ワーカーズ651号 (2024/2/1)   案内へ戻る

   1・17の教訓は能登地方で活かされたのか 「借上復興住宅」の追い出しは二度と許さない!

 元日早々の石川県能登地方での地震の揺れは、29年前の阪神・淡路大震災を想い巡らさずにはいられませんでした。西宮市在住の私の住まいも、長い揺れを感じました。ニュースの映像からは、崩れる家々が映し出され、救出できない家族・親戚の安否を心配する声が流れていました。

地震発生から3週間を経て、死者230人を超え安否不明者が約20人、住宅被災は3万棟を超えるとされていますが、珠洲市や輪島市では被害の全容が明らかになっていないのが現状です(神戸新聞・1月22日)。阪神・淡路では、20万棟を超える家屋が全半壊し、犠牲者6434人の死因の多くが、建物倒壊などによる「圧死」でした。この被害を防ぐための耐震対策はその後、教訓化されてきたのでしょうか?

 震度6強の珠洲市によると、市内にある住宅6千戸のうち2018年度末時点で現行の耐震基準を満たしていたのは51%にとどまっています。輪島市の22年度末時点の耐震化率は45%とさらに低い水準を示しています。1981年の建築基準法改正で強化された「震度5強程度で損壊しない」から、震度6強~7で倒壊しない耐震対策が、行政をあげて真剣に取り組んでいれば、被害は減少していたのではないでしょうか。

 兵庫県では、独自の耐震改修促進計画をつくり、25年に97%とする方針。しかし18年時点では90・1%で全国平均は上まわるものの、いまだ22万9千戸が耐震不足の状態です。私の住む市営住宅も、8年前には耐震補強工事を行いました。しかし、個人所有宅の耐震補強には、高額な自己負担があり工事を断念してしまうことになります。高齢世帯には、切実な問題です。住宅の住み替えなども考慮して、公的な支援が急がれます。

 今、能登地方では、避難所から2次避難場所の確保が急がれていますが、安心した生活の保障が得られるには、まだまだ月日が必要です。阪神・淡路では、仮設住宅では場所の確保や工事の期間で、需要に追いつかないなどで「借上復興住宅」の利用を考案しました。この住宅は、民間やURの所有する住宅を自治体が借り上げ、個々の被災者に公営住宅として提供されるものです。当時、画期的な取り組みとして賞賛されました。

 しかし、2010年に神戸市が「第2次市営住宅マネジメント計画」を立案し、借上復興住宅で生じる賃料差額のコストを問題視して、借上復興住宅の入居を20年期限にして入居者の住み替えを強要したのでした。つまり、80才を超える高齢者を追い出したのです。西宮市も同じく追い出しに加担し、裁判まで持ち込んだのです。この追い出が後押ししになり、福島から避難してきた家族にも、同様に行われ現在各地で裁判闘争になっています。居住福祉の観点、更に憲法からも、自分の住居は自分で決める、自己決定権を主張し自分を守ってほしい。能登地方の被災者の皆さんにも是非、この想い届けたいと思います。(折口恵子)

(「まもられなかった人たち」検証「借上復興公営住宅」の強制退去策 兵庫県震災復興研究センター編集)参照


   賃上げと物価の〝好循環〟は?――春闘は〝始動〟したものの――

 今年も春闘が〝始動〟した。

 経団連も労組の連合も、そして岸田政権さえも昨年以上の賃上げの大合唱だ。

 〝政労使共闘〟での春闘は、成功を約束されたもの、といえるのだろうか。

 見かけだけの政労使〝共闘〟だからこその根深い閉塞状況の賃金闘争。その再興のために何が必要なのだろうか。(1月25日)

◆〝始動〟した24春闘

 先月の24日、24春闘が〝始動〟した。連合を招いての恒例の経団連主催《労使フォーラム》が開催された。午前には十倉経団連会長のビデオ・メッセージなど、午後には連合の芳野友子会長から今春闘の取り組みなどの紹介があった。

 この《労使フォーラム》で連合は、昨年の「5%程度」から「5%以上」と要求表現を強めた。

 対する経団連側は、「物価動向を重視し、ベースアップを念頭におきながら、できる限りの賃金引き上げを検討、実施を」と、リップサービスを振りまいた。

 加えて、岸田政権も、〝物価と賃金の好循環〟をかかげ、さらに、日銀の植田総裁まで、〝物価と賃金の好循環〟を金融緩和の出口指標の一つとすると語っている。

 これほど〝政・労・使〟による賃上げの大合唱、加えて日銀までも賃上げを金融政策変更のキーポイントに上げているからには、今年の春闘での大幅な賃上げは確実だろう……。と、誰しも考えるかも知れない。

 ところが現実は全く逆だ。こんななれ合いの大合唱に終始してるからこそ、昨年同様、そこそこの賃上げはあるにしても、実質賃金の低下から抜け出すことなど夢物語だ、といわざるを得ない。

 現に、民間シンクタンク・日本経済研究センターが1月15日、民間エコノミストの予測を集計した。これまでそれほど外れてこなかった集計結果は、ベース・アップの平均値が2・15%だったという。これでは物価上昇にも追いつかないレベルでしかない。

◆主張は一致しているが

 経団連の十倉会長はフォーラムで、「物価上昇に負けない賃上げをめざすことが経団連、企業の社会的責務だ」「構造的な賃金引き上げの実現……日本経済の未来がかかっている。」と語り、中小も含めた賃上げを呼びかけた。

 この言及そのものには、真実の一端が含まれている。物価上昇以下の賃上げでは、結局、実質的な有効需要全体が縮小し、企業の売り上げ、収益も縮小してしまうからだ。が、こうした判断は、個別企業の意思決定の外部にとどまらざるを得ない。個別企業にとって、利益を上げられるかどうかが、生き延びるための至上命題だからだ。そして賃上げするのは経団連ではない。自社利益最優先の個別企業だ。

 連合も「5%以上の賃上げ」を決めており、当日は芳野会長が「持続的かつ中小の賃上げへの波及」それに「発注企業に価格転嫁交渉のテーブルに着くこと」を要請した(毎日1・25))。

 が、表現を強めただけで賃上げを勝ち取れるほど、労使関係の現状は甘くない。特に中小企業はそうだ。

 政府は、物価と賃金の好循環が、経済成長をもたらす、としている。これも総資本の政治的代弁者としての政府の立場ではある。日銀も、賃上げと物価の好循環で、ゼロ金利政策からの脱却をめざす、としている。が、現在の普通国債の発行残高は約1000兆円。1%の利上げだけでも、単純計算で年間10兆円規模の利払いが必要で、政府の財政悪化に拍車をかける結果となる。あちらを立てれば、こちらが、という矛盾が露呈する。

◆賃上げを阻むピラミッド構造

 経団連は総資本の立場から需要と供給を考慮する。だから総需要を拡大する賃上げに積極的な一面もある。が、個別企業は、自社の収益が最大の判断基準だ。だから自社の需要増が見込める他社の賃上げは大歓迎だが、自社だけは競争で優位になるため低賃金を求める。あくまで決定権は経団連ではなく、個別企業にある。

 そんな個別企業にあっても、一部の有力企業は、春闘の結果を待たずに、独自の賃上げを決めている。たとえば、サントリーHDは、定昇込みで7%程度、ビック・カメラは7~16%、住友生命保険も7%以上、明治安田生命保険も平均7%だと公表している。昨年1月には、衣料品販売大手のユニクロが最大40%の賃上げを公表した。

 が、これは一部の余裕がある企業が、企業イメージ向上の手段として、あるいは人手不足のなか、人材募集の手段として賃上げをしているもので、全産業、全企業に拡がるものではない。

 大企業を代表する経団連は、一次、二次下請けなどを含む、系列企業全体の賃上げも呼びかけている。しかし、個別企業は、他社の系列企業も含めた賃上げは歓迎するが、自社だけは、系列企業の賃上げを抑えてきた。

 代表例が、日本一の大企業、トヨタ自動車だ。トヨタ自動車は、年に2回、半期ごとに下請企業(いまは協力企業と呼称)にコスト・カットを〝要請〟してきた。親会社からの〝要請〟は〝神の声〟だ。結果的に、一次下請はともかく、二次、三次下請けは、納入単価の引き下げを受け入れざるを得なくされてきた。

 その結果が、トヨタなど大企業・親会社の好業績、下請けの中小零細企業のギリギリの経営、というピラミッド構造がつくられてきた。

 こんな現実こそ、政労使がいくら綺麗事を言っても、業績も賃金も含めた親会社を頂点とする二重構造やピラミッド構造が変わってこなかった原因なのだ。そんな二重構造を温存したままでの政労使の大合唱が、いかにお題目に過ぎなかったのか明らかになったのが、昨年の春闘の真実だったのだ。

◆会社の別働隊=連合労組

 連合は、基本的に大企業・正社員の組合だ。最近では、中小企業を束ねた形だけは産業別の労組が加盟単位になっているが、実質的には個々の企業内組合の寄せ集め集団だ。

 同じように、最近ではパートなども含めた非正規労働者を組合員に迎えているが、実質的には平等ではない。一面で非正規にも配慮はする。が、反面では、いまだに正社員の雇用の調整弁としてしか位置づけていない組合や組合員も多いのが実情だ。

 その連合は、実質的には会社の言いなりの御用組合、自立した労働者や労組の発生や外部からの浸食を阻止する〝会社組合〟だ。

 現に、連合や加盟単組の多くは、企業利益を最優先とする路線や政策に終始し、労働者としての独自の要求や闘いを放棄したままだ。

 一例を挙げれば、膨らみ続けている株式配当や株価対策、それに経営者報酬を追及することや内部留保を労働者の賃金に配分することなど、まったく声を上げていない。

 それに、中小企業労働者の賃上げの原資になる納入単価の引き上げなど、本来は中小協力(下請け)企業の労組と一体となって親会社に要求して闘うべき大企業労組の役割を、まったく果たしていない。

 連合の御用組合的性格については、芳野友子会長による、労使関係についての発言が端的に示している(23年2・10朝日)。「日本では個々の企業の存続、成長に向けて労使が協力して力を発揮する。世界の中でもユニークかつ優れた仕組みだ。組合のない企業が多数を占めることに鑑みれば、この仕組みを広げていく努力が必要だ」と。

 個々の社員・組合員は、普段は職責に応じて一生懸命に働く。が、いざ、労働者の権利、処遇については、敢然と企業に要求し、闘う。労働組合は、第一義的に、そういう労働者の立場と声を結集し、代表する存在であるはずだ。

 それが芳野会長にあっては、現在の労資関係は、企業の存続、成長に向けて労使が協力して力を発揮する優れた仕組みだ、と臆面も無く語る。まさに御用組合の神髄が発露された言葉だという以外にない。永年、企業に飼い慣らされてきた結果なのだろう。

 そうした労使関係の中、今年もベース・アップなどの要求額や妥結額すら公表しないトヨタ労組など、会社の要請に唯々諾々と従うだけ労組が幅をきかす。どの労組がどういう要求を掲げて闘い、どういう結果を得られたのか。その共通認識があってこそ労働者が企業の壁を越えて連帯して闘えるのに、だ。そんな労組が本気で賃上げの闘いを担っていけるはずもない。

 こんな現実を知ってか知らずか、連合の芳野会長は、今回のフォーラムで「経労委報告(経団連の春闘方針)のほとんどのページは、共感を持って拝読した」と持ち上げたという(朝日1・25)。さもありなん、という他はない。

◆賃金は労働者自身が闘いとるもの

 大まかにいってバブル経済崩壊以降の〝失われた30年〟は、こうした労使構造からもたらされた面がある。またそれは輸出主導型の経済成長を追い求めた結果でもある。それは徹底したコスト・カットや人減らしリストラで国内需要を切り捨て、海外に市場を求めた経済モデルの結果でもある。その結果が、企業利益の傾向的増大であり、実質賃金の傾向的な低下だ。

 その責任は、一義的には、個々の企業や経団連にある。が、同時に、それを容認、あるいは抵抗、反撃してこなかった私たち自身、労働者の側の姿勢にもある。

 昨今の春闘に当たって、街頭インタビューなどでよく聞かれる労働者・組合員の声が象徴している。そこでは「賃金が上がってくれれば生活は良くなるので、期待しています」とか、「組合には頑張って欲しいと思います」等といった声が紹介されてきた。なぜ「私も闘います」と言わないのだろうか。

 これらの声は、たぶん、多くの視聴者や読者にとって、ごく普通の受け答えだなのだろう。違った声は、ほとんど聞こえてこない。意図的に削除されているとも思えない。ただ私は、こういう受け答えしか出来ないこと、それを不思議だとも思えなくされてしまった労働者のメンタリティーに対し、絶望的な印象を受けてしまう。

 要するに、賃上げ闘争など、労働者自身が主体的に関与するものではなくなってしまったのだ。もちろん、中小のユニオン系の労組やその活動家たちは、もっと積極的な姿勢で行動している人は多数存在する。が、全体の中では少数派にとどまっている厳しい現実がある。ここでは触れられないが、その背景には、賃金闘争の永年にわたる変質と形骸化の歴史が存在する。

 米国では全米自動車労組(UAW)の賃上げ闘争が、大きな成果を獲得した。その一つの要因は、全米自動車労組が一ヶ月以上にもわたる大規模なストライキを闘い抜いた結果だった。そうした闘いは、企業内組合、御用組合、会社組合の寄り合い所帯の連合に期待すること自体、無理だ。

 賃上げは、企業収益を、企業の取り分と労働者の取り分を競う闘いなのだ。労使で賃上げの声を上げれば獲得できるというものではない。政府に期待できるものでもない。労働者自身が闘って勝ち取る以外にないものだ、ということを改めて再確認したい。(廣)


  《労働者を取り巻く環境と昨春闘の結果》

 昨春闘の結果(連合は賃上げ率で5%程度の要求)

  連合傘下組合の要求賃上げ率   4・49%
  要求ベース・アップ分      2・83%
  正社員の賃上げ(定昇込み)   3・58%
  ベース・アップ分        2・12%
  組合員300人未満の賃上げ   3・23%
  同ベース・アップ分       1・96%

 他方で、総務省(1・19)によると、23年の全国消費者物価指数が対前年比で3・1%、生鮮食品を除く食料品が8・2%上昇したという。

 その結果、正社員の実質賃金は、0・98%、中小では1・14%減少していることになる。

 厚労省によると、2020年を基準(100・0)としてピークだった1996年で116・5で22年は99・6だった。すなわち、実質賃金は30年近く下がり続けてきたのが実情だ。

 また昨年9月時点では、名目賃金が1・3%上昇、物価が3・9%上昇し、実質賃金は2・6%の減少だった。その上、食料品が大幅に上がっているので、低所得者ほど実質的な負担は大きくなる。

 他方、企業の収益はどうだったか。

 22年度の全産業(金融・保険業を除く)の売上高は対前年度比でプラス9・0%、経常利益は対前年度比13・5%だったという(財務省)。23年度上期決算の中間集計(日興證券11・14)でも、プラス7%、純利益も7%増だった。

 対する人件費は、対前年度比で3・8%増。その結果、労働分配率は67・5%(対前年度比マイナス1・4%)だった。

 企業の内部留保も膨らみ続けている。22年度末で554兆7777億円(対前年度比7・4%増加)、11年連続で過去最高だった。企業の経常利益も最高、内部留保も史上最高、経営者報酬も増加。株価は、バブル経済以来最高額を更新中だ。

 こうした数字を見るだけで、企業だけが潤い、労働者は30年もの間、実質賃金の低下に苦しんでいるのが実情なのだ。(廣)案内へ戻る


   コラムの窓・・・ 特定少年に初の死刑判決!

 2024年がどんな年になるのか、新年早々の大地震と飛行機事故、カネまみれ自民議員によって繰り返される「秘書が・・・」、これらはバラバラに見えてこの国の危機を見せつけるものです。これに追い打ちをかけたのが1月19日の新聞報道です。

 2021年の事件で18日、甲府地裁が当時19歳の少年に死刑判決を下したという報道です。神戸新聞には、まだ幼く見える被告の写真が掲載されており、そんな少年の命を国家が奪うべきだというのです。例によって両論併記の識者談話が紹介されていますが、なぜか毎日新聞も全く同じ談話を載せています。

 反対意見は「少年法の理念忘れた判決」という真っ当な内容で、「少年法の理念が忘れ去られた恐ろしい判決だ」と断じています。一方、賛成意見では「死刑は標準的な判断」ということらしい。こちらは少年法に詳しい元裁判官だというから、今の司法の死刑への姿勢は推して知るべしです。何の疑問もなく、過去の判例に照らせば死刑やむなしという判断のようです。

 さて、私の手元に昨年11月発行の「死刑廃止 NEWS スペシャル」というアムネスティ・インターナショナル日本の報告書があります。そこには、国家が人の命を奪う自由を持つとき、どれほど恐ろしいことになるかを報じています。サウジアラビアですが、昨年9月8日時点で「死刑執行続く、今年すでに100人」、しかも実数はこれより多く、犯行時18歳未満でも容赦なく命が奪われているとあります。

 当局を批判するツイートをしたという理由で死刑宣告、薬物関連の犯罪への死刑執行再開、実に強暴な国家的暴力です。もっとも、こうした国家はサウジだけではありません。死刑廃止国でも非合法の〝死刑〟もあるし、軍隊はもっとあけすけに殺人を行っています。権力の行使としての殺人、そこに死刑もあるのですが、端的に国家存在の否定的側面です。

 すでに死刑制度は多くの国々で廃止されているのに、日本ではなぜこんなにも強固な死刑信仰(国民の80%以上が支持しているとか)があるのでしょうか。武士の時代の「かたき討ち」(忠臣蔵という美談)ではあるまいし、「殺人者には死を」は復讐の肯定、憎しみに身を任せるものであり、そこには社会の成熟はありません。

 死刑反対という意見に対して必ず投げかけられる言葉、「親や子が殺されてもそう言えるのか」に対して、そんなに簡単に答えることはできません。しかし、個人的な感情を社会が肩代わりしたらどうなるのか、冷静な判断が求められます。社会は憎しみを増幅させるのではなく、被害者遺族に寄り添い、支えることで応えるべきです。死刑制度は命を弄ぶものであり、社会がまだ野蛮時代にあることを示しています。

 時あたかも、袴田再審裁判が進行中です。いまも刑事・検察の実態、捜査手法は必然的に冤罪を生み出す、と言ってもいいくらい酷いものです。それ以上に、この国には命に軽重をつけてしまう危うさがあります。

 イスラエル国民の大多数がパレスチナ人を殺してもいい存在とみなすことで、イスラエル国家はアパルトヘイトとジェノサイドを安んじて実行しつつあります。いまの日本人はどうでしょう、中国人や朝鮮人を同じ人権を享有できる存在と見ているでしょうか。国家が敵視しているから同じように敵視すべきと思っているのではないでしょうか。

 内向きの安心・安全が外向きの排外につながるとき、そこに死刑制度存続への強固な親和性が生まれる。そんなふうに決めつけるの誤りでしょうか、死刑にしがみつくこの国は病んでいるのです。 (晴)


   読書室 『ダーウィンの呪い』千葉聡著 講談社現代新書2023年11月刊

〇 ダーウィンが提唱した「進化論」は、一方ではゲノム科学の進歩により生物とその進化の理解に革命的な貢献をしたのだが、他方では政治・経済・文化・社会・思想に消えることのない重大な影響を与えた。それは、ダーウィンの進化論を曲解したゴルトンらの後継者たちが「優生思想」を作り出し、その上で優生学を「学問」として権威づけたことだ。

 こうしてイギリスで発生した優生学は、当時の欧米の科学者や文化人、政治家を魅了し、米国では社会政策として自国民に避妊・断種手術を強制するまでになる。ヒットラーはこれに大いに感激し、ナチス支配下では「劣性遺伝子」を持つと認定した者の避妊・断種手術を強行することとなる。またユダヤ人劣等民族の反ユダヤ思想とも結びつき、ついには「ホロコースト」を正当化する悲劇を生み出すことになっていったのである  〇

 著者は、ダーウィンが提唱した進化論は「進化の呪い」「闘争の呪い」「ダーウィンの呪い」を生み出したとする。すなわち「進歩」の意味で≪進化せよ≫、「生き残りたければ、努力して闘いに勝て」の意味で≪生存闘争と適者生存≫、そして「この規範は人間社会も支配する自然の法則だから、不満を言ったり逆らったりしても無駄だ」の意味で≪ダーウィンもそう言っている≫、これら三つがまさにダーウィンの呪いそのものである。

 そもそもダーウィンは進化とは言わなかった。進化(evolution)という言葉は元々一方向の変化のことで、ダーウィンは無目的で方向性のない変化transmutation)という言葉を使っていたのである。『種の起源』の正確な翻訳は、自然選択すなわち生物の闘争における有利な品種の維持による種の起源についてである。つまりダーウィン自身は方向性を持った進化ではなく、無目的で方向性のない変化と表現していた。しかしその当時の社会状況の中で、多くの学者たちにただちにそれは進歩と同じことだと理解されたのである。

 また自然選択とは、自然淘汰が劣ったものを取り除いて安定化させるという考え方で、これはダーウィン以前から存在した。ダーウィンは、自然選択を特定環境下で新たな性質を選び出すもの(変化要因)として捉えた点に独自性があった。しかし盟友ウォレスは自然選択を適者生存に変えるようにダーウィンに提案し、彼もそれを受け入れた。これにより「適者」を「道徳的に良いもの」等と取り違える誤解を生むようになったのである。

 本来の変化の方向性がなく、中立的な変化自体が、なぜ定方向的な「進歩」だと信じられるようになったのか。またダーウィンとその理解者、そしてその志を継いだ後継者たちが、いかにして著者の言うところの三つの呪いにかけられていったのか。これらの諸問題については著者が紙面を割き詳しく解明しているので、ここでの詳説は省略したい。

 進化論が進歩主義と結びつき受容されていく経緯は本書で確認のこと。ダーウィンの登場と共に滅びたと理解されているラマルク説は、19世紀を通じて依然有力であり続け、ダーウィン自身も後に獲得形質は遺伝するを取り入れた。実際、米国では1920年代までラマルク説が研究されていた。H・G・ウェルズの『タイムマシン』は進歩を伴わない進化のディストピアを描き、当時の通念に挑戦した。進化が進歩でないなら、人間の力で進化を進歩に変えねばならないとした。それがまさに優生学なのである。優生学は農作物の品種改良からさらには「人種」の優劣、「人種」の改善すら論じるまでになってゆく。

 こうしてダーウィンとかダーウィニズムという言葉は、実際に19世紀には各種の優生学的な議論を正当化するための我田引水的な使われ方や、あるいはレッテル貼り的な使われ方をされるようになる。生存闘争と適者生存の理論は本当に使い勝手がよいのである。

 実際、『種の起源』での「そうした本能は、すべての生物を発達させる一つの普遍法則、つまり増殖、変化、そして"最も強い者"を生かし、"最も弱い者"を死なせることの、小さな結果だと考える方がずっと納得できる」との表現は、1960年代には「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一、生き残るのは変化できる者である」との表現に変化し、ダーウィンが言ったとされ流布されていったのである。

 このようにダーウィンが言っているとは、最も権威的で分かり易いものである。しかしまさに「科学」を装う危険な説明でもある。実際にはダーウィンはそんなこと言っていないのに、なぜか聞いた方には妙に説得力がある。「どんな主張でも、科学的客観性の権威を与えてしまうマジック・ワードなのである」(本書306ページ)と著者は喝破する。

 この「ダーウィンがそう言っている」こそ、まさに「ダーウィンの呪い」である。このマジックワードを聞いた時は、私たちは騙されないようにしなければならない。

 歴史を振り返れば、日本の優生保護法はナチスの思想から作られたものであり、その発想は米国における白人の優生思想があり、その前提にはスエーデン等の北ヨーロッパにおける人種についての優生思想や自国民に対するナチス張りの避妊・断種手術の断行があったことはあまりにも知られてはいないし、出来れば隠したい実に重たい事実なのである。

 本書は、今なおはびこる人種主義やダボス会議等での地球最適人口論を批判する上での基本書である。まさに私たちの敵は優生学である。読者には是非一読を薦めたい。(直木)案内へ戻る


   【中国】資本主義固有の生産と消費の矛盾が初めて顕在化  貧富格差・低賃金・不当解雇に闘いを挑む労働者

■はじめに

 中国のジニ係数は、2000年から2020年までの間に上昇傾向にあります。2000年のジニ係数は0.425でしたが、2020年には0.468に上昇しました(ジニ係数は、ゼロが完全平等、1が極端な不平等を意味し、0.4以上の米国や中国は「暴動の起き易い社会」とされています)。これは、中国経済の急速な成長に伴い、富の集中が進んだためと考えられます。

 そもそも改革開放前の推定ジニ係数が都市住民で0.16、農村住民で0.22程度と北欧レベル以上でしたが、これは「みんな貧しかった」「社会主義風の生活保障」があったというような意味で平準化された時代だと考えられます。それが今ではあっという間に米国並みかそれ以上の格差社会となってしまいました。

■「改革開放」の光と影

 具体的には、2000年から2020年の間に、中国のGDPは約10倍に拡大しました。しかし、この間、低所得層の所得の伸びは高所得層の所得の伸びに比べて鈍く、所得格差が拡大しました。

 中国政府は、貧困撲滅を国家戦略として掲げ、さまざまな政策を実施しています。その結果、2012年には10.2% であった中国の絶対的貧困率が2021年には、0.6%まで低下しました。絶対貧困率とは、1日1.9米ドル(約200円)未満の収入しか得られない人の割合を意味します。この基準は、国際連合が定めたものです。日本の絶対貧困率は、2021年時点では1.2%です。

 しかし、相対的貧困率は依然として高く、2021年時点では21%です。これは、世帯所得が全世帯の中央値の半分未満である人の割合を意味します。(日本の相対的貧困率は、2021年時点では15.4%です。)所得格差の解消は依然として課題となるばかりではなく、近代中国が体験する初めての経済停滞や倒産、失業などの増大でますます深刻な課題となっています。2022年、中国政府は習近平の大号令で、「共同富裕論」を掲げ、格差是正に向けた新たな政策を打ち出しました。ところがコロナ禍に伴うロックダウンなどで貧富格差は拡大したと推定されます。
 
■「ストする中国」

 「中国の工場でストライキが頻発し、7年ぶりの水準に達している。世界的な需要低迷のあおりで、輸出企業が賃金引き下げや工場の閉鎖を余儀なくされているためだ。欧米では景気悪化の懸念から企業が中国製品の注文を減らしており、中国の輸出および工業生産は2023年5月に大きく落ち込んだ。中国の労働研究者らによると、工場を閉鎖したり、給与や解雇した労働者への退職金の支払いに苦慮したりする工場が出てきている。この結果、労働紛争が急増し、消費者と企業の信頼感を損なっている。」(Reuters、2023.6)。

 中国では、労働者の権利を守るために、労働合同法や労働契約法などの法律が定められています。しかし、これらの法律が十分に守られているとは言えず、企業や行政が抑圧的な姿勢をとるケースが多いようです。労働者の待遇が改善されないケースも少なくありません。

 そのため、労働者は、労働条件の改善や賃金の引き上げなどを求めて、ヤマネコ争議を起こすことがあります。

 2022年には、中国全土で100件以上のストライキが発生したと推定されています。NGO中国労工通報の記録では、2023年1―5月に中国全土の工場で実施されたストは140回と、この時期としては2016年の313回以来の高水準となった(Reuters)。さらに2023年下半期に約400カ所の工場などでストライキが発生したことが報道されました(「中国・2023年下半期に400か所でストライキ発生~労働者数百万人規模のレイオフや給料未払いなどが背景、習主席も苦境認める」NEWSポストセブン)。

 過去にもストは多発していたようですが、現在再び争議の波が中国を襲っています。世界の製造品の3分の1を生産する中国の工場労働者の巨大な闘いに声援を送りたいものです。

■「国進民退」が中国経済停滞の原因か?

 大和総研の記事によれば、一般的には中国のこの数年に生じた経済失速(成長率10%台から5%前後への低下)の原因として、「国進民退」と言うことが言われています。それは習近平政権の過剰な市場統制であり失政だと。

 国進民退とは、国有企業の存在感を高め、民間企業が市場からの退出を余儀なくされる市場経済化の後退を示すものとされます。海外資本も、ひところよりも中国民間投資を遠慮しているようです。それどころか中国からキャピタルフライトする資本が増え続けています。
  ・・・・・・・・・・
 中国では、1990年代から2000年代にかけて、国有企業の民営化や外資の導入など、市場経済化の改革が進められました。具体的には、2000年には、国有企業の工業生産額は民間企業の工業生産額の約3倍でしたが、2020年には約2倍にまで縮小しました。これは、民間企業の成長が著しいことを示すものであり、国有企業のシェアの縮小は、民間企業の台頭を反映したものと考えられます。また、国有企業は、鉄鋼、石油、電力などの基幹産業や、軍事、通信などの重要な産業を支えています。

 同様に、2000年には、国有企業の輸出額は民間企業の輸出額の約4倍でしたが、2020年には約2倍にまで縮小しました。これは、民間企業の輸出の伸びが著しいことを示すものであり、国有企業のシェアの縮小は、民間企業の台頭を反映したものと考えられます。

 とはいえ、中国では依然として経済の中枢は国有企業が担っているというのが事実なのです。また、政府も国有企業を優遇しているとされます。これらが「国進民退」です。
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 民営資本がこのまま窒息するのかそれとも、長期には国有資本群をしのぐことになるのかは不明です。習近平指導部が、自由な市場の発展や資本の暴走に手を焼いており、民営資本の統制の強化がなされたとしても、結局のところ資本の本性は貫かれその内在的矛盾の露呈は不可避であったと思います。さらに指摘すれば、国有企業と言えども資本であることには変わりはなく、国際市場をにらめば後発工業国である中国としては政府のテコ入れや国策的経営などは――韓国や台湾などの「開発独裁」時代の財閥企業を想起しましょう――避けられない資本形態だとも考えられます。
 
■過剰生産・過剰設備・過剰資本の時代の到来

 このようにしてみると経済新聞などの解説にあるように、習政権での「国進民退」政策こそ中国の経済停滞の原因だということは的外れです。すなわち伝統的な欧米型資本主義と同様に、中国経済もまた市場経済の下で過剰設備、過剰生産、過剰資本と言う資本主義固有の矛盾にぶち当たっているのだろうと私は判断しています。改革開放以来約三十年間、世界の工場として超高度成長を果たしてきた中国が、とうとう、国際的経済環境の悪化もあって、過剰生産・過剰資本時代に本格的に突入したのです。
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 その典型はマンションなどの不動産の過剰在庫に集中的に表現されています。あるいは中国で急拡大してきたEV車ですが、300社が今や生き残りをかけた競争(日経新聞)で価格を下げています、企業淘汰の過程にあるのです。つまり市場経済(規制があるにしても)と資本の自由な運動が、激しい競争と価格の低迷そして過剰気味の生産と先細る大衆消費の隘路を極端化し、今その矛盾が傷口を広げてきたのです。習近平指導部は、このような市場の矛盾をコントロールしようと無駄な努力をしているにすぎないのです。

 その政策が西側諸国からは「国進民退」すなわち重要な国有企業の優先政策が市場経済を押しつぶしている「まるでソ連経済への逆戻り」だと勘違いされています。それは歴史の本質を見ていないからです。繰り返します。なにより中国経済の急停滞は、資本主義市場経済に内在する固有の矛盾の爆発によるものなのです。次に強化された経済規制や国有企業救済政策は、彼ら流の資本主義の弥縫(びほう)策なのです。

 いずれにしてもこの過程で、資本の刃はいよいよ何億と言う中国労働者に向けられているのです、中国大陸の労働者の偉大な歴史的闘いはまさに不可避と言わねばなりません。(阿部文明)案内へ戻る


 台湾選挙 「中国の台湾侵攻」ではなく 問題は日本国内の反動派が勢いづいていること

■現実の情勢とズレた「戦う覚悟」

 台湾総統選が1月13日に投開票されました。5月から4年間の台湾の新たな総統は頼清徳氏に決まりました。しかし、だからと言って中台関係が、にわかに緊迫し戦争になだれ込むかのような、麻生氏のような認識はでたらめです。同氏は去年夏に「今ほど日本、台湾、米国などの有志国に強い抑止力を機能させる覚悟が求められている時代はない。戦う覚悟だ」と。自民党や自衛隊の反動派が、中台関係の摩擦を大げさに煽り立て、火に油を注いでいることは良く知られたことです。彼らの思惑については後に触れます。
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 頼清徳氏が新総統となっても、独立を武力で実行したりしない限り中国もあわてて武力攻撃する情勢には全くありません。民進党も頼氏も、武力を用いて台湾独立を実現すると主張していません。頼氏の主張は、「台湾がすでに独立した主権国家である」という現状の立場を蔡英文氏とともに維持し、「独立宣言」などはせずに中国との対話を通じて平和的な解決を追求するというものです。
 
■台湾国民の冷静な選択

 頼次期総統の当選挨拶は「敗者の弁であった」(日経)と紹介されました。理由ははっきりしています。まず、総統選での得票率が40%と、蔡英文氏の前回得票率の57%に遠く及びませんでした。さらに、同時に行われた国会議員選挙では大幅に議席を減らし過半数を下回ってしまった。だから事実上の「敗北」と本人も認識したと思われます。

 与党は一挙に勢いを失ってしまったのです。親米派の頼清徳氏558万票、に対して野党の侯友宜氏中国国民党(国民党)467万票、柯文哲氏台湾民衆党(民衆党)369万票でした。いわゆる親中派と中間派合わせて頼氏を大きく上回っているのです。台湾市民の民意は決して「親米」でもなく「中国との軍事対決」では全くありません。穏便な「現状維持」だと推測されます。
 
■米国も現状追認「台湾独立を支持しない」と確約

 そればかりではなく、民進党を支持してきた米国バイデン政権は、「台湾の中国からの独立を支持しない」と去年重ね重ね中国に対して確認してきましたが、今回の総統選の結果を受けて再びバイデンは「台湾独立を支持しない」とダメ押しのように発言しました。もっとも米国の「確認」「約束」ぐらいあてにならないものはありませんが、バイデン政権が中・台の武力対決に巻き込まれることを望んでいないこと、むしろ避けたい事は国際的に認識されていることです。台湾も、万一中・台武力対立になった場合、米国が武力支援しないことをウクライナの事例でよく学んでいると思われます。
 
■「台湾独立支持」という過去のバイデン発言の背景

 では、一昨年2022年5月と9月に米国が盛んに中国を挑発し、バイデンは「台湾独立を支持する、軍事介入する用意がある」とまで放言しました。(ブリンケン国務長官が否定)その理由は何でしょうか。日本国内では一気に「台湾海峡に危機迫る」「存立危機事態だ」「台湾有事は日本の有事だ」という報道が流されました。これは、中・台紛争(中国の台湾侵攻)の切迫をほのめかして日本国民に不安やら危機感をすり込もうとしたのです。米国政府にとって日本の軍事予算を倍増させ、米国の巨額な兵器を日本に売却するために、どうしても邪魔な日本国民の反戦・平和世論を封じ込めるためのものでした。つまり、日本向けの世論操作でした。

 しかし、それがなぜバイデン政権は急に態度を変えたのでしょうか?
2022年末に、岸田内閣により、安保三文書が「決議・成立」し、軍事費の倍増→米国兵器の大量購入が確定したからだと推測されます。この段階で、バイデン政権は一転、中国に低姿勢となり盛んに中国に釈明し続けています。上述のようにブリンケンは中国に改めて釈明し「米国は台湾独立を支持しない」と約束させられたのでした。だから、当面は中台紛争⇒米国参戦⇒日本の参戦と言ったものは存在しないというべきなのです。

 もっとも、米国による経済的・軍事的対中国包囲網=デカップリングは、彼らがどう言い訳しようがバイデン政権の基本スタンスだとみられています。
 
■精神的クーデターはすでに起こされた

 日本国内では上記の米国や日本政府の思惑を超えて右傾化と軍事強化・軍拡の流れが強まっています。これこそアジア最大の危機に成長する可能性があり、最大限警戒すべきことです。

 今年になりこんな報道がなされました。「陸幕副長ら靖国集団参拝・・数十人 通達違反か、防衛省調査」(日経)。

 しかも公用車での参拝であり、自衛隊幹部・隊員の公式参拝とみられ、内規により禁じられてきました。

 靖国神社はA級戦犯が祭られておりアジア諸国の感情を逆なでにすることもあり、天皇すら参拝を避けてきたのです。靖国神社は戦前・戦中には天皇制を思想的に支える国家神道の中核と位置付けられ、戦死し「靖国の英霊」になることを最大の美徳として宣伝し、侵略戦争に動員するための精神的な支柱でした。

 それにもかかわらず今回(いや数回目か?)軍隊の幹部が部隊を引き連れて公用車で参拝したことは挑戦であり、精神的クーデターを軍部内に巻き起こす意図があったと推測されます。許しがたいものです。厳重な処分が必要でしょう。

 日本の社会的・経済的停滞に対する不満や、成長するアジア諸国への劣等感にとらわれた一部の国民や、それを政治利用したい高市早苗のような反動政治家が野望をたくましくしています。沖縄を含む南西諸島での戦争を煽り立て、自衛隊内部にもそれに呼応する「靖国派」が台頭する気配です。つまり、軍隊みずから兵士に「死ぬ覚悟」をすり込もうとしているのです。軍事予算倍増と言う歴史的転換と相まって、米国の利益誘導や自民党政局の主導権争いを超えた、右派・軍部の独自の動きを警戒すべきです。(阿部文明)


   「砂川闘争裁判」 憲法を無視した“安保条約と軍事拡大”を容認した裁判所


 2024年1月15日、刑事特別法違反の罪に問われ有罪が確定した1957年の砂川事件の元被告らが、59年の最高裁判決前に最高裁長官が評議の内容を米国側に伝え、公平な裁判を受ける権利が侵害されたとして国に損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は請求を棄却した。

●砂川事件と裁判

 1955年、在日米軍は日本政府に対し、立川基地の拡張を求めた。

 基地拡張工事の話を聞いた砂川町(現・立川市)の住民は、立川基地の拡張に反対する「砂川基地拡張反対同盟」を結成、「基地拡張反対総決起大会」が開かれるなど、砂川基地拡張反対運動「砂川闘争」が開始された。

 1957年7月、政府は強制測量を実施したが、これに対して、米軍基地の拡張に反対するデモ隊がその阻止を試み、この過程で、デモ隊の一部が、柵を壊し米軍の敷地内に侵入したとして、7人が旧日米安全保障条約に基づく行政協定の実施に伴う刑事特別法の違反罪で起訴された。

 デモ隊側は、そもそも安保条約自体が憲法第9条第2項に違反するため、安保条約に基づいて規定された本法律も違憲であり、無罪であると主張し、刑事裁判では、アメリカ軍の日本駐留が憲法に違反するかどうかが争われた。

 東京地裁判決(第一審)は、1959年「わが国が外部からの武力攻撃に対する自衛に使用する目的で合衆国軍隊の駐留を許容していることは、指揮権の有無、合衆国軍隊の出動義務の有無に拘らず、日本国憲法第9条第2項前段によつて禁止されている陸海空軍その他の戦力の保持に該当するものといわざるを得ず、結局わが国内に駐留する合衆国軍隊は憲法上その存在を許すべからざるものといわざるを得ない」と日米安保条約に基づく駐留米軍は憲法第9条第2項によって禁止される「戦力の保持」に該当するとの憲法違反であり、デモ隊の行為は正当であり被告7人全員は無罪であるという結論を示します。この判決は裁判長の名前から「伊達判決」と呼ばれている。

 「伊達判決」を不服とする国・検察側は、高等裁判所を経ずに最高裁判所に判断を求める異例の跳躍上告を行い、最高裁では田中耕太郎長官が裁判長を務め、15人の裁判官全員による大法廷で審理が行われた。

 1審判決から9か月後、最高裁大法廷は、「統治行為論」=高度に政治的な問題については、法律上の争訟として判断が可能であったとしても、裁判所が審査を行うべきではないとする理論を持ち出し「一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものであつて、それは第一次的には、右条約の締結権を有する内閣およびこれに対して承認権を有する国会の判断に従うべく、終局的には、主権を有する国民の政治的批判に委ねられるべきものであると解するを相当とする。」すなわち、日米安全保障条約のような高度に政治的な問題が絡む場合、基本的には裁判所が判断を行うべきではないとの立場を示し、「日米安全保障条約はわが国の存立に関わる高度の政治性を有し、司法審査の範囲外」として、15人の裁判官全員の判断として「伊達判決」を取り消し、東京地裁で審理をやり直すように命じました。

 これは、明確に「日米安保条約が違憲だ!」と述べた第一審判決とはまるで対照的で、裁判所は、統治行為論を採用するにあたっては、「一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは」という前提をつけて、逆に言えば、一見極めて明白に違憲無効であるとすれば、裁判所は審査をする場合があることを示唆しながら、「統治行為論」を展開し、裁判所は憲法解釈はせずに審査をしないという立場をとり、安保条約と軍事拡大を容認したのだ。

 そして、その後の差戻審において、1964年7人全員が罰金刑の有罪となり、その後、確定しました。

 この最高裁判決で示された、政治性が高い国家行為について憲法判断を避ける考え方は「統治行為論」と呼ばれ、その後、憲法9条や基地問題などに関わるさまざまな裁判で裁判所が憲法判断をしない要因になったし、沖縄辺野古の新基地建設や米軍基地から派生する被害救済を訴える人々の訴えを退ける論拠となり続けている。

●今回の判決も、統治行為論を盾に基地被害からの救済を求める住民の訴えに背を向けてきた司法判断の延長上にある。

 判決が確定された事案で再び注目されたのは2008年以降、米国国立公文書館での文書【砂川事件の上告審の審理中に、当時の田中耕太郎最高裁長官がマッカーサー2世・駐日米大使らと裁判所外で面談していたことが記され、一審判決は覆される旨の発言まであった。】の発見がきっかけで、公文書の中で田中長官は、駐日アメリカ大使館のレンハート首席公使に対し、砂川事件について「判決はおそらく12月だろう」と非公式に伝えたほか、「実質的に全員一致の判決となり、世論を“乱す”少数意見を回避するようなやり方で裁判官の議論が進むことを希望している」などと話していたこと等が明らかになったからである。

 そもそも米軍基地自体が問題となっていた中で、最高裁長官が当事者とも言える駐日米大使と面会し、裁判を話題にすること自体が不適切極まりない事だし、米国の公文書は、駐日米大使が国務長官に宛てた電報や書簡の写しであり、極めて重要な書類であり、「世論を揺るがす少数意見を避けたい」との表現は、最高裁長官の意向そのものだ。米側と評議の進め方などを巡り協議していたことを示す内容だったのだ。

 日米両政府と司法は気脈を通じていたことがうかがえるし、1960年には安保条約改定を控え、日本国内は改定反対の世論が強まっていた時で、米軍の駐留を合憲とするよう米側が最高裁に圧力をかけていたことが鮮明に暴露され、「法の番人」たる最高裁が米国に追随した判決だったのだ。

 米公文書の内容に衝撃を受けた原告らは、2014年に「不公平な裁判が行われた」として刑事裁判のやり直しを請求したが、最高裁判所は認めず、2019年に、憲法37条「公平な裁判を受ける権利」が損なわれていたとして国に賠償を求める今回の訴訟を起こしました。

 この公判では、国は「賠償を求められる期間が過ぎている。公文書には大使らの主観も含まれており、内容の正確性は慎重に検討されるべきだ。これを根拠に最高裁長官の言動があったと認めることはできない」などと反論し、東京地方裁判所は「具体的な評議内容、予想される判決内容まで伝えた事実は認められない」などと述べ、元長官の行為の違法性を認めず、当事者の訴えをあっさりと退けて棄却してしまったのだ。

●あらゆる機会を利用しながら、労働者・市民の大衆的意思表示で戦い抜こう!

 今回の司法判断に見られるように、裁判所も国家体制の一翼であることを示している。

「三権分立」とは、国家権力を「立法権」、「行政権」、「司法権」の3つに分けて、立法権は国会、行政権は内閣、司法権は裁判所という形でそれぞれ独立した機関が相互に抑制し、均衡を保つことで国家権力の濫用を防止し、国民の権利と自由を保障する仕組みと教えられてきたが、こうした裁判の結果を見る限り、三権は分立しているのではなく「一体」化して国民統治に使われていることが実態なのだ。

 砂川事件の最高裁判決は沖縄の基地問題解決の障壁になっているし、嘉手納基地周辺住民が82年から繰り返し訴えている早朝・深夜の飛行差し止め請求は司法に退け続けられている。

 基地管理は米国に委ねられ、日本政府は規制できる立場にないとの第三者行為論が論拠で、その背後に統治行為論がある。

 体制の詭弁とごまかしに臆することなく、反戦・平和の闘いは、国際的な連帯と「三権」も含めて民主主義的権利の利用と拡大を図りながら、粘り強く、労働者・市民の大衆的意思表示で示そう!(光)


   土屋源太郎さんの砂川事件裁判闘争

 東京都立川市の陸上自衛隊立川駐屯地の脇に柵に囲まれた空き地がある。ここは旧日本陸軍の施設があったところで、戦後米軍が基地にした。

 1955年、旧米軍立川基地の拡張計画が浮上し地元住民が反対運動を始めた。この反対運動を学生や労働者が支援し警官隊らと衝突を繰り返した。この闘争は地名から「砂川闘争」と呼ばれた。

 1957年、柵が倒れて米軍立川基地内に立ち入ったとして学生など23人が逮捕されて7人が起訴される。

 1959年の東京地裁では「米軍駐留は憲法9条違反」と判断し7人を無罪にした。

 ところがその後の裁判は異例ずくめであった。田中耕太郎最高裁判官が今では考えられない「跳躍上告」がなされるなど異例な裁判を展開していく。この経過については本紙の「砂川裁判闘争」を参考にしてほしい。

 2014年に土屋さんら元被告4人は再審請求に踏み切ったが棄却された。この頃から私は土屋さんと交流が出来て裁判支援に出かけるようになった。
土屋さんたち3人は「このまま終わるわけにはいかない」と、2019年に公正な裁判を受ける権利を侵害されたとして2019年に国に損害賠償を求める訴訟を起こした。

 今月の15日に東京地裁の判決がでると言うので、私もこの判決に期待して東京地裁を傍聴した。東京地裁の部屋はぎっしり満杯の人で埋まった。私もこんなに人が集まった裁判を経験した事がなかった。

 ところが、3人の裁判長が座り約30秒程度の「請求の棄却」を述べて退出。傍聴者みんな呆気に取られたが、あまりにもひどい判決に怒りの声を上げた。
その後、集会場所に移動して報告集会を開催する。

 土屋さんは「安保法制もできて戦争ができる国に変わりつつある中、国民の権利が脅かされる危険を若い世代にも知ってもらいたい。砂川闘争は決して過去の問題ではない」と強調された。

 また、原告の1人で元被告の故・坂田茂さんの長女和子さんは「非常に残念で納得できない。父に良い報告をすることが出来なかった。これからも闘う」と元気に挨拶された。

 砂川で父の闘いを継承する女性の方は「砂川事件の現場近くの小さな施設『砂川平和ひろば』で、闘争の写真や資料を公開し、次世代に訴える活動を続けている。日米安保条約や地位協定に縛られている現実は変わっていない。日本に米軍基地がある限り、国民の権利と自由は失われたまま。砂川闘争は終わっていない」と。

 土屋さんたちの闘いは続く、今後も支援をよろしくお願いする。(富田英司)案内へ戻る


   万博やカジノを止めて能登半島地震復興に集中せよ!

 1月1日に能登半島地震が起きました。この地震で死者は、200人を超え、負傷者も1000人を超えています。

  現在停止中の志賀原発、この原発のある志賀町で、震度6弱以上を観測した2回とも警戒事態に認定し、原子力規制委員会・内閣府原子力事故合同警戒本部が設置されました。ただ警戒本部は1日が約5時間半、6日が約40分で廃止されました。この間、原子炉の「止める・冷やす・閉じ込める」の機能や使用済み核燃料の冷却状態を確認したといいます。

 富山大の林衛准教授(科学技術社会論)は「志賀原発に異常はないとしつつ、変圧器の油漏れや電源喪失などの情報がどんどん出てきた。規制庁は異常の把握を途中でやめ、『大丈夫でしょう』と決めたように見える。なぜ本部を急いで廃止したのか。信頼性を失う判断ではなかったか」と疑問を述べています。

不具合の原因が究明できていないので、いつ危険な状態になるか分からないし、規制庁はきちんと地震の影響をチェックすべきだったのではないでしょうか。これで、志賀原発が再稼働されていたら2011年の福島第一原発事故の二の舞になっていたでしょう。

すべての原発を停止すべきです。

そして、能登半島地震で被害を受けられた方々への支援、復旧・復興、を優先すべき時に、大阪万博やカジノを推進している自公政権や維新には怒りしかありません。

2025年開催予定の大阪万博や2030年開催予定の夢洲カジノ、中止すべきです。会場建設に関わる人員や費用を復旧・復興に振り向けるべきです。

そのような中、岸田文雄首相は1月22日、斎藤健経済産業相らを首相官邸に呼び、「復興に支障がないよう、万博関連の調達を計画的に進めるように」と指示、万博関連費の上振れを避けるため、第三者による継続的なモニタリングも求めた。万博が被災地復興の妨げになるとの世論を意識したとみられます。大阪府の吉村洋文知事は「なぜ(万博と復興が)二者択一になっているかよく分からない」と強調、日本国際博覧会協会(万博協会)会長を務める経団連の十倉雅和会長も「被災者の救援や救助、生活やまちを戻すのを最優先でやるのは当たり前。それをしながら万博(会場)も完成させる」と、同時並行で進める考えを示しています。

 しかし、今回の能登半島地震で、能登半島の道路や水道管などのインフラが大きなダメージを受けました。

 資材高騰などで万博会場建設費が当初想定の1250億円から最大2350億円にまでふくれあがっています。

 万博やカジノを中止して作業員や資材を被災地に振り向けるべきです。

 万博やカジノを中止して、能登半島地震へ被害を受けた方々への支援、復旧・復興に集中すべきです。(河野)


   追悼-いつも笑顔の松本さん

ワーカーズでは、年3回は総会を含め会議を行っています。会場は会員の居住する県を選び、午後からの会議になります。私たちもそうですが、松本さんは早く来て駅前の地図案内の前に立ち、散策の準備をされていました。いつもリュックを背負い身軽な恰好で、街並みの自然に触れ歩くが恒例のようでした。また、尼崎市のクボタが原因となったアスベスト問題にも取り組まれ、会場で顔を会わせたこともありました。

 コロナ前の2019年秋は、松本さん居住の福岡が会議の場所となり、会議後は、松本さんの企画した観光案内で楽しませてもらいました。記憶に残っているのは、八幡製鉄所の工場見学で赤く焼けた鉄板を見たこと、佐賀の民族博物館では豊臣秀吉が朝鮮出兵を視野にお城(名護屋城)を構えていたことなど、私には初めて知ることでした。

 昨年の11月に再度九州へ。孫娘が佐賀大学に通っているので宿泊させてもらい、吉野ケ里遺跡に行ってきました。その時、ふと松本さんと一緒なら、古墳に詳しい
ので説明してもらえるのにと思ったりしました。でもその頃は、松本さんは闘病中で大変な時期だったのですね。

 一つの考えに固執せず、柔軟な思考で問題を解決しようとされる姿勢に、学ぶことが多くありました。今も松本さんのレジメを読み返せば、懐かしい穏やかな声が聴こえてきそうです。どうぞ、安らかに、そして笑顔で私たちを見守っていてください。(折口恵子)


   「建設」や「再稼働」させなくて良かった 能登半島原発災害を阻止したのは住民の反対運動 

 能登半島の大震災で志賀原発が被災しました。しかし、いまのところ重大事態とはなってはいません。もう一つの珠洲(すず)原発は能登半島の突端にあり建設は放棄されています。

 「原発再稼働してなくてよかった」「原発無くてよかった」の声が多く出されました。しかし、それまでには地元住民や科学者たちの地味で長い闘いがあったのです。

■忘れてはいけない住民の反対運動

 2011年3月11日の東日本大震災と福島第一原子力発電所事故を受けて停止。その後、志賀原発の再稼働をめぐる議論が起きましました。地元議会では、再稼働に反対する議員が多数を占め、再稼働に向けた動きを阻止するための活動が活発化しました。また、市民団体も結成され、再稼働反対の署名活動やデモ行進などを実施しました。2012年には、志賀原発再稼働を阻止するための市民団体「志賀原発いらない会」が結成され、署名活動やデモ行進などを継続的に実施しています。再稼働をこれまで抑止できたのは本当に正しい選択でした。

 この原発は何しろ敷地内に「活断層」があり(2016年認定)、その後、原発推進派の学者と論争が続いていました。ところが去年3月3日に「敷地内の断層は活断層ではない」という逆転判定を原子力規制員会が出しました。志賀原発を廃炉に・訴訟原告団は「志賀原発が活断層に囲まれた原発であることが次々と明らかになる中、敷地内断層に限っては活動性なしと断言できるのか、周辺断層からの影響はないのか」(2023年3月3)と指摘しています。活断層は単独で動くのではなく、多くの断層を道連れにして巨大地震になることは、今回の能登半島大震災が示しています。今後も再稼働を阻止し廃炉に持ち込みましょう。
  ・・・・・・・・・
 珠洲(すず)原発建設については、1975年に計画が持ち上がり、1993年には要対策重要電源の指定を受けましたが建設計画は、2003年12月に中止されました。

 「新しい珠洲を考える会」、「珠洲地区労」、「社会党珠洲総支部」が「珠洲原発反対連絡会議」を結成し、能登原発(志賀原発)反対各種団体連絡会議と共闘しました。また、1981年の珠洲市長選挙に反原発の候補者を擁立したこともあります。さらに、市民団体「珠洲文化会議」が結成され、市民の一員として、珠洲市の抱える問題を考え、文化活動を進めていきました。この反戦・平和を目指す文化活動が、当然のこととして、珠洲原発に反対する運動へと発展していきました。

 珠洲原発予定地は能登半島の先端で今回の大震災の中心でした。もし、この珠洲原発が完成していたら、稼働していたら今回の震災による放射能被害や故郷喪失は疑う余地もありません。原発災害という悲劇につながったでしょう。建設を止めたのは住民の粘り強い力でした。
 
■原発の存在が自然災害対策を台無しにする

さらに、3.11以来、自然災害の不可避性や大規模性を考慮して「防災」ではなく「減災」という理解が深まりました。つまり、津波や大地震、台風、あるいは戦争も含めた危機に対して、被害を軽減し拡大を防止することです。能登半島地震のように道路の寸断があり、その場に長くとどまらざるを得ない被災者が放射能プルームを大量に浴びる可能性を今回は強く示しました。これでは津波や台風や地震の避難計画は台無しです。安全なはずの家屋に避難しても、二次災害としての原発は異質な脅威です。
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 2022年1月時点で、すでに確認された日本の活断層は、約2,000あるとされています。これでは仮に一万年に一度動いても全国では五年に一度は直下型地震に見舞われますので、とても安心できません。

 国土地理院が公開している「都市圏活断層図」によると、2022年1月時点で、全国で47都市圏に1,648の活断層が確認されています。また、地震調査研究推進本部が定めた「主要活断層帯」は、全国で114あります。

 ただし、これらの数字はあくまでも確認された活断層の数であり、まだ見つかっていない活断層も多数あると考えられています。今回の能登半島震災の活断層は、「主要活断層」以外のものでした。日本列島は活断層列島なのです。

 軍拡予算など大幅に減らしてでも、河川、道路の補強、住宅の補強を優先しなくてはなりません。災害備蓄や避難所の確保も早急な課題なのです。気候危機の影響で、複合災害の恐れも高まっているのです。原発再稼働、軍備費倍増の政治をやめさせましょう。(阿部文明)案内へ戻る
 
   色鉛筆 ・・・ 『こども誰でも通園制度』今のままでは保育士の負担が増えるだけ

 私は長年非常勤保育士として働いている。今年は古希を迎えるが体が元気なうちは働き続けようとフルタイムからパートにして、今年度はフリー保育士。4月当初、育休明けで復帰するはずだった正規保育士が自分の子供が保育園に入園できなく復帰が取りやめになり、もう一人のフリー保育士が担任になりフリー保育士は私一人になってしまった。これでは大変と他のこども園から一人派遣してもらってスタートした。フリー保育士は休みの保育士の代わりにクラス担任に入ったり、いろいろな行事の準備や環境整備等こまごました仕事があり二人のフリー保育士でやっていた。

 ところが、9月から派遣して来てもらっていた保育士が自分の園に戻ってしまい、フリー保育士が私一人になり毎日クラスに入って休憩もそこそこでフリーの仕事をやっている。体調崩す保育士や3人の子育て中の保育士は子どもが順番に発熱したり、怪我をする保育士等休まざるを得ない状況が起こり、こども園課や人事課に保育士の補充をお願いしても保育士はいなく、管理者である園長や副園長が保育に入ってなんとか日々保育している。こうした人手不足の状況は私の園ばかりではなくどこの園でもある。保育士も生身の人間だから病気や怪我もするし、子育て中の保育士は我が子の病気の時は側にいてあげたいのに人手不足のために休暇を取りにくくなっている。気兼ねなく休暇が取れるように人的配置をするべきなのに募集をしても保育士のなり手がいないのだ。

 保育士登録者は2020年時点で約167万、このうち潜在保育士の数は約102万人、潜在保育士は登録者数の約60%に及ぶという。資格を持っていても働いていない潜在保育士がこんなにも大勢いるのだから補助金を支給する小手先の政策ではなく、根本的に保育士の配置基準の引き上げや処遇改善をして働きやすい職場にするべきだ。そうすれば人手不足はなくなる。給料は安くて仕事量は多くて責任が重くても毎日くたくたになりながら現場の保育士たちは一生懸命働いている。

 この様に疲労困憊している保育現場なのに国は、子育て世帯の支援策『こども誰でも通園制度』を実施しようとしているのだから驚く。この制度は保護者の就労の有無にかかわらず未就園の生後6ヶ月~2歳なら誰でも保育施設を利用できる仕組みだ。核家族の中ワンオペ育児で子育てに不安や悩みを抱えている母親たちを支援することに何も異論はなく、子どもたちも集団生活で友だちと関わることはとてもよいことだ。だが、保育現場の現状のままでこの制度を実施するのは保育士たちに今以上の負担を負わせることになる。

 また、預けられる子どもは低年齢で1歳半頃から自我が芽生え、意思表示するようになり『イヤイヤ』になったり友だちとおもちゃを取り合ったりするから怪我をさせないように一時も目が離せない。さらに通園制度では人的配置の余裕はないから通常保育の子どもと『誰でも通園』の子どもと一緒になればどちらに合わせたらよいのか保育士は悩み不適切な保育につながるかもしれない。こうした問題がある通園制度を実施するならば保育士の数を増やしてゆとりを持って保育ができるようにしてほしい。

 子育て支援策のひとつとして、子育て中の家族がそろって夕食が食べられるように働いている父親や母親が早く帰宅できるようにするべきだ。あらゆる企業が子育て中の父親と母親の労働時間を短縮することが少子化対策になるだろう。家族がそろって夕食を食べるという当たり前のことができる社会を望みたい。(美) 案内へ戻る