ワーカーズ655号 (2024/6/1)
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アメリカ合衆国に広がるガザ攻撃への抗議行動
アメリカ中の大学生達が、イスラエルによるガザ攻撃を非難するデモや抗議行動を続けています。
イスラム組織ハマスがイスラエルを攻撃したことをきっかけに、イスラエルはガザ地区に対する大規模な報復攻撃を行っています。
この戦闘でガザでは多くの市民が亡くなっており、女性や子供も犠牲者の中に多く含まれていることから、世界の多数の人々はイスラエルを非難しています。
ところが一連の戦闘に関してアメリカ政府は一貫してイスラエルを支持しており、イスラエルに対する各種支援も継続している状況です。
イスラエルはナチスによるユダヤ人迫害などをきっかけに、行き場を失ったユダヤ人たちがアメリカ政府などの力を借りて作り上げた国です。
イスラエル建国の際、現地に居住していた多くのパレスチナ人たちが追い出されることになり、これが現在のパレスチナ問題の発端となりました。
アメリカ政府はユダヤ人に対する迫害を繰り返さないようにするため、ずっとイスラエル支援を続けてきました。そしてイスラエルはアメリカの支援で強力な軍隊を保有しています。一方、パレスチナは、長年、イスラエルによる占領下にあり、多くの市民が困窮しています。今回の戦闘では病院なども空爆され、多くの子供の命が失われました。アメリカはパレスチナ人に対するジェノサイドの共犯者だと思います。国内に多くのユダヤ系アメリカ人がいるため、最初はハマスに攻撃されたイスラエルに同情を示す声が聞かれました。ところがガザ地区に対するイスラエルの報復が激化するにつれて、学生らを中心にイスラエルに抗議する運動が高まっています。
アメリカ各地の大学で激しい抗議デモが発生したのは、一九六〇年代以来の出来事です。
当時はベトナム戦争反対運動であり、今回はイスラエルのガザの殺戮反対運動です。
私は、六十年前の運動と今回の運動は共通点が多いように感じます。学生運動は、歴史的に見れば何千人もの若者が長期にわたって政治的組織化の手腕を身につけるのを助ける、計り知れない力を持っています。日本の大学でも同じような動きがあります。
私達は、このような運動を大切にし、応援していくべきだと想います。 (宮城 弥生)
修正シオニズム=もっとも危険な侵略主義を止めよう!
イスラエル軍が、ガザ地区に対する壊滅的な攻撃を繰り返すばかりではなく、もう一つのパレスチナ「自治区」であるヨルダン川西岸地区でもシオニストたちの「入植食活動」が一層暴力的に展開されています。さらに頻繁に「イスラエル・レバノン国境で交戦激化」と報道されるようにイスラエル北部にあたるレバノンにもイスラエルの攻撃が飛び火しつつあります。こうしたことは、単に偶然に発生しているのではありません。背後には極右シオニストが支配するネタニアフ政権の一貫した思想と計画が存在するのです。それが「大イスラエル主義」あるいは修正シオニズムと呼ばれる思想・歴史観です。
■大イスラエル主義とは?
大イスラエル主義とは、「聖書」によるユダヤ人の歴史的な故郷とされる地域全体をイスラエル国家の領土とすべきだという思想です。この地域には、現在のヨルダン川西岸・東岸の一部、ガザ地区、レバノン南部、シリアの一部が含まれます。ユダヤ教の教えに基づいて、ユダヤ人は聖書の約束によってこの土地を与えられたと主張します。
ゆえに、ガザやヨルダン川西岸のパレスチナ人のわずかな自治区も認めるつもりはないのです。また、イスラエルは常に周辺国からの脅威にさらされているため、安全保障上も「大イスラエル」が必要だと主張し領土の拡大や侵略を正当化しています。
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このような修正主義シオニズムは、主に領土の最大化を目指すことにおいてシオニズム内の他の派閥以上に過激です。修正主義者は全領土を占領するというビジョンを持っていて、エレツ・イスラエル(約束の土地)の全領土に対する主権に対するユダヤ人の権利を主張してきました。
■侵略の正当化は認められない
このような過程をへてイスラエルは、領土範囲を定めた国連決議を否定して「領土を拡大」を建国以来推進してきました。修正主義シオニズムはシオニスト運動内の強力な派閥であり、そのイデオロギーはイスラエルの右翼政治の基礎でありそれは、支配的な社会主義労働シオニズムに対する主要なイデオロギー的競争者でした。修正主義はリクード党(現在のネタニアフ政権与党)の発展につながったのでした。これこそイスラエルの侵略主義の思想的核心なのです。
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リクード党は、修正シオニズムの創始者であるゼエフ・ヤボチンスキーの思想を引き継ぎ、現在のネタニアフ政権の与党であるリクード党の基盤となっています。そのため、リクード党の政策、特に領土問題に関する政策は、修正シオニズムの影響を強く受けいるからこそガザや西岸の「自治」を否定し植民を進め、さらにはシリアやレバノンなどへの侵攻の機会をうかがっていると考えられます。
当然、その政策はパレスチナ人はもとよりアラブや国際社会からの批判を受けています。アラブ人やパレスチナ人への残虐非道な侵略攻撃がイスラエルとパレスチナの間の紛争解決を難しくしています。
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修正シオニズムはこのようにエレツ・イスラエル(旧約聖書に登場する古代ユダヤ=イスラエル王国の最大版図を指す言葉⇒約束の土地)全土に対するユダヤ人の主権を主張しています。その彼らがまさにイスラエル政権の中枢に陣取っていのです。これでは中東の戦争は収まることがありません。ところが米国が巨額の軍事支援を継続しいるので、このイスラエルの領土的野望は燃え盛るばかりです。
■イランとの戦いより、ガザ、西岸、レバノンへの領土野心を優先か
四月初めの在シリアのイラン大使核空爆やそのイランによるイスラエル報復は中東戦争の危機と言えます。今後の展開は勿論不明ですが、イスラエル政権は対イラン攻撃(核施設破壊)を当面「手控え」それよりも本来の狙いである領土的野心の達成を優先させているとみられます。繰り返しますが、それはガザの併合と西岸の入植・統治、そしてレバノンの一部の武装勢力掃討を口実に戦禍を拡大し、占領する可能性もあります。それが、修正シオニズムに占められたネタニアフ政権の一貫した政策だと言えます。
米国政府のイスラエル軍事支援を何より止めなければなりません。さらにイスラエルの政権をイスラエル国民は打倒すべく闘いに決起してほしいものです。
■補論――イスラエル指導部の分裂
イスラエルの戦時内閣の一員であるガンツ元国防相は、パレスチナ自治区ガザの戦後の統治計画を6月8日までに定めるようネタニヤフ首相に求め、応じない場合は、戦時内閣から離脱すると警告しました。ガンツが求めた計画は、アメリカなどが入ったガザ地区を暫定的に統治する組織の設立などです。これに対してネタニアフはそれらを一蹴しています。
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ネタニヤフは、リクードの一員として、宗教政党(特にシャスやユダヤ統一トーラなどの超正統派政党)と連携することが多く、宗教的な価値観を国家政策例えば「大イスラエル」に反映させることに積極的です。つまり、侵略的です。
ガンツは、より世俗的な立場を取っており、宗教の影響力を抑え、世俗と宗教のバランスを取ることを目指しています。彼の政党「青と白」は一般的に、宗教的政党よりも世俗的な政党と連携する傾向があります。パレスチナ問題における「二国家解決の支持」していますが、背後に米国が存在するのかもしれません。しかし、ネタニアフの「大イスラエル主義」は言うまでもなくガンツの「二国家解決」もすでに現実離れした不毛の対立でしかありません。解決の小さなカギ穴があるとすれば、イスラエル国民とパレスチナ人による戦時内閣打倒の運動を期待するしかありません。
いずれにしても、戦時内閣の一員であるガンツのこれまでのジェノサイドの罪はネタニアフ同様に許しがたいものです。(阿部文明)
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リベラルvs保守派ではなく、上下の階級闘争こそ閉塞社会の打開の道 米国大統領選の曖昧さを考える
トランプ人気とは「行き過ぎたリベラリズムへの保守反動」である、というとらえ方の記事を読みました(「トランプ氏はなぜこんなに支持されるのか・・」東京新聞)。つまり、移民の流入、LGBTやフェミニズム、そして中絶の権利などの拡大への反動が生じたものであると。国民のかなりの部分がこれらの問題で民主主義や自由の行き過ぎがあり、それらに反発を感じていると。強い規制をもって対応すべきであると考えるようになってきた・・・と言うことです。
■イデオロギーの左右対立ではなく、上下の階級闘争こそ閉塞社会の打開の道
確かに、このような捉え方も的外れではありません。しかし、より根底には「左右対立」というよりは「上下対立」が社会の根底に岩盤のように広がりつつあることを示していると考えるべきだと思います。つまり、新自由主義=グローバリズム(二百年の伝統を持つ資本主義の現代的進化形態)により、雇用の喪失や劣化、治安の悪化、生活の困窮化が発生し、他方ではウオール街の金融富豪や成功者が多くの富を独占するようになってきました。米国における「中間階級の没落」といわれました。このような経過を経て、その貧者や没落の危機にある中間階層の怒りが、移民や貿易自由化にぶつけられるようになったということです。とうぜんこれは感情論であり、真の貧富の差の解決ではありません。しかし、トランプらのポピュリストが大いにこの社会の「裂け目」を活用して権力の座にたどり着こうと策動しているのです。
■格差という社会分断がトランプに利用されている
このように、トランプ派の(マガ=MAGA)運動が成長する原動力は何といっても現実の深刻な格差社会なのです。
現在の米国は、インフレがようやく沈静化しつつ、予想されたリセッションにも陥っていません。米国は少なくともマクロ経済的には「優等生ぶり」を示してきたと言うことです。バイデンはその実績をひっさげてそのまま大統領選の年を迎えたので当然優位か、と思いきやトランプに対して劣勢に回っているのです。ここには見逃せない問題があります。
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つまりトランプ旋風は、こうした米国経済の表向きの好調さに隠された社会の疲弊です。世界金融危機(2008年)の後には再びウオール街の躍進が鮮明となり、底辺では雇用がギグワーカーに代表される不安定化が進みました。一般大衆は、コロナ下で推進されたバイデン政権の拡大財政措置(インフレ抑制法など)で一定の恩恵を受けつつも、その後のインフレの爆発と相まって、「実質世帯収入household income」が日本と同様に下降し続けています。これは、インフレによる大衆的追加収奪が発生し労働者あるいは農民や中小企業は貧困化し、ゆえに、企業や資産家たちには大いに潤ったのでした。踏みつけられつつも、その怒りを集団的に具現化する党派にも出会えないとすれば、彼らの一部はトランプの乱暴ででたらめな「保守主義」に飛びついたというわけです。
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トランプは個人的には富裕者にもかかわらず、前回大統領選よりも一層「苦境の労働者の見方」「リベラリズムで堕落した社会の変革」「米国を再び偉大に」「ワシントンのエリートを叩き潰す」等を叫ぶ時代的状況が醸成され彼に有利な展開になってきたと言えるのです。トランプやMAGA(メイク・アメリカ・グレート・アゲイン)運動は人々の苦悩と分断を活用して時流に乗り、権力の座を目指しているのです。そのために「没落する白人」のみならず激戦州では、移民や黒人有権者層からも20%以上トランプは支持を得そうなのです。これは、言うまでもなく危険なことです。貧困者・被抑圧者の真の闘いの道とは言えません。
こうして従来の「白人労働者零落層」ばかりではなく人種の区別を超えた没落しつつある大衆の不安と憎悪を既成の民主党的支配層にぶつけることにトランプは一定成功しているようです。以上が米国大統領選の中間的状況です。(阿部文明)
「物価と賃金の好循環」などは真っ赤なウソ アベノミクスは低賃金政策だ
「1ドル300円になれば、あっという間に経済回復」by 安倍晋三(中日スポーツ)。
この2年前の安倍晋三氏の発言が報道され、国民的怒りが集まっているのも当然です。
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アベノミクスという政策が、円安政策でしかなかったことが安倍氏の「証言で」改めて明確になりました。円安政策とは労働力の安売りにほかなりません。労働力を実質よりも低く評価させ、その分海外では「安い割に良い製品」と見せかけることができます。
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つまり、労働者は勿論のこと中小企業も含めた国内産業を考慮に入れることのない、輸出大企業、例えばトヨタなどの自動車産業の為にする偏った政策でした。その政策は現在まで実質的に継続されています。しかも今や円安は制御不能なぐらい深刻化しています。その結果、労働者の作り上げた製造物が安く国外に流れ、海外の原油などのエネルギーや食料品、その他消費財は実態よりも高く買う他はなくなるのです(輸入インフレなどと言われます)。
つまり、一部の輸出産業(トヨタなど)のために、国民は大きな損失に見舞われてしまうのです。
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アベノミクスの司令塔である黒田総裁(当時)は「円安断行」のために金利下げ(異次元の金融大緩和)、国債爆買いを続けたわけです。しかし、輸出産業に一定の利益をもたらしたが、労働者庶民は実質所得の低下は日々明らかです。すでに30年間の傾向的な実質賃金の低下に加え、ここに来て24か月連続で実質賃金が低下しています。これは世界史的に見ても異例中の異例です。「物価と賃金の好循環」などは真っ赤なウソです。(阿部文明)
《国による自治体への指示権》強まる国家統制 ――また一つ、戦時態勢づくり――
発足以降、戦時態勢づくりに突き進む岸田政権。国家統制の強化に繋がる国による自治体への〝指示権拡大〟を強行しようとしている。これも近年、岸田政権が力を注ぐ戦時態勢づくりの一環でもある。
戦時態勢づくりが進めば、現実の戦争を招く恐れがより現実味を増す。草の根から反対の声を拡げていきたい。
◆強まる〝国家統制〟
岸田政権は、今また一つ、戦時態勢づくりに繋がる法整備を強引に推し進めている。
今国会に国による法的拘束力を持つ地方自治体への「指示権」を創設する地方自治法改訂案を国会に上程し、5月14日から衆議院総務委員会で実質審議に入っている。
この法案の主なポイントは次のようなものだ。
指示権行使の要件
大規模な災害、感染症の蔓延、その他、国民の安全に重大な影響を及ぼす事態
国民の生命等の保護のための措置
個別法が想定していない事態
行使は必要最低限
主な論点は次のようなものだ。
国の指示権は地方行政全般に拡大
発動時期は非常事態の「おそれ」の段階から可能
指示権発動の対象に「その他」が含まれる
想定される具体的な事態が示されていない
乱用されれば国と自治体は主従関係となる
地方の意見聴取は努力義務
閣議決定が歯止めになるか
指示の適否を検証する仕組みがない
◆《対等》から《従属》へ――対象は地方行政全般へ
現在の国と地方自治体の関係は、法的には〝対等〟とされている。2000年施行の地方分権一括法でそれまで〝主従関係〟だったのが〝対等〟な関係に改められた経緯がある。
具体的には個別法(災害対策基本法や感染症法など)で国の《指示権》が明記されたもの以外、《助言・勧告》にとどまるものだった。
それを今回の改訂では、個別法による《指示権》ではなく、地方自治法という自治体業務全般をカバーする一般法での《指示権》の明記だ。だからこの改定案が成立すれば、原則、どんな事態でも、非常事態が発生したとの根拠で、国による《指示権》の行使が可能となる。
◆発動は「恐れ」の段階から
国による自治体への指示権行使の発動時期について、「発生のおそれ」の段階から発動可能だとしている。それを判断するのはあくまで政府であって、発動の対象や時期は拡大適用(=乱用)されかねない。成立すれば、大規模災害だけでなく、いざ有事(=戦時)あるいはその「おそれ」があると政府が判断すれば、国の指示によって自治体を戦時態勢に組み込むことができる。
ここ数年の政権による安保法制の創設や自衛隊の南西シフト、全国各地の空港や港湾の整備計画などをみれば、今回の改訂が、岸田政権による戦時態勢づくりの一環として運用されることは目に見えている。
◆お題目は、いつでも〝大規模災害〟
政府はこの法案の必要性について、「国民の生命等の保護のために特に必要な場合」に「個別法で対応できない事態に限って行使する」ものだとしている。具体的なケースとして、大規模災害や感染症大流行などを想定していると説明している。
しかし政府は、どんな場面で指示権を行使するのか、具体的なケースへの言及は避けている。単に個別法で規定していないケースでも行使できるようにする、というだけだ。具体的なケースを上げると、個別法で規定すれば良い、等と反論されるのを避けるため、と見られている。
こんな姿勢を見せられれば、政権は、有事が切迫しているという段階から、国による指示権の行使で自治体を否が応でも政権の命令に服させる、という思惑が透けて見える。
現に、改定案でも、「大規模な災害、感染症の蔓延、その他、国民の安全に重大な影響を及ぼす事態」と、しっかり「その他」を組み込んである。この「その他」は、「有事」「戦時」を想定していることは明らかだ。
担当相である松本総務相も、どんなケースでの発動を想定しているのか、という問いに対し、具体的な説明は避けている。言及すれば「有事」にも言及せざるを得ないからだ。
要するに、政権は、今回の改訂を非常事態に備えるものだ、としている。が、歴代のどの政権も、国や政府の権限強化に際して、それは戦争準備のためだ、などとは言わない。大規模な自然災害などを持ち出してくる。今回の指示権強化についても同じだ。
◆〝歯止め〟か、それとも〝恣意的運用〟か
今回の改訂が、政権の暴走への歯止めになる、という指摘もある。
具体的には、コロナ禍での大型クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号内感染での患者の搬送などの場面、安倍首相によるコロナ感染での全国一斉休校の要請の場面で、法的根拠無き政府の要請で、大きな混乱が拡がった経緯があった。そのとき、具体的な政府による指示権が規定されていれば、より迅速な対応が可能であり、また政府による暴走も防げた、というものだ。
とはいえ、一般法での指示権明記は、むしろ拡大運用《=乱用》される可能性の方が、より危険だろう。《乱用》というよりは、そうした拡大運用を正当化することに、今回の改訂の眼目がある。
現に、沖縄の辺野古の埋め立てでは、国による設計変更申請を沖縄県が不承認にした件では、政府が行政不服審査法に基づく審査請求した。その審査請求は、本来、行政による不当な処分に対し、国民や民間団体を救済する制度だ。が、政府は、沖縄防衛局を〝私人扱い〟して、国土交通省に是非を判断させた。要するに、法に主旨をねじ曲げて政府の行動にお墨付きを与えたわけだ。現に、国による埋め立ての代執行も強行されている。そうした〝禁じ手〟に頼ることなく、政権の正当な行為だと正当化するための改訂なのだ。
◆,国家主導の先取り
そうした国の振る舞いを見てきた今、今回の改訂が行われれば、国による自治体の蹂躙が大手を振ってまかり通るようにことになる。《対等》から《下請け》への封じ込めだ。
現にそれを先取りしたような施策も進められている。たとえば全国の民間空港などを平時から自衛隊や海上保安庁などが利用できるよう整備(滑走路の延長など)する「特定利用空港・港湾」の指定(当初の仮称は「軍民デュアルユース」の「特定重要拠点空港・港湾」)だ。昨年秋の段階で38の港湾・空港が候補とされたが、今年4月1日、手始めに沖縄県や九州・四国を中心に16施設が指定された。
さらには、その指定さえも拡大運用するかのように、エマニュエル駐日米大使が米軍機で沖縄の与那国島と石垣島の民間空港に乗り入れた。平時に米軍機が民間空港を利用することがないよう訴えていた沖縄県の要望を無視して強行されたものだ。
これらも、国による自治体への〝指示権〟行使、全国の民間の主要空港・港湾の軍事利用の拡大などと一体となって、戦争準備態勢づくりの地ならしの一環だと捉える他はない。
かつて敗戦後の日本では、憲法9条を始め、戦争を出来なくする法制や歯止めが数多く作られてきた。今、それらの歯止めは、〝台湾有事は日本有事〟〝一戦交える覚悟〟などという勇ましい言葉と共に、次々と反故にされている。
現在進められている戦争態勢づくりも、どの範囲まで手が付けられているか分からない。が、ここで見てきたことは、全て有事態勢づくりの一環として整備されつつあるのは明らかだ。
◆反対行動を草の根から
軍事力強化が戦争抑止に資する、というのは事の一面でしかなく、虚構に過ぎない。抑止力=軍事力を整備すれば、それを行使する誘因も大きくなる。ロシアのウクライナ侵攻やイスラエルによるガザ侵攻を見るだけで明らかだ。
今国会では、野党の一部が反対しているものの、成立可能性は高い。本来であれば、国会に上程される以前に、そうした思惑を封じておくべきだった。かつて憲法9条が力を持っていたのは、単に条文があったからではない。あの戦争への痛切な反省が、人々の反戦平和への想いと結びつき、強力な世論を形成していたからだ。
いま、戦争態勢づくりで勇ましい声を多く聞かれるようになった。私たちとしては、それを上回る反戦の声を草の根から大きく拡げていきたい。(廣)
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ネットだけの人気に限界 百田新党 しかし軍事保守派の動きには警戒を
日本保守党は、去年作家・百田尚樹氏とジャーナリスト・有本香氏らによって設立された新興の政治団体です。「日本を豊かに、強く」をスローガンに掲げ、戦前の古風な家族観や勤勉さといった日本的な価値観の回帰とか、反面では日米同盟の強化による、外交・安全保障政策などを政策提言して日本の保守層の掘りおこしを狙っています。四月の衆議院東京15区補選に出馬したのが、日本保守党にとって初の国政選挙です。しかし、公認の飯山氏は4位で落選しました。
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日本保守党の理念は次のようです。
伝統的な家族観や価値観を尊重し、少子高齢化対策や子育て支援などの政策を推進すると。またそれと矛盾していますが、規制緩和や減税などの新自由主義的政策を通じて、経済成長と雇用創出を目指すとしています。政策の整合性のないのが特徴と言えば特徴です。結局はアベノミクスのような新自由主義による労働者の無制限な搾取すなわち「世界で一番企業が活躍できる国」を目指しているのでしょう。
さらに自衛隊の強化や日米同盟の深化など軍事力の底上げを目指しています。軍治派による国民の窮乏化しかイメージできませんね。
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政策の特色は教育基本法の改正や英語教育の強化など、教育保守的改革を推進する、憲法改正議論を積極的に進めるとか、産業界向けの原子力発電の活用をうたっています。これでは業界べったりも明らかです。民衆の期待する根本的改革――経済格差の根本是正など――が全く見えてきません。
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党設立当初から、安倍元首相の支持者や関係者を中心に多くの支持を集めていました。百田氏自身も安倍元首相と親交があり、党の綱領にも「安倍政権時代の政策を継承」していくことが明記されています。そうなのです、百田派とは要するに安倍派の中の保守反動派の結集を目指したものと考えられます。
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しかし、自民党はそもそも政策や理念に対する高い支持で長期政権を維持しているのではありません。彼らは業界利権とそのバラマキ利益誘導政治において(公明支持を得つつ小選挙区制の恩恵で)議会多数派を維持してきたのです。安倍政治はこのような自公体制のど真ん中に存在して来たのであったのです。ゆえに百田・有本などの文化人による「口先保守」では安倍派に取って代わることは不可能でしょう。
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とはいえ、日本政府が自ら招いた中国、ロシアなど隣国との対立路線、そして日本経済の衰退と労働者の生活苦は日々明らかなのです。時代の閉塞状況のなかで過激な保守反動の動きは警戒すべきでしょう。(A・B)
読書室『カーストとは何か インド「不可触民」の実像』鈴木真弥生著 中公新書 九八〇円
〇人口十四億人のインド社会を強く規定するのはカーストである。ではカーストとは一体どのようなものか。またインド社会においてカーストとはどのような社会的な機能を果たしているのか。そしてそのカーストの中のさらに細かい階層とはどのようなものでその階層間の関係とはいかなるものなのか。こうした私たちの疑問に答える入魂の一冊である〇
インド人民党の指導部には上位カースト出身者が多い
最近、注目されるインドは、独立時にパキスタンと分離したことで一般にヒンドゥー教の国家だと言われている。しかし実際にはイスラーム教徒も数多い。そのため、ヒンドゥー教徒とイスラーム教徒との間には、インド独立後も宗教的対立が続き、九〇年代には特に激しくなる。そして実際にヒンドゥー教徒がモスクを破壊する事件が起きたが、これをきっかけに戦後のインドの政治を長く支配してきたインド国民会議派がこの間企業の国有化などの社会主義的な政策を採ることに反発して、ヒンドゥー至上主義の立場からインドを純粋なヒンドゥー教国家にすること、また汚職などの政治腐敗の根絶、自由主義経済の徹底を主張するインド人民党が台頭した。その指導部には上位カースト出身者が多い。彼らは九八年に政権を獲得し、〇四年には過激な宗教政策のため一旦下野するものの、党首モディの指導の下でイスラム教との融和へと方向転換させ、十四年に政権復帰したのだ。
カーストとは何か
そもそもカーストとは、国が定めた制度ではなく、伝説化された「アーリア人」によるバラモン教で創出された社会的な身分制度である。そしてバラモン教がインドの土着宗教と混合する中で再編されたヒンドゥー教のインド全土への拡大とともに社会に根付いた慣習により、結婚、職業、食事等に関する規制を持つ排他的な人口集団がカースト制となる。
すなわちカースト制とは、各カースト間の分業によって保たれる相互依存関係と、ヒンドゥー教的価値観によって上下に序列された身分制度が結び合わさった制度なのである。
それには「ジャーティ」(生まれ)と「ヴァルナ」(色)が深く関わる。ジャーティとは、社会分業体制に基づいた相互依存的な人間関係である。貨幣制度がない昔、例えばツボを作る集団が替りに米をもらう等の自給自足の社会では、職業が世襲され、結婚は親が決めるなどの閉鎖的な集団の間で生産物やサービスのやり取りが行われていた。またヴァルナとは、バラモン(祭官階層)、クシャトリヤ(王侯・武人階層)、ヴァイシャ(平民階層)、シュードラ(上位三ヴァルナに奉仕する隷属民階層)の四種からなり、バラモンが一番上に位置する序列の仕組みである。カースト制の社会的で一般的理解もこれである。
ヴァルナとは、紀元前十五世紀から十二世紀にかけてインド亜大陸に侵攻した「アーリア人」が先住民族につけた言葉であり、サンスクリット古典籍では言葉はあったものの、その実体はなかった。まさに「アーリア人」が実体を作り出したのだ。
そして紀元後数世紀には、バラモン(祭官階層)、クシャトリヤ(王侯・武人階層)、ヴァイシャ(平民階層)、シュードラ(上位三ヴァルナに奉仕する隷属民階層)の四種のカーストのさらに下に、「不可触民」のカテゴリーが付け加えられたのである。
「不可触民」=ダリトまたは「指定カースト」
現在のインドで私たちが実際に見るカーストとは、「ジャーティ」と「ヴァルナ」が長い歴史の中で絡み合って出来上がったものである。そして現在の「不可触民」の各階層にも長い歴史の中で絡み合って出来上がった同様の経緯があるが、詳説は省略したい。
「不可触民」の現地語は、ヒンディー語で「アチュート」、タミル語で「パライヤ」であるが、現在それらは差別語と忌避されている。そのため、本書では彼ら自身が積極的に使う「ダリト」を使用している。インドの行政用語では「指定カースト」が用いられている。
ダリトの人口はインド全人口の十二・六%を占める二億百三十八万人いる。宗教別にまとめれば、約八割を占めるヒンドゥー教徒九億六千六百二十六万人以外のイスラム教徒一億七千二百二十五万人やキリスト教二千七百八十二万人の中にも実はカースト的慣習がある。なぜかというと、差別を嫌ったヒンドゥー教からの改宗者が混じっているからである。
つまりカースト制を積極的に肯定するヒンドゥー教を棄教して他宗教へと改宗したにもかかわらず、カースト制はついて回っているのである。ここには実に根深い問題がある。
インド憲法の第十五条に「宗教、人種、カースト、性別、または出生地を理由とする差別の禁止」がある。しかし憲法でもカーストの存在そのものは前提である。当然、差別解消といっても、インド社会に深く根付いているカースト的慣習はなくならないのである。
したがって今でもインド社会では、ダリトは経済的弱者というだけではなく「蔑視された、不浄のコミュニティ」とラベリングされている。この社会的な差別は続くのである。
ダリト解放の模索
この問題は、本書の第2章「差別批判と解放の模索―迷走のインド政治」の主題である。
カースト制批判とダリト解放の最近の運動でまず問題になったのは、ヒンドゥー教の枠組みの中での改革か、ヒンドゥー教を脱しての改革か、のどちらを目指すのかであった。
前者はガンジーの目指した道で、後者はダリトのアンベードカルの目指した道である。
そもそもヒンドゥー教の枠組みの中での改革は、七世紀半ばから九世紀半ばに南インドで興隆しインド各地に拡大する「バクティ運動」がある。それは神への帰依によりすべてのカーストは平等であるとの理念で行われたものだが、現実の差別はなくならなかった。
二十世紀に始まったヒンドゥー教の改革はガンジーが指導したが、不可触民制の廃止は全面的に支持するものの、その根源となるヒンドゥー教とカースト・ヴァルナ制は撤廃ではなく改良せよとの立場であった。彼は、不可触民制のないカースト制を目指したのだ。
これに対してアンベードカルは、カーストや不可触民制の慣習は、ヒンドゥー教の要素のみによるのではなく、インド社会全体を貫く社会問題として、政治的解決を目指した。
アンベードカルは、ダリトがこの状況から解放されるには上位カーストの憐憫にすがるのではなく、ダリト自身が教育を受け広い視野を持ち、自身の状況を自覚し自力で改革に取り組まねばならぬとした。彼の思想は彼の信奉者の運動として、今も継続されている。
その流れではダリト・パンサーが有名であり、今後ダリト運動内の連帯が課題である。
インドで今後注目すべき三つのこと
その一つは、イギリス植民地時代に導入された「指定カースト」が、ダリトに代わる公的概念と認められたことにより、逆にカースト意識を持続させている現実がある。彼らには留保制度という優遇があり、それを受けるためには大学入試や奨学金の公募、公務員採用試験等の人生の節目に「指定カースト証明書」の提出が必要とされているからである。
だからこのようにダリト支援の留保制度に対しては、それ以外のカーストの人々、つまり一般枠の人々からは、彼らが優遇される分、自分たちには不公平だというのである。
二つ目は、アンベードカルの人気が高揚していることである。ガンジーはヒンドゥー教の枠内でダリトへの差別意識をなくそうとしたが、ダリト出身のアンベードカルは、ヒンドゥー教徒とダリトは異なる集団であり、独自の政治的権利が与えられるべきだとした。
アンベードカルは、インド憲法にダリトの存在と権利等を定めたことと、政治的解決を求めた思想ゆえに、彼の信奉者はダリトの枠を超えて現在注目されている存在なのである。
三つめは、ダリトの人々の生き方の変化からインド政治の未来を見る重要性である。彼らは着実に未来を切り開きつつあるからである。かっての貧困からも解放されつつある。
今後は、インド政治の中でダリトの台頭とその活躍が大いに予想される。そうした中で、ヒンドゥー至上主義の立場からインドを純粋なヒンドゥー教国家にすると主張しているインド人民党と政治的に一票を持つダリトとの関係は、目が離せないものとなるだろう。
その意味においてカースト制とダリトの実態とインド政治に関する基本書として、読者には本書の一読をぜひ薦めたい。 (直木)
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旧優生保護法による強制不妊訴訟が最高裁大法廷へ 知っていますか? 障がい者への「合理的配慮」とは
神戸では、世界パラ陸上競技選手権大会が5月17日から9日間にわたって、行われました。コロナ禍から3年遅れて今年に開催となったようです。日本代表は66人、海外からの代表選手も含め1073人が、168種目のスポーツ競技に挑戦しました。共生社会の実現へ「つなげる」「ひろげる」「すすめる」との基本理念を掲げた大会ですが、実のところはどうだったのかと、疑問が残ります。
競技場の近くには、自動車展示場を設けて障がいへの配慮された車種をアピールする企業。選手の乗った車椅子を後ろから押す体験コーナーなど、「つなげる」ところは少しあるかと思いましたが、これがどう日常的に培われるのか、その時だけになるのではと懸念しています。
ところで、強制不妊訴訟がいよいよ最高裁へ。大法廷では、15人の裁判官が揃い、例外的に極めて重要な問題について、重大な判断を示す事案について裁判官全員で裁判を行います。年間に数件しかありません。最高裁でたたかう原告10人のうち、大法廷での口頭弁論は原告8人が予定されています。兵庫からは3人の原告が直接意見を伝える「弁論」の機会を与えられ、そのうち92歳の小林賢二さんは「時間がない。一刻も早い解決を」と意気込みをあらわにされています(3月21日での院内集会での発言)。
5月29日、午前10時30分から休憩をはさんで午後は2時から再開と、1日かけての審理を実りあるものにと願わずにいられません(原稿執筆は5月22日)。今回の最高裁大法廷での口頭弁論開催にあたり、障がいのある傍聴者への配慮のために、手話通訳者を増やし介助の体制を整えることを報道していました。これは、裁判所として障害者差別解消法による「合理的配慮」なのでしょうか。
4月26日、「歩む兵庫の会」でも神戸地裁に「情報保障・手話通訳者の配置を求める再度の申入れ」を行い、これまでのボランティアとしての手話通訳者ではなく、裁判所の業務として裁判所の責任で配置すべきと回答を要請しています。まさか、公的機関である裁判所が今年4月からの民間業者も含む「合理的配慮」の法的義務化の周知ができていないのでは? と勘繰りたくなります。
2006年、既に国連では「障碍者権利条約」が採択されたにも関わらず、日本が批准したのは2014年。日本政府の遅れた姿勢は、全ての政策に影響しています。「合理的配慮」は、民間の職場からも当事者が発信できるのですが、周りの労働者が気づく配慮こそが大事だと思います。
2017年、ワーカーズ「色鉛筆」で紹介した「日本初、最高裁大法廷に白状と車椅子を持ち込む」(1982年判決)と堀木訴訟の記事を、読み返していました。堀木文子さんの障害福祉年金と児童扶養手当の併給をめぐっての裁判でした。その後は、憲法で保障された生存権をどう考えるか? という観点からの司法試験向けの教材として議論は続いているようです。本来、児童扶養手当は、子ども個人の権利としての支給すべきだと思います。
障がい者への「合理的配慮」という言葉を聞いて、合理的ということを誰が判断するのか? と疑問を持ちました。職場で改善を要求しても、それが本人の甘えとか、贅沢な要求と管理者が判断した場合、配慮はしてもらえないかもと。「つながる」には日常的な場での関心をもち、周りへの配慮は自然にするものではと思います。皆さんも考えて見て下さい。 (折口恵子)
付録 兵庫第3次訴訟第4回口頭弁論(5月23日)
今日は裁判官交代に伴う「弁論更新」があり、これまで提出された準備書面要旨の陳述が原告代理人によって行われました。
裁判の争点は、①これまでの裁判と同じく「除斥期間」の扱いです。国側の主張は「法的安定性」(公益)というものですが、これは国家的誤りをなかったことにしようというもので、まさに「正義・公平」に反する暴論です。
②被告国が、現時点で原告ら2人が優生手術を受けた事実は認められない、と主張している点です。これは、聴覚障がい者である原告に優生手術を強制されたことの認識、その証拠書類の提出を求める、出来ないことを求めるものです。
③原告側は(原告以外の)ふたりの証人採用を求めていますが、裁判所はまだ結論を出していません。手話を禁じた口話主義教育を受けた原告にとって、言語の理解、言葉の形成が困難であることを証言する予定だそうです。
さて、次回口頭弁論は7月18日10時半から神戸地裁です。原告だけの陳述になるのか、ふたりの証人が採用されるのか、この裁判も山場を迎えます。もっとも、その前に最高裁で大法廷が開かれ、全国の裁判が山場を迎えます。 (晴)
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外国籍の人たちへの 差別排外を許さない! どの国籍の人たちとも助けあって生きて行こう!
2024年4月に行われた、大阪府大東市議選で、外国人への差別をあおる候補者が落選したものの、608票を 獲得、最下位当選者942票と差はわずかでした。
その候補者の主張は、『外国人よりも日本人が 安心安全 に暮らせる日本に。「移民政策」や「外国人生活保護」に反対します。
本来、法律や税金は日本人が安心安全な生活をおくる為に存在しています。
今や外国人を楽して生活さ せる為に悪用されています』。
ずいぶん乱暴な主張です。
出入国在留管理庁によりますと、2023年12月末の時点で、日本に在留する外国人はおよそ341万1000人 で、前の年の同じ時期に比べて33万6000人増え、過去最多となりました。
日本に住む外国人の生活環境は、劣悪です。国籍は違えど、同じ日本で生活している方々の状況を、良くしていくために考え行動する、これこそが進む道であると思います。
日本に住む外国人の方で、本国での危険を避けるため、難民申請中の強制送還停止を原則2回に制限、入管施設の長期収容解消を図る一方、本国で迫害を受ける恐れのある外国人にとって強制送還は生命の危機に陥ります。
そして今、永住者の在留資格の取消事由厳格化する法案、入管法に規定する義務を遵守しないこと又は故意に公租公課の支払をしないこと、並びに、住居侵入、傷害又は窃盗等の一定の罪により拘禁刑(現行法の懲役・禁錮に相当する。)に処せられたこと、が新たに加えられています。
現在外国人に生活保護が支給されていますが、それは不当なのでしょうか?外国人も所得税や住民税など納税義務、国民健康保険への加入義務があります。外国人も、明らかに生活保護を受ける権利があるのが当然です。
しかし、外国人への生活保護で最高裁は、2014年7月に「外国人は生活保護法の対象外」と判断しています。
義務だけ押し付けて、権利はないとは、不当です。
生活保護法第一条では、外国人は、法の適用対象になりませんが、1954年国の通知により、生活に困窮する日本国籍のない外国人に対しては、一般国民に対する生活保護の決定実施の取り扱いに準じて必要な保護を行うようになっています。あくまでも、人道的な措置ということのようです。生活保護を受給することができる外国人の在留資格は、「永住者」、「定住者」、「日本人の配偶者等」、「永住者の配偶者等」、「特別永住者」、「難民認定された者」です。
昨年末時点で、生活保護を受給している人、日本全体では約212万人、世帯数としては164万世帯です。
この212万人の生活保護受給者のうち、高齢者が53%を占めており、この高齢者のうち、91%が単身の高齢者となっています。
その次に障害のある人や傷病者のいる世帯が25%、母子世帯が66%、そしてその他世帯が14%を占めています。
外国籍の生活保護受給者は約6万9千人で、世帯数としては約4万5千世帯です。上記の全ての生活保護受給者のうち外国籍の生活保護受給者の占める割合は3.28%世帯数では2.8%です。この数字からみると、決して、日本人の生活保護を圧迫するような数字ではないことがわかります。
外国籍の生活保護受給者の現状を国籍別でみると、一番多いのが、韓国・朝鮮、次いで中国、3番目にフィリピンです。4番目にブラジル・ペルーとなっています。
外国籍の受給者の中では、韓国・朝鮮が一番多いのですが、そのうち65歳以上の高齢者世帯が6割を占めており、その高齢者世帯のうち単身世帯は8割を占めています。これには長らく年金制度から排除され、無年金のままに放置されている韓国・朝鮮高齢者の実態がそのまま反映されています。ちなみに日本人の生活保護受給者の平均年齢は56歳だそうですが、韓国・朝鮮受給者の平均年齢は61.7歳です。2番目に多い中国国籍の受給者の場合、単身の傷病世帯が多くを占めており、3番目のフィリピン国籍の受給者の場合は、子のいる母子世帯が多く、4番目のブラジル・ペルーの受給者の場合は、単身の稼働年齢世代の世帯が多くを占めているとのことです。
外国籍の生活保護受給者にはその来日の背景によってその特徴があらわれていると言えます。
この候補者は、埼玉県川口市や蕨市でのクルド人の犯罪を問題にしています。
独自の文化を持つクルド人は主要居住地のトルコで弾圧され、難民として各国に身を寄せています。
日本でも埼玉県川口市とその周辺に2000~3000人が暮らしています。難民認定基準が厳しい日本では相当数が退去命令を受け、就労できず、健康保険証もない「仮放免」の立場にあります。
川口市は昨年9月、2020年に続いて2度目となる要望書を、法相に提出しました。仮放免者について「就労できず不安定な生活を余儀なくされている」「健康保険未加入で適切な医療を受けられない」と指摘し、国に是正をもとめました。 川口市や蕨市に多く暮らすクルド人を排斥するヘイトスピーチが激化しています。インターネット上の書き込みだけでなく、町中で「日本から出て行け」と叫ぶデモまでが 頻繁に行なわれるようになっています。
クルド人の犯罪があったのは事実ですが、多くのクルド人は普通に生活しています。これをことさら問題にするヘイトの方らには、何なんだと思います。
また外国人への日常的な差別として、外国人という理由で就職やアルバイトができない、外国人という理由で賃貸契約ができない、ヘイトスピーチによる差別がある、などです。
国籍が違うというだけで、ここまで外国人を攻撃するその感覚、私には理解できません。みんな同じ人間なんです。
差別排外の危険な動きにストップを!
外国人が住民投票に参加できる自治体は43(2021年4月時点)あります。要件を日本国籍の住民と実質的に同じとしているのは、神奈川県逗子市と大阪府豊中市の2市あります。2021年、東京都武蔵野市での外国人の住民投票を認める条例案惜しくも否決されましたが、今回の条例案に反対した人たちが、反対する意見を出す中で、特定の国の人がその自治体を「侵略する」、「乗っ取る」、「虐殺する」と言ったり、外国籍の政治活動家の「強制送還」を求めたりといったヘイトスピーチをやりました。
こうした動きを許さない行動が求められています。 (河野)
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コラムの窓・・・ 原発をゼロにしてから死ぬのが、大人の責任だと思う!
関西電力は4月30日、2024年3月期連結決算の最終利益が4418億円で過去最高となったと公表。その要因としては、原発再稼働や燃料価格の低下、販売電力量の増加をあげています。
3・11後の4月、八木誠関電社長(当時)は電気事業連合会の会長となり、原発再稼働の先頭に立ち、翌年7月には早くも大飯原発3・4号機の再稼働を実現。さらに、16年1月には高浜原発3号機を、同2月には4号機を再稼働させています。
そして、21年6月には40年越えの老朽美浜原発3号機を再稼働させ、今日までに現有原発7基をすべて再稼働させています。3・11前の11基体制から、美浜1・2号機と大飯1・2号機は採算上の判断で廃炉に、残る7基を次々に再稼働させた結果、原発依存企業関電が復活してしまいました。
ちなみに、電事連は1952年発足以来、3大都市圏を拠点とする東京電力、関西電力、中部電力の経営トップのいずれかが会長に就任してきましたが、東電は2011年3月に発生した福島第一原発事故以来、また関電は2019年に発覚した金品受領問題以来、会長職を辞退している状況です。
そしていま、国のエネルギー政策の方向性を示す「エネルギー基本計画」について、電事連の林欣吾会長(中部電力社長)は5月17日の会見で、「原発依存度を可能な限り低減する」とする方針の見直しを求めるまでになっています。
「いろんな環境変化がすでに起こっている。あれもこれも考えられる手段を全て投入していかないと、そういった課題を全て解決するようなことにならないんじゃないか」「『依存度を低減する』という表現は削除していただきたい」、と。
さて毎週金曜日、朝から関電本店前抗議行動に参加するようになって、もう10年は過ぎたでしょうか。その間に少しずつ参加者が入れ替わり、少なくなってしまっています。私は当初、参加したりしなかったりでしたが、いまは「原発をゼロにしてから死ぬのが大人の責任」だと思って、休まず参加しています。
あれこれの横幕や旗を立て、「きたないぞ!原発稼働でカネ儲け」といったスローガンを掲げ、昼休みに出てくる関電社員に示しています。それを見てどう思っているのか、思っていないのか分かりませんが、関電という企業が社会的に問題を抱えているということを示し続けなければならないと思うのです。
向いには国立国際美術館や新しくできた大阪市立中之島美術館があるので通行人が多く、外国からの観光客もよく見かけます。なので、〝頑張って〟という反応や、写真を撮って行く人もいます。時には話し込んでいく人、「原発なかったら電気どうする・・・」なんて文句を言う人もいます。ただ、大多数は無関心で通り過ぎます。
また、いまはとてもいい季節ですが、寒い時期や雨の日のスタンディングは泣きそうになります。そういう時は、こんなこといつまでと思うこともありますが、やめたら関電に負けたことになるのでやめられません。核のゴミを次世代に残してしまう、その責任もあります。
最近の自信作は、「核のゴミ!中間貯蔵で捨てるのか」「地震多発!関電若狭も危ないぞ」というもの。こういうのはおおむね5・7・5で、川柳のようになるのを考えるのが愉快だし、いい文句が浮かんだりするので深みにはまっています。 (晴)
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袴田事件再審公判が結審 『巌を人間らしく過ごさせて下さい』
5月22日袴田さんの再審公判が結審、予想どうり検察は死刑を求刑した。公判がながびいた為、終了後の記者会見は通常よりやや遅れた。
死刑求刑に対する意見を問われひで子さんは「聞こえない(無かった)」と答えた。弁護団としても事前に死刑求刑には一斉に抗議する予定だったがその機会を逸するほど「聞こえない」ものだったのだろう。
昨年10月に始まった15回の再審公判には「心神喪失」のため巌さんの姿はない。本来ならばその法廷で“声の限りに無実を叫ぶ”機会を奪われた。精神に取り返しのつかないダメージを与えてしまった司法の罪は重大だ。
間弁護士いわく検察の論告は終始、大事な事実に目を向けず、細かい事実を大きく取り上げもっともらしく主張する姿勢で、不毛だと発言。
昨年3月、そして10年前にも2度の再審開始決定つまり「無実を言い渡すべき明らかな新証拠」が認められた上での再審決定である。
検察は有罪を主張するなら、それを言い渡すべき「明らかな証拠」を示すべきだったが、ほとんど失敗に終わっている。
ひで子さんは穏やかにきっぱりと「巌は無実だから無罪」と発言した。
30歳だった青年は今、88歳。多くの支援者と共に無罪判決を待ち望む。
判決は9月26日午後2時静岡地裁。 (澄)
色鉛筆・・・ 女性差別の根幹は家父長制度にある
この春から放送されている朝ドラ「虎に翼」の第1話の冒頭に「憲法十四条 法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と主人公が読むシーンがあった。久しぶりに憲法に触れ今もあらゆるところで差別されている社会は、憲法十四条が制定されてから78年たっても何も変わっていないことを痛感した。
このドラマは戦前に日本初の女性弁護士、戦後は判事、家庭裁判所の設立に奔走して裁判官になる三淵嘉子氏がモデルの物語だ。ドラマの中で「婚姻にある女性は無能力者」「結婚すると女は全部男に権利を奪われて離婚も自由にできない」と言う言葉に一緒に見ていた娘が「こんな時代があったとは知らなかった」と驚いていた。私も「無能力者」とは余りにも女性を見くだしている言葉に驚き調べてみた。
1898年(明治31年)に施行された明治民法は「家」を単位として1つの戸籍を作り、戸主である家長がそこに所属する家族全員を絶対的な権利を持って統率(支配)すると家父長制度が明記されている。『女性が婚姻前は成年として能力者であっても婚姻によって無能力者となってしまい、重要な法律行為をするには夫の同意をえなければならない』(旧十四条~十八条)なんということだ能力があっても婚姻するとすべてが奪われて無能力者にされてしまうとは女性差別そのものではないか。結婚後は夫に従うようにに求められ、夫は外で働き妻は家事と育児という明治民法がそのまま現代まで続いていると言わざるを得ない。
この家父長制度の政治的な目的の一つに天皇制の国家体制を支えること、家長である戸主と家族の関係を天皇と国民になぞられ天皇は国の家長としたというのだ。やはりいつの時代も政治的な目論みがあるのだ。
1947年(昭和22年)戦後の民法改正で家制度は廃止され、戸籍の単位が夫婦単位となった。明治民法で「男尊女卑」を法制化して男性中心の社会が作られ女性の権利を奪い、心理的支配をして従属関係を維持してきたのだ。(今では人権侵害そのもの)制定されてから126年も経っているのに現在でも慣習などに「家」という意識が残り、実態は男性の氏の継承が存在し続け、長年の家制度で家父長制的な意識が浸透しているのだ。女性は結婚したら家事育児を担うという考えが女性にも(私自身も)男性にも無意識の中にあることの怖さを感じてしまう。
こうした価値観を払拭するためには仕事も家事育児介護も社会全体みんなでおこなって支え合っていくことだ。生きづらさを感じている人たちが、物理的にも精神的にも経済的にも困難にならないよう社会全体で支える仕組みをシステム化すれば女性も子ども、高齢者、障害のある人たち
の人権は守られ差別はなくなると思う。
差別のない社会を女性法曹の先駆者である三淵嘉子氏も望んでいるだろう。
「虎に翼」のドラマの中で主人公が理不尽なことがあると「はて?」と首をかしげるシーンが好きなので楽しみにしている。(美)
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