ワーカーズ654号(2024/5/1)
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戦争準備に走る岸田政権にノーを!――日本は対中戦争の先兵に――
岸田首相は、4月の日米首脳会談で「日本は米国のグローバル・パートナー」だとし、世界レベルで対中包囲網づくりの先兵の役割を果たすと宣言した。
さらには、安倍政権以降の東アジアをめぐる覇権抗争、直近では台湾有事をめぐる現実の米日台対中国の戦争を想定した日米共同作戦計画と、それを実施するための日米両軍の《指揮・統制》での連携強化にも踏み込んだ。
それにしても、岸田首相の歯が浮くようなメッセージは異様だった。米両院合同議会での演説だ。「日本はかつて米国の地域パートナーだったが、今やグローバルなパートナーとなった」「米国は独りではない。日本は米国と共にある」「日本は控えめな同盟国から、外の世界に目を向け、強くコミットした同盟国へと自らを変革してきた」。
そして中国の軍事動向を「これまでにない最大の戦略的挑戦」として米国の国家戦略に追随し、「今日のウクライナは明日の東アジアかもしれない」と中国への敵対意識をむき出しにしたのだ。
そうしたメッセージにも明らかなように、今回の岸田首相の訪米の目的は、米国にとっての世界戦略である対中包囲網づくりと戦争準備態勢づくりに、これまで以上に主体的に加担する態度を鮮明にしたこと、にある。
岸田首相による戦争準備の加速と並行するように、このところ、〝新たな戦前〟をひた走っているかのような事例も身近に増えてきた。海上自衛隊による靖国神社への〝集団参拝〟や、硫黄島についての〝大東亜戦争〟記述、それに元海将による靖国神社の宮司就任などだ。どれも英霊思想の涵養による戦争準備に繋がるものだ。国家間抗争や戦争を煽る動きには、断固、対決する以外にない。
集団的自衛権を容認して安保法制を転換した安倍政権、それを引き継ぐ防衛費倍増と敵地攻撃態勢の整備で戦争準備に突き進む岸田政権に対し、草の根からの反戦平和の立場から、対抗運動を拡げていきたい。(廣)
日本はもはや〝戦争モード〟へ――無責任極まる覇権抗争はノーだ!――
訪米した岸田首相は、日米首脳会談でも両院議会での演説でも、日本が米国の〝グローバル・パートナー〟であることを再三表明した。あわせて、在日米軍を含む米国のインド太平洋軍と日本の自衛隊との部隊運用や作戦行動での《指揮・統制》の連携強化を確認、表明した。それは、これまでの建前としての専守防衛路線を公然と投げ捨て、〝台湾有事〟など米中間の攻防で日本が米国と一体となって戦う姿勢を明確に打ち出したものだ。
その中心になるのが、対中封じ込め戦略の構図をバージョン・アップする、いわゆる「車軸型(ハブ・アンド・スポーク)の安保協力」から「格子状の多国間連携の強化」への〝進化〟であり、その柱が米軍と自衛隊の《指揮・統制》での連携強化だ。
これまで日米は、日米安保条約に基づいて、日本は国土防衛に専念し、相手国への反撃は米軍に依存する、としてきた。ところが近年の中国の拡張路線に対し、日本も単なる国土防衛から相手国への反撃や攻撃もできる態勢づくりを進めてきた。今回の日米首脳会談は、それをさらに具体化させるものだった。
………………
◆多国間連携の〝格子型安保〟
今回の岸田首相の訪米では、日米ばかりでなく、日米比の首脳会談も行われた。これは対中包囲網づくりで新たに三カ国の連携を強化するものだ。また直前の4月7日には、日米豪比4カ国による南シナ海での共同訓練も行われた。
これらも、岸田首相も強調する日米グローバル・パートナーの内実のひとつだ。これまでのインド・太平洋地域を越えた南半球や英国など欧州を含む領域にまで拡げた日本の役割拡大だ。これはすでに存在する日米や米韓、米豪同盟、米比相互防衛条約、台湾関係法、に加え、米英豪の「OUKUS――オーカス」、日米豪印の「QUAD――クアッド」、そして今回の「日米比」の準同盟化による、多国間安保協力による対中封じ込め戦略の強化をめざす、というものだ。
こうした複数の多国間連携づくりと強化を、エマニュエル在日米国大使は、米国主導の〝車軸型安保〟から多国間連携を相互にネットワークで結びつける〝格子型安保〟への発展で、日本はその中心国になる(「朝日」4月6日)と語っている。
日本は、一面では米国主導の多国間安保構想に加担させられた訳だ。が、同時に、日本としてもアジアの盟主の地位を追い求める思惑から、米国をアジア、とりわけ東・南シナ海への関与を続けさせたい思惑もある。対中包囲網づくりに米国は欠かせないからだ。そのために、前のめりになるほど米国の安保構想に寄り添うという姿勢をさらけ出したわけだ。
◆対中攻撃力の整備・強化へ
グローバルな安保協力の柱となる《指揮・統制》での連携強化の端緒は、日本も相手国への攻撃も出来るようにする、いわゆる〝敵基地反撃能力〟の保有だった。現実の攻撃の対象は、対象国の政権中枢も含むトータルな〝敵国攻撃能力〟の保有だ。
これまで米軍は、一国完結主義、要するに他国の支援を必要としない自国完結型の攻撃能力を保持してきた。それが中国の急速な軍事力増強によって、局地的に見ても、東・南シナ海などでは米軍の圧倒的な優位性が崩されてきた現実がある。そうした中でインド太平洋地域各国の軍事力、とりわけ、中国近海を中心とした日米など関係国の軍事力を一体的に運用することで、対中抑止、対中包囲網づくりを整備したいとの思惑が増幅されてきたわけだ。
日米軍の《指揮・統制》での連携強化とは具体的にどういうことか。
現在、米軍と自衛隊は、共同訓練などで部隊の一体的な運用を強化してはいる。が、現状では、軍の指揮・統制は別個だ、という建前になっている。
現在、日本各所の米軍を統括する在日米軍司令部は存在する。が、その司令官は基地管理など、軍の行政的な役割しか持っておらず、軍事作戦での《指揮・統制》は、ハワイにある米インド太平洋軍司令官が担っている。
自衛隊はその米インド太平洋軍とは直接の連携はなく、米軍は日本の自衛隊とは関係ないところで、自国軍の作戦計画の立案や指揮統制権を保持していたわけだ。それが、仮想敵国への共同攻撃の任務が加わってきたことで、直接的に自衛隊と米軍との間で、指揮統制メカニズムを一体化する必要がある、となったわけだ。
具体的には、米国としては、在日米軍司令部の強化と、今年度中に予定されている。自衛隊の統合作戦司令部の新設により、両軍の連携を強化して実戦での効率的な共同作戦行動を可能にするというものだ。現にこの4月16日、日本では《統合作戦司令部》の新設を可能とする法改訂が自民、立憲などの賛成により衆院で可決している。
この日米共同作戦で問題となるのが、日米のどちらが《指揮・統制》で主導権を握るか、という問題だ。岸田政権は、あくまで日本は自立した指揮・統制権を保持する、としているが、果たして可能なのか。例えば敵国の各地に長距離攻撃も行うという切迫した場面で、相手国に対する情報収集力や多様な攻撃手段を保持する米国の意向に反する判断が出来るのか、という問題だ。
現実的には米軍の指揮・統制に従わざるを得なくなる。そうなれば、自衛隊は、実質的に米軍の下請けになってしまう。現に韓国では、朝鮮戦争の経緯もあって、在韓米軍司令官が米韓連合軍司令官を兼任しているのが現状だ。
岸田首相は、米国から帰国しても〝従来と変わらない〟〝自衛隊の指揮・統制権は日本が持つ〟と言い続けているが、これも岸田首相が常用する〝はぐらかし〟〝言い逃れ〟に終わる公算が大きい。
◆日米共同作戦計画
《指揮・統制》での日米一体化は、現実に策定作業が進んでいる「日米共同作戦計画」づくりの進展と連動している。
いま日米のいわゆる《2プラス2》=「外務・防衛担当閣僚会合」で、台湾有事などへの対応策として《日米共同作戦計画》づくりが進められている。これは、いざ〝台湾有事〟という事態が起きたら、日米がどこの部隊を使用してどう対応するのか、という共同作戦計画だ。その計画が23年末に原案が完成し、今年末までに正式版が策定されるようだ。
日米両軍は、その一環として今年2月に、中国を仮想敵国として明示したコンピューターを使用したシミュレーションを実施している。が、政府はその共同作戦のシナリオを特定機密に指定したともいわれており、中身は一般には知らされない
今回の自衛隊と米軍の《指揮・統制》問題は、その共同作戦計画と連動していると想定さる。具体的には、在日米軍司令部機能の拡充と、新しく設置される陸海空自衛隊の統合作戦司令部と連携・一体化が進むことになる。〝台湾有事〟に関する日米両国の作戦計画が国民不在で策定され、行使される可能性が高まっているわけだ。
◆米中覇権抗争に加担する日本
なぜ米国がこれほど対中包囲網づくりに邁進しているのだろうか。それは一言でいって覇権国家の保持が至上命令になっているからだ。逆に言えば、覇権国家からの転落をそれだけ恐れていることになる。
それはそうだろう。米国は実質的には第一次世界大戦後に、覇権国家の地位を手にした。が、その力を積極的には行使してこなかった。が、第二次大戦後は明確にそれを指向し、米ソ冷戦での勝利に執着し、90年のソ連崩壊後は、歴史上比類の無い〝唯一の超大国〟の力をほしいままにする覇権国家となった。その間、世界中で大小100カ所規模の武力行使を続け、欧州ではソ連崩壊後も東欧への軍事介入やアフガン・イラクなどのやりたい放題の介入戦争など、ドル支配や経済制裁なども含め、実質的には一国だけの力で世界覇権を保持してきたのだ。
その一国覇権が脅かされ始めている。いうまでもなく、経済力・軍事力での中国の台頭だ。
かつての米ソ冷戦時代では、核戦力を中心とした軍事力では拮抗していたものの、ソ連は軍拡競争で疲弊して経済力では冷戦期で米国の半分弱に過ぎなかった。覇権を奪われる恐れはほぼ無かったわけだ。それが中国の継続的な経済成長と軍事力の整備によって脅かされ始めたのだ。
GDPなど経済力では、購買力平価ではすでに中国が米国を上回っており、為替レートでも30年までには米国は中国に追い越されると予測されている。また軍事力も着実に増強され、いまでは第一列島線の内側の東・南シナ海には、米国の海軍力が迂闊に入れないまでになってしまった。このまま推移すれば、近い将来、米中の〝新時代の大国関係〟、すなわち太平洋を二分する並立覇権国家になってしまう。米国にとって、もはや自国だけで世界を自由にコントロールできた地位を失ってしまうわけだ。
いったん失った覇権国家の地位は、二度と取り戻せない……。この恐怖心は、米国の支配層しか分からないと言っていいほど大きくて深刻なものだろう。
昨年、米国は国家安全保障戦略で、中国を米国の覇権を脅かす可能性を持つ唯一の国家だと明示し、その封じ込めに集中する。その枠組みが、今回の〝格子状型安保〟への転換であり、その根幹が、地理的にも軍事的にも中軸となる日米の共同作戦づくりと《指揮・統制》の一体化なのだ。
◆戦場は、南・東シナ海と第一列島線
米国や日本、それに欧州やアジア諸国にも対中警戒感が拡がる理由は確かに存在する。
中国の、中台統一の立場は一定の歴史的根拠があり、理解できないわけではない。米国や日本も〝一つの中国〟を否定していないし、将来の中台統合もあってもおかしくはない。が、台湾の人々が統一を望んでいないなか、中国による台湾への武力統合など、許されるはずもない。それこそ覇権国家的態度だという他はない。
中台の両岸問題以上に危ういのは、南シナ海での中国の拡張姿勢だ。中国は、南シナ海全域を中国の管轄圏内だとしている。が、中国南東部の海南島周辺までなら理解できないわけではないが、赤道に近いナトゥナ諸島なども含めて管轄権を主張している。これを承認する周辺国はないだろう。
中国の習近平主席は、長期政権を築く中で〝中華民族の偉大な復興〟という〝旗印〟を掲げている。かつての強大な中華帝国の版図を意識しているのかも知れない。が、それは明らかに中国のこれまでの被害者意識に由来する復興を超えた、覇権国家的発想に基づくものだろう。かつてのベトナムとの武力衝突を〝懲罰〟だと定義した大国主義・帝国主義に通底するものでもある。
そんな中国と米国の覇権争いの、どちらか一方の陣営に加担するなど、あってはならないことだ。とりわけ、太平洋を挟んだ米国と連携し、近隣の経済・軍事大国と戦端を交えるなど、悪夢としか言い様がない。それこそ日本が〝ウクライナ化〟してしまう。
米中の軍事衝突が起これば、戦場は東シナ海と南シナ海になり、直接的に相対する当事国・地域は、中国と日・台・比になる。とりわけ、東シナ海を挟んだ南西諸島と九州が正面となる日本は、最大の戦場となる。
米軍は台湾有事に直接参戦するとは明言していない。が、仮に参戦しても中国は米国本土を攻撃できないから、米国本土は戦場にならない。南西諸島での小規模の〝遠征前方基地作戦(EABO)〟でミサイル攻撃などはしても、米海軍力の主力は、グァムやハワイ近郊から遠距離攻撃をすることになる。
一方、第一列島線上に位置する南西諸島を含む日本は、遠い太平洋に引っ越しすることは出来ない。当然、中国からは南西諸島や九州、それに本土各地の米軍基地や自衛隊基地も攻撃を受ける。要するに〝台湾有事〟で日本は米中の代理戦争を強いられる。
◆〝アジアの盟主〟
仮定の〝台湾有事〟に、日本はなぜそこまで米国に加担するのか
今回のグローバル・パートナーシップや《指揮・統制》での連携強化は、一面から言えば、日本が対中包囲網づくりや、いざ米中軍事衝突で、日本が米国の下請けの役割を押し付けられる、という意味合いがある。が、それだけで話は収まらない。〝日本の野望〟だ。
日本もかつての高度経済成長期に、中国の経済復興を後押しした時代もあるし、《東洋の奇跡》《ジャパン・アズ・ナンバーワン》評とされた高度経済成長と世界第二位の経済大国を誇った時期もある。いまだ〝日本はアジアの盟主〟だという優越意識から抜け出せない輩も多い。そうした地位が自分たちの利権構造の保持に繋がるとの利益集団も存在する。あえて言えば、〝アジアの盟主〟としてアジア地域を牛耳りたい勢力や、それらと結託した軍需産業や自衛隊など関係者などだ。
現に、世界で戦争が拡がるにつれ、そうした人たちが大手メディアなどに頻繁に登場し、自分たちの立場に沿った軍事整合性に基づくアジテーションを繰り拡げている。そうした権力や利益に執着した勢力は、仮に戦争になれば大きな被害を受ける戦場となった地域の人々、とりわけ戦時弱者となる女性や子供たち、それに戦場で殺し殺される相互の兵士が被る甚大な犠牲など気にもとめない。戦争や戦争準備を煽る政治家など、自分たちは危険の無い位置で戦争を煽るからだ。
◆無責任な〝戦争屋〟と〝国家〟
そうした無責任な戦争屋が、いまでも跋扈している。それを象徴するのが自民党副総裁の麻生某だ。わざわざ台湾に出向き、台湾有事に絡めて〝闘う覚悟〟を連呼した。
〝闘う覚悟。!一体誰に対して言っているのだろうか。台湾の兵士にか、国民にか、それとも日本の自衛隊員か日本国民か。自分はどうなのか。自身が銃を携えて戦場に行くなど考えてもいないだろう。要するに、自分たちの野心や権勢のために他人の命を道具化するものでしかない。まったく無責任極まるものだ、という他はない。
岸田首相も同じだ。今回の米国での上下両院議会演説で、「今日のウクライナは、明日の東アジアかもしれない」と訴えた。そんな安直なロジックがあり得るなら、現在のウクライナ戦争が米ロの代理戦争の様相を露わにしているのと同じように〝今日のウクライナは明日の日本〟となり、日本は米中の代理戦争を無理強いさせられる事態にもなるのだ。
そんな無責任な構図は、沖縄の辺野古基地建設にも見える。辺野古の軟弱地盤埋め立てるために、10年以上もかかり、米国側でも完成時期は早くて37年以降、そもそも完成できないとの評価もある。当初想定していた費用3500億円もとうに使い終え、最終的に2~3兆円になるとの試算もある。にもかかわらず埋め立て計画の撤退はむろん、先行きの見通せないまま、ただ米国との約束を守るためにだけ続ける、という無責任さだ。
完成予定の35年頃には、それを推進する政権中枢の現在の政治家は誰も残っていないだろう。仮に建設が予定どおりうまくいっても、その時点で在沖米軍が、戦術上、沖縄などからグァムなど後方に配置換えしていることだってあり得る。どちらも全くの無責任と言う他はない。
こんな無責任な戦争準備を進める岸田政権に、ノーを突きつける以外にない。(廣)
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日本の軍拡は単純な「対米従属」ではない 日本資本主義の内在的要因を見逃すな!
■米国の世界戦略を補完する「自衛隊」
今回の四月の日米共同声明では、5月末の日米外務・防衛担当閣僚会合(2プラス2)で「突っ込んだ議論」を行うことで一致しましたが、今後自衛隊がますます米国の軍事戦略と一体化していくのは間違いないところです。こうして、政府と自衛隊は完全に「専守防衛」を投げ捨て、米国のグローバーパートナーとして、具体的には対中国(対ロシア)軍事包囲網の形成のために、世界的規模で米軍を補完しつつ米軍の指揮の中に組み込まれることになります。防衛費のGDP比2%への増額や敵基地攻撃能力の保有、防衛装備移転三原則と運用指針の改定などを米国は当然「歓迎」しました。「岸田は自衛隊を米国に差し出したも同然なのだ」と『日刊ゲンダイ』が憂慮するのは当然です。
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ただし、これが『日刊ゲンダイ』の記事のような単純な「対米従属」か、といえばそうではないのです。この点が大変重要です。日本の軍拡勢力、すなわち、政府、自民党国防族、防衛省、自衛隊、経団連そして極右反動派などが米国軍隊との深い同盟関係を利用して、アジアそして世界の軍事大国として台頭する意志を示したのです。そのように理解すべきです。
■米国の戦略転換に積極参加する日本の軍拡勢力
例えば中国やロシアは反米や非米国家として米国勢力圏に与することなく軍事力を増強しています。ゆえに、米国からの激しい圧力を受けています。それに対して日本は、「米国と共に」そして米国の相対的な国力低下の中で、その足らざる点を補う形で軍事力の増強とその世界展開を目指しているのです。ある意味では極めて狡猾な策略だと言えます。つまり、政府、財界、自衛隊にとっての目論見は、このような道筋を経つつアジア及び世界の軍事大国として復活を遂げることなのです。日本の軍拡勢力は米国を国際パートナーとして中国あるいはロシアと対峙することを選択したのです。
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次に米国側の思惑に沿ってみてみましょう。米国の戦略家たちは中東など他の地域に対する介入を減らし、中国けん制に力を集中させるとともに、同盟国により多くの役割と費用を負わせる戦略を構想してきました。米国を中心とした従来の二国間同盟(米日とか米韓同盟)から一歩踏み出そうということです。米国の近年採用しようとしているのがミニラテラル同盟構造なのです。米国と日本、インド、オーストラリアなどの主要同盟国が中心となり、複数の小規模な「多国間同盟」を組み合わせたネットワーク型安全保障体制を指します。
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例えばQUAD: 米国、日本、インド、オーストラリアによる四カ国安全保障協力枠組み、AUKUS: 米国、英国、オーストラリアによる潜水艦技術協力枠組み、さらに米国、日本、インドによる三カ国安全保障協力・・等々に体現されているとされます。インドはもちろん日本にしても必ずしも米国の思惑通りになるか定かではありません。ところがこのような新たな構造において、米国は軍隊や財政の負担を軽減しつつも、米国の主導権と国益を貫くとことができると皮算用にふけっています。
■日本軍国主義の秘められた衝動
日本は、このような米国の世界戦略の変化に積極的に乗ってゆこうとし、とくに安倍政権以来かなり強引なペースで軍拡と米国との「同盟強化」と「多国間同盟」の拡大を図ってきました。その背景にあるのは、日本資本主義の対外投資が「純資産」としては世界一位であり、守るべき権益があらゆる大陸に及んでいるという現実です。日本は一時代昔には「貿易立国」と言われてきましたが、現在では――もちろん貿易は依然として重要ですが――資本の海外投資が飛躍的に進んだのです。(参照「世界が恐れる「日本化」という病~その裏側に見える新たな世界搾取システムを読み解く」2023/1/1「 ワーカーズ 」)
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ゆえに米国が「世界の警察官」としての立場をもはや維持できないのであれば、その空隙を日本が軍事力を飛躍的に高めて埋めてゆくということです。民衆にとってはリスク増・負担増にしか過ぎなくとも、日本国家の支配層にとって軍事力プレゼンスの国際化はある種の必然性・必要性が存在するのです。裏返して言えば、日本単独では不可能な日本の持つ世界的権益の保護を、「米国との世界的同盟」で実現しようとしていると考えられます。日本の軍拡の動機は、米国からの「強要」ではなく日本資本主義の内部にこそ存在するのです。
民族主義的な反発でしかない「反米」や「対米従属論」では反戦・反軍拡をこの日本では戦えないことを理解する必要があります。(阿部文明)
政治家はなぜ嘘つきなのか? 民衆の直接的な政治参加のシステムに移行すべきだ
■「嘘つきは政治家のはじまり」
「嘘つきは安倍晋三のはじまり」と言う有名な言葉がありますが、「嘘つきは小池百合子のはじまり」でもありました。酷い学歴詐称事件でした。嘘が彼らを著名な政治家に育ててきたのです。マスコミのだらしなさも露呈しています。学歴詐称事件では関係者の告白や暴露が無ければ迷宮入りでした。
彼ら政治家は口を開けばでたらめを言い国民にこびへつらいあるいは恫喝し裏では自分たちの利権と権力の確保の政治を走ってきました。その道具がまさに「虚言」なのです。
■政治家はなぜ嘘つきなのか?
自民党裏金問題は、何の解決も見ないままに数か月がたちます。4月に米国で「国賓」になった岸田首相をはじめ、問題政治家の虚偽証言、開き直りが当たり前になっています。残念ながら政治家のほとんどあるいは大多数が虚言を弄する人たちです。つまり「嘘つきは政治家のはじまり」というのが現実です。代議員たる政治家が業界団体の買収により国民の声を「代議」できないことが今回くらい明らかになったことはありません。
しかし現代の多くの政治家が嘘つきであることには理由があるのです。すでに周知のように合法寄付であれ非合法(闇パーティ)であれ、財力のある団体に議員は抱き込まれ半ば買収されています。しかし、他方では、選挙を勝ち抜くには一般労働者や市民の票も欲しいわけです。このようなジレンマが政治家をして嘘つきを習い性にしてしまいます。
■政治を取り戻すために
代議士たちがその任に相応しくないのですが彼らを落選させたくとも巨額の裏金で「選挙区有権者」を買収しており、国民の怒りとは裏腹に議員たちは座席を簡単には手放しません。ゆえに現代の議会制民主主義制度の変更が必要です。主権者は当然労働者と勤労市民です。私たちの政治決定を貫けるようなシステムを模索すべきです。そのためには政策や立法を事実上買収する経済団体等の寄付行為を一切禁止する必要があります。同時に、そもそも代議員たる政治家の持っている現在の特権を大幅に削減すべきです。
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「政治家」つまり現代の職業的政治家=代議員が嘘つきで権力や富だけを求めるのであれば、彼らに代わって私たちが直接に政治や経済を動かすべきです。いや、本来の主権者である大多数の勤労者市民が、インターネットなどの活用の上で直接的議論参加と最終的な決定をすべきです。
現代の代議員制度は、政策決定や立法に関してあまりにも多くの権限が集中しています。ゆえに代議員である彼らは各種経済団体の買収のターゲットです。寄付行為や政治家の「パーティー」などは合法であっても事実上の買収なのです、職業政治家は容易に政策を捻じ曲げます。こうしてみれば誰のために代議員制度が長期にわたって日本に(あるいは世界に)存在するのかは明らかです!
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本来の主権者である労働者・勤労市民が政策や立法の主導権を握れるように、国民投票=直接民主主義制度を拡大すべきです。代議制度を縮小しとりあえずスイスのように直接民主主義を拡大すべきです。地方議会も同様です。県知事・都知事に付与された権限を縮小すべきです。代わって県民・市民の直接的な意志や希望が反映できるような、より直接的な政治参加のシステムに移行すべきなのです。それは可能であり、政治腐敗の除去に必要なことです。(阿部文明)
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円安傾向は日本の産業衰退の象徴 日銀の金利政策ではどうにもならない
日銀による「政策転換」が行われて一か月がたちます。この転換は、政府・財界の思惑から挙行されたもので、短期的には労働者、勤労者の利益を損ないかねないものです(日銀「金融引き締め」転換は労働者と弱者の切り捨てだ:「ワーカーズ」2024-4-1参照)。
超低金利、マイナス金利政策から「とりあえずプラス転換」が実施されましたが、円ドル関係では下がり気味です。流れは変わっていません。ドルも上下しますから「実質実効為替レート」で確認すれば、円安傾向が何も変わっていないことが確認できます。
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これはある程度予測されていたことです。つまり、お金は金利の高いところに流れますが、日銀の「微弱すぎる」利上げは効果が乏しかったということです。さらに基本に立ち返れば、為替変動は、そもそも、金利差だけでの問題ではなく、やはり、日本の産業の低迷の継続もしくは資本逃避があれば、円安は止まりません。30年に渡る安易な低金利政策により、日本の労働者の賃金低下という犠牲の上で輸出産業を維持してきました。しかしそれがもはや産業の衰退も招いたのです。
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産業政策が問われているのです。とりわけ、エネルギー政策と食料政策がそれです。
例えば、自然エネルギーの豊かな日本は、この条件を利用して発電エネルギーを代替えすればよいのです。自然エネをテコ入れして化石燃料を中東から買うのをやめるとは言わなくても、例えば半分に減らせばよいのです。これは可能な政策です。それにより、年間30兆円の油代金を15兆円に減らすだけで、極端な円安にブレーキをかけうるのです。食料政策も同じことです。海外依存を極力低下させることですが、日本政府は無関心なようです。
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だから、円安対策は日銀の金利政策以前の産業政策の問題です。ところが日本政府はそのような簡単なこともまじめに取り組みません。ゆえに円安は続き、インフレも止まらず低賃金も継続されます。
「日銀政策になにも期待できない 円安対策も賃金も 資本主義の低体温症は死に至る病」 (ワーカーズ・ブログ2024-01-30)もご参照ください。(阿部文明)
アイヌ民族に「謝罪」表明 文化人類学会 遺骨持ち出し研究で世界規模の拡散
■文化人類学会とアイヌ遺骨問題~世界的な研究機関の重大な関与
文化人類学会とアイヌ遺骨問題とは、アイヌ民族の遺骨が、日本の大学や研究機関だけでなく、欧米諸国の大学や博物館なども含む世界各地の機関で、無断または不十分な同意に基づいて収集・研究されてきたという問題です。この問題は、アイヌ文化への差別や当時の植民地主義の歴史と深く結びついており、人種学や人類学においては、欧米人を中心とした「人種階層論」という考え方がかつて主流であり、アイヌは「劣等民族」とみなされ好奇の目で研究対象となることもありました。近年になってようやく広くその非人道的問題が知られるようになりました。
■世界的な大学・博物館が収集
北海道大学をはじめ、東京大学、京都大学など、日本の主要な大学がアイヌ遺骨を大量に収集・研究してきたことはよく知られています。しかし、近年では、欧米諸国の大学や博物館もアイヌ遺骨を所蔵していることが明らかになってきました。
西欧の有名大学・博物館などは次のようです。アメリカ: ハーバード大学、スミソニアン博物館、フィールド自然史博物館など。イギリス: 大英博物館、オックスフォード大学、ケンブリッジ大学など。フランス: パリ人類博物館など。ドイツ: ベルリン人類博物館など・・。これらの機関は、19世紀後半から20世紀にかけて、日本政府や研究者からアイヌ遺骨を購入したり、寄贈を受けたりしたものです。
■アイヌの怒り
どんな人間でも、先祖の墓が暴かれたり遺骸や骨を持ち出されたりすれば尊厳が傷つけられ怒るのが当然です。ですからどこの世界でも禁忌とされ、それを犯せば犯罪となります。ところがアイヌ遺骨が勝手に掘り出され、世界各地に持ち出された背景には、上記したように当時の欧米における植民地主義から導き出された「人種学」(白人を優秀人種として、アフリカやアジア人を劣等人種とする研究もあった)や「人類学」における偏見や差別意識があります。つまりアイヌの人権は一顧だにされませんでした。
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アイヌ民族にとって遺骨は単なる研究材料ではなく、先祖の霊魂が宿る神聖なものです。アイヌの伝統では、遺骨は死者の霊的な存在を表し、祭祀や儀式において重要な役割を果たします。遺骨を祀ることで、先祖や祖先とのつながりを保ち、彼らの尊厳や意思を尊重することができると信じられています。ゆえに他人が墓地から持ち出すことは恐ろしい罪とされていました。アイヌ遺骨の所蔵や展示は、アイヌの人々にとって深い精神的苦痛を与えてきました。近代社会が犯したこのような「野蛮」な行為はアイヌの文化的なアイデンティティを脅かすものとして強く批判されるべきです。
■理解は少しずつ進んでいる:動き出した返還と謝罪
近年、アイヌ民族の権利意識の高まりとともに、世界各地の機関で所蔵されているアイヌ遺骨の返還を求める声が上がっています。2016年には、北海道大学がアイヌ遺骨約800体をアイヌの人々に返還しました。また、2019年には、スミソニアン博物館がアイヌ遺骨約120体を北海道に返還しました。しかし、依然として多くのアイヌ遺骨が世界各地の機関で所蔵されており、返還に向けた交渉は困難な状況が続いています。
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これらの課題を解決していくためには、社会全体の理解と協力が必要不可欠です。今後、返還されたアイヌ遺骨が、アイヌ民族の精神文化を尊重し、継承していくことに資するものとならなければいけません。古くからの埋葬地や新たに設けられた慰霊施設などに埋葬されます。伝統的な儀礼が行われることも多いです。
近年、アイヌ遺骨問題に対する謝罪の動きも出てきています。2019年北海道大学がアイヌ遺骨問題について謝罪。文化人類学会がアイヌ遺骨問題について謝罪。スミソニアン博物館がアイヌ遺骨問題について謝罪しています。しかしながら十分な説明や反省が見られない場合があります。具体的な謝罪内容や再発防止策が示されていない場合が多いとか。アイヌ側の声に十分に耳を傾けていない場合があるという指摘もあります。
そもそも無神経に「墓を暴く研究者」を罰する法律が必要です。(A.B)
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リニア中央新幹線建設への疑念
1 リニアと都市開発 「国家的事業」に巣くう利益構造
リニアモーターカー(linear motor(motour) car、略語:リニア)とは、超電導リニアの最初の開発者であった京谷好泰が名付けた和製英語で、日本では主に超電導磁気浮上式鉄道を指し、リニアモーターにより駆動される乗り物である。
主な種別として、磁気で車体を浮上させて推進する磁気浮上式と、浮上させず車輪によって車体を支持し、推進及び電磁ブレーキにリニアモーターを利用する鉄輪式があり、その他の分類としては、「軌道一次式」と「車上一次式」があり、要するに回転式モータの場合の、「固定子一次式」と「回転子一次式」のようなもので、(常伝導の)電磁石により極性を変化させて駆動力を発生させる側が「軌道」と「車上」のどちらか、ということである。
JR東海は自己負担による超電導リニア方式(超電導磁気浮上方式)での建設を発表し、国土交通省はJR東海に対し超電導磁気浮上方式による建設を指示した。
リニアは世界各地で実用化されているが、リニアは無人運転が可能で、最高速度が550km/h[日本では603km/h確認されている]、東京(品川)~新大阪間を67分で結び、その所要時間は「のぞみ」の東京~新大阪間の2時間25分の半分以下に短縮されことが可能とされる。
そこに目をつけたのが、地方よりも都市、個人よりも国家、「力」というものを重要なものだと考えていたJR東海のイデオローグで安倍晋三元首相の後見人として知られたJR東海故・葛西敬之名誉会長や安倍晋三元首相である。
彼らはリニア中央新幹線構想を立ち上げ、「東京~名古屋~大阪の日本の大動脈輸送を二重系化し、東海道新幹線の将来の経年劣化や大規模災害といったリスクに抜本的に備えるためのプロジェクト」「国民経済の発展及び国民生活領域の拡大並びに地域の振興に資することを目的に、国にとって基幹的なインフラを整備するための法制である全幹法に則って、建設している」「超電導リニアによる中央新幹線の実現は、東京~名古屋~大阪の日本の大動脈輸送を二重系化し、さらには、三大都市圏が一つの巨大都市圏となるなど、このスーパー・メガリージョンによって日本の経済・社会活動の活性化に貢献。」するとして、「国家的事業」としてリニア中央新幹線建設計画を策定し、推し進めている。
リニア中央新幹線は、JR東海が事業主体となり、2037年には新大阪まで延伸開業する計画だ。計画では、首都圏では土地買収が難しく、騒音対策も実施しなければならないことから、建設費の総額が9兆円にも上る巨大開発事業である。そうなるとJR東海という1社の民間企業では負担が大きい。かつ東京~大阪間という日本の大動脈を支える社会インフラでもあることから、安倍内閣時に公的資金として、3兆円の財政投融資が投じられることになっている。
整備新幹線は鉄道・運輸機構が主体となって建設を進めているが、国の意向が強く、政策的な「国家プロジェクト」だが、リニア中央新幹線はJR東海という民間企業が国を後ろ盾に進めている「国家的プロジェクト」である。建設主体がJRという民間企業だが「国家事業」に変わり無く、原発や辺野古の基地建設などと同様に国の政策として優先的に進められるのである。
優先的に進められる「国家事業」においては、環境変化や土地買収など、地域の理解を得るための保証・交付金や準備金がだされ、道路や公共施設などの整備・刷新化が図られ地域に潤いがもたらされるが、工事期間だけとか政策が変われば廃止という期間限定的な、悪く言えば買収による政策推進が行われるのである。
リニアやそれに関連する駅周辺の都市開発には大成建設、鹿島、大林組、清水建設といったスーパーゼネコンのほか、熊谷組、前田建設工業、飛島建設など、すでに実験線建設工事で実績のあるゼネコンに発注され、基本的にはオールスーパーゼネコンの体制で建設することになるので、「国家的事業」に巣くう利益構造は変わらず、「赤字受注になることはない」事業で、要はどこの企業がどこの工区を受け持つのかという問題で、談合疑惑さえ発生しているのである。
2 リニア建設に待ったをかけた川勝静岡県知事。
川勝平太静岡県知事は現在4期目で、任期は2025年7月4日まで、残り1年3カ月を残し、任期途中に辞職願を提出したが、やめる大きな理由として、相次ぐ失言についての反省とJR東海がリニア中央新幹線の2027年品川~名古屋間開業を正式に断念したからだと言うことをあげている。
リニア中央新幹線の工事開始で起こりうる大井川流域水問題を社会に訴え、有識者会議を開かせ、その過程でJR東海のこの問題への対策をより厳格なものにし、環境へのリスクを軽減させるようにアセスメントをきっちりやらせるようにしたその結果、リニア中央新幹線の開業は当初予定より延期になった。静岡県におけるリニア問題への解決に一定の筋道をつけたことで失言発言問題を含めて途中辞職するのだと。
川勝平太氏は、早稲田大学政治経済学部で教授、静岡文化芸術大学学長や理事長を務め、『文明の海洋史観』などの著書で知られるように、これまでの歴史の見方が陸地を中心とした見方だったのに対し、海の視点からの「海洋史観」の考えを広めた経済史研究者でもあった。元静岡県知事の石川嘉延のブレーンとして「富国有徳」(注参照)との県のスローガンを提案するなどしたことから静岡県知事に立候補し、経済史の研究者から政治家に転身した人物である。
川勝氏の政治姿勢はこうした学識に裏打ちされた世界観を背景に、東京と名古屋に挟まれた地域での工業や農林水産業を大切にする「富国有徳」を掲げ、中電の浜岡原発問題では再稼働には慎重な姿勢を示し、自然保護や環境問題にも取り組む静岡県政を行って来て、知事選では自民党推薦を断り、対抗する自民党推薦候補に対して4選を果たすなど静岡県民の多くに支持されていた。
自民党県連は県知事選自民党公認を打診したが断られ、対抗馬を出したが、4回も敗れており、県知事の差別失言発言を理由に何度も“不信任”決議を提出して川勝降ろしをやってきており、川勝知事は『今度やったら辞任する』と言った矢先の中での新任職員への挨拶で「県庁はシンクタンクで農業や畜産業、製造業とは違う」と発言して、職業差別発言として報道され辞任理由の一つとなっている。
川勝知事は彼自身も言うようにリニア中央新幹線賛成派で、「大井川の水量および生態系の影響」を熟考する条件なら賛成であると表明している。
静岡県内のリニア建設地域は県の北側、南アルプス塩見岳付近の地下に南アルプストンネル(仮称、延長約25km)のうち、静岡市葵区の約8.9km 区間のみだから、駅もなくただ通すだけで静岡県には何の見返りはないが、工事車両が行き交う静岡市井川地区と静岡市中心部間の道路整備や静岡富士山空港真下の東海道新幹線新駅設置などの案(この案は近くに新掛川駅があることから却下されている)をJR側に求めるなどしており、一定の見返りを求めていた。
JR東海は13年9月に、南アルプストンネルの工事を実施すると、大井川の水量が最大毎秒2トン減少するとの予測をしめし、静岡県は、大井川の水は静岡県民の6人に1人にあたる60万人分の生活用水だけでなく、事業や発電にも利用され、「命の水」に該当するとして、トンネル湧水の全量を大井川に戻すことを求め、JR東海は、最初は「全量戻す」と約束したが、20年8月になって「一定の期間は水を戻せない」と表明したことから、静岡県はあくまで全量戻すことを求め、水資源の確保と自然環境の保全について、47項目(うち17項目が解決積みになっている)にわたってJR東海に回答を求めている。
、静岡県が大井川の水を全量戻すことにこだわる理由は、かつては水量も多く橋もない「越すに越されぬ大井川」だったがダム建設など開発によって大井川が慢性的な水不足に悩まされていることや東海道本線の丹那トンネル工事では大量湧水による水枯れ発生で水田農家が大打撃を被った被害例もあり、「渇水は深刻な問題である」として、工事による流量の減少は、南アルプスの貴重な生態系にも大きな打撃を与えることを懸念している。
“市民派”としての川勝知事はこうした声を代弁したものであり、その成果として、水問題も田代ダムからの流出量補填案が示されるなど新たな段階に入っている。
国家的プロジェクトとしてのリニア中央新幹線建設は静岡県の了承を得ない中で進められ静岡県内ばかりではなく工事区間での地盤沈下や崩落事故、談合や買収問題の発生により工期が遅れることが明らかになる中、県知事として問題提起し、筋道をつけたとの判断をしたのではないか
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注 富国有徳 川勝は自著『富国有徳論』などの中で「富国有徳」の概念を提唱している。
「富国有徳」について静岡県発行の「ふじのくに「有徳の人」づくり大綱ー誰一人取り残さない教育の実現に向けてー」において川勝はこう説明している。
(前略)「富国有徳」は、霊峰・富士の字義を体し、「富(豊富な物産)」は「士(有徳の人材)」に支えられ、「富」は「士」のために用いる、「徳のある、豊かで、自立した」地域をつくり、富士山の姿に恥じない理想郷を目指すものです。 “ふじのくに”づくりの礎は“人”であり、霊峰・富士の姿のように、気品をたたえ、調和した人格を持つ「士」すなわち「有徳の人」の育成が“ふじのくに”の教育理念です。
-川勝平太、ふじのくに「有徳の人」づくり大綱ー誰一人取り残さない教育の実現に向けてー
まだ同書においてこの考え方はSDGSの考えと合致するとも述べている。
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3 火山・地震多発の日本でリニアは大丈夫か
国家的プロジェクトとしてのリニア中央新幹線建設は 建設ありきで問題が発生するたびに対処するやり方で推し進められている。
鉄道で起こりがちな脱線事故については、リニアは車輪を磁力で浮き上がらせて走ることから脱線の心配は無いという。高速で走るためには上下や曲がりが無い直線的なリニア軌道が必要であり、山が多い日本では平行で直線を保つためにトンネルを掘り、地下に線路を引くことになる。
リニア中央新幹線は山間部に建設されるため、超電導リニア方式での積雪対策技術が開発されており、山梨実験線では積雪時の走行や除雪、設備の耐久性なども研究対象になっており、中央新幹線に向けて技術実証を続けている。
また、赤石山脈(南アルプス)など多くの山を通過するため地形・地質問題のクリアも課題となっている。JR東海は最短距離の赤石山脈を貫通する「南アルプスルート」を決めたが、糸魚川静岡構造線の大断層帯を長大トンネルで貫通することになるため、この工事を含めて超難工事が予想されいる。
静岡県の水問題だけではなく、建設地域の環境破壊問題や難工事によって2027年開業予定だった東京・品川駅 - 名古屋駅間開業予定は2034年以降になり、名古屋駅 - 大阪市内(新大阪駅の予定)間開業予定も2037年~2045年になった。
地中の中では地震の揺れは少ないと言うが、今年の能登半島地震では地殻が数メートルもの隆起する地殻変動が起きた。こうしたことがトンネル内で起こったらどうなるのか?直線的な軌道はゆがみ、トンネルは崩壊、大惨事はまぬがれないのだ。
又経費の面では、難工事やそれによる事故が発生すれば想定していた予算を超えることになり、リニアそのものも新幹線の三倍もの電力を必要され、需要がそれに見合ったものとして得られなければ、宝の持ち腐れになるかもしれない。
日本のリニア中央新幹線構想では大都市と大都市を高速で結ぶ「スーパー・メガリージョン」と大宣伝されているが、地方は置いてけぼりの大都市中心の都市開発であり、景色を見ながらの旅を楽しむことはなく、速さが売りのリニアで、リニアより早い航空機や最近ドローン技術を用い実用化されつつある空飛ぶクルマに競争で勝てるか疑問だし、IT(情報技術)の発達と普及による働き方の変革で人的交流や人の移動も変わってくるだろう。
10年は延びたリニア中央新幹線構想の建設だが、この間でも後でも日々変わる自然や社会環境にどう関わり、時間や空間をコントロールし、住みやすい社会を作っていく人間の英知が問われるだろう。(光)
コラムの窓・・・PFOS汚染の最前線、沖縄テレビ放送からの報告!
「島国の沖縄では、人々の命を支える〝水は宝・水どぅ宝〟。しかし、その水に異変が起きている。2016年、沖縄県は45万人に供給される北谷浄水場の水道水に有機フッ素化合物・PFOSが含まれていたと発表。それは人体への悪影響が指摘され、国際条約で使用が原則禁止とされた化学物質だった」
2022年5月に放送されたOTV報道スペシャル『水どぅ宝』が多くの反響を受け再放送され、さらにDVD化によって全国に波及中です。私も知人からの紹介で入手し、上映会の開催を企画しました。
永遠の化学物質PFAS(有機フッ素化合物)汚染の危険性については先月のコラムでも触れましたが、母体から胎児に移り低体重等の影響が指摘されています。この事実を知った北谷町の妊娠中の仲宗根由美さんは危機感から立ち上がり、行動し、町議としての一歩を踏み出すまでに突き進んでいます。
米軍基地によるこの汚染、本国のアメリカではさらに深刻に広範囲に及んでいる実態をOTVは追います。PFAS全面禁止を義務付ける「アマラ法」を命を賭して実現させた女性アマラ・ストランディさんは、法案成立の3日前に亡くなりました。アマラさんは2023年1月24日、ミネソタ州議会で病を押してスピーチしました。
「私は今20歳で15歳の時にステージ4の繊維層状肝細胞癌と診断されました。これは500万人に1人という非常にまれな肝臓癌です。これまで20回以上の手術を受けて、その中には2回の肝臓切除と胸部を切開する手術が1回含まれています。私に何の落ち度もないのに有害な化学物質にさらされてしまいました。そして私はこの癌で死ぬことになります」
生前の映像も紹介され、〝私に何の落ち度もないのに〟という言葉が一層痛ましく感じられます。
原爆開発にはウラニウムの濃縮が必要ですが、通常の配管では溶けてしまうところ、破損に耐えるように継ぎ目をコーティングするのにPFASが役立ちました。デュポンのこの新素材はテフロンの商標で知られるようになり、家庭内に持ち込まれました。
アメリカでは基地周辺の汚染で地域住民の癌発生率が高い、家族が何人も癌で死亡、さらには下水汚泥を肥料にしたことで乳牛が汚染された酪農家などの取材も重ねています。さらに、米軍による汚染の実態を調査したジョン・ミッチェルさん、映画「ダーク・ウォーターズ」に登場したロバート・ビロット弁護士や主演俳優も登場。
ちなみに、この映画はデュポンからのPFOA汚染水(白い泡)によって牛が次々に死んでいくという、その原因を追うものでした。ビロット弁護士は沖縄の人々にこれは〝時限爆弾〟のようなものだと忠告しており、さながらアスベスト汚染を思い浮かばせます。
普天間米軍基地では、兵士のバーべキューで消火器が誤作動して泡消火罪が基地外へ流出。2021年8月には日米で協議中にも関わらず、汚染物質を含む汚染水を公共下水道へと放出。理由は「従来の処理では、財政的な負担が大きい為」というものでした。また、米軍は18年に世界中の基地で汚染調査を行ってたのですが、日本は含まれていません。在日米軍は日米地位協定に守られ、日本政府は手を触れることはなく放置。
水や土壌の調査を行えば汚染を確認することができますが、国や自治体はやらないので市民が自前で行う、さらに血液検査も行う。映像に登場する女性たちはそんなふうに闘い、前に進もうとしています。化学物質が氾濫し、環境が汚染され、あらゆる生物が生命の危機に直面している現代、私たちの(親から子へとつながる)身体も無縁ではありません。手遅れになる前に、という思いを掻き立てられる映像です。 (折口)
読書室 『人種主義の歴史』平野千果子著 岩波新書 本体価格 940円
〇 本書は、白人優越思想の根源を「人種」主義にあるとし、それにより構築された暴力的な差別システム等の実態を、大航海時代から今日まで大きく通観した本である 〇
本年4月25日、グテレス国連事務総長は、「奴隷及び大西洋間奴隷貿易犠牲者追悼国連デー」に発表した声明で、過去の奴隷貿易に対する金銭的補償の必要性を訴えた。
15世紀から19世紀の間、アフリカ大陸から少なくとも1250万人が欧州の商人などによって誘拐あるいは移動を強制されて奴隷として売られ、劣悪な航海を乗り切った人々はブラジルやカリブ海諸国の大農場で重労働を強いられるなどの苦痛を味わったのだ。
グテレス総長は、昨年9月に公表の国連報告書にある「関係諸国が奴隷制度に対する金銭的な補償を検討すべきだ」と提言を受け、こうした過去の出来事が「白人優越思想に基づいた暴力的な差別のシステムの土台を築いた」と指摘し、何世代にもわたる排除と差別の克服を後押しするため、補償に向け公正な枠組みを求めると改めて述べたものである。
本書は大航海時代を出発点とする。そもそも「人種」という言葉自体がヨーロッパに由来し、大西洋を越えて自分たちとは異なる先住民との出会いから始まったからである。
最初に本書の立場を端的に記述しておくと、人種という言葉が人の種を表すのであれば、人間の種は唯一つであり、その意味で「人種」はないという立場に立つ。人種という言葉は、諸説はあるものの、元々は家族や家系・血統と同意語として使用されていたものだ。
1488年のインド洋到達、1492年のコロンブスの航海によりその意味が変わった。こうして発見された新世界で彼らが見たものは、自分たちとは見た目が違う先住民たち。コロンブスの場合は「インディオ」である。コロンブスは彼らがすぐにもキリスト教徒になると見抜く他、「彼らは(自分たちの)利巧な使用人となるに違いない」とも考えた。
また想像も逞しかったコロンブスは、自然の中に生活する先住民を目撃例もないまま、人食い種族と決めつけた。カニバリズムはカリブ人と言う言葉から生まれたものである。
その後、武器を持たない彼らはスペインから戦争を仕掛けられ、虐殺・強制労働をさせられるなど、過酷な生活を強いられた。これに関してはラス・カラスの告発が有名である。
こうした状況下、スペインでは「インディオは人間か」論争が起こり、一旦は人間と認められたものの、鉱山での彼らの強制労働の必要性から奴隷化が容認されたのである。
カリブ海での虐殺による労働人口の減少から大西洋奴隷貿易が発展した。15世紀半ばには黒人奴隷は既にイベリア半島にもいたのである。それまで奴隷と言えば、スラブ民族(スレイブ)が主だったが、オスマン帝国の勃興による政治情勢の変化により、黒人が主となってゆく。これにより奴隷と黒い肌とが同一視されるようになっていったのである。
そもそも『旧約聖書』の「創世記」第9章にあるノアによる「カインの呪い」とはアフリカ人は奴隷として運命づけられた人々のことだ、とのキリスト教徒の決めつけがある。そしてこの物語は、ことあるごとに黒人奴隷化の正当化に利用されたのである。
16世紀になると新世界の探検は更に進んで、そこで発見された様々な先住民の分類が進められた。分類学者のリンネは、アメリカ人(インディオ)、ヨーロッパ人、アジア人、アフリカ人の4分類にした。肌の色はそれぞれ、赤褐色、白、黄、黒。性格はそれぞれ、怒りっぽく頑固で自由を好む、活発・明敏かつ器用で創造的、鬱的で厳しく贅を好み吝嗇、狡く怠惰で投げやり。統治はそれぞれ、慣習により、法により、意見により、支配者の恣意により行われているとした。まさに「人種」主義の発生と恣意性の原点ではないか。
スウェーデンのリンネは、さらにヨーロッパ人の身体的特徴として金髪碧眼としたが、北欧には多いものの、ヨーロッパ全体のものではないことはすぐに了解されることだろう。
リンネと対立し、自然の多様性を説明するフランスのビュフォンは、人間は種としては単一だが、その相貌からは4種類に止まらないとした。ではこの見た目の違いはどこから来るのか。ビュフォンは、最も美しいとした白人を人間の原型とみなし、肌色の違いはそれから「退化」したとする。つまり原型の対極は黒。退化の理由は気候だとした。アフリカのホッテントットをヨーロッパに連れてきて何代か「交配」させれば、元の白に戻るかが「観察」できるとした。これまた驚くような、人を「もの」視する迷論ではないか。
リンネとビュフォンに続いて登場したのかドイツのブルーメンバッハであった。彼は『形質人類学』の祖の一人とされる。彼は、白人に相当するコーカサス、黄色のモンゴル、黒いエチオピア、赤いアメリカ、黒いマレーの5分類とした。フランスのキュヴィエは、白人=コーカサス、黄色人=モンゴル、黒人=エチオピアの3分類にした。コーカサスとは、今日のアルメニア、アゼルバイジャン、ジョージアである。ブルーメンバッハの美の基準はコーカサスの白人であり、その重要なものは頭蓋骨であるとした。当時、頭蓋骨の研究についてはオランダのカンペル、ドイツのガルが著名だった。そしてキュヴィエもコーカサスは美しい卵型の頭部に特徴づけられる上、最も文明化しているとしたのである。
またスコットランドのノックスは、サクソン人たるイングランド人が最優秀との立場から白人を4分類する。さらに人間の起源の単一論と多元論が論争に加わり、混沌となる。
ここでコーカサス人が美しいとされたのは、ノアの方舟が着いたところ、そこにプロメテウスが磔にされたとのギリシャ神話もあり、人類発祥の地とされたこととも関係する。
また古典サンスクリット語の研究が進み、この言語と古典ギリシャ語とラテン語が共通の源から発した可能性をイギリスのジョーンズが発表した。ドイツのシュレーゲルがこの説を整理し、さらにイギリスのヤングが「インド・ヨーロッパ語」と名付けたのである。
この流れの中でインドの存在が注目され、インドがすべての文明の源だとする立場も生まれた。言語の起源が同じならヨーロッパ人の起源もインドということになってゆく。ドイツでは、クラプロートによってインド・ヨーロッパ人は「インド・ゲルマン人」とされ、後にサンスクリット語で「高貴な人」=アーリア人と言い換えられてゆくのである。
かくて「人種」分類と言語学の交差からアーリア人が生まれ、その後のヨーロッパの政治世界の中で、ヒトラーらによって理屈付けられ、猛威をふるうことになっていく。
ではこのような「人種」主義、つまり人間を分類する思想を啓蒙思想家はどのように考えていたのか。本書は、これまであまり語られてこなかった彼らの実像を鋭く描写する。
18世紀末、人間の平等や自由を掲げた「アメリカ独立宣言」やフランスの「人権宣言」が発表されたのと平行して、ブルーメンバッハの5分類が発表されていた。分類は集団間の相違や差異を言語化するものであるから、当事者の意図とは別に人間を序列化する。国内にある格差は、世界規模に拡大する。こうして一方が他方を利用するようになる。
イギリスのロックは、奴隷制度を認め奴隷貿易に投資せよと呼びかけ、ヴォルテールは黒人に対する過酷な取り扱いは批判するも奴隷制度そのものを問題視はしていない。そもそも彼は人種の違いを認めていた。ヒュームも同じ立場だ。カントも人種は4分類の立場である。モンテスキューは、怠惰な人々は奴隷になるとし、奴隷そのものに無反省だ。
最後に自然人を称揚したルソーについては未開人を理想化したように捉えられているが、黒人が奴隷にされていることや奴隷制度への言及もなく、その意味でルソーの思考では彼らが捉えられていない。まさに実子を孤児院前に捨てたルソーだけのことはある。
こうして「人種」主義は、ユダヤ人にまで拡大し、旧世界ではドイツを中心として、新世界ではアメリカを中心に猛威をふるう。アメリカでは優生学学会が実際の社会政策にまで口を出し、断種法や移民禁止法等の「人種」主義的立法を次々と成立させた。これに学んだナチスのヒトラーは政権につくや、「職業官吏再建法」を発令し、アリーア人条項を導入して、非アリーア人官吏の排除を定めた。非アリーア人とはユダヤ人の系統を引く者とされ、両親の二人と祖父母4人の内、1人でも非アリーア人であればその者はユダヤ人とされた。ユダヤ人は反ユダヤ主義が作った等の説がある一方、他方で国際的な定義はユダヤ教徒であるとされるが、ナチスは定義を血筋で決定するとの暴挙に出たのである。
私たちは人類は唯一つとの立場から、「人種」論の間違いを糺してゆかねばならない。
その後、「ドイツ人の血と名誉を守るための法」と「ドイツ国公民法」により、ドイツ人とユダヤ人との結婚と性的関係の禁止となった。つまりナチスは、ユダヤ人との「混血」」避けるため、ついにドイツ人とユダヤ人との性的結合の禁止に至ったのである。
では「純血」のドイツ人とはいるのか。ナチス親衛隊への入隊資格は「純血」のドイツ人とされたが、現実にはドイツ人は「混血」である。ホモサピエンスには絶滅したネアンデルタール人のゲノムを引きついでいる。その意味では現生人類は「混血」なのである。
ナチスのやったことといえば、現実のドイツ民族を肯定するのではなく、観念の上でアーリア人=「ドイツ人種」を創ってゆくことにあった。つまりドイツに好ましい子供の育成とその対極としての劣等であるユダヤ人の排除や虐殺は、その両輪だったのである。
今、「人種」主義は、アフリカ諸国の独立による「奴隷及び大西洋間奴隷貿易犠牲者追悼国連デー」の制定が象徴するように糾弾の対象である。またアメリカでも、奴隷制の廃止以降も引き続く黒人差別への抗議する公民権運動によっても黒人差別はなくなっていない。警官の黒人に対する横暴も止むことはなく、あのフロイド事件は起こったのだ。
警官による黒人殺害が続く中でBLМ運動も高揚している。アメリカでもワシントンやジェファーソンの像まで撤去されたように、アメリカの歴史の見直しが進んできている。
ヨーロッパでも黒人奴隷やアフリカの植民地支配に反省が求められているのである。
「人種」主義に関心がある読者には、手頃なものとしてこの本を薦めたい。 (直木)
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「なんでも紹介」・・・ 三上智恵さんの「戦雲(いくさふむ)/要塞化する沖縄、島々の記録」集英社新書
もう映画「戦雲」を見た人もいると思う。また、三上智恵さんを知っている人も多いだろう。
三上智恵さんはジャーナリストであり映画監督でもある。琉球朝日放送でキャスターを務める傍らドキュメンタリー映画を制作してきた。
2013年に初監督映画「標的の村」でキネマ旬報文化映画部門1位のほか19の賞を受賞。フリーに転身後、2015年に映画「戦場ぬ止み」、2017年に「標的の島/風かたか」を発表。続く映画「沖縄スパイ戦史」(大矢英代との合同監督作品)は、文化庁映画賞他8つの賞を受賞している。
著書には「証言/沖縄スパイ戦史」(集英社新書、第7回城山三郎他3賞を受賞)、「戦場ぬ止み、辺野古・高江からの祈り」『風かたか「標的の島」撮影記』(ともに大月書店)などがある。
本書の前書きには「アメリカと日本政府が主導する。近隣諸国を仮想敵として防衛計画のもと、戦力配備が続く沖縄、南西諸島は予断を許さない状況が続いている。基地の地下化、シェルター設置、弾薬庫の大増設、離島を含む空港と港湾の軍事化が、民意をよそに急ピッチですすんでいるのだ。著者は2015年以来、沖縄島のみならず与那国島、宮古島、石垣島、奄美大島などを歩き、実態を取材してきた。2022年末の安保三文書では『南西諸島にミサイルを並べ、最悪の場合報復攻撃の戦場になるもやむなし』という現地の犠牲を覚悟したものであることも暴露された。本土メディアがこの問題をほとんど報じない中、沖縄から日本本土に広がる戦雲の予兆に警笛を鳴らす」と書いている。
エピローグでは「お読みいただいたみなさんには、最後にあらためて本を閉じ、カバーの絵を見て欲しい。小型でがっしりした与那国馬にまたがり、髪を振り乱し暗雲につい進む少女の姿。鞍も付けず、たてがみをつかんで膝で馬を挟み、暗雲を蹴散らそうと挑むその表情は見えないが、阿修羅のごとくであろうか。彼女の着物は与那国島の織り。馬の左目は傷ついている。一方で、本の裏側に配置された絵は優しい。ヤギと心を通わせるあどけない少女が描かれている」と書く。
最後に「幸い、私は島々を歩いていてそんな智恵や言葉を持った人たちに出会う確率が高い。祖先から受け継がれてきた宝物を持っている人から教わることがとても多い。泣いても笑ってもダメなら、歌うしかない。最後は歌なんだ!祈りなんだ!と知る。戦雲を吹き飛ばすまで、歌と祈りを止めない人たちにもっともっと出会いたいから、相変わらず肝は据わっていないけれど、やっぱり私はこの仕事を続けていきたい」と三上智恵さんは述べている。
この三上智恵さんの「戦雲」を是非とも読んでほしいと思う。(富田英司)
袴田冤罪事件、裁判傍聴券を獲得しました!
4月16日、大阪発の夜行バスで静岡を目指しました。前夜からの雨は、静岡地裁に到着すると青空が見え、陽射しで汗ばむぐらいでした。8時30分集合には間に合わなかったのですが、何とか傍聴整理券は受け取ることが出来ました。
裁判開始前の集会で、担当弁護士の方の挨拶があり袴田冤罪事件の真相を明らかにすることが、憲法を守る、戦争に反対することに繋がるという壮大なテーマでした。支援のボクサーたちが作られた横断幕が張られ、その袴田巌さんのパンチのポーズからは、裁判所への闘う意気込みが感じられました。
袴田冤罪事件にかぎって、傍聴人に対する奇異な行き過ぎた荷物と身体検査は、事前に送られてきた抗議文を読んでいたのである程度の覚悟はありました。まず、持ち物検査をする前に、職員から口頭で持ち込み禁止の物品の説明があり、要するに筆記用具のみOKということでした。私は持っていませんが、携帯電話は特に持ち込みが発覚されると、直ちに退場させられると何度も説明を受け、うんざりでした。
午後の4時30分までの公判は、昼休みと午後からの20分の休憩があり、入廷前の検査は3回に及びました。その度に、男性職員により全身を探知機で検査される不快感は、人権侵害と言ってもいいでしょう。検査自体も問題ですが、女性に対しては女性の職員が対応をすべきと、抗議しておきました。
私たち傍聴人が入廷すると、既に裁判官、弁護士と検察は席に着いていて、ひで子さんは堂々と最前列で弁護士さんと肩を並べていました。検察はひで子さんの真剣な眼差しを前にして、どんな陳述をするのか、私は傍聴出来たことの責任を再度、確認せずにいられませんでした。
袴田さんの無実を実証する弁護側のDNA鑑定の説明は、そもそもDNA鑑定がどんなものなのか、実際の鑑定している現場の映像を紹介し、時間をかけて分かりやすく行われました。ところが、残り30分ぐらいで検察側の反論が行われ、何かしら自信のある発言に、こちらの形勢がやや不利なのではと感じてしまいました。
しかし、その後の記者会見の会場で、ひで子さんの2人の弁護士の活躍を労う言葉に、その心配は吹っ切れました。そして担当弁護士からのDNA鑑定を取り上げることの意義を聞き、本来なら検察側に説明責任があることを敢えて避けてきた検察の無責任さを確認出来ました。5月22日は再審公判の結審です。全国からの支援者が結集されることでしょう。読者の皆さんも関心を持ち続けましょう。 (折口恵子)
色鉛筆・・・ 袴田巌さんに完全無罪判決を!検察は何一つ有罪立証が出来ていない
4月24日(水)第14回再審公判が行われる小雨の朝、静岡地裁に70人ほどの傍聴希望者が訪れた。毎回抽選が行われ、当選の確率ほぼ3~5人に1人、14回目にして初めてという人もいる。私は当たり、傍聴(3度目)に入る。
この日11時から、昼の休憩をはさみ14時45分まで、検察側はDNA型鑑定について弁護側に反論するため、意見書や過去の捜査報告書などの証拠をただただ延々と読み上げ続け、「犯行着衣の血痕と袴田さんのDNA型は一致しない」との本田鑑定は、信頼できないことを証明しようとした。淡々と文書を読み上げる声が続く中、いつもはメモを取る傍聴席の記者も傍聴人も、この日ほとんどメモを取らない、それほど空虚な内容だった。
3月25・26・27日と3日連続行われた公判での証人尋問の際も、着衣の血痕に赤味が残るか否かをめぐる相方の攻防が「最大の山場」と言われたものの、結局昨年の東京高裁の決定どうり、赤味は残らないつまり「捏造されたの証拠」であることが明らかとなった。弁護側証人の旭川医科大の清水恵子教授らは実証実験を繰り返し、赤味が残らない確証を得ているのに対し、検察側証人の法医学者、久留米大の神田芳郎教授らは、実験をすること無く7人で、3回のWeb会議の末に作った共同鑑定書を提出し、うち2人が公判に出席。法廷では延々と専門用語を並べ立てる他は、清水教授らの実験へのまるで重箱の隅をつつくような発言を繰り返した。有罪立証を支えるはずの証人尋問が、的外れでむしろ逆効果を招いた印象で、お粗末としか言い様がない。終了後の記者会見で角替清美弁護士の「料理しない人間が文句言ってるに等しい」との怒りの発言は言い得て妙、痛快。検察組織として、袴田さんの有罪を立証しようとしているが、立証とはほど遠いお粗末な内容だ。
1966年清水の一家4人が殺害された事件で、袴田さんは逮捕・拷問の末「死刑囚」とされてしまったが、無実の訴えを叫び続け58年、今ようやくその声が届きそうな所にたどり着こうとしている。2014年3月静岡地裁(村山浩昭裁判長)が、そして2023年3月には東京高裁(大善文男裁判長)がともに再審開始決定、つまり「間違った裁判をやり直す」との決定をすでに出している。2度ともに捜査機関による証拠の捏造の可能性が指摘された。
無罪は明らかにもかかわらず、なぜ今だにそこにたどり着けないのか?原因は10年前の検察の抗告(不服申し立て)であり、さらに昨年3月の決定時には抗告こそしなかったものの(出来なかった?)、「立証方針を決めるために」と3ヶ月間もの猶予期間を求め、あげく7月には「有罪立証」の方針を発表した検察にある。その後ようやく10月から始まった再審公判は、今年5月22日の結審までの間15回も、毎回11時~17時まで行われている。
そこでの検察は、今回の再審公判のために新しく準備したものはほとんど何も無く、今まで(確定審)と全く同じ主張、根拠を繰り返しているのみということに驚く。検察の面子を守るためなのか、異常なまでの裁判の引き延ばし、膨大な時間の浪費だとーーー傍聴のたびに痛感する。これは犯罪的行為であるとさえ思う。かつて証拠の捏造に手を染め、それを正すどころか加担した検察が今取り組むべき事は、その誤りを正すこと以外ないはずではないのか?。
4月24日、私は法廷の入り口の扉の『住居侵入・強盗殺人・現住建造物等放火(再審)被告事件ーー被告人袴田巌』と書かれた張り紙が初めて目に入り心が凍る思いをした。今回の公判での一般傍聴人に対する過剰とも言える警備のため、法廷のある二階の廊下では自由に行動することができず今まで見落としていたものだ。一刻も早い無罪判決を勝ち取らねばならない。この事件の犯人は、袴田さんではないことは明らかなのだから 。
5月22日に結審、判決はほぼ3ヶ月後の予定だという。(澄)
★集会案内
・日 時 5月11日(土)13時半~16時
・会 場 静岡労政会館ホール
・集会名 「袴田さん完全無罪へ、死刑求刑を許さない 逆転のクロスカウンターで KO 勝利を!」
・主 催 袴田巌さんの再審無罪を求める実行委員会
★集会案内
・日 時 6月30日(日) 13時半~16時
・会 場 清水テルサ6F 研修室
・集会名 「袴田巌さんに完全無罪判決を!」清水集会
・主 催 袴田巌さんを救援する清水・静岡市民の会
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