ワーカーズ671号(2025/10/1)   案内へ戻る

  原発新増設に向けた暴走を許さない! 核のゴミを未来に押しつけるな!

 大阪に本社がある関西電力(関電)は、7月22日、美浜原発(福井県美浜町)の新増設(リプレース)に向け、中断していた地質調査などを再開する方針を固めたことを発表しました。福井県、美浜町にも、この方針を説明。戸嶋秀樹町長は8月、町民から一定の理解が得られたと、容認する意向を関電側に伝えていました。

 9月12日付の「神戸新聞」では、地質調査は年内にも開始、2030年頃まで約5年かける見通しを明らかにし、来週にも計画を公表とのことでした。地質調査が開始されると、県と町は来年度から電源3法交付金の制度に基づき、国から年間計1億4千万円の交付金を受け取ることが出来るのです。立地地域の振興のためという名目ですが、新増設容認のためのバラマキとしか思えません。その上、関電は福井県内に立地している7基の稼働原発の地域の課題解決という理由で、立地町に50億円という拠出金を用意しているのです。

 関電は、次世代型原発「革新軽水炉」を念頭にした新設を目論でいます。何か聞こえの良い安全な原発のようなイメージですが、核のゴミが増え続けるのは避けられません。福島原発事故から14年、避難者への補償を切り捨て、なぜ原発新増設が浮上してきたのか?不思議でなりません。

 この関電の強気の方針は、自公政権が2023年5月末に「GX脱炭素電源法」を、同法の実態化のために本年2月に閣議決定した「第7次エネルギー基本計画」を実行に移し、「原発依存社会」を容認したからこそ、進めることが出来たのです。地震が頻発する日本、危険は明らか、今すぐ原発依存から脱却すべきです。

 そもそも、関電が進めようとしている「革新軽水炉」とは、どんなものでしょうか?従来の軽水炉よりも高い安全性と効率性を備えた次世代の原子力発電技術を持っているそうですが、その特徴を4点、上げています。①設計段階から安全対策を組み込み、バッシング安全システムを導入し、外部電源や運転員の操作なくても自動的に機能する設備設計、②最新技術が採用されており、事故時の放射能の放出を低減することが目指される、③再生可能エネルギーとの共存を考慮した運用上の向上や、水素製造への適応化も検討④現行の既成軽水炉の規制基準に適合し、さらに新技術の導入でより高い安全性の実現を目指す。

 三菱重工業、日立、東芝が名乗りを上げているが、原子力資料情報室の上澤千尋さんによると、「3つの原子炉とも1日のうちで時間帯によって出力を変える『日負荷追従運転』への対応を掲げている。しかし、それは、安全的にも経済的にもメリットがない。『革新軽水炉』は、既存の技術を活かしてなんとか原子力産業を生き長らえさせよう、ということなのだろうが、建設費が高くなることが容易に予測される。『革新』のイメージ操作で原発の新増設・リプレースを基本計画に組み入れることは許されない」

 毎週金曜日、私は関電本店前の原発反対抗議行動(関金行動)に参加していますが、さらに声を上げ続けていく必要があるでしょう。  (折口恵子) 


  対置すべきは、国境を越えた対政権闘争  ――戦争を呼び込む《抑止力》至上主義――

 防衛省の〝有識者〟会議が、原子力潜水艦の開発・導入などを提言した。

 有識者会議というマッチ・ポンプのお手盛り機関を使って、政府はまたしても軍拡の下準備を進めている。

 私たちとしては、足下から反戦平和の闘いを拡げ、〝政府による戦争への道〟を閉ざしていきたい。

◆また一つ、軍拡タブーの突破口づくり

 先月号で、戦争準備に突っ走る日本の次のターゲットが、長距離弾道ミサイル、核保有、それに徴兵制だと警鐘を鳴らした。が、その舌も乾かぬうちというか、垂直発射型ミサイル(弾道ミサイル)を装備した〝次世代型潜水艦〟の導入だという。

 要するに、核弾頭搭載可能な長距離弾道ミサイルを搭載した原潜の開発・保有のことであり、それに着手せよ、という提言だ。もはや専守防衛などどこへやら、軍拡への〝たが〟が外れたかのような、やりたい放題の軍拡だ。

 この提言をとりまとめたのは、防衛省が設置した「防衛力の抜本的強化に関する有識者会議」だ。こうした〝有識者会議〟は、「国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議」など、過去のいくつもの有識者会議と同じく、政権の思惑の道を掃き清める御用有識者による会議を再現したものだ。

◆軍拡の先導役

 この有識者会議が9月19日、ミサイル垂直発射装置(VSL)搭載の潜水艦について、〝次世代の動力〟を活用した開発など検討することなど、「六つの提言」を防衛相に提出した。要するに、潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)を発射可能な原子力潜水艦を建造すべき、などという提言だ。

-- -- --(別記――1)
   抑止力至上主義の「防衛力の抜本的強化に関する有識者会議」報告書(骨子)
    (カッコ内の表現を適正化――筆者)

 ・ミサイル垂直発射装置=VLS搭載の原子力(次世代の動力)潜水艦の研究・技術開発
 ・無人兵器(アセット)の本格的導入を検討すべき
 ・太平洋側における戦略装備(空母艦隊や長距離ミサイル?)の導入
 ・インド太平洋地域の軍事連携構想(OCEAN)
 ・武器輸出(防衛装備移転)5類型の緩和などで輸出拡大が必要
 ・他国から脅威を受けている国への武器輸出(防衛装備移転)の制限を外す
 ・国営兵器工場(国営工廠)の導入、防衛公社などによる多様な資金確保
 ・攻撃力(抑止力)破壊力(対処力)のさらなる強化は待ったなしの課題
 ・戦力整備の計画や対象期間の短縮も検討すべき
-- --- --
 これは見過ごせない。原潜は、〝核抑止力〟の中軸とされている攻撃兵器だからだ。

 現在の核保有国は、核兵器の発射手段として格納サイロからの大陸間弾道ミサイル(陸)、爆撃機などからの発射(空)、それに潜水艦発射方式(海)を持っている。核弾頭搭載可能なSLBM原潜を保有しているのは、米ロ中英仏印の6カ国で、すべて核保有国だ。原潜は隠密性が高く、長時間潜水したままで長距離を移動できる。しかも、自国が攻撃されていても攻撃可能なので、報復破壊力も高い。

 専門家会議は、併せて武器輸出三原則(と運用指針)の緩和や防衛費の対GDP比2%の前倒し達成、それに「抑止力・対処力の強化」として〝攻撃力・破壊力の強化〟も提言しており、政府による軍拡のお先棒を担ぐ役回りを果たしている。政府の何でもありの暴走を、許すわけにはいかない。

◆曰く付きの〝有識者会議〟

 この提言を行ったのは、「防衛力の抜本的強化に関する専門家会議」で、24年2月に防衛相の下に設置されたものだ。座長は財界代表の榊原定征(経団連名誉会長)、座長代理は、これもこの種の専門家会議の常連である北岡伸一(東大名誉教授)、委員には元防衛相や自衛隊幹部経験者、外務・防衛の官僚出身者や学識者、それに新聞社(読売)のトップまで含まれている。別に十一名の部会メンバーも設置(六名は総会委員兼務)されている。まさに〝軍官産学〟と報道を束ねる御用機関という以外にない。

 この種の審議会や専門家会議は、政府がやりたい施策をお膳立てする役割を担っており、国会審議抜きの閣議決定だけで政策展開するための免罪符にもなっている。現に、これまでも《国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議》など、とってつけたような有識者会議を多用して、軍事力拡大や防衛戦略づくり、それに防衛費増などを推進してきた経緯がある。

◆反政府闘争の連携

 世界的な軍拡競争で度々登場する《抑止力論》などでは、軍拡に歯止めをかけることはむろん、輪をかけた軍拡のエスカレーションを招き寄せるだけだ。反戦・平和の闘いは、だから、それぞれの国の政府に対する、国民・民衆の反戦闘争を対置する以外にない。その闘い如何で、政府が引き起こす戦争を止めることができる。

 その反戦闘争の根拠は、憲法違反だとか、立憲主義がないがしろにされている、というだけでは限界がある。現に、10年前の安保法制に対する反対闘争も、一旦は大きな拡がりをつくり出したが、解釈改憲を強行されて以降、違憲論議を基盤とした闘いは低迷したままだ。

 米国や欧州での反戦闘争を見習うべきだ。NATO諸国など個別的・集団的自衛権を認めている国でも、殺し合いを拒絶する人々による反戦闘争は、どこでも多くの人々が参加して闘われている。憲法違反だからどうとかの次元の問題ではない。米国がベトナムから手を引く転換点にもなったあのベトナム反戦闘争など、敵味方双方での反戦闘争は、戦争をやめさせる決め手にもなった。

◆国際連帯を阻む〝○○ファースト〟

 欧米ばかりでなく〝自国ファースト〟などのスローガンが、日本でも拡がっている。そうしたうねりが容認しがたいのは、それが諸国民、諸民族の分断を拡げ、移民や外国人排斥を煽るからだけではない。国境を越えた労働者・市民による反戦闘争の拡大にとって大きな障害になるからだ。移民排斥や外国人を敵視する立場からは、国境を越えた反戦闘争の連携など、思い浮かべようもない。

 先の参院選で躍進した参政党は、欧州などの〝急進右派ポピュリズム〟を飛び越えて〝極右ポピュリズム〟に分類されるべき集団だ。例えばドイツの〈ドイツのための選択肢(AfD)〉やフランスの〈国民連合(RN)〉などは、移民排斥などを掲げてはいるが、〝脱悪魔化〟を遂げたいま、民主主義そのものを否定してはいない。日本の参政党は〝主権は国家に帰属する〟として、国民主権・民主主義そのものを否定している。

 国や国家というのは実在の組織や機関ではなく、行政府・議会・司法府と国民との関係概念だ。〝主権は国家に帰属する〟ということは、三権に権力が帰属する、とりわけ執行機関の行政府に権力が帰属する、とならざるを得ない。〝政府独裁〟、それが参政党がいう〝主権は国家に帰属〟の中身なのだ。参政党が極右政党であるゆえんの一つだ。

◆〝隣人〟が標的に

 そんな急進右派のポピュリスト政党や極右政党が掲げる、外国人や移民排斥に繋がる〝自国ファースト〟や〝日本人ファースト〟。元は〝レディ・ファースト〟や〝子供ファースト〟など、社会的弱者(と言われてきた)を大事にする標語だった。が、いつの間にか《自分ファースト=自己チューなスローガン》にすり替えられてしまっている。

 近年で最初に登場したのが、〝アメリカ第一主義(=アメリカ・ファースト)〟を掲げた第一次トランプ政権が誕生した2016年の大統領選だ。トランプは、大統領選挙前年の15年からこの標語を使い出していた。

 次が小池百合子都知事だった。2016年の都知事選で《都民ファースト》をマニフェストに掲げ、当選後、《都民ファーストの会》を立ち上げた。

 《○○ファースト》という標語は、それ以外の対象を敵や標的としかねないスローガンであり、むしろ、そのための旗印になっている。しかも、その標的は、私たちの頭上に存在する、私たちを従属させ、押さえ付ける〝巨大な支配構造〟にではなく、自身の目線の先、自分たちの身近に存在する〝ひ弱な対象〟を標的にする。たとえば、自分たちの周囲の外国人であったり、優遇されている(と思われている)高齢者であったり、生活保護者や障害者など福祉施策の受給者であったり、だ。そうした言説は、いずれはブーメランのように我が身に向けられかもしれないのに、だ。

 現に、先の参院選でも、「日本人なんだから、日本人ファーストは当たり前よね」「まずは家族や家庭を大事に、と同じでしょう」などと語る声がテレビでも紹介されたりした。が、それが「近隣の外国人が不気味で不安だ」「外国人が我が物顔でのさばっている」「入国規制や強制帰還が必要だ」等と、一足飛びに外国人排斥へと直結されてしまう。

 逆に、企業献金と税の優遇などで結託する政官業癒着体制や大企業の系列システム、また、憲法前文でも明記されている「政府の行為」による「戦争の惨禍」という政府の監視など、巨大な相手を対象とすることは避ける。仮にそれらを標的にすれば多大なエネルギーを費やす必要に迫られるし、そんなことはやらない。

 要するに、〝自国(=自分)ファースト〟という旗印は、人々のエネルギーを、本来向けられるべき巨大な対象に向かわせないための旗印・アジテーションになっているのだ。

◆階級闘争・対政府闘争の視点を!

 いま世界で拡がっているポピュリズムは、労働組合や市民団体など、中間組織を無視し、また意思疎通や結合手段をSNSなどを多用したリーダーと人々とを直接結びつける手法で、拡がってきた。

 が、階級闘争、対政府闘争では、身近な中間組織が大きな役割を果たす。

 かつて、労組ナショナル・センターとしての総評時代では、労働組合がそうした闘いの土台となっていた。それが、1987年の総評解体、連合の結成以降、闘いのプラット・フォームとして機能しない時代になった。

 いま実施されている自民党の総裁選挙では、世論調査では、第一位は高市早苗候補、二位が小泉進次郎候補だった。高市候補は、若者世代、現役世代に支持率が高かったという。

 若者世代や現役世代は、すでに自民党から離れ、参政党や国民民主に流れているといわれる。その結果、自民党支持者の間では、一位が小泉候補、二位が高市候補だったという(朝日9月22日 世論調査結果)。

 無理もない。

 若者や現役世代は、労組活動やそれを土台とした反戦闘争の経験が、まずない。かつて〝国際反戦デー〟など、曲がりなりにも労働者的取り組みを担ってきた総評労働運動。その屋台骨だった国鉄労働組合(国労)が解体される契機となった国鉄分割民営化が1987年4月1日だった。総評が解体されて連合が結成されたのは87年11月20日だ。

◆足下からの反戦闘争を!

 その年から今年は38年だ。その年に新卒で就職した現役労働者は高卒で55歳、大卒で60歳になる。現役労働者のほとんどが〝連合時代〟を生きてきたことになる。それらの年代の現役世代は、一部を除いて、就職してからまともな組合活動の経験は無いし、従って労働者・組合員意識も身に付けようがなかった。

 というのも、民間大企業の労組はほとんどがユニオン・ショップ制で、会社員になると自動的に労組員なってしまう。組合とは何なのか、組合員とはどういうものか、学校では教えてくれないし、就職しても、そんな問題意識も経験も身に付ける機会もなく、会社人間になり、労組員になる。

 その労組の多くは、〝企業あっての労働者〟という企業内組合=御用組合であり、個々の労働者はその労使共同支配体制に組み込まれてしまう。要するに、熊沢誠のいう《企業主義的統合》だ。

 連合としては、平和運動だとして「平和行動in広島」など「平和四運動」、それに北方領土や竹島などの領土紛争も含めた「七つの絆運動」に取り組んでいるとしている。が、それらは〝式典〟や〝イベント〟であって、一般組合員が自発的に参加するデモや集会などではない。むしろ連合の民間大労組などは、組合員が本来の反戦・平和行動に参加するのを警戒・監視する位置取りだ。

 そんななかで、巨額な内部留保をため込み、株主優ばかり優遇する大企業を横目に、低賃金や長労働時間で疲弊する若者や現役労働者、とりわけ〝アンダー・クラス〟の地位でもがく非正規労働者。そうした現役世代が、〝失われた30年〟が〝40年〟に向かう苦境のなか、〝手取りを増やす〟〝社会保険料負担を減らす〟という〝再配分〟スローガンに飛びつかざるを得なかった、わけだ。要するに、これまで反戦・平和運動の拡大などに取り組んできた〝労働者派〟〝左派〟〝リベラル派〟の歴史的敗北の結果だという以外にない。

 繰り返すが、〝抑止力〟なとという国家間対立のエスカレーションそのものが、抗争と戦争を呼び込む。この際、初心に立ち返って、地道な組合づくり・活動づくりを土台とした、国境を越えた反戦・平和闘争の再構築に賭ける以外にない。(廣)案内へ戻る


  トランプ政治に打ち勝とう 独裁者はいらない、労働者、貧困者の政治の拡大を!

 またまたトランプが独裁への道を今一歩進めようとしています。

2025年8月11日、トランプ大統領は「犯罪非常事態」を宣言し、ワシントンD.C.の警察を市政府の支配下から連邦政府の支配下に置きました。ワシントン D.C.(コロンビア特別区)とは、州ではないものの自治権を持っていますので、市当局は勿論抗議しています。

 同時に、国民衛兵(National Guard)(=「州兵」と報道されることがある)および他州からの国民衛兵部隊を含めて、「連邦を支援する形」で複数の部隊を動員。越権行為だと怒りの声が上がりました。部隊は当初は武装していない状態での巡回などが報じられていましたが、後に武器を携行するようになっているようです。

 さらにBBCが最近報道したところでは「トランプ氏、自らの政敵を訴追するよう司法長官に迫る」とあります。大統領権限を拡大し、議会制民主主義や三権分立の建前を押し崩そうとしているのです。まさに「王様」というわけです。

 さらにMAGAのチャーリー・カーク殺害事件を奇貨としてトランプらはメディア支配を強めています。「メディアが自分(トランプ)に対してネガティブな報道ばかりしている」と不満を表明。 具体的には、ABCの深夜番組司会者ジミー・キンメルの番組内容を問題視して圧力をかけ結果として番組が放送休止状態になってしまいました。そのうえで、「自分に批判的なネットワーク(放送局)は免許を取り上げるべきだ」という趣旨の発言を行っています。

■権力集中を目指すトランプ勢力

 米国では1970年代以降、司法省が大統領からの政治的干渉を受けずに独立した判断を下すという伝統が築かれてきました。大統領が個人的な政敵のリストを挙げてその訴追を直接司法長官に要求することは、この司法の独立を損なう行為と見なされ、民主的な統治システムに対する侵害と理解されているので野党民主党のチャック・シューマー上院院内総務は、これを「独裁への道」だと強く非難していますが、当然のことです。安倍政権時代、検察庁法改正をしてまで「安倍官邸の番犬」と揶揄されてきた黒川検事長を検事総長にごり押ししたことを想起させます。(賭けマージャンとツイッターデモで後に失墜)
 
 さて米国に戻りますが、問題は何がこのような独裁への衝動を生み出し続けているのか、そして、その「論理」はどのように正当化されているかという事です。
 ・・・・・・・・・・・
「単一執行府理論」との関連をまず見てみましょう。トランプ氏に影響を与えているとされる「プロジェクト2025」という計画では、「単一執行府理論」に基づき、司法省を含む連邦政府の行政機関はすべて大統領の直接統制下に置かれるべきだとする提言がされています。「プロジェクト2025」は、アメリカの保守系シンクタンク「ヘリテージ財団」が中心となってまとめた、大統領選後の政権移行に向けた包括的な政策提言と行動計画です。

「単一執行府論」はアメリカ合衆国の法学・政治思想において長年論じられてきた概念です。アメリカ憲法第2条第1節:「大統領に行政府の権限が属する」この条文に基づき、一部の憲法学者や保守派は次のように主張してきました「行政府の最終決定権は大統領にある。大統領は行政府の各部局(司法省、国防省など)を直接統括できる。行政府内の官僚は、大統領に対して忠誠義務を負う」。さらに一部強硬派(つまりトランプ派)は、「大統領は議会制定法に反してでも、国家安全や憲法保護のために行動できる」と解釈しています。この「見解」が、トランプの暴走を正当化する「論理」なのです。

 しかし、このうち第2条第1節に「大統領に行政府の権限が属する(vested)」とあるため、「単一執行府論」が成り立ちうる余地がありますが、それは行政の枠内の話であり、他の二権(議会の立法権と司法権)に介入する根拠にはならないというのが定説なのです。トランプ陣営はそれを極端に拡大解釈し、個人的権力集中の理論的正当化に利用しているという点にこの問題の核心があります。トランプは「安全保障」「治安」を盾に取り、関税制度を決定(訴訟中)したり州兵を動員したりFRB(連邦準備制度理事会)の人事に圧力をかけています。トランプは「大統領は国家のCEOであり、部下は命令に従うべき」 という企業家的発想を社会制度に持ち込もうとしています。

 詳しくは「トランプ政権が独裁へ至る道と「単一執行府論」 独裁抵抗闘争に連帯を!」(ワーカーズ七月一日号)参照

■貧富の格差を根底に、分断と不信が増幅されている

米国では1980年代以降、富の集中が進み、新自由主義的な政策によってさらに中間層の没落が目立ちます。日本と同じように医療費や教育費の高騰、非正規雇用や産業空洞化による不安定な暮らしが客観的に定着する一方で、「ワシントンは腐敗している」「民主党も共和党も同じ」「ワシントンのエスタブリッシュメントが諸悪の根源だ」といった矮小化された認識(陰謀論)が広がり、「不正と戦う大統領」が待望されたというわけですが、もちろんこんな話はでたらめです。高関税政策やオバマケアとメディケイドの削減は貧困層を直撃します。富裕層や大企業に有利な税制、一方、最低賃金の引き上げには反対しています。トランプ予算は軍産複合体へ巨額の利益を保証しました。このようにトランプの政治は押しなべて低所得者を踏みにじり富裕者・大資本に有利なものばかりです。
 真の貧困層の敵は「ワシントンのエスタブリッシュメント」だけではなく、資本家、金融資産家、(トランプを含めた)富裕層等々などです。そして資本制度という搾取体制全体の廃止を目指さなければなりません。

 トランプは、支持率が急速に低下しつつも、むしろそれに反比例して政治弾圧を強め、権限の集中を進めようとしています。なぜでしょうか?トランプこそ貧困層の共通の敵であり、今や大統領として総資本の上に君臨しています。トランプ打倒の闘いを!王様はいらない、独裁者はいらない!労働者、貧困者の政治の拡大を!(阿部文明)


  「・・・ファースト」よりオンリーワンで尊重し合おう。

 アイドルグループ「スマップ」が歌い、作詞・作曲は槇原敬之の「世界に一つだけの花」は一番を目指すよりオンリーワンであるそれぞれの個性を認め合い、その個性を生かすことがよいことだと歌い人気を得たが、今、一番を目指す「日本人ファースト」とか「アメリカ・ファースト」とかの言葉が何か世の中の活性化を生むと思わせる標語のように言われている。

昔の「アメリカファースト」は消極的な中立主義だった。

 アメリカ・ファースト(アメリカ第一主義、米国第一主義)は米国の大統領選挙候補者であるトランプ氏が掲げ、大統領になって推し進めている今の米国の政策理念である。

 政治的スローガンとしての「アメリカ・ファースト」「アメリカ第一主義」は、「第5代アメリカ合衆国大統領ジェームズ・モンローが、1823年に議会で行った7番目の年次教書演説で発表したモンロー宣言や」「1850年代にカトリックの移民排斥を主張したユダヤ人の米国下院議員であるルイス・チャールズ・レヴィンが設立したアメリカン党に由来し。その後、第一次世界大戦以降のスローガンとして民主党と共和党の両方の政治家によって使用されて有名となった。第一次世界大戦期のウィルソン大統領は、ジャーナリストのウィリアム・ランドルフ・ハーストと同様に中立を表明するためにこの言葉を使用した」『ウィキペディア(Wikipedia)より』というように1800年代から言われていたもので新しいものではない。

 当時アメリカの経済力や軍事力は第2次世界大戦で勝利し、軍事的・経済的にもトップに躍り出た大戦後のアメリカとは違い、弱いものであり、世界中に広まりつつあった帝国諸国間の闘いや民族独立などの紛争からアメリカを守り、逃れるために「アメリカ・ファースト」を掲げた中立的政策であり「強いアメリカ」を目指したものではなかった。

 トランプ氏が目指す「アメリカを強く」すると「メイク アメリカ グレート アゲイン、MAGA」は第2次世界大戦後の栄華を取り戻すために持ち出されたもので、アメリカの国際的な影響力の衰えと経済力の低下が背景にあり、その社会的な不満や危惧から活性化がもたらされるという“希望”によって今は支持されている。

 「強いアメリカ」を目指し“希望”を与えているかに見えるトランプ大統領のアメリカは、関税問題や気候変動問題でパリ協定離脱し国際的に孤立の道を歩んでいる。

 現代資本主義社会は市場を求めて世界中にネットワークを築き利益を追求してきた、経済活動が世界的に関連しあっている中で、「アメリカ・ファースト」といって一番を目指すのは他を排除することであり、歴史的流れとも相容れない政策であることは明らかだ。

参政党の「日本人ファースト」

 参政党は「日本人ファースト」をかかげて、この参議院選挙で議員数を大きく得た政党である。参政党が掲げた「日本人ファースト」は、参政党がもっとも大切にしている価値観で、アメリカのトランプ前大統領が掲げた「アメリカ・ファースト」に影響を受け、日本でも同様に自国民を第一に考える政治が必要だと、神谷宗幣代表は主張している。

 米国のトランプ大統領が掲げるアメリカ・ファースト(アメリカ第一主義、米国第一主義)との違いは『国』を第一に主張するトランプに対して、「日本人が安心して暮らせる社会を最優先に考えよう」と『日本人』を前面に押し出したところにある。政策には「日本人を豊かにする」「日本人を守り抜く」「日本人を育む」という3つの柱で、具体的には、外国人の優遇政策を見直し、日本の文化、経済、教育、安全保障を守ることを最優先にするというものです。

 長引くデフレや賃金の伸び悩み、物価高騰など、多くの国民が経済的な閉塞感を抱いている不安定な経済状況下で、「自国民の生活を守るという」呼びかけは「日本人の生活が脅かされている」「日本のアイデンティティが失われつつある」といった国民大衆が抱いている社会の変化への戸惑い・既存政治への不満・切実な危機感や不安感に乗っかり、経済的な閉塞感や不安定な経済状況を打開できず、献金問題や裏金作りに奔走する既成政党・特に自民党の票を取り込み躍進したと言える。自民党内部にはこうした主張を言うものは多くいるが、左右ごちゃ混ぜの古い政党では活性化への説得力も無く新鮮味がないと言ったところだろう。

差別化や排除より共生へ

 アメリカでも日本でも「ファートス」になるためのターゲットは他の国・異民族であり、それとの差であり、それらの排除を目指すことで「第一位」を得ることを意味する。

 アメリカの発展は黒人を奴隷化し、搾取し発展してきた歴史がある。アメリカは多民族国家というように他民族を多く受け入れ広大な土地を開墾し、アメリカ資本は彼らからの搾取・収奪ばかりでなく世界中に進出し、世界で第一位の経済力を得たのである。

 現在の日本は、少子高齢化による労働力不足が深刻化していることもあるが、日本人の賃金の高騰でより低賃金の外国労働者の受け入れは資本にとってはその経済活動を維持していく上で不可欠な要素で、外国労働者は、医療・介護、建設、農業、ITなど、多岐にわたる分野で日本の社会を支える重要な担い手となりつつある。

 資本にとって「日本人ファースト」は正規労働と非正規労働という労働者を差別したように、外国人労働者をおとしめ差別をつけることで搾取と収奪を正当化する理由ともなるのである。

 異なる文化や価値観を持つ人々が共に暮らすことは、社会に新たな視点や活力をもたらし、多様性は、社会を豊かにする力。差別化や排除ではなく、人類・全ての民族が差別無く尊敬し合う共生社会を目指すことこそ人類の目標としたいものだ。(光)案内へ戻る


  読書室 出井康博著『移民クライシス 偽装留学生、奴隷労働の最前線』角川新書2019年4月刊

〇外国人労働者の受け入れ拡大のための改正入国管理法・難民認定法により、2019年以降の日本には、移民クライシスとでも形容すべき凄惨な状況が広汎に拡大している。本書は、政官財の利権構造と日本へ入国した外国人労働者の実態を鋭く暴露した本である○

暴かれた「特定技能」の名による政官財の利権

 2018年12月8日、外国人労働者の受け入れ拡大のための改正入国管理法・難民認定法(改正入管法)が、自公の他、日本維新の会などの賛成多数によって成立した。この法律によって翌年4月から「特定技能」の新たな在留資格の下、外国人労働者の受け入れが始まったのである。

 本書の著者である出井氏は、2019年は日本が「移民国家」に向けて大きな一歩を踏み出す画期の年として記憶されるかもしれないとした。この指摘は当然だろう。

 問題の在留資格は、「特定技能1号」と「特定技能2号」とに区分けされる。「特定技能1号」とは、単純労働で介護や建設、外食、飲食料製造などの14業種での就労期間は最長で5年の就労が可能となる。延長可能で最長は10年となる。「特定技能2号」は「熟練した技能」を持つ者に限定された資格で就労期間の制限はなく5業種である。

 日本は、これまで外国人実習生や外国人留学生の受け入れで急場を凌いできたが、今後はこの法整備で対処する方針に切り替えた。そして国会での論戦では「実習制度」が焦点化した。実習生の失踪が頻発していて、新聞などで広汎に知れ渡っていたからである。

 失踪者数は、2012年には約2千人、2017年には約7千人だ。失踪理由の67%が低賃金。本来は彼らの賃金は「日本人と同等以上」と定められてはいるが、そこから家賃等を引かれれば最低賃金となる。ゆえに彼らの一部は失踪して不法就労の道へ走る。

 だがこのような実習制度についてマスコミも野党政治家も切り込むことはなかった。要するに彼らは実習制度の設計そのものを問題にすることは決してなかったのである。

 実際のところ実習生の受け入れ先である零細企業や農家には、送り出し国と日本の双方に存在する仲介団体が必要だ。勿論、営利目的の仲介は禁止されているから民間の人材派遣会社は関与できない。だがこれは建前にすぎない。送り出し国での実習生の斡旋は、実際には旨味のあるビジネスとなっており、日本側の「管理団体」もまた同様である。

 この「管理団体」は、「事業協同組合」の看板こそあれ、やっていることは民間の人材派遣会社と大差ない。この組織は送り出し機関から一人当たり十万円程度のキックバックを受けつつ、受け入れ企業からは毎月三~五万円程度を「管理費」をピンハネしている。

 なぜピンハネがなくならないのか。なぜならそこに官僚の利権があるからだ。それには自民党等の政治家が深く関わっている。本書の第九章は「政官財の利権と移民クライシス」と題され、まさにその秘密を暴くために充てられている。まさに精読すべき章である。

移民クライシスの実際の暴露

 本書第一章「『朝日新聞』が隠すベトナム留学生の違法就労」の中で朝日新聞等で行われている留学生の就労条件の「週二十八時間」を越えた朝夕刊配布を告発している。新聞業界の配達体制は今や外国人留学生たちが担っている。しかもそれは「入管法」や「労働基準法」に明確に違反した形で強制されている。新聞がこの事実を隠すのは自らがこれに深く関わっているからだと暴露された。勿論、これに抗議すれば解雇されるのである。

 第二章は「『便利で安価な暮らし』を支える彼らの素顔」で、留学生は送り出し国のブローカーに騙されたり、高額の費用工面を課された挙句、自国への帰国後に何の役にも立たない単純労働、日本語もほとんど使わず(つまり日本語の習得など無理)に済む職場で酷使されている。彼らの間では日本語の習得が可能となるコンビニで働ける留学生は「エリート」と呼ばれ、睡眠時間まで削られる留学生は学業時間が睡眠時間の一部だという。

 第三章は、「『日本語学校』を覆う深い闇」である。ここでの暴露は驚愕の一言。日本語学校の実に八割は「悪質」である。国会で共産党の議員から経営が営利目的になってはいないかとの質問があったように、一部には悪質な学校があるとの認識だが、実際には就労目的の偽装留学生を受け入れるための「日本語学校」なのである。まさに驚くばかり。

 第四章は、「『日本語教師』というブラック労働」である。先に述べたように「日本語学校」とは名ばかりの学校では日本語能力試験の合格者数が決められているでもなく、行政からその「日本語教育の質」を問われて指導が入ることもない。だから日本語学校業界の関心は留学生の「入学者数」を増やし、ただひたすら利益追求することにある。そこで働く日本語教師は当然ながら良心の呵責に悩むことになる。ベトナムに赴任したある教師は、この「現代の奴隷貿易」とでも評すべき学校の悪徳商売に対し裁判に立ち上つた。

 この人物を詳しく紹介する形で、ある日本語学校の悪業を詳しく告発したのである。

 第五章は、「『留学生で町おこし』という幻想」である。かって日本語学校は大都市に集中していた。しかし最近では過疎地や離島でも設立されている。留学生により人手不足を解消するためである。では本当に留学生によって「町おこし」は成功したのだろうか。

 ここには様々な失敗が例示されている。当然である。日本人が居付かない所には、彼ら自身もまた住みたくはないからだ。まさに「町おこし」などは幻想であったのである。

 第六章「ベトナム『留学ブーム』の正体」、第七章「『幸せの国』からやってきた不幸な若者たち」としてブータンからの若者たちが論じられ、第八章「誰がブータン人留学生を殺したのか」で締め括られる。これら三章は送り出し国側のブローカーの暴露である。

 警察には「自殺」と処理された彼は、ブータンの地元メディアで大きく報じられた。彼の死がきっかけでこれまで伏せられていた日本への留学制度「学び・稼ぐプログラム」の実態が明らかになり、ブータン首相も留学生の救済に乗り出した。政府の反汚職委員会も一旦中断した調査を再開した。出井氏のブータン留学生に関する留学斡旋ブローカーや労働人材省の幹部批判の寄稿記事は、当然にもブータン中で大きな反響を呼んだのである。

 また結核性髄膜炎で死亡した女子留学生は「弁当やパンの工場などで三つの仕事を掛け持ちして働いていた」。実際、このような過酷な生活が彼女の発病の原因の可能性もある。

 その後、汚職の発覚も影響し労働人材省の留学制度は、政権交代により厳しく監視されるようになる。そして留学斡旋ブローカー「ブータン・エンプロイメント・オーバーシーズ」(略称BEО)と労働人材省との癒着が留学生の声が上がる中で問題視されていく。

 こうしてブータンにおける利権構造は初の集団訴訟が起きるか否かにまで立ち至る。

 出井氏は、本来であれば日本はブータン政府と連携して留学生の救済に乗り出すべきだが、日本政府は相変わらず冷淡な態度を示している。外務省はマスコミに非公開でブータン人留学生へのオリエンテーションを開催した。まさに外務省はその共犯者なのである。

 本書は、全編出井氏の義憤に満ち満ちている。この正義漢の彼の容貌は、ユーチューブの検索でいくつか確認できる。それらの視聴と本書の購読を呼びかけたい。(直木)案内へ戻る


  奈良の鹿と「外国人によるイジメ」という風評

 奈良公園の鹿をめぐって、「外国人観光客がいじめている」という話が繰り返し広がっています。

自民党総裁選でも、高市早苗氏がこの話題を何度も取り上げたといいます。しかし東京新聞のファクトチェックによれば、その根拠はまったく確認できず、鹿を傷つける事件で実際に検挙されたのはいずれも日本人だったのです。むしろ統計を見れば、鹿の被害よりも人間が鹿に怪我をさせられるケースの方が圧倒的に多いのだとも指摘されます。

 奈良の鹿は「神の使い」として古くから守られてきた存在であり、現在も国の天然記念物に指定されています。しかし、同時に、彼らはペットでも家畜でもありません。あくまで野生動物であり、自由に公園を歩き、人間に近づくこともあれば威嚇することもあるのです。その距離感を理解せずに、ちょっかいを出したりすれば、鹿が怒って突進してくることも当然あり得るのです。問題のポイントは「外国人か日本人か」ではなく、野生動物との付き合い方を理解しているかどうかでしょう。

 それにもかかわらず、「外国人が鹿をいじめている」との悪意に満ちたウソが政治家の口からも繰り返されるのは憂慮すべきことです。事実に基づかない話を利用して外国人(観光客)への反感を煽ることは、地域の観光振興にとっても国際友好にとってもマイナスです。世界から観光客を迎える奈良ひいては日本にとって、排外的な感情を刺激する言説は本来もっとも避けるべきでしよう。

 私たちに必要なのは、冷静な現実認識に基づいてトラブルを避けることです。鹿は野生であり、人間との共生は細心の注意を必要とするのです。観光客も地元の人々も、適切な距離を取り、互いに危険がないように振る舞うべき話です。

 観光客(外人か日本人か不明)が乱暴な様子で鹿に接する切り取り動画を取り上げ「外国人が悪い」「けしからん」という感情論によりかかった物語に飛びつく人は困ったものです。とりわけ一般市民ならぬ「総理総裁候補」高市早苗氏が外国人排撃に手際よく利用する姿勢にはあきれてしまいます。(A)


  コラムの窓・・・物足りない社説の論調!

 毎日が日曜日になると、朝食後、新聞を開くことになります。さて、今日の「神戸新聞」の社説はいかに、最低賃金1千円超・持続的に引き上げてこそ、とあります。

 その末尾では、「データに基づき、落としどころを探る現行方式を含め、政治との距離など今後の最低賃金の決め方はどうあるべきかを議論する必要がある」と、ありきたりの結論です。賃金は本来労働組合の力で勝ち取るものですが、いまでは最賃頼みとなっている感があります。

 時給1000円で年間2000時間働けば年収200万円、8時間労働で250日働いた対価ですが、これでは生活は厳しいでしょう。まして、非正規だったらこの条件すら維持できるかどうかわかりません。例えば、会計年度任用職員として自治体で働いている労働者は年度末を超えて雇用が継続される保障はなく、この制度が官製ワーキングプアと呼ばれる所以でもあります。

 労働側が求める最賃1500円では年収300万円となり、何とか生活できる額になるのかと思われます。本来、賃金は労働者が生活できる額でなければならないものであり、最低賃金がそれを下回ることは許されないものです。マスコミは経営側への〝配慮〟などをあげて〝落としどころ〟とかではなく、もっとはっきり主張すべきではないでしょうか。

 マスコミの論調は姿勢を明確にしないことが多く、結局のところああでもないこうでもない、議論を深めようで終わったりします。原発をめぐる議論では特にあいまいなままで、どっちなのと言いたくなります。これを「神戸新聞」社説で検証してみました。

 関電原発新設について「国民的な合意が不可欠だ」(7月24日)として「現在の原発建設費は1基1兆円、完成までは約20年かかるとされる。巨額の投資に見合う事業か。再生可能エネルギーの拡大など他の方策はないのか。政府と関電は多くの疑問を置き去りにしたまま、強引に計画を進めるようなことがあってはならない」、と。

 福島原発廃炉について「工程を見直し国民に示せ」(7月31日)として、福島原発廃炉が見通せなくなっているのに、政府は原発の最大限活用と60年超え運転も可能にしたと指摘し、次のように主張します。

「関西電力は今月、美浜原発の建て替えに向けた調査開始を表明した。完成まで20年かかるとされる。福島の廃炉も見通せない中、原発新設に踏み出すのが妥当なのか。社会全体で議論を深める必要がある」

 さらに、除染土の処分について「搬出期限を守れるのか」(8月28日)として、福島県内の除染土を2045年3月末までに福島県外に搬出するという約束を守れるのかとしつつ、次のように主張します。

「除染土の問題は地元以外では十分に知られていないのが実情だ。工程表決定を機に課題を共有し、国民的な議論を広げていく必要がある」

 原発はすべて廃炉にすべきという主張ができない、除染土は汚染土(処理水は汚染水)であり拡散させてはならないという原則も確認できない、だから力なく〝国民的議論〟と言うほかないのです。

 さらに斎藤元彦兵庫県知事に関する社説も取り上げると、「改正公益通報法/告発者を守り抜く制度に」(6月11日)はどうか、この法改正が兵庫県の告発文書問題と重なり、しかも斎藤知事が法違反し続けていると指摘して次のように主張しています。

「自治体は法令を遵守する姿勢を住民に示す立場にある。知事は非を認め、対応を根本的に改めるべきだ。その上で、組織を健全に保つための公益通報制度が社会にとって利点があることを周知し、告発への報復的行為を根絶しなければならない」

 何を今更とあきれるばかり、斎藤知事は刑事訴追されて有罪判決が確定しない限り「対応は適切だった」と言い続けるほかないのです。知事になること自体が目的だった知事、故金井元彦知事の〝元彦〟という名前の呪縛を、誰か解いて斎藤知事をこの苦境から退場させてあげてください。県民の願いです。 (晴)


  色鉛筆・・・保育現場に「スキマバイト」は国の保育政策の失敗だ

 数年前、テレビでファーストフード店のSUBWAY(サブウエイ)が自分の空き時間を使って短時間働くことが出来るスキマバイトを紹介していた。その時はマニュアル通りにやれば誰でも出来る仕事なんだと思っていた。

 ところが、今年の5月新聞にー保育現場に「スキマバイト」ーというタイトルに驚く!保育士がスキマバイトとは思いもよらなかった。保育はマニュアル通りに出来る仕事ではない。空き時間に単発で働けるスポットワーク=スマートフォンなどのアプリで求職と求人を仲介する「スキマバイト」が保育所など子どもを預かる現場に広がっているというのだ。深刻な人手不足に悩む施設側にとっては働ける人がすぐに見つかるとあって便利な一方、面接や履歴書なしに採用された保育士らが頻繁に入れ替わる状況に専門家や保護者から不安の声が上がっていた。そのため、子ども家庭庁は今年2月、『1~2日程度の短期の雇用を長期かつ継続的にに繰り返すことは望ましくない』とする通知を出した。

 ところが、こういう状況になったのは子ども家庭庁が2023年4月に出した通知が事の起こりなのだ。「1日6時間以上かつ月20日以上勤務」か「月120時間以上勤務」を常勤保育士、それ以外を短時間保育士と定義。働き方の多様化を踏まえ、必要な最低人員を定めた「配置基準」に短時間保育士を含めても「差し支えない」との見解を示した。その後、スキマバイトが急速に普及し単発でごく短時間だけ働く保育士が増えたのだ。本来は保育士の配置基準を引き上げて、常勤保育士の増員や給与の改善を行うべきなのに国はこうした場当たり的な規制緩和政策を長年行ってきた。今までも待機児童問題が深刻化すると、コストをかけずに保育施設などの「量」を増やす施策が続いた。その結果、保育現場が疲弊し保育士不足を招く事態になり、雑居ビルの中に子どもたちがひしめきあって過ごす保育施設や公園が園庭代わりになり、散歩中の交通事故や不適切保育問題も起こった。そして今度は面接も研修も受けない保育士をスキマバイトで人手を補充するようになってしまった。これは国の保育政策の失敗と言わざるを得ない。新聞に実際にスキマバイトで働いた保育士が「プールの監視業務を任され、1人で1,2歳児を含む9人の世話をした」と。これでは子どもの命は守れない。国は、慢性的に保育士が足りない施設で、スキマバイトに頼らざるを得ない現状をしっかり把握して、通知ではなく根本的に解決できる政策を行うべきだ。事故が起きてからでは遅い。

 私は地方で働く保育士なので近隣の保育園でスキマバイトの保育士はいないが、短時間保育士が増えて短時間保育士の仕事は15時から16時頃に終わってしまう。だが、子ども達は11時間保育なので子ども達はいる。短時間保育士の帰った後に働いてくれる人を募集してもいなく、無資格の人を保育補助員として雇用している。それでも足りなくて常勤保育士が超勤しているのだ。この時間帯にスキマバイトの保育士がいてくれたら、常勤保育士の負担はなくなるだろうと、思ってしまうほど常勤保育士の仕事量は多い。その為毎年退職する人が年々増えている。私の職場でも3人の子どもを育てながら仕事を続けていた常勤保育士が、肉体的にも精神的にも限界を感じて今年の3月退職してしまった。するとその彼女も保育の仕事が好きで、最近短時間保育士として働き始め久しぶりに会うと、以前のような疲れ切った顔つきではなく穏やかな笑顔だった。常勤保育士が仕事と子育てが両立できるように常勤保育士を今の二倍に増やして欲しいと切に思う。心穏やかにゆとりを持って働ける社会を望みたい。(美)

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