ワーカーズ615号 2021/2/1
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《バイデン新政権誕生》〝分断の融和〟だけでいいのか――報われざる者どうしの連帯へ――
先月20日、バイデン新大統領が就任した。《米国民の分断》や《米国オンリー》から《国民融和》《同盟関係の回復》を掲げての新政権発足だ。
その就任式の場にトランプの姿は見えなかった。欠席したのだ。ワンマン・オーナー経営者の習性として《おまえは首だ!》と言い放つだけでよかった立場から、他人を讃えるだけの場の片隅に立っていることなど、考えられなかったのだろう。去りゆく大統領としては子供じみた態度だった。
とはいえ、トランプの《米国オンリー》という旗印には、一面の正当性はある。〝世界の警察官〟の役割を背負っていけなくなった自己認識、それにグローバリゼーションのただ中で〝見捨てられた存在〟に光を当てたこと、である。
が、〝ラストベルト地帯〟の白人ブルーカラーが見捨てられてきたのは、トランプがいうように、外国や移民・難民のせいではない。格差社会の深まりと同じで、グローバル資本主義の陰の側面、利益至上主義の資本主義の一つの結果なのだ。
トランプの《米国オンリー》という旗印が一面的だったのと同じように、バイデンの《融和・結束》という政治もまた、一面的なものでしかない。GAFA(超巨大IT4企業)をはじめとした一部の巨大資本だけが飛び抜けた膨張をし、利益・果実を独り占めにしているのが実情だからだ。〝富める1%対それ以外の99%〟という分断線の克服は、今も米国の第一級の課題なのだ。
人種や女性などマイノリティ重視の人選をしたバイデン政権。それでも、既得権者からの独立性には疑問符が指摘されている。バイデン政権には、ウォール街や軍需産業に関わる閣僚もいるからだ。大統領上級顧問に指名されたセドリック・リッチモンド下院議員は、複数の石油・ガス企業から政治献金を受け取っている。また、黒人初の国防長官に指名されたロイド・オースチンは、軍事会社大手のレイセオン・テクノロジーの取締役だった……。
そんな中、コロナ感染拡大による戦後最大の経済の落ち込みのただ中で、米国でも日本でも株高だけが進行している。米国では史上最高値を更新して3万ドルの大台に乗せ、日本では30年ぶりの28000円台の株高だ。コロナ後の復興期待値だとはいえ、まさに緩和マネーによる株高狂騒曲だとしかいいようがない。
この緩和バブルのさなか、格差拡大で今日の食事にも事欠く生活困窮者の激増が深刻化する中、一部の富裕層の資産だけが膨れ上がっている。たとえば、米国のトップ1%の所得が占める割合が、70年代には全体の1割程度だったものが、昨年20年には18・9%と全体の2割近くまで膨れ上がっている。また直近の調査では、今回のコロナ禍で大富豪650人余の資産が約1兆ドル(約104兆円)膨らむ一方、貧困層は800万人も増えたという。この20間年、あるいはコロナ禍の昨年だけでも格差拡大は深刻化している。異常でいびつな構造だ、としかいいようがない。
忘れられた〝ラストベルト〟のブルーカラーや貧困層に追いやられる労働者は、《生き抜いていく》ためにも《融和》するためにも、今こそ団結して収奪者と闘う場面ではないだろうか。(廣)
不毛な二者択一の政治を超えでなければ 米国国民の前進はない
大統領選挙では「敗北」したとはいえ票の半分を獲得したトランプ。ところが、結果を受け入れず不正選挙だとして熱狂的トランプ支持者をあおり続けた。これらの結果一月六日の議会乱入事件を引き起こし五名が死亡した。「分断の米国」を確かに象徴した事件だ。これによって、トランプへの警戒感は共和党内でも高まり、国民的人気も急落したと・・と報道がなされた。議会で弾劾されることがあれば、政治家としては再起不能となる。
他方バイデンは卒なく「国民の団結」「国際的な融和政策」を前面に押し出して、前政権との違いをアピールした。コロナ対策に力を入れ、移民への厳しい措置をやめると。パリ協定への復帰やWHOへの復帰を早々に決めた。TPPやイラン核合意への復帰もありうるのかもしれない。各国政府は胸をなでおろしている・・という報道もあふれている。
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しかし、そもそも米国の分断はトランプが造ったわけではない。民主・共和そして歴代大統領が米国巨大企業への利益誘導政治の積み上げがその根底にある。米国が世界有数の格差社会であることはよく知られている事実だ。エスタブリッシュメント支配による政治は強固にアメリカ社会に根を張っているばかりでなくさらに拡大している。国民の怨嗟の声は勢いグローバリズムに向かい、米国市場に食い込んでいる中国やEU・日本にも向かったのである。つまり「彼らに仕事を奪われた」と。
彼らを叩き、非難するトランプ。海外に流失した仕事を米国内に還流させるというトランプ。貧困者への一定の減税を実現したトランプ。古き良き時代をまもり復活させようとするトランプ・・・グローバル化や資本主義の激しい浮き沈みに翻弄され続けた庶民にとってトランプはヒーローであったのは間違いない。彼の巨額な個人的資産や嘘八百も、差別的言動も、苦難する民衆からすればさほど気にならなかったのだ。
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再度明確にしなければならない。分断をつくり、格差をつくり広げる政策に手を貸したのはトランプというよりも、歴々の大統領でありオバマであり、バイデンでもあるのだ。トランプは、国民的不満を票として「盗み」大統領になっただけであり、そして何事もなしえないで退場したということだ。格差や分断はそのままに残されたのである。米国の政治は、不毛な二者択一の域を超えでなければならない。(文)
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感染防止に逆向きの政策に巨費を投ずる政府・・・スガ利権政治を一刻も早く打倒しよう
政府の対応は、依然として悪い。いや、ますます支離滅裂でさえある。
コロナという特殊な感染症対応が困難とはいえ、すでにやるべきことは何か、ダメなことは何かが明確である。社会を動かしながら、つまり、経済や社会の根幹を支える労働や教育を継続する環境を整えながら、社会のマンパワーで感染症対策や窮地に陥った人々を救済してゆくことである。さらに、感染者の重篤リスクもまたとっくに明確になっている。守るべき人々を守り、やるべきことをやりながら、治療薬やワクチン開発などもすすめるべき、である。
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他方、社会的に見て不急不要な職種や労働は制限せざるを得ないのである。このケースでは、規制に見合った「補償」をすべきであり、そのことは去年春からも指摘され、声高にさえ国民から要求されてきた。ところが、安倍政権そしてスガ政権は、ますます利権の政治を強めてさえいる(これは二階などの派閥政治と直結し、スガの権力保持のための醜い政治だ)。GOTO政治は、観光業界利権の最たるものである。関連会社・企業に金を配ることである。本当に必要なことは、労働者の雇用を守り、収入を守ることであるのに。そして、この国費を費やしたGOTO事業は、まさに不要不急のもの。冬場でのコロナ感染の拡大は主に寒さであることは間違いがない。しかし、GOTOが、この感染拡大を促進したことも確実だと思われる。こんな、感染防止に逆向きの政策に巨費を投ずる馬鹿さ加減はもはや国民にも見透かされたであろう。世論に押し切られる形でGOTOを一時中止したが、この政権の本質はバレバレだ。スガ政治を一刻も早く打倒しよう。(アベフミアキ)
ツボを外すコロナ対策!――菅政権のふたつのミスマッチ――
年末年始からの新型コロナウィルスの感染拡大が止まらない。正月休みを利用した帰省などで県境を越えて人の往来が増えた結果だろう。とりわけ東京を挟んだ一都三県の増加が目立っている。
政府はこうした事態を受け、二度目の緊急事態宣言の発出に追い込まれた。新型コロナ特措法などの改定では《命令と罰則》ばかり先行しており、菅政権の迷走は続いている。
◆医療崩壊?
新型コロナ感染者は昨年末から急増し、1月7日は6000人を越え、1月9日の7855人をピークに、1月23日まで5000人以上の感染が続いた。1月半ばで17日間も5000人越えしていたことになる。東京圏(一都三県)だけで全国の約半数の感染者が出ている情況だ。
感染者が急拡大するにつれ、首都圏や関西圏を中心に医療崩壊が指摘されるようになっている。現に、感染者で自宅療養する人が急増加し(東京だけで1月14日の段階で8837人)、またどこの医療施設に収容するのかを調整中で自宅待機中の人が急増している(同6575人)。その結果、自宅で急変して死亡するという痛ましい事例が続発した。また、どの感染者を医療施設に収容するか、どの患者に人工呼吸器を装着するか選別せざるを得ないという、いわゆる「トリアージ」がすでに始まっている事態だともいわれている。まさに、医療崩壊が始まっているといわざるを得ない。
医療崩壊が指摘されるようになった原因は、はっきりしている。重傷者が入院できる病院・病床の不足、軽傷者や無症状者を収容する経過観察や搬送がしやすい宿泊施設の不足だ。
日本は、欧米に比べて感染者数や死者数が桁違いに少ない。政府やメディアの一部では、クラスターを追いかけて感染者を隔離する日本の新型コロナ方策が奏功していたこと、生活習慣の違いやBCG接種の実施率など「ファクターX」の存在の可能性も含めて、世界に対して誇ってきた経緯もあった。
また日本は人口あたりの病床数が、世界で最も多い国だという。医師の数も多い方の部類に入るという。一時前までは、日本では医療崩壊など起こらない、等という議論もされてきた。そんな日本でなぜ医療崩壊と言われる事態に陥らなければならないのだろうか。
◆《命令と罰則》先行
そんなかで政府が持ち出したのが、特措法改定での営業時間短縮などでの命令と過料の適用、感染症法改定での入院拒否者の対する懲役・罰金刑の導入だ。
何かの勘違いではないだろうか。いま問題になっているのは、感染者の入院や宿泊施設への収容ができないことだ。入院拒否者が問題になっているのではない。営業短縮にしても、十分な補償があれば命令や罰則なしでも協力は得られるのだ。
休業補償にしても、従来の持続化給付金の他に時短営業への協力金が一日あたり4万円から6万人に増額された。が、対象が一律だという。個人経営の店舗も、従業員が100人規模で働いている店舗も同じ6万円だという。そんなことで店舗の営業時間短縮が徹底されるのだろうか。政府は、徹底されない可能性があるから、罰則規定が必要なのだという。それ以前に、安心して時短営業に協力できるだけの店舗規模に見合った補償をすることが時短営業の徹底に繋がるのだ。首相や担当大臣はもとより、都知事も盛んに営業自粛や行動変容を叫んでいるが、政府や都知事がやるべきなのは、早急な医療提供体制の拡充が最優先ではないだろうか。まったく、やることがミスマッチだという以外にない。
◆予測可能性
政府による《命令と罰則》先行のコロナ対策だが、なぜそうなるのか。要するに、「平時」に対する「非常事態」だという認識なのだ。「平時」や感染者が少ないときは、既存のキャパシティ(収容能力)で可能な範囲で対処する、感染者が急拡大して、通常の医療が提供できなくなったら、感染者を抑えるために《命令と罰則》で押さえ込む、こういうことなのだろう。そうではなく、むしろ「平時」に対する感染拡大の「予測可能性」が、キーワードといえるのではないだろうか。
新型コロナ感染症では、過去の経験から第1波、第2波、第3波という流行の波があるとされてきた。その規模感でも参考事例がある。南北米大陸や欧州だ。感染が大規模に膨れ上がる可能性も見据え、そのときに備えた準備を怠りなく手配する。それが「予測可能性」に対する備えになる。それにもかかわらず、日本では先行きの感染拡がりに備えてこなかった。その結果が、日本での医療崩壊なのだ。感染拡大でも医療崩壊でも、やるべきことをやってこなかったつけが、今回ってきたのだ。
欧米に比べて感染者数や死者数が桁違いに少ない日本で、なぜ医療崩壊と言われる事態に陥らなければならないのか。その理由を一言で言えば、PCR検査を増やさないことも含めて、政府や専門家による分科会、それに自治体も含め、既存の医療提供体制の枠組みを前提とした対策に終始してきたことにある、と言わざるを得ない。
中国の武漢市から拡がった新型コロナ感染症。そのとき中国では武漢のロックダウン(都市閉鎖)と大規模な臨時の新型コロナ専門病院が急遽作られたことが大きな話題になった。(昨年のワーカーズ5月1日号)中国は中国で批判されるべきことも多いが、それからほぼ1年、この間日本は何をやってきたのだろうか。
今、感染急拡大と医療崩壊の声の中で、医療スタッフの確保も含めて新型コロナ感染者専用の臨時病院・病棟がほんのわずかしか建設・準備されていないことに愕然とする思いだ。予約が少なくなったビジネスホテルの確保や、看護師資格保持者への期限付きの雇用、失業者と新規求人でのマッチング(CA等の出向の事例もある)など、やるべきこと、やれることはいくらでもあったはずだ。
医療の専門家は、中小、民間病院でのコロナ患者用の病床づくりがむずかしいという。既入院者の転院の難しさ、院内感染の可能性、医療機器の未整備などだ。確かにそうだ。だとしたら、仮設でもいいから大規模な専用病院や病棟をつくり、診療控えで減収の中小・民間の病院から医師や看護師など期限付きで派遣し合うとか、素人でも考えられることはいくらでもある。建設資金なども今年度の三次にわたる70兆円規模の補正予算があれば、いくつでも建設できるだろう。
要は、政府・自治体関係者、あるいは感染症の医療関係者も含めて、既存の物的・人的資源を前提として、その範囲内で医療体制の整備を考えてきただけなのだ。この点ではとりわけ政府や自治体という政治や行政の責任が重い。医療従事者が余裕を持って医療に従事できるだけの態勢を作り上げることこそ、実のある医療支援になるのだ。
◆二つのミスマッチ
政策のミスマッチという点では、GoToキャンペーン、なかでもGoToトラベルの開始は象徴的なものだった。本来は感染症が終息した後に始めるとされたGoToトラベルは、まさに感染の第二波が始まる直前の7月に開始された。それがその後の感染拡大と場当たり的な対処に直接繋がってしまったわけだ。
もう一つのミスマッチは、店舗の営業時間短縮など感染防止対策での《要請と補償》であるべきところを《命令と罰則》で徹底しようとすることにある。コロナ特措法や感染症法の改定では、それが露骨だ。今回の改正案は、改憲での《緊急事態条項の導入》を先取りするという疑念も払拭できないが、それはさておき、自らの失態を生活者への《命令と罰則》で乗り切れると考えること自体、大きな勘違いというべきだろう。(廣)
保健所職員増やして組織的な感染症対策の再構築を
今では、毎日数千人単位で感染者が増えている。感染相談や感染情報はその数倍にはなるだろう。このおびただしい情報を「入口」でさばき、その後は感染現場となった事業所や家庭を管理・指導・相談する保健所がオーバーワークになることは想像に難くない。
私の職場でも、約一年の間にバラバラに数人のコロナ感染者が出た(それぞれ集団感染にはならなかった)、その対応は保健所が一手にやる。彼らに聞き込みや検査・調査等の判断がゆだねられる。私たちはその指示を頼りに行動した。彼らは検査の範囲や消毒作業の有無や範囲も判断しなければならない。冬場の感染拡大時期を迎えこれではキャパシティーオーバーは、必至のところであろう。
一部の声には、感染症法の二類感染症相当扱いをやめ、季節性インフルエンザと同じ(五類)にしろとの声もあるが、これは素人目にも問題だ。理由は、日本のように比較的被害が深刻でない国でも、年寄りや基礎疾患者中心に重体者が出るし、死者も出る。若者でさえ後遺症に苦しむケースもあると聞く。現時点で二類相当扱いを中止するのは正しいとは思えない、危険である。むしろ運用(入院義務など)の柔軟化で当面対応する方向が妥当ではないのか。
したがって、保健所のひっ迫を救うのは、人員を確保しさらに拡大するしかない。公務員を増やせ、である。大阪維新の会のように削るのは論外である。大阪の今のコロナ禍惨状は維新による積年の医療・保険・福祉切り捨てと相関しているのではないか。真逆の政策こそ求められているのだ。全国レベルでも1991年から2018年の間に、全国の保健所は45%、職員も19%減った。まさにその弱点がコロナ下で露呈したのである。
制度の再確立を中長期の戦略としてしっかりたてるべきだ。(阿部文)
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飲食接客業と保健医療のワークシェアリングを!
●長期化の様相
新型コロナウィルス感染は第三波の拡大が止まらず、再度の緊急事態宣言が発出されました。欧米では、感染力の強い変異株が猛威を振るい始めています。
第一次大戦時にアメリカ南部からヨーロッパへ、そして日本へも拡大したスペイン・インフルエンザのパンデミックが、三年余も続いた歴史を踏まえるなら、今回も長期化するのは想定せざるを得ないと考えられます。
従って、その対策も中長期的な視野で立てる必要に迫られています。
●両極端の危機
一方では自粛要請により、飲食店、夜の接客業、旅行業、宿泊業で、利用客が激減し、スタッフの多くが働く機会を削ぎ取られ、生活出来ない状況に追い込まれています。
他方では保健所、衛生検査所、病院で、患者の受け入れで現場は溢れかえり、過酷な勤務で過労死寸前の状況に追いやられています。
この両極端の危機は、一時しのぎの給付金や慰労金の支給では、もう乗り切るのが厳しいことは明らかです。
仕事の激減した飲食・接客業のスタッフに、その雇用関係を保障しつつ、人手が圧倒的に不足する保健所のサポートに回ってもらい、きちんとした労働環境を保障するなど、抜本的なワークシェアリングが求められているのではないでしょうか?
●コミュニケーション能力
スナックやバーの接客スタッフというと、保健・医療の世界と縁遠いようなイメージを抱きがちかもしれませんが、決してそんなことはありません。
彼ら彼女らは、お客様の仕事、家庭、趣味、性格を素早く察して、気持ち良くひとときを過ごせるように、日頃から高いコミュニケーション能力と、幅広い社会的、文化的教養を身につけるべく、研鑽に励んでいる人が多いのです。
専門的知識のある保健師と、情動能力の優れた接客スタッフがペアで対応して、不安な気持ちで問い合わせてくる市民を適切に誘導することは、大いに可能だと思います。
●部門の垣根を越えて
つい最近、中京圏の製造メーカー同士で労働者の出向が始まりました。航空機部品の需要低迷で、このままでは整理解雇になりかねない企業の労働者を、自動車部品の増産で人手が足りず、このままでは長時間労働が必至の企業が、出向を受け入れ始めたのです。
航空部品業界と自動車部品業界という垣根を超えて、雇用と生活を守る工夫をすることは、雇用調整金や時間外勤務手当などの一時的な支給に比べたら、はるかに前向きではないでしょうか?もちろん、畑違いの現場に転換させられる労働者のストレスは、決して小さいものではなく、研修や労働条件のきめ細かい保障が求められます。
この事例に学んで、飲食接客業の業種組合と保健所を管轄する自治体とが提携し、責任を持って出向の仕組みを作ることは、大いに可能なことではないでしょうか?
●このままでは命が
パンデミックの長期化を想定せざるを得ない今、短期の収束を前提としたGoToキャンペーン政策では、現場の破綻は目に見えています。
一方で、先の見えない自粛と乏しい給付金で、ズルズルと仕事を失い、生活苦と生活不安から自殺者の増加に歯止めがかからないばかりか、他方で、コロナ患者受け入れで長時間過密勤務で過労死に至る危険性が、目の前に迫っています。
このままでは、患者の命が救えない!街のスタッフの命が救えない!保健医療スタッフの命が救えない!命を救うワークシェアリングを!(冬彦)
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辺野古に自衛隊「水陸機動団」常駐の密約・・・沖縄県民をだました陸自の暴走を糾弾する!
■辺野古基地は「米軍基地」のはずであったが、実は和製海兵隊である水陸機動団の駐屯地にすることにすでになっていた。日米合同使用だ。「沖縄タイムス」が報道したこの密約の内容も危険だが、軍部の意思決定プロセスは、今や軍部独走と形容すべきものだ。これは許しえない沖縄県民のそして、国民に対する裏切り行為だ。日米軍当局による「密約」は、もちろん国会で問題にもされず、安保法強行採決の年にその陰に隠れた軍部の独走だった。自衛隊は、自民党や政府にさえ情報をコントロールしつつ軍事的な決定を独自に始めていると言わなくてはならない。ノー天気な対米従属論者である天木直人氏ですら覚醒をせまられている。
「(これまでは)米国に無理難題を言われて、国民にそれを知らせるのがはばかられるので、隠そうとしたものと相場は決まっていた。・・ところが、今度は違う。これまでの日米密約と違って、積極的に米軍と密約を交わしていたのである。しかも防衛省全体の決定ではないというのだから、明らかなシビリアンコトロールの逸脱だ。・・辺野古移設を強行することを前提にした密約だ。そしてその目的は中国との交戦である事は明らかだ。」(天木直人のメルマガ)
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■日本政府は「普天間返還は日米の合意」「辺野古基地建設が唯一解決策」と壊れたレコードのように繰り返しをしてきた。今、ことの真相がようやく明るみに出たのだ。事実の流れがこの密約(の露見)で示されたのである。つまり日本政府こそ「辺野古基地建設」を推進してきたのだ。
理由は、自衛隊の「敵基地攻撃」戦力を沖縄本島にも駐屯させるためにだ。さらに将来、完成のあかつきに辺野古基地は自衛隊の「専用基地」となる計画があるからだ。米国に押し付けられて弱腰の日本政府が巨額の建設費を出させられた、というのは対米従属論者の妄言にしかすぎない。すべては日本軍の対中国(あるいは北朝鮮や対韓国)への軍事的対抗手段として計画されたのである。
だとすれば、滑走路が短くて米軍の長距離爆撃機やまともな攻撃的戦闘機も飛べず、空母も寄港できず、米軍基準では使い勝手が悪くアジア戦略の拠点にはなりえない辺野古基地を日本政府が一生懸命作ろうとしている理由が分かろうというものである。種を明かせば少々手狭な辺野古基地設計はそもそも自衛隊仕様なのである。短い滑走路もF35-Aやオスプレイならば飛べるのである等々。
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■しかし、冒頭でもふれたように政府=自衛隊も一枚岩ではない。いわんや安倍・菅内閣の外交軍事政策を信頼しているわけでもない。陸自出身の元防衛相・中谷元は、難工事と巨費の支出が見込まれる「辺野古基地建設の見直し」を語り、さらに米国からのアメ製武器の大量導入に異議を唱え、独自の武器産業育成を主張して政府・自民党の安全保障政策を批判さえしている。(中谷・元防衛相に聞く、イージス・アショア配備撤廃の「内情」 | DOL特別レポート )「安倍一強による政治主導」の安全保障政策に対して、軍部(さらには軍需産業)の巻き返しがすでに動いている。次期主力戦闘機開発は三菱重工が、米国の軍需産業を下請けにして開発・製造することが去年決まったことも注意すべきだ。
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■「自衛隊の辺野古駐屯」の報道に沖縄県民からは憤りや批判が噴出した。「沖縄戦同様、沖縄を本土防衛の『捨て石』にするつもりだ」と。オバマが進めさらにトランプが露骨に主張したように、米軍の撤退は今後も歴史的に続くほかはないのである。「中国脅威論」をあおるならば、結論はただ一つであり、つまりは自衛隊の軍備増強であり、実戦配備の拡大なのである。戦う軍隊となり米軍の「代替え」として南西諸島はもちろん、辺野古かどうかは別にしても沖縄本島でも拠点づくりが始まるのは必至なのである。そしてそれは現実に進められていたのだ。
軍部、特に陸自は、時には政府の無知に乗じ、あるいは親中外交に回帰しそうな「自公政治」が煮え切らないといらだちを強めつつ、時には政治の頭越しに物事を進めることが目立つ。今回の密約もそうだが、スガ内閣がとりわけ軍事音痴で、対中経済関係を重視する中、素知らぬ顔で「敵基地攻撃能力(=海外軍事展開能力)」のための総合的戦力の獲得に専念していることにも危惧を禁じ得ない。軍を政治的に制御しようとする姿勢が現政権には見られないのだ、まるでアンタッチャブルだ。
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■「新基地に自衛隊を配備する計画があるという。事実なら、長く続く辺野古問題の性格を一変させる重大なニュースになる」(沖縄タイムス)。この重大な情報は権力中枢でしか知りえない。何者かがリークしたという可能性もある。内部抗争なのだろうか?あるいはスガ政権への嫌がらせか。そしてスガ内閣が退陣すれば、軍部は政治中枢にゆさぶりをかけうる陰の力であることを意識するかもしれない。(文)
読書室 小西一雄氏著『資本主義の成熟と終焉: いま私たちはどこにいるのか 』桜井書店2020年12月刊行
○資本主義はその発展と「成熟」の果て、生産力を発展させる歴史的役割を終えつつあるが、その役割の「終焉」にもかかわらず現実には依然として存続している。そしてこのことが2つの破壊、自然の破壊と社会の破壊を現出させているのである。だがこの現実の中に着実に「利潤原理を逆転させた社会」(RPP)生み出しつつある。本書は、現在の日本とアメリカの資本主義の分析を通して資本主義の現段階の歴史的特徴を明らかにしながら、ポスト資本主義社会、つまりは今後来るべきRPP社会を考えている○
時代を画する時に名著が生まれるというのは本当のことである。本著の構想は2年前に出来上がっていたが、コロナパンデミックに直面し深く自問することになり、それが構想を鍛え、構想の幹の部分を浮かび上がらせた、と小西氏はあとがきの中に書いている。
著者の小西氏は、これまでは他著者との共著が多く、単著は2014年の『資本主義の成熟と転換』だけだったので、一般的には余り知られていない。しかしマルクス経済学者の中では極めて数少ない経済・金融の現状分析を専門とする、実に貴重な学者である。
小西氏が影響を受けた人物として本人が紹介するのは、院生時代の指導教授の三宅義夫氏、博士課程時代の指導教授久留間健氏、さらに直接ではないものの様々な教授を受けた大谷禎之介氏の3人である。彼らから小西氏は『資本論』の読み方を学んだ。そしてこの3人に強い影響を与えたのは、『マルクス経済学レキシコン』の編集で知られる久留間鮫造氏である。短期間ながら幸運にも小西氏はその謦咳に接することができたのである。
さて本書は『資本主義の成熟と転換』に続いての第2作目の単著である。前著との違いは2つ。1つは前著は研究者対象だったが、本書は広汎な市民を意識したもの、ともう1つは、前著では分析のプロセスを重視したが、本書は分析結果の展開を心掛けたこと、だ。
小西氏が本書で追究したのは「利潤原理を逆転させた社会」(RPP)で、最近流行の持続可能な社会とか持続可能な開発目標(SDGs)とは別の概念である。SDGsの目標の1つに「働きがいも経済成長も」があるが、「利潤原理を逆転させた社会」とは資本主義的成長の原理である利潤原理を相対化し、逆転しなければ達成されない社会である。
小西氏は、本書において現在の日本とアメリカの資本主義の分析を通して資本主義の現段階の歴史的特徴を明らかにしながら、今後来るべきRPP社会を考えたのであった。
ここで本書の目次を紹介して、本書の構成を確認したい。
目次
はしがき
序 章 コロナパンデミックと「成長信仰」を考える
第一章 成熟段階にある日本資本主義
第二章 分裂するアメリカ資本主義
第三章 資本主義の行き詰まりとしての「金融化」現象
第四章 資本主義のフロンティアとしての「デジタル化」とその限界
第五章 ポスト資本主義社会の足音
終 章 いま私たちはどこにいるのか:「社会革命」の時代
コラム インフレーションの話
補 論 歴史としての資本主義
あとがき
紙面の関係で多くは語れないが、本書の核心部分は第三章から終章であり、それらは起承転結として読むことが出来る。すなわち資本主義の行き詰まりにより「金融化」現象が現出するが、実際主流派経済学ではこの「金融化」現象を資本主義の発展、新たな収益機会の増大と捉える。だがマルクス経済学ではその逆に、現実資本の蓄積の停滞の反映と捉えている。なぜなら金融収益とは、そもそも所得の再配分にすぎないからである。
つまり今日の金融取引の増大は、資本蓄積へ向かえず行き場を失った資本が貨幣資本として動き回る他はない事態の反映である。その中で資本主義のフロンティアとして経済の「デジタル化」が進行していく。「デジタル化」とは、現代資本主義の発展の技術的基礎をなしている。それゆえ資本主義に新たな活力を与えたことは疑いようがない。「デジタル」技術はその汎用性ゆえに生産、流通等、生活のあらゆる所に浸透する。そして新しいビジネスモデルを構築し、世界市場の拡大と深化を引き起こす。それは労働のあり方と生活様式を大変革した。まさに資本主義のフロンティアである。
だが「デジタル化」は、一方で膨大な設備投資を必要とするものの、他方で雇用を増大させるよりも削減指向である。つまりその資本主義的利用は矛盾そのもので早晩限界に突き当たる。かくして現実には「社会革命」の時代―「利潤原理を逆転させた社会」(RPP)を着実に招き寄せるものになるのである。
第三章資本主義の行き詰まりとしての「金融化」現象の分析には、練達の金融学者としての小西氏の鋭い着眼点が光る。さらに第四章資本主義のフロンティアとしての「デジタル化」とその限界を叙述した章は、本当に素晴らしい叙述の一言に尽きる。実際にも、彼以外のマルクス経済学者がここまで深く詳細に記述した経済書はほとんどないであろう。
第五章は終章へ向けての問題提起の章である。それゆえ「ポスト資本主義社会の足音」と題され、ここで重要なのは「アソシエーションの萌芽―賃労働者とはなにか」の箇所である。小西氏は賃労働者とは何かを定義し、アソシエーションとは何かを説明する。
すなわちマルクスはポスト資本主義社会、つまり未来社会のことを社会主義や共産主義と表現することもあったが、多くの場合、それをアソシエーションと表現したのである。
個別企業単位や業界団体、地域や公的機関レベルの様々な組織が、アソシエーション=「自律した諸個人の連合体」として組織されていること、そしてそのアソシエーション群が市場によるコントロールにかわって理性によるコントロールによって経済社会を調整している姿、これがおそらくマルクスが描いていた未来社会像に近い姿である、と小西氏は結論する。そして大谷氏の『マルクスのアソシエーション論』を紹介するのである。
本書の結論となる終章「いま私たちはどこにいるのか:「社会革命」の時代」は、補論歴史としての資本主義と1セットのものであり、それゆえ両方の熟読玩味が必要となる。
日米共に解決不能な格差と貧困が拡大している。「デジタル化」の積極面は未来社会の物質的基礎を準備してはいるが、その資本主義的利用は逆に格差と貧困を一層拡大させている。このように現実に利潤原理と市場原理を相対化しつつ、労働のあり方を変革する諸契機が資本主義の胎内で育まれているのだ。この事実を私たちは努々忘れるべきではない。
一方で「成長至上主義」とトリクルダウンの思想が人々を捉え、労働運動の弱体化を呼び「自己責任」論を蔓延させたが、他方で日本経済の閉塞感は一層強まり、この間自公が主導した種々の「改革」は安倍長期政権の下で明確に「反動」へと転化したのである。
こうしてMMT理論あるいはその類似政策への幻想が生まれてきた。リフレ派の高橋氏らや左派の松尾氏が主要論客である。だが端的に言えば、富は紙幣の輪転機から生まれるとの理論は、一切の経済学を否定するものであり、本来ならまったくの暴論である。
この理論が急浮上してきた背景にはコロナ不況がある。リーマンショックを経て不況の底にある日本経済に突如襲ったこの不況、対処困難な状況に対して財政出動以外に一体どんな有効な手立てがあるというのだろうか。その意味で生活と営業を守るためには財政出動の「正当性」は明白である。だからといって財政出動がもたらす後遺症は避けられない。
その後遺症とは、第一にインフレの進行、第二は財政危機の深化、第三に金融危機の発現の現実性が高まる、ことであるが、現下の大規模な財政出動と何でもありの金融緩和政策は現時点では金融危機の勃発を押さえる役割を果たしている、と小西氏は見なす。
一方で、一律の給付金無し、休業補償無し、コロナ対策無し等の政策は政府批判の声となっている。他方で非常事態法の強化による私権の制限強化や罰則化の導入がある。
ここで鮮明に現れたのは、政府の役割に対する国民の認識の深化と新自由主義の「自己責任」論の後退である。菅政権の「自助・公助・共助」は覚醒した国民からただちに順序が違うと批判された。こうして菅政権は樹立以来、支持率はダダ下がりである。
この間の大企業に対する減税政策、金融収益に対する優遇税制そしてタックスヘイブンに対する大企業の脱法行為等。こうして人々に「社会革命」が意識されてゆくことになる。
当面の焦点は、法人税の適正な徴収、所得税累進課税の強化、各種優遇税制の是正等の、大企業や富裕層への課税を強化するか否かである。これをクリアしてから本格的な「社会革命」が論議されていくことになる。着実に「利潤原理を逆転させた社会」(RPP)生み出されつつある現実から、不可避の要求としてこの課題は明確となるのである。
最後に補論「歴史としての資本主義」に一言しておこう。この中で小西氏は旧ソ連や中国を国家資本主義と捉える見方を紹介している。このことは、『ソ連の「社会主義」とは何だったのか』の編著者である大谷禎之介氏の影響を受けた小西氏には当然の考え方であろう。その他、小西氏は、若手の注目すべき研究者として『カール・マルクス』の著者・佐々木隆治氏とこれまでに16万部を売り上げた『人新世の「資本論」』の著者・斎藤幸平氏の名前を挙げていることを紹介しておく。彼らもまた久留間学派の面々である。
本書は、階級闘争や搾取といったタームは一度も登場していないが、至る所に『資本論』が静かに鳴り響いている、と小西氏は強調する。本書では、つまみ食いでないマルクス理論が縦横に展開されているのである。まさに時代が名著を生む原動力となるのである。
世界的なコロナパンデミック下で出版されたため、問題意識が実に鮮明な意欲作である。読者の皆様へぜひ一読を薦めたい。(直木)
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資本主義の最新の局面を踏まえた闘いの内容と方向を提起・・・『99%のための経済学 コービンが率いた英国労働党の戦略』(堀之内出版)
『99%のための経済学 コービンが率いた英国労働党の戦略』が出版社から届きました。ジェレミー・コービンの下で英国労働党の「影の財務大臣」を務めたジョン・マクドネルが編者となり、16のテーマで22人の活動家・政治家・研究者が寄稿した論文集・政策提言集です。
英国労働党関連の論文集と聞くと、さぞ辛気臭い本だろうなと思う方もいるかもしれません。しかし、どっこい。さにあらず。中身はかなり新鮮で、いまの新しい経済状況、新自由主義さえもう古いと一部で言われる最新の経済の発展・爛熟の段階の現状分析と、それを踏まえた斬新な政策提案が、基本的には試みられています。基本的にはというのは、中にはいただけない駄文も含まれているからですが、それについては後で述べます。まぁ、7割がたはイケている論考が寄せられていると言えます。
早速、気になる章から6つだけ読んでみました。「労働党の財政信頼性ルール」「未来を守るために、英国はグリーン・ニューディールを必要としている」「企業の所有形態のモデルを提案する」「新しい経済における民主的所有形態」「プラットフォーム独占とAIの政治経済学」「データ・ニューディール」です。
「グリーン・ニューディール」「プラットフォーム独占」「データ・ニューディール」などは、これらは最新の資本主義が抱える問題を考える上では外せないテーマです。本書にはそれ以外にも、「ポスト真実」「租税回避問題」「分断」「地域経済」「債務依存」「ソーシャルインフラ」「レンティア資本主義」「プレカリアート」「コモンズ」等々の、興味をそそられる言葉がふんだんに登場します。ですが、これらの問題については、全部読み終わった後で別の機会に感想を述べます。
今日は簡単に、「プラットフォーム独占」「データ・ニューディール」、そして「新しい経済における民主的所有形態」についての感想を述べましょう。
まず「プラットフォーム独占」と「データ・ニューディール」。この二つの論文においては、最新の資本主義の産業的基盤であるプラットフォーム独占、そしてデジタル・データが決定的な役割を果たすようになった経済が生み出す諸問題が分析され、その矛盾の解決の方向が述べられています。プラットフォームとは、アマゾンやグーグルやウーバーイーツやエービーアンドビーなどのことで、AIやIT技術を利用した最新の資本主義の産業基盤となっていると指摘されています。これらが、労働者の非正規化を通り越してギグ・ワーカー化を促進し、格差と貧困をさらに極限まで推し進める基盤となっているのです。そしてこれらに対する労働者と市民の側からの規制と自主的運営への挑戦が、欧米の社会運動ではすでに提唱され、試みられていることが語られています。このような分析と政策提言は、日本のような社会でこそ重要なのではないかと思います。
次に「新しい経済における民主的所有形態」。この論文の良いところは、古い国有企業への郷愁を語るのではなく、逆にかつての国有企業は労働者や市民との関係においては近年の多国籍企業と変わらないものとしてその限界を正しくとらえていること。企業に対しては連帯した労働者や市民による下からの統制、介入、参加を主張していること。自治体所有、社会的企業、とりわけ労働者自主管理企業や協同組合などを賞揚していること。そうした所有改革によってこそ、企業の利益に染め上げられ、ゆがめられ、格差と貧困と分断を生み、社会的厚生を失ってしまった今日の社会を多数の人々の側に取り戻すことができるのだと、明確に主張していること。
そして、これもこの論文の感心させられる点ですが、旧来の社会民主主義は所有の問題を真正面から取り上げず、生産(搾取)が終わった後のささやかな分配の問題にのみ終始していた、しかし今日の資本主義の発展段階とその深刻な危機は、左翼に対して所有の問題を真正面から提起することを要求している、そのようにしてこそ多くの大衆の共感を得、運動を鼓舞することができるのだと、はっきりと語っている点です。
では最初に毒づいた「いただけない駄文」とは? それは第2章に置かれた「労働党の財政信頼性ルール」。この論文は、月並みなケインズ主義の勧め、それどころかケインズ主義をさらに退廃させたMMTにさえ寛大というお粗末な内容です。先に紹介した所有関係の変革論、所有の問題を真正面から提起せよ、企業や事業に対する地域や市民のイニシアチブを強化せよ、働く者自身が所有し管理せよ、さもなくば現代資本主義の行き詰まりとそこから生じる矛盾は解決しえないという主張がちゃんと全体に貫かれるなら、こんな財政依存、国家依存の時代遅れのイデオロギーは無用のはずなのです。玉石混交、とは言え玉の方が多い混交という印象の本です。
しかし、いずれによせ、英国労働党のコービンやマクドネルからは大いに学ぶべし。これは、その意味では大変に有益な本だと言えると思います。(阿部治正)
コラムの窓・・・デジタル庁の陰謀!
菅義偉首相のやることなすこと全てがデタラメ、と言ってすましてはおられないこともあります。とりわけ、デジタル庁の創設とマイナンバーカードの普及、この政策は今後のこの国の行方に大きな影響を及ぼすものです。
コロナ禍でマイナンバーカードが役立たずだったことが明らかになりましたが、菅首相はすべての人々にマイナンバーカードを持たせることで、この壁を突破しようとしているのです。さしあたっては保険証のかわりにする、運転免許証と合体させることが日程に上っていますが、さらにあらゆるものをマイナンバーカードに詰め込みいやでも持たざるを得なくなる、と。
デジタル庁の創設を契機に、個人情報保護条例を国の制度に統合しようとしています。なぜなら、デジタル庁の任務は自治体が保有している個人情報を召し上げ、自治体の電子システムを統合し、民間活用まで可能にするためです。
マイナンバー制度は情報連携を行うためのものですが、マイナンバーカード内蔵の電子証明書の発行番号(シリアル番号)によって個人を識別します。例えば、小中学生の成績・履歴データ化の管理によって、学校の成績がマイナンバー制度で管理されて一生ついてまわることにもなりかねません。
こうしたなか、政府・内閣官房は「個人情報保護制度の見直しに関する最終報告」に関する意見募集(パブリック・コメント)を実施しました。これはすでに終了していますが、わたしは何とか意見(*追記)を送付しました。
今回の見直しは、個人情報保護関係の3法(個人情報保護法、行政機関個人情報保護法、独立行政法人等個人情報保護法)をひとつの法律に統合するとともに、自治体ごとに定めている個人情報保護条例の内容を国の法律に合わせて共通ルール化し、自治体独自の保護措置を原則として認めないという〝大改革〟です。改正法案は通常国会に提出予定です。
その結果、自己情報コントロール権は踏みにじられ、個人情報は企業利益に供され、へたをすれば情報漏洩の餌食になりかねません。制度そのものに反対することが何より重要ですが、とりあえずマイナンバーは書かない、マイナンバーカードは持たない、今できるささやかな抵抗やってみませんか。
*追記
個人情報保護については、自治体が多くの情報を集積している関係から個人情報保護条例が先行し、国の保護法はそれに追随してきました。なので今、それを国が統制しようとしていることには違和感を感じ、個人情報保護がおろそかにされる危険性があります。
今般の方向性としては統一、集中、集積、そのうえでデジタル化による活用ということのようなので、「自己情報コントロール権」などは消し飛んでしまい、おまけに民間活用となればもう個人情報は駄々洩れとなるでしょう。
しかも、いったん漏洩したらその被害は甚大です。漏洩しないようにというのは、絶対に漏洩しないしシステムの構築、絶対システムを破る方策の考案、というイタチごっこです。個人情報を守る最大の手段は分散し、ネットに不用意に上げないことです。
自治体は国の下部組織ではありません。それぞれの判断、工夫を凝らした個人情報保護制度を壊し、自治体が保有する個人情報を国が召し上げることには反対します。信用のない政府による個人情報の活用など認めることはできません。(晴)
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「エイジの沖縄通信」(NO77)・・・土砂投入2年、完成の目途も立たない「辺野古新基地建設」を止めよ!
(1)首相官邸のなりふりかまわぬ埋め立て強行!
辺野古への土砂投入が始まり2年たつが、沖縄県民の粘り強い辺野古ゲート前の座り込み闘争等で埋め立てはなかなか進んでいない。埋め立て土砂の投入量は全体の3.8%にすぎない。
ところが辺野古現地からの報告によると、辺野古沖に全国から大型作業船(スパッド台船・デッキバージ船、ランプウェイ台船、さらに日本に数隻しかない特殊作業船、等)が集められ、土砂運搬についても運搬船やダンプカーがどんどん増加され、埋め立て工事が強引に進められている。
この事について、昨年12月の朝日新聞は「首相官邸では毎週月曜、防衛、国土交通、法務各省の担当者が集まる会議が開かれている。和泉洋人首相補佐官がその場で、日々の土砂の投入量を細かくチェック。『知恵をしぼれ』と叱咤するという」と報じた。
当初発表された土砂調達計画では「6県7地区」(徳之島・奄美大島・佐多岬・五島・天草・門司・瀬戸内)となっており、沖縄だけの土砂調達では足りないと言うことで、県外の奄美や九州や瀬戸内からも土砂を調達する計画を発表していた。
しかし、現実的にはこの2年の土砂調達は「本部・名護」(本部塩川港や琉球セメント安和桟橋)からの海上輸送がほとんどであった。写真のように土砂調達の中心になった琉球セメント安和鉱山はどんどん削られて、もうはげ山となっている。
(2)沖縄戦の犠牲者の骨も土砂投入に!
土砂埋め立てがなかなか進まない政府・沖縄防衛局は、土砂調達計画を大幅に「4県11区」(実質的には沖縄県と鹿児島県が中心)に変更した。実際には沖縄本島各地から土砂調達が行われる事になり、その最大の土砂の調達場所が南部地区の糸満・八重瀬となり、そこの土砂が大量に搬出される事となった。
ワーカーズ前号の記事「沖縄戦の犠牲者たちの骨を米軍基地の土砂にするという冷酷非道な計画」でも、辺野古埋め立ては許されないと批判していた。 皆さんもご存知のように、沖縄の南部地区の「ひめゆりの塔」や「魂魄の塔」等は、沖縄戦で亡くなった人の遺骨が眠っている場所である。
沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の具志堅さん達は、魂魄の塔近くの採石場から戦没者のものとみられる複数人の遺骨を収集。点在するガマや岩の間から日本兵や母子とみられる遺骨が見つかり、一帯には下あごの骨や大腿骨、そして砲弾の破片や、壺・洗面器等の生活用品等が散乱していたという。
「南部地区の土砂には遺骨が混じっている。戦没者を冒涜するのである」と怒りの声を上げている。
(3)辺野古新基地建設予算の不透明な疑惑
ブログ『チョイさんの沖縄日記』によると、辺野古関連の設計業務は、今までに16件の業務委託契約が締結され、契約金額の総額は61億5946万円との事。
全て日本工営と日本港湾コンサルタントの2社が独占的に受注しており、落札率は、9件が、99.99%、99.99%、99.97%、99.92%、99.90%、99.84%、99.83%、99.83%、99.81%と、99.8%を超え、残りの6件も90%を超えているという。「官製談合」の疑いが強いと指摘している。
政府が変更計画で算出した「総工費9300億円」という金額は誰も信じられない金額であり、沖縄県の試算では2兆6500億円と言われている。
事実、岩ズリ単価を2~3倍に引き上げたり、5年余りで500億円を越え1日あたり2600万円という莫大な陸上・海上の警備費などを含めて、辺野古新基地建設をめぐる予算の不透明な疑惑は留まるところがない。
2013年末の仲井真知事による東京の病院での「埋め立て承認」から現在までの辺野古工事の過程はすべてが政府による国策のごり押しである。
辺野古新基地建設政策の合理性を考えない、民意を顧みない、ただ国家権力の財政力(国民の税金)と警察力(機動隊・海上保安庁・民間警備、等)をもって強引に推し進めてきた辺野古・大浦湾の埋め立て工事である。
こうした税金のムダ遣いや完成の展望のない辺野古新基地建設に対して、辺野古埋め立てを中止せよ!新基地建設計画を白紙撤回せよ!の声を全国各地で上げていこう。(富田英司)
川柳 作 ジョージ石井
財産はないが戸締り忘れない
国会を閉じて疑惑の幕も閉じ
内定の歓喜見る間に取り消され(課題「つれない」)
逆転に逆転が血を湧き立たせ(「熱狂」)
チェックインおでこが銃に曝される(「体温」)
山越えの遍路へ笑みの接待所(「息抜き」)
メモを見て民の目見ない菅総理
コロナ死者死に目に会えぬ非情な世(「目」)
忍耐がせがむ二度目の給付金(「利」)
鶏卵の利権私腹を産み落とす(「利」)
下心隠す便利なマスク顔(「利」)
幕引きに秘書利用した花見会(「利」)
ああ無情罪なき鶏の殺処分(「無」)
無為無策いつまで続く冬籠り(「無」)
群れの味知ったコロナの舞踏会(「群れ」)
ワクチンに命預ける老春期(「春」)
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1・17 26年目の「ドッカンぐらぐら」
2021年1月17日、毎年行われる西宮市役所前から出発する「メモリアルウォーク」に参加する予定が、コロナで中止。それで、西宮奥畑の震災記念公園にある慰霊碑に行き、献花と追悼を行って来ました。慰霊碑には、当時小学1年生だった三女の友達のお母さんの名前が刻まれています。私は、その名前を追って慰霊碑にあらためて手を合わせ、震災当日のことを思い巡らせていました。
あの震度7という激震を体験した記憶は、何かの出来事やあの日が近づくと、敏感に反応してしまいます。あの日の早朝の下からの突き上げは、何が起きたのか? 飛行機が落ちたのか? 止まらない揺れに怯えながら地震と気づくには長かったことを覚えています。幸い家族6人無事で、避難は2~3日で済み、子ども達は義母宅に1週間程お世話になり、その後自宅で過ごすことが出来ました。ガスと水道が普及するまでは1ヵ月は過ぎていたと思います。
表題の「ドッカンぐらぐら」は、阪神淡路大震災を体験した兵庫県内の児童の作文集のタイトルです。各小学校の教師が編集委員となり、その年の9月に発行されています。子ども達があんなに怖い体験をしながらも、周りの様子を捉え家族を気遣う気持ちが、痛いほど伝わってきます。長く我が家の本棚に収まっていてはもったいないと、昨年末、小学3年生の孫娘に勧めたところ、学校にあるわと断られました。
震災後の街の復興は、26年目の今も課題は残されています。以前も紹介した神戸市長田駅前の店舗は半分がシャッター街で、住民も帰って来れないままです。住民の中には、慣れ親しんだ借り上げ復興住宅を追い出されようとしている高齢女性もいます。安心して暮らせる住宅環境の整備は、行政の責任で行うべきで、裁判で追い出すなどは恥ずべきことです。
ところで、仙台市の女川町では、震災後、津波の防波堤は敢えて作らなかったそうです。この決定は、住民と行政で何百回と議論を詰めて、未来の子ども達に何を残すのか? をキーワードに議論したということです。これは神戸の災害復興の検証を教訓化したと言われています。大きなビル建設は費用がかさみ、住民にも負担になる、身の丈にあった復興を選択。津波対策としては、住居を高台に移し商業施設は、被害を受けても再建できる様な簡易な建物にする。それは将来的に、子どもたちに負の遺産を残さず、子ども達に街づくりの決定権を託すという篤い気持ちが籠っているのです。
3年前、私もワーカーズの仲間と一緒に、紹介した女川の商業施設に行きました。平屋で八百屋さん、魚屋さん、パン屋さんなど、10店舗ほどで顔の見える関係の作りの場でした。併設して、震災被害を記憶する資料が展示されたスペースが設けられ、気楽に足が運べる感じでした。すぐ近くに海岸が見えすばらしい景色がそこにありました。
もうすぐ、3月11日がやって来ます。10年目になるのに福島の放射能汚染は解決せず、被災者は避難の生活を余儀なくされています。地震大国で原発稼働している限り、どこにいてもこの危険は避けられません。26年目の震災の日を迎え、1・17被災者からの災害復興の検証の発信が、その後の東北の復興計画に生かされていることが確認できました。被災から復興の過程で、被災者同士が繋がることで、被災者が主役になって街を築いていける、まさに未来への提言ではないでしょうか。(恵)
「色鉛筆」・・・袴田裁判 今こそ再審開始と無罪の言い渡しを
2018年6月の東京高裁決定(再審開始を認めない)を取り消さなければ、「著しく正義に反する」として、最高裁は昨年12月22日、審理のやり直しを高裁に差し戻すと決定した。最高裁裁判官5人のうち、2人が「差し戻しではなく直ちに再審開始を」と主張したが、残念ながら多数決で否決された。特筆すべきは、この2人は行政官、研究者出身、つまり検察官出身者ではないと言うことだ。
今回の最高裁決定は「犯行時の衣類に関する高裁の審理が不十分。専門的知見に基づき検討が必要」と主張。この犯行着衣は、第三者による捏造の疑いが極めて濃いものだ。
事件後すぐに逮捕された袴田さんは、連日の拷問に等しい取り調べで「自白」したものの、裁判では一貫して無罪を主張。ところが事件から1年2ヶ月後になって警察が「決め手となる新証拠が発見された」と発表し、事件の起きた工場の味噌タンクの中から血のついたシャツなどの犯行着衣を公表したもの。(裏を返せば、それまで決め手となる証拠が無かったということになる)
証拠のカラー写真では、衣類の生地は白く、血液は赤いままだが、後に支援者らが衣類の味噌漬けの再現実験を行うと、いずれも全て黒褐色に変わり、また検察の再現実験でも同様の結果が出た。証拠のカラー写真の衣類は、味噌漬けの期間はごく短時間でしかあり得ず、従って袴田さん逮捕後に、別人が味噌タンクに入れたものであることが明らかとなる。
色以外にも、「自白」ではパジャマのはずの犯行着衣が、1年後なぜ味噌漬けの衣類に変わったのかの証明がされていない。事件後の警察の現場捜査でなぜ見つからなかったのか、仮に真犯人が本気で犯行着衣を隠すなら、必ず発見される味噌タンク内より、いつも燃えているボイラーで燃やす方が自然等々、つじつまの合わないことが山のように出ている。
「著しく正義に反する」との言葉は、2014年3月、再審開始決定と身柄釈放を命じた静岡地裁決定を引き継ぐことばだ。
1966年事件発生~1968年静岡地裁死刑判決~1976年東京高裁控訴棄却~1980年最高裁上告棄却~1981年弁護団が再審請求~1994年静岡地裁再審請求棄却~2004年東京高裁即時抗告を棄却~2008年最高裁特別抗告棄却・・・・
半世紀もの間の無実の訴えは、ことごとく退けられた。これらのあまりに長すぎる司法の迷走・不作為に対して、一貫して変わらないもの、それは袴田さんと家族、特に姉秀子さんの決して諦めない無実の訴え、そして支援者、弁護団らの粘り強い取り組みだ。昨夏からのクラウドファンディングによる新たな支援の広がりも大きな力となり、最高裁決定に影響を与えたものだと思う。
ただ決してまだ安心することは出来ない。審議はさらに長期化する恐れがあり、あるいは名張毒ぶどう酒事件のように、開きかけた再審の扉がふたたび閉ざされてしまった例もある。「正義に反する」ことはもう終わりにして、一刻も早い再審そして無罪判決を望む。と同時に、検察の証拠開示を義務づけることや、再審開始決定に対する検察官の不服申し立てを禁ずる(ドイツ)、再審請求審も公開で行うべき、また冤罪防止のための対策等々、再審制度を定める刑事訴訟法の改正にも取り組むべきだ。闘いはまだ続く。(澄)
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