ワーカーズ439号  2011/5/1     案内へ戻る
 震災・事故を増税の口実に使うな!復興構想会議は増税の水先案内人

 大震災からの復旧・復興策や原発事故の収束の見通しもつかないまま、消費税増税のレールが敷かれようとしている。震災・事故を口実とした消費税増税を許してはならない。
 菅直人首相肝いりで発足した復興構想会議。4月14日、その議長に就任した防衛大学校の五百旗頭真校長は、初会合後の記者会見で真っ先に消費税を念頭に置いた「震災復興税」構想に言及した。その報道を受けた岡田民主党幹事長は16日、「最初からこの話(消費税増税)が出たのは違和感がある」と語ったものの、翌日には何らかの増税の必要性に言及している。復興を口実に菅内閣が消費税増税のレールを引くことに腐心していることは明らかだ。
 そもそも復旧・復興財源を消費税増税に求めるという発想は、菅首相が震災後の早い時期に明言していたことだ。ただ政局の焦点となっている消費増税を内閣や与党から言い出すことへの反撥を恐れ、復興構想会議を迂回してアドバルーンを上げたわけだ。
 たしかに初期の復旧費用として第一次補正予算に計上した4兆円規模の財源やその後の復興経費として考えられている16〜25兆円もの巨額を捻出するのは容易ではない。しかし、そうした必要経費を増税で賄うとする発想や構想自体が、政官業の癒着を招いた旧態依然とした財務省主導の官僚的発想という以外にない。
 普通の家庭が何らかの被災したとすれば、まず他の支出を節約して修繕に廻す。あるいは貯金を取り崩すか一時的にローンを組んで賄う。いずれにしても、それらの支出は将来にわたる節約で捻出する以外にない。
 一時的・緊急な復興財源を集めるには復興国債などの発行は避けられないにしても、それを賄うためには、震災国家に対応した歳入・歳出構造の組み替えでこそ実現すべきなのだ。
 仮に復興目的としても、増税は国家セクターの肥大化をもたらす。復旧・復興で国家が中心的役割を果たすということは、すなわち実施組織としての行政の肥大化をもたらし、巨額のカネに群がる政治屋や業界を跋扈させる。大災害対策や不況対策などをくぐり抜けるごとに官の肥大化や政官業の腐敗が進んだ事への、無反省によって立つものでしかない。
 今回の大震災・大事故からの復興にあたっては、国家・行政セクター中心からNPO・ボランティア・住民自身による市民・社会セクター中心の復興という、官僚・行政主導からの大転換のターニングポイントにすべきなのだ。(廣)


 公共事業はすべて東北へ──復興増税≠考える──

 第二次菅内閣は、発足以降「税と社会保障の一体改革」を掲げ、この6月までにその骨格を提起するとしてきた。が、3月11日に起こった大震災と原発事故は、菅内閣で不透明だった「税と社会保障の一体改革」という税財政改革に新たな装いを持たせている。要は「復興目的税」だと。
 普通の家庭では、一時的に生じた支出や負担は節約をもって穴埋めする。復旧・復興を増税で賄うという菅内閣の発想は、そうした「他の支出を節約して費用を捻出する」という大前提を棚上げしたものだ。
 現に菅内閣は、第一次補正予算では子ども手当の縮小や高速道路無料化の見直しなどで財源に充てるとしているものの、巨額の資金が必要な第二次補正予算では、震災復興国債の発行とその償還を担保するものとして消費税増税を想定している。既存の支出を大胆に縮小するという言及は、ない。
 しかも、復興目的税としての消費税増税は、実は大震災や原発事故からの復興にだけ当てられるのではない。一定の期限後は税率を引き下げることなく、社会保障目的税などに継承するという見立てだ。なんのことはない。税と社会保障の一体改革」という建前で消費税引き上げを打ち上げてきたが、高いハードルを越す見通しが持てなかった。そこで否定しづらい復旧・復興での消費税引き上げをテコに、恒久的な消費税引き上げをもくろんだ、というわけだ。
 消費税引き上げには反対論も多い。たとえば消費の落ち込みによる税収減やデフレ脱却への障害などだ。現に阪神神戸大震災後の橋本政権による消費税引き上げで4兆円の増収のはずが、消費の落ち込みで逆に4兆円の税収減になったこともある。いずれにしても、増税は官の肥大化と民間力の縮小をもたらし、意志決定の大前提である住民自治の精神にも反する。
 しかし問題なのはその政治的・政策的意図だ。原理的な立ち位置は脇に置くとしても、復興目的税にせよ社会保障目的税にせよ、結局は他の支出の聖域化とセットになっているからだ。東北復興というなら、たとえば毎年の巨額な原発関連支出をすべて東北の復興に廻すこと、全国の公共事業を原則ストップしてこれも東北に廻すこと、災害派遣自衛隊を高額な武器を必要としない災害援助隊に衣替えすること、などをはじめとして、被災国にふさわしい歳出構造への抜本的な組み替えこそ実行すべきなのだ。
 既存の支出を聖域化して必要経費を増税に求める本末転倒の象徴が、4月18日に決めた次期戦闘機(FX)での機種選定だ。年内での機種決定をめざしている防衛省が3機種に絞り込んだ。まさに大震災や原発事故など無かったように、既定路線で事が進められている。これではいくら非常事態だからといって増税を押しつける説得力はない。
 あるいは復興財源として電気料の大幅な引き上げも有効かもしれない。規定の料金に別枠・別管理で復興税を課すのである。むろん、東電株の減資や東電の役員など全員解任が前提だ。これなら東北の被災地を特定して除外できるし、節電効果も大きい。コスト的に自然エネルギーへの後押しにもなる。電力を大量消費し優遇料金を享受してきた大企業にも、相応の負担を課すことができる。
 「何かあれば増税で」、という既得権保持を前提に考える官僚的発想が官の肥大化と腐敗をもたらしたのであり、結果として住民の行政依存を深める。
 復興のための増税は、世論調査でも比較的高い支持を集めている。被災地の復興はみんなで、という善意の表れでもあるだろう。が、消費増税という特定の政治的政策は、連帯意識と善意とは別次元の意味合いを持っている。復興のための増税は、断固拒否すべきだ。(廣)案内へ戻る


 《連載》21世紀の世界A沈黙する資本−−ボランタリーな行動が次の社会を造る

●失ったものと分かってきたこと
 「ドドドー」という異様な振動とともに、何種類かの警報音が一斉に鳴り響きました。三月十一日、私は仕事で担当している某ビルの中央監視室にいました。暗闇となった部屋から表通りに飛び出すのが精一杯。ここは仙台駅東口にある高層ビル街です。すべてのビルがまるでプリンのようにブルブルと揺れていました。ビルの倒壊を恐れた人たちは自然に道路中央の分離帯付近に集まります。大地がユッサユッサと動きます。長く強い揺れでした。突然ガラガラと、ビルの外壁が崩落し、叫び声とともに通行人が逃げ惑う姿も…。これが私が体験した震度6強の揺れです。
 余震の続くなか、清掃員の人や隣のビルのひとたちが「通行人が危険ではないか」ということで協力してその付近を「通行禁止」にするためにヒモで囲いました。幸い当ビルに関わる死傷者はなく(軽傷者のみ)、全員待避することができました。
 しかし、携帯電話でテレビを見ると、さらに信じられない光景が。松林を滝のように突き抜ける津波が、まさに人家の集落に襲いかかる瞬間をライブ映像でうつしだしていました。ロビーに待避していた多数の若いサラリーマンたちも呆然とその画像をみていました。
 それから1ヶ月以上がが立ちます。多くの人命が失われ、多くの生活が破壊されました。この惨状からいかに立ち直るのかが問われています。
 
●たくさんの英雄たち
 今回の空前の大災害のさなか、津波によりたくさんの命が失われました。時間にしてみれば、この間1時間のことでした。この短い時間のあいだに、自分の命をかえりみずたくさんの人たちを励まし、警告し、導き、救った無数の行動もまた存在したのです。『河北新報』(四月一二日)には南三陸町の若い女性職員が防災無線で「高台に避難してください」の呼びかけを続け、逃げ遅れたことや、名取市の消防団員、警察官たちの命を賭けた活躍が紹介されていました。
 また、当時県南の海沿いの学校に勤務していたの娘の話をつけくわえたいと思います。地震の後に生徒、教員が校庭に集合し点呼等に手間取っていたとき、すでにドーンという津波が堤防に当たる音が聞こえてきたと言います。その直後に見回りに来た町の職員の「津波がそこまで来ている、逃げろー、逃げろー」の怒鳴り声が聞こえたとか。その声に背中を押されるように先生と生徒は一斉に避難を開始し、全員がかろうじて避難所に到着しました(親が引き取りに来た一名の生徒のみが行方不明となる)。しかし、避難を呼びかけたこの町の職員は、さらに別の学校に避難の呼びかけをしに向かったまま行方不明だと聞きました。
 この様な勇気ある行動が、生き残った我々を現在もどれだけ励ましつづけているのかわかりません。

●共に生きるということ
 もちろん、悲劇的なケースもあれば、ささやかな声の掛け合いが人の心を救い支えているということも無数にあると思います。被災当初は、着の身着のまま。寒さに耐えながら三人で一日おにぎり一個、とか缶詰一個とかの話がたくさんありました。
 分け合うことの大切さ、助け合うことの必要さを被災地の人たちが一番強く感じたのではないかと思います。仙台在住の私も、町の空気が一変したことを強く感じていました。
いや、「人が変わった」というよりも、ふと「われに返った」ということかもしれません。現代社会は資本中心、利潤中心の社会です。弱肉強食の「格差社会」です。そのなかでどうしてつまらないプライドや優越感にとらわれ、あくせく生きてきたのか、人とのつながりの大切さが後回しにされてきたのかと。
 そんなことを教えてくれたのが、被災者たちの分かち合いであり助け合いでした。そして全国(全世界)からの半端ではない大支援、さらにボランティアの参加です。
 
●「分かち合い」は資本を超える
 被災直後、オープンしている数少ない商店は、どこでも大行列。しかし、買いだめに走るような人はほとんど無く、他人の分も残すのが当然のマナーです。商店も、在庫がある間は、無料ないし安く、あるいは通常の価格で販売するところが多かったようです。
 個人経営の医者が、自らも被災者でありながら無料診察を実施したこと。小経営の資本家達も、「もうけ」を度外視して住民への奉仕を優先させたケースも伝聞から多数知り得ます。ランドセルの無料提供を申し出た会社、在庫で炊き出しをした商店、ある清掃会社は、水道の止まった老人ホームに五百gの水を仕事と関係なく毎日配達し続けました。それぞれできることをして、人を助ける、これが新しい論理です。一時的なこととはいえ、人間の別な可能性をしめしていないでしょうか。
 もちろん他方では、「好機到来」と高値で食料品を売りさばこうという相も変わらぬあきれた人たちもいます。はたして、この様な人たちを「ボロもうけ」させるほど、われわれは甘くないし素朴でもないでしょう。「安く買って高く売る」「人の足元を見る」という資本の論理はここでは沈黙する他はありません。

●活躍するボランティア
 実際にどれだけの人々が、ボランティア活動を行っているのかはよく分かりません。しかし、知り合っているほとんどの若い人たちはボランティアを志望しています。私の様な団塊世代はピンとこないのですが、現代の世代では、ボランティア活動は身近な存在のようです。しかも、「自発的」といっても、バラバラなものではなく、かなり組織だっているし、内容も創意工夫に富んでいて驚くことばかりです。
 避難所での物資搬入、仕分け、分配、炊き出し。海岸地域での汚泥処理をはじめとする復旧関係の仕事。医療チーム、カウンセラー、ヘルパー業務…。際限のない作業領域をもっています。「おもいでさがし隊」という、津波のがれきの中から、写真や思い出の品々を探し出し洗浄し持ち主に返す、というユニークな活動も話題をあつめています。
 また、現代の若者らしく、支援物資の過不足の調整を、携帯電話を端末として調整しあうシステムを構築したり、不足物資・人材情報を全国に知らせるとか、物流・人流の調整の効率化などにも取り組んでいることが注目されます。

●ボランタリー(自発的)な運動が未来社会を切り開く
 阪神淡路大震災以後、このような自主的な連帯から生まれる社会組織(アソシエーション)が成長しています。ボランティア、NPOやNGOあるいは従来からの自治組織、協同組合など、組織原理は同じです。社会を基本で支えるこの様な組織が連帯し、遠い将来「日本国家」に取って代わるといえば、みなさんはきっと驚かれることでしょう。たしかに、まだその条件が足りません。成熟していません。とくに大企業の労働者の参加が明確ではありません。これからの最大の課題です。
 しかし、菅総理をトップにいただく「日本国家」は官僚制度が硬直化し倦み疲れ、国家財政の事実上の破綻に見られる様に、社会をまとめきる力を失いつつあるのも現実です。さらに福島原発事故が追い打ちをかけています。自発的な社会組織(アソシエーション)の活躍こそ、21世紀の世界を切り開くものです。(仙台スズメ)案内へ戻る


 たくさんの支援、ありがとうございます−−仙台から

 今から16年前の阪神淡路大震災の日、早朝兵庫県西宮市に住む母から電話があり、「地震がありものすごく揺れて怖かったけれど生きているから心配しないで、またあんたきても水も減るしトイレも行くから迷惑だからこんといて」と言われました。
 仙台在住の私にできることは、旅費十万円分の水と食料を実家、親戚、友人に郵送しました。また現地では電話がかかりにくくなっていたので、親戚や友人間の安否確認、連絡係をしました。また電気がとおらなくテレビがうつらない間、親戚・友人を中心にライフラインの情報を伝えたりしました。私の卒業した小学校・中学校が崩壊して辛かったですが、復興にむけすすむ町の姿を喜ぶ両親・友達の笑顔は何よりでした。
そして今回の東日本大震災を今度は私が体験しました。地震直後にメールで「海に近づかないで、高台に逃げて」と連絡をもらい、電気が寸断され情報のない私は助かりました。また以前私が送った何十倍の支援物資が関西から届き本当に感謝です。最初は宅急便センターまで取りにいかなければならず、しかも200台の車が前に並び何時間も待ちました。順番が来ても自分も一緒に係員と荷物を探すというたいへんな状態(写真)でした。また小学校の同級生などが心配してメールをくれます。
 ほかにも関東方面から支援があり物心ともに支えてもらいました。うちでも、支援物資のなかで余裕のできた物はさらに困っている方々に回しています。分かち合いや支え合いがなにより大切なときです。父の住んでいた家が空いているので、思い切ってあるネット「掲示板」で提供の書き込みをしてみました。(いまのところ応募者ありません。)
 大災害があったからということではなく、共に生きる、支え合うということがささやかですが新しい社会のあり方だと感じています。 (牛タン)


 コラムの窓・・・いつでも起こりうる“想定外”

 東日本大地震で言われている「想定外」という言葉には人間の自然に関しての驚異とあきらめの他に過剰なまでのおごりと無責任な責任逃れが込められている。
 今回の大震災は、規模や範囲、津波の大きさなど、どれをとっても、かつて日本人が経験したことのないものであったと、まさに想定外の大災害であり、地震の評価や原発事故の自己評価尺度も、状況や被害が明らかになるにつれ、次々に更新され、地震の評価は最初M7〜M8,津波による被害が明らかになるにつれてM9に原発事故のの国際的な自己評価尺度(INES)は経済産業省原子力安全・保安院が当初示した見解はレベル4(所外への大きなリスクを伴わない事故),その後、周辺での高い放射線量が観測されても、暫定評価はレベル5どまり、過小評価が目に余ったし、事故を小さく見せようとする姿勢が見られた。結局最悪のレベル7になるなど、政府や評価委員を含めてすべての人々の動揺と驚きは、改めて自然界の計り知れないパワーを思い知らされたのである。
 今の地球上で科学や文化・技術力、どれをとっても高いレベルにある日本、列島そのものは、ユーラシアプレートと北米プレートに乗っていて、これらは太平洋プレートにより東から、フィリピン海プレートにより南から押され、太平洋プレートとフィリピン海プレートは海溝やトラフをつくって潜り込んでいる。こうして、日本は3つのプレートが1カ所で接する三重点(トリプルジャンクション)が近くに2つもあるという、極めて複雑な様子を示している。世界的に見ても、地質活動が非常に活発な地域であり、常に地震や火山などの災害に見舞われてきた。従って、その防災対策には常に注意を払い、多くの経費や人材をつぎ込み、技術や政策も万全をはかってきたはずである。しかし、避難訓練通りに避難した人が多数亡くなるなど、その「万全な対策」が一つの過信になっていなかったのか?数万人に及ぶ死傷者や行方不明者が発生したのは地震や津波に対する対策や施設への過信・思い込みからではなかったのか?!
 東京電力福島第一原子力発電所での放射能漏れや汚染水の流出事故も、“想定外“の地震や津波で、外部電源喪失と非常用予備発電機が破壊され、冷却機能が失われ、炉心溶解や水素爆発を起こしたものであるが、こちらの“想定外”は過去の経験や実績以上の災害は「想定しない」という想定外であり、原子力エネルギー利用への過信と原子力の軍事的利用や原子力発電に利益を求める資本主義的利潤追求の思惑から“想定”に入れなかったのである。こうした無責任な原発政策を進めてきた電力会社や政府は想定外の高い代償を払わなくてはならないが、その付けは国民・被害者に降りかかってくることを思うと怒らずにはいられない。
 大震災!人間の想像を超えた自然の営みによる破壊、なすすべを失い、自然の力に逃げることしかない人間は、人類史を重ねる中で、その自然を分析・理解して人間社会を築いてきたが、星々の誕生から、活動し生きている地球の営みを知り、人間社会に役立て、自然界を分析・理解し利用してきたに過ぎない(原子力エネルギーの発見もその一つ)人間は自然界の一部分であり、まだまだ人類の理解を超えた自然界の営みは想像を超えるものがあり、“想定外”はいつでも起こりえるのだが、人間が造った「記録はいつかは破られる」こと、スリーマイル島原発事故やチェルノブイリ原発事故の教訓「重大事故は想定外の原因とプロセスを経てそこに至る」を思えば、「原因とプロセス」をしっかり分析・理解し、より高いハードルを持って対処していくことが大切なのではないか!(光)


 とんだ自粛∴痰「──連合のメーデー自粛

 日本労働組合総連合(連合)が、メーデーを自粛≠キるという。
 東日本大震災を考慮して、連合は4月29日に開催予定の中央メーデーを縮小し、デモ行進やお祭りイベントを中止したうえで募金を集めて被災地に送るという。神奈川や愛知ではすべて中止だという。
 大震災直後の3月から4月にかけて日本各地で各種イベントの自粛≠ェ相次いだ。犠牲者や被災者へのいたわりや配慮からだ。
 しかし大震災から1ヶ月半、行方不明者の救助や被災者の支援にあわせて復旧・復興への歩みが始まるとともに、むしろ開催に踏み切るケースも増えてきた。被災地の復旧・復興のためにも日本全体が元気になる大事さも考慮されてきたからだ。にもかかわらず、というよりそういう中だからこそあえて自粛≠フ振る舞いをせざるを得ない事情があった、ということなのだろう。
 前号でも連合が被災地支援で通り一遍の活動に取り組んではいるものの、原発事故はまるでなかったかのような無作為に終始してきた実態を指摘してきた。
 福島原発の事故後、それまで「重大な事故は起こりえない」として政府や電力会社の原発推進に荷担してきたのは、なにも原子力専門家≠竚エ子力安全委員会・原子力安全・保安院ばかりではない。電力会社や原発メーカーの労働組合である電力総連や電機連合などが主力の連合もまた原発推進で奮闘≠オてきたからだ。現に、菅内閣には三菱重工出身の高木義明文科相、日立労組出身の大畠章宏国土交通相など、連合出身閣僚が5人もいる。民主党議員が反原発や脱原発を口にしようものなら、ただちに連合から厳重注意≠フ口止めが入る。連合は民主党の最大の支援組織だから、その圧力は強力だ。
 連合出身の議員が連合労働者の利益代弁者だったらまだましな方だ。むしろ業界という利益団体の代弁者と言ったほうが現実を反映している。実情は、電気産業、電力産業などの族議員として業界利益のために奔走しているに過ぎないからだ。だから連合自体も、起こるはずのないと言ってきた原発事故を前にして沈黙するしかないわけだ。
 労働者組織のナショナルセンターとしての連合が本来果たさなければならない役割は、第一に、原発事故の現場で命がけの収束作業にあたっている原発労働者の命と健康と作業環境の改善の取り組みだ。第二に、大震災や原発事故で被災したり失職したりした労働者の雇用と生活を守る闘いに奮闘することだ。そして第三に、棚上げされている放射性廃棄物の処理問題や一旦起こってしまったら取り返しがつかない事故のリスクを抱える原発推進のエネルギー政策に警鐘を鳴らし続けることであるはずだ。そのためには、メーデーは絶好の意思表示の舞台になるものだ。連合が反省≠オなければならないのは、そうした労働組合の社会的使命を無視し、労働組合としての本来の役割に背を向け続けてきたこと自体にある。
 そうであれば、今年のメーデーで問われているのは、イベントの縮小や被災地へのカンパなどではないはずだ。これまでの会社べったりの姿勢そのものを根本的に転換し、企業利益ではなくて原発作業員も含めた全労働者の生活と処遇の改善に全身全霊であたることである。そのことを棚上げしたまま、お祭りメーデーを多少縮小することで被災地への配慮を取り繕うことに終始するようでは、労働組合としての役割の放棄に等しい。連合労組の解体的な出直しこそ必要ではないだろうか。(廣)案内へ戻る


 起こる可能性のある現象はいずれ必ず起こる!

 いま、全国で「原発を止めよう」という声が湧きおこっている。週末には緊急集会やデモが繰り返し行われ、若い人たちの参加も増えている。一方で、原発の延命をめざす勢力の抵抗も強固であり、原発・核をめぐる決戦の時を迎えたといえる。この闘いに敗北したら、子どもたちの未来は奪われ、この国は破滅へと向かうだろう。
 こうした思いに突き動かされ、「被災者を支援しよう、原発を止めよう4・24緊急集会」に石橋克彦氏が登場した。石橋氏は体調を崩して休養をしていたが、自らが概念規定し、生み出した「原発震災」という言葉が現実のものとなり、じっとしていられなくなったのである。講演内容はおおむね「世界」5月号の「まさに『原発震災』だ‐『根拠なき自己過信』の果てに‐」の内容に則したものだった。
 原発震災という言葉は石橋氏が1977年に言い始めたものであり、次のように解説されている。
「地震によって原発の大事故(核暴走や炉心溶融)と大量の放射能放出が生じて、通常の震災(地震災害)と放射能災害が複合・増幅しあう人類未体験の破局的災害のことである。そこでは、震災地の救援・復旧が強い放射能のために不可能になるとともに、原発の事故処理や住民の放射能からの避難も地震被害のために困難をきわめて、無数の命が見殺しにされ震災地が放棄される」(「都市問題」2008年8月号)
想定されれていたほど過酷ではないが、震災と放射能汚染による複合的被害という点で、まさに原発震災が起こってしまったのである。
 石橋氏によると、原発は地震が比較的に静穏な時期に建設が計画され、「福島第1原発1号機の設置が許可されたのは1966年だが、この時は地震学は今よりずっと未熟」(以下、引用は「世界」から)だった。しかし、1995年の阪神大震災によって、日本の耐震工学の安全神話は崩壊した。その後、原発の耐震性を揺るがす地震が多発している。明らかに大地震活動期に入っているのである。もう原発を止める以外の対処はないというのが石橋氏の結論だが、「95年の阪神・淡路大震災のあと防災・減災に熱心になった地震学会から少しは支持があるかと期待した。だが、『原発主義の時代』にあっては、反原発人間に登録されただけのようであった」と嘆いている。
 かつて、この国には「軍国主義の時代」があり、「1945年の敗戦まで日本を重く暗く覆っていた」が、今この国は「原発主義の時代」にあると石橋氏は指摘している。
「その状況で、柏崎・刈羽原発の地震被災は、大自然から発せられたポツダム宣言にも擬せられる。これを無視すれば、広島・長崎に次ぐ第三の大量被曝である原発震災が近づくかもしれない。いっぽう、電力会社・政府・御用学者が大自然を客観的・真摯に見ようとせず、既定路線に固執して詭弁を弄し、マスメディアが無批判に『大本営発表』を報道し、芸能人が宣伝に動員され、国民のほとんどが原発は必要で安全と信じている現状は、アジア太平洋戦争の狂気の日本に酷似している」(この引用は2008年講演予稿から)
ここでポツダム宣言と言っているのは、「最後通牒」といった意味だが、その後の経過はこの自然からの警告≠ェ無視されたことを物語っている。
 こうした石橋の論稿に御用学者はいかに答えたか、石橋氏は「石橋論文に関する静岡県原子力対策アドバイザーの見解」を紹介している。
今を時めく斑目春樹氏(現在、原子力安全委員長)「原発は二重三重の安全対策がなされており、安全にかつ問題なく停止させることができる」「(核分裂反応を止めても炉心の温度上昇は続くことについて)万一の事故に備えてECCSを備えており、原子炉内の水が減少してもウランが溶けないようにしている」「石橋氏は原子力学会では聞いたことがない人である」
小佐古敏荘氏(現在、東京大学大学院教授、3月16日付で内閣参与)「国内の原発は防護対策がなされているので、多量な放射能の外部放出は全く起こりえない」「石橋論文は保険物理学会、原子力学会で取り上げられたことはない」「論文掲載にあたって学者は、専門的でない項目には慎重になるのが普通である。石橋論文は、明らかに自らの専門外の事項についても論拠なく言及している」
ここに御用学者の知的退廃、愚かしさが極まっている。
 石橋氏の結論は明快である。地震が活動期に入り、いつ大地震が起こっても不思議ではない。地震列島日本において、原発震災を避けるためには原発を止める以外の方策はない。軍国日本に酷似して、「『根拠のない自信過剰』と『失敗をしたときの底の知れない無責任さ』によって節目節目の重要な局面で判断を誤り、『起きては困ることは起こらないことにする』意識と、失敗を認めない態度」によって福島原発震災はもたらされ、さらに深刻な事態へと向かっている。「原発主義の時代の断末魔のなかで、その盛時に戻ろうとする動きも」あなどれない。だからこそ、我々はすべての原発の廃炉をめざす闘いに勝利しなければならない。  (折口晴夫)


 読書室  『天皇財閥 皇室による経済支配の構造』吉田祐二氏著
 Gakken(2011年3月8日刊行)

 かつて衆議院横須賀選挙区で小泉純一郎氏と対決するために立候補した天木直人氏を選挙支援した時に現地で知り合った吉田氏が、このような独創的な着想を持つ著書を刊行した事を私は称賛するとともに本書を踏まえた今後の活躍に大いに期待したい。
 今回のこの吉田氏の『天皇財閥』は、天皇制国家・日本の本質と隠された支配構造について関心を持つ人々にとって、まさに「目から鱗」の驚天動地の内容を持つ必読の書である。この本は、全国的には偶然にも3月11日に起きた東日本大震災の直前に発売されたのだが、読書人階級に与えた衝撃はこの大地震に匹敵するものがある。
 巻末の参考文献の膨大なリストを見ても分かるように、この本は天皇に対する左右両翼からの政治イデオロギーによる根拠のない思いつきや悪意に満ちた決めつけとは全く無縁である。この本を何よりも特徴づけるものは、従来からの研究、例えば戸田慎太郎氏の『天皇制の経済的基礎分析』、黒田久太氏の『天皇家の財産』、鈴木正幸氏の『皇室制度』、ペヴズネルの『日本の財閥』等の先行書を丹念に消化した上で、奥村宏氏の法人資本主義論を援用し、吉田氏自身の表現を使うなら「日本の近代史を分析するために、企業分析の手法を使用すること」(あとがき)を意図して、明治以来の天皇家と皇族の経済活動を体系づけた極めて重厚な研究書である。
 さて3月11日の大震災後、被災地の過酷で悲惨な状況が周知される中で、3月16日に天皇がビデオ・レターを通じてメッセージを発表した。また3月の下旬からは天皇皇后等が被災者を慰問する姿もテレビで放映された。
 今上天皇から「心を傷めている」とか「案じています」とか言われただけで、かくも簡単に「感激」したり、天皇皇后等の平成の避難所巡幸に対して、身を縮めて「感動」する「民主主義国・日本」の「国民」たち。私は、大多数の日本人は今でも「象徴天皇制国家・日本」の住人なのだと深く確信した。
 さらに3月30日、日本赤十字社は東日本大震災に対する義援金が594億円に達したと発表する。この金額は発生後15日間で160億円余が集まった95年の阪神大震災時を大きく上回る過去最高のものと報道された。今回もまた全国各地の町内会と縁が深い日赤に義援金が集中するのである。
 しかし日赤の実態とは何か。戦前の日赤は、1877年に設立された博愛社を前身として設立された。博愛社は、西南戦争に対応して熊本の熊本洋学校内につくられ、1887年のジュネーブ条約締結にともなって、国際赤十字社日本支部のような形で日本赤十字社と改名する。ヨーロッパでの赤十字活動には各国の王室が関わってように、ここ日本でも皇室がそれを担当するようになり、戦前の日赤の管轄官庁は宮内省だった。戦後の日赤は、1952年に再発足し、同年に「日本赤十字社法」が制定され、その法律によって設立された認可法人であり、準公共機関なのである。決して純粋な民間企業ではない。
 吉田氏によれば、日赤がそもそもの設立以来、天皇家のファミリー企業であり、名誉総裁は、美智子皇后で名誉副総裁が皇太子・浩宮である。そして日赤の代表者=社長は、旧肥後熊本藩主・細川家から旧公爵家近衛家へ養子に入った現当主の近衛忠輝氏で、彼の兄は細川護煕元総理大臣なのだ。まさに今でもなお天皇家のファミリー企業なのである。
 さらに言えば、日赤はこの義援金の中からの中から合法的に必要経費を抜く事ができる。今回必要経費を取るか取らないかはいまだ定かではないが、換言すれば、この大災害の中で、天皇家=天皇ファミリー企業は、義援金の集約事務等を理由に、濡れ手に粟の大儲けを考えていると邪推する事も可能だ。まさに民衆の善意が裏切られる事も大いにありうる。
 この本の表紙カバー見返しには「明治維新以降、天皇家は三井や三菱をはるかにしのぐ大財閥として、日本経済を“支配”してきた。しかも、戦後、すべての財閥が解体されるなか、天皇家だけは財閥解体されず、形を変えて、今も日本経済を支配しているという。日銀の大株主・皇室による経済支配の痕を綿密に追い、現代日本の経済構造の真相に迫る」とある。これは、私たちの興味と関心を引き出すに足る実に見事な宣伝文句ではないか。
 ここで本書の構成を紹介しておく。

 はじめに
 第一章 財閥の総帥としての天皇
 第二章 天皇財閥の経営戦略
 第三章 天皇財閥の経営拡大
 第四章 天皇財閥の経営破綻
 第五章 現代も生き続ける天皇財閥
 おわりに

 ここに「はじめに」からその前半部を引用する。まずは驚くべき事実の提示である。

 秘密のベールに包まれていた、天皇家の財産が明らかになったのは戦後のことである。
 1945年、第二次大戦が日本の敗戦で終わり、勝者となったアメリカは日本を占領した。実質的にはアメリカ一国であった「連合軍」の総司令官マッカーサーと、その部下たちを中心として日本の占領政策が開始された。
 マッカーサーたちが、占領政策のはじめに目指したのは、日本を非軍事化することであった。武装解除である。軍部を解散させたことはもちろんだが、軍部をバックアップして兵器を製造しつづけた製造企業、およびそれらの企業を支配下におく「財閥」(英語でもザイバツ Zaibatsu として通じる)の解体作業がもっとも重要な使命であった。
 占領軍がその方針を明らかにしたのは、昭和21年9月22日付で公表した「降伏後における米国初期の対日方針」である。そのなかで、三井、三菱、住友、安田などの日本の商工業の大部分を支配した大コンビネーションである財閥の解体が指令されたのである。
 天皇家についても例外ではなかった。
 明治初期から戦後までの皇室財産の変遷をまとめた黒田久太(ルビ:くろだひさた)の『天皇家の財産』によると、占領軍の通達には「皇室の財産は占領の諸目的達成に必要な措置から免除せられることはない」と定められており、またアメリカが皇室自身を「金銭ギャングの最大のもの(the greatest of the “Money Gang”)と認識していた」(138ページ)という。
 実際に、天皇家の財産は他の財閥を上回るものであった。占領軍から命じられて組織した「持株会社整理委員会」の調査によると、当時の財閥はその資産の7〜8割を有価証券のかたちで保有しており、終戦時において財閥が所有した有価証券は、三井3億9000万円、岩崎1億7500万円、住友3億1500万円であったという。
そこから推測するに、三菱や三井といった日本を代表した財閥は、当時おおよそ3億〜5億円くらいの資産を持っていたことになる。
 それに対して、皇室財産における有価証券の割合は2割を占めるに過ぎない。にもかかわらず、皇室は3億3000万余にのぼる有価証券を有していた。資産総額は15億円を超えていた。また、財産税納付時の調査では37億円という数字もある(『天皇家の財産』)。
このように、天皇家の財産は他の財閥よりも、文字通り、ケタが違うほどの大きさであることが、戦後の資料によって明らかとなったのである。

 そして「はじめに」の後半部では、日本国憲法の成立過程において、皇室財産の維持を望む宮内省の要望に対するGHQからの回答内容を紹介している。この部分を引用したい。

 連合国の間には、天皇制を全廃すべしとの強い意見がある。従って若し日本国民が天皇制を維持したいと言うことならば、政治的には天皇の一切の統治権能を廃し、経済的には皇室財産を国に帰せしめ、所謂「天皇財閥」を解体することによって、天皇制の存続が将来に禍根となる惧れのないことを、この憲法で明確にすることが必須の条件である。(中略)皇室財産の問題は、主権の存在の問題と相並んで、この改正憲法の二大眼目であり、今回のような紛更(ママ:直)は許されない。(『皇室制度』二0五ページ)

 ここで確認できるように「天皇財閥」という言葉は、吉田氏の独自の用語でも何でもない。、当時はGHQが引用したように公然と使用されていた事が伺える。宮内省とGHQのこのやりとりの結末については、「第五章 現代も生き続ける天皇財閥」に詳しい。
 では、引き続いて吉田氏の問題意識が鮮明な第一章の書き出しの部分を引用する。ここには「日本の命運をも左右した超巨大財閥が存在していた!」の小見出しがつけてある。

 天皇を中心とする企業グループを、ひとつの「財閥」と見立てることができる。この財閥はあまりにも巨大なので、日本全体がこの財閥の興亡に左右されることになった。それが、本書で論じる「天皇財閥」である。
 近代日本の代表的な企業には、もちろん「財閥」と呼ばれた三井家一族の支配による三井財閥や、岩崎家一族の支配による三菱財閥、住友家による住友財閥など、大企業グループが存在した。しかし、日本最大の財閥である三菱財閥、三井財閥を、さらに数倍上まわる規模の財閥が存在した。それが「天皇を中心とする、天皇が支配する財閥」、略して「天皇財閥」である。
 天皇財閥とは、天皇家を財閥家族とし、宮内省を本社機構に持ち、その傘下には、日本銀行や横浜正金銀行、南満州鉄道株式会社(通称「満鉄」)、日本郵船といった、日本を代表とする「国策企業」群を有する大企業グループである。〈天皇家=宮内省〉を中核とする天皇財閥は、これら大企業たちを、株式を通じて支配した。
 ゆえに、戦前の天皇は、立憲君主であるとともに戦争時の大元帥であり、さらに財閥総帥であったことになる。
 このことは意外な事実であろう。
 「現人神」(あらひとがみ、あきつかみ)という天皇イデオロギーから解放された現代の日本人は、一転して、戦後は天皇を、平和を愛好する「象徴」としての立憲君主とみなしている。これが現在の一般的な天皇に対する理解である。
 しかし、事実はそのどちらとも異なる、天皇は、日本を代表する複数の国策企業の大株主であり、なかんずく日本銀行の、過半数を超える株式を持つ大投資家であった。本書ではそのことを明らかにする。
 また、この天皇財閥という枠組みを用いることにより、昭和前期からの日本の行動がよく理解できるようになる。明治から昭和に至る日本の近代史は、要するに天皇財閥の興亡のことである。日本の対外侵略とは、天皇財閥の対外経営戦略であり、敗戦はその破局的な終わり方だったのである。

 吉田氏は、この事実を踏まえ奥村氏の法人資本主義の分析方法を援用して、天皇という存在を「天皇機関説」ではなく「天皇法人説」と捉えるべきだと提言する。私自身は奥村氏の法人資本主義論には若干の疑問を感じているが、ここではこれ以上は触れない。吉田氏は、「天皇法人」と捉えた上で、その本質を「会社法人」と同じとすると、株式こそ発行していないが宮内省は「財閥本社」としての機能を有する事が明らかとなると主張する。こうして吉田氏は、天皇家と宮内省を「財閥」あるいは企業コングロマリットに見なし、明治以来の日本史を「天皇財閥」の経営発達史として記述する手法を選び取った。本書は、三菱・三井財閥等の持ち株会社のように天皇家および宮内省を、「天皇財閥」本社だと認識する事により現実のものとなったのである。
 「第二章 天皇財閥の経営戦略」「第三章 天皇財閥の経営拡大」「第四章 天皇財閥の経営破綻」では、明治期に皇室財産の形成が経済的に権威づけられる過程と「元老」たちによって作り出された大日本帝国の骨格が、急速に勃興し巨大化する「天皇財閥」により、天皇を中心とした国家に再編されていく経緯が見事に捉えられている。「天皇財閥」の経営拡大を金融的かつ財政的に支えたのは、日銀であり横浜正金銀行であった。しかし天皇こそはこれら銀行の大株主である。この結果、天皇は王政復古のための“玉”、有司専制のため「元老」たちに作り出された“傀儡”から、田中内閣を総辞職させたように時の内閣の生死を決するキリスト教の神のごとき「絶対君主」へと変貌したのである。
 この事に関連して吉田氏は、昭和天皇の“帝王学”には何と金融学の講義が入っていた事実を明らかにしている。私は全く想像すらしていなかったので、本当に驚かされた。
 ここで少々脱線する事をお許しいただけるのなら、吉田氏の処女作は『日銀 円の主権』である事を是非とも付け加えておきたい。この本も日本の近代史を「銀行」から読み解いた極めて重要な本である。読者にあってはこの機会に是非とも併読する事を私は勧めたい。
 そして、第一次世界大戦後の「天皇財閥」の経営拡大路線であり、同時に大日本帝国の戦略でもあった事を各資料を使用し綿密に実証した。今は読者のために抽象的にしか述べないがこれまで書かれた事のない諸事実を明らかにした諸章がまさに本書の圧巻である。
 さらに敗戦から現在においても、この「天皇財閥」の構造はそのまま継承されて、現在の律令国家官僚統制国家として存在する事は、「第五章 現代も生き続ける天皇財閥」において、戦後の「象徴天皇制国家・日本」のあり方は、マッカーサーと会合を重ね米国に従属し生き残りを図る昭和天皇の戦略から生み出されたものである事が詳説されている。
 最近、沖縄と安保条約をめぐる吉田外交の裏には天皇外交があった事が暴露されたが、その他にも戦後の日本政治史を知る上でも重要な記述に充ち満ちている。しかし紙面の関係から、残念ながら今これ以上は触れられない。
 最期に吉田氏が現代の日本国家をどのように認識しているかを、以下に引用しておこう。

 昭和天皇崩御から二十年以上の時が経っている。
 この二十年、日本経済は「失われた十年」から「さらに失われた十年」となり、停滞が続いている。その原因は、社会学者の小室直樹によれば、腐蝕した官僚制度のためである。汚職などの「腐敗」ならば、古今東西めずらしくもない。「腐蝕」というからには、官僚制度そのものが制度疲労によって、腐蝕して、ボロボロになってしまっているという。その一番の病根は、日本社会の無責任体制であるという(今回の東日本大震災による福島原発事故をめぐって日本の労働者民衆はいやというほどこの事を痛感したであろう―直)。
 私はその原因を戦前の「天皇財閥」に求め、戦前は天皇を中心とした国家が、戦後は中心のない国家となったこと。そこに官僚(日銀の行員もそうだ)および官僚上がりの政治家たちが「支配階級」となって権力を簒奪していること、そしてアメリカに対して、卑屈にも従属し続けていることが問題であると結論する。
 この構造を変えるためには、憲政の常道に従い、国民の利益を代表する政治家を国民会議(国会)へ直接送り込まなければならない。国民が選挙で選んだ政治家が、国政を担当し、国民の利益のために政治を行うという、あたり前のことを実現しなければならない。それが、民主政治(デモクラシー)である。

 このような認識から、小室直樹の学統を引き継ぐ吉田氏は「天皇の権威はいまや官僚の官僚の手中にある。現代の奸臣は彼らである」と断言して憚らない。官僚を無力化する事が核心である。ここに強調されたように国政選挙で勝ち官僚にではなく民衆政治家に権力を与える事が決定的な事である。私もやっとこの事の大切さや重大性が分かってきた。
 マルクスらが起草した『マニュフエスト・オブ・ザ・コミュニスト・パーティ』のサミュエル・ムーアの英訳によると労働者階級の革命の第一段階として、以下の記述がある。

 我々は、以上において、労働者階級による革命の第一段階が、プロレタリアートを支配階級の位置にもち上げること、デモクラシーの戦いに勝つこと、であることを理解した(We have seen above that the first step in the revolution by the working class is to raise the proletariat to the position of ruling class to win the battle of democracy. )。
 プロレタリアートはブルジョアジーから全ての資本を次第にもぎ取るために、生産の全ての手段を国家すなわち支配階級として組織されたプロレタリアートの掌中に集中するために、その政治上の主権を使うであろう。その主権はさらに進んでできる限り急速に全体の生産諸力を増大させるであろう。

 第一段落部分の核心の記述は、岩波文庫では「民主主義を闘いとる」となっている。しかしこの訳は全く意味不明であろう。この意味は端的には国政選挙で勝つ事である。武装蜂起にとらわれた立場から、これこそ唯一正しいとした「マルクス・レーニン主義」者たちがマルクスの時代以降、所得制限や性別を超えて拡大する普通選挙権を一貫して低く評価し、このような意味も曖昧な訳を訳も分からずに振り回してきたのだ。私自身もまたこの部分をそのように翻訳してきた。ここで注目すべき点は、労働者階級とプロレタリアートとが用語上は区別されている事であろう。プロレタリアートとは勤労諸階級である。
 現代においても選挙戦で与党を打ち破る事は、労働者階級の政治意識の発展にとっても決定的な事である。エンゲルスもまた『共産主義の諸原理』の「問一八 この革命は、どのような発展の道をとるのであろうか?」に、「それは、なによりもまず、民主政治国家を、そしてそれとともに、直接または間接に、プロレタリアートの政治支配を樹立するであろう」と答えている。にもかかわらず新左翼等は議会主義に陥った日本共産党を軽蔑する余り、マルクスが大多数の労働者民衆に一大政治的覚醒をもたらすものとの評価から重大視してきた労働者階級の主体形成の第一段階を全く軽視してきた。そのため自民党と民主党との一昨年の政権交代劇を、徹底して利用し闘わなければならなかったのである。
 しかし一旦は政権を握り、自民党を見捨てた人々から大いに期待された民主党が、沖縄問題の解決や財源問題に失敗等する中で巻き起こった党内クーデターにより、鳩山・小沢勢力がパージされて、菅直人等を中心とする勢力になるや、誰から見ても自民党とほとんど同じの全く魅力のない政党になった。統一地方選での敗北はその当然の帰結である。
 民主党がここまでボロボロにされてしまった背景には、彼ら自身にも責任はあるものの敵の弱点を攻めない事、つまり既得権益を何としても守りたい自民党等の諸勢力と行政権を握る官僚制度の積極的あるいは消極的な抵抗や官僚らの集団的無意識による不服従と彼らを留学等の罠で籠絡かつ洗脳したアメリカのジャパン・ハンドラーへの屈服がある。
 特に検察について一言しておくと、より正確に言えばアメリカの強い影響下にあるとされる東京地検特捜部は、敗戦後GHQによって創設さられた「隠匿退蔵物資事件捜査部」がその前身である。そのため、上層部には在アメリカ日本大使館の一等書記官経験者が多いのだ。もちろん検察は、単にアメリカ政府の意を受けて動いただけでない。彼らには彼らの独自の利害関係から、“小沢失脚”のためにのめり込んでいったのだが、そうした彼らの行動様式こそ日本政治等を国益の立場から監視するアメリカの思惑に合致する事、つまりアメリカの掌中で踊るものなのである。 (直木)案内へ戻る


 色鉛筆ーー菜の花パレードはまおかーー

 東日本大震災からもうすぐ2ヶ月、今もなお不自由な生活をされている被災地の人たちに心が痛むと共に、福島原発から漏れ続けている放射性物質に不安や恐怖と怒りも感じざるを得ない。というのも私が住んでいる静岡には浜岡原発があるからだ。想定されている東海大地震の震源域の真上に浜岡原発があり、地震が起きたら制御棒が入らず停止させることができなく、いきなり爆発的事故が発生するかもしれないし、当然大津波も起こり福島と同じことが起きてしまうかもしれないのだ。危険きわまりない浜岡原発はすぐ止めて欲しいという声が、まわりの人たちと話をすると震災前に比べてとても増えてきた。
 こうした中で「今こそ声を上げるべき時、黙っていてはいけない」と20〜30代の若者たちが呼びかけて、4月24日「菜の花パレードはまおか」が開催された。どんな集会だろうかと半信半疑で出かけると、なんといつも反安保・沖縄・憲法・メーデーなどの集会とはまるで違う雰囲気だ。なんといってもおじさんおばさん(いやおじいさんおばあさんかな?)だけではなく、乳飲み子を抱えた母親や子ども連れの家族、外国人、そして若者の多さに驚いた。彼らはインターネットで呼びかけたようで約800人以上と今までにない大勢の人たちが集まった。まず集会では「僕は三陸で生まれ育ち津波は怖いものだと小さい時からずっと教えられてきたが、いつのまにか忘れられてしまっていた」「福井の人たちは原発に対して何も言ってこなかった、みんなで声を出して浜岡を止めよう!」「浜岡原発を止めても電力は余る程ある」等々、いろんな立場から主張していた。
 また、主催者から今日の集会をデザインしたいう若者が紹介されたので「デザインってなに?」と私は首をかしげてしまった。すると「原発反対と訴えてきた人たちがいたから声を上げることができた」と今まで地道に反対運動をしてきた人たちをまず認め、「反対だけではなく原発を考えてもらえるようにパレードにした」「菜の花は放射性物質を吸収する能力があるので菜の花を持って歩いたらいいのではないかと考えた」と、企画ではなくデザイン、デモではなくパレードとはなんと発想豊かな若者たちではないか・・・頭の硬い私たちも見習わなくてはならないと思った。パレードでは、歌・打楽器・ギター・横断幕・プラカード・ゼッケン・菜の花・風船等々、思い思いの表現で街の中を歩き、最後にはサンバのリズムで老若男女が一緒になって手をたたいたり歌ったりして、浜岡の原発を止めることを訴えた。これからもパレードは続いていく。(美)


 静岡空港収用裁決取消訴訟でも不当判決

 最後の地方空港と言われた静岡空港も開港して早2年。
 しかし、地元静岡では『空港はいらない静岡県民』が中心になり、国や県を訴えた「事業認定取消訴訟」(10年3月に静岡地裁で敗訴し、現在東京高裁で控訴審が進行中)、「収用裁決取消訴訟」(静岡空港の未買収土地について強制収用の判断を下した県収用委員会の採決の違法性を訴えた裁判)、「住民訴訟」(滑走路を短縮して暫定開港せざるを得なかった測量ミスがあり、それに関わった職員に対する損害賠償請求事件)の三つの裁判を闘っている。
 4月22日、静岡地裁(足立哲裁判長)は元地権者120名が県に収用裁決の取消を求めた行政訴訟の判決で、原告の請求を棄却する判決を下した。
 2007年1月の提訴から4年以上かかり、計18回の口頭弁論が行われ、3人もの証人尋問(県収用委員会の委員長や空港建設事務所長らが証人として出廷)が行われ、判決の直前に裁判長が交代するという変則的な法廷が続いた。
 裁判長の判決内容のポイントは二つ。
 一つは「収用委員会で原告らの意見陳述の機会は奪われていない。収用委員会の審理手続きは適法に行われた」と言うが。原告側から見れば、収用委員会期日の決め方の違法(原告の代理人弁護士の予定も聞かず、一方的に日程を決める)、原告人の発言者の人数を制限する、地権者の筆界明示作業が完了しないうちに審理を途中で打ち切った等など、公開審理原則を無視する審議手続きであったことは明らかだ。
 二つめは、「後行処分の取り消し訴訟で先行処分の違法性を主張することは、原則として許されない」と述べて、裁判長は事業認定そのものの判断を避けて、逃げの判決を下したと言える。原告側は、土地収用の前提となる事業認定に明白かつ重大な瑕疵があること。収用裁決の前段階での国の空港建設事業認定の違法性を指摘し、収用裁決の違法性を主張してきた。
 なぜなら、反対地権者の土地の強制収用と空港建設、そして開港という現実の中で、県のデタラメさが次々と明らかとなったからである。
 その最たるものが、需要予測問題。需要予測の人数を3回も下方修正して、最終的に国内便106万人(最大路線の札幌便は50万人の予測)・国際線32万人とした。裁判の中で被告側は正しい手法で算出されたと主張するが、開港1年目の利用状況の結果は国内便はわずか41万人・国際便19万人にすぎない。
 開港後、経営不振に陥ったJALが3路線撤退を決定。その際JALは静岡県に「福岡便搭乗率保証制度」に基づき運行支援金約1億5295万円の支払いを要求。しかし川勝知事が支払いを拒否したため、裁判で争うという泥仕合を現在も続けている。言うまでもなく、開港2年目の今年はさらに搭乗者の減少が続いている。
 09年3月の開港予定が延期になり、6月にようやく暫定開港したが、その責任を取って石川前知事が辞任という、前代未聞の「立木問題」が全国ニュースとなった。
 それは空港の西側制限表面を超えて残ってしまった立木150本があることが判明し、このままでは航空機の発着に支障をきたす事になり開港延期になったのである。この「立木問題」の原因が県の測量ミスにあること、さらにその測量ミスによって「過分収用」(収用しなくても良い土地まで収用してしまった)の事実も明きからになった。
 このように原告側は、この静岡空港はデタラメな需要予測ひとつを見ればわかるように、土地収用までして造る公益性はなく、また誤りだらけの土地収用事業の強行の連続であったことを、この裁判で主張してきた。
 裁判長はこうした事業の公益性や需要予測のずさんさなどについて「判断する必要がない」と、明白な瑕疵に目をつぶり、単に審理手続きだけを論じたにすぎない。
 原告と弁護団は「不当な判決」を訴えるとともに、高裁に控訴する方針を決めた。(英)案内へ戻る


 「新しい公共の担い手」の記事に思う

「宮城県は二十五日、NPOや市民団体などが行政とともに公共サービスを行う『新しい公共』の担い手支援策を考える運営委員会を設置する」(『河北新報』四月二十四日)らしい。
 この「新しい公共の担い手」という考えは、鳩山前総理大臣の所信表明演説によるものです。のちに事業化されました。つまり、ボランティア組織やNPO組織を選別して、好ましいものに財政的な援助をする。あるいは財政的誘引で、国や県(役人組織)の都合のよい形で利用したいということのようです。今回、県は、約八千万円弱を計上し、助成対象を絞り込みたいとしています。
 菅総理肝いりの「復興会議」のメンバーからも、「若い人たちには公共の奉仕に関する積極性が見られる」と、ボランティアの活躍に注目する意見がだされています。
* * *
 この地方紙の小さな記事の意義はけっして小さなものではないと私はかんがえています。
 @財政危機のさなか、しかも東日本大震災の直接的影響を被っている国家や宮城県組織が、カバーしきれない住民サービスについて、ボランティア等の支援を頼みとしていることが明らかとなっています。
 Aボランティア組織が社会的に高い評価を受け出したことの、一つの象徴的出来事だといえます。
 ところが「国家組織・県組織」つまり官僚役人組織とボランティアは、根本的に違った組織なのです。当面は、大震災という未曾有の事態を前にして両者が「協力」するのは当然です。そして、「助成金」というものもボランティア活動の充実といういみでは、あって困るものではないでしょう。
 しかし、資本主義社会を護持する目的に立つ国家や県庁組織(エリート達の上意下達の統治組織です)と、弱者や被災者の救済が目的で、自主的に形成された組織、したがって資本の支援などを目的としないボランティアやNPO(私はこれら組織を「アソシエーション」と呼びます)組織は水と油です。ですから、いつかは袂を分かつことは当然のものとかんがえます。
 今はまだささやかで素朴なこれらのアソシエーションも、今回の東日本大震災の壮絶な災害の復興支援を通じて一段と成長し、官僚的怠惰と巨大な赤字のために統治力の低下に苦しめられている国家組織(官僚制度)にとってかわる、新しい社会統治組織として、認知されてゆくにちがいありません。「未来」を開く鍵がここにあります。(BUNNMEI)


 読者からの手紙
●福島原発事故についてのある思い!
 
 4月10日であったろうか、テレビを見ていると(東日本震災関連)、突前モザイクのかかったある家族の顔が映った。
 なぜモザイクなのか? 風評被害を守るためか、プライバシーを守るためか? という問いがすぐ私の頭をかすめた。
 その家族の御主人は、福島原発事故後も現場で勤務。2日に1回の御主人からの電話が、唯一の家族のつながりである。
 農産物やお魚達は、今だに風評被害にあっている。娘さんの東京への引越しに大阪在住のお母さんが同行した時のことだが、その時は東京は計画停電や人が買いだめに走った時期で、市場に物不足が続いた。その時、卵を買ったものの福島産なので食べなかったそう。この話を聞いた私は、市場に出回っている食品は安全であることを、一般には理解されないのかと胸が痛んだ。
 たしかに、乳児・幼児・低学年児童には、安全面から注意深い配慮が必要であろうが。私ぐらいの年齢になれば10年〜20年後に発病しても、ああ、いいかな、と思う。一般市民の方々も、もう少し判断力と冷静さが必要ではないかと思う。
 電力の必要性とありがたみが今ほど身にしみるときはない。私達個々の人間は原発の事故に終止符が打たれた時、福島原発の事故現場で働いた人達に、敬意と感謝の熱い思いとともに暖かく迎えたいと心から思う。
PS
 道場洋三氏の被災地福島の米を食べよう≠フ呼びかけに応じて、福島産米を購入している人もいる。                   2011・4・13 YAE

●なぜ耳か?
ラジオを聞くようになった。TVの映像はインパクトがあっていいのだが。コトバで映像を喚起できるだろうと思う。目から耳へ≠ニいわれて、音楽は国境を越えていった。私はコトバの力を信じたいから音楽でも歌の文句の方に傾く。最近、TVの深夜放送のソングライターズ≠フコトバに音楽をつけていく番組に興味をもった。早稲田の学生さんだったと思うが、こんな歌詞を作った。
ぼくたちは笑うんだ
ぼくたちは泣くんだ
ぼくたちは食うんだ
ぼくたちは生きるんだ
 この簡潔な歌詞がえらく強く響いた。曲のことはよくわからない。はじめにコトバありきで、コトバが喚起するイメージ。伝達に歌詞が力を持つだろう。沖縄で沖縄戦を伝えるために、当事者になった如くに語りつぐ運動があるという。巫女のことも考えてみたいと思ったこともあった。
 東日本の被災地の方々は、アンパンマンの歌が好きだそうだ。脳科学で歌詞(耳に入るコトバ)のもつ力を説明してもらえたら、ええなと思う。いま、東日本の被災地で生きる方々は、コトバや歌の文句よりもオニギリの方が力があったであろうが、アンパンマンの歌を喜ぶ子ども達を見て、避難所の方々も喜ばれるのでは?
 新たに避難を余儀なくされている原発周辺の方々は歌どころではないだろうけれど。
 コトバや歌は、差し迫った必要を満たす力はない。しかし、困難を超えていく勇気をもたれるのに、いくばくかの力があると信じたい。
2011・4・19 宮森常子

●アンパンマンの歌
 あるテレビ局で報道されたものだが、震災地のラジオ局(FM放送)によると、いま被災地の人々に喜ばれている歌は、アンパンマンのテーマソングだそうだ。流れてくるアンパンマンの歌を曲に、いま、改めてこころを動かされました。ここにアンパンマンの歌詞を紹介させてもらいます。 2011・4・19  YAE

ぼくはアンパンマンです。mebiです。
(作詞)やなせたかし(作曲)三木たかし

1、そうだ うれしいんだ 生きる よろこび たとえ胸の傷がいたんでも なんのために生まれて 何をして生きるのか こたえられないなんて そんなのはいやだ 今を生きることで 熱いこころ燃える だから君はいくんだ ほほえんで
2、そうだ うれしいんだ 生きる よろこび たとえ胸の傷がいたんでも ああ アンパンマン やさしい君は いけ みんなの夢まもるため なにが君のしあわせ なにをしてよろこぶ わからないままおわる そんなのはいやだ 忘れないで夢を こぼさないで涙 だから君はとぶんだ どこまでも
3、そうだ おそれないで みんなのために 愛と勇気だけがともだちさ ああ アンパンマン やさしい君は いけ みんなの夢まもるため 時ははやくすぎる 光る星は消える だから君はいくんだ ほほえんで

そうだ うれしいんだ 生きる よろこび たとえ どんな敵があいいてでも ああアンパンマン やさしい君は いけ みんなの夢 まもるため案内へ戻る


 編集あれこれ
 前号は、震災、津波、原発事故についての記事が多かったです。1面は、人類を滅ぼしかねない原発から自然エネルギーへの転換を訴える内容です。今回の事故は東電でありました。しかし、他地域の原発も決して安全ではありません。今回の教訓は、自然災害に原発は対処できないことです。だとするなら、原発を続けていくことはできないはずです。
 2〜4面は、東日本大震災や原発事故への復興は国家や行政主導ではなく、市民や住民主導で行っていくべきというものでした。そして、この事故が起きても原発推進政策を改めない民主党政権への批判、原発から自然エネルギーへの転換を主張しています。
 4・7面は、米軍への思いやり予算を、被災者支援に回そうというものです。5年間で約1兆円が在日米軍基地の維持費に使われようとしています。こんなことがまかり通ってはおかしいと思います。
 5面のコラムの窓は、今回の原発事故にも関わらず原子力開発企業の日立は、自らの責任はないと言いきっています。そして、原発立地の首長たちは、原発事故についてだまされたと言っていますが、自分自身の判断と責任において行動しないと何度でも国やお役人にだまされると思います。これは、私たち自身も肝に銘じておく必要があります。
 6面の民衆力とアソシェーションと題する記事も、読み応えがありました。今回の震災事故で、住民同士の「助け合い」「相互扶助」等の協力・共同があります。これらの動きから民衆の「当事者主権」へと目指す社会が必要というものです。
 あと、読者からの手紙や、原発の危険性を訴える広瀬隆さんの講演、原発を支えてきた企業内組合の刷新、等の記事もよかったです。最近では一番充実した紙面だったと思います。 (河野)案内へ戻る