ワーカーズ652号(2024/3/1)    案内へ戻る

 《戦闘機輸出》〝新冷戦〟指向の軍拡政治と対決しよう!――歯止め無き武器輸出拡大――

 〝平和国家〟を空文化する政府の軍拡志向が止まらない。

 岸田政権は、空自F2後継の次期戦闘機の日英伊共同開発で、完成機の第三国への輸出解禁を強行しようとしている。生産数を増やせて開発費負担が軽減でき、同時に〝同志国〟との軍事的連携が深められるからだという。

 戦闘機とは、究極の攻撃・殺傷兵器の一つだ。その輸出解禁は、ながらく日本政府が掲げてきた〝平和国家〟という建前・外皮を脱ぎ捨てることを意味する。

 武器輸出拡大は、すでに始まっている。日本が米国から購入しているパトリオット・ミサイルの米国への逆輸出に踏み切ったからだ。これで米国は、ウクライナに供与して手薄になった国内配備で、必要分だけ確保できる。

 攻撃・殺傷兵器の迂回供与を認めることは、紛争当事国への輸出と同じで、これまでの防衛装備品移転三原則(=武器輸出三原則)、同運用指針の主旨にも反するものだ。

 攻撃・殺傷兵器の海外輸出に道を開けば、防衛産業の規模も膨らみ、〝軍産複合体〟は増殖する。いったん形成された複合体は、肥大化の再生産の道(利権化)を追い求める。すでに三菱重工業など受注企業は、設備投資を増やしている。

 岸田政権は、5兆円超の防衛費を5年かけてほぼ倍増するという急速な軍拡に踏み切った。その財源としての防衛増税の中身も隠したまま、さらなる軍事費増額も目論んでいる。2月19日、防衛力強化に向けて防衛省に設置した有識者会議の初会合が開かれた。榊原座長は、そこで防衛費のさらなる積み増しを「タブー視せず」と主張し、これに自民党国防族も呼応している。その有識者会議とは、榊原定征経団連名誉会長、北岡伸一東大名誉教授、島田和久元防衛次官、森本敏元元防衛相、山口寿一読売新聞グループ本社社長など、自民党の取り巻き連中が仕切る御用会議でしかない。

 岸田政権は、そんなお手盛り会議もテコにして、22年末の安保3文書の改定以降、戦争体制づくりの歯止めを次々と蹴飛ばし、〝新冷戦〟指向の軍事費増大、武器輸出解禁、南西シフトなどに邁進している。そんな岸田政権にノーを突きつけ、倒す闘いを拡げていきたい。(廣  2/24)


 腐敗した代議制度への批判を 直接民主主義への移行のきっかけに!

 エリート政治家である岸田首相は、国民の生活苦や裏金問題であぶり出された議員たちの特権に対する国民の怒りを知らないようです。実質賃金が30年間低下するなか、軍拡増税や負担金増額など国民の暮らしがピンチです。

 国民世論は怒っていますが、どこをどう制度改革すればよいのか明確ではありません。テレビのコメンテーターが少しましなことを主張した場合でも、「連座制の導入」「裏金に所得税を課税せよ」「脱税で告発すべきだ」「政務活動費や官房機密費はそもそも裏金だから、廃止すべきだ」と言ったところです。

 これらの策は、当座に自民党の議員たちの横暴を抑えるために必要だと思います。しかし、未来にわたっては再び抜け穴が作られるに違いありません。司法、検察、官僚たちもまた特権化し堕落している現実を考えれば取り締まりを期待できません。より根本的な変革の方向性を探るべきです。

■代議制度の腐敗を直接民主主義の移行で克服しよう!

 そこで提案されるべきことは、国会議員の特権を縮小し、企業に議員買収する意義を縮小させる必要があります。つまり、議員が持つ政策や立法権を幅広く直接民主主義に移行させ、議員の権限を削減し年間約5~8千万の実質所得を100分の1にすることが必要です。日本の議員は特権を享受しています。歳費ばかりでなく賞与・文書通信交通滞在費・立法事務費・JR、航空券の無料クーポン券、更には公設秘書の給与を含めると「国会議員一人当たり・・年約七千五百万円の経費がかかっている計算になると承知する」(鈴木宗男の質問を麻生太郎が確認、平成二十一年二月三日提出質問第八四号)。至れり尽くせりとはこのことです。貴族ですかね、ひどすぎる話です。

 スイスのように国会議員の給与が日本円で80万円(日本議員の100分の1)にできるのは、やはり直接民主主義の効果です。しかし、直接民主主義の導入は腐敗防止策だけではなく、人民が本来持つべき権限を取り戻すことなのです。
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 直接民主主義は特殊なものではなく、むしろ民衆主義の基本形態なのです。未開社会やその伝統が残存したポリス国家社会では普通の形態です。確かに、現代では「社会の単位」が巨大なものになってきたことは事実ですが、それに対応できるインターネットやコンピューターシステムがあります。代議制度に頼らない社会的意志の形成と集約の物質的土台は形成されています。段階的にしかし着実に前進させましょう。少なくとも重要課題の議論は国民的に直接になされ決定されるべきなのです。それによって企業の買収・誘導や官僚の省益誘導の隙間を与えないことが大切です。

 特権化した代議制民主主義=議会は、これら貴族化した代議士に連なる官僚や企業団体の事実上の買収にからめとられ堕落するのです。その姿を私たちは今、日々見ているのです。
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 国民投票は定期的あるいは日常的に行われ、市民が提案した議題について直接意思を表明することが求められます。このようにして、特権と腐敗の最大の温床である代議士・職業政治家・議員世襲を排除し、代議制議会を相対化する必要があります。このようにして企業との癒着を断ち切ることが最も肝心なことです。そのことをあらゆる日本のマスコミも「テレビ識者」も愚かにも語ることはありません。

■官僚達の公選制度を導入、企業献金の全面禁止を

 官僚は権力の奥の部屋で、政治家や財界ともたれあい国政実務を担当しています。彼らの見解や立案された政策や法律は彼らの利益の更新でしかありません。大きな権力を持つ集団がここにもいます。官僚の少なくとも事務次官、局長、官房長など高官クラスは公的選挙で不適任者は更迭されるべきです。検察庁や司法組織も広く有権者による解任制度が基盤として整備されるべきです。

 また、財界団体ですが、彼らが存在する限り「政治・政策の買収」行為は完全には止められないでしょう。あらゆる手段を講じて政治と政策の抱き込みが試みられます。ゆえに最低でも企業による政治家・関係団体一切の寄付行為を禁じるべきです。社会的公正を言うのであればこれは当然のことです。直接選挙制度の成果を守るために、財界と官僚による国民的政治・政策の簒奪を許さないということです。

■補論――政治資金規正法は企業団体による議員の買収を合法化する手続きだ

 日本の政治資金規正法の主旨は、企業からの買収を規制し、政治資金の透明性を確保し、政治活動の公明と公正を確保することです。ゆえに政治資金の収支の公開、政治資金の授受の規制、政治資金パーティーの規制という三つの柱から成立しています。

2009年の政治資金規正法改正では、企業・団体献金の上限額が引き下げられ、政治資金パーティーの規制が強化されました。これは、企業・団体による政治への影響力を抑制し、政治資金の透明性をさらに高めることを目的としたものです。

 しかし現実には政治資金規正法は、企業からの買収を完全に阻止するものではなく、むしろ一定の範囲でならば企業による政治家・政策への関与を保証したものです。つまり「節度ある買収」の合法化なのです。これがこの法律の本質です。

 それに加えて今回問題になったパーティー券問題や闇パーティー、偽装パーティーなどは既存法の脱法が容易に工作されて裏金が作られる(公開性否定)などにより政治が大きくゆがめられ、また、代議士の特権化も進化しました。キックバックや「政策活動費」さらに官房機密費の乱舞は、議員という特権者たちが法律に示された「合法買収」だけではもの足りずに欲張りすぎたということです。

 合法寄付やら裏金やらによる私腹の蓄えは選挙資金(選挙区の手入れ)としての選挙民の買収に費やされ、特権の維持に利用されるのです。根本的変革を展望すべきです。(阿部文明)案内へ戻る


 自衛隊が中国を「仮想敵国」と規定した ますます危ない軍事シミュレーション

 一部に報道されたように日本の軍隊が米軍と合同で中国を「仮想敵国」として戦略戦術を練っていることに中国政府は怒りをあらわにしています。「自衛隊が中国を《仮想敵国視》との報道に中国大使館が厳正な立場を表明」(中国網)と。自衛隊は「当該報道は事実ではない」と否定しましたが、中国を《仮想敵国》とみなした訓練は「東京新聞」も独自報道(2月4日)していますので事実でしょう。

 今回の問題の軍事演習はコンピューターを使用するシミュレーションで、シナリオの柱は台湾有事における日米同盟軍の戦争研究です。防衛省は特定秘密保護法に基づき、戦略シナリオを「特定秘密に指定」したようで一切公表されていません。とはいえこの演習が「中国を仮想敵国」と明示し、作戦を日・米軍でテストし練り上げようというものですから、日中間の関係悪化に拍車をかけるのは間違いないと思われます。

■「仮想敵国」とは何か

 「仮想敵国」とは、ある国が国防政策や作戦計画を立案する際に、軍事的な衝突が発生すると想定される国を指します。なるほど、その国が現時点で深刻な対立関係にあることを必ずしも意味しません。

 軍隊が仮想敵国を設定する理由については、19世紀後半に活躍したアメリカの軍事著述家アルフレッド・セイヤー・マハンが説明しています。

 「マハンは、軍備の整備に何年もの歳月を費やさなければならないため、長期にわたる計画が必要であり、そのために仮想敵国が設定されると説明しています(『マハン海上権力論集』)。5年後、10年後に自国を取り巻く国際関係がどのような変化を遂げているのかを予測することは難しいことです。しかし、軍備の整備に長い時間を要するため、将来的なリスクを考慮して仮想敵国を設定し、その国が持つ軍備を一つの手がかりとして使います」( 仮想敵国とは何か? なぜ軍隊は仮想敵国を設定するのか?|武内和人|戦争から人と社会を考える note.com)。米国人のマハンにとって当時の仮想敵国は英国でした。
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 確かに、仮想敵国の設定は一般的には上記のようなものだろうと考えてよいでしょう。しかしながら現実の日本国内の政治の動きや、米・中のデカップリングを見れば「コンピューター訓練」「長期の備え」と言う楽観論で通り過ぎるべきではないでしょう。すでに自民党の一部は中国を仮想敵国と公言してきました。去年の日本の防衛白書では、中国について「国際社会の深刻な懸念事項でこれまでにない最大の戦略的挑戦」と最大限の危機感を表明してきました。このように「仮想敵国」問題は自衛隊にとっては中国に対する戦争準備に直結した動き以外の何物でもありません。

■中国に対する日・米政府の姿勢の違い

 米国は、曖昧外交戦略で中国との関係を硬軟・虚実を織り交ぜながら維持してきました。また、米国政府は歴代どの政権においても中国との直接戦争の可能性を排除しているのは間違いありません。米国はウクライナ戦争でロシアとの直接対決を避けることを最優先しており、そのため軍事支援にますます消極的になり尻すぼみとなり、今年は事実上ウクライナ支援を放棄することになりそうです。当然ロシアとの直接対決を避けつつ、兵器支援などで米国軍産複合体の利益確保を目指しているのは明らかです。そして、ウクライナが敗北しようが彼らの目的は半ば実現されたのです。
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 同様に、「中国の台湾侵攻」「台湾危機」論は、中国政府をけん制すると同時に米国からすれば米国軍産複合体の利益確保を目指しているのは明らかです。とにかく米国軍産複合体は「ディープステイト」と言われるまでに米国政権に食い込み、巨額献金で議員や政権を抱き込んでいます。彼らの意を受けたバイデン政権は、一昨年の安保三文書において岸田政権による軍事費倍増の閣議決定をエスコートし、米軍高額兵器の爆買いを確実にしたのです。その時点で米国政府は方向転換し「台湾危機」のトーンを下げブリンケン国務長官が急きょ中国に飛んで「台湾独立を支持しない」と中国を懐柔しています。

 しかし、話はそこで終わるものではありません。と言うのは、米国の態度の軟化にもかかわらず日本政府と軍部は、中国に対して敵対姿勢を少しも緩めず、「台湾有事論・中国脅威論」を維持しその姿勢は尖閣をはじめとする「島嶼戦争」として意識され準備されています。

■日本の戦争準備はこれから本格化

 前述したように一昨年に日本は数年間で軍事費倍増政策が財源問題に先行して急いで閣議決定されています。さらに、沖縄本島含む南西諸島において自衛隊基地の建設・増強が住民の反対を押して強行されています。そこにおいても日米軍事同盟に基づく軍事訓練が日々実施されています。宮古島では自衛隊基地所属部隊が宮古神社参拝を規則やぶりで敢行し、戦うための精神的準備も始めています。
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 こうした中国との戦争想定に関わる部隊の配置や軍備の蓄えや基地建設を改めて検証するのが今回の特定秘密に指定された「仮想敵国中国との戦争シミュレーション」と考えざるを得ません。冒頭に述べたようにこの「作戦」は機密保護されています。ゆえに想像するしかありませんが、「中国の台湾侵攻」に関して「存立危機事態」の発動が問題とされます。

 これは日本が集団的自衛権を行使する際の要件の一つで、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」云々と法的に決められています。安倍晋三・麻生太郎らが「台湾有事は日本の有事」と言うとき、まさにかつて「読売新聞」が解説したようにこの「存立危機事態」の発動が念頭にあります。
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 中国との直接対立を避けたい米軍は日本軍に対して後方支援、情報提供、武器支援などを分担するでしょう。日本軍つまり自衛隊が前面に立って戦う可能性が日々高まっています。

 「キーン・エッジと呼ばれる今回の演習の結果を原案に反映させ、今年末までに正式版を策定する予定。2025年ごろに部隊を実際に動かす演習(キーン・ソード)を実施し、作戦計画の有効性を検証する流れだ」(東京新聞)。
 このような軍事演習にそもそも反対ですが、演習が実施されれば日米軍部の戦略の一部が明らかにになるでしょう。(阿部文明)案内へ戻る


 何でも紹介  戦争ができる国作りと国家統制。

 ●戦争ができる国作りに邁進する自公連立政権

 第2次安倍政権は2013年12月、首相や一部の閣僚だけで重要な外交・安保政策を決められる「国家安全保障会議(日本版NSC)」を発足させ、その2日後には、米国と共有する防衛機密などの漏えいを防ぐことを目的とした特定秘密保護法を成立、政権の中枢に権限と機密情報を集中させた。

 2014年4月、武器輸出三原則を見直し、武器の輸出や他国との共同開発を事実上解禁する防衛装備移転三原則を閣議決定し、同年7月には、歴代政権の憲法解釈を変更し、他国を武力で守る集団的自衛権の行使容認を閣議決定。集団的自衛権行使や米軍支援拡大などを可能とするための安全保障関連法を15年9月に成立させた。

 2017年6月には、運用によっては、政府に批判的な団体への圧力になるとの懸念もある、犯罪を計画段階で処罰する「共謀罪」の趣旨を含んだ改正組織犯罪処罰法も成立した。

 岸田政権も安倍政権の路線を引き継ぎ、22年12月に閣議決定した安保関連3文書には戦争放棄の憲法9条を解釈変更した「専守防衛」を形骸化させる「敵基地攻撃能力(反撃能力)」の保有を明記し、現在は自民、公明両党で武器輸出ルールの緩和に向けた協議が続いているが、武器の開発と輸出解禁が決定されようとしている。

 第2次安倍政権以降、政府の意思決定と政策遂行の密室性の中、日米の軍事的一体化と情報管理の強化が進み、国民の権利侵害や憲法違反の懸念が拭えないまま、特定秘密保護法の下に戦争ができる国づくりに邁進し続けている。

●特定秘密保護法の問題点

 成立してから10年となる特定秘密保護法では、特定秘密『「防衛」「外交」「特定有害活動の防止」「テロリズムの防止」』をチェックするため、内閣府に「独立公文書管理監」が置かれ、衆参両院には情報監視審査会が設置され、いずれも秘密指定の手続きが適切に行われているかなどを形式的にチェックしている。しかし、特定秘密に指定された政策の内容に関する審査や監査はできないので、非公開の政策判断が正しかったか検証できずにうやむやに事が進んでいく状況がある。

 特定秘密に関する政策が秘密裏に進んでいくだけでなく、指定された政策の内容に関する審査や監査だけではなく特定秘密の情報を取り扱う人を調査し、管理する「適性評価制度」というものが規定されており、秘密を取り扱う人というのは、国家公務員だけではなく、一部の地方公務員、政府と契約関係にある民間事業者で働く人も含まれ、その上、本人の家族や同居人にも調査が及ぶこととなり、広い範囲の人の個人情報が収集・管理されることになり、 ローンなどの返済状況、精神疾患などでの通院歴等々、プライバシーに関する事項を含め、多岐に渡って調査・統制の対象になっている。

 特定秘密保護法は、安全保障関連法制定などとともに、安全保障政策を大きく転換させた。「国家安全保障会議(NSC)が設置され、安保関連法で自衛隊の活動範囲を従来よりも広げ、敵基地攻撃能力の保有も決めた。そうした政策の核になる部分が特定秘密に指定される。さらに周辺の情報を非公開とすることで保護している。(特定秘密保護法の成立から)全ての政策はつながっている」と政府は高い機密性を理由に情報公開をしぶり密室政治が行われようとしている。 

●経済安保法制の強化   

 2022年5月に成立した経済安全保障推進法は半導体などのサプライチェーン(供給網)を国内で強化し、基幹インフラを外国の脅威から守るための法律で①重要物資の供給網の構築②基幹インフラの安全確保③先端技術の官民研究④特許の非公開――の4本柱で構成する。

 「サプライチェーンの強化」で、特定の国に頼りすぎてしまうリスクを減らそうと半導体やレアメタル・レアアース、医薬品などを「特定重要物資」に指定し、企業の調達ルートや保管状況をチェックして、国が財政支援することも盛り込まれ国の関与を強めます。

 また日本がみずから先端技術を守ることも安全保障上、重要と法案では「先端技術の開発支援」や「特許の非公開化」で技術流出を防ぐ制度を柱に据えています。

 さらにサイバー攻撃から電力や通信などのインフラを守る制度も盛り込まれています。

●民間人にも「適性評価制度」を導入する

 政府の有識者会議が防衛、外交、スパイ・テロ防止を対象にした特定秘密保護法の構造を参照しつつ、「経済安全保障」関連の情報を扱う民間人らについて民間人を含め経済安全保障上の重要情報を扱う人の身辺を国が事前に調べる「セキュリティークリアランス」(適性評価)制度「適性評価制度」を導入する提言案まとめ、経済安全保障推進法案が国会で審議されている。

 安保の概念が経済や技術に広がったためとされるが、(1)政府が持つ機密情報を指定し(2)取り扱う人を適性評価にかけ(3)漏らせば罰する、という枠組みをつくり、罰則も同法と同じく懲役10年以下にする方向で、法案をまとめ、通常国会に提出する方針という。身辺を調べられる人の人権やプライバシーが守られ、不利益を被らないという保証は何もないのだ。

●戦争ができる国作りと国家統制強化に反対する。

 集団的自衛権行使・「敵基地攻撃能力(反撃能力)」の保有・武器輸出三原則を見直し、改正組織犯罪処罰法・特定秘密保護法・経済安全保障推進法等々は自公政権が推し進める戦争ができる国作りの為の法案であり、戦争を放棄した憲法や基本的人権遵守を歪め曖昧とさせるものである。

 世界中から貧富や差別をなくし戦争が起こらない社会を創るために、民族や宗教に問われることなく、個人的尊重と自立・国際協調と情報公開による経済活動の共有化を計るべきであり、自国優先=日本という狭い範囲に限定した考えは改めるべきだ!(光)


 コラムの窓・・・マイナ狂騒曲、保険証発行廃止で終止符か?

 昨年10月13日の河野太郎デジタル大臣による保険証廃止発言によって、ポイント付与というアメから保険証剥奪というムチに、マイナ〝普及〟策が変更されました。そして、12月22日には今年12月1日で保険証発行を終了すると政令で決定しました。

 カード普及率が70%を超えるなか、政府は災害の際に役立つと「マイナ避難」を言い出し、河野大臣は能登半島地震でも役立つとのアピールを繰り返し、1月19日にはXで「17日までにマイナポータルから罹災証明書のオンライン申請された件数は合計4957件に」とアピール。23日の会見でも「マイナンバーカードはタンスに入れておかないで財布に入れて一緒に避難して」と呼びかけています。

 この火事場泥棒のような発言には、当然にも大きな批判がありました。停電でも機能するのか、カードを持ち出すために避難が遅れたらどうするのか、そうした点を少し考えるだけで、現実的でないことは明らかです。さらに、JーLIS(地方公共団体情報システム機構)による「マイナンバーカードの取り扱いについての注意」は見過ごせません。

 例えば「カードを入れた財布をズボンの後ろポケットに入れた状態で座ったりしてICチップ部分に局所的な荷重をかける」と壊れる、他にも高温はダメ、強い磁気もダメ、薬品や液体がついてもダメになる、等々。

 つまり大切に扱わないと使えなくなり、「マイナンバーカードが破損してしまった場合、再発行が必要となるため、再発行について住民登録のある市区町村窓口へお問い合わせ」(JーRIS)する必要があります。しかも、再交付には1カ月はかかるようです。

 さらに、決定打は「災害時は『保険証』も『お薬手帳』も『マイナカード』もなくても大丈夫!」と、1月23日の河野大臣の会見を受けて、約10万7000人の医師・歯科医師でつくる全国保険医団体連合会(保団連)がウェブサイトで注意喚起を行っています。万事休したデジタル庁、マイナカードの代わりにスイカを利用することに。

 JR東日本が無償提供するのはスイカ2万1000枚とカードリーダー350台、2月7日から配布を始めています。このスイカには避難者の住所名前、生年月日、連絡先などを登録し、避難所を訪れるたびにカードリーダーで読み取り、各避難所の避難者数や物資の受け取り状況を把握するというしろもの。つまり、体のいい避難者の管理システムです。

 こうした災害に乗じたカード普及に加えて、厚労省はなりふりかまわず利用率を上げるのに必死です。厚労省は今年1月、全国890の公立・公的病院に対し11月までにマイナ保険証の利用率50%を達成するよう、促進計画の提出を求めています。これはまるで強迫ですが、こうした強制に対する反発として、国家公務員のマイナ保険証利用率の低迷があります。厚労省の資料によると、昨年11月時点で4・36%だというのです。霞が関の省庁ではマイナカードが入構証として強制的に使わせているのに、この普及率です。

 さて、ここで原則を思い出せばマイナカードの取得は任意であり、さすがの河野デジタル大臣もこれを否定することはできません。従って、マイナ保険証がないから医療機関を受診できないなんてありえません。

 岸田文雄首相は1月30日の施政方針演説で、「デジタル社会のパスポートであるマイナンバーカードの利便性向上も徹底的に進めます」と言い、国内パスポートの強制をあきらめていません。ならば、「番号は書かない、カードは持たない」人々の結束でこのたくらみを退けたいものです。 (晴)案内へ戻る


 朝鮮半島の新展開   南北統一路線を放棄した金正恩政権の思惑

 金正恩による「敵対的な二国間関係」論の政治的外交的意味をさぐる議論が活発になってきました。韓国の「ハンギョレ新聞」は「金総書記の《二つの朝鮮》(Two Korea)論は、日増しに悪化する朝鮮半島情勢と北朝鮮国内の政治的事情を考慮した特有の敵対的レトリックを取り除いてみると、北朝鮮側が脱冷戦期以降に懸念してきた《吸収統一》を避けるための防御的戦略だ」との専門家の意見を紹介しています。

■「朝鮮半島統一」路線に歴史的意義はあるのか

 同じ民族ながら当時の帝国主義的ブロックの対立のはざまで「二地域」に分断されてきた悲劇的歴史があります。しかしそれから70年以上の間、別個の敵対的国家として存在してきた二国の「統一」は、理念としてはともかく現実としての統一は国家と国家との戦乱を経ることなくしては実現できないことは明らかです。ムン・ジェイン前大統領の推進した「統一」政策も冷え切った南北対話の拡大以上のものではありませんでした。ドイツの東西統一のような平和統一は事実上不可能だと思われます。

 韓国と北朝鮮は現在も休戦状態にあります。朝鮮戦争は1953年の休戦協定をもって戦闘が終了したものの、和平条約が交わされていないため、法的にはまだ戦争状態にあると言えます。休戦協定により、朝鮮半島に事実上の新たな国境である軍事境界線が生まれ、戦闘が停止され、捕虜の本国送還が終了しました。それから半世紀以上が経過しています。世代の交代も進みました。社会変革の展望の中で「朝鮮統一」と言うテーマが労働者や闘う市民にとって前向きな意義を持つのでしょうか?そうではないと思います。大変困難であることは間違いないのですが、歴史的課題は「終戦協定」であり二国家間の平和条約締結だろうと考えます。

■世界の先進国となった韓国

 冒頭に触れたように、金正恩の過激な文句を取り除けば、両国が自立した国家として(つまり統一など戦争を惹起する要因を排除して)新たに歩みだすことができるということです。このことは最終的には両国民が決めることですが、少なくとも北朝鮮の態度は決して挑発を意図したものではなく長期にわたる朝鮮半島の安定を意図した可能性があります。韓国の場合で見れば、世界の先進国へと昇りつめ大資本が次々と叢生し労働者階級は大きく成長し市民運動も発展しています。むしろこの「統一の大義」を捨てることが半島の安定に資するのであれば、韓国ばかりではなく後に述べるように北朝鮮においても経済発展と大衆の階級的覚醒こそが主題となる条件を生み出す可能性があるでしょう。
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 「二つの朝鮮」論の背景には、国際的対立の谷間にあって北朝鮮が中国や特にロシアとの関係を深めていることと関係しているでしょう。また先日、北の政府高官が苦言を呈しながらも韓国を「大韓民国」とよび、しばらくして「日朝対話」の秋波を送っていることにも注目すべきでしょう。ところが金正恩発言に対する韓国政府の対応は、「ハンギョレ新聞」で紹介された専門家たちの意見のような深い理解に欠け、金正恩の過激な表現を逆手に取り敵愾心を韓国民に煽るというのは残念なことです。「金正恩委員長の脅しは、我々を刺激しないでほしい経済建設に専心したいという意味でしかない」(ハンギョレ新聞)、つまり南北統一の呪縛から解放され独自の国家建設を進めたい、というのが北の支配層の本音のようです。

■北朝鮮でも進む経済開発

 北朝鮮では生活苦が依然として深刻であることは確かなようですが、経済が意外に上向きであることが指摘されてもいます。

 2023年の経済実績を称えた「金正恩党総書記は報告で《穀物は103%、電力、石炭、窒素肥料は100%、圧延鋼材は102%、非鉄金属は131%、丸木は109%、セメント、一般織物は101%、水産物は105%、鉄道貨物輸送量は106%であり、住宅は建設中の世帯数が109%として人民経済発展の12の目標が全部達成された》と述べ、2023年に設定した《12の重要高地》、すなわち経済の主要12部門で2023年に設定した目標をすべて超過達成したとした」(金正恩が「2つの朝鮮」を宣言した背景| 現代ビジネス)と報じられています。

 さらに「《電動機は220%、変圧器は208%、ベアリングは121%、電気亜鉛は140%、鉛は121%、紙は113%、塩は110%、化粧品は109%、板ガラスは100%、マグネシアクリンカーは104%に増産したのをはじめ、経済の全般ではっきりした生産成長と計画規律の樹立という進展を遂げた》と経済実績を誇った」(同上)。

■「統一」と言う大義の放棄の政治的陥穽

 たしかに、「二つの朝鮮」論の提起つまり「統一」論の放棄は韓国や米国との意味のない対立で経済を消耗させたくないという金正恩いや北朝鮮支配層の考えなのかと推測できます。だから難癖をつけながらこの問題と決別し「我々は武力統一を放棄したから、韓国も軍事圧力をかけないでほしい・・」ということでしょう。

 しかし、朝鮮半島の南北統一と金政権の「正統性」は、歴史的な観点から見ると深い関連性があります。北朝鮮は、初代最高指導者の金日成が日本統治時代の朝鮮半島で抗日武装闘争を率いたこと、さらにその後の朝鮮戦争時代に米軍主導の国連軍との戦いを率いたことを根拠に金政権の正統性を主張してきました。このような「統一」と言う国家目的を放棄した北朝鮮政府と支配層は、今後北朝鮮の民衆をどのように「指導」するのでしょうか。金正恩は全く気付いていないようですが、国民的大義の放棄は実は北の歴代金政権の正当性の放棄なのです。時間がかかるとしても民衆の新たな覚醒と階級的な団結に結びつく可能性を暗示するものです。(阿部文明)


 必要なのは〝普通の民主主義〟――共産党の〝パワハラ〟を糺す――

 共産党が久々に注目を集めている。

 00年から24年間も委員長の座にあった志位和夫氏が中央委員会議長に就任し、後任の中央委員会幹部会委員長に田村智子副委員長が就任したことだ。

 そんな共産党初の女性委員長(「女性云々」……とは言いたくないが)が共産党をどこへ導いていくのか、と注目されたわけだが、のっけから〝トンでも発言〟に注目が集まってしまった。

   ………………

◆物議を醸した〝結語〟

 共産党は1月15日に3年ぶりの大会を開き、最終日の18日、その時点で副委員長(以下、委員長)だった田村氏が、大会結語を述べた。すなわち以前、党首公選制を主張した古参党員の松竹伸幸氏の出版・除名問題を取り上げた神奈川県の大山奈々子県議が「問題は出版したことより、除名処分ではないか。」と発言したことを取り上げ、「発言者の姿勢に根本的な問題があることを厳しく指摘いたします。」「あまりにも党員としての主体性を欠き、誠実さを欠く発言」だ、と大会参加者の目の前で非難したのだ。

 事の顛末は、すでに広く知られている。古参党員が、委員長公選制を求めて、自身も委員長選に立候補することを表明。共産党本部は、その提案を拒否した後、独自の見解を出版した党員に対し、党外から批判したことを党の規約に反したとして除名処分に付した、というのが、大まかな経緯だ。

 これに対し大会では、大山氏から「何人もの人から『やっぱり共産党は怖い』『除名はダメだ』と言われた。問題は出版したことよりも除名処分ではないか。除名は対話の拒否にほかならない。排除の論理ではなく、包摂の論理を尊重することが党運営に求められている。」と発言した。

 大会結語での田村委員長の発言は、これを取り上げて、「党内外の人がこう言っている」ことのみで処分は問題だとしたのは、党員にあるまじき姿勢だと問題視し、断罪したわけだ。

 しかし「党内外の人が言っていることのみをもって処分が問題だというのはおかしい」と断じるだけでいいのだろうか。党の主張や運動を拡げるためには、党内外の人の受け止め方は極めて重大な関心事で、むしろ党中央としてもそうした現地・現場の情報は不可欠であるはずだ。

 共産党の規約第2章第5条第6項では、「党の会議で、党のいかなる組織や個人に対しても批判することができる。」とある。大山県議の意見は、まさにこれにあたる。

 これに対して、中央委員会の立場から、当然、その意見に対する反論も可能だ。が、それは大会の討論の議場で行われるべきものだ。議事終了後の大会結語という場で、大会議事中に出された意見を批判することはまったく別次元の問題で、本来許されない越権行為という以外にない。

◆〝パワハラ〟を生む組織原則

 先に取り上げた田村委員長の発言に、党内外から批判が向けられた。多くは当該の代議員が反論の機会が全くない中で、全大会参加者に対して〝人格否定〟〝パワハラ〟的な一方的な批判が述べられたことに向けられたものだ。

 今回の新委員長選出に当たっては、メディアも含め党外では、田村委員長は、党の幹部集団の傀儡になり、志位氏らによる事実上の〝院政〟になるのでは、という見立てが多い。それは志位氏が委員長に選任されるまで10年間書記局長を務めたが、田村氏は副委員長からの抜擢で、党全体の指導力が未知数であること、それに、志位氏が中央委員会議長に選出され、形式的には党のNO1の地位に就いたこと、志位氏が常任幹部会メンバーにとどまったこと、などが根拠として指摘されている。

 それらも含めて、今回の委員長公選制の提起と当該党員の除名という〝内紛〟にさいし、田村氏が共産党指導部から一枚岩の共産党の姿を強調する発言を強いられたものではないか、と受け止められていたわけだ。

 そうした経緯も含め、問題は大会結語という場で、仮に党指導部に同調する人たちを多数(意見)派、党に異論を提起した神奈川の代議員などを少数(意見)派とした場合、多数派の意見を善とする立場から、少数意見を断罪するような発言を党の委員長がしたことだ。普通であれば、批判者も含めて全参加者に「ご苦労様でした、みんなで頑張りましょう。」という程度の発言にとどめれば良かったのに、だ。

 普通、大会(中央委員会)から委任された新委員長は、委任した大会議論を批判や総括など出来る立場に無いはずだ。少数意見の存在も考慮した上で党運営に務めるべきものだが、それが共産党には通用しない。

 田村委員長はその後も、「党大会の場で重大な誤りがある発言があれば、党大会の場でただすというのは中央委員会としての責任であり、中央委を代表してそういう発言を行った。(相手の)発言の内容についての批判だ」(2・21記者会見)としているが、最高機関であるはずの党大会での意見や態度に対し、そこで委任される委員長に正誤の判定権が付与されるなど、党規約のどこにもそんな条項はない。委員長は(場)も(立場)もまだ分かっていない。

 こうした観点は、民主主義とは何かが理解できておらず、突き詰めれば、執行部は選出母体(ここでは党大会・中央委員会、国政であれば国会)を批判できるのだということになり、中央委員会は大会より上位機関となり、中央委員会から委任された幹部会は、中央委員会を批判することで中央委員会の上部機関になってしまう。そうなれば、党トップの(あるいは幹部会)の集権制まで行き着くという代物なのだ。

◆民主集中制の〝集権的な〟運用

 共産党の組織原理は、民主主義的中央集権主義、すなわち民主集中制だという。

 民主集中制とは一般に、方針を決定する際の討論と多数派原理、決定した方針に関する全体の統一行動というものだ。要するに、方針を決めるに当たっては徹底した討論をし、決まった(採決された)方針に対しては、全構成員がこれに従って行動する、というものだ。一見すれば当然のことのようにも思える。

 ちなみに、政治団体の組織原理は、大まかに以下の三類型に分かれる
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 (別表―1)(組織原理の三類型)
       自由な討論   少数意見     行動    個人(下級機関)と組織(上級機関)

民主制      保障       保障される     実行義務なし    服従義務なし
民主集中制    (保障)       (保障される)     実行義務あり    服従義務あり
中央集権制   否定        改宗させられる   実行義務あり    服従義務あり
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 こうした三類型の組織原理は、実際にはかなりの幅がある。

 例えば、民主集中制についても、それを中央集権制に偏った解釈・運用をすれば、中央集権制に接近し、反対派・少数派への弾圧や排除に繋がる。逆に狭く解釈すれば、決定した方針に基づく行動を全党に〝呼びかける権利〟のみ、党中央機関に与えるもので、どうしても納得できない党員の行動留保権を認めるものとなる。構成員側からすれば民主制に近いものになり、要するに、行動に参加しなくてよいが、邪魔はしないという態度だ。これが〝異論を包摂する〟という意味だ。ちなみに民主制では、少数派に投票した人も、多数派の与党の方針や行動に賛同・参画する義務はない。

 共産党の民主集中制とは、その集権制的な解釈の上に成り立っている。今回の件についても、田村委員長は、あくまで党規約(中央集権的な解釈による)にもとずいて判断した、と述べている。

 民主集中制の集権的運用は、上意下達の集権制への回路にもなり得るのだ。

◆民主集中制と普通の民主主義

 共産党の民主集中制という組織原則は、党規約第三条に規定されている。
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 (別表―2) (日本共産党規約 第三条)
 第三条 党は、党員の自発的な意思によって結ばれた自由な結社であり、民主集中制を組織の原則とする。その基本は、つぎのとおりである。
 (一) 党の意思決定は、民主的な議論をつくし、最終的には多数決で決める。
 (二) 決定されたことは、みんなでその実行にあたる。行動の統一は、国民にたいする公党としての責任である。
 (三) すべての指導機関は、選挙によってつくられる。
 (四) 党内に派閥・分派はつくらない。
 (五) 意見がちがうことによって、組織的な排除をおこなってはならない。
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 共産党の組織原理である民主集中制の何が問題なのだろうか。問題は党の方針案や人事案に対する賛否の投票結果をどう定義・認識するかの違いだ。

 投票行動の評価は、本来、どういう意見がどういう比率で存在するかを、可視化するものでしかない。方針案に賛成票が多かった場合、それはその時点で賛成者が多かったという事実を確定するものでしか無いはずだ。採択された方針に則してある期間活動した結果、成果が思わしくなかった場合、次の大会では批判意見が増えて多数意見が変わる可能性がある。そうした場合、新しい方針に基づいて活動することになる。多数意見が絶対ではないわけだ。

 要するに、構成員の投票行動は、善悪を決めるものではなく、あくまで多数意見を可視化するものだ。それを価値判断の指標として、むりやり多数意見は善であり、正しいものだ、少数意見は悪であり、間違ったものだ、と価値判断を組み込むから、民主主義がおかしくなる。

 投票行動・選挙の機能とは、本来そうした制限されたものだ。それは政党の意思決定に限った話でなく、国会などの議会でも同じ事だ。その時点で多数派与党が正しいわけでもなく、野党が悪いというものでもない。

 ただ多数派与党の政権は、国民の多数意思によって選出されたという正当性を主張できる。政党でも、党員の多数意思によって決定された方針であり、多数意思によって選出された指導部だ、という正当性を主張できる。それ以上でもそれ以下でもない。これが〝普通の民主主義〟だ。

 では共産党の民主集中制ではどうなるのか。

 共産党の民主集中制は、多数派が正しく、少数派は間違っている、という価値判断が入り込んでいる。だから、多数意見は全ての党員が賛同すべきものであり、少数派は自らの過ちを認めて多数意見に改宗すべきだ、となる。

 こうした組織観に染まっているから、大会が終わった後、委員長が、指導部は正しいという前提で、少数意見を述べた発言者に「党員にあるまじき態度」などと罵倒できるのだ。こんな光景を見せつけられた大会参加者は、どう思うだろうか。党中央に異論をぶつければ、衆人環視の中で罵倒される現実を見せつけられる。これでは、活発な発言や討論など、夢物語になるだけだろう。

◆歴史的な教訓

 現に、過去の共産主義運動を担った諸組織も、同じような過ちを繰り返してきた経緯もある。典型は、ロシア革命後のスターリン時代のソ連共産党であり、日本では、新左翼と言われた政治組織でも、同じような過ちは繰り返されてきた。

 スターリン時代のソ連共産党は、共産主義反対派、労働者反対派などに対し、党の諜報治安機関によって〝反革命分子〟〝外国のスパイ〟だなどと苛烈な弾圧と粛正を繰り返してきた。例えば10月革命の功労者トロツキーを除名して国外追放し、最後はメキシコで殺害した。ブハーリンなどスターリンの〝政敵〟に対し、モスクワ裁判で〝犯罪〟をむりやり〝告白〟させ、次々に処刑にした。

 もっとも、ロシア革命の17年4月(ロシア暦)に開催されたロシア社会民主労働党(ボリシェビキ派)の「四月協議会」では、一般党員から党指導部のカーメネフやジノヴィエフらへの痛烈な批判も飛び交い、最後はレーニンがなんとか取りなした、という光景も見られた。(『四月協議会議事録』十月社)人や時代が変われば、党も変わってしまうのだ。

 日本の一部左翼グループも、リーダーが構成メンバーを〝総括〟だなどといって暴力を加えて殺害するという凄惨な事件もあった。そんな極端な事例以外にも、大会で異論を提起した構成員を、大会後に〝指導〟して反省させるという事例も多かった。(今回の共産党の事例でも、同じような長時間にわたる〝指導〟〝説得〟もあったようだ。)また指導機関のメンバー改選で、指導機関自身が新メンバー名簿を提出して採決させるということも、当たり前に行われていた。

 そもそも、指導機関という位置づけ自体に問題がある。中央委員会や幹部会などは、あくまで大会から委任された役割を担う機関であり、党構成員全体に責任を負っている存在でしかないのだ。

 民主集中制による集権的な上意下達的な組織運営は、反対意見や少数意見を〝異端者〟〝反党分子〟視し、最終的には除名に至る、ということになる。必然的に、党上層部に盲従する指示待ち党員も多くならざるを得ない。

 共産党は、戦前では過酷な弾圧にもめげず、反戦を貫いた集団でもあった。戦後は多くの行き過ぎや混乱はあったが、政権への厳しい追及を貫く姿勢は、いまでも光る場面もある。それに権力による盗聴・盗撮など監視や圧迫も受けている。ハリネズミになりたい気持ちも分かるが、それでも今回の事例など、民主集中制を偏狭に解釈する上意下達の閉鎖集団だとの批判は免れず、党勢拡大など夢物語だろう。(廣)
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   『南海トラフ地震の真実』(東京新聞) 南海トラフ大地震への「懐疑論」

 能登半島震災は、地震の恐ろしさを改めて示したかたちでした。日本列島は活断層列島であり、同じくプレート沈み込みによる海溝型地震の巣でもあります。「ワーカーズ」「ワーカーズ・ブログ」でもたびたび取り上げてきましたように、防災意識や自治体・政府による防災体制や被災時救援体制の優先的確立が必要とされています。

 ところが、このような話を前提としつつも部分的にはかなり真剣な懐疑論もあるのです。それもまたご紹介したいと思います。

■南海トラフ地震の発生確率への疑問

 東京新聞の記者、小沢慧一氏が書いた『南海トラフ地震の真実』という本は、南海トラフ地震の発生確率についての懐疑的な視点を提供し科学ジャーナリスト賞を受賞しています。(東京新聞・1650円)この本の主な論点は以下の通りです。
  ・・・・・・・・・
 政府が発表する南海トラフ地震の発生確率30年以内では(70~80%)について、その算出方法に疑問があるという指摘が中心です。ある学者の告発を受け、その確率が特別な計算式で水増しされているという事実を新聞記者として追跡しています。

 こうして非公開の議事録や、計算の根拠となる江戸時代の古文書を調査し、「南海トラフの発生確率の高さでえこひいきされている」という事実が浮かび上がります。つまり南海トラフ危機が「もれらている」ということになります。
  ・・・・・・・
 こうしてこの本は、地震予知の可能性への期待とともに懐疑を拭い去れず、防災関係諸官庁、防災科学機関、科学者のアンフェアな判断に切り込みます。

■科学者と官庁と防災組織を結ぶ巨額予算

 「・・地震予知への期待を背景にしながらも、地震学者や防災関係者が多額の国家予算で潤っている。1990年前後にこの分野を取材した記者の多くがそう感じていたはずだ。南海トラフ地震の予測で今も続くこの構図を克明に調べ世に問う労作が結実した」。

 「科学がどう都合よく政治(や役所・官僚)につまみ食いされるのか。そのとき科学者はどうすべきか。コロナ禍しかり。残念ながら、この国ではこれがありふれた物語なのか。本書の基になった新聞連載が日本科学技術ジャーナリスト会議の科学ジャーナリスト賞を受けたのも、当然だろう。」(bookbang)。

 コロナ禍において上は厚労省から専門家や医療関係諸団体までが「コロナ予算」をがぶ飲みし、コロナ禍の真摯な対策ではなく私腹や省益や業界関連団体を肥やすことに傾斜したのでした。「未知のウイルスコロナは怖い」が彼らの追い風でした。それと同じように「南海トラフ大地震は怖い」、東日本大震災の十倍の死者が出る、復興予算も十倍必要となる、30年間の発生確率(70~80%)・・・との「試算」は結局誰に利益をもたらすのか?と言うことになります。こうして研究と防災関係予算は膨れ上がるのです。
 
■「南海トラフ大地震」と現実の諸震災

 1999年に南海トラフ地震の被害想定(死者32万人、経済被害220兆円)が公表され、政府と関係機関は南海トラフ地震対策を強化しました。

 しかし問題は、今回の能登半島震災にみられるように地震の脅威は全国至る所にあるのです。阪神・淡路大震災(1995年1月17日)、宮城県北部地震、中越地震、新潟県中越沖地震、東日本大震災(2011年3月11日)、熊本地震、北海道胆振東部地震、そして能登半島地震・・・が発生しています。

 一部の地震科学者は今回の能登半島震災が「ノーマークではなかったが、南海トラフほどの重点対象ではなかった」との声が上がりました。富士山噴火も含め全国的に地震の活発期に入ったと考える学者もいます。その意味でも、「南海トラフの特別扱い」が懐疑的にみられることになります。

 こうなると「地震科学」が科学と言われないものになってしまいます。コロナが当初「未知のウイルス」であったように地震予知が未熟な科学であればあるほど、政治や官僚の省益あるいは地震科学関連組織、防災組織に利用されてしまいます。以上、地震対策拡充の必要性とともに、このような社会と政治のゆがみにも目を向け批判する必要があることは確かです。(阿部文明)


 読書案内 「ガザとは何か」 パレスチナを知るための緊急講義  
 著者 岡真理  発行 大和書房 定価1400円+税
 
 この本を書かれた岡真理さんは、早稲田大学文学学術院教授、京都大学名誉教授で専門は、現代アラブ文学、パレスチナ問題です。著書に「アラブ、祈りとしての文学」(みすず書房 2008年)、「ガザに地下鉄が走る日」(みすず書房 2018年)ほか。

 イスラエルがやっていることは無差別殺人  
 
 昨年10月7日の事件以降、イスラエルによるパレスチナへの軍事侵略と集団殺害が行われています。ガザ地区の保健当局によると、2月18日現在ガザ地区での死者は約2万9千人にもなっているそうです。またヨルダン川西岸地区では、昨年10月7日以降イスラエルによるパレスチナ人の殺害は、少なくとも400人に達しているそうです。イスラエルによるパレスチナへの無差別殺人の一部を、国境なき医師団(MSF)のホームページより引用します。  

 「2月20日夜遅く、イスラエル軍はパレスチナ・ガザ地区の海岸線にあるアル・マワシ地区で軍事作戦を行った。その際、イスラエル軍の戦車がMSFの同僚とその家族が避難している家屋に発砲した。この攻撃で、MSFスタッフの娘と妻が死亡し、6人が負傷した。銃弾はMSFの建物にも撃ち込まれ、正門、建物の外壁、1階の内部に命中した」。

 「この地域の砲撃により救急隊が駆けつけるまでに2時間以上かかった。負傷者(何人かはやけどを負っていた)はラファにある国際医療団体、インターナショナル・メディカル・コープス(IMC)の野外病院に運びこまれた」。『私たちはこのような悲劇に憤り、深い悲しみを感じています』、ガザでMSFの医療活動を指揮する事務局長のメイニー・ニコライは言う。『米国が国連安保理で即時停戦に拒否権を発動した同じ日に、犠牲者の2人の娘は、イスラエル軍戦車の砲弾で母親と義理の姉が殺されるのを見たのです』、『ガザのどこにも安全な場所はなく、安全な場所を確保するという約束は空虚で、衝突回避のメカニズムも信頼できないという厳しい現実が、改めて浮き彫りになりました』とニコライは言う」。

「人口密度の高い都市部で、とんでもない勢いでの武力行使が続いているうえ、人道支援要員とその家族がたくさんいる建物を標的にすることは、良心を欠く行為です」。

「攻撃当時、この家には64人が避難していた。イスラエル軍を含むすべての紛争当事者には、特定の場所におけるMSFチームの所在を定期的に通知しており、当事者らはその存在を認知している。イスラエル軍は、アル・マワシ地区にある、このMSFの避難所の正確な場所を、明確に把握している」。

「これに加え、建物の外側には、2メートル*3メートルのMSFの旗が掲げられていた。攻撃の前にイスラエル軍から退避要求は出ていなかった。MSFはイスラエル当局と連絡を取り、さらなる説明を求めている」。

「アル・マワシ地区での攻撃の前にMSFの避難所で生活していた同僚やその家族の中には、1月8日にラファの別の避難所が攻撃され、MSFスタッフの5歳の娘が死亡した事件を生き延びた者もいた」。

「このことは、イスラエル軍が軍事作戦において市民の安全を確保せず、人命を完全に軽視し、医療活動を尊重していないことを改めて示している。これでは、ガザでの医療・人道援助活動を維持することはほぼ不可能だ」。以上引用でした。  

 イスラエルによるパレスチナへの攻撃が、無差別殺人であることは明らかです。

 さて、本の紹介をします。著者の岡さんは、イスラエルによるパレスチナへの攻撃について、4つの要点をあげています。1つ目は、現在起きていることは、ジェノサイド(大量殺戮)であると。2つ目は、日本の主要メディアは、パレスチナで起きている本当のことを報じないと。「テロリスト集団のハマスがテロ攻撃を仕掛けた」というイスラエル側の情報を無批判に流すだけです。これまで、イスラエルがパレスチナへ数々のジェノサイドを繰り返してきたことを、捨象しています。

 3つ目は、報道で捨象されているイスラエルという国家が、入植者による植民地国家であり、パレスチナ人に対するアパルトヘイト国家(特定の人種の至上主義に基づく、人種差別を基盤とする国家)であるということです。4つ目は、これまでイスラエルは、数えきれないほどの戦争犯罪、国際法違反、国連安保理決議違反を続けてきましたが、それを国際社会は1度も裁いてきませんでした。  

イスラエルはどう建国されたか  

 1945年ナチス・ドイツが敗れてソ連軍がアウシュヴィッツを解放します。600万と言われるヨーロッパのユダヤ人がホロコーストの犠牲になりました。そこで生き延びた、25万のユダヤ人難民をどうするかが課題になっていました。1947年国連総会で、パレスチナを分割しそこにヨーロッパのユダヤ人の国を創ることが、賛成多数で可決されてしまいました。翌1948年イスラエル建国以降、イスラエルによるパレスチナ人への民族浄化(大量殺人や土地からの追い出し)をやられています。

現在のパレスチナの状況

 パレスチナのガザ地区は、2007年以来イスラエルにより壁やフェンスで完全封鎖されています。それにともないガザ地区から、イスラエル軍やイスラエル人は撤退しましたが、ガザ地区は周囲からイスラエル軍に監視され、多くのパレスチナ人がイスラエルによって殺されています。

 また、ヨルダン川西岸地区には、イスラエル軍やイスラエル人が入植しています。占領地に入植することは、国際法違反です。そして、多くのパレスチナ人が何の罪もないのに殺されたりしています。

 昨年10月7日のハマス主導によるイスラエルへの攻撃は、日頃からのイスラエルによるパレスチナ人への弾圧に対する反撃です。

  そして今回の構図は、イスラエルによるハマスへの無差別殺人ではなく、ハマスを含むパレスチナ人への無差別殺人です。仮に停戦がなされたとしても、それだけでは解決になりません。

 まずは、イスラエルはパレスチナ人への無差別殺人や不当な弾圧をやめて、今までの国際法違反の行為に対し、罰を受けるべきです。すべては、そこからです。(河野)案内へ戻る


 袴田巌さんの裁判闘争に参加して

 皆さんもご存知のように袴田さんの再審公判(やり直し裁判)が静岡地裁で続いている。

 昨年10月27日に再審公判が開かれて、この2月14日に第8回公判、15日に第9回公判が開かれた。
公判の日は、午前8時30分頃に静岡地方裁判所に傍聴券を求めて多くの人が並び抽選となる。ところが、一般傍聴席はわずか27席である。1時間近く待たされてようやく当選番号が掲示板に示される。

 最初の頃の公判では200人や100人が並びとても傍聴券は当たらない事が続いたが、ようやく2月に初めて傍聴することが出来た。

 ところが、裁判所に入り指名された法廷に行くと多くの職員が並んでいて、「荷物を預けて下さい。筆記道具だけは認めます。」さらに「金属探知機でボディーチェックをします」。と言う、こんな過剰な検査態勢は初めて体験した。聴けば、これまでの金属探知機のボディーチェックで傍聴者との間でトラブルが起きていると言う。

 地検は公判で袴田さんが事件の犯人だとして長々と立証を述べる。一方、弁護団は検察の姿勢は単なる時間の引き延ばしだと批判する。

 今後も3月、4月と再審公判が続き、5月22日(水)に最終再審公判になるスケジュールとなっている。

 なお、2月23日(金)の静岡新聞に「島田事件」の赤堀政夫さんが亡くなられたとの報道があった。

 赤堀さんは1954年に島田市内で幼女が殺害された「島田事件」で逮捕され、殺人罪などで起訴された。赤堀さんは一審静岡地裁の初公判から自白を強要されたとして無罪を主張したが、地裁は1958年に死刑判決を宣告し最高裁で確定した。

 その後、4度にわたる再審請求を経て再審裁判が始まり、地裁は1989年に無罪を言い渡した。免田、財田川、松山に続く戦後の「四大死刑冤罪事件」の一つである。

 1989年1月31日、静岡地裁で再審無罪判決が言い渡された赤堀さんは、地裁前で右拳を突き上げて集まった支援者に生還をアピールした。

 「35年と口で言うのは簡単だよ。でも、本当に長い。無実の人を殺していい法律なんて、どこにもない」。別件で逮捕し、自白を強要した警察官らへの怒りも消えなかった。「こちらの言い分は全然聞いてくれない。調書が無理やり作られた」と言う。

 赤堀さんの弁護団員だった河村弁護士は「弁護団に加わったことで学びも多かった」と言う。他方で、当時から不備が指摘されていた再審法(刑事訴訟法の再審規定)は赤堀さんの再審無罪以降も改定されないままで「国会の怠慢」であると指摘する。

 このように冤罪事件が多い事、再審法の改定の遅れ等々は本当に問題である。袴田さんの一日も早い無罪判決をめざして支援をよろしくお願いする。(富田英司)


 色鉛筆・・・私は憲法研究者です 自民党パーティ券の裏金問題を告発!

 なぜ「政治とカネ」を告発し続けるのか、この問いかけは上脇博之さんの実績をみれば明らかです。上脇さんは、現在、神戸学院大学で教授を勤められ、「政治資金オンブズマン」共同代表でもあり、今や全国から講演依頼が殺到中です。

 私も、2月11日の「『建国記念の日』不承認兵庫県民集会」で上脇さんの講演を聞く機会がありました。いつものバンダナ姿にラフな恰好での登場に、会場は大きな拍手と期待で包まれていました。冒頭、ご自分の視野が通常より狭いこと、声がハスキーで聞き取りにくいことを告知、会場に理解を求める姿勢に親近感が持てました。

 始めに紹介した著書では、上脇さんの生い立ちが詳細に綴られ、1958年生まれにしては苦労があったのかな、と思う所がありました。例えば、小学校を卒業すると母方の祖母宅から中学校に通い、独り暮らしの祖母の寂しさに寄り添う少年でした。生まれが鹿児島県姶良郡という過疎地であり、父親の転勤が予想されことも要因でしたが、高校も祖母宅近くの叔父宅から、自転車・汽車・徒歩を利用し通学する毎日でした。

 中高校時代は、「刑事コロンボ」が記憶にあり、拳銃を持たずに犯人を捕まえ、権力者に忖度しないことに好感を持てたこと。大学受験浪人時代は、受験勉強よりも自宅や友人宅で麻雀三昧の日々を送ります。転機となったのが、麻雀仲間の読書感想文のようなレポートを任されたことです。その本が、椎名麟三の「生きる意味」で、その後、キリスト教、マルクス主義に出会い、大学法学部入学へと導かれたそうです。

 議会制民主主義の実現には、憲法の視点から「投票価値の平等」(憲法14条)に基づく選挙制度が必要と、上脇さんの主張の正当性に気づかされました。やはり、「小選挙区制」には自公政権有利に動き、有権者の意向に沿わない欠陥制度なのだと確信しました。

 現行の「比例代表制」にも党所属が条件付きという欠陥がありますが、目指すのは無所属も含む「完全比例代表制」です。そして、忘れてはいけないのは1994年に政党助成法が制定され、政治腐敗の温床である企業献金を温存しながら2015年政党交付金制度がスタートしたこと。上脇さんは政党交付金は廃止すべきと主張しています。政治改革・選挙制度の改革と同時に男性中心の議会から、女性も多様な性も参加出来る議会の実現に向けて、当たり前の権利を主張しましょう。(恵)

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