ワーカーズ298号 (2005.6.1)          案内へ戻る

脱線事故の元凶はJR資本だ
「労働者が主人公となる社会」を創ろうではないか


 五月二五日、早朝の横浜駅で起きた信号機の故障により、東海道線と横須賀線が四時間ばかり運休した。たった一ヶ月前には、尼崎付近で、死者百七人の大事故を起こしたばかりというのにこのていたらく。JRは今累卵の危機にある。徹底した糾弾あるのみである。
 国鉄分割民営化後の人減らし合理化の急速な進展こそが危機の核心である。とりわけ尼崎の事故はこの危機を象徴している。本州JRの中でも私鉄との競合が際だつ西日本は人減らしを利益確保の最大の目玉としていた。そのため民営化一八年後の現在、社員数は三割減、なんと保線関係では実に五割減。これは労働組合の弱体化なくしてありえなかった。
 このため、事故を起こした福知山線には、西日本の集客優先・利益追求主義の矛盾が集中的に現れた。一つ目は、事故現場の鉄道の軌道を急カーブにしてまで中継駅と接続したこと。二つ目は停車駅を増やしたのにもかかわらず走行時間を短縮したこと。三つ目は新型ATSを整備していなかったこと。大局的に見れば事故の最大の原因はこの三つである。
 だから最大の責任は井手正敬取締役相談役にある。国鉄分割民営化の際には、松田昌士氏(JR東日本会長)、葛西敬之氏(JR東海会長)とともに「改革三人組」と呼ばれ、国鉄改革に辣腕を振るい、八七年四月のJR西日本発足時に同社副社長に就任した人物だ。その後九二年社長、九七年会長に就任、0三年に南谷−垣内体制に譲り、取締役相談役となり、経営の一線を退いた。事故の現場となった急カーブの軌道は九六年に創ったのだ。
 軽薄な石原都知事やマスコミは、事故を起こした運転者の資質に問題を矮小化したり、事故列車に乗り合わせた二人の運転手や直属の上司の言動等、西日本社員の呆れた行動を取り上げその体質をあげつらってはいる。だが直接の責任者橋本光人大阪支社長が、その時点呼のため尼崎駅におり、事故発生を知るや駅長らと現場に急行して、招集可能な労働者全員を集める「第一種の招集体制」を発したものの的確な指示ができなかった決定的事実は赤旗のみ書いている。石原やマスコミはこの破廉恥な人物こそ糾弾すべきではないか。
 今年度「支社長方針」第一の柱を「稼ぐ」とした橋本のこの無能は正に無惨の一言だ。
 労働現場は労働者こそが主人公である。今こそ闘う労働組合を再建するだけでなく「労働者が主人公となる社会」を創るために断固として闘い抜こうではないか。 (猪瀬一馬)


神奈川県の教育現場から−−「つくる会」の教科書採択を許すな!

本質的には何らの改訂もない扶桑社教科書

 四月五日、文科省は検定された教科書を公表した。その中には四年前鳴り物入りで登場しながらも、採択率では一%に満たなかった扶桑社の教科書二冊含まれていた。「歴史」教科書は改訂されており、「公民」教科書は新訂されたものであった。若干見栄えを意識された編集にはなったようだが、一番の特徴である本質的な政治的主張と偏向には何らの変化も見られない。前回問題になったように、実際の授業では使いにくい編集内容が、コラム欄の多用という形で今回は実に明確になった。これらのコラムは授業ではどのように取り扱うのだろうか。
 コラム欄は、「歴史の名場面」と銘打たれ、「蘇我氏の滅亡」「大仏開眼供養」「蒙古襲来」「日本海海戦」「アメリカ艦隊の日本訪問」「アジアの人々を奮い立たせた日本の行動」「日本を解放軍としてむかえたインドネシアの人々」などである。なぜこれらがコラムとして特記されなければならないか私たちには正確な予想ができない代物ではないだろうか。これらが実際教科書の中に何の矛盾なく位置付けられるのは、「つくる会」教科書が戦争や軍隊に関する特別の思い入れがあることと切り離しては考えることもできない。
 朝日新聞もこの歴史教科書の問題点として、「光と影のある近現代史を日本に都合よく見せようとの歴史観に貫かれていることだ」と指摘している。同時に検定の不当さをも指摘している。公民教科書では、最初竹島について「韓国とわが国で領有権をめぐって対立している」とあったが、検定により、「韓国が不法占拠している」と書き換えられた。
 一事が万事という。扶桑社の教科書は教科書の名に値しないものとの認識を保護者等に広めていかなければならない。

四年前のリベンジに賭ける「つくる会」の戦略

 四年前の採択の時、「つくる会」は、検定本を市販するとともに当時会長であった西尾幹二氏の『国民の歴史』の贈呈運動を教育関係者に対して行っていた。しかし、結果としては、無視しうるような採択率でしかなかった。このため膨大な負債となったので、今回は、前回のような「国民運動」としての装いでの運動展開ではなく、行政に頼る運動展開となった。今回は採択率十パーセントをめざしている。またこの戦略転換には、この間、西部・小林よしのり両氏の「つくる会」はポチ保守との規定をした上での組織離脱があり、会員数の減少による運動資金の激減のためとの内部事情もあると考えられている。
 一九九七年二月、「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」が立ち上がったが、結集した議員の中には、安倍晋三・中川昭一・中山現文科大臣がいた。これらの人物は今や小泉内閣の閣僚である。いわば文科行政が「つくる会」の後方支援を行っているような陣形を取っていることを指摘しておく必要がある。こうした流れであったからこそ、昨年十一月の中山文科大臣の歴史教科書に対しての「極めて自虐的でやっと最近、いわゆる従軍慰安婦とか強制連行とかいった言葉が減ってきたのは本当に良かった」との暴言が為された背景と政治的な意味を、私たちは正確に読み取ることが重要である。
 特記すべき事がある。神奈川県議会の十二月定例会で、「つくる会」の逗子在住会員から、「公正な教科書採択についての請願」が提出された。その趣旨は、「教科書採択に際し、特定の教科書を批判したり不採択を求めたりしないように教職員組合に申し入れること」「同意しない場合は、組合員及び組合員であった人物を調査員や審議会・協議会等の委員などの採択関係者に任命しないこと」というものだ。何とも露骨な請願内容なのだが、十二月議会では継続審議になったものの三月議会では採択されたのである。

「つくる会」教科書採択の主戦場は杉並区と逗子市

 教育基本法の精神に反するこのような教育行政に政治的介入を行う「つくる会」の策動は、教科書採択制度の改悪と一体化して、現場の教育労働者の「調査・研究」に基づく見解を採択に繁栄させる従来の方式から、採択地域を細分化するとともに各教育委員が「自らの責任と権限において」「十分調査研究」を行い採択することに変えられた地区もある。こうした変更は、当然の展開ながら、現場教職員の意見よりも教育委員各自の「個人的思想や政治的狙い」を反映しやすくすることにならざるをえない。
 ここで浮上してくるのが、「日の丸・君が代」処分で全国において突出した動きを示している東京都の教育行政の責任者である横山都教育長と侵略戦争を賛美して恥じない山田杉並区長の存在である。したがって、杉並区は間違いなく前回と同じように採択を巡る主戦場となるのははっきりしている。
 あまり知られていない逗子市にあっても、昨年の小学校の教科書採択時には、教育委員会の公開された議事録によると、音楽の教科書での「国歌」の取り扱いを巡って、なぜ教科書の第一頁にないのかの愚にも付かない議論を延々と展開していることや「国歌」と大きな字で書いていないことを問題視したことが明らかになっている。こうした議論を経て採択された小学校教科書には現場の教職員の評価と齟齬をきたすものもあった。この教科書が選択されたのは国語教育の専門家を自負する教育長の独断だったとの伝聞が伝えられているのである。
 そもそも教科書とは、教育現場で児童・生徒や地域の保護者と日常的に接する機会を持つ教職員が、同僚と十分話し合うなどの手だてを取りつつ総合的な判断に立った選択することこそ求められている。そうしてこそ教育効果が上がるというものである。
 なにかに付けて日頃から、情報公開度日本一を自負する長島市長は、この点真剣に反省すべきではないか。

三教組は「つくる会」教科書採択に反対

 逗子市の教職員を組織している教職員組合は、三浦半島地区教職員組合である。十数年前、池子米軍家族住宅建設反対運動を、逗子市住民と粘り強く闘った組合でもある。
 五月十九・二十日の両日に開催された定期大会において、「つくる会」教科書の採択の問題が、逗子市で実際に採択される可能性があるとの観点から、大いに議論された。
 しかし三教組執行部は、「三月に県議会で可決された「つくる会」の請願があるため、直接的な反対運動の展開ができない。したがって、具体的には教科書展示会に出かけて、各教科書の良い点を評価する形で結果として『つくる会』教科書の不採択を取り組みしかない」と説明するのだが、大会代議員の多数派は、この見解で納得することができなかった。教育労働者は、この際断固として闘うべきだとの意見が会場に満ちてきたのである。
 このような状況の下で、修正案「とりわけ『つくる会』教科書採択阻止にむけてたたかいます」の修正案は可決されていった。
 六月十七日から三十日まで逗子市では教科書展示会がなされる。私たちはこの展示会に参加すると共に「つくる会」教科書不採択の取り組みを強化していかなければならない。
 数日前に、ミンダナオ島で旧日本兵士二人が発見されたとのニュースが飛び込んできた。子細については未だ不明ではある。徴兵された時二十代の彼らは今や八十代の老人であり、実にむなしい戦後を送らざるをえなかった。彼らはフィリピンの人々には加害者でありながらも同時に被害者でもある。軍国教育という名で行われた旧日本国家のイデオロギー教育に自縄自縛されてしまった彼らの現在が、今の子どもの未来の姿に重ならない保証は、海外派兵国家への転換に反対する、まさに私たちの闘いに係っているのである。
 全国の「ワーカーズ」読者の皆さん、全国各地区で予定されている教科書展示会には、是非とも都合を付けて参加し、実際に「つくる会」教科書のひどい内容を確認し、怒りを込めて「つくる会」教科書が不採択になるよう闘っていこうではないか。   (直記彬)案内へ戻る


 教育基本法を変える? なんでだろう〜最終回
Q14 教育基本法が変わったら、子どもや学校はどうなるの?


 「大競争時代を勝ち抜く」ために学校も大競争にまきこまれることになります。国が決めた目標や方針に忠実な学校、学校の「特色」をうまく宣伝して生徒をたくさん集めた学校には、予算がたくさん配分され、そうでない学校は予算もなく、だんだんさびれてつぶされます。それはしかたないじゃないかと考える人もいるかもしれません。
 でも、教育って、宣伝の上手下手や親のニーズにあうかどうかや、国の目標や方針に忠実かどうかだけで評価して、それを予算配分にまですぐ結びつけていいのでしょうか。教育のしごとには、そういうものさしでははかりきれない、もっと大事なこころざしや理想があるはずです。親と教師と子どもが、それについてじっくり話し合うことをぬきにして、上から決められた枠のなかでの大競争に参加するだけでいいのでしょうか。
 学校が大競争にまきこまれるということは、実は、親や子どもを大競争にまきこむことでもあるのです。国から優秀だと認められ、生徒が集まり、予算もたっぷり配分される学校に入ることをめざしての競争です。その競争に勝ち抜いてエリートになる人々を効率的に養成するにはそれがいいのかもしれません。でも「負け組」の子どもたちはどうなるのか、そのことを無視してしまう世の中って、いい世の中でしょうか。だれもがそれぞれに才能を発揮し、協力しあえる住みよい世の中にしたいですね。
 学校は競争に追われていては、のびのびとした教育などはできなくなります。そのうえ、愛国心や「日の丸・君が代」の押しつけがいっそう強まるでしょう。教育は「国家戦略」だともいわれていますから、子どもにとっては、学校はお国のために必要な教育を課される場所になってしまいます。子どもは、教育は、お国のためのものでしょうか。子どもの権利条約は教育を子どもの権利と認め、子どもの人格、才能、能力を最大限度まで発達させることをめざすとしています。教育が子ども自身のために行われるのは今日の国際常識です。(子どもと教科書全国ネット21・発行) 
 「Q&A」形式での教育基本法の紹介はどうでしたか? 法律と聞くと、難しいから専門家にお任せしようというのが、世間一般の対応ではないかと思います。しかし、他人任せで、のんびりしているわけにはいきません。憲法改悪と同時進行の背景に何があるのか、私たちの日常生活に大いに関わってくることです。国家の暴走に歯止めをかけるために教育基本法があることを再度確認して、教育基本法改悪に反対の声を上げていきましょう。(恵)


コラムの窓・安速便

 「安速便」といっても、新規参入した宅配便の名前ではありません。尼崎のJR宝塚線で107名の命を奪った元凶、今日的な支配的価値観を象徴する安・速・便≠ナす。「安く、速く、便利であること」、これは消費者の要求であり、生産者にとっては生死にかかわる指標です。生産者は生死を賭けた跳躍によって、商品にこうした付加価値を加えないでは、今では生き残ることができないのです。
 流通革命によって安価な商品を供給し一時代を築いた中内のダイエーすら、今日的価格破壊の嵐のなかではその存在も色褪せ、衰退してしまったのです。一方、コンビニエンスストアの隆盛はその便利さゆえです。すなわち、生活スタイルの変化にあわせた品揃えと、年中無休・24時間営業など。眠らない現代人にピッタリのこの営業スタイルは、個人商店の追随を許さないものです。
 この資本にとっての死の跳躍に引き裂かれるのが労働者であり、死亡したJRの運転士も犠牲者のひとりといえるでしょう。個人商店主はわが身を引き裂くほかないのですが、企業経営者は労働者を犠牲にし、非人間的な境遇に追い込むのです。時間賃金に夜間労働、その上危機対処は自分持ち。これが、経済大国日本の労働現場であり、消費者が望んだ結果、端無くも出現してしまったものです。
 国鉄がJRになり、どれだけの労働者が引き裂かれてしまっただろうか。おかげでJRは安・速・便≠フ飛躍をはかり、資本として生き残ることができたかに見えました。しかし、その代償は余りに大きすぎるものでした。安全よりも目先の利益や労務管理を優先し、結果的に企業危機を招いてしまったのです。
 それにしても、ヤミ・カラ攻撃で分割民営化と大リストラを後押ししたマスコミが、今になってJRが強制してきた非人間的労働を攻撃するご都合主義にはあきれてしまいました。自らがJR資本の共犯であったことの自覚が全くないのだから、始末が悪いのです。
 かくして安・速・便≠ヘ張りぼての消費者天国であり、裂け目から垣間見えるのが現実社会です。資本によって押し付けられたこの消費者像に踊らされるのではなく、現実社会の地に足をつけた働き、生活スタイルが問われています。       (晴)


主幹制神奈川方式の導入を粉砕しよう―文科省は全国の学校現場へ主幹制度の導入を企図

学校主幹制度と神奈川県教組

 小泉内閣の推し進める構造改革の目玉の一つに、「二〇〇六年公務員制度改革」がある。
 昨年一一月二日、人事院は、「公務員制度改革」を先取りして、一、民間賃金の低い地域に合わせて俸給水準を切り下げ、民間賃金の高いところは「地域手当」を支給する 二、職務・職責を反映し得るよう、級間水準差の是正、級構成の再編、昇級カーブのフラット化等俸給表構造の見直しを行う 三、普通昇級と特別昇給を廃止し、実績評価に基づく昇給制度(査定昇級)を導入するなど、勤務実績の給与への反映を行う 四、複線型の人事制度の導入に向け、三級構成程度の専門スタッフ職俸給表を新設する の具体的提言を行った。
 このように、公務員制度に対しても、民間で資本の主導の下で強権的に導入された様々な労務政策・賃金政策等を基本に据えて、従来から「親方日の丸」と批判されてきた公務員制度の根本的な見直しを進めようとしているのである。
 ここで注目すべきは、この見直しが公務員制度改革に一歩先んじて急速に進められている教育現場である。なぜなら、教育公務員について言えば、今まで全国の公立学校の教職員の給料は、国立学校の教職員の給料表に準じて作成されていたが、二00四年四月に国立大学の独立法人化に伴って国立学校に勤務する教職員がいなくなったことにより、各都道府県は、従来準拠してきた給料表が廃止されたので、各都道府県で独自に作成しなければならなくなったからである。別の言い方をすれば、各都道府県が、独自に作ることが出来るようになったとも言える。
 こうしたことを背景にして、二00四年五月、神奈川県では神奈川県の優位性を確保しようとの思惑から、全国に先行して独自の教員給与制度交渉を、神教委と神教協(神教組と神高教)とが行っていた。こうした行動は、全国を揺るがした日教組の勤務評定反対闘争の最中にあって、勤務評定の是非を巡って流血の非妥協的な闘いを繰り広げていた他都道府県の闘いを尻目に、全国的な糾弾の対象となり大いに議論された「勤評神奈川方式」を生み出した末裔達の面目躍如とも言えるものである。
 しかし勤評闘争当時は、絶大な交渉力を保持していた神教組も、その余勢を駆って革新県知事を擁立し続け、主任制度省令化においても「主任制度神奈川方式」を実施し主任手当拠出運動を継続しているが今は往時の力はなく、逆に神奈川県当局から、次々と窮地に立たされる局面に追い込まれている。したがってこの状況下での交渉では、敵の術中にはまり自ら進んで窮地に追い込まれることになる他はない。しかし、長く当局となれ合ってきた神教組には、そんな想像すらできなかったのである。

神教委からの提起と主任手当凍結提案

 給与制度交渉で提起された神奈川県教育委員会の主張の核心は、一、教員賃金の水準を整理していくには、給料表構造そのものの見直しが必要 二、その手法としては、新級を創設するとともに、中小教育職給料表と高等学校教育職給料表を統合・一本化する 三、新級を創設するためには、それに見合う「新たな職・新たな学校運営組織」の検討が必要 というものであった。
 この神奈川県教育委員会の見解は、さらに具体的に言うなら、「子どもと向き合う学校づくり」をコンセプトに、より組織的かつ機能的な学校運営が出来る組織体制をめざすとして、「主任制度」を廃止し、「新たな職」を、給料表上の二級(教諭)と三級(教頭)の間に創り、そこに位置づけるとともに従来は別だった中小と高校の給料表を一本化するということであった。もちろん全ての教職員が必ず新二級にはなれないのが前提の話だ。
 神教協のこの間の「主任制度」に対する反論を尻目にして、能弁な神教委は、以下のようなさらに具体的な議論を展開してきたのである。
 ここで言う「新たな学校運営組織」とは、小学校では、「カリキュラム・地域連携」「児童指導・支援」「相談・健康」「学校管理・運営」の四グループを、中学では、「カリキュラム開発」「地域連携」「生の徒指導・支援」「キャリアガイダンス・教育相談・健康」「学校運営・管理」の五グループを例示して、「新たな職」は、一、グループリーダーとしてグループ数と同一人数を配置 二、教諭・養護教諭・栄養教諭(設置後)をもって充てる 三、職務については、管理職の学校運営の補佐、グループの職務管理、人材育成 であるとしている。
 こうして、三の職務の具体的な例示からも明らかなように、この「新たな職」とは、従来の主任制度を一段上回る学校管理体制であることは明白だ。今回学校管理体制の要となる目玉としての「新たな職」提案を認めることは、主任制度反対闘争を、二六年間闘ってきた日教組・神教組組合員には、絶対に認められないことは明らかではないだろうか。

追い込まれ妥協・屈服しつつある神教協

 この間の主任手当拠出に対する保守勢力からの追及を逆手にとって、神教委は、神教協に対して、一、現在の教員の職体系や主任制度を根本から見直すこと、新たな職制度や職体系にあわせた給与制度など、新制度の構築に向けて検討に着手している 二、新制度により主任制度、主任手当について抜本的に見直す 三、日程についても〇四年度中に新制度を確立し新たな職に関する人事委員会勧告を踏まえ、遅くとも〇六年度までに新制度を実施したい と、神教協に通告かつ提起してきた。
 神教委は、主任制度そのものは、国の法令上の問題で現時点では凍結できないものの主任手当については、国立学校準拠制が廃止されたことから県条例で支給できないことにできるということから、神教協に対して、将来的には新二級導入を有利に展開する一助として、神教協も以前から要求してきた主任手当支給凍結を提起してきた。ここにいたり、神教協は、闘いのターニングポイントにいやがおうもなく立たされてしまったのである。
 二月二一日の県議会本会議の中で、曽根県教育長は、各議員からの質問に答えて、校長の指導力の向上のために在任期間の長期化を図る一方、学期や夏・冬の長期休業期間の校長裁量権の拡大、校長・教頭の補佐やグループの職務管理、人材育成などの役割と職責を持ったグループリーダーを新たな職として設け、給与面でも職責に見合ったものとしていくとの答弁を行った。
 このように交渉内容を組合員に隠したまま密室の中で給与制度交渉を行ってきた一切の責めを負わなければならない局面となってしまった。今に至っても神教組は、まるで全ての教職員が新二級になれるかのような議論を展開している。何割の教職員が昇級できるかが交渉の核心になっているはずなのは明らかなのだ。しかし、主任制度は要らないが、新たな職・新二級ならよいとは、組合員に提起されたことも論議されたことも、いままで一切無い。すべてのことはまったく組合員には耳に水のことなのである。
 事ここに至り全国に先行して行われていた神奈川県での給与制度交渉は、まさに神教協にとって、大変な踏み絵となって現出してきたのである。
 この五年間、書記長として人事評価制度や給与制度交渉の場に臨んできた中で加藤氏が痛感したことは、「『教育改革』『公務員制度改革』の動き等、働き方と生活を取り巻く新たな状況の中で、私たちの組織と運動理念を社会的存在としてあらためて構築してい」くとその持論を展開するが、私には、神奈川県教育委員会と一緒になって、加藤氏が激動の時代の中で「新たな主幹制度神奈川方式」を創設したいと考えているとしか理解できない。

主幹制神奈川方式の導入を粉砕しよう

 あんなに何回も神奈川県教育委員会が明言してきたのにもかかわらず、神教協は、給与制度変更の前提となる「学校運営組織の見直し」について、この秋の人事委員会勧告に間に合うように結論を出したいと提案されて大いに動揺した。これでは秋の確定闘争と同時進行になるとの懸念からである。そうともなれば、今まで隠し通してきた実際昇級できるのは教職員の何割かに過ぎないことが暴露されてしますからである。
 確かに、神教協は前提となる「新たな学校運営組織」の交渉で、「新たな職」の役割について、「管理職の補佐」との立場を固執する神奈川県教育委員会を、批判はしているものの「豊かな経験に基づく教育専門職」としての側面から批判しているのに過ぎない。こうした歴史的に破産した「教師専門職論」では、当局の論理に巻かれる他ないのである。
 先に詳説したしたごとく「新たな学校運営組織」は、学校現場にいる養護教諭と事務職員をも巻き込み、組織的には直属の上司に位置付けられてはいるもののそもそも実態を持ちえないことから、両専門部では、たいへんな論議を巻き起こしている。
 こうした中で、七地区の連合体として組織され神教組の書記長を出している三教組が今年の定期大会で、新二級導入反対の修正案を、学校現場の多数の代議員によって可決させたことは全国的にいっても極めて大きな意義がある。全国の学校現場への主幹制度導入反対の闘いの幕がここで上がったのである。是非とも注目していなければならない。
 可決された修正案を紹介する。新二級に関わり執行部を震撼させた修正案は三本ある。
 その一。「『教員給与制度交渉』『主任制度の見直し』にかかわって、県教委が提起している『新2級・新たな職と新たな学校運営組織』は、教職員の間に決定的な差別と分断を持ち込み、これまで私たちがつくり出してきた『民主的な職場・民主的な学校運営のあり方』を根底からくつがえし、教育の権力統制を目論むきわめて重大な攻撃です。攻撃の本質的狙いが、教職員組合の団結破壊にあることを見抜き、組織が一丸となって反対の闘いを全力で組織する必要があります」
 その二。「私たちが長年の闘いのなかで築き上げてきた『民主的な職場』を根底から破壊する『新たな職・新たな学校運営組織』に反対して、組織の総力をあげて導入を阻止する必要があります」
 その三。「A『新2級制・新たな職と新たな学校運営組織』の導入に反対し、組織の総力を結集したたかいます。とくに、中間管理職の導入については阻止します」
 これら三本の修正案の趣旨は明確である。ここに三教組組合員の意思が結晶化している。神教組のバラストとして機能してきた三教組は、ここでまたまた底力を示したのである。
 この秋の闘いに向けて、私たちは全力で闘い、教育に対する国家統制の決定的な強化を狙う、主任制度に代わる主幹制度神奈川方式に反対し粉砕していかなければならない。
 全国の学校現場への主幹制度導入反対の闘いを断固として推し進めよう。(猪瀬一馬)案内へ戻る


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 今回紹介するのは、一橋大学の中野聡教授が開設しているHPの中の、日本のフィリピン支配に触れた部分からの引用です。ミンダナオの残留日本兵問題を考えるひとつの手がかりになると思います。
■マニラ戦50 周年と日本の「謝罪」
 1945 年2 月3 日にサント・トーマス大学の民間人収容所解放に始まったマニラ解放戦は、翌3 月3 日をもって日本軍が完全に掃討されるまで約1 ヶ月にわたり続いた。この間にマニラ市街は文字通り廃墟と化し、日本軍守備隊約2 万名はほぼ全滅、米軍も約7 千名の犠牲者を出した。しかしなんと言ってもマニラ戦最大の犠牲者は、約10 万にのぼると言われる非戦闘員・民間人であった。その恐らく7 割が日本軍による殺戮と残虐行為の犠牲者、残り3 割が米軍の重砲火による犠牲者だとされる。このように第2 次世界大戦でワルシャワに次ぐ都市の破壊と言われ、また日米間で戦われた初めての、また最大の市街戦であったマニラ戦は、その結果の悲惨さゆえに、解放戦であると同時に「マニラの破壊」あるいは「マニラの死」とも呼ばれている。
 このときの日本軍の残虐行為については、マニラのフィリピン国立文書館の日本人戦争犯罪記録(Japanese War Crime Records 戦犯裁判の捜査・公判記録) などでかなりくわしく知ることができる。残虐行為がもたらした復讐心ゆえに戦後の戦犯裁判に幾つかの誤審があったことは事実だが、裁判の原因となった残虐行為の被害事実の確定という点では、マニラ戦直後に生存者から細かい事情聴取が行われているだけに、本記録は信頼のできる史料となっている。
 しかし、マニラ戦体験者の間では、この悲劇が、国際的にも、またフィリピン国内でさえ、若い世代にはあまり知られていないことへの不満がある。そうした問題意識を背景として発足した市民団体「メモラーレ・マニラ・1945(MEMORARE-Manila1945) 」が行った祈念行事は、一連の50 周年関連行事のなかでも、もっとも強い感銘を筆者に与えるものだった。
行事の中心は、マニラ戦で日本軍が市民を人質にとって最後まで立てこもり、米軍の重砲火で歴史的
建造物の大半が破壊されたイントラムーロス(スペイン時代に構築された城壁都市)の一画に建立された、マニラ戦の「非戦闘員犠牲者(non-combatantvictims)」10 万人を追悼する祈念碑(写真参照)の除幕式と、続けてマニラ大聖堂にハイメ・シン枢機卿(Jaime Cardinal Sin) を迎えて行われたレクイエム・ミサであった。
 除幕式は、街角公園という風情のささやかな場所で、百脚に満たない椅子をおいて夕刻から行われた。
お祭り騒ぎのレイテ式典とは対照的に、祈りと、マニラ戦体験者の語りで構成された静かな除幕式で
あった。続いて大聖堂で行われたミサは、モーツァルトのレクイエムで幕を開いた。その鎮魂の言葉を幾行がここに引いておこう。
 主よ、私たちの祈りをお聴き下さい/犠牲の山羊たちのように屠殺された罪のない子どもたちのために/家族の安らぎから離れて家畜のように囚われの身となり死んでいった男たちのために/殺される前に虐待され、あらゆる苦しみと屈辱を舐めさせられた女たちのために/殺し、強姦し、屠殺した者たちがその罪を認め赦しを乞いますように/主に祈りましょう
 最後の一節は、言うまでもなく日本人に向けられたメッセージである。(以下略)

    
 〈商品生産の揚棄〉を考えるB
 ――「単一の協同組合論」「一国一工場論」を素材として――


3)「マルクス=一国一工場説」の誤り

 マルクスの「示唆あるいは黙示するもの」というのはこうした記述だというが、これらははたしてマルクスが「一国一工場」体制を示唆あるいは黙示したものだといえるのだろうか。私はそうは言えないと思う。理由は以下の通りだ。
 @の「一大調和的体系」は「社会的な生産」について述べたものだ。どんな社会でも、社会全体の生産が人々の消費を賄えなければ、その社会は持続できない。その生産と消費の調和がどういう仕方で実現されるのかを対比しているのがこの部分で語っていることだ。すなわち資本制社会での社会的な生産と消費との調和が、無政府的なものであること、価値法則の貫徹を通した事後的で一時的なものでしかないことを念頭に置いて、それに連合労働による生産の自覚的コントロールを対置しているわけだ。
 Aの「一個同一」についても同じだ。資本制社会は個々の労働は他の労働とは切り離されたバラバラな、排他的な私的労働として支出され、その私的労働が価値法則を通じて結果的に社会的労働の一環であることが事後的に確認される。これに対して社会主義では、個々の労働が「協議した計画」に従って意識的に、事前的に、価値法則という回り道を通ることなく、直接的に社会的な有機的労働の一部として支出されることを述べているのだ。
 BはAの事を比喩的に述べているだけだ。
 Cは協同組合原理で成り立つ社会という、内部編成の性格を述べたものだ。
 Dは「全国民」からなる「巨大な連合体」という言葉を取り上げたものと思われるが、これは排他的な私的所有者相互間の関係として現れる弱肉強食の原理が貫徹する資本制社会に対して、「連合」という対極の関係として現れる社会主義を対比したものだと考えられる。ただしEの点も含めて、形態概念を重視するエンゲルスには、ケースによっては社会主体説や国家志向癖が見られることも否定できない。
 これらのケースは、どれもマルクスが「一国一工場」体制を明言したものでもないし、それを示唆、あるいは黙示したものと解釈することはできない。ところで連合労働を直接社会的労働として支出するというのが協同組合的社会だとする観点に対して、それを計画経済と同義と見なす国分氏の立論は違和感があるが、それは国分氏の論証を検討するなかで分析したい。

4)国分氏の「計画経済=一国一工場」理解

 国分氏は何らかの計画経済を志向する立場が「一国一工場」体制に帰着せざるを得ないことを、計画経済のいくつかのバリエーションの吟味を通じて”論証”している。以下それを見ていく。
 国分氏は計画経済の諸方式を1)集権的計画経済方式、2)分権的計画経済方式、3)混合的計画経済方式に三分類する(P67)。そして1)の集権的計画経済が当然のごとく「一国一工場」体制に帰着するものだとする他、3)の混合計画経済方式も分権的要素が強いもの以外はいずれ「一国一工場」体制に行き着くとする。
 残る分権的な計画経済方式も、「機能的」な「一国一工場」を経て、遅かれ早かれ「体制的」な「一国一工場」に転化する可能性が高いという。そしてソ連の実例をふまえて全面的な計画経済は存立不可能になり、市場と計画が相互補完的に共存する「混合経済」体制になるともいう。国分氏によれば、いずれにしても市場を全廃した計画経済体制は結果として必然的に「一国一工場」体制に帰着する、というわけだ。市場の廃止に替わりうるものとしては「一国一工場」体制=スターリン主義しかないことになる。
 これでは社会の富が商品として登場せざるを得ない特殊時代的な資本制社会の所有諸関係の分析を通し、そうした諸関係を変革することで脱商品経済、脱私的所有経済としての「連合生産様式」を展望するマルクス説など始めから理解しようがないのではないだろうか。
 国分氏がマルクスの見解を「市場を廃止」した「一国一工場」体制に親和的だと解釈するその裏側には、国分氏が「ソ連=一国一工場体制=専制体制」という強烈な問題意識がある。それ自体は正当だと思う。ソ連の「一国一工場」体制=専制体制がスターリン体制の初期の時代から、またあえて言えばレーニンの時代から労働者を所有や管理から排除する施策が始まっていたのは事実だからだ。
 しかしそのソ連とマルクスを直接的な因果関係で結びつけることは出来ない。マルクスのアソシエーション革命論が、歴史の発展過程の中で一端失われた生産手段の自己所有を、いわば生産諸条件と人間との本源的な統一を復活する――高次のレベルで――、というのがマルクスの基本的な歴史認識だったからだ。その「高次復活」というのは、「自らのものに対するような態様で関わること」(『先行する諸形態』)、言い換えれば生産諸条件、具体的に言えば生産手段やその管理運営に対する個々人の「当事者主権」の回復を追求することでもある。こうしたことはソ連で進行した事態とは全く逆のことなのだ。

5)マルクス=「社会主義=利潤分配制」説

 国分氏は社会主義を市場経済を前提とした連合社会、市場と計画が共存した混合経済体制だと解釈している。その根拠としてマルクスが書いた『個々の問題についての暫定中央評議会代議員への指示』(1867.2 マルクスエンゲルス全集16−194)の記述をあげている。この中には協同組合運動の功績、それが体制変革へとつながるための条件(全般的な社会的変化)、それに協同組合の運営原理などを述べた部分もある。その内容は次のようなものだ。

 『個々の問題についての暫定中央評議会代議員への指示』
五 協同組合運動(労働)
 国際労働者協会の任務は、労働者階級の自然発生的な運動を結合し、普遍化することであって、なんであろうと、空論的な学説を運動に指示したり押しつけたりすることではない。したがって、大会は特殊な協同組合制度を唱道すべきではなく、若干の一般原理を明らかにするだけにとどめるべきである。
 (イ)われわれは、協同組合運動が、階級敵対に基礎をおく現在の社会を改造する諸力のひとつであることを認める。この運動の大きな功績は、資本に対する労働の隷属にもとずく、窮乏を生み出す現在の専制的制度を、自由で平等な生産者の連合社会という、福祉をもたらす共和的制度とおきかえることが可能だということを、実地に証明する点にある。
 (ロ)しかし、協同組合制度が、個々の賃金奴隷の個人的な努力によってつくりだされる程度の零細な形態に限られるかぎり、それは資本主義社会を改造することは決してできないであろう。社会的生産を自由な協同組合労働の巨大な、調和ある一体系に転化するためには、全般的な社会的変化、社会の全般的条件の変化が必要である。この変化は、社会の組織された力、すなわち国家権力を、資本家と地主の手から生産者自身の手に移す以外の方法では、決して実現することはできない。
 (ハ)われわれは労働者に、協同組合商店よりは、むしろ協同組合生産にたずさわることを勧める。前者は現在の経済制度の表面にふれるだけであるが、後者はこの制度の土台を攻撃するのである。
 (ニ)われわれは、実例と教導との双方によって、言いかえれば、新しい協同組合工場の設立を促進することと、また説明し説教することの双方によって、協同組合の原理を宣伝するために、すべての協同組合がその協同収入の一部をさいて基金を作ることを勧告する。
 (ホ)協同組合がふつうの中間的株式会社(societes par actions)に堕落するのを防ぐため、協同組合に働くすべての労働者は、株主であってもなくても、平等の分けまえを受け取らなければならない。たんに一時的な便法として、低い率の利子を株主に支払うことには、われわれも同意する。

6)「従業員持ち株制」を否定したマルクス

 国分氏はこの中の協同組合原理を要約して次の4点をあげている。
 1)生産者の自由な生産管理、2)従業員持ち株制、3)利潤分配制(持ち株とは無関係)、4)株主には低率の利子の支払い、だ。
 本当にそう要約できるのだろうか、以下で見ていきたい。
 1)の点については、『代議員への指示』のイ)、ロ)、ハ)の記述から抽出される原理で、これには異論はない。
 同意できないのはまず第一に、国分氏がマルクスの『代議員への指示』の記述を、「過渡期社会(脱資本主義体制)の機軸をなす協同組合のあり方について言及」したものだと解釈していることだ。すなわち共産主義に至る前の連合労働にもとずく組合的所有=社会主義段階のことだ。
 しかしマルクスのこの文章は、『代議員への指示』の(五)として「協同組合運動」について助言したものであり、あくまで全般的社会的変化、社会の全般的条件の変化」以前の現実の協同組合運動のあり方について述べたものだ。したがってここでマルクスが言っているのは過渡期社会――この概念自体も問題有り――の協同組合原理とイコールではない。なぜなら資本主義体制のもとでの不可避の制約から免れられない要素もあるからだ。もちろんそうした制約があってもそうした原則が、将来の協同組合的社会の原理を内包するものだという理解については、当然のことだろう。
 二つめは、2)の従業員持ち株制についてだ。
 『代議員への指示』の(ホ)の部分からは「従業員持ち株制」を読みとれる記述はない。ただ労働者の中に株主とそうでない労働者が存在することを示唆するだけだ。そしてこの場合の株主とは協同組合設立の出資金の提供者のことであり、だから出資金を提供していない労働者の存在が含まれるのだろう。このことを従業員持ち株制だと解釈するから、次に触れるような、よくありそうな誤解も生まれてしまう。いわく「個々人的所有は生産者個々人による持ち分として再建されると同時に、そうした持ち分からなる個々人による共同所有Miteigntum=組合的所有も実現される」。これは以下で触れる。
 3)の利潤分配制については、より正確には「生産果実の分配制」と読み替えれば異論はない。「生産果実」とは労働過程によって新たに生み出した部分のことであって、資本制的生産の中では賃金部分と剰余価値部分を合わせたものだ。マルクスが「平等の『分け前』」(share alike=同様な、同等な分け前――shareとは「分割して共有する」が本義)と記述しているのは、賃金とか剰余価値―利潤という概念を否定しているからあえて「平等の『賃金』」とは記述しなかったのだ。こうした記述方法は、たとえば「交換」などという言葉を意識的に避け、「与える」「返してもらう」などと記述している『ゴータ綱領批判』等にもよく見られることであって、マルクスは意識的にそうした言葉を拒否していると理解すべきなのだ。
 それに利潤分配によって労働者が株式(出資金?)の所有者になる可能性が与えられる、としているのも、協同組合における労働者の地位や権利について誤認していると言わざるを得ない。繰り返しになるが、協同組合原理とは利潤分配ではなく「生産果実の分配」であって、協同組合の中では、賃金部分と利潤からの分け前部分という区別はなくなっている。だからマルクスは労働者が受け取るのは「賃金」ではなく「分け前」と記述しているのだ。労働者・生産者は、生活を賄う範囲を超えて「賃金」を支給され、それで配当目的などで株を取得するなどはない。もし「超過支給」が可能だとすれば、それは労働時間の短縮に向けられる。
 次に上記で「よくありそうな誤解」だと言った、国分氏の「個々人的所有は生産者個々人による持ち分として再建されると同時に、そうした持ち分からなる個々人による共同所有Miteigntum=組合的所有も実現される」という解釈だ。これも従来のように「個々人の所有を持ち寄ったものが組合的共同所有だ」という所有権優位の観点から理解するから出てくる誤解というほかはない。逆に、組合的共同所有の原則は、株の所有などに根拠づけられた権利関係に由来するものではなく、組合=企業の共同の占有者であることに由来するのだ。国分氏が引用したように理解するということは、国分氏自身のその記述の直前の正当な評価(占有補除者から占有者への格上げ……広西説)を忘れるものだろう。マルクスの「株主であってもなくても、平等の分けまえを受け取らなければならない。」という占有に基づく「平等な分け前」という取得様式そのものが、生産者による個々人的所有という性格を持つのだ。このことは4)項で指摘したとおりである。

7)「利潤分配制」を否定したマルクス

○第三の問題点は、4)の「株主には低率の利子の支払い」という記述についてだ。
 国分氏(広西氏も)はこれを利子取得者(資本家)の存在を容認しているものと受け取っているようだが、むしろ出資した労働者への処遇に言及しているものだと解釈すべきだろう。仮に協同組合の外の株主を想定していたとしても、支払うのは「利子」であって「配当」ではない。「配当」という概念は「持ち分」に比例した利潤の配分のことであり、その言葉自体が利潤と不可分一体の言葉だ。協同組合原則は資本制社会のなかでのものも含めて持ち株に比例した配当はしないのが普通である。だから「低率の利息」という記述の真意は、まず第一に「配当」を否定したことにある。(田畑稔氏もマルクスのこの記述が「配当」と「利息」を区別したものだと評価している。『マルクスとアソシエーション』114ページ)
 それに「利子」は利潤の構成部分であって、実際の率も配当に比較して低く設定されているのが普通だ。しかも当時のヨーロッパの協同組合においては「利子」は次第に引き下げていくというのが了解事項であり、この記述もそれに即して徐々に引き下げ、最後はなくなるという含意もある。なぜそういった「低率の利子」という記述が入っているかと言えば、それはあくまで資本制社会のなかでの協同組合であって、部分的に資本制原理を受け入れることもやむを得ないと考えたからだと推察できる。だからこそその利子の支払いについて「たんに一時的な便法として、低い率の利子を株主に支払うことには、われわれも同意する。」として、あくまで一時的措置、さらに「便法」という本来の原理から逸脱したものとして、しかも要求するのではなく「同意」という消極的表現になっているわけだ。しまもマルクスはこの「便法」についても、その比重が「配当」の性格を得ないようにわざわざ「低い率の利子」と歯止めを掛けるのを忘れなかった、ということなのだ。
 振り返ってみれば、マルクスは『資本論』をはじめとする様々な著作で、どのような諸条件が労働生産物を商品として生み出すか、を歴史的、概念的に明らかにしてきた。それは資本主義を揚棄した社会主義=協同組合的社会では商品生産とその流通が無くなること、社会主義がそれらを揚棄した社会であることを歴史内在的に立証するためだった。こうした一連の理論的な作業と具体的な記述に触れることなく、マルクスの文章の一部から独断的に「一国一工場」体制につながる「示唆」あるいは「黙示」を引き出すとすれば、それは連合所有、連合的生産様式に関する無理解の結果だとしか言いようがない。(廣)      (次号に続く)案内へ戻る


井手正敬という人物

 5月9日午後、JR西日本取締役相談役の井手正敬氏が脱線事故現場を訪れ、「(元社長として)私にも責任はあるかもしれない」(5月10日付「神戸新聞」)と語ったという。さらに記事を読むと、「JR発足時や阪神・淡路大震災では、一丸となって会社の危機を乗り越えようと、社員教育にも取り組み、良質の危機感≠ェあった。しかし、最近はある程度の安堵感が広がっていたのではないか」ということのようだ。
 JR西日本発足時、副社長だった井手氏は1992年に社長となり、97年から2003年まで会長だった。彼が最近は・・・≠ニ述べているのは責任逃れの詭弁であり、フリージャーナリストの立山学氏は次のように指摘し、井手氏を指弾している。
「特に、『国鉄改革三羽ガラス』の一人である井手正敬最高顧問(元会長・社長)は、JR西日本の実力者として18年間君臨してきたのです。今回の事故原因の一つである、『過密ダイヤ』の元である『アーバンネットワーク計画』も彼が推進したものです。国会は、尼崎事故の真相究明のために、彼を証人として国会に喚問すべきだし、彼も、国民に、この事故について、釈明する義務があります」(5月10日付「労働情報」号外・JR尼崎脱線事故)
 発足時の副社長というのも、社長は運輸省から来た天下りで、井手氏が実質的にはトップだった。また、現在は相談役ということで一線を退いてるようにみえるが、取締役≠ニいう肩書きを今も残している。井手氏が事故現場で手を合わせた翌々日、「週刊現代」が直撃取材を敢行している。タイトルは年収5000万円 JR西日本の天皇・井手相談役を直撃『日勤教育もオレもやめる気はない!』≠ニいうもので、実に興味深い内容だ。
 その出だしはこうだ。「関西でも屈指の超高級住宅街として知られる兵庫県芦屋市六麓荘町に、立派な門構えの邸宅が建つ。敷地は約140坪、建物は2階建てで総床面積は約60坪という広壮さだ。この豪邸の主は井手正敬氏(70歳)。『JR西日本の天皇』とも呼ばれ、現在は同社の取締役相談役を務める。過密ダイヤ、合理化路線を敷いた人物だ。5月11日の朝、豪邸から出てきた井手氏を直撃し、事故の責任を質した」
 過酷なペナルティや1秒単位の遅延報告について今後も続けるのかとの問いに、「そりゃ、鉄道は時間が正確なのが一番大事だから・・・」と答え、辞職するのかという問いには「やめるつもりはない。いま忙しいから」と応じ、日勤教育についても「続ける」と答えている。「儲け第一主義を徹底するために、日勤教育などの苛酷なペナルティを科した」責任者として、自らの業績≠否定するようなことは言いたくなかったのだろう。
 しかし、当然のことではあるが、現社長や会長も含めたトップの引責辞任は避けられなくなっている。とりわけ井手氏の赫嚇たる履歴から、私にも責任あるかも≠ネどという他人事のような物言いは許されない。むしろ、刑事責任を問われても当然ではないか。安全確保を怠り、運転士の曲芸的ブレーキ操作によってダイヤを維持するためにあえて新型ATSの導入を遅らせていた節もあり、未必の故意≠ニも言えるのではないか。
 この井手氏の社外取締役就任を、こともあろうに事故の2日後の4月27日に発表したのが三洋電機だ。この人事は本人が辞退するかたちで白紙となったが、「三洋は『国鉄の民営化で中心的な役割を果たした方で、その経験をぜひ生かしてほしい』と井手氏を高く評価する一方、事故とのかかわりについては『取締役としてお越しいただきたい気持ちは変わっていない』と話していた」(5月10日付「神戸新聞」夕刊)ということだ。
 このように今回の事故を国鉄の分割民営化と切り離そうとする論調がある。近年、大企業において類似の不祥事が頻発しており、これは資本の習い性となっている。JRの今回の事故はそれが最悪のかたちを取ってしまったものであり、それだけ井手氏の責任は重いということを示している。                                    折口晴夫


読書室  『靖国の戦後史』 田中伸尚 著/岩波新書

 国家が死者を追悼する行為自体を問う

 小泉首相の靖国神社参拝をめぐって、日中、日韓の対立が激化している。日本のメディアや評論家たちは、背景にあるのは日本と中国のアジアをめぐる覇権争いだと論評している。中国はアジアにおける日本の影響力の増大を嫌って日本の常任理事国入りを妨げようとしており、そのために日本の政治家の靖国参拝をことさらに非難している、また日本は中国による常任理事国入りへの妨害をやめさせるための取引材料として靖国問題を用いている、などという「分析」も披露されている。
 問題の背景に日中の支配層の間のアジアを舞台にした覇権争いがあるのは確かだろう。しかし、そうだとしても、日本の支配層が持ち出しているカードが「靖国カード」であること、靖国参拝をやめて欲しければ常任理事国入りを黙認せよなどという理屈であることは、日本の支配層の愚かしさ、その醜さと反動ぶりを物語って余りある。
 国民を無謀で野蛮な侵略戦争に動員するための精神的な支柱として絶大な威力を発揮し、戦後も自らの過去にどんな反省も行うことなく侵略戦争を合理化し美化し続けてきた靖国神社。2000万人のアジア民衆を殺戮した侵略戦争を日本の自存自衛のための聖戦、アジアの解放にも役に立った戦争だなどとうそぶき、A級戦犯を合祀し、敷地内に大砲や戦闘機や特攻機等々の兵器を陳列して悦に入っている靖国神社。今また新たな戦争へ向けた国民動員の道具として日の目を浴びようと画策している靖国神社。新たな「英霊」を確保することでエネルギー補填を企んでいる靖国神社。こんな神社を自らの大事なアジア外交の大きな拠り所として選ぶとは、日本の支配階級はよほど世間知らずか、無知蒙昧か、あるいは厚顔無恥かのいずれかであるという他はない。
 こうした「靖国カード」なるものによって中国の支配層を牽制し、アジアの覇権国として躍進して行けるかに思いこんでいるとすれば、それは愚か者の白昼夢と言うしかない。なぜなら「靖国」は、中国などの支配層にとって忌まわしく腹立たしい存在だというだけではなく、それ以上に中国や韓国をはじめとするアジアの民衆にとって激しい批判と憎悪の的となっているからだ。仮に日本の支配層がよほど運に恵まれて、中国や韓国の支配層が腰砕けになってくれ、日本の支配層に妥協の姿勢を見せるようなことがあったとしても、アジアの民衆は、日本軍国主義の凶悪な道具として働き、今またその恥ずべき仕事を再開しようとしている靖国神社、靖国勢力を決して許しはしないだろう。
   ◆  ◆  ◆
 確かに中国の支配層は、靖国神社が抱える問題がA級戦犯の合祀に尽きるものではないことを知っていながら、あえて問題をA級戦犯合祀に切り縮めてしまっている。A級戦犯の合祀さえやめれば靖国公式参拝もOKであると言わんばかりの態度を取っている。ここには中国支配層の、支配層としての限界が端的に現れている。一見すると、日本の戦争指導者たちと日本の多くの民衆とは区別しなければならないという理屈で、靖国批判をA級戦犯合祀批判に限定しているかに見える。しかしその本音は、自分たちが中国国内で中国の労働者・民衆に対してやっているのと同じ程度のことは、日本の支配層にも許すしかないと考えているのである。つまりナショナリズムを用いた支配層の結束強化、国民統合策自体には、同じ支配階級のよしみでお目こぼしを決め込んでいるのである。
 これは、その限りでは日本の支配層にとってありがたいことであろう。しかし中国の民衆、そしてアジアの民衆は、中国支配層のこうした中途半端さとは無縁であるだろう。
 何よりも、彼らは、靖国神社、日本の軍隊、日本の国家によって直接に多大な犠牲を強いられ、戦後においてもどんなまともな謝罪も補償も受けていない。また日本の戦没者遺家族のように靖国神社となにがしかの利害関係を持っているわけではさらさらない。日本の支配層による戦没者への国家追悼施設に対し、どんな敬意を払う言われも持たないアジアの民衆が、日本の以上に率直で厳しい批判へと進んで行くのは自然なことなのである。
   ◆  ◆  ◆
 他方、日本の民衆の靖国批判、国家による戦没者追悼施設への批判の歩みは、遅々としている。遅々としてはいるが、しかし着実に前進してもいる。
 日本の民衆は、敗戦後も長くにわたって、靖国神社への疑問や批判を示せないで来た。靖国への疑問が提起され、批判が開始されて後も、天皇制との結びつき、宗教的少数者や他宗教への抑圧的地位などへの批判から大きくは出なかった。それは、靖国神社とは別の追悼施設への要求と結びつきうるものであった。しかし今では、その批判は単に靖国神社批判を超えて、国家が戦争犠牲者や戦争被害者を追悼しようとすること自体に対する批判へと向かおうとしている。国家が戦争犠牲者を追悼するのだという時のその論理、狙いや動機への批判へと進みつつある。
 ここで紹介する『靖国の戦後史』は、まさに戦後の我が国における靖国の位置の歴史的変遷、とりわけ民衆による靖国批判の試行錯誤と発展を跡づけ、その向かうべき方向を示そうとしたものである。そこでは、靖国神社への批判は単にA級戦犯を合祀しているからいけないのだという批判を超えて、国家が死者を追悼する行為自体への批判へと突き進んでいる。例えば著者は、次のように言う。
 「…国家はなぜ戦死者を追悼するのか、国家の追悼はなぜ感謝と敬意なのか、戦死者を一様に『命を捧げた』と称えるのはどうしてなのか、なぜ死者は犠牲者とされ、被害者ではないのか、なぜ国家はその様な追悼施設を必要とするのか、その様な国家装置こそ国民に新たな死を強い、戦争を繰り返させてきたのではないか…」
 これはもちろん、千鳥ヶ淵戦没者墓苑、社会党が1956年に提案した「靖国平和記念同法案」、中曽根康弘が1972年に唱えた「大記念堂構想」、その後もたびたび提案される様々な非宗教的慰霊施設とやらに対する批判である。そればかりではない。著者は、沖縄県が設けた、国籍や民族にとらわれない追悼施設として平和運動家に評価されている「平和の礎」に対しても、疑問を突きつける。
 「…『平和の礎』は、またぎ越せない境界があるにもかかわらず、『またぎ越し』てしまったと言えるのではないか。それは、県民やアジアの被害者と軍の指導者を同列に刻名したことである。それによって、戦争責任の所在が曖昧になり、結局、戦争の美化につながっているという批判を克服できないのである」
 では著者は靖国問題の解決方向をどのように見通しているのだろうか。著者は、小泉靖国参拝違憲訴訟・四国原告団の団長である釈氏(きくち)さんの話を紹介しつつ、次のように語っている。
 「『国も、小泉首相も、靖国神社も、戦死者を称えます。見習うべき死だと言います。でも、国がやるべきことは、褒めることでも、感謝することでもありません。それは、戦争の事実を隠蔽してしまいます。国が何かをしたいなら、二度と繰り返さないというシステムをつくることでしょう。でも国家はいやらしいから、そんなことはしないでしょう。』」
 「…国立の追悼施設については、『そんなものは不要です。第二の靖国をつくるようなもので、もっとタチが悪いかも知れません』と釈氏さんは国立施設構想の怪しさについて強い疑問を示した」
 国立施設構想は靖国神社よりもタチが悪い、戦争を繰り返さないシステムこそが必要だ、という釈氏さんや著者の主張は明快であり、そして正しい。
 更に言わなければならないことがあるとすれば、戦争を繰り返さないシステムとは、単に政治的な制度というだけでなく、それ以上に経済と社会のあり方だ、ということだ。国家による死者追悼への批判は、「戦争」か「平和」を左右する基盤である生産や労働のシステムの再検討、新たなオルタナティブの探求・提起へと向かわなければならない。          (阿部治正)


三教組は「闘う組合」に戻りつつある

 五月十九・二十日の両日、三教組の定期大会が開催されました。今年の定期大会の論議の焦点としては、全国的には、義務教育国庫負担制度の問題が、神奈川県段階では、主幹制度神奈川方式ともいうべき「新たな学校運営組織」、とりわけ職場の差別・分断の強化に繋がる「新たな職」の創設問題が、三浦半島地区段階では、「つくる会」の歴史・公民教科書の採択の問題がありました。
 会場前では、例年の事ながら、「義務教育費国庫負担制度改悪に反対してストライキで闘おうと呼びかける」事務職員部のビラ配布がありました。そのビラの裏面には「新たな学校運営組織」、とりわけ職場の差別・分断の強化に繋がる「新たな職」には反対との明確な主張が展開されておりました。その他のビラ配布は、労組交流センター三浦半島教育労働者部会のみが行っておりました。そのビラも、「『新たな職・新たな学校運営組織』導入絶対反対」を呼びかけ、裏面では、「戦争を賛美する『つくる会』教科書採択阻止」を訴えておりました。この二種類のビラは三教組大会の焦点を明らかにしていたのです。
 大会論議は、当然の事ながら先に紹介したものばかりではない議論もされましたが、核心はこの三つです。残念な事に事務職員部の発言は議長の判断で極めて制限されたため、義務教育費国庫負担制度をストライキで闘おうとの大胆な主張は全面展開することができなかったのですが、その分分会からの発言は保証されて、「新たな学校運営組織」、とりわけ職場の差別・分断の強化に繋がる「新たな職」の創設問題が、反対する各分会からの発言で焦点化し、代議員各位に導入を容認するのか否かの選択を迫ることになりました。
 修正案の採択直前に行われた「闘う三教組」時代の書記長から、「新たな職」創設問題について、「三教組は方針転換したのかどうか」を強く詰問した質問に対して、その書記長の下で一執行委員であった現委員長は、人が作った制度は「制度疲労」をまぬがれえないとの意味不明の答弁を延々と続けました。この呆れた発言で勝負は付いたのです。
 修正案は五十九本提出されておりました。このうち、有事法制の実働化を阻止するとりくみを訴えた事務職員部の修正案は字句修正した上で執行部が受け入れました。現有数を確認した中で挙手者の数を数えた修正案数は四本で、国庫負担制度改悪にはストで闘おうとの事務・栄養職員部の共同提案の修正案は惜しくも過半数には達しませんでしたが、「新たな職」創設に関わる修正案二本と「つくる会」教科書採択阻止にむけたたかうとの修正案は過半数を制して可決されたのです。
 議長の目からも過半数を優に超えたと判断された「中間管理職の導入」阻止の修正案は数を確認することなく堂々と成立しました。結局、三教組の定期大会では、先に述べた字句修正の上受け入れた修正案を含めれば、実に五本の修正案が成立したことになります。
 現神教組の書記長を出している三教組での「新たな学校運営組織」、とりわけ職場の差別・分断の強化に繋がる「新たな職」の創設反対と「中間管理職の導入」阻止の運動方針の可決は、ここ神奈川県だけでなく、日教組各県組織にとっても衝撃的な事件でしょう。
 この闘いに加わっている者として、このことだけは、是非とも読者の皆様にお伝えしたいと考え投稿致しました。まさしく闘いのみが状況を切り開くことができるのです。(S)


 なぜアメリカの若者がすすんでイラクへ行くか。

 どのアメリカの州だったか、息子をイラクで亡くした母親は、戦場から帰ったら大学で勉強したいと言っていたのに、なぜイラクに行くのか、わかりません≠ニ。
 男の論理と女の論理は異なるのではないか、と思う。メキシコの故カーロ(女流作家)は、愛よりも熱く、憎しみより深く≠ニいう言葉とともに生命賛歌≠はじけるような絵を残した。ワクワク≠フ仕方は男と女では異なるであろう。生命≠ヘ幼な児だけに限らないであろう。彼女の画集(メキシコくんだりまで出かけることは不可能だから)を手に入れたいが、うすっぺらな紹介本を見ると、あらゆるもの(例えば果物でもなんでも)触れればヤケドしそうな感じのする絵だ。
 イラクへ何遍でも行くという若者(もちろん人を殺しに)の返事は退屈だし悪い奴を殺すのは自由と正義のため≠ニいう。平和な日常生活というのは、どこの国でもいつの時代でも恐らく退屈≠ネものであろう。
 三里塚の闘いの折、地元の百姓のばあさんは闘争って面白い≠ニいって手足持ち上げられて逮捕されていったけどニコニコ顔。毎日の繰り返しでない非日常性、しかも自分のための闘いとあればさぞ、楽しく成ったであろう。また瀬戸内海のある島で生きる人々の言葉や、生活のありように讃嘆したものだが、ええとこやろ≠ニいうと、退屈や≠ニいう言葉が返ってきたわりに、ものうげ≠ネ風情は感じられなかった。
 日常性とは、変化のない繰り返しの連続のようであって、棟方志功は見えざる変化?≠とらえていたように思われる。故枝雀さんは面白くなくとも面白がる≠アとが積極的な生き方となり、自ら色々なことをやり出し退屈≠ネ日常を楽しむことから、それぞれの持ち味、その表現も生まれようと、説いた。
 省略
 日常生活の退屈さから変化を求めるのに、戦場やあるいは街中で切り裂きジャック≠ンたいなことをやらかすのは、日常性を楽しむ能力(なにも美学とは限らない、どんなことでもいい、水木しげるや、バカの壁先生のようにこり性になれる、つまり好きなことを見つけられない精神≠ゥこころ≠フ貧しさ)がないからではないか。
 かく申す私とて、憎っくき米英・欲しがりません勝つまでは≠つぎこまれれた世代(小学生だった頃から)だから、一体自分が何が好きなのか、それを見出すのに無駄や脱線ばかりで生涯を終わろうとしている。だから、私にとっては、水木しげる氏やバカ壁先生などが小さい頃から、自らの好きなことをもてたのは驚異である。同時に、私自身何だかんだと口だけ達者、書くことも(最近は少々メンドーくさい)さして苦にならないが、何か知ら書きたい衝動にかられる。
 衝動ということで言えば、何でって問いかもしれないが、最もひどい場合、人殺しの血を見るということしか刺激を求めざるを得なくなることは、かえって哀れでないか、と思う。一方、ドラキュラの如く(にんにくが防止になるそうだが)血に飢え、一方は罪にさいなまれ頭をまるめて雲水になると、これこそ死≠与える者と、生≠ヨの祈りを捧げる者とのわかれ道≠ニなろう。
 脅されて人殺しに狩り出された幼き者に、世界の大人はどういう赦罪の行為をなすべきか。それぞれ違っていても同じ道であろう。
2005.5.20 宮森常子
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