ワーカーズ638号 (2023/1)
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優生思想は今も生き続ける! 障がい者が子どもを産めない社会に、人権はない
新しい年を迎え心新たにし、今年もワーカーズ紙面の充実に力を注ぎたいと思います。昨年、12月18日、北海道江差町の社会福祉法人「あすなろ福祉会」が運営するグループホームで、結婚や同棲を希望するカップルに、事実上の強制不妊を求めていたことが明らかになりました。不妊処置に応じたのは8組16人、施設側は20年前から常態化していたと認めました。
障がい者への強制不妊は、旧優生保護法の下では合法的に行われていました。旧優生保護法は1948年、議員立法で制定。「不良な子孫の出生防止」を目的とし、知的障害や精神疾患、遺伝性疾患などを理由に、本人の同意が無くても不妊手術や人工妊娠中絶手術を認めた法律です。その後、約50年続いた旧優生保護法は96年に障害者差別に当たる条文が削除され、母体保護法に改称されました。この改正がなされたのも、94年の国連国際人口・開発会議(カイロ会議)を経て、翌年の第4回世界女性会議(北京会議)で、性と生殖に関する健康・権利(リプロダクティブ・ヘルス/ライト)が採択されたことが大きく影響しているのです。母体保護法と名前は変わったものの、政府も国会も過ちの反省もせず、旧優生保護法の検証が充分になされなかった、そのことが優生思想を温存し続けたと言えるでしょう。
2018年1月の仙台地裁から始まった強制不妊裁判は、各地で提訴が広がり、直近では22年9月26日に、仙台・東京・名古屋の地裁で一斉に追加提訴がありました。これまでの各地裁で、敗訴したものの訴えが認められた点は、優生保護法の憲法違反と法を制定した国会議員の責任でした。しかし、手術後、20年経過の除斥期間は正当とし賠償請求は棄却されました。
大阪高裁(22年2月)と東京高裁(22年3月)での勝訴判決では、非人間的かつ差別的な憲法違反の法律を制定した国の責任が、除斥期間を理由に免除されるのは正義公平に反する、という画期的な内容でした。しかも、国の賠償として最大1500万円を命じるという、他の原告にも希望を与えるものでした。残念ながら、現在、国が上告しています。たとえ、国に勝訴しても賠償義務が生じるのは、その裁判の原告のみという限界があることを踏まえねばなりません。裁判闘争と並行して、政治的解決の必要性が課題となっています。
誰もが産み、育てるかどうかを自分で決められる「リプロダクティブ権」は、カップルや個人の大切な権利として尊重されるのが世界的な流れとなっています。出産に関する意思決定に必要な手段や情報が得られるように、各国政府は務めなければならない、とされています。この考えの下、各国で避妊具や中絶を安価、もしくは無料で提供する取り組みが進められているのです。国内でも生理用品の無償提供などがあげられます。旧優生保護法を憲法違反と初めて判断した19年5月の仙台地裁判決は、リプロダクティブ権を「幸福の源泉となり得るもので、人格的生存の根源にも関わり、憲法上保障される個人の基本的人権だ」と認めています。
「障がい者を勝手に不幸と決めないでほしい」と知人の脳性マヒの女性は主張します。彼女は70年代に兵庫県が行った「不幸な子どもの生まれない運動」に抗議し、社会に訴えました。障がいがあっても、安心して生きていける社会であれば、将来を悲観することもないはずです。多様な社会を目指す、と言いながら排除されるのは、障がい者を含め社会的弱者と呼ばれる人たちです。高齢者が増加し、誰もが障がい者になる可能性がある現在、自分のこととして障がい者問題に取り組むべき課題だと思います。今年も、ワーカーズをよろしくお願いします。(折口恵子)
《先制攻撃国家》《衣》を脱ぎ捨て《鎧》の誇示へ
――《アジアの盟主》意識引きずる岸田政権の安保戦略――
岸田政権は昨年暮れ、永年標榜してきた〝平和国家〟〝専守防衛〟の衣を脱ぎ捨て、公然と先制攻撃もできる国家への転換を強行した。
ばかりではない。あの大震災以来、表向き掲げてきた原発依存を減らすという方針を反故にし、原発の《最大限の活用》に舵を切った。これらはウクライナ戦争やエネルギー危機を口実として、安倍元首相など歴代自民党政権が下地をつくった暴挙と言う他はない。
他方、政権発足時の大看板だった《令和版所得倍増》計画はあっけなく反故にし、《資産所得倍増》計画に取って代わられた。少子化対策や教育支援も先送りされている。
偽りと変節に染まった岸田政権。草の根の闘いを土台とした反転攻勢の年としていきたい。
◆《対中軍事対決》へ
ここでは、日本の安保・軍事戦略の転換について考えてみたい。
岸田政権は、昨年12月16日の閣議で、敵基地攻撃能力の保有などを含む安保三文書の改訂を閣議決定した。国家安全保障戦略(NSS)、国家防衛戦略(旧防衛計画の大綱)、防衛力整備計画(旧中期防衛力整備計画)だ。新NSSでの主な対象国の評価は、次のように書き換えられた。
中国――「戦略的互恵関係」、安保では「国際社会の懸念事項」、経済では「協力強化」⇒「これまでにない最大の戦略的な挑戦」(自民党の政府への提言は「重大な脅威」)
北朝鮮――「差し迫った脅威」⇒従前よりもいっそう重大かつ差し迫った脅威
ロシア――「あらゆる分野で協力を進める」⇒「安全保障上の強い懸念」
今回の改定は、中国に対する「脅威」をどう位置づけるかが焦点だった。これまで北朝鮮の背後に位置づけてきた中国を、事実上初めて〝現実の脅威〟として正面から捉えたことが特徴だ。ただ表現は、「国際秩序を塗り替える意図と能力を持つ唯一の競争相手」(米国の国家安全保障戦略)とした米国にあわせ、《脅威》という表現は避けた。が、実質的には封じ込めるべき最大の競争相手、事実上の敵対国だとして、対中軍事対決へと位置づける米国と歩調を合わせたものだ。
中国を現実的な脅威だと規定すれば、日本も中国と対抗する軍事力の保持とその行使を準備する、ということになり、軍事的な対立関係・緊張関係は、当然、緊迫化せざるを得ない。
今回の改訂の本質は、「脅威」という表現は避けつつも、現実には米国による軍事的な対中包囲網と一体となって自国の軍事大国化の野望を実現することにある。
◆先制攻撃という〝軍事合理性〟
政府はこれまで、〝平和憲法〟の下で日本は〝専守防衛〟に徹し、そのための必要最小限の装備にとどめている、と説明してきた。敵基地攻撃能力についても、憲法で認められた自衛権の範囲内だが、専守防衛方針の下、もっぱら相手国を攻撃するための兵器は「保有しない」としてきた。
が、今回の改訂では、日本への武力攻撃に対し、「反撃能力」という表現で必要最小限度で行使できるとした。事実上、敵基地攻撃の解禁と、そのための兵器の量産・配備などを明記したわけだ。
対象地域も「個別具体的」とあいまい化され、敵基地だけでなく指揮統制拠点にも対象を拡げる道も開かれた。敵基地などを攻撃できる起点となる相手国の「武力行使の着手」時点についても、「個別具体的」とあいまい化されている。
が、現実には、日本に現実的な被害を受けていない時点での攻撃も可能だ。現に、12月20日に浜田防衛相は、「弾道ミサイル等による攻撃が行われた場合」について、「敵国が我が国に武力攻撃に着手したとき」と明言している。
この「着手」時点とは、現実にはいくつもの起点設定が可能だ。現実に日本に向けて「ミサイルが発射された時点」以外にも、部隊の集結、各種発射装置の動き、相手国首脳による恫喝発言、あるいはサイバー攻撃が急増した時点、指揮官による発射命令等々、いくつもの「着手時点」が考えられる。現実には、ある一点を「着手点」と認定・判断することなど不可能だ。
しかも、それらの動向は軍事機密扱いとされ、一般国民には知らされない。あるいは自国による先制攻撃に都合が良い「証拠」だけが示され、ひどい場合は「ねつ造」も行われてきたのが歴史的現実だ。戦前の満州事変の柳条湖事件、日中戦争の盧溝橋事件、米国のベトナム戦争時のトンキン湾事件、それに米国による湾岸戦争にきっかけとなった戦争プロパガンダ「ナイラ証言」、イラク戦争時の「大量破壊兵器の隠匿」等々、実例を挙げればきりが無い。
◆相手国にとっては〝日本の脅威〟
岸田首相は、今回の改訂でも「専守防衛」は「不変」だ、「自衛」のための「必要最小限」の「抑止力」だ、と強弁している。が、その言葉は現実の改訂内容とは乖離した「言葉のまやかし」でしかなく、「まったく、よく言うよ!」という類いの代物だ。
事実上、日本が先制攻撃のできる国に変身したことに対し、保有論者などは、その攻撃性を覆い隠すかのように、「相手国に対して日本への攻撃を思い止まらせる」ことを強調している。要するに《防衛戦略》でも明記された〝抑止〟論だ。とはいっても、敵基地攻撃能力が、本当に日本への攻撃の〝抑止〟になるのだろうか。
現状ではそんなナイーブな仮想敵国は存在しない。日本が先制攻撃もできるぞ、と動くなら、相手国に取って〝日本の脅威〟は大きくなる。「我が国はもっとそれ以上の軍事増強が必要だ」と考えるだろう。まさに、軍拡と脅威のエスカレーションだ。こんなことは子供にも分かることだ。
○それでなくとも中国の国土は日本の25倍、人口は11・5倍、経済力は4倍、軍事力も5倍だ。他方で、日本は国土も狭く、日本海側にはミサイルの標的にされかねない原発が何十基も並んでいる。そんな日本が中国と正面から「敵基地攻撃」で競い合うことができるのだろうか。結局は米国頼り。米国が態度を変えれば、即実効性も吹っ飛ぶ、そんな代物なのだ。
現に、今回の改訂では、北朝鮮ばかりでなく中国も反発を強めている。
◆《亡国》の防衛費突出
今回の三文書改訂では、平行して開かれていた自民党税制調査会の議論も経て、敵基地攻撃能力の保有などのため、5年間の防衛予算を43兆円(現在25・9兆円)、最終年の27年度の防衛予算を8兆9千億円に引き上げるとした。
あわせて岸田首相は、27年度の防衛予算を「現時点のGDP比で2%」としている。海上保安庁予算(これも大幅増額だという)や公共インフラ、それに恩給費など、NATO諸国で防衛費に算入されている費目をダブルカウントして27年度に現行22年度の5兆4000億円を、21年度のGDP540兆円の2%、11兆円程度にするということだ。
財源は、歳出改革で3兆円強、決算剰余金の活用3・5兆円、防衛力強化基金4・6兆円、増税(法人税、所得税、たばこ税)1兆円強だ。これでは補正予算を組む場合の国債増発は不可避。結局、間接的な国債発行での財源確保策でしかない。
他に、自衛隊官舎の整備などに建設国債をあてるという。これは戦前の歯止め無き軍備増強と敗戦後のハイパー・インフレの教訓を踏まえ、国債による軍事費の確保を否定した歴代政権の、一面ではまっとうで抑制的な姿勢を180度変更する暴挙でもある。
この暴挙は、直後に拡げられた。12月20日には、長期間運用する護衛艦なども対象に含めると発表したのだ。納税者に運用益などもたらさない消耗品の軍事装備も借金でまかなうという、これこそ禁じ手と言うべき暴挙だ。まさに〝タガが外れた〟という以外にない。
今回の改訂では、対中評価の見直しと共に、それに備えるとしてスタンド・オフ・ミサイルの導入、トマホークの導入、サイバー部隊の増強、宇宙軍の創設など、新部隊創設や敵国攻撃部隊の新設・拡充が目白押しだ。
具体的な装備としても、次のような品目が並ぶ。
スタンド・オフ・ミサイル――5兆円、統合防空ミサイル――3兆円、無人攻撃機=ドローンなど――1兆円、宇宙やサイバー部隊――8兆円、弾薬・ミサイル・施設など――15兆円。本当に目もくらむような数字だ。
この防衛費拡大で、現行で世界第9位の軍事費大国の日本(ストックホルム国際平和研究所(SIPRI 2022・4・25)は、現時点の順位は米中に次ぐ第3位、(5年後の予測ではインドの次の4位になる見込み)の軍事費大国だ。これが岸田首相が言う「専守防衛」「必要最小限の防衛費」の現実だ。
岸田首相が安保三文書改訂とそれを担保する防衛費倍増に走ったのは、昨年5月の日米首脳会談で、バイデンに「防衛費の相当な増額」を明言し、〝対米公約〟にしてしまったからだ。
首脳会談の報道発表では、「日本の防衛力を抜本的に強化」「裏付けとなる防衛費の相当な増額を確保する決意」とされているが、実際にはもっと具体的な話が交わされ、対米公約はもっと具体的なものだったはずだ。米国の圧力でNATO諸国が決めた、軍事費のGDP比2%強への引き上げが前提だったのだろう。
それ以前から台湾海峡などの緊張の高まりを背景に、日米の防衛・外交大臣会合である「2プラス2」や制服組高官による「日米共同作戦計画」づくりなど、現実の日米軍事協力の具体的な計画づくりが進んでいるはずだ。あるいは、岸田首相の訪米時の手土産にしたいとでも考えているのだろう。
12月23日には、23年度予算案も閣議決定された。対前年度より7兆円近く増の総額114兆3812億円だ。その予算案の内、防衛費は前年度当初予算の26・4%増の6兆7880円という。その中には建設国債4343億円も含まれるという。なんとも破天荒な大盤振る舞いだ。
◆メディアと専門家の〝罪〟
今回の安保戦略の改定と防衛費などについて、いくつか世論調査結果が出ている。
12月17~18日の朝日新聞と毎日新聞の調査では、攻撃能力の保有は賛成多数、防衛費増大には賛否拮抗、他方で増税による防衛費増大や国債による防衛費増では反対が多数、という傾向だ。
敵基地攻撃能力の保有賛成が多数になったことは、民意がそれを受け入れたとも受け取れる。
さもありなん、というべきか。
今回の改訂と敵基地攻撃能力の保有は、ロシアのウクライナ侵攻や台湾海峡の緊張が大きく影響している。自民党国防族や改憲派、その代表格だった安倍元首相などが、そのウクライナ危機はアジアの台湾有事、台湾有事は日米同盟の有事(日米で中国と戦争)だ、と三段論法で煽った影響は大きい。
そしてそれの土壌になったのが、先制国家ロシアを悪とし、西側の民主主義陣営を善とするいわゆる〝善悪二項対立の構図〟だ。要は民主主義諸国は一体となって侵略国ロシアを排除し、同じように中国を封じ込めていくしかない、という国家間対立の構図と戦意高揚を煽ってきた。これにはリベラルと言われるメディアや専門家なども雪崩を打って同調してきた経緯がある。
ロシアによるウクライナ侵攻は、プーチン独裁政権による他国へのあからさまな武力侵攻だ。が、他面では力による一方的な現状変更を拒否するという、覇権国家とその同調国による既得権保持勢力との国益争いや覇権争いの側面もある。
〝善悪二項対立の構図〟は、そうした物事の表裏を単純に一面化してしまうものだった。
そんな言説に囲まれてれば、当然、ロシアがウクライナに侵攻したのだから、中国も台湾や日本に攻め込んでくるかもしれない、と脅威に感じ、それでは日本も軍事力を拡大してそれに備えなければならない、とする意識が拡がっても不思議ではない。
世論調査に現れた敵国攻撃を受け入れる世論に関しては、好戦派・右派だけではなく、リベラルと言われるメディア・専門家の罪も深い。
今回の軍事費倍増案は、GDPの低迷、少子高齢化、実質賃金の低下等々、日本や日本人の経済や暮らしが閉塞している場面で、軍事費だけを倍増するという暴挙だ。岸田政権発足時に掲げていた、所得倍増や子育て支援、教育予算増額などはどこに行ってしまったのだろうか。
そんな風潮が拡がる中、私たちの足元の生活に目をやると、食料品や光熱費をはじめとする物価高で生活は苦しくなる一方、賃金は上がらず、年金は目減りする。子育て支援は作送りされ、欧米諸国に見劣りする教育支援は捨て置かれた。岸田政権が掲げる「全世代型社会保障」はみんな先送りだ。
日本のGDPは、30年間ほぼ低迷し、出生数は歴史的低水準で、少子高齢化が進み、人口は2050年には1億350万人まで減少する。
こんな時代の中、軍事予算だけほぼ倍増という、とんでもないことが平然と行われようとしている。冷戦下の軍事予算が重荷で崩壊したあのソ連を後追いするかのような、〝亡国〟の安保戦略、軍事偏重財政というほかはない。
《国破れて山河あり》という。これでは《軍栄えて民破れる》になってしまう。
◆国家・政府を制御する《個々人》《主権者国民》へ
〝国家〟はつくづく恐ろしい。
このところ、政治家や専門家だけでなく、普通の個々人が、安易に《日本》や《我が国》に同化したがごとく発想したり発言する場面が目に付く。個々人は「即日本」ではないし「即我が国」でもない。「私は」、「私たちは」で思索し、発言すべき場面なのだ。主権者としての個人としての自覚や矜持はどこに行ってしまったのだろうか。
個々人レベルでは、隣人や隣国の人との接触や付き合いでは、なんとか良い関係を保ち、それができない場合でも喧嘩にならない程度の付き合いを工夫してきた。殺したい、そのための武器も持っていたい、などとは誰も思わない。
ところが、《私》《個々人》ではなく「国家」が介在し、それが主語になると、態度が一変する。「日本は」安易に引っ込むべきではない、「我が国は」強力な反撃力(=攻撃力)を持つべきだ、「国家は」国民を守るため(?)に毅然として相手国と対抗していかねばならない、国を守るための軍事費は惜しんではならない…………。
戦争は個人で始めることはできない。戦争は国家・政府が始める。だからこそ個々人は、戦争に走ろうとする国家・政府に引きずられてはならないのだ。
現行の憲法でさえ、前文には、「主権者たる日本国民」は「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意」する、と明記されている。これは、戦争に走る政府を〝主権者たる国民〟が認めないこと、そうした政府を〝国民〟がつくらせないことを意味している。これがあの悲惨な戦争の真摯な反省から導き出された教訓であるはずだ。
これは日本に限らず、どの国の〝国民〟も同じだ。戦争に傾斜する国家・政府に対し、国境を越えて連携して戦争準備と戦争を拒絶すべきなのだ。
私たちの眼前のあるのは、もはや《戦後の日本》ではないのかもしれない。すでにそうした危惧はあちこちから聞こえている。現に、《防御より攻撃を》とか、《富国》はさておき《強兵を》など、威勢がよい言葉ばかりが飛び交っているありさまだ。いまだに明治以来の、戦後時代の《アジアの盟主》意識から脱却できない大国意識を引きずっているとしかいいようがない。
《新たな戦前》での闘いになるかも知れないことを覚悟し、揺るぎない反戦・平和の闘いを拡げていきたい。(廣)
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世界が恐れる「日本化」という病――その裏側に見える新たな世界搾取システムを読み解く
GDPの推移や労働者の賃金をみると日本の経済衰退は明らかに続いています。しかし、それは先進国病の一つにしかすぎません。『日本人は知らない…いま世界中の国が「日本化」に怯えているという〈信じたくない真実〉』(現代ビジネス)という記事が出ていました。先進国病の典型的な症状である「日本病」について各「症状」や派生的な病について書いています。しかし、それほど単純な話ではなく、ここでは本質から全体にわたり見てみる必要があります。
■国内生産力の長期低下傾向
実際、先進国と言われている諸国家の国内総生産(GDP)の長期的低下はこの数十年はっきりしていました。むしろ日本は、低迷する先輩国をしり目に60~70年代に経済成長をとげましたが、それだけに90年代以来の暗転は際立つものとなりました。
日本の場合は、経済力低下に対して特に「対策」がとられることなく、場当たり的な対応で経済の力をそいできたと思われます。
主に考えられることが「産業の空洞化」です。これは二つの類型が考えられます。一つは資本の海外流出。もう一つが経済の金融化です。この二要因は国により濃淡があるとはいえ深く結びつきながら推移していると思われます。順にみてゆきます。
■「投資会社化するニッポン」
日本の場合は確かにやや極端です。生産的業種は大別すれば農業と鉱工業です。これらの就業人数でみても、激減しました。戦後、農業は衰退し先進国の中でも食料自給率が低く、下がるばかりです。さらに鉱業は消滅し工業においても「空洞化」は進み、場当たり的な企業の利益のために「海外投資」「海外進出」。つまり日本資本の集団海外お引越しが進行しました。「キャピタルフライト」と表現するエコノミストもいます。
十年程度前の話ですが、JETROの海外投資担当が「北朝鮮よりひどい」と不穏当発言。資本の国内投下の比率は国際的な統計があります(FDI=GDPに占める対内直接投資)。つまりこの役員は日本の資本家は日本の市場に投資しないと嘆いた言葉です。ところが『日本は〈北朝鮮より下の196位〉というヤバい実態』(東洋経済2021/08)と近年またマスコミに書かれた。相変わらず日本資本(いや世界の資本もだが)は日本が嫌いなのだ。
しかし、この情けない事態は裏側から見れば次のようになります。現代の日本は――忘れられていると思いますが――なんと米仏独を抑えて世界最大の海外純資産所有国です。それも30年間も世界のトップの座に君臨しています。
『日経12/18』の一面トップは「投資会社化するニッポン」とあります。それによると経常収支項目の「第一次所得収支(対外資産からの収益)」等を中心に「海外取得受取額は日本のGDP比一割(50兆円)」にも上り、追いすがる米独をしのぎこれまた世界のトップです。【グラフ①】【グラフ②】参照。
❶対外投資棒グラフは⇒「日本経済新聞」2022年12月18日
➋対外投資活動による日本の稼ぎは
⇒「日本経済新聞」2022年12月18日
昨今の岸田政権による歴史的軍拡の衝動はこれら日本資本の海外展開と無関係とは思えません。
■先進国経済成長の長期鈍化傾向を見る
他の先進諸国は十数年来「日本化」を恐れてきました。しかし、日本化病は、「必然」の勢いで先進国に広がる可能性があります。【グラフ③】をみれば明らかなように先進国はこのような、成長鈍化の方向性にあります。日米英独仏五カ国の成長率の移動平均をみれば、日本のようにGDPの伸びが停止するほどではなくとも、戦後復興の一時期を除いて一貫して確実に低下しています。しかも、2000年代に低落はより鮮明です。
❸先進国の成長率鈍化折れ線グラフは⇒
『日経』注:Maddison Project、Google Books Ngram Viewerのデータから作成。実質GDPは日米英独仏5カ国の成長率の移動平均
■世界に広がる「金融緩和」「低金利」というもう一つの病
すでに見てきたように日本のように海外への資本移動による「産業の空洞化」がありますが、日本を含めて先進国には経済の金融化の進展による「産業の空洞化」がさらにそこに加わります。
資本主義的生産の根本的矛盾(生産力の拡大指向と内在的な制限)は、過剰貨幣資本(資本の回転から生じる「有休(離)貨幣資本」と混同されてはならない)を絶えず生み出します。先進諸国内での成長の鈍化は、過剰貨幣資本と低金利を必然的に生み出しました。そのことがあらたに「資産インフレ」つまりバブルの多発とQE政策(国債購入などによる金融緩和)の採用の道を切り開きました。
低金利とQE政策。これは政策という面もあるが、資本主義の活力がそがれる過程では資金需要が低下し資金があり余り、ゆえに金利は沈み込み、他方では「低金利こそが資本の活性化策」という幻想によって政策として正当化され必然化します。そしてこの低金利はほかでもなく金融資産や土地と言ったものの資産インフレ=いわゆるバブルを作り出します。ここでは産業経済への再投資=拡大再生産よりも金融投機による資産効果重視へと資本移動(国内外問わず)が発生しまた常態化する趨勢にあります。それは二十一世紀に入り明確化してゆきます。
とりわけ大胆なQE政策は、当時のFRB議長バーナンキが主導し世界金融危機(08年)対策として世界的に広がり、日本ではデフレ脱却を掲げて黒田異次元緩和をもってひとつの典型となりました。2008年以降、経済成長率は一段と低落することが【グラフ③】でも確認できます。
■資本の海外流出と金融化は新たな搾取の世界システムを生み出す
こうしてみてくると日本のやや極端な「産業空洞化」が、資本の海外流出とともに経済の金融化が強く促進されてきたことにあり、より急速に生産力が低下したと言えるでしょう。さらに明確に言えば、先進国の「産業力低下」は、新たな搾取の世界システムの構築にほかなりません。
グローバルノースのお金持ちが不労所得で豊かに幸せに暮らすためには、自国ばかりではなく新興国やグローバルサウスの労働者にますます依存する必要があります。資本の移動は国内も海外も金融形態であればこそスムーズに移動可能であり、そのシステムの基本モデルは誰あろう「日本」なのです。これまでの話を裏返してみれば、日本こそ新たな搾取システムを世界に造り上げつつある代表国です。「日本病」とは日本に住む生活苦に陥った労働者の見解であり、他方、日本の資産家は「投資会社ニッポン」を通じて勇躍世界を目指しているのです。左翼はこの現実を直視すべきです。
■補論=経済の金融化と「脱産業化」の追加資料
ここで経済の金融化の端的な事実を見てみましょう。
グラフは、長期の米国の株価(ニューヨークダウ)です【グラフ④】。
ザックリの話をします。NYダウは、アメリカ合衆国の代表的な株価指数で、ダウ平均株価指数ともいいます。1980年に約千ドルのダウ平均株価が、2022年は3万5千ドル、つまり三十数倍の値上がりとなっています。ところが米国のGDPの成長はこの同じ期間に名目で約九倍、実質では三倍程度にしかすぎません。株式市場に異常な資金の流入があったのは明らかです。価値を生み出す産業経済から、その再投資を止めて金融市場に流れ込んだのです。
さらに注目すべきはリーマン・ショック(2008年)後の一段と急速なバブル(投機的貨幣資本の流入)の膨張が見て取れることです。不況(&低成長)が過剰貨幣資本と低金利を生み出し、生産活動の低迷とQE政策による信用膨張でますます低金利と過剰貨幣資本が作り出される。そしてこの環境で生み出されるバブルは貨幣資本と金融資産の所有者に特別の収入を与えるのです。というシステマチックな動きが出来上がったのです。
バブルとは資産インフレです。この膨れ上がる資産は一部の富裕者や企業が所有しています。(NISAの話を今回はしません)ところで金融資産とは何か?これは債券であり、円やらドルやらユーロやらの請求権です。経済学者もマルクス主義者も無関心のようですが金融資産(株や土地や債券、その他金融デリバティブ等)を独占的に持つものは、平均利潤率を超えたより多くの富を引き出すことができるのです。だから経済の金融化と産業の空洞化(ないしは停滞)は進むのです。この仕組みは別稿で検討いたします(阿部文明)
中国 「ゼロコロナ」から「ウイズコロナ」転換…リスクは無いのか?
中国のゼロコロナ=ロックダウン政策が市民の大きな反対に遭っており、規制緩和や「ウイズコロナ」へと転換する可能性があります。しかし、ここに問題はないのでしょうか。
■ロックダウン規制の功罪
ロックダウンは即座に感染拡大防止効果が期待でき、低コストでどんな国でも(役人と警察と軍隊があれば)取り組める人流規制だ。だから世界でパンデミック当初に採用され、イタリアをはじめインドやパリでもロンドンでも強引に実施された。しかし、このような強硬な政策は、期間の長期化に伴い、結局のところ底辺の現場労働者・サービス労働者の切り捨てによる「社会の安全化」にしかすぎず、不満が高まり「生活補償を!」「仕事を!」の声が強まり各地各国で暴動を呼び起こした。
遅まきながら中国でも過度な権力の行使と折からの不動産不況で、大衆窮乏化に対する市民の反発が一挙に噴出した。
■中国式ロックダウンの裏事情
中国が「ゼロコロナ」に固執したのは「習近平の権威のため」だけではありません。中国政府は武漢で最初の感染例が報告されてからの3年間、当局者はゼロコロナ政策を維持する理由として、中国の病院システムの脆弱さを常に挙げてき。「2020年に医学誌クリティカル・ケア・メディシンに掲載された研究によると、中国の集中治療室(ICU)の病床数は人口,000人当たり(十万人の誤り?)3.6床と、香港の7.1床、シンガポールの11.4床を大きく下回る」(野村総研)。人口当たりの病床数、同じく医者や看護師数も統計では「世界平均」の少し上だが、新興国としてすら見劣りがする。IT、宇宙開発、極超音速ミサイル、量子コンピューター等々の先端科学と対照的な劣悪さだ。
さらに、高度医療資源の分配の不平等がある。医療資源は海岸の大都市部(上海,杭州、北京等)に集中、また医療保険への加入率は超低率。これでは低所得者、特に内陸部に住む住民は罹患してもまともな医療を受けられない。ワクチン接種も進んでいない。
■「ゼロコロナ」から「ウイズコロナ」転換を棄民政策にしてはならない
「ゼロコロナ」政策を放棄すると、ある試算では3億6300万人の感染、580万人の集中治療室、約62万人の死亡につながる可能性がある、別な試算では3ヵ月で160万人の死者が出るというシミュレーションもある。それにもかかわらず、中国は一転して「世界的動向に合わせて」今や不評でコストのかかるロックダウンを減らし、抵抗の少ない自己責任による感染対策という新たな「低コスト政策」にハンドルを切る恐れがある。
安易で安上がりで、社会弱者にしわ寄せする点では「ウイズコロナ」も「ゼロコロナ」も何の変りもないのだ。両者ともに公衆衛生体制・医療保険体制の再構築や強化、さらには労働環境と休業補償制度の改善などから切り離されて、行政コストだけで考えられればそうなるしかない。中国民衆は今までにも増して個々人が自己責任で感染症と対峙しなければならなくなる。
中国民衆は、ロックダウン反対ばかりではなく、低廉で統一的な皆保険制度の確立と労働補償と医療体制、公衆衛生のレベルアップを政府に同時に要求すべきなのだ。
■中国は格差と自己責任社会です
さらにさらに、中国はジニ係数(格差指数、0が完全平等)で、格差社会の世界的代表である米国をこの三十年で抜き去る不名誉な国となった。
★中国 0.47★米国0.39★日本 0.34★独 0.29(OECDによる2015~17年)
「中国は権威主義的だが、医療制度・社会保障制度などは整備されていて比較的格差が少ない」と考えるのなら現実と異なる。
ジニ係数で0.4レベルは暴動や略奪が多発する社会となる。米国のように「勝ち組」の天国であり、「負け組」にとって地獄だからだ。あまりの格差の拡大に対して習近平も去年「共同富裕論」を提起し中華風ビックテックBAT(Baidu、Alibaba、Tencent)&Xiaomi に「寄付」を募ったり(笑)、地方産業の振興に力を入れ始めたが効果は知られていない。
したがって、中国が暴動、集団抗議、デモなどの公然の反対運動が少ないというのは、日本マスコミの不勉強にすぎない。
実際、「中国は1990年代、2000年代、2010年代初期に大規模な抗議行動やストライキの波があった。中国政府はかつて、彼らが〈集団事件〉と呼ぶものを記録しており、現代中国の不平等や抑圧に対する社会的抵抗を示していたのである。
これらの事件は、1993年の8,700件から2005年には87,000件に増加した(政府はそれ以降発表中止し013年、2人の活動家が社会不安に関する統計の収集を開始しました。逮捕される前に、彼らは2015年に28,000件以上の大規模な事件を記録しました」(Internationalvewpoint)といった情報もある。今回の騒乱は比較的裕福とされる都市部でも発生したので注目があっまったのだろう。(文明)
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読書室 西谷文和氏編『統一教会の闇 アベ政治の闇 まだ止められる大阪カジノ』日本機関紙出版センター 2022年11月刊
○本書は、統一教会とアベ政治に関する識者四人と西谷氏との対談を中心として、さらに大阪カジノはまだ止められると訴えている、一読の価値あるタイムリーな出版物である○
本書は、約三分の二が編集部と識者四人との対談で構成されている。第1章は、「アベ政治とは何だったのか? 統一教会、国葬、五輪疑惑」と題されている。
まず登場するのは、鈴木エイト氏で「自民党の統一教会汚染を追跡して3000日!」との主題で対談している。続いての登場は、佐藤章氏で「アベ政治とは何だったのか? 統一教会、国葬、五輪疑惑」との主題で対談している。次の登場は、内田樹氏で「統一教会の闇、自民党アベ政治の闇」との主題で対談している。その次の対談者は、佐高信氏で「国葬反対運動を倒閣運動へ」との主題で対談している。最後の登壇者は、元文部官僚の前川喜平氏で「旧統一教会と自民党。歪められた教育行政」との主題で対談している。
本書は、類書と異なって対談本であり、またほとんどが一問一答形式で問題が論じられていることもあって、極めて分かり易く話が展開されている。そのため、統一教会と自民党との関係を考える上では、まずは最良の一冊と言って差し支えないものであろう。
私自身も、内田氏の国際的に見た統一教会の実態、前川氏の統一教会と下村博文文科大臣時代の教育行政の犯罪的な役割についての発言には、大いに啓発されたものである。
また第2章を構成する大阪カジノ問題は、西谷氏がこれまで一貫して追及してきたものである。そして大阪維新の会が強力に進める大阪カジノに対し、めげることなく意気軒昂な「まだ止められる大阪カジノ」との見解も、実に具体的で私たちに訴えるものがある。
その意味において、読者の皆様へ是非とも一読をお薦めしたい本である。 (直木)
川北稔著『砂糖の世界史』を読んで
●世界システム論
「砂糖あるところ奴隷あり」という視点から、西欧近代資本主義隆盛の対極を成す、砂糖プランテーションや奴隷貿易による西アフリカ、カリブ海諸島、ブラジルのモノカルチャーの歴史を叙述した力作が、この川北稔『砂糖の世界史』(岩波ジュニア新書)である。
川北稔は、イマニュエル・ウォーラーステインの「世界システム論」や、シドニー・ミンツの「歴史人類学」の方法論を大いに参考にした、と自ら述べており、それ以前の大塚久雄の「発展段階論」に対する批判を込めていることがうかがえる。
そこでこの「砂糖の世界史」を、大塚史学と比較対照しながら、読み進めてみた感想である。
●世界商品「砂糖」と「銀」
世界商品として、川北稔は「砂糖」、「茶」そして「奴隷貿易」に着目し、西欧の隆盛がアフリカ、カリブ海、アジアのモノカルチャー経済を土台として成立したことを強調する。
対する大塚久雄は、同じく世界商品として「香辛料」、「銀」、「毛織物」に着目し、西欧特にイギリスのマニュファクチュア(工場制手工業)の役割を強調したのは既にみた通りである。
●資本の原始的蓄積
さてここまでは、マルクス「資本論」を多少ともかじった人なら、農奴制が労働地代から現物地代、貨幣地代に変遷し、独立自営農民を生み出し、問屋制家内手工業からマニュファクチュア(工場制手工業)さらに機械制大工業へ発展する叙述を思い起こすだろう。
また「資本の原始的蓄積」として、スペイン、オランダ等の世界商業や、奴隷貿易による商業資本の蓄積、その一方でエンクロージャ(囲い込み運動)による賃金労働者の創出の叙述をも思い起こすことはできる。
大塚が前者(マニュファクチュア等)に重きを置いているのに対して、川北は後者(奴隷貿易等)に重きを置いていることは理解できる。だがこの重きの置き方の違いは、単なる「近代史叙述」の仕方に留まらず「現代史」への向き合い方の問題にまで発展するので、事は簡単ではない。
●モノカルチャー経済
大塚も川北も「モノカルチャー経済」が、アジア・アフリカ・ラテンアメリカ、の社会発展の桎梏であるという認識では一応共通してはいる。だが両者の問題意識は対照的であり、発言時期の違いを反映もしている。
大塚が「低開発国」の発展に言及したのは六十年代、旧植民地の独立が相次ぎ「経済援助」のあり方、特に現地社会の「伝統文化」への向き合い方が論じられた時期であった。
対して川北がこの問題に言及したのは九十年代、「新自由主義」が席巻し、援助の名のもとに「債務国化」「最貧国化」をもたらした先進国のエゴイズムが告発され、「新従属論」が唱えられた時期である。
●グローバルサウス
この問題は、今日の「気候危機」や「エネルギー危機」における「グローバルサウス」への向き合い方や「ミュニシパリズム」のあり方にも、重要な示唆を提供するものであり、見過ごせない論点であると思う。(冬彦)
《何でも紹介》 西鋭夫氏他著『占領神話の崩壊』と古海忠之氏著『忘れ得ぬ満洲国』他
小学校五年生の時、近所の三人組で少年漫画雑誌を三種類買って回し読みをしていた。当時の少年漫画界は戦争漫画が全盛で、「紫電改の鷹」など読みふけったものである。そんな時ふと戦争ができた財源は何だのかとの疑問が湧いてきた。また当時、横浜の黄金町では麻薬取引が横行し、中毒者たちは悲惨な生活を強いられていた。その頃、三橋美智也が主題歌を歌っていた「怪傑ハリマオ」を見てオランダ人の残虐非道に憤りを感じていたし、沢村貞子の弟の加東大介の「南の島に雪が降る」の映画を見て、ニューギニア戦線の悲惨な闘いや大本営の非情に大きな憤りを感じた。そして中学生ともなると当時テレビ放映されていた加藤剛主演の「人間の条件」を毎週食い入るように見ていた記憶が鮮明である。アジアの解放に日本軍が寄与したことなど幻想だと私は子供心にそう考えた。こうして私は戦前の日本国家の歴史と日本共産党の活動に関心を持つようになったのである。
それから幾星霜が過ぎたことか。関心を持ち色々な本を読み進めてきたことで、ようやく今では少年期に抱いてきたさまざまな疑問が自分なりに解けるようになったのである。
最近これらのことがまとまって解明された本が出版された。だからここで紹介したい。
大日本帝国の崩壊直後から本土や海外で、閣議決定により実に膨大な量の公文書が焼却処分された。日本は公文書を焼き捨てる犯罪を平気で行う文化を持つ国なのである。しかしながら実際にはかなりの極秘指定の公文書が役職者の自宅に持ち出されており、彼らの手許には戦前の日本国家の秘密が、その証拠となる極秘文章が残されていたのである。
これらの事実は日本の公文書管理の実態を示しており、それと表裏一体のものであった。
これらの資料の存在に目を付けて、日本の占領期にそれらを金品と引き替えにある目的を持ち積極的に収集していた組織こそ、米国のフーヴァー研究所東京オフィスであった。
フーヴァー研究所とは、スタンフォード大学の第一期卒業生であった第三一代米国大統領ハーバート・フーヴァーが一九一九年に設立した研究機関である。戦後、フーヴァー自身が占領下の日本、ドイツに赴き、実際に米国の占領政策に深く関わった。彼の活動の重要な一環として、米国占領下の関係国での国家極秘資料の収集計画があったのである。
日本では駿河台の東京オフィスを拠点にして、一九四五年一一月から一九五一年三月まで、書籍・専門書・新聞などを含む一四六八箱が海路米国に持ち出された。これらの資料には、「GHQ直筆・日本国憲法の原文」「東京裁判の宣誓供述書」「関東軍特務機関の阿片政策」「日本共産党員の獄中手記」「特高警察の極秘史料」等、極秘の一次史料が多数含まれていた。当然のことながら日本にはない資料である。それゆえにスタンフォード大学に留学し、その後フーヴァー研究所の教授となった西鋭夫氏によって、これらの資料は「フーヴァー・トレジャーズ」(Hoover Treasures)と呼ばれることとなったのである。
本書は、こうした経緯で収集された「フーヴァー・トレジャーズ」を基にして西氏が日本の占領秘史を炙り出したものである。本書は、中央公論新社から出版された実に浩瀚な本であるが、日本占領史の真実を知りたい人々には一押しの、また必読の書である。
まずは全体の目次を紹介しておこう。
目次
第1章 フーヴァー・トレジャーズ 極秘史料発掘
第2章 敗戦を歪めた吉田茂憲法 ⅠGHQ直筆憲法 Ⅱ憲法試案 Ⅲ世紀のスクープ Ⅳ虚像の男・白洲次郎 Ⅴ内通者と愛欲
第3章 東京裁判―戦友を裏切る海軍と陸軍 Ⅰ敗戦と焚書坑儒 Ⅱ阿片政策 Ⅲ天皇とマッカーサー Ⅳ日本のユダ・田中隆吉少将 Ⅴ東條英機 Ⅵ興亜観音と遺骨奪還作戦 ⅦA級戦犯保釈と戦後日本
第4章 共産党殺しの特高警察―GHQへ再就職 Ⅰ東京裁判と特高警察 Ⅱ小林多喜二撲殺 一九三三(昭和八)年 Ⅲ特高警察と拷問史 Ⅳ転向政策とスパイ Ⅴ「矢野豊次郎文書」の発見 Ⅵ獄中手記 Ⅶ網走監獄 Ⅷ日本敗戦と共産党 Ⅸ戦後も活躍した特高警察
あとがき
本書は、戦後日本国憲法の誕生秘話から始まり、白洲次郎の真実の暴露がある。そして阿片政策の実際と日本のユダと渾名された田中隆吉証言の暴露がなされ、特高警察の実態の精査と共産党の活動実態が綴られ、戦後も特高警察が生き延びたことを解説している。
本書でくっきりと明瞭に浮かび上がるのは、日本国憲法制定を巡るGHQと吉田茂の取り引き、また東京裁判における天皇免訴を巡る当時の暗闘、さらに満洲国の財政を支えた阿片取り引きとそれを担った三菱・三井、日本国内での阿片栽培の実際、そして特高警察と共産党対策等々、ほとんどの日本人が知らないことばかりの赤裸々な真実の提示である。
本書の参考文献に上げられている本ではあるが、今ここで特記しておきたいことがある。それは、満洲において岸信介の下で働き、岸の帰国後には満洲のナンバー2にまで上り詰めた古海忠之氏の『忘れ得ぬ満洲国』(経済往来社)のことである。この本は、死ぬまで満洲について綺麗事を述べ続けた星野直樹に代わって、満洲と関東軍とアヘンとの深い関わりを白状した実に貴重な本である。まさに凡俗な満洲礼賛本とは一線を画す本である。
また実際にアヘン密売等に関わる危険で汚い仕事は、ほとんど朝鮮人が行っていたのである。そのことは四年前に出版された、朴橿氏著『阿片帝国日本と朝鮮人』に詳しい。
さらに特高と共産党に関しては、次のことを付言しておきたい。西氏によって戦後中国から凱旋将軍のように帰国した野坂参三は、ソ連のスパイだと暴かれている。だが残念ながら西氏は全く知らないようだが、野坂参三に関しては既に詳細な家系図が付録として付く、共産党が作ったと噂される『実録野坂参三』(マルジュ社)が既に存在する。それによると野坂参三は海外へ出てからスパイになったのではない。無知は恐ろしい。野坂は山口県萩市の小野家に生まれたが、9歳で母の実家の野坂家の養子となり、野坂姓となった。問題は、参三の妻・龍氏の義兄(姉婿)が内務官僚・次田大三郎であることだ。
次田大三郎は、一九一六年に後藤新平内務大臣の秘書官に起用され、その後は後藤系の有力官僚として一九三六年三月に広田内閣の法務局長官となり、翌年の二月二日まで務める。一九四五年一〇月、幣原内閣の国務大臣兼内閣書記官長に就任し戦後処理に活躍している。彼の妻は三菱総理事や南満州鉄道副総裁を務めた江口定条の娘である。まさに野坂と次田との関係はただならぬものがある。『実録野坂参三』はこの点を解明しているのである。
まさに野坂スパイ問題を考える上では、この本は決定版とすべき本である。また野坂と深く関わる人物に後藤新平がいる。この後藤新平の左翼人脈も注目に値するものがある。
共産党の代表的な人物である佐野学は、後藤新平が名古屋時代、芸者に生ませた隠し子を養女として後藤家の籍に入れた静子の夫である医師佐野彪太の弟である。後藤新平と佐野学の関係については怪文書ばかりでなく、帝国議会でも政友会の小川平吉が「佐野学の逃亡事件を後藤子爵が援助した」とまで口を極めて後藤内相を攻撃していた事実がある。
この後藤新平については、台湾総督、初代満鉄総裁、逓信大臣、内務大臣、外務大臣、東京市第7代市長、東京放送局(後のNHK)初代総裁、拓殖大学第3代学長を歴任等の大活躍から、山ほどの後藤礼賛本が出版されている。だが、この後藤新平こそ台湾初代総督時代から日本のアヘン政策に関わり、満州でもアヘンに深く関わってきたのである。
この点での迫り方には問題を残すものの、注目すべきは駄場祐司氏著『後藤新平をめぐる権力構造の研究』(南窓社)である。この本は、後藤新平の活躍した政治的背景とその複雑な人格がよく提示できていると考えられる。今、品切れ状態は本当に残念である。
読者の皆様へは、ぜひ図書館にてお読みいただきたい本だと推薦したい。 (直木)
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沖縄通信・・・「佐喜眞美術館の紹介」
久しぶりに沖縄を訪問しました。
沖縄訪問の時に、私が必ずよる場所が宜野湾にある「佐喜眞美術館」です。
現役の教員時代にこの佐喜眞美術館を知り、個人的にも修学旅行でも生徒と一緒に訪問した美術館です。
館長の佐喜眞道夫さんは、この佐喜眞美術館の事を次のように説明しています。
「先祖の土地だった米軍普天間基地の一部を取り戻した場所に、1994年に開館して以来、全国各地、韓国、中国等近隣諸国からも含め約4万人を越える方々が佐喜眞美術館へ平和学習のために来館されています。希望の団体には、『沖縄戦の図』
(丸木位里・丸木俊作)と美術館屋上にて隣接する米軍普天間基地の説明を行っています。
芸術の力は、人間の想像の力です。戦跡や在沖米軍基地を見学することで得られる知識も大変重要ですが、それに感性や感動という身体感覚が加わることで、より深い知識となるのではないでしょうか。特に若い世代の方々が、丸木夫妻の『沖縄戦の図』の説明を聞きながらどんどん瞳がかわっていくのを日々目の当たりにしていると、戦争を知らない世代でも芸術を通し、人間の想像力によって戦争を知り、それが戦争をとめる力になるのだと、私たちは希望と勇気を与えられています。当美術館での体験が、沖縄平和学習の一助になれば幸いです。」
このように佐喜眞美術館が有名になったのは丸木伊里さん、俊さんが描いた「沖縄戦の図」を展示した事です。
「20年程前から、上野誠、ケーテ・コルヴイッツ、ジュルジュ・ルオー等のコレクションをしてきた私にとって、1983年、丸木位里さん・俊さんとの出会いは、運命的な出来事と成りました。御夫妻は『沖縄戦の図』を、沖縄に置きたいと願っておられました。 私たちの願いが、一つになって、米軍普天間飛行場の一部が、1992年に返還され、1994年11月23日美術館を開館することが出来ました。建物は、沖縄戦にこだわって6月23日(慰霊の日)の太陽の日没に合わせてつくりました。
沖縄戦の図を描く丸木ご夫妻について、ご夫妻は歴史的事実や沖縄戦を徹底的に研究する一方、生き残った人々と共に痛恨の現場に立ち、その証言を聞かれました。沖縄戦を体験した多くの人々がモデルとなって、一つ、一つ『かたち』を創っていかれました。俊さんは『あの絵は、沖縄戦を体験した沖縄の人々と私たちの共同作業です。』とおっしゃっておられます。
そして巨大な『沖縄戦の図』の左下に、『恥かしめを受けぬ前に死ぬ/手りゅうだんを下さい/鎌や鍬でカミソリでやれ/親は子を夫は妻を/若いものはとしよりを/エメラルドの海は紅に/集団自決とは/手を下さない虐殺である』との文字を書き込まれました。」
この佐喜眞美術館には屋上に上がれる階段があります。実はこの階段は6月23日(慰霊の日)の夕日が差し込むように設計されています。しかし、私が見学する時間は昼間が多いので、残念ながらこの屋上から夕日を見たことはありません。
でも、見学後必ず美術館屋上への階段を登り普天間飛行場を見学します。私が見学した日も、米軍ヘリコプターやオスプレイや輸送機が離発着訓練を繰り返しており、その騒音は凄いです。うるさい!と叫びたくなります。
宜野湾に住む住民の皆さんは静かな夜を返して欲しいと願い、「普天間米軍基地から騒音をなくす訴訟団」(今年の第3次訴訟団の原告人はなんと5846人となる)を組織して裁判闘争を戦っています。(富田英司)
読者からの手紙
① 政権の嘘とごまかしに負けないで闘いましょう
自民党は、防衛力強化のための増税に関する岸田文雄首相(党総裁)の自民党役員会発言「今を生きる国民が自らの責任として、その重みを背負って対応すべきものだ」について、インターネット上で波紋を呼んでおり、「上から目線だ」などとして、「国民が」の部分を「われわれが」=『今の私たちの世代で』に改め、茂木幹事長の記者会見録をホームページ上で訂正した。、
政権の防衛力増強政策とその為の増税方針に国民の責任で背負うべきだという姿勢に、多くの国民が異議を持ち反対するのは当然である。何も好んで戦争をのぞんでもいないしその為の軍備拡張政策=増税路線を支持する人はいないだろう。しかし、岸田政権は『敵基地攻撃能力』を『反撃能力』と言い換えて、その財源を建設国債にまで手をつけようとしている。
武力による国際間の問題解決を放棄した憲法9条を掲げながら『自衛隊』という軍隊を持ち、『自衛』『専守防衛』等と巧みな言葉解釈で進められている軍備増強=戦争政策、国民をいつまでごまかし続けるのだろうか!
このままでは軍事産業依存・借金漬けの国家になって破滅の道をひた走ることになる。そうならない為に軍拡政策を推し進める自民党政権の嘘とごまかしを暴き、闘っていきましょう。(乙見田慧)
② 近況報告
いつも上質で、階級的良心に立脚したオピニオン・情報を送付して頂き感謝します。
私事ながら、昨年8月13日、早朝に私の火の不始末のために自宅が火災になり、自宅は全焼。たまたま早朝でのアルバイトに出ていた私は難を逃れたが、帰省中の長男と妻は大火傷を負い入院しました。妻は4回の手術を受けて退院しましたが、重い障害が残りました。そんなことで今は市営住宅に住んでいます。
一応七五才が定年となっておるので、来年3月以降は今後がどうなるのか不明で不安でもあります。年金収入は住宅費を払えばゼロに等しく、ギリギリの生活を強いられている後期高齢者に、この国の政治は冷酷そのもの。弱者切り捨て、ひたすら軍拡そして北朝鮮、中国への米帝の軍事戦略、作戦に参加する恐るべき情勢です。このままではこの夜の地獄が現出する可能性が極めて大きくなること必定。
今日の急速な軍事費の突出的増大に冷静ではいられない。どうしたら強制と自立、エゴイズムなく尊厳を認めあうためには何をどうしたらよいのか? 若干の宗教への関心があり、時折市民会館での月一回の仏教講座に参加するが、今日の国家の支配層に特有の自国ファースト、支配強化の解消とはならない現状に苛立ちとあきらめ、無力感がある。
今年の3月、ウォーキングの途中に、急に息苦しくなり、全く歩けずに近くの民家にお邪魔し、急変を訴えたところ、早速その方が救急車を手配した結果、急性心筋梗塞が判明した。手術をし、1週間後に退院したが、現在も心臓が苦しくなることもあり、加えて薬の副作用なのか、今まで以上に気力、根気が希薄になり、活字を読む、考察等が苦手になっている。
後日、気持ちばかりのカンパを送ります。 早々 Y・F
(原稿用紙6枚を超える長文でしたので、文意を損なわないことを旨として纏めました。ご了承をお願いいたします。 直木)
大阪夢洲にカジノはいらない! 維新が牛耳る大阪府政・大阪市政を終わらせよう!
大阪カジノに反対する運動は、旧「カジノの是非は府民が決める住民投票をもとめる会」です。2022年3月から5月、カジノの是非を問う「住民投票条例」制定をもとめて署名活動をおこない、大阪府では半世紀ぶりとなる「直接請求」を実現しました。私も住民投票を求めるために受任者の一人として、署名活動に参加してきました。
私たちが制定をもとめた「条例案」は、7月29日の臨時大阪府議会で否決されてしまいましたが、 大阪府全体(72 行政区) で 約21万筆の署名をあつめた1
万人の仲間は、カジノ反対の活動を継続しています。「夢洲カジノ誘致計画」のために逼迫する財政、ないがしろにされる府民の暮し、傷つけられるいのちや人権、疲弊し荒廃する地域社会。カジノ建設をストップさせなければなりません。
簡単に夢洲カジノの経緯と現況を見ていきます。
2022年3月24日・29日 、 大阪市議会、府議会は「夢洲カジノ誘致計画」を可決。
4月27日、大阪府は「計画」を国に認可申請?国交省IR審議会で審査開始。
6月6日、大阪府民、カジノの是非を問う「住民投票条例」の制定を求め、 直接請求署名21万134筆を府下72行政区の選管に提出。
7月21日、 有効署名19万2773筆を大阪府へ提出し、直接請求を実現。
7月29日、大阪府知事、臨時府議会を招集。「条例案」はわずか半日の審議で否決。
8月から、 「夢洲カジノ誘致計画」認可の阻止、カジノ事業への無担保融資の 阻止をもとめる署名、抗議集会、デモなどの運動を開始。
今年4月統一地方選挙があります。私たちは、夢洲カジノを止める「リーダー」を応援します。「首長選挙」を事実上の「住民投票」にし、過半数獲得をめざします。カジノを止める地方議員の数を増やします。投票率65%達成をめざします。
2019年の大阪府知事選挙は投票率が49.0%、大阪市長選は投票率が52.7%でした。どちらも維新の候補者が大差で当選しました。
しかし、2015年大阪市廃止・分割住民投票の投票率が66.83%、2020年の大阪市廃止・分割住民投票の投票率は62.35%でした。どちらも維新が掲げる大阪市廃止・分割は少数否決されました。投票率アップが維新候補を落選させる近道です。
カジノを止めるリーダーが大阪府知事になったなら「夢洲カジノ誘致計画を白紙撤回する!」と」言えば、カジノは止まります。
カジノを止めるリーダーが大阪市長になったなら「カジノ事業者に夢洲は貸しません!」と言えば、カジノは止まります。
今年4月の統一地方選挙は、大きな分岐点になります。(河野)
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コラムの窓・・・ウトロが照らす日本の今!
ウトロで火事が起きたのは2021年8月30日、7棟が全半焼し2棟には計5人が暮らしていました。当初、警察と消防は失火としていましたが、名古屋の民団関連施設への放火で逮捕された当時22歳の男性が犯行を自供しました。
去年8月30日、京都地裁は懲役4年の判決を下しました。増田啓祐裁判長は、「在日韓国朝鮮人という特定の出自を持つ人々に対する偏見や嫌悪感による身勝手で独善的な動機から、暴力的な手法で不安をあおった犯行で、民主主義社会において、到底、許容できない」と指摘しています。この放火によって、この春に開館した平和祈念館に展示予定だった地区の歴史を伝える資料など50点が倉庫とともに焼失しました。
裁判で被告は「韓国人に敵対感情があった。展示品を使えなくすることで、祈念館の開館を阻止するねらいがあった」などと述べており、認めたくない不都合な証拠を消し去ろうという意図があったことがあきらかになっています。言葉による差別攻撃(ヘイト)が行動をともなうヘイトクライムへと過激化し、直接危害を加える傷害や放火となって現れる典型的なパターンです。
さて、京都府宇治市ウトロとはどのようなところか、在日の方々の集住地区ですがどのようにして形成されたのでしょうか。年表によると、1940年4月に京都飛行場起工式があり、そこに朝鮮人労働者が集まりましたが、日本の敗戦で飛行場建設は頓挫。
そこに住み続けていた人々は立ち退き訴訟で2000年に敗訴、国連社会権規約委員会勧告があったり、日本国内や韓国で支援募金運動、韓国国会の支援金決定があり、土地問題は買い取りと公営住宅の建設で解決をみています。
背景にあるのは大日本帝国による朝鮮植民地支配、日本の若者は兵隊に取られ、植民地収奪による困窮から日本に渡って来た朝鮮人労働者が働き手として動員されたのです。ウトロは低地だったので豪雨があると水浸しになり、水道もありませんでした。それでも集住することで生活できたという面もあり、なくなることはなかったようです。
昨今、憎悪犯罪とでもいうべき無差別殺傷事件が時に発生しています。相手は誰でもよかったというような道連れ自殺(拡大自殺)があり、攻撃対象が明らかな犯罪があります。どちらも鬱積した怒りから起こるものですが、後者は日本社会が抱え込んでしまっている排除・蔑視を背景とするものであり、国家が煽り公認した排除対象への攻撃はまるで〝正義〟でもあるかのようです。
その典型が安倍晋三という政治屋(家業としての国会議員)であり、拉致問題を政治利用した北朝鮮敵視、戦後補償問題を利用した嫌韓等々、それらがどれほど日本社会の精神的退廃をもたらしているかはかり知れません。そうした敵意に囲まれ生活しなければならない在日の方々の息苦しさはどれほどのものか。
この国の恐るべき現状は、入管のなかで外国人が死に追いやられ、警察等によって拘束されている人が死に追いやられる、およそ国家的暴力によって自由を奪われている人々はどんな扱いを受けてもかまわないかのようです。そこには対等な関係というものがなく、すべて人間関係は上下関係である、踏みつけ蹴落とせというわけです。
2023年はどんな年になるのか、暗い予想しかたちませんが、どこかに希望もあるのでしょう。くじけずに希望の種を探し、共有し、育てたいものです。 (晴)
川柳 2023/1 作 石井良司
ふと過る敵地攻撃真珠湾
児のはしゃぐ声が嬉しい昼日中
一日は長いのにもう年の末
晩学の道へ余生の足を向け
情報戦フェイクが敵をかき回す(「はぐらかす」)
脱炭素のらりくらりと先延ばし(「はぐらかす」)
入管の死へ核心を逸らす国(「はぐらかす」)
仲立ちにどっちつかずのエルドアン(「二股」)
忖度を見込んだ理事の咳払い(「サイン」)
壊れると叫ぶ地球の脱炭素(「サイン」)
ピンチにはプラス思考で切り替える(「替」)
住み替えのできない地球守る義務(「替」)
処理水に噎せる魚の呻き声(「声」)
辺野古沖土砂に珊瑚の呻き声(「声」)
太陽とコラボ再生エネルギー(「仲間」)
病む妻へ今度はボクが主夫になる(「世話」)
建前と本音を分けて生き上手(「前」)
重箱の隅で飯食う週刊誌(「二重」)
DNA二重らせんの血の絆(「二重」)
高いびき夫婦奏でる二重唱(「二重」)
人生はあの世のドラマ作る旅(「ドラマ」)
幸福を再びと待つウクライナ(「福」)
コロナ禍の荼毘の煙も物静か(「しーん」)
傷心の心を開く聞き上手(「うち明ける」)
本土並みの願い果たせぬ五十年(「今年のニュースから」)
ミサイルが絶えず魚も眠れない(「頻繁」)
色鉛筆・・・ 今度は園児虐待が起きる
静岡県牧之原市の認定こども園で昨年の九月、送迎バスに三歳児が置き去りにされ亡くなる事故が起こり(本誌六三五号で報告)政府は「こどものバス送迎・安全徹底プラン」を十月に発表して、今年の四月から通園バスに安全装置の設置を義務付け、費用の一部を補助する等の緊急対策をまとめたが、安全装置を設置するだけでは子どもの命は守れない。今、保育現場が共通して抱えるのは仕事量に対して人手が少ないことによる重い負担なのだ。事故後、子どもの命と育ちを守るために保育士の配置基準・処遇を改善するべきだと、マスコミ等でも取り上げていた十一月の末、園児虐待が起きてしまった。
静岡県裾野市の私立認可保育園「さくら保育園」で保育士三人が受け持っていた一歳児の園児に六月~八月上旬、頭を殴ったり足をつかんで宙づりにしたなどの問題行為があったと市は十一月三十日、記者会見をして状況を説明した。十五項目の問題行為には驚いたが、どうしてこんなことが起きてしまったのか、誰か止める保育士はいなかったのか、問題が発覚された時すぐに指導的立場である副園長や主任保育士が指導したり、園全体の問題として話し合っていれば止めることができたはずだ。同じ保育士として残念でならない。
しかし、驚くことに八月中旬に関係者から市に情報提供があったにもかかわらず問題の公表までに三ヶ月以上かかっていることだ。園や市の対応が遅くあまりにも無責任ではいか、これでは保護者達が怒るのも当然だ。すると公表されてから四日後という短期間で保育士三人が暴行容疑で逮捕されてしまった。どうして逮捕するのか?法律のことはよくわからないが命を奪ったわけではなく、被害届も出ていなく、逃亡するおそれもないのになぜ逮捕をするのか納得がいかなかった。次の日に牧之原市の送迎バス死亡事故の前園長ら四人は業務上過失致死の疑いで書類送検になったが、この事故の時は逮捕されなかった。そして、同じ日富山市のこども園でも複数の園児を物置に閉じ込めたり、体を棒で突いたりしていたことが明らかになり暴行の疑いで保育士二人が書類送検された。どうして同じ暴行容疑なのに裾野市の保育士達は逮捕なのか?暴行をしていた保育士達の行為は絶対に許されるものではなくこれから罪を償わなければならないが逮捕には疑念を感じた。。
問題が公表された記者会見で裾野市の村田市長は、『行われた行為は虐待と認識。犯罪ではないか』『市としては刑事告発もありうる』と述べたので問題が大きくなり、逮捕されると保育士達は犯罪者のように連日マスコミが報道をして大騒ぎになった。しかし、市に八月十五日に通報があってから園に調査を指示して、市は八月二十五日に園からの調査報告書を受けているのだ。ならばすぐに公表して、なぜ起きたのか調査をして再発防止策等を指導することができたはずだ。公表もしない指導もしない何もしなかった市の対応は無責任すぎる。三ヶ月以上何もしなかった市の対応への批判を恐れて市長は自分の責任逃れのために『犯罪』と言い出して刑事告発したのではないかと思う。市長の保身のために刑事告発された保育士達は生け贄になってしまったのだ。責任逃れをしている政治家達は数多くいるが市長も同類で、まるで見せしめのような逮捕だった。
そして、さくら保育園の園長も問題が起きた時にすぐ保育士を指導して保護者に謝罪していればこんなに大問題にならなかったはずだが、園長は法人の理事長も兼任していて四ヶ園も運営しているという経営者だから無理だったのかもしれない。また園長はこの問題を隠蔽しようとしていたことも明らかになり、市長は園長を犯人隠避の疑いでまた刑事告発をしたが、次の日園長は入院してしまい何故か未だに逮捕されていない。園長も自分の責任逃れのために隠蔽しようとしたのだ。市長と園長は同じ穴の狢だ。
その後も全国各地で園児への暴行が明らかになっているがどこの園でも起こる危険があるということだ。実際私も以前、一歳児六人に対して保育士一人という配置基準で仕事をしたことがあったが、その時は一歳児二十四人に保育士四人で目まぐるしい毎日だった。乳児二十四人という大集団で歩き始めていろいろなことに興味を示して動き回り一時も目を離すことができなく、子どもを見ながらトイレ、着替え、給食、掃除、検温をするのは本当に忙しかった。一歳児は自分の思うようにならないと友達をかんだりかじったりたたいたりして怪我をするので、大きな声を出したり怒ったりしたこともあった。これが不適切な保育で私も行っていたのだ。エスカレートして暴行虐待にならなかったのは、日々の保育の中で職員間で問題点を出し合い話し合って問題を解決してきたからだ。ところが、最近は人手不足や長時間保育で仕事量が増え話し合う時間がなく、コミュニケーションがとりにくくなっている。今回の園児虐待も忙しくて気持ちに余裕がなくイライラしてエスカレートしてしまったのかもしれない。保育士が心穏やかにゆとりを持って働ける環境を早急に整備して欲しいことを全国の保育士達は願っている。そのためには保育士の配置基準を引き上げて欲しい。
また、全国の保育園や幼稚園などで、子どもが全治三十日以上の怪我の負傷や疾病を伴う重篤な事故は年々増加していて二〇二一年は六年前の四倍近い二千三百四十七件に上がっている。(表参照)こうした事故が多いのも保育士一人が見る子どもの人数が多いからだ。事故や事件が起きないように根本的な配置基準の引き上げや処遇改善を行うべきだ。
この配置基準は二〇一二年、自民、公明、民主の三党は消費税を増税する代わりに、配置基準を見直し、現場の保育士を手厚くすることを約束したという。ところが、その財源が待機児童解消対策と元安倍首相が選挙の目玉とした幼児教育・保育の無償化に使われてしまったのだ。配置基準の見直しをしていれば子どもの痛ましい事故や事件は起こらなかったかもしれない。保育と同じように人手不足の介護や医療でもこうした暴行や虐待が起きている。岸田首相は予算案で防衛費を大幅に増やす為に医療・子育て予算を後回しにしている。ミサイルや戦闘機ではなく社会保障費等を大幅に増やすべきだ。このままではまた、事故や事件が起きてしまうのではないかと危惧を感じざるを得ない。防衛費の増大に反対の声を上げてきたい。12/23記(美)
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