ワーカーズ658号(2024/9/1)
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イスラエルはパレスチナへの無差別殺人をやめろ!
イスラエルは、今までずっとパレスチナを支配してきたし、大量殺人もしてきています。
パレスチナのガザは、周囲をイスラエル軍に完全に包囲され、人や物の出入りが厳しく制限されています。 人口の約7割は難民で、8つの難民キャンプがあります。
人々は国連や支援団体からの援助物資などで命をつないできました。 2008年以降は、ほぼ2年おきにイスラエル軍の激しい爆撃を受け、多くの市民が犠牲になっています。
1993年にイスラエルのラビン首相とPLO(パレスチナ解放機構)のアラファト議長の間で交わされたオスロ合意に基づき、 翌年、ヨルダン川西岸地区は、ガザ地区と共に「パレスチナ自治区」になりました。 しかし、ヨルダン川西岸地区は面積の60%以上がイスラエルの軍事支配下に置かれ、 常に厳しく監視されています。また、各地に多くのイスラエルの入植地が作られています。
イスラエル軍は21日から22日にかけてパレスチナ自治区ガザ地区中部と南部に対する攻撃を強化し、パレスチナ当局によると少なくとも27人が死亡しました。 ガザ地区の保健当局は、これまでの死者は4万265人となったと発表しました。
このようなパレスチナに、大量殺人を行なっているイスラエルに対し、8月6日の広島市の平和記念式典と8月9日の長崎市の平和祈念式典に、大きな差が出ました。広島市は、イスラエルを招待したうえで、パレスチナを招待しませんでした。長崎市は、パレスチナを招待したうえで、イスラエルを招待しませんでした。
広島市の松井市長は、イスラエルを招待すると同時に、その反対運動の高まりを見越して、平和記念式典中の市民立ち入り禁止区域を拡大させるなどしました。市民活動への不当な弾圧です。
一方長崎市鈴木市長は、会見で式典を「平穏かつ厳粛な雰囲気のもと、円滑に」実施したいと説明しました。そのうえで、「不測の事態の発生のリスク」などを考慮した結果、イスラエル大使に招待状を送らなかったと述べました。
アメリカやイギリスを含む複数の西側諸国の大使らは、長崎市の平和祈念式典への出席を見送った。各大使館は、イスラエルがこの式典に招待されなかったためと説明しています。
長崎市は今年6月にイスラエル大使館に対し、パレスチナ自治区ガザ地区での「即時停戦」を求める書簡を送っています。
イスラエルを平和祈念式典に招待しなかった、長崎市鈴木市長に拍手を送ります。
日本政府の立場は、イスラエルを非難することを避けつつ、パレスチナにも同情心からの支援を行う立場を維持するといったところでしょうか。
イスラエルは、パレスチナへの大量殺人をやめろ!そして、停戦後イスラエルの行為は、戦争犯罪として裁かれるべきです。(河野)
自民党政治を終わらせよう!――安倍政治の継承に終始した岸田政権――
岸田首相が総裁選に立候補せず、岸田政権は3年間で終幕となった。
当初は、安倍右翼政権から軌道修正する素振りも見せた岸田首相だったが、実際にやったことは、安倍政治の後追いでしかなかった。
もはや、自民党政権では、誰が首相になっても、米国主導の冷戦構造への併走、企業・財界の意向に沿った政権運営しか出来ないことは明らかだ。
岸田政権の終幕にあたって、自民党政治の根本的な転換を目ざす以外に、選択肢はないことを改めて確認したい。
◆岸田政権は安倍政権の上書き
安倍元首相は、民主党政権に対して〝悪夢の3年間〟だった、と何度も言及した。それに対して、私たちとしては、安倍政権こそ〝悪夢の8年間〟だったという他はない。
安倍政権は、発足当初から〝戦後レジームからの脱却〟を掲げ、〝日本を取り戻す〟というスローガンを掲げた。要するに〝戦前の日本を取り戻す〟ことに心血を注いできたわけだ。
その安倍首相は、朝鮮や中国への侵略に対し、侵略戦争かどうかは歴史家に委ねる、という論法であいまい化し、戦前体制の〝否定の否定〟に拘ってきた。
その後、菅政権を挟んで登場した岸田政権。当初は、アベノミクスによる格差拡大や戦前体制への回帰ではなく、経済成長より庶民の生活改善へと〝疑似政権交代〟を演出する態度を見せていた。が、岸田政権が実際にやってきたことは安倍政治の踏襲、その上書きでしかなかった。
岸田首相が総裁選に立候補しないと退陣を表明した記者会見で、岸田首相は、政権の実績として軍事費の倍増、原発推進などを並べた。まさに政権発足時に掲げた〝聞く耳〟をふさいだ暴走への自画自賛だった。
◆〝変節〟は経済から
岸田首相の変節としてまず思い浮かべるのは、政策的支援対象の変更だった。
岸田首相は、自民党派閥の宏池会会長として、安保改定の岸信介首相を引き継いだ当時の池田勇人首相我が身を重ねるかのような、安保から経済・生活重視への転換を推し進める姿勢を打ち出した。いわゆる〝成長と分配の好循環〟を実現するとの触れ込みの「新しい資本主義」という旗印で、「分配なくして成長なし」、要するに労働者・庶民への〝分配重視〟を看板に掲げた。メディアの一部は、それを岸田版〝所得倍増計画〟という触れ込みでヨイショし、それまでの安倍政権による新自由主義的なアベノミクスで深刻化した貧富の分断・格差の拡大に対し、その是正を旗印に掲げた岸田首相への期待感を煽った。
が、現実には、分配優先とも受け止められた姿勢が首相就任直後の株価の下落を招いたとの批判を受け、いともあっさり軌道修正した。賃金引き上げなど〝分配重視〟による格差拡大や貧富の分断の克服は棚上げし、あろうことか、政権発足半年後の5月には〝資産所得倍増プラン〟へと180度逆転させてしまった。
その象徴が、今年1月からスタートさせた新NISA(少額投資非課税制度)だ。賃金という企業活動による付加価値の〝一次分配〟という、労働者世帯の生存権に直結する課題を棚上げし、経済成長と企業の繁栄のおこぼれに依存する政策を旗印にしてしまったわけだ。
ウクライナ戦争や金融緩和に伴う円安でエネルギー価格が上昇していることへの支援策として、22年1月からガソリン補助金を始めた。電気や都市ガス補助金も同じだ。これらも、生活者支援とは言いがたい代物だった。これらの補助金は、対象は一律で、車を所有していない人や過疎地方などで足代わりに乗っている庶民、それにアパートでの高齢の一人住まいなど、社会的弱者といえる層ほど恩恵が少なく、大企業や運輸業界や大型車などの利用者ほど恩恵が大きい補助金になっている。一体、誰のための補助金なのだ、と言いたくなるような代物だった。
こうした路線転換の土俵上で岸田首相が力を入れた賃上げは、安倍首相とまったく同じ、企業への賃上げ誘導というお願いでしかなかった。その結果は、一部の大企業による、人手不足時代での人材確保を意図した賃上げにとどまっており、中小も含めた実質賃金の低迷からは抜け出せないのが現状なのだ。
◆軍拡――覇権抗争への主体的参加
岸田政権は22年12月に、国家安全保障戦略など安保三文書の改訂を閣議決定だけで強行した。この改訂の核心は、〝専守防衛〟という、これまでの日本の安全保障戦略の〝基本原則〟を名実ともに大転換させたことにある。
これまで建前としては保持してきた〝専守防衛〟とは、日本が他国から武力攻撃を受けた場合、自衛隊は日本本土の防衛行動に専念し、相手国への反撃は同盟国である米国に委ねる、という〝盾と矛〟の役割分担を表現したものだ。
今回の改訂は、その大原則を転換させ、〝敵基地への反撃〟という言葉遊びによる、敵地への先制攻撃や全面戦争化に道を開くものになっている。
安保三文書の改訂は、同時に、国民生活を無視した米中覇権争いに加担する冷戦指向の軍事戦略であり、それを支えるためのDGP2%への軍事費倍増計画も急ピッチで進行中だ。また、次期戦闘機の輸出を始め、殺傷能力がある兵器の輸出にも道を開いている。〝専守防衛〟〝平和国家〟という旗印は、すでに実態と大きく乖離してしまっている。
◆核廃絶と核抑止という二枚舌
岸田首相は、被爆地・広島出身の首相だが、ここでも無責任な言葉遊びに終始している。広島でのG7サミットで「核兵器のない世界を」と叫んではみたものの、全くの〝主語の欠落〟で〝他人事〟でしかない。「G7は核兵器を減らす、無くす」「世界は核兵器を禁止する」、「日本は核兵器を造らず、持たず、使用しない」、なぜそう言えないのか。
岸田首相の空疎な言葉遊びは、すぐ別な軍事ドクトリンにかき消される。要するに核兵器に依存する〝拡大抑止〟だ。拡大抑止とは、日本への核攻撃に対し、米国による核報復を招く、というもので、それが敵国による核攻撃を抑止する、というものだ。そうした拡大抑止という概念は、核兵器への依存を公言するもので、こちらは主体が明白で、同盟関係にある日米による核戦略そのものだ。
言うまでもないが、核兵器の保有や核軍拡競争は自然現象ではない。各国政権による対抗意志のぶつかり合いで起こるものであって、〝核抑止力〟という口実での各国の政権(と軍需産業など)による対抗意志が、核兵器の温存や核軍拡のエスカレーションに繋がっている。主語の欠落したお題目だけでは、核兵器の廃絶など夢のまた夢だ
◆普天間と南西シフト
普天間の代替施設として建設が始まっている辺野古での新基地建設では、政府の一方的な判断で、辺野古沖の埋め立て作業を本格化している。軟弱地盤で完成できない可能性や、建設費用の大幅な膨張など先行きも考えない〝基地建設ありき〟を貫いている。
平行して、南シナ海や東シナ海を挟んだ緊張の高まりで、自衛隊の南西シフトが急速に進められている。台湾海峡危機をめぐる日米共同作戦計画づくりも、ほぼ完成していると言われている。その作戦計画を先取りするかのように、先島を含む南西諸島では、ミサイル基地などの新増設が急ピッチで進む。
そうした〝戦時態勢〟づくりの一環として、〝今日のウクライナは、明日の東アジア〟という危機感も煽っている。戦意高揚と新たな英霊神話を普及させるべく、自衛隊と靖国神社との関係の深まりも見て取れる。
◆監視国家
さらに、能動的サイバー防御(ACD)の策定作業も、今進んでいるという。それは、平時からサイバー空間でやりとりされている情報を盗聴・監視するともので、〝通信の秘密〟を浸食するものだ。その上、収集したメガ情報を米国に横流し(共有)するという代物なのだ。
このACD導入をめざす政府が立ち上げた有識者会議は、「公共の福祉のため」との国民の権利を制限する常套句を持ち込むことで、すでに政府にお墨付きを与えている。政府は〝特定秘密〟で主権者に公開しない膨大な秘密を抱え、逆に国民生活は丸裸にしようとする。行政権・執行権力はますます主権者から遊離し、主権者を圧迫するようになる。
そのACDでは、相手国からサイバー攻撃の兆候が察知できれば、事前に相手国のサイバーに侵入して無害化するなど、先制攻撃も可能とされている。要するに、敵基地攻撃のサイバー版になるわけだ。まったく、軍事合理性の観点を推し進めると、軍拡エスカレーションは、際限が無くなるのだ。
◆戦争準備は進む
岸田首相が推し進めてきた軍事戦略は、日米を中心に、インド・太平洋地域の〝同志国〟を巻きこんだ、政治的・軍事的な対中包囲網づくりに端的に表れている。最近では、アフリカや太平洋の島嶼国まで巻きこんでいる。日本は対中包囲網づくりに巻きこまれている、というレベルはなく、いまでは米国と共に、その中心的な役割を担っているかのような行動を繰り広げている。
日米による共同軍事訓練も頻繁に実施しているし、最近は、韓国や豪州やフィリピン、それに英・仏・伊・豪州まで巻きこんだ共同訓練を実施している。それらの国とは準同盟関係として位置づけられる、円滑化協定も締結している。米国とは、統合司令部づくりやその連携など、共同作戦を担う組織再編も進んでいる。
まさに米中覇権争いのエスカレーションが進行中なのだ。極めて危険な兆候だというほかはない。
◆統一教会、原発、裏金……
22年の安倍首相の銃撃事件をきっかけに、安倍派を中心に、旧統一教会との癒着が露わになった。自民党議員の選挙運動を支えるなど、政権との密接な関係を誇示することで、統一教会の霊感商法や、高額で執拗な寄付集め行為にお墨付きを与えたとして、その深刻な被害の拡がりなど、広く世論からの批判に晒された。
何人かは、自民党の役職から外されたりしたが、盛山文科相を始め、前言撤回を繰り返しながらも、最後まで開き直る態度を容認してきたのが岸田首相だった。
23年に閣議決定したエネルギー政策(=GX《グリーントランスフォーメーション》)では、脱炭素を掲げて原発の最大限活用への転換を推し進めた。そのなかで、原発の運用年数を、原則40年から60年への20延長も推し進めた。加えて、原発の新増設にかかる費用を、なんと電気料金に上乗せして徴収するというもくろみも進行中だ。
岸田政権の最終盤は、自民党派閥を舞台にした裏金づくりが露わになったことだ。
岸田首相は、安倍派など一部の議員を党の役職から解任するなどの処分をおこなった。が、裏金づくりの実態解明には未だに背を向け続け、派閥の事務局員や会計責任者をスケープゴートにし、政治家の責任逃れの態度に終始した。
また裏金づくりの再発防止と称して政治資金規正法の改定を行ったが、それは自民党の金権体質にメスを入れるものにはほど遠いものだった。企業献金には手を付けず、政治資金をブラックボックス化する資金移動もほぼ手つかず、党から議員に支給される政策活動費の領収書の開示を10年後とするなど、全くのザル法という他はない代物だ。
岸田政権は、そうした政治と金の腐れ縁を解消する姿勢も見せないまま、退陣へとなったわけだ。
◆世論が追い込んだ岸田退陣
岸田首相の退陣を決定的なものにしたのは、岸田内閣の支持率が20%台前半に低迷し続け、そこから抜け出せなかったからだ。しかも、通常、内閣支持率が低迷しても、自民党への支持率はそれほど下がらなかったものが、今回は、自民党支持率も20%を切るなど、選挙での与野党逆転となってもおかしくないぐらい支持率が低迷している。裏金づくりが党全体にはびこっていたことの反映でもある。4月の衆院補選で、自民党は3選挙区で全敗し、7月の都議補選でも2勝6敗だった。
そうした状況下で、次期総選挙で議席を維持したい自民党議員による、自身の生き残りをかけた〝表紙替え〟、すなわち、総裁・首相のすげ替えの思惑も拡がらざるを得ない。結局、岸田首相は退陣を余儀なくされた。世論と有権者の選択と行動が自民党内に侵食し、岸田首相を退陣に追い込んだのだ。
◆表紙替えの自民新政権を追い詰めよう!
そんな岸田首相。23年3月11日、訪問先の福島県相馬市の子供から「なぜ総理大臣になったのか」と問われ、返した言葉が岸田首相の資質をよく反映したものだった。「総理大臣は一応、日本の社会の中で一番権限の大きい人なので、総理大臣をめざした」。首相になってなにをやりたいのかではなく、ただ首相の地位と権限の大きさに魅力を感じた、ということだそうだ。なので、なにを決断するかはどうでも良く、ただ首相にしかできない決断を下すことに満足感があった、ということになる。そうした政治姿勢が、目先に浮上した大きな政策課題に関して、軽い気持ちで決断することに繋がったのだろう。
その最たるものは、安保三文書の改訂で〝専守防衛〟の建前をあっさり転換した先制攻撃をも可能にする《敵基地攻撃能力の保有》だ。それは同時に、対中包囲網づくりへの積極的な加担、冷戦指向の覇権抗争への主体的加担でもあった。
当の岸田首相は「俺は安倍さんもやれなかったことをやった」と高揚感を語ったとされる。が、当の本人は、それが近い将来どんな〝破局〟を招くのかなどは、何の頓着もないのかも知れない。ただ大きな権限に憧れて、首相まで上り詰めた岸田首相。本人は満足だったかもしれないが、そのレールの上を進むことを余儀なくされた日本の将来は、《危険がいっぱい》の茨の道となる。
そんな岸田流の政治をのさばらせてきたのは、自民党長期政権を追い詰め、倒す側の私たち対抗勢力の低迷の結果でもある。9月末にも決まる〝表紙替え〟した自民党の新政権を追い詰める闘いを拡げていきたい。(廣)
先制攻撃、全面戦争、代理戦争――〝敵基地反撃〟の正体――
岸田政権が強行した〝敵基地反撃〟という名の戦闘行為とは、どんなものになるのだろうか。
改訂された安保三文書や関連する政府の答弁などを見ると、そこでは〝敵基地反撃〟という言葉から受け取れるイメージとはおよそかけ離れた実相が見えてくる。端的に言えば、それは〝先制攻撃〟〝全面戦争〟〝代理戦争〟へと直結する可能性が高いものだと知れる。
たとえば、敵基地への〝反撃〟の起点としての、敵国による日本への〝攻撃の着手点〟をどのタイミングで認定するのか、という問題がある。
◇ ◇ ◇
浜田靖一防衛相(当時)は22年12月20日、「我が国に対する武力攻撃が発生した」時点とは「武力攻撃に着手した時点」と同じだと明言している。
敵国による日本への〝武力行使の着手点〟とは、具体的には、敵国のミサイルが日本に向けて発射された時点、あるいは敵国のミサイル発射台が大規模に展開された時点、さらには、敵国の政権が日本への攻撃を決断した時点等々、いくつもの〝着手点〟が解釈可能だ。究極的には、敵国のトップ・リーダーの頭の中で日本への攻撃を決断した時点なども〝着手点〟になりかねない。その時点の判断如何で、敵国が日本への攻撃を行っていない時点での、日本からの敵国へのミサイル攻撃が始まる可能性も出てくる。日本政府は、それがどのタイミングだとの言及は意図的に避けている。
◇ ◇ ◇
敵基地攻撃能力の保持は、他方で全面戦争を招くものでもある。それは攻撃対象が、単に敵基地(ミサイル発射地点)だけでなく、敵国の指揮・統制機能も対象に含めているからだ。具体的には、敵国の政治・軍事中枢、例えば中国共産党本部や国家主席の執務室なども対象になり得る。一旦〝反撃〟が始まれば、対象は一気に敵国全体に拡大する。要するに、敵基地攻撃能力とは、先制攻撃も含めて全面戦争化もあり得るものなのだ。
◇ ◇ ◇
さらに〝台湾有事〟などのケースでは、米国の対中代理戦争を日本が担うことになる。詳細は省くが集団的自衛権に関わる「存立危機事態」を認定すれば、米軍に対する攻撃でも日本による敵地攻撃は可能だ、とされているからだ(答弁書の閣議決定・22年5月)。米中が軍事衝突する事態になれば、戦場は米国ではなく、南西諸島や九州地方が対中国の最前線となる…………。(廣)
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日本円の実質価値が1971年の『金とドルの交換停止』以来の最低 どうして?
「日本円の実質価値が1971年の『金とドルの交換停止』以来の最低水準」(ハンギョレ新聞)と報道されました。
「実質実効為替レート」とは、ある国の通貨が世界でどれだけ価値があるかを、実際の購買力を考慮した上で示すものです。その指標が「対ドル」ではなく国際的に低下したということを示しています。その背景には、いくつかの重要な経済的要因があります。これを理解するためには、まず1971年の「金とドルの交換停止」について説明する必要があります。
■1971年の「金とドルの交換停止」とは
1971年、アメリカのリチャード・ニクソン大統領は、アメリカドルと金の交換を停止することを発表しました。これを「ニクソンショック」と呼びます。それまでの国際的な通貨制度は「ブレトン・ウッズ体制」と呼ばれ、ドルは金と固定されたレートで交換されていました。しかし、これが停止され、ドルは変動相場制へと移行しました。この変更は、各国の通貨が市場の需要と供給によって貨幣価値を決定する新しい時代の始まりを意味しました。ちなみに当時のドル円は1ドル=365円でした。それから半世紀がたちました。
■国内に還流しない「円」
表題の様に実質実効為替レートが歴史的低水準だということは《国際的に(日本企業・個人も含めて)円に対する需要が低下している》ということです。
これは一見不思議にみえます。というのは日本の経常収支は黒字が続いていますし、去年は過去最高とされました。これを支えているのは今では貿易収支ではなく、第一次所得収支の巨額な黒字なのです。この第一次所得収支とは日本企業の海外投資による「儲け」(=ドル・元などの外貨)なのです。本来なら日本の「黒字」はそれが国内に還流すれば、外貨が円に転換されるので当然円高要因です。ではなぜ円安が昂進するのでしょうか?
ところが海外の日本企業の儲けが実は国内に還流しないと言うことが指摘されています。つまり巨額の第一次所得収が、実は日本国内に還流しない(つまり、外貨から円に転換されない)と言う現実があります。ようは、日本国内の経済的魅力が乏しく、愛国心などのかけらもない日本企業が、国外でのもうけを、外貨のまま国外に再投資しているというのが現実です。これが長期円安のベースとなっていると考えられます。
■円安政策は労働力の安売りだ!
このようにして国際的に低下した円では、国際的な購買力が低下します。ゆえに円で海外から物を買う場合には高値となり「輸入インフレ」となり、庶民の生活に打撃を与えます。
あらためて述べますが、実質実効レート=通貨の実質価値は、単に「円ドル」の単一の為替レートではなく、最大40カ国程度が加重計算の対象通貨として購買力を考慮した価値を指します。つまり、日本が貿易している主要40カ国に対して、円の貨幣価値が下落していることを意味します。
現在の日本円の実質価値が長期にわたり低下している理由とは、すでに述べた日本の国内経済実力の相対的な低下があり、この問題が少しも改善されていないことを示しています。
円の実力の低下は、日本人の海外旅行を制限し、逆に、海外の外国旅行者が日本の「安さ」目当てにたくさんやってきます。企業でも、輸出の専門の会社は円建てでは業績を伸ばし営業利益を増大させることができます。しかしながら、これは、価値論的に言えば、日本の富の流出であり、突き詰めれば「日本の労働力の安売り」にほかなりません。
■インフレを超える賃金を、国際的水準の賃上げを!
ここまで悪化した「円安」を準備したのは日本政府や日本銀行の金融政策が関係します。例えば、アベノミクスなど低金利政策や量的緩和政策は、通貨の供給を増やし、貨幣価値を長期にわたって下げる作用をします。円安は日本政府の長期政策に支えられた歴史的な原因なので、日銀の政策転換などで解決できるものではないのです。金利を上げても長期トレンドを改善しうるものではありません。
上記したように円の価値が低下すると、輸入品の価格が上がり、生活費が増加します。だから、労働者や低所得者は正当な、インフレを超える、あるいは国際的レベルの賃上げを要求するべきです。
この問題は、日本の特殊的問題で、それ以外の国では関係が無いとは言えないのです。リーマンショック(世界信用危機)以降の、各国政府は大なり小なり財政拡大・信用膨張政策を大胆に開始し、それは慢性的となりました。さらに「コロナ対策」と言う名のもとに加速させられたインフレは、為替問題を超えて、世界の労働者市民からの追加収奪を執行しています。国際的に労働分配率は低下し、貧富の差は拡大し続けています。より根本的な闘いが必要です。(阿部文明)
ウクライナ軍のロシア「領内」侵攻と、この戦争の本質 民衆の闘いの道は
被侵略国のウクライナによるロシア領土(クルスク)への「侵攻」に、親ウクライナ派の平和主義者は仰天しまた苦悩したことでしょう。他方、日本を含めた西側マスコミは、その正当性(防衛的作戦)を自明なものとして報道していますが、これは悪質だと言わねばなりません。ロシアの住民を射殺し、民家を焼き払い多数の難民を生み出す作戦が犯罪であること言うまでもありません。
さらに、この対ロシア侵攻は、ウクライナ政府の「思惑」としては、陽動作戦の一部であり、来るべき和平交渉に有利な条件づくりだとされます。また、ゼレンスキーの口からは「緩衝地帯作り」であると軍事侵攻の正当化がなされています。ウクライナ高官は「ウクライナはロシア領土の占領に興味などない」と(ミハイロ・ポドリャク大統領顧問)は16日に述べました。本当でしょうか?
■土地とは誰のものなのか?
ウクライナがロシアの一部である南部ロシアのクルスク州の土地を切り取ることを、「無垢な」ウクライナ政府は関心が無いというのでしょうか?ウクライナの支配層を「気の毒な被害者」「無欲な政府」と信じることは出来ますか?ウクライナが、西側の軍事支援の下で、ロシアの弱点を突き、領土と人民を包摂・支配する気など一切ないとは言えますか?ゼレンスキーは「そもそもクルスクはウクライナ領土だ」と、プーチン顔負けの主張を展開しています。
さらに、占領地クルスクにある「スヂャ」ガスメータリングステーションを制圧しました。この施設は、ロシアからヨーロッパへの天然ガス輸送において極めて重要な役割を果たしており、占領したウクライナ軍はウクライナに欧州経由で天然ガスをふんだんに流し込むことができるようになりました(あくまで可能性です)。
しかし、確認されるべきことは、「領地・領土・資源」とは、その地で土地を耕し交易し、その地で生きる人々に帰属するものです。これは理想論ではなく、人類史に示された歴史的な事実であり、それはモスクワ権力やキーウ政権の物ではありませんし、そもそも彼らが争奪すべきものではありません。
■ロシア侵攻は戦争の長期化を招きかねない
ゼレンスキーの思惑(和平実現の取引材料にする)は矛盾しています。というのはロシア領内侵攻それ自体が戦争の拡大であるばかりではなく、戦争の長期継続につながる可能性を高め、終戦を遠ざけるものでしょう。さらに「緩衝地帯の形成」とは新たな戦略の拡大です。「和平のための侵攻」などはあり得ません。むしろ真実は逆です。ゼレンスキーが世界を駆け巡って(ほとんどが欧米諸国ですが)「平和」を訴えてきたが、それは七月のスイス「平和サミット」が欺瞞に満ちていたように、軍事的・官僚的ゼレンスキー体制は、国内において一層抑圧的であり、今や巨額の欧米からの支援と軍事利権で体内から腐り果てています。その彼らが、欧米からの巨額支援を当てにして(ロシアの野蛮と闘っている、との名分で)戦争を継続する意図は徐々に明確になりつつあります。もちろん、軍事官僚的な戦争指導に対しては、国民からの怒りや不満は、戦果の見通しが無いなかで日々高まっています。
■欧米諸国の投資も無駄になる可能性
欧米諸国政府・資本も、今更ながら、ウクライナ支援から手を引くのは簡単ではありません。ウクライナの債務が1000億ドルを超え、最近のデータによると、ウクライナの外債は約1220億ドルに達しています。ウクライナの債務は二国間および多国間のローンの混合であり、IMF、G7、EU、米国その他の国際金融機関や民間金融機関からもあります。
このような巨額の債務は、結局はウクライナ人民が背負います。他方欧米政府からすれば、この債権は、ウクライナ政府の軍事的敗北に結果した場合、極端なケースでは紙くずとなってしまいます。だから、欧米政府もひくに引けないでしょう。つまり、ゼレンスキーの支援継続要請を簡単には拒否できないのです。劣性にあるとされるウクライナ軍ですが、その流れを確信したゼレンスキー政権が、「新領土」を植民地化するにしても、あるいは今後ロシアとの取引材料に使うにしても、今、強硬にロシア領土の獲得に乗り出したことは不思議ではありません。
■戦争とは何か、誰のための戦争か
当「ワーカーズ」で何度も指摘してきたように、この戦争が「ウクライナ国対ロシア国」だという、マスコミなどに溢れている見方は、うわべだけのことです。実態は、どの階級が、どの支配的集団が、ウクライナ人民(あるいはロシア人民を)を支配し搾取するかと言う問題としてウクライナ戦争は開始され闘われてきました。
ロシアのシロビキ集団(軍、諜報機関、警察、法執行機関などの出身者で、権力を所持する者たち)や、ロシアの財閥資本により戦争は計画され遂行されてきました。他方、ウクライナのゼレンスキー、与党「人民の下僕」ら、新自由主義ブルジョア階級や、既存の財閥と官僚群により現在の対ロシア戦争は推進されてきました。無慈悲なことに、実際に戦わされ傷つき倒れるのは双方の国民です。
ウクライナの少なくない民衆が戦闘や作戦に参加しています。しかし、残念ながら、現在のウクライナ軍は人民軍的な性質を全く持っていません。ゆえに、軍は対ロシア戦争を通じてロシアの支配層を駆逐しウクライナ支配の確立を目指すのみです。しかしながら、ウクライナの支配層や軍隊は私腹を肥やし腐り果てており、戦死者に対する補償は雀の涙で、兵士の間では、彼らへの怒りが高まっているとの報があります。怒れる兵士達は少なくとも、訓練を受け武器を持ち戦っています。希望があるとすれば、まさにこの点です。
■終わりに
今回の、ウクライナ軍のロシア領土内への侵攻は、プーチンにとっては、政治的打撃であり、ロシア国内の新たな反戦、反プーチン運動を励まし活性化しうると言う点でのみ意義があるでしょう。今や、ウクライナとその近傍の和平や平和は、プーチンに期待できないのは勿論のこと、「欧米・ウクライナ政府ブロック」ともいうべき新戦争勢力に期待することは出来ません。プーチン体制の打倒が、ロシア民衆の未来にわたる大きな利益になるように、ゼレンスキー政権打倒こそが、ウクライナ人民の喫緊の課題として急浮上しているのです。ウクライナにおいて民衆が、軍事的主導権を獲得し人民の意志を体現して、真の平和に向かう可能性を――それは困難であっても――決し諦めることは出来ません。。(了)
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色鉛筆・・・巌さんに完全無罪判決を!もう冤罪被害を無くせ
事件から57年後の昨年10月、ようやく始められた再審公判は今年5月に結審し、9月26日に判決が出される。この法廷で一番無実を訴えたかった巌さんは、今はそれがかなわず、5月の結審では代わりに姉のひで子さんが巌の想いを法廷で訴えたいと、かつての手紙を引用し意見陳述をした。
「ひとたび狙われて、投獄されれば、肉体深く食い込む虐待、あの虚偽虚構の覆われた部屋、あの果てしなく底知れぬ目眩(めまい)、最早正義はない、立ち上がって目眩む。火花、壁に飛び散る赤い血、昔の悲鳴のように、びくりとし、立ち上がっても投獄されれば最早帰れない。十三夜のお月さんが、南東に上がった七時の獄である。
息子よ、おまえはまだ小さい、分かってくれるか、チャンの気持ちを、勿論分かりはしないだろう、分からないと知りつつ、声の限りに叫びたい衝動に駆られてならない。そして胸いっぱいになった真の怒りをぶちまけたい。チャンが、悪い警察官に狙われて、逮捕された昭和41年8月18日、その時刻は夜明けであった。お前は、お婆さんに見守られて眠っていたはずだ。
今朝方、母さんの夢を見ました。元気でした。夢のように元気でおられたら嬉しいですが、お母さん、遠からず真実を立証して帰りますからね」と手紙を読み上げた後、ひで子さんは「弟巌を人間らしく過ごさせて下さいますよう、お願い申し上げます。」と訴えた。
一家4人殺害放火事件は、58年前の1966年6月30日に発生、巌さんは8月18日に逮捕された。事件直後の7月5日の毎日・読売新聞には警察の情報そのままに、「従業員Hを取り調べ」「重要参考人・住み込み従業員、血染めの作業衣など押収」等報じられるも、その後有力な手がかりは無く捜査は難航。早期の凶悪犯人の逮捕を待ち望む周囲の声も多くなる中、警察は逮捕に踏み切った。確証は無く、巌さんが元ボクサーで、よそ者であるという偏見と差別も働いた。警察の「必ず自白させる」という強い方針のもと、拷問・虐待を用いて20日目、9月6日にその目的を達成した。
巌さんは裁判では一貫して無実を主張、以後膨大な量の手紙や意見書を書き潔白を訴え続けた。司法が公正であることを望んでいた。しかし1980年死刑が確定・・・。その絶望と恐怖は、誰も想像することが出来ない。やがて精神をむしばみ、釈放され10年がたった今もほとんど元に戻っていない。
47年7ヶ月間の投獄は、30歳からの人生、子どもの成長を見守る喜び、兄姉・両親との穏やかな日々、彼らとの永別の機会、友との語らい、仕事、趣味など、あらゆる人間らしい生活を奪い、処刑の恐怖と向き合うことを強いて、魂を破壊してしまった。
この事件は、差別と偏見にもとづいて逮捕、そして拷問・虐待をして自白させ、あげくに捜査機関、検察は証拠の捏造、証拠隠し、嘘の証言等ありとあらゆる不正を総動員して無実の人間を死刑囚に仕立て上げた、許しがたい犯罪行為が行われた。それにもかかわらず、今に至るも検察はまだ誤りを認めず、死刑を求刑している。
巌さんたち冤罪被害者に対して犯した過ちは、なぜ繰り返されてきたのか、繰り返えさないために今後司法はどう改めるべきか、今こそそれを追求すべき時だ。巌さんに無罪判決が出されれば、死刑囚の再審(裁判のやり直し)無罪判決は、戦後5例目となる。
1977年(昭和52年)、巌さんは上告趣意書に「首尾一貫した国民の監視がなければ司法の正義は滅びていく」と繰り返し訴えている。この真実の訴えに私たちは答えてゆきたい。(澄)
読書室 『アメリカ 異形の制度空間』西谷修著 講談社新書メチエ 二〇一六年刊 本体価格 千七百円
〇現代の国際政治、国際社会を考える上でアメリカ合州国(USA=アメリカ連合諸国)の存在を抜きにして語ることはできない。アメリカとは一体どんな国なのか。それはヨーロッパから移住した「移民」の国か、はたまた「自由」の国か。
では視点を変えて見れば、先住民を「征服」した国家、あるいは先住民から「強奪」した国家なのか。このように西谷氏は、そもそもアメリカ合州国とはどういう国なのか、との根本的な問いを私たちに投げかける。西谷氏自身は、その本質を「アメリカ 異形の制度空間」とするのである〇
大地と先住民
現在アメリカに住む人々は、先住民の子孫を除けばすべてこの数百年の間にヨーロッパやアフリカ、アジアの各地から植民者や移民として、またはアフリカ大陸からの奴隷として、強制的に移住させられた人々によって構成されている。
最近は中南米や南米からの多数の「難民」が押し寄せていることも周知の事実だろう。しかしこの「アメリカ」という名称そのものが、移民してきた初期のヨーロッパ人の恣意的な「名付け」に基づいている。
大航海時代に確かにこの大陸は「発見」されたのだが、その当時この大陸がどのような名前で呼ばれていたかは、今では先住民を含めても誰一人として知らないのである。
その意味では「ネイティブ・アメリカン」の呼称は、自他を欺くものでしかない。
そもそもこの大陸には、すでにヨーロッパと異なる文化を持った六百余の部族を数える先住民の社会があった。彼らには母なる大地との観念はあったものの、土地を所有しているとの観念はなかった。
彼らにとって大地は人間のみならず、生きとし生けるものの存在を生み出し支える世界そのものであり、人間はその恵みの中で生き死にする存在であった。勿論、各々の部族にテリトリーがあり、時に争いもあった。それは部族が生存の場を占有するための闘いである。自分の部族が大地を所有するなどの観念はなかったのである。
だから一六世紀以降、イギリス人がこの大地へ入植し始めると、先住民と彼らとの諍いは少なく、越冬の仕方やトウモロコシの育て方を彼らに教えたとの話が伝承されている。
植民者の実態と先住民の虐殺と虐殺
初期の植民者たちであるピューリタンたちは、英国国教会を追われたカルバン派であった。彼らは、神の命令を実現するとの傲慢なイデオロギーを持ち、自分たちと違う人種や異なる文化や言語を持つ人々を絶滅させることを躊躇しない連中だ。
先住民には何の相談もなく、彼らの住む大地は無主の土地とみなされた。このように新大陸は、入植者が自由に自らの未来を切り開く事ができる「神が与えたもう、無主の新天地」とされたのである。
彼らは、出エジプトのユダヤ人がパレスチナで虐殺をしたように、神の僕として「偶像崇拝や悪習に溺れた者たちを目覚めさせる」ため、先住民を騙し酷使し殺戮を正当化した。
抵抗する先住民たちは、移民たちとの様々な戦役で敗北を繰り返し、ついには蔑称のインディアンを自ら受け入れ、そして政府が居住地と指定する「居留地」へ追いやられた。
二〇〇〇年の国勢調査によると、先住民の人口は全人口の約〇・九%、約二四八万人で、三百余ある居留地は、アメリカ全土の三%である。何と凄まじい虐殺と略奪ではないか。
それでも南米のように彼らが奴隷とならなかったのは、歴史的な論戦があったからだ。
それは、一五五〇年に『インディアスの破壊に関する簡潔な報告』で歴史に名を遺す、ラス・カサスと当時最大のアリストテレス学者でキリスト教徒の権利を擁護するセプールベダとの間で行われた、スペインによるインディアス統治の正当性、とりわけ現地人を奴隷として扱ってよいか否かを巡る論争である。
論争の結果は、現地人の奴隷化を不可にはしたが、ラス・カサスが当座の労働力不足を認めて黒人奴隷の導入を承認したのである。
確かに先住民は奴隷こそならなかったが、白人、黄人、黒人、赤人の序列は残った。
アメリカ社会の支配意識の根底
現代に引き続くアメリカ社会の支配意識の根底には、このアメリカ植民史がしっかりと刻み込まれている。
一九世紀にアメリカ社会を観察した同時代人のフランス人のトクヴィルは、『アメリカのデモクラシー』の中で、「国民はいつまでもその起源を意識する。国民の誕生を見守り、成長に資した環境はその後の歩みのすべてに影響する」と書いた。
特にこのことは新しく国家建設を行ってきたアメリカ社会には顕著だ。一九世紀から二十世紀は、ヨーロッパの強国がアジア・アフリカを植民地化し、宗主国が植民地総督を配置し、被支配民族を搾取・抑圧してきた歴史があった。
まさに帝国主義の時代と呼ぶにふさわしい。そこでは先住民が宗主国の軍隊と官僚により暴力的に政治支配されていた。
だがアメリカ植民地では、無主の土地に対する先取権だとして先住民から土地を奪っていくことが主目的であったため、土地の略奪に反抗した先住民は、植民者たちによって大量虐殺されて、ついには居留地という制限された区域に閉じ込められていったのである。
ヨーロッパの植民者は、自分たちの思想でしかない「自由」と「私的所有権」を持ち出し、これまで先住民が共同利用してきた土地を勝手に区画し直していった。
植民者が柵を作り所有権を主張したとしても、その自分勝手な「私的所有権」を認めない先住民が存在し、それに反対の意思を示すのは当然であった。
ところがアメリカの植民者たちは、自分たちが決めたルールを持ち出し、相手の反抗を意図的に誘い出し、彼らを敵と認定し虐殺していったのだ。つまりアメリカ合州国の拡大の歴史は虐殺の歴史でもあるのである。
アメリカの帝国主義の本質
二十世紀のアメリカも基本的には同じ。自分たちの作った一方的なルールを振りかざし、反発する相手を許さず敵とし皆殺しにする。それが第一次大戦、第二次大戦、朝鮮戦争、ベトナム、イラク、アフガニスタンでしてきたことである。
一七世紀以来のアメリカの先住民虐殺の歴史がアメリカの正史であると国家から担保されている限り、その全く独りよがりで独善的な思想が、驚くべきことに一切の疑義も挟まれず現代まで引き継がれている。
現在、アメリカはイスラエルのガザ攻撃とジェノサイドを擁護する。まるで出エジプトを経てパレスチナへ侵攻したモーゼを美化する旧約聖書の世界観である。だが縷々述べたように、それは旧約聖書時代の話ではなく、アメリカにとってはまさに近代史なのである。
先住民を無慈悲に虐殺してこそ、真の「自由」と「私的所有権」が打ち立てられる。これがアメリカ帝国主義の本質であり、血に塗れた彼らの生まれながらの信念なのである。
この点においてアメリカとイスラエルとは、まさに似た者同士の腐れ縁だといえる。
確かに二一世紀の現代世界では、「自由」と「私的所有権」は、心地よい言葉ではある。私たちの意識の中でも普遍化し、当然のようにしっかりと刻み込まれているといえよう。
だがこの思想は、もしかしたらアメリカ大陸への植民者たちによって歴史的には、偶々成立した「異形の制度空間」の思想でしかないのではないか。そしてアメリカ合州国が世界の覇権国となったことで、その世界的な拡張が認められているだけなのかもしれない。
私たちがよくよく考えねばならないことは、現代資本主義が行き詰まりを見せ、資本主義以後の新たな世界が模索されている、この現代のことである。そして今こそ追求されるべきなのは、この不幸を生み出した私的所有権を越えた次の新たな社会のことである。
私たちの今後の追求の方向を見定めるためにも、本書の一読を薦めたい。(直木)
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旧優生保護法の背景を考え、二度と同じことがないように
二〇二十四年七月三日、旧優生保護法(一九四八?一九九六)のもとで障害などを理由に不妊手術を強制された人たちが国を訴えた裁判の判決で、最高裁判所大法廷は、旧優生保護法は憲法違反だとする初めての判断を示しました。
そのうえで「国は長期間にわたり障害がある人などを差別し、重大な犠牲を求める施策を実施してきた。責任は極めて重大だ」と指摘し、国に賠償を命じる判決が確定しました。
今まで闘ってきた気持ちが少し救われたかもしれませんが、体は元に戻ることがありません。なぜ、こんな悲しいことが起こってしまったのだろうと強く思いました。全国で被害者が二番目に多い宮城県について調べてみました。
○背景
第二次世界大戦敗戦直後、朝ドラ「虎に翼」でも放送されていましたが、弱い立場の戦災孤児が町中にあふれて、要保護児童として施設に収容されていきました。応急処置的な場所で脱走する子どもが多かったようです。そのような中、一九四八年四月児童福祉法が制定されました。規定に要保護対象児童として、保護の手が加えられなかった精神薄弱児に対して、「精神薄弱児施設は、精神薄弱の児童を入所させて、これを保護するとともに、独立自活に必要な知識技能を与えることを目的とする施設とする」と規定されました。
○亀亭園開設
東北における最初の精神薄弱施設 亀亭園が一九五〇年に開設されました。建物は宮城県独身寮を改造したもので、水は沢の湧水を汲み上げる簡易なもので、食料確保がままならず、児童も一緒に畑を作り、野菜を育て、やぎや鶏を飼育し卵などを収穫していたが、全ての児童がお腹いっぱいに食べられませんでした。世間も食糧難、住宅難、生活必需品不足の状態でした。また、障害があるというよりは、戦後の家庭状況で基本的な生活習慣が身に付かなかったため、児童相談所での検査で精神薄弱として亀庭園に送られた子どもも多かったそうです。亀亭園は一九五六年十二月に全焼し児童三名が焼死するという痛ましいことが起こりました。
○愛の十万人(県民)運動
亀亭園の再建させるためには、国家予算と県民の募金でと協議されていました。県民による寄付を集めるために、宮城県精神薄弱協会が任意団体として組織されることになります。県民運動に繋げるために、知事、仙台市長、会社、学校関係労組、PTA連合会、校長会、衆議院議員他がつながり、オール宮城の体制で取り組まれました。設立趣意書には、目的として四つの趣旨が挙げられています。
一 県民の中に、精神薄弱児をしあわせにする考えを広める。
二 精神薄弱児のいろいろな設備を整備してやる。
三 特殊教育を盛り上げる。
四 優生保護の思想をひろめて県民の素質をたかめる。とあります。言い換えれば遺伝性精神薄弱を根絶して、宮城県民の将来の質を上げていきましょうということなのです。本人の同意なしに、強制的に不妊手術を受けさせられるのです。旧優生保護法の条文にも「不良な子孫の出生を阻止する」とあります。
趣旨二 施設設備再建のため、一口百円を十万人の県民から集めると目標資金につながることがスローガンとして掲げられ、達成しました。自己資金に加えて募金などを財源に、無償で土地を貸してくれる場所がある小松島に学園が建設されました。
趣旨三 特殊教育を盛り上げる。主に軽度児が入所し、そこから養護学校に入学するために、みんなで動きました。近隣の小学校、中学校の分教室ができ、のちに養護学校が敷地内に建設され、そこに通学します。亀亭園も再建され重度自動が教育免除で入所します。
趣旨一から三の施設設備や教育の保障などが整い始めると、趣旨四 県民の資質を高めるために強制不妊手術が次々とすすめられていきました。
宮城県の強制不妊手術が多いのは、オール宮城で取り組んだ結果だと思います。
○裁判闘争をされたうちのお一人Aさんのこと
中学卒業後、知的障害者に職業訓練を行う「職親」の家に預けられ、住み込みで家事を手伝っていました。十六歳のときに職親の妻に連れられ、何も知らされず不妊手術を受けさせられました。術後、療養していた実家で両親の会話を聞き初めて子どもが産めない体になったとわかり、あとから、旧優生保護法に基づくものだと知ったそうです。また、あとから具体的ないろいろな検査をして知的障害には、当てはまらなかったそうです。当時、どんな検査をして精神薄弱と認定されたのでしょうか?当時の対応を考えると、悔しい思いでいっぱいです。裁判闘争、本当にお疲れ様でした。
○最後に
不妊矯正手術の裁判 勝訴の後、岸田総理は謝罪しました。宮城県では知事を含め、関わった団体の一部が謝罪しました。
しかし、重度の女性の子どもの生理介助が大変で、男性の子どもが性犯罪を間違えて起こしてしまうかもしれないから強制不妊手術を受けたら良いのかと悩む気持ちがいまだに深く根付いている保護者もいます。そのような悩みに寄り添いながら、子どもの人権を守っていきたいと思います。
旧優生保護法を反対し続けその法律を無くした意味や強制不妊手術裁判闘争を起こしてきた意味をしっかりと引き継ぎ、社会全体でしっかりと支え合うアソシェーション社会を目指してみんなで手を取り合っていきたいと想います。(宮城 弥生)
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兵庫県斎藤元彦知事はパワハラ疑惑などの責任をとって辞職せよ!
兵庫県斎藤知事のパワハラ疑惑について、簡単に振り返ってみます。まず斎藤氏知事は、東大卒の元総務官僚で大阪府への出向を経て
2021年に兵庫県知事選に立候補しました。自民の一部と維新の推薦を受けて初当選しました。
パワハラや物品の授受を巡る兵庫県斎藤知事の疑惑を告発した県幹部の職員が兵庫県議会の百条委員会への証人出席を前に亡くなりました。改正公益通報者保護法は通報者捜しや不利益な扱いを禁じています。しかし兵庫県は公益通報とは別に調査を行い、この職員を懲戒処分としていました。とんでもないことです。 公益通報者は、どんなことがあっても守られなければなりません。
元兵庫県西播磨県民局長(60)が斎藤知事のパワハラなどを指摘した内部告発、退職前の3月中旬、疑惑7項目を挙げた文書を県議や報道機関に配布しました。元局長の告発文書によれば、「おねだり体質は県庁内でも有名」として物品を業者から譲り受けたことや、出張先の施設のエントランスから20メートルほど手前で車を降ろされた知事が歩かされ、職員を怒鳴り散らす出来事があったとしています。
兵庫県は3月27日に元局長の退職を取り消す人事を発表し、斎藤知事は定例会見で「事実無根が多々ある」「うそ八百」「公務員失格」と言いました。告発にあったコーヒーメーカーの授受を幹部の1人が4月に認めたものの、兵庫県は5月にこの文書を誹謗(ひぼう)中傷と認定し、元局長を停職3カ月の懲戒処分にしました。
しかし、調査の中立性が疑われ6月に兵庫県議会が百条委員会を設置。元局長は7月19日に証人として出席予定でしたが、7日に死亡しているのが見つかりました。自殺とみられます。
これらに対し斎藤知事は、「3年前に多くの負託を受けた」「県政を前に進めることが、私の責任の取り方」。1時間40分に及んだ7月16日の斎藤元彦兵庫県知事の定例記者会見では、進退を問われるたび、硬い表情で繰り返し辞職を否定しました。
周囲からは辞職を求める声が強まる一方です。7月12日に片山安孝副知事は引責辞任を表明し、斎藤知事にも複数回辞任を求めたが応じなかったと説明しました。14日には前回知事選で斎藤氏を推薦した自民党兵庫県連会長の末松信介参院議員が「大きな正しい決断をしてほしい」と事実上、辞職を要求しました。
関係者によると、元局長の死後、百条委員会で読み上げる予定だった陳述書や、斎藤氏が公務中に県特産品のワインをねだるようなやりとりが記録された音声データが残されていたことも判明しています。「死をもって抗議する」という趣旨のメッセージも残しており、遺族が提出しました。百条委員会は7月16日の理事会で、19日の会合で調査資料とする方針を決めました。 「ひょうひょうとして、議会以外でもあいさつする腰が低い印象の知事だったので、告発内容は驚いた」と語るのは疑惑の解明に努める無所属の丸尾牧兵庫県議です。丸尾県議は、4~6月に庁舎前などで県職員向けのアンケート約400枚を配り、27人の回答がありました。丸尾県議は、「擦り合わせると、おねだり体質やパワハラの告発には十分に事実が含まれていた。知事が具体的な説明を果たさず、職に固執する理由が理解できない」と言います。
兵庫県職員労働組合の土取節夫中央執行委員長は「職員たちから『県政が滞っている』と聞く。一刻も早く刷新されてほしい」とした上で、「辞めたとしても責任が果たされるわけではない。人が亡くなっている。真実を明らかにしなければいけない」とくぎを刺しました。
兵庫県の元局長のような内部告発者を守るため、通報後の処分を禁止した「公益通報者保護法」があります。2022年施行の改正法で、受付窓口の整備が義務付けられたほか、調査担当者に守秘義務が課されました。解雇や降格、犯人捜しといった通報者への不利益な扱いも禁じられましたが、こうした報復に罰則は設けられませんでした。
元局長は告発文を配布し、4月に県の公益通報窓口にも同じ内容を通報しました。しかし、斎藤知事は「公益通報には当たらない」と会見で表明し、公益通報窓口とは別の内部の調査を経て、元局長の懲戒処分を決めたのです。
8月23日、兵庫県議会の百条委員会で初めての証人尋問が行われ、県の職員6人が出席しました。 百条委員会は、原則、公開することになっていますが、23日の尋問は証言する職員の心理的負担などを考慮し、非公開で行われました。委員会のあと、奥谷謙一委員長らが記者会見し、証人尋問の内容の一部を説明しました。 それによると出席者の1人は、告発文書を作成した元局長を公益通報の保護の対象としなかった対応をめぐり、「『公益通報の調査の結果が出るまでは処分をしないほうがいい』と進言したものの、その後、『問題がない』として処分が決まった」などと証言したということです。また、パワハラの疑いをめぐっては、出席者から「叱責や舌打ちがあった」とか「最高幹部が文具を投げられた」といった証言があったということです。
さらに、「元局長がパソコンを押収されたときの音声データがある」という証言もあり、百条委員会としてデータの提出を県に求めたということです。 8月30日の百条委員会では、斎藤知事の証人尋問があります。この新聞が読者の皆さんに届くころには、尋問は終わっています。彼は、何を語るのでしょうか?
いずれにしろ、これから真実が明らかになっていくにしたがって、斎藤知事は辞任せざるを得ないのではないでしょうか。
斎藤知事を応援している自民党は、斎藤知事を見限っています。維新だけが、斎藤知事を支持しています。
斎藤知事は、当然辞職するべきだし維新も追い落として行きましょう。(河野)
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静岡市清水でも「PFAS汚染」起こる!
★日本の水が危ない!
いまや日本各地で「PFAS(ピーファス)の汚染」が大問題になっている。
世界で飲用できる水道水を一般家庭へ供給出来ている国は、わずか11カ国しかないという。日本の水道水はトップクラスの安全性を誇ってきたが、今や危機に瀕している。
「PFAS」は、約1万種あるとされる「有機フッ素化合物」の総称だが、もともと自然界には存在せず、分解されにくいため「永遠の化学物質」とも呼ばれている。恐ろしいのは水などを介して人体に取り込まれると臓器などに蓄積されてしまう。
「PFAS」がもたらす健康リスクとして、発がん性や高コレステロールを伴う脂質異常性、乳児・胎児の発育低下などが指摘されている。
このPFAS研究の第一人者である京都大学大学院研究科の原田浩二准教授は次のような問題点を指摘している。
「フッ素樹脂などを製造過程で使用する工場の近辺、それに空港や航空基地のある地域で、高濃度のPFASが検出されている」「フッ素関連製品の製造を行う工場のある大阪府摂津市や静岡県清水市、半導体製造を行う工場のある大分県大分市やフラッシュメモリ製造を行う工場のある三重県四日市市。こうした地域では、製造過程で使われたPFASが、完全に処理されないまま排水や地面に流出したり、製品を乾燥させる過程で大気中に拡散している」と指摘。
さらに、「航空機事故でPFASを含んだ泡消化剤が用いられてきた。現在はPFASを含む消化剤は製造中止になっているが、今まで沖縄や横田等の米軍基地や日本の自衛隊基地でもPFAS汚染は起こっている」と指摘。
このように全国各地で工場や米軍基地や自衛隊基地等がPFASの排出源となり、土壌・地下水へと染み込み水道水が汚染され、人へと蓄積されていく。
★「清水PFAS問題を考える会」を結成し全国集会にも参加する!
汚染源である三保の化学工場「三井・ケマーズフロロプロダクツ」で働いていた元従業員の方が中心となり、危機を感じた清水市民も参加して「清水PFAS問題を考える会」を結成して地元で活動を開始した。
また浜松でも、航空自衛隊浜松基地近くの河川や井戸水から高濃度の汚染がわかり、6月に「浜松PFAS汚染を考える会」が結成され活動を開始している。
このような活動が始まった時に、全国各地の市民団体による「オンライン集会」が8月17日に開かれた。
地元の静岡や浜松、沖縄・熊本・広島・岡山・兵庫・大阪・京都・三重・岐阜・愛知の豊山町・神奈川の座間市と横須賀・東京の多摩・千葉の柏市・青森の三沢など17団体がそれぞれの活動の現状を報告したのでとても参考になった。
「清水PFA問題を考える会」からは三保の工場で働いていた元従業員が「健康被害や除染について、会社から口頭での説明は一度も開かれていない。住民をばかにするのもいいかげんにしてほしい」との怒りの報告。
「浜松PFAS汚染を考える会」からは、航空自衛隊浜松基地近くの河川や井戸水から高濃度で検出が続く現状を報告。
他の地域からの報告では「半導体工場からのPFAS排出が心配で、市民団体を立ち上げた。今後も地下水濃度を注視していく」「2年間野ざらしにされていた使用済み活性炭が汚染源。放置した業者は委託された企業からPFAS付着の説明を受けていなかったとみられる」等々の報告があった。
初めての「各地の市民団体によるオンライン集会」であったがとても有意義な意見交換会となった。(英)
なんでも紹介・・・教科書にみる「東学農民戦争」!
歴史改ざんによって創作された日本の歴史が学校で幅を利かしている。改ざんの意図はどこにあったのか、西尾幹二『国民の歴史』(1999年・新しい歴史教科書をつくる会編)を見れば明らかだ。何しろ、表題が「朝鮮はなぜ眠り続けたのか」となっているのだからその悪意は計り知れない。
「明治の日本はどんなにか心細かってであろう」「そのように不安なとき、頼りになるべき中国(清)が自国の領土保全もままならない官僚的老輩国で、朝鮮はその属国にすぎなかった」「中国と韓国は無力であったにもかかわらず、日本に理由なき優越感を示し、扱いにくい、面倒で、手に負えない存在であった」「日清戦争の原因は、清が日本の台頭を近代化の成果、文明への努力とは見ずに、自らの中華秩序を乱すものとだけとらえたことである」等々。
さらに、西尾らが嫌悪する歴史記述を3点あげている。①日本は欧米列強から身を守ろうとした弱い国ではなく、最初から欧米列強と一緒になってアジアを侵略した悪い強国として扱われていないだろうか。②当時の中国と朝鮮の官僚主義的退嬰ぶり、その欠点には一言の言及もないのではないか。③もともと優越感を抱いていたのは日本人の方だとされていないか。
そして今年3月、3社の歴史改竄教科書が来年度から中学校において使用される教科用検定を通過した。特筆すべきは竹田恒泰が代表の「令和書籍」、『国史教科書』が合格したことだ。〝国史〟という名前も尋常ではないが、「朝廷を重視した構成」だというのだからもはや神話のたぐいだ。
3社とも農民戦争を暴動と表記しているが、これは日本軍の正史にそう書かれているからである。しかも、『国史教科書』には「民間宗教を中心とした農民による暴動」としか書かれていない。なお、改竄派2社を含め他の出版社の記述は次の通り、読み比べていただきたい。なお、元号は引用から削除している。
『新しい日本の歴史』(育鵬社)
朝鮮半島と日清戦争 「1894年、朝鮮で政府や外国勢力に反対する大規模な農民の暴動が起きました」(甲午農民戦争・東学党の乱)
中学社会『新しい歴史教科書』(自由社)
朝鮮近代化の挫折と「脱亜論」 「福沢『西洋が東洋を支配そのありさまは火事が燃え広がるのと同じである。この火事から日本という家を守るには、日本の家だけを石造りにすればすむというものではない。近隣に粗末な木造家屋があれば、類焼はまぬがれないからである』」
「1894年、東学という民間宗教を信仰する団体を中心とした農民の暴動(甲午農民戦争)が起こりました。農民軍は外国人と腐敗した役人の追放をさけび、一時は朝鮮半島の一部を制圧するほどになりました」
『中学社会 歴史 未来をひらく』(教育出版)
朝鮮をめぐる戦い 日清戦争と三国干渉 「1894年、朝鮮の南部で、東学という宗教を信仰する農民たちが、腐敗した政治の改革を求めるとともに、外国の勢力を追い出そうとして立ち上がりました」(甲午農民戦争)
コラム・台湾の植民地化 台湾の烏山頭ダム建設に力を尽くした八田與一。
中学社会『歴史的分野』(日本文教出版)
朝鮮をめぐる対立・日清戦争と三国干渉 「朝鮮では1894年、東学という民間宗教を信仰する団体を中心とした農民たちが、日本や欧米諸国の追放と政治改革を求めて、朝鮮半島南部で反乱を起こしました(甲午農民戦争)」
中学歴史『日本と世界』(山川出版)
日清戦争 「朝鮮をめぐって日本と清の勢力争いが続く中、朝鮮では1894年に減税や排日を要求する農民の反乱(甲午農民戦争・東学の乱)が起きた」
コラム・脱亜論 「隣国だからといって思いやる必要はなく、西洋人が朝鮮や中国に接するように対処すればよい」「甲申事変後1885年、福沢諭吉が創刊した『時事新報』に『脱亜論』が掲載された。『脱亜論』には、日本のアジア諸国との関係はどうあるべきと書かれいるだろうか」
新しい社会『歴史』(東京書籍)
日清戦争 「朝鮮では1894年に、民間信仰を基にした宗教である東学を信仰する団体が組織した農民軍が、朝鮮半島南部一帯で蜂起しました(甲午農民戦争)。農民軍は、腐敗した役人の追放といった政治改革や日本や欧米など外国人の排除を目指しました」
コラム 八田與一(1886~1942) 「台湾総督府が植民地支配を進めていた1910~30年代、総督府の技師だった八田與一は、台湾のかんがい設備が不十分だった嘉南平野の烏山頭ダムをはじめとする嘉南用水路を造り、台湾最大の穀倉地帯に変えました」
社会科『中学生の歴史』(帝国書院)
朝鮮をめぐる対立・日清戦争・甲午農民戦争 「19世紀末の朝鮮では、重い税金に加え凶作と日本の商人による米の買い占めで、米の値上がりが続きました。1894年、キリスト教(西学)に反対する宗教(東学)を信仰する農民たちを中心に、日本欧米諸国を追い払い、朝鮮の政治改革をめざす反乱が朝鮮半島の南部で起こり、勢力を広げました」
コラム 台湾の植民地化と近代化 「下関条約によって日本の植民地となった台湾は、台湾総督府によって統治されていました。総督府は教育の普及のほか、鉄道やダム港湾、郵便の創設など、台湾の近代化を進めました。しかし、住民からは抵抗運動も起こりました。抵抗運動は、初めは武力でしたが、教育が普及すると、言論で展開されるようになりました」
『中学社会 歴史的分野 ともに学ぶ人間の歴史』(学び舎)
日本と清が、朝鮮で 日清戦争 「朝鮮で農民蜂起の中心となったのは、東学の指導者全?準(チョンボンジュン)を中心とする民衆です。東学とは『人すなわち天』として人間の平等を説く宗教で、1860年代半ばから朝鮮各地の広まっていました。この年、1万人を超える東学農民軍が、朝鮮政府の土地制度の改革などを求めて立ち上がったのです。
清と日本が出兵したとき、農民軍は政府と和解し、参加した人々はいったん故郷にもどりました。しかし、日清戦争が本格化すると、戦争を進める日本軍に対して、農民軍は人々に、馬を出したり、荷物運びに出たりして日本軍に協力しないようによびかけ、日本軍を追い出すために各地で戦いました。日本軍が農民軍を徹底的に弾圧する方針をとったため、農民軍には多くの死傷者が出ました」(日本軍とたたかった朝鮮の農民たち)
東学農民戦争を正しくとらえ、しかも多くの死傷者を出したと記述しているのは学び舎の教科書だけ。教科書検定によって、中学歴史では日清戦争の真実を知らせない、農民戦争・革命はなかったことにした当時の軍部、今の国家の方針を貫ぬいている。福沢諭吉は尊敬すべき人物のように見られているが、単なる植民者にすぎず、アジア蔑視が透けて見える。
台湾植民地化をコラムで紹介している教科書は、どれも植民地支配で良いこともしたと言いたいようだが、所詮は物的、人的収奪をより早く確実に行なうためのものにすぎない。また、台湾総督府の技師・八田與一が紹介されているが、彼も所詮は植民者の一員にすぎない。
しかし、世情では台湾で最も尊敬されている日本人であることも事実らしい。何しろ、台湾では命日の5月8日に慰霊祭が行われているということだ。問題はそういう人物がいたということを強調することで、何か植民地支配が帳消しになるかに言いつのる卑しい姿勢にこそ、克服できない植民者の視線があるということだろう。
余談ながら、池上彰『そうだったのか!朝鮮半島』(集英社)第15章の表題が「困ったら」「反日」カードー韓国の宿痾」とある。そうだったのか!池上彰とでも言っておこう。 (折口晴夫)
コラムの窓・・・もうひとつの日清戦争・東学農民戦争!
明治維新から「征韓」、日清・日露戦争、そして敗戦へつ行きついた日本の歴史のなかで、日本軍最初のジェノサイド作戦こそが皇軍の残忍な侵略戦争に道を開きました。それは、あたかもイスラエルがガザ住民に南への移動を強制し、4万人もの市民を殺害し、さらに皆殺しへと突き進んでいる今と重なるものです。
中塚明は「近代日本と朝鮮」(三省堂新書)のなかで、19世紀半ばの情勢を次のように述べています。
「明治維新でいちはやく民族の統一を実現し、欧米諸国の侵略をはねのけて、基本的に民族の独立を達成した日本は、その時点でおなじ目標をめざしてたたかっていたアジア諸民族の進歩の先頭にたっていた」「だが、彼ら天皇の政府の指導者たちは、人民の政治的権利の伸長が、天皇の専制支配をおびやかすことになるのをなによりおそれたため、人民の民主的権利を認め、その力を背景に国の完全独立を毅然として実現するみちをとらなかった。彼らは内には日本人民を専制支配のもとに抑圧し、そして外にたいしては、当時なお封建制度のもとにあって、国の近代的統一をなしとげていなかった朝鮮や中国を侵略することによって、日本が欧州に圧迫されている代償を、政治的にも、経済的にも、心理的にも得ようとしたのである」
この時、朝鮮では腐敗した王朝政府に対する農民の闘いが、東学農民戦争として燃え上がったのです。1876年、朝鮮は日本と結んだ修好条規によって欧米列強の脅威にさらされるなか、東学の「人すなわち天なり(人乃天)」という人間の尊厳と平等、「斥倭斥洋」(とりわけ悪徳日本商人の跋扈に対する)の民族思想が形成され、やがて下からのナショナリズム運動・農民戦争へと高まったのです。
1894年2月15日古阜(コブ)蜂起、4月30日農民軍発足、総大将に全?準(チョンボンジュン・1853年~95年4月24日処刑)、5月31日全州(チョンジュ)城無血入城。その後、王朝政府と和約締結して農民軍解散、故郷に帰って農作業に追われる。そこでは、執綱所(チプカンソ)が設置され、自治が実現しています。
朝鮮半島で日清両軍がにらみ合いをするなか、日本軍が7月23日に朝鮮王宮を襲撃、占拠して日清戦争へと突入。10月、農民軍による第2次蜂起。これに対し、大本営は当初から「悉く殺戮」命令を発し、殲滅作戦を強行しました。
今も韓国の幹線道路の3方向から東学農民軍を南西方面へ包囲して殲滅する、最後は珍島(チンド)に追いつめ皆殺しにしたのです。ところが、この日本軍最初のジェノサイドはどの歴史教科書にも書かれてないし、なかったことにされているのです。その後の軍事侵略のなかで、同じことが何度も行われたことを、私たちは恥ずべき歴史として記憶しなければならないでしょう。
農民軍は地の利を生かし、創意工夫で闘いを組み立てたのですが、竹槍と火縄銃では訓練されたライフル銃の歩兵に太刀打ちできません。農民軍が400メートルまで近づいたら一斉射撃(百発百中、実に愉快)と。
「我が隊は、西南方に追敵し、打殺せし者四十八名、負傷の生捕拾(十)名、しかして日没にあいなり、両隊共凱陣す。帰舎後、生捕は、拷問の上、焼殺せり」(陣中日誌)。こうして殺された農民軍犠牲者は、3万人とも5万人とも言われています。
1995年7月、北海道大学で放置されていた段ボール箱から6体(3体はウィルタ民族)の頭骨が発覚、1体は表面に、「東学党首魁」と直に墨書きされ、書付が添付されていました。その後、この頭骨は96年5月31日、韓国に奉還されています。
「髑髏(明治39年9月20日 珍島に於いて)右は明治27年韓国東学党蜂起するあり、全羅南道珍島は彼れが最も猖獗を極めたる所なりしが、之れが平定に帰するに際し其首唱者数百名を殺し、死屍道に横はるに至り、首魁(首謀者)者はこれを梟(さらし首)にせるが、右はそのひとつなりしが、該島視察に際し採集せるものなり 佐藤政次郎」
この人物は札幌農学校・第19期生で、札幌農学校は植民政策やアイヌ政策と深いかかわりがあり、卒業生は植民者として統監府へ農業技師として渡っています。例えば、卒業生の新渡戸稲造は「枯死国朝鮮」で「此国民の相貌と云い、生活の状態と云い、頗る温和、僕野且つ原始的にして、彼らは第二十世紀の民に非らず、否第一世紀の民にだもあらずして、彼らは有史前紀に属するものなり」と述べています。
また、東学農民軍については「1893年に、そして再び翌年に、〝東学党〟の乱が起こった。これは反動的狂信家の群で、一切の進歩と変化に反対していた」などと言う、酷い急進植民論者だった。アイヌ民族についても、同じように植民者目線で語っている。「北海道の植民が大した困難を伴わなかったのは、原住民のアイヌ民族が、臆病で消滅に頻した民族だったからである」、と。
武器の力、軍隊こそが全てを決する、植民地支配もその優位が支配と被支配を分かつ。その論理が今も死に絶えることなく、卑近な例を引けば、ロシアやベラルーシとイスラエルを同列に置くなという非難が欧米諸国から聞こえてくるが、まさに植民地支配する側の意識むき出しです。
内に向かってみれば、岸田自公政権は軍備拡大、軍事産業強大化に走り、日本の欧米化をめざしています。明治維新から始まった恥ずべき歴史を顧みるなら、武力への隷属から脱し、軍隊のない社会へと向かう以外の道はないだろうと思う今日この頃です。(晴)
追記 韓国国会は2004年、「東学農民革命の名誉回復に関する特別法」を制定し、その第2条で「東学農民革命参加者」を、1894年3月に封建制度の改革のため第1次蜂起し、同じ年の9月に日帝の侵略から国権を守護しようと第2次蜂起し、抗日武装闘争を展開した農民中心の革命参加者を言う、と定義しています。
一方、日本では大逆事件の犠牲者も治安維持法の犠牲者も放置されたままであり、国家権力による弾圧、殺害は不問に付され、犠牲者の名誉は回復されていません。
参考文献 中塚明・井上勝生・朴孟洙「東学農民戦争と日本 もう一つの日清戦争」(高文研)
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