮮明に送金される。
今年の七月、教団による被害の救済に取り組む「全国霊感商法対策弁護士連絡会」は、毎日新聞の取材に対し、献金の違法性を認定し、返金を命じる民事裁判の判決が近年も相次いでおり、教団は現在でも信者に献金や奉仕を強要している、と強調したのである。
この万物復帰の修行を積むと合同結婚式が用意される。イエス・キリストによる救済は霊的救済のみに留まり子孫を残さず天に上げられたため、肉的救済はメシヤに託され、文鮮明夫妻が人類の真の父母として信者に「祝福」を与えなければならないからである。
この結婚式は、文鮮明・韓鶴子夫妻が司式する合同結婚式で教祖に配偶者を決めてもらう信者同士の結婚式である。結婚したカップルだけが天の御国に入ることができ、祝福を受けた家庭からは原罪のない子供が生まれるとされる。だから旧統一教会でも特に重要な儀式である。これによってサタンの血統から自由になり、メシアの血統に結び付く。そして無原罪の子を生み、神を中心とする真の家庭を完成させることができるからである。
現在では、当初あった四十日間の分離期間を除く蕩減条件は削除されている。そして過去から現在に至るまで教団で祝福する男女のカップルのマッチングは、女性(妻)の方が一~四歳程度年長である「姉さん女房」となるように組み合わせられる場合が多い。教祖一家の文一族や既成祝福の場合を除き、男性(夫)が年長者であるカップルは稀である。
宗教二世信者における旧統一教会の教義の破綻
ではこのように文鮮明らに祝福された合同結婚式により誕生した宗教二世信者は、真の家庭で神からの愛情に包み込まれた家庭生活を享受しているのだろうか。それが問題だ。
一六年一月、前年からシールズが反安倍内閣の護憲闘争を強化したのに呼応する形で「国際勝共連合大学生遊説隊ユナイト」が活動を開始するや瞬く間に全国で十数カ所に支部が結成された。まさに名は体を表している組織なのだが、旧統一教会ウォッチャーの鈴木エイト氏が構成員にインタビューしたところ、ほとんどが旧統一教会の二世信者だった。
確かに真の家庭からは反共闘士が生まれることだろう。しかし問題は隠れた部分にある。
旧統一教会の教義の破綻が深刻な社会問題になっているのは、実に両親が教団の信者の合同結婚式で誕生したはずの、原罪のない子供たちとされる宗教二世信者の問題である。
彼らが信仰を捨てた理由が実に切実である。ここでは、主なものを紹介しておこう。
彼らは、幼少期から両親に信仰を強要されたり、教義に従う生き方を強制される心理的虐待を受けてきた、また両親が教団に上納する献金のために貧困に苦しんだ、との証言が多数の出版物となっており、広汎に流通している。実に想像を越えた事態ではないか。
それらによると、現在二十代の女性は、幼い頃から親に従い信仰をしてきたが、徐々に違和感を感じたという。小学生の時に、教祖・文鮮明の血が入っているとされる赤ワインを飲まされると「まずくて、気持ち悪かった」と感じたといい。中学生くらいから、信仰を拒否するようになった。親は給料の大半を教団への献金に費やしてきたといい。狭いアパートで高価な統一教会の「聖本」や「壺」に囲まれて生活をしていたという。
別の女性は、「絶対に異性を好きになってはいけない」と恋愛を厳しく制限されていたことを明かした。恋愛に興味を持たないように、本や漫画、テレビ番組も厳しく制限された。二十代になって恋人ができ、そのことを親に打ち明けると「お前はサタンだろう!」と相手を脅迫しにいき、破局に至った。女性の弟は「合同結婚式」に頼らず、自分で相手を見つけて結婚したが、弟がそのことを打ち明けると、親が「殺しに行く」と言ったため、警察沙汰になった。その結果、弟は親と絶縁したという。
別の三十代女性は、両親は布教活動などに熱心で家を留守にすることが多く、夕食は一人で食べることがほとんどだったと語る。両親は給料の大半を教団への献金に費やしてきたため、生活は貧しく、小石や虫が混じる「くず米」を食べていたという。やはり家には壺や印鑑、多宝塔が置かれ、文鮮明の写真が飾られていたという。
別の二十代後半の「二世信者」の女性も、幼少期から貧困に悩まされてきたという。小遣いは一円ももらえず、親戚からもらったお年玉も献金のため没収された。服もボロボロで、集団登校では『くさいから来るな』といじめにも遭った。高校生ではじめたコンビニのアルバイトで稼いだお金も、全額両親に渡していたという。
四十代の「二世信者」の女性は「親孝行になるんだ」と親に従い高校生の頃に入信した。二十一歳の時に「合同結婚式」に参加、結婚前に一度も会ったこともない当時十九歳の韓国人と結婚した。夫は無職で気に入らないことがあると度々暴力を振るった。しかし教団に相談すると「あなたの信仰が足りない」と言われただけだった。男性とは離婚に至り、教団が紹介した別の男性と再婚したが、男性は女性のクレジットカードを使い込み、女性は自己破産に至ったという。
二0二二年八月二十三日、立憲民主党は国会内で元信者からヒアリングを行った。夫と子供と共に出席した「元二世信者」の女性は、両親が高額な献金をしたために家庭環境は貧しくそれが原因でいじめを受けたこともあり、高校生の頃からアルバイトをしていたが二百万円あまりの給与はすべて献金のために両親に没収されたと証言した。両親は現在も熱心な信者で、父は教会長を務めていたことがあり、母は婦人部長などを請け負い政治の面でも選挙活動の手伝いやウグイス嬢をしていたという。また女性は結婚前に参加が義務付けられている修練会において公職者からセクハラを受け、韓国にある教団施設では精神が崩壊した信者を数多く目の当たりにするなどし、二0一六年頃に脱会した。
これらの実話を聞くと、私には「王様は裸だ」の寓話が思い出される。旧統一教会信者の洗脳された両親には、文鮮明は光り輝く姿に見えたが、合同結婚式により誕生し、信仰の悲惨な内実を知る子供には文鮮明の真の姿が実によく見えたのである。これが真実だ。
論より証拠。こんなことで神からの愛情に包み込まれた家庭生活を享受しているといえるのか。旧統一教会の教義はまさに現実の中で破綻しているのである。 (直木)
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つながる点と線…「七生養護学校事件」と統一教会
「七生養護学校事件」(2003年東京)もまた統一教会が背後におり深くかかわっていた、との報道を見て驚きました。障がい者教育関係者から送られた以下の動画だ。まえにも「赤報隊事件」(朝日新聞阪神支局襲撃事件)の裏に統一原理教会の存在があり、当時の警察やジャーナリストの真摯な捜査が(妨害に遭いながら)続いてきたことが報道されたが、またか、の想いだ。
■KNB金曜ジャーナル/特集「性教育と統一教会」
ドキュメンタリー動画の中に統一教会の動きが紹介された。2000年に入り自民党への統一教会の浸食が進み、それと並行して当時、安倍晋三氏は幹事長(2003年)~官房長官(2005年)そして総裁を狙う位置に台頭(2006年9月党総裁)。日に日に強まる教育の反動化という流れの中でこの「七生養護学校事件」は理解されるべきだったのだ。当時各地で統一教会が教育行政に介入した。富山の放送局がよく頑張ったと思う。以下、要点紹介。
●「七生(ななお)養護学校事件」
2003年当時、ある問題をきっかけに東京都の七生養護(支援)学校保護者が苦労して知的障害を持つ児童に対する同校独自の性教育プログラムを開発。「こころとからだの学習」と名付けられたこの授業は男性器と女性器の部位や名称を織り込んだ歌や人形を使った授業方法で注目を集め、同様の悩みを持つ他地域の支援学校からの研修も積極的に受け入れていた。
ところが都議会の右派議員によりわい曲された報告がなされ、「まるでアダルトショップのよう」とセンセーショナルに批判。石原東京都知事も「異常な信念を持って、異常な指導をする先生というのは、どこかで大きな勘違いをしている」と答弁。都教委は何と116名の教員・関係者を別件で処分したという酷い話。(Wikipediaも参照しました)
このような教育の反動化は、偶然に発生したのではありません、その流れはしだいに強まります。「金曜ジャーナル」の映像があるように、自民党は2005年1月、安倍晋三幹事長代理(当時)を座長、山谷えり子を事務局長とする「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム」を発足させる。下村博文も名前が出ている。5月26日には「歴史修正主義者」の八木秀次らをパネリストに迎え萩生田光一を責任者とする「過激な性教育・ジェンダーフリー教育を考えるシンポジウム&展示会」が開催された。
まさに「安倍」「下村」「山谷」「萩生田」の統一教会四天王がすでにここで登場して、教育現場の前向きな性教育を阻止するために「活躍」していたのでした。
当時の教会文書(有田芳生氏提供)には「安倍、山谷先生の力添え無くしてみ旨(教義)の実現はあり得ない」(2010年)と当選必勝の檄を飛ばしている。つまりアベ政治は統一教会の教義を土台とし、同時に組織支援もあったことが教団側から証言された。安倍晋三氏と言えば日本会議を通じて右翼、神社本庁などの支持を得て政権にたどり着いたことが知られていたが、韓国発で天皇を悪魔とする「反日カルト」の支援も受けて二度の政権樹立⇒長期政権を実現したことが明らかになりました。とんでもなく無節操な野合というものですね。
●ジェンダーフリーと「家庭連合」/家族の破壊者は誰か?
統一教会=家庭連合によれば家族の崩壊は「ジェンダーフリー政策」「学校での性教育」などにあると主張。安倍晋三氏などの政治力で「み旨(教義)」の実現(国内右派をも抱き込みつつ)を図ったというわけです。彼らからするとジェンダーフリーとは「家族を敵と考え」「敵である家族を壊してこそ人間は自由になれる」思想だと(勝共連合HPより)。これは飛躍であり歪曲だと思うが、ここでは省略します。
安倍晋三銃撃犯である山上容疑者の家庭崩壊は統一教会=家庭連合に重い責任があります。このことは、今や誰もが知る事実だ。さらに続々と寄せられる教会信者家庭の分裂や崩壊と悲劇。統一教会=家庭連合こそが家庭の絆をことさら破壊しゆがめ、不幸にしてきたことは明らか。その根底には家族に関する特異なイデオロギーと、容赦ない「寄付集め」があった。
★不当な都教委からの処分と闘い、教員らが勝利を勝ち取った判決は以下参照~
都議、都教委らの違法性を認めた七生養護学校事件判決 | トピックス | 三多摩法律事務所 (san-tama.com)(阿部文明)
エブリシング・バブルは収縮中――金融資本主義と経済恐慌の変容
今何が起きているのか?自ら造り出した巨額マネーに翻弄される資本主義経済について米国経済を中心に少し見てみよう。「恐慌は すべての窓から世界資本主義を見つめている」(ワーカーズ632号)の続編です。併せて参照をお勧めします。
■「隠れ場所は急速に消滅しつつある」
すべての債券類(土地を含めた架空資本)がこぞって収縮する、エブリシング・バブルの収縮もしくは崩壊へ向かうという局面にある。金儲けに抜け目のない資産家や投資家、ファンドマネージャーらに適当な逃げ場なし、というところです。
「隠れ場所は急速に消滅しつつある。コアインフレ率の上昇により米連邦準備制度がこの数十年で最も積極的な利上げを継続すると見込まれるからだ。これは全ての(金融)資産にとって悪いニュースだ」(Bloomberg9/18以下BLと略)
とはいえ、過剰貨幣資本(生産的資本から継続的に切り離された、金融投機資産)はどこかへと「逃げ場」「逃避先」あるいは「新たな投資先」を模索しなければならない。
■金融資産が商品市場に逃避⇒インフレ加速となる
そこで注目されるのが商品市場での投機機会です。米・中経済戦争やロシアの侵略戦争のあおりで世界的に需給バランスが変動し、資源などを中心として価格高騰が見られた(原油価格などは不景気予想から低下を始めたが)。「今年前半は、商品相場は好調に推移し優れたインフレヘッジ策のように見えた」。ところがこの市場も安住の地ではない。「エネルギー価格が下落し始めるとこの相関関係は逆転し、商品は概してさほど好調なパフォーマンスを演じてない」(BL9/18)
とはいえ投機的マネーのはけ口は金融市場の債券・土地から商品投資にある程度移行せざるを得ず、ゆえに欧米諸国などで見られるインフレの強い押上要因となってきた。今、資本主義はこのようなジレンマ局面にある。
■FRB(連邦準備制度理事会)の高金利政策の陥穽
おりしもFRBはインフレ対策として金利の上げ政策を断行して「インフレ対策」を実行している。ところがその政策は、現時点では景気の減速と、金融バブルの収縮へとつながり、上述したような資金の商品市場への「あふれ」「流出」「投機」が発生しています。現実には「インフレ対策」が「インフレ圧力の継続」という結果にもつながっている。つまり「予想超えたアメリカ〈物価高止まり〉の衝撃」(Bizスクエア9/17)という結果となる。
もう一度繰り返しますが、FRBのインフレ退治政策は、六、七、八月の局面では収縮を始めた信用マネーの退避場所としての商品投機圧力として、つまりインフレ要因としても作用したとみられます。「高金利によりインフレ退治」は今のところ目論見のようには成功していません。
米インフレ率が大きく減速するには「深刻なリセッション(景気後退)が要件」(BL)との自暴自棄的な見解を述べるエコノミストもいるようですが、それほど単純とは限りません。より深刻なスタグフレーション(インフレと不況の併存)へと進む可能性も否定できない。
■「ドル現金しか逃げ場がない」
他の投機資金はどうすればよいのか?シティ銀行グループ担当者は「仕方ない」としてドル現金を提案している。(BL9/16)現実に「投資家は現金の保有を大きく増やしつつある一方、他の資産クラスについてはほぼ全て敬遠している」と米銀バンク・オブ・アメリカのストラテジストらが指摘した(9/23)。投資家のセンチメントは世界的な金融危機以降で最も悲観的らしい。
しかし、この「ドル現金のすすめ」がどれだけばかげているかは、米国のインフレ率が八%超で高止まりしていることを考えれば明らかです。ドルの激しい目減りの中で投資アドバイザーが何と「現金が安全」だと主張する。しかし、それほど事態が深刻であることを示してもいる。
今後さらに投資家たちが現金を求めて叫び出す、という重要な現象が拡大するとすれば経済恐慌の新たな局面を意味することになる。
■新興国・開発途上国のストレス増大
FRBによる高金利政策について触れたが、そもそもかの理事会の「自由な政策判断」ではない。言わば情勢に押されてやむに已まれず高金利政策を採用しただけだ。これは経済循環として眺めれば必然とみるべきだし、さらに上記したように今後、債券類の大量の放棄とドル現金への転換の動きが強まれば、金利は嫌でも上がるしかないでしょう。そして米国の高金利状態は新たなる矛盾の爆発に転化しうる。
例えば、開発途上国の外貨準備の喪失が進んでいる。新興・開発途上国の外貨準備高は今年1~6月に3,790億ドル(約52兆円)の大幅減少を記録した。これは、いわゆるリーマンショックが発生した2008年以降で最大の落ち込みとなった模様だ(NRI、8/26)。米国に出現した高金利状態は、ドルの米国への還流の強い流れとして現れる。新興国の資金不足は一般的に経済への足かせとなる。5月に外貨建て債務がデフォルトに陥ったスリランカ、さらにパキスタン、エジプト、トルコ、ガーナも同様に外貨準備不足から通貨危機に陥るリスクが浮上している。パキスタンとガーナでは、外貨準備高がそれぞれ年初から33%、29%減少した・・。
■チャイナ・バブルも収縮中
世界金融危機(2008年)の被害が軽微であったばかりでなく、世界資本主義の経済・信用危機のとめどない転落にブレーキ役となったのがほかでもなく、当時「世界の工場」とされた中国であった。しかし、今回は異なる。中国バブルも崩壊の途上とみられる。
昨今の中国の経済不振が「コロナ対策ロックダウン」や「不動産投資の規制」の厳しさに求める見方が一般的だが、それは違う。現在進行中の経済不振は三十年にもわたる経済急成長の矛盾の爆発だとみるべきだ。資本主義経済の固有の問題です。
ここで詳しく述べませんが、中国のバブルは1988~1991日本のバブル時代と類似しており、不動産バブルを中心に展開しその矛盾が経済を狂わせている。いずれにしても世界金融危機当時と同様の「大ピンチのストッパー役」として期待することはできない。
■マルクス経済学の発展のために
今年末から来年にかけて世界的リセッションは不可避と考えられます。仮にそうなれば、百年に一度と言われた「世界金融危機」以来、この十五年間で三度目の深刻なリセッションとなる。
ここ二百年、経済恐慌は何度も繰り返されてきた。しかし、いわば「二十一世紀型」の恐慌は、世界を股にかけて運動する巨額の信用マネーの膨張力がいや増し、それが破壊的力に転化することでより一層厳しい結末を人々に押し付けるように見えてならない。本来数十年に一度のスーパー台風が、温暖化とともに毎年当たり前に襲来することに例えることができる。
他方では危機の合間に彼ら金融資本は、人々の生き血を吸い上げてますます巨大化する。そればかりではなく、情報テクノロジーを大々的に活用することで金融資本主義は収奪及び増殖の度合いを高めていると考えられます。このようなメカニズムへの真剣な研究がひどく立ち遅れており、早急に着手されることを切望します。 (阿部文明)
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原発賠償ひょうご訴訟第44回、傍聴記
-被告(国と東電)の無意味な反対尋問にあきれ返る傍聴席-
本訴訟は2022年1月20日より本人尋問が始まり、11月17日まで計7回の法廷が予定されています。私は9月1日、第5回目の本人尋問の傍聴に参加してきました。ようやく、コロナ制限は解かれ、傍聴席は大法廷ですが8割程を占めました。午前は、10時から12時の予定で2世帯の原告が尋問を受けました。
原告は、どちらも女性で、プライバシー保護のため実名でなく番号で呼ばれ、40番と58番の方でした。40番の原告は、地震当時は郡山市のマンションに2歳半の双子と夫の4人暮しでした。マンションの住民は、次々に避難し、3月15日を過ぎると駐車場の車は数えるほどしか残っていなかったと、不安な気持ちを訴えました。16日、家族そろって飛行機で、原告の実家の兵庫県に避難。その後、実家を出て兵庫県内のURに母子だけで入居。12月には、子どもが鼻血を出しアレルギ―症状も出て、救急医療も利用せざるを得なかった苦しい胸の内を語りました。甲状腺検査の受診と夫に会うため、月2回、郡山市の自宅に戻る二重生活も強いられ、精神的な負担は大きかったと思えます。
反対尋問では、いつ郡山市に来たか、親戚はいるか、子どもは保育所に預けたか、など取り留めのない尋問が続きました。しかし、原告に持病があり避難先を実家にしたのか、なぜ、URに移ったのかと、個人的なことに何度もふれ、放射能被害の実態の質問には後ろ向きでした。
むしろ、東電は国が勝手に決めた避難区域の線引きを強要し、郡山市が原発から50キロメートル離れているから避難の必要は無かったと、言い張り、2011年3月24日には保育所は再開していた事実を突きつける始末です。甲状腺検査結果にたいしては、嚢胞は、特に体に問題は無いことを知っているか? と厚かましく国側お抱えの医師の診断を押しつけ居直っています。当時、郡山市の人口の1・5%しか避難していなかったと自慢げですが、真実を隠し、放射能汚染の情報を知らせない国・行政の姿勢が住民を危険に追い込んだのです。
次に、58番の原告は、福島市在住で公園前にオープンな自宅を建て、いつも20人ぐらいの子どもで賑わっていたと、当時を振り返りました。尋問に答える話しぶりから、気さくで包容力のある女性がイメージ出来ました。事故後の避難先から幼稚園再開を知り4月に自宅に戻ってきました。4歳児の娘は、通園に長袖・長ズボンで雨合羽まで着ることを義務づけられ、園庭は20分のみ遊びが認められる、そんな幼稚園生活でした。当時、原告自身は放射能汚染には無知で、天気のいい日は洗濯物を戸外に干し、学校のプール清掃、校庭の雑草抜きなど親が担当していたそうです。
1年後、7歳の長男の体力が低下しサッカーが出来ないなど、当たり前の生活に支障が出てきます。その時、各地で行われている保養キャンプを知り、兵庫・長崎・北海道など5~6ヵ所を利用。しかし、それでも不安はつのり、2013年7月に西宮市に母子避難を決め、1年9ヵ月を過ごし、その後夫の盛岡転勤で家族全員で引っ越し、現在に至る。原告は、避難者のそれぞれの最善の選択を尊重し、貴重な体験として理解し、福島の声を聞いてほしいと訴えを終えました。
反対尋問では、出身地はどこで、2人の出会いから結婚に至る足跡を聞くなど、原発賠償にどうつながるのか、疑問が残ります。福島市の広報紙で避難の必要はなく、体にも影響がないことを伝えていたのを、知っていたかの問いに、痛快な返答を聞きました。学校給食には福島県産を使うが、県庁の職員は福島県産は食べないことを指摘したのです。なぜ、安全なら率先して食しないのか? これは、被災地で生活を強いられていた原告だからからこそ、実感できる事実です。国の思惑と東電の責任逃れからは、この問いに答えることはできないでしょう。前向きな原告はこれからも、保養キャンプの支援を続ける決意を述べられ、傍聴席からは拍手が起こりました。
福島原発関連の裁判は賠償請求だけでなく、人権を掲げ子ども自身・親子の立場から訴えているものもあります。最近こちらの裁判で、原告資格が問われている原告らの要求が認められ、明るい兆しが見えました。それは、同時に提訴した2つの裁判を分離してほしいというものです。1つは、「子どもたちに被ばくの心配のない環境で教育を受ける権利が保障されていることの確認」(子ども人権裁判)で、それぞれが居住する自治体に求める訴え。もう1つは、事故後、県外に避難した人たちとも力を合わせて、国と福島県に対し、「原発事故後、子どもたちに被ばくを避ける措置を怠り、無用な被ばくをさせた責任」(親子裁判)を追及するための訴えです。2014年8月29日に福島地方裁判所に提訴されました。
なぜ、裁判長に分離を要求せざるを得なかったのか? 1つめの子ども人権裁判は、原告の資格が中学卒業で来年の3月で裁判そのものが終結を迎え、親子裁判までが審議継続が危ぶまれたためです。2ヵ月間の石栗正子裁判長への「はがきアクション」は成功し、裁判長の心を動かしました。9月12日の公判で、分離を認め親子裁判の審議継続が確実になりました。これには、原告、支援者は言うまでもありませんが、弁護団のたゆまぬ努力があったからです。
3・11の20日後に裁判官を退官され、弁護士の道を選ばれた井戸謙一弁護士。そこには運命的な出会いがあります。かつて「原発を止めた裁判官」から、今は、福島からの避難者を守る勇敢な弁護士として活躍中です。私たち一人ひとりにも、原発政策への責任が問われていることを忘れずに、皆さんと共有したいと思います。(折口恵子)
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川柳(2022/10) 作 石井良司
エリザベス送る虹見るデモの列
国民はみんな自前のお葬式
弔いの鐘が鼓舞するウクライナ
五輪には本屋にあった鼻薬
脱炭素グレタは今も怒ってる(「いらいら」)
ご近所の放送局の減らず口(「近所」)
戦争が追い風稼ぐ兵器商(「スムーズ」)
好奇心溢れて伸ばす余命表(「表」)
一分の黙祷三度八月忌(「時計」)
ステージ3早期発見救われる(「無事」)
片腕の理事へよだれが唾をつけ(「片」)
プラゴミで埋まる地球の片頭痛(「片」)
招かざるプラに咳き込む広い海(「招く」)
武器供与兵は出さない罪深さ(「深」)
ジェンダーへ差別の根っこ奥深い(「深」)
便利さに心も盗み取るスマホ(「スマホ」)
スマホ置き目と目が合えば笑む会話(「スマホ」)
カルトとの宴の後に待つ闇路(「宴」)
抜け道へ違うとナビのお節介(「出しゃばる」)
高台に立てば未来も見えてくる(「高い」)
沖縄県知事選で玉城デニー氏がみごと再選を果たす!
今年の沖縄は選挙の年で2月の名護市長選から「オール沖縄」の候補が負け続けていた。それだけに、9月11日投票の県知事選はどうなるか心配であった。
11日(日)の夜、知事選の結果が気になってテレビの前に座っていた。午後8時の投票締め切りと同時にNHKをはじめ各テレビ局が玉城デニー候補の当確を打ち出した。その後、沖縄の知人から勝利報告が届いた。
以下は沖縄の知人からの「沖縄県知事選」報告を紹介する。 富田英司
「県民は辺野古NO!貧困NO!沖縄の自立した発展!を突きつけた。9月11日投開票の県知事選挙の結果は約6.5万票、10ポイント近くの差をつける勝利だった。
開票結果は次の通り。今回と前回を比べてみよう。
<2022年>
有権者数 1,165,610
投票率 57.92%
玉城デニー 339,767(50.8%)
佐喜真淳 274,844(41.1%)
下地幹郎 53,677( 8.0%)
<2018年>
有権者数 1,146,815
投票率 63.24%
玉城デニー 396,632(55.11%)
佐喜真淳 316,458(43.99%)
この4年間で、有権者数は2万人近く増加したが、投票率は5%あまり下落した。とくに、地方議員選挙のない都市部で投票率の低下が顕著だった。台風接近という条件を考慮するとしても、全体として知事選に対する県民の熱気が少し冷めてきたと言えるかもしれない。政府与党の県民の声に耳を傾けない硬直した姿勢、様々に暴かれる政治の私物化や腐敗に対する反発・嫌悪感・あきらめ、人口増と世代交代の進行など、様々な要因が投票行動の低下に作用しているのだろう。また票差は徐々に縮小してきている。
世論調査によると、有権者の主な関心は経済、基地、教育であった。20~40代の子育て世代において、辺野古新基地の容認の比率が過半を占めるとの調査結果が示されもしたが、経済・教育面でも、中学卒業までの医療費の無料化など玉城県政の4年間の実績と努力は巾広く評価されたといえよう。テレビ・ラジオでは連日、三候補者の政見放送が流されたが、その内容でも玉城候補が優れていた。各地の運動量でも勝っていた。県庁前の数度の決起集会には千人を超える支持者の熱気があふれた。
沖縄県政を自民党には任せられないとの県民意思。
自公候補の主張の重点は『危機突破!』であった。つまり、沖縄振興予算は減る一方、一括交付金は8年前に比べて1000億円減額。これは県の不作為がもたらした県政危機というのである。沖縄振興予算や一括交付金の減額は他でもない自公政府が行なってきたことだ。辺野古反対・普天間閉鎖を公約として掲げ続け決して中央政府に屈服しない玉城県政に対する悪質な嫌がらせであり、知事を選んだ県民に対する恫喝だった。
『県政不況』キャンペーンは、1998年の大田知事の三選を阻むことに成功したが、今回は失敗した。二匹目のドジョウはいなかった。政府自民党による玉城デニー知事に対する、したがって沖縄県民に対する悪意は露骨だった。来年度沖縄関係予算要求額は、沖縄県が求めていた3200億円から400億円低い約2800億円とされた。琉球新報によると、沖縄自民党の西銘前沖縄北方担当相は、8月の岸田内閣の改造で退任するにあたって『前年より100億円ほど引いたらどうか』と官邸側に伝えていたという。官邸はそれよりさらに100億円減額した要求額を組んだのである。
政府自民党と旧統一教会との癒着が全国的に大問題となる中、沖縄でもかねてから詐欺まがいの霊感商法や信者の生活破壊が問題となってきたが、沖縄自民党の県議や保守系首長の旧統一教会との結びつきがクローズアップされた。琉球新報は、全県議と全市町村長に対し、『教会関連イベント・集会の参加』『教団や関連団体からの選挙協力』などについてアンケートを実施し紙上に公開した。とくに、佐喜真候補は宜野湾市長時代から結びつきが深く、韓国に出かけて関連イベントに出席したり、今回の知事選の選挙母体の幹部がほとんど関係を持っていたりしていた。この面でも県民の拒否反応が働いたと思われる。
なお、4人が立候補した県議補選はオール沖縄の上原快佐さんが当選した。その結果、県議会の構成は議長を除いて再び、県政与党が24対23と、一議席差の多数を占めることになった。
次は10月23日投開票が予定されている那覇市長選挙である。県議を辞し立候補を表明した翁長雄治さんの必勝をめざしたい。(沖縄K・S)
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何でも紹介・・・シリーズ「歴史総合を学ぶ」(岩波新書)
●日本史と世界史を統合
今年度から高校の日本史と世界史を、近現代史の部分について統合して「歴史総合」という科目が新設された。
一見すると、これは歴史を学ぶ生徒たちにとっても、教える教師たちにとっても、大きな改善であるように見える。
一例をあげれ、第二次世界大戦の歴史を学ぼうとすると、卓上に日本史と世界史の二冊のテキストを広げて、一方の日本史では満州事変から太平洋戦争の歴史を、他方の世界史では世界大恐慌からファシズム台頭の歴史を、それぞれ照らし合わせなければ、その全体像をつかむことは難しい。
明治維新や日清、日露戦争、韓国併合などについても、日英同盟や日露協商等の国際的背景をふまえて考察する必要がある。
●問い直される「近代化」
だが日本史と世界史を統合すれば、問題は全て解決するかと言えば、それほど単純ではないだろう。
すでに「時代錯誤の西欧中心史観の焼き直しではないか?」という批判が上がっているように、西欧的近代化モデルを基準にして、アジアや日本の近代化のあり方を評価するような近代史観そのものが問い直されているのだ。
いわゆる「ポストモダニズム」が唱えられ今日、近代史を学びつつ、近代化を問い直すことが、学ぶ側にも、教える側にも求められている。
●シリーズで検証
ここで紹介する岩波新書シリーズ「歴史総合を学ぶ」は、高校「歴史総合」科目新設にあたって、単に日本史と世界史の統合にとどまらず、そもそも近代化とは何だったのか?その歴史観を問い直すという問題意識から執筆、編集された意欲作である。
第一冊目は「世界史の考え方」として、中国史、イギリス史、アメリカ史、アフリカ史、中東史の各研究者からの問題提起を踏まえて、多角的視点から私達の近代史観を問い直すもので興味深い。
第二冊目は「歴史像を伝える」として、明治維新に焦点を当てて、近現代日本史の捉え方が、経済史をベースにした「戦後歴史学」から「民衆史」を重視する研究に、さらに「社会史研究」へと変遷してきた経過を追って、歴史像の叙述の在り方を問い直すもので、これも興味深い。
第三冊目は「世界史とは何か」とされ、近刊予定であり、これまでの二冊を踏まえた、深い内容が期待される。
いずれにせよ「歴史総合」は始まったばかりで、教育現場からの試行錯誤や問題点の指摘が上がってくるのは必至である。私達もシリーズ「歴史総合を学ぶ」を精読しながら、教育現場の動向を注視していくことが求められる。(夏彦)
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大阪カジノはいらない!カジノ=博打を推進する維新・公明を許さない!
大阪府・市は此花区夢洲にカジノを誘致しようとしています。それに反対する私たち住民は、カジノの是非は住民投票で、とカジノ住民投票条例の制定を求め署名活動を行ない、約21万筆の署名を集めました。
カジノ住民投票条例案を、維新・公明は7月29日の大阪府議会で否決しました。21万もの署名の声を聞かなかったのです。
これで私たちのカジノ反対の活動をやめるわけにはいきません。
今は、カジノ事業者(MGMとオリックス)へ5500億円もの融資をしようとしている三井住友銀行と三菱UFJ銀行の各店舗前での、街宣とビラ配布を行っています。そこでは、「私もカジノには反対です」という住民の声をいただきました。
三菱UFJ銀行は「国際銀行責任(PRB)」に署名しています。PRBは、麻薬・ポルノ産業とともにギャンブル産業への融資を禁止しています。カジノはギャンブルですから、PRBに違反しています。
三井住友銀行や三菱UFJ銀行の、カジノ事業への融資をしようとしていることについて、銀行預金者の一人として反対します。カジノ建設予定地の夢洲は、「軟弱地盤」で地盤沈下の可能性もあります。液状化や津波の危険もあり、カジノやホテルなど建物が倒れる可能性もあります。そして、今回の融資は無担保です。
現在大阪府は国にカジノ誘致の認可を申請していますが、カジノは博打です。国は、大阪のカジノを認可しないでください。(河野)
眞野明美「ウィシュマさんを知っていますか?」
集会会場で、身元引受人としてウィシュマさんの仮放免を求めていた眞野明美さんの著書、「ウィシュマさんを知っていますか? 名古屋入管収容場から届いた手紙」(風媒社)を購入し、帰りの新幹線のなかで読みました。表題にあるように、ウィシュマさんが書いた手紙、英語と日本語で書かれ、すばらしいイラストが添えられています。
2021年2月8日の最後の手紙には、「私は病院に行って検査をしました。胃カメラをいれられ、正常ですとのことでしたが、私は大丈夫ではない。どうか怒らないでください。私のことを考えてくれてありがとう。私はマノさんが大好きです」とあります。
3月6日死亡。自由になってあれこれしてみたいと、ささやかな願いが手紙に書かれています。もう涙なくして読めない、私たちの国はこれほどに酷薄なのか、情けないのかと打ちひしがれて帰宅しました。 (晴)
コラムの窓・・・9・14ウィシュマ裁判傍聴!
9月14日、名古屋地裁でウィシュマさん国家賠償請求訴訟第3回口頭弁論がありました。傍聴席は満席となり、支援の力強さを感じさせました。原告のふたりの妹さんがそれぞれ陳述し、約295時間のすべての映像の公開を求め、裁判官に強く訴えました。
国・名古屋入管は悪事が白日の下に暴かれることを恐れ、約5時間分の映像すら法廷に出すことを渋っています。裁判長は職権で証拠として提出するように勧告したのですが、それでも出さないなら提出命令が出るのではないかという感じです。
遺族による刑事告訴が不起訴となったことは本紙632号ですでにお知らせしました。名古屋地検は司法解剖結果などを精査したが死因は特定できず、入管の対応と死亡との因果関係は認められなかったと説明していますが、遺族や支援者はこれを不服とし検察審査会に審査を申し立てる方針を明らかにしています。
さて、裁判の争点は①相互保障について、②尿検査の結果、③ビデオの開示についてでした。①はスリランカで日本人が被害を受けたら同じように賠償を求められるのか、そうでないなら責任はないと国は言いたいのです。この点はクリアできています。
②については、検査結果(ケトン陽性)が飢餓状態であることを示しており、嘔吐を繰り返し食べることも飲むこともできなくなっていた。そういう時は点滴を行うほかないし、本人も支援者も求めていたのに、ついに点滴は行われなかったのです。 注・尿検査でケトンがプラスになるのは絶食又は飢餓状態にある場合など。
また、不起訴になっているので、司法解剖の記録は公開されていません。訴訟の重要な資料なので、遺族として公開を求めていますがこれも渋っています。名古屋入管と名古屋地検は訟務局で繋がっており、示し合わせて共に裁判の先延ばしを図っているのかその態度は横柄で、原告弁護団からしばしば追及の声が上がりました。
次回期日を入れるのも、原告側が準備書面で釈明を求めた点に対する応答に時間がかかると逃げています。裁判長からおおむね2か月後、準備書面提出はその1週間以上前と厳しく言われ、ようやく12月12日に第4回口頭弁論の期日が入りました。このあまりに優柔不断な国側の対応に、傍聴席から失笑が漏れるほどでした。
裁判終了後、記者会見と報告会がおこなわれ、弁論の解説もありました。仮放免を許可しなかった書面の公開も求めても、マスキングされていて内容が隠されていたこと。これではウィシュマさんの死の真相にたどり着けない、入管はそうまでして真相を隠そうとしていることなども指摘されました。
ふたりの妹さんは、報告集会でスリランカには「泥棒のことを泥棒のお母さんに聞いても教えてくれない」という言葉がある。裁判長が強く言っているのに入管は応じない、「日本は法治国家か?」と。実にその通り、地検は約5時間の映像の視聴に対して、写しをとらない、口外しないという誓約書を求めたという、だから誓約書は書かないで見るだけにした、写しが取れなかったら裁判の証拠として出すこともできません。
こんなにしてまで入管の闇(これを「行政的殺戮」と表現した方がいます)を隠したいこの国のありようと、この事実に無関心でおられる人々に絶望的な思いを抱いたりしてしまうのです。(晴)
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色鉛筆・・・再び送迎バス内園児死亡事故が起きる
先月の5日、静岡県牧之原市にある認定こども園「川崎幼稚園」の送迎バスの車内に約5時間置き去りにされ、河本千奈ちゃん(3)が熱射病で死亡するという痛ましい事故が再び起きてしまった。昨年7月、福岡県中間市の保育園のバス内に約9時間置き去りにされた男児が熱中症で死亡するという事故が起きたばかりなのに、どうしてまた同じ事故が起きるのか、どうして防げなかったのかと、保育士である私は命を守れなかった根本的な原因はどこにあるのか考えてみたい。
今回の事故の原因は「正規の運転手が急に休み、急きょ理事長(園長兼任)が代わりに送迎バスを運転した」「乗車時は人数確認を行ったが降車時には確認しなかった」「園児達が1人ずつQRコードをタブレット端末にタッチすべきところを派遣社員が一括して処理した」「クラス担任らは当日女児が欠席していることに気づいたのに親に連絡を取って確認しなかった」という。誰かが千奈ちゃんがいないことに気がついてバスに行っていれば命を守ることができたと思うと残念でならない。
昨年の事故を受けて国は8月、都道府県にや市町村などに運転手1人のほかに子どもに対応できる職員の同乗、乗降時の人数確認、職員間の情報共有などの安全対策を通知したが、また事故が起きてしまった。通知や指導だけでは事故を防ぐことができないのに今回の事故後も注意喚起の通知が来ただけだという。国はもっと具体的な対策をとるべきだと憤慨していると、あるこども園の理事長が『事故を防ぐシステムの導入に補助金をつけるなど、もっと実効性のあるサポートがあれば』(9/21朝日新聞より抜粋)とコメントをしていた。これが現場の切実な声だ。アメリカや韓国では車内置き去りを防ぐための手段としてアラームシステムを導入しているという。国は事故が起きたら子どもの命を守るためにすぐに実行すべきではないか!
2つの事故で共通しているのは確認しなったことだ。保育士の仕事をしていてこの「確認」というのはとても大事だと感じている。子どもの命を守るにはひとりで思いこまないで保育士間で声を掛け合って子どもの安全や所在を確認をすることだ。全国の保育士たちは日々一生懸命仕事をしているがそれでも事故が起こってしまう。保育士に『確認しないのが悪い』『しっかりして』等々、世間から非難を浴びているが、人間のやることには必ずミスが起こる。だからミスが起こらない環境をつくるべきだ。2つの事故はその環境がないから起きたと言わざるを得ない。
・保育士の配置基準を引き上げること
事故の原因のひとつに保育士の配置基準がある。別表の「保育者1人あたりの子どもの人数」の表を見てほしい。日本は5歳児三十人に1人の保育士だがイギリスでは8人に1人。イギリスと日本はこんなにも違うのだ。日本は第2次世界大戦後の一九四八年に国が定めた保育士の最低基準で七十四年間変わっていないことに驚く。私が学生だった五〇年前も最低基準を見直すべきと学んだが今だに変わっていない。最低基準で計算して委託費が算出されるのだからこの最低基準では子どもの命が守れないと、保育士や保護者達が声を上げて自治体に要求して、自治体がお金を出して保育士を増やしているのが現状だ。それでも保育士は足りなく子どもの命を守るには最低基準を国際レベルに引き上げるような抜本的な改善をするべきだ。今回の事故の担任保育士も二十人の子ども達と関わりながら仕事をしていただろうが、大勢の子ども達で余裕というものがなく日々の生活でいっぱいいっぱいだったと思う。保育士が余裕をもって保育できる配置基準にするべきだ。
・保育士の処遇や待遇を改善すること
もうひとつの原因として保育士の処遇の低さがある。実際に現場では基準以上の保育士を確保して日常の保育を支えているが、収入は委託費が基本なので少ない人件費をより多くの職員で分け合っているのだ。子どものために保育士を多く配置すればするほど低賃金になって非正規職員が増えることにつながっている。低賃金で責任を持たされ毎日残業して家に持ち帰るほどの仕事をして、身も心も疲れて離職する保育士達が増え、募集をしても集まらず年中人手不足なのだ。そこで国は人手不足を改善するために資格のない人でも保育できるように規制緩和をしてしまった。今回の事故でもバス乗務員が派遣社員だった。担任の保育士はバス以外で登園してくる子ども達を受け入れなくてはならないからバスに乗ることができないが、日々保育をして子ども達の様子が分かっている職員をバス乗務員にするべきだと思う。私の職場でも資格のない人が保育補助員として一緒に仕事をしているが、人手がない時は保育士の1人になっている。保育士としての教育や訓練を受けていない人が子どもと関わるので、説明することが多くなりより煩雑になってしまっている。いくら人手不足といっても資格のない人でもよいとした国の政策は間違っている。それよりも保育士の資格を持っているのに現場で働いていない潜在保育士が約九五万人(二〇一八年調べ}もいるのだ。働かない理由として「給料と労働が見合っていない」「命を預かる責任が重い」「家庭との両立難しい」等々。まさしくその通りだ!保育士の処遇や待遇改善をすれは保育士として働く人達は大勢いるのだ。
子どもの命を守るために国は根本的な配置基準の引き上げや処遇や待遇改善を行うように予算を増やすべきだ。国葬に一六億円それ以上の税金を使おうとしているが、亡くなった人より生きている人達に税金を使うべきだ。さらに戦闘機1機一二〇億円のお金があれば保育士のミスが起こらない環境ができて子どもの命を守ることもできるのだ。余りにも私たちの税金を無駄遣いしている国を訴えたい気持ちだ。(美)9/25記
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