ワーカーズ643号 (2023/6/1)
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社会保険料引き上げや増税に反対!生活不安の解消と非正規雇用の処遇改善を勝ち取ろう!
■実質賃金の低下は非正規雇用者も計算に入れているから?
厚生労働省が5月23日発表した2020年度の毎月勤労統計調査(確報、従業員5人以上)によると、物価変動の影響を除いた実質賃金は前年度に比べて1.8%減り、マイナス幅は消費増税の影響で物価が上がった14年度の2.9%減以来の大きさで、実質賃金を指数(20年平均=100)でみると22年度は98.8とコロナの影響が限定的な19年度の101.2を下回ったという。コロナ禍からの経済活動の正常化を背景に名目賃金は増加したものの、物価の伸びに追い付かず、相次ぐ値上げが家計を圧迫している実態が改めて示されたわけだが、実質賃金が低水準になっているのは今始まったわけではないのです。
実質賃金とは、給与(賞与含む)から物価変動の影響を差し引いた「一人当たりの実質賃金」を指し、厚生労働省の毎月勤労統計調査」(以下、毎勤)の「実質賃金」を用いるのが一般的です。その値は1996年をピークに、ほぼ一貫して下がり続け、2021年は1990年比で10%も低い水準になっているといわれています。
アベノミクス期間(’13年~’21年)に失業率は4%台から2%前半まで下がりましたが、このように雇用環境が改善されていく局面で実質賃金が下がる傾向にたいして安倍晋三元首相は国会答弁で、「私の妻が働きに出て、その賃金と私の賃金を合計して2で割った一人当たり実質賃金は低下してしまいます」と話していましたが、実質賃金を算出する過程で、労働者の雇用形態が変わり、正規雇用と非正規雇用の比率で非正規労働者の増加やそれに伴う労働時間の短縮によって、ベースとなる賃金総額が下がっていることが要因と言われていますが、だからといってこの低賃金で不安定な非正規雇用をなくすのではなく、その雇用形態を温存し益々定着させ増やそうとさえしている現状では実質賃金が下がり続けるのは当然と言えるのです。
■非正規労働者の処遇改善をなぜしないのか!
非正規労働者は、全体的にみると、1994年から現在まで緩やかに増加し、2019年には2165万人で、そのうち、パートとアルバイトは合わせて1519万人で、非正規労働者の70.2%という高い割合を占めていますが、労働者全体の38.3%が非正規労働者で年々増加しづけているのです。
非正規雇用は、●労働時間の調整が可能であること●転勤・異動がないこと●責任が軽いこと●副業がしやすいこと等、自由度の高い働き方ができるとして、希望するワークライフバランスに合わせて、仕事と生活の両立を図る際に有益等と言われていますが、●非正規雇用は正規雇用と比べて雇用調整の対象にされやすく、雇用が不安定だという問題。●非正規雇用は正規雇用に比べて低賃金であること●非正規雇用は正規雇用と比べて能力開発の機会が不足して職業キャリアの形成が不十分であること、等など雇い主である企業側に都合がよいように使われているのが現状でそうしたメリットがあるから非正規雇用形態の常態化が図られてきたのです。
非正規雇用の拡大によって、経済格差の拡大やワーキングプアの増加、失業への不安や現状への不満の拡大といった社会問題が生まれているなかで政府は「新三本の矢」(希望を生み出す強い経済、イノベーションの促進、働き方改革による生産性の向上、地域振興、夢をつむぐ子育て支援、幼児教育無償化、子育て支援、安心につながる社会保障、介護離職ゼロ、介護人材の確保、介護サービスの充実)や「一億総活躍プラン」で正社員への転換や同一労働同一賃金の実施等の働き方革命やイノベーションの推進を掲げて政策として実践・対処しているかのようですが、補助金等の支給など一時的な補助にとどまり、郵政職場では正規と非正規の休日日数について正規分を減らして同一化を図るなど、労働者全体の底下げによる公平化が行われており、非正規雇用の根本的な解決にはなっていません。
■国民負担の政策変更と処遇改善は自らの闘いによってのみ勝ち取られる!
政府は、「異次元の少子化対策」をめぐり、財源確保のために社会保険料への上乗せと、医療保険料とあわせて「支援金」として徴収する方向だし、防衛費の増額も国債発行など将来増税につながるものが目白押しに打ち出されています。
物価高(貨幣価値の下落)はロシアのウクライナへの侵攻に伴う物不足だけではなく、日銀による金融緩和政策にも起因しているのです。こうした政策が続く限り、生活不安は解消されることはないでしょう。
不安定な雇用不安や生活不安の解消は「座して死を待つより」闘う以外にはないのです。(光)
戦争を呼び込む《抑止論》――軍事整合性論の陥穽――
岸田政権が昨年末に閣議決定した安保三文書の改訂は、中国を名指しで現実的な脅威(=これまでにない最大の戦略的な挑戦)と規定し、米国と一体化して、対中国封じ込めの新冷戦戦略を進める姿勢を鮮明にしたものだった。
その新三文書は、これまでの建前としての《平和国家》《専守防衛》を投げ捨て、公然と《先制攻撃》《軍事大国化》に道を開く暴挙だった。
いま米中〝新冷戦〟時代が喧伝される中、好戦派のプロパガンダとしてしきりに振りまかれるのが、いわゆる《抑止論》《抑止力論》だ。すでに一部の大手メディアにも浸透している。
そうした軍事整合性に基づく《抑止論》こそ、対立と抗争をエスカレートさせ、戦争を呼び込む危険極まるものだ。
私たちは、《矛と盾》という永遠の対立構造を、国境を越えた労働者・市民の連携と闘いによって封じ込めていきたい。
◆《抑止論》のまやかし
このところ、国家間関係での緊張の高まりの中で、幅をきかせているのが好戦派による《抑止論》《抑止力論》だ。
《抑止論》《抑止力論》というのは、相手国が自国に戦争を仕掛けるのをためらうだけの軍事力を保持すべき、という考え方だ。それだけ相手国の侵略意図は削がれる、という考え方で、防御の側面を強調した表現だ。「防衛費も増やさず、反撃能力も持たず、どうやって国を守るんですか。本当に対案があるなら教えて欲しい。」(黒江哲朗 朝日5・17)
が、この抑止論は致命的な欠陥がある。それは、単純なことながら、相手国の反応や対応を視野の外においていることだ。その結果、こちらが抑止論・抑止力論に立って軍備増強を進めると、相手国もそれに対抗して軍事力を増強させるという、いわゆる軍拡エスカレーションをもたらし、かえって軍事的緊張を高め、軍事衝突の危機を増幅させる、という現実をあえて見ないでおく。
だから、好戦派は、仮想敵国に対する自分たちの防御の軍拡、要するに抑止論を主張するだけで、軍拡エスカレーションに関しては口を閉ざすという明確な特徴がある。そんな抑止論など、平和の保障などになるはずもない。
同じことは敵基地攻撃(反撃)能力の保有にも当てはまる。
敵国の我が国への攻撃の《着手》があれば、敵国のミサイル基地やその指令所などを攻撃できる、その能力を持つ、というものだ。が、これに関しても、〝では、その後敵国はどう行動してくるのか〟と言うことには口をつぐんでいる。その場面で、敵国が攻撃を諦めるわけもなく、それこそ対抗攻撃を強化することになる。そうなれば、我が国も……とばかり、それ以上の反撃に突き進む……。という事態にならざる終えない。そんな事態を想起させるので、《第一撃》以降の展開については、口をつぐむことになる。そんな局部的かつ一面的なプロパガンダに乗せられるわけにはいかない。
◆軍事整合性という土俵
こうした抑止論、抑止力論は、その根底に軍事整合性論(=軍事合理性論)がある。
上記の元防衛事務次官で政府の有識者会議のメンバーだった黒江哲朗や、自衛隊出身で〝ひげの隊長〟こと参議院議員の佐藤正久などが振りまく軍事整合性とは、敵・味方との攻防戦という土俵だけで物事を考えること、その土俵上でいかに敵を倒し、勝利するかという発想や戦略・戦術のことだ。自民党国防族の小野寺五典衆議院議員などが実施した台湾海峡危機を想定した軍事シミュレーションも、相手の脅威や攻撃にどう対処するか、という土俵上での話だ。
そうした土俵上で対策を考えれば、いかに勝つか、という話にならざるを得ない。まさに〝戦争ゲーム〟や〝戦争ごっこ〟のレベルの話だ。
こうした思考や戦術は、ボクシングや柔道、あるいは野球やサッカーなどスポーツの世界、囲碁・将棋のようなゲームでは〝基本中の基本〟であって、最も重要な要素だ。相手の攻撃を受け止め、相手の隙を突いて有効な打撃を加え、相手を敗北させる。
だが政治の世界、国家間関係や軍事の世界は、経済的要素や関係する人々の利害関係など多面的な要素が編み合う複雑な世界であって、スポーツやゲームの世界とはまったく違う世界だ。
スポーツやゲームの世界では、お互いに守るべきルールがあるし、しかも勝敗を判定する審判も置かれている。が、戦争という土俵では、いくつかの戦争法規があるにしても、それは破られることが通例であり、また、裁判制度での最終審級にあたる最高裁のように、関係国を咎める国家の上に存在する上位機関は存在しない。国連はあくまで《国民・国家》の連合でしかない。結局は、軍事整合性は、ジャングル・ルールの下での《弱肉強食の土俵》でしかないのだ。
国家間関係には、経済関係という土俵もあるし、人々どうしの交流・交際という土俵もある。さらに言えば、国境を越えて利害関係を共通する労働者階級や各種NGOという存在やそうした人々の連携という土俵もある。
戦争で犠牲になるのは、多くの場合、双方の国の兵士や召集される青壮年の住民であり、また戦地にされた地域に暮らす女性や子供だ。そうした人々は最悪の被害者になるし、戦争で恩恵を手にすることは何もない。戦争で利益を手にするのは、勝った国の英雄になる権力者や軍隊の将軍、それに政商や経済的覇権を手にする政商や大資本などだ。
だから、好戦派が立脚点とする軍事整合性という土俵を極力狭くすること、小さくすることこそ、平和への道筋になるのだ。
◆土俵はひとつではない
軍事整合性は、国家間の相互関係を《軍事の土俵》に一面化、単純化して、それが全てであるがごとく振る舞うことだ。が、相互関係の土俵はひとつではない。
よく言及されるのが、《外交》という土俵だ。メディアや有識者も含め、よく言及されるのが、この《外交努力》という言葉だ。
確かに国家間の緊張に際して、軍事力の強化で対抗するのではなく、政府間の話し合いで解決する、というのは、よくあることであり、一つの対案ではある。
が、《戦争とは政治の延長》という言葉(クラウゼヴィッツ)もある。外交と軍事は一対の関係でもある。現に外交や外交政策は、軍事と軍事政策とともに、政府の権能だ。左手で協議し、右手で軍事力を操作する。
他に、経済外交、民間外交という言葉もあり、市民交流や大衆団体交流もある。
近年までは対外関係では、《政教分離》や《政経分離》とも言われ、グローバル化で自由貿易が拡がった。政治や宗教上の対立とは一線を画した国家間協力も見られた。
が、現在は、軍事優先の経済安全保障、要するに《軍事が経済を規定する》という経済のブロック化、デカップリングが進み、新冷戦構造が拡がっている。時と場合で軍事と外交の組み合わせは大きく変化する。
では軍事的緊張に何を対置すべきなのだろうか。国家間の軍事的対立、そこでの相互関係における軍事整合性に対置すべきは、政府の外交ではない。対置すべきは、民間外交、市民外交、中でも大衆レベルの相互交流、突き詰めれば、最も規模も大きく、普遍的意義を持つ労働者・市民による国境を越えた反戦行動での連携だ。その基盤は常に存在する。
◆国境を越えた大衆レベルの連携を!
対立と抗争のエスカレーションではなく、私たちが目ざすべきは、国境を越えた各国の労働者や大衆的な団体の闘いを拡げることと、その相互間の連携を拡げていくことだ。
今回のウクライナ戦争でも、プーチン政権に弾圧されているとはいえ、侵略戦争反対の積極的な抵抗の動き、それに、徴兵や召集に対する逃亡や厭戦気分の拡がりなど、消極的抵抗の拡がりも見られる。
中国についても同じだ。かつては土地の強制収用や農民工の反乱、それに労働者の賃上げストライキ、最近ではゼロコロナ政策に抗議する《白紙革命》など、共産党政権への反乱や抵抗の根は蓄積されている。現在は経済成長もあって共産党政権への大きな抵抗闘争は顕在化していないが、貧富の格差拡大や、経済成長の陰りが顕在化すれば、新たな反政権闘争も全土に拡がる可能性もある。
日本でも、自衛隊の南西シフトに対する抗議の闘いや、先制攻撃も可能にする軍事大国化と対抗する運動があり、最近ではオーストラリアでも、原潜導入と基地づくりに抗議する闘いも報じられている。
米中対立に関して言えば、日米同盟や〝クアッド〟〝オーカス〟など、新冷戦と言われる国家間対立にばかり目が付くが、私たちはそれらとまったく違う土俵上で、国境を越えた労働者の連携を拡げていく必要がある。それこそが国家、政府間の戦争の悲惨さをふせぐ、強力な対抗運動になる。
最近のいくつかの世論調査では、軍事費増額や憲法9条改訂賛成の比率が増えている。確かにウクライナ戦争という眼前のリアリティー、米中対立の新冷戦構造などの影響を受けての結果には違いない。それらを利用し軍事整合性、軍事優先主義を煽っている好戦派の影響も一部にはあるのだろう。
そんな風潮を跳ね返し、それらと対決する労働者階級をはじめとした多くの人々の反戦平和の闘いを拡げることで、戦争とそれを引き寄せる新冷戦構造と対抗していきたい。(廣)
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無展望・無責任な好戦派
◆現実的? いや現実離れ!
岸田首相も安倍元首相を引き続いで「今日のウクライナは明日の東アジアだ」とばかり、台湾海峡有事や中国脅威論を振り撒いている。
が、そもそも現時点での中国の立場は、〝一つの中国論〟に立つ台湾の〝平和統一〟であって、〝武力統一〟の選択肢も放棄しないと言っているだけだ。現時点では、〝武力侵攻〟自体、可能かどうか、中国がそれを選択するかどうかは見通せない状況にある。
日本の好戦派やネトウヨは、中国は尖閣諸島や沖縄、ロシアは北海道への侵攻など、まさに目の前に迫った《現実的脅威》であるかのように危機感を煽り、中・ロを具体的な仮想敵国と見なして戦争準備を煽っている。
確かに、ロシアによるウクライナ侵攻という暴挙は現実に実行されたものだが、それがどこでも起こるとまでは言えない。
例えば中国が日本に攻撃を仕掛け、領土を奪い、占領支配するなどは、現実離れしたシナリオに過ぎない。(尖閣諸島は領土紛争として残ってはいるが、これは国境紛争の一種であり、解決可能な課題だ)
そもそも第二次大戦以降は、かつての植民地再分割戦争という、自国領土拡大戦争など、基本的には無くなっている。戦後も多くの武力行使、戦争は起こっているが、その主目的は、対象国の政治体制の転覆や属国化という覇権主義に変わっている。
◆中国が日本に侵攻?
いま米国や日本などは、中国の台湾への政治的・軍事的攻勢への危機感を煽っているが、いうまでもなく、中国が米国や日本に直接攻め込むといった話ではない。
中国も、一つの中国論に立って、台湾への圧力を高め、最終的な武力統一の選択肢も視野に入れているのは疑いはない。が、それはあくまで中台統一という問題だ。
例えば中国にしても、日本に戦争を仕掛け、中国領土に編入させるという領土支配など、考えてもいないだろう。領土支配や直接的な占領統治は、その軍事的・経済的コストに比べ、得られる利益は少ないことが明らかだからだ。
米中、日中戦争が想定されるのは、中国が台湾武力統合を強行するのか、それに対して米国が台湾に軍事支援――参戦するのか(これさえ定かではない)という問題であり、そうなったとき、日本が日米同盟と安保法制の下、最前線で参戦するのか、という話だ。
侵略戦争では、侵略国の兵士の戦意は総じて低いものだ。今回のウクライナ戦争でも、ロシア兵の戦意はとても低いと言われている。それはどこの侵略国でも変わらないだろう。
現に、米国が介入したベトナム戦争も、結局は失敗した。アフガニスタンに対する旧ソ連の侵攻、その後の米国によるアフガニスタン侵攻など、国力、軍事力で圧倒的な優位にある国の侵略戦争も、失敗に終わっている。
いま、中国が同じように日本への武力攻撃・占領統治するコストと利益は釣り合うはずもなく、中国や習近平も、そんなことは考えていないだろう。現に、中国の世界拡張の実態はと言えば、まず経済支援、その結果としての債務漬け、その上での〝属国化〟だ。これは米国と日本の関係にも、一部(日米構造協議、日米地位協定など)にも当てはまっている。これらは、経済力や軍事力で相手国を強引に従わせるという、帝国主義の新型バリエーション、米国に代表される覇権主義の一種なのだ。
日本の抗戦派は、そんな帝国主義の変質は棚に上げて、ただ中国脅威論を煽ることで、日本の軍事大国化、戦争準備に猛進しているだけなのだ。そんな盲動を許してはならない。
◆無展望、無責任
そんな好戦派の特徴は、敵基地攻撃――先制攻撃にさいして、その後のこと(敵国の報復・反撃攻撃など)を考えていないことだ。その先の将来起こりうる事態も考えていない。
たとえば、かつて山本五十六連合艦隊司令長官は、「それ(対米戦争)は是非やれと言われれば初め半年や1年の間は随分暴れてご覧に入れる。然しながら、2年3年となれば全く確信は持てぬ。」と言ったとされている。また当時の軍部は、1年ぐらいで戦果(米国海軍艦隊の壊滅的打撃)を上げ、ソ連の仲介などで停戦に持ち込むとの根拠無き楽観的な目算があったという。将来見通しなど何も無いか、あえて見ない、口にしない、というのは、当時も今も同じというわけだ。
仮想敵国づくりも、何の将来展望もない。
戦前の軍は、陸軍としての当初の仮想敵国はソ連であり、海軍の仮想敵国は米国だった。二つの敵国を想定した戦争は無謀なものであり、現に、ミッドウエー海戦での敗北など、開戦半年で見通しは全くなくなり、果てはヤルタ会談に基づくソ連の電撃的な対日参戦で、敗走する事態をもたらした。
現在はどうか。昨年暮れの安保3文書の改訂では、中国を敵国として初めて現実的な仮想敵国だと指定し、またロシアや北朝鮮も敵国扱いだ。潜在的な仮想敵国だとの規定では、直ちに対抗戦略の策定には繋がらないが、現実的仮想敵国に指定すれば、即、対処行動を取らなければならない。要するに、現実の脅威と具体的な対抗行動を取るということだ。
が、その場合でも、日本の好戦派は、想定される不都合な事態を隠している。
中・ソ・北朝鮮と言えば、その3カ国とも核保有国で、最悪の事態まで想定すれば、破滅的結末を招くことになる。また、核攻撃に至らなくとも、日本海側には何10基もの原発がある。ウクライナでも現実に原発敷地への砲撃もあったといわれ、日本の原発が狙われる危険性は常にある。そうなれば、核攻撃を受けなくとも、日本は、破局的な危機に直面する。
そんな事態を招きかねない好戦派の無展望・無責任な放言を押し返さなくてはならない。(廣)
信用危機 景気後退 そして債務上限のゴタゴタ――米国を覆う暗雲
2022年10月に、米国は公的債務残高が31兆ドルを突破し、21年12月に議会が引き上げた上限の31.4兆ドルに迫っている。財務省は、特別措置を講じても6月初めまでには財源が枯渇し、債務が支払えなくなると警告している。最近のイエレン財務長官の発言では6月1日が限度だと警告した。(この記事は五月二十五日に書かれました。)
■国家財政、米国の仕組み
米国の独特の予算編成プロセスについて少し見てみよう。そもそも米国では議会に政府の借り入れを決定する権限があり、かつては財務省が国債や政府証券を発行する度に議会の承認を求めていたが、債券発行頻度の増加に伴い、1930年代に入ると、議会が連邦政府の債務上限を設定し、その範囲内で財務省が借り入れを行う形に改められた。政府債務が上限に近づく度に、議会はこれまで債務上限を断続的に引き上げてきた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
日本では、通常予算成立後でも必要な場合には補正予算を編成することができる(毎年通例化している)。これにより、予算の変更や追加がかなり自由だ。
2019年の国家歳入に占める国債収入は、日本が17.7%、アメリカが11.8%だ。このように、米国の予算は大統領の強い権限を縛るためにも、借金増大へのブレーキとしても議会による「債務上限」が定められる。
■民主党左派と共和党右派(トランプ派)との闘い
バイデン大統領と共和党の下院議長マッカーシーの交渉が表舞台であるとすれば、裏でそれを突き上げているのが民主党左派=サンダース派と共和党最右派=トランプ派だ。ともに少数だが、僅差の議会を考えれば無視できない存在となる。
サンダースは、共和党に妥協するぐらいなら、合衆国憲法修正第14条の発動を主張。議会を飛ばして必要な歳出の実行をせよと。
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修正第14条は、アメリカ合衆国の市民権、人権、および法の下の平等に関する問題に焦点を当てている修正条項であり、その中には「全ての公債は、法定の手続きによって認められたものでなければ、厳密に禁止される」という条文がある。しかし他方では、「連邦政府が承認した公的債務は、合法的な債務である」と規定。市民権、人権を強調しているので、議会抜きで政府のみで、アメリカ政府が国債を発行し、債務を拡大し支出することを正当化する重要な法的根拠とされているが、異論が多いだけではなく裁判所の解釈や適用についての判断もあり、実現は簡単ではない。
トランプは、民主党に譲歩するなら「デフォルトすべき」と強硬論をぶち上げている。バイデンもマッカーシーも党内をまとめ切れていない。
他に「凍結論」その他もささやかれているが、問題の先延ばしや棚上げであり解決策とは言えない。
■債務上限問題の本質
債務上限問題についてこれまで多くの人々は、米国内の政治的茶番劇あるいはプロレスだと冷ややかに見てきた。そもそも「米国のデフォルト」は形だけである(基軸通貨国ドルの祖国は破産しない)。もちろんそうだし、半年前を想起しよう。去年の12月、確かにバイデン大統領は、2023会計年度の「国防」支出の8580億ドルを承認する「国家防衛承認法」に署名した。議会とバイデン大統領は蜜月であった(民主党左派除く)。
今回は次期大統領選をにらんだ民主党Vs共和党の前哨戦なのでにぎやかになっていると。しかし、他方ではこの両党派の闘いの激しさは、実は米国社会の深い分裂を反映しているのである。そのことも見逃してはいけない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ここで問題になるのが、債務上限引き上げの代わりとして予算の内容変更を共和党が求めていることだ。共和党下院はクリーンエネルギー絡みの税優遇の見直し、メディケイド(低所得者向け公的医療保険制度)の受給要件に就労を含めて歳出を抑制する、などの内容を含んだ法案を、既に下院で成立させている。しかし、標的にされた予算はもちろん米国の低所得層、そして民主党の左派がテコ入れしてきたものである。
結局バイデンは土壇場で貧困層の利益を共和党に売り渡すつもりだとマスコミは推測している。とはいえ、この政策をバイデン政権が、債務上限問題のために放棄したならば、国民的批判を受けるのは必至だ。次期大統領候補を狙うバイデンとしても一歩も譲れない。いい加減な妥協をすれば党内左派から突き上げられるだろう。と言う意味では、債務上限問題は先鋭化した階級闘争の一側面なのである。
■米国がもしデフォルトになると仮定すれば?
政府の資金が枯渇すれば政府機関閉鎖が発生し、社会福祉に依存する貧困層が真っ先に打撃を受ける。米国がデフォルトになってしまうと、銀行は多量の米国債を持っているので、いま問題になっている銀行の信用不安を決定づける。
と言うのは、長期の低金利下にあった米国は、本来の銀行業務(預金と貸し出しの利ザヤ稼ぎ)では収益が出にくく、国債やその他債券を運用する業務内容となってしまっていた。それらの「資産」が金利上昇で時価が大幅に下がり、財務内容が悪化し自己資本比率が低下した。米国の銀行の財務内容は、簿価ではなく時価で評価される。これは、米国の金融規制当局である金融安定理事会(FSB)が定めたものだ。つまり、すでに下がり始めた米国債がさらに大幅下落するなら、銀行危機の深みにはますますハマるだろう。(ワーカーズ641号『世界経済危機が生活危機へと転化されようとしている――闘いを始めよう』参照)(阿部文明)
広島サミットの後 世界はいっそう核の脅威にさらされる
■サーロ―節子さん怒りの抗議
先進7カ国首脳会議(G7サミット)がまとめた核軍縮に関する「広島ビジョン」を巡り、被爆者サーロー節子さん(91)が五月二十日に語った。「自国の核兵器は肯定し、対立する国の核兵器を非難するばかりの発信を被爆地からするのは許されない」「広島ビジョンは核兵器の肯定」と厳しく批判した。
まさに岸田首相の主催するG7サミットにより、広島は欺瞞の発信地にされようとした。サーローさんはそれに猛烈に抗議したのだ。原水協も「核抑止力論を公然と宣言した」とG7を批判した。
■戦争(準備)をエスカレートさせて核をなくすことはできない
もし、岸田首相やバイデン大統領が「核兵器の惨禍」を胸に刻むというのならば、彼らは、徹底した外交で戦争を抑止し核兵器の出番を封じるとともに、核兵器禁止条約(TPNW)を即刻批准すべきでしょう。それに向けて自国国民の説得を即刻開始すべきでしょう。まさにその動きや、発言が一切なかった。
核保有国である米国、ロシア、中国、英国、フランスはいずれも条約に署名すらしていないという酷さ。一方の核保有国の寄り集まり=G7が広島で語る「核なき世界」や「核の惨禍」とは偽善そのものだ。
現実はその逆。米国はロシアのウクライナ侵略に「対抗」すると称して多量の武器を、しかもロシアとの危険な瀬戸際での駆け引きのもとで「ウクライナ支援」している。同時に「中国の台湾進攻」という危機を煽り続け、戦争準備に世界の同盟国を誘い込んでいます。
「ヒロシマ」を欺瞞と核兵器肯定の場にしようとした岸田首相の罪は限りなく深い。
■広島サミットをへて世界の分裂は深まった
「主要7カ国首脳会議(G7広島サミット)は、対中国政策で「デカップル(切り離し)」ではなく「デリスク(リスク低減)」を目指す方針を示した。だが、中国から見れば、G7は中国の戦略産業を妨害し、自国の防衛予算を増額していると映る」(Reuters)。
この記事にあるようにG7は言葉とは裏腹に中国・ロシアとのデカップリング(切り離し)の推進を果たした。つまり、新冷戦と言われる事態を解消するどころか自ら推進しようとした。
中国当局は五月二十一日、米半導体大手マイクロン・テクノロジーの製品について、重要インフラ事業者が調達することを禁止すると発表した。これは、G7の声明への手始めの報復だ。これにより、米中対立激化に伴って世界の半導体産業が直面しつつあるリスクが、改めてはっきりと示された形だ。終始、偽善と欺瞞の国際会議であったというほかはない。(F)
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尹(ユン)韓国大統領の「寛大さ」が日本国内の反動派・軍国主義勢力を勢いづけないのだろうか?
韓国政府は、韓国の元徴用工訴訟問題で、対日関係を優先し日本企業の賠償支払いを韓国政府傘下の財団に肩代わりさせる解決策の実行に着手し、原告への支給が始まったと報道された。
また、四月の訪米の際ワシントンポストのインタビューでユン大統領は「百年前のことで日本に『無条件にひざまずけ』と言うのは受け入れられない」と語り、韓国国内で当然ながら批判を浴びた。
■歴史に対する反省に「終わり」は無い
ユン大統領の言う「百年前のこと」とは、言うまでもなく日韓併合などを含む日本の朝鮮統治=植民地化の問題でしょう。
「日本は無条件にひざまずけ」とは極端な物言いだが、旧日本政府などの植民地支配は歴史的に許されてはならないのは当然であり、南北の朝鮮の政府や人民は日本政府・軍の蛮行を安易に「許す」べきではありません。いや、歴史とはそうでなければならないと思います。
世代替わりしても、犯罪は歴史に刻み込み引き継がれるべきなのです。とりわけ現在日本において、「歴史修正主義」(日本によるアジアの諸国の植民地化を否定する)の潮流とともに中国人や朝鮮人を不当に揶揄する歪んだ報道がマスコミ等でも流され、ネットではもっと露骨に嫌悪感が振りまかれていています。
■「対中包囲」のための「韓日友好」?
ユン大統領は、米国の思惑(対中国包囲のためには日韓関係を改善すべきだ)をくんで、「韓日友好回復」を演出して見せたかったのでしょうが、一連の件で韓国国民の反発は当然大きくなっているようです。場当たり的で短絡的思考しか持てない米国政府への忖度のために韓国トップが歴史経緯を無視した「韓日友好」を演出するのは軽率ではないでしょうか。歴史認識を大きく変えることは未来に禍根を残すのではないでしょうか。
■日本の反動勢力の軛(くびき)が外された
ユン氏の日韓を巡る「歴史問題」への寛大すぎる姿勢が日韓友好の礎になるどころか、真逆の結果を生む可能性があります。
ユン大統領の「寛大さ」は、日本の反動派や戦前回帰勢力を「免罪」するに等しく勢いづける可能性があります。それは韓国国民の反発と共に、日本の国内の政治問題として深刻な影響を与え続けることが危惧されます。
■日米・韓米軍事同盟の危険な変質
在韓米軍のアイザック・テイラー報道担当は、ユン大統領とバイデン大統領が四月の韓米首脳会談で韓米核協議グループ(NCG)構築を盛り込んだ「ワシントン宣言」を採択したことに大きな意味を与えました(ハンギョレ新聞)。これは、核兵器を搭載できる米戦略原子力潜水艦の頻繁な韓国寄港、北朝鮮の核・ミサイル開発に関する情報共有、米国の核兵器を韓国に再配備する計画はないとしつつも米国の拡大抑止のあり方を共有し、韓国が関与できるようにする(聯合ニュース)、核抑止共同訓練、有事における米韓の共同作戦等を含んでいる。
さらに、亜洲大学米中政策研究所のキム・フンギュ所長は、「これまでは韓米同盟が北朝鮮の南侵と挑発を抑制するための機能に忠実だったとすれば、今は韓米同盟を対中同盟の一部として活用したいという米国の考えが非常に強い」と述べた(同上)。在韓米軍と韓米同盟の位置づけが変化したようです。
日本については、当「ワーカーズ」ですでに論じられてきたので簡単にします。安保法改悪(2015年)や集団的自衛権の閣議決定、さらに去年の安保三文書などで北朝鮮とりわけ中国を事実上の「敵国」とみなしています。それを踏まえて「専守防衛」をかなぐり捨て、外国への攻撃を可能とし、昨今「台湾有事」をことさらに煽りながら、台湾に連なる南西諸島での自衛隊ミサイル基地建設や日米軍事共同訓練の実施が遂行されているのが現状です。(F)
読書室 白井聡氏著 『今を生きる思想 マルクス 生を呑み込む資本主義』 講談社現代新書
〇気鋭の政治学者である白井氏がマルクスの思想の現代性を、三章構成、わずか百数十ページで解き明かした本書は、明確に資本主義社会の問題点を指摘した優れたものである〇
三・一一を起点とした原発や新安保体制党の問題を「敗戦の否認」をキーワードにして、日本現代史を『永続敗戦論 戦後日本の核心』としてまとめ上げた白井氏は、この本で石橋湛山賞を受賞した。これにより白井氏は論壇に知られるようになったが、その後もこの「敗戦の否認」に示された問題意識から鋭い時評を中心とした政治評論を展開している。近年では、ワーカーズの読書室でも取り上げたことのある『武器としての「資本論」』を出版し、一部では不評ながらも『資本論』に対する鋭い問題意識でも注目されている。
今回取り上げる本書は、講談社現代新書編集部が出版不況の中で打ち出した経営戦略の産物である、現代新書100(ハンドレッド)シリーズの一冊である。このシリーズは、現代新書編集部によって、新書のテーマを①それは、どんな思想なのか(概論)②なぜ、その思想が生まれたのか(時代背景)③なぜ、その思想が今こそ読まれるべきなのか(現代への応用)の三点に絞り、本文を100ページ+αでコンパクトにまとめた、「一気に読める教養新書」である、と位置づけられている。まさに時代の要請に基づくものだ。
その現代新書編集部が執筆を依頼したのが、白井氏である。当然ながら購入層を意識しての判断だったろう。結果的にはどうなるのか不明ながら、まずは良い判断と言える。
本書の第一章は、「思想家マルクスの誕生」である。だが正直言って、政治学者の白井氏には荷が重かったようであり、そのまとめ方は佐々木隆治氏の『カール・マルクス』に比べれ見れば、はるかに軽い内容だ。また第二章の「『資本論』の世界」についても、個々人的所有の再建論が取り上げられていない点に象徴されるように、宇野経済学を高く評価する政治学者の白井氏には『資本論』を適切に紹介する技量には疑問がある。この点、今話題となっている経済思想家斎藤幸平氏の『ゼロからの『資本論』』と比較するのは、申し訳ないこととは知りながらも、はるかに見劣りする内容と言わざるを得ない。
勿論、本書の本の第一章と第二章に関しての評価は最高レベルのものと比較してであり、白井氏の記述が無意味でまったく駄目だとの評価でないことは改めて言うまでもない。
しかし白井氏の優点は、第三章の「『包摂』の概念、『包摂』の現在」に明確に示されている。この章の論理展開は、先に出版の『武器としての「資本論」』のエッセンスを集約したものである。その意味において鋭く、まさに精読するに相応しい内容である。
事実、資本と賃労働の関係において賃労働は、資本に「形式的に包摂」されるのだが、資本主義社会が発展すると賃労働は、資本に「実質的に包摂」されてゆくのである。
白井氏はわずか30ページの中に、フォーディズムの時代以降の生産性向上の絶えざる競争に巻き込まれる労働者と工場の外でも資本に包摂されてゆく労働者の実態を暴き出す。そして新自由主義段階における労働者の猖獗を極める包摂実態を活写するのである。
ここで紹介された二例を書いておく。一つはオリエンタルランド社のパワハラ事件。原告は、観客から受けた障害で労災認定を受けたいと上司に訴えたところ、拒否されたばかりか、パワハラを受け、あろうことか同僚からも同情されることなく、「婆はいらねえ、辞めろ」、「病気なのか、それなら死んじまえ」の暴言を浴びせられていた事件である。
もう一つは、居酒屋甲子園というテレビ番組で出演者の同僚や来場者が、一日十六時間労働で年収が二百五十万円でありながら、就労している事実に感謝の気持ちと感涙を流す=このあまりにも異様な実態の告発である。これが「最良の労働者像」の内実の暴露だ。
このようにマルクスは、まさに「生を呑み込む資本主義」を問題にしたのである。
今、巷ではブラックバイトが社会問題化している。著者は若者がこうした理不尽に抵抗できないことに驚いている。彼らには仕事を辞める・又そこから逃げ出す知恵すらもない。まさに労働者が資本によって実質的に包摂されている過酷な現実がここにあるのである。
この現実をいかにして変えるのか。まさにマルクスの思想が求められている理由である。
このような切実な問題意識に応えるものとして、ぜひ一読を薦めたい。 (直木)
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コラムの窓・・・法務省出入国在留管理庁解体!
入管というカゲの組織が、いくらかでも市民の耳目を集めるようになったのはいつからでしょう。2021年3月6日、ウィシュマ・サンダマリさんが入管によって殺された日です。それから2年余も過ぎたいま、法務省・入管の官僚達は再び入管法の改悪に執念を燃やしています。
入管のホームページを開くと、次のような記述が目に入ります。「退去強制令書の発付を受けたにもかかわらず、様々な理由により本邦からの送還を忌避する者が相当数存在しており、速やかな送還が困難となるとともに、収容が長期化する大きな要因にもなっています」「このような送還忌避・長期収容の問題は、早期に解決しなければならない喫緊の課題であり、現行法上で生じている課題等について御理解を・・・」
そう、国民的〝御理解〟を頂いて、一刻もはやく〝不法残留者〟を追放しようというのです。すでに衆院では自民、公明、維新、国民民主の合意で法案は通過し、参院での審議もスケジュール的に消化されようとしています。そんななかで飛び出したのが、梅村みずほ議員による参院維新のトンデモ代表質問です。
梅村議員はウィシュマさんの死をまるで支援者の責任であるかに言い立て、ウィシュマは「ハンガーストライキによって亡くなったかもしれない」などと繰り返し主張しています。入管職員が〝詐病〟と思ったとしても仕方ない、とも。いや、詐病では死ぬことはありません。
代表質問なのだから維新の責任は重いというほかありませんが、まるで勝手に言ったかの火消しを行おうとしています。音喜多政調会長が参院法務委員会で次のように謝罪しています。「当委員会での我が党所属議員による一連の発言は、十分に根拠のない問題提起の範囲を超えた不適切な内容や、静謐な委員会の場を乱すものが含まれておりました」「ウィシュマさんのご遺族、多くの関係者の皆様、委員の皆様にこの場を借りて私からも深くお詫びを申し上げます」
さて、「ビッグイシュー」(4月15日)によると、日本で暮らす外国籍の方は約308万人で、ほぼ50人にひとりは外国籍。永住者、留学生、技能実習生など〝在留資格〟のある人は約302万人。そして、非正規滞在者が約67000人という数字が示されています。このうち、入管によって拘束されているのは124人、コロナ禍で増えている仮放免が5910人(2021年)。
ここにはふたつの問題があります。ひとつは日本が外国からの定住者(移民)を否定し、安定した在留権を付与して隣人として受け入れようとしないかたくなな姿勢です。そして、難民などいない、認めない、さっさと追い出せという人権無視の姿勢です。この世界の常識を拒否する理由は何か。はっきりわかることは、入管が戦前の植民地出身者を管理、抑圧したむき出しの暴力を受け継いでいるからであり、その権力を決して手放そうとしないからです。
人権無視の入管法改悪反対の活動は全国各地で続けられており、若者たちが大きな力を発揮しています。参院での審議の行方は分かりませんが、こんな国はイヤだ、誰もが隣人として受けいてられる社会をめざしたいという思いに駆られています。その思いが花開けば、どんなに素晴らしいことでしょう。 (晴)
田中彰著『明治維新』を読んで
●絶対主義論争を念頭
明治維新の性格をめぐって、一九三〇年代に「絶対主義国家の成立」とみる講座派と、「ブルジョア的変革」とみる労農派との間で論争(日本資本主義論争)があったことは周知の通りである。したがって戦後歴史学の研究者たちは、この論争を念頭において論を進めてきた。
たとえば遠山茂樹は、明治維新の始点を「天保の改革」におき、「開港」を始点とする見解との間で重要な論点となった。
その背景には、幕藩体制におけるマニファクチァの発達程度をめぐる論争(マニファクチァ論争)が絡んでいる。
他方、井上清は欧米列強による「植民地化の危機」が日本のナショナリズムを台頭させたと強調し、これに対し当時の国際情勢では「植民地化の危機は無かった」とする見解から批判を受けた。
田中彰もまた『明治維新』(岩波ジュニア新書)で、これらの論争を念頭に置きながら、最新の実証的研究成果を取り入れつつ、新しい視点での叙述を試みている。
●岩倉使節団に注目
田中彰の新しい視点として注目されるのは、明治政府の樹立後間もない一八七一年から二年近くにわたる、岩倉使節団の米欧視察を取り上げていることである。
彼らはアメリカでは開拓民の「自主の精神」を見出し、それが普通教育とプロテスタンティズムに育てられ、資本主義を育んだと洞察した。
イギリスでは、この国が日本と同じ島国でありながら、大工業国家・大貿易国家であることを知り、産業革命の意義や、立憲君主制のあり方に関心を示した。
フランスでは、パリコミューン直後の流動的な政治状況を目の当たりにし、先進国の階級闘争の激しさを痛感した。なお視察団に同行した中江兆民は、留学生としてフランス革命の歴史を学ぶことになった。
ベルリンでは、ドイツ帝国発足直後の状況で、ビスマルクやモルトケに会い、世界情勢の厳しさと軍事力の重要性について教示された。
●小国への関心
これらの視察で得た知見が、のちに明治国家の進むべき道をめぐって、イギリスの立憲君主制、ドイツの皇帝国家等、いずれをモデルにすべきか、藩閥政府内の争いになったのは周知のことである。
しかし田中彰は、彼らがこうした大国のみならず、ベルギー、オランダ、ザクセン、スイス、デンマーク等の「小国」にも関心を示したことに注目する。
彼らは、小国が大国の間にあって独立を保つためには、自主の権利を貫くこと、人民が協力・勉励して国民の生産力を高めること、自主・自由の精神が重要、だと洞察していたのである。
このように米欧視察団は、大国の道のみならず小国の道をも、選択肢の中に入れて検討していたという指摘は、後の石橋湛山の「小日本主義」を思い起こさせる。
前者は、大久保利通のイギリス型の立憲君主制、伊藤博文のドイツ型の皇帝国家への主張に、後者は自由民権運動における植木枝盛のベルギーやオランダを研究しての「憲法草案」、中江兆民の民権論に連なっていく。
●アジアへの視線
ただし彼らにとっての大国も小国も、あくまで米欧を「文明国」と捉える見方の枠内でしかなかった。
米欧視察からの帰路、セイロン・マラッカ海峡・シンガポール・サイゴン等を経由する中で見た東南アジアについて、自然や資源が豊かで衣食住に事欠かないため、人々は努力することなく「怠惰」(非文明的)であると見たのである。
これに対して、日本・中国・朝鮮などの東アジアは「文明化」する可能性があると見たのである。
こうした「文明化」志向には、一面で「自主・自由な精神」を重視する視点もありながら、東南アジアを「非文明的」社会として蔑視する視点と裏腹の関係にあり、その後の「脱亜論」(帝国主義)の伏線になっていることは、見過ごせない問題である。(夏彦)
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何でも紹介 「消された水汚染/永遠の化学物質PFΟS・PFOAの死角」 著者 諸永裕司 平凡社新書発行 定価980円
私が「PFASによる水汚染問題」を知ったのは、2つのきっかけがあった。
一つは、沖縄「汚染から市民の命を守る連絡会」の友人から「今、沖縄ではPFAS汚染が大きな問題となっている」との連絡であった。
送ってもらった資料には、「PFAS汚染問題が大きく浮上したのは、2016年1月。嘉手納基地周辺から取水する北谷浄水場の汚染が県の調査で見つかった。北谷浄水場は、中南部の7市町村45万人に水道水を供給している。その後、市民へのアンケート・署名活動を展開し、沖縄県の基地対策課、企業局、環境課、保健医療部などとの話合い、沖縄防衛局への申し入れなどを取り組んだ。2020年4月10日、普天間基地からPFΟS泡消化剤が大量に流出して、基地からの排水溝はすっかり泡で埋まり、風に煽られた泡は飛散、住宅地に降り注いだ。その後、地域住民の汚染状況を知るために、6市町村7会場で大規模血液検査を取り組んだ。また、土壌採取・分析を沖縄県環境科学センターにお願いして『分析試験成績書』も作成した。」等々の報告があった。
もう一は、忘れることの出来ないのが映画「ダーク・ウォーターズ」であった。大手化学企業のデュポン社によって汚染された牛が突然狂ったように暴れ出し、射殺された現場を見た弁護士と牧場主は訴訟を起こした。その訴訟において、弁護士のもとにデュポン社の廃棄物に関する資料に、「PFΟA」というという謎めいたワードを知ることになる。そこから、デュポン社を相手にした20数年という長い闘いが始まった・・・。
現在このPFAS汚染問題は沖縄だけでなく、東京・多摩地区でも「多摩地域の有機フッ素化合物(PFAS)汚染を明らかにする会」が結成され、横田基地周辺で650人の自主的血液検査を取り組み、地下水の汚染源は横田基地であると指摘。米軍横田基地の東北部には消化訓練場がつくられ、軍属の消火士がPFASを含む泡消化剤を使った消化訓練を定期的に実施していると言う。
また、米海軍横須賀基地でも、排水処理場から人体に有害な有機フッ素化合物「PFΟS」「PFΟA」が海に流出している問題で、横須賀市は米海軍の調査で、日本の暫定目標値の258倍とこれまでで最も高い濃度の有機フッ素化合物が検出されたと発表した。
本書を書いた諸永氏はまえがきで「子供の頃、祖父は世の中に広まっていない水道を『ひねると、ジャー』と言った。祖父の予言通り水道は全国に広がった。そんな飲み水をめぐる情報を耳にしたのは、3年ほど前のことだ。発がん性が疑われる物質によって汚染されているかもしれない。台所に届く前の飲み水がどこからくるのか、その源をたどってみよう。当初『汚染はない』と言われ、飲み水は『安心安全』と聞かされた。でも、浮かんだ疑問を一つひとつつぶし、真相を探るうち、隠れていた事実が少しずつ見えてきた。それが、有機フッ素化合物という耳慣れない化学物質による汚染だった。」と。
また、「この物質は焦げつき防止加工のフランパンやハンバーガーなどの包装紙、化粧品、レインコート、カーペットなど、さまざまな生活用品に含まれている。水も油もはじく便利さは替えがきかないため、半世紀以上にわたって使われてきた。だが、捨てられてた後も、地面に染み込み、地下水が汚された。一部は飲み水として、人々の体内にも取り込まれた。有機フッ素化合物はたがいにくっついて離れず、壊れにくいため、いつまでも消えない。その結果、環境や人体の体内に蓄積されていく。ただ、健康に影響があるかどうかについて、確たることはわかっていない。わからないことを理由に、国は水質管理の基準を長く設けてこなかった。・・・作為と不作為の積み重ねによって、問題そのものが事実上、けされていたのだ。取材を重ねるうちに、『消された汚染』の実態が明らかになってきた。同時に浮かび上がったのは、この国が抱える危機の深層とでもいうべきものだった。」と、述べている。
本書は「PFASの汚染」問題だけでなく、日本社会が抱えている「日米地位協定の壁」や「日米合同委員会の闇」等の問題も取り上げている。是非、皆さんに読んでほしい著作である。(富田英司)
「読者からの投稿」 川柳(2023/6) 作 石井良司
鉄兜被った総理時の人
サミットで非核を言えぬ被爆国
教育の無償化よりは防衛費
怖いのは核を誇示する独裁者(「示」)
ジェノサイド罪なき鶏へ花手向け(「花」)
大雪に凛とひるまぬ寒椿(「花」)
きのこ雲二度とゴメンと千羽鶴(「雲」)
笛吹けど非正規の汗報われず(「安い」)
秒と競るピッチクロック忙しない(「競う」)
晩学の趣味で生き生きセルフケア(「セルフ」)
死に体の地球を救う脱炭素(「瀬戸際」)
好奇心生命線を太くする(「線」)
イマジンを歌えば浄化する心(「さっぱり」)
ジェンダー指数下位に日本は寝たまんま(「寝る」)
辺野古沖土砂に珊瑚が泣き寝入り(「寝る」)
コロナ5類やっと休める白衣の手(「やっと」)
AIの助けを借りて書く文書(「借」)
国民の借金で買うトマホーク(「仮」)
卒業も学費ローンの荷が重い(「借」)
風評に堪えるフクシマの歯ぎしり(「堪える」)
待ち焦がれ親も身まかる拉致の海(「堪える」)
三枚に捌いて晒す下心(「よくよく」)
九条が警報鳴らす抑止力(「サイレン」)
フォーラム 【川柳 「風評に堪えるフクシマの歯ぎしり」 について】
読者から寄せられた川柳(作石井良司)「風評に堪えるフクシマの歯ぎしり(「堪える」)」についてワーカーズ組織内で、「福島の被害は実際の放射能汚染の脅威や実害による被害なのではなく、風評被害なのだと主張しているように思える」として。風評は「実害ではないのだ」「放射能被害と言われているものは実体のないものだ」という意味で、原子力村やそれを擁護するマスメディアが作り出したものだから、こういう言葉は使うべきではないと言う意見が出され、掲載すべきかどうか意見交換が行われました。
編集担当としては、石井さんの「風評」に関するこの句が原発事故やその弊害と闘っている多くの仲間を傷つけたりおとしめるものではないと信じ、ワーカーズ内の意見と合わせて石井さんの「私の一句」も掲載することにしました。読者からの感想や意見を期待しますのでよろしくお願いします。(編集担当)
■運動や住民の思いをくみ取ってほしいと思います。
「風評(被害)」が福島の人たちを苦しめた、という発想はやめてほしいです。Hさんご指摘のように政府東電の大々的キャンペーンで、風評被害(誤った知識やウソによる被害)が叫ばれているのです。低線量被ばくは「安全」であり、これを危険なものとして騒ぐ市民が「風評被害を生み出した」と攻撃しています。今、国際的問題となっている海洋投棄も同じです。
ゆえにこれを住民運動は「風評被害」ではなく「汚染による実害だ」と日々対峙し裁判なども起こしています。このような現在的状況も考えれば、「風評に堪えてフクシマ十二年」はまずいと思います。
◇ ◇ ◇ ◇
川柳の作者である石井さんは多くの素晴らしい川柳を創られてきました。政治信条や脱原発への思いを疑っているということではなく、だからこそ「風評(被害)」ではなく、子々孫々にわたる「健康実害」こそが福島や東北・関東の住民を脅かしていることだということをご理解ください。
「風評」の意味は政府東電の「風評被害キャンペーンのことだと読めばいい」と言うKさんの解釈は無理があり、そのようには読めないと思います。(阿部文明)
■私の一句 課題「堪える」 風評に堪えるフクシマの歯ぎしり
この句は5月21日、東京で行われた句会で、優秀句に選ばれた句です。選者は背景に12年前の安全神話で多くの犠牲者を出したフクシマの原発事故、放射能汚染、完全に解消されない汚染土、今、フクシマの声を聞かずに汚染水の垂れ流す政府への無為無策の批判などフクシマの無念の思いを読み取ってくれました。
今年中に流される汚染水について、フクシマの漁業者の嘆きをニュースで何回も聞き、胸が痛みました。それが「堪える」の課題の句で思い浮かびました。川柳に興味ある読者なら私のこの2年の脱原発、汚染水への批判など数多くの川柳から この選者と同じように読み取ってくれると思います。
私自身、この12年間、脱原発のデモなどに加わり、今も署名やカンパを続けています。他にも横浜市内で、毎月30か所の放射能検査や福島で語り部の話を聞きながらの現地視察など。
私の句「歯ぎしり」の表現から今なお続くフクシマへの差別や理不尽を感じる人もいるでしょう。17字に凝縮された句へ色々なとらえ方があっていいと思います。(石井)
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色鉛筆・・・異次元の少子化対策は何も異次元ではない 働く者に負担を押しつけないで!
昨年生まれた子どもの数は79万9728人で初めて80万人を割り込み、1人の女性が生涯に産む子の数を示す合計特殊出生率が昨年は1・30だったが今年は1・27と予測されている。(毎年6月の初めに発表)長引くコロナ禍や経済不安で結婚や出産を控える影響もあるが出生率低下傾向はそれ以前から続いている。さらに厚労省推計によると2070年には総人口が今より3割減って8700万人まで減少し、出生数も45万人まで減る見通しで少子高齢化が進んでいく。
こうした中で岸田首相が『異次元の少子化対策』を打ち出した。私は異次元という言葉に驚き語句を調べると「普通とは全く異なる考え方」という意味だった。今までとは異なるというなら軍事予算を減らして子育て支援予算を大幅に増やすのかと淡い期待を持ったが、内容を見てがっかりした。(表参照)政府が子育て支援のための総合計画『エンゼルプラン』を打ち出したのは1994年。今回の政策は約30年前と同じようなもので『○○手当』は自民党の十八番で場当たり的にお金をばらまくものだ。長年自民党政府は計画を立てても政策を裏付ける財源を確保しないために空文句で終わり、問題が起こると名前を変えた政策を打ち出すことを繰り返してきた。
保育士である私は保育園でバス置き去り事故や不適切保育事件が再三起こり、子どもの命を守る為には早急に根本的な保育士の配置基準の引き上げや処遇改善を行うべきと訴えてきた。ところが『異次元』では「1歳児及び4・5歳児の配置基準を1歳児は6対1から5対1へ 4・5歳児は30対1から25対1へ」たったそれだけの改善なのだ。何も異次元ではない!法律の基準は改定しないで加算の対応で済まそうするのは相も変わらぬ政策だとあきれてしまう。貧困、自殺、虐待等様々な問題が起こり年々生きづらくなっている。これ以上犠牲者を出さない為にも若者の雇用の安定や安心して子どもを産んで育てやすい社会になるように大幅な財源を充てるべきだ。有事のための防衛費より今困っている人のための社会保障費を増やすほうが緊急性のある重要課題ではないか。
自民党政権はいつもボーン!と、ユートピアのような花火を上げてきれい事を並べて実施するかのように見せかけて私たちを騙してきた。騙されて責任や被害を被るのは私たち働く者だ。驚くことに政府は今回の少子化対策の財源を社会保険料への上乗せと社会保障の歳出削減の案を出している。今でも物価高騰で生活は苦しいのにさらに私たち働く者に負担を押しつけようとしている。お門違いではないか!私たち働く者を低賃金で長時間労働をさせている大企業は、企業の利益の蓄積である内部留保が10年連続で過去最高の516兆4750億円(2021年度)もあるというのだから大企業から拠出させればいいのだ。それよりも大企業が賃金を上げて社会保障制度を充実すれば事は解決するのだが、資本主義社会では無理なこと。大企業が利益を上げるように政治は行われているからだ。 軍需産業が儲かるように武器を消費させている戦争は数多くの人たちが犠牲になっている。G7サミットで被爆者の方がゼレンスキーに「戦闘機を出してくれではなく、停戦を考えてくれないか、広島でみんなで平和をつくろうと呼びかけてほしい」と語っていた。まさにその通りで被爆者の方の切実な思いが伝わってくる言葉だ。だが首脳たちはウクライナ支援を継続すると確認してしまった。これでは広島で開催したにもかかわらず被爆者の方の思いを愚弄しているではないか。美辞美麗を並べるだけで中身のない税金の無駄遣いのサミットだった。これが今の政治なのだ。何よりも「命を大事にする」政治が行われる社会を目指したい。5/24記 (美)
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