ワーカーズ440号 (2011/5/15)     案内へ戻る

政府・株主・事業者を免責するな!──消費者に転嫁する賠償枠組み──

 菅内閣が主導した原発事故被害の賠償枠組みが決まった。
 5月12日に骨格が決まった枠組みは、表向きは東電への無制限の賠償義務を課すものだ。が、「機構」を創設して公的資金を東電に貸し付け、毎年2000億円(電力会社全体で4000億円))を東電の事業収益の範囲内で返済する、という枠組みは、結局は消費者負担による賠償でしかない。電気料金の値上げを前提としているからだ。
 しかし、賠償責任を消費者に負わせるのは、株主・債権者・銀行・事業者の責任を免責する本末転倒の枠組みという以外にない。
 今回の枠組みでは、発送電の分離など将来の東電解体への可能性を残すとしている。が、それはあくまで将来の選択肢≠ノ過ぎない。何より今回の原発賠償では、国策として原発推進に邁進してきた政府、東電をはじめ原発関連事業者や銀行など債権者の責任を明確なものにすることが大前提のはずだ。
 政府の責任とは、原発関連の補助金の組み替えを含めて、原発推進から脱原発≠ヨの根本的な転換に舵を切ることだ。事業者責任とは、歴代経営陣の賠償責任、自己資本や資産売却による賠償責任である。
 それに債権放棄など、金融機関などの株主・債権者の賠償責任も大前提だ。また、原発からの利益を享受してきた東芝・日立・三菱重工などの原子炉メーカー、ウラン燃料関連会社、プラント建設会社などにも賠償責任を負わせるべきだ。加えて、電力を大量に消費する大口事業者の負担責任もある。電力不足時に供給停止を含む契約で割引電力量を享受してきたにもかかわらず、あの計画停電は一律停電≠ナ、大口事業者の協力義務は棚上げされた。割引料金の受け得になっているのだ。
 原発事故後、現在の電力政策の抜本的な再編も議論されてきた。「コスト+適正利益」が保障された「総括原価方式」や9電力会社による地域独占と発送電一体を見直し、電力供給の自由化と発送電分離などで自然エネルギーへと転換することなどだ。が、今度の賠償枠組みでは、東電の賠償責任を明確にする、という大義名分のもとで、こうした電力改革は棚上げされている。はっきりしているのは料金値上げでの賠償と、賠償が完了するまでこれまでの電力政策は存続する、ということだ。
 枠組みが公表されたとたんに東電の株価が急上昇したのは、今回の賠償枠組みの性格を象徴している。政府の産業優先エネルギー政策の根本的転換を前提として、株主・債権者・事業者責任での賠償こそ最優先すべきなのだ。(廣)


菅総理の浜岡原発停止要請の背景には何があるのか――事の真実を明らかにせよ!

 菅総理は、最近唐突に余りにも唐突に、静岡県にある浜岡原発停止要請を中部電力に対して行い、意外ながら中部電力はこの要請を受ける事になった。この決定をめぐって、今現在、一歩前進だとか政権延命のための小賢しい思いつきだとの議論がかまびすしい。
 菅総理の胸中を探る事は、実際容易な事ではないが、その背景に何があるのかについて私たちは以下の記事に注目しておく必要があるであろう。
 それは『週刊ポスト』の「GHQ彷彿させる官邸へ派遣の米国人 菅総理に代わり決裁権」と題する5月20日号の記事である。ではその核心部分を引用したい。

 菅首相や枝野幸男・官房長官、各首相補佐官らの執務室が並ぶ官邸の4、5階は記者の立ち入りが禁止されているが、そこでは細野豪志・首相補佐官、福山哲郎・官房副長官らがある部屋に頻繁に出入りしていた。部屋の主は、米国政府から派遣された「アドバイザー」で、名前も身分も一切明らかにされていない。
 官邸の事務方スタッフは、その素性と役割についてこう説明する。「その人物は米原子力規制委員会(NRC)のスタッフとされ、官邸に専用の部屋が与えられ、細野補佐官とともに原発事故対応の日米連絡調整会議の立ち上げ作業にあたった。常駐していたのは原発対応のために横田基地で待機していた米海兵隊の特殊兵器対処部隊(CBIRF)が帰国した4月20日頃までだが、その後も官邸に顔を出している。福島第一原発の水素爆発を防ぐために実行された窒素封入や、格納容器の水棺作戦などは、そのアドバイザーとの協議を経て方針が決められた」
 原発事故対策統合本部長を務める菅首相に代わって、“決裁権”を握っていたというのだ。
 官邸へのアドバイザー派遣は、菅政権の原発事故発生直後にオバマ政権が強く要求したものだった。当初、菅首相や枝野長官は難色を示したが、ルース駐日大使は福島第一原発から80km圏内に居住する米国人に避難勧告を出し、横田基地から政府チャーター機で米国人を避難させるなどして、“受け入れなければ日本を見捨てる”と暗に圧力をかけた。菅首相は3月19日、ルース大使との会談で要求を呑んだとされる。
 外国の政府関係者を官邸に入れてその指示を受けるなど、国家の主権を放棄したも同然であり、GHQ占領下と変わらない。しかも、その人物は「ただの原子力の専門家」ではなかったと見られている。
 米国は震災直後にNRCの専門家約30人を日本に派遣して政府と東電の対策統合本部に送り込み、大使館内にもタスクフォースを設置した。3月22日に発足した日米連絡調整会議(非公開)にはルース大使やNRCのヤツコ委員長といった大物が出席し、その下に「放射性物質遮蔽」「核燃料棒処理」「原発廃炉」「医療・生活支援」の4チームを編成して専門家が具体的な対応策を練っている。「原発事故対応のスペシャリスト」だというなら、統合対策本部や連絡調整会議に参加する方が、情報収集という意味でも効率的な働きができるはずだ。にもかかわらず、その後1か月間も官邸に常駐する必要があったのは、原発対応以外の「特別の任務」を帯びていたからだろう。
 米民主党のブレーンから興味深い証言を得た。「ホワイトハウスが、菅政権に原発事故の対処策を講じる能力があるかどうかを疑っているのは間違いない。だが、すでに原発処理についてはいち早くフランスのサルコジ大統領が訪日したことで、同国の原子力企業アレバ社が請け負う方向で話が進んでいる。むしろ米国が懸念しているのは、これから震災復興を手掛ける菅政権が危うい状態にあること。オバマ大統領は、普天間基地移設をはじめ、日米間の懸案を解決すると約束した菅政権が続くことを望んでいる。
 そのため、ホワイトハウスでは国家安全保障会議などが中心になって、日米関係を悪化させることがないように指導するオペレーションを震災後から展開している。“特別な専門家”の派遣もそのひとつと考えていい」
 菅政権は米国の指導の下、国会では震災復興より米国への“貢ぎ物”を優先させた。3月末に年間1880億円の在日米軍への思いやり予算を5年間にわたって負担する「在日米軍駐留経費負担特別協定」を国会承認し、4月28日には、日本政策金融公庫の国際部門である国際協力銀行(JBIC)を独立させる法案を成立させた。
 JBICは米軍のグアム移転費用を低利融資する窓口になっているが、法改正によってこれまでは途上国向けに限られていたインフラ輸出への融資を拡大し、先進国も対象にできることになった。
 経産省幹部はこう指摘する。「菅政権は米国への新幹線輸出を進めているが、JBIC独立により、その資金を日本が拠出できることになる。アメリカも満足だろう」

 この引用部分の最初には、「この国の政府は震災発生以来、『第2の進駐』を受けている。首相官邸ではそれを如実に物語る光景が繰り広げられていた」の衝撃的な書き出しで始まっている。日本の属国化が進行しているのだ。官邸にアメリカ人が常駐しているとの情報が既に3月の中旬には報道はされていたが、その後の経緯を含めて、これ以上の踏み込んだ記事はいまだ報道されてはいないようだ。社民党にも共産党にもこうした視点での記事はもちろんの事、ここまで踏み込んだ記事は全く書いていないのである。
 まさに深刻な事態ではある。しかしながらこの『週刊ポスト』の記事を一笑に付すだけの真実を知り得る立場にない私たちは、自らの無力さを嘆くばかりではいられない。何としても事の真実に迫る闘いを直ちに展開する必要を感ぜざるをえない。    (直木)案内へ戻る


原子力ムラ≠ヘ解体だ!
 ──原子力安全委員会、安全・保安院はあちら側≠フ機関──


 原発事故から2ヶ月過ぎた。。
 この間の事故状況の周知・報道は数え切れないほど繰り返された。しかし、そのほとんどは東電、政府、保安院など、原発を推進してきた側からの情報発信だった。
 さらにそれを伝えるマスコミも、その多くが原発推進の当事者や統治する側からの情報発信を追認、垂れ流すものでしかなかった。
 結局はすべて住民からすればあちら側≠フ人ばかり。電力会社、原発メーカー、政府・行政、お抱え研究者らからなる原子力ムラ≠フ解体・清算こそ必要だ。

◆保安院の機能不全

 3月11日の大地震と大津波災害、その直後に発生した東京電力の福島第一原発の事故。
 原発事故が起こった当初から、原発事故や放射線被害から国民を守るはずの機関や組織が、実態は電力会社やメーカー、それに国策として原発を推進してきた政府の姿勢を追認、あるいはお墨付きを与えてきただけに過ぎないことが繰り返し浮き彫りになっている。
 原発事故の当初から原発の安全を確保することが使命であるはずの原子力安全・保安院の記者会見の模様が連日のようにテレビなどで中継され、新聞などでも繰り返し報道されてきた。
 しかし、その内容や趣旨は東電や政府を代弁するかのような発表に終始し、原発事故で放射線被害を受ける周辺地域や首都圏などの住民の不安や心配を解消するにはかけ離れたものでしかなかった。そうした姿勢にうんざりした読者も多いのではないだろうか。
 実際、保安院の事故態様や放射線飛散の情報は、当事者の東電からの報告を繰り返すだけ。独自の監視体制も情報収集も不十分なものでしかなかった。
 放射線による健康被害の警鐘についても同じだ。地域住民の不安や心配を解消するどころか、東電や政府など推進派の防御係のような追認姿勢があからさまなものでしかなかった。
 たとえば福島第一原発から30キロ圏外にまで西北に拡がる高濃度の放射能線汚染。3月15日の2号機の爆発で大量の放射線物質が放出した時点で、政府は西北に拡がると予測していた。「緊急時迅速放射能影響予測システム(SPEEDI)」による文科省と保安院の予測に基づくものだった。しかしそのSPEEDIによる予測結果を「すべて公表する」とした5月3日以前の段階で、3月23日と4月11日のたった2回しか公表しなかった。未公表の試算は5000件にものぼる。「すべて公表するとパニックを引き起こすから」というのが理由だった。その事実を知らされなかった20キロ〜30キロ圏、その外側の30キロ圏外の南相馬市や飯舘村、それに川俣町などの住民は、2週間で待避レベルになるという高濃度の放射線に汚染され続けているわけだ。「パニックになるから」というのは住民側の発想ではなく、明らかに統治する側の感覚でしかない。

◆原子力安全委員会の無気力

 保安院だけではない。原子力安全委員会の無気力ぶりも浮き彫りになった。
 安全委は、原子力の安全規制の方策を決定し、行政や事業者を始動する権限を与えられているにもかかわらず、実態は原発を推進する側に密着した組織であることも浮き彫りになった。
 そもそも原子力安全委員会は学者や有識者による5名の委員を頂点とした審議会的な機関でしかなく、人員も審査会など150人足らず、事務局は100名で、原発監視の実務能力は与えられていない。それ以前の問題として、そもそも原子力安全委員会には、原発を推進する側に対峙して住民の健康を守る心構えや使命感がない。
 現に係争中の浜岡原発の訴訟のなかで、安全対策はどこかに落としどころを設定しないと原発を建設できない、という本末転倒の驚くべき証言をして恥じないていたらくである。
 福島第一原発の事故に際しても、斑目委員長をはじめとして原子力安全委員会が発したメッセージは、安全確保とは正反対の安全神話≠拡散するものばかりだった。たとえば「原発は構造上爆発しません」「原発復旧作業員の造血幹細胞の事前採取は必要ない」等々。以前も「全電源の喪失は…………考慮する必要はない」と放言してきた組織からすれば,さもありなんという以外にない。
 周知のように原子力利用推進の中枢機関として内閣に原子力委員会が設置され、原発推進派はこの組織を結節点として原子力利用を国策として推進してきた。実は安全委は原発の安全規制を担う機関としてそこから分離して生まれた組織だ。そうした出自を引きずる安全委は、実際のところ原子力ムラ≠フ一員に止まり続けることで原発を推進する勢力にお墨付きを与える役割を担ってきたのである。

◆原発推進ネットワーク

 ここ日本では、なぜ原発を推進する側とそれを規制して住民の安全を確保すべき組織や機関が、同じように推進する側の視点や視線で横並びしてしまうのだろうか。それは原発関連の各種機関や組織が、いわば当事者として同じネットワーク、相関関係のなかでなれ合うようにできている構図があるからだ。
 米国の軍産複合体のように、日本でも国策として原発を推進する政府と電力会社を中心として、原発族≠ニして形成されているからだ。原発プラントメーカー、施設建設メーカー、安全を確保する政府関連の各種機関、それに大学などの研究者グループなどが、原発推進という共通のテーブルを囲んで相互に密着した関係を持つ、いわゆる原子力ムラ≠フ事である。
 この原子力ムラ≠ナは、相互間で役割の分担はあるものの、原発の存在自体が自分たちのテリトリーの源泉になっているという共通認識、あるいは共通利害がある。要はそれぞれの役割は、原発推進という護送船団のなかでの呉越同船集団に過ぎない。安全委や保安院なども独立した規制組織とはほど遠いのが実情なのだ。
 しかも東電役員がそれらの規制機関に派遣されていることなど、天下りも含めて相互の人的ネットワークが形成され、また学者などは声がかかればどれにも加わる。原発推進という閉じたネットワーク内部を渡り歩く業界人のような人も多い。
 これらの原子力ムラ≠ェ形成・維持される源泉は、いうまでもなく原発マネー≠セ。それは国の財政に依存するものと電力会社や原発メーカーからのものがある。財政からは年間数千億円もの研究・開発資金がムラ≠ノ投入され、電力会社から各大学の原子力・放射線研究などへの巨額の資金提供などがある。
 こうした政府予算や原発会社からの資金援助に群がって形成されるのが原子力ムラ≠ネのである。彼らは国策としての原子力推進を推進する勢力であり、またそれに群がる利益集団でもある。脱原発というのは、それらの利害関係と対峙することであり、単に政策の正当性を語るだけでは対抗できるような代物ではないのだ。

◆大本営発表≠垂れ流すマスコミ

 内閣府や経産省の傘下機関である安全委員会や安全・保安院が本来の役割を果たしていないとすれば、住民の側に立って報道すべきマスコミはどうだろうか。
 そのメディアはといえば、実際にはそれらの政府関連機関の発表を繰り返し報道することに全勢力を投入してきたのが実情だった。テレビや新聞などの大手メディアが伝える情報のほとんどが、政府や規制機関、それに東電などの当事者の側からの情報だった。マスコミは、記者クラブをつうじてそれらから情報を受け取り、それを電波や紙面に載せることが使命であるかのような報道に終始していた。脱原発派や少数の良心的な研究者による分析やメッセージの報道は、ほんの付け足しに過ぎない。
 地震や津波がもたらす原発のリスクについて、これまで国会や裁判や専門家から数多い指摘を受けてきた。が、メディアは公的機関や推進派以外からの情報発信や警告には冷淡だった。たまに登場する場合にも、推進派や当事者の情報垂れ流しの免罪符とでも言うように隅に追いやられた報道に終わってきたといえる。
 たとえば健康に与える影響を放射線の被害についてもそうだ。メディアは放射線量や被曝量についてはよく報道する。しかしそれはほとんどの場合、単独、断片的な線量に関してだけだ。しかも、政府や政府機関の広報的な発表の繰り返しに終わっている。
 たとえば、人が放射線で影響を受ける場合、それは実際には多方面からの放射線被曝であり、複合的なものだ。大気中の放射線物質をはじめとして、海水、土、汚泥、建物等、放射線被曝はあらゆる方向から人間に襲いかかる。
 そうした場合、普通の人々は何にどれだけの放射線物質が付着している、というよりも、自分の生活環境のなかでどれだけ被曝する可能性があるのか、が不安で心配なのだ。そうであれば、メディアは、たとえば汚染されたほうれん草を一年連続して食べたらどれだけの影響があるのか、というような、東電や保安院が提供する一部だけを切り取った情報をただ垂れ流すだけでは不十分だ。それ以外の野菜や魚、あるいは水道水や雨水、それに大気や汚染された土からの被曝等々、トータルな被曝量がどれくらいになるのか、といったことを報道すべきなのだ。農・漁民、屋外作業員、ドライバー、オフィスワーク、主婦、生徒・児童などについて、個々人の生活スタイルに即した地域別の被曝量を報道すべきではないだろうか。ところがメディアは、東電や安全委・保安院や政府が発表する断片的な被曝量と「ただちに健康に影響はない」「さしつかえない」などという広報≠フ垂れ流しに終始してきたのである。

◆脱原発≠ニは原子力ムラ≠ニの対決なのだ

 原発は国策≠フ地位を与えられ、内閣が替われど営々と推進されてきた。原発にはリスクが伴い、未解決の放射性廃棄物処理など未完の技術≠セといわれてもきた。それを住民に受け入れさせるために推進する側も何らかの安全のための指針や機関を作ってきた。しかしそれらはあくまで原発推進という土俵の上での話だ。
 原発の安全を担保するために、原発を設置・運用する電力会社を規制する目的で設置された原子力安全委員会や原子力安全・保安院も、所詮、住民の不安を解消させるための推進する側の組織・機関でしかない。要は、政府、電力会社、規制機関すべて含めてあちら側の人≠ナしかないのだ。大手メディアも同類だろう。記者クラブ制度にどっぷりつかってきた同じエリート意識から、政府や原子力ムラ≠ェ発する情報を垂れ流すことに大半の精力を費やしてきたからだ。
 いま脱原発の議論が拡がっている。今回の事故を踏まえれば当然だし、緊急の課題でもある。
 しかし、脱原発派の多くは、ただ自分たちの脱原発という政策の正当性をもって推進派と対峙しようとしている。確かに理念や政策のレベルでは正当性があり、それなりの説得力もある。
 しかし原発推進は単に政策の正当性だけで成り立っているわけではない。原子力ムラ≠中心とする原発推進勢力は、それに付随する利害関係で成り立っているからだ。
 たとえば自民党が先月12日に会合を開いた原発を守るためにつくった≠ニいう政策会議、その参与に就いた東電の元副社長で東電顧問の加納時男・元参院議員の発言だ。「地元の強い要望で原発ができた」「東電をつぶせば株主の資産が減ってしまう」「低線量(放射線)は体にいい」などと放言している。事故を起こした推進派の発言としては開き直り以前の、どこの星の住人かと見まごうばかりの発言という以外にない。こんな感覚や姿勢の相手に、理念や政策の正当性を訴えても聞く耳持たず≠セろう。
 脱原発≠ニ言っていれば相手を説得できる、というのはこちら側≠フ幻想でしかない。それは原発推進勢力との利害をめぐる厳しい闘いでもあるわけだ。
 脱原発≠ェ原発推進派との利害をめぐる闘いだということは、彼らを解体して排除した世界を想定し、それを実現するプログラムのうえで闘うことで始めて現実的な力となる。具体的には国家と大企業による核と巨大装置産業をめぐる特殊利害をめぐる闘いであり、そのためにもオルタナティブな世界を対置して現実的な対抗勢力を形成していくことが大きな課題となる。脱原発≠ヘ、そうした闘いの一環として始めて現実のものになる。いずれにしてもこちら側≠フトータルな陣形づくりにかかっている。(廣)案内へ戻る


コラムの窓 災害派遣者の草の根報告会を

 九州に住むものとして、今回の東日本大震災について何か語ろうとしても、マスコミを通じて知る情報は余りにも少なく、リアリティーに欠けるのが正直なところだ。先日、神奈川に住む甥の結婚式が横浜であり、久しぶりに関東地方を訪れた際、駅ビルの照明が節電のため、軒並み消えているのを目の当たりにし、日本の西と東で、こうも状況が違うものかと実感した。
 九州の公共施設で、それほどの節電をしていないのは、東北から距離的に離れているためだけではない。電力の周波数が、西日本が60サイクル、東日本が50サイクルと異なり、その間を変換する装置の容量が低いため、西から東に電力を融通しにくいためである。
 いくら「日本はひとつ!」などというスローガンをマスメディアで流しても、電力の送電体系ひとつとっても、日本はひとつではないのである。EU諸国の間ではできていることが、日本一国の中でできていないため、東京電力の計画停電による混乱に拍車がかかっているのだ。
 そんな中、西日本と東日本をひとつに結ぶものがあるとすれば、やはり官民の災害派遣の動きである。私が務める公立病院からも医師、看護師などが「D・MAT」(災害派遣医療チーム)の一員として、早々と現地入りした。先日、職場でその報告会が開かれた。
 今後はボランティアの派遣も増えていくだろう。必要なのは、このように現地入りした人々が、実際に体験してきたことを、生の声で伝える報告会を、あちこちで開くことではないだろうか。その上で、これから何が必要かを話し合うことであろう。
 例えば、津波の問題。実は九州でも、過去数百年の間に、大分県から宮崎県にかけての東側沿岸で、巨大な津波に襲われ、いくつかの地域社会が壊滅したことが、地層をボーリングしたり、古文書を研究したりして、明らかになってきた。
 また原発の問題。福島で起きていることを見れば、原発がいったん事故を起こした場合、いかにひどい被害をもたらすか、明らかである。九州電力は、発電量の約4割を佐賀県と鹿児島県に設置した原子力発電所で賄っている。地震や火山の噴火は、九州でも例外なく起きている。
 さらに、被災者の移住受入れの問題。津波で地域社会が壊滅し、原発事故で放射能に汚染され、何十万人という被災者が避難を強いられており、全国の自治体が居住先を提供しなければ間に合わない。そうなれば、職の確保や、学校、病院、介護施設など、地域社会のあらゆる面で、生活を支える手立てが必要になる。
 政府の対応のまずさに対して、現地の人々から怒りの声が上がっている。ただ、それに便乗して永田町では「倒閣」運動にうつつをぬかしている人々がいるが、そんなことをしている場合ではない。政府の対応のどこがまずく、何が必要なのかを具体的に突きつけて要求していかなければならない。そのためにも、われわれ自身が正しい情報を得る努力を惜しまないことが重要だ。(松本誠也)


沖縄通信「5・7北沢防衛大臣来県、5・15日本復帰39年」

@沖縄に内部告発サイト「ウィキリークス」旋風が吹き荒れる中、5月7日北沢防衛大臣が来県した。
地元新聞は「防衛大臣と県知事会談、両者かみ合わず平行線」と報じた。来県目的は、米側に配慮し、沖縄との話し合いを進めていることをPRしたい政府側の思惑であろう。それに対して県側は「移設の遅れを県のせいにしたいのだろう」と述べている。
この北沢防衛大臣の県庁到着に合わせて、午後1時から県庁前で数百人の県民が、北沢防衛大臣の来県に抗議する街頭宣伝活動を展開した。
A5月15日沖縄は日本復帰39年目を迎える。1945年4月〜6月の沖縄戦、8月の日本敗戦、米軍の日本占領時代。そして、1952年サンフランシスコ「平和条約」で、日本は独立を認められ国際社会に復帰する。
しかし沖縄は平和条約の「第3条」によって切り捨てられ、引き続き米国支配の下に置かれることになる。
問題の「第3条」であるが、その内容は「日本国との平和条約」に次の様に書かれいる。
「第三条:日本国は、北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。)、霜婦岩の南の南方(小笠原諸島、西之島及び火山列島を含む。)並びに沖の鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決されるまで、合衆国は、領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権利の全部及び一部を行使する権利を有するものとする。」
この「第3条」によって沖縄は、1972年5月15日まで、戦後27年間にわたり米軍占領下と言う植民地的な支配下に置かれた。
米国政府は米軍人から高等弁務官(陸軍中将クラス)を配置し、沖縄の司法、立法、行政の三権すべてを支配し、すべてにおいて沖縄県民の人権は蹂躙され、沖縄人に「自由や民主主義はない」とまで言い放っていた。
このような沖縄の歴史をふまえて、復帰記念日を次の様に言う人がいる。
「今年も屈辱の復帰記念日、五月十五日がやってくる。三十九年前の復帰の内実は返還費用の米国負担を日本が肩代わりする密約であり、核つき基地の固定化であり、本土並みと称する自衛隊とヤマト資本の上陸であり、さらに在日米軍基地の三倍もの基地を沖縄に集中させ、日米安保を差別に押しつける、まさに日本国による琉球再併合であった」と。
沖縄では、毎年「5・15平和行進」が取り組まれてきた。全国から1000人以上の参加者がある。しかし今年は東日本大震災の災害に配慮して、全国への参加者の呼びかけは行わず、沖縄単独の開催となった。
平和行進参加の呼びかけ文には、「今年復帰39年となります。沖縄はまさに目まぐるしい発展を遂げています。しかし米軍基地はさらに強化されてきました。米軍人、軍属の事件や事故は後を絶ちません。嘉手納基地や普天間基地の爆音はひどくなるばかりです。日米政府は現状の改善もないままに、名護市辺野古に1兆円もかけて海を埋め立て新しい基地を造り、東村高江には森を壊してヘリパット基地を造ると言っています。未曽有の大震災があってなお日米政府は日本国民の税金でそれらを建設すると言っているのです。屈辱的支配と何が変わったのでしょうか。5.15はそれらを問い続けてきました。」と書かれいる。(英)


色鉛筆‐署名で原発反対の声を!

 福島原発の事故以来、毎週土・日曜日が忙しい。というのも、神戸や大阪まで出かけて行き、「原発を止めよう」との思いで結集した人達と行動を共にするからです。屋内での集会も情報を得るためには必要ですが、街行く人々にアピールするにはやはり、デモ行進や署名活動ではないでしょうか。
 西宮の駅前を利用しての署名活動とチラシ配布は、参加メンバーも固定せず、出来る人が参加する柔軟な形で、何度か行なってきました。福島原発の事故は、これまでテレビのコマーシャルに洗脳されてきた人々に疑問を投げかけ、考えるきっかけを作ってくれました。こんな事故が起こらないと、関心を持てないこと自体は問題ですが、この機会に反対運動を拡げて行きたい、そんな想いでいます。
 署名に進んでしてくれる人たちは、若い世代に目立ちます。福島から西宮の実家に避難してきている親子連れは、春休みが終わったら学校が始まるから帰らざるを得ないと、複雑な心境を語ってくれました。沖縄や福岡という遠方からの旅行者(いづれも二人連れの女性)も、わざわざ足を止め賛同してくれました。署名をきっかけに会話が生まれ、意見が交換出来るのです。
 エネルギー問題を政府と原発推進派の連中に任せてしまったそのつけが、今、福島原発の事故につながったと言えます。安全対策よりも電気代の値上げをしないために、老朽化した原子炉を40年近く使用し、さらに引き伸ばしを予定していた電力会社の実態を、どれほどの人が知っていたでしょうか。そのうえ、利権がらみの電力会社や原子力関系法人への天下りが、14法人に計102人という数字が明らかにされています。こんなやりたい放題、私たちが止めてあげましょう。
 今、西宮の地でも、集会とデモを企画しようという声が上がっています。実現できれば、またワーカーズで紹介します。先日の神戸のデモで、配布された会話形式の冊子(関電の原発を止める会)ですが、なかなかいいので参考にしてください。
「電力会社は法律で守られていて、原価に3・5%の利益を乗せて、電気代として利用者に請求できるんよ。絶対に赤字にならないシステムどころか、原価がかかればかかるほど、利益は大きいってことやねん。原価1000円なら35円のもうけやけど、原価1億ならもうけは350万。原発とかお金のかかるもののほうが、都合がいいんよ」
「は? そんな商売ありえるん? ほんじゃ、ガンガン流しているCMもその原価に入っていて、私らの電気料金に含まれているわけ? 選べる商品やったらいいで。値段や質で買うかどうか、判断するわけやから。ありえへんわ。そうやって、法的にも支えられていて、原発は作られてきたんやね。日本の電気代が高いわけや」 (恵)案内へ戻る


原発こぼれ話「低線量の放射線は体にいい」

 自民党が菅政権の福島原発への対応を非難しています。確かに菅政権の対応は傷口を広げるような愚かなものですが、自民党は自らの非を詫びることから始めるべきではないでしょうか。国策としての原発推進が行き着いた先が現在の未曽有の危機的状況であり、自民党はその責任を第一に負うべき立場にあるはずです。
 その自民党が性懲りもなく原発の生き残り、推進への態勢を整えようとしています。あの優柔不断な菅首相ですら浜岡のすべての原発を止めることを決断したのに、この党は日本が静岡で分断され、首都さえ崩壊するだろう事態が明日に迫っても、今日さえよければいいという連中の集まりのようです。その推進派が結集しているのが「エネルギー政策合同会議」です。
 その会議の参与に就任したのが元参議院議員で東京電力顧問の加納時雄氏です。この人物はいま、ネット上で「お前は絞首刑だ」などと書かれているそうです。そうした避難は無益で愚かな行為ですが、加納氏はそんな非難を浴びても仕方ないほどどうしようもない人物のようです。5月5日の朝日新聞のインタビュー記事からその碌でもない語録≠紹介しましょう。
 核燃料サイクル政策は破綻しているという河野太郎氏に対して、「反原発の集会に出ている人の意見だ。自民党の意見になったことはない。反原発の政党で活躍すればいい」と、社民党入りを進めています。今後も原発を新設すべきかという質問には、「天然ガスや石油を海外から購入する際も、原発があることで有利に交渉できる。原子力の選択肢を放棄すべきではない。福島第一原発第5、6号機も捨てずに生かす選択肢はある」と答えています。
 さらにひどいのは、死に至る被曝労働を強いられている現場作業員の存在を無視し、すでに被曝してしまった多くの被災者を愚弄する次の発言です。こんな連中は身ぐるみ剥いで、汚染地に送り込むしかないのでしょう。
「東電をつぶせという意見があるが、株主の資産が減ってしまう」「低線量の放射線は『むしろ健康にいい』と主張する研究者もいる。説得力があると思う。私の同僚も低線量の放射線治療で病気が治った。過剰反応になっているのでは。むしろ低線量は体にいい、ということすら世の中では言えない。これだけでも申し上げたくて取材に応じた」  (晴)


《連載》21世紀の世界B「原発推進」は資本の論理---分散型・再生可能エネルギーを

●仙台から脱出する人々

 大震災以来、仙台市内の外国人はめっきり少なくなりました。欧米人とみられる人に会うことや、街角で中国語や韓国語で話す人たちの声もほとんど聞かなくなりました。3・11直後、米国(大使館)はバスを多数チャーターして、同国人を首都圏に送り出したと聞いています。(さらに国外退避も)バスの空席については日本人の利用も可能だとテレビ等で仙台市民に呼びかけていました。
 仙台は、福島第1原発から、米国が避難をすすめている八〇キロ圏ギリギリ外にあるのですが、このような状況です。震災から数日後には、体内被曝に備えヨウ素剤をさがしているという小さな子を持つ母親たちの会話も、通勤途上で聞きました。一番緊迫していた時期でした。会社でも、家族を県外に脱出させた人の話もききました。
 仙台駅近くに仕事場を持つ私は、三月十一日以降、たくさんの人々がバスで仙台から脱出する姿を現に目撃してきました。特に三月一五、六日頃、仙台駅(当時機能停止)周辺は、長距離バスとバス待ちの客で一時は埋め尽くされました。理由は様々でしょうが「福島原発」の恐怖が主たる理由だったと思います。当時、外出の際マスクとコートは必須のもの。雨の日は、濡れた外套を屋内には持ち込まないようにこころがけました(テレビの呼びかけにしたがい)。
 なので、そののち放射能をものともせず、全国から仙台に集まったボランティアの熱意には頭が下がる思いでした。 
 福島原発から五〇キロの地域で働いている娘のことも気がかりです。地元新聞の放射能測定の数字を見ながら毎日一喜一憂しているしだいです。いわんや福島県民の不安と苦悩は、想像にあまりあります。

●女川原発(宮城県)も危なかった

 福島原発だけが注目されていますが、宮城県女川原発も危機一髪であったことは、特に強調しなければなりません。現場の建築関係者(某ゼネコン)の目撃談では、三月十一日に津波はあの高い岩壁(十三b)を完全に登り切ったというのです。「津波は原発の直前に迫った」と。
 「津波の直接的な被害はなかった」「女川は大丈夫」(東北電力)というのは、この危機一髪の現実をおおいかくすものです。女川は今回たまたま幸運であったということを意味しているだけなのです。
 現に、一号機は外部電源の喪失(非常電源のへの切り替えができた)、海岸線に近かった二号機は地下室が浸水、非常電源二個を喪失(外部電源がかろうじて維持された)。この綱渡り状態で乗り切れたことは「幸運」以外のなにものでもないでしょう。また、その後の余震(四月七日)で女川はじめ東通原発(青森)も外部電源を喪失し、非常用電源もトラブルがあり(東通)、使用済み燃料プールの冷却が一時停止しています。また両原発とも使用済み核燃料プールからの水漏れ等、「福島」と紙一重の危機的現実をしめしています。
 東北電力によると「今回の地震も津波も想定外の規模」、四月七日の余震も「想定外の強さ」、六年前の宮城県南部地震も「想定外の揺れ」とされていますが、これでは「想定」自体に妥当性がないといわねばなりません。
 将来にわたるおおきな犠牲を国民にもたらした、国家と電力資本の住民無視の原発政策は阻止されなければならないでしょう。

●資本の「科学技術」ではなく人間の英知を

 そもそも原発の設置自体がいい加減な根拠によるものです。「明治三陸(一八九六年)」「昭和三陸(一九三三年)」「平成三陸(今回の大津波二〇一一年)」。この様な大地震、大津波の「巣」である三陸沖を、まさに目と鼻の先に持つ福島県や宮城県、青森県の「原発銀座」は、自然との調和つまり人間との調和をはじめから無視したものでした。
 その上、「チリ地震津波(一九六○年)」のように、広大な太平洋のどの地域からでも大津波は襲いかかってくることも計算に入れるべきなのです。とすれば、安全な原発の立地場所など日本には存在しません。
 地震や津波のメカニズムを完全に解明しつくした、と考えること自体が「おもいあがり」以外のなにものでもありません。今回のマグニチュード9の地震を誰も予測できなかったように、われわれは自然界について知らないことが多すぎるのが現実です。人間の英知とは、科学的知見や予測の限界も考慮に入れることであり、その上に立って全人類的なビジョンを描くことです。
 それに対して、資本のゆがんだ「科学技術」は、利益拡大の邪魔になっている「安全対策」をギリギリに削ること、つまり「安全対策」を軽視することに端的にあらわされています。さらには巨大利権事業にすりよる「学者・研究者」が自ずと都合のよい判断をすることも指摘できます。それが自然の猛威を軽く見ることであり、いったん事故が起きれば「想定外だ」「予想外だ」という無責任な言い訳に追い詰められてしまう理由です。
 くわえて核廃棄物の処理問題もなんら解決のめどが立っていません。原発を強行することにより生成される危険な核廃棄物が、私たちの周辺で行き場を失いつつあります。

●原発推進派に打撃を ─浜岡を完全廃炉に

 市場独占の「電力会社から見て原発は造るほどもうかる装置。」「さらに大手電力メーカー、土建業者なども原発建設に群がった」(小出京大助教『河北新報』)との指摘は重い真実。エネルギー問題を資本(企業)や国家にゆだねて本当に大丈夫なのか。さらには社会の運営自体を彼らにゆだねられるのか、根本的に考え直すべき機会です。風力発電、太陽電池等の安全で分散型の電力利用は、すぐにでも拡大可能であり「電力大資本」中心の電気事業は転換されなければなりません。
 科学技術は、資本の召使いの立場から解放され、人類的視野のもとで活用されるべきなのです。「地産地消」の地域分散性を効果的に取り入れた連合経済構成は、安全性を確保しエネルギーコストを引き下げ、合理的な経済をもたらし、原発を無用な物にしてしまうでしょう。
 原子力発電プロジェクトは、国家と電力会社、電気会社、ゼネコンそして研究エリートや政治家達の群がる利権複合体として存在していたことがますますあきらかとなりました。だから「原発推進派」は今回、原発が社会の危険なお荷物でしかないことが「福島」で事実を持って証明されても、自ら一歩も引く気配がないのも当然なのです。「原発推進派」対「反原発」の対立は、「未来の社会ビジョン」をめぐる対立であると同時にますます階級的な闘いの争点となりつつあります。 (仙台スズメ)案内へ戻る


読者からの手紙
福島原発事故ではなぜ警察の手が入らないのか

 現在マスコミでは、ユッケを食べて死んだ人が4人いるとの大騒ぎしており、警察や監督官庁がやっと出てきたことを批判し、罰即規定を設け取り締まりの強化を肯定するような報道が大多数です。たしかに今まではこの種の事故に冷淡だったのは否めない事実ですが、食品の安全については取扱業者にも当然のことながら応分の責任があるというのなら、なぜ福島原発事故に対しては、東京電力に対する強制捜査が入らないだけでなく、その必要性の論議すらなされていないのは全くの異常といわざるをえません。
 これは当座の目くらましであり、原子力関連マネーのなせる技なのでしょうか。
 現在東電は、余りにも明確な当事者責任と賠償責任を、いかにして逃れるか、そしてその賠償金をいかに電力料金の値上げに転化し国民負担へと転嫁する策動をしていると私は考えています。当然のことながら、これらの賠償金はすべて東電の株主が負担すべき事です。会社破綻の責任は、株主の有限責任においてまず決済するという決済方式なのです。これが資本主義の根本であります。この点を曖昧にしたら次に起きるのは、壮大なモラル・ハザードに道を開くだけでしょう。
 東電の大株主には、東京都とともに隠されてはいますが天皇家もそうです。私はこのことが、東電の責任がすべてがうやむやにさせられようとしている理由の最大のものであると考えています。原発問題は天皇制と不可分の問題だと私は考えているのです。 (笹倉)


わが友へ お江戸への旅日記〜最終日〜

 5月1日、17時の東京発のぞみに乗るので十分時間があり、西郷どんが男前だと貴方がいってたのを思い出し、上野へ行き、西郷どんの顔とワン公をクローズアップでうつしてきました。彰儀隊の墓もあったので、それもうつしてきました。浅草と上野の空気を十分体感してきました。
 上野公園(墓の前)で、浅草で買った大福を食べてたら、ホームレスのおっさんがゴミ箱をあさっているのを見て、ノドがつまって食べれませんでした。
 さて、お金がたまり次第、私がまだ健在ならば、かつて訪れたことのある大島(気仙沼の対岸にある)、被災地なのに、みすてられたか、忘れられたか、さっぱり情報も入ってこない島、大島を訪ねる予定です。私が東京からまいもどり、東北を半月ほど歩き回ったとき渡った島で、泊めてもらった民家はどうなったでしょう。
 大阪へ帰ったらお金をためて、足をきたえます。来年ではおそすぎる。今年中はムリかな? 全くさまよえる大阪人≠竄ネあ。コトバからして無国籍、ふるさとなし。
 デジカメでいっぱいとってきたから映像でき次第送ります。かの有名な上野のアメ横も行った。そこでガンバレ日本という文字と日の丸を染めたTシャツを買った。今日は日曜とあって浅草も上野も人、人、人。Tシャツは誰にでもあげようと思って。アメ横入口のけっぱれ東北・・・≠フ横断幕の写真といっしょに。
 さて、大島へ行くことはきまりだけど、大島を傷ついた風景としてとらえるのではなく、そこで生きる人たちにふれたいけど、私はこの島の人たちにとどくコトバがもてるだろうか。(それに島の人々に甘えてノコノコ出かけるのだが、受け入れてくれるだろうか)私にはペンしかないんだ。行って見なきゃわからん、と持ち前の行動学にたよって出かけていくのだが。
 フランスでは、チャリティコンサ−トの中で音楽でも表現できないことをコトバが表現する、といって宮沢賢治の雨ニモ負ケズを仏訳して朗読してたけど。コトバは表現の技術に支えられた精神・思想であって、これだけは伝えたいという、それ以前の心をしぼる感覚、ドキドキ、ワクワクなどいろいろ、があれば下手も上手もあるもんかと思う。これが表現の技術に支えられて、とどくコトバになると。
 SMAPの香取シンゴ君が「婦人公論5月7日号」でこんなことを書いている目の前の小さな事から一人ひとりが行動していけば大きな力となる≠ニ。これから具体的な行動による表現があるでしょう。これからがわが街レポート≠フ出番だ。巷の小冊子として。私はそれこそ目の前の小さなこと、として金なんて全てでない、と思いつつも必要だからされどカネ≠ニいうところ。
 昨日、雷門の前で人力車の女性の車夫さんにつかまって、女性だったから、つい、ソクインの情にほだされ30分5000円で乗っかってしまい、(この女性、イバラギ出身という)、それがすべて狂ってしまい、いまや所持金200円。水しか買えない、水腹で新幹線に乗ることになる。たかがカネ、されどカネ≠ニいうところ。これをひつこく言うとなぐられそうだから、この辺で。
 上野公園の入口に色んな人が並んで腰かけている。ホームレスやら、学生さんやら、本を読んでいる外国人やら・・・、こういうのは大阪の新世界にはないネ。ただ食欲と破壊力だけあるみたいだけど。それだけにイヤラシサが目立つこともある。
 浅草はオモシロイ。浅草寺の周辺の空地でペタンと座りこんで、なんやら買い食いしている老若男女、子ども。仲見世通りをいっぱいの人が食べながら歩いている。伝法院通りにはテントの店がびっしり並んでいて、掘り出し物がありそうで、戦前の大阪の日本橋かいわいも、古本と古着の店がびっしりだったとか、こんなふうだったのだろうと想像する。こういうのは大好き。大阪商人の魂の出所みたいに思う。戦争にも震災にもめげぬ大阪商人の心意気みたいなものは今でも残されている。いまに新たな形での復活があろう。
 東京の各駅では夕方5時過ぎると動かなくなるけど、若い男女がやさしい。重い私の荷物をもって階段の上り下りしてくれる。それが過剰でもなく、過少でもない。快い親切さだ。大阪はやりすぎのところもあって泥くさい。過ぎたるは及ばざるが如し=Bしかし東京の人は個人主義的。犯しあわないのは好ましく快適だけど、つながりをもつにはチョッとむつかしそう。
 しかし、上部機構の人々とわれわれ庶民というか国民というか、私どもとはちがった歯車で動いているようだ。東日本震災以後、国民同士わかりあえる部分が広がったようだけど、(痛みの共有をめざすから)出発点にすぎず、これからが大変。
 私は点が集まれば面となる≠ニかオーケストラのように=i個別を包摂した全体)というのを目指してきたし、生涯貫きたいと思っています。その中身は? こんなこと書いて、ガンにさわるカナ? 写真送るから待っててください。生きててよ。
2011・5・1 東京駅にて  宮森常子

(おまけ)
 けわしい山の岩かげに咲く花でありたいよ。日常性を重視しつつも、やはり旅や行為にあこがれる。こりゃどういうことかいな?案内へ戻る


編集あれこれ

 本紙前号5ページで紹介している石橋克彦氏の原発震災について、「1977年に言い始めた」とあるのは、1997年の間違いでしたのでお詫びし、訂正します。なお、そこで石橋氏が御用学者として批判している小佐古敏荘氏が、「校庭での放射能被曝量年間上限20ミリシーベルト」という数値に抗議して内閣参与を辞任しました。その判断は正当であり評価すべきものですが、これまでの発言や行動について反省することなく、批判的立場に乗り移るのは無節操のそしりを免れないでしょう。「週刊現代」(5月21日号)はこの点、次のように紹介しています。
「今回の事故以前は、小佐古氏はいわゆる原子力村≠フ住人と見られていた」「『小佐古氏は私が原告側の証人に立った原爆症認定集団訴訟において、国側の証人として裁判に何度も出廷していました。裁判の過程でわかったことですが、彼は電力会社に頼まれ、原発の安全性についてこれまで何度も講演してきていました』(沢田昭二・名古屋大学名誉教授)」「実際2002年の5月16日、『原子力安全エネルギー月間』のため、福島第一原発で所員を相手に特別講演を行っている」「そんな人物が100枚もの報告書を叩きつけ、涙の辞任をした。原子力村の住人でさえ黙っていられないほど、政府の放射線被害対策はお粗末だということだろう」
 ちなみに、4月26日付「週刊金曜日」(臨時増刊「原発震災」)では、原発文化人≠ニして多くの著名人の名があげられています。そのなかで、私が特に許せないのが星野仙一楽天監督です。彼は関電のイメージキャラクターとしてテレビに登場し、「僕も時には熱くなる男だけど、地球がこれ以上熱くなったらかなわんね」と言って、地球温暖化対策に役立つとして原発の宣伝をしていたのです。
 その星野氏が金曜日のアンケートには無視を決め込み、被災地に元気を与えるなんてどれほど厚かましい人間なんでしょう。もっとも、こうした人たちに反省を求めること自体、無駄なのでしょう。佐高信氏の批判は常に辛辣です。「『芸は売っても身は売らぬ』が芸者の心意気とされた時代があったが、ここに挙げた原発芸者≠スちは、売る芸がなかったから身を売ったのか。恥知らずな者どもである」(同誌「電力会社に群がった原発文化人25人への論告求刑」)」
 この臨時増刊には、今は亡き高木仁三郎氏の1998年の論稿「負の財産<vルトニウムにしがみつく日本政府」も掲載されています。そこでは、福島第一原発3号機で実施されているプルサーマル(MOX燃料の軽水炉利用)はいかなる利点もないと指摘されています。
「プルトニウム分離とMOXの軽水炉利用という路線のデメリットは、核燃料の直接処分の選択肢に比べて圧倒的であり、それは、産業としての面、経済性、安全保障、安全性、廃棄物管理、そして社会的な影響のすべてにわたって言える。換言すれば、プルトニウム分離の継続とMOXの軽水炉利用の推進には、今や何の合理的な理由もなく、社会的な利点も見出すことができない」(MOX燃料の軽水炉利用の社会的影響に関する包括的評価)
 また、前号「色鉛筆」で浜岡原発を止めようという若者たちの取り組み、菜の花パレードが紹介されていました。関西においても、大阪や神戸のデモに若い人たち、幼児を連れた家族での参加が増え、このところ一段と高齢化が進んでいた集会やデモがうれしく様変わりしつつあります。4月20日付文部科学省の「放射能を正しく理解するために」には、年間20ミリシーベルトまでなら「これまで通り、普通に生活しても支障はありません」、放射能の遺伝的影響は「これまで人間(広島、長崎の原爆被爆者や核実験被爆者、チェルノブイリなどの原発被ばく者を含む)で見られたことがありません」、放射能の影響そのものよりも心理的ストレスの影響のほうが大きい、などでたらめが書かれています。
 その極めつけは、「不確かな情報や、人のうわさなどの風評に惑わされず、学校から正しい知識と情報をもらって、毎日、明るく、楽しく、仲良く、安心した生活を送ることが心身の病気を防ぐ一番のよい方法です」という結論部分です。もうこれは犯罪です。若い人たちがおかしいと思い、脱原発に目覚めるのも当然です。
 それから、10ページに道上洋三氏が「被災地福島の米を食べよう」という呼びかけを行っていると紹介されていました。これも関西限定だと思いますが、朝のラジオ番組「おはようパーソナリティ道上洋三です」で、毎日原発は安全だ≠ニ言っていたということです。私は直接聞いたことはないし、今はもう確かめるすべもありませんが、これなども電力会社によるマスコミ買収≠フ一コマだったのでしょう。  (晴)案内へ戻る