ワーカーズ636号(2022/11/01)
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国家による国民監視手段=マイナンバー制度は許さない
医療サービスを人質にした無法な押し付けに反対しよう
国はいま、健康保険証とマイナンバー制度を結び付けるやり方、つまり医療サービスを人質にする卑劣なやり方で、マイナンバー制度の普及を一挙に進めようとしている。
これまでも、公務員とその家族に対する個人の意思を無視した職場からの組織的なカード取得の推進。個人情報保護法・条例違反に違反した共済組合情報の利用。公務員採用時にカード取得を条件とするという公然たる就職差別。消費税増税強行の不満を和らげる目的で導入された自治体ポイント制度をカード取得の推進策としての流用する等々、様々な違法手段を濫用してきた。それでもカード取得が進まないことに業を煮やして、今回は医療の人質作戦に打って出た。
マイナンバー制度は、国が、国民の個人情報を集中、集積、紐付け、利用、一括管理しようとするものだ。一見すると、国民の利便性を高める手段にようにも聞こえ、また行政の効率化や経済活性化の万能薬、魔法の杖であるかのようにも聞こえる。
しかし、当たり前のことだが、国家が常に国民の味方というわけではない。国の政策が国民の利益に反した方向に向かうなら、この、情報の過度な集中、集積、紐付け、その利用や一括管理は、甚大な災厄、劇薬に転化する。
実際、国の政策が持つ意味、その影響は、国民の各層によって異なり、場合によっては正反対となる。例えば消費税はどうか。国は「もっとも公平な税」「社会保障や福祉のため」と言うが、実際にはその正反対の税制として機能している。そもそも国の再分配政策自体が、むしろ経済的弱者から経済的強者への再分配、つまり逆再分配になっているのが実態だ。
国家による情報管理にあっては尚更そう言える。個人情報が、集中、集積、紐付け、一括管理されることの危うさは、現実に発生した様々な情報漏洩、不正取得、悪用の事例を見れば明らかだ。そのなかには巨大プラットフォーマーであるGAFAが発生源になったものもある。グーグルが引き起こした事故では、日本の6つの中央省庁の持つ情報が危険にさらされた。そのうち、厚生労働省が関係した危険は、医療機関や介護施設の患者の個人情報に外部からアクセスが可能になっていたというひどいものだった。
そもそも完璧なセキュリティなどデジタルの世界では不可能だ。米国の最重要の国家安全情報でさえが、優秀なハッカーによって破られ、あるいは極めてアナログな手法で漏出してしまっているのが現実なのだ。
労働者は、国家による国民監視の手段に容易に転化しうるマイナンバー制度に反対する。マイナンバー法さえ無視した無法な普及促進策に断固として抗議する。(阿部治正)
《「安保三文書」の改訂》止めよう!戦争国家への道――〝専守防衛〟から先制攻撃へ――
岸田政権はこの年末までに「安保三文書」を改訂するとして、作業を急いでいる。
この改訂のポイントの一つになっている、いわゆる「敵基地反撃(攻撃)能力」の保有は、これまで建前として掲げてきた《専守防衛》という枠を突破して、先制攻撃や全面戦争を招く極めて危険なものだ。
軍事合理主義で邁進する岸田政権の暴走をストップさせたい。
◆背景
「安保三文書」とは、安倍元政権が初めて策定した国家安全保障戦略、それに防衛計画の大綱、中期防衛力整備計画のことだ。
「安保戦略」は、2013年に安倍政権が米国の国家安保戦略をまねて初めて策定したもので、いわば日本としての10年間程度の外交・軍事政策の基本戦略だ。「大綱」は、その軍事力のあり方と水準を定めるもの、「中期防」は、5年間の経費総額と主要装備の数量を定めたものだ。いはばこの三文書を元に、年々の防衛計画や兵器等を整備していく、というものだ。
政府が改訂作業を急ぐ根拠としているのは、近年の日本を取り巻く安全保障環境の変化、要するに中国の軍事的大国化と拡張主義、北朝鮮のミサイル発射や核実験などの挑発行為、さらには今年のロシアによるウクライナ侵攻など、日本を取り巻く軍事的圧迫が強まっていることを根拠としている。
米国のバイデン政権は、政権発足以降、対中封じ込めに力を入れてきた。
この10月12日に公表した国家安全保障戦略では、中国を「国際秩序を塗り替える意図と能力を持つ唯一の競争相手」とし、またロシアについては「自由で開かれた国際システムへの差し迫った脅威だ」「中国に打ち勝ち、ロシアを抑制する」としている。
日本の「安保三文書」の改訂も、米国との同一歩調が基本になっている。
◆先行する攻撃部隊の配備
日米による現実の対中封じ込め態勢づくりも進んでいる。
昨年4月の日米首脳会談では、52年ぶりに「台湾海峡の平和と安定の重要性」に言及した共同声明を出した。つづいて今年1月には日米の外務・防衛閣僚による「2プラス2」が開かれ、台湾有事を想定した「日米共同計画作業についての確固とした進展」を確認しあったと報じられた。
さらにこの9月下旬にはハワイの太平洋軍司令部で部隊運用、共同作戦計画、宇宙・サイバー・電磁波など担当する日米の制服組幹部たちが集まり、2日にわたって協議を重ねたという(10・16朝日)。主要テーマは「尖閣と台湾」だったというから、かなり突っ込んだ作戦計画が話し合われたと考えられる。水面下ではもっと進んでいるのだ。
日本政府としては、これまで尖閣諸島危機での米国の支援を期待していたが、今では逆に中国による台湾への武力侵攻、いわゆる台湾危機では、日本が中台・米中戦争の最前線に引き込まれること必定という事態になっている。
現に、沖縄では前線基地化が進んでいる。九州各地の基地はもとより、奄美大島から始まって沖縄本島、宮古島、石垣島、それに台湾に最も近い与那国島にまで、急速にミサイル部隊や通信・情報部隊を配備している。
従来、日本は専守防衛の立場から攻撃用の兵器は持たないという立場を掲げてきたが、実際は敵国を攻撃できる装備や兵器を着実に保有してきた。その手段となる空母、長距離爆撃機、長距離弾道ミサイルは保有しないとしてきたが、すでに護衛艦「いずも」などは、短距離離陸や垂直着陸が可能なF35を搭載する空母に改修されている。空自のF35は搭載ミサイルを長射程化して敵国を攻撃できる。大型の長距離爆撃機はないが、弾道ミサイル技術はイプシロンロケットなどですでに確保している。
加えていま進めているのが、敵国ミサイルの射程外から攻撃できる、いわゆるスタンド・オフ・ミサイルの開発・量産だ。陸自が持つ12式地対艦ミサイルなどだ。現在は射程距離は200キロ程度だが、1000キロにまで伸ばすという。さらにはその改良型だと称して、2000キロの射程を持つ新型中距離ミサイルの開発を進め、艦艇や航空機からも発射できるようにするという。そうなれば、九州や南西諸島の陸上からだけでなく、東シナ海やその空域から中国各地の広範な内陸地まで射程圏内に入る長距離攻撃ミサイルを保有することになる。
そのほか、高速滑空弾や変則軌道の極超音速ミサイルなどの研究・実用化も進められている。
岸田政権が年末までに終えるとしている安保三文書の改訂は、現実の追認、その合法化なのだ。
◆〝専守防衛〟は過去のものに
岸田政権が年末までに改訂するとしている三文書で、何を改訂しようとしているのか。
まず中国やロシアという近隣の大国に対する評価だ。
これまでの「戦略」では、安全保障の根幹は日米同盟の実効性を高めることが基本。中国に対しては「戦略的互恵関係」の構築で、安保では「国際社会の懸念事項」、経済では「協力強化」だった。ロシアとは北方領土返還交渉の思惑もあって「あらゆる分野で協力を進める」としていた。
それが、自民党の政府への4月27日の「提言」では、中国との関係では、米国の安保戦略を追認して、中国は国際秩序を塗り替える力を持つ唯一の競争相手で、「重大な脅威」として位置づけ直す。ロシアは、一方的に軍事侵攻する「脅威」として位置づけている。
これまで日本の防衛政策としては、日米安保で日本は「盾=防御」の役割を担い、「矛=攻撃」は米軍に依存してきた。いわゆる〝専守防衛〟だ。その具体的な「盾」も外敵からの攻撃に対して「対処」するというもので、相手の攻撃があって初めて行使することとされてきた。が、この「提言」では、仮想敵国を中国と明言、日本は防御だけでなく米国の打撃力の一部を担うことが主眼になっている。
「対処」も、今では「抑止・抑止力」に変わっている。「抑止」は、相手からの攻撃に「対処」するばかりでなく、それを防ぐ、あるいは攻撃をさせない、という意味も含んでいる。
その抑止力も、「拒否的抑止」と「懲罰的抑止」があるとされ、「拒否的抑止」とは相手国からのミサイルを打ち落とすことなどだが、「懲罰的抑止」とは、相手国が二度と攻撃できないよう大規模な報復攻撃で殲滅する、という含意もある。〝専守防衛〟で、相手国の脅威にならないとしてきたこれまでの〝平和国家〟政策の大転換になるわけだ。
安保三文書の改訂では、この「脅威」の指定、および脅威の「抑止」が大きなポイントだ。
◆先制攻撃
そうした安保の基本的立脚点の変更は、具体的な軍の装備や作戦計画の変更にも及ぶ。その一つがいわゆる「敵基地攻撃」能力の保有(自民党「提言」では「反撃能力」だと姑息な表現にしている)だ。
これは相手国が海や空から攻撃してくるのを防御し、跳ね返す、また内陸から撃ってくるミサイルなどを空中で打ち落とす、というのが困難になっている現実があるからだ。移動式発射台からのミサイル発射、居場所が分からない潜水艦から発射するSLBM、低空で変則軌道を滑空してくるミサイル、それに音速の5~10倍の速度で迫る極超音速ミサイルなどであり、またサイバー攻撃も絡んでくる。
その撃ち落とせないミサイルに核弾頭が積み込まれていれば、日本の都市も壊滅状態になり、あるいは原発が攻撃対象になれば、これも同じく壊滅的な打撃になり得る。そうした脅威を抑止するには、相手国のミサイル基地や発射を指示する指揮統制機能も攻撃する必要がある(「提言」)ということになる。
しかしそんなことがほんとに可能なのか。
潜水艦は探知が難しいし、移動式発射台は、10分か20分もあれば10キロは移動できる。それをリアルタイムで補足し、それぞれを自国のミサイルで破壊することが可能だとはとても思えない。偵察衛星や早期警戒衛星でも追い切れない。多数の情報員=スパイがリアルタイムでミサイル発射台を追跡しても、発射地点の正確な予測などは困難だ。
敵基地攻撃能力の保有とは、映画やゲームの世界のようなそんな議論を大真面目にやっているだけなのだ。
◆殲滅攻撃と全面戦争
敵基地攻撃能力の保有は、そんな議論にとどまらない面がある。
敵基地を攻撃するためには、攻撃機で敵国に侵入して相手国のミサイル発射台を破壊しなければならない。そのためには攻撃機が敵の迎撃に遭わないよう、敵国の制空権を確保することが必要になる。そのためには、敵国の地上レーダーや対空ミサイルも破壊しなければならない。
自国のミサイルで相手国のミサイル発射台を破壊する場合も、第一撃で全てのミサイル発射台を破壊する必要がある。少しでも発射台が残れば核弾頭を搭載したミサイルが飛来するかも知れないからだ。
敵基地攻撃の対象についても同じだ。自民党などの議論でも、攻撃対象はミサイル発射台に限らず、指揮場所も攻撃対象に含まれている。敵国軍の司令部や大統領・首相などの執務場所も指揮場所となり、第1撃で相手国の大統領府や首相府を攻撃することになる。そうなれば、緒戦から全面戦争だ。
要するに敵基地攻撃能力とは、相手国の攻撃力を瞬殺、殲滅する能力を保有するということなのだ。そんなことはおよそ不可能で、結局は相手国の攻撃も防ぎきれず、結果的に敵味方両国の相互破滅に行き着かざるを得ない代物なのだ。
敵基地攻撃能力の保有については、相手国の攻撃の「着手」も問題になっている。敵基地攻撃能力が、相手国が現に日本を攻撃しているという事実にではなく、それに着手したと判断すれば、攻撃できる、というものだからだ。どの段階で着手したと認めるのか、ミサイルに燃料を注入し始まったときか、移動式発射台が動き始めたときか、あるいは軍の動きが活発化した時点か。その評価や判断が問題になる。一歩判断を間違えれば、国連憲章違反の先制攻撃になってしまう。
◆〝国策〟への動員
敵基地攻撃能力の保有や防衛費の増額問題では、自民党国防族など強硬派と財務省などの綱引きも垣間見える。岸田政権自体の逡巡も見て取れる。
しかし安保三文書が改訂されれば、「脅威」と「抑止力」が明記され、戦争遂行国家の姿勢が明確になり、また軍事費の増額も行われるだろう。現に、この両方で岸田首相はすでに対米公約にしている。
いくら綱引きが行われていようと、向かう方向は明らかに日本の軍事大国化と戦争国家化だ。それを象徴する動きもある。軍事強硬派が実施している台湾有事を想定した軍事シミュレーションの茶番劇だ。
これは日本戦略研究フォーラムが主催するもので、自民党国防族の小野寺五典衆議院議員、旧民主党右派で自民党に鞍替えしたタカ派の細野豪志議員、それに元自衛隊幹部などが参加して行われている台湾海峡危機を想定した軍事シミュレーションだ。危機発生時に日本の指揮系統をどうすべきか、態勢整備にどうつなげるかなどの図上訓練のようなものだ。
相手の脅威や攻撃にどう対処するか、という前提でやれば、軍事を軍事で対抗する、という以外にない。そうした発想と対処策ばかり考えていれば、まさに戦争ゲーム、戦争をいかに勝つかという話にならざるを得ない。要するに軍事整合性、軍事優先主義だ。このシミュレーションは、国民にそうした発想と覚悟を拡げ、国策に動員したいとの思惑から実施されているわけで、その試み自体が好戦派の露骨な意図を示している。
◆止めよう! 戦争国家への道
いかに脅威が高まっているか、それをいかに抑止していくか、防御だけではなく、反撃能力、攻撃能力をいかに高めるか、という軍事合理主義の土俵自体を縮小させなければならない。軍事合理性の一番の欠点は、相手の存在を無視していることだ。こちらがやろうとしていることは、相手国にも当てはまる。当たり前のことだ。相手が脅威だからそれに備える、ということは、相手国にも言える。要するに堂々巡り、売り言葉に買い言葉のエスカレーションだ。そんな関係自体こそ変えるべきなのだ。
安保三文書の改訂や敵基地攻撃能力についても同じだ。それらは《どう闘うべきか》で成り立っている。欠けているのが「どうしたら闘わずに済むのか」だ。あるいは闘わずに済ませるにはどこの誰と協力すべきか、だ。
私たちは友人や知り合いと殴り合おうとはしない。隣国の友人になることが一番だ。例えば台湾危機。台湾や中国の普通の労働者・庶民と日本の労働者・庶民が交流を深め、仲良くなることだ。そしてお互いの国の好戦勢力と闘い、それを封じ込めていくことでもある。
かつて日本と中国をはじめとするアジアの労働者の連帯を拡大する貴重な取り組みが存在した。その一例を挙げる。90年から20年間活動したアジア太平洋労働者連帯会議(APWSL)だ。私としてはかつてからその取り組みに期待と連帯感を覚えていた。現在はそうした交流の試みは全国組織としては活動を停止しているようだが、そういう交流がもっと大きく広がれば、お互いどうし攻撃し合うなどとは思わないはずだ。
日中国交回復50年の今、周恩来元首相による「以民促官・以地方促中央=民をもって官を促し、地方をもって中央を促す」という言葉に光が当てられている。意味合いは、両国関係を政府間関係だけに任せず、民間交流で政府間関係を正せ、ということか。
私はむしろ「大衆をもって官(=国)を規制せよ」と言いたい。「労働者・市民の声や力で対立をエスカレートさせる双方の政府を抑える」という意味合いだ。
国境を越えた労働者・市民の連帯の結びつきを太くし、軍事整合性にもとずく敵基地攻撃能力の保有や相互殲滅戦争への暴走と闘っていきたい。(廣)
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読書室 鈴木エイト氏著『自民党の統一教会汚染 追跡3000日』小学館2022年10月刊
○この本は2002年、統一教会がその正体と本来の目的を隠した偽装勧誘(偽装伝道)現場に遭遇したことをきっかけに、街頭での偽装勧誘等の活動実態を長年にわたり追ってきた鈴木エイト氏の執念が結実させたものである。安倍銃撃事件により突如浮上した統一教会と自民党との癒着は、一朝一夕に出来たものではなく、その実態をここまで赤裸々に明らかにした本はこれまでになかった○
本書は、ウェブメディアのハーバー・ビジネス・オンライン/HBOL(扶桑社)で連載した『政界宗教汚染~安倍政権と問題教団の歪な関係』を軸として、鈴木氏が副主筆の『やや日刊カルト新聞』等に寄稿した記事をまとめ、加筆したものである。そのため、2011年からは、鈴木エイト氏は、教団広報部により「要注意人物」として“指名手配"を受け、顔写真入りの手配書が全国の教団系施設に張り出されることになってしまった。
この年、統一教会の従順な青年信者が選挙運動員として地方議員に徹底的に利用されてきた実態を知り、政治家側の問題点を詳細に報じたことをきっかけとして、それまでの問題意識がそれでは一体同教団と国政政治家との関係がどのようなものなのかと発展して行き、安倍政権下の2013年の参議院選挙時の首相官邸と統一教会の裏取引を示す内部文書を入手したことから、統一教会に対する鈴木氏の本格的な追及が始まったのである。
それは、安倍晋三氏の祖父・岸信介が東條英機に内務大臣を馘首され、山口県の田布施へ戻った際、地元の天照皇大神宮教の教祖・北村サヨは岸が将来総理大臣になると予言したと言われ、不遇の時に大変お世話になったことを受け、その恩人の孫・北村経夫に対する「安倍晋三首相じきじき」の支援依頼を受けたとする教団内部通達FAXであった。
この事実確認のための鈴木氏の質問に対して安倍事務所は無回答。しかし政権ナンバー2の菅義偉内閣官房長官は、参議院選挙期間中、北村候補への統一教会地区教会に対して極秘派遣を要請した。この時自民党全体で教団の派遣者数は三千人。まさに論より証拠。
北村候補は14万余票で当選した。実に彼の当選は統一教会8万票のたまものである。ではこのような統一教会と自民党との癒着はどのようにして出来上がったのであろうか。
1954年に韓国で文鮮明が結成した統一教会は、58年6月には崔奉春(通称名西川勝)が密航し、日本に信仰を伝えた。崔には立正佼成会が協力し、久保木修己ら約50名の青年信者が転向する。そして59年には日本統一教会が岸信介の後ろ盾で設立され、64年7月、統一教会は宗教法人の認可を受けた。初代会長になったのは元立正佼成会の青年信者だった久保木修己であった。その背景には反共の笹川や岸の力があったのである。
そして同年、原理研究会が設立され、全国の大学で公然と学生伝道を開始した。元公安調査庁幹部の菅沼光弘は、初期の統一教会に入会した人の多くは民青だったと証言する。これには慰安婦問題で抱いた罪悪感が関係したのかもしれない。4年後の68年4月、文鮮明が笹川・岸らの協力をえて反共産主義政治団体・国際勝共連合を日本に設立し、こうして統一教会の伝道と原理運動は本格化していく。では安倍晋三との関係はどうだったか。
2006年6月、有田芳生氏は安倍晋三と統一教会問題で会話を交わしたことがあり、安倍晋三が「統一教会がさかんに接触し、面会を求めてくる」が「わたしは会わないですよ」と発言したとの証言を本書では紹介している。ではこの7年の内に何があったのか。
オウム真理教問題で一躍有名になり国会議員になった有田芳生氏は、それまでは知る人ぞ知る統一教会問題の研究者であった。今回の参議院選挙で落選した有田氏は、統一教会が落選運動を仕掛ける対象者であり、その呼びかけ文は「有田退治文書」と呼ばれていた。この文書の中に「山谷先生、安倍先生なくして」有田退治は「成就できない」との文言がある。山谷先生とは、統一教会との関係を否定し続ける鉄面皮のあの山谷えり子である。
2005年に発足した自民党過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチームの座長だった安倍晋三は、同年5月に自民党過激な性教育・ジェンダーフリー教育を考えるシンポジウムを開催したが、責任者と司会進行は萩生田光一が努め、安倍と山谷がパネタリストとして登壇していた。まさに統一教会三人衆の揃い踏みではないか。
またこの頃、霊感商法摘発で統一教会ガサ入れ危機をかろうじて回避できたのは、山谷国家公安委員長の尽力のたまものである。まさに安倍内閣が統一教会を延命させたのだ。
こうした事実から判断できることは安倍が内閣を組閣する際、統一教会との共闘を決断したと言うことである。本書でも、第五章「全国弁連の申し入れにも聞く耳持たぬ自民党」、第八章「2019参院選で暗躍する教団」、第九章「第4次安倍内閣は“統一教会系内閣”」第十章「自民党最大派閥会長(細田博之)が教団サミットで講演」、第十二章「『桜を見る会』に統一教会関係者」の各章で統一教会と安倍内閣との癒着が暴露されている。
かくして安倍晋三は統一教会の公然たる広告塔を引き受けるまでになり、それが理由で統一教会に家族崩壊させられた山上容疑者に殺意を持たれるまでになったのである。
そして特記すべき事はこの統一教会との癒着が菅・岸田政権へ継承されたことである。
今マスコミは山際大臣の日々の瀬戸際対応を報道している。まずは彼を確実に仕留め、次に疑惑の大臣追及をしてゆかなければならない。しかしながら本書の付録にあるように、国会議員の168人が統一教会やそのフロント組織と何らかの接点があったのである。
立憲民主党のあの辻元清美議員もフロント組織と関わったことがあったのだという。まさに統一教会の政治工作は深く浸透し、展開されている事を忘れてはならないだろう。岸田総理は関係なくとも彼の派閥は統一教会汚染の只中にある。菅ははなから論外である。
なお本書では、第七章「顕在化する総裁・韓鶴子の反日思想」において、韓鶴子が広島に原爆が落ちたことを引き合いにして日本へ悔い改めを迫り、日本の幹部に対し“国家復帰”のために日本の最高指導者を屈服させ教育する指令を出していたことを暴露している。統一教会を日本の国教とする(“国家復帰”)には、天皇や総理大臣を自分の足下にひざまずかせるとの韓鶴子の強烈な反日思想が今後大きな隘路となることは間違いない。
また韓鶴子が教団名を「天の父母様教団」に変更するとしたものの、封印したことや文鮮明死去後の統一教会の分裂に関する記述があるが、紙面の関係で残念ながら割愛する。
だがそれらは統一教会問題を深く追究するには、大変重要な知識であることは間違いないことである。その意味でも本書の一読をぜひ勧めたい。 (直木)
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古代ゲノム分析の切り開く世界
■ペーボさんノーベル賞おめでとう
スヴァンテ・ペーボはネアンデルタールとデニソア人のゲノムの解析および、彼らが人類と交雑していることを突き止めた。著書『ネアンデルタール人は私たちと交配した』は数年前に図書館から借りて読んだ。バリバリ先端科学の本かというとそうでもなく、むしろ記憶に残ったのは一科学者が体験した人間ドラマ、ということ。バイセクシャルのペーボは「彼氏」や「彼女」のことを時折何のてらいもなくさらりと触れる。さらに科学者としての頂点をめぐる激しい競争のこと、功名をめぐる焦りや苦悩も赤裸々に描いている、むしろそこが印象に残った。
ホモサピエンスの出アフリカの時点で中東付近に当時生存したネアンデルタール人。人類は彼らと交雑してユーラシアの世界に広がった。そればかりではなくアジア中心に生存していたのがデニソア人。アジア系の人類は彼らとも交雑した。つまりアジア人はネアンデルタール人とデニソア人の遺伝子を持つ人が多い。しかし、旧人=「野蛮な遺伝子」ではない。すでに人類に先行した北方適応種であるネアンデルタール人の遺伝子は、人類の急速な北方進出にプラスになったと考えられる(マイナス面も指摘されるが)。
■デイビッド・ライクも忘れずに
ライクはマックス・プランク進化人類学研究所の、上記ペーボのもとで、ネアンデルタール人とデニソワ人のゲノムプロジェクトの中心的役割を担った。その後古代DNAの研究をハーヴァード大学で開始、次々と古代ゲノムの解析を進めた。人種の交雑を専門に研究し、その拡散ルートを解明した。その成果が『交雑する人類-古代DNAが解き明かす新サピエンス史』だ。人類の歴史を深く読み込むには欠かせない資料です。私は本をめったに購入しないが『交雑する人類』は購入。文化文明の盛衰や歴史の展開を深く知るための欠かせない資料となる。人々、つまり具体的には部族であったり民族であったりと血族の歴史から始まるのだが、一部の地域で「権力」が現れ多様な血族を統合・支配する歴史に移行する。ゲノム研究は古来の歴史書や伝承を裏付けたり補充したり、また廃棄することもある。
ペーボの研究は先駆であったが、ライクの研究は幅広く言語学、民俗学、文化史、部族の拡大や国家形成の研究などに影響を与えています。
彼は同時に、全世界の遺伝子情報を集めることの困難さを随所で訴える。たとえば、アメリカ・インディアンは、全体的に非協力的であり、その理由は何らかの言いがかり(お前たちも所詮「先住民ではない」とか)をつけられ、再び追放されるのではないかと恐れていると思われる。迫害の歴史がこのような現状を作り出したのだ。
■インディアンの歴史を想う
ペーボやライクが開発して来たゲノム解析による全人類の系統図とその地理的拡散のストーリー。例えばライクは「ほとんどのアメリカ・インディアンは、北東アジアのさほど大きくない集団に起源をもつ」という。この小集団からかなりの期間を隔てつつ断続的に「出アジア」→アメリカを目指したようだ。
私が参加している読書会テキスト『一万年の旅路―ネイティブアメリカンの口承史』とは北東アジアの海沿いにあった「なかつち」の「一族」がベーリング陸橋を踏破し最期はオンタリオ湖南岸に至る遠大な口承史。このストーリーを私は思い浮かべます、同一のものかなと。
ライクによれば、彼らインディアンのアジアの源流は古代北ユーラシア人(バイカル地方のマリタ遺跡など)が東方進出し、他方ではインドの狩猟採集民が北上し、揚子江や黄河流域に足跡を残しつつ北東アジアの地域に進出しそこで北ユーラシア人と出会い交雑した、そのような民だという・・。このように歴史や伝承との関連の検討がとても興味深いところです。(阿部文明)
「エイジの読書室/第3回」 ★『誰が永山則夫を殺したのか/死刑執行命令書の真実』(下)
著者・坂本敏夫(幻冬舎アウトロー文庫。2014年12月5日初版発行)
ワーカーズ634号で述べたように、1997年の「サカキバラ事件」を契機として検察は永山則夫の死刑執行に激しい意欲を燃やすのである。
死刑の当日の様子は読むのがつらくなるほど酷いものである。
坂本さんの本から引用すると。
「8月1日午前8時55分に刑務官が迎えに来る。その時は、『永山、面会だ。出房準備』と声を掛けられた。4日前に、5年ぶりに支援者の女性が面会に来てくれた。また再度面会に来てくれたと思い『面会』の言葉に不審を抱かなかった。出入り口の扉が開き、永山の姿は舎房廊下から消えた。それから何秒かして怒号が響き渡り舎房が揺れた。永山が廊下に出てから多数の刑務官に取り囲まれ、自分の置かれている立場を理解した。<処刑の日だ>永山は渾身の力で暴れた。腕をねじ上げられても怯まず暴れた。骨が折れても暴れる。床に転がされた永山に容赦ない制圧という名の暴行が加えられる。気を失いかけるが痛みによって奮い立つ。刑務官たちはあまりにもタフでしぶとく、泣きを入れない永山に恐れをなした。永山は薬品を嗅がされたのか徐々に声が出なくなり、気も遠くなっていく。
死刑場に運び込まれた永山は見るも無惨だった。顔は原形を留めないほど歪み、Tシャツは破れて血に染まり、半ズボンはひきちぎられ全身に擦り傷と打撲瘡があり手足は内出血で青黒く変色していた。意識のない永山は支えられて刑壇の上に運ばれ、手錠が掛けられ、首にロープが巻かれ、がっちりと締められた金具が後頭部に当てられた。床が落とされたのは10時を回っていた。延々1時間にわたって格闘がなされていたことになる。永山則夫の遺体は証拠隠滅のために焼却された。とても火葬と言えるものではない。事前の会議で、残虐な死刑執行と死刑確定後の処遇。とりわけ懲役受刑者と同じ外部交通(面会と手紙)の制限をかけた事実を隠蔽するための策が練られた。」と指摘している。
執筆者の坂本敏夫氏は、『これが国家権力だ!かつて刑務官だった私は君に謝る』の所で次のように述べている。「私が死刑確定後の永山則夫の処遇を知ったのは、本章の執筆のために収集した資料を見たときだ。それは、何の根拠もない永山則夫だけにターゲットをしぼった差別処遇だったのだ。永山は有名人であり、外部では有識者や著名人が興味を示しており、交流を持つことも可能だった。それを恐れたのか、死刑判決が確定してからは懲役受刑者並の外部交通に関する制限を加えられていた。いやそれ以上かもしれない。」「法務省と最高検のお膝元にある東京拘置所長以下、出世に汲々とする幹部たちが当局の機嫌を損ねないように、社会的弱者だった元少年事件被告人・永山則夫死刑囚によってたかって苛めを加えていたのだ。」「永山は死刑が確定した瞬間から外部交通の制限を加えられた。身元引受人が辞退してからの2年間は、外部との糸がぷつんと切れてしまった。」「サカキバラ事件という機会を得た国家権力は永山を処刑した。一方で永山処刑の機会となった少年Aは社会復帰した。」
坂本氏は最後の『あとがき』のところで次のように述べている。
「私がこの本を書いたのは、悔い改めた死刑囚を殺してはならないと主権者である国民の皆様に訴えたかったからだ。改めて申し上げたい。どの死刑囚、どの懲役受刑者よりも悔い改め、サカキバラ事件が起こったことで、自分の命もあと僅かかもしれないと、覚悟した永山。彼は印税をペルーの子どもたちの奨学金にするため、寝る時間を執筆にあてたいと願い出て執筆に励んだ。永山則夫は死にたくなかった。ペルーの貧しい子どもたちのために・・・。永山則夫の死刑執行はこの国の恥辱である。返す返すも、残念で仕方がない。国民主権国家において、死刑は他人事ではない。法律を作る国会議員を選んでいるのは、我々である。私たち1人1人が死刑によって人を殺しているという自覚を持つべきなのだ。」
「命と正面から向き合うことでどんな悪党でも更生する可能性がある。これは、実際に死刑囚と向き合ってきた私の確認でもある。獄中で無知の涙を著した永山則夫。彼が被告人だった頃に言葉を交わした元刑務官が、刑場の公開や裁判員裁判で関心が高まる今、永山の死刑執行に隠された残虐な事実を曝し、改めて死刑制度の是非を問う。」
★「私のあとがき」
坂本敏夫さんの話を聞きその後この本を読んで、改めて最近の「死刑執行」の事を考えてみた。
ここ数年、生きている意味が見いだせず死にたいと考え、大きな事件を起こすことが増えている。そんな中、「秋葉原事件」(2008年6月、車を暴走させて7人を殺害し、14人に障害を負わせた)を起こした東京拘置所在監の加藤智大が、今年の7月26日に死刑執行された。死刑確定順で108人中86番目、順位の新しい確定者だった。
調べて知ったことだが、この加藤智大は2015年2月に死刑判決を受けているが、その2015年から彼は毎年、「死刑囚表現展」に文章やイラストなどの作品を出展しており、その作品が素晴らしく話題にもなっていたとの事。特に、2017年の「死刑囚表現展」に出品した「あしたも、がんばろう。」はなかなか凄い作品で注目を集めたという。
この「死刑囚表現展」は、毎年10月10日の世界死刑廃止デーにあわせて、今年も10月14日(金)~16日(日)に松本治一郎会館で開催された。(富田英司)
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何でも紹介・・・表現の不自由展と平和の少女像
神戸で開催された表現の不自由展!
9月10日・11日に兵庫県民会館で開催された展示会、会場は不公表で完全予約制という厳しい条件があるなかでようやく入場が実現しました。県民会館は他の催しをすべて取り止め、金属探知機を配備しました。県警も妨害排除の警備に務めています。
主催者は支援者を募り、何ヶ月もの準備を行い、会場内でのトラブルを避けるための万全の態勢を組み、760名の方が訪れ、無事に2日間の展示会をやり遂げました。私は予約を取り見学しただけで、その努力にただ頭を下がるばかりでした。それにしても、これほどに細心の準備を行わなければならないこの国の現状は何なのでしょう。心が慄きます。
会場に入ったところに反軍・反帝・反戦の旗(前山忠・1971年)が展示されていて、うれしく懐かしくなりました。平和の少女像(キム・ウンソン、キム・ソギョン・2011年)では、尻込みをする方もありましたが、貴重な経験をされた方が多かったのではないでしょうか。私は座る勇気がなかったので、妻が隣の席に座ったところを撮りました。
大浦信行氏の「遠近を抱えて」はヒロヒトが登場するということで反発が多いのですが、動画作品(2019年)の表現は、教育勅語による(国のため・天皇のために死ぬことが貴いという)教育が多くの若者を無慈悲に死なせた責任を問うものであり、過去の歴史を忘れないための重要な内容でした。大浦氏の「遠近を抱えて」は1986年に富山県立近代美術館で開催された「富山の美術・86」展で展示され、購入、収蔵されたものです。
ところが展覧会終了後、県会議員による県議会での批判がマスコミに報道され、右翼団体や神社関係者の圧力の末、作品の売却と図録残部の焼却処分が決定されたものです。この〝事件〟では大浦氏や市民による住民訴訟が提起され、一審で一部勝訴したものの、控訴審で敗訴し、上告は棄却されました。一旦は収蔵された作品が、天皇を揶揄する作品だという攻撃にもろくも屈してしまい、司法もこれに追随したことで表現の自由は囚われてしまったのです。
安世鴻氏の「重々ー消せない痕跡 アジアの日本軍性奴隷被害の女性たち」についても、同じような経過をたどっています。2012年6月、新宿ニコンサロンでの写真展「重重―中国に残された朝鮮人元日本軍『慰安婦』の女性たち」が中止されています。中止の理由としてニコン側は「諸般の事情」とし、9月に予定されていた大阪ニコンサロンでの展示のキャンセルも一方的に告げられています。
この〝諸般の事情〟とは、例によって「個々の中身は言えないが、抗議の電話、メールがかなりあった」という顛末でした。実際、ニコン本社前で「主権回復を目指す会」が「祝! 安世鴻写真展中止! 写真展中止は国益に適った判断」との横断幕を掲げたとか。ネットの掲示板でも、「売国行為をやめよう」「ニコンに不買運動すべき」「抗議電話して売国行為やめさせよう」など既視感のある扇動が行われています。
大浦氏や安氏の作品が攻撃を受けてた同時代、抗議の呼びかけに応じていくばくかの声をあげましたが、熾烈な攻撃には計り知れないものがあります。安氏に対しては家族の身の安全まで脅かされています。このやり口は常套手段のように、その後の植村隆氏への攻撃でも繰り返されています。この〝事件〟も裁判が提起され、2015年末にニコンの不法行為認定によって安氏は勝利を手にしています。
ちなみに、安氏は「重々」という言葉について次のような思いを記しています。
「ハルモニたちの幾重にも深く刻まれた皴に、70余年の間幾重にも重なりあった憤りがしこりとなり、こびりついた胸の奥を垣間見ました。全ての事が過去から現在に至るまで重なり合って、解くことのできない『恨(ハン)』となり、私たちに迫ってきました。今、私たちの小さな力を出し合い、互いに重ね合わせる時、大きな声を出すことができます。そのような意味を込め、多くの人々が参加するほど『重々』はさらに大きく成長することでしょう」
平和の少女像の訴え!
そもそも少女像とは何なのでしょうか、最も簡単なのは「従軍慰安婦」の少女像だと言うでしょう。在日朝鮮人3世のチョン・ヨンファン明治学院大学教授は次のような説明を行っています。
「はじめてソウルの日本大使館前で少女像をみたとき、日本の報道を通してのみ接していたからか、小柄なその姿に驚いたおぼえがある。正式名称を『平和の碑』というこのブロンズ像の高さは百二十センチほどしかない。だがこの小柄な像は、一一年十二月十四日に『日本軍慰安婦問題解決のための定期水曜集会』千回を記念して建てられて以来、長きにわたり日本への謝罪と補償を求める運動のシンボルであり続けてきた。私が訪れた日も、かたわらで若者たちがテントを張って像を守っていた」
「日本軍の『慰安婦』制度の被害者を象ったこの少女像の細部に、二人の彫刻家はさまざまな意味を込めた。少女は椅子に座り何かを待っている。『日本政府の反省と悔い改め、法的賠償を待っている』のだという。少女から伸びるハルモニ(おばあさん)の形をした影は『謝罪反省を一度も受けないまま過ぎた歳月の、ハルモニたちの恨が凝り固まった時間の影』を意味する。肩には平和と自由の象徴である小鳥がとまり、かかとがすり切れたはだしの足は険しかった人生をあらわし、はじめはただ重ねられていた手は、像の設置を妨害しようとする日本政府に備えてぎゅっと握りしめられた」(東京新聞)
平和の少女像は世界へと広がり、〝日本軍性奴隷〟という歴史的制約を超えて戦争で(攻撃の対象となり)犠牲となった女性を象徴する平和の像として世界に広がっています。日本政府や過去の歴史的事実を受け入れられない人々の悪あがきが、その意図に反してこの像を平和の使者へと押し上げているようです。
私はこの像の制作者、キム夫妻のアトリエを訪れ話を伺っています。それはフィールドワークの一員として2017年11月25日~27日、初めて韓国に出かけたときでした。現地集合に始まり現地解散で終わるこのフィールドワーク、帰国の飛行機が遅くなって28日の1番電車を大阪駅で待つというサバイバルな旅行でしたが、数々の貴重な経験ができた韓国旅行でした。
キム夫妻のアトリエにはいろいろな作品が並べられていて、外には作品になり損ねたものなのか、無造作にあれこれのものがおかれたりしていました。そうした試行錯誤を経て、平和の少女像も、徴用工像も生まれています。さらに、ベトナムピエタ銅像(ベトナム語名「最後の子守唄」・韓国軍によるベトナム戦争の犠牲者への慰霊モニュメント)も制作されたのでしょう。
さて、当時の日記を開くと、朝帰りした28日の午後、大阪地裁で大阪・花岡国賠訴訟を傍聴しています。この日は、中国からやってきた94歳の李鉄垂さん(〝花岡蜂起〟の唯一の生存者)の原告証言があった、感動的な日でした。これはもう5年も前のことになるのですが、私も随分元気だったのだと思い返しています。
それよりなにより、自公政権下の5年の歳月はこの国をさらに劣化させ、アベ国葬などというおぞましい事態を経験し、新たな戦禍すら招き寄せられようとしています。〝表現の不自由〟はその一端であるようです。自由が失われたとき、何が訪れるのかを少女像は静かに訴え続けています。 (折口晴夫)
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原発の危険性と、自然エネルギーの先進性&問題点を考える映画二つを観る
■ドキュメンタリー映画『WENDE 光と水のエネルギー』
世界のエネルギー政策は、原発や化石燃料由来のエネルギーから再生可能エネルギーへと大きく転換しようとしています。この流れを独語で「WENDE(大改革)」という。再生可能エネルギーの創生・普及に向かう住民主体の取組みに焦点をあて、関西各地の太陽光、小水力、バイオマスなどの発電に取組む事例が紹介されます。Fit以前の苦労話も。再生可能エネルギーの創生にとって重要なのは、地域住民が主体になり、地域の資源を活かし、地域の経済を活性化することです。外部資本や輸入バイオや乱開発型の動きは地域住民には受け容れられません。(紹介資料参照)
■ドキュメンタリー映画『原発をとめた裁判長 そして原発をとめる農家たち』
原子力発電の危険性を伝える活動を続ける元裁判長と、放射線被災で諦めた農業を太陽光発電(ソーラーシェアリング)によって蘇らせる福島の人々を取材したドキュメンタリー。
2014年に関西電力大飯原発の運転差し止めを命じる判決を下した福井地裁の樋口英明裁判長は、もともと「脱原発派」ではなかった。彼が問題にしたのは、危険この上ない原発なのに安全性が不確かなこと。誰もが「絶対安全」と立証できないこと。「ゆえに原発稼働は到底認められない」となる。当然の理屈だ。
さらに東海第二原発に運転差し止め命じた水戸地裁判決(前田英子裁判長)もまた画期的であった。それは「実効性ある避難計画が無い、ゆえに運転を認めない」というもの。これもまた当たり前の話だ。むしろ住民にとっての「常識」である。
原発訴訟の先頭に立つ河合弘之弁護士は、特に頻発する地震に原発が耐えられない(基準振動に設計が対応できていない)構造であることを指摘する「樋口理論」と水戸地裁判決こそが原発を止める決定的な論理だという。
一方、福島では放射線汚染によって廃業に追い込まれた農業者が、農地上で太陽光発電するソーラーシェアリングに農業復活の道を見いだし、環境学者・飯田哲也の協力を得て日本最大級の営農型太陽光発電を始動させる。(阿部文明)
(入院体験記)チーム医療に支えられて
●健康診断で
今年の特定健診を受けたクリニックの医師から「便潜血反応が陽性に出たので精密検査が必要です」と告げられ、大腸内視鏡検査のできる近くの胃腸科クリニックを紹介してもらった。さあ、ここから様々な職種の医療スタッフのお世話になることになった。
●内視鏡検査
大腸内視鏡検査は二、三年に一度受けるようにしており、前回は小さなポリープの他は特に異常は見つからなかった。自分も一緒に画面を見ていたので確かにそうだったと思う。しかし今回は、医師から「悪性を疑う腫瘍が見られます。病理診断の結果が出たら紹介状を書きますが、希望の病院はありますか?」と言われ、迷わず消化器科では定評のある都内の公的病院をお願いした。
●専門病院を受診
専門病院の下部消化管外科を受診し、紹介状と病理診断結果、内視鏡の画像データを見てもらった結果、手術が必要で約一週間後に入院することが決まった。医師はベテランのようで「まあ、見つかって良かったと考えてください」と言ってくれた。
●手術前の検査
ここからは診療放射線技師と臨床検査技師の出番である。
まず診療放射線技師のもとで、胸部と腹部のレントゲン検査、造影剤によるCT検査が行われた。
臨床検査技師が様々な部署で、採血、検尿、心電図、踏み台昇降テスト、肺機能検査、腹部エコー検査を念入りに行った。
●薬剤師等が事前説明
手術前の説明として、薬剤師の服薬チェック、病棟看護師の入院スケジュール説明、手術室看護師の説明、麻酔科医の説明、医療相談員による医療費等の説明、輸血同意書の説明、手術担当医師の説明と、入れ替わり立ち替わり説明に訪れた。
もう頭が一杯である。ベッドの上で、それぞれのマニュアルを読み返し、明日の「予習」で前夜を過ごした。
●手術当日
朝「予習」を思い出しながら手術着に着替え、看護師の案内でエレベーターに乗り、手術室に着いた。手術スタッフが「昨夜は眠れましたか?」と笑顔で迎えてくれた。まず背中に痛み止めの「硬膜外麻酔」の針を、腕には「全身麻酔」点滴の針を挿入した。
マニュアルでは、麻酔のかかる時と、麻酔から覚める時「◯◯さん」と呼びかけるので返事をすることになっていたのだが、手術室の丸いライトを眺めているうち、全く記憶がないままだった。気がつくと「終わりましたよ。頑張りましたね」と言われ、天井を見るとすでに「回復室」に移されていた。手術室スタッフ達が上から笑顔でのぞき込んでいる。四時間の手術は、あっという間に経過していた。
「今から病室に戻りますからね」と言われ、天井の景色が回復室から廊下へ、さらに廊下へ、エレベーターへ、病棟へと、どんどん変わっていく。「この光景、アメリカのテレビ、救命二十四時の画面にそっくり」と思った。
●病棟看護師
「腹腔鏡手術」といって腹部に数カ所の穴を開けて行うので「開腹手術」の傷ほどではないが、やはり痛みは残る。また麻酔の影響で、排尿機能障害や腸の蠕動運動マヒも起こってくる。ここからは、病棟の看護師の皆さんに全面的にお世話になった。何しろ術後の痛みや麻酔による症状に対応しながら、同時に「離床」そしてリハビリの「歩行練習」まで誘導していくのだから、かなりの看護技術を要することだ。
昼夜交替で、複数の看護師達が入れ替わり立ち替わり、看護に来てくれるのだが、 連携が良くて、まるで同一の看護師が通して対応しているような錯覚を覚えた。電子カルテ(看護システム)を使いこなしていることや、マニュアルが整備されていて、研修も行き届いていることがわかる。
●歩行のリハビリ
手術後の合併症として、腸の蠕動運動がマヒし腸閉塞を起こさないようにとにかく歩行のリハビリを励行された。最初は腹部の痛みが残るため、直立歩行が難しく、我ながら人類進化の図鑑で見た「ピテカントロプス」見たいだと思いながら、とにかく病棟の廊下を行ったり来たりするよう務めた。
●栄養指導
おかげで食事も、点滴補液から流動食、五分粥、全粥と進み、退院の目処も立った。退院後の食事指導のため、管理栄養士による栄養相談を受け、腸の回復まで繊維の多い食材や油物避けるよう、一覧表を渡されて説明をうけた。
●チーム医療に支えられ
振り返ってみると、実に多種多様な医療スタッフのチーム医療にに支えられていたことを実感する。 看護補助者、調理スタッフ、リネンスタッフ、清掃スタッフの支えも忘れてはならない。今後の通院医療においても、これらの様々なスタッフのチーム医療にお世話になることになるのだろうと思う。(冬彦)
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ひろゆきさんによる辺野古新基地建設反対の座り込み行動への冷淡な態度 とても許せない!
10月3日にツイッターで沖縄の米軍基地建設に対する“座り込み抗議”を揶揄するような投稿を行い、物議を醸しているひろゆきさん。その冷笑的な態度を非難する声が後を絶ちません。
3日、ツイッターに「新基地断念まで座り込み抗議 不屈3011日」と書かれた看板の隣で、満面の笑みを浮かべてピースする自身の写真をアップ。そして「座り込み抗議が誰も居なかったので、0日にした方がよくない?」とツイートしました。
しかし、「人間のなかに、同じ人間の苦しみと血の滲むような闘いを侮辱して、一欠片の想像力もなく嘲笑することのできる者がいるのだ、という驚きを改めていだく」「悔しくて涙が出る。ここに座り込み続ける人たちを嘲笑うようなことがなぜできるのか」と怒りの声も上がっています。
「名護市辺野古の米軍新基地建設に反対する座り込みの抗議行動は、2014年7月にスタートしました。日時を決めて行い、今年9月22日に3000日を迎えたばかり。参加者には『基地建設を止めるまで抗議し続ける』と話す人もいます」(全国紙記者) 沖縄県は国土面積の約0.6%。しかし、全国の米軍専用施設面積の約7割が集まっています。 「米軍基地がある影響で、沖縄の人たちはこれまで多くの“苦しみ”を抱えてきました。
例えば1995年、米兵の少女暴行事件がありました。また戦闘機や軍用ヘリコプターの墜落事故も発生しています。基地が辺野古に作られることで、ジュゴンなどの生き物にも影響が出るとされており、沖縄を愛する熱い思いから抗議は行われています。
そして、ひろゆきさんの発言に対して「今年は沖縄が本土に復帰して50年という節目の年です。沖縄の歴史を改めて考える年に、自分が訪れた時に抗議活動をする人たちがいなかっただけで揶揄するような投稿を行うのは、軽率ではないでしょうか」(前出・全国紙記者) 「統一教会問題で、マトモな事を言っていたのにね」と怒りの声が広がっています。
辺野古のことを真面目に考え、報道する姿勢がある人なら、こんな無責任な発言はできません。
10月5日、沖縄県の玉城デニー知事は会見でひろゆきさんの投稿に対して「現場で3000日余り抗議を続けてきた多くの方々に対する敬意は感じられない。残念だ」とコメント。そして「投稿は見識の違いだと理解している。ただ投稿に対する波及は、日頃ネットメディアを使っている方なら十分考えられたのではないか」と語りました。 しかし、ひろゆきさんはツイッターで玉城知事のニュースを引用し、「事実陳列罪で怒られました」とだけ綴りました。
ひろゆきさんの発言を聞いて思い浮かんだのは、中島みゆきさんの「ファイト」という歌です。
「ファイト! 闘う君の唄を闘わない奴等が笑うだろう」
ひろゆきさんの発言は、許せません。 (河野)
コラムの窓・・・東京オリ・パラ組織委員会は解散したが・・・
6月30日、東京オリンピック・パラリンピックの準備や運営を担ってきた大会組織委員会が解散しました。その招致が決定されたのは2013年9月、今は亡き安倍首相が福島原発の汚染水はブロックされているというウソで始まったこのスポーツの祭典は、あらゆる不祥事とコロナ感染を押し切って開催されました。
組織委解散にあたって、橋本会長は「大会の意義と価値を後世にどのように残していくかを考えながら乗り越えてきていただいた。心から感謝申し上げる」と述べたとか。で、残されたものは何か。それを〝レガシー〟と言うらしいが、このところ連日マスコミをにぎわしている大会組織委員会理事だった高橋治之容疑者の存在を第1にあげるべきでしょう。
組織委の最終報告によると、当初の7340億円とされた経費は1兆4238億円に膨張し、その55%に当たる7834億円の巨額な公費(東京都5965億円・国1869億円)が投じられたとされています。しかし、これには〝関連経費〟の参入が明らかではありません。この点、「週刊金曜日」(10月14日)は関連経費を加えると総額は3兆円を超えると指摘しています。
それでは、この巨額の公金はどこへ行ったのでしょうか。高橋某やその取り巻きなどの利益となったことは確実のようですが、もっと巨悪の存在を忘れてはいけないと山本敦久成城大学教授が同誌掲載の「問題の肝は、巨額の公金を奪い続けるIOC」(16~18ページ)で強調しています。
IOCは「スポーツ大会を興行して巨額の商業的利権を生み出す〝興業主〟である」「開催地の公金を湯水のように使い、巨大なスポーツ施設を建設させ、その後の施設維持費も公共機関に負わせ、自らは一切の負債を負わないのです」と告発しています。その張本人こそが、「ぼったくり男爵」と称されるIOCのトーマス・バッハ会長です。
彼を「ぼったくり男爵」と最初に表現したのは米ワシントンポスト紙(2021年5月5日)だそうですが、これほどぴったりとした呼び名はありません。山本教授は1998年に開催された長野冬季オリ・パラの顛末で、次のような指摘をしています。
「長野市がオリンピックのために借り入れた額は利息を含めて694億円。その負債を返済し終えたのは20年後の2018年度です」「本来は高齢者福祉、除雪対策、災害対策に使われるべき税金が、オリンピックのために奪われ続けたのです」
山本教授はさらに、このスポーツの祭典そのものがスポーツ文化を略奪し続けていると総括しています。ジュールズ・ボイコフ氏が「祝賀資本主義」と言い、ナオミ・クライン氏が「惨事便乗型資本主義」と言った、「このような概念すら。オリンピックの批判においてはまだ不十分です」「IOCは、いわば植民地経済のように収奪的仕組みのもとでしか、オリンピックを開催できないのです」
実に手厳しい批判ですが、翻ってみれば五輪競技者はメダルを、それも金メダルを取ることを強制されてその肉体を酷使し、その頂点に立てない数多の競技者を使いつぶしているのではないでしょうか。先ごろ行われたドラフト会議で指名された選手とそうでない選手もまた、・・・
スポーツと暴力の親和性はつとに指摘されていますが、それは肉体を収奪するという本質のなかに証明されているのではないでしょうか。優劣や勝敗とは離れたところで、スポーツが語られるようになるためには、五輪の消滅が不可欠ではないかと思う今日この頃です。 (晴)
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川柳(2022/11) 作 石井良司 (カッコ内は、課題句です。)
世襲へと我が子を秘書へ岸田さん
避難民前ウクライナ今ロシア
バレるまでカルトの記憶消すバッジ
毒舌の円楽最後まで高座
野菜高もやしを活かす老いの知恵
イマジンの願い叶わぬウクライナ(叶う)
夢無限ロボコン技を競い合い(リモート)
千羽鶴非核を告げて舞う葉月(告げる)
大海をゴミ箱にする汚染水(箱)
気候危機百葉箱に赤ランプ(箱)
逃亡を助けた箱もありました(箱)
抜け道に違う違うとナビの声(笑いのある川柳)
温暖化コスト重視に病む地球(暑い)
カネとなる紙へ日銀輪転機(転)
反戦へイマジン響く駅ピアノ(ナイス)
晩学の趣味に輝く日日新た(ナイス)
宗教の選挙支援にある旨み(そうかもね)
ジェンダーに日本の歩む亀の足(やきもき)
晩学が未知の扉をノックする(ときめく)
除染され稲穂も矜持取り戻す(稲)
金まみれ五輪にほしいガラス張り(ガラス)
青い海泣かせるプラとガラス片(ガラス)
白髪も若く生きよという鏡(ガラス)
色鉛筆・・・いのち見つめて~水俣と三池、そして福島~
1963年11月9日の三池炭鉱爆発事故で、CO中毒を生じた当時20~30代の炭鉱労働者たちは、事故から50数年後の現在、70~80代で生存されています。当時では珍しい「メンタルリハビリ」(心のリハビリ)を取り入れながら、CO中毒に伴い生じた低酸素脳症による精神症状の多くが「詐病」とみなされていました。
つまり、体に力が入らずフラフラする様子に「ナマケ病」と非難され、事故から3年後、会社が労災補償を打ち切る行動に出ました。三池労組は会社の責任を追及するため、審査請求を行い闘いを続けられました。
10月15日に私が参加した集まりは、表題にあるように企業が起こした大惨事による被害者たちの連帯を、現代につなげていく大切な作業の一環としての「集い」です。今回、新作「いのち見つめてー高次脳機能障害と現代社会」の映画上映が行われました。そこには当事者と家族が登場、日々の暮しを紹介し、同時に日常が一変した被害直後の心理的なショックも映像が写しだしています。
具体的にどのようにして当事者を支え、家族であり介助者としての不安、悩み、を克服していけたのか、教訓化していく大切な試みが笑顔となって参加者に感動と共感を与えてくれました。社会へ提起していくべき課題として、公的サービスの利用内容の適切化、支援する側の広がりなど、まずは高次脳機能障害への認知と理解を発信していくことではないでしょうか。
この集まりには、長年、患者に寄り添う医師、大学教授、科学ジャーナリスト、医療関係者など、患者を支えるチームががっちりスクラムを組んで、運営されています。そのなかで、印象に残った社会福祉士・精神福祉士・大学准教授の大岡由佳さんのお話「被害者支援の視点から」を紹介します。
簡潔に言うと、障がいは自己責任ではなく、「社会でつくられた問題」という指摘です。だから、社会全体で取り組み、社会問題としての認識を持ち、社会を変えていくことが求められていること。
例えば、エスカレーターは、当初、障がいで階段が昇りづらい人に作られたものが、今では、誰でも利用し恩恵を受けている。個性や多様性を認める社会は、誰にとっても生きやすい社会ということに繋がる。「生きる権利」として当然の社会保障を、社会全体で共有することが、変えていく最初の一歩となることを気づかされました。
長年、障がい者問題に関わってきたつもりですが、啓発することの大切さを感じました。個別の運動が連帯することで、輪が広がり大きな力となること教えられた「集い」でした。 (恵)
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