ワーカーズ666号 (2025/5/1)  案内へ戻る

  予想される食糧危機 もう、消費者を守れない政府の食糧計画

 お米の価格高騰は、政府備蓄米を放出しても収まらず、次は輸入米の活用を拡大すべきと財務省が提言しました。これは、政府が関税をかけず輸入するミニマムアクセス(最低輸入量)約77万トンの中で主食用が占める最大10万トンの枠を拡充すれば、コメの安定供給につながるとするものです。そもそも、主食用最大10万トンの枠は、国内の米農家保護であったのですが、既に、民間業者は2024年度で1497トンを輸入しているのが現状です。1キロ当たり341円の関税がかかっても、外食チェーン店などの事業者は国内米価格で購入するよりも儲けがあるということなのでしょうか。

 その輸入増量米は、米国産で6万トンと設定していますが、これはトランプ大統領との関税協議の譲歩との指摘があります。米不足は、気候変動による収穫が減少したのが原因とされていましたが、コロナ禍の米需要の減少で過剰米が発生し米価暴落を招きました。それなのに、政府は過剰米を買い入れず、価格維持のために22~23年の2年間で50万トンの減産を農家に押しつけたのです。その結果、需要が供給に追いつかない現状が続いています。

私たちの食が危ぶまれる現象は、ウクライナ戦争で小麦粉の輸入量が減少し、パンの価格や麺類など多くの商品に影響することを経験したことから危機感が生まれたと思います。しかし、食品添加物の発ガン性や成長ホルモンを過剰投与する牛肉・豚肉などの人体への影響は、男性を女性化にするなど食物連鎖の指摘は既に明らかでした。

 最近では、ゲノム編集された魚が安全性未確認のまま全国展開するという事態にまでなっています。商品名が「可食部増量マダイ(マッスル真鯛)」や「高成長トラフグ(巨大トラフグ)」など、2021年から政府に届出が出され流通を始めています。日本政府は2019年にゲノム編集食品は、特段の安全性審査は必要なく、表示も任意の届出のみで販売できると決定。しかも、運営するリージョナルフィッシュ社には、2023年~27年で交付限度額27億5600万円もの公的支援が為されているとのこと。京都市宮津市は、ふるさと納税返礼品としてゲノム編集魚を出品していると驚きの事実が発覚。

 消費者である私たちは、自分の身は自分で守ることを自覚し、賢くなって安全な食品を選択出来るようになりましょう。そして、食の「情報公開」を求めていこうと呼びかけます。(折口恵子)


  「関税戦争」を乗り越えよう   国際的連帯で資本のグローバリズムと闘おう


■資本のグローバリズムと労働者階級の窮状

 2025年4月2日、トランプ政権は新たな関税措置を発表し、特に新興国が大きな影響を受けています。?例えば、カンボジア(49%)、バングラデシュ(37%)、ラオス(48%)、スリランカ(44%)といった国々が高い関税率を課されています。インドも26%の関税を課され、中国は140%超の関税をかけられました(4月25日)。これらの関税は、これらの国々の経済に深刻な影響を及ぼし、特にカンボジアでは約100万人の縫製労働者の雇用が危険にさらされたと報道されました(ガーディアン)。米国による大国主義的な「新興国いじめ」と言わざるを得ません。

 しかし、トランプ陣営は言うのです「我々は奪われてきた」と。なるほど「グローバリズムの弊害」を言うならば、米国に劣らず日本の労働者も犠牲者なのです。日本こそ「産業の空洞化」がひどく同時に政府は何の対策も取ってきませんでした。だから、重要なことはグローバリズム(関税を引き下げて効率的な資本の国際的展開の実現)の犠牲者とはA国、B国、C国・・・ではなく、中間層を分厚く形成してきた労働者階級の没落や非正規労働への置き換えを通じて国内の貧困化する労働者層なのです。だから労働者が資本のグローバリズムや新自由主義に国際的に連帯して闘う意味と客観的基盤がここにあります。関税戦争を民族主義に捻じ曲げることに断固反対です。それはファシズムの道です。



■日本の労働者は日本の諸産業について知ろう

 トランプ関税を批判的に論ずるマスコミは多数あっても、日本こそ米国以上の「産業の空洞」に長年の間直面してきたことを語る論調は少数です。まさに「他人事ではない」のです。つまり日本は、海外に過剰な資本を投下し続け、サプライチェーンを構築し、米国以上に世界の経済に依拠してきました。エネルギーや食糧も含めて概観してみましょう。?

 日本のエネルギー自給率は2022年度において12.6%と、先進国の中でも極めて低い水準です。つまり、政府による「ベースロード電源」政策により、自然エネなどの地産地消エネの展開が枠をはめられているのです。相も変わらず中東などからの化石燃料輸入や核燃料(原料+加工)輸入に頼りきりなのです。政府は、原子力を「準国産エネルギー源」と位置付け、原発は資源問題を解決する切り札になると強調しますが、全くのウソです。

 米国は、石油の採掘(環境問題を悪化させつつ)を強引に進めています。その結果、2021年時点で103.5%となっており、国内でのエネルギー生産が消費を上回っています。

 日本の食料自給率もまた危機的水準に低下し続けており、カロリーベースで2022年度の食料自給率は38%です。国際的な紛争や気候変動による飢饉などの発生があれば、たちどころに食料の枯渇が予想されます。他方米国は、農業も依然として幅広く残っており、機械化された農業が存在します。自給率は100%超えです。

 さらに日本では機械工業や先端技術でも、国内は衰退の傾向を強めています。1980年代より日本は製造業の海外移転が進み、特に電子機器分野での国内自給率が低下しています。1980年代半ばには、テレビの国内生産台数は約1,500万台(世界シェア約30%)を記録、しかし、2020年代には家電製品の多くがほぼ100%輸入依存となり、例えば冷蔵庫や洗濯機の国内生産比率は20%以下です。

 1980年代、日本の半導体産業は世界シェアの約50%を占め、DRAM(メモリ半導体)では世界市場をリード、2020年代日本の半導体製造シェアは10%未満(2024年時点)まで落ち込み、特に先端半導体(7nm以下)の国内生産はほぼゼロに近いのです。

 1980年代自動車産業は輸出依存型で、国内生産比率は80%以上を維持、2020年代には依然として高い国内生産比率を維持しているが、EV(電気自動車)向けの主要部品(パワー半導体、バッテリー)は海外依存が進み、国内自給率は50%以下に低下。

 製造業全体から見れば海外生産比率の上昇はよりはっきりします。1985年、日本の製造業の海外生産比率は約5%程度、2000年には約15%に上昇、2024年には約30%超(特に電子機器、一般機械、化学製品で顕著)となっており、「産業の空洞化」はとどまるところを知らないのです。我々が対応を誤れば、これは、近未来における日本社会の鋭い危機の要因となるでしよう(例えばファシズムや侵略主義の台頭です)。

 資本の海外逃避理由としては、国内消費力の停滞の結果として国内資本需要の低下などがあります。さらに、資本の海外逃避にブレーキをかけるような戦略的政策を取らなかったことも大きな問題です。これらは「負のスパライル」を形成しています。

 一方、同様の資本流失に悩むアメリカの製造業は、1990年代にNAFTA(北米自由貿易協定、1994年発効)により、メキシコへの生産移転が加速、さらに何度か触れた中国のWTO加盟(2001年)後は、低賃金を求めて中国への製造業移転が急増しました。2000年~2010年の間、製造業就業者数は、2000年の1,730万人から2010年の1,150万人へと約33%減少(リーマンショックの影響も含む)したのです。

 危機意識に基づいて第一期トランプ政権時では産業の国内再生を進める政策が模索されました。また、バイデン政権は「メイド・イン・アメリカ」政策を推進「CHIPS法」(2022年)が成立し、国内生産回帰を推進。

 このように日米両国とも産業の空洞化に直面していますが、むしろ、資本の身勝手なキャピタルフライトやエゴにブレーキをかけない自民党政府の政治的無能で日本は危機に追いやられています。これは軍拡と一表裏体です(別掲「一つの戦域」参照)。

 自国のエネルギー、食糧、基本的な消費物資などにおいて、地産地消は一気に実現できないとしても、社会的な課題として戦略的に取り組むべきものです。資本の身勝手さを規制し、貧富の格差是正のための累進税制、消費税廃止も含めて、そのような方向で経済の再建を目指すべきでしょう。新自由主義、金融経済、グローバリズムを乗り越えてゆきましょう。(阿部文明)案内へ戻る


  中谷防衛相の「一つの戦域(ワンシアター)」構想   東アジア戦争計画 日本が再び侵略者になる日

 4月18日中谷防衛相記者会見における記者の質問が国際的に波紋を呼んでいます。「3月の日米防衛相会談後に、ヘグセス米国防長官は《今日の議論で何度か出てきた用語の一つはワンシアターだ》と明らかに」した、さらに「中谷大臣は先の国会答弁で、フィリピンのマルコス大統領に《日本とフィリピンは同じシアターにある》と話したと述べた」と指摘したうえで、その「ワンシアター(一つの戦域)」の意味について問いただしたのです。

 つまり、日本の中谷防衛相が米国ヘグセス国防長官やフィリピン大統領に対して、日米が朝鮮半島・東シナ海(台湾)・南シナ海を対中国の軍事対決として、「一つのシアター(戦域)」として把握し、この地域の同盟国である米国、豪州、フィリピン、韓国との軍事協力をさらに推し進める提案をしたことが強く示唆されたのです。

 しかし、中谷氏はこの記者の質問に対して「詳細に明らかにするということは差し控えたい」として、従来の説明である東アジアの関連諸国の連携について述べてお茶を濁しました。

 しかし、日本側から、対中国軍事包囲網のエスカレートを催促した新たな証拠だと私は考えます。

 中谷防衛相は「3/18日の衆院安全保障委員会で、沖縄戦に住民を巻き込み甚大な犠牲者を出した牛島満第32軍司令官の《辞世の句》を、自衛隊がホームページに再掲載した(1/1)ことを追及され、《平和を願う歌》だと開き直りました」(アリの一言)。沖縄住民を「作戦の捨て石」にした戦犯司令官を擁護する人物なのです。

■軍事用語としての「シアター」とは何か

 さて、本題の「ワンシアター(一つの戦域)」とはどのような意味でしょうか。

 「シアター(戦域)とは戦争の際に一つの作戦が実行される地域を意味する軍事用語だ。最終的には、朝鮮半島から台湾がある東シナ海に加え、中国が海域全体に対する領有権を主張している南シナ海までを《一つの戦域》とみなし、みんなで力を合わせて中国に対抗しようという主張だ」(ハンギョレ新聞)と言う指摘は正当であり、ゆえに極めて危険な戦争具体化計画なのです。

 軍事における「シアター(戦域)」は、単なる地理的な場所というだけでなくより包括的な概念です。「シアター」という言葉が使われる場合、「この広範囲な地域において、特定の戦略目標のもと、一連の軍事作戦が展開される」という理解となります。

 例えば、「太平洋戦域」という場合、太平洋全域が作戦の対象となり、その中で個々の戦闘(例えば、ガダルカナル島の戦い、ミッドウェー海戦など)が戦略的な文脈の中で位置づけられます。近年では、サイバー空間や宇宙空間も新たな「戦域」として認識されるようになってきており、従来の地理的な概念に加えて、重層的な領域が軍事作戦の対象となっています。直感の鋭い方は、日本が米国に執拗に求めてきた「指揮権の連携・統合」と「一つのシアター」が表裏一体であることを見抜くことでしよう。

 「この戦域の主敵は中国になると考えられる。日本は東アジア地域に米国の戦力をくくりつけておく一方、中国牽制の負担を韓国・オーストラリア・フィリピンなどと分担しようという考えとみられる。」(中央日報)。

 このように、日本の軍拡勢力は、混乱する米国政権運営をしり目に米軍を確実に日本の軍拡と軍事力配備に連結する意思を明確にしているのです。今や、対中国戦争準備は日本が先導する局面なのです。

■日米軍事同盟の不安定化と日本軍拡勢力の野望

 トランプ政権が成立して以来、日本側の強い要望で実現しつつあった「日米指揮権連携・統合」に対して「再検討」(?)という議論も出ており、日本側は大いに慌てました。

 トランプ政権の思惑としては、自ら直接に中国と戦火を交える気はさらさらなかったとしても、自衛隊が前面に立つと言うならば、戦略指揮をはじめ日本政府に引きずられて自衛隊のバックアップや兵站や情報提供などでアシストするでしょう。それは日本の防衛省においては既定路線とみられ、南西諸島での基地建設やスタンドオフミサイル開発や空母打撃軍+イージス艦十隻体制の構築に余念がありません。

 冷徹に見ましょう。日本は、戦後、自らの政治的愚策により食料自給率は先進国最低(38%)であり、エネルギー自給率も極めて低い(12%)ままです。日本に必須な自然エネの活用にも政府は消極的(ベースロード電源政策でわきに追いやられている)であり、社会の百年の計が無いのです。このような国こそ危険であり、近隣他国の「脅威」や「不埒(ふらち)」を叫びつつむしろ自ら戦前の様に侵略行為に打って出る可能性が高いのです。

 そのうえ、何度も指摘してきましたが、日本は国内の産業衰退の結果として、過剰資本の海外投資(資産残高)は世界のトップです。こうしてみれば日本資本主義にこそ軍事力増強と戦争の「深い動機」があるのです。こうしてみてくれば日本こそ軍拡に情熱を燃やし「侵略」に容易に打って出る客観的条件があり、危険そのものなのです(別掲「関税戦争を乗り越えよう」参照)。

 もちろん、万一にも東アジアで戦争が生じれば、苦境に転落するのが日本ですが、その国が戦争準備でこの地域の緊張を高めているのは愚行でしかありません。

 米国や中国は軍事力に裏打ちされた侵略の可能性が当然あります。しかし、それに劣らず日本こそ切羽詰まった侵略行為にかられる客観的な状況にあるということです。「一つの戦域(ワンシアター)」構想こそ、さらに一歩東アジアでの戦役を具体化しようとするものです。

 日本政府や安倍=麻生などの自民党有力者が「台湾有事」への介入をさかんに煽ります。今では「台湾有事は日本の有事」が、軍拡勢力の合言葉となっています。そもそも中台問題は国際的には「内政問題」とされるものです。それなのに日本が軍事介入の意図を公言するのは「台湾市民を守る為」と言った淡いものではなく、新植民地主義への野望であるととらえることも可能でしょう。まさにそうなのです。(阿部文明)


  避難計画は戦争準備の免罪符!――思惑は戦争気分の醸成――

 政府は、先島諸島住民の避難計画を公表し、来年には避難訓練を実施するという。
 
が、この避難計画、まったく現実味がないおざなりの計画でしかない。

 戦争準備だけは着実に進める政府。そのアリバイづくりでしかない避難計画。反戦・平和の声と運動を拡げていきたい。

    ……………………

◆形ばかりの避難計画

 政府は〝台湾有事〟(〝台湾海峡有事〟)を想定した避難計画を、先の3月27日に公表した。

 それによれば、避難対象は先島諸島の5市町村。避難者は12万人(観光客1万人を含む)を想定。1日2万人、6日間ほどで避難させる。

 輸送手段は民間フェリー、海上保安庁の船、自衛隊のチャーター船・航空機などだ。受け入れ空港・港は、福岡空港、鹿児島空港、それに鹿児島新港だ。その3カ所から、各避難先(九州7県と山口県)にバスなどでピストン輸送する、というものだ(別図――1)。

 また、26年度に避難の基本要領を作成し、訓練実施予定だという。

◆先行する戦争準備

 これまで日本政府は、自衛隊の南西シフトを進めると共に、同地域を含めて米軍と多くの共同訓練を実施してきた。最近では、韓国やフィリピン、オーストラリア、遠くは英仏などとも共同訓練を実施してきた。

 これらは全て、米国と共同した〝対中抑止〟、要するに中国封じ込めの共同訓練だった。

 これに対し、日本国内はもとより、〝台湾有事〟の場合、いやおうなく最前線に立たされる沖縄の人たちから不安の声が寄せられていた。沖縄本島はむろん、石垣島や宮古島、奄美大島にミサイル部隊が配備された他、当初はレーダー基地だとしていた与那国島もミサイル基地化される。陸自も連隊から師団規模に格上げされる。

 要するに、〝台湾有事〟で、沖縄が再び戦場にされるのではないか、その場合、狭い島で逃げ場が無い離島をはじめ、沖縄住民の安全確保をどうするのか、という不安が膨らんでいるわけだ。当然だろう。

 これまで軍備増強と戦闘訓練にばかり傾注してきた。が、今回の避難計画・訓練は、沖縄県民と同様の不安を持つ本土住民に対する形ばかりの懐柔策であり、それ以上にこれを免罪符として、戦争準備をより加速するためのものといえる。

◆お粗末な避難計画

 今回の避難計画策定の根拠は、22年12月の安保3文書「南西地域を含む住民の迅速な避難……避難計画の速やかな策定」にある。

 が、すでに今回の避難計画に対し、あまりの杜撰さや場当たり的な計画に対し、すでに様々な方面から批判を受けている。いくつかピックアップする。

 1日2万人で6日間の輸送は可能なのか、航空機や船舶を確保できるのか?天候にも左右される。

 九州の2空港・1港から11万人の避難者の九州7県へのバス輸送は可能なのか。輸送を依頼されたバス会社から「机上の空論」だとの声も上がっているという。

 受け入れホテルは空室にするというが、可能なのか。

 要支援者の避難者が7663人で、付き添う医療・介護従事者を確保できるのか。

 避難中の経済・財産支援はあるのか。

 何よりも自衛隊基地などが集中する九州への避難は、安全なのか。二次避難はどうするのか。

 こうした不安や批判に対し、政府の担当者は「あくまで訓練のためのシナリオ。特定の有事を想定していない。」と開き直っている。

 政府は、バス業界に依頼するも、長距離のピストン輸送や運転手不足などで拒否される例もある。バス業界などからは当然にも「机上の空論」だとの批判もでている。

◆避難者は先島諸島だけか

 この避難計画自体、実際に〝台湾有事〟となった場合、日本が〝重要影響事態〟から〝存立危機事態〟や〝武力攻撃事態〟になり、米軍への後方支援から米軍と一体となった戦闘にエスカレートすれば、より多くの避難者が発生するのは不可避だ。

 あのウクライナ戦争では、ロシアは真っ先にウクライナの空港や製油所などを攻撃し、ウクライナの制空権を破壊した。先島諸島のミサイル基地だけでなく、嘉手納基地や普天間基地、その他の沖縄本島の米軍や自衛隊基地は、真っ先に攻撃対象になるだろう。そうなれば、沖縄本島はむろん、奄美大島など九州以南の南西諸島全体が避難対象となるのは避けられない。

 今回は、先島諸島の11万人だけが対象だが、現実には沖縄県全体の147万人、奄美など鹿児島県の離島の14万人も含めると、160万人規模(いずれも観光客を除く)が避難の対象者になる。

 さらに、今回は九州全域と山口県が避難受け入れ地域になっているが、そこには、近年、自衛隊の〝南西シフト〟で各地で自衛隊基地が増強され、自衛隊艦船や航空機も増配備されている。佐世保には米海軍基地や司令部や貯油施設があり、築城や新田原基地は在日米軍との共同使用だ。山口県には、海上自衛隊と米海兵隊が使用する岩国航空基地もある。

 仮に〝台湾有事〟で日本が集団的自衛権を行使して戦争当事国になれば、沖縄だけではなく、後背地の九州も攻撃対象にならないわけがない。真っ先に南西諸島や九州地方の自衛隊基地などが、攻撃対象になるだろう。現に、自衛隊はそうした事態を見据え、沖縄や九州にある司令部の地下化を急ピッチで進めている。住民用のシェルターなど手つかずなのに、だ。(別図――2)

 そんな九州各地に、100万人規模の避難者が長期間避難を続けることなど、あり得ない話だ。地震など自然災害でも見られた二次避難、三次避難も余儀なくされるだろう。今回の避難計画ではそんなことさえ想定されていない。政府は「あくまで訓練のためのシナリオ」だとしているが、南西シフトや戦闘訓練の拡大のための免罪符でしかなく、何の役にも立たないだろう。

 ここでは、〝台湾有事〟に日米が共同で戦うことを前提としてきたが、実際にそうなるかは分からない。米国は自国本土が核攻撃を受ける危険性を引き受けてまで、台湾防衛に乗り出すとは限らない。ウクライナでも、米国は直接にはロシアと戦っていない。米国が後方に引き下がり、引っ越しが出来ない日本だけが最前線で戦わされる事態も、ないとはいえない。そうなったら、日本は破滅だ。勇猛な見解だけが先走れば、そうなる可能性もある。戦争は、必ずしも理性と洞察だけで始めたり終わらせたりはできない。

◆避難者は台湾からも

 そのことはともかく、避難計画に限ってみても、〝台湾有事〟での避難者は、なにも国内からだけにはとどまらない。〝台湾有事〟で、仮に台湾本土が攻撃される事態になれば、台湾住民の国外脱出も想定される。

 現在進行中のウクライナ戦争でも、主な戦場になったウクライナ南東部を中心にウクライナ西部や国境を越える避難者が続発した。その数、開戦当初の2ヶ月で500万人が国外脱出、一時、1000万人超が国外退避したという(ウクライナ総人口 4200万人)。

 昨年冬の時点で海外避難民は647万人(国連難民高等弁務官事務所)、国内避難民は368万人(国際移住機関)という数字も出ている。

 国別ではドイツが113万人、ポーランド95万人、チェコ38万人、英国25万人、それにロシアに121万人だ。

 24年末の国連の集計では、欧州各国に630万人(ドイツ12万人、ポーランド100万人、チェコ39万人、国内で370万人が避難しているという。

 これらの数字を見れば、〝台湾有事〟の際には、沖縄など南西諸島からの避難者だけではなく、台湾本土からの避難民も予想される。

 台湾が戦場になれば、国土の狭い台湾から脱出する人の割合は、より広い領土のウクライナのケース以上になるだろう。中国が台湾全土の焦土攻撃をするかは分からないが、全土が戦場となれば、台湾住民のどれほどが国外脱出に向かうのだろうか。

 台湾の総人口は2300万人超。その避難先はどこになるのだろう。台湾からの避難については、すでに識者からも指摘されている。

 地理的に見て、日本が最大、次にベトナムやフィリピンなど東南アジア諸国、それに米国や中国になるだろうか。同盟関係も含めれば、日本やフィリピン、韓国も戦争当事国になる可能性があり、避難対象になりづらい面もある。

 が、仮に日本が戦争当時国となった場合でも、台湾の住民は、先島諸島や沖縄本島へまず避難、そこから日本本土に避難してくる可能性もある。やはり日本にも台湾から相当数の避難者が押し寄せてくる可能性もある。

 今回の避難計画には、そうした沖縄本島などからの避難者や台湾からの避難者の輸送や受け入れは、全く対象外だ。そんな避難計画に、どんな現実味があるというのだろうか。

◆自衛隊に住民の安全確保・避難支援の任務はない

 南西諸島に駐留する自衛隊幹部が、メディアに登場する際によく言及する言葉に「沖縄住民を守るために全力を尽くします」という主旨の言葉がある。

 しかしこの言葉とは反対に、自衛隊には住民の安全確保という任務は、ない。例の安保法制や自衛隊法にも、そもそも住民の安全確保という任務は無い。あるのは日本国政府、それも直接的には自治体の役割だ。

 自衛隊の任務は、あくまで敵勢力の撃破・撃退であり、それが達成された結果としての住民保護なのだ。今回の避難計画でも、輸送手段は自衛隊のチャーター機やチャーター船で、自衛隊の輸送機や輸送船ではない。自衛隊の直接的な任務はあくまで敵勢力の撃破・撃退であって、それに不都合な場合は、住民を足手まといとして蹂躙したり、敵に見つかるなどして、泣き叫ぶ子供を親に殺害させるなど、あの太平洋戦争での沖縄戦で体験済みのことさえ起こる可能性はある。

 そのことを沖縄の人は身をもって体験したので、自衛隊の駐留には懐疑的な意見も多い。が、本土の住民の多くは、沖縄を守る、日本を守る、そのための抑止力だ、というロジックに弱い。最近の南西シフトでも〝抑止力のために必要だ〟という論調がまかり通り、〝平和だ〟〝外交だ〟という意見をあざ笑うごとくの論調もまかり通っている。

 が、一方の〝抑止力〟は、他方から見れば戦争準備そのものだ。一方が抑止力を強調すれば、他方も抑止力を前面に掲げて対抗はエスカレートする。〝安全保障のジレンマ〟といわれるものだ。

 私たちとしては、どの国であっても〝抑止力〟という概念自体を問題視すべきなのだ。

◆勇ましい言葉が戦争を呼び込む!

 自民党の好戦派を中心に、いま盛んに抑止力の強化が叫ばれている。軍拡を推し進めれば、むしろ対立が深まるのではないか、等という不安や指摘に対し、むしろ相手が侵攻を断念するような抑止力の保持こそ平和の維持に繋がるのだ、等と強弁している。

 が、戦力を持っていなければ、戦争する、交戦すること自体が不可能だ。むしろ武器を持っているからこそ、ロシアやイスラエルにしても、それを現実に行使してきたのが、これまでの歴史だ。

 防衛力・抑止力の強化とか、勇ましい言葉が飛び交っているが、それは利害や打算、あるいは身内集団での主導権争いだったりする。そうした勇猛な言葉こそ戦争を呼び込む。かつて鬼畜米英とか一億玉砕などと叫びつつ、敗戦必至の対米英戦争に突き進んだ歴史を見れば一目瞭然だ。

 今年3月末に来日したヘグゼス国防長官は記者会見で、東シナ海など西太平洋で有事が発生した場合「日本はいかなる緊急事態でも最前線に立つ」と表明した。これまでの安保法制や日米共同作戦計画づくりを考えれば、当たり前のことで、私たちのような素人でも分かる話だ。日本の好戦派は、そんな最前線で起こる〝不都合な真実〟を語ることを避け続けている。

 付け加えれば、日本の中谷防衛相はヘグゼスとの会談で、東シナ海や南シナ海、それに朝鮮半島を中心とした地域を、日米韓比などが一体として共同作戦を担うとする〝ワン・シアター〟(一つの戦域)という考え方を伝えていたという。ここでも〝台湾有事〟で周辺国が一体で対中封じ込め作戦に打って出ることを表明したことになる。そのすこし前には、米国高官が、日本の防衛費を3%に引き上げる必要を表明してもいた。

 勇ましい発言を垂れ流す好戦派に対しては、国境を越えた反戦の声を対置するのみだ。(廣) 案内へ戻る


  コラムの窓・・・原発のいま!

 2011年3月11日、東日本大震災に続く東電福島第1原発事故(原発震災)は、原発時代の終わりを告げるものでした。実際、国内の原子力発電所で唯一運転していた北海道電力泊原発3号機が12年5月5日に定期検査入りすることによって、すべての原発が停止となったのです。

 その後、民主党野田政権が夏の電力逼迫を理由に関電大飯3・4号機の再稼働させましたが、13年9月に定期検査のため停止しました。日本ですべての原発が止まるのは、1970年に日本原子力発電の東海原発と敦賀原発1号機が定期検査により停止して以来でした。ちなみに、東日本大震災の前まで電力の約3割を原発が供給していました。

 3・11直後の4月に電気事業連合会会長に就任した八木誠関電社長(16年に会長)は原発再稼働に奔走し、その成果として、今や関電は7基の原発再稼働(4基は廃炉)を勝ち取っています。しかも40年越え、50年越えへと危険な稼働継続へと突き進んでいます。

 例えば15年1月、八木電事連会長は年初の定例会見で「昨年は原子力発電所がまったく稼働しなかったが、今年は何としても早期の再稼働を実現したい」と、原発再稼働に前のめり発言を行っています。実際この年の8月、九州電力川内原発1号機が再稼働しています。

 全原発停止から2年、現地では「ストップ再稼働」「原発いらない」との反対運動が行われ、菅直人元首相も駆け付けて厳しい表情で「夏の暑い時でも電気は足りている。なぜ九電は川内原発を動かすのか」と訴えています。2012年の大飯原発再稼働も結果的には必要なかったのですが、原発依存度が高かった関電の台所事情があったと言われています。

 3・11後に発足した原子力規制委員会、それまでの推進一辺倒から〝規制〟へと移行ということでしたが、今は再び経産省一家の一員となり、例外だとされた60年稼働をどんどん認めるようになってしまっています。自公政府はといえば、なりふり構わぬ原発推進へと舵を切り、新増設までも言い出しています。

 19年10月9日、原発復活の功労者八木関電会長退場の日として触れなければならないのは〝金銭受領・便宜供与問題〟でしょう。11年から18年にかけて、福井県大飯郡高浜町の森山栄治助役から、関電幹部らが〝原発マネー〟3億2000万円を受け取っていたことが明らかになったのです。

 関電幹部に流れた〝原発マネー〟の出所は、建設会社の売上高は無入札による特命発注などによる原発関連工事の受注増によるものですが、八木会長は「便宜は図っていない」と釈明。要は「原子力事業を上手にやっていくには、地元にお金を落とすのが大事」というわけです。

 以上の決算、全60基中再稼働14基、廃炉24基。3・11後、脱原発のチャンスはあったし、原発がなくてもやっていける可能もありました。なぜ実現できなかったのか、そこには利益をむさぼり続けようとする原子力マフィアが存在があります。多くの人々がいやなものは他に押し付けて便利を享受したいという気分を変えられなかったから、と言ったら言い過ぎだろうか。 (晴)


  近代戸籍制度と選択的夫婦別姓問題(上)

本論考は、夫婦同姓が保守がいうような「日本古来の伝統」でないことを明らかにするために書かれた。また現行戸籍制度そのものが家父長制の象徴である天皇制と「戸籍制度に強固に残っている家父長制の一変種である夫権支配」に他ならないことを書いたものだ。

 明治民法の戸籍制度の復活は、江戸時代のバラバラな宗門人別改帳を脱して、近代の統一的な租税の獲得と徴兵制等の土台になった。それは、明治近代国家による富国強兵や殖産声業政策さらには朝鮮半島、中国大陸への進出の準備ともなった。これらの戸籍は明治国家による人民支配であり、全国的徴税と徴兵制度の確立のために必要とされた。

 明治の近代の戸籍制度は封建時代に育まれた武家の家父長制度を民法で強化拡大し、それを近代的家として国家支配体制の末端にある行政機関にてんかさせた。
 すなわち明治の戸籍制度は、富国強兵の国家目標を遂行するために、人民支配を一層強力かつ強固なものにするとの目的で再編成し復活させたものである。

近代戸籍制度の再導入―明治時代

 1825年(文政8年)、長州藩で藩政改革のため戸籍法が施行された。この長州藩の戸籍制度が基になって、1871年(明治4年)、前年に制定されていた戸籍法に基づき、明治日本において律令制の導入以来、改めて本格的な戸籍制度が復活したのである。

 それでは戸籍とは何か。明治民法の「戸」はそれ以前の「家」とは異なる。上野千鶴子は、端的に「明治政府の発明品」と言い切ったが、それは一面的である。

 実際、このような排他的な父系直系家族は武士のものだった。江戸時代の武士は全人口の3%、家族を含めても精々10%で、残りの90%は多様な世帯構成の下に暮らしていた。だからほとんどの人民は明治になってから初めて「戸」と直面したといえる。

 戸籍の編成単位は「戸」、戸主は父系男子で本籍はその者の住所地であり、また身分とともに住所の登録を行い、現在の住民票の役割も担っていた。この年の干支が壬申であることから、作成された戸籍を壬申戸籍と呼び、実際にも「新平民」や「元穢多」等の同和関係の旧身分(穢多、非人)や病歴、犯罪歴等の記載もされていた。

 すなわち戸籍とは、居住地や身分事項(父母名、出生、婚姻、離婚、縁組、犯罪歴等)を登録したことで分かるように、人民を支配する国家目的を持っていたのである。

 四民平等が建前の明治時代は、中央集権的国民国家体制をめざすため、かって社会の基礎である家中心の共同体を封建体制下の公的存在から、国家体制とは全く関係のない私的共同体とし、改めて戸単位の国民統治体制を確立させる必要があったからである。

明治民法で父系及び長男相続制

 その後に明治民法で確定された戸主の権利には、戸籍に構成されている戸員の結婚を許さない場合には、「勘当」=除籍させる力を持つ権力・支配力も与えられた。民法がこの排他的な父系及び長男相続制を取るに至るには、実に約20年にわたる激しい「民法典論争」が不可避であった。それは逆に父系相続制以外の選択肢があったことを裏付ける。

 実際に各地の慣習法の中には、母系相続や末子相続があった。「姉家督」と呼ばれた母系相続は、豪農や豪商の間で広く行われていた。それは出来が選べない息子に代わって家付き娘の婿を広く求める家族戦略である。家の永続をめざすには当然の選択であった。

 また武家では家付き娘に養子を取った場合、その者が当然のことながら家督相続者になるのに対し、豪農・豪商の場合は娘が家督相続者になることもあった。婿養子に関しては日本社会は寛容であったが、朝鮮半島・中国では父系親族(宗族)に限定されていた。

 最初の民法原案が出来てから1890(明治23年)年に制定されるまでに10年かかり、3年後に施行の予定であったが、穂積八束の「民法出でて忠孝亡ぶ」との強硬な非難により施行が延期された。最終案の施行は実に1898(明治31年)年であった。

 まさに「民法典論争」は、これまでの日本の伝統重視と急速な富国強兵の国家建設をめぐる厳しい論争の政治決着で決まったのである。

明治「民法典論争」

 明治政府は、封建遺制(武家社会の伝統)を近代化し、富国強兵の国家体制を築くための末端組織として戸籍制度を再確立した。江戸時代の封建的束縛から解放された個人が自由に契約を結ぶ権利を法的に保証した。これには民法制定に協力した独仏の影響があるが、そもそも「殖産興業」を政府が拡大するためには農家等の次男三男は「自由な労働者」である必要があったからだ。これにより経済活動の効率性が促進され、近代化が進展した。 明治民法には契約自由の原則は取り入れられたが、同時に伝統的慣習法との調和も求められた。家制度の維持を重視の立場からは家族の契約の認否を戸主がしたのである。

 明治民法の大きな争点は、氏に関する「戸主及ビ家族ハ其家ノ氏ヲ称ス」との規定である。この点については「民法典論争」でも大問題となっていったのである。

 端的に詳説する。1872年(明治5年)の民法草案は、「凡姓ハ歴世更改スベカラズ。名ハ終身更改スベカラズ。但シ養子相続人ハ其家ノ姓ヲ襲撃用スルコトハ勿論ナリ」と日本社会の伝統を踏まえたものであった。1891年(明治24年)でも「婦女姓氏ノ件ハ、婦女人ニ嫁スルモ……生家ノ氏ヲ用フベキモノトス」と夫婦別姓の確認がなされていた。

 明治の民法学者たちは世界を知らず単に頑迷固陋だったのか。そうではない。民法学者の中川善之助は、「婚姻をしても、夫婦夫々の氏に変動は起こらないというのが、キリスト教国を除く世界諸民族の慣習法であった。中国然り、韓国然り、アフリカ然り、そして日本また然りであったのである」と述べていた。またイスラム教世界も夫婦別姓で世界の多数派は夫婦別姓である。当然ながらこのような認識は広く共有されていたのである。

 だが1898(明治31年)年に施行された明治民法は、先に紹介したように「戸主及ビ家族ハ其家ノ氏ヲ称ス」となる。一体なぜだろうか。現在声高に選択制夫婦別姓に反対する伝統派の高市早苗や竹田恒泰等の言説は、こうした明治「民法典論争」の経緯を知らない者の妄説だ。保守反動勢力とはこんなことも知らない笑止千万で浅薄な連中である。

 夫婦強制同姓制度は、確かに近代明治が生み出した、日本固有のものである。その客観的な意味とは、家制度の核心である戸主権を世界的にも稀な形で民法として成立させたからには、「戸の氏」は戸主に従うものだとの論理である。これは、国家が富国強兵体制の急速な確立、欧米に出来る限り早く追いつくための強権性と結びついているのである。

 すなわち戸主(通常は男性家長)が近代的家の統率者であり、家族全員が同じ氏を名乗ることでその家の一体性を可視化ものだ。また同一氏を義務付けることで国家が戸籍単位で人民を一元的に管理しやすくした。さらに国家の底辺組織としての近代的家制度を、日本の場合、江戸時代の身分制度の廃止と戸主権の確立を梃子に父親と長男による男性支配を実現し、近代天皇制国家を支える強固なイデオロギーとした。まさに家=国なのである。

 近代天皇制こそ男系を象徴する家父長制の象徴であり、教育勅語はその宣言である。

 このような視点から見ると、明治の戸籍制度や民法は江戸時代の家の封建的・分権的・多様性の包摂などの曖昧さを清算し、明治国家を天皇の下に中央集権的国家へと完成させる目的を最優先したものと考えられる。そのためにこそ武家社会で発達していた、家父長制の導入や家族制度における本家や分家制度が再編・強化され利用されたのである。

だから戸籍制度の復活とは、江戸時代等からの「封建制度の残滓」などではなく、これまでの封建的な主従関係、支配被支配関係等から明治人民を解放するものであった。だがその裏返しとして結婚した女性は、新たに家父長制の下に位置づけられることになる。

 この規定により長らく日本社会の伝統で多数派であった夫婦別姓は否定され、夫婦同姓となり、それが強制された。この規定により結婚した女性は生家の両親・親族とは切り離され、戸主の下に、そして先の長男相続と相俟って家父長制度はここに成立したのである。

 だが同時にこの戸籍制度は、完全な個人単位の国民登録制度ではないため、婚外子、非嫡出子問題、選択的夫婦別姓問題等、戸に拘束された社会問題を包含するものであった。案内へ戻る


  近代戸籍制度と選択的夫婦別姓問題(下)

戸籍制度の変更―太平洋戦争敗戦後

 1948年(昭和23年)に新しい戸籍法が施行された。太平洋戦争前の戸籍が戸を基本単位としていたのに対し、夫婦を基本単位とするものになる。それは「戸主」を廃止、「筆頭者」とした。また「華族」「士族」や「平民」「新平民」等の身分事項の記載は廃止される。戦争による混乱のため、実際に戸籍簿が改製されるには長い時間がかかった。

 1952年(昭和27年)の住民登録法施行により住民登録制度が開始され、住民票の作成が開始される。これにより非定住民である山窩、家船は制度的には消滅したとされた。

 その後、住民登録法を改正した住民基本台帳法の施行により、戸籍とリンクした住民登録制度が開始された。そして1970年には差別的な壬申戸籍を封印した。さらに1975年に法務省、同和対策除籍等適正化事業により、除籍現戸籍の差別内容が塗抹された。

 この間、婚外子に対する「男・女」という続柄差別記載がプライバシー権の侵害であると最高裁で判示された。判決以降の出生については、「長男・長女」式に記載することになった。またそれ以前に出生した婚外子については、現行の除籍されていない戸籍についてのみ、申し出によって更正するとした。さらに最高裁判所大法廷が、「相続において婚外子を差別する民法の規定が日本国憲法に違反している」と、違憲判決を下したのである。

 さらに2025年(令和7年)には、改正戸籍法が施行され、戸籍への読み仮名の登録が開始され、読み方については一般的に認められているものとする基準が設けられた。

 このように「国民主権」を建前とする現代では、より個人が解放された制度設計をめざして、戸籍制度を見直す議論も巻き起こり、現実に制度は徐々に変更されてきた。

現行戸籍制度に残る問題点

 戸籍には、戸の各構成員の「出生から死亡までの履歴」が記録され、住民基本台帳制度との連携により、戸籍の附票を閲覧すればその者の転居の履歴が判明し、市町村名までの出生地は移記すべき事項と定められている。そしてその者の転籍や分籍をした後の戸籍にも記載されているため、遺産相続等の手続きの際に取るべき手順は明確である。

 実際に婚姻や本籍の移転により新戸籍が作られる現行のシステムでは、婚姻や相続の際に、一つの戸籍だけでなく何重にも遡って各地の戸籍を取得しないと、実際の婚姻歴や子の有無が分からないことがあり、その者の出生から婚姻・離婚、死亡までを網羅する個人戸籍と比べると明らかに不便である。そして政府はマイナンバー制度の導入により、この問題は将来的には解決すると説明しているのである。

 だがそもそも私事である結婚や離婚、遺産相続等に本当に国家の関与が必要なのか。私たちを日常的に支配し管理する国家体制を打倒する必要性を強く感じるものである。私たちは、今まさにこうした国家幻想を真剣に考えるべき時期がきたと指摘しておきたい。

 また現行制度では外国人(日本国外の外国籍者)と結婚しない限り夫婦別姓が不可能なため、一方の者は結婚前まで使い続けていた苗字が公的証明では通用しない。そのため、選択的夫婦別姓制度の導入を望む声が当然のことながら近年増加しているのである。

 では現行戸籍制度に残る問題点とは何か。それは戦後に男女同権との位置付けにもかかわらず、いまだ戸籍制度に強固に残っている家父長制の一変種である夫権支配である。

 本来であれば、明治民法が改定されたのなら、夫婦同姓も見直しが必要であった。だからジェンダー平等の観点から、この現行戸籍制度の問題点を見直さなければならない。

 率直に言うならば、日本政府は今後現行戸籍制度をどのようにしたいと考えているのか。またマイナンバー制度と戸籍制度との兼ね合いはどのように考えているのか。さらに個人戸籍制度の導入を考えているのか。

 現時点ではこれらについてほとんど報道されておらず、残念ながら不明である。

戸籍制度の将来

 意外にも保守派の一部には戸籍運用の煩雑さ、その非効率さから冗費だとして戸籍制度に関わる公務員の人件費削減を求める声がある。また現実にも戸籍乗っ取りがある。

 現状では戸籍制度は本人であることの真実性が不確実だとの観点から米国のような社会保障番号制度への移行を求める見解が、また出生地差別を防ぐプライバシー保護等の理由から、さらに夫婦別姓を選択する場合は夫婦同一戸籍ではなく個人戸籍にすべきと主張する立場から、現行戸籍制度の廃止を求める等の、実に多様な意見があるのである。

 これらの意見を大きくまとめれば、相反する二つの立場が確認できる。

 一方では共産党などの革新勢力の立場からは、国家の国民総背番号制による国民管理に反対する戸籍廃止論がある。国家の情報管理に対する私たちの不信からは当然である。

 他方ではSNSを中心に夫婦別姓に反対し、夫婦同姓による家庭の一体感を重視する高市早苗や元皇族を売り物にする竹田恒泰等を支持する立場からは、現行戸籍制度を世界に冠たる日本の伝統文化だとし、子々孫々まで残せとの根強い戸籍廃止反対論がある。

 まさに戸籍制度の将来については、そもそも国家が住民掌握をすること自体の是非等を含め、戸籍制度に関する徹底した論議が要請されているのは間違いのないことだろう。

 確かに戸籍や家族単位で個人を把握する国家の体制には合理性がある。勿論、現在推し進められているマイナンバーであろうが、現行の戸籍であろうが、そもそも「家族=戸」との括りが反動的であり、「個人=個人主義」の括りが民主的であるとの対立はない。

 これらはいずれも国家による人民管理の手法の違いに過ぎない。人民にとっては国家は支配の体制であり、徴税は人民からの収奪の体制であり(それは時に徴兵制度の基礎になる)、反人民的な存在である。これらはまさに国家そのものの本質から出てくるのである。

 また税体系についても所得税は現在は世帯(家族)単位で徴収されているが、扶養控除とは一体何なのか。なぜ働く個々人を課税対象者としないのか。だからこそ、現実に103万円、130万円等々の様々な壁がある。そもそも家族単位でなく個人単位で所得税を徴収することになれば、こんな問題は生じないことを私たちは知らなければならない。

 私たちは国家の都合で家族単位となっている支配体制の現状をそもそも疑うことなしに、物事を考えることをそろそろ止めようではないか。核心は国家幻想との闘いである。

 私たちは、戸籍制度を廃止する立場からも国家の廃止をめざしたいと考える。

選択制夫婦別姓の本質

 ここで夫婦別姓に関わって一言すれば、明治以前はほとんどが夫婦別姓であり、既に詳説したように明治後半にやっと夫婦同姓へと民法により切り替えられたのが真実である。

 夫婦同姓が日本の伝統だと言い募る連中は自らの無知を恥ずべきである。先に紹介したように、まずは明治「民法典論争」の経緯とその決着をよく噛み締めるべきなのである。

 2025年(令和7年)2月に実施した全国世論調査(朝日新聞による電話調査)では、夫婦が同姓か別姓か、法律を改正し自由に選択する「選択的夫婦別姓」についての賛否は、賛成が63%で、反対の29%を上回った。夫婦別姓の賛否に男女差はほぼなく、年代別では18~29歳で賛成80%、反対16%など、60代までのいずれの年代でも賛成が大きく上回っている。だが70歳以上では47%対42%と賛否が割れている。

 また夫婦別姓の賛成は、自民支持層で59%、無党派層で67%だった。そして内閣支持層でも63%であり、いずれも調査の全体傾向と大きく変わらなかったのである。

 このように長らく夫婦同姓を維持してきた日本社会でも夫婦別姓は社会の多数派になってきた。いよいよ選択制夫婦別姓問題もやっと解決の方向性が見えてきたといえよう。

 では選択制夫婦別姓問題の本質とは何か。真の問題の解決とは上野千鶴子の指摘のようにそもそも夫婦別姓が再び認められることではない。それは選択制夫婦別姓が当然の選択肢ながらも、この問題の真の解決は現代の男性中心社会と国家体制の変革にこそある。

 これがまさに核心である。私たちは、国家と戸籍制度による支配体制のあり方にこそ選択制夫婦別姓等に先行する課題として真の解決をめざす。そのために国家と戸籍制度の存続の是非を含めて徹底的に闘ってゆくことで、これらの問題解決に当たりたい。(直木)案内へ戻る


  何でも紹介 難民・移民のわたしたち これからの「共生」ガイド雨宮処凛著 河出書房新社

 ワーカーズ657号(2024/8/1)で紹介した「死なないノウハウ」の著者である雨宮処凛さんが本を出版した。私は難民・移民問題はあまり知らなかったので興味深く読んだ。

 まず難民とは「人権、宗教、国籍、政治的意見または特定の社会集団に属するという理由で、自国にいると迫害を受けるおそれがあるために他国に逃れ、国際的保護を必要とする人々」。自分の国から逃げて日本に来て難民申請(自分を難民として認めてほしいと申請すること)をするが在留資格(日本に滞在するために入管の許可が必要)が認定されず、仮放免(入管施設への収容が解かれた状態)になってしまう。しかし仮放免では働くことができず健康保険にも入れない。生活費や医療費がなく知人や支援団体のサポートを受けながら生活している外国人たちがいる。そんな日本の難民認定率は2021年で0・7%。これは世界的にも極端に低い数字でイギリスは63・4%、カナダは62・1%、アメリカは32・2%、ドイツは25・9%。日本は世界一くらいに「難民に冷たい国」。難民申請、在留資格、仮放免という言葉を初めて知り、日本の難民認定率の低さに驚いた。

 処凛さんはたくさんの外国人に会いに行き、どんな暮らしを強いられどんな思いを持っているのか取材し、支援団体の専門家にも話を聞いて執筆している。難民申請しながらも認められていないミャンマーで民主化を求める活動をしてきたミョーチョーチョーさん、アフリカのある国からのアリーヤさん、チリのクーデターと軍事独裁政権から逃れてきたクラウディオ・ペニャさんたちは、命の危険から逃れるために辿り着いた生々しい体験が書かれている。働けるのに働けず働いたら強制送還される可能性があるという。仮放免では働けず生活保護も受けられず孤立と困窮の果てに自死を思うまでに追い詰められ、路上にまで追いやられる外国人たちの実情は心が痛む。特にスリランカ人女性のウィシュマさんが放置されて命を落とした経過を詳しく知り、日本の入管施設の対応には怒りがこみ上げてきた。

入管とは出入国在留管理庁(法務省の管轄)の略で日本人や外国人の入国、出国の審査をする仕事で難民認定の審査もしている。ところが、入管という組織は外国人を保護したり支援したりする考えがなく“偽難民を追い出す”“悪い外国人を取り締まる”という正義感が強くてウィシュマさんの事件が起こったのだ。入管と難民を保護する別の機関を作るべきという意見はまさにその通りだと思った。イギリスやドイツの入管施設は難民に対しての対応が日本とあまりにも違うことにも驚いた。入管施設は刑務所のようだったと。

 他にもウクライナ避難民と他の国の難民との「待遇格差」、クルド人に対するヘイト行為、日本で働く外国人の歴史、技能実習生をめぐる変化等の問題が書かれている。

 その中でも日本に住んでいる外国人の子どもたちの話が印象的だった。共通しているのは両親が外国人で仮放免。日本で生まれたり小さい時に日本に来てこの国で暮らし教育を受けてきた。日本は「子どもの権利条約」に批准しているため、すべての子どもたちへの教育の機会が保障されていて残留資格がなくても子どもは義務教育を受けることができるという。高校生になった子どもたちが日常に多くの制約があって、仮放免ではアルバイトもできなく健康保険証も住民票もなく、県外に行く時には許可が必要だというのだ。友だちとディズニーランドに行きたいとと思っても行けなく理由を友だちにも言えず関係が悪くなってしまったという。高校生なのに将来の夢も描けず就職したら入管に言葉もわからない「母国」に強制送還されてしまうと怯えている子どもたち。「自分はまわりの友だちとは違って生きる権利を持っていない」「みんなと同じように日本で働いて生活したい」と悲痛な声で言ったという。切なくなる訴えだ。

この本は『未来が見えない今だから、「考える力」を鍛えたい。行く手をてらす書き下ろしシリーズ「14歳の世渡り術」』の1冊。処凛さんは専門家たちに14歳へのメッセージをいただいている。その中で長年、外国人問題に関わり続けてきた弁護士さんが「国籍や民族が違っても同じ人間だから差別してはいけない。その人たちが差別されたりひどい目にあったりしていたら助けて応援してほしい。外国人でも日本人でも人権が侵害されたり、命が奪われたりすることのない社会、国を作っていく責任があるのではないか」と話している。この言葉は14歳だけのメッセージではなく若者や大人にも伝えたい。

 現在、日本にいる外国人は341万人。総人口の2・7%。100人に3人が外国人でそのうち外国人労働者約200万人。日本で働く人の3%。これからも働く外国人は増えていくのだろう。最後に外国人と友だちになろうと『難民・移民フェス』を紹介している。思いつきから始まった「フェス」だが年々参加者が増えて、いろいろな国の人たちと繋がってきているという。おわりに処凛さんは 『いろんな国の人たちとごちゃまぜで生きる実践は「今、ここ」から平和を模索し、作っていくことと同義だと思う』と 書いている。「多様性」「共生」が当たり前になっていく社会を望みたい。(美)案内へ戻る


  大阪万博に使う金があるなら能登復興や住民の生活のために使うべき!
 
 大阪・関西万博が4月13日に開幕し、連日多くの来場者が訪れています。一方、開催にあたっての関連費用は13兆円に達するとされ、当初想定の倍近い会場建設費や、広域インフラ整備までが「万博の名の下」に推進されています。

 何をもって万博の成否を計るか。一般的には入場者数でしょう。だが入場券の売り上げは振るいません。関西の各企業には経済団体から前売券購入の要請があったことから、福利厚生の一環として無料で前売券をもらった会社員は実に多いです。

 ところが、パビリオンの内容に関する情報が開幕直前まで全く開示されなかったうえ、入場、駐車場、フードコートの予約を別々のアプリでしなければならない煩雑さです。

 万博事務局の速報によると、前売券販売数は1170万枚で、目標の1400万枚には届きませんでした。

 仮に大阪万博の入場者数が目標を達成しても、事務局が想定する入場券売り上げによる収入は969億円に過ぎません。万博の初期投資となる会場建設費2350億円、会場インフラ整備費8390億円は到底賄えません。となると、入場者数の目標達成イコール成功ではありません。

 万博工事を入札ベースでみると、地元のゼネコンである大林組が関与している工事が20%、竹中工務店が15%を占める。万博工事は「大屋根リング」をきっかけに1250億円だった会場整備費が2350億円に膨れ上がったので、当初は実質的に赤字受注だといわれたゼネコン各社は、黒字を確保できたとささやかれています。

 一方で、万博工事は建設業の人手不足に拍車をかけました。もともと大阪の建設・土木・電気工事の有効求人倍率は6倍超もあり、万博工事の影響で、大阪では日給2万円を超える工事現場の求人が当たり前になったほどです。

 万博に行った人によると4月23日朝、大阪メトロ夢洲駅を降りて直結の東ゲートに向かうと、さっそく大勢の来場者に出くわし、会期前に標榜(ひょうぼう)していた「並ばない万博」はどこへ。「いらっしゃいませ」と札を置いたミャクミャクの巨大像の前にも、記念撮影を待つ人々があふれています。

 手荷物検査に30分待ったという兵庫県宝塚市の方は、平日でもこれだけかかるから、土日はもっとでしょ。屋根がないから夏の暑さも大変そうや」とぼやいました。

 「2時間待ち」と聞いて悲鳴が上がるアメリカ館など人気パビリオンの行列を横目に「こちら特報部」が向かったのは、昨年3月にメタンガスが原因とみられる爆発事故が起きた西ゲート付近。柵に囲われ「立入禁止」「KEEP OUT!」と張られたマンホールがあり、来場者を入れて会場運営を試す今月6日の「テストラン」でも基準値を超える濃度のメタンガスが検知され、消防隊が出動する事態に。引火すると爆発する恐れがあると報じられました。

 両脇には来場者が利用するトイレとキッチンカーが並び、食事スペースもあるが、メタンガスについて知らせる表示はなく、気づく人は少ない。近くのパビリオンの男性スタッフは「日本国際博覧会協会(万博協会)が巡回し、この辺りのマンホールを測定しているので大丈夫」という。ただベンチに座っていた西宮市の子連れの女性は「知っていたらトイレを使わなかった。PRばかりでなく、悪い情報も伝えてほしい」と。

 昼過ぎになり、にわか雨が降ると、多くの来場者が会場のシンボル「大屋根リング」に駆け込み。1周約2キロ。世界最大級の木造建築で建設費は344億円に上り、その是非も問われました。屋根下のいすで休んでいた大阪市の方からは「手ぬるい雨だから助けられたけど、横風が吹いたら雨宿りにならない。ちょっとコストがかかりすぎ」との苦言も。

 リングに上ったという静岡県沼津市の方は「清水の舞台のような迫力があって素晴らしい」と評価しつつも、「給水スポットが少ない」と会場の問題点も口にした。「この季節で列をつくっているので、夏場は大変でしょ。課題をどんどん解消し、より良い万博にしてほしい」と願いました。

 オンラインでのパビリオンの事前予約制や、キャッシュレス決済に困っていた人もいた。「予約したいんやけど、チケットIDがどこにあるか分からなくて」とベンチでスマートフォンと向き合っていた大阪府豊中市の方。自身が使う電子マネーも会場では利用できず、「現金が使えないので友人に払ってもらった。年寄りは大変」と。

 いずれにしろ、大阪万博に使う金があるなら能登復興や、住民の生活のために使うべきだと思います。(河野)


  東アジアにおける戸籍制度と宗族と日本の家(上)

 現在、選択制夫婦別姓問題が解決されるべき政治課題として焦点化している。だがこの問題を議論するためには、戸籍制度とは何か、また東アジアではなぜ夫婦別姓が圧倒的な多数派であるのか、さらに日本の夫婦同姓はどのような経緯で決まったのか等々についての認識を持つことが最低限必要である。この課題を果たすため、この論考は準備された。

 戸籍とは、戸の構成員の身分事項(父母名、出生、婚姻、離婚、縁組等)を記載し、住民を登録・管理する目的で家族集団単位を戸として作成された公文書である。そしてこれを基に様々な追加情報を加味し、国家が国民を一元的に掌握する制度を戸籍制度と呼ぶ。

 すなわち戸籍制度とは、国家が人民支配のための情報を掌握するためのものなのである。

 実際、天皇(注1)皇族に戸籍がないのは彼らが人民を支配する立場にいるからである。
―注1 現在の日本人は姓を持っているが、天皇家には姓がない。だがある時期まで天皇家も「姫氏」を名乗っていた時期がある。天皇家は689年の飛鳥浄原令の発布以前まで「姫氏」を名乗っていた。正式には大王の姓氏である。

 平安時代の『日本紀私記丁本』(日本書紀を天皇に講義した記録)に書かれている博士の質疑の一つに「わが国は姫氏と呼ばれているのは何ゆえか」とある。この姫氏とは中国の古代の周王朝の国姓である。周は紀元前1046年頃に建国し、紀元前256年に秦に滅ぼされた。中国では通常政権が変わると旧王族は根絶やしにされるが、秦の場合は異例で、周王族はその後も存続が許されていて、血筋は絶えることはなかったのである。

 日本が姫氏国だと日本の使節が自ら称したと晋書に記されている。そのため日本は「東海姫氏国」と呼ばれていた。これは昔から知られていることで記されている文献は一つや二つではない。そして日本書紀を編纂した天武天皇の時、中国の属国から脱するための一環として天皇家の苗字であった姫の姓を消したとされる。但しこの事実はあまりにも知られてはいない。だから今でも公式には天皇に氏はないものとされているのである。―

 かつて戸籍制度は東アジアの広い地域に普及していたが、現在では日本と中華人民共和国と中華民国にのみ現存する制度である。現に2008年元日に韓国は離脱している。

 欧米等のアングロサクソン系国家では個人単位、大陸系国家ではドイツのように家族登録制度を採用している。特にアメリカ合衆国、イギリス、オーストラリアでは国家による家族登録を行っておらず、戸籍のような家族単位の国民登録制度は存在しない。すなわちアメリカ合衆国においては社会保障番号制度はあるものの、それは年金の加入・支給を管理するためのもので、日本の戸籍のようなものは存在せず、結婚等の登録も役所の住民登録のみで済ませ、多くの州では居住地でなくとも婚姻届の受理を完了するのである。

古代中国・朝鮮半島と日本の宗族・家族と戸籍の歴史―律令制度の導入から江戸時代まで

 世界には今でも数々の母系制の社会が現存する。勿論、父系社会が圧倒的だ。それは一体なぜかとの決定的要因はいまだ解明されていない。だが土地の生産力の発展による私的所有の拡大とそれによる階級の発生、さらに動乱や戦争の多発等々と深い関係があるとは推察できる。すなわち父母両系社会は疑いようもない人類の発展史の賜物なのである。

 古代中国の華北社会では父系で直系家長と長男重視と諸子均等相続の直系小家族が成立していた。父系で直系とは、父親を中心に家系がたどれ、長男が婚姻後も両親と同居する家族のことである。それが戸と呼ばれ華北社会の社会構造の最小単位となっていた。

 このように戦国七雄時代の各国政権は、各々支配下の人民の掌握を個人単位或いは部族的共同体単位ではなく、各戸に戸主(=家長)を置き戸単位で行っていた。そして戸籍とは、各国政権が人民を支配するための必要から作成された公文書のことである。

 そもそも夫婦別姓は、氏族制度の名残であろう。太古来、結婚は氏族外結婚が当然とされ、この歴史が最近まで続いてきた(注2)。それゆえ男女の婚姻は別氏族同士の婚姻が一般的で自然であった。この根底には生物学的な近親相姦の忌避、つまり遺伝的問題の回避行動と考えられ、古人類ばかりではなく、類人猿、あらゆる哺乳類の行動原理がある。

―注2 この点から見れば、明治民法の「夫婦強制同姓」との立法こそは、日本の伝統社会をその根本から覆したものといえる。そこには、近代化(=殖産工業、富国強兵)を強力かつ急速に推し進めようとの明治政府の強い政策意図が鮮明に浮かび上がる。―

 このような社会にあって発達したのが、周の治世を理想化した孔子の儒教であった。すなわち儒教はその当時の現実を正当化するイデオロギーの役割を担っていたのである。

 そしてその儒教の核心となる概念の孝とは、「祖先を祭り、子孫を生み、生命の連続を信じる」ものである。そしてその祖先祭祀の儀式の祭祀者は父親と長男であった。すなわち妻はそもそも夫と長男が執り行う、大事な祖先祭祀には参加すらできなかった。

 東アジアにおいて父系社会での婚姻は同姓不婚の部外婚制である。それは夫婦別姓を基本とした。男女とも生まれた氏族の姓は変えなかったからである。すなわち妻は夫の宗族とは別の宗族の人間だ、と生涯認識され区別されたのである。

 この父親と長男との継続を重視する儒教の思想は、「文明社会」のある種の先進思想として数世紀をかけて朝鮮半島国家や日本等の周辺地域の国家に伝播していったのである。

 戦国七雄時代は、その一番西域に位置する秦が覇権を取ることで終焉した。秦がその他の諸国を平定できたのは、長きにわたる匈奴との戦乱の中で彼らの平等主義的家族形態である家父長制の権力とそれと深く結びついた戦闘方法を身につけたからだ。秦は中華的社会に父系直系家族に諸子均等相続だけはでなく、同居と家父長制を導入し共同体家族原理を持ち込んだ。そしてこれまでの父系的直系的家族原理の撲滅に乗り出したのである。

 その後、全国統一を成し遂げた秦の始皇帝は各国戸籍を統合の上、家父長制下の家長と居住地を確定し、居住地・租税・徴兵等の全国的な中央集権による郡県制を実施し、法家を登用し一元管理を実施してゆくことになる。この結果、封建制度を再構築し下剋上を否定した、時代と合わない孔子の儒教は秦の治世下で冷遇され、後漢にもなると衰退した。

 だが日本では儒教の伝来にもかかわらず、父母双系は貴族の氏族間に強く残り、婚姻形態は招婿婚であり、夫は妻の住居を訪ねていた。中世でも武士の間では北条政子、日野富子が有名なように夫婦別姓であった。北条泰時の御成敗式目には女性にも相続権があると明記され、その弟の北条重時は天皇や公家の多婦制はともかく武家は一夫一婦制であるべし、とその家訓に明記した。その後の江戸時代には、武家は夫婦同姓になったようだ。

 そして宋・明時代にともなると、孔子の儒教を道教・仏教等の宇宙観や理気論を導入し再構築した朱子の「新儒学」思想の影響を強く受け、諸子均等相続による祖先崇拝で結びつき、累代にわたって同居する族長支配の共同体的な宗族が姿を現すことになった。

 この宗族の成立で盛衰はあったものの、今日までの中華社会は誕生したといえよう。

 この父系優先の宗族=先行的男子優先社会の発生は貴族階級から始まったものと考えられる。すなわち宗族(大規模な父系氏族集団)の発展は、確かに周代に起源を持つものの、しかしながらその形態や社会的役割は、時代とともに大きく変容してきたのである。

 宋代以前の宗族は貴族や士大夫(地主)階級に限定されており、一般民衆に広がって本格的な大宗族の形成は、宋代以降(特に南宋~明代)である。そしてそれは特に朱子学の影響の下で顕著に発達したものだとの見方が、現在は学会の主流となっている。

 ここで注意すべきは、そもそも華北での諸子均等相続は宗族の家産の細分化を招くもので、本来は大宗族の形成(注3)には阻害要因となるはずのものである。だが華北に比べれば土地の生産力が高く動乱や戦乱が少なかった分、華南ではその論理が逆転し、その宗族の共同財産の増大となり、大宗族の形成へと発展した。まさに歴史の弁証法である。

―注3 大宗族が形成された理由の第1は、中国の諸子均等相続にある。長男は祖父母・父母と同居するが、その他の男子は分家するが家名は次いで行く。百年も経てば数百にもなる巨大な家と莫大な共有財産を持つことになり、それが族長を選び宗族となる。日本のような長男相続の場合、百年たってもあるのは本家だけか、せいぜい分家のみである。

 第2の理由は、祖先崇拝と祖父・父・長男子のタテ系列を重視する民族宗教がある。

 第3の理由は、秦の始皇帝以来の皇帝システムは郡県制による県城、つまり県単位の統治である。広大な農村社会からは年貢を取るだけで何もしない。本来なら国家がすべき教育や社会保障等はそこに根付いた宗族が担い、人々は宗族に保護と救済を求めた。

 第4の理由は、このような宗族が長く存続したのには、科挙制度と深い関係がある。青年が科挙で合格をめざすには、才能は勿論財力が決定的だ。宗族は「義田」という共同財産を基に「義塾」を開塾し、支援体制を作り科挙合格のための支援をしてきたのである。

 以上、石平『中国人の善と悪はなぜ逆さまか 宗族と一族システム』からまとめた。―

 すなわち本来の均等相続は小家族化を促す傾向だが、宗族は「族産」=「義田」(共有地等)や祖先祭祀の共同管理を大規模することによって支えられ拡大していったのである。

 ここで捕捉すれば、宗族とは 血縁関係のタテの共同体であるが、中華社会には歴史的に形成されてきた幇と呼ばれる、情誼で互いに結びついたヨコの共同体がある。またこの幇は近世にもなると秘密結社の母体ともなったように中華社会には特徴的な存在である。

 さらに中国の宗族は歴史的に長く戦乱・動乱が続いたため、地縁性こそ希薄であるが、血縁性は実に強固である。朝鮮半島の宗族は本貫(出身地)を大切にする違いがある。そして各宗族間の争いは械闘と呼ばれ、実際に数十年に及ぶ全面戦争となる現実性がある。
 また古代中国(周から春秋戦国時代)の中原や中国東北部の王族の末裔は特に客家と呼ばれた。彼らは異民族の過酷な支配と戦乱から逃れるため、中原から南へと移動、定住を繰り返し、移住先で先住者に“よそ者”とされたので、その名がある。ゆえに先住者との軋轢も多かった。土地の宗族と客家の激しい闘いは特に土客械闘と名づけられていた。

 その後、全国統一を成し遂げた秦の始皇帝が各国の戸籍を整理統合の上、父系家族と居住地を確定し、全国的な一元管理をすることになる。そして宋・明時代になると朱子の「新儒学」思想の影響を強く受け、ここに諸子均等相続による祖先崇拝で結びつき、数代にわたって同居する共同体的な宗族が誕生する。この宗族の成立で中華社会は誕生したのだ。

 現代中国には構成員が同じ宗族の村や実際に数宗族で成り立つ町まであるのである。

 この点、話がそれるので詳説はさけるが、私は家族史の大家・エマニュエル・トッドが中国と韓国・日本とでは家族形態は明確に違うと分類していることを強調しておきたい。

 毛沢東は宗族を中華社会の癌だと敵視し、実際に人民公社を組織するとともに宗族の「族産」=民間の共同所有を解体する等の弾圧を行った。そして文化大革命期には父や母等の告発を奨励することでさしもの宗族も解体されかかったが、宗族は辛うじて生き残った。この頃、先に紹介した石平は宗族は所滅したと自分の本に書いた。今でも実に強固である。現代中国においても同じ宗族だけの村や実際に数宗族で成り立つ町まであるのである。   次号(下)に続く案内へ戻る


  色鉛筆・・・ 袴田巌さんの裁判によせて

 ★裁判所よ猛省を

 五点の衣類は「私の所持したるものでは絶対にない」そして警察官の「でっち上げ」、裁判所に対しては「罪なき者は罰さない」という原点に立つべきだ。・・・

 これは袴田さんが死刑確定とされた翌年、1981年の第一次再審請求に際して書いた意見書の中の言葉だ。この訴えはいっさい聞き容れられる事無く、自由を奪われた上、独房で<死刑の当日告知、即執行>の恐怖にさらされ、回復不能な程心が蝕まれてしまった。この言葉は本来袴田さん本人が公判で述べるべきだったが、その機会は永遠に奪われてしまった。昨年4月の第14回再審公判で、ようやく証拠採用されたというがこの間43年もの時間が浪費されている。刑事補償金が2億数千万円というが、あまりに悲しく空しい。こんなものでは決して取り返せるものではない。

 昨年9月の無罪判決の後、静岡県警と地検のトップが袴田さんの自宅を訪れ謝罪したが(これで解決とはならないが)、裁判所も謝罪すべきではないのか。50年近くもの間、冒頭の袴田さんの真摯な訴えを放置し続けてきたのだから。

 また、一昨年から昨年までの15回の再審公判には数百人が傍聴を希望して訪れたにもかかわらず、静岡地裁は再三の改善要求に耳を貸すことなくわずか30にも満たない傍聴席のままだった。また抽選に当たり入廷する傍聴者に対しての、厳しいボディチェック、持ち物や行動の制限、終盤には襟の小さなバッジ、服のプリント文字にも不許可を申し渡した。納得のいく説明などは一切無い。広く世界から注目を集めた再審裁判である。広く公開すべきであったと抗議する。 

 3月19日の静岡新聞と読売新聞(全国)に、静岡地裁の名で袴田さんの「再審による無罪判決の公示」があった。始めの18行に渡って事件の犯行状況が書かれ、最後の2行でようやく「再審の結果、犯罪の証明がなかったので、令和6年9月26日無罪の言い渡しをした」とあるのみ。事実を伝えるとしても60年近い過ちを、たったこれだけの言葉でとは、あまりに冷酷にすぎると私は思う。

 ★返されないアルバムの写真

 先日、清水区に住む渡辺昭子さん(90歳)に見せて頂いた大切なアルバムは、茶色に変色し、あちこち写真が剥がされたあとが破れていて痛々しいものだった。

 事件の5年ほど前、袴田さんが事件の起きた味噌会社に勤める前の職場で同僚だった渡辺さんは、同じ従業員寮に住み、家族ぐるみで親しく付き合い、海水浴に行った際の写真などが並んでいる。当時袴田さんは、子どもたちにとても優しく一緒に遊んでくれたという。ある時、幼い息子さんが片時も手放せなかった大切な小さな布きれを落として失くしてしまったとき、袴田さんが一人で雑踏の中を1時間も歩いて捜しだしてくれたという。

 渡辺さんによると、1966年6月30日の事件からわずか3日後に、清水署の捜査員が訪れ「犯人は袴田しかいない」「ボクサー崩れ」等言い、写真を剥がして持ち去ったという。「袴田さんが犯人であるはずがない!」と強く抗議したという。

 渡辺さんは「写真を返してもらい袴田さんに見せて当時を思い出してもらいたかった」と返却を求めたが、長く返答が無く、こちらから再三尋ねてようやく今年2月19日になって静岡県警が電話で息子さんに「探したが写真はみつからなかった」と回答。

 息子さんは「母に直接会い、説明と謝罪を」と求めたが、「この件はこれで終わりにします」と一方的に打ち切ったという。渡辺さんは「まるで逃げ口上のよう」と憤る。それでも、ひでこさんから「5月の浜松祭りにいらっしゃい」と誘われていると少女のように微笑んだ。
 
 強大な国家権力を前にして、一人の人間の持つ力はとても小さい。それでも今、たぐいまれな強靱な心身を持った姉弟の長い長い闘いのおかげで、その問題点、改善すべきことが浮かび上がっている。この機会を逃してはならない。(澄)


  案内へ戻る